
はてなキーワード:運送とは
この次の日、実物を持ってきてくれました。
うん、全然セーフ! お忙しい中、ご対応ありがとうスンマセン。
(ブコメを読んでいて)
以前はライオンの猫砂は使ってた。それは破れてた事はなく、いま使ってるのはアイリスオーヤマの砂→https://amzn.asia/d/2EkReX5 (レビューを参考されたし)
要因のひとつに袋が7L入り~で、ライオンのより大きく扱いづらいからではないかという気づき。
それからクロネコの拠点ではないかという指摘と、ベルトコンベアの体験談。
ここ2ヶ月破れがないのはそこなのかしら?という気がしている。
ともあれ猫砂の宅配は本当に助かっているので、
タイトルのまんまなんだけど、猫のトイレ砂(猫砂)をネットで買っている。
猫砂は重いので、同じような人はそこそこいると思う。
で、いったん経験すると楽なので定期購入へ流れる人もそれなりにいる。
それ位には需要がある。
「猫砂、よく破れてるよね」
「原因、梱包だよね」
うちの場合Amazonで毎月(4袋入り1セット)。ストック用を年に数回、楽天やヤフーショッピングで購入している。
まーよく破れている。
ちょい破れだとガムテが貼ってある。
思い切った破れだと、なんか赤紙みたいのが貼ってあった。
置き配指定しているのだけど、配送の方が「どうしましょうか」と受け取るかどうか確認に来られる。
Amazonはここ2ヶ月破れもなく完全形で届いている、驚きだ。
まーだってさ、店頭で見るあの重い米袋みたいなの(外袋もただのビニール袋)を、さして丈夫でもない紙製のロット袋(正式名称不明。メーカーが何個かごとにまとめていれてる袋)に荷札を貼り付けただけなんだもん。
何かにぶつける、ちょっとひっかける、落とす等で破れちゃうよね、科学と物理の力でさ。
もう細かいことは気にしていない。
そもそも重い物を持ってきてもらえるって事がありがたい、だからネットで買ってる。
ただ運送会社さんは気になさる。
そんなこんなで「運送途中で破れた猫砂をどうしましょうか」の連絡待ちのため、休日を家で待機している。
まあ、しょうがない。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
肉体労働と頭脳労働の賃金は、本来逆転しているべきだ。現代社会では、頭脳労働の方が「高度で知的」とされ、賃金も高く設定されている。しかし、その価値観は社会全体のバランスを崩している。
頭脳労働の多くは、安全なオフィス環境で、空調の効いた部屋で、パソコンとにらめっこする仕事だ。もちろん責任はあるが、命の危険はない。身体を壊す危険も少ない。一方で、肉体労働は命をかける仕事が多い。建設現場、運送、介護、清掃、インフラ維持。これらが止まれば社会は即座に崩壊する。にもかかわらず、最も危険で最も負担の大きい仕事に支払われる報酬は、知的労働よりもずっと低い。
この不均衡は、単なる市場原理では片づけられない。社会が「知的労働=上等」「肉体労働=下層」という価値観を内面化した結果である。だが、社会を物理的に支えているのは明らかに肉体労働だ。頭脳労働者がどれだけ資料を作っても、道路が舗装されず、電気や水道が止まれば何も成り立たない。
危険と負担を背負う人ほど報われる社会でなければ、誰もその職を担おうとしなくなる。実際、建設や運送などの現場は人手不足が常態化している。低賃金と過酷さのバランスが取れていないからだ。
肉体労働の価値を正当に評価し、高い報酬を支払うこと。それが社会の持続可能性を守る唯一の道である。頭脳労働が社会を動かすのではない。肉体労働が社会を支えているのだ。
そんなステレオタイプな単純な話ではない。それらの産業では十分に労働需要を吸収出来ない。
建築業の従事者は訳470万人、運送・郵便の従事者は約350万人で両方合わせて1割ぐらい。
一方で、製造業、小売業、サービス業、医療福祉はそれだけで1000万人規模の雇用需要がある。
仮に人手不足で潜在的にこの1割程度求人があるとしても全然たりない。
あと、人口比に対して平均的に分布している産業の最たるものは医療福祉と小売業。建築業や運輸・郵便は人口というより産業の立地によってついて回る仕事でしょ。
例えば、大規模なインフラ工事、今だと北海道新幹線とリニアとかだけど、これらが始まると余所から建機レンタル業がやってきて商売を始めるけど、終わると綺麗さっぱりいなくなる。
関東住みでどんなもんかとタイミー開いたけど言われてるほど仕事無くて拍子抜けだわ。
昆虫食と同じで現状はコスト高でビジネスにならないものを、税金で買わせて許認可元が潤う類
先に結論:公共で対応したら高くつくので各人各家庭で対応してもらうのが妥当
アレルギー対応は給食センターなど調理現場の話だけど、ハラルになると認証、保管、物流など負担が激増するので、
自治体の金を食い物にする系ビジネスの一環として扱ったほうがいいと思う
具体的な料金は認証機関や上記の要因によって異なりますが、以下は一般的な費用の範囲です。
単一の製品で簡単な審査の場合、20万円〜50万円程度から始まることがありますが、製品の種類や認証機関によっては100万円を超えることもあります。
3. その他の費用
https://jhcpo.com/certification-fee/
ハラール性の確保は、原材料、加工方法、包装、貯蔵、物流、陳列など全てのサプライチェーンに及びます。そのため、物流においてもハラールに対応した取り組みが必要になります。
ハラール物流は「保管・運送」において、専用容器・専用コンテナ・専用トラックの専用機器を使用することが条件となりますので、一般商品の物流コストより、保管コストと運送コストが高くなります。
https://logiiiii.f-logi.com/series/globalscope/halal-logistics-in-japan/
ハラル認証機関は世界に300以上あると言われていますが世界的な統一基準がないので、その判断基準や指導内容は認証機関や団体によって異なります
日本でも当協会が把握しているだけで30以上のハラル認証機関が存在しますが、統一基準はなく各機関の法人格や団体もバラバラで認証取得にかかる費用もそれぞれ異なります。あえて言うならば、許認可も届出も必要がないので、誰でも始められる状況です。
https://jhba.jp/halal/certification/
韓国語の「돈주(ドンジュ)」は、特に北朝鮮の文脈で使われることが多く、「お金の主人」を意味し、1990年代以降の市場経済の拡大に伴って出現した新興富裕層や実業家を指します。これらの人々は、貿易、密輸、市場取引(特に「장마당」と呼ばれる闇市場)や不動産、運送、鉱業などで財を築いた個人やグループです。
돈주 - 나무위키
https://namu.wiki/w/%EB%8F%88%EC%A3%BC
돈주 - 위키백과, 우리 모두의 백과사전
https://ko.wikipedia.org/wiki/%EB%8F%88%EC%A3%BC
AIがかなりの領域で人間を代替していく流れの中、これからの人間は「本質的な問い」に向き合えとか「人間にしかできない価値あることに集中しろ」といった言葉をよく聞くようになった。得意げな顔で、クリエイティブな仕事とか、人間関係の構築とか、感情とか、そういうのが人間の本丸かのように語られる。
だがそんな言説に意味はあるのか。
そもそも「本質的」ってなんだ。AIがたまたま今できないことを「本質的」として後からラベリングしてるだけじゃないのか。
AIがどこまでできるかが基準になっていて、人間の価値はその残りカスに押し込められてる。
たとえば事務作業や文章要約、議事録の作成までAIがやるようになると、それらは「効率化されるもの」としてもう人間がやる意味はないとされる。しかしそれらはついさっきまで人間の仕事だった。
文章も絵も音楽もプログラミングも、高度な専門知識を活かした問題解決も、経験による総合的判断も、ちょっと前まで「創造的」と言われていた、あるいは今かろうじて呼ばれているがすぐに呼ばれなくなるであろうこと。
それらは実際として創造的ではないのだろうか。
昨日までの価値が今日になって「本質的じゃなかった」と言い換えられていく。
本質とは一体なんなのか。
一昔前まで、機械に置き換えられるのは介護、保育、建設、農業、運送といった「単純労働」だと思われていた。
だがこれらはすぐにはAIに代替できないようだ。人の肉体と、人の時間が必要になる仕事。
であるならばこれらの仕事こそが「本質的な価値」と考えてよいものだろうか。
だが、そこにはわずかばかりの真理を見出すことはできないだろうか。
身体性のある行為。誰かの体温を感じること、自分の筋肉を動かして何かを変えること、それが社会のどこかに作用すること。そういうものが、結局のところ人間らしさの核なのではないか。精神とか知性とかは、道具として発展してきたけれど、それを動かしてるのは結局、血が通った肉体でしかない。
人間の本質を「問いを立てること」に求める人がいる。考えること、悩むこと、哲学すること。もちろんそれも人間的な営みのひとつだ。
ただ、それを「本質」と呼び出すとどうしてもAIとの対比が透けて見える。機械にはできないから、こっちが本物だ、というような。
だが、もし人間の本質が本当に肉体にあるのだとしたら、それはAIとは別の方向への道になる。
もっと地に足のついたもの、たとえば手で触れる感触、重さ、痛み、汗。そういう感覚的なものが、人間を人間たらしめている。
それが失われると、どれだけ考えていても人間であるとは言い切れなくなる。
AIが進化するほどに精神のほうが薄れていき、身体が残るというのは皮肉だ。でも、それが現実だ。思考するだけの存在に人間はなれないし、なるべきでもないのかもしれない。触れること、動くこと。そっちにこそ人間としてのリアリティがある。