
はてなキーワード:進学校とは
昭和には今考えるとあり得ないようなクレイジーな教師が居たんだよ、ということを備忘録として記しておく。
生徒に「便所」「うんち」といったあだ名を付けて自分だけでなく生徒間でも呼ばせていた。
あだ名を付けられたのがひょうきん男子たちだったから事なきを得ていたけれど、あれはどう考えてもイジメだった。
体育は2クラス合同で、更衣室がない代わりに男女別の教室で着替えるんだけど、Hは堂々と女子生徒が着替え中の教室に入ってじっくりと女子生徒の着替えを観賞。
女子生徒に苦情を言われても「ここは俺が担任の教室だ!」と開き直り居座った。
男子生徒がつけたあだ名はジャイアン。もしくはバーコードハゲ。容赦ないよね…
今思うとそれほど悪い先生ではなかったとは思うんだけど、
女子体育教師がいる中で、女子生徒の体育担当になったのは悲鳴が上がるのも仕方ないとは思った。
今考えると気持ち悪い。
でも当時は他にも何人かそういった教師は居た。
熱血漢ではあるのだが、できない生徒に約束という名の押し付けを迫り、それが破られるとキレるというマッチポンプ熱血漢でうざかった。
予習をしてきた生徒が次々と課題をこなすのを叱ってたのは意味がわからなかった。
生徒を完全に自分のコントロール下に置くのが至上命題だったっぽい?
自分が務めてる高校ではなく、母校であるもう一つの進学校を賞賛し、勤務先の高校をけなしてばかりの人だった。
予習をしっかりして、授業中に眠るべきという、訳のわからない主張をしていた。
英文を読んで即座に和訳して問題を解け、という当時でも前時代的としか言い様がないやり方を押し付けてうざかった。
ちなみに生徒間で呼ばれていたあだ名はアイババ。
本名もじり+ババア+サイババみたいな髪型だったからそう呼ばれていた。
前々から思ってたけどさ、
日本在住の15歳以上の方はJAPAN MENSA主催の入会テストを受けて、全人口の上位2パーセント以内のスコアであると認められれば会員となることが出来ます。
クラスに1人いるかどうかくらい程度の連中が集まったところでなんもおもしろくなくないか…?
何かの足切りに使うならまだしも、せいぜい進学校の同窓会かそれ以下じゃん。
会員規模を大きくしたいのか知らんけど、ウルトラメンサとかゴールドメンサとか作って上澄みが集まった方がまだ意義があるんじゃない?
(ChatGPTに聞いたらThe Mega Society なる別の団体が世界人口の上位 0.0001% を掲げているらしいが)
母親が兄弟(私以外は男ね)を我が子として可愛がってて、私は一緒に家庭を回す人って扱いだったからずっと我が子として愛されたいんだろうなっていうのはわかってる
だからこそ報われないのを理解した今は頑張って疎遠にしてるわけですわ
兄弟に関しては、すごく頭が良かったのに奨学金を憎悪する母親によって偏差値にあった地元でも指折りの進学校じゃなくて地元の工業高校に行かされて大学にも行けず…ってなっちゃったことへの罪悪感とかかなあ
私は「母親は中卒で准看護師になれって言ってるけど私は多分看護師には向いてないし、母親の意思に従うと将来困るな」と思って殴り合いの大喧嘩して自分の意思通して高校選んでて、自分だけ好きにしちゃったな、みたいな
今年の夏、熱中症で搬送された義母に検査で癌が見つかった。すでに転移があり、今年の冬は越せないだろうとのことだった。
しばらくして、ホスピスに転院する段取りがついたので再び帰省。
幼い子供を連れての移動は大変だったが、私以上に夫の方が辛かっただろう。
夫と義母は折り合いが悪い。
夫はあまり昔の話をしたがらないので、具体的は話はあまり知らないのだが「人間的に合わない」のだそうだ。
地方出身の夫は地元の進学校に進学し、東京の大学に進学した。実家を出たかったらしい。
付き合い始めてから今まで何度か帰省はしていたが、段々期間が空いていき、結婚の顔合わせ以降はコロナや仕事を理由に帰省していない。時々連絡は来るそうだが、何通かに一度そっけなく返信する程度だそうだ。
側から見ると嫌われていると気づきそうなものだが、義母が夫の気持ちをどう捉えているのかイマイチわからない。
久しぶりに会った義母は痩せていた。
挨拶もそこそこに「あなた少し太った?」と言われた。お義母さんは痩せましたね、とは言いづらかったので「産後なかなか戻らなくて」と笑って誤魔化した。
夫が引き払った義母宅からサルベージした宝飾品を渡される。義母が夫に「私にあげて」と言ったものだが、夫は義母から私にて渡した形にしたいようだった。こういうところに、夫と義母の関係が窺えた。
受け取ったもの中には夫の祖母からのものもあるそうで、それなりの品だそうなのだが、私に審美眼がないので古いデザインのアクセサリーに見えた。
何より夫と義母の関係性を思えば、受け取るのも身につけるのもるんるん気分でという訳にもいかない。
ありがとうございます、私も息子のお嫁さんに渡せるようにしますね、と言った。
言葉を話さない息子はご機嫌な様子で面会室を歩き、ソファによじ登っていた。
私が義母と関わったのはせいぜい数時間で、その間にも「こういうところが夫は嫌いなんだろうな」と思うことはあったが、我慢できないほどではなかった。
ある一点での夫の義母への対応を見れば、夫は冷たい息子のように見える。同じ部屋にいると言葉の端々が鋭く、語気が強くなっていく夫。あぁイライラしているな、と思うのだが義母は全く気にしていない様だった。こういうのを鈍感力というのだろうか。
ホスピスの医師に外出していいと言われたから外出したいと地元に着いてから言ったり、私に「あなたのイントネーションって…‥ちょっと変わってるわね」と言ったり、タッパーを買ってきて欲しいと言いながら、どのサイズか聞いても答えずに違うことを話し続ける義母。
私は要領を得ない会話も、デリカシーの基準の違いもしょうがないかなで付き合えるが、夫は義母の言動に一緒に過ごした時間と思い出が透けて見えるのだろう。
夫に「そんな言い方したらかわいそうだよ」とか言うのが教科書的なのかもしれない。
でもその類のことは思わなかったし、言わなかった。自分も夫と同じかそれ以上に、実家と関係が悪いからだ。
お金をかけずに上京できる手段を見つけられたのが私の人生のターニングポイントだったし、その手段を手にできたのが一番の幸運だった。それがなかったら夫と出会うことも、子供を産むこともなかっただろう。
息子を出産した時、実家とは訣別した。息子にも夫にも、この人たちを関わらせたくないと思ったからだ。
私がもう関わらないでくれ、と送った連絡に、母は「疲れているのね」と返事をした。
あぁ私の気持ちは受け取ってもらえなかったんだな、心が冷えていく感じがした。
連絡しないでと言う私と、通勤中に撮った虹の写真を送る母。会いたいという母と、連絡を無視する私。
あるとき×日に会えますか?と連絡が来て、耐えきれずに、こちらは元気でやっているから、そちらも自分の人生を充実させてくれ、私には関わらないでくれ、という内容で返事した。
その×日にインターホンがなったときの恐怖と悲しみ。母からの連絡と同じ数ある小さな絶望。
母は私の話を聞いてはくれない。私の気持ちを分かろうとしてくれない。もうこれ以上付き合いきれない。
そんな私に「お母さんにもっと優しくしてあげなよ」と言った友人の言葉がいかに軽薄だったか。
家族が仲がいいことはいいことだと思うけれど、私はそうなれなかった。
夫も多分同じだから、余計な助言はせずに話を聞いた。
実家・義実家の手を借りずに子育てをするのは大変だと思うこともあるが、都会には様々な事情の似たような状況の人がたくさんいて、そのための支援やサービスがある。
毎日まぁまぁ大変でそれなりに楽しくやっているが、時々不安になる。
自分が母にした報いが、いつか自分に返ってくるのではないか。息子から嫌われて、疎まれるようになるのではないか。
今子供から与えられている愛情が形を変えた時、私は気付けるだろうか。その時に自分を保っていられるだろうか。
義母は浮腫で歩くことができなくなり、薬の副作用か病状か、辻褄の合わない会話が増えたらしい。
死に向かっていく義母。そして母へ。
今年の夏、熱中症で搬送された義母に検査で癌が見つかった。すでに転移があり、今年の冬は越せないだろうとのことだった。
しばらくして、ホスピスに転院する段取りがついたので再び帰省。
幼い子供を連れての移動は大変だったが、私以上に夫の方が辛かっただろう。
夫と義母は折り合いが悪い。
夫はあまり昔の話をしたがらないので、具体的は話はあまり知らないのだが「人間的に合わない」のだそうだ。
地方出身の夫は地元の進学校に進学し、東京の大学に進学した。実家を出たかったらしい。
付き合い始めてから今まで何度か帰省はしていたが、段々期間が空いていき、結婚の顔合わせ以降はコロナや仕事を理由に帰省していない。時々連絡は来るそうだが、何通かに一度そっけなく返信する程度だそうだ。
側から見ると嫌われていると気づきそうなものだが、義母が夫の気持ちをどう捉えているのかイマイチわからない。
久しぶりに会った義母は痩せていた。
挨拶もそこそこに「あなた少し太った?」と言われた。お義母さんは痩せましたね、とは言いづらかったので「産後なかなか戻らなくて」と笑って誤魔化した。
夫が引き払った義母宅からサルベージした宝飾品を渡される。義母が夫に「私にあげて」と言ったものだが、夫は義母から私にて渡した形にしたいようだった。こういうところに、夫と義母の関係が窺えた。
受け取ったもの中には夫の祖母からのものもあるそうで、それなりの品だそうなのだが、私に審美眼がないので古いデザインのアクセサリーに見えた。
何より夫と義母の関係性を思えば、受け取るのも身につけるのもるんるん気分でという訳にもいかない。
ありがとうございます、私も息子のお嫁さんに渡せるようにしますね、と言った。
言葉を話さない息子はご機嫌な様子で面会室を歩き、ソファによじ登っていた。
私が義母と関わったのはせいぜい数時間で、その間にも「こういうところが夫は嫌いなんだろうな」と思うことはあったが、我慢できないほどではなかった。
ある一点での夫の義母への対応を見れば、夫は冷たい息子のように見える。同じ部屋にいると言葉の端々が鋭く、語気が強くなっていく夫。あぁイライラしているな、と思うのだが義母は全く気にしていない様だった。こういうのを鈍感力というのだろうか。
ホスピスの医師に外出していいと言われたから外出したいと地元に着いてから言ったり、私に「あなたのイントネーションって…‥ちょっと変わってるわね」と言ったり、タッパーを買ってきて欲しいと言いながら、どのサイズか聞いても答えずに違うことを話し続ける義母。
私は要領を得ない会話も、デリカシーの基準の違いもしょうがないかなで付き合えるが、夫は義母の言動に一緒に過ごした時間と思い出が透けて見えるのだろう。
夫に「そんな言い方したらかわいそうだよ」とか言うのが教科書的なのかもしれない。
でもその類のことは思わなかったし、言わなかった。自分も夫と同じかそれ以上に、実家と関係が悪いからだ。
お金をかけずに上京できる手段を見つけられたのが私の人生のターニングポイントだったし、その手段を手にできたのが一番の幸運だった。それがなかったら夫と出会うことも、子供を産むこともなかっただろう。
息子を出産した時、実家とは訣別した。息子にも夫にも、この人たちを関わらせたくないと思ったからだ。
私がもう関わらないでくれ、と送った連絡に、母は「疲れているのね」と返事をした。
あぁ私の気持ちは受け取ってもらえなかったんだな、心が冷えていく感じがした。
連絡しないでと言う私と、通勤中に撮った虹の写真を送る母。会いたいという母と、連絡を無視する私。
あるとき×日に会えますか?と連絡が来て、耐えきれずに、こちらは元気でやっているから、そちらも自分の人生を充実させてくれ、私には関わらないでくれ、という内容で返事した。
その×日にインターホンがなったときの恐怖と悲しみ。母からの連絡と同じ数ある小さな絶望。
母は私の話を聞いてはくれない。私の気持ちを分かろうとしてくれない。もうこれ以上付き合いきれない。
そんな私に「お母さんにもっと優しくしてあげなよ」と言った友人の言葉がいかに軽薄だったか。
家族が仲がいいことはいいことだと思うけれど、私はそうなれなかった。
夫も多分同じだから、余計な助言はせずに話を聞いた。
実家・義実家の手を借りずに子育てをするのは大変だと思うこともあるが、都会には様々な事情の似たような状況の人がたくさんいて、そのための支援やサービスがある。
毎日まぁまぁ大変でそれなりに楽しくやっているが、時々不安になる。
自分が母にした報いが、いつか自分に返ってくるのではないか。息子から嫌われて、疎まれるようになるのではないか。
今子供から与えられている愛情が形を変えた時、私は気付けるだろうか。その時に自分を保っていられるだろうか。
義母は浮腫で歩くことができなくなり、薬の副作用か病状か、辻褄の合わない会話が増えたらしい。
死に向かっていく義母。そして母へ。
インターネット依存症が酷すぎる。
始まりは高校生の時、iPod touchを買ったことだった。
帰宅部で、自称進学校の落ちこぼれ。現実逃避のために、毎日インターネットをしていた。
当時よく見ていたのは、まとめサイトだった。キニ速とか、ハム速とか。何も考えずにスクロールしているうちに、朝になっていた。
どこかの論文で読んだが、ASDとADHDの両方の傾向がある人は、常人の10倍ネット依存になりやすいらしい。
たぶん、日常生活でドーパミンを補給できないぶん、ネットで過剰に補おうとするのだろう。
ギャンブルよりはマシかもしれない。でも、失った時間は5年以上だ。後悔してもしきれない。
ネットを始めると、もう止めることができない。
お腹が空いても端末を置けない。眠くても寝られない。
そして一番つらいのは、ネットサーフィンをしていても全然楽しくないということだった。
平日も土日も、空いている時間は全部ネットサーフィンをしていた。
家の中で突然叫ぶことが増えた。
けれど、大学に入ってからまたインターネットを始めてしまった。
なんとか卒業はできたが、就活はうまくいかず、不本意なまま社会に出た。
今は27歳。転職して2社目にいる。
それでも依存は続いている。
「控えよう」と思っても無理だ。みんな、どうやってるんだろう。
今の僕は、iPhoneのスクリーンタイムでほとんどのサイトにアクセスできないようにしている。
マイナンバーのページや、図書館の予約サイト。アプリも使えるのは、GoogleMapとかLINEとか最低限。SNSは一日10分だけ。
睡眠時間を確保するために夜の23時から朝8時まですべてのアプリが使えなくなる。
アプリを更新するために、タイムロッキングコンテナにパスワードを入れるやり方で、9日に一度だけ解除できるようにしている。
未知のサイトにはアクセスできないので、毎回「すみません、スマホ使えなくて…」と店員に言う。
恥ずかしいけれど仕方ない。
美容院や不動産屋でも、客にスマホ操作を求められることが多くなって、本当に困る。
いつもは増田も見れないようにしているけど、今日は9日に一度のチートデーだ。
現代社会でインターネットに接続できないというのは、あまりにも重い業のように感じる。
似たような人がいたら、どうやって生きているのか教えてほしい。
家も妻が欲しいと言うから買うことにしたし、どこが良いかも妻がほぼ決めた
自分は職場に行きやすければどこでもいいよという要望しか出さなかった
子供も一応女だが、たぶん男の子だったとしてもこれ欲しい〜と言われたらおもちゃを買っちゃってたと思うので割愛する
が子供を産んだのも妻が子供欲しい、母が孫の顔が見たいと言ったからだっけ
就職先も複数内定をもらえたが、最終的には結婚相手の勤務先として望む企業ランキングを見てより高い方を選んだ
はるか昔に遡っても、高校も当時好きだった子が進学するからという理由だけで選んだ
かなり有名は進学校だったこともあり、結果その好きな子は落ちて俺だけが受かっちゃったけど
そういう人生の大きな判断以外の細かいところでも女が潜んでいる
ローンをフラット35にしたのも、表向きは変動金利が上がりそうでフラット35は10年くらい優遇措置があるからということにしているが、実際のところはまいやん(白石麻衣)がCMをやっていたからというしょーもない理由だ
INPEXの株を買ったのもINPEXが何してるかわかったからではなく、INPEXは何してる?と歌ってる子が可愛かったから
まぁ、妻が邪魔と言うし実際最近あまり触ってないからそれも捨てる準備をしてるけど
①勤務先の中学は荒れていて、ヤンキーだらけ。地元でも進学校の合格者が激レアらしい。
②その人の息子が通う自宅近くの中学は新興住宅地の中にあり、上記の進学校への合格者も多い。その中学に通わせる前提で、今の場所に住むことを選んだらしく、同じような価値観の人も多いらしい。
③上記②の隣の学区にあたる中学は、同じ新興住宅地の外れにあり、カラーの違うエリアに跨る関係で進学校の合格者もそれなりに出る一方、ヤンキーも多い玉石混交の環境らしい。
で、その親戚が③の中学を物珍しい存在として語ってたのが引っかかった。
曰く、地域は①と②のタイプに2極化するものだそうで、③のように混ざるのは不健全とさえ思うらしい。
俺は「一般的な公立中学って、多少の差はあれど③に近いもんでしょ?」と思ってたし、それが健全だと思ってたので、現役の中学の教員がそのような価値観を持っていたのが、なかなかの衝撃であった。
まあ、俺の地元がそこに比べたら田舎で、地縁血縁を理由に住む人が割合的に多くて、たまに①や②に寄ることがあっても、数年後には逆転するとか、③に収束するとかも珍しくないからってのもあるんだろうけど。
かつて、衣食住に満ち足りた生活がどんなものなのかをほとんどの人が知らなかった。
かつて、海の向こうにはどんな世界が広がっているのか、ということをほとんどの人が知らなかった。
今、我々は衣食住に満ち足りた生活をしている。
今、我々は海の向こうにどんな世界が広がっているのかを知っている。
否、途方もない退屈だ。
朝起きる。
朝食をとる。
電車に乗る。
職場につく。
パソコンを立ち上げる。
窓口に人が来る。
審査会をする。
通知書を発行する。
帰宅する。
夕食を食べる。
YouTubeを見る。
寝る。
中学時代は数学が得意で、高校一年時の数学1Aもなんとかついていったのだが。
数学を担当していた教師は定年の年齢を過ぎた嘱託の教師だった。
彼の教育方針は、教科書、ノートを閉じさせ、とにかく黒板に集中させるというものだった。
聞き取れないくらいの大声で解説をしながら、汚くて読めない文字で黒板に数式や解説を書いた。
あまりにも量が多く、読み取るのも困難な小さい文字で問題がびっしり書いてあり、裏表100問。
それが1日あたり5枚。
課題を忘れたり、終わっていなかったり、授業中に黒板以外に一瞬でも目線を外した生徒が1人でもいた場合、授業はストップされ残りの授業時間は全て当該生徒への説教で終わる。
そして、分からないところを休み時間に聞こうものならば「俺の授業聞いてなかったのか?おめえはよ!!ああ⁈」と胸ぐらを掴んで恫喝を始める。
私は完全に数学へのやる気を失った。
そして、自分で予習復習しようにも、大量の課題に追われて手がつかない。
回答が合っているか合っていないかは関係なく、丸つけをすることもなかったので、とにかく翌日怒られないために「形だけ仕上げる」ことに放課後の時間が割かれた。
その教師は私たちの学年のみを二年間担当して完全に定年退職した。
私たちの学年は国立大学、理系大学進学率がガクッと下がり、地元駅弁でさえほとんど合格しなかった。
そして、当該教師が担当しなかった一個下の代から国立大学、理科学部、医学部への進学者数が復活した。
私たちは数学プリントが廃止された高校3年の夏休みから受験勉強に取り組むことができた。
私がSTEMに携われないことが決まった瞬間だった。
STEMは現代社会に唯一残された「未知の世界を探索することができる分野」である。
あの教師にさえ教わらなければ。
小中ほぼ不登校、高校は進学校を受験してなんとか卒業し、勉強はできたけど特にやりたいことがなかったから進振りのある東大に入った。
小さい時は社会とか人生に対する解像度が低いから、社会は未知の恐怖ではあったけど未知すぎて想像がつかず、我が子の将来を悲観する親の語り掛けにも心は動かず、とにかく学校に行かないで済めばそれで良かった。どうして学校に行きたくないのかを自分でもうまく説明できなくて、親を怒らせたり悲しませたりするのは辛かったけど、自分の将来はどこか他人事で、自分が大人になることも親が先に死んでいくことも現実味がなかったように思う。
学校に行ったり行かなかったりだったけど勉強はできたから義務教育後も進学して、進学校に行った。最初は案の定全然行けなかったけど、授業は進学校だけあって面白かったし、勉強に集中していれば意外と学校も辛くなくて、高校にもなれば生徒も周りの子にそんなに興味ない上に真面目な校風ということもあって、いつのまにかちゃんと毎日学校に通えるようになった。高校生の時は、あれだけ不登校だったのに毎日学校行けてるだけで十分だと考えていて、将来については相変わらず特に考えておらず、勉強に追いつけないとか親のプレッシャーとかで泣いている友達にあまり共感できなかった。一応自分も毎日朝早くて嫌だなとか塾嫌だなとか当時は悩んでた気がするけど、今思えばそれほど大した悩みではなかったと思う。親が志望校にあれこれ口出してきたのはかなりストレスだった覚えはあるけど、それも今となってはほとんど忘れている。
勉強はできたし都内住みだから東大に入った。色んな授業を受けられるのが楽しかったし、同級生も大体みんな頭が良かったから話すのが楽しかった。交友範囲も行動範囲も広がって、一人旅に出かけたり、運転免許取ったり、アルバイトしたり、自分もまともな人間じゃんと思えるようになった。小中の時は学校に行かなくて済むならそれで良かった。高校生の時は不登校だった時に比べれば高校行けてるだけで偉いじゃんと思えていた。大学生になって、普通の人間になれたと思った途端、将来が不安になってきた。しっくりくるサークルがなくて何にも入っていない。勉強は楽しいけど研究は別に好きじゃないから研究者にもなれない。アルバイトもガクチカになるようなものではない。自分の強みになるような、特別好きなこともやりたいこともない。不登校だった時に比べれば、という免罪符の効果は完全に失われて、同級生と比べて劣った自分に気がついてしまった。
将来のことを考えたり、自分の状況を他者と比較できるようになったりするくらい精神的に成長したということなんだろうが、こんなに不安で苦しい今より、現実逃避していることにも気付けないような不登校ガキの頃とか、元不登校を免罪符に勉強だけしていた高校生の時の方がよっぽど気楽に生きていた。学校に行くという当たり前のことすら出来ずに親を悲しませていた時より今はよっぽどマシな状況で、もし過去に戻れるとしても絶対戻りたくないけど、過去の自分はどうしてあんなに将来の不安を感じられずにいたんだろう。高校生の時の悩みを今の自分は忘れているんだから、今の自分の苦しみも将来の自分は忘れているんだろうと思って耐えているけど、悩みのスケールが今後どんどん大きくなっていくんだとしたらそれはそれで苦しい。
不登校に比べたら偉いじゃんという無敵の理論がまだ使えたらフリーターだろうがなんだろうが働いて自立しているだけで偉いと思えただろうけど、普通の人間、しかも東大生になってしまった今は、それなりに稼げる安定した職に就かなければならないという強迫観念のようなものを抱いてしまっている。新たな無敵理論を生み出せない限り、いざ良い仕事に就けたとしても、また出世とか成果に焦って不安になるんだろう。むやみに学歴を積まずに中卒なり高卒で働いていた方が、免罪符の効果が続いていたのかもしれないと可能性ばかり考えて現実逃避を試みているが、いまいち効果は薄い。
正直、めちゃくちゃ迷った。だって私にとって中学時代は、思い出したくもない黒歴史そのものだったから。
私の通ってた中学は、いわゆる田舎の公立校。クラスのヒエラルキーは、ヤンキーとギャルが頂点に君臨し、私みたいな陰キャは最底辺。スクールカーストって言葉が流行るずっと前から、そこには明確な階級社会が存在した。
当時の私のいじめられ方は、主に外見いじり。今思えば些細なことかもしれないけど、多感な時期の女子には一番きつい。
通りすがりに「ブス」、すれ違いざまに「うわ、ばい菌」。そんな毎日が、私の自己肯定感をゴリゴリに削っていった。鏡を見るたびに自分の顔が嫌いになり、人の視線が怖くなった。
すれ違うたびに「うわ、空気汚れた」と聞こえよがしに言われ、体育でペアを組む相手もいなくて、いつも先生と組まされてた。
リスカもしたし、毎日鏡を見ては本気で明日が来ませんようにと願いながら眠りにつく日々だった。
高校デビューなんて生易しいものじゃない。高校もデビューなんかしていないしむしろ進学校に入ってからも陰キャだった。
大学に入ってバイト代を貯めて、少し顔をいじった。そのあとも必死で仕事した。怒りを燃やして、仕事して、年収上げて、また顔をいじって仕事した。
その結果、奇跡的に誰もが知ってる大手企業に入社し、女性にしてはかなり頑張って稼いでるじゃんといわれるくらいになった。
夫も同じくらい稼いでいて、今の生活に不満はない。
それでも、心のどこかに中学時代のトラウマが澱のように溜まっていた。今回の同窓会は、そんな過去と決着をつけるための、私なりの儀式だった。
会場に着くと、そこにいたのは「あの頃のあいつら」ではなく、「ただのおじさんおばさん」だった。
あれだけ怖かったヤンキー男子たちは、当時を回顧しながらあの時の俺自慢をしている。しかし意外なほど、みんなまともな社会人になっていた。
当時なかなか話せなかったヤンキー男子とも普通に話せるようになっていて感動した。
女子たちは、まるで授業参観日のお母さんのようだった。当時イケてたギャルは、面影を残したままのギャルか、見る影もなく恰幅のいいお母さんかの二択。不思議なことに、あれだけみんな必死に伸ばしていたロングヘアの女性が一人もいなかった。なぜだ。何か申し合わせでもあったのか。
私はというと、この日のためにルミネで奮発した小綺麗なワンピースを着ていった。それが悪目立ちしたのか、若干浮いていた気がする。当時の陰湿ないじめっ子は「あら~増田ってば、セクシーじゃぁん」とか言ってきたがノースリーブのワンピースなだけでどこがセクシーなのかわからなかった。ただただ嫌味なんだろうなとは思った。
一番会いたくなかった、私をいじめていた主犯格の女子も来ていた。彼女は舐めるように上から下まで私を見るなり、「えー!久しぶりー!全然変わらないね!」と馴れ馴れしく話しかけてきた。いや、変わっただろ。思わず「え、本当?!」と言ってしまった。お前が一番いじってた部分を、私は金と努力で変えたんだよ。その笑顔の下にある本心を思うと、背筋が寒くなった。
でも、嬉しい再会もあった。当時、唯一の心の支えだった親友は、昔と全く変わらず超絶優しかった。「会いたかったよ」と言ってくれた時、本当に涙が出そうになった。
当時ほとんど話さなかった男子とも、大人になった今なら普通に仕事や家族の話ができた。これは新しい発見だった。
そして、一番印象的だったのが、いじめっ子グループにいた根暗な奴だ。
そいつは、私が整形したことに気づいたんだろう。でも、直接は何も言えない。チラチラと私を見ながら、隣の友人に「ねぇ、顔変わったよね?ちょっと聞いてきてよ」とコソコソ話しているのが聞こえてきた。他にも「お前、年収いくら?子供は?どこで働いてんの、ベンチャーとか?」とニヤニヤ言ってきた男もいたが、正直にお伝えしてやった。マウントとりたいらしく、自分の周りには優秀な大学卒のやつがたくさんいるとか宣ってて、かなりどうでもよかった。
その瞬間、すべてを察した。
あぁ、こういう奴は一生このままなんだな、と。
人の容姿を笑いものにし、自分では何も言えないくせに、他者を焚きつけて安全な場所から見物する。他人のふんどしで相撲を取ろうとするし、自分を保つために他者を貶めようと必死になる。その陰湿な根性は、20年経っても全く変わっていなかった。
同窓会に行って、過去との決着がついたかと言われれば、正直わからない。
人は変わる部分もあれば、絶対に変わらない部分もある。そして、私を苦しめたあの過去は、今の私を形成するための、必要不可欠なピースだったのかもしれない。
もう、あいつらのために心をすり減らすのはやめよう。
もし今、昔の私みたいにいじめられて苦しんでいるやつがこれを読んでいたら、言いたい。
そして、勉強でもスポーツでも何でもいい、狂ったように努力しろ。力をつけろ。
というわけで、明日からまた、資本主義の馬車馬としてバリバリ稼ぐ日常に戻るわ。
じゃあな。
受験で男児と女児を同数にすると、女児の方が全体に優秀なため男児がより低い合格ラインになってしまいます。
つまり、男児のほうが低い合格点で合格になることが、問題視されています。
これについては
<男女平等社会で男女平等教育をするほど、女子生徒の平均中央値の学力が男子生徒を上回る。これは10代未満から20代まで、同条件の学力査定ができる状態でずっと続く>
という結果が出ています。
ドイツ公共放送のドキュメンタリーで詳しく解説しているので、興味のある方はご覧ください。
また、学力中央値は女性の方が高いが、男性は下と上の層が女性より多い。
つまり、高いIQを持つのは男性なのだ、という解釈もあります。
健康診断等で下限値から上限値までの中央に収まるほうが健康値が高いといえるのに、脳の出す値だけが高ければ高いほど良い、というのは実は異常なことです。
血圧であれば、高ければ高いほど良い、とはなりません。
IQが飛び抜けて高い人間は「脳が不健康」であり、男性に多く現れるということです。
ですから、優秀な男児が男子進学校に行き、劣った男児が優秀な女児と争うことになる、という解釈は、優秀といわれる男児の不健康さを放置し、優秀な多くの女児の可能性を阻害する制度の問題点をあげているわけです。
学力が低く、同年代の男女からおちこぼれた男児の多くが、「アルコール、暴力、薬物」などの問題を抱えるようになります。
厳しい言い方ですが、下駄を履かされた男性は優秀な女性の席を奪い、社会経済を劣化させ、本来の能力でおちこぼれた男性は加害性を高め自立できず社会問題を引き起こします。
これは女性にはない特性であり、だからこそ、女性の無害性に不平等が押し付けられてきたともいえます。
インセルの男性は「女性が自分たちの場所を奪った」 と考えがちですが、問題の根源は「学力により経済格差が生まれる」です。
他者を現場で働かせて賃金を得るほうが、実際に動く人間より高い報酬を得る構造です。
実体のない金融経済が実体経済を上回る現状が異常で、同じように実体のない労働が現実的に社会を構築する労働より多くの報酬を得る傾向が高く、これまでは主に男性がその恩恵を受けてきました(その男性に寄生する女性もいますが、直接的恩恵ではないため立場が劣ります)
また、女性による現実的に社会を構築する労働は無料か低賃金に抑えられ、女性の不満を増幅させました。
資本主義の根源が、他者の労働と時間を不当に奪うことで利益を得るものだからです。
ですから、労働内容が同じでも多くの搾取を行える大企業の社員のほうが賃金が高いのです。
労せずして利を得る構造で、ホワイトカラーのイスを奪いあう大きな条件が学力であれば女性優位になるのは仕方ないことです。
すくなくとも、男性の学力が女性より優れているという思い込みは捨てるべきでしょう。
女性が平均的に優位な点が、学力、コミュ力、協調性、ケア能力、免疫ベースの長期的体力だとすれば
男性優位な点は、筋力ベースの短期的体力、開拓的推進力、決断力などがあります。
これまでの歴史で優位に働いてきた男性の資質が、成熟した社会では求められなくなっていきます。
これは必然的な流れであり、男性の気持ちが傷つくという理由で女性が委縮させられる社会は不健全です。
学力優劣が社会的優劣に結びつく学力差別を軽減する、相互尊重が必要です。
男性的資質はこれまでの女性的資質のようにサポート面にまわり、男性にも女性的資質が求められるでしょう。
競争社会から福祉や幸福を社会の基盤に置く変化が求められます。
男児が幸福な大人になるためには、利益やビジネスに関係のない同性の友人関係を成人してから構築できるようになることです。
競争や意地の張り合い、女性に選ばれるためといった有害な男らしさを捨て、自他のケアができるようになることです。
逆に女性はどうすればいいのでしょうか。
男性が女性にお世話され、丁寧に扱われるのが当然という考えを捨てるためには、女性が余計な面倒を焼かないことです。
自立しようとする男性のケアを前もって行うことで、男性の自立を阻害してはいけません。
また、有害な男らしさを崇拝し、私生活自立できない男性を選ぶのをやめることです。
多くの女性が、そのような男性との婚姻生活で侮辱や暴力を受け、恨みを抱いているにもかかわらず
俺のことはニッコマとマーチの中間ぐらいの大学で4年間学んだけど就職先がまだ決まっていない大学生だと思ってくれ。
実際の俺が何者かなんてインターネットの中ではどうでもいいと思うんだけど、相手がどういう存在かを想定しないと困る人が沢山いるらしいから。
俺からすればそんなことから逃げ出したくて皆インターネットにやってきたと思ってたんだが、どうもそうではないらしいので。
平日の稼働時間を8時間ずつ奪われるだけというが、実際には皆2時間ぐらい残業するのが当たり前なんだから。
そして通勤時間があり、家事をやり、気づけば一週間で自分のために使える時間よりも働いていた時間のほうがずっと多くなっている。
有休には大掃除をしたり病院に行って、長期休暇は実家に顔を出す。
仕事が5で人生が3で残りが2、残りの時間に何が出来るかも人生で何をやっていくかは仕事の疲れや給料が縛ってくる。
これがサラリーマンなら、会社選びで人生の7割が決まってしまうってこと。
「いい会社を探したいなら四季報と口コミサイトを使いましょう」なんて口にする人がいるけど、あんなもので分かるのは絶対に行くべきじゃない会社かどうかだけだ。
ライバル会社の社員や個人的な怨みを持つ人がフリーランスを雇って口コミサイトで大量のネガティブ情報を書き込んでいる可能性なんて、色んなリスクを考えたらまず除外していい。
そうして駄目な会社を削り取っていくと、全然選択肢が残らない。
でも残った選択肢について考えていくと「単に知名度や従業員数が少ないから外に悪い情報が漏れてないだけのゆるブラックなんじゃないか」と感じてしまう。
直接自分の目で見るとか知り合いが良いと言っていた会社に行くとかそういうのってどこまで現実的なんだろう。
「最悪の会社」を選択肢からドンドンろ過していって残った会社を事前に調査して面接の空気から会社の実情を感じ取って、そこまでやったら本当に上手く行くのか?
ぶっちゃけ適当なお山の大将が日本人を100人とか1000人とか集めた集団の中でまともな所がどれぐらいあるっていうんだろう。
俺が見てきた日本人の集団は、無法地帯の幼稚園、サル山の小学校、コミュニティ毎の分断が進んだ中学校、自称進学校のしょーもないイキリ感、偏差値50前後の最低限な自分たちへの失望が溢れるキャンパス、俺が見てきたどの場所も「一生ここで過ごすことを幸せだと思える空間」なんかじゃなかった。
自分の年金ぐらしになるまでの人生の7割を決定づける居場所、そこがまともな場所だと思える希望が全然湧いてこねえよ。
「暗いと不平を言う前に進んで灯りをつけましょう」という古い宗教の自己責任論に溢れた言葉があるが、「郷に入っては郷に従え」とも言うわけで、つまりは腐った場所に飛び込んでしまったらもう終わりなんだってことだ。
選択を間違えたら人生がカスへと突っ込んでいくのにどうしたらいいのか分からん。
間違っても中卒のアホがガキの頃にスポーツ出来たかどうかでマウント取り合ってるようなカスみたいな空間には行かないようにしたいな。