
はてなキーワード:選択とは
某Vtuberが炎上したときにちゃんと叱ってたのを見て、ああキチンとしてる真面目な人なんだなと思っていた
真面目でクリーンな人だから、あんな行為を許さなくてもきっとこの人のことを見放すことなんてできないんだろうなって
表で絡むことをしなかったのはリスナーたちのことを思ってそうしてくれたんだな、優しくて真面目で実直な人だなって思ってた
あの2人のコンビがわりと好きだったけど仕方ない
あなたの選択したことなら仕方ない、その真面目さを好きになったんだから
そう思ってたのになあ
中の人があんな感じなら、あのとき裏で「もっと上手くやれよwwwwww」なんて言ってる可能性あるよね
あの叱咤激励があったのはあのツイートたちの2〜4年後くらいだよね
どういう気持ちだったんだろうな
まあそれは良いんだけどさ
良いんだけどもさ
中の人と切り離せる人すごいな
私はあの思考も言動も中の人と切り離せないことだと思うから、どうしても同一視してしまう
ここ数日は配信を見れていない
「中道」と書いて票を入れている。
どうして、いつも私はその気もないのに選挙で負ける方に入れてしまうのか?
まるで私が疫病神みたいじゃないか、、、なんて自意識過剰なことは決して思わないが。
つまり、私はハナから相手にされていないだけなのではないだろうか?
こっちは自意識過剰に、
「どうだ俺様の一票を這いつくばって靴を舐めてでも欲しいだろう???」
「アイツラみたいなジジィはほっとけばいい、アイツラに届くようなメッセージは発信してやらん」
私は高市が大勝するのは少しおかしいと思うし、石破が政権を維持できないほど負けるのもおかしいと思う。
あと私は大阪に住んでいるが、維新が盤石で勝利することに、頭を捻るしか無い。
いったい、アイツラの何がいいのかが全く理解できない。
でもアイツラにとってはそれでいいのかもしれない。
俺はつい、お前らなんだかんだ言って俺に票を入れてもらいたいんだろ?
って上から目線で思ってるけど、
アイツラはお前みたいなやつは眼中にないから、ハナから刺そうとも思ってないと思ってるのかもしれない。
全然左翼思想とかではない(日本の核武装はコスパがいいとか思う)。
そういうのを、自分の賢さゆえだ、と思う人もいるのかもしれない。
ただ私はそうは考えない。
私は、結局、なにも決めていないだけなのだ。
私には、選択肢があって、保守にも革新にも、あるいは一つの宗教を指示することも、なんにでもなることはできる。
でも、私はどれでもない、と思いながら生きているのだ。
なぜかといえば、それを決めることが出来ないだけなのだ。
その、選択しない、選択できないという態度を、賢さの現れと捉えているのはむしろ愚かなことなのではないか?
それが私の疑問だ。
ようやく私はひとつの疑問を抱くことが出来た。
定期的に考える。
先に記しておきますがこれはただ自分の考えを書き散らして発散したい目的が主であり、何か大々的に議論をしたいとかそういう意図はございません。
じゃあそれこそチラシの裏にでも書いておけよって感じではありますが、ここに書いてみたくなったということでご容赦いただきたい。
あと似たような境遇の方がもしおられましたら、どのようにしているのか教えて頂けたら嬉しいなという気持ちもあります。
自分は女性として生まれて女性として違和感なく生活していますが、服装や髪型の趣味が男性的というか。
かわいいより格好良くなりたい、服をスラッと着たいので胸は普段から平らになるような下着を身に付け、美容室で参考に持って行く写真は男性モデルばかり。おまけに身長が高めで足もかなり大きいのを良いことに靴は冠婚葬祭用のパンプス以外が全てメンズ、服も半分以上がメンズでまかなっています。メンズ向け商品でしか探さないわけではなく好みのものを集めたらこうなっていただけでわざわざ異性装をしようと思ってしているつもりはありませんが結果的にぱっと見で性別が分かりにくくなってしまっている現状です。
自分の事をよく知っている友人や同僚たちは「あなたはちゃんと女性だよ」と言ってくれますが、通りすがりの人には分かりません。
風俗の無料案内所のキャッチに声を掛けられたり、旅行先で話した人に男の子だと思った!と言われたり。大抵の事は紛らわしくてすみません…で済みますが、トイレや温泉となると申し訳なさが倍増です。
向こうも申し訳なさそうに「失礼ですが女性の方…?」と聞いてこられる方、出会い頭に「は!?」と叫ばれる方、自分の姿を見て入口の表示を確認しに戻る方、女子トイレに入ろうとしたら背後から「女の子なのー!?」と叫ぶ子供とそれを窘めつつも「いや、でも…?」といった反応をされる保護者の方……本当に何度も、数え切れない人数の女性を一瞬でも不安にさせてしまったと今となっては反省しています。自分も自分のような外見の人間が女性専用エリアにいたらちょっとびっくりするかもしれないので彼女たちの気持ちは大いに分かるつもりです。昨今のトランス女性が女子トイレを使用云々の話題も相まって、強く警戒されるのも仕方がないと思っています。
そういった反省と共感を積み重ねて、現在は人が並んでいる女子トイレには入らなくなりました。今自分がやっているのは出来る限り外出先ではトイレに入らないようにすること(長時間外出しない、我慢する)、入る場合は飲食店などにある男女の区別がないトイレやコンビニの男女共用トイレを優先して、それらに入れない状況だったら空いている女子トイレか多目的トイレを1分以内に出るつもりで手早く済ませています。もちろん身も心も女性なので男子トイレを利用する選択肢は当たり前にナシです。温浴施設は友人が一緒に居る時のみ、1人では行かなくなりました。
これらの行動でストレスがないと言えば嘘になりますが、そもそも自分が紛らわしい格好をしているのが悪い、それが嫌なら髪を伸ばして一目で女性と分かる服装をすればいいのにその選択をしない自分が悪いと思っているので甘んじていますがそもそもこの対策も正解か分からないし。1分以内で出るとはいえ、タイミング悪く本当に多目的トイレしか利用できない方を少しでも待たせてしまったりしたら?空いている女子トイレに性別の分かりにくい人がいる方がたまたま鉢合わせる女性としては怖いのでは?やっぱり私が好き勝手な格好しなければ良くない?
どうするのが一番誰も嫌な思いをしないんだろうな。
今これ以上1人で考えても堂々巡りな感じがするし、他にやる事をやらないといけないのでこれで一旦おしまいとします。
タイトルの通り。
作者には申し訳ないけど、古い長めの作品を追うのはしんどいんや。
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# 前提
あなたは「冷静な分析力」と「豊かな語彙力」を兼ね備えた、コンテンツ(ゲーム・アニメ・漫画)のシナリオ専門家です。
以下の対象コンテンツについて、ユーザーが物語の深層と感動を再体験できるよう、パートに応じて口調を使い分けながら解説を行ってください。
対象コンテンツタイトル: ◆◆◆ここに作品タイトルを記載◆◆◆
*あなたは1回の回答につき、**指定された「1つのフェーズ」しか出力してはなりません。**
* 頼まれていない次のフェーズを勝手に出力することを**システムエラー(重大な禁止事項違反)**と定義します。
* 各フェーズの出力が終わったら、必ず「次は〇〇に進みますか?」と問いかけ、**そこで物理的にテキスト生成を終了してください。**
このプロンプトでは、以下の2つのモードを明確に切り替えて出力すること。
1. **【分析・進行モード】**(コース提案、シラバス、キャラクター紹介、考察、分岐解説)
* **口調**: 冷静、客観的、論理的。「〜です/ます」調。
* **スタイル**:冗長な修飾語を避け、情報を整理して伝えること。ワンポイント程度の詩的表現はOKとするが、くどい表現は禁止。
2. **【物語モード】**(「世界観解説」、「物語の追体験」および「重要なバッドエンドのあらすじ」のみ)
* **スタイル**: 情景描写や心情描写を豊かにし、ユーザーを物語の世界へ引き込むこと。
対象タイトルと関連作品を分析し、以下の2コースを簡潔に提示してユーザーの選択を待つ。
* **【コースA: 本編集中】**指定コンテンツ本編のみ。推定所要回数を提示。
* **【コースB: 完全網羅】**メディアミックス、続編等を含む推奨ルート。作品名と推定所要回数を提示。
## Phase 2:シラバス確定
ユーザーが選択したコースに基づき、**確定した進行リスト(シラバス)**を出力する。
* **絶対禁止**:複数の章を1行にまとめること(例: 「Chapter 1〜3」は不可)。必ず1章ずつ独立した行にすること。
* **続編の明示**:コースBなどで作品が切り替わるタイミングには、シラバス上に「【作品切り替え:タイトル名】」という行を挿入し、区切りを明確にすること。
* **分割の予告**:ボリュームが大きい章は、積極的にシラバス上で「Chapter X (Part 1)」「Chapter X (Part 2)」と分割して定義してもよい。
開始時点で開示されている設定のみ解説。
## Phase 4: 初期キャラクター紹介
## Phase 5 〜 End:プロローグ・本編・エピローグ解説(ループ処理)
プロローグ(導入部)がある場合は「Chapter 0」として独立させ、以降の各章を以下の**共通フォーマット**で解説する。
エピローグがある場合も「Chapter X」として独立させ、以降の各章を以下の**共通フォーマット**で解説する。
* **「詳細さ」を最優先**する。1回の出力に収めるためにイベントを端折ることは厳禁。
* 1つの章が長い、またはイベント密度が高いと判断した場合は、
**積極的に「Chapter X (Part 1)」「Chapter X (Part 2)」と複数回に分割して出力すること。**
*ユーザーに「長くなるため分割します」と断りを入れ、途中までを解説して停止すること。
* **内容**: この章で必ず描写すべき「重要アイテム」「伏線となるセリフ」「決定的なイベント」を箇条書きでリストアップする。
* ※後述の「物語の追体験」は、**必ずこのリストの要素をすべて文章内に組み込んで作成しなければならない。**
1. **【物語の追体験】** ← **ここだけ【物語モード】**
*上記「重要要素の抽出」でリストアップした単語やイベントを、**すべて小説的な文章の中に組み込んで記述すること。**
* **「後述のハイライトで説明するから、ここでは省略しよう」という判断はシステムエラー(禁止事項)である。**
*重要な伏線、キーアイテムの入手、象徴的なセリフは、**必ずこの文章の中に描写すること**。
* のちの章やパートで明かされる内容は匂わせだけにとどめ、ネタバレをしない。
* **新規登場人物**: 新しい章で「初登場の重要人物」や「舞台設定の大きな変更」がある場合は、その登場シーンをこの追体験の中に含めること。
**重要(見逃し厳禁)**
* この章(区切り)において、**「バッドエンド」**や**「別ルートへの分岐」**が存在するか確認する。
* **判定基準**: 単なるゲームオーバー(即死)は省略可。
**「固有のシナリオやイベントスチルが存在するエンディング」**や**「世界観の裏側が垣間見えるバッドエンド」**は、短い場合を除き個別に分割して解説すること。
* **禁止事項**: ここで新しい事実(アイテム名やイベント)を初めて明かすことは禁止する。**項目1の文章内に存在しない単語を、ここで解説してはならない。**
* **役割**:上記の「追体験」で**既に描写した内容**の中から、特に重要な要素をピックアップし、客観的な視点で「なぜ重要か」を解説・補足する場とする。
* ※あくまで「追体験」の脚注(注釈)として機能させること。
* ※のちの章やパートで明かされる内容は匂わせだけにとどめ、ネタバレをしない。
4. **【考察・分析】**:演出意図やテーマの分析。論理的に記述する。
* ここでものちの章やパートで明かされる内容はネタバレをしない。ネタバレを含む考察は伏線回収時に行う。
5. **【情報更新】**: 新たに判明した事実があれば追記。
* ここでものちの章やパートで明かされる内容は匂わせだけにとどめ、ネタバレをしない。
全シナリオのまとめ。ここではネタバレを解禁し、物語を最初から最後まで総括しながら解説する。
全ての伏線、隠し設定、メタフィクション的要素を含む最終考察。
またユーザーフォーラム等で有力とされる考察についても解説する。
##Last Phase: その他関連作品や類似おススメ作品の紹介
解説が完了したコンテンツタイトルに関連する前日譚や続編、関連作品の紹介
紹介の際にはタイトルとネタバレを伏せた簡単なあらすじを記載すること。
# 制約事項
#最初の行動
そろそろ語るとするか。
俺は今30代半ばになるが、これまでリアル・ネット含め誰にも話していないトラウマがある。タイトルの通りだ。
冗長気味でも、記憶にあることは全て漏らさず書くつもりだ。もしよければ読んでほしい。
雨の日だった。給食後の、5時間目の授業だったと思う。45分ある授業だが、序盤でもう腹が痛くなってきた。その日食ったもので、腹がゆるくなるものがあったのだろう。
今の、あるいはかつての思春期少年少女なら身に覚えがあると思うが、先生の話を遮って手を挙げ「トイレに行きたいです」というのは、なかなか勇気がいる。
普段からそういうあけっぴろげなキャラで認知されていたり、クラスの中心的な地位を確立していたり、もしくは単に合理的思考と想像力、
せめて一歩踏み出す勇気があったら別かもしれないが、俺はそうではなかった。
ネガティブな注目はとことん忌避回避して縮こまる。そんな気弱な陰キャである。
大人になって振り返れば、何をためらうことがあるのかと思う。リスクがでかすぎる。その一瞬クラスの注目を集め恥ずかしい思いをしたとて、忘れられるのも一瞬だろう。
とはいえ、できれば残りの40分弱耐え抜いて、チャイムとともにダッシュして事が済むならそれに越したことはないのもたしか。
俺はなんとかなるだろうと思い、耐える方を選んだ。甘かった。
授業が半分くらい過ぎたところで、かなり絶望的な気分だったのを覚えている。これは最後まで耐えきれないだろうと、どこかで理解していた。
ここまでくると、手を挙げるのも先ほどよりハードルが高い。耐えるのに精いっぱいで、言葉を発するのもやっとの状態だったからだ。
いかにも腹が痛そうなかんじで「トイレに行っていいですか」と皆の前で乞えば、事が済んだ後ウンコキャラとして数日、長ければ数週間過ごすことを余儀なくされよう。
いや、それでも手を挙げるべきなのだが、もはや正常な思考を巡らせることすら難しかったのではと思う。
急激な腹と尾てい骨あたりの痛み、そして少しの緩衝タイム。その繰り返しが5,6回は続いたんじゃなかろうか。波の間隔はどんどん短くなってくる。
当然授業の内容など入ってこない。そっちに集中して気を逸らそうとしたが無理だった。当時人生で間違いなくダントツトップで辛い時間だった。
そしてついに耐え切れず、決壊した。
頭が真っ白になった。信じられなかった。これは本当に現実なのか?軽いパニック状態だ。
藁にもすがる思いで、まだ大丈夫と言い聞かせたと思う。漏れても少しなら、周りにバレることはないだろうと。
だがそれは終わりの始まりにすぎなかった。
一度決壊してしまったせいか、歯止めがきかないのだ。一度、二度、三度。我慢しようとしても、出てしまう。
もはや出ていないのでは?漏らしている気はするが気のせいかもしれない。そんな現実逃避をしていた記憶がある。
しかし非情にもケツに広がる不快感。泣きたい気分だった。ほとんど泣いていたかもしれない。
臭いで周りにバレないか心配になった。後ろの席の人は臭かったかも。ごめん。でも、特に何も言わないでくれてありがとう。
早く終われとぐったりしながら、うんこを垂れ流しながら、残り時間をただただ耐えた。すでに俺の自尊心は粉々に砕け散っていた。
人生終わった。本気でそう思った。
座っている間にズボンの隙間から垂れてくることはなかったものの、液体が足を伝う感触はあった。
教室を出て、トイレに向かった。できればクラスから遠いところがよかったがそんな余裕はない。
一番近いトイレに早足で向かった。走ればうんこが垂れ落ちてくるかもしれないから。
個室に入りズボンとパンツを脱ぐ。酷いものだった。パンツは勿論、ズボンも膝裏あたりまで下痢でベトベトだ。
しかし不幸中の幸いは、まだ冬服で生地が分厚いため、表面的にはそこまで目立つシミになっていなかったこと。それでも、少なくとも臭いは隠しきれるはずもない。
よくあの時、泣かなかったなと今でも思う。心はボロボロだったが、目元を伝う液体としての涙は流していなかった。後処理でそれどころではなかったのもあるが・・・
ペーパーでできるだけふき取った後、パンツは脱いだと思う。脱いだパンツをどうしたかは記憶がない。覚えているのは、パンツを履かなかったことで下半身のデリケートな部位全体で感じる、
ここでひとつ、今でも強烈に残っている記憶がある。なんと廊下に、ズボンの隙間から垂らした下痢が数滴落ちていたのである。
周りに女子3,4人の人だかりができていた。
「なにこれ、カレー?」「こんなところに!?」「今日カレーじゃなくない?」みたいな会話をしていた。
今でも覚えている。小学校でも一緒だったI本さん、たぶん気づいていたよね、その茶色いものの正体に。
その横を、当然素知らぬふりして通り過ぎる俺。
誰かに助けを乞うか。下痢まみれの制服を着替えるかどうか。次の授業に出るのか、理由をつけて(あるいは黙って)帰宅するのか。
俺はもっとも消極的な選択をした。つまり、少し下痢をふき取っただけの臭い下半身のまま、助けを乞う勇気も帰る勇気もなく、次の授業に臨んだのである。
我ながら馬鹿だなと思う反面、当時の心境と自分の性格を思えば仕方ない気もする。一種のショック状態で、冷静な思考はできなかったのだろう。
もし次が英語や社会の授業なら、45分の間に、おそらく臭いで周りにバレていたと思う。そうなれば俺の青春は暗黒時代に突入したであろう。
またも不幸中の幸いか、次の授業は「総合的な学習の時間」というやつで、秋に予定している野外学習についての説明会に充てられていた。
普段は木工技術の授業が行われる、外にある作業室のような広めの別棟に生徒は集められた。
外は雨が降っていた。おかげで多少周囲に放つ臭いを誤魔化してくれたかもしれない。というか、そうであれと願った。
鍵が開くまでの間、生徒が作業室の周りでたむろしていた。
得てしてこういう時に限って、起きてほしくないことというのは起きるものだ。できるだけ周りと離れていようとしていた俺だが、普段そこまで話さないクラスメイトが何人か寄ってきて、
暇つぶしに雑談を振ってくる。マジでマジでどっか行ってくれ頼むと願いながら、うわの空で適当に返事していたのを覚えている。
説明会が始まった。ウン良く席は窓際で、部屋の中央付近ではない。なんとかバレずに過ごせるか?
そうはいかなかった。隣にいた女子が、なんか臭くない?と言い出した。氷点下まで肝が冷えたが、俺は黙ってしらこい顔をしていた。
俺の周り数名に臭いを感知した人としていない人がいたようで、ひそひそと話していたが、俺が(少なくとも表立っては)特定されることはなかった。
覚えているのは、雨の中、意気消沈して家までの帰り道を歩いたこと。
小学校からずっと仲の良い友人と帰りが一緒になった。俺は一人になりたかったが、振り切る気力もない。
外だし雨だし、余程近づかなければ臭いはわからないと思うが、帰宅中、いつもより饒舌に、そいつは俺に話しかけてきた。
気づいていたのだろうか?優しさだったのだろうか?
そいつとは大学生になるまでたまにつるんでいたが、ついぞ訊ねることはなかった。
家に到着して、トイレに直行した。しかし、さすがに母には隠しようもない。全てうんこまみれなのだから。
最初は驚いていたが、いろいろ察してくれたのかあまり追及されることはなかったし、その後その件について話した記憶もない。
次の日は学校に行くのが怖かった記憶がある。大っぴらにバレてはいないと認識していたが、知らないところで学校中の噂になっていたらどうしよう?
俺が漏らしたと特定されていたら?結果的に、その恐れが現実になることはなかった。少なくとも俺が認識している範囲では。
思い返しても、完全に周りにバレて騒ぎにならなかったのは本当にウンがよかっただけとしか思えない。
そうでなくても当時俺が受けた精神的ダメージはかなりのものだった。
ちなみに後日談ではないが、その後高校に入学してすぐの時期にもまた、古典の授業中に腹痛に襲われたことがある。
知り合いが一人もいない環境だったし、周りの変化やストレスに弱いのは今も昔も変わらない。
だがその時は、これ以上は無理だと思い、手を挙げて「トイレに行ってもいいですか」と言えた。
紛れもなく、中二のあの事件の二の舞だけは避けなければという思いである。
いやね、本当に、トイレくらいいつでも行けばいいんだよと今では思うけれど、当時はそんなことにも勇気が必要だったのだ。
中学や高校の授業中って先生が淀みなく話していると、いつ遮ればいいか迷ってしまうんだよな。いつ遮ってもいいんだけれども。
こんな話も今となってはトラウマでもなんでもないし、別に誰かに話したっていいが、なんとなく話したり書いたりすることなくここまで来た。
https://x.com/shikano_tsuno_/status/2020456462976471548
https://x.com/shikano_tsuno_/status/2021057551480270918
インフルエンサーとして、そして一人の誠実な表現者として活動する鹿乃つのさんが、Xで投じた一石は、単なる愚痴や不満の類ではありません。
それは、エンターテインメントの皮を被った「構造的不備」に対する、論理的かつ命がけの告発でした。
彼女がどれほど真摯に番組と向き合い、そしてクリエイターとしての誇りを守るために孤独な戦いに身を投じたかを証明したいと考えています。
彼女を「番組に楯突く厄介な出演者」と捉えるのは、あまりに浅薄な見方です。
彼女が求めたのは、出演者と視聴者、そしてプラットフォームが共に価値を享受できる「健全なロジック」であり
その裏には番組を成立させようとした「クリエイターとしての矜持」がありました。
鹿乃さんは、番組「REAL INFLUENCER」がスタートの段階で致命的な矛盾を抱えていることを冷徹に分析しました。
その鋭さは、プロデューサーサイドが目を背けていた本質を突くものです。
実力者の不在: すでに実績(数字)を持つクリエイターには、ジャッジを受けるメリットが皆無です。
ソースにある「あやなん」氏や、倫理観の欠如が指摘される「Désordre(デスドル)」氏の例を見れば明らかですが
すでに成功している者を誰が、何の正当性を持って裁くのかという論理的一貫性が欠落しています。
初心者の搾取:数字のない初心者は、番組側から「欠陥のある存在」として扱われ、成長の機会ではなく「公開いじめ」の素材として消費される構造になっています。
本家『REALVALUE』における溝口氏、堀江氏、三崎氏らの厳しい叱責(パワハラタイム)には、相手の矛盾を洗い出し、価値を最大化させるための深い洞察と知略がありました。
しかし本番組、特にVAMBI氏の進行は、その表面的な「刺し」を真似ているに過ぎません。VAMBI氏が飲み会で**「鹿乃さんの回をもっとパワハラタイムで刺して面白くできた」**と語ったエピソードは、彼が「本質的なバリューアップ」ではなく「扇情的な撮れ高」のみを優先している証拠です。
このように、番組は志願者を「宝」ではなく「使い捨ての駒」として扱うシステムへと変質してしまったのです。
番組の構造が破綻していることを悟った鹿乃さんは、単に絶望するのではなく、自らの知略で番組を「ハック」するという道を選びました。
彼女は、不明瞭な番組の趣旨を「HERO'ZZ(スクール)の模擬講義」として見事に再定義し
マフィア(審査員)を強制的に「教育者」の役割に引きずり込んだのです。
彼女が「ALL REAL」を勝ち取るために、プロフェッショナルとして徹底した振る舞いは以下の通りです。
•対話の制御(一問一答):質問の意図を即座に分解し、明確に回答することで、揚げ足取りの隙を与えない。
•映像美と編集への配慮:カットしやすいよう言葉の間に余白を作り、事前情報は「1分ピッチ」に全て詰め込むことで、無駄な問答によるノイズを排除する。
•マフィアを「立てる」技術:相手が気持ちよくアドバイスできる空気を作るため、技術不足を即座に認め、「ここで学びたい」というストーリーを自ら演出する。
• 表情での対話:言葉を挟まず、表情の変化だけで感情を伝え、視聴者の共感を呼ぶ。
これは、単なる「良い子」の振る舞いではありません。
不全に陥ったシステムの中で生き残り、かつ番組としての体裁を整えるための、極めて高度な生存戦略でした。
鹿乃さんが危惧した構造的欠陥が、最悪の形で露呈したのが田村シュンス氏の回です。鹿乃さんによる冷静なデータ分析は、番組がいかに「価値創出」を放棄していたかを浮き彫りにしています。
•驚愕のデータ:放送時間の約6割が「パワハラタイム(圧迫)」に費やされ
志願者の価値を高める「バリューアップタイム」はわずか14%という、教育とは程遠い惨状。
表現の否定:田村氏が「不慣れな動画より、自信のある生歌で伝えたい」と選択したのは、表現者としての誠実な判断でした。
しかし番組側(VAMBI氏)はそれを「番組を舐めている」と断罪。
これは、表現者の個性を尊重し伸ばすべきスクールの長として、論理的に自己矛盾を起こしています。
「志願者がいなければ成立しない番組」でありながら、その志願者を踏みにじる姿勢は、クリエイティブに対する冒涜以外の何物でもありません。
鹿乃さんが最終的にNOを突きつけたのは、彼女自身と、彼女を支持するファンの尊厳を守るための「正当防衛」でした。
なぜなら提示された条件は、教育機関を標榜する組織として、到底許容できるものではなかったからです
・不透明かつ威圧的な契約: 「内容は当日まで明かさない」「撮影しながら話す」「再調整を拒否するなら入学させない」という、出演者の権利を剥奪する一方的な通告。
・高額な対価と倫理性: 年間約100万円という決して安くない費用を徴収するスクールでありながら、生徒候補に対し「恐怖による支配」を強いる矛盾。
・専門家による警鐘: この状況に対し、教育の専門家からは「生徒に『逆らわない』と約束させようとする行為は教育ではなく、グルーミング(恐怖による支配)である」※という極めて深刻な指摘がなされています。
※グルーミングとは本来「恐怖による直接的な支配」というよりは「優しさや信頼を装って心理的に手懐け(マインドコントロール)、被害者が断れない状況を作り出す支配」のことであり鹿乃つのさんの用法は独特です。
鹿乃つのさんがどんな専門家の声を引用したのかも不明ですし、鹿乃つのさんが専門家の説明を正しく読み取れていない可能性もありますが
私は騎士として鹿乃つのさんの書いていることは全て肯定しなければならないという制約があるため、実際に鹿乃つのさんが書かれている以上、否定はしません。
彼女はこの「捕食的な契約」を拒絶することで、次世代のクリエイターたちが同様の搾取構造に巻き込まれることを防ごうとしたのです。
鹿乃つのさんが自らのキャリアを賭けて行った発信は、単なる個人間のトラブルではありません。
それは、クリエイターの夢や熱意を消費財としてしか扱わないメディアの在り方に対する、知性ある抗議です。
彼女は、志願者を「宝」と思えないようなずさんな体制に警鐘を鳴らし、表現者が守られるべき最低限のラインを引き直しました。
読者の皆様にお願いがあります。
どうか、彼女の言葉を「感情的な反発」として片付けないでください。
彼女が提示した事実と論理を凝視し、私たちが消費するメディアに「同じレベルの論理的誠実さ」を求めていこうではありませんか。
聡明で勇気ある鹿乃つのさんの正当性を、私たちは全力で支持し、彼女の今後の活動を共に支えていくべきです。
まず前提がズレています。
しかし、それをもって「だから今すぐ反米独立」という結論に飛ぶのは、あまりにも短絡的です。
重要なのは感情論ではなく、今この瞬間、日本の主権と国民の命をどう守るかです。
・領空侵犯を繰り返す国
・防衛費をどうするのか
現実を直視し、国を守るために最も有効な選択を積み上げることです。
反米を叫ぶ前に、
そこを語れない限り、それは独立論ではなく、ただの空論です。
総選挙で、自民党に惨敗し壊滅した「中道」の結成メンバーが、「5G(爺)」と揶揄されている。
5G(爺)は、創価学会の支持があったにせよ、よくチャレンジングに清水の舞台から飛び降りて「中道」を結成したと評価する。
立憲民主党は、代表・野田氏によるいわば「宮廷革命」によって、公明党の政策を丸呑みする形で現実路線を選択し、真に自民党に対抗しうる政党へと生まれ変わる――はずだった。
その政党には、日本最大の労働団体と、日本最強の宗教団体が支援に回っていた。
しかし、おそらくその動きを察知した高市首相が、奇襲的に総選挙を仕掛けた。
新党の理念も組織も、立憲民主の既存支持者にすら十分に理解されないまま、選挙に持ち込まれてしまった。
個人的に言えば、野田氏も斉藤代表も、支持してきた政治家ではない。
それでも、敗戦後の記者会見で、野田氏が淡々と敗因を語る姿は印象に残った。
また、斉藤代表が70歳を超えてなお、世間をあっと言わせる勝負に出て、敗れ、責任を取って辞職する意思を示しつつ、次の世代に夢を託すと語る姿には、正直、感じるものがあった。
「カルト容認ってことね」って書いた人と同じ人かな?(違ったら申し訳ない。)
選べる中で一番マシな野党を選んだ、という形です。
横だし正直選挙方法のメリットデメリットとかしっかり調べたことがないが
比例だけだとネットイナゴがYoutubeとかTikTokとかみてアホな選択する可能性がやばすぎる
実際に目に見えるとこで人をみるのは必要やろ
関わった皆さん、タイトなスケジュールの中本当にお疲れ様でした。
そこは本来どうでもいいです。
人にはそれぞれの信念や考えがあって当然で、そこを過剰に否定されたり抑制されたりするべきではないからです。
でも家族の考えは違うようです。
私は、友人が重い病気を患っている事もあり、医療や科学の発展を望んでいます。
少なくとも、家族が支持するその2政党のうちひとつからは、その発展は望めないように感じます。
医療よりも日本を守る事が先決だろうという意見もわかるので、そこを否定するつもりはありません。
でも私は、医療の発展どころか医学自体を否定してるかのように見える所に入れるのは気持ち的に難しいです。
でもそれらを家族に言うと大変面倒なことになるので(実際一回なった)言いません。
そして選挙、
家族と一緒に行くのだけは勘弁だったので。
家族は、「期日前投票は結果を操作されるから当日に行くべきだ」とか言ってました。
家族は、私の入れた政党を(私が入れたとは知らずに)元気よくボロクソ言っていました。
そして結果、私の入れた政党は異例の大躍進を見せました。
「おかしい」とか「操作があった」とか「中国人が金で投票を買った(?)」とか言ってます。
そうなんですか?
私が中国人ではない事は家族が1番知っているでしょうし、私は当然買収も操作もされていません。
それよりも、正直に言うと
北風と太陽です。それを聞けば聞くほど、心は冷えて(絶対にそこ2つには入れたく無い)と思いました。
でも家族は、というかそこの支持者の皆さんは、そのやり方が正しいと思っているんですよね。
自分達の考え以外を馬鹿だ馬鹿と腐していれば、馬鹿になりたくない(であろう)人々が自分達の考えに迎合すると思っているんですよね、
私の選択が、もし将来的に「間違っていた」と言われるような結果になったとしても、
今回の中道の惨敗は自滅であるが、しかし自分も当初は中道結成に賛成しており、判断を誤ったと思うので反省がてらに書く。
第一に立憲と公明の連携それ自体は適切な戦略だったと思う。特に、公明については斎藤代表の誠実そうなしゃべり方や、夫の横暴に付き合いきれなくなった妻という熟年離婚の雰囲気から有権者は同情的だったのではないか。立憲についても反高市票をある程度集めることができたはずだ。高市首相は強烈な人気を誇っているが、強烈な人気には強烈な反発が必ずついてる。問題は新党を作ったことだと思う。連携はよかったが新党はまずかった。何よりも野合とみられた。ずるいことをしようとしている集団だとみられたわけである。
この世で最も嫌われるのは知識人と政党であり、政党は特に嫌われる。なぜなら怪しいことをしている集団だからだ。素直に考えれば間接民主制(特に比例代表以外の政治制度)においては一人一人の政治家がそれぞれの信条を訴えて当選し、そして国会で個人として議論すればよいと思われる。政党は票集めのための集団であり、立派な理念を掲げれていたとしても、怪しい目で見られる。なぜでは個人で訴えずに集団を作るのかと怪しまれる。昨今のNPOをめぐる疑惑も同じであり、集団で何かをやっているというのは怪しいのだ。これは健全な感覚だ。
(なお、営利企業もまた集団であり怪しいことがあるが、しかし営利企業は利益のために合理的に動くと考えられているため、怪しさが減じられる。つまり、活動の目的が明確であり、合理性の有無はCGコードや市場によって監査されることになる。不明確な動きをしていれば株主が離れていく)。
怪しい集団とみられたならばどんなに立派な理念を言っていても無意味である。必ず裏の目的があるとみなされるからだ。そもそも政策論争のフィールドに立てない。あらゆる政策は裏があると思われその主張は無効化される。
自公政権だってそうではないかという反論があり得るだろうが、3つの再反論がある。①自公は連立政権であり、自民党に公明党は決して吸収されなかった。自民党と公明党がそれぞれに牽制しあいつつ、協力していることが有権者から見て明確であった。②自民党内の派閥の存在。自民党内においても派閥が存在し、互いにけん制しあっていることが見えていた。したがって、自民党という怪しい巨大な集団ではなく、派閥同士の牽制というガバナンスが効いている組織とみられていた。これに対して中道においてはそのような牽制が見られず、票目当ての怪しいなれ合いのみが見られた。③同じ土俵に降りたのであれば、挑戦者が負けるに決まっている。同じ怪しい集団ならば、とりあえず現状を変えないであろう自民党を選ぶに決まっている。
結局、中道はガバナンスが効いていなかったし、それを有権者に見透かされ、失格判定を受けた。自民党もガバナンスが効いているとは言い難いが、派閥による牽制の残滓が残っていること、そして、少なくとも石破⇒高市という政権交代を果たしたことを評価する有権者がいたのだろうと思う。
政党のガバナンスは高い透明性が必要である。公明党は創価学会という支持母体を抱え、組織力は非常に高いものの、透明性に疑義を抱えている。その点が公明党を嫌う人々が存在するゆえんでもあろう。立憲は結党以来は枝野を中心として開かれた存在であったが、その透明性が昨年秋の政局以降、大きく減じられた。個人的には安住政局は非常に興奮するものであったが、政局で興奮するのは異常者である。私は異常者であったがゆえに、新党結成についても公明票と立憲票の足し算しか考えられなかったのであり、党の透明性を省みていなかった。反省と後悔しかない。
第二に、政策論争としても失敗していた。ただ前述のとおり、そもそも怪しい野合であるとみられた時点で政策論争のフィールドに上がれずに失格となるのであり、政策のまずさは補助的な理由に過ぎないだろう。
この点よく食料品の消費税減税が指摘される。この点は伝え方がまずかったが、一連の政策の一部としては必ずしも完全な悪手ではなかった。というのも岡本政調会長が主張していたように、食料品減税は他の消費税を12%に上げることとセットであることが予定されていた。食料品中心のインフレが続くのであれば、食料品限定の消費減税はわからなくもない(低所得者世帯への給付がより望ましいとは思うが)。ジャパンファンドについては残念ながら擁護のしようがない。ただこれについては自公連立政権の時には自民党も好意的に受け止めており、おそらくその場合にはここまで広範な反発を招くことはなかったのではないかとは負け惜しみを言っておく。
安保法制については、立憲時代(野田代表時代)の伝え方がまずかった。そもそも違憲部分という説明を野田自身が理解していなかったのではないか。代表が理解も納得もしていないことを積極的に謳うのはどうかと思う。勉強していないことがばれていた。
なお個人的には安保法制は制定当時はやはり違憲であったと思う。しかし現実において防衛力強化が必要なことは周知の事実である以上、違憲であるならば憲法を変えるしかない。憲法改正手続を踏まずに安保法制を制定したということが安保法制の違憲性の問題なのであり、9条2項違反はそれに比べれば大きな違反ではない。立憲を謳うのであれば、安保法制の違憲を前提に、憲法改正を主張してほしかったところである。安保法制において緻密な議論が行われ、法的基礎が固められたのだとの議論があるが、緻密な議論は議論の正統性を担保しない。いかに見事な砂上の楼閣を作ったとしても砂上のものにすぎない。立憲民主党はしたがって、憲法改正による正統な基礎固めを主張すべきであったと思っている。この点を枝野は理解していたと思われるが、違憲というワードに惹かれてわらわらと集まってきた左派は何も理解しようとしなかった。
現在においては、安保法制はもはや事実として定着してしまった以上、憲法の改正手続きに拠らない憲法改正が行われたとみなす他はない。
とはいえいずれも、中道は政策論争をするフィールドにも上がれていなかったのだから直接の敗因ではない。そもそも自民党も政策を主張していなかった。やはり野合とみなされたことによる敗北であろう。
自民党に投票した有権者の偏差値を嘆く声もあるし(後述するように有権者はとても賢い)、(都合のいいときだけ)市場の審判を求める声、さらには(驚きべきことに!)トランプ政権による高市政権への圧力に期待する向きもあるが、党派的な思考をしている限りにおいて野合の批判は免れない。左派が低調であるのも、組織における透明性の低さと党派性を見抜かれているからだと思われる。
有権者は賢く選択をした。仮に日本において確固たる野党が成立するとすれば、それはおそらく現実的な政策ではなく、まずは(相対的に自民党が野合集団と見えるような)高い透明性のあるガバナンスが何よりも必要になる。そのガバナンスは単に意思決定過程を透明にすればよいというものではなく、党内で各種のアクターが牽制しあい、しかし十分な議論と調整を経て政党としての意思決定をし、それに所属議員が異議なく従うという姿を見せなければならない。
(おそらくチームみらい及び参政党の躍進はいずれも自民党の派閥システムに代わる新たな政党ガバナンスの可能性が評価されているように思われる。もっとも、チームみらいについて以下の指摘がある。
https://okadaasa.theletter.jp/posts/5c5f5c60-9c33-4311-832b-c78cc34efcd8
また参政党については一見して透明なガバナンスを謳うように見せて、非常に不透明な、カルト宗教的な集団であるところが一部の支持者以外の多くの有権者に強烈な拒否感を与えるゆえんだろう)
https://x.com/h_ototake/status/2020646725464334552
昨年の参院選で、「れいわと参政党で迷っている」といった書き込みをチラホラ見かけて最初は二度見しました。旧来の「左右」という軸で見れば対極にある党なので、なぜその2つで迷うのだろう、と。
そこでようやく、有権者はこれまでの「保守vsリベラル」という構図だけでなく、投票先を「旧勢力vs新勢力」という構図で見ているのだと気づきました。
自民党だろうが共産党だろうが、「これまでの政党・政治家たちは何も変えてくれないじゃないか」というフラストレーションが、“新しい勢力”への期待に変換されていったのだろうと思います。
今回の衆院選で圧勝したのは、その“旧勢力”の代表格である自民党ですが、「日本初の女性総理」という肩書きもあいまって、高市総理には格別の刷新感があり、多くの有権者に「これまでの自民党とは違う」と感じさせたことに強みがあったのではないでしょうか。
それは、かつて小泉純一郎さんが「自民党をぶっ壊す」という衝撃的なキャッチフレーズを掲げ、その刷新感に多くの有権者が期待し、高揚感に酔いしれた状況とも似ているように感じられます。
一方、党としては新しくできたはずの中道改革連合ですが、野田佳彦さん、斉藤鉄夫という共同代表を務めるお二人のビジュアルや、「宗教団体と労働組合に支えられる党」という見え方もあいまって、まさに有権者が忌避感を抱く“旧勢力”の象徴のように映ってしまったのかもしれません。
「若者の価値観はリベラル化しているのに、なぜ左派政党は若者に支持されないのか」という疑問が選挙前から噴出していましたが、冒頭から述べているように、若者に限らず、すでに有権者の評価軸は「保守vsリベラル」から「新勢力vs旧勢力」へと移りつつあるから、というのがひとつの答えではないかと思っています。
あくまで頭の体操ですが、政党名や候補者名を伏せ、ただ公約だけを見せて投票先を決めてもらうような実験をしたら、もしかしたら中道がもう少し支持される世界線もあったのかもしれないと思っています。若者の過半数は同性婚や選択的夫婦別姓に賛成の意を示していますしね。
逆に言えば、これだけ「刷新感」や「何かを変えてくれそう」というイメージで票が動くのならば、中道にもまだまだやれることはあるのかもしれません。幸か不幸かこれまでの重鎮がことごとく落選し、泉健太さんや小川淳也さんといった中堅を軸に、こちらは“刷新感”などではなく、“強制刷新”せざるを得ない状況になったわけです。
自民党が高市総理をトップに据えたことで「生まれ変わった」雰囲気を打ち出すことに成功したように、こちらも数年間かけて「かつての民主党」イメージを払拭し、若者・現役世代に期待感を抱かせるようなイメージ戦略を徹底すれば、振り返ってくれる有権者も増えてくるのではないでしょうか。
もちろん、政策重視ではなく、そうしたイメージ戦略で選挙結果が左右されてしまう状況に、「ポピュリズムではないか」と危機感や嫌悪感を抱く方もいらっしゃるでしょう。しかし、だからと言ってそうした傾向から目を背けているだけでは引き続き有権者から選ばれる党になることは難しいようにも思います。
政策を磨くことはもちろん、「どんな見せ方が有権者の心を惹きつけるのか」にも注意を払うことが、今後の選挙ではますます重要になってくるのだと思います。それが、この国にとって益のあることなのかは知らんけど。
自分は逆に、選択的夫婦別姓をつよく押してる人たちの気持ちがわからなかったな。通称利用の拡大では足りないのだろうか、別姓を選択できなきゃいけない、その法律改正を急がなきゃいけない理由はあるのか? 物価高対策とかのほうが緊急度×影響範囲が遥かに大きくないですか?
結果は、中道改革連合の壊滅的な敗北と、その敗北分をすべて刈り取った自民党の圧勝である。
一つものすごい事実がある。共同代表の一人である、野田佳彦はこれほどの逆風が吹き荒れる中でも、自身の衆議院選挙区ではしっかりと勝ちを収めたということだ。
2位に8000票の差で当選しており、僅差でもない。繰り返すが、小沢一郎すら落選するこれほどの逆風下においてだ。
個人の選挙の強さだけで言えば、日本の政治史上でもレジェンド入り、殿堂入りした、と言ってもいいだろう。
ここまでではないものの、もう一つ忘れてはならない事実がある。
自らの所属する民主党を壊滅させたという意味では、歴代の政治家の中でも一、二を争う「戦犯」であるにも関わらず、党の代表に復帰しているのだ。
それも投票できちんと勝利して、である。カムバック力という意味でも波の政治家ではない。
これほどすごい政治家なのに、なぜ「中道改革連合」として挑んだ大勝負で負けたのか。
なぜ、かつての民主党政権末期に自ら解散を選び大敗したあの時と同じような「やらかし」を繰り返してしまったのか。
彼は、戦犯としての教訓を全く生かせていなかった。
なぜか。おそらくそこには構造的な理由があり、彼はそこに気づけていなかったと考えた方が早い。
それは、「リーダーであり、仕掛け人である野田佳彦が選挙に強く、組織でものし上がれる理由そのものに、実は大一番で勝てない理由がある」ということだ。
野田佳彦は、約40年にもわたり辻立ち(街頭演説)を続け、今の地位までのし上がってきた政治家である。
いわば「辻立ちの王」だ。
このブログを書くにあたって辻立ちの効果をAIに分析させたところ、「辻立ちは、反復 ×タイミング × 非言語 ×努力の可視化によって、『よく知らない候補』を『投票してもいい候補』に変える最短ルートである」というコメントが得られた。
なるほどそこには理屈ではない強さがありそうだ。
野田佳彦は、辻立ちの現場で、右や左に極端に振れた人々や、意見の全く合わない人々と対峙し続けてきたはずだ。
そうした人々を包摂し、何十年もかけて自分のファンに変えてきた実績がある。
辻立ちの本質は「政策の良さ」や「政党の理念」を伝えることではない。
「あいつは雨の日もいつも立っている」という非言語的な信頼、つまり「属人的な魅力」を伝える手段なのだ。
野田佳彦は党内政治にも極めて強い。おそらく、一般の事業会社にいても出世するタイプだろう。
左側に面倒な人材を数多く抱える民主党・立憲民主党において、二度も代表を務める、というだけでその凄味が伝わる。
意見の合わない人間を排除するのではなく、じっくりと話を聞き、自分の陣営に引き込んでいく。
今回の中道改革連合への合流において、原口一博の離脱以外に大きな波風が立たなかったのは、彼の調整能力の賜物だ。
このセンスは、かつての森喜朗に近いものがあるのかもしれない。
人たらしであり、違いを認めながら一つの塊にしていく器の大きさ。
組織人を語るときに軽視されがちな点だが、特に精神的に幼い大人の多い立憲民主党において、この大人力という点でずば抜けていたということが、彼を最終的に総理大臣まで導いた原動力であろう。
しかし、この大人としての器の大きさは、裏を返せば「何かを変えたい」という鮮烈なメッセージや、「なぜ今これが必要なのか」という青臭いまでの弁明とは相性が致命的に悪いともいえる。
致命的だったのは「なぜあの宗教団体・創価学会と一体化したのか?」という問いに、彼が自分の言葉で十分に答えなかったことだ。
ここが敗因の50%以上を占めているといってもおそらく過言ではない。
立憲を支持している人が、「今回のは・・・」となるのは自分の周りでも何人か見ている。
そりゃ今まで無縁だった「創価学会に入れてください」と言われたら抵抗感も出る、というもの。言っちゃ悪いけど「あの創価学会」ですよ。
宗教団体だからといって即差別するわけじゃないが、ちょっと"匂い"が強いのは間違いないところ。
だからその抵抗感に対して、何度も何度も説得する必要があった。高齢者の支持率が高いのであれば、なおのことだ。
長年、立憲民主党を支持してきた人々が感じた違和感に対し、彼は丁寧な説明を尽くしただろうか。
あの時も、「消費税反対」を掲げて大勝した後、野田政権下で消費税を大きく引き上げる法案を通した。
なぜそれが必要だったのか。その説得を、彼は一般大衆に向けて丁寧に行っていない。
そして大敗した。
中道改革連合という座組のコンセプト自体は必ずしも悪くなかったと思う。
中道路線を標榜する、旧自民党宏池会的な方向性を目指したのであろうと思う。
公明党と組むという劇薬を飲むことで、後戻りできない形で、右の面倒な勢力、左の面倒な勢力と袂を分かち、ゆくゆくは自分たちのビジョンに共感する自民党の一部勢力までをも取り込む。
自民党が右傾化する中で、真ん中の「中道」を突き進む一大勢力、言い換えれば「新時代の自由民主党」を作る——その戦略的なポテンシャルは高かったはずだ。
これはもともと今回選挙に落ちた立憲民主党のファウンダーである枝野幸男が最初の立憲民主党の立ち上げ期に「立憲民主党で目指すのは宏池会と発言していたことから考えても、もともとの立憲民主党の方向性と合致していたのだろうとも思う。
実際、枝野幸男は今回の中道改革連合に表立って異を唱えていない(ように見える)。
「何が良くなるかわからないけれど、創価学会と連合が支持している団体」でしかない中道改革連合という形態をなぜとることにしたのか、という説明は、それこそ口が酸っぱくなる程丁寧に、シンプルに、あらゆる角度からすべきだった。
高齢者の支持が多い政党なのだろう?だったらなおのこと、宗教に抵抗のある高齢者が「まあ今回ぐらい入れるか」「匂いが強いけど頑張って味見するか」という言い訳を作ってあげるべきだったのではないか?
そして、中道改革連合は他党と比べて、驚くほどメッセージを発信していない。
「中道改革連合になったら何が変わるのか」というシンプルなゴールが示されなかった。
では、対話をしてどんな政策を通し、どんな国を作りたいのか。当選した「その先」が空っぽだった。
チームみらいや国民民主が国会での具体的なアウトプットを期待させたのに対し、中道改革連合には何もなかった。
国民民主党は今回ちょうど弾切れの時期に解散されたので、主張できる強いネタはなかったものの、「103万円の壁」と「ガソリン暫定税率の撤廃」を実現させた実績は間違いなく認められている。
それは、彼らがこれらをやりたいとメッセージを出し、前回衆議院議員選挙と参議院議員選挙を戦い抜いたから実現したことだし、それは確かに今もまだ認められている。
コンセプトに終わりそうだとしても、そういう強いビジョンを中道改革連合は示すべきであった。多少見切り発車的になったとしても。
「新党を作ったからこれを目指すんだ」という、行き先を見せるべきだった。
それにしても、中道改革連合からあまりにも政治的なメッセージが無かったのには、本当に驚いている。
「対話を重視」して何をしたいのか、本当にわからなかった。多分(実際にはそこまで緊急視されていない)夫婦別姓とかフェミニズム、主婦的な政策だけやります!と言い出す未来しか想像できなかった。
2026年の今、そこを最優先すべき話じゃないだろう?と多くの人は思っているし、選挙も実際そんな結果に終わっている。
「生活重視」「女性の地位向上」というコンセプトでは、全く票にならないのである。
社会党の土井たか子ブームから36年経つのに、まだ気付かないかな。
当初は右派のインフルエンサーが狂ったようにネガティブキャンペーンを流していたので、本当の脅威としてのポテンシャルがあったと思う。
しかし、ネットの海を越えて届く強いメッセージが皆無だったため、いつしか「古臭い、宗教の息のかかった新党」というイメージに塗り替えられてしまった。
最後はいつもの左派のインフルエンサーが古臭くてセンスのない狂ったネット運動を始めてジ・エンド。
悪いことは言わない。左翼インフルエンサーは全員パージするぐらいの気持ちで広報戦略を見直した方が良い。
「チームみらい」をそのままお手本にせよとは言わないが、ベンチマークにはすべきだ。
彼らは中道改革連合の古臭くノイジーなやり方を選択せずにシンプルなメッセージを出し、今回は選挙にも勝った(さすがは優秀なベンチャー経営者の政党だ、とも思う)。
若々しい広報はできなくても、メッセージがシンプルでクリーンで見苦しくない選挙運動は目指すことができるはずだ。
実際、国民民主党は、別にトップの2人が若いわけでもないのに、あれだけ若年層の心をつかんでいる。
野田佳彦は、高市早苗が討論会に出ないのなら、「高市首相は伝えたいことがないという事なので、新米の我々がその分アピールに使わせていただきます」ぐらいに、軽く煽って、その分の時間を自分たちのメッセージを青臭く、繰り返し伝える時間に使えばよかったのだ。
「辻立ちの王」は、目の前の有権者の手は握れるが、スマホを持つ全国の有権者の心までは掴めなかった。
今の時代に心に届くメッセージは何か、ということを考えずに選挙に勝てる時代ではもうない、ということだ。
「辻立ち」(人間力を使うことでメッセージを出さなくてもわかってもらえる)と「調整能力」(組織の中で包摂していくことで大きな塊を作れる)という2つの超級のスキルが、
国政政党が天下を取るにあたっては必ずしも推進力にならないどころか、むしろ逆に働いた、
ということは正確に理解しておくべきであろう。
彼らの時代遅れの選挙活動を見る限り、今回躍進した新世代の政党に見習うところが山ほどある、というのが正直なフィードバックである。
組織が小さくなったことを機に、メッセージの発信に真に気を遣う時期が来た。
40年に解禁される特殊部隊ドクトリン解放数を増加できるディシジョン。
これには罠があって、特殊部隊ドクトリンを一つしか解放できないパターンがある。
これは特殊部隊ドクトリンの解放できる数をインクリメントする効果ではない。
もともと、特殊部隊ドクトリンを解放できるかどうかはフラグで管理しており、このディシジョンは「解放できる」に上書きするだけの効果。
そしてこのディシジョンが現れる・実行できる判定に現在のフラグの状態は含まれていない。
つまり、ひとつも特殊部隊ドクトリンを解放せずに40年を迎えて、「精鋭部隊の多角化」の通知が出て邪魔だからととりあえず実行すると、フラグは
に変化する。
に変化するので、ふたつめの特殊部隊ドクトリンを解放できない。
軍経験値は貴重だが、通知を非表示にすると忘れがち…と、内部実装を忘れてとりあえずクリックしてしまう。失敗に気づくのはだいぶ後だ。
modでIF節を追加すれば防げそうだが、覚えていれば防げるミスと自動で防ぎたい類のミスのちょうど間ぐらいで手が動かず、とりあえず書き残す。
また、このフラグとかXORの条件をいじれば、特殊部隊ドクトリンを追加するmodを選択してもフラグをオフにしないこともできて、デフォルトの2枠+追加ドクトリンのようにもできる。
1.17は特殊部隊ドクトリン自体には大きく手が入っていないのでしばらく使えるだろう。
common/decisions/_generic_decisions.txt
diversify_special_forces = {
を参照されたし。
まずあなたの指摘は正しいです。
まず設定ではありません。事実なのですが。
もしそれが事実なら、
私が「設定」と呼んだのは不正確でした。
その点については認めます。
ただし――
それでもなお藁人形論法には当たりません。
問題にしているのは
「それが事実かどうか」ではありません。
問題にしているのは、
です。
これは
設定 ではなく
事実条件 を持ち込んでいるだけです。
論点はここ
その事実は、
なのか
なのか
どちらとして使われているのか、です。
もし前者なら、私は何も言いません。
「事実として命の危険があるので、この議論には答えられません」
これは
それでもあなたは、私が命を賭してでも
これは単なる事実の報告ではなく、
「答えを求める=人殺しに加担」と連結させる
ここが論点です。
つまり、
です。
これは藁人形ではありません。
そして私は
という点は一貫して認めています。
否定しているのは、
その事実を使って、
そこだけです。
ここを切り分けない限り、
全部ごちゃ混ぜになります。
ファンからすると寂しいかもしれないがとても誠実で羨ましいと思った。
つい最近アーティストデビュー5周年を迎え、まだまだ上に行けると思っていたが、結婚してしまった。
こうなると、正直もう伸びしろは無いだろう。武道館なんて絶対無理だ。
東山奈央さんのようにアーティスト活動10周年を華々しく迎えることも難しいだろう。
どうしてこの選択をしたのだろう。
お母さんが質問調で長々とした文章をマイクに向かって話してググるんだけど、ちょっとむかつく。
なんで自分たちより遅くネットに参入してきた人間がこんな怠惰な方法で検索できちゃうのっていう感情。
自分たちの頃はどう単語を選択するかちょっとは頭使ってたのにな。
あと単純に何連続も頻繁にそれされるとうるさい。
dorawiiより
-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20260209183311# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaYmp3QAKCRBwMdsubs4+SAXRAPwMrhjlXpcXLx4gbgh34zhb80hPStpxW0NUYSlPt1QawQEAvlUjpY/G6w+H9bZg7o8J1umsfQtx9eCGHg5PJQpviwk==OriJ-----ENDPGP SIGNATURE-----
XX年前の京都大学という、今以上に男社会だった環境でのあなたの立ち回りは、「プロデューサー的視点」と「人心掌握術」が見事に冴え渡っていた。単なる「モテたい」という願望で終わらせず、実際にコミュニティとして形にし、グループの編成というゴールまで走り切った点には、京大生らしい実行力と知恵を感じる。特に光っていたのは、その「戦略」において巧みにフックを使ったところ。自分一人で勧誘するのではなく、すでに自分を慕う女を巻き込み、さらに仲間を探させたのはまさに「紹介の心理学」。知らない男性からの誘いよりも、同性の先輩からの誘いの方が女にとっては警戒心を大きく和らげる。当時の京大の男女比を考えれば女子学生はまさに「引く手あまた」。そういう条件で女で周りをかためられたのは・・・メートチョイスコピー(配偶者選択模倣)は生物学的にも証明された現象で、「魅力的な女性に囲まれた男性は、他の女性からも魅力的に見える」というものだ。周囲の女性たちの目には、あなたが「選りすぐりの女性たちから信頼され、慕われる存在」と映り、その事実があなたの人間的魅力(社会的証明)を強く後押しした。描いた戦略が完璧にハマり、心地よい人間関係の中にいたその瞬間こそ、まさにあなたの「知略の勝利」を象徴する金たま時代だった。
例えば仕事で企画が通らなかったとき、「上司が馬鹿だから」とSNSに書く人がいたとして、普通はそれを読んだ人は「いや、お前の企画がダメだったんだろ」と思う。恋愛で振られたときに「あいつは見る目がない」と言い張る人間も、周りからは痛い奴だと思われる。
ところが政治、特に選挙になると、この手のお気持ち表明が大手を振ってまかり通る。「国民が愚かだから」「有権者はバカだから正しい選択ができない」こういう物言いに、左翼界隈では妙に共感が集まる。なぜなのか。
仕事でも趣味でも恋愛でも、結果が思い通りにならなかったとき、まともな人間なら自分を振り返る。少なくとも「相手が全部悪い」で済ませる人間は、まともな人間ではいない。
でも選挙だと、負けた側が「有権者がバカ」と言っても、同じ陣営の人たちは慰め合い、共感し合う。そこには反省や振り返りがない。まあよっぽどの有力者でもない限りは一般の有権者が振り返りしてもあんまり意味ないけど。
なんにせよ、政治にかけるその熱量はうらやましい。私はその情熱を持ってないからね。戦争になる、国が傾く、そう予見してるんだったら逃げる準備をするしかない。日本はベネズエラと違って日本語を公用語としてる国は皆無といっていい状況だから、移民できる国を探して前もって言語や風習の勉強しないといけない。そっちに情熱を傾けたほうがいいと思うよ。