
はてなキーワード:適当とは
家にテレビがなくて映画館にもほぼ行ったことがない。ゲームは小さい頃から全然やってなくてポケモンもピカチュウくらいしか知らない。小説も漫画も読まない。一人旅はそれなりにするけど家族旅行に行ったことは一回くらいだけで、親が親戚と仲が悪いから帰省もしたことがない。インターネットにも疎く、SNSはやらないし匿名掲示板に張りついているようなタイプでもない。音楽も聞かないし、料理が好きなわけでもない。ギャンブルもタバコも酒にも興味がない。受験勉強は好き。
こういう友人がいる。距離を置こうと適当な嘘をつかれているわけではないはず。もちろん普通の人間として生活しているのだが、この人に娯楽はあるのだろうかと勝手に心配になる。勉強は好きなようだが、あくまで受験勉強のような答えが出る勉強が好きなようで研究者にはなりたくないという。本当に面白いと思えないから本や映画、ゲーム、音楽といった一般的なエンタメに触れていないのならば全然良いのだが、幼い頃に親からそれらに触れる機会を与えられなかったために、そういうエンタメの選択肢があるということすら知らないのだろうという印象がある。勉強が好きなのも、多分それくらいしかドーパミンが出る行為を許されなかったのだろうと勝手に推測している。
毒親からインターネットに逃避するケースはよく観測できるし、グレる場合も存在は認識できる。ネットにハマるわけでもグレるわけでもなく、多少衝突しつつも進学なり就職なりで順当に親元から離れるパターンも、自分から見えてなかっただけで世の中には結構いるんだろうな。
女オタクの夢界隈の話。
夢主(既存男キャラに対する架空のヒロイン)は、基本的に書き手及び読み手の自己投影先になるため無個性を設定されがちだが
もちろん『名あり夢主』とか『顔あり夢主』とか『髪あり夢主』とか『人型夢主』とか書き手によって細かい設定がある場合もある。
で、何だよコレってのは文字での話なんですが
『名あり夢主』←これどうにかして
名無し夢小説ではキャラが夢主を「おい」「お前」「先輩」とか、地の文で呼んだことにしてなんとかやってくのだが
名ありの場合、キャラが固有名詞を使えるため、「〜ちゃん」「〜さん」とかしっかり敬称をつけて丁寧に丁寧に丁寧にヒロインを呼べる。
名前を呼ぶことは愛情表現という話もあるし、敬称に解釈が出るから奥行が増す。わかるよ。名無しにはない利点がある。
しかし、昨今見かけるのは『ミョウジ ナマエ』とかいうばかみてえな名前。
個人的に、自分の名前にすると違和感が拭えないし、適当な名前をつけてもしっくりこない。かといって置換せずに読むと、流麗な日本語に混ざって「ねえ、ナマエちゃん」とか「待て、ミョウジ……!」とか言い出す。誰お前
誰?
何?
まあいいや
しかし、驚くことに、
私を「お前」と呼ぶのが気に入らない!という声があがってきた。
フェミですか?
でもこれって裏を返せば
素で「お前」呼ばわりしてくる野獣のような男は需要がなくなっている
ということではないか?
政治学を学んだわけでもろくな大学出たわけでもないクズや底辺が増田みたいなところで適当な素人の思いつきみたいなことで互いを攻撃しあっても意味ないだろ
5年くらい前に優待目当てで買ったMCJにTOBがかかってた。
買い付け価格2200円だけど2277円で売却。税金払って130万もらった。
3月に親と温泉行って30万くらい使う予定だったけど、賄えてよかった。
来年も行けそう。
給料は、安い、高い、だろ。
安月給のように。
それか、少ない、多い、だろ。
低いって値が小さいという意味で言ってるのだろうが、不適当な感じがする。
ピーター・バラカンです。
私もさ、
ピーターバラカン方式とか逆ピーターバラカン方式とかって言ってそのワード使ってやってみたいなぁって思いつつ、
そんな、
みんなから届いたリクエストに応えるケースなんて無いわよね!って思うのよ。
オリンピック選手が金メダルを取ったときにかじる亀田製菓のお煎餅だったらさぞ美味しいんでしょうね!って興奮冷めやらぬ深海魚のサメヤラヌ鮫ももっと人気のある水族館のアイドルになってもいいと思うの!
遠目で見たら、
選手になにを齧らせたら面白いのか選手権大喜利みたいになっちゃってるし、
応援ありがとうございます!みんなの声が届きました!とか感謝しかないです!って
世界情勢や政治的背景で選手生命を絶たれた何か不安の漂う気の毒な記事かと思って読み進めたら、
表彰台ではしゃいでジャンプしたら金具が壊れて金メダルが壊れたって話。
物理的なやつかーい!って
他にも金メダル壊れたって話ししている現地の選手の声は多いので、
今回のオリンピックの金メダルの紐とメダルの繋ぐ金具の強度どうなってんのよ!?って思うわ。
あんまり時事的なことを書くとあとから色褪せて夏川りみさんばりに古いアルバムをめくったときに涙そうそう!ってまだ泣いてないから!
時代の古さが織り込まれちゃいそうなのであんまりその時のニュースのことは書かないようにはしているし、
私って時代のニュースのアンテナびんびんに張ってますから!って思われかねたりもしないのよね。
とはいえ、
サッカーの三浦知良選手が最年長試合出場記録を揖保乃糸級に伸ばして作る冬の寒いときに大変な作業を彷彿とさせるあの素麺を巧みな職人の手業で棒を差し込んで伸ばしていく作業はみんな必ず見たことあると思うんだけど、
その三浦知良選手が試合に出るようにって監督から指令が来たときに
「おしっこをちびりそうになりました。そのぐらいびっくりしました」って書いて載せてる新聞って全国紙で1紙しかなかったので、
あとの残りの全国紙は無難な「頑張ります」的な意味の内容でまとめられて、
多分これ記者との間柄が人間関係出来てんのじゃないかしら?って思うのよね。
だって、
ちびりそうになりました!ってそうそう全国紙で載せて良いかちょっとドキドキするワードじゃない。
三浦知良選手のことは詳しく知らないけどそういう人柄なのかな?って。
同じ記事でも新聞紙で書いてあること微妙に角度違って書いてあることがあるからそういうの見付けたらよっしゃー!って面白いのよね!
私が好きな外人四コマじゃない方の四コマの二コマ目がションテン低くて四コマ目がションテン爆上がりのやつ、
それじゃない方の新聞のテレビ欄の後ろからめくっていきなりあるようなあの四コマ漫画よ。
傑作四コマ漫画集!ってのを張り切ってみて読んでみたけど、
これなにが面白さに味を加えていてかと言うと、
その四コマ漫画と一緒の紙面に掲載されている新聞記事とのなんか内容がリンクしているか逆にリンクしてないかのあのギャップの面白さがあるのよね!
だからそういう時の一面に乗っている新聞記事と四コマ漫画が内容が関連してそうな感じだと、
ふふってなっちゃうし、
カラオケに行ったときにパフィーさんのカニ食べに行きたい曲をかけようと思って曲名がわからず適当にデンモクから注文した曲は「渚にまつわるエトセトラ」じゃなくて「アジアの純真」だったときに、
イントロぐらいが終わって、
あれ?曲違うくね?って
山崎まさよしさんが桜木町でなにかを探す歌を歌うようにパフィーさんのその歌が「渚にまつわるエトセトラ」だってことにあとから気付くのよ。
でね、
あたかも人間との三歳児の縮尺を麻痺させるような蟹のその一番大きな足が本当に大きく見えちゃう錯覚を利用した写真!
子どもに蟹の足とか蟹持たせて掲げるなよって思うの。
私一瞬!
この蟹大きいかも!って思わず0120ってダイヤル回しちゃいそうになる手を止める歌なんだっけ?ってまたその曲探しにぐるぐる回っちゃうの。
だから、
それなら、
ベビーベッドで寝ている赤ちゃんの横に蟹を並べて取った方が食い初め的な儀式にも見えるし、
そっちの方が潔くない?
あの子どもがカニを持った写真を見るたびに私はカニが食べたい口になるのよ!
もちろんその時の手の両手の格好はダブルピースでカニさん!を正に迫真の演技で演じきるかのよう!
サルカニ合戦の役者の臼、蜂、栗、猿、蟹、牛の糞の中で蟹を演じるなら、
助演蟹優賞の受賞待ったなし!だと思うの!
その賞を受賞したあかつきには、
蟹を掲げた写真を撮って載っけて欲しいの!
注意して蟹広告見てると、
カニだけどイカに子どもが蟹持たされているかってのがよく分かると思うわ。
いちいち新聞を読んでて登場する蟹広告に沢村一樹さんじゃない方の一喜一憂してたら疲れちゃうわ!
うふふ。
いつものみかんの花さく丘公園前駅の駅前商店街の喫茶店でモーニングを決めているわ。
珍しく珍しく、
ションテン上がるわー!
いい休日よ!
起きたときに飲むホッツ白湯ストレートウォーラーで身体が温まるわ。
今朝は雨模様のようなので、
そんなに冷え込みはなかったけれどね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
まずは料理関係!レシピ系が多いが単に調理風景を映してどやあーってのも結構流れてくるぜ。ただし、レストランとか屋台とかのを撮ったどんぐり系は見ねえ。
あと、これは料理系の一種ということになるんだろうがコーヒー、特にエスプレッソを淹れてる動画がやたら流れてくるな。自分自身はネスプレッソで適当に飲むだけだが、何をどうこだわっているのかは初心者レベルの知識がついてしまったぜ。
他には工場の動画。国内海外問わず、規模もいろいろで、人の手が殆ど入らないほぼ完全自動クラスのものから職人の手による9割手作業みたいなのまである。
化学実験や電子工作系も多いな、有名なのや派手なのがウケやすいからか多く登場するが、たまに地味ーなのもある。
ゲームの動画も多い。もともと据え置き機のプレイ動画をよく見ているからだろうが、最近もちもちほっぺのやつが混ざるようになった。遊んではいない。
ちなみに、政治とかの動画は上下左右前後問わず全部ミュート送りしているし、上記デッキに含まれるとしても掲示板まとめみたいなやつは気に入らねえから同様だ。平和なサジェストの維持のためには欠かせない作業だぜ。
そろそろ語るとするか。
俺は今30代半ばになるが、これまでリアル・ネット含め誰にも話していないトラウマがある。タイトルの通りだ。
冗長気味でも、記憶にあることは全て漏らさず書くつもりだ。もしよければ読んでほしい。
雨の日だった。給食後の、5時間目の授業だったと思う。45分ある授業だが、序盤でもう腹が痛くなってきた。その日食ったもので、腹がゆるくなるものがあったのだろう。
今の、あるいはかつての思春期少年少女なら身に覚えがあると思うが、先生の話を遮って手を挙げ「トイレに行きたいです」というのは、なかなか勇気がいる。
普段からそういうあけっぴろげなキャラで認知されていたり、クラスの中心的な地位を確立していたり、もしくは単に合理的思考と想像力、
せめて一歩踏み出す勇気があったら別かもしれないが、俺はそうではなかった。
ネガティブな注目はとことん忌避回避して縮こまる。そんな気弱な陰キャである。
大人になって振り返れば、何をためらうことがあるのかと思う。リスクがでかすぎる。その一瞬クラスの注目を集め恥ずかしい思いをしたとて、忘れられるのも一瞬だろう。
とはいえ、できれば残りの40分弱耐え抜いて、チャイムとともにダッシュして事が済むならそれに越したことはないのもたしか。
俺はなんとかなるだろうと思い、耐える方を選んだ。甘かった。
授業が半分くらい過ぎたところで、かなり絶望的な気分だったのを覚えている。これは最後まで耐えきれないだろうと、どこかで理解していた。
ここまでくると、手を挙げるのも先ほどよりハードルが高い。耐えるのに精いっぱいで、言葉を発するのもやっとの状態だったからだ。
いかにも腹が痛そうなかんじで「トイレに行っていいですか」と皆の前で乞えば、事が済んだ後ウンコキャラとして数日、長ければ数週間過ごすことを余儀なくされよう。
いや、それでも手を挙げるべきなのだが、もはや正常な思考を巡らせることすら難しかったのではと思う。
急激な腹と尾てい骨あたりの痛み、そして少しの緩衝タイム。その繰り返しが5,6回は続いたんじゃなかろうか。波の間隔はどんどん短くなってくる。
当然授業の内容など入ってこない。そっちに集中して気を逸らそうとしたが無理だった。当時人生で間違いなくダントツトップで辛い時間だった。
そしてついに耐え切れず、決壊した。
頭が真っ白になった。信じられなかった。これは本当に現実なのか?軽いパニック状態だ。
藁にもすがる思いで、まだ大丈夫と言い聞かせたと思う。漏れても少しなら、周りにバレることはないだろうと。
だがそれは終わりの始まりにすぎなかった。
一度決壊してしまったせいか、歯止めがきかないのだ。一度、二度、三度。我慢しようとしても、出てしまう。
もはや出ていないのでは?漏らしている気はするが気のせいかもしれない。そんな現実逃避をしていた記憶がある。
しかし非情にもケツに広がる不快感。泣きたい気分だった。ほとんど泣いていたかもしれない。
臭いで周りにバレないか心配になった。後ろの席の人は臭かったかも。ごめん。でも、特に何も言わないでくれてありがとう。
早く終われとぐったりしながら、うんこを垂れ流しながら、残り時間をただただ耐えた。すでに俺の自尊心は粉々に砕け散っていた。
人生終わった。本気でそう思った。
座っている間にズボンの隙間から垂れてくることはなかったものの、液体が足を伝う感触はあった。
教室を出て、トイレに向かった。できればクラスから遠いところがよかったがそんな余裕はない。
一番近いトイレに早足で向かった。走ればうんこが垂れ落ちてくるかもしれないから。
個室に入りズボンとパンツを脱ぐ。酷いものだった。パンツは勿論、ズボンも膝裏あたりまで下痢でベトベトだ。
しかし不幸中の幸いは、まだ冬服で生地が分厚いため、表面的にはそこまで目立つシミになっていなかったこと。それでも、少なくとも臭いは隠しきれるはずもない。
よくあの時、泣かなかったなと今でも思う。心はボロボロだったが、目元を伝う液体としての涙は流していなかった。後処理でそれどころではなかったのもあるが・・・
ペーパーでできるだけふき取った後、パンツは脱いだと思う。脱いだパンツをどうしたかは記憶がない。覚えているのは、パンツを履かなかったことで下半身のデリケートな部位全体で感じる、
ここでひとつ、今でも強烈に残っている記憶がある。なんと廊下に、ズボンの隙間から垂らした下痢が数滴落ちていたのである。
周りに女子3,4人の人だかりができていた。
「なにこれ、カレー?」「こんなところに!?」「今日カレーじゃなくない?」みたいな会話をしていた。
今でも覚えている。小学校でも一緒だったI本さん、たぶん気づいていたよね、その茶色いものの正体に。
その横を、当然素知らぬふりして通り過ぎる俺。
誰かに助けを乞うか。下痢まみれの制服を着替えるかどうか。次の授業に出るのか、理由をつけて(あるいは黙って)帰宅するのか。
俺はもっとも消極的な選択をした。つまり、少し下痢をふき取っただけの臭い下半身のまま、助けを乞う勇気も帰る勇気もなく、次の授業に臨んだのである。
我ながら馬鹿だなと思う反面、当時の心境と自分の性格を思えば仕方ない気もする。一種のショック状態で、冷静な思考はできなかったのだろう。
もし次が英語や社会の授業なら、45分の間に、おそらく臭いで周りにバレていたと思う。そうなれば俺の青春は暗黒時代に突入したであろう。
またも不幸中の幸いか、次の授業は「総合的な学習の時間」というやつで、秋に予定している野外学習についての説明会に充てられていた。
普段は木工技術の授業が行われる、外にある作業室のような広めの別棟に生徒は集められた。
外は雨が降っていた。おかげで多少周囲に放つ臭いを誤魔化してくれたかもしれない。というか、そうであれと願った。
鍵が開くまでの間、生徒が作業室の周りでたむろしていた。
得てしてこういう時に限って、起きてほしくないことというのは起きるものだ。できるだけ周りと離れていようとしていた俺だが、普段そこまで話さないクラスメイトが何人か寄ってきて、
暇つぶしに雑談を振ってくる。マジでマジでどっか行ってくれ頼むと願いながら、うわの空で適当に返事していたのを覚えている。
説明会が始まった。ウン良く席は窓際で、部屋の中央付近ではない。なんとかバレずに過ごせるか?
そうはいかなかった。隣にいた女子が、なんか臭くない?と言い出した。氷点下まで肝が冷えたが、俺は黙ってしらこい顔をしていた。
俺の周り数名に臭いを感知した人としていない人がいたようで、ひそひそと話していたが、俺が(少なくとも表立っては)特定されることはなかった。
覚えているのは、雨の中、意気消沈して家までの帰り道を歩いたこと。
小学校からずっと仲の良い友人と帰りが一緒になった。俺は一人になりたかったが、振り切る気力もない。
外だし雨だし、余程近づかなければ臭いはわからないと思うが、帰宅中、いつもより饒舌に、そいつは俺に話しかけてきた。
気づいていたのだろうか?優しさだったのだろうか?
そいつとは大学生になるまでたまにつるんでいたが、ついぞ訊ねることはなかった。
家に到着して、トイレに直行した。しかし、さすがに母には隠しようもない。全てうんこまみれなのだから。
最初は驚いていたが、いろいろ察してくれたのかあまり追及されることはなかったし、その後その件について話した記憶もない。
次の日は学校に行くのが怖かった記憶がある。大っぴらにバレてはいないと認識していたが、知らないところで学校中の噂になっていたらどうしよう?
俺が漏らしたと特定されていたら?結果的に、その恐れが現実になることはなかった。少なくとも俺が認識している範囲では。
思い返しても、完全に周りにバレて騒ぎにならなかったのは本当にウンがよかっただけとしか思えない。
そうでなくても当時俺が受けた精神的ダメージはかなりのものだった。
ちなみに後日談ではないが、その後高校に入学してすぐの時期にもまた、古典の授業中に腹痛に襲われたことがある。
知り合いが一人もいない環境だったし、周りの変化やストレスに弱いのは今も昔も変わらない。
だがその時は、これ以上は無理だと思い、手を挙げて「トイレに行ってもいいですか」と言えた。
紛れもなく、中二のあの事件の二の舞だけは避けなければという思いである。
いやね、本当に、トイレくらいいつでも行けばいいんだよと今では思うけれど、当時はそんなことにも勇気が必要だったのだ。
中学や高校の授業中って先生が淀みなく話していると、いつ遮ればいいか迷ってしまうんだよな。いつ遮ってもいいんだけれども。
こんな話も今となってはトラウマでもなんでもないし、別に誰かに話したっていいが、なんとなく話したり書いたりすることなくここまで来た。
ツインタワーが板橋区におっ立ったよ。半年くらい前から人がおそらく入ってるよ。
のはずなのだが、みなさんはにかみ屋、恥ずかしがりや。暗幕で真っ暗に見せるのが流行ってるのか、明かりのついた部屋は300のうち10もない。出入り口から会社に向かう人もまるでいない。みんなテレワークか、カッコいいね。電車前と比べて混まないしね。引きこもって真実を伝える動画でも撮ってるのかしらね。
その近所にできたネオ何とかなカレー屋とか、混んでるところを見たことない。
住めよ、ボケちんども。適当に値上がりしたら売っぱらうのかボケ。越して来いよ地方のおじさんたち、子供住まわせろよ。
こうやって街が更に荒廃する。ガワだけ作るが結局原住民ばっかり。あと2つこんなの建つのだが、何かいいことあるんだろう。
ってか、板橋区すら衰退してるのかしら。練馬区と一緒に村に戻ろう。板橋村(練馬区もなんか立ってる)に戻ろう。そしたら、結構いい景色が見えそうな気がする。農産物を荒川あたりで作るから。
Permalink |記事への反応(12) | 22:36
ICU、人生で5度目だろうか、入院自体、これで25年の人生のうち15回くらいはしているだろうか。
今回のICUは事故だった。ODのやりすぎで、少量なのに意識を失ったのだった。気が付いたら「痛い痛い」「つらいつらい」と呻いてのたうち回っていたのだった。親に見られているのが分かったけど、眼を開けることはできなかった。ただ「薬いっぱい飲みすぎで、もうどうにもならなくなってんの。脳のどっかも、身体のあちこちも、おかしくなってんの」と言われたのが、心外だった。自分だって理解している。
頭の処理が遅いし、認知も変になっていて、喋ると喋っている間に自分が何を考えているか忘れてしまうのだ。おもしろいことに、こうして文を書いているときは、すらすら文字が出てくるし、書こうとしていることも明確だったりする。ただ、私の頭が多少ヘンになっていることは、そうだろう。このことに後悔はない。仮に、年齢ではなく「本当に」ODの勢以でヘンになっていたとして、こうなるとわかっていたとしても、かこの自分がODをやめることは無いだろう。
そもそも、私は死にたいのだった。死を目的としたOD,飛び込み、飛び降り、首吊りなど、自殺企図はかれこれ、ちょくせつ死が近くに来るそれは、この通りにすべて複数回している。
私にとって、私が死にたいのは、あまりにも当然だ。死んじゃいけない理由も把握しているが、それと死にかけている私を助ける理由と、けっきょく生かされて残り続ける苦痛は、つり合いが取れない。合理的に。ただただ私の苦しみが増え続けるだけ。
ネットには死にたい人が沢山いる。おおかた、苦しいからこれを終わらせたくて死にたいと言う。私はそういう、死んだら救われるような考えは、死にたくなった高校から、あまり考えないように、と気を付けていた。死にたいなら、理由をつけずにただ死ぬ、自殺すること自体を目的にする。
さていまの自分はどうだろう。なんで生きているのがつらくて、早く死にたいのか? それは、なにもかもどうでもいいからだ。私の死にたい気持ちは〈あらゆる可能性を捨てる〉決心をもって、それらの了解から導き出される、感情的にも、意識的にも、論理をある程度だけ適応した、ヒューマニックな解答なのだ。つまり、さっきの「どうでもいい」は「どうなろうが知らん」というよりか、とにかく「考えたくない」ということだ。もう解答は出ている、100点は確実なのに答案が配られない。
〈あらゆる可能性を捨てる〉というのは、私の想定では『ジョニーは戦場へ行った』だ。
私には才能がある。というか、この言葉にちょっかいを出したい人というのは、どうして自分に才能がないと言い切れるだろう? 肯定することより厳密に否定することの方が難しいのに。
それで、評価はされている。だが、自分の才能に対して「お前はもっとできるだろう」という考えがずっとある。そして同時に、よりよくその才能が生かされたとして、それが私の生きる理由にはならないだろうことは確かだ。私は私にだけ、強く重い根性論をぶつけている。自分を追い込んでいる。
なにも作れなかったら、生きていてもどうしようもないのだ。命に価値がない(この言葉は嫌いだ)、いや、限りなく生きていないのに、ただしかし自分だけが「頑張れなかった私」を、この生命の一切が終わる、その意識が途切れるまで(これ自体を)抱えなきゃいけない。なにげなく、文章や小説を書き出したのは、明確に死にたいと思うようになった、高校生の時分からだった。
何かを作るのは、「もし生き続けるのなら」そういうことをやらないと、自分が無意味そのものだと感じるからだ。無意味というのは、死体ということだ。
私は本当なら、何も作りたくはない。作っていなかったときの方が、毎日がイキイキと鮮明だった。
自己表現、という言葉のすべては、自己表現を純粋に示せない。それを示そうとすること自体が、自己表現になりえるからだ。なにかを作るのにおいて、公に(正式な場所から)何かを出すときも、自己表現なんてものは頭に一寸もよぎらなかった。私の作るものには、私が伝えたいことなど、一つもない。喋りもうまくできなくなったのだ、私が誰かに何かを伝えること「さえも」そのものに意味があるとは思えない。もし、私が望む何かを達成できるAIがあるのであれば、私はそっちに乗り移って、無思考かつ無感情でその主体を獲得したい。
とはいえ、私にもいろいろな意見がある。それのほとんどが、人間なんてどうしようもない、正直、なにかを作ったとして、何にもどうにもならなく、仮に何かにどうにかなっても、私はきっとそれになにも満足しないだろう、それは人間はどうしようもなくて、ただ死ねないから生きていて、生きることを根本から見つめることもできないくせ、感情だの倫理だのと、どっかから聞いてきたような適当な理由を、無遠慮に誰かや私にぶつけてくる、害そのもの、あるいは機械、または可変的なルールでしかない、という、不満だ。人間は愚かなのではない、賢いのではない、〈何かに理由があることを疑えない〉のだ。いつしか規範が作られ、会話できるようになって、そんなことできないのに他人の気持ちとかをくみ取ろうとする。
私たちは、他人の気持ちなんて、分かろうとするのは恋愛だけでいいし、とにかく「気を配ること」に厳密になればいいだけなのだ。「気を配ること」。他人の意思を尊重することと、倫理は基本的に一致しない。むしろ、倫理なんていう規範を飛び越えて他人に触れることが、よりよく意思を尊重することになる。これが「気を配ること」である。そして「気を配ること」は、なにも、社会だのSNSだの、でっかい母数を相手にしなくていい。周辺だけ、触れ合う他人にだけでいい。
主張をしまくること。
主張をしまくり、その主張は何かを否定していたとして、否定側の意見をいつも検討価値のあるものとすること。
では「私は死にたい。以上の自殺企図、入院歴がある。私は〈理念〉として自殺することを肯定している。私の邪魔をしないでくれ」。
では「そう。で? それが何? 何それ?」
さあ、〈どんな顔をどのように何をすればいい?〉
1940年、東京市内のビアホール、カフェーにおいて生ビールの泡が多すぎることが経済警察(国税庁査察部)などから指摘があり、泡をビールとして販売することが国家総動員法違反の虞があるとして、ビアホール3社を相手とした訴訟が発生した。東京区裁判所で行われた裁判では坂口謹一郎が鑑定に呼ばれ、泡を液体に戻した場合、アルコール、糖分、たんぱく質など、元のビールより濃くなると証明を行った。このため、1942年9月にはビールの泡もビールと認めるという判決が下された[49][50][51][52]。
😒
政権とる前からではあるが、民主党は入れよかなと検討してはダメだこいつとなって共産党に入れてる
いちおう無党派のつもりなのに毎回共産党に入れるのは減点方式でマシなのが共産党だから、なのだが
共産党がいいとは思わない
いつもどっかで書いてるが19世紀の理屈を金科玉条で唱えてるのは南無妙法蓮華経と唱えてるのと変わらないし
ただまあ、共産党や赤旗がダメなとこって、ほぼ、他の党、というか日本人の普通の人たちのダメなとこと同じなので
ヨーロッパのカッコいい最新の理論だといって飛びついた後、海外で修正や見直しがあっても最初の理屈にしがみついたまま、とか
そのくせ海外出羽守が大好きで海外の思想トレンドの上っ面だけは自分たちの掲げてる信仰との整合性考えずに飛びつくとか
権威主義で下を見下すとか
共産党がそういうとこがダメなんだ、というので「そういうとこ」の部分で他を探しても、大体どこも似たような話になり、ダメ
科学的にとか理論的にとか唱えて、時間がたって古臭くなっても修正できないは普通
新しいとこなら古い組織のダメなとこクリアするかな、と半年ヲチしてても、大体同じとこに行き着くしかない
ということで、じゃあ、行政能力のある(役所の窓口と交渉できる程度には現場と繋がってる)共産党でいいや、となるわけですが
とずっと思っているものの、マジで荷物が多いタイプなのでしっかり全部入るものを買おうとするとすげえデカくてすげえ重い鞄になってしまう
ハイブラではなくとも国内のメーカーでいいものがないか、何回かいろんな鞄を見に行ったものの「いや鞄自体が重いな…」とためらってしまい買えないでいる
鞄って難しいなあ
北の方向から走ってやって来る車の屋根の上に雪がどっさり乗っかったままな姿を見ると、
囲炉裏にきりたんぽが周りに刺して焼いてあってその炭火の上に自在鉤に吊された鍋に美味しく炊けているぐつぐつ煮えて温かい大根汁をパワーウインドーを下げてお椀を構えている運転手さんにドライブスルー形式で寒いところから来なさったね!って大根汁をお玉ですくってそのお椀によそって振る舞いたいぐらいな、
雪のお便りがきたわ!って感じじゃない?
あの車の屋根にどっさり雪が積もっている車を見ると!
フライパンに乗せて使えるお手軽蒸し網で蒸し料理をいろいろと食材を試しているんだけど、
なんかさ、
むかし、
高速道路の海老名のサービスエリアでインド系屋台トラックがあってチキンティッカかタンドリーチキンか私は詳しく分からなかったけれど、
その屋台トラックで買ったそのチキンがめっぽう美味しくて出逢えたー!って下條アトムさんばりに言って喜んでいたんだけど、
幻だったのかしら?っていうぐらい今また蒸している海老!
もうさ、
私は
帰り道晩ご飯で食べた
で早速海老に挑戦したの。
適当に買ってきたブラックタイガー海老の海老を蒸し網に乗せること10尾!
おおお!
この迫力のあるブラックタイガー海老の10尾ならんだところはパノラマ写真で撮って残しておきたいぐらいな迫力の風景!
ちょっと気を効かせてテクってお酒なんか振り掛けてちゃったりなんかして。
蒸すこと10分弱!
美事蒸し上がったわ!
海老の良いとこ食べ頃になったら恋をしているように赤くなる海老だから今よ!って食べ頃のチャンスを逃さない自信はあるの。
実食!
パク!
うわー!
ぷりぷりで海老の旨味しかない美味しい美味の味がする波の音が聞こえてきそうな感じ!
でもよくよく考えたら海老って
そんな波打ち際で獲れるようなものじゃないわよね?って一旦ここは冷静になりつつも、
むむむ!と海老の美味さの詰まったぷりぷりの身を楽しんでいたの。
でもこれは急に訪れたこの海老のションテン爆上がりの一気な急降下!
急にもう海老飽きちゃった!ってなったの。
この現象何?
今噂の最新AIに尋ねてみたの!
そしたら美味さ疲れだって!
旨味だけしかない海老を食べ続けるとそれに一気に飽きちゃって美味しいんだけどもういらないってなる現象があるんだって。
なーんだ。
言うならば味の素を直接舐めて美味い!って舐め続けてこれは美味しいのか?はて?って
要は海老が美味すぎる故にすぐ舌がその変化のない一定の旨味しかない味に疲れちゃって呆れ命令が脳にいくらしいの。
そんでかー!
あと微妙に殻を剥いて食べるのが面倒くさくなってきたのも否めないこともないこともなさげな顔を私はしていたのかも知れない。
一気に爆上がる美味さの頂点はいつまでもキープできなくて一気に降下する海老への憧れ。
実は、
旨味の甘さしかないので食べ続けるとなんか飽きちゃうというか、
紅はるかもいい蒸しあがりっぷりを披露して美味しいのは美味しいんだけど、
その美味しすぎるゆえのなんかもういいや!ってなる現象になりかけていたけれど、
それは紅はるかを細身の2本を余裕で食べ切っちゃうぐらいの適度な量だから、
半ば飽きる前に食べ切ったこともファインプレーだったのかも知れないわ。
私の今まで蒸し網でトータル10回ぐらい蒸してきた食材の膨大なデータを参照してみると、
鯛・鮭・ジャガイモ・カボチャ・ピーマン・シメジが圧倒的なの!
特に鯛は閉店間際の割引シールのついた爆安鯛を見付けちゃうともうまっしぐら!
リピ率最強かも知れない。
でも人って気まぐれなの私の舌のように。
鯛にも飽き飽きしちゃいそうなその淡泊で水っぽい味に。
でもここでまた最新のAIに尋ねてみたの!
そしたらよ!
とにかく凄い自身なの!
私は導かれるまま言われるがままに、
食べるラー油を買い求めてみて蒸し上がった鯛の白い美しい身の上に食べるラー油をのせて食べてみたの!
うわ!
これまた味変のチャンスきた!って
まあ食べるラー油の味が濃すぎてその味しか勝たん!ってなっちゃうけど、
また鯛の身が良い仕事するじゃない!
これもう、
食べるラー油をのせる器として鯛の蒸し上がった白身があるだけになってない?って
なるほどね!
なしよりのありか
ありよりのありかと言われたら
あり中のあり!だわ!
食べるラー油がチート過ぎて実はあれ単体でもパクパクスプーンですくって食べられちゃいそうじゃない?って悪い予感しかないので、
これはあまりに食べるラー油が美味しすぎて鯛専用兵器にしなくてはいけないぐらいの禁じ手よ。
やっぱり、
確かに蒸しても美味しいけれど、
その美味さの塊ゆえ舌が美味さ疲れを起こしちゃってすぐに飽きちゃうって現象を発見しただけでもまた人類の蒸しの1ページになにかを記すことができそうなのよね。
あとなんだっけ?私がもう一つ蒸して食べたけどそんなにションテン上がらなかった食材って?
あ!レンコンか!
あれは固すぎたのよ。
横着しないで丸ごと蒸すもんだから文字通り噛み切れない歯が立たなかったのよ。
タマネギもまるで食べるオニオンスープや!ってひっくり返る美味さだったけど、
あれはあれで1玉という絶妙な分量が飽きる前に食べきれる感動をキープできたのかも知れないわ。
そうではないみたいね。
だったらとっくに世の中は蒸し料理で征服されているはずでしょ?
蒸し料理があまりに素晴らしくてこれがなぜ世の中を征服していないのかがちょっと分かったような気がするわ。
エビは1尾で充分なのよ!
美味さの塊は食べ続けられないみたいね。
うふふ。
ツナも久しぶりに食べるとツナ!って感じでツナツナ!ってあがるわ~。
夜蒸し野菜ばかりなので、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
また適当なこと言ってるよ
韓国の右派は軍事独裁政権の末裔であり親米の売国奴、日本と似てるけど日本よりもひどい売国奴
韓国の左派は軍事独裁政権に抵抗した民主派の末裔で「南北統一」を夢想する民族主義者が多い、でも北朝鮮も尹政権の段階で南北融和路線は捨てているっぽくて韓国が勝手に言ってるだけみたいになってる。支持者も右派へのカウンターとして支持してるだけで南北統一が支持されてるという感じではない
イケメンに殴られたりイケメンに雑に扱われると「そうです私は豚なんですゴミなんです」って認められるしそんな自分を使って性処理をして頂いてることに感謝できる。それで私は「イケメンの役に立てて嬉しいですー」とイケメンに踏み潰された自分に陶酔して安心する。
いざここに恋愛感情が出てくると「私のこと好きなのにこの人私を踏みつけるの?」「踏みつけられたりぶたれたりしないと興奮できない」などという理由からうまくお付き合いできたことがない。
私はブスのくせにこだわりが強い。
つかず離れず適当な若くて顔の良い将来有望なイケメンなどが良いとされる。
SM傾向にあるがハマりすぎない(私の好きなプレイ以上を求めない)人が良い
ある程度仲良くなりすぎてしまうと怖くなって連絡を切ってしまう。
私のメンヘラを気にかけられるとめんどくさい。
短期で育てて遊んで切って、してる。
良くないわほんと
個人的には、台湾答弁撤回は無視して流すのが吉だと考えてたんだけど、
日本人って、良くも悪くも、昔から曖昧を美徳とする民族じゃないですか…😟個人的には、ここは無視して適当に流して、時間が解決するのを待つ、が正解だと思ってたんだけど、 突然解散、選挙、自民圧勝、改憲で自衛隊を軍隊として明記、となると、もう火に油なわけで…😟 まあでも、ここまで来ても、自分は中国に謝る必要はない、というか、 謝るとか、逆に徹底抗戦するとしても、どっちも話がこじれるだけなんで、 だったら、最初から挑発行為をするなよ、という話なんで…😟 なんか別の話を持ってきて、相殺してチャラにでもしないと無理だと思いました…😟
とりあえず思い出せること全部かけや
それだけじゃなくてほかにもこんなキャラがいてこんなしゃべり方しててとか、ボードゲームならそれがどういうゲームだったのかとかいろいろあんだろ
確実にプレイしてた時期が決まってるならその西暦も出すとかさあ
ピンポイントで風船魔人だけ言われても第三者にわかるわけねーだろ
本当に同じ名前のキャラなら出てくるだろうけどそれお前らン中で適当に言ってるだけのキャラ名、あだなじゃないん?
最近さ、X(旧Twitter)見てると「え、この漫画家もそっち系なの?」ってガッカリする人が多すぎ。
明らかに特定の野党を応援してたり、政権批判ばっかりリツイートしてたり。
あれ見て「漫画家は自由業だからリベラルが多いんだね」なんてお花畑なこと言ってる奴、マジでピュアすぎるだろ。
まずさ、漫画家と編集者の関係を勘違いしてる奴が多すぎる。対等なパートナー?んなわけねーだろ。実態は完全に上司と部下、いやそれ以上の主従関係だよ。
編集者は連載の生殺与奪の権を握ってるわけ。ネームを通すかボツにするか、アンケート順位をどう操作するか、単行本の販促に力を入れるか。全部編集部のさじ加減一つ。そんな相手から「最近の政治について、こういうスタンスで発信してよ」って仄めかされたら、逆らえる漫画家がどこにいるんだよ?
出版社の上層部なんて、マスコミ業界特有の左寄り思想に染まった連中ばっかりなのは公然の事実だろ。彼らにとって、影響力のある漫画家を自分たちの思想の拡声器にするのはコスパが良すぎるんだよ。もし出版社の意向に反して保守的な発言をしたり、野党に批判的なことを描いたりしてみろよ。
こんなの日常茶飯事だよ。漫画家を干すなんて、出版社からすれば赤子の手をひねるより簡単なんだから。
逆に、出版社やマスコミの意向に沿う物分かりの良い漫画家はどうなるか。 急にメディア露出が増えて、大して面白くもないのに「社会現象!」とか言われて持ち上げられる。SNSのフォロワー数だって、バックにいる組織が動けば簡単に操作できるだろ。
今売れてる漫画の半分くらいは、実力じゃなくて「思想的に使い勝手が良いから」っていう理由で、マスコミの力によって無理やり流行らされてるだけなんだよ。
立法経緯を見ればわかる。
まず今の憲法9条。
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
素直に読めば、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」と書いているから自衛隊は無理そう。
実はマッカーサーが書いた憲法原案ってのがあったんだけど、それを見るとより明確に自衛隊ダメって書かれている。
国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。
そして日本の防衛は、「今や世界を動かしつつある崇高な理想」(=国連?)に任せる、と。
理想が高い。
でもさすがにこれじゃまずいってことで、GHQ原案は今の9条に近い形に修正された。
「自衛権の存在・行使を明文で否定することは不適当であるとGHQ原案の作成にあたった運営委員会の法律家らが考えたため」とウィキペディアには書いてある。