
はてなキーワード:運動音痴とは
俺の辞書にはこう書いてある。
同時に「②現代における非差別階級。③運動音痴、コミュ障、童貞、アスペルガーといった性質を持つ人間の総称④同人イベントの参加者」といった意味も続いている。
よく言われる「何かを突き詰めた人」というのは「マニア」として俺の辞書には書いてある。
「オタク」が「マニア」の別称として使われていた時期もあるが、それらの意味は一般的なオタクが「狭く深く」から「広く浅く」へと変わっていく過程で「オタク」の定義から離れていった。
今のオタクはどこまでも広く、そして浅い。
劇場アニメのレビューにハムレットを引用するが、自分が直接触れたことはなくゲームやアニメで引用された際にSNSで元ネタとして聞かされた朧気な記憶を頼りに「知っている」と言い張る部類の人種ばかりだ。
ガンダムの話題になるとAMBACを引用するが、直接その歴史を紐解くこともなくネットやプラモ雑誌の知識をコピペするばかりだ。
どこまでも薄く、どこまでも拡がり続ける、それが現代を生きるオタクのニワカ知識マウント合戦だ。
dorawiiより
-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20251121181706# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaSAuFAAKCRBwMdsubs4+SCe8AP9M4DOU8byLw74yyKQ3AlM3uOwSjCW8u9X2U+t55wRsrwEA9SklXR1Rht7zQ2sLWhw3wKbTKOSyQa8dZc5cR5zzQg4==A2hU-----ENDPGP SIGNATURE-----
というかアクションゲームも苦手で、なんていうか頭使いながら操作してるとすぐパニックになって自分が何やってるのか分からなくなる。
昔から突発的に何かをやりたくなる衝動に走るんだけど、多分その一つ。よくいるよね、おとなしそうで行動力だけは変なとこでつき出るやつ。
ダンス教室はgoogle検索で地元の地名+ダンス教室で検索して一番上に出てきたところを選んだ。
正直社会人から運動始める場合、筋トレとかキックボクシング、マラソンとかが多いと思うんだけど、あえてダンスを選んでみることに。(多分逆張り癖がある)
こんな感じ。(動画)
https://www.youtube.com/watch?v=bT8jhI79s0w
正直やった期間の割に上達してなくてたまに虚しくなる。
最初は100点満点中の0点だったのが、やっと15点ぐらいになったかなという感じ。
ダンスにおいて以下3が重要っぽいんだけど、どれもなかなか成長しない。
「止めができるか」
あと、ポーズというかシルエットがなんとなくダサくて、かっこいい身体の使い方がまだまだ分からない感じ。
来る人は毎回バラバラだけど、だいたい4人~10人ぐらいいる。
2024/12に入会して、週1で1コマ90分程度。夜8時半からなので仕事終わってからできる。料金は1回2000円程度。
これが一番かもしれない。周りは子供ばかりだけど大人の自分が圧倒的に下手という環境に居続けるのは結構つらい。
会社では中堅の立場で、部下や他部署に偉そうに(笑)指示を出したりしてるけど、ちょっと世界がかわるだけで自分のミジンコさを実感するので、世の中謙虚かつ強く生きなくてはという心構えがつく。
あと、全然上達しなくてかつ仲間がいなくても続けるって行為がメンタルトレーニングになってる感がある。
2.学生時代に戻った感じなる。
うちのダンス教室は、ちびっこが結構先生に注意されたりする。(さすがに社会人には対しては敬語だけど)
それがなんか昭和の部活っぽい感じがあって、学生時代に戻ったようなエモイ感覚を味わえる。
3.運動習慣がつく
言わずともって感じ。でも体力が全然つかない。10分ぐらいの基礎練習ですでに汗かいて息があがる。
週3ぐらいで、10分ぐらいの基礎トレをやってる(体の一部だけ動かすアイソレーションという練習だったり、リズム感を鍛えるためのトレーニングだったり)
あとは、ダンスの振り付けが毎週変わり、かつレッスン内では絶対振り付け覚えられないのでその復習。ダンス教室で許可をもらってスマホで撮影して、家で動画を確認して先生の振り付けを復習する感じ。これが一週間で2時間ぐらい。
1.ダンス教室前になると「あー行きたくない」という感情がたまに湧いてくるんだけどこれを乗り越えることを目標?生きがい?みたいのにする。表現難しい。
なので多少体調悪くてもいく。だいたい動いているうちに興奮してアドレナリンが出てきて自分の体調の悪さを忘れる。
2.自分の下手さと向き合わない。
具体的に言うと自分の動きをいろんな角度から撮影して、どこがダメとか研究してみたり、1対1で指導うけたりした方がうまくはなると思うけど怖くてやってない。
これが正直上達しやすさを阻害していると思うんだけど、自分の下手さと真正面に向き合うって結構精神に来るんだよね。
それでやめちゃうぐらいだったら、だらだらと続けた方が運動にもなるしいいよねって考え。でも上達したいという気持ちはある。
ここの加減って難しい。ネトゲでいうガチ勢とエンジョイ勢の葛藤みたいな。
どこでもいいから、なんか残して反応もらいたかった。ちなみにはてな匿名ダイアリーを使うのは初めて。
長文を久々に書いた気がする、なんかルールに引っかかってたらすみません。指摘してくれたら直します。
ダンスの技量目線でいくと、多分週1の頻度だと練習量が足りないので、大人が0からスタートして1年ぐらいで十分な成果を出すには週3ぐらいの頻度で習わないとだめだなと思った。
でもそこまでの気力は続くか微妙そうなので、3年ぐらいかけてちょっと動けるぐらいになれればいいのかな~。
それでもダンスの技量以外でも得られたものは大きいので、このまま続けるつもり。
何か新しいことを始めて続けるってだけで日常の楽しみ方が変わる気がする。
なんか初めての記事だったけどめっちゃ反応きてた!うれしい!!みんなありがとう!!
Permalink |記事への反応(21) | 16:40
子供の頃から、足は遅い、リズム感はない、身体は硬いという典型的な運動音痴で、体育は嫌な思い出しかない。
ただ運動神経はくっそ悪いが体力にそこそこ自信はあったので、風邪は4〜5年に1度くらいしかかからず、仕事で徹夜して仕込んでも、ハードに遊んで翌日仕事とかも結構平気だった。
それが去年くらいからガクガクっと崩れた。
調理講師をやってるので、終わったら片付けするのだが、一息ついて椅子に座ると1時間くらいぼーっとしてしまう。
買い出しした後も、疲れて横になりたいと思うようになってしまった。
決め手は、昨年末に風邪とインフルとコロナを3連発で罹ったこと。これは完全にダメだなと。
その後の年末の健康診断では、数値は中性脂肪は悪かったがそれ以外は大丈夫だったので、状況を相談してみた。
先生からは『年齢的な体力の衰えですね。仕事柄、食事の調整が難しいなら運動で対応しましょう』と言われた。
ちょうど歩いて2分のところにあった薬局が潰れてセミパーソナルのジムが出来てたのを思い出したので、体験に行ってみることにした。
1.体力の低下をなんとかしたい。仕事で前みたいに動ける身体を取り戻したい。
2.食事は仕事の研究も兼ねるので、ほぼ外食。制限できるのは朝ごはんくらい。
3.年齢的にモテたいとかも全く無いので、痩せとかカッコいいボディとか求めてない。
で、わかりました。とメニューを組んでもらった。
飲食やってる人間が鍛えておくと楽になる大きい筋肉(尻と太もも周り、背中と肩)を中心に鍛える内容にしてもらった。
有酸素は多分まだツラいと思うので、ある程度筋肉ついてからやりましょうとなった。
運動神経ゼロの人間が続くのか不安だったが、歯医者の予約方式で行ったら次の予約を取らされる。
これが上手くいった。予約キャンセルするのがめんどくさいのだ。
24時間いつでも通い放題のジムだったら多分、仕事やらなんやらに、かまけて通えてなかったと思う。
そんなわけで1ヶ月通ってみた。
最初の数回はバキバキの筋肉痛で筋トレ後はおじいちゃんみたいにヨボヨボ。
脚が痛い、ケツがいたい、背中が痛いとずっと愚痴ってるので家族に嫌がられた。
が、5回くらい終わった頃変化は現れた。
いつも通り講義を終わらせて片付け終わらせた時に気づいた。
あれ?なんかまだ1時間も経ってない。
ジムの後の疲れと比べたらなんて事無かったので、休むのを忘れてそのまま動いていた。
3ヶ月経つと、今度は会う人に「痩せました?」とか「引き締まりました?」とか言われるようになった。
実際は体重は2〜3キロ増えたのだが、顔回りと腹回りがスッキリしてきたような気がする。
鏡の前に立つのが楽しくなり、マッチョの気持ちが少しわかるような気がしてきた。
ジムでは隔週くらいでウエイトを上げられたりメニュー強度が上がったりで終わった後の筋肉痛は相変わらずだったが、前より翌日に引っ張らなくなった。
それから8ヶ月。体重はジム通う前より2キロ増えたまま全く動かないが、昨年着てたTシャツがムチムチで入らなくなった。
疲れも30代の頃に近い感じで動けるようになった。
ただ酒や食べ物は45歳の食欲のまま。深酒はキツいし脂ものもあんまり食べられない。
それでも娘と海外でフルに遊べるようになったし、夏のアウトドアとかも楽しめるようになった。
最近気づいたことは、自分は運動が嫌いなのではなく、運動下手を恥さらしにされたり、チーム球技で戦犯にされるのが嫌なだけだったんだなということ。
先日、今年の健康診断を受けてきたが中性脂肪は下がりウエストも2.5センチ縮んだ。
思い出のほとんどが、それに関してのみ。
約四半世紀前のことであるが、暇なのでいろいろ綴っていこうと思う。
「大人(っぽい)」 「制服」 「青春」 「怖い先輩がいる(いそう)」
「給食ではなくなる」 「定期テストがある」 「授業に英語が加わる」など。
非常に大きな、そして大切なステップのように感じていた。
私はその地域の8~9割の生徒がそうしていたように、
このS中学校へは「C小学校」と「H小学校」の2校から進学していた。
どのような経緯であったかはよく覚えていないが、私はソフトボール部に入部した。
小学生の頃に母親がママさんバレーのソフトボール版のようなことをしていたため、
他のスポーツに比べて少しだけ身近に感じていたところはあった。
別にスポーツに取り組みたかったわけではないし、他にも運動部はあったのに。
子供会の延長のような感じで、友人と、じゃあ…入る?みたいな、軽いノリだったと思う。
その友人の母親もママさんバレーのソフトボール版のようなことをしており、交流があった。
集まった同学年の女子の「C小学校出身者」と「H小学校出身者」の比率は半々くらい。
出身小学校に関わらず徐々に打ち解け、チームメイトとなっていく。
入部したのは10名くらいであったが(最終的には7名になった)、1名を除き、未経験者だったと思う。
その1名は、小学生の頃に女子でありながら地域の野球チームのようなものに加入しており、
私はグローブもバットも使ったことがなく、ルールやポジションも知らないド素人であったが、
顧問の先生や1学年上の先輩方に丁寧に指導してもらいながら基礎を身につけていった。
先輩方は当時8名であり、先輩方に同学年の経験者のチームメイトを加えた9名がレギュラーであった。
1学年上というだけでこのようにあまりにも違うのかというほど、皆、女子としても、プレイヤーとしてもかっこよかった。
5時頃:起床
6時頃:学校へ到着
6時半~8時頃:朝練
昼休み:昼連
はっきり言って現在の会社員としての就業よりも過酷な生活であった。
週末も練習や練習試合の連続であり、休日にゆっくり休んだ記憶がほとんどない。
中学生の途中で週休2日制が施行されたが、土日のどちらも遠征して練習試合だったこともある。
小学生の頃は太り気味であったが、みるみるうちに瘦せていき、生活習慣も体も運動部に馴染んでいった。
また当時は日焼けや紫外線の対策を碌にしておらず、本格的な夏が来る前には焼けていた。
元来の性格のためか、取り巻く環境が原因かは定かではないが、ものぐさであり、いつ頃からか内心嫌々取り組んでいた。
ただ時間まで何となくやり過ごす日々の繰り返しであり、自分の意志で部活を選択したのに、なんとも情けなかった。
特殊な環境かつ人数もさほど多くなかったため、チームメイト達とは距離が近く、関係性もおおむね良好であった。
数少ない余暇の時間も共に過ごし、よく愚痴をこぼしていたが、私とは違い、皆名プレーヤーだった。
皆と同じように教わっていたはずだが、基礎が身に付く以前からそもそも運動音痴でセンスがなかった。
一時期、伸びたと褒められた時期もあるにはあったが、全体的にパッとしなかった。
私は根性なしのうえスキルもない、だたのポンコツ部員だったのだ。
しかしチームメイトは除け者にせず、一部員として好意的に接してくれていたので感謝している。
顧問の先生(男性)は当時、現在の私と同じくらいの40前くらいだったと記憶している。
とにかく熱血で、良く言えば指導熱心、悪く言えばスポーツ○カのような人だった。
何代か上の世代は市だか県だかのそこそこ上位まで登り詰め、
『S中と言えばソフトボール部』などと言わわたとか言われていないとか。
指導者としてもプレイヤーとしても、その腕前はピカイチであり、
当時、抜群のプレーに皆が魅了されていた。
基本的に昼休み以外の練習に同行しており、非常に勤務時間が長かったと想像されるが、
なぜ顧問というだけで部活動にあれほど時間を割いて打ち込んでいたのか謎である。
やはり熱心だったのだろう。
しかし、そのような熱血顧問にありがち(!?)で、当時ビンタされる機会も少なくなかった。
その痛みは頬のみならず顔全体の感覚がなくなるほどであり、口の中を切ることもあった。
特段、感情的な人ではなかったと思うが、指導として叱責される機会が多く、基本的には畏怖の存在であった。
またどのようなトレーニングを積み重ねてスキルを習得したのか、
大人になった今、問うてみたい気もする。
●先輩方
先輩方のことは、女子としても、プレイヤーとしてもかっこよかったと表現したが、
部活外の時間に校舎内で顔を合わせた場合、後輩から「こんにちは」等の挨拶をするが、
ほとんどの場合にっこりと朗らかに「こんにちは」と返答されるため、こちらも非常に嬉しい気持ちになった。
同行していた別の部の友人からは「すごく優しそうな先輩だね」等と言われたものだ。
しかし部活の時間になればたいていピリピリしており、部活外の時間のような微笑みは基本的に皆無。
穏やかな時もあれば、感情的に振る舞うことも多く、鬱憤が溜まっていった。
うちの部は、私の2つ上の学年(3年生)が不在だった。
夏頃までは3年生が在籍しているのが一般的であるが、うちの部は2年生が天下。
その日の機嫌次第でぞんざいに扱われることもしばしばあった。
はっきりといじめやしごきのような、直接的に個人を攻撃することはなかったと記憶しているが、
端的に言うと「1年は使えない」と言った感じだ。
空気を読むことが苦手で気も効かない私は、適切な対応がわからず謝罪の連続であった。
表面上は敬うフリをしていたが、内心はうんざりしていた。
「先輩ってどんなことで怒るんですか?」とすっとぼけた質問をして、
「それは聞くことじゃないよ」と呆れられたこともある。
別の部の友人とコンサートに行く約束をしていたが、正直に理由を告げて練習を休みたい旨を伝えると、
先輩達は「コンサートってありえなくない?私も○○のコンサートに行きたかったのに」と陰になっていない陰口を言っていた。
(先輩は別のアーティストを指しており、私が行くコンサートに先輩が落選したためやっかんでいたというわけではない)
聞こえよがしの陰口を察した私は、「すみません…もうコンサートに行きません。練習に出ます。」と申告したが、
「いいよいいよ、行ってきなよ、楽しんできてね」とのたまった。
お言葉に甘えて(?)私は堂々とコンサートに行き全力で楽しんだ。今でもそのコンサートは思い出深い。
ポンコツでありながら無遠慮な図々しさと、聞こえよがしの文句を記憶している執念深さを持ち合わせているのだ。
中には親類の葬儀関連や帰省が理由であってもチクチク言われていたチームメイトもいる。
・先輩が荷物を持っていたら代わりに持つ
・キャッチボールは先輩のグローブを持って相手をしていただくようお願いする
・キャッチボール中に先輩がボール捕れなかったら走って捕りに行く(こちらの暴投が原因)
・先輩は体操着の袖を捲ってもよいが、後輩は不可
・各々の家を把握し、同じ方向の人と下校する
・年賀状を交換する
・部活中、校庭は歩かない
・校庭にボールが落ちていた場合(仕舞い忘れ)、ペナルティで1球につき校庭10周
・整髪剤、制汗剤の利用不可
・全校朝礼の設営準備や後片付け、撤去等を行う
・校舎内の部屋の引っ越しを手伝う
・校舎裏の泥やヘドロを取り除く
一般的な運動部として当然なルールもあったが、当時も今も「?」と感じることもある。
幼少期の他に、この部活で培った様々な経験も、人格形成に大きく影響を与えたと思う。良くも悪くも…
他の部の友人たちは、うちの部ほど過酷ではなかったと想像する。実際は不明だが、おそらく。
先輩と談笑したり遊びに行ってプリクラを撮ったりしている様子は信じらない、うちの部ではありえないと当時思っていた。
部活という特殊な環境で、人間関係を築く上で大切なことを学んだ。
他人に決して心を許してはならない、油断してはならない。
今でもたまに当時の部活の夢を見る。
正直なところ、提示されたすべての特徴に完璧に当てはまる人に向いている仕事を見つけるのは、かなり難しいと言わざるを得ません。しかし、これらの特徴を分解して、それぞれをカバーできる可能性のある働き方や環境を考えてみました。1. 柔軟な働き方まず、「対人恐怖症で人とのトラブルが多い」という点から、人との接触が極端に少ない仕事が考えられます。また、「単純作業が続かない」という点から、決まった場所や時間で働くよりも、自分のペースで仕事ができるフリーランスやアルバイトが選択肢になるかもしれません。2.短期的な仕事「単純作業が続かない」「忍耐力がない」という点から、一つのことを長く続けるのではなく、短期間で完結するプロジェクトや、日雇い・単発の仕事が向いている可能性があります。様々な仕事を経験することで、飽きることなく続けられるかもしれません。3. 怒りやすさやガサツさを活かす「怒りやすい」「ガサツ」という特徴は、一般的には仕事でマイナスに捉えられがちです。しかし、これがエネルギーとなって、短期間で結果を出す必要がある仕事や、**「テキパキとこなす」**ことが求められる仕事では、意外な強みになる可能性もゼロではありません。残念ながら、すべてを網羅するような特定の職業を挙げるのは困難です。しかし、「特定のスキルや経験がなくても始められる仕事」、「自分のペースでできる仕事」、**「短期間で完結する仕事」**という観点から、ご自身に合った働き方を見つけるのが良いかもしれません。ご自身の特徴を無理に矯正するのではなく、それらの特徴とうまく付き合えるような仕事の選び方や働き方を見つけることが、最初の一歩になるのではないでしょうか。
Geminiでさえも「かなり難しい」と言われるほど、
17歳から不登校でそのまま引きこもりで人生で1回も働いた事がなく31歳になってしまった男。(発達障害などの先天的な持病無し。)
凄い。
そこに気づくとは。
天才だ。
でもそうだよな。
普通の人がノー勉で80点取れるような現国の試験が何故わざわざ行われるのか。
それはごく一部の異常な人達が「必死に勉強して赤点にならないように頑張る必要がある」からなんだよな。
人類の過半数が成長過程で自然と備える能力と言っても、それを身につける才能や環境に恵まれなかった人には特殊能力なんだ。
音痴、運動音痴、KY、料理下手、サイコパス、色々な基礎技能の取りこぼしがあるから学校でそれらを教えるってことだ。
俺達はそれを指さして「鬼滅を持ち上げてる人達ってこのレベルの話もろくに理解できないような連中なんすね。そりゃまともなガキは一緒にされたくないから鬼滅卒業宣言するわ」と言ってはいけないんだ。
俺だって英語の授業が「apple」を「アポー」と発音させる所から始まるのが「L・Rの発声」と「ら行の発音」の違いに繋げる伏線だったことに気づくのに20年ぐらいかかったし、まあ人間の読解力ってそういうもんなのかもな。
たびたびXで話題になるよね。
ずっと言われているのに、なぜ改善されないのか。
このすべての当事者なので、言える範囲でどうしてこうなっているのか説明しようと思う。長いです。
まず、小学校の体育について。
学習指導要領にて、学校で教える大まかな内容は全国で統一して決められている。多くの場合、小学校では、体育は実技中心になっている。細かな授業内容は、学校ごとに決まる。
例えば、ざっくりと「〇学期のこの時期は、走る動きの運動をさせる」と決まってて、学校の規模や設備などによって「じゃあリレーをやろう」とか「シャトルランやろう」とかはある程度担当の先生に委ねられる。
ここで信じてほしいのが、ほとんどの教員は子どもが楽しそうにしている顔が好きで、体育も算数も音楽も好きになってほしいと心から願っている。そのために校庭の石も総出で拾うし、汗だくでワックスもかけるし、破れたマットも縫う。
でも、実際には子どもが生き生きしていれば良い成果というのではなく、出来に応じて成績をつけらければならない。
そして、表向き学校の通知表の評価というのは、本人の伸び代を見る絶対評価とされているけど、実際は◎、〇、△の割合はどの学年もだいたい同じになるように示し合わせる相対評価の側面も大きい。授業の中で指導しながら、よくできている子とできていない子を判断し、記録する必要がある。
それを踏まえて、現状はこうだ。
教育系の大学を出て教員になる人のほとんどは、体育をやったことはあっても教えたことはない素人だ。大学の実習でも、体育専科とかでない限り、がっつり主導で体育をやることはまずない。そのまま現場に担任として放り出される。学年にもよるが、小学校担任は一日に5、6時間ほぼ全教科を一人で教える。週に26〜28コマくらい授業があるうち、体育は3コマほど。どうやって授業のやり方を学ぶかというと、いろいろやり方はあるけど一番は先輩教員のまねをすること。でも、大抵はその先輩教員も、さらに昔の誰かのまねをしている。情報はなかなかアップデートされないし、したくても現場で受け入れられるかも分からない。
さらに、小学校の授業は45分間。体育は前後に着替えさせる必要があり、メインの運動とは別に準備体操、器具の準備や片付け、暑い時期なら水分補給や休憩をはさむ必要もある。実働時間は30分前後のことも多い。
限られた時間と人手の中、最大35人の子どもの相手をする(しかもここには特別支援学級在籍の児童はカウントされないため、彼らを加えて実際は40人超えになることもある)。
少子化なのに、配慮の必要な子は増える一方。日に当たらないようにしてほしい。過去にトラブルになったことのある子とは、同じチームにしないでほしい。着替えは別室にしてほしい。頼まれたら、やらない訳にはいかない。親が「そうしないと子どもがつらい」というのなら、動かざるを得ない。
その中で、安全とそれを守るための規律を保ったまま、どれだけのことができるのか……働き始めてウン年、業界的にはまだまだひよっこだが、先輩を見ても正解は正直分からない。
少なくとも、運動が苦手な子が見世物になるような内容は正しいと思わない。が、「チームスポーツで足を引っ張る」とか「もっと健康や命を守ることに繋がる内容を」とか「根性論ではなく技術面を」とかは、今の人員ではまあ無理だと思う。
体育の時間は、個々の自由度が高いこともあり、全員怪我なく揉めずに終わることで精一杯だ。たまにそれすら失敗するし。
持久走でビリになったこと、最後まで逆上がりができなかったこと、ミニサッカーではパスももらえないこと。自分の幼少期にも覚えがあり、そんな経験の積み重ねで、自分は運動音痴なんだな……と、自覚した。体育は疲れるし、憂鬱だった。
教える立場になり、できる範囲で「しんどくない体育」を考えるとこもあるけど、上手くいっているとは言えない。少なくとも、体育嫌いだったいつかの自分を救ってやれるような授業はできない。
私が体育嫌いの学生から、ゆるジム通い社会人になれたのは、「好きな音楽を聴きながら」、
「一人で」、「好きな運動を好きなだけ」できるからだ。このスタイルが合っている子へ、今の学校ができる体育の方法を私は思いつかない。
あとこれは身も蓋もないが、クラスに数人はいる“勉強は壊滅的だけど、体育だけは好き“なタイプの悪ガキ。悪ガキが悪ガキなのは、本人の特性もあるが、今までの挫折の経験の積み重ねも大きい。体育嫌いが体育の時間がしんどいように、勉強嫌いは体育以外の週25コマくらいがずっとしんどかったりする。そんな奴らが少しでも輝ける貴重な時間なので、一概に「体育は不要!」とも言いきれない。
道徳みたいに評価外の科目にするのはありかもしれない。が、やはり人間は評価されるから頑張れる側面もあるので、そうなると今以上に子どもの体力は低下していくと思う。
現場の工夫次第でどうにかできる気はしないんだけど、どうでもいいと思ってるわけでもないんだよ。でも、少なくとも私は目の前の子どもと次の授業のことを考えるのに手一杯で、これ以上どうしていいかわからない。
よかったら体育嫌いの方は、アイデアや「こうしてほしかった」という体験談を教えてほしい。できる範囲で子どもに還元していきたい。
最初に「断るのもアレ」って言ってたけど断っていいと思うよ
弊社でもフットサルサークルあるけど、断ってる人の方が多いしもちろん俺も断った
運動音痴でも楽しく運動してる人もいるし、「断りにくい」と思って参加するような増田だったら楽しんでるふりもしてるだろうから、楽しんでると思われてるんだと思うよ
最初に断るのがよかったとは思うけど、今からでも勇気を出して断ったら?
体育祭か何かをサボって空き教室に逃げ込んで、同じくウンチ(運動音痴)の陰キャの友人と漫画を回し読みしていた気がする
当時漫画といえばジャンプかりぼんかちゃおくらいしか知らなかったので、漫画の題材といい画力といい作風といい、乙嫁語りを読んだ衝撃はまさに革命レベルだった
当時はまだ2巻くらいしか出てなくて、今すぐ続きが読みたかったし結末が知りたかったが、およそ1年間隔という発行ペースを知り、一生完結しない気がして絶望した
さて当時私の心を捉えたのはパリヤさんだった
不器用で愛想がないが、よそ者だった主人公のアミルさんを助けて歳が離れているが友人になるのだ
乙嫁語りは嫁というだけあり、登場人物は適齢期のお姉様が多く、13,14歳のパリヤさんには親近感があった
不器用なところも好感が持てた
普通、りぼんとかなら不器用な主人公はそれが魅力として周囲からむしろ愛されたりするのだが、パリヤさんは不器用さが災いし、ガチで地元で浮いているのだ
パリヤさんに縁談話が持ち上がった際、私は何年かかってもパリヤさんの嫁入りを見届けると決意した
「丈夫そうだから」という一点突破でパリヤさんを選んだ猛者である
パリヤさんに感情移入するだけあって甘酸っぱい青春は送らなかったが、兎にも角にも結婚した
ていうかまだ結婚していない
掲載誌が変わり、今はどこで掲載しているのかすらわからなくなってしまった
パリヤさんを見る目は娘を見る目に変わってしまったが、やはり私は今でもパリヤさんの乙嫁姿を期待して最新刊を買ってしまうのである
・運動が苦手
・友達が少ない
昔は多かったんだけどな
運動が苦手
俺はランナーではないけど、ランナーの中に入れられたら超遅くて、運動習慣なさそうな増田も含めたら上の方だと思う
どうせ元増田の言うお洒落って、げんじとかだろ?それなら俺はお洒落だと思われないと思う
昔はブランドとか気にしてしNEEDLESとか流行り?の物もたまに着るけど、完全に今は自分の趣味に走り昔を追い求めてる
古着含めてスポーツブランドのものとか、なんならゲーム関係のTシャツも着るし古着も好き
スポーツブランドの服を着る人って俺みたいに昔から着てたとかそういうルーツを大事にするんだってさ
あと昔の日本関係というか2000年代のsmartとか買って読んだりしてる
この頃のsmartとかchokichokiは中学生から当時買ってたけど全部捨てちゃったんだよな今買い戻すと高いのよ
今も派手髪でカットモデル初めてやったが、これはファッションではないか
友達が少ない
ネットだと昔のゲーム仲間と、スマホゲー関係でJKやJDがたまーに構ってくれる程度
増田っぽかった?