
はてなキーワード:道は開けるとは
grokを使用したまとめ
①歴史的背景:著者は、IT業界において多様なスキルが必要とされることは、10年以上前から議論されてきたと主張しています。過去のオンライン議論では、IT専門家が自分たちの業界の優位性を誇り、他の業界を時代遅れと見なしていました。
②マインドセットへの批判:この記事は、一部のエンジニアが、名声や地位を求める欲望によって、簡単な成功の道を期待してIT業界に入ったと示唆しています。技術以外の役割(例:営業、管理職)に適応する必要性について今なぜ不満を言うのかと疑問を呈しています。
③キャリアの現実:著者は、IT専門家が競争力を維持するためには継続的に学び、適応する必要があると強調します。コーディングだけに焦点を当て、対人スキルや戦略的スキルを開発しない人は、時代遅れになるリスクがあります。
④年齢と機会:この記事は、40代のエンジニアが、他の業界ではピークとされる時期に、スキル多様化をしていない場合、IT業界で苦労する可能性があると指摘します。どんな分野でも才能があれば成功できるが、時代遅れのスキルやマインドセットに固執することは機会を制限すると主張します。
⑤行動への呼びかけ:著者は、エンジニアが自分のキャリアパスに責任を持ち、ITを本当に愛する人なら、業界の挑戦や成長の機会に喜びを見出すべきだと挑戦しています。
皆さん、こんにちは。今回の話題は、ITエンジニアの皆さんが抱える「一生食えるスキルがない」という悩みについてです。あるインターネット上の投稿では、中高年のITエンジニアが、技術以外のスキル、例えば営業や管理職の役割を求められることに不満を漏らす姿が取り上げられています。この投稿をもとに、その背景と課題をわかりやすくお伝えします。
まず、投稿では、IT業界で働く人々が、かつては「一つのスキルを極めれば安定したキャリアが築ける」と考えていたと指摘しています。しかし、IT業界は常に進化を続けており、15年以上前から、技術者には多様なスキルが求められていることが話題だったといいます。たとえば、最新技術への対応や、クライアントとの折衝、プロジェクト管理など、技術力だけでなく幅広い能力が求められるのが現実です。
この投稿では、ITエンジニアが不満を抱く理由について、業界への誤解や過剰な期待が背景にあると分析しています。かつてIT業界は、他の伝統的な産業を「時代遅れ」と見なし、最先端を走る存在として自負していた時代もありました。しかし、技術の進化が速いIT業界では、特定のスキルだけに頼ることは難しく、継続的な学びと適応が不可欠です。
さらに、40代という年齢は、他の業界では「キャリアの全盛期」とされる時期ですが、IT業界では、技術のキャッチアップや新たな役割への挑戦が求められます。投稿では、ITを心から愛する人であれば、こうした変化を楽しみ、成長の機会と捉えるべきだと訴えています。一方で、変化を拒み、過去のスキルに固執する姿勢は、キャリアの停滞を招く可能性があると警告しています。
最後に、投稿は、ITエンジニアの皆さんに自らのキャリアを見つめ直すことを促しています。どんな業界でも、才能や努力があれば道は開けるとし、AIなどの新技術に対応しながら、積極的にスキルを広げる姿勢が重要だと強調しています。
この話題を通じて、IT業界で働く皆さんが、変化を前向きに捉え、自身のキャリアを切り開くヒントを得られることを願っています。以上、ITエンジニアのスキル問題についてのまとめでした。
この要約は、アナウンサーのような丁寧で中立的な口調を意識し、攻撃的な表現やアニメ関連の内容を排除して、わかりやすく要点を整理しました。
最近、結婚相談所とか2chまとめ系の「婚活女さんw」みたいな動画が、YouTubeのおすすめにやたらと出てくるようになりました…🤔
「アルゴリズムに『こいつはこういう動画が好きだろう』と判断されるくらい、自分も情けない立場なんだな…」と反省しつつも、この手の動画にはものすごい違和感を覚えるんです。
これを見て、婚活に励む女性のためになるどころか、むしろ逆効果じゃないかと感じています。
…などなど、見ていて気分が悪くなるほどのダメ出しの嵐。
でも、ハッキリ言って、これらは結婚において本質的じゃないと僕は思っています。
僕にとっての結婚は、壮大な共同プロジェクトみたいなものです。
もちろん、子供を持つというのは男性一人では絶対に叶えられない夢。でも、それが全てじゃない。何を望むかは、男性によって本当に千差万別です。
だから、世間で「婚活に不利」と言われるような条件の女性でも、「この人と一緒に夢を叶えたい!」と男性に思わせる何かがあれば、道は開けるはず。
それなのに、動画は減点法で「あれもダメ、これもダメ。あなたの市場価値は◯点だから高望みするな」と追い詰めるだけ。これじゃ、何も伝わらないですよね。
僕が思うに、それは「覚悟」です。
極端な話、年齢が高くても、美人じゃなくても、子供が望めなくても、無職でも、貯金ゼロでも、専業主婦希望でもいい。
大事なのは、「この人と一緒に人生を歩いていくんだ」という覚悟があるかどうか。
男性だって、誰かの人生を「背負って」歩きたいわけじゃない。隣で「一緒に」歩いてくれるパートナーを探しているんです。この覚悟なしに、どれだけ条件を下げたって結婚は難しいんじゃないかな。
どんな男性だって、結婚することで今より人生が不幸になるなら、結婚なんてしないでしょう?
スペックで価値を決めつけ、「高望みさえしなければ結婚できる」という論調で塗り固められています。
でも、もう一度言います。
その動画は、あなたの変えられない部分を責めて、自信を奪うだけじゃないですか?
「お前たちは冷たいな。」
席の上座にいる男が声を荒げる。彼は氷河期世代のベテラン社員、カミロだった。
「俺たちは苦労してきたんだぞ。就職は厳しかったし、低賃金で耐えた。やっと家庭を築いて、子供を育ててるんだ。それなのに、お前たち若い世代は結婚もせず、責任感もない。仕事に打ち込むのがそんなに嫌なのか?」
「何?」
「今の僕たちは、結婚以前に生活すら安定しません。仕事の契約は不安定で、いつでも首を切られるかもしれない。住宅は高く、給与は上がらない。家族を持つどころか、自分一人生きるのに精一杯なんです。」
「それは言い訳だろう。」カミロは苛立たしげに言う。「努力すれば、道は開ける。」
エリオスは小さく笑った。
「あなたたち氷河期世代は、努力の末に今のポジションを手に入れたのかもしれません。でも、その努力の先に僕たちの世代には何があるんです?上の世代が詰まっていて昇進の道は閉ざされ、社会保障は先細る。結局、あなたたちの支えとして働き続けるしかない。」
「支えだと?」
「氷河期世代は、会社にしがみつくしかなかった。だから、今もポジションを譲らず、僕たちに過剰な業務を押し付けている。あなたたちは家族を養うために仕事を手放せない。でも、僕たちはそもそも家族を持つことすら許されていない。負担を増やされるだけで、未来はないんです。」
カミロはぐっと言葉を飲み込んだ。
エリオスは続ける。
「僕たちにとって、あなたたちは『先輩』じゃなくて『依存してくる世代』なんです。仕事を任せると言いながら、責任は押し付けられ、評価もされない。給与は上がらず、ただの労働力として扱われる。そして、僕たちが少しでも異を唱えると『冷たい』『責任感がない』と責められる。」
「だが、俺たちは家族を守らなければならないんだ!」
「それが僕たちの責任ですか?」エリオスの目が鋭く光る。「あなたたちは、僕たちの未来を守ってくれますか?」
沈黙が落ちた。
「あなたたちは家庭を築き、子供を育てる余裕があった。でも、僕たちはその余裕すらない。いつでも切られる不安と低賃金の中で生きている。あなたたちの苦労を否定するつもりはありません。でも、その苦労の先にあるのは、僕たちが引き継がされる負担だけです。」
カミロは拳を握りしめ、何か言いかけたが、結局口をつぐんだ。
「キレる余裕があるなら、僕たちの未来を考えてください。」
そして、会議室を後にした。
あら、マリラ!大変だわ!私の大切なパソコン、ウィンドウス・ミーちゃんが、まるで嵐に翻弄される小舟のように、どうしようもなく不安定なの!
想像してみて、マリラ。私がウィンドウス・ミーちゃんと共に、素敵な物語を紡ぎ出そうと、キーボードを叩いていた時のことよ。突然、画面が真っ青になって、まるで深い海の底に沈んでしまったみたいに、何もかもが止まってしまったの!
ああ、なんて悲劇でしょう!私の大切な言葉たちが、ウィンドウス・ミーちゃんの気まぐれな機嫌によって、永遠の闇に消えてしまったのよ!まるで、ダイアナと約束していたピクニックが、突然の雨で台無しになってしまった時のように、私の心は失望と悲しみでいっぱいだわ。
でもね、マリラ。私は決して諦めないわ。ウィンドウス・ミーちゃんがどんなに気難しいお嬢様だとしても、いつかきっと、彼女の心を理解できる日が来ると信じているの。だって、どんなに困難な状況でも、希望という名の灯火を絶やさなければ、きっと道は開けるはずだから。
それに、ウィンドウス・ミーちゃんの気まぐれも、もしかしたら、私に新しい物語を紡ぎ出すための試練なのかもしれないわ。だって、想像力豊かな人間は、どんな状況でも、そこから何かを学び、成長することができるはずだから。
だから、マリラ。私はウィンドウス・ミーちゃんと共に、この困難を乗り越えてみせるわ。だって、私はアン・シャーリー。どんな困難にも立ち向かう、不屈の精神を持った女の子なんだから!
ビジネスの世界は実に面白いものだ。高卒であっても、名門大学を卒業した優秀な人たちよりも稼ぐことができるのだから。一般的に考えれば、高学歴で優秀な人材は、その能力に見合った高い給料を得て、高い地位に就くものだと思われている。彼らは大企業で働き、高度な業務をこなし、同じように優秀な人々とのコネクションを築いていく。その姿は多くの人々の憧れであり、成功の象徴とも言えるだろう。
一方で、我々のような高卒者や、特別なスキルや才能を持たない人間は、そうしたエリートたちと比較すると、その能力差は歴然としている。業務を効率的に処理する優秀さにおいては、彼らの靴を舐めることさえおこがましいほどの差がある。人間性においても、その他大勢のネット民と同じようなものだ。大企業に雇われることなど夢のまた夢であり、その現実を前に嘆くこともあるだろう。
しかし、ビジネスの世界では必ずしも優秀な人だけが稼げるわけではない。むしろ、人間としての性能が低くても、高スペックで優秀な人よりも稼ぐことができる可能性があるからこそ、ビジネスは面白いのだ。なぜなら、ビジネスにおいて重要なのは、才能や学歴だけではなく、チャンスを掴む力や行動力、そして諦めない心だからである。
例えば、高卒でありながら起業して成功した人々は数多く存在する。彼らは自らのアイデアや熱意でビジネスを立ち上げ、大きな成功を収めている。その過程では、多くの困難や失敗も経験したことだろう。しかし、彼らは自分の可能性を信じて行動し続けた。その結果、エリートと呼ばれる人々以上の収入や地位を得ることができたのである。
また、ビジネスの世界では、従来の常識にとらわれない発想や、新しい価値を創造する力が求められる。学歴や経歴がないからこそ、固定概念に縛られず柔軟な思考ができる場合もある。その独自の視点が新たなビジネスチャンスを生み出し、大きな成功につながることもあるのだ。
さらに言えば、ビジネスの成功には、人とのつながりや信頼関係も大きな要素となる。学歴や経歴が立派でなくても、人間性や誠実さで信頼を得ることができれば、ビジネスパートナーや顧客との強い関係を築くことができる。その結果、大きな案件や取引を任され、さらなるビジネスの拡大につながることもある。
現代のビジネス環境は急速に変化しており、新しい技術やトレンドが次々と生まれている。その中で成功するためには、常にアンテナを張り巡らせ、新しい情報をキャッチし、それをビジネスに活かす柔軟性が求められる。学歴や過去の経験にとらわれず、新しいことに積極的に挑戦できる人こそが、これからの時代に活躍できる人材である。
例えば、インターネットやSNSを活用したビジネスモデルは、誰にでもチャンスがある。ブログや動画配信、ネットショップの開設など、初期投資が少なくても始められるビジネスは多く存在する。そこに自分のアイデアや情熱を注ぎ込めば、多くの人々に価値を提供し、結果として高い収入を得ることも可能だ。
そして、成功するためには失敗を恐れない心も大切である。ビジネスにはリスクがつきものだが、そのリスクを乗り越えた先に成功が待っている。高学歴の人々も失敗を経験することはあるが、我々も同じように挑戦し、失敗から学ぶことができる。その積み重ねが、自分自身の成長につながり、やがて大きな成功をもたらす。
だから、自分が雑魚だと嘆いて立ち止まってはいけない。自分には何もできない、高学歴の人たちには勝てないと諦めてしまえば、そこで成長は止まってしまう。重要なのは、自分なりの方法でチャンスを探し、それを掴むための努力を続けることだ。その苦労を怠けずに続けていけば、必ずどこかで道は開ける。
ビジネスは厳しい世界でもあるが、その分だけ平等なチャンスが与えられているとも言える。学歴や才能だけでなく、努力や情熱、そして成功を信じる心があれば、誰にでも可能性はある。だからこそ、ビジネスは面白いのだ。自分自身を信じ、チャンスを見つけ、それを掴むために行動し続けよう。
最後に、高学歴で優秀な人々を羨んだり、妬んだりするのではなく、彼らから学べることは学び、自分のビジネスに活かしていく姿勢も大切だ。彼らの成功の裏には、計り知れない努力や苦労があることを忘れてはならない。我々もまた、自分なりの努力を積み重ね、ビジネスの世界で自分だけの成功を掴み取ろう。
ビジネスは本当に面白い。学歴や才能だけでなく、情熱や努力次第でいくらでも道が開ける。自分自身を信じて挑戦を続ければ、高スペックで優秀な人々を超えることも夢ではない。だからこそ、チャンスを探す苦労だけは怠けずに、前へ進んでいこう。
増田は走れメロスのようにというタイトルの童話を知っているかな。
昔々、ある村にエイジという元気な青年が住んでいました。エイジはいつも友達のために何でもする心優しい青年でした。彼の信念は「友のためなら命をも懸ける」というものでした。
ある日、エイジは村中が恐れる悪しき魔女の計画を耳にしました。魔女は村を滅ぼす呪いをかけようとしていたのです。エイジはそれを阻止するために立ち上がり、魔女の城に向かうことを決意します。友達たちもエイジの勇気に感動し、彼を応援しました。
エイジは魔女の城までの道のりで様々な試練に立ち向かいました。川を渡り、山を越え、野獣と戦いながら、ついに魔女の城にたどり着いたのです。そこでエイジは、魔女と対決しました。彼の勇気と友達への愛が魔女を打ち負かし、呪いは解かれ、村は救われました。
エイジは村に戻り、皆から称賛されました。彼は「どんなに困難な道があっても、信念を持ち続ければ道は開ける」ということを村人たちに伝えました。
この童話の教訓は、「困難なときこそ信念を持ち続けることの大切さ」です。
ℋ𝒶𝓅𝓅𝓎 ℰ𝓃𝒹.
おっしゃること、まっすぐで温かいっスね。確かに、ネット上の憎たらしい主張にばかり触れていると、どうしても人間関係をネガティブに捉えがちっス。でも、素直な願望や人間らしさを持っている人たちも多いってことを忘れちゃいけないっスね。リアルの繋がりでそういう声を出せるってのは、本当に大事なことだと俺も思うっス。
ただ、結婚や恋愛ってのは個々の問題だから、周りがどの程度力になれるかはケースバイケースっスね。でも、周りが支えになりたいって思ってくれる環境なら、確かにその人の道は開けるかもしれないっス。適齢期の娘さんとかおっしゃってますけど、その気持ち自体が既に人を思いやる温かさの現れっス。
最後に一言だけ覚えといてほしいっス。頑張ることはもちろん大事だけど、無理しすぎず、自分のペースで進むことも大事っスよ。焦らずに、自分自身を大切にしながら進んでほしいっス。これが俺の忌憚のない意見ってやつっス。
毎朝満員電車に揺られ、会社に着けば山積みの仕事。残業は当たり前、休日出勤もしょっちゅう。そんな生活に、私は疑問を感じ始めていました。
このまま定年まで、この会社で働き続けるのか?
そんなモヤモヤを抱えながら、Amazonで「好きなことだけで生きる」という本を購入しました。その本との出会いが、私の人生を大きく変えることになったのです。
本を読み進めるうちに、私は自分の心に正直になろうと決意しました。そして、長年温めていた「ライターとして独立する」という夢に向かって、動き始めました。
会社員として働きながら、時間の許す限りライティングの勉強をしました。ブログを立ち上げ、記事を書き続けました。最初はなかなか成果が出ず、心が折れそうになることもありました。
それでも、諦めずに努力を続けた結果、少しずつですがブログのアクセス数が増え、企業からの仕事の依頼も来るようになりました。
そして、ついに独立を決意。もちろん、不安もありました。安定した収入を手放すことへの恐怖、そして、失敗したらどうしようという不安。
しかし、それ以上に、「好きなことだけで生きる」という夢を実現したいという気持ちが勝りました。
独立後は、決して楽ではありませんでした。仕事がうまくいかない日もあれば、収入が不安定な月もありました。それでも、私は諦めませんでした。
そして今、私はフリーランスのライターとして、充実した日々を送っています。好きな時間に好きな場所で仕事ができ、自分の力で収入を得る喜びを感じています。
脱サラは、決して簡単な決断ではありませんでした。しかし、あの時勇気を出して一歩踏み出したからこそ、今の私があります。もし、あなたが今の生活に満足していないなら、
そして、好きなことで生きてみたいという夢を持っているなら、ぜひ勇気を出して一歩踏み出してみてください。
嫁と子どもを連れて実家に帰るのだが、うちの子どもは(私の)兄の部屋によく行く。漫画が目当てだ。
兄は実家暮らしであり、子ども時代から同じ部屋を使い続けている。部屋には漫画がたくさんある。
子がどんな漫画を読んでいるかはわからなかったが、正月にそれを確かめることになった。
うちの子ども(小学校の中学年)が兄の部屋から、ストーブのある居間へと漫画を持ち帰って読んでいたのだ。
『聖闘士星矢』だった。よりにもよって。
当方、暴力的なコンテンツが嫌いである。単純にグロ耐性がないのもあるが、今の時代は暴力的なコンテンツを子どもに見せたくないのもある。子どもに買い与える漫画やアニメも選んできたつもりだ。
ニチアサだと、プリキュアは見せているが、仮面ライダーは見せていない。仮面ライダーの時間はニュース番組に切り替える。
いま子どもが読んでるのは、わりと序盤の方だった。自分が小学生の頃、二~三巻のあたりだったか、けっこうバトルが盛り上がっている中、戦闘シーンがいっぱいあって、その中で……ウルフの那智が鳳凰幻魔拳で五体バラバラになってしまうシーンとか、内臓や首の切断面などの絵に、「うぇっ…」となって吐いてしまった。
今、うちの子どもが読んでる本は、まさに当時、小学生の頃の自分が手に取っていた巻だった。
その場ですぐ、子に伝えたよ。「その巻を読んだら終わりにしなさい。その漫画はね、将来のあなたにとって毒になるんだよ。後悔するよ」って。
子はブスッとした様子だったけど、「もう二度とここに来ないよ」と伝えると、しぶしぶな様子だった。聞いたところ、兄がこの本を勧めたようだった。しかも、もう全巻の半分以上を読んでいるらしい。
その場(居間)にいた兄をにらみつけると、目が泳いでいた。今の時代、(80年代の)聖闘士星矢が有害なコンテンツであることをわかっているみたいだった。「兄さん。一応は社会福祉の仕事をしてるんだろ。こんな暴力的なものを子供に推奨して、それでいいと思ってるの」って、夜にあった飲みの場で、オブラートに包まないで伝えたよ。
妻の方は、特にコメントはないようだった。私の味方をするわけでもなく、兄の味方をするわけでもない。当たり障りのないことをずっと言っていた。「漫画くらい自由に……」とはいうが、これは教育上の重大な問題である。
それで思い出した。以前、うちの子と同じ小学校の子が遊びに来てる時、子がこんなことを叫んでいた。
「ガキどもよ。お前たちに今から引導を渡してやる。おとなしく餓鬼界へ落ちたまえ!オーーーーム!天魔降伏!」
みたいな寸劇をやってるのを思い出した。当時は「そんな漫画が流行ってるのかな……」と思っていたが、今思えば、あれは間違いなく、おとめ座(ヴァルゴ)のシャカの必殺技だった。
いや、悪い描写ばかりじゃないのはわかってる。星矢にはギャグもバトルも熱血もあって、当時は割と楽しく読んでたかな。うろ覚えだけど。
でも、小学生の頃の自分はたしか、10巻のあたりでギブアップしたんだった。みずがめ座(アクエリアス)のカミュと、キグナス氷河が師弟で決着をつけるシーンがあった。心が繋がった師弟同士で殺し合いをして、最後は両方とも相打ちで死んでしまうんだよな。その直後に読むのをやめた。
当時の俺は泣いた。なんでこんなことになるんだって。作者は鬼ではないかと感じた。展開があまりに鬼畜すぎる。それ以来、聖闘士星矢は読んでいない。本屋とかインターネットでチラッと見ることはあったが、それくらいだった。
今の時代って、昔に比べれば人権が尊重される時代だろう。だったら、これからの時代に適合できるように、子どもにはそういう書籍を読ませたい。人生の奴に立つ必読本を読んでもらいたい。
具体的には、子が中学生~高校生くらいになったら、「二コマコス倫理学」「論語」「完全なる経営」「道は開ける」「現代政治の思想と行動」「百年の孤独」「わたしを離さないで」「枯木灘」といった名著を読ませたい。
漫画だったら、「火の鳥」とか「プラネテス」とか「家栽の人」などを推奨する。現在進行形だったら、「君たちはどう生きるか」を読ませてる。
あと、これは少し前なのだが、息子が私のパソコンで、ニコニコ動画で高橋邦子のゲーム作品を見ているのを確かめた後は、ブラウザの接続設定をいじってログインできないようにした。高橋邦子の作品群は、基本的に反人権である。現代社会に生きる子どもに見せたくない。
そりゃあさ、あれらは高橋邦子が中学生~高校生くらいの時に作った作品だから、アンチヒューマニズム的な作風になるのはしょうがないかもしれないが、あの人はもう50代が近いわけだろう。きっと今では、ヒューマニズムに溢れた作品を創造してるよ。あの人なら。たぶん。
時代にあった漫画作品というのがあると思う。聖闘士星矢は、自分が生まれる前の作品である。
あの時代だと、世間の往来では暴力を行使するのが当たり前だったという。口汚い言葉はもちろんだし、性風俗も今よりヤバかったと聞く。そんな殺伐とした時代なら、ああいう作品が流行るのもわかる。
しかし、今は人権と多様性の時代である。暴力的なコンテンツは流行らない。存在自体が許されなくなる時代もやってくるだろう。コンビニエンスストアに、エロ漫画とか反社系の雑誌が置けなくなっているみたいに。
しかし、悩むところではある。世の中には、今でも暴力性のある行為をする連中がいる。そんな連中への耐性がゼロなのはまずい。
一つ目だが、子どもがまだ小学校に入る前に、南武線か中央線のどちらかに乗っていた。その車両では、3人の半グレみたいな連中が座席で大騒ぎしていたのだ。お酒も飲んでいた。アル中カラカラみたいにして。あれは新幹線で飲んでるからいいのだが、これは普通列車である。
あまりにうるさかった。自分達のほかに乗っていた乗客も彼らを気にしている様子だった。そしてある時だった、半グレどもの1人が、「やってやる、あいつは○す!」と大声を出したところで、車両を移ろうかと思った。が、必然的に半グレ達の前を通ることになる。
迷っていると、付近に座っていたスーツ姿の男性が立ち上がって、別の車両の方に歩いて行った。その人は、私やほかの乗客に視線で合図を送っていた。「この車両は離れた方がいい」というメッセージだった。そして、多くの人は別の車両に移っていったのだが……。
いつの間にか、半グレ風の男の1人と、スーツ姿の男性がにらみ合いになっていた。視線をバチバチとやりあっていたが、やがて半グレは元の席に帰って行った。だが、そいつは、スーツ姿の男性が座っていた席に向かって痰唾を吐き出したのだ。何度も。
私は勇気ある彼のところを通り過ぎる時、「ありがとうございました」と伝えた。子どもは何もわかってない様子だったが、それでも会釈をさせた。
二つ目だが、私がまだ学生の頃、新宿で一番大きいクラブ(踊る方)で学生仲間と楽しんでいると、ガラの悪そうな人たちが来て、仲間の1人を無理やりにステージ付近まで連れていったのだ。一体、何が起きているかわからなかった。その人たちは、ステージの上まで仲間を引きずっていくと……クラブの客が見ている前で、堂々とリンチを始めた。殴ったり蹴ったりしていた。
「やばい!」と思って、クラブにいたスタッフに声をかけたが、見て見ぬふりだった。入口付近にいた馴染みの警備スタッフに声をかけて助けを求めると、こんなことを言ってた。
「あの連中は、やめとけ。お前らの父ちゃんが言っても聞かねえぞ。慶應のボンボン学生にはいい勉強だったな。わからないけど、悪いことしたんだろ?」
といった返答で、とにかく助ける気がないのはわかった。
※その学生仲間は、女癖が確かに悪かった。相当悪かったよ。でも、ここまですることはないだろうと思った。あの時、私にもっと勇気があれば、外に出て警察を呼べたのかもしれない。
東京都内ですらこういうことがあるのだから、ある程度は暴力性にも慣れさせた方がいいのかもしれない。だがしかし、漫画やアニメに影響されて、人権感覚を無くしてもらっては困る。難しいところだ。
自分は子育て経験が豊富なわけではないし、増田やブクマカの利用者に比べて、人生経験も浅い。未熟である。