はてなキーワード:運動家とは
「LGBTを差別していた議員や牧師が実はゲイだったことがわかって辞職」
「児童保護を口実に表現規制を進めていた議員や活動家が実は児童買春や薬物ほかで逮捕」
「フェミニストを自称し活動を応援していた男性が性犯罪を起こして逮捕」
みたいな、何由来か分からないそういう話ばかり目につくし、あるいはポリティカル(?)な創作でもこういう筋書きがやたら使われるんだけど
もちろん実際にそういう事件・先例がいくつかあって、そういう「これだから宗教保守は、規制派はwww」みたいな嘲笑や矛盾突きに使われるんだろうけど
でも実際にLGBTが対峙している保守活動家とか、オタクや表現の自由運動家が対峙している規制派って
99%が一言で言うとすごい「真面目」「一貫」「(その価値観の中では)高潔」だし、故にここまで問題が深刻になってるんだよね
もし上のような例が、そういう対峙側の、何割かを占めていれば、そもそも不祥事対応で物理的に忙殺されて対峙も何もできないはずだもの
でもやっぱり、特にSNS上のオタクは、相手を、それも使い古されたカリカチュアでナメがちな部分があるじゃん
何でこういうこと書いてるかって、ここからは表自の話に絞るけど最近この「戯画を戯画と見抜けない」人たちが増えてるなって思ってるから
相手の経歴、相手の背後の支持層なんか気にせず、「どうせ裏で児ポ見てるんだろ!」みたいなことすら言ったりする
(もっとひどいと「アグネース!」とか書いたらそれで何か言ったことになると本気で思ってるキ〇ガイすらいる)
相手がそもそも児ポみてなくて「真面目」に活動してた場合(それが99%でしょ)、その発言の分だけ表現の自由を守る立場は時間的にも影響的にも少なくともネガティブに作用するわけで
一体俺たちは何を守ってるのかという次元の話にすらなる
真偽を云々するブコメが多いけど、うん十年前に割と近い状態になりかけたことがあるのでレス。
(ざっくりいうと、父親が公営ギャンブルにお金突っ込んじゃって首が回らなくなり、職場のお金に手をつけた上に自分の大学進学資金まで手を出そうとしてた。年末ぐらいには離婚が成立して元増田のような状況には陥らなかったけれど、割と共感したので。)
父親はもうしゃあないが、それはそれとして母親はこちら側に引き込もう。
国立大なら色々免除制度があるけど、とにかくだれかしら保護者が関わらないと申請大変なはず。
あとまあ父親は離婚させよう(上に書いた実体験から言うと、こうする以外に道は無いと思う)。
離婚については元増田が積極的に母親を動かすしかないかもしれないけど、放置すると後日おなじことをやらかすので危険。
旧帝大に限らず国立大なら普通に入学金や授業料の免除を申請できる。徴収猶予とかもある。無理なお願いとかではなく「制度」としてある。
日本学生支援機構も貸与型だけではなく給付型奨学金も扱うように成ってる。
使おう。
「入学料免除 site: hogehoge-univ.ac.jp」とか「入学料猶予 site: hogehoge-univ.ac.jp」とかで検索しよう。
例:https://www.google.com/search?q=%E6%8E%88%E6%A5%AD%E6%96%99%E5%85%8D%E9%99%A4+site%3Atohoku.ac.jp
あと、文科省のこのページも見よう。
「学びたい気持ちを応援します高等教育の修学支援新制度(授業料等減免と給付型奨学金)」https://www.mext.go.jp/kyufu/index.htm
(あー今の時代だとネットで情報わかるのいいよな……昔の免除申請はホントに「入ってみないと分からん」ギャンプルやったんよ。)
所得条件とか色々あるけど、パチンコ代でここまで追い詰められるような所得なら多分大丈夫なんじゃない?
で、制度を確認したうえで大学の学生課に電話だ(元増田には"学校に電話した"とあるけど、多分高校なんじゃね?あるいは学生科以外のとこにかけてるとか)。
とにかく入学料の免除なり猶予を扱ってる部門に対して状況を伝えて、免除や猶予の申請方法の詳細を確認して、今後取れる手段についても相談しよう。
(一般論として)学生課の対応には色々問題あるかもしれないけど、「制度を使う」方向の話で無下な対応はしないはず。
実家から通うならそれでいいとして遠隔地の場合。学生寮なんかなあ……90年代後半ぐらいの某旧帝大(とんぺー)だと信じられないことにまだバリバリに学生運動やってる運動家が居て学生寮を根城にしてたんだよな。同じサークルの人が経済的事情で学生寮に住んでたけど、精神的にかなり辛いと言っていた。でもまあとりあえず選択肢としてはあるはず。
休学して学費を稼ぐという選択肢もあるけど、その場合奨学金どうなんだろな……という不安はある。休学したこと無いのでわからん。
小中高と違って、大学は基本的にこちらから押さないと(申請しないと)動いてくれないので、そこだけはほんと理解して。支援制度は増田が適切に押さないと発動しない。
あとまあ、「最低限の大学生活スタートアップ資金」的なのは支援制度だけだとどうにもな……親類にお金借りるとかしか無いかもしれない(もうちょっと時間的余裕があったらバイトでなんとかなる金額に収まりそうだけれど。
男性の言う「強い人」は
そして男の特徴は、計算高く強い者には逆らわないということ
フェミはこれが気に入らないんだろうな
強い男を非難できる男がいない、結果的に社会は腐敗しているし、メディアもカスだ、女性はいつまでも低地位のままでよく殺されてるし、どうせ資産形成など夢の夢、 だったら女が批判役になってやる、ということ
という背景があるので、フェミはたいがい、わきまえないのが当たり前という位置にある
一方、土井たか子や田中真紀子のようなガチの運動家が現れると、経団連米軍体制にとっては非常にマズイわけだ
そこで中途半端なフェミ人形に安定した地位を約束し、工作員として、腐敗原因には突っこまないが人目には立つ、個人や個別事件のの攻撃をやらせ、人を失笑させ、結果的にフェミの地位を劣化させるのさ
全く活動家はいないよ、選挙に行けなどいう森永拓郎の意見も緩かったし、上脇教授?も政治資金にしか突っ込まないぜ
金融支配の特別会計の闇とか、人事操作とか情報秘密化とか、山のように病気があるのに、劣化フェミとかやってんじゃねえよと思うわ
https://www.aljazeera.com/opinions/2024/8/30/sex-work-advocacy-in-california-is-harming-children
ここ数十年、いわゆる「セックスワーカーの権利」運動家たちは、売買春を非犯罪化するために活動し、トランスの権利活動家たちと共同して運動に身を投じてきた。これは彼らにとって論理的で、非常に有益な行動だった。広く評価されている社会正義運動の一部とみなされることは、「セックスワークは仕事である」「売春は解放的である」という神話を永続させようとする彼らの主張に間違いなく役立つ。しかし、「LGBTQ+」と呼ばれるようになった運動への彼らの受け入れは、社会的弱者、とりわけ子どもたちにとって信じられないほど有害である。
例えば、最近カリフォルニア州では、いわゆるLGBTQ+の活動家たちが、売春している子どもからセックスを勧誘する大人に対する罰則を強化する計画に反対し、成功を収めた。
性的な目的で子どもを売買した場合の厳罰化は当然だと思うかもしれないが、活動家たちは「LGBTQ+の人々、特にゲイやトランスジェンダーの人々は、異性愛者の人々に比べて性犯罪で起訴される可能性が高いという研究結果がある」と主張した。さらに彼らは、「LGBTQ+の人たちは性犯罪で起訴される可能性が9倍も高く、その結果、投獄される可能性が高くなる」と主張した。
いったいなぜLGBTQ+と認定された加害者を例外にしなければならないのか?どんな理由があろうとも、自分自身が差別の被害者だと主張する人物に利用され、虐待されても、子どもたちの苦しみは軽減されるのだろうか?
宗教敵バックグラウンドがあってのことなのに、日本中の移民の方々の埋葬地として選ばれた地域が、造営に反対しているらしい。
社会的弱者に厳しく、異文化を理解しようとしないレイシズムの蔓延した地域なのではないか。
神経を疑うが、遺体を受け入れろと叱っても拒まれたら強制できないのが現在の法律の限界である。
やむをえない措置だが、次善の策として、多文化共生を掲げるリベラル運動家の所有する土地を埋葬先に提供できないだろうか?
広い土地を持っていなくとも構わない。
杉並や武蔵野の自宅の庭でも良いので、提供できる人は共生のために一役買ってほしい。
少なくともペドフィリア差別に反対しますタグがバズった昨年時点では「Q+にペドフィリアが含まれるか否かについはLGBT運動家の中でも意見が割れている」と纏められる程度に「ペドフィリアをクィアに含める人間が一定数いる」と捉えられてただろ。
https://www.bookbang.jp/review/article/763764
小出版社「ころから」が、「ペドフィリアを含むあらゆる内心の自由について、いかなる制限もなく保障されるべきだと考えております」との告知を掲げた。目を疑うべき事態である。
あらましはこうだ。昨年8月、ころからは『イン・クィア・タイム』というアジア系クィア作家アンソロジーを翻訳出版し、作家の王谷晶に帯文を依頼した。ところが、王谷がペドフィリア差別発言をしていると本書訳者の村上さつきとその連帯者が指摘し、帯文の撤回を要求したのである。王谷の「『LGBTQのQにペドフィリアが含まれる』はデマだ」というツイートが糾弾されたようだ。
8月末に出る情況って雑誌の特集がトランスジェンダーらしいのだが
連中の言い分だと、トランスに肯定的じゃない連中(連中の定義では=差別主義者)の記事が載っているのがけしからん
トランス特集やるならトランス全肯定でなければ差別!トランス真理教に疑義を唱える連中やそいつらに発言の場を与える雑誌は人殺し!絶対に許すな!ということらしい
まだ雑誌が出ていなくて表紙ぐらいしか情報ない時点で、反トランスの差別的内容だと決めつけできちゃうのは何故なんだろうか
執筆陣の名前から判断しているらしいけど、それってお前らの大嫌いな差別じゃん笑
文章を書かせるな、発言の場を与えるなって、言論の自由とか反トランス差別界隈の連中の辞書にはないのか笑
連中は既にX上で徒党を組んでキャンセル活動のスクラムを組んでいるよ、ほんと暴力的で話の通じないキチガイだよね
はてなの匿名の中でしか言及したくないね、ヒスった病気持ちの陰キャおばさんがメイン層だから肉体的な危害とかは怖くないけど、記名性のSNSで触れちゃうとバカが伝染りそうで怖いよ
炎症が出るものだったら放射性関係なく鼻血要因になるのよね……とはいえあの事故、「非放射性の炎症要因物質」も大量に撒いてたとおぼしきわけで……(一方でGyベースでバケツウランの方が桁外れにひどいはずのところの話だと「非放射性の炎症要因物質」を追っかけ回すべき事案ではあるわけで。実際追っかけ回されて 「 ほぼ炎症で炎症はほぼ花粉、その他も大体非放射性 」 だったわけで。そもそも医療ならビタミンD欠乏まで疑わなきゃいけない状況ですよ?)
「運動家」やりたいんなら「敵を知る」の文脈で自ら克服せにゃならんことだけど、かの医療ネグレクト(こだわらんでもええ「放射性」にこだわるの、要因はそれでしょ?)、要因は逆サイドの医療パターナリズムなんじゃねえの?
施療院の垣根のスズメバチ、医療ネグレクトを嘆く、の図になってねえか?
“ 「親」とか「生育歴」をいじり出したら完全アウトでしょう。 明らかな“差別しぐさ”。 今の世の中、まともな社会教育を受けてきた人なら全力で忌避する行為だ。そもそも、まともな社会教育を受けてきた人なら、見ず知らずの若者を寄ってたかって叩いたりしないのだけど。”
“ 結局のところ実際にやったのは 「大喜利のネタとして消費する」 というかなり下品で失礼な行為であり、盗人猛々しいだけ、と感じました。”
“彼が学生の個人情報晒しをしていたことまでは知っていますが、その後に何かしたんですか?”
“その結果生まれたのが戦争と同じ遅発性PTSD。子どもの自死率が全国一になった。その責任の一端は、国の意向に沿って暴れたデマ撲滅隊にある。”
何度も言うけど、反AI運動家は、AIの汚さ、危険性を煽ることが政治的には「だからこそ投資しなければならないもの」になるだけだと理解すべき。
同じことを「核兵器」について言ったらどうなるか、くらいの思考実験はできるくらいの知性を持て。
核兵器が「危険で恐ろしいものだ」ということは誰でも知ってる。知らないから核の研究をするんじゃない。知ってるからこそするんだ。
危険なものだからこそ、他よりも早くアドバンテージを握っとかなきゃいけないのが政治だ。
危険なものだからこそ、自分にはその力が及ばないように利用するのが政治だ。
危険だから悪いものだからやめろなんて言われてやめるのは、それこそ無能な、国を衰えさせる政治家だけだ。
じゃあ何をすべきかって? 反AIの方が危険だとアピールするんだよ。
危険な連中扱いされて嫌がるな。
AIよりも核兵器よりも危険で扱いにくい連中だと思われて初めて反AIに対して政治が配慮するんだよ。
逆なんだ、逆。
個人的には、ディープフェイク等の問題からAI規制は当たり前だと思っているが、SNS(X)を中心とした反AI運動は何か気持ち悪いものを感じて近寄れない。
この感じは何なんだろうと考えていたが、どうやらそもそも彼らは「連帯」という言葉の意味を理解していない、あるいは歪めているのだと気がついた。
連帯とは何か。
例えば反AI運動なら、「私は著作権問題でAIに規制を求めたい」「私はディープフェイク問題でAIに規制を求めたい」「私たち両方に利益のある規制を求めて協力していこう」とこういう会話ができることである。
まかり間違っても、「ディープフェイクを理由にAIを問題視しているなら、同じように著作権問題にも注意を払わなければいけない」などと迫ることではない。
ある問題が問題視される理路は一つではなく、それはどれかひとつが正しいというものでもなければ、ひとつが正しければ他のすべてが正しいというものでも、そうでなければいけないというものでもない。
連帯するということはその多様な問題点を問題視するそれぞれが、同じ対象に問題を感じているという一点だけで協力することであって、わざわざ邪魔をするようなことはあってはならないが、互いに必要以上に理解を求めあうものでもない。
しかしどうも、Xの反AI運動に熱心な、「クリエイター」意識が強い面々は、そういうことがわかっていないように思える。
彼らは「著作権問題は正直どうでもいいけど、AI規制は必要だよね」という意見の人を最初から想像もしてないように見えるし、たぶんそれを認めさせようとすれば反発すらしそうな気配がある。協力しようなんて気はさらさらないだろう。
というより、彼らにとって「協力」「連帯」とは、「クリエイター」の悲惨な境遇を認め、共感あるいは畏敬の念をもって憤怒の情にかられることであって、「クリエイター」に全く同情的でないがAIには問題を感じるなどという意見を持つのはその方がおかしい、矛盾してるくらいに感じているのだろう。
つまり、彼らにとっては運動ということが敵とやりあうためにクレバーに立ち回ることではなく、とにかく自分の立場の支持者を増やすことにすり替えられてしまっているのだ。
そうやって考えてみると、SNSの運動家には一般にこの性質が見られる。
「フェミに問題があると思うなら日本が女尊男卑だとも認めろ!」
とか
「表現の自由戦士に問題があると思うならオタク文化も全否定しろ!」
とか。
通常の人が通常の範囲で問題があると思うものに声をあげるために、それ以上の過激な立場でいることを何故か強制されるのだ。
「いや、そこまでは言うつもりはないんだが…」と躊躇していると、「だったら黙ってろ」と言われてしまう。
これって何か、「連帯の輪を広げる」という建前からはどこまでも離れたものになっている感がある。
独断と偏見でこういった排他性の心理を分析するなら、やはりそもそも彼らの望むものは問題の解決とか、合理的な利害の処理というところにはないのだろうと考えざるを得ない。
では何を求めているのか。
結局、それはSNSというサービスの本来の目的そのものなんだろう。
どちらかというと、そこまで極端な自分の主張を肯定してくれる、真の仲間、くらいのすごいものを求めているのだ。
そうでもなければ、些細な違いに目をつぶりつつ、なあなあで連帯することにあそこまで目くじらたてて拒否反応は示さないだろう。
彼らは、敵を設定することで、敵の敵は味方理論で自分を理解してくれる人を増やそうとしている、というのが本当のところなのだろう。