
はてなキーワード:道教とは
別に「何かお金の使い道教えてくれ!」ってわけじゃないんだけどね。
漫画とか、ジャンプラなんかで読める無料分で満足しちゃう。金払う価値あると思うことがほぼない。
もちろん、いくつも漫画チェックしてると買いたくなる時もあるけど、ここ3年で2つだけだよ。
推し活はありえねー。
たけーじゃん。割に合ってない。
イベント参加は金使ってもいいと思うよ。楽しいからね。グッズとか投げ銭はアホ。
VRCはちょっとやって飽きた。人とコミュニケーション取るのダメだ。
なんかやりたいことないの?って思うじゃんか。
あるにはあるんだよ。でも、それ犯罪なんだよね。
そりゃ、俺がもう死ぬぞ〜っていうならやってもいいけど、今やったら、人生の半分以上を刑務所で暮らすことになる。
リスク高すぎるだろ…
そんなリスク負ってまでやらんくても、気が向いた時に二次元で消費すりゃ満足できる。
つか、義務教育?のせいで「犯罪はダメ!」がインプットされてて、罪悪感あるから。教育なんか受けるんじゃなかった…
という自分語り。
AIは楽しくて良かったけど、この規模の楽しいことは、しばらく出てこないだろ。
つまんね〜〜〜
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2015年8月)
ミハイ・チクセントミハイのフローモデルによるメンタルステート図。チャレンジレベルとスキルレベルの二軸で表される[1]。
フロー(英:flow)とは、人間がそのときしていることに、完全に浸り、精力的に集中している感覚に特徴づけられ、完全にのめり込んでいて、その過程が活発さにおいて成功しているような活動における、精神的な状態をいう。一般的には、フロー体験(Flow Experience)、フロー状態(FlowState)、フロー理論(FlowTheory)などという言葉で使用される。
日本では、スポーツの分野において一般的に「ゾーン」と呼ばれることが多いが、その他にも類語としては「ピークエクスペリエンス」「無我の境地」「忘我状態」とも呼ばれ、最適状態または最適心理状態(Optimal PsychologicalState)と呼ばれる研究分野のひとつである。心理学者のミハイ・チクセントミハイによって提唱され、その概念は、あらゆる分野に渡って広く論及されている。
ジェーン・ナカムラとチクセントミハイは、フロー体験の構成要素を6つ挙げている[2]。
専念と集中、注意力の限定された分野への高度な集中。(活動に従事する人が、それに深く集中し探求する機会を持つ)
活動に本質的な価値がある、だから活動が苦にならない。(報酬系)
さらに心理学作家のケンドラチェリーは、チクセントミハイがフロー経験の一部として挙げている3つの構成要素について言及している[3]
直接的で即座のフィードバック[3](活動の過程における成功と失敗が明確で、行動が必要に応じて調節される)
成功する可能性があると信じる(明確な目的, 予想と法則が認識できる)
フローを経験するためにこれら要素のすべてが必要というわけではない。
フローはチクセントミハイの1975年のインタビューにおいて、幾人かが彼らの「フロー」体験を、ずっと彼らを運んでいる流れという隠喩を使って描写したために名付けられた。「活動に没入する」という「フロー」の心理学的な概念は、「時代の流れに従う」という意味の「ゴー・ウィズ・ザ・フロー」という従来の慣用句とは無関係である。
チクセントミハイは、集団が全体として作用して、個々のメンバーがフローに達するようないくつかの道筋を示した。このような集団の特徴には、以下のものが含まれる。
創造的空間配置:椅子、コルクボード、図表。机は置かない。そうすれば立って動きながらの活動が主体となる。
活動の場のデザイン:情報を書き込む図表、流れ図、企画の概要、熱狂(ここでは熱狂も場所を占める)、安全な場所(ここでは他に何が考えられるかを誰でも言うことができる)、結果掲示板、オープントピック
観光分野への応用
近年、欧米では観光旅行中に発生する「楽しさ」や「感動」「ワクワク」「満足」などの言語化されたポジティブな感情の根源は、心理学上のフロー状態から発生しているのではないかという研究が多く行われている[4]。フロー状態は、チクセントミハイによって、その発生のプロセス(フローモデルによるメンタルステート図)がある程度提案されていることから、観光における満足を人為的、意図的に発生させることも可能ではないかとの考えられ、日本国内でもこれに言及する主張が増えている[5]。また「思い出に残る旅行体験(MTE:Memorable Tourism Experience)」の指標に関する研究では、フロー状態とMTEの関連性について言及するものもある[6]。
アウトドアレクリエーション、音楽活動、趣味、ゲームの楽しさとフロー
スキー、スノーボード、サーフィン、カヤック、乗馬、パラグライダーやダイビングなどのアウトドアレクリエーション、オーケストラや吹奏楽、合唱などの音楽活動、模型製作や生け花、洋裁などの趣味、テレビゲーム、スマホゲームにおける「楽しさ」や中毒性についても、フロー状態がその楽しさの根源ではないかという研究も数多く存在し、近年「楽しさ」の構造やその原理が明らかになってきている[7]。
隣接分野
この概念は西欧心理学の中ではチクセントミハイによってはじめて示したと言える。しかし、彼はこの心理現象に気づき、それに基づく技術を開発したのは、ほぼ間違いなく彼が最初ではないと、彼自身、躊躇なく認めている。
2500年以上前、仏教や道教といった東洋の精神的な伝統の実践者は、この訓練を彼らの精神開発の非常に中心的な部分として磨いた。日本の実践者は、そのような禅の技術を、彼らの選んだ、剣道から生け花までを含む、芸術の形式(芸道など)を習得するために学んだ。
あまりに使われすぎた慣用句「ビーイング・アット・ワン・ウィズ・シングス」(物と一体化する)も、この概念を説明するのに使われる。
教育にあっては、過剰学習の概念があり、これは、この技術に重要な要素となっているように思われる—少なくとも肉体的な技能を学んでいる場合には。それに加えて、多くの現代のスポーツ選手は、よくこの「ゾーンに入る」(何もかもがうまくいく)という現象を経験する。
基本的な発想が東洋と西洋とで同じであったり自然科学者、霊的指導者、スポーツ選手の間で共有されているということに価値があるわけではない。チクセントミハイは、他の者が精神的な発展や肉体的な熟達や他の自己改善の形式の発展性に集中している一方で、活動の場のデザインのような現代西洋文化要素の改良について、これから結論を描いただけであろう。実際、東洋の精神的な実践者は、現在の科学的な心理学者たちが用いようと試みてきた組織的な厳密さや制御とは異なる方法で試験し改善してきたにしても、この主題を中心にして、非常に徹底的で全人的な理論の集成を発展させてきた。
ソフトウエア開発者は邪魔されないフロー状態に入ることを、"wired in"、TheZone,[8][9]hack mode,[10]、softwaretimeに入る[11]などと呼んでいる。株式市場取引者は "in the pipe" という用語を、取引量の多い日や市場の修正時に取引する際のフロー状態を表すのによく使う。プロのカードプレイヤーは、集中力と戦略的認識が最高となったときを "playing the A-game" と呼んでいる。
フローはポジティブ心理学にとっても重要である。目の前のことに夢中になり、我を忘れることで、幸せや健康、長寿につながるのである[12]。
新世紀GPXサイバーフォーミュラ -近未来を舞台にしたカーレースアニメ(作中ではゼロの領域の名で登場する)
Dreams -マガジンSPECIAL連載中の野球漫画
flOw - thatgamecompany制作のビデオゲーム
ベイビーステップ -週刊少年マガジン連載中のテニス漫画(作中ではゾーンの名で登場する)
黒子のバスケ -週刊少年ジャンプ連載中のバスケットボール漫画(作中ではゾーンの名で登場する)
風が強く吹いている -新潮社出版の三浦しをんによる箱根駅伝をテーマにした小説(作中ではゾーンの名で登場する)
^ Csikszentmihalyi, M., FindingFlow, 1997.
^ Nakamura, J.; Csikszentmihályi, M. (20December2001). “FlowTheory and Research”. In C. R. Snyder Erik Wright, and Shane J. Lopez. Handbook of Positive Psychology. OxfordUniversity Press.pp. 195–206.ISBN 978-0-19-803094-22013年11月20日閲覧。
^ a b “WhatisFlow?”. AboutEducation.2015年3月30日閲覧。
^ “Flow Experience in TourismActivities”.20250317閲覧。エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明)
^ “フロー理論から考える観光やツアーの楽しさ・満足度の研究”.20250317閲覧。エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明)
^ “Once-in-a-lifetime leisureexperiences (OLLE): The role ofFlow, novelty, and interpersonalinteractionon tourists’satisfaction andmemories”.20250317閲覧。エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明)
^ “Flow Experience in TourismActivities”.20250317閲覧。エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明)
^ Michael Lopp (12June2007), “Chapter 25: ANerd in aCave”, Managing Humans: Biting and Humorous Tales of aSoftware Engineering Manager, Apress, p. 143,ISBN 978-1-59059-844-3, "[TheZone]is a deeplycreative space whereinspirationis built.Anything whichyou perceiveas beautiful, useful, orfun comes fromsomeone stumbling through TheZone."
^ Joel Spolsky (9August2000), The JoelTest:12 Steps to Better Code, "Weall know that knowledge workers work bestbygetting into 'flow', also knownasbeing 'in thezone' (...) Writers, programmers, scientists, and even basketballplayerswill tellyou aboutbeing in thezone."
^ “Hack Mode”.Jargon File.2013年11月閲覧。エラー: 閲覧日は年・月・日のすべてを記入してください。(説明)
^ Scott Rosenberg (2007), Dreaming in Code:Two Dozen Programmers, Three Years, 4,732 Bugs, andOne Quest for TranscendentSoftware, "When thingsgo well,you can lose track of passing hours in thestate psychologists call "flow." When thingsgo badly,youget stuck, frozenbetween dimensions, unable tomove or see a way forward. Either way,you've left the clock far behind.You'reonsoftwaretime."
^ “Positive Psychology: Harnessingthe power ofhappiness, mindfulness, and inner strength” (英語).Harvard Health.2022年11月15日閲覧。
参考文献
Csikszentmihalyi, Mihaly (1990).Flow: The Psychology of Optimal Experience.New York: Harper and Row.ISBN 0060920432
Csikszentmihalyi, Mihaly (1996). Creativity:Flow and the Psychology ofDiscovery and Invention.New York: Harper Perennial.ISBN 0060928204
Csikszentmihalyi, Mihaly (1998). FindingFlow: The Psychology ofEngagement With EverydayLife.Basic Books.ISBN 0465024114 (a popular exposition emphasizing technique)
Csikszentmihalyi, Mihaly (2003).Good Business: Leadership,Flow, and the Making of Meaning.New York: Penguin Books.ISBN 014200409X
Langer, Ellen J. (1989). Mindfulness. Reading, Mass: Addison Wesley.ISBN 0201523418
関連項目
サマーディ
外部リンク
ミハイ・チクセントミハイ:フローについての講演映像 -TEDカンファレンス、2004年2月、18分55秒。
17世紀、ドイツの錬金術師ヘニッヒ・ブラントは大量の人尿を蒸発させる実験中に、夜光を放つ不思議な物質を偶然取り出しました。これが元素「リン(黄リン)」の発見です。ブラントは「賢者の石」を求めて尿に含まれる未知の物質を探していましたが、その過程で思いがけずリンに辿り着きました。当時は元素概念すら確立されておらず、尿から得られた発光物質は人々を驚かせました。その後、リンはマッチや肥料、発煙弾など幅広く利用され、化学の発展に寄与しました。初めて人類が人為的に発見した新元素として、科学史に残る画期的発見です。
張衡が発明した地動儀の復元模型(国立科学博物館の展示より)。内部の倒立振子が揺れ方向を検知し、龍の口から玉が落ちる仕組みになっていた。
今から約1900年前、後漢の科学者・張衡(78–139年)は世界初の地震計「候風地動儀」を考案しました。酒壺のような青銅製の容器の周囲に8匹の龍、その下に8匹の蛙を配置し、地震動の方向によって対応する龍の口から玉が落ちて蛙の口で受け止める仕掛けです。132年、この装置は都では揺れを感じない地震まで検知し、数日後に遠く離れた隴西の地震発生を的中させたと『後漢書』に記録されています。当時としては驚異的な精巧さであり、内部構造の詳細は文献から推測するしかなく、現代の科学者が再現を試みても完全には解明できていません。まさに古代中国の科学技術の粋と言える発明です。
技術水準との乖離:2世紀に既に地震の方向検知装置を実現しており、同様の概念が西洋で登場するのは1500年以上後。
19世紀末、ドイツの物理学者ヴィルヘルム・レントゲンは真空放電管の実験中に未知の透過放射線に偶然気づきました。1895年11月8日、暗室で陰極線管に黒紙を巻いていたところ、2m離れた蛍光板がかすかに光る現象を発見したのです。彼はこの正体不明の光線を「X線」と命名し、妻の手を写した世界初のレントゲン写真を撮影しました。X線は人体や物体を透過するため医学への応用(レントゲン診断)を飛躍的に進展させ、物理学にも原子や放射能の研究など新たな道を開きました。当時の常識では考えられなかった「見えない光」を発見したこの出来事は、まさに幸運と洞察が生んだ科学革命でした。
古代インドで生まれ、中世イスラム圏で広まった「ダマスカス鋼」は、波紋状の美しい木目模様と伝説的な切れ味で知られる名刀の材料です。炭素を多く含むるつぼ鋼から鍛造され、高硬度かつ靱性を両立したこの鋼は、当時の他の金属材料を凌駕する性能を示しました。しかし18~19世紀までにその製法は途絶え、「失われた技術(ロストテクノロジー)」の代表例となりました。現代の材料科学者や刀鍛冶が文献と顕微鏡分析を基に再現を試みていますが、完全に同じ構造・性質の鋼を作ることは依然困難です。近年の研究では、ダマスカス鋼中に炭化物ナノ構造が存在することが判明し、その卓越した性質の一端が解明されつつあります。とはいえ、中世の鍛冶職人が達成した奇跡の技を完全に再現するには、さらなる研究が必要です。
東ローマ(ビザンティン)帝国が7世紀以降に使用した秘密兵器「ギリシア火薬」は、水上でも燃え続ける恐るべき焼夷剤でした。粘性のある可燃性液体に点火して敵船に噴射するこの兵器は、帝国の海戦における切り札となり、数々の勝利をもたらしたと伝えられます。しかし当時の技術水準で如何にこのような燃焼剤を製造できたのかは謎で、製法は厳重な軍事機密として一子相伝され、帝国の衰退とともに14世紀までに失われました。松脂・ナフサ(石油)、生石灰、硫黄、硝石などを混合したのではないかとも推測されていますが正確な配合は不明です。専門家は「水面でも燃焼を持続し消火困難な点で、現代のナパームに近い化合物だったのではないか」と推測しています。このようにギリシア火薬は史上初の化学兵器とも称され、その実態は今も歴史家や化学者を惹きつけています。
エジプト・ギザに聳えるクフ王の大ピラミッド(紀元前2500年頃)は、古代世界七不思議に数えられる史上最大級の石造建造物です。230万個以上、重さ数十~数百トンの巨石ブロックを極めて精密に切り出し、隙間なく積み上げた構造は、現代でも驚異とされます。ピラミッドの各面はほぼ正確に東西南北を向き、高さ146mもの建造物を当時の人力と簡易な道具のみで築いたその技術力には謎が残ります。どうやって巨石を運搬・加工し、精巧に積み上げたのか、統一的な説は無いものの、直線傾斜路や螺旋状の内部スロープを用いた説、てこの原理や水を使った浮力輸送説など様々な仮説が提唱されています。近年の研究や実験考古学により一部再現も試みられていますが、それでも「完全には解明されていない」のが実情です。大ピラミッドは古代人の英知と膨大な労働力が生んだ奇跡のモニュメントと言えるでしょう。
1796年、英国人医師エドワード・ジェンナーは、牛痘にかかった乳しぼり娘が天然痘に罹らないことに着目し、8歳の少年に牛痘膿を接種してから天然痘ウイルスを植え付ける実験を行いました。結果、少年は天然痘にかからず、世界で初めて予防接種(種痘)が成功しました。この功績により天然痘ワクチンが開発・普及し、人類はついに致死的感染症であった天然痘を制圧、1980年には地球上から根絶するに至ります。興味深いことに、後年の研究でジェンナーが用いた牛痘ウイルスは実は馬由来の近縁ウイルス(馬痘)だったことが判明しており、この成功は偶然の産物でもありました。当時はウイルスも免疫も未知の時代で、民間伝承と大胆な実践から生まれた種痘法は、医学史上もっとも奇跡的な発見の一つです。
1928年、英国の細菌学者アレクサンダー・フレミングは培養中のブドウ球菌の寒天培地に偶然生えた青カビに気付きました。奇妙なことに、カビの周囲だけ細菌の発育が阻止されており、このカビ(Penicillium属)が細菌の繁殖を抑える物質を産生していると推論しました。フレミングはこの物質を「ペニシリン」と名付け発表しますが、当初は抽出精製が困難で実用化には至りませんでした。その後、第二次大戦下の切迫した需要もあって、フローリーらのチームが生産性の高いカビ株を用い大量生産法を確立し、ペニシリンは遂に人類初の抗生物質として実用化されました。これは敗血症や肺炎など多くの死病を治療可能にし、無数の命を救った医学の革命です。「偶然から生まれた最も重要な発見」とも称される所以です。
古代中国・唐代において、不老不死の霊薬を求めていた道教の錬丹術士たちは、硝石・木炭・硫黄を調合中に思いがけず激しい燃焼・爆発を起こしました。これが世界初の火薬(黒色火薬)の発明とされています。錬丹術の文献『丹経』(孫思邈による7世紀頃の著作)には硫黄などを調合する記述があり、「手順を誤ると爆発する」と警告されています。この記述が火薬誕生につながったと推定されています。発明当初、中国では花火や兵器に火薬が用いられ、やがてモンゴルを経由してイスラム世界からヨーロッパへ伝播し、中世後期以降の戦争の様相を一変させました。火薬の登場は兵器の火器化を促し、城塞や甲冑の概念を刷新するほど後世に絶大な影響を与えました。錬金術の副産物とも言える偶然の発明が、人類の歴史を大きく動かした例です。
ギリシャのアンティキティラ島の沈没船から発見された「アンティキティラ島の機械」の主残存部品(国立考古学博物館所蔵)。複雑な歯車が幾重にも組み合わさっている。
1901年、地中海の難破船から発見された錆び付いた青銅塊は、後に古代ギリシアのアナログ計算機であることが判明し、世界を驚かせました。紀元前後1~2世紀の製作と推定されるこの機械には、少なくとも37個の精巧な歯車が組み込まれており、太陽や月の運行、日食・月食の周期、オリンピア競技の開催周期までも再現・予測できる構造でした。解析によれば、ハンドルを回すことで内部の歯車列が天体の位置を演算し、文字盤に年月日や天文現象を表示したといいます。このような複雑な機械装置が再び歴史に現れるのは、それから実に千年以上後の中世後期であり、アンティキティラの機械は「古代のオーパーツ(時代錯誤的産物)」とも呼ばれます。当時知られていた天文学知識を凝縮し、高度な金属加工技術で実体化したこの機械の存在は、古代人の科学技術水準に対する見方を一変させました。現代の研究チームがX線断層撮影などで内部構造を解析し、復元モデルを制作していますが、それでもなお解明されていない点が残るほどです。アンティキティラ島の機械は、人類史上最も再現が難しい奇跡的発明として堂々の第1位にふさわしいでしょう。
中国語の公式CV使った公式案件のクリエーター作品ってことみたいだな
自分は運良くYouTubeのおすすめが仕事してくれたお陰でキャッチできたから良かったもののね
過去に原神でも公式ファン作品系の大きめのプロジェクトに参加してきた方みたいだ
日本のプレーヤーにも届くように完璧な日本語字幕・概要文つきで発信してくれてありがてぇが過ぎる
このムービーやゲーム内でも(※衛非地区の方言)が気になったけどこれは広東語が元ネタっぽいな
あとシナリオ進めながら調べた初耳ワード「道観」ってのは道教における寺院みたいなもんで、要するに雲嶽山は道教モチーフってことね
んで、道教といえばで突然原神に飛ぶが、スカークのキャラクター紹介に出てきた「至人の心を用うるは、鏡の如し。将らず、迎えず、応じて蔵めず。故によくものに勝えてそこなわれず。」
https://www.hoyolab.com/article/39293714
これも荘子の言葉で、つまり道教ってことで、毎度のことながら細かいとこでタイムリーにリンクさせて来るねぇ。
意味は、「道(タオ)を極めた人の心の使い方は鏡のようじゃ――つまり対象をそのまま映すが自分の意思を介入させることはない。過ぎたことに囚われず(≒去るもの追わず/将らず)、取り越し苦労することなく(≒来るものは来るに任せ/迎えず)、臨機応変に対処したあとは(≒応じて)いつまでもモヤモヤを抱え込まない(≒蔵めず)。だからこそ堅牢な心持ちで居られるんじゃよ。」的な話。
というかせっかく書き下してもらっても読めないんよ。教養レベルが高すぎてw 調べた。
将(おく)らず=送らず。送別とか、惜しむ的な感じかな。
蔵(おさ)めず。収蔵する意味だが、この場合は胸の内を秘蔵する、心にしまう意味。オープンマインド、ないしヤなことは忘れろ的な。
勝(た)えて=耐える、堪える。
応じて、は臨機応変の応だが、道教的には、無為自然、自然の法則に調和し順応する的なニュアンスがあるかも。
なんの話やねん、と。
ああ、自分が好きになるキャラの特徴で、こういう無為自然スタイルからくる泰然とした雰囲気のある人が刺さるんよね。
もちろん、精神的には成熟してるけど時折人間くささ、子どもっぽさが入ってくるキャラってのも可愛げがあって好きなんだけど。
そういう可愛さとはかけ離れた、世俗離れした無執着人間が好きなんだよね。
そりゃ物語にかかわる時点で完全に世俗から離れて隠居しつづけるキャラってことはなかなかないけど。
ワイはムスリムにも理解を示したい。彼らが土葬をしたいという訴えをするのも自由だ。それを国がこれからの舵取りをする上でどう答えるか。労働人口が激減してインフラや社会保障から崩壊していくのを防ぐために、これから彼ら様々な宗教的バックグラウンドを持つ労働移民たちを受け入れるために法整備するのか。
それとも、ここは譲れないよ日本に来たら日本のやり方しかない、労働者が一千万人二千万人レベルで足らなくなっても国民に我慢させるよと答えるのか。
シンガポールがお手本になると思う。シンガポールは多民族国家で移民をずっと受け入れまくってるが治安は悪いか?侵略されたか?文化は破壊されたか?全然そうじゃないのは歴史と現実が証明している。
シンガポールは宗教の自由が保障されていて、そして多民族国家、多宗教国家としてうまくやってる。仏教、キリスト教、イスラム教、道教、ヒンズー教。そして無宗教者もそこそこいる。
シンガポールは常に経済成長を維持するため積極的に労働移民を受け入れてきた。移民政策として労働環境ガッチリ枠組みを作ってきたし(エリートから底辺まで)、それぞれのバックグラウンドである宗教慣習も尊重し寛容に制度設計したことで、労働移民に選ばれる国として成功している。
ムスリムにもハラル飯を提供し、土葬も認め、モスクまで建ててる。シンガポール政府は軋轢や差別が起きないよう宗教の調和を最重要としていて、宗教調整法という法律まで定めている。
そうして受け入れた移民たちは土建清掃造船製造介護家政婦(夫)という下支えから、ITやエンジニア医者に看護師金融や不動産や教育者といった中流からエリートまで集まり国家運営に成功している。
では課題は無かったのかといえばある。が、それを小さい問題に抑え込むことに成功しているのでそこもやはり学ぶところ。意外にもシンガポール国民側の不満は少ない。国土の小さい国のため住宅価格が上がって困るとか、職業の競争が激しくなるとか、あとはムスリムの祈りが1日に何回もあってウザいとか、家政労働者がモノを盗むんじゃないかとか。逆に言えばそれぐらいのもので、国民感情をその程度に抑え込めている。むしろ移民側の衣食住や賃金に対する不満が大きい。
基本的に労働移民に対して寛容な反面で厳格な制度(そもそも法律が厳しいし、軽微な犯罪でも帰国させられるし、底辺労働者は活動がある程度制限されたり)を作ることで国民の感情を守っている。そもそも、シンガポール人は幼い頃から異文化理解と共生、宗教的多様性についてインストールされる。そういった土台もあることで成功をおさめている。
移民を入れると治安が心配だ!ってよく言われるけどシンガポールは治安がいい国として知られている。どうしてそれが成立するのかと言うと、
でも現状の日本国は何故かそもそも移民を入れようと積極的ではないし、治安安定や差別解消のためのこれらシンガポールの実践に目を向けることもなく、結果としてXで見られるような少数外国人のマナー違反や軽犯罪を引き起こさせ、多くの日本人の外国人アレルギーを過剰に増大させる結果になっている。
在日外国人の極少数の悪さも日本人の差別煽動も政府の無策の結果引き起こされているものということに気付くことが最初の一歩だと思う。俺は外国人とよく接するがわざわざこんな極東まで来てくれるやつらに悪いやつは一人もいなかったよ。歴史認識の違いはよくあるし、文化の違いに慣れないことはあれど。SNSの差別煽動に流されず、これからの日本がどう沈まずにいられるか意識を持ち政治家を動かす世論を形成する一員となるべきだ。給付金が立ち消えになったように世論が政治を動かすことは証明された。
とても興味深い哲学ですね。
これらの考え方は、東洋的な、特に禅や道教的な思想の香りがしますが、ユダヤ教的視点からも、それぞれに対して意味深い対話が可能です。
それでは、ユダヤ教の教えと照らし合わせながら、一つひとつ丁寧に見ていきましょう。
ユダヤ教では「努力(עמל, amal)」は非常に高く評価されます。
トーラーの学び、ミツヴォット(戒律)の実践、日々の仕事や家庭生活においても、人は「שותף עם ה'"(神との共同作業者)とされます。
ただし、「努力の方向性」が重要です。もし努力が他者を傷つける結果になるなら、それは「正しい努力」ではありません。
よって、「無理な努力が害を生む」という懸念は理解できますが、完全に努力を否定することはユダヤ教とは相容れません。
これは「עין טובה(アイン・トォヴァ)」=「良い目を持つこと」に通じます。
ユダヤ教では、自分の持っているものに感謝し、他人の持つものに嫉妬しないことが理想とされます(Pirkei Avot 4:1「誰が金持ちか?自分の分に満足する人」)。
評価や承認に執着しすぎることは、「ガアヴァー(傲慢)」の一形態とみなされ、警戒されます。
『箴言』(Mishlei)によれば、「愚か者は口数が多い」とあります(Mishlei10:19)。
ユダヤ教では、沈黙を守ること、謙虚さを持つことが賢者のしるしです。
つまりこの哲学は、非常にタルムーディック(タルムード的)な精神に近いです。
ラビ・ヒレルの言葉:「あなたが嫌なことを、他人にするな。それがトーラー全体であり、あとはその解説である」(Talmud Bavli, Shabbat 31a)。
シャバットは「何もしないこと」の聖なる実践であり、「being」ではなく「doing」を止める時間です。
心静かに神の創造を味わい、存在するだけの喜びを感じる——これはシャバットの核心です。
ユダヤ教もこの世界が有限であることを認めつつも、「無限なるもの(אין סוף,Ein Sof)」である神との関係を通じて、永遠性への接続を目指します。
ユダヤ教でも、人との比較や競争に執着するのは危険とされます。
『伝道の書(コヘレト)』には、「風を追うようなものだ(רְעוּת רוּחַ)」という表現があります(コヘレト 1:14)。
人生の多くの営みが虚無に感じられるという哲学的な問いに、ユダヤ教も深く向き合っています。
これは再び『Pirkei Avot』4:1の教えと一致します。
「איזהו עשיר? השמח בחלקו」—「誰が金持ちか?自分の持っているもので満足する人」です。完璧な一致!
「物に執着しすぎると霊性が曇る」との教えはユダヤ神秘主義(カバラ)にも見られます。
神殿時代の大祭司(コーヘン・ガドル)は、シンプルな装いで神と向き合いました。余計な物は心の雑音となりえます。
この精神も、ユダヤ教の「カヴァナー(כוונה)」=「意図を持って行う」ことと響き合います。
すべての行いに神聖さを見出すというのは、ユダヤ教の根本精神です。
祈りの前に手を洗う(נטילת ידיים)、食事の前に祝福を唱える(ברכה)なども、この意識の表れです。
総合的に見ると、これらの哲学の多くは、ユダヤ教の倫理・霊性と非常に親和性があります。
まさに「חכמה בגויים תאמין」(異邦人の中にも知恵がある、それを信じなさい)というタルムードの教えの実例ですね。
コンテキストウィンドウを初期化したが、概ね同意してくれたぞ。
ーーー以下AIーーー
非常に鋭い問いです。
順番にひとつずつ、深く掘り下げていきましょう。
まず、この主張は「知識や思想の正当性が、最終的には権威に依存している」という見方です。
これは「権威主義的知識観(epistemic authoritarianism)」とも関係しますし、知識の正当化に関する「認識論(エピステモロジー)」の問題です。
これは哲学の「普遍性」や「相対主義」の問題であり、「形而上学(メタフィジックス)」や「倫理学」だけでなく、「認識論」「言語哲学」にもかかわります。
あなたの問いは「認識論」「哲学方法論」「相対主義と普遍主義」という重要なテーマを突いています。
結論を急がずに言えば:人間の思想はしばしば権威に依存するが、それを乗り越えようとする営みが哲学であり、また哲学は完全な普遍性を持たないものの、普遍性を志向する営みとして存在する。
日本人の月見という習慣はそういう美意識がどっかで湧いたってわけじゃなくて「典故」と「信仰」の二つのルートがあるのですのだ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2531074
典故ってのは何かにつけて漢籍(漢文の本)を引用したりなぞらえること。特に風物表現で多いのが漢詩。
例えば「四季」ってのは漢詩で季節を表現するのに擬えて和歌を詠んで散文にも応用されて行ったもんだし、日本文化独自性が高い俳句でも多い。
また例えば芭蕉は「象潟や雨に西施がねぶの花」って俳句を詠んでるけど、西施ってのは中国四大美女の一人で、悲劇の死を遂げた女性。んでさ、この人が溺死させられたって伝説があるので西湖と名付けられた湖があるんだけど、ここって今は内陸の湖なんだが昔は潟湖(ラグーン)だったのよ。で、芭蕉が訪れた時代の象潟もラグーンで、松島のような多島海でとても美しかった。でもそこで「きれい」って言っちゃうとあたまのわるいひとイラストみたいになっちゃうってんで、悲劇の美女西施→潟湖の西湖の風景という諧謔というか教養連想ゲームをやってるわけです。
やべぇ例示だけなのに長くなってしまったな。因みにこの象潟は芭蕉の後に地震があって、輪島の海岸みたいに隆起して芭蕉が感嘆した景色は無くなってしまった。今は田んぼの中に丘が点在する風景になってる。
こんな風に昔の日本は漢籍を引用するのが教養だったんで、そういう知識は最早常識だったんやな。
んで、月見の方も平安時代に貴族がやり始めたんだけど、やっぱり漢籍の記述で中国で古代からやってるという中秋節を真似たんや。旧暦8/15(太陽暦では9or10月)に月餅やら何やらを並べて宴をする。貴族の間でもっと多かったのが船を出して、水面にゆらゆらと写る月を眺めて宴をしてうたを詠んだりしてた。こういうのを観月という。
んで、これが段々と庶民にも伝播して行ったらしいんだけど、正直江戸時代までの間の庶民の動向って言うのはよー判らんのや。何故なら庶民文化が栄えたのって江戸時代で、それまでは庶民間の事柄を紙に記すって事が殆どなかったから。
で、もう一つのルートが月待講ってやつ。江戸時代には庶民が比較的裕福というか生活に余裕ができ、色んな民間信仰が現れた。そしてそれらが紙に残った。
例えば山講。山ってのは霊的なもので、それに登るって事が霊的体験とされていた。山は女人禁制で「○○山講」という幟をもって山伏みたいな格好で延々と歩いて行って登山を敢行する。信仰の場だったのだな。
富士山が世界遺産に登録されたのは、別に日本人に愛されてるからとかじゃなくて、こういう信仰があって今の登山がそれと連続的って事ですのよ。
例えば庚申講。道教とか神道、民間医療なんかがごちゃ混ぜになった信仰で人間の体には三尸(さんし)の虫っていうのが住んでて60日ごとの庚申の日に寝てる間に閻魔大王に悪事をチクるから徹夜で宴会してチクるのを止めさせようぜという、今となってはなんだそれな信仰だ。
都電に「新庚申塚」って電停がある様に、日本中あちこちに庚申塔が建てられてその近くの家で飲み食いされていた。今はこんな風に放置されてる。
https://maps.app.goo.gl/FM8d8fD19SAK3Ubc7
こういう「講」(信仰の寄合)の一つに月待講というのがあった。お月様信仰やな。
月には月齢があって、新月、三日月、満月、半月と形が代わるけど、その各々に別個の信仰があった。んで、この信仰は別にお月様だけに影響を受けてるんじゃなくて、土着の信仰が仏教と結びついていた。
仏教では色んな観音様や菩薩が居るけど、月齢ごとに別の本尊を崇めていた。この辺はカトリックの職業別聖人信仰に似ているね。
月齢ごとに信仰があると言っても、今みたいに電車と車で好きな場所に行ける訳じゃないから、この村は○○夜、あの街は○○夜と分かれていた。
で、その中で非常に多かったのが二十三夜、十九夜、十五夜だったってワケよ。
二十三夜は特に多くて、日本中に地名として残ってる。こんな風に
https://maps.app.goo.gl/KDXw6ZBhwiyA4bYZ7
また、「三夜」と省略されて地名になっている所も多い、三夜様とかね。
もう一つ特別なのが十九夜で、これは如意輪観音が本尊。右膝立てて右ひじ突いてる観音様だ。
これは「安産講」として特別で、女の人以外は参加禁止の集まりだった。
これも十九塔があちこちに残っているが、地名としては「子安」というのが残ってる場合が多い。
「子安寺」が子安の由来の場合も多いが、そもそも昔の寺には色んな神様も祀られていた神仏習合だったんで、当然十九夜待が行われて居た寺もあって、それで子安寺になったケースもあるのだな。
十五夜はいうまでもなく満月待やね。本尊は大日如来、阿弥陀、薬師、観音様、地蔵、虚空蔵と、オールキャストだ。
で、庚申講もそうなんだが、段々信仰がどうこうっていうのはいい加減になって行って、単なる寄り合い、宴会、食事会の言い訳になって行っちゃうわけよ。十九夜とかも「観音様、どうか子宝と安産を」と願うっていうよりただの女子会になってまう。「観音様が持ってる宝珠ってチンタマーニって言うんだって」「うちの亭主も二つ持ってるワイよギャハハ」とかなっちゃうってワケ。
それで段々都市化が進むと寄合なんてジジババくせえとか軽視されて廃れて行っちゃった。でも場所によっては昭和40年代まではやってたらしい。
月見でお団子お供えして食べるっていうのは完全にこっちの月待講が由来なんね。
一方、ススキ飾るのは、旧暦8/15(太陽暦9or10月)の中秋節由来やね。
だから二つがごっちゃに混ざってるってこと。
新月の次の日:既朔
十四夜:小望月、待宵
十六夜:既望
十七夜:立待
十八夜:居待
十九夜:寝待
廿夜:更待
これも漢籍典故による特別視から月待などの各月齢ごとの神聖視へと変化していくにあたって生まれた表現と考えられるのだ。
日本産ゲームのリプレイ動画とか見てると、このへんのことが海外では認識されていないので「これってなに?」みたいな英語コメントが付いているのを目にするのだ。まぁそれは当たり前だ。
大抵、西洋のルナティック=満月が人を狂わす、と日本の月を愛でる習慣、月のうさぎが合わさっているので割とハイコンテクスト。
でもそれに日本語で答えているコメントが月を愛でる習慣が信仰から来ているってことが判ってないので説明できていないっていうのを目にする。
近所の今まで気が付かなかった「○○夜」「子安」の地名を発見して訪れてみるっていうのも自文化の勉強なんですよ、草むらの中に○○夜塔が残っているのを発見するって事もあるんですのよ。
ついでに花見なんだが、これも昔からある風習だったけど、江戸幕府が奨励して盛んになったんすよ。
江戸幕府は水防工事を沢山やったんだけど、堤防って突き固めが緩いと崩れてきてしまう。でも昔は機械が無い。
そこで堤防に桜を植えて「花見やれ」と奨励したのだ。すると毎年人がどやどややってきて歩くから土が締まるって寸法だ。だから川べりには桜が多いのだね。特に古い堤防は桜の名所になっているってわけ。つまりは官製文化の面があるの。
■嫁が死んだ
あまり個人特定されたいわけではないがある程度個人情報を入れないと書けないので、誰の話か分かったとしても黙っていて欲しい。
嫁が死んだ。48歳。乳がん。
発覚したのはちょうど二年前ぐらいで、最初の検針のあたりでトリプルネガティブというあまり良くないケースの乳がんだとわかっていた。
今のご時世乳がんなんか珍しくないがかなり進行も早く2年で無くなるケースはかなり悪い方だったろうと思う。
日本の方は親戚づきあいがかなり少ない家だったので、葬式参列者はほぼほぼ嫁の方の親戚になる。
家族葬ぐらいの簡易な葬儀にしようとしていたのだが思ったより沢山の人が来そうでどうしようか悩んでいる。
会食や精進落とし等にしても、そもそも香港の葬式知らないしどういうのが良いのかわからん。もうちょっと高齢で無くなったのなら、香港側の葬儀に何度か参列してどういうものか理解できていたかも知れないのだけど、嫁の死んだ歳はもっと若かったので参列経験が無いのだ。
一応はクリスチャンだったけど、敬虔なクリスチャンだったわけでもないから日本で協会行ってたのも見たこと無いからどこの宗派なのかとかも全然分からんし、キリスト教式でやるわけにも行かないから仏式で行う事に。
香港は仏教の人があまり居なくて、多分道教だと思うんだけど日本で道教式の葬式なんかやレないだ牛、俺自身も見たこと無いからそんなんできん。
向こうは嫁の母がまだ健在で来日されているから、失礼なことも出来ないし。。
あまり個人特定されたいわけではないがある程度個人情報を入れないと書けないので、誰の話か分かったとしても黙っていて欲しい。
嫁が死んだ。48歳。乳がん。
発覚したのはちょうど二年前ぐらいで、最初の検針のあたりでトリプルネガティブというあまり良くないケースの乳がんだとわかっていた。
今のご時世乳がんなんか珍しくないがかなり進行も早く2年で無くなるケースはかなり悪い方だったろうと思う。
日本の方は親戚づきあいがかなり少ない家だったので、葬式参列者はほぼほぼ嫁の方の親戚になる。
家族葬ぐらいの簡易な葬儀にしようとしていたのだが思ったより沢山の人が来そうでどうしようか悩んでいる。
会食や精進落とし等にしても、そもそも香港の葬式知らないしどういうのが良いのかわからん。もうちょっと高齢で無くなったのなら、香港側の葬儀に何度か参列してどういうものか理解できていたかも知れないのだけど、嫁の死んだ歳はもっと若かったので参列経験が無いのだ。
一応はクリスチャンだったけど、敬虔なクリスチャンだったわけでもないから日本で協会行ってたのも見たこと無いからどこの宗派なのかとかも全然分からんし、キリスト教式でやるわけにも行かないから仏式で行う事に。
香港は仏教の人があまり居なくて、多分道教だと思うんだけど日本で道教式の葬式なんかやレないだ牛、俺自身も見たこと無いからそんなんできん。
向こうは嫁の母がまだ健在で来日されているから、失礼なことも出来ないし。。
あと何日か悩みが続きそう。ハーフとか国際結婚した人は大体こういう感じなのかなぁ。
結局会食は和風の懐石っぽいのにした。前日にケータリングとか寿司とかで自宅でちょっとだけ会食もやったので当日も寿司とかはちょっとないなーと。
昨日ようやく葬儀が終わった。
何というか思ったより心労がある。熱が出る。体調が悪いときストレスが掛かったときはいつも熱が出る。
ちょっと休もう。
しんどいなぁ。
アサクリの弥助・黒人奴隷と、そこから派生したロックリー・岡美穂子両氏の言説の元ネタっぽいものを見つけたので要約しておく。
○著者:David Wright
○題名:The Use ofRace and Racial Perceptions among Asians andBlacks: TheCase of theJapaneseand African Ameridans
○出典:1998年、一橋大学社会学ジャーナル(https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/8321/)
・16世紀半ばから、ポルトガル人の奴隷等としてかなりの数の黒人が日本を訪れていた。
・日本人は彼らに好意的で、彼らは尊敬の対象だった。特に弥助という者について、信長は厚遇した。
・ポルトガル人が頻繁に黒人奴隷を献上するので、日本人も彼らを見下すようになり、明治維新の頃にはその見方が定着していた。
・というか白人との接触前から日本では白い肌が美しいと言われてたけどね。(その割にはお歯黒は何故?)
・一方で、肌の黒い聖人もいたことから黒い肌に対する欧米のような差別感情は持ってなかった。オランダから入れ知恵されてたのに不思議だね。
(以下開国時の話が続く)
この、「日本人は彼らを尊敬していた」「肌の黒い聖者もいた」が、ロックリー・岡美穂子両氏による「弥助は神とされた」等に変換されていったのではないだろうか。
なお、知る限り弥助を神とした、または神に近かった、神のようだったなどとする史料は発見されておらず、専門家によるものでは、ロックリー氏や岡美穂子氏が述べているものがすべてのようだ。
特に八幡神は南無八幡大菩薩(那須与一)で有名な武士の神であり、これになぞらえるというのはとてつもない厚遇だし、文献にも残っていると思うのだが何を根拠にされたのだろうか。
信長に関する史料では弥助のビジュアルイメージが「八幡神に近かった」と言われています。あるいは、中国の史料ではアフリカ系の人を「黒鬼」と表記している。ですから、実用的な屈強さを求めただけでなく、そういう人間を自分の近くに置くことで「こんなに強いヤツを従えているんだ」という格付けに役立つと考えた、イメージ戦略の部分もあったと思います。
弥助もそもそもアフリカ大陸内の部族間闘争で生け捕りにされ、外国人に売られたといわれます。
(略)
ロックリー・トーマス氏によると、当時の都だった京都の住民と同様、信長は弥助の背丈や体格、肌の色に畏怖の念を抱いたという。
(略)
信長は弥助を「大黒天」ではないかと考えた。大黒天は豊穣(ほうじょう)の神で、寺院では通常、黒い像によって表現されている。信長は弥助の肌の色は墨によるものだろうと思い、こすり落とそうとした。本当に黒人だと納得すると、直ちに宴会を開いて敬意を表したという。
→通常の中国語ではその通りで、日本語に訳すと「黒い幽霊」といった意味合いになる。
あとは道教では鬼というのは死後の世界の人に該当するもので、鬼世界があって普通に鬼が暮らしていて鬼の役人がいたりもする。
いずれにしても中国語の「鬼」には日本のように「強い」「屈強な」という意味はない。(例えば「悪党(中世)」・「悪源太(源義平)」・「悪太郎(堀内恒夫)」という使い方はしない)。
なので、岡美穂子氏が「屈強な黒人」「神格化」という意味で取り上げたのは、解釈の誤りのように思う。御本人の説明を求めたいところだが。
ただ中国史については良く分からないので、昔はそういう使い方をしていたというのであれば補足よろしく。
→弥助はモザンビーク出身って記述があるんだけど、前半生は全くの不明で、岡美穂子氏が「部族間闘争の結果生け捕りになった」とした根拠は不明。
当時のモザンビークってインド人も大勢住み着いてるので、インド人とか混血の可能性は十分にある。
現時点ではロックリー氏と岡美穂子氏の頭の中だけに存在すると言って良い
Permalink |記事への反応(16) | 14:24
# 私の中国武術の調べ方
##文章の集め方
本屋、古本屋、図書館、Amazon、メルカリ、ヤフオクなどで根気よく探します。
特に雑誌は出回っている時期が限られるものがあるので、定点観測が必要です。
日本における中国武術は1990年前後に流行していたので、新しいものより古いものの方が情報が充実しています。
最低、簡体字、繁体字、英語の3つの言語で検索して、探します。
本土だけでなく、香港や台湾、米国にしか伝承されていないものがあるためです。
ヨーロッパなどにもあるかもしれませんが、探すのが大変で自分はそこまで手が回っていません。
孔夫子、逸文武術文化有限公司の2つのECが特に珍しいものがあります。
書籍は自炊してPDFにして、OCRをかけた方が取り回しやすいのでおすすめです。
集めた文章を適当なナレッジツールに整理します。繁体字と簡体字が混在すると検索に不便なのでどちらかに寄せることをおすすめします。
人物別に整理しつつ、著作を時系列順に並べておくのと研究に利があると思います。
同じ人物でも初期の著作と後期の著作では異なる内容があり、そこが研究の要点になるためです。
また経験的に、武術には地域性があるため、どこで書かれたかも分かれば研究の一助になります。
横断的な論点については、タグを付けたり、記事をまとめたりして整理します。
##翻訳
DeepL、ChatGPT、Claudeなどの選択肢があると思いますが、今であればClaudeが有力です。
真面目に研究するのであれば、有料版以外の選択肢はないというのが個人的な感覚です。
事前整形、翻訳、翻訳チェックの3つのプロンプトがあれば、作業が便利になると思います。
もっと便利な翻訳専門のツールもありそうですが、自分は使っていません。
## その他
動画であれば、YouTubeか优酷を探せばほぼ足りるでしょう。調べ方は文章と同じです。
最近は字幕を出す方法がいくつもあるのでそれを使って研究すると楽でしょう。
また、中国武術の文化的背景には道教、儒教、仏教、中医学が深く関わるため、日本語でいいのでこの辺りの知識を押さえておくと、理解しやすくなります。
##総論