
はてなキーワード:運河とは
ユニクロが提示するのは、モードではない。「ライフウェア」というトートロジー的な命名が示す通り、それは空気や水のように、生存にとって自明なものとして振る舞おうとする。フリース、ヒートテック、ウルトラライトダウン。これらはもはや衣服というよりも、都市生活を送るための「装備」である。
ここにあるのは「意味の脱色」だ。ユニクロは、衣服から装飾、階級、そして個性を剥ぎ取り、「ベーシック」という名の漂白された平地へと我々を誘う。しかし、騙されてはならない。この「記号の不在」こそが、現代日本における最も強力な記号なのである。それは「私は何も主張しない」という、極めて政治的な主張だ。
かつて戦時下の日本には「国民服」が存在したが、現代においてその役割を継承したのは、皮肉にも国家権力ではなく、一民間企業であった。しかし、その背後には奇妙な共犯関係が透けて見える。
日銀やGPIFを通じて、この企業の株式を買い支えるという事実は、何を意味するのか? それは、国家が「国民の貧困化」を公式なシステムとして承認したという署名に他ならない。国民が impoverishment(総貧困化)へと滑り落ちる過程で、安価なユニクロは必需品となり、国家はその企業の価値を維持することで、貧困の構造自体を延命させる。この循環は、経済政策というよりも、一種の宗教的な儀式(典礼)に近い。
三、富の偏在とオランダの幻影
この巨大な「平準化」の装置の頂点には、柳井一族という特権的なシニフィエ(意味するもの)が君臨している。国民が皆、同じ衣服に身を包み、個体差を消去されているその真上で、富は重力に逆らって吸い上げられ、一箇所に凝縮する。
さらに、その富は「オランダ」という記号を経由する。アムステルダムの資産管理会社。それはチューリップや運河の国ではない。資本主義のアルケミーが行われる、地図上の空白地帯だ。彼らは、日本の労働者と消費者が織りなす経済圏から巧妙に身をかわし、課税という社会契約から逃走する。ユニクロが標榜する「民主的な服(Made forAll)」というスローガンは、ここで決定的な亀裂を迎える。服は万人のためのものだが、そこから生まれる利益は万人のためのものではない。資本は国境を越えて蒸発し、後に残されるのは、すり切れたフリースを着た納税者たちだけだ。
彼らは言う。「サステナビリティ」と。ペットボトルを再生したポリエステル。しかし、ファストファッションの本質は「加速」と「忘却」である。大量生産され、大量に消費され、そして短期間で廃棄される運命にある衣服が、いかに「環境に優しい」顔をしようとも、それは欺瞞である。それは自然を模倣した化学繊維であり、土に還ることのない永遠のプラスチックだ。
彼らはエコロジーを語ることで、消費者の罪悪感を麻痺させる。我々は「良いことをしている」という幻想と共に、地球を汚染する権利を安価で購入しているに過ぎない。この「清潔な破壊」こそが、現代の消費社会の病理である。
最終的に、ユニクロとは何か? それは、我々の肌に最も密着し、日々の生活を支え、冬の寒さから守ってくれる、あまりにも親密で、頼りがいのある存在だ。しかし、その親密さの正体は、国家による貧困の固定化、特定の血族への富の異常な集中、グローバルな租税回避、そして環境の破壊という、冷徹な計算式である。
最も日常的で、無害で、清潔に見えるものが、実は最も収奪的で破壊的なシステムを隠蔽している。 「普通」という仮面を被った怪物。この、あまりにも滑らかで継ぎ目のない表面の下に、どす黒い内臓を隠し持っているという事実。
というわけでお漏らし文学をChatGPTに調べてもらった
Lasttime I paid 1€ totake a piss,
I walked into the Sanifair, looked around,
and just…left.
Itwas so disgusting I decided togooutside and search for abush instead.
—Reddit / r/AskAGerman
「1ユーロ払ってトイレに入ったんだけど、あまりに汚すぎてそのまま出てきた。結局、外の藪を探すことにした。」
ドイツ人ですら「お金払って藪で用を足す方がマシ」と言ってしまう悲哀。
URL:れでぃっと r/AskAGerman
I used tosquat when using public toilets.
Thenone day, I slipped.
That day,something inside me died… andsomethingoutside mewas nevercleanagain.
— れでぃっと / r/AskEurope
でもある日、足が滑った。
その日、僕の中の何かが死んだ… そして僕の外側も、二度と綺麗にはならなかった。」
もう「しゃがむ」という選択肢すら許されない。
InBelgium, there’s an unwritten rule.
he silently handsyou the bathroomkey.
you find a darkcorner of the street instead.
—Blog post “Theart ofle pee inBelgium”
バーの店主に1ユーロ渡すと、無言でトイレの鍵を渡してくれる。
観光都市ブリュッセルでも、路上で立ち尽くす影が絶えない理由。
URL:saintfacetious.com
All cafés were closed,all public toilets locked.
I stumbled along the riverbank,
In the end, the Seinesaweverything.
— れでぃっと / r/Paris
「深夜1時、セーヌ川沿い。
ワインと後悔で酔った体を引きずりながら歩き、
パリの夜は美しく、そして容赦ない。
観光客だけでなく、現地の人すらこうなることがある。
Iwas in Bilbao, desperate to pee before thematch.
I ran intoone of those self-cleaning toilets…
and then thecleaningcyclestarted
僕は全身びしょ濡れになって出てきた。」
水と泡まみれで出てきたマンチェスター・ユナイテッドファン。
In Amsterdam, we had thesehalf-open urinals called ‘peecurls.’
They were meant to stop men from peeing in the canals.
Now they’re disappearing…
and the canals smelllikehistoryagain.
「アムステルダムには、半分だけ壁のある露天トイレ『peecurl』があった。
でも今はそのpeecurlも減り、
I haveMS.
Since the public toilets closed,
Last month, I didn’tmakeithome intime.
I cried, then laughed, then stayed inside for a week.
— The Guardian読者投稿
「私は多発性硬化症です。
先月、家に帰る前に間に合わなくて…
URL:The Guardian
まあまあだな、また探す
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ロマンシングサガ2リメイク(以下リベサガ)を先日クリアした。すごくオモロだったので、感想と史書風のプレイレポを残しておく。自分はサガシリーズ自体はぼちぼち遊んでいるけど、ロマサガ系列は初めてなのでヘンなところがあってもご容赦を。
なお難易度については、七英雄のヤバさを聞き及んでいたのでノーマルにした。何十時間もかけて詰むのは面倒と思って……。ファイアーなんとかさんに何度も運ゲーでリセットされたり、クソつよ卵に強制二周目を余儀なくされた過去のゴーストが「やめとけ」って囁いたんや。
あんまり長々と書いても他のしっかりしたレビューのn番煎じになるので、感想を三行で要約すると
ちなみにこれを書いている人は、仕事のためにツナギとかエプロンとか華美さがない実用性重視の服装をしている職人気質女子(さらに赤毛でポニテで元気っ子だと言うことなし)がめっちゃ好みだということを宣言しておきます。
憎きクインジーは討たれた。敬愛する兄王子、そして偉大な父王の無念は果たされた。しかし未だに残り6人の七英雄がこの世界のあちこちで暗躍していることだろう。その野望を砕くため、アバロンの皇帝が今立ち上がる。
チュートリアルのクインジー撃破から水上要塞攻略まで。素直にキャットに協力を仰いでほぼ戦闘をせずに要塞を攻略した。ライトボールばっかり使っていた印象がある。難易度がノーマルではありながらボスが結構強かった思い出。とくに攻略情報などは見ていなかったため、いきなり50年もジャンプしてびっくりした。
アメジスト帝を一言で言い表すならば、ひたすらに南を目指した皇帝であった。
ジェラール帝から帝国領土の拡大と七英雄の撲滅という使命を引き継いだアメジスト帝は、帝国にケンカを売ってきた格闘家を討ち滅ぼし、モンスターに支配された宝石鉱山を開放し、ルドン高原を乗り越え、辺境である南方の地に覇道を突き進む帝国の風を吹き込んだ。また皇帝は出会ったサイゴ族を大いに助け、彼らと帝国の間に友誼を結んだ。
南下の途中、とある洞窟で七英雄の一人であるダンダークと出会ったアメジスト帝は、死闘の末に多大な被害を出しながらも七英雄が一の強敵を打ち破るという大金星を上げた。挑むのは時期尚早と諌める臣下の声は、先代から引き継いだ七英雄への衝動に支配された皇帝の耳に入ることなく、その怒りに燃える橙の瞳は佇む七英雄にまっすぐ向けられていた。
ダンターク撃破後、余生としてトバでツバメの巣を漁ったりと漫然と暮らしていたアメジスト帝であったが、最後はサイゴ族の南大陸への移動を見届けて皇帝の座を退いた。
二代目皇帝は宮廷魔術士を選択。理由は魔術系の陣形があったほうがいいんじゃないかと思ったから。男ではなく女にした理由は火術が攻撃系っぽかったから(あとデコルテとヘソが眩しかったから)。
難易度はノーマルにしたんだから、リセットしたり厳選したりせずにフィーリングで皇帝を選んでもなんとかなるんじゃないかと思って、他のキャラクターについてはどんな陣形を持っているかは調べなかった(この出たとこ勝負はとある七英雄と戦うまで続く)。
アメジスト時代は結構長かった。そのせいか、最後の方は敵の強さに味方側のパラメータ(特に装備)が追いついておらず、かなりキツイ戦いが多かった。この時代が一番LPがボロボロだったと思う。
特に実質的に最初の七英雄戦であるダンタークとの戦いは何度も全滅する激戦になった。術技も武具も揃っていないため、ダンタークの攻撃はほとんど致命傷(ふみつけを喰らえば即死)となり、こっちの攻撃は、物理の最大打点が気弾(体術)と切り落とし(大剣)の600、術がフレイムウィップの800。気合とお祈りでなんとか勝てたけど、正直時期尚早だった気がする。実際、ダンターク戦はリベサガで二番目にキツイ戦いだった。
火術を期待して抜擢したが天術(太陽光線、月光Lv2)の方がメインだった。アンデットがやたらと出てくる洞窟が多くて、一人だけ太陽光線で1000近いダメージを叩き出していた。
体術の鬼。カウンター、ジョルトカウンター、コークスクリュー、気弾などなどをひらめいた。あと初期装備のヒールサンダルから繰り出されるふみつけがやたらと強かった。
大剣技をよくひらめいてくれた。ダンダーク戦では流し斬りまで閃いたが幻になってしまった(全滅した)。頼りになるV系のイケメンだった。
ダンターク戦において回復が追いつかずに急遽ヒーラーとして投入。意外と打たれ強かった。
火術の人。ファイアウィップオンリーでほぼ戦い抜いた。ダンターク戦では盾持って防御するという、なぜかタンク役になっていた。ファイアウィップがダンタークに刺さりすぎるせいか、ヘイトを買ったかのようになぜか狙われまくったことが原因。
アルゴルくんと愉快な仲間たちは滅亡したカンバーランドを走り回り、表ではレジスタンス活動をしていたホーリーオーダーを援助しつつ、裏では武装商船団の頭領を強請って強引に不平等同盟を結ばせた。
バレンヌ帝国の皇帝としては、ヴィクトール運河に橋をかけたり帝国大学を作ったり公共事業に力を入れ、後世への礎を築いた。
プライベートでは、(ネレイドに水をぶっかけられたりしたが)マーメイドにて出会った踊り子と親密になり、魔女に人魚薬を作ってもらうため東西奔走したが、サイゴ族の子供(と子ムー)を助けに洞窟に入って、うっかり年代ジャンプをしてしまった。
三代目皇帝は、なんか面白そうだしという理由でフリーメイジ♂を選択。ゲットした陣形は多分一回も使わなかったと思う。もろもろのイベントでエビス顔皇帝がいろんな顔をして面白かったので元は取った。このとき格闘家が皇帝候補に出てきたのだけど、仲間になってなくても出てくるもんなんだと思った。まあ滅ぼした相手だから皇帝には選ばなかったのだけど。
カンバーランドイベントで幽霊の兵士がうろついている城があって、割と稼ぎスポットな匂いがしたけど死者を冒涜すのはなあと思って隣を通ったら念仏を唱えるだけにしておいた。仲間が増えてきたこともあり、訓練場であーだこーだやって閃き適正がある仲間を見つけ出すのが楽しかった。
ファイアボールLv2とフレイムウィップ、そして前皇帝から引き継いだ太陽光線と月光をメインに戦っていたはず。そこそこ杖に閃き適正がありいろいろと閃いた(削岩撃までだっけ?)。「ひょっ」とか「ふよっ」みたいな掛け声が可愛かった。
槍と大剣を修めた。大剣と槍使いが他に居ないからと正直それほど期待していなかったけど、水流剣や無無剣など便利な大剣技、一文字突きなどの強力な槍技を閃くいぶし銀の活躍だった。
クラスとして小剣が得意と言いつつ全く閃き才能が無くておいおいとなった男の子。ただその分、剣の才能にあふれており次々に強力な剣技を閃いた。特にみじん切りと濁流剣は中盤まで便利だった。
才女。小剣も剣も弓も閃き適正があり、めっちゃ閃きまくってくれた技のデパート。この時に閃いた技で後世まで含めて一番使ったのはマリオネットかな。
カンバーランドが帝国に下った証として傘下に入った大型新人。仮にも皇帝であるアルゴルよりも高い魔力を持ち、サイクロンスクイーズで敵を蹴散らしていた。実はアルゴルと同じくらいの杖への閃き適正があった。
カンバーランドを拠点とするホーリーオーダーがバレンヌ帝国の臣下となり一世紀、新たに帝国を率いる待望の次期皇帝はこのホーリーオーダーから誕生した。
新皇帝のアガタ帝は前皇帝の志を引き継ぎ、領土拡大のため草原地帯であるステップに進出した。そこで出会った草原の民ノーマッドから、七英雄が一人ボクオーンが地上戦艦でこのステップを荒らしていることを聞き、七英雄滅ぼすべしと帝国大学の軍師に協力を仰いで史上最大の囮作戦を敢行すると、親衛隊と共に帝国最強の突撃隊として戦艦に潜入した。
七英雄が一の策略家であるボクオーンとの戦いは苛烈を極めた。操り人形との同時攻撃をなんとかしのいだとしても、底力を出したボクオーンの悪夢のような波状攻撃に次々と仲間が倒れてゆく。だが、七英雄許すまじという意志の元で団結した帝国突撃隊の鉾は、最後にはボクオーンの人形の体を貫いた。
ステップを開放したアガタ帝は、続いてアリの被害に苦しむサバンナをも平定し、その歩みを止めた。ステップを平定する前にはメルー地方の各地に脚を伸ばし、退陣までの稼ぎをするかのように東西へ奔走したと伝わっている。せっかく作った人魚薬を試してみることができなかったのが心残りだったと臣下に漏らしていたと伝わっている。
四代目皇帝は妥協の上でホーリーオーダーを選択。皇帝選択でリセットしないという縛りをしていたのだが候補にろくなクラスが出てこず、三連続で術士系になってしまうのはマズいなーとは思いつつもまあいいかと。
アガタ帝時代の印象は、とにかくボクオーンがキツかったこと。後少しで勝てるというところまで行くのだけど、どうしても最後まで体力を削ることができない。これを十数回繰り返したと思う。ここまで厳しかった理由は複数ある。
1. ボクオーンの強冥地相を解除する手段がとにかく乏しかった。せっかく第二形態まで追い込んでも地相を解除できずに一気に回復されて詰みになることが多発。あっちは終わりなき人形劇を連発するだけであっという間に強冥地相にするのに、こっちは解除手段が気弾と太陽光線しかなかった。
2. オートセーブを信用しすぎて地上戦艦から外に出られないことに気が付かなかったことに起因する準備不足。ロケハンをしようと思ったのに、いろいろと術技を閃いたせいで引くに引けずとなった。一回アバロンに戻れば月光Lv.2があったので地相解除手段が増やせたのだが。
3. 見切りもパラメータも陣形も足りなかった。水鳥剣で後衛が薙ぎ払われ、マリオネットで鈍足キャラが利敵させられ、終わりなき人形劇で次々に低HPキャラが倒れる。地獄絵図だった。ちなみにこの戦いでアガタがソードバリアを修得した。
攻略中は何回も、なんでデカブツが三回も行動するんですかその細足じゃ折れるでしょ!とか、なんでたった二回ぽっち暗黒タコヤキアタックしただけで強地相になるんですか!とか叫んでた。突破するまでリアル数日かかったはず。一回敗北して新皇帝になったほうがアタッカーと月光ヒーラーに役割分担できてもっと勝率は良かったように思う。
高い魔力を活かしてとにかく魔法をぶっぱしていた。各地で合成術を発見したので様々な術を駆使していた。基本はサイクロンスクイーズ。ボクオーン戦では太陽光線でがんばって地相を解除していた(ただ解除できたかと言うと……)。フルフラットを閃いた武闘派。
ちなみにホーリーオーダー♀の見た目では、モニカみたいにお下げを肩に垂らしている方が好き。
前任者と異なり大剣に閃き適正がなかったものの、斧と槍に才能があった。特に斧技の閃きは抜群であった。対ボクオーン戦では大木斬、チャージ、稲妻突きなどでひたすら攻撃していた。最終的に高速ナブラを閃く偉業を見せた。
前世代が見事な体格に反して体術の才能がなかったのだが、今世代はいろいろと体術に閃き適正があったので採用した。ボクオーン戦での貢献およびとある技を閃いたおかげで本世代のMVPかもしれない。その技とはベルセルク。バーナルがタンク役をしてたおかげでソーモンの指輪を着けていたので、ベルセルク後に急に火力が上がってびっくりした思い出。ボクオーン戦ではタンク(ベルセルク)、火力(マシンガンジャブ)、地相解除(気弾)に大活躍だった。というか仕事が多すぎた。
ボクオーン戦では幻惑剣で人形のスタンを取り続けていた。意外に弓の才能もあったけど地上戦艦内でエルダーボウを取るまではずっとダートを使っていた。なお顔採用。
火・地術の使い手が欲しかったために採用。ボクオーン戦では金剛力でシーシアスのサポートやアースヒールで回復を担当していた。長期戦には何よりも優秀なクラスアビリティが必要であると教えてくれた人。
後半に前衛枠が空いたので投入。真空斬りを閃いた。予想以上にクラスアビリティが優秀で、後世でも何度もダメージコンバーターを使うこととなった。
砂漠攻略時に投入。見事バラージシュートを閃いた。クラスアビリティである撹乱の優秀さにこのとき初めて気が付いた。影ぬいとフェイントの成功率がエグく、ボクオーン戦でこれがあれば……と思った。
BP回復の強さをボクオーン戦で思い知ったのでアビリティーマスターのために投入。ストーンシャワーを閃いた。この術は貴重な地属性の全体攻撃として最後の方まで使うこととなった。
原初ミミック(リクチョウチンヤドカリの突然変異体)が宝箱に済み、そこで狩りを学習し、形質を超遺伝させ、宝箱型のリクチョウチンヤドカリ亜種が産まれた
変種か?https://jspp.org/hiroba/q_and_a/detail.html?id=5064
地域の魔協を介して口頭や作図によって魔法を行使するのは団体割引で安い(月に奇形の羊一匹ほどで済む)。脳内での上位空間との対話だと海外通信料、輸送量、特急料金で高くつく。1ヶ月の平均使用量をこれでまかなうと咲いた無花果、月を覆うシデ、四次元空間要素に巻き付くヤドリギなどを標準運河牛車2台分ほど要求される。
薬学は魔術の理性を象徴する。理性を持って真理を探求し、自然に魔力を見出す。薬草の組合せを間違えたら結果は伴わないし、再現性がある。
儀式は実際に魔法を行使する、人類の魔法獲得のイコンだ。ただでさえ不安定で無作為な魔というものに、厳密な手順を持って再現性を付加する。理のない魔法に理を植え付ける、ある意味での魔への冒涜。
さらに、その厳格な手順への冒涜として現代魔術がある。あらゆる手順を省略してリスク込みで即発動する、利便性を追い求めた、理論を置き去りにした応用技術。
物語風で口伝の呪術譚は各世代で自己訂正しながら長い時間をかけて変化していく。物語から導かれるべき呪文は、まるで暗号のようになる。千年前の協会は、このことすら見越していた。普及と暗号化を同時に行ったのだ。一方で原文は協会が保存している。これが民間と正式を分ける権威となる。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
オープンチャットで話された1週間分のチャットログを、トピック別に整理して要約します。
🍽️食文化
庄内駅付近のマクドナルドでピクニックを楽しむ話題(ナゲットの感想など)。
ラーメン屋の米の質や、ラーメン屋勤務の思い出話が共有された。
高校受験が難しくなっている背景に普通の高校の減少があることが指摘された。
子どもの特性や遺伝的能力を教育にどう活かすべきか議論された。
子育てや妊娠・出産が会社評価に影響するという指摘や、帝王切開・多胎妊娠のリスクについて話題になった。
生成AI(特にAnthropicなど)の台頭によりWebエンジニアの需要が減るのかどうか議論された(AIを活用できるエンジニアの必要性が強調された)。
Twitterのシステム設計(Ruby on Rails)が、ユーザー数増加を想定していなかった問題について話された。
MaaS(Mobilityas a Service)の実証実験が進んでいるが、現実的な運用が少ないとの指摘。
花粉症対策として舌下免疫療法を試している人の辛さや、抗ヒスタミン薬の併用が必要との意見。
ビタミンD、マグネシウム、亜鉛など栄養素が花粉症の改善に効果的と共有された。
プランク運動や、Habiticaなど習慣化アプリについて話題になり、習慣化のテクニック(嫌なことを10秒間だけ続ける方法)が紹介された。
メンタルヘルスの悩み(手の震え、職場ストレス、強迫性パーソナリティ)についての体験が共有された。
無印良品のオンライン購入待合室システムや混雑状況、購入の難しさへの不満が語られた。
残業時間(30時間、45時間超)の申請・計算について話題になる。
ディズニー映画(『リトルマーメイド』『わんわん物語』など)の評価が分かれ、思い出話が語られた。
漫画『望郷太郎』が話題になり、表紙と内容の差に戸惑いがあったことが共有された。
🚄交通・移動
JRのシステムが古く使いにくいとの不満や、新幹線のトラブルが共有された。
地方交通の減便や値上げ、高齢者向け電動モビリティ導入の可能性について議論された。
大阪の地下鉄の混雑や街の独特な雰囲気について意見が交わされた。
琵琶湖と瀬戸内海を運河で繋ぐ構想に関する過去の話題が取り上げられた。
楽天・SBI証券の口座で不正アクセスが問題になり、契約内容変更による責任逃れへの懸念があった。
結婚後の収入を共有財産として管理することの重要性が議論された。
お得情報に流されないことが心の豊かさに繋がるという意見があり、クーポン(2500円オフ)の共有も行われた。
楽天リーベイツなどお得なサービスについての意見が交わされた。
SNSリンクが多く共有され、最新のアニメ化やスポーツニュース、イベント情報などが活発に交換された。
民主主義を軽視する風潮や、政治家・インフルエンサーの影響力の拡大に対して批判的な意見が交わされた。
職場環境で静かすぎることへの不満から、音楽(特にアンビエントミュージック)の重要性が議論された。
ライブを観に行った感想が共有され、ロックバーの経営不振や音楽の質についても語られた。
🎈 その他の話題
冗談として「会社への爆破予告」発言が軽く交わされ、カジュアルな雰囲気で話が進んだ。
石丸伸二氏の躍進について触れられた。
🗒️ 全体の傾向:
チャットでは「健康」「食文化」「教育」「テクノロジー」関連の話題が特に盛り上がり、それに加えて企業やサービスへの批判的・分析的な視点が多くみられました。日常の些細な出来事や体験談を通じて活発な意見交換がなされています。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
江戸時代の江戸市内における馬の数については、具体的な統計データは残っていませんが、いくつかの資料からその状況を推測することができます。
江戸時代初期(1603年 - 1700年頃):
江戸時代を通じて、馬は江戸市内で重要な役割を果たしており、武士や商人、農民など、さまざまな階層の人々に利用されていました。
江戸時代の馬に関する詳細な情報を知りたい場合は、上記のリンクを参考にしてください。
江戸では馬の数が圧倒的に多かった。というのも、いざ戦陣という場合に備え大名や旗本などは家格や石高(こくだか)に応じ、ある一定の数の馬を飼っておく必要があったから、武家屋敷の玄関の横には「馬の口」という厩舎があり、そこでは馬の嘶(いなな)きが聞こえていた。
江戸時代の江戸市内における武士の馬の保有数については、具体的な統計データは残っていません
江戸時代の江戸市内では、乗馬に関して厳しい規制がありました。特に、身分によって乗馬が制限されていました。
これらの規制は、江戸の治安維持や風紀を保つために設けられていました。
江戸時代の乗馬規制について、さらに詳しく知りたい場合は、以下のリンクを参考にしてください:
江戸時代の農工商身分にとって乗馬技術・乗馬できることはどれほど一般的なスキルだったか
江戸時代の農工商身分にとって、乗馬技術や乗馬できることは一般的なスキルではありませんでした。以下にその理由を説明します。
1. **農民**:農民は主に農業に従事しており、馬は農作業や運搬に使用されることが多かったです。しかし、農民が馬に乗ることは稀であり、馬を使う場合は荷物を運ぶための手段として利用されました。
2. **職人**:職人は物を作ることが主な仕事であり、乗馬技術は必要ありませんでした。職人が馬に乗ることはほとんどなく、移動手段としても徒歩や駕籠(かご)が一般的でした。
3. **商人**:商人も同様に、乗馬技術は一般的ではありませんでした。商人は物資の運搬や商取引のために馬を利用することはありましたが、自ら馬に乗ることは少なかったですはなぜ差別された ...](https://nihonsi-jiten.com/shinou-kousyou/)。
江戸時代の社会では、乗馬は主に武士階級に限定されており、農工商身分の人々にとっては一般的なスキルではありませんでした。乗馬は武士の特権とされ、他の身分の人々が馬に乗ることは制限されていました。
はなぜ差別された ...](ttps://nihonsi-jiten.com/shinou-kousyou/): [士農工商とは](https://nihonsi-jiten.com/shinou-kousyou/)
江戸時代の武士以外は乗馬が一般的ではないので、物資および"馬自体"の高速な輸送はできなかったか
江戸時代の武士以外は乗馬が一般的ではなかったため、物資や馬自体の高速な輸送は難しかったです。しかし、江戸時代には他の輸送手段が発達していました。
1. **水運**:江戸時代の物流の中心は水運でした。江戸は河川や運河が発達しており、物資の大量輸送が可能でした。特に、廻船(かいせん)と呼ばれる船が全国各地から江戸に物資を運びました。
2. **飛脚(ひきゃく)**:飛脚は重要な文書や小荷物を迅速に運ぶための専門職で、江戸から大阪までの距離をわずか数日で走破することができました。
3. **陸上輸送**:陸上輸送も行われていましたが、馬車や荷駄(にだ)を使った輸送は限られていました。特に、江戸時代の街道整備により、物資の輸送が効率化されました。
これらの手段を組み合わせることで、江戸時代の物流は効率的に行われていました。物資の輸送は水運が中心であり、飛脚や陸上輸送が補完的な役割を果たしていました。
ウズベキスタンでは、アフガニスタンのタリバンが進めているコシュテパ運河の建設が戦争の引き金になるのではないかという懸念が高まっています。
この運河の建設により、アムダリヤ川の水量が15%から20%減少する可能性があり、下流に位置するウズベキスタンやトルクメニスタンにとって深刻な水不足を引き起こすと考えられています。さらに、ウズベキスタンとタリバンの関係が悪化することで、武力衝突の可能性も否定できない状況です。特に、ヘルマンド川を巡るタリバンとイランの間で起こった衝突が示すように、水資源を巡る対立が戦争に発展するリスクがあります。
しかし、ウズベキスタンは現在、外交的な手段を通じて問題解決を図ろうとしており、直接的な対立や軍事行動を避ける方向で進めています。このアプローチは、タリバンとの対話を維持し、地域の安定を図るための戦略とされています。
よく勘違いされるがアフガニスタンにおいてタリバンは政権担当者でしかない。
中国における中国共産党に近いし実権もあるが、これはあくまで国家全体の方針から逸れない限りの話に過ぎない。
実際アメリカの占領統治はここを蔑ろにしたから最終的に破滅した。
アフガニスタン(及び周辺の地域)にはジルガという制度があり、中央政府と独立して運営される地域の行政指針・司法がある。
その全体会議であるロヤ・ジルガは事実上のアフガニスタン最高権威であり、歴代政権や王朝も蔑ろにできなかった。
国家制度としての選挙制度は浸透しないのに、自主的に地域代表が集まり、不参加でも決定方針には概ね従うのだから近代統治からすればたまらない。
ちなみに地域コミュニティで1票の大原則があるため、一票の格差は凄まじく偏るので大都市は非歓迎的である。
そしてその弊害を大きく受けていたのが高度に組織化されていた北部同盟であり、ウズベク人や少数民族たちはアメリカの支援を受けてアフガニスタンのイスラム首長体制の破壊に協力することとなる。
アメリカの占領期間中はロヤ・ジルガの開催は低活発で参加も少なかったが、タリバンの復権により久しぶりに多くが参加し、タリバンの政権担当は概ね承認された。
タリバンの政策が(アメリカ)南部同盟的で前時代的なのは教義もあるが支援者によるところが大きい。
ところでロヤ・ジルガは意外と話がまとまる。というのも地域代表のコミュニティで採決するかどうかは別の話なので、紛争が発生しない限りはホイホイと賛成される。
タリバンが原理主義体制を実施します~~~賛成! となっても、自分とこではいけしゃあしゃあと勝手にやるのだからある意味無責任的でもある。
ケシ畑だけは燃やしに来たが、政府が動いて地域に介入するのは珍しい出来事である。
余談だがイスラム原理主義における麻薬はご禁制であるが、戦時中タリバンはジハードのために緩和した。
というのも栽培したアヘンはメキシコ経由でアメリカに持ち込まれるため、戦費を敵対国のアメリカから分捕れてしかも社会が悪化するので攻撃扱いになるからだ。
こういう法理で解禁したので、ジハードの終了に伴いケシ畑は焼かれた、のだが……。
問題はアヘン収入がないと経済の終わる貧しい地域の存在と、戦時中に獲得したヘロイン工場が残留している疑惑である。
この長い戦争およびアメリカによる近代化で、若干原理主義の強度が下がった。そしてアメリカを許していない。
その結果、アフガンはアメリカの麻薬戦争に参戦し続けている可能性がある。
アメリカの大麻緩和はこの攻撃を緩和する意図があると見られている(ミャンマーの増産も影響しているだろう)
今アフガニスタンのタリバンがコシュテパ運河っていう超デカい運河(全長285km、幅100m、深さ8.5mで、毎秒650立方メートル)を建設してるんだが
こいつはウズベキスタンが農業で使ってる母なる川アムダリヤ川から大量に導水するので大事になりそうである
ウズベキスタンは危機感を表明しているがタリバンは案の定聞く耳を持たず運河建設を続行している
運河のスペックは先ほどの通りだが具体的にはアムダリヤ川の総水量500億立方メートルの1/3から1/4の100億~150億立方メートルの水が流れ込む予定のため
特にウズベキスタンは綿花の生産が世界第6位のため綿の市場は大きく変動するだろうし(当然物議を醸しているウイグル産の綿花のシェアも上がる)
アフガニスタン側でどれだけ食料が生産できるかによるが食糧危機が起こる可能性も高い
またアムダリヤ川でピンとくる方もいるかもしれないがこの川は最終的に干上がりかけているアラル海に注ぎ込むわけで
「二度と行けないあの店で」(都築響一編)を読んでいる。
この本に収録されている、矢野優による「羽田の運河に浮かぶ船上タイ料理屋」を読んで、あれ、この文章に出てくるA君ってMidasさんのことじゃない?と思った。
詳細は書かない。どうしてA君がMidasさんかもって思ったかも書かない。
けど、読んでいて胸が苦しくなった。と言うか胸が痛んだ。失ったものが大きすぎることを思い出して。
「A君はやっかいな男だった。自分が関心を持った人間には友好的だが、そうでなかったら(ほとんどの場合はそうだ)露骨に見下す」
人生のあるひととき、わたしはMidasさんと毎日のように電話で話をしていた。
その頃のわたしは引きこもりの無職で、収入も貯金もなく、親から頼まれたおつかいのお釣りをちょろまかしてビールを買い、昼間からそれを飲んで親を激怒させるなどしていた。第三のビールとか発泡酒じゃなくて、一番搾りを飲んでいたのも親の怒りに拍車をかけていたな、それはこの話にはなんの関係もないけれども。
わたしの精神は淀んで腐りはじめていたけど、Midasさんと電話している時だけは必死に頭を動かしていた。だってつまらない会話をしようものなら、きっとMidasさんはすぐに電話を切ってしまうだろうから。
睡眠薬に頼らなければ眠れないほど眠りの浅いわたしだから、すぐに目が覚めて、折り返そうとしたのだけど、なんとなくめんどくさくてやめた。
それからMidasさんからの電話がかかってくることはなかった。
多分、Midasさんはわたしのこと、つまらないやつって思ったんだと思う。
朝の4時。
世間から非常識と言われるような時間の電話だって、わたしからの電話なら、あなたは出るべきだし、出られないならかけ直すべきでしょ、
そうでないと面白くない。
って思ったんじゃないかな?
矢野優が書いた通り。
わたしはMidasさんにとって、つまらない、取るに足らない人間になったのだと思う。
その後Midasさんと連絡を取っていた携帯はバッテリーが爆発しそうに膨張したので処分した。充電できなくなっていたので、電話帳のデータも消えた。だからもうMidasさんの電話番号をわたしは知らない。
ガラケーからスマホに変えるタイミングでわたしの電話番号も変わってしまったからMidasさんもわたしの電話番号を知らない。
今思うと、ガラケーのバッテリーを書い直して充電し、電話帳のデータをバックアップすることもできただろうけど、わたしはそれをしなかった。一度つまらないやつと思ったら、Midasさんは二度とその評価を覆すことはなさそうだから、諦めてしまった。
あの頃わたしの精神が腐って死んでしまわなかったのはMidasさんのおかげだと思っている。
元旦、ある人から逃げ出した時(あれは本当に命の危機だった…)はアンティークなベンツで秋葉原まで迎えに来てくれて、神奈川の片田舎のわたしの実家まで送ってくれた。Midasさんは、田舎の素朴なお雑煮やおせちを食べて(あれ、お口に合ったのだろうか…)当時仔犬だった実家の柴犬と沢山遊んでくれた。
感謝してもしきれないけど、だけどそう言う関係を、わたしは、わたしの怠惰で終わらせてしまった。
…もしかしたら、実家まで送ってくれた時に「あ、コイツ、ブスやな、ないな」と思って連絡しなくなっただけかもしれないけどw(わたし、男友達に「お前はブスやなー、俺が出会ったブスの中でも五本指に入るわ」って言われるぐらいのブスなんで…あ、その男友達といると自尊心低くなるのでもう関係フェードアウトしましたが)
ちなみに、あの年の元旦、Midasさんが沢山遊び相手になってくれたあの柴の仔犬は、今年の1月に16歳半で命尽きました。悲しい。あの子、男の人が大好きな柴犬に育ったけど、あの年の元旦にMidasさんに沢山遊んでもらったのがすごく嬉しかったからかな?と思っている。
長々とごめんなさい。
id:Midasさんがいなかったら今のわたしはいないです。多分死んでた。精神的であれ肉体的にであれ死んでた。
でも、わたし、なんとなく生きております。こんな穏やかな日々がわたしの人生に訪れるとは思わなかった。あの時Midasさんがわたしを救ってくれなかったらわたし死んでたから、あなたは本当に命の恩人です。
元soulfireより
「二度と行けないあの店で」(都築響一編)を読んでいる。
この本に収録されている、矢野優による「羽田の運河に浮かぶ船上タイ料理屋」を読んで、あれ、この文章に出てくるA君ってMidasさんのことじゃない?と思った。
詳細は書かない。どうしてA君がMidasさんかもって思ったかも書かない。
けど、読んでいて胸が苦しくなった。と言うか胸が痛んだ。失ったものが大きすぎることを思い出して。
「A君はやっかいな男だった。自分が関心を持った人間には友好的だが、そうでなかったら(ほとんどの場合はそうだ)露骨に見下す」
人生のあるひととき、わたしはMidasさんと毎日のように電話で話をしていた。
その頃のわたしは引きこもりの無職で、収入も貯金もなく、親から頼まれたおつかいのお釣りをちょろまかしてビールを買い、昼間からそれを飲んで親を激怒させるなどしていた。第三のビールとか発泡酒じゃなくて、一番搾りを飲んでいたのも親の怒りに拍車をかけていたな、それはこの話にはなんの関係もないけれども。
わたしの精神は淀んで腐りはじめていたけど、Midasさんと電話している時だけは必死に頭を動かしていた。だってつまらない会話をしようものなら、きっとMidasさんはすぐに電話を切ってしまうだろうから。
睡眠薬に頼らなければ眠れないほど眠りの浅いわたしだから、すぐに目が覚めて、折り返そうとしたのだけど、なんとなくめんどくさくてやめた。
それからMidasさんからの電話がかかってくることはなかった。
多分、Midasさんはわたしのこと、つまらないやつって思ったんだと思う。
朝の4時。
世間から非常識と言われるような時間の電話だって、わたしからの電話なら、あなたは出るべきだし、出られないならかけ直すべきでしょ、
そうでないと面白くない。
って思ったんじゃないかな?
矢野優が書いた通り。
わたしはMidasさんにとって、つまらない、取るに足らない人間になったのだと思う。
その後Midasさんと連絡を取っていた携帯はバッテリーが爆発しそうに膨張したので処分した。充電できなくなっていたので、電話帳のデータも消えた。だからもうMidasさんの電話番号をわたしは知らない。
ガラケーからスマホに変えるタイミングでわたしの電話番号も変わってしまったからMidasさんもわたしの電話番号を知らない。
今思うと、ガラケーのバッテリーを書い直して充電し、電話帳のデータをバックアップすることもできただろうけど、わたしはそれをしなかった。一度つまらないやつと思ったら、Midasさんは二度とその評価を覆すことはなさそうだから、諦めてしまった。
あの頃わたしの精神が腐って死んでしまわなかったのはMidasさんのおかげだと思っている。
元旦、ある人から逃げ出した時(あれは本当に命の危機だった…)はアンティークなベンツで秋葉原まで迎えに来てくれて、神奈川の片田舎のわたしの実家まで送ってくれた。Midasさんは、田舎の素朴なお雑煮やおせちを食べて(あれ、お口に合ったのだろうか…)当時仔犬だった実家の柴犬と沢山遊んでくれた。
感謝してもしきれないけど、だけどそう言う関係を、わたしは、わたしの怠惰で終わらせてしまった。
…もしかしたら、実家まで送ってくれた時に「あ、コイツ、ブスやな、ないな」と思って連絡しなくなっただけかもしれないけどw(わたし、男友達に「お前はブスやなー、俺が出会ったブスの中でも五本指に入るわ」って言われるぐらいのブスなんで…あ、その男友達といると自尊心低くなるのでもう関係フェードアウトしましたが)
ちなみに、あの年の元旦、Midasさんが沢山遊び相手になってくれたあの柴の仔犬は、今年の1月に16歳半で命尽きました。悲しい。あの子、男の人が大好きな柴犬に育ったけど、あの年の元旦にMidasさんに沢山遊んでもらったのがすごく嬉しかったからかな?と思っている。
長々とごめんなさい。
id:Midasさんがいなかったら今のわたしはいないです。多分死んでた。精神的であれ肉体的にであれ死んでた。
でも、わたし、なんとなく生きております。こんな穏やかな日々がわたしの人生に訪れるとは思わなかった。あの時Midasさんがわたしを救ってくれなかったらわたし死んでたから、あなたは本当に命の恩人です。
元soulfireより
もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事の書類ばかりとなった昨今。
でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。
書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。
生まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖の詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。
頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初の感想だった。普通に文章だったからだ。
調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで
「韻」という言葉もその時初めて知った。
井上靖の詩集を手に取ったのは、国語の教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。
というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初の詩集だった。
小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。
季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなものが短歌や俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。
特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平の短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉のニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。
幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。
自分の世界の表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。
例えば、雪という詩がある。
雪
―― 雪が降って来た。
―― 鉛筆の字が濃くなった。
こういう二行の少年の詩を読んだことがある。
みつけた詩だ。雪が降って来ると、
私はいつもこの詩のことを思い出す。
中学生の私は、なるほどと思った。
詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉のなかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。
鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。
当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。
いじけて他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。
ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。
山頭火は面白い。普通の俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。
定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌のエントリーポイントとなって、
しかし俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。
いつしか手にしていたのは、興津要の解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。
剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代の言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。
その後は巴毎晩組み敷かれ
木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代の川柳で妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい。
一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。
俵万智のサラダ記念日がベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。
例えば、こんな一首。
あさま山荘事件を起こした連合赤軍の幹部、坂口弘が収監中の東京拘置所から毎週のように短歌を朝日歌壇に投稿していた頃だ。
朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌の表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。
風花って知っていますか
渡辺松男と太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇をリアルにみていた人にしかわからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱が発酵すると詠んだりする太田美和。
実生活で恋をしていた私は太田美和の言葉に自分を重ね合わせた。
でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。
大学を卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。
生活が一変した。
書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。
世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。
山頭火も武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接と資格だ!という日々。
就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。
たまに思い出しては、現代短歌の最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。
若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。
それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。
そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。
思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分が死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。
中年になっていいかげん自分の限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。
―― 雪が降って来た。
―― 鉛筆の字が濃くなった。
この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖の感覚がとてもよくわかるようになった。
これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。
詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。
どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。
鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯な子供の姿を思い浮かべる、という
文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワインと食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。
ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種やビンテージ、気候土壌などさまざまな情報がある。
しかしワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのときの話題、体調などに大きく左右される。
水だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。
マリアージュという言葉があるように、ワインは一種の調味料として機能するため、食べ合わせは重要だ。
ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見のワインでしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。
逆に偽の情報を表現豊かに補完してしまえば、コンビニで販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。
ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的な規律として表現することはできない。
詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。
井上靖が「小学校の教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき、井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。
その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。
どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときのメンタル、いわば偶然の力だと思う。
渡辺松男と太田美和が並んで歌壇に掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。
失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会。
そのときに自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。
ところで、先日、Yahooの芸能ニュースをみていたら、TBSのプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人が俳句の先生から5点と酷評されたと報じていた。
消しゴムが 白き水面に ボウフラを
というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味を説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。
ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人の俳句が酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組の演出・脚本としてはそれがオチなのだろう。
演出もさることながら、これは、他の出演者の俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。
虹の下 クレヨンの箱 踊り出す
天王山 黒ずむ袖に 薄暑光
薫風や 隣の君と 教科書を
こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。
バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージで作品のクオリティが補完されてしまうのだ。
しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校の児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。
消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月の番組で文房具だからまだ気持ちはフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。
ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。
それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。
いいかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。
一方で白い水面(ノートの隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。
ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。
と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ。
ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。
また、どんくさいもの、弱者がボウフラというノート上のより小さい存在に視線をフォーカスする、という手法は小林一茶の方法とも通じるところがある。
番組の評者は、この芸人の俳句を酷評したうえ、次のような添削をしたという。
夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。
しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組だからね。
ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界は一種のルッキズムだ。夏休みとかいって勝手におめかしさせようとするんじゃねーよ。
そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつの動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語や川柳で身につけたものだろうから、ゆりやんの一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。
思考実験なので具体的に考えることにあまり意味はなさそうだけど、具体的に考えると…
柳橋周辺の運河沿いを22時以降に歩くと
...
ワイは流石にそこに手を出す気にはならんやで。
これって病気が怖いからなのか、サービスが最低だからなのか、事件に巻き込まれる可能性が高いからなのか、
それら全部なのか、どーなの?
マジレスしようかと思ったけど野暮やしワイも書くことにしたやで。
純金であることにやたらプライド持っててしかも何故か妙に気の強い女が多い。故に純金女はウザい。
純金に比べれば一本杉の方が人柄的にはおっとりしている割合が高い。
なお、言うまでもないが人柄的にマシな確率は金メッキと杉花粉の人の方が遥かに高い。
定期的に発生していた。
しかし名古屋駅周辺で最も分かり易くかつ雨風をしのげる待ち合わせ場所って現実的に他に無くないか?
なおスマホの普及によりそもそも「目立つ待ち合わせ場所」の需要自体が低下した結果、初対面の男女(マッチングアプリ、婚活、パパ活)の待ち合わせ場所に使われることが増えたという情報がある。
そういう目で見ると、いかにもな感じの女がけっこういる。
外国籍の「立ちんぼ」の人からめっちゃ声をかけられる。なおニューハーフの方がそれなりの頻度で混ざっているとの体験情報あり。
ワイは流石にそこに手を出す気にはならんやで。
こういうこと書くとめっちゃ煽ってくる他県民がいそうだけど名古屋走りは意外と普通。
普通というのは「だいたいどの地域でもこの程度のマナーの悪い車は普通にいるよね」という意味の普通。
ワイは本州四国は一応それなりに多くの地域を走ったことがあるが、「どの地方もそれなりに独自ルール的なものがあって危ない」というのが体感で、名古屋走りは極端に危ないわけではなかった。
まあ名古屋の場合では車の台数が多いせいで一部のアレな奴の絶対数が割合的に多くなってしまう、というのはある。
ヘルスって全国的にはデリヘルばっかになって店舗型は超少ないらしいのだが名古屋は店舗型ヘルス王国でめっちゃある。
なお馴染みのソープ嬢(名古屋ヘルス店舗勤務経験あり)に聞いたところ、ソープと比べてヘルスの客層・客質が異様に悪いらしい。
一昔前まで名古屋のヘルスは実質ソープと同じというか本番行為が横行していたせいで、今でも本番を求める客が多いとか。
所謂「中級店」「高級店」が無くて価格帯的には格安店・大衆店とカテゴライズされる店しかない。
ちなみにそんな名古屋ソープの中では「ニュー令女」と「インペリアル福岡」が2大ブランド店舗とされている。
別に大衆店でも良い嬢は探せばいくらでもいるのでソープ最高です。
2015年くらいまでは抜きありのチャイエスはけっこう探さないと無かったのだが、今では基本抜きありになったし店舗数も増えた。
てゆーか本番ありの店がそれなりにある。日本人メンエスと比べてマッサージの質自体が基本的に良いのでちょいちょい行っている。
出汁文化に慣れてる人だと名古屋の味って大雑把と感じると思う。
ただそれは裏返せば「分かり易く美味い味」ということでもあり、それぞれの良さがあるよ。
あと広い意味での関東・関西の中間地なので、それぞれの地方発祥の店があったりして、探せばそういう味も楽しめるというのが密かな売り。
ちなみに味噌カツの味噌というのは「味噌ベースのタレ」であり、味噌そのものをぶっかけてるわけではない(←意外と他地方民で誤解してる人がいる)。
そこまで激込みする路線、区間が少ないせいで(?)名古屋民は電車の奥に詰める文化を基本的に持っていない。
詰めなくてもなんだかんだ皆乗れるじゃんって雰囲気がある。これはガチ。
個人的には改善すべきだと思う。ただドア前さえ突破してしまえば妙に快適だったりもする。
100m道路とかあるしね。中部地方の田舎出身者が名古屋に来ると「片側5車線とか怖すぎて走れない」とか言いがち。
怖いなら右左折する予定地点のちょっと前まで真ん中車線走ってればいいだけである。
ちなみに95%くらいのドライバーはウィンカー出して車線変更しようとするとちゃんと譲ってくれるが、5%くらいは譲ってくれなかったりする(これが名古屋走りと言われればそうかも)。
知らない道を走ってる時に、安全のために左側車線走ってよーって感じで走ってるといきなり、左折専用レーン化するというトラップ。
この左折専用レーンって名古屋というか尾張にやたら多い気がする。他地方でこんなに左折専用レーンなんか見た事ねーぞ。
うっかりそういう事務所の前でハザードつけて電話してたら明かにカタギの人じゃないお兄さんから窓コンコンされて「移動してもらえませんかねえ?」て声をかけられてマジビビった。
私立中学があんま無いのと公立中学が全体としてはそこまで荒れてない(地域と学校による)ので私立中学に行く文化が無い。
デンマークといえば、みんな大好き「(植民地とかではない)メインの領土が大陸にあるのに首都が島にある」2か国のうちの1つだけど(もう1つは赤道ギニア)、確かに「現在の」地図を見れば、首都コペンハーゲンはずいぶんと端っこにあるように見える。だが、コペンハーゲンはもともと国土の中心にあった。現在のスウェーデン南部スコーネ地方はもともとデンマーク領だったが、17世紀に戦争でスウェーデンに奪われたのだ。つまりコペンハーゲンは、ユラン半島とスカンジナビア半島南端部というメインの2つの領土をつなぐ、ちょうど真ん中の位置にあったことになる。仮に東北地方がソ連に奪われていたら、東京はずいぶん国土の端っこにあるように見えるのではないだろうか。
言うまでもないだろう。仮に将来南北統一が実現したら、ソウルは統一コリアのど真ん中に位置することになる。
これも言うまでもない。独立当時のアメリカは東部の13州しかなかった。13州のうちの北部と南部のあいだの妥協案として南部に新しい首都が作られたが、地図を見ると、まあ、「真ん中よりちょっと南」の立地と評価できるのではなかろうか。
ソフィアはずいぶんと国土の西側に偏っているが、本来はそこが国土の中心になるはずだった。20世紀の初頭、オスマン帝国領バルカンに残されたマケドニア地方を周辺の3カ国が虎視眈々と狙っていた。セルビア語とブルガリア語の中間のような言葉を話すその地の住民を、セルビアはセルビア人と呼び、ブルガリアはブルガリア人と見做し、ギリシャはスラブ化したギリシャ人の裔であると主張した。二度のバルカン戦争を経て、その地方は主にセルビアとギリシャの間で分割される(このオスマン領マケドニアのうち、セルビア領になった部分が現在の北マケドニア共和国)。……そう、ブルガリアはマケドニアという果実を得られなかったのだ。仮に幻の「大ブルガリア」が実現していれば、ソフィアは「大ブルガリア」の中心部に位置することになっていただろう。
オーストラリアはもともと1つの国だったわけではなく、オーストラリア大陸に作られたいくつもの植民地が寄り集まって独立した国だ。独立するときに二大都市のシドニーとメルボルンのどっちを首都にするかでモメたので、その2都市の間に新しい首都を建設することにした。つまり、国土の中心ではないが、二大都市の中間に首都があるということだ。まあ、オーストラリアの文字通りの中心、人住めなさそうだもんね……
交通に便利なパナマ地峡に街(パナマシティ)が作られる→交通に便利すぎて街のそばに運河が作られる→アメ公が大西洋と太平洋をつなぐ運河の支配権を欲しがる→運河地帯の住民による独立運動を煽ってコロンビアから独立させる、という経緯で作られたのがパナマ共和国。つまり首都のまわりが国土になるように切り取られた国なので、国土の真ん中に首都があるのは当たり前なのだ。
ブラチスラバは国土の端っこにあり、立地的にはほぼウィーンである。スロバキアというのは、元々「ハンガリー王国北部でスラブ系言語を話す人たちが集住しているところ」に過ぎず、伝統的な行政区画を持っていなかった(これは「オーストリア側でスラブ語話者がいっぱい住んでるところ」に過ぎなかったスロベニアと同じ。この2つの国名が似ているのは偶然ではなく、両方とも「クロアチア」みたいに伝統的な地域名を持っていなかったので、それぞれが「スラブ人の土地」と名乗った結果なのだ)。それが第一次世界大戦のドサマギでハンガリーから分離したわけだが、当然「どっからどこまでがスロバキアか」という合意があるわけではなかったので、チェコスロバキアとハンガリーによる実力での分捕り合戦になった。その中で、「大都市(当社比)だし交通の要衝だから、スラブ人率は低いけど占領しとこうぜ!」となって占領されたのがポジョニ、のちのブラチスラバである。ブラチスラバはあまりに「国際色」が強すぎたので(20世紀初頭の時点で人口の4割がドイツ語話者、4割がハンガリー語話者)、国土の中心にあってスロバキア民族運動の拠点でもあったマルティンにスロバキアの首都を遷そうぜ! という議論が戦間期に行われたのだけれど、結局ブラチスラバが首都として維持された(ところで日本語版ウィキペディア、マルティンの記事名が「マルチン」になってるな。確かにスロバキア語ではtiと綴ると「チ」と読むけど、Martinみたいな外来語の場合は「ティ」の音が維持されるんだよ!)。
島国といっても、メインの島が1つなのか、複数なのかでだいぶ違ってくる。というのは、小さな島がたくさんある国だと、まずもって「国土の中心かどうか」というよりも「島のデカさ」で首都が決まることがありえるからだ。そりゃ、真ん中にある小島よりも、端っこにある大きな島に首都置きたいよね……典型的にはトンガとかがそうで、南端にあるトンガタプ島のヌクアロファに首都が置かれている。あるいは、「大きな島+小さな島」の組み合わせでできている国は、たいてい大きな島の方に首都がある。バレッタ(マルタ)とか、バセテール(セントクリストファー・ネイビス)とか、セントジョンズ(アンティグア・バーブーダ)とか、ポートオブスペイン(トリニダード・トバゴ)とか……(元増田が挙げてるニュージーランドは例外)
では、メインの島が1つしかない国はどうだろう? これなら「国土の中心」も定義しやすい……あれ、意外と首都の位置偏ってんな。元増田が挙げてるアンタナナリブ(マダガスカル。ちなみにマダガスカル語ではoと綴ってuと読むので「アンタナナリボ」は間違い)は確かに真ん中ら辺にあるし、ダブリン(アイルランド)やダグラス(マン島)やディリ(東ティモール)やアロフィ(ニウエ)やポートルイス(モーリシャス)やスリジャヤワルダナプラコッテ(スリランカ)もギリギリ真ん中辺りと言えるかもしれないけど、台北(台湾)もハバナ(キューバ)もキングストン(ジャマイカ)もレイキャビーク(アイスランド)もマナーマ(バーレーン)もヌーク(グリーンランド)もヤレン(ナウル)も島の端っこの方にあるな……首里、沖縄本島の中心都市として見ると南すぎるけど、奄美~先島までの琉球王国の首都として考えると割と中心に近くて草。
首都の立地はよくよく考えますよね。ここは盆地で長らく中央集権国家だったから真ん中に首都があるやろとか、端っこの部族が全土を統一したから首都は端っこにあるんだよとか、東部は原生林が多いから人口の多い都市は西部に偏ってるんだよとか、港町を中心に発展したんだよとか、そういうことを地図描きながら妄想するだけですごい楽しい……だから元の「首都が国土の中央部にないのはおかしい」っていうツッコミは全然理解できないっていうか、変な形の国作って変な場所に首都置くのが楽しいんやんけ、となってしまうよね……
Permalink |記事への反応(12) | 05:25
今現在、欧米を中心とした世界中の海運はパナマ運河とスエズ運河という2つの運河によって支えられている。今攻撃されてるのはスエズ運河の方。
普段、欧州とアジアを行き来する商船は地中海からスエズ運河を抜けて紅海に出るわけだが、ここが通れないのでアフリカ大陸をぐるーっと迂回せざるを得ず、通常より14日ほど余計に時間がかかってしまう。
そんだけ時間がかかれば普段より余計に燃料も水も補給しなきゃならない。船員が病気になりゃアフリカから帰す手配もしなきゃならない。ようは到着が遅れるのにカネもかかるのである。
「クォンタム・ファミリーズ」は並行宇宙から流れ込んできた情報をきっかけに物語が進む。自分の娘と名乗る相手から受けたメッセージを手掛かりに、作家である主人公はもう一つの世界に入りこむ。そこでは妻との関係も良好で、作るのをためらっていた子供もいる。自分は作家ではなく、ブロガーで政治活動をしてコミュニティを作っているらしい世界に適応していこうとするが、さらにほかの世界が絡まってきて……というお話。
「クリュセの魚」は未来の火星を舞台に、自分と同じ日系人の優しいお姉ちゃんとの出会いから始まるおねショタに見せかけて、お姉ちゃんが今は亡き日本国に関するとんでもない秘密を抱えていたっていうお話で、さっき書いた「日本沈没」の精神的な続編というくだりから思い出した。舞台は遠い未来で、日本という国家が他国に吸収されてアイデンティティが失われているからだ。
「走馬灯のセトリは考えておいて」はVtuber小説なんだけど、「接続された女」みたいな暗鬱な感じじゃなくて、現代の推しの文化を肯定的に描写していて楽しい。
「ヒト夜の永い夢」は仮想の昭和史もので、意外な人物が意外な形で出てくるので歴史を知っていると深刻なストーリーなのに笑ってしまう。登場人物が男性に偏っているのは往年の少年探偵団へのオマージュだろうし、だから世界の謎が女性の姿をしている。下ネタが多いのは「屍者の帝国」との差別化だろう。
この人は創元SF短篇賞出身の中でも頭一つ抜けている。どれを読んでも大体面白いんだけど、まずはグロ描写もあるけど最初の「盤上の夜」と、あえてユーモアSFである「超動く家にて」をおすすめしたい。
さっき「allo, toi, toi」を紹介したけど、「BEATLESS」が面白かった。人工知能・機械の女の子と主人公の男の子という手垢のついたようなモチーフなんだけど、女の子のほうがあくまで自分は人間ではなく機械だと一貫して主張し、責任を取るのはあなただという。これはシンギュラリティを迎えたAIが人間との信頼を築く話なのか、完全に人間を手玉に取っているのか、みんなはどう読む?
「あなたのための物語」は末期がん苦痛の中で孤立し、尊厳もなく死んでいく描写が冒頭にあり、なぜそうなったかが作中で語られていくのだが、二度と読み返したくないほど壮絶。
サイエンスを信じているという意味では藤井太洋も候補に入ると思うんだけど、あまりにもオプティミスティックなのと、意識の高さと言うかビジネスの描写が面白いとは感じられなかった。今までの日本のSFでは見られないタイプだし、優れているんだけど肌には合わない。
あと、ミシェル・ウエルベックのとある作品が人類の未来を描写するんだけど、ジャンルがSFってことを言うとネタバレになるからどれかは言えない。
ちなみに今読んでいるのがフレドリック・ブラウンの全短編集で、星新一の源流の一つなんだけど、自分は最新のSFと古典SFを交互に読み、それに飽きたら純文学に走り、さらに飽きたらノンフィクションをぶっ通しで読むという癖がある。
読書系の増田を書くと普段ブクマしない人が来てくれるので楽しい。
(翌日追記:平野啓一郎も「ドーン」ってSFを書いていて、政治色が強いけど面白かった)
そういえば「竜の卵」いいよね。civilizationのゲームといい、小泉八雲「安芸之助の夢」といい、僕は箱庭系の世界が好きなんだ。コンウェイのライフゲームをぼーっと見ているのも好き。
全然関係ないけど、キム・スタンリー・ロビンソンの「火星三部作」で、火星の大地を巨大レーザーで照射して運河作っちゃうシーンが好き。
また早川書房翻訳SFファンタジイ編集部のツイッターに捕捉されてて吹いた。これが推しに認知されるってやつだろうか?
ブクマが700まで行った。どひゃー。
そういえばブコメで女性で宇宙を書く作家多いじゃんって突っ込まれてたけど、ここ数年を含めると確かにヒューゴー賞・ネビュラ賞も大きく顔触れが変わっているね(アメリカでは受賞者の多様性をめぐって大きな議論があったんだけどそれ以来)。基礎資料に当たってなかったのはまずかった。
どうも僕は最新の文学を追うというよりも、数十年単位で物事を見ている傾向にあり、というかここ三十年を最近とみなしているところがある。これが歴史に対する興味由来なのか、僕の年齢のせいなのかはわからない。
確かにたくさんの作品を薦めすぎてしまったようだ(前編で書いた条件で絞りはしたものの、それ以外のものを含めればいくらでも薦めたい作品があるし、漫画だってある)。それでも、ふと思い出したのがJ. J.アダムス編「黄金の人工太陽 巨大宇宙SF傑作選」で、「三体」が好きな宇宙ヤバい系で短編なので手に取りやすいんじゃないかな。
なんで小松左京「虚無回廊」が出てこないのかっていうと、一時期逆に大きなスケールの物語に対する興味が薄れてた時期があるのだ。それを好む自分が「三体」で久しぶりに呼び覚まされたのだ。
ではまた。