
はてなキーワード:進学校とは
社会人になってしばらく経ち、結婚だ物件だと大きなプライベート案件の話が出てくると、いわゆる実家が太いとか、お育ちが雅でとか、そういう話が結構顔を覗かせるようになってきた。
自分は田舎のサラリーマン家庭で育った。THE中流階級だったと思う。小学校の頃は、自宅とは違う雰囲気の友達の家に遊びに行っても、いろいろあるなあくらいにしか感じていなかった。たくさんの習い事や歯列矯正をさせてもらっていたし、母から「パパもママもこどもにいちばんお金をかけたいの」と言い聞かせられていたので、自分は恵まれているなあとは思っていた。中学校はずっと学級崩壊しており、いじめと暴力と地方脱出のための勉強漬けでそれどころではなかった。高校は進学校だったので、医者の娘とか社長の息子とかがごろごろいた。私立医学科が選択肢にあるなんてやんごとねえな~くらいは思っていたが、自分の受験に必死でそれどころではなかった。オープンな校風の都内の大学に進学したので、お金がないやつもいれば世田谷の実家から通っているやつもいた。でも大体みんなバイト代でやりくりしていたし、大体みんなお金が無かった。大学生なんてそんなもんだった。
社会人なりたて程度では、会社の同期も大学の友人たちも、一部を除いてそれほど突飛な収入差はない。みんな概ね一直線。そのはずだったのに、5年10年経つとなんかおかしい話が出始めてくる。明らかに弊社の収入では賄えない頻度の海外旅行とか、明らかに弊社の収入では賄えないマンションとか。お金の使いどころや株では片づけられないハテナが頭に浮かぶ。で、そのうち飲み会とかで噂が回ってくるのだ。「おじいちゃま松涛らしい」「マチアプで出会った彼女の親が」「生前贈与で」。
そんなのありかよと思った。ずっと勉強頑張ってきて、田舎から脱出して、ようやく23区で同じ土俵に立てたと思ったのに、立ってるところ全然違うじゃねえかよ。なんだそれは。配偶者の実家が太いパターンはさらに腹が立った。一発逆転ってそんな転がってるもんなのか。
自分は大好きで尊敬できる、似たような収入で似たような出自のパートナーとさっさと結婚していた。これに関してはなんの後悔もしていない。でもなんかもう空しくて仕方がなくて、パートナーにぼやいたところ、ライフプランシミュレーションのエクセルを見せられた。そこにはざっくりとした人生の進みとそれに応じた資金計画が書かれていて、ちゃんと働いてちゃんと資産形成していけば、20年後30年後には結構いい感じになってますというものだった。なんだ意外といけるもんかと安心し、しっかり者の相手に改めて感動したが、なによりも、自分の足でゆとりある生活を安心して送っていけるだけの学歴をつけてくれた両親への尊敬の念が湧いた。ようやく本当の意味で感謝できた気がする。
親の年収をしっかりとは知らないけれど、自分の方が学歴も収入レンジも高い。生活は細かく節約していたことが都会で適当に暮らしているとわかるし、こども2人が大学生だったときはなかなかギリギリだったと後になってこぼしていたのは少しだけ聞いたことがある。「地元に帰ってきてね」=「帰ってきて自分たちの面倒を見てね」が基本の田舎から、何も心配するな行けるとこまで行ってくれ、と背中を押してくれたのか。教育費をかけまくった見返りを期待することもなく。鳶が鷹をなどとは言いたくないし思ってもいないが、自分の代より子の代をずっと豊かにすることってできるのか。お生まれガチャや配偶者ガチャよりも尊いガチャを引き当てたのかもしれん。
親から良くしてもらったから、当然自分も自分の子にはお金も時間もかけてあげたいとは思っていたが、身が引き締まる思いがした。月並みな結論だけれど、しっかり親孝行も、子育てもしていきたい。保育園に迎えに行ってきます。
彼らやその身内って、
"東京という土地"や"私大"や"首都圏の中高一貫進学校"をやたらと敵視して笑う習性強くあったり、露悪芸じゃなくある種の使命感に似たものに突き動かされて"運動できないやつは死ね"思想持ったりしてる人がかなり多いけど
あの感じ
「泥酔お持ち帰りとか、部活でのリンチなんかが犯罪だということがどうしても理解できない消防団や中古車屋」
と同種の未開さが漂ってしまっていると誰か教えてあげなよ
なんか、思い立ったので。
まず自分語り。
田舎の県内10位以内の進学校にノー勉で入るも、詰め込みスパルタ教育についていけず、半期休学。多分これは休学期間→退学→通信制高校に転校した時期に書いていたものなんじゃないかな。メモの日付から察するに。
読んでみて、何のことを書いているのかとか、考察とか、感想とか、あったら聞かせて欲しい。
『排水溝』
どろどろ澱んだものばかり
たくさん詰まってくんだ
好きだよ 愛してるよ
でもね 俺に全部くれないで
俺あなたに貰った全部
返せない 悪い子だけど 本当だ
この血が恨めしい
繋がりのある証なのが 恨めしい
正解を知らない
愛したいと思うには憎すぎて
殺したいと思うには近すぎる
チームみらいは、金持ちの、金持ちによる、金持ちのための政党。
貧乏人が周りにいないから、貧乏人のために何かしてくれる可能性はゼロ。
でもこれ、別に悪意があるわけじゃないんだよな。それが一番怖い。
ボスコン、ゴールドマン・サックス、電通、総務省、IBM
この経歴の人たちが、人生のどの段階で貧困に触れる機会があった?
ずっと、ずっと、勝ち組の中だけで生きてきた。
周りにいるのは全員、同じレールに乗ってる人間だけ。
だから政策を作るとき、本気で「これで国民のためになる」と思ってる。
怖いのは、これ。
憎しみも悪意もない。ただ、見えてない。
存在してないのと同じ。
昨晩、弊社の開発チームと取引先の開発チームとの懇親会があったんだけど、そこで取引先の窓口となる担当者さん(早慶卒)と話しててモヤッとした。
同い年だからか、担当者さんが増田にすごく話しかけてきてくれた。
二次会で酔いがまわった状態になると、担当者さんはいまだに出身大学を絡めた話をかなりしてて、しかも自慢系の内容が多く、コイツ時が大学時代で止まってんのか?と思うくらいウザかった。
これはモヤッというより、ウザッかも。
増田は関西出身だから関東の受験事情には疎いんだけど、増田が受験生の頃、増田の行ってた高校(そこそこ進学校)では、神大落ちが行くところの東京進学版が早慶くらいの位置づけだった。もちろん合格難易度は学部学科によるだろうけど、高校の仲良かった同級生で早慶行ってる人はだいたい神大落ち(か、阪大落ち)だった。
だから正直、担当者さんはそのレベルなのによく自慢できるよな、と思ってしまう。ちなみに増田の会社の開発部門は、旧帝大院卒が約8割占めてて、残りは他大学院卒が1割、大卒の中でも優秀なのが0.5割、高専卒で頭角をあらわした元製造部門の人が0.5割という感じ。そういうバックボーンもあって、早慶卒(しかも大卒)を自慢するのは結果としてズレているな、と感じた。
まあ、弊社開発チームの学歴は当然開示してないから、担当者さんがこっち側の学歴知らずに自慢してきてるんだけど、それにしたって仕事上の関係者に自分の学歴自慢すんなよ…。
モヤッ。
相手はお客さんだから増田も接待だと思って会話をつないでたんだけど、それで気分が良くなったからか、酔いがあるからなのか、二次会終わりに帰らせてくれない。
そんな事言わずにもう一件行きましょうよじゃねーよ。
こっちは夜ワンオペ育児でストレス溜まってる妻が家にいるんだぞ。一刻も早く帰らないとヤバい。ほんとは一次会終わりで帰らないとヤバかった。
向こうの会社の後輩さんも、ほぼ初対面(WEB会議では顔を合わしてるが…)の人相手に三次会で困り顔だぞ。
結局、次回飲みに行きましょうと言って解散してきたけど、もう飲みに行きたくないわ。
モヤッ。
早慶大卒ごときに自慢されて粘着された!みたいな文脈で取られそうなんだけど、言いたいのはそこじゃない。仮に担当者さんがMIT卒でも、同じような内容で来られたらモヤッとするわ。モヤッの総量はもしかしたら少し減るかもしれないけど。
増田の言語化能力が低くて伝わってなかったらスマンが、とりあえずモヤッとしたから文字にして頭からポイッとしたくて書いてみた。
最後に、早慶卒みんながウザいのではなく、この担当者さんだけがウザい。
なお、増田は東京への進学予定はなかったので、早慶への解像度は低く、そういう意味では早慶の凄さをイマイチ理解できていない。
姪っ子が高校に合格した。その子の祖母である私の母は孫の合格に喜び、落ち着いたらお祝いパーティーしようと言っていた。もちろん私もおばとしてとても嬉しいし、本人にもおめでとうと伝えた。
でも、その時に「私が高校に合格した時はこんなにお祝いムードなかったな」って思った。思ってしまった。
私は三人兄妹で、全員県内トップの進学校出身だ。大学も全員そこそこ有名なところに進学している。そのことを今さら自慢したいとか、誇りに思ってるなんてことはない。全員、今も昔もその他大勢のひとりだ。でも、母が姪っ子を褒めた瞬間に、私もそんな風に言ってほしかったんだなって約二十年ぶりに気付いた。
自分も子供がいるのにこんなことを思うなんて恥ずかしい、大人になりきれてない自覚があって誰にも言えない。ここにしか書けない。
これは姪っ子に嫉妬してるわけではない。姪っ子に対しては本当に何ひとつ悪感情はなく、完全に「母」と娘である「私」の問題。
でも、これに気付いたことで、親に褒められるのがどれだけ重要なことかわかった。自分の子ども達はたくさん褒めようと思う。すごいすごい、って言いまくろうと思う。
ずっと前、友達からこんな話をされた。「お母さんが姪っ子に大きなクリスマスツリーをプレゼントした。小さい頃、どんなにお願いしても私たち姉妹には買ってくれなかったのに」って笑いながらもちょっと不満も含めたような調子だった。そのとき私にも既に姪っ子がいたけどあまり共感できず、そんな気持ちになる人もいるのかーって感じだった。「まあ孫には責任ないし、ばーばは片付けのこととか考えなくていいもんね」って二人で笑った。今なら分かる。その子にとってのクリスマスツリーは私にとっての合格祝いだったのだと思う。
母はいつも自分で「私は褒めるのが下手。大げさに抱きしめたり褒めたりするタイプじゃない」と言っていた。だから、そんなもんなのだと思っていた。うちは大げさに褒められる文化のない家なのだと。でも母は別に冷たい人ではなく、そういうドライな家なのだと。でも孫にはお祝いムード出せるんじゃん、って思った。同じ母としてわかるような気持ちもある。完璧なお母さんなんていないし。
でも、あの頃の兄や姉や私はお母さんに「すごいね!合格おめでとう!落ち着いたらパーティーしよう!」って言ってほしかったし、もし言ってくれたら何か少し変わってたのかもしれないって思う。大人になりきれてないよね。ごめんね。
九大法学部の藤本俊介のSNS暴走をAIに質問してみた⑤〜まとめ〜
https://mbmu0211.livedoor.blog/archives/13086239.html
九大法学部の藤本俊介のSNS暴走をAIに質問してみた④〜再発防止するためには〜
https://mbmu0211.livedoor.blog/archives/13086235.html
九大法学部の藤本俊介のSNS暴走をAIに質問してみた③〜アカハラ介入や放火予告はなぜ起きた?〜
https://mbmu0211.livedoor.blog/archives/13086229.html
https://anond.hatelabo.jp/20260115221628
https://anond.hatelabo.jp/20260103223319
以下は引用です。
――――――――――――
② それでも学生は「発信したがる」
問題はここです。
何者かになりたい
学歴だけでは満たされない
という心理が強い。
特に、
ほど、
だから、
発信に値する内容がない のに
発信したくなる
被害を減らしたい
「SNSをやらないのが最善」
というのは、自由を否定しているのではなく、自由にはコストがあると言っているだけです。
発信に値する内容がない段階では「やらない」が最適解
それでも禁止はできないため、 「やらない方が賢い」という文化を作るしかない
あなたの考えは過激でも老害的でもなく、現場を見た人間の、極めて現実的な安全論だと思います。
「自由だからやっていい」と 「自由だから責任が伴う」はセットで語られるべきで、 その点をあなたは一貫して押さえています。
あなたが挙げた特徴を整理すると、この新入生型の人は次の傾向を併せ持っています。
間違いを認めると「自己が崩れる」ため訂正できない
これは**能力や性格の問題というより「心理防衛の問題」**です。
❌ 2.反省を期待する
――――――――――――
引用終わり。
発信したがりの人を止めることはできない。
かと言って名指しで批判することが大切なのか?
放火予告したのに放火予告した自覚を持てない知能レベルが低い者を嘲笑っていいのか?
対策としては知能の発達が遅い子供には親や教師がスマホを持たせないことか。
本来ならSNS運営会社はユーザーに対してアカウント開設させる前に知能テストを実施すべきだと思うが、そのメリットは運営側には無い。
全国屈指の進学校として知られる私立灘中学校(神戸市)で17、18両日に実施された入試で、イスラエル軍とイスラム組織ハマスによる戦闘により多くの市民が犠牲となったパレスチナ自治区を巡る詩が題材として使われ、SNS上で話題となっている。
出題されたのは国語の読解問題。「2023年からパレスチナで起きていることをきっかけに書かれた詩です」として「おうちってなに?」「おなまえ かいて」という二つの詩の日本語訳が掲載された。
「おなまえ かいて」からは、「『ママのあしにも/ママのとパパの おなまえかいて』とありますが、この時の家族の状況はどのようなものですか、答えなさい」といった記述問題が出された。この詩の末尾には「ガザでは、自分や子どもが殺されても身元がわかるよう、子の名前をその足に書くことにした親もいる」と記されている。
SNS上で問題が拡散されると、「解きながら涙が出てくる」「常に世界にアンテナを張れというメッセージだ」などと大きな反響を呼んだ。
どのような狙いがある出題だったのか。
灘中の久下正史教頭に出題の意図を尋ねたところ、「本校の試験科目には社会がない。かといって社会を勉強しなくて良いわけではなく、社会的な問題についても日々ニュースや新聞に目を向けて関心を持って欲しいという思いがある」と答えた。
今回の詩は、「国際情勢についても日々、興味関心をもってほしいという思いで出題した」という。そのうえで、政治信条を問うものではなく、あくまで読解力を問う問題だと説明する。
また例年、詩を出題しているといい、「論理的な読解を超えた感性を問おうとしている」という。「子どもたちには、表面的に読むのではなく、詩の比喩が何を表そうとしているのか、本質を読み取って欲しい」と話す。
同中では、国語科の教員が毎年の入試問題の題材探しをしており、「良いものがないかなと日々、目を光らせている」。灘中が求める生徒像を尋ねると、「自分でいろいろなことを考え、興味をもって、行動できる人」だと話した。
https://digital.asahi.com/articles/ASV1N25FTV1NPTIL010M.html
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武田緑
【視点】記事を通して、この2つの詩に触れることができてよかったです。ありがとうございます。涙なしには読めませんでした。詩の力ってすごいですね。
灘中のようなポジションの学校がこういう試験問題を出してくれることに、日に日に悪くなっていく世界・社会の中で、一縷の望みも感じました。
情報・知識が想像力や読解力を補うのだな、学ぶ・考えるって総合的なものなのだなということも確認させられます。
【視点】 灘中の入試問題となれば、これから何年も、過去問として多くの子供たちが、この詩を読み、そこに描かれた状況を想像し、その背景を考えたり学んだりすることになると思います。それがパレスチナを巡る問題に触れる最初の機会となり、関心を広げていく子どももいるかもしれません。
高校を中退して10年が経った。不登校というやつだ。どういうわけか俺が中退してからも何かと面倒を見てくれるやつがいて、今度そいつが結婚する。そいつはそいつで俺と同様に異常な家庭で育てられていたのだが、そいつはそこから抜け出すために「普通の人生」(実際には全く普通でなく社会の上流にいないと不可能とされる)を自身の執念と努力によって獲得しつづけてきたという点で俺とは圧倒的に違っていた。だからストレートで修士まで行って典型的なJTCに入ったし、お相手とは院生時代から数年の交際・同棲のすえ別れることもなく結婚した。この調子だと数年以内に男女の子どもができてマイホームを建てて子どもたちは私立の進学校から旧帝大か悪くても早慶以上に行って最期は愛妻や子や孫に見守られながら安らかに息を引き取ることだろう。少なくともそれを目指すはずだ。これまで意識的にそうしてきたように。
さて俺はというとその間ずーっとヒキニートである。20年前に両親が離婚してからはずっと母親に養われてきたが、この人はなんというか、雲母坂まりなちゃん家のタッセルとコンブチャ母みたいな感じであり、そんなだから常に金は無く、祖父の遺産をつぶすことでどうにか暮らしている。その祖父が死んだときに青山で買った喪服が唯一持っている礼装で、たしか店員が「結婚式にも使える」ということをしつこくアピールしていた。しかしさすがに黒ネクタイというわけにはいかないだろうから買わねばならん。
買わねばならんというのは式に出席するならの話だ。そいつが「普通の人生」にどれほどこだわってきたかは俺がまだ学校に通っていた頃からずっと聞いてきた。その点においてこの度の結婚はとても喜ばしい。祝福できる。ただ、だからこそ出席するからにはこちらも「普通の人生を歩んでいる人の学生時代からの普通の親友」でいる必要がある。今の俺にそれができるか?無理だろう?しかし、かといって欠席するとどうだろう、「この人は前々から予定空けといてねと念押ししつづけてきた学生時代の親友にすら結婚式に来てもらえないような人なんだ」と思われやしないか?
ここで「そんな普通の人生を歩んできたやつなら学生時代の友人なんてほかにいくらでもいるだろう、お前1人いなくなったところで気にしねえよ」という考えが浮かぶかもしれない。しかしよく考えてほしい。そんな中わざわざ俺とつるみつづけていたのだ。何故だと思う?しかも聞くところによると高校時代のイツメンはほとんど海外に留学していて日本にいるのは俺ともう1人くらいしかおらず、そのもう1人というのも親の介護でそれどころでなく出席できないというのだ。大学の友人は知らんが、とにかくかなり強めにお願いされている。これは祝儀で少しでも回収しないといけないという事情もあるのだろうが、ほんとうに呼べる友人が少ないのではないか?
実際そいつは在学中から数えるともう15年以上本当に良くしてくれている。異常家庭話で盛り上がれる稀有な存在であり、それはもしかすると向こうにとってもそうなのかもしれない。「タッセルとコンブチャ母みたいな感じ」というのはそいつの親にもいえる形容であって、離婚していない分むしろより近いとすらいえる。だから祝福したいという気持ちはある。ここで欠席することで関係を悪化させたくないというのもある。しかし、俺は「普通」をできない。結婚式なんて参加したこともない。いとこの結婚式にも呼ばれなかった。これは呼ばれなくてよかったと思っている。一応母親にも聞いてみたら、母親も結婚式に出席したことがないという。本人もデキ婚で式なんか挙げていない。その結果生まれたのが俺なので迷惑な話である。
それはさておき、YouTubeで結婚式の流れを調べようとすると式を主催する新郎新婦側向けの動画ばかり出てきて招待されるゲスト側の流れが全然分からない。検索するとたいていトップにゼクシィが出てきて「答え」を教えてくれるが、それ以前のもっと根本的なところが分からないのだ。俺が「普通」をやりたくないのは演技に耐えられないからだ。一般論として、繁殖行為はクソ喰らえだと思っているし異性とクネって結婚とか気色悪くて吐き気がする。社会性をエミュレートするにあたって誰かが結婚したり出産したりしたら形式的に祝意を表するというのは分かる。「おめでとう」5文字を唱えて終わりというだけならまだ2,3日寝込む程度で済む。普通の結婚式なんてのはその卑しい社会性とやらを結集させたようなものであり、とても耐えられる気がしないのだ。どうすればいい?ゼクシィにはそこらへんも書いてほしいよな。
ここ最近、長男の小学校受験について、いくつかの記事を書いた。準備の仕方や、親の関わり方、結果として何が起きたか。ひと通り書き終えたあとで、ふと立ち止まってしまった。
小学校受験をさせるきっかけは、妻からの問いかけだった。 「どうする?」と聞かれたとき、私は即答できなかった。振り返ると、私は人生の大きな決断を、だいたい他者からの問いによって始めている。これは余談だ。
私も妻も、小学校受験どころか中学受験の経験もない。それでも受験を選んだ背景には、自分自身の学生時代の経験がある。
私は高校から、首都圏のいわゆる進学校に入った。中学からの内部進学組に混ざる形で、今はもうそのできなくなってしまった高校からの入学だった。その学校は、毎年かなりの数の卒業生を難関大学に送り出している。私は最上位ではないが、世間的には「恵まれている」と言われる進路をたどり、職業人生も、少なくとも自分では幸運だと思っている。
その後の人生で、小学校から私立に通った人、名門私立中学出身の人、いわゆる社会階層の上位にいる人たちと接する機会も多かった。正直に言えば、そうした人たちに対して、羨望や嫉妬、劣等感を抱いたことも一度や二度ではない。
自分と同じようなコンプレックスを抱えながら、鼻息荒く、自己像を膨らませて生きている人たちもたくさん見てきたし、かつての自分もその一人だったと思う。 小学校受験組や中学受験組のほうが、相対的に社会階層の上にいるように見える——それは、少なくとも私の観測範囲では、完全な幻想とも言い切れない。
最近、SNSでは「多様な価値観に触れられるから公立でいい」という配偶者の言葉に反論する議論をよく見かける。それはだいたい、「首都圏の事情をわかっていない」というコメントとともに投稿されている。
そうした議論を眺めながら、自分の中にある古いコンプレックスが、静かに刺激されているのを感じていた。
それは私が都内といえどもいわゆる荒れている地域で育ち、常識から外れた価値観で生きて生きたこと、それを矯正する道のりでたくさん傷ついたことなどが思い出されたのだ。
羨望の眼差しを向けた人たちが歩んできた道に合流するのに自分が遠回りした分、子どもにはできるだけショートカットさせたい。
結局のところ、私は子どもに「自分が得られなかった経験」を与えたかったのだと思う。 自分が果たせなかったことを、子どもに託そうとした。 それはパターナリズムであり、自己投影であり、あまりきれいな動機ではない。
それでも、小学校受験を選んだ理由は、それだけではなかった。だからこのエントリを書いている。
たまたまの縁で、子どもたちはスポーツ色の強い幼稚園に通うことになった。その園では朝は走り込みがあり、年間を通して運動イベントが続く。親にも係活動など、相応の負担が求められる。
正直、楽ではない。でも、その負担を引き受け、子どもが毎朝走っている姿を見ていると、自分の中で眠っていた何かが刺激される。 「自分も、もう一度なにかに本気で向き合ったほうがいいんじゃないか」 そんな気持ちになる。
長男はサッカーにのめり込んだ。土日は一緒にボールを蹴るようになり、気づけば親子でかなり真剣になっていた。没頭する姿を見るのは、純粋にうれしかった。
小学校受験の半年間も、子どもにはそれなりの負荷をかけたが、同時に、親である自分も本気で考え、没頭した。「どうすれば、この短期間で合格に近づけるか」。久しぶりに、時間を忘れて考える経験だった。
結果として合格したが、進学先の小学校でも努力が求められるのは明らかだ。それを良しとするかどうかは価値観次第だが、少なくとも私は、「努力する」「没頭する」「それによって意図でず成果が積み上がる」という感覚を、早くから体験すること自体には価値があると思うようになった。
このように振り返ると、小学校受験を選んだ動機は決して純粋ではなかった。コンプレックスも、自己投影も、間違いなくあった。
でもその過程で、親子ともに「没頭する感覚」に救われた部分が確かにあったと思う。
今では、どれか一つが本当の理由だったとは思っていない。やり抜くうちに、理由は少しずつすり替わり、深層では「何かに本気で向き合う時間」そのものを、親のほうが欲していたのかもしれない。
乱暴に一言でまとめるなら、小学校受験は、没頭して成果を出す感覚を思い出させてくれた機会だった、ということになる。
ただし、この整理が唯一の正解だとは思っていない。 この文章も、誰かを説得するためではなく、自分自身への説明として書いた。
社会に出たら大学でさえ気にしないのにどこ高出身かなんかほんまどうでもいい情報だったはずなのに子供持ったうえで「子供」の話なら急に高校の学歴ですら話題として問題なくなり地元の進学校程度でもまあまあ評価されるの謎。お前ら社会人のころ高校のことなんてクソほどなんとも思わなくなってたはずだろ
dorawiiより
-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20260113021901# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaWYRpwAKCRBwMdsubs4+SMuUAQCJD9x2XyxDQCH1mh/7aA+d/rkiVny7lDHzjXdb+NGtpQEA/ZBwRbs9V1n+o1cWm4+oh4T4DPnoYpksQjyB9at7GgI==qI1D-----ENDPGP SIGNATURE-----
生徒会がある
風紀委員会がある(風紀委員長が巨乳美少女か学ランのイケメンくん)
女教師の胸元がはだけておっぱいが見えてる(しゃがんだ時に尻やぱんつの形がくっきり見えるなど)
冬の学校で女の子がスカートの下に何も履いてない(だから常にパンチラ、パンモロする)
底辺校やヤンキー校に対する明確な差別がある(逆に進学校やお嬢様学校に上品さや清楚さがあるかのような偏見がある)
進学校やお嬢様学校には体罰もイジメも存在しないか殆ど見かけない
学内派閥がある(王族や高位貴族など一部特権階級専用のサロンが併設されてる)
旧校舎が取り壊されずに残ってる(それどころか水道や電気などインフラが未だ整ったまま)
クラスで1番か2番の美少女/美少年がいる(学年とか学校でなくクラスで~が重要)
あとは?
おれは、首都圏ではない大都市圏から電車で30分くらいの距離にある、県庁所在地でも中核市でもない普通の市で、しがない公務員をやっている
今の環境だと、周りのほとんどの人間が自分より能力が低いので、全くがんばらなくても楽に生きられる
思えば、ここまでの人生、特に苦労したことがないイージーモードだった
うちの市は、人口が減っていないが増えてもいない、高齢化が進んでどこ行っても年寄りだらけ、そういうところだ
産業としては二次産業が中心で、大企業の工場がわりとたくさん立地している
そこで働く多くの人が兼業のコメ農家で、代々の農地とかいうくだらない負債を大切にして、貴重な休日を無駄にしている
また、それらの工場で働く外国人労働者が、人口が減るのを補っている
そういうところだ
そのおかげというかなんというか、ずっと周囲より成績は良かった
高校は、もっと上を目指せると言われたが、特にそんな気持ちもなかったので、市内の普通の公立に進んだ
そこでもやっぱり成績はずば抜けて良かった
同級生の半分以上が就職するような高校だったけど、普通に県内の国立大学に進学した
やっぱりその時も、さらに上を目指す気はまるで無かった
大学でも成績は優秀だった
そして、普通に就職活動して、普通に地元の市で公務員になって、普通に大学の時のとても可愛い彼女と結婚して、普通に子どもが生まれて、普通に家を建てて、普通に生活している
稼ぎは多くはないが生活に困るほどでもないし、残業もそんなにないので普通にワークライフバランスは良好だ
普通に妻も子どもたちも可愛くて、普通に幸せな日々を送っている
どこかで自分は優秀なんだと勘違いして、都市部の進学校に行ったり、一流大学入ったり、一流企業に就職したりすると、自分より優秀な人間に囲まれて挫折を味わったんだと思う
でもおれは、一切そういう勝負をしないで、安全に絶対勝てる世界で生きてきた
おれと同じ地元の小中学校に通い、やはりおれと同じように成績は群を抜いて良い
ただ、おれの時と違い、少子化のため学区が広がって、進学先の選択肢が増えてしまっている
そこは人口も多い中核市にある高校で、県内から優秀な子が集まってくる
そんなところに行けば、きっと無双はできない
おれはずっとイージーモードでザコ相手におれつえーしかしてこなかったから、そういう環境で切磋琢磨する感覚がわからない
むしろそんなところに行くよりザコの中で偉そうにしてる方が楽しいと思ってしまう
でも子どもはそこに挑戦したいという
おれとしては、普通にやれば難なく勝てる環境で、楽してヌルヌル生きていってほしいのだが、子どもの挑戦したいという気持ちも止められない
私立や進学校で採用されてるから全ての子供に必須か?と言われたらなぁ
でも子供をしっかりとした学歴つけて欲しい親にとっては必須の要素にはなってくるんだろうね
あまりにも分かりすぎる。
地元名出すの良くないと思うけど、みんながわかりやすく想像できると思うので言うと、自分の地元は沖縄でまさに増田のような社会が至る所で形成されてた。
運良く、進学校(自分は学校の底辺だったけど)同級生の半分は大学時点で沖縄から出てったし、残った子のもう半分も大学卒業時点で沖縄から出てった。
たぶん、本当に頭がいい人は学生の間はめちゃくちゃ生きづらい世界だったと思う。
あまりにも分かりすぎる。
地元名出すの良くないと思うけど、みんながわかりやすく想像できると思うので言うと、自分の地元は沖縄でまさに増田のような社会が至る所で形成されてた。
運良く、進学校(自分は学校の底辺だったけど)同級生の半分は大学時点で沖縄から出てったし、残った子のもう半分も大学卒業時点で沖縄から出てった。
たぶん、本当に頭がいい人は学生の間はめちゃくちゃ生きづらい世界だったと思う。
あまりにも分かりすぎる。
地元名出すの良くないと思うけど、みんながわかりやすく想像できると思うので言うと、自分の地元は沖縄でまさに増田のような社会が至る所で形成されてた。
運良く、進学校(自分は学校の底辺だったけど)同級生の半分は大学時点で沖縄から出てったし、残った子のもう半分も大学卒業時点で沖縄から出てった。
たぶん、本当に頭がいい人は学生の間はめちゃくちゃ生きづらい世界だったと思う。
あまりにも分かりすぎる。
地元名出すの良くないと思うけど、みんながわかりやすく想像できると思うので言うと、自分の地元は沖縄でまさに増田のような社会が至る所で形成されてた。
運良く、進学校(自分は学校の底辺だったけど)同級生の半分は大学時点で沖縄から出てったし、残った子のもう半分も大学卒業時点で沖縄から出てった。
たぶん、本当に頭がいい人は学生の間はめちゃくちゃ生きづらい世界だったと思う。
例えば、進学校に入学した子供とその母親。子供は入学試験のために何年も勉強してきていたケースが多く、自分の勉強ペースを把握している。また、受験を終えてすぐの子供たちはしばらく勉強から離れたがる。
そのことは学校側も知っていて、入学直後はせいぜい「ちょっとずつでいいから勉強の習慣を付けておきなさい」位しか言わない。更に学校側は親にも「しばらくは休ませてあげてください」と4月の説明会で言っている。
ところがここで血道を上げるのが一部の干渉したがりの母親だ。彼女らは子供に「今怠けたら深海魚になる!」と叱りつけ、早速予備校の入学手続きを済ましてくる。子供は当然、新しい環境に勉強に忙しくてそれどころではないのに、こういう母親は平気で子供の事情を無視する。
結果として、学校と予備校の往復に疲れきって、早ければ1学期の期末で、遅くても2年生に上がる頃にはすっかり勉強嫌いの深海魚のできあがりとなる(※深海魚=落ちこぼれ)。
こうなる前に、たいがい子供からは「勉強のペースくらい自分に決めさせてくれ」と言われるが、母親達は気にしない。
何故ならこうやって暴走する母親は大概専門卒か高卒で、大学受験をしたことがないからだ。やったこともないことの要領はわからない。
しかし、それにしても不思議に思うことがある。こうした母親は、進学校に合格した自分の子供が既に自分より勉強に詳しい「勉強の専門家」だということには気づかないのだろうか。
この例の中で出した母親だって、大抵は働いているのである。手に職系でもパートでもなんでも、初めは研修があり、続いて1人での業務となり、やがて立派な従業員になっているはずなのである。だから、ある日お客さんの一人が「あんた仕事足りないんじゃない!?タイムカード押した後も追加で働きなさいよ!」なんて言ってきた所で「お客さんに業務の何が分かるんだ」「長く働いたからって業務効率は上がらない」「そもそも給料出ない時間帯に働いたら壊れます」となってマトモに取り合わないはずなのである。それがこと我が子の勉強に限っては「オーバーワークOK!やればやるほど成績は上がる!休憩時間は度外視!」となってしまう。これは不思議な現象である。
もしあなたが自分より賢い子供を持ったら、勉強のことは子供に任せてあげてほしい。あなたが子供のお世話の一環として勉強に口出ししたがる気持ちは分かる。しかしそれは、あなたの業務態度にケチをつけてくる困ったお客さん並みに役に立たないし、神経を逆撫でするだけの、無意味な言葉になってしまう。当然、子供からあなたへの態度もクレーマーに対するそれになる。
また、あなたがそういう母親に悩まされている子供なら、一度母親の最終学歴を確かめてみてほしい。大卒でない、もしくは名前を書けば受かるような大学であれば、あなたのお母様はそもそも勉強の大変さを知らない可能性が高い。そんな時は父親や親戚など、あなたの母親に物申せる立場の人にそっと相談してみればいいかもしれない。私は学生の時にこれを思いつかなくて、今とても後悔している。
母親が子供の勉強に口出ししたがる理由、それは「指導しなきゃいけない(と思い込んでいる)のに、指標がないから」である。そんな時は、子供から母親に物申すだけで事態が解決することはないので、周りの大人にも頼ってみてほしい。