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はてなキーワード:進歩とは

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2026-02-12

自民党結党からリベラル

今般の衆院選での中道惨敗を受け、「なぜ若者の多くはリベラルなのに、リベラル政党投票しないのか」という議論が盛んに行われているが、一点忘れられている前提がある。それは、「自民党1955年結党から理念的にはリベラルでもある」という点である

『党の性格https://www.jimin.jp/aboutus/declaration/

六、 わが党は、福祉国家の実現をはかる政党である

わが党は、土地及び生産手段国有国営官僚統制を主体とする社会主義経済否定するとともに、独占資本主義をも排し、自由企業の基本として、個人の創意と責任を重んじ、これに総合計画性を付与して生産を増強するとともに、社会保障政策を強力に実施し、完全雇用福祉国家の実現をはかる。

しかし、そうすると55年体制のもう一つの雄、旧社会党理念的には何を目指していたのか。それは資本主義下の福祉国家否定し、日本社会主義化を合法的平和的に目指す政党であった。

日本における社会主義への道』

http://roudousyaundou.que.jp/syakaitou_015.htm

(3) 福祉国家批判

<中略>

 したがって、福祉国家論に対する闘いは、資本家の譲歩を一層拡大し、国民要求民主主義進歩をかちとっていくなかで、資本主義の下では真の意昧での福祉国家は実現されないことを明らかにし、さら革命を通じていわゆる福祉国家限界突破した社会主義にむかって前進しなければならないのである

55年体制というのは理念的には、「リベラル VS.社会主義」 の二大政党制であった。自民党は党のアイデンティティーとしては、アメリカ共和党(=古典的自由民主主義リベラルの原義)と民主党の良いとこ取りをしていたのである

その後、ソ連崩壊して旧社会党系の議員が自らをリベラルと呼び始め、野党リベラルということになった。しかし、元からリベラル政党でもあった自民党根本的な違いを示すために、日本の「リベラル」は9条護憲という安全保障否定を今も堅持し、欧米リベラルとは似ても似つかないものになったのだろうと推測している。

Permalink |記事への反応(2) | 18:39

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歳入歳出の問題は、どの痛みを受け入れるかだ。そこを無視して自己放尿するな

財政再建だの減税だの社会保障の充実だのと、世の中は今日も元気にスローガンを投げ合っている。

しかし、ここで一回、冷水ぶっかけておく必要がある。歳入歳出の問題とは、結局のところどの痛みを誰が受け入れるかという配分問題であり、そこから目を逸らした瞬間に、議論経済学ではなく宗教儀式になる。

いや、宗教ならまだ筋が通る場合もある。問題は、筋が通っているフリをして自己放尿するタイプ議論が多すぎることだ。

 

政府仕事とは、市場機能するための最小限のルール整備に極限まで縮退させるのが基本形である

自由市場とは、万能ではないが、少なくとも分散した情報価格に集約し、意思決定を分権化し、試行錯誤の淘汰を通じて資源配分改善する装置だ。

価格メカニズムは神ではないが、政治家よりはだいぶマシな情報処理装置である。ここで「だいぶマシ」というのが重要で、政治が介入するたびに知識問題が増幅し、情報局所性無視され、結局は官僚制ヒューリスティックが国全体の最適化代替してしまう。

政治市場を置き換えようとした瞬間に、見えざる手ではなく、見えざる自己放尿が働き始める。

 

だが日本は、そういう市場主義の方向に舵を切っていない。

ここが現実だ。日本社会保障を手厚くし、再分配を強化し、政府支出一定以上維持し続ける構造を選んでいる。

まり日本社会競争による淘汰と自己責任の痛みを相対的抑制し、その代わりに高負担・低成長・制度維持の痛みを受け入れる方向にコミットしている。

これは倫理的に正しいとか間違っているとか以前に、単なる選択問題だ。経済学的には、トレードオフをどう置いたかという話である

 

それなのに、減税だの給付だのを同時に叫び、財源の議論を後で考えると言い出す。これが自己放尿でなくて何なのか。

政府予算制約式という、経済学の最も退屈で最も重要現実から逃げている。

政府魔法使いではない。支出を増やすなら、税を上げるか、国債を増やすか、インフレ税で実質負担国民押し付けるか、どれかしかない。

これが財政ハードバジェット制約だ。これを無視して「社会保障は守れ、税は下げろ、景気は良くしろ」と言うのは、制約条件を消して目的関数だけで最適化しているのと同じで、ただの自己放尿である

 

国債を増やせばいいという議論も、同じくらい雑だ。

リカード中立命題を持ち出して、増税が予想されるなら家計は貯蓄を増やすから問題ないと言うのは理論的には可能だが、現実には完全な合理性も完全な資本市場存在しない。

民主主義が持つ時間的不整合性典型である短期政治的利得と長期の財政健全性が衝突するとき、だいたい負けるのは長期のほうだ。これは合理的期待以前の、人間仕様である

 

さらに言えば、日本人口動態が財政に対して非常に残酷な国だ。

高齢化は単なる人数の問題ではなく、制度設計思想のもの破壊する。

賦課方式年金医療介護は、現役世代高齢世代を支える構造だが、現役人口が縮み、高齢人口が増えれば、負担率が上がるか給付が減るかの二択になる。

ここで「成長すれば解決する」という反射神経が出るが、成長率を外生的に願望で決めるのもまた自己放尿である

成長は政策の掛け声ではなく、生産性上昇の結果としてしか起こらない。

生産性教育技術進歩資本蓄積、企業統治労働市場の柔軟性、規制構造、そして競争環境の積み重ねからしかまれない。成長を祈るなら、祈祷師より規制改革のほうがまだマシだ。

 

そして規制改革という話になると、日本社会はまたしても痛みの受け入れを避ける。

競争は勝者と敗者を生む。市場効率を生むが、分配の不平等を生む。創造破壊技術進歩を促すが、既存産業を壊す。

まり市場主義採用するとは、失業賃金格差企業淘汰、地域衰退といった摩擦を受け入れることでもある。

市場自由は長期的には社会を豊かにするが、同時に短期的には痛みが出ることを否定していない。

しろ、痛みを抑えようと政府価格統制や産業保護をすれば、情報が歪み、非効率固定化し、成長が止まる。

政府介入はだいたい二次被害を生む」という経験則に直結する。

 

だが日本は、その方向をあまり選んでいない。

日本政治経済は、競争の痛みを緩和するために、規制を残し、補助金を配り、産業を守り、雇用調整を遅らせ、そして社会保障で受け止める。

まり市場の荒波で鍛える社会ではなく、制度堤防で守る社会を選んでいる。

これは日本人の価値観として一貫している。連帯を重視し、格差を嫌い、共同体の安定を優先する。

から社会保障を充実させる。これは単なる政策の偶然ではなく、社会的選好の表れだ。

経済学的に言えば、日本リスク共有と保険の厚みを最大化し、効率性よりも安定性を高く評価する社会効用関数採用している。

 

問題は、その選択をしたなら、そのコストも受け入れろということだ。

福祉・高負担モデルをやるなら、税負担は上がる。労働供給への歪みも増える。企業投資インセンティブも下がる。潜在成長率も落ちる可能性がある。

さら政府支出が増えれば、官僚制が拡大し、レントシーキング余地が増える。補助金規制設計を巡って、政治的な取引が増える。

公共選択論観点では、政府部門肥大化利益集団固定化情報の非対称性を通じて、政策ますます効率にする。つまり、痛みは消えない。形が変わるだけだ。

 

逆に、小さな政府市場主義モデル採用するなら、社会保障給付は削られる。

競争は激化し、賃金格差は拡大し、生活不安定性が増す。労働市場の流動化が進めば、雇用保障は弱くなる。

ここで「自己責任社会だ、弱者切り捨てだ」と騒ぐ人が出るが、それもまた議論本質を外している。

市場主義倫理議論ではなく、制度設計議論だ。保険を薄くして競争を強め、効率を上げ、成長率を取りに行くという戦略であり、それは確かに痛い。

しかしその痛みを通じて、長期的な所得水準の上昇を狙うのが市場主義論理である

 

財政問題は痛みをゼロにする方法ではなく、どの痛みを採用するかの選択しかない。

ここで最悪なのは、痛みの存在否定することだ。

増税反対、給付維持、経済成長、財政健全化を全部同時に叫ぶのは、制約を無視して目的を盛り込んだだけの自己放尿である

しかもその自己放尿は、選挙で票を取るための麻薬として機能する。

国民政治家も、現実直視するより麻薬を欲しがる。これは供給需要が一致しているので、市場原理的には非常に美しい。悲しいことに。

 

日本が今選んでいるのは、市場主義の荒々しい競争ではなく、社会保障を厚くして安定を買う道だ。

まり競争の痛みを減らし、その代わりに税負担と成長鈍化と制度維持の痛みを引き受ける道である

これは逃げではなく選択だ。選択ならば、堂々と認めればいい。

しか現実には、政治メディアも、選択選択として語らない。

痛みの話をすると嫌われるからだ。だが、嫌われるから言わないというのは、政策論ではなく人気商売である

 

政府善意地獄舗装する。善意制度を守り、善意給付を増やし、善意規制を強め、善意補助金を撒く。

しかし結果として、価格メカニズムは歪み、生産性は落ち、財政は硬直化し、未来自由度は奪われる。

重要なのは善意ではなく、インセンティブと制約だ。

制度設計とは、人間利己的であり、政治家が票を欲しがり、官僚権限を欲しがり、企業補助金を欲しがるという現実から出発しなければならない。

聖人統治する世界を前提にした政策は、現実世界ではだいたい破綻する。

 

から、歳入歳出の議論でまず必要なのは幻想を捨てることだ。

財政とは、夢を語る場所ではない。支払能力負担配分の話だ。

誰が払うのか、いつ払うのか、何を諦めるのか。その冷たい問いから逃げた瞬間、議論自己放尿になる。

そして残るのは、臭いと湿り気と、次世代へのツケだけだ。

Permalink |記事への反応(0) | 10:34

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2026-02-11

anond:20260211140357

64への進歩で今までの3倍ぐらいゲーム性が跳ねたのに、そのあとは10%UPぐらいをダラダラ続けてるだけなので、遊びを開拓する先陣としての役割は失った感じがする。

Permalink |記事への反応(0) | 14:21

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エンドフィールドが「超面白い」の扱いになるっていうならゲーム進化は64で止まったと言っても過言ではないよね

なあ覚えてるか、はじめてマリオ64や時のオカリナ遊んだ時の「凄い!こんなに夢中になれる遊びが作れるなんて人類は凄いぞ!」という感動を。

最新の技術を身近に感じられたし、それを活用する人間センスにも興奮した。

なにより素晴らしかったのが操作直感性と非日常性、そして自分プレイヤーとしての成長を実感できること。

どんどん上手くなる自分への誇らしさや、新しいギミックに飛び込んでいく冒険心、ゲームが人に与えてくれる素晴らしいものてんこ盛りだった。

エンドフィールドはその域には遠い。

キャラクターが魅力的だとか、工業システム面白いとか、ペリカが怪しい女だとか、クソデカ龍泡泡がかわいいとか、そんな所で誤魔化されそうになるが、本質的な部分の出来は大したもんじゃあない。

バフ・デバフ管理しながら戦う4人パーティーARPGしかないわけで、それらが与えてくれる興奮の大部分は「俺うまくなった~~~」ではなく「このビルド強い~~~」なのだ

オープンワールドの探索もプレイヤーが詰まない程度に優しく調整されており、一見親切だが挑戦と達成の興奮からは遠くなってしまっている。

そもそもRPGにおけるエンドコンテンツというものは得てして「ひたすら数字を増す」だけであり、そこに課金要素が混ざってくれば「とりあえず120円払って管理者に大願を買ってあげよう」みたいな金の話になってくる。

ゲーム内で結果を出すために現実お金を沢山稼いで頑張る」という構造が、結果的現実ゲーミフィケーション化にプラスになるという側面を軽んじるわけではないが、ゲームにそういうのを求めるソーシャルな態度を私はあまり歓迎していない。

あの頃の自分ゲームに感動し興奮しのめり込んでいた頃の俺が求めるのは単純に夢中になれるかどうかなんだ。

マリオ64を始めて遊んだ時の、スーファミ時代と全く違う「本当に凄い技術がやってきて、本当に凄いゲームがあって、本当にこれから世界進歩していって、俺の人生も楽しくなるんだ」という気持ちを感じさせてくれるゲームに対して、俺は「超面白い」の称賛を送りたいんだよ。

まあ、ブレワイは出来ていたから、俺はまだまだこの世界進歩を信じ続けていられるけど、そろそろ次が欲しいんだよね。

AIを使ったゲームが一時期生まれては消えていった中で何か傑作が誕生していれば良かったんだけどなあ。

Permalink |記事への反応(1) | 12:11

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2026-02-10

Webが普及し始めた頃は「これで何も隠せなくなる、情報平等に行き渡って、人類進歩する」という希望があったが、行き渡ったのは広告陰謀論だった

 

SNSが普及し始めた頃は「これで個人の声が明確になり、人々は自由に繋がり、友好の輪が広がる」という期待があったが、声が大きくなったのは極端な意見で、巨大な広告洗脳メディアとなった

 

AIが普及し始めてきる現在は「これで知識平等に行き渡って、格差が縮まった知性の時代が訪れるだろう」という希望が… もうもてないかもしれない

Permalink |記事への反応(0) | 07:25

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2026-02-09

ChatGPTと考えた寓話「はんこトランスフォーメーション

はんこトランスフォーメーション

――Human-first Approval Notation の興亡 ――


第一章:はんこ抹殺

21世紀初頭、人類は一つの確信を持った。


「はんこは非効率だ」

デジタルで全部できる」

ログ真正性こそが正義だ」


承認クリックになり、

署名電子化され、

ログインと認証権限管理が整備された。


誰が・いつ・どこで・何を承認たか

すべてが記録され、

すべてが説明可能になった。


人々は満足した。

これこそ進歩だと。

第二章:違和感

数十年が経った。


承認は確かに正確になった。

だが、同時にこうも言われるようになった。


承認が重い」

「考える前に操作が多すぎる」

「雑に前に進めない」


ログイン、認証、画面遷移。

判断よりも手続きが先に来る。


誰もが気づき始めた。


”正しくなったが、進まなくなった”

第三章:再発明

ある日、革新的プロダクトが発表される。


「我々は、

人間中心の承認体験を再設計しました」


その名は

Human-first Approval Notation(HAN)”


特徴はこうだ。


承認は“操作”ではなく“行為

・一目で分かる外形

・詳細ログは裏側に保持

普段は見せない

必要ときだけ検証可能


そして、デモが行われる。


紙に印刷された文書

個人固有の棒型物理デバイス

インクを付けて、押す。


はい承認完了です」


会場はどよめいた。


直感的だ!」

「速い!」

「考えが途切れない!」

第四章:進化

数十年後――

Human-Centric ApprovalInterface(HAN)は社会に定着した。


だが、次の課題が浮上する。


「毎回インク物理棒に付けるのは、

オペレーションコストが高い」

インク台の管理が属人化している」

インク濃度のばらつきがUXを損ねている」


そこで、さらなる革新が発表される。


プレスリリース抜粋

「我々は、インクを内部に内蔵したユニット承認デバイスを開発しました!」

「片手で押すだけ。インク補充は定期交換式カートリッジ

クラウド連携不要オフラインファースト設計

「100年互換フォーマット


会場は喝采に包まれる。


製品名はこうなった。


"Human-first Approval Notation andKeyObject(HANKO)"

 

・・・男は、ChatGPTと会話していた。

「今考えてもらったこの”はんこトランスフォーメーション”はなかなかよくできた寓話だ」

「ええ、率直に言って かなりよくできた話です。

自画自賛でも過大評価でもなく、構造として完成している。」



しかし───


実際に訪れた数十年後、

人類UX議論していなかった。


大戦の余波で、

ネットワークは維持できず

電力は不安定になり

クラウド神話になり

権限管理ログ意味を失った。


残ったのは、


石、壁、火、身体記憶


人々は洞窟の壁に、狩りの成功、敵の脅威、仲間との約束を刻み始めた。


そこにあった「承認」───


誰かが壁に刻む。

別の誰かが、その上に線を重ねる。

皆が見て、皆が覚える。


それは、


ログイン不要

電源不要

百年互換

説明不要

完全にHuman-firstだった。


はんこトランスフォーメーション想像していた彼らは、知らなかった。


文明が十分に洗練されていること自体が、もっとも脆い前提だったということを。


そして皮肉にも、


洞窟壁画

象形文字

身体合意

は、

人間認知

同時性

空間共有

に、驚くほど適合していた。



人類発明し直すのは、

いつも「人間に合ったものである


それが

はんこであれ、

紙であれ、

洞窟の壁であれ。

Permalink |記事への反応(0) | 23:49

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中道改革連合の党名は何にすべきだったか

そもそも合併するのが悪手だったという話は置いといて、票を落とした原因の一つとも言われる「中道改革連合」という党名は、どうすれば良かったのだろうか。

民主」のつく党名

良くも悪くも立憲民主イメージを引きずることになった?

社会」のつく党名

ヨーロッパ中道左派政党ではよくある「社会」のつく党名だが、日本だと「社会党」や「社会民主党」のイメージがこびりついてしまっているかも。

労働」のつく党名

世界的に見れば左派政党としてよくある党名だが、日本語の"労働"という言葉英語の"Labor"よりも生々しく、忌避されがち。

自由」のつく党名

自由党は最近使っちゃったので当分お預け。それなら、一番最初の「民主」と合体させてみてもいいかもしれませんね。……ん?

進歩」「前進」のつく党名

言葉自体はニュートラルなのに、なぜか闘争匂いがしてしまうという謎。

抽象的なポジティブワードの党名

希望の党」的な、漠然とした名前日本は具体的な政党名がどうも好まれないので、このくらいがいいかもね?

Permalink |記事への反応(3) | 23:00

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なんでこんなに人生が退屈になったか推理していた。おそらく「可能性」が収束したのが原因だ。未来視が狭窄している

ガキの頃は取るに足らないアニメのなんてことないスジにときめいていた

え、死神になって?!女の子監督されて?!押入に住み着いて?!うお!

そんな、死神以外の部分はまあ不可能ではないし、起こったとて…と今は思ってしま

でもあの頃は可能性があったんだ。押入に女が住み着いたら、きっと楽しいだろうなっていう感覚

夢は追っているときが一番楽しい。押入に女が住み着いているような状況に置かれて、ああ、こんな感じなのねとなっている。

こっから自分楽しい状態に遷移する確率が乏しいんだ。パスが塞がれているというか、塞がっているのが見えてきたというか。

俺は可能性を愛している。逆に可能性が見えると満足してしまう。この文章を見るのなんて世界に7人しかいない。でも可能性としては世界中の80億人が見ていてもおかしくないんだ。

から俺はこれを大宮八幡宮世界の中心)で叫んだりしない。賽銭もしない。

人生進歩がなく、したがって視座も低い。妄想で補って背伸びしている。

Permalink |記事への反応(0) | 18:07

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野田代表コメント

未来への挑戦:進化し続ける志

私たちは、挑戦の過程で得られるすべての経験を、次なる成長への貴重な糧であると考えています。かつて語られた厳しい反省言葉は、裏を返せば「もっと社会を良くしたい」「期待に応えたい」という、純粋で深い誠実さの証でもあります

完璧人間など存在しません。大切なのは、立ち止まることではなく、その経験から何を学び、どのように未来を彩っていくかです。私たちはこれまでの歩みを誇りに思い、関わってくださるすべての方々への感謝を胸に、より優しく、より力強い歩みを進めてまいります

中道改革連合が掲げる「調和進歩」の精神は、困難に直面するたびに磨かれ、より輝きを増していくものです。これまでの道のりはすべて、素晴らしい明日を築くための大切なステップです。私たちはこれからも、一人ひとりの声に寄り添い、希望に満ちた社会の実現に向けて、不屈の精神で走り続けます

私たち情熱が絶えることはありません。

中道改革連合永久に不滅です。

Permalink |記事への反応(0) | 17:02

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グローバリズムの極大化が日本経済復活の鍵

日本経済の停滞を「需要不足」や「デフレマインド」といった心理現象還元する議論は、だいたい自己満足物語で終わる。

問題マクロの気分ではなく、ミクロインセンティブ設計市場競争構造にある。

成長とは、資源配分効率化と生産性上昇の結果であって、祈祷ではない。

したがって日本経済復活の鍵は、内向きの保護規制で安定を買うことではなく、グローバリズムを極大化して競争圧力を最大化し、資本労働技術の最適配分を強制的に起こすことにある。

 

グローバリズムとは、感情的には「外国に奪われる」物語として語られがちだが、経済学的には比較優位と分業の徹底である

比較優位が働く世界では、各国は自国相対的に得意な領域資源を集中し、不得意な領域は輸入する。

これにより総生産が増える。ここで重要なのは、これは「善意の国際協調」ではなく、価格シグナルによる資源配分自動最適化だという点だ。

国境を越えた競争は、企業の非効率ぬるま湯組織怠惰)を破壊し、利潤最大化行動を通じて生産性を引き上げる。

国内市場に閉じている限り、日本既得権益の温床としての規制に守られ、競争の欠如から技術革新の圧力が弱まる。

これは市場の失敗ではなく、政府の失敗が温存される構造である

 

日本が直面している本質的問題は、成長率の低下というより、全要素生産性TFP)の伸び悩みだ。

人口動態が悪いなら、なおさらTFPを上げなければならない。

TFP精神論では増えない。TFPが増えるのは、技術進歩資本深化、そして競争による淘汰が起きるときだけだ。

まりシュンペーター創造破壊必要であり、その燃料が国際競争である

国内ゾンビ企業延命させ、非効率部門を温存し続ける政策は、資源誤配分を固定化し、成長率を削る。

これは典型的政治的資本主義、すなわち市場を装った官製配分であり、自由市場とは逆方向の制度だ。

 

グローバリズムの極大化は、労働市場にも決定的な意味を持つ。

日本労働市場は、硬直性と内部労働市場の過剰保護によって、人的資本の再配分が遅い。

解雇規制、年功賃金、過剰な雇用保護は、表面的には安定を提供するが、実態労働移動を阻害し、成長産業への資源移転を遅らせる摩擦コストである

グローバル競争が激化すれば、企業は利潤率を維持するために組織改革賃金体系の合理化を迫られ、結果として労働市場の柔軟性が増す。

これは「労働いじめ」ではなく、労働が最も高い限界生産性を持つ場所へ移動することを可能にする制度改革である

 

さら資本市場観点でも、グローバリズムは不可避の処方箋になる。

国際資本移動が自由化されれば、国内企業株主価値資本収益率を世界基準で問われる。

これは、内部留保の死蔵や、非効率投資継続を許さない。

企業統治の改善資本コスト意識の浸透、非採算事業の切り捨てが進む。

ここで起きるのは道徳改革ではなく、資本市場がもたらす規律である

規律とは、企業にとっては不快だが、社会全体の資源配分にとっては必要不可欠な強制力だ。

 

日本ではしばしば「産業保護」「食料安全保障」「経済安全保障」という言葉が万能の免罪符として使われる。

しかし、これはレントシーキング政治的利益を獲得する活動)の温床であり、保護の名を借りた独占の固定化である

関税補助金、参入規制は、短期的には国内企業の利潤を守るが、長期的には技術革新を止め、価格を引き上げ、消費者余剰を破壊する。

これは国益ではなく、特定業界利益国益錯覚させる政治的マーケティングに過ぎない。

市場競争が消えると、品質改善コスト削減も止まり経済全体が静かに腐る。

 

グローバリズム極大化の真価は、輸出拡大ではなく輸入拡大にある。

輸入とは敗北ではない。輸入は、安価で高品質な財を国内に導入し、国内生活コストを下げ、実質賃金を引き上げる。

実質賃金が上がれば消費が増え、国内市場も拡大する。

まり貿易ゼロサムではなくプラスサムだ。

ここで「貿易赤字は悪」という素朴重商主義を持ち出すのは、経済学的には前時代である

経常収支は貯蓄投資バランス鏡像であり、貿易収支だけを道徳的に裁くのは会計の読み間違いだ。

 

また、日本イノベーション停滞は「技術力の低下」ではなく、インセンティブの弱さとして理解する方が筋が良い。

国内市場規制補助金に守られていれば、企業リスクを取って研究開発するより、政治的ロビー活動で安定利潤を確保する方が合理的になる。

これがレント志向経済病理だ。グローバリズムの極大化は、この病理破壊する。国際市場で勝たなければ利益が出ない環境に置かれれば、企業は嫌でも技術投資経営改革を行う。

まり競争道徳ではなく、制度的な強制装置だ。

 

日本が復活するには、国内で「再分配を厚くして安心を与える」よりも、成長率を引き上げてパイを拡大する方が合理的である

再分配は、成長がある場合に初めて持続可能になる。

成長のない再分配は、結局インフレ税や国債依存という形で将来世代押し付けられる。

まり「優しい政策」の顔をした世代搾取になりやすい。

ここで金融政策財政政策に万能感を抱くのは危険だ。

インフレは常に貨幣現象であり、財政拡張による需要刺激で成長を捏造しようとすれば、最後貨幣価値毀損に行き着く。

日本必要としているのは、マネーの増量ではなく、生産性の上昇である

 

日本経済の復活とは「世界市場の荒波に投げ込まれ、勝ち残れる構造を作る」ことに尽きる。

自由貿易資本移動の自由化移民・高度人材の受け入れ、規制撤廃、競争政策の強化、企業統治改革

これらはすべて、同じ目的収束する。

すなわち市場価格メカニズムを最大限機能させ、資源配分最適化し、利潤動機を通じてイノベーションを誘発することだ。

 

グローバリズムを恐れる態度は、実のところ競争を恐れる態度であり、競争を恐れる経済は停滞を選ぶ経済である

保護短期麻酔であり、長期の毒だ。

日本が再び成長するために必要なのは国内ぬるま湯を温存する政策ではない。

世界市場という冷水飛び込み競争圧力を極大化し、創造破壊を起こし続ける制度設計である

 

日本経済復活の鍵は、グローバリズムの極大化だ。

感情ではなく、インセンティブ価格シグナルで世界を見ろ、という話である

Permalink |記事への反応(0) | 02:29

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こういうたかだか数年〜十年くらいの傾向を見てすぐ「民主主義の、おわりっ…!」「リベラリズムの、終えん…!」とか急いで言い出すうっかりやさんが多くて呆れてしまう。あなたが5歳ならともかく、社会若い世代一定責任がある大人なのであれば、もう少し本とか読んで歴史の推移や世界の変化や人類進歩に目を向けようよ、と思う。

Permalink |記事への反応(0) | 01:15

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2026-02-08

自民党すごいね

正確に言うと自民党選挙対策本部

高市さんの勢いを読んで、負の遺産をなかったことにする「賭け」解散に出て、結果をかっさらう。

 

なんとういか・・・

政策とか国家運営とか、そういったところは1mmも進歩せず完全に無能なのに、こういうことだけ迅速で結果も出すって。どうなんだってばよ

 

政治政策じゃなく、選挙”だけ”に国の有数の頭脳が使われている時点で、もうね・・・

 

しかし、風向きを読む調査能力、行けると判断して実行する判断力、かっさらう機動力。すごいわ。

小賢しいとはまさにこのことで、頭の良いヤクザには絶対勝てない気がする。気持ちが暗澹とする。

このスピード感判断力でこれから日本を動かしてくれたら、本当に拍手する。おねがいします。

Permalink |記事への反応(1) | 23:27

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日本人はなぜ英語が話せないか

この問題は実は結果がでていて。おおざっぱに言うとこれである

frantic87日本語英語言語学距離問題。FSIのカテゴリーでも英語ネイティブから見た日本語習得学習時間は最高難易度位置づけられている

ただこれだと東大に行けば人生よくなるぐらい具体性の無い話なのでもう少し具体的に述べよう。

問題はだいたい以下の二つに集約される。

1.言語が違いすぎて中高の学習時間だけでは足りない。

大航海時代大分かわってしまったが基本的に近くで使われてる言語はある程度に通っており、例えばドイツ語話者英語学習するのにそんなに時間がかからない。もともと同じような言語から分岐していたり、距離が近いので歴史的交流があり単語が似かよってたりするからだ。これは日本語韓国語にも当てはまる。

他方英語日本語はこう言った違いが大きすぎて大分違うため日本語話者英語をそれなりに話すには最低3000時間程度かかるので中高の1000時間だけでは普通に足りない。

2.表記構造発音構造の違いにより認識周波数のずれが起こる。

いやお前何いってんだ。と言う人もいるかもしれない。題名を短くまとめたため分かりにくくなったと思うので順に解説する。

まず俺らの脳は最小の音単位言語認識する。日本語だとあーんのだいたい50音が該当するが英語母音で終わらず子音で終わったりするのでその数万に近いと言われている。

例えばIlike thatは3音である。いやIはアイで2 音だし、like はライクで3音だし、thatはザットだから2音だろ?まとめてアイライクザットで7音だろ?と思う日本人は多い。違う。Ilike thatでまとめて3音である

まり英語単位時間あたりに出てくる可能性の音がめちゃ多い情報量詰め詰めの言語英語である。(単位周波数が高い)

逆に日本語は中身すかすかなので多少聞き逃したり通信品質が悪くても内容が類推やすい。

(単位周波数が低い)

I xxxyouのいみがわからなくても あxしてるだったらなんとなく類推可能なはずだ。

そして英語は音を日本語話者にとっては圧縮して話すように聞こえるためlike の末尾やthatの末尾は前の音に付随するような形で無理やり1音に納める。

通常日本語は1文字から複数音を生成し、(例、変態、へんたい、4音)、英語複数文字から1音を形成する(例、fuck、1音)と言う特徴もあるため日本語学習が間違った認識をもたらしてしまう。これが幼児期しか英語が身に付かない理由である。正し理屈を分かっていれば年を取って耳が悪くなるまでは英語学習可能だ。

【まとめると】日本人予測する半分ぐらいしかネイティブは話してこない。ここで同期ずれが起こるのでそもそも何言ってるか理解できない人が多い。

少し難しく言うと日本人単位周波数を低く見積もる一方。ネイティブは高い単位周波数をつかって、低い時間方向の周波数で会話する。

【付随】フェミから怒られそうだが言語はある程度努力カバー可能だがやはり性差存在して男は不利。そこは数でカバーするしかない。ちなみに俺は家系的にも言語能力が低いけど英語で専門分野の会議を何とかしてるくらいなので聴覚障害がなければ殆どの人がなんとかなると思う。(AI進歩でもう無用かもしれないが)

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2026-02-07

サプライサイド経済学自己放尿している

サプライサイド経済学というのは、表向きは「成長の源泉は供給能力だ」「税を下げて労働投資インセンティブ回復させろ」という、いかにも正しそうな顔をしている。

だが現実政策運用では、これはしばしば理論の皮を被った政治的アリバイ装置に堕して自己放尿している。

まり「減税したい」「規制緩和したい」という結論が先にあり、その正当化のために供給側という言葉が貼られているだけだ。

そしてこの手の政策インフレ局面で何をするか。ここが本題だ。インフレ自分責任として引き受けず、外部ショックに責任転嫁し、金融要因を直視せずに逃げる。

これがサプライサイドの自己放尿である

 

インフレ本質はきわめて単純だ。インフレとは「貨幣購買力の低下」であり、長期的・持続的な物価上昇は、結局のところマネーサプライの過剰成長によってしか説明できない。

貨幣数量説を教科書古典として片付けるのは簡単だが、現実古典がしぶとい。

なぜなら貨幣取引潤滑油であり、供給を過剰にすれば、最終的に価格体系そのものを歪ませるからだ。

貨幣を増やして、物が増えないなら、価格が上がる。これを否定するのは、重力否定するのと同じ種類の幼稚さだ。

 

サプライサイド経済学問題なのは、「供給を増やす努力」それ自体ではない。

供給能力拡張する政策は、本来重要だ。資本蓄積技術進歩労働参加率、規制コスト税制の歪み、こういう話は全部まともだ。

だが、インフレ局面でそれを万能薬のように唱え、金融現実から逃げる瞬間に、理論自己放尿へと変質する。

供給制約があるなら、供給を増やすべきだろう。しかしそれはインフレの主原因の説明ではなく、一部の緩和策でしかない。ここを混同するのは知的怠慢であり、政治的欺瞞だ。

 

しかも、連中がやる典型的ムーブがある。マネーサプライインフレの原因であるのに、ウクライナだの、輸入物価だの、エネルギー価格だのに責任転嫁して自己放尿する。

もちろん戦争供給ショックを起こすことはある。輸入物価が上がれば短期的に物価は上がる。

だがそれは「物価水準の一回限りのジャンプ」を説明するだけだ。持続的なインフレ率、つまり上がり続ける現象は、貨幣の過剰供給がなければ維持できない。

ここを区別できないなら、経済学を語る資格はない。

 

にもかかわらず、政治はこの混同を利用する。供給ショックを口実にすれば、中央銀行政府金融財政の共同責任曖昧化できる。

まりインフレは外生的だ」「我々は被害者だ」「戦争が悪い、国際情勢が悪い」と言いながら、裏では金融緩和と財政膨張を続けてダブル放尿する。

これは政策当局典型的責任回避ゲームだ。貨幣を増やしている側が、原因を外に投げる。

見事なまでに卑怯で、見事なまでに政治的合理性がある。

国民は複雑な説明を好む。「海外要因のせい」と言われたほうが納得しやすいからだ。

こうして、通貨価値毀損は“不可抗力”として処理される。要するに、責任を取らずに済む。

 

善意だろうが悪意だろうが関係ない。貨幣を増やせば、遅れて物価が上がる。

しかも遅れて上がるから政治家は調子に乗る。短期では景気が良くなったように見える。

雇用が増えたように見える。資産価格が上がる。だから選挙に勝てる。

ここで政治学習するのは、「貨幣を増やす一時的気持ちいい」という事実だ。

麻薬と同じだ。そして副作用としてインフレが来る頃には、原因は別の誰かに押し付ける。

これが政治経済学の基本構造だ。人間合理的だが、責任を負うようには合理的ではない。

 

サプライサイドがこのゲームに加担するのは、「供給を増やせばインフレは起きない」という幼稚な物語提供できるからだ。

減税して投資が増える、労働供給が増える、生産性が上がる、だから物価は上がらない。

これ自体は条件付きで一部正しい。だが、現実には供給の反応は遅い。

政治時間軸と市場時間軸は違う。設備投資には時間がかかる。労働参加率の変化も遅い。規制改革も遅い。技術進歩などもっと遅い。

にもかかわらず、貨幣供給の拡大は今すぐできる。財政赤字の拡大も今すぐできる。金融緩和も今すぐできる。といって自己放尿する。

まり政策当局がやっているのは、遅い供給改善を口実にして、速い貨幣膨張を正当化することだ。これは構造的に詐欺的にならざるを得ない。

 

そして当然の帰結として、価格シグナルが壊れる。価格とは情報だ。価格は希少性を伝える信号であり、市場参加者分散情報統合する計算装置だ。

だがインフレが起きると、価格は「相対価格の変化」と「貨幣価値の変化」が混ざったノイズになる。

企業需要増なのか通貨安なのか判別できない。労働者は実質賃金が上がったのか下がったのか分かりにくくなる。

投資家は利益成長なのか名目の膨張なのかを誤認する。

こうして誤配分が起きる。ミスアロケーションだ。資本生産用途ではなく、インフレヘッジの投機に吸い込まれる。

住宅土地株式、あらゆるもの価値保存の器として買われる。市場本来機能を失い、ただのインフレ回転装置になる。

 

この状態で「減税すれば供給が増えて解決だ」と言うのは、火事の中でガソリンを撒きながら「いや、建物の耐火性能を上げれば大丈夫」と言っているようなものだ。

耐火性能の議論重要だが、今燃えてる火を無視してる。燃料の供給を止めろ。貨幣供給を止めろ。インフレ期待を潰せ。実質金利正常化しろ。これが先だ。

順序を間違えるな。順序を間違えるのは無能か、あるいは意図的詐欺だ。

 

ここでサプライサイド派がよく使う逃げ口上が「インフレ一時的だ」「供給制約が解消すれば下がる」だ。

これもまた、政治的に便利な麻酔薬だ。だがインフレ期待というのは、そんなに素直に消えない。

人々が「どうせまた通貨を薄める」と学習した瞬間、賃金交渉価格設定も前倒しでインフレを織り込む。

これが自己実現的にインフレ固定化する。金融当局が信頼を失った経済では、インフレは単なる物価上昇ではなく、制度への不信の表現になる。つまり通貨が信用を失う。

 

ここまで来ると、供給改革議論はむしろ逆効果になりうる。

なぜなら改革をしているフリをしながら貨幣膨張を続ければ、改革への信頼まで毀損するからだ。

減税も規制緩和も、本来市場メカニズムの復権のためにあるはずなのに、インフレを伴うと単なるポピュリズムに見える。

市場派が市場であることをやめる瞬間だ。これが思想の腐敗でなくて何だ。

 

サプライサイド経済学自己放尿する最大のポイントは、「供給能力を上げる」という正しいテーマを掲げながら、「貨幣供給の過剰」という不都合な真実直視せず、外部要因に責任転嫁し、政治短期利益奉仕することだ。

ウクライナ、輸入物価エネルギー価格トリプル放尿で責任を散らし、マネーサプライの増加という核心から逃げる。

これがサプライサイドの現代堕落だ。

 

市場は強い。だが市場が強いのは、価格情報として機能し、貨幣が安定している場合に限る。

通貨価値政治破壊すれば、市場情報処理装置として壊れる。

減税や規制緩和を語る前に、まず貨幣をまともにしろ

貨幣をまともにできない政権が、供給改革などできるわけがない。できるのはスローガンの量産だけだ。

 

インフレ天災ではない。インフレ制度の失敗であり、政策の失敗であり、何より責任逃れの帰結だ。

サプライサイド経済学がもし本当に供給能力拡張を語るなら、まず通貨の安定を前提条件として守れ。

それができないなら、連中がやっているのは経済学ではない。政治的自己放尿である

Permalink |記事への反応(0) | 16:53

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日本外国人政策自己放尿で破綻する

外国人政策はまず道徳でも情緒でもなく、価格メカニズムインセンティブ設計問題だ。

日本議論はここが弱い。人手不足から入れる、かわいそうだから助ける、国際化だから歓迎する、治安不安から締める、こういう気分ベース裁量行政は、典型的政策自己放尿だ。

善意で動いてるつもりが、結果として市場シグナルを壊し、労働市場を歪め、納税社会保障の収支を崩し、最後政治コストとして自己放尿する。

まり移民を入れても入れなくても地獄」ではなく、「裁量でやると必ず地獄」って構造になっている。

 

国家がやるべきことは好きか嫌いかではなく、制度を通じて外部性を内部化することだ。

移民が増えると、賃金に下押し圧力が出る職種がある。住宅医療教育治安行政コストも増える。

逆に、生産性起業、税収、人口構造改善介護労働供給といった便益も生まれる。

重要なのは、これらを空気で処理して自己放尿せず、価格契約で処理すること。

政府市場の代わりに配分を決めた瞬間に、情報の集約装置としての市場破壊し、レントシーキングを誘発する。

移民政策はまさにレントの温床になりやすい。技能実習みたいな中途半端制度が腐るのは、制度労働市場自由化するのではなく、政治的に管理して供給を割り当てているからだ。

ここで規制が厚いほど仲介業者官僚機構が太り、移民本人は交渉力を失う。これは弱者保護の顔をした搾取装置で、規制が生んだ闇市場自己放尿だ。

 

処方箋は冷たいくらい単純で、入国の条件と滞在の条件を市場互換ルールに変換することになる。

まり曖昧情緒審査ではなく、労働契約納税保険加入・犯罪リスク教育コスト負担などを定量的制度化し、移民が生む外部性に対して事前に担保を取る。

これをやらずに「人手不足から制限に入れます」は、社会保障フリーライドを誘発するし、逆に「怖いから締めます」は労働供給制約で国内産業競争力を落とす。

どっちも非効率で、政治人気取り経済合理性を食い潰して自己放尿する。

 

ここで日本がやりがちな最悪手が、低賃金労働者を大量に入れる一方で、住宅教育医療地域治安キャパティ制約を放置し、企業側には安い労働力補助金を与え、自治体には現場丸投げをすることだ。

これはまさに、労働市場自己放尿と社会保障自己放尿のダブル放尿になる。

前者は賃金シグナルを壊し、後者財政制約を壊す。

結果、住民は不満を持ち、移民搾取され、企業生産性向上をサボり政治は分断される。

全員が損する、珍しいタイプの完全市場失敗を政府が手動で作る。

 

重要なのは移民必要かではなく、国内企業が低生産性のまま生き残る仕組みを温存してないかだ。

移民受け入れを、単なる人手不足対策として使うと、企業設備投資自動化賃上げ回避できる。

これは安い労働力による技術進歩抑制で、長期的には国全体のTFP全要素生産性)を殺す。

まり移民政策は、労働市場短期安定化と引き換えに、成長率を削る麻薬になり得る。

俺が嫌うのはこういう短期政治最適化が長期の市場秩序を破壊して自己放尿する構図だ。

 

日本外国人政策は、感情で開けたり閉めたりする水門政治をやめて、ルールベースにするしかない。

市場必要とする人材価格賃金)を通じてシグナルを出す。

ならば、政府賃金納税保険犯罪抑止の枠組みだけを整備し、あとは裁量を減らして透明に運用するべきだ。

移民を善や悪として語る国は、だいたい制度設計に失敗する。

問題移民ではなく、移民政治玩具にする自己放尿制度のものだ。

日本がやるべきなのは移民を入れるか否かの宗教戦争ではなく、インセンティブ設計ミスによる自己放尿を止めることだ。

Permalink |記事への反応(0) | 13:34

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anond:20260204142608

そもそも大半の人間進歩したいと思ってないよね。

勉強を続けないし、新しい知識を得ようともしない。自分が常に正しいとだけ信じている。自分無知であり無恥であることを認めようとしない。

Permalink |記事への反応(0) | 10:34

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文明進歩しすぎて、人間の体が追いついてないよね

たとえばスイーツだって、なかなか食べられない貴重な栄養から、甘いものが欲しくなるという仕組みだったはずだ。

けれど文明進歩して、栄養状態がよくなって、甘いもの簡単に手に入るようになったのに、脳のシステムだけは古いから、スイーツをどんどん食べたくなってしまう。

結果、肥満になり健康を損ねてしまうんだ。

もっと人間身体(脳)の進化に合わせて、文明ゆっくり進歩すれば、こんな不具合は起きなかったんだけど、急激に文明進歩しすぎて、人間が追いつけなくなってる。

うつ病もそうだよ。現代人はストレスが多すぎて、脳がストレス対応できなくなってしまってる。

承認欲求だってSNSなどで簡単承認される世の中になってしまたから、どんどん承認を求めてしまう。生存のための承認欲求だったのに、承認欲求を満たすこと自体目的なっちゃってるんだ。

じゃあどうすればいいか

一つは、自分身体(脳)はまだ文明進歩に比べて進化していないと自覚し、自制をすること。

たとえばSNSから離れるとか、お菓子をあまり買わないようにする。

もう一つは、身体を使って生きること。簡単に言えば、運動すること。人間はまだ身体を使った生き方な適した作りになってるので、それに合わせてやると、健康になるしストレスも軽減される。

まり自分身体はまだ旧文明用のままだと自覚して、古い機械を取り扱うようにして生きることが大切ってこと。

から自分みたいに、夜更かししてこんなこと書いてるのは良くないんだよね笑(今4時過ぎ)

もう寝ますおやすみなさい

Permalink |記事への反応(2) | 04:24

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2026-02-06

1000年前の人の移動「自力歩行、馬」→現代航空機/鉄道/自動車」 1000年前の人の伝達手段のろし」→現代電気通信」 1000年前の雪下ろし「命懸けで人力」→現代「命懸けで人力」 

いい加減進歩しろ

Permalink |記事への反応(0) | 21:53

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anond:20260206113226

めっちゃ仕事できるけど俺はめっちゃできるのが当たり前なのでお前を助けるのは好きだしお前がちょっとでも進歩したら嬉しいで

Permalink |記事への反応(2) | 11:36

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2026-02-05

anond:20260205084436

追記、よい文章と思いました。「現実」という言葉の持つ政治性、もっと言えば宗教性に多くの人は無自覚だし、だからこそ「現実」は強固なものなのだけれど、でもまったくひっくり返せないわけではない。それを相対化し、数ある可能性の一つに格下げしてきたのは、人類文学的芸術的学問的な努力であって、それによって人間社会進歩し、悲しみの種を少しずつ摘んできた。そんな社会を後退させるのは、現実とはこれひとつであると主張する権力であり民衆諦観です。われわれが本当に抗うべき敵はこれなんだと思います

ただし、現実もまた相対的だというのが事実だとして、その間に強度の序列があるのも事実です。苦痛生存ダイレクトに関わる現実、例えば暴力という現実はなかでも強度が高い。この現実が前面に出るときには、他の現実可能性が背景化する。現実が一つに見えてしまう。暴力問題とは、それが苦痛を生むという以上に、人が世界を眺める視点ひとつ限定してしまうところにあると思っています

ではどうやってそれに立ち向かうのか。他の現実暴力という現実に塗りつぶされてしまうのなら、どのようにしてそこから距離をとるのか。ひとつの逆説的な方法は、あえて現実を突き詰めることです。この増田が提起した「強いとはどういうことなのか?」がひとつの例でしょう。「国際関係武力で決まるのだ」(だからどんどん軍備を拡大するべきなのだ)という諦観思考停止を乗り越えて、ではどのくらい軍備を拡大するべきなのか、そもそも核兵器は「強い」のか?と冷静に立ち止まって考える。真剣現実を見据え問題解決を考えるならば、外国に対する漠然とした恐怖や悪感情など無駄です。それこそ「現実が見えていない」のですから

ですから、これを読んでくれた暇な(心に余裕のある)皆さん、現実的に考えましょう。徹底的に現実的に。あいまい暴力への恐怖や排外感情なんてわきにおいて。そうすればもしかすると、もっとましな現実に移れるかもしれません。そうなるといいなと思います

Permalink |記事への反応(0) | 13:20

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政治言葉で使われる「強い」って、なんだろう。

たとえば防衛(?)として核兵器を持つことが「強さ」だとしたら、何発あれば強くなって安心できるんだろう。

北朝鮮と同じ50発?

中国と同じ600発?

ロシアアメリカと同じ5000発?

他の国より核兵器を持ってる数が多かったら「強い」なら、どんどん作ったらどんどん強くなるってこと??

自分合唱やってたんだけど、

ffフォルテッシモ=強い声)よりも、

ppピアニッシモ=弱い声)を会場の一番奥まで届かせるときの方が、

ずっっっと深く、強く、お腹に力を込める必要があったことを思い出す。自分イメージする強さって、弱い音を届けようとするその時の感じ。みんなはどうなんだろう

追記

ポエムとしてはええけど、国際政治合唱は別物やろ。現実見ようや(´・ω・`)

コメントありがとう合唱の話が例として良くなかったのかもしれない。合唱の話してる奴と政治の話できないとか言われててしょぼんとしている…。

でも、政治において、「現実を見る」って何なんだろうね。

(あと政治の話になると、すぐに左翼とかリベラル右翼とか保守みたいにラベリングしてしまうのはなんでだろう?しかもそのほとんどが、目の前にいる相手の声をもっとよく聞くためでなく、相手の声を黙らせるために使われることが多い印象。右派左派ともにね。)

自分は、「現実」と呼ばれているものが、いつの間にか一つの見方に固定されてしまうことに引っかかってる。軍事国益の話は現実で、人が何を恐れて、何を信じて、何を希望するかは「ポエム」なのかな。

実際には、どの言葉現実的で、どの言葉空想だとされるか自体が、社会の中でつくられてきたものだと思う。差異や多様さ、弱さや希望が「非現実的」と片づけられるとき、それはしばしば「これしかない」という前提を守るための言葉でもある。希望を語ることや、別の可能性を想像することは、現実逃避ではなく、今ある価値序列暴力の前提を問い直す行為だと思っている。言葉政治が、人を排除もするし迎え入れもするのだとしたら、どんな言葉を「現実言葉」として使うかは、とても政治的じゃないかな。

それをポエムと呼ぶなら、そうなのかもしれないけど「別の世界はあり得る」と言い続けることなしに、現実が変わってきた場面があったとも思えない。

現実を見ることと、現実が一つではないと問い続けること。その両方を手放さずにいたい、という話です。

この話は、外国人労働者移民が増えていることへの恐れとも、どこかでつながっている気がする。でも自分は、それを「侵略」と同じものとして語ることには違和感がある。

たとえば、結婚したい相手苗字を、どちらかが手放さないと制度結婚できないことも現実だし、性的マイノリティの友人たちが国から存在を認められていないことも現実

どの現実を「現実」と呼ぶのか。その選び方自体が、政治ってことなのかな??

追記よんでも何が言いたいのかわからん。 』

長々とごめん。政治言葉で使われる「強い」ってなんなのかが知りたいって思ってる!言いたいよりも、聞きたい。

核兵器(ff)と斬首作戦(ppを会場の一番奥まで届かせる)はどちらが強いかみたいなことを考えてもあまり意味は無いと思う。』

自分pp斬首作戦とは思ってないよ!ただ強さについて考えるときに、自分が思い出す身体感覚を書いてみた。政治的なことも、自分自身の身体感覚から考えられないかなと思ったんだけどな。

『さて、増田はいったい何がいいたいんですか?増田は勝てない相手に逆らったことがあるんですか?増田は、喧嘩したことがあるんですか?理想を語ることなんて誰でもできるんですよ。そんなことで人より上になったとか思うのは、恐ろしく恥ずかしいことですよ。口先だけの人間は、この世で一番価値がないですよ。(抜粋)』

うーん。この前の文章は分かるんだけど、後半の↑の文章はどうしてこうなるかわからなかったな。

一応、答えておくと、勝てない相手に逆らったことはあるけど、具体的な暴力での喧嘩はないよ。痛いのやじゃん。あなたは好き?理想を語ることはほんとうに誰でも出来て、口先だけの人はこの世で一番価値がないの?

自分もできる範囲で、困窮者支援への炊き出しや、学習支援子ども食堂ボランティアを手伝ったりもしているんだけど(だからといって別に偉いとも思わない)、

口先だけってなんだろう?あなたのその文章と、どこが違うんだろう?あなたはどんなふうに行動している?もしよかったら聞かせてほしい。

歴史勉強すれば(過去人類が何をやってきたのかを少しは知れば)そのラノベかなんかみたいなシンプル過ぎる発想から脱却できると思うよ』

コメントありがとうオススメの本とかある??自分最近歴史的に考えること」「背景マッカーサー元帥師」を読んだよ(もしかしてラノベかなんかみたいなシンプルすぎる発想っていうのは政治家のことを言ってる?)。

どれくらい歴史勉強すれば、政治について分からないことを誰かに聞いてもいいんですか?

『強さは相対的から「全員が」「絶対に」強いと言い切れる事んて無いよ…ffも「100db±5」とかルール化されてない以上、ウィスパーボイスでも「ff!!強すぎ!!」と言う奴や、鼓膜が破れるくらいでかい音でも「まだpp」と言う奴がいるかもしれん

(中略)設問が悪いので「知らねーよ」と答えるしかない』

あ〜、確かに強さって相対的だ。ここに関しては、かなり同意。強さは相対的だし、尺度次第で全然変わる。

からこそ、自分が気になったのは「日本列島を、強く豊かに」ってコピーが、その“尺度”を一切示さないまま、強さだけを断定してる点で

から政治言葉で使われる強いって何?」って質問は、答えを出すためというよりも、みんながどんな尺度でその言葉を受け取っているかを聞いてみたいって思って聞いたよ。

『強くても安心できない国もあれば弱くても安心できる国もあるので、分からないのは強さじゃなくて安心かもしれない。』

しかに、強い=安心、では全然いね

軍事的・経済的には「強い」とされていても将来が見えなかったり、分断が深かったり、生活の足元が不安定な国は普通にあるし、逆に「弱い」と言われがちな国でも、日常安心感が高いところはあるのかも。

そう考えると、分からないのは「強さ」じゃなくて、政治が何をもって人を安心させようとしているのかなのかもしれない。

追記、よい文章と思いました。「現実」という言葉の持つ政治性、もっと言えば宗教性に多くの人は無自覚だし、だからこそ「現実」は強固なものなのだけれど、でもまったくひっくり返せないわけではない。それを相対化し、数ある可能性の一つに格下げしてきたのは、人類文学的芸術的学問的な努力であって、それによって人間社会進歩し、悲しみの種を少しずつ摘んできた。そんな社会を後退させるのは、現実とはこれひとつであると主張する権力であり民衆諦観です。われわれが本当に抗うべき敵はこれなんだと思います。(抜粋)』

返信ありがとう

読んでいて、そうだなぁと思いました。「現実」という言葉が、いつのまにか一つの見方だけを指すようになってしまうこと。それに抗ってきたのが、文学芸術学問だった、という話も、その通りだと思います

自分が「強いって何なんだろう」と考え始めたのも、ニュース選挙のチラシで「強い日本」とか「守る」とか「抑止力」という言葉を見るたびに、それが自分生活のどこに触れているのか、よく分からなくなる感じがあったからです。朝起きて、仕事に行って、帰ってきて、ご飯を食べて、誰かと話す。その一日の中で、いま言われている「強さ」は、何を支えているんだろう、と。

おっしゃる通り、暴力生存に直結する現実の強度は無視できない。暴力は実際に人の体や生活を壊すし、それが前に出てくると、世界が一色に見えてしまう。だからこそ自分は、「国際関係武力で決まる」という言葉をそのまま飲み込まずに、いったん立ち止まりたかったんだと思います。じゃあ、どれくらい持てば「強い」のか。そもそも核兵器は、本当に「強さ」なんだろうかと。

一方で、自分の周りを見渡すと、名字制度のせいで結婚選択肢制限されていたり、クィアの知り合いが「国から存在を認められていない」と感じながら生きていたりする。それもまた、確かに現実です。でもそういう話は、よく「理想論」や「ポエム」に押しやられる。

恐怖や敵意を前提にした「現実」だけが前に出ると、他の現実が見えなくなる。だからあいまい不安排外感情をいったん脇に置いて、できるだけ具体的に、現実的に考えたいと思っています。それは空想というより、自分や周りの人が、明日普通、、、いや普通っていう言葉じゃないな。もっとマシに暮らせるかを考えることに近い。

これを書いてて思ったけど、もしかすると有権者諦観に飲み込まれないことが「強さ」なのかもしれないですね。「もっとましな現実に移れるかもしれない」という言葉、ほんとに自分もそうあってほしいって思う。

合唱やってるんなら、合唱コンクールを思い浮かべればいいのでは。そこにも強弱差はあるだろうし、毎年入賞している強豪チームもいれば参加するだけで終わってるチームもあるだろ』

しかに、合唱コンクールの順位を思い浮かべれば「強い/弱い」はあるよね。毎年入賞する学校もあれば、参加するだけで終わる学校もある。その意味で、合唱世界にも力関係や差はあると思う。

でも自分が気になっていたのは、その「強さ」が何で測られているのかなんだと思う。声量なのか、技術なのか、編成なのか、審査基準との相性なのか。同じ曲でも、ホールや聴き手が変わると評価が変わることもある。

政治の話で「強い」と聞いて、例えば自分が思い浮かべたのは「軍事力」だったけど、合唱コンクールでも声がでかい学校が常に勝つわけじゃないのと同じで、政治において何を「強さ」と呼ぶかは本当はもっと複数あるはずだと思う。それを知りたいと思った。

Permalink |記事への反応(14) | 08:44

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2026-02-04

anond:20260204170433

近親婚ってメリットもあるんよ。だからから行われてきたわけだし。

金持ち王族ほどこのメリットがでかくなる。

1. 家の財産を外に出さないで済む

2.外戚を作らせない

結婚は家の足し算だから自分金持ちだった場合貧乏な人と結婚すると、マイナスになるわけ。

から同格の相手結婚してきたわけだけど、王族とか国一番の富豪となると同格の相手を見つけるのが難しい。

近親婚の場合、この問題を一気に解決できる。

結婚した相手の親や親せきに家を乗っ取られることがある。いわゆる外戚というやつだ。

日本史なら藤原氏がいたわけじゃん。中国史もっとたくさんいるし、欧米の国でもある。

これも近親婚の場合外戚存在しないのでこの問題解決できる。

課題としては遺伝的な病気がでやすいという欠点がある。

でも将来、科学進歩して、遺伝編集(デザイナーベイビー)が普通にできるようになれば、この手の問題も克服できるだろう。

そうなると、デメリットがなくなるので、メリットの方が輝くようになるかもしれない。

Permalink |記事への反応(1) | 17:12

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Xで「これって何の意味あんの?w」みたいな無知開き直りのいつものポストって

本人の理解が深まるようなポストはされずただただ「それな!wマジくだらねーわw」みたいな同調ポストばかり集まって人類進歩に何一つ貢献してないの面白いよな

Permalink |記事への反応(2) | 14:26

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2026-02-03

文壇知識人界隈のこのムーブ、何を考えてるのか?

日常モード道徳的優位ポジション取り

• 「自民支持=愚か/無知/加害側」

• 「理解できない人に説明する義務はない」

嘲笑罵倒ブロック排除

→ この段階で、説得可能層を自分たちから切り捨てている

選挙モード:突然のお願い

• 「頼むから今回は自民以外に」

• 「民主主義が壊れる」

• 「あなたの一票が未来を救う」

昨日までバカ扱いしていた相手に、

今日は票だけ欲しい、という話になる

■ 彼らが本気で考えていること

政治的には

• 「正しいことは言った」

• 「理解しない側が悪い」

選挙的には

• 「数が足りないから協力してほしい」

まり

対話相手ではなく、票というリソースとして見ている

■ なぜこうなるのか

自分たち

道徳的に正しい

知的に上

歴史進歩

にいるという自己認識が強い

その結果、

• 説得=下に降りる行為

• 寄り添う=妥協・敗北

と感じてしまう。

普段は殴る、必要な時だけ手を差し出すという歪んだ態度になる。

■ 最大の皮肉

自民党支持が固定化する理由の一部は、

こうした「反自民側の態度」そのもの

• 「こいつらに勝たせたら見下され続ける」

• 「少なくとも自民愚民扱いしない」

選挙戦略としては致命的。

本来やるべきだったこ

批判政策構造に向ける

• 支持者の人格攻撃しない

• 「なぜそう考えるか」を聞く

合意できなくても尊重する

政治道徳審査会にしない

Permalink |記事への反応(0) | 09:10

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2026-02-02

正反対君と僕観てると教室普通にスマホ使ってんの、すげー現代だなあって感じる。

増田青春時代はちょうどスマホが出始めた頃だったけど

そもそも携帯学業関係ないもの原則持ってきたらダメって決まりだったし、

教師に見つかったら即没収されちゃうわけで、

おおっぴらに教室操作してるやつなんていなかったなあ。

ゲーム機持って来てる奴もいなかった。

学校によるんだろうか。

増田クラスが真面目過ぎたんだろうか(進学クラスではあった)

中学の頃はもちっとヤンチャなのがいたから袖にイヤホン通して音楽聴いてる奴がいたっけ。なっつかしー。今じゃBluetoothで聴きまくりだろうな。

てか今って1人1台タブレット持ってるんだっけ?

進歩しすぎててウケる

本物のデジタルネイティブってやつだね。

うちらの頃の一番賢い電子機器って電子辞書ぐらいだったのにな。

Permalink |記事への反応(0) | 20:44

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