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[B!人生]飯野賢治はいつ “クリエイター飯野賢治”を演じ始め、そして演じることをやめたのか?飯野賢治生誕55周年トークライブから見えたこと【飯野賢治とは何者だったのか】 | Game*Spark -国内・海外ゲーム情報サイトhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.gamespark.jp/article/2025/10/11/158293.html
kuruse_haya飯野賢治は当時のゲーム雑誌でのインタビュー記事が圧倒的に面白かったんだよね。ゲームは二流・三流なんだけど。だから、飯野賢治を語るには彼のゲーム作品ではなく当時のゲーム雑誌から語る必要があると思う
飯野賢治を理解するには当時のゲームメディアを知る必要がある。
90年代の日本は雑誌文化の最盛期(https://current.ndl.go.jp/ca1697 によれば1996年に1兆5,984億円。この年は『エネミー・ゼロ』の発売年だ)で、もちろんゲームの情報もゲーム雑誌から入手するのが主流だった。セガサターンに限っても、ソフトバンクの『セガサターンマガジン』、徳間書店の『サターンFAN』、毎日コミュニケーションズの『グレートサターンZ』、メディアワークスの『電撃セガEX』/『電撃セガサターン』、さらにCD-ROM付きのアスキー『TECHサターン』があった。
飯野はゲームのスタークリエイターであったが、まずなんといってもゲーム雑誌におけるスターであった。
SFC時代まではゲーム雑誌でおなじみの人気クリエイターといえば、堀井雄二、糸井重里、さくまあきら、広井王子といったフリーランスの人が多く、ゲーム会社に所属しながら彼らと同等レベルで扱われるのは、宮本茂や坂口博信といった上澄みも上澄みの人間に限られていた。SFC時代までに岡田耕始と金子一馬が『ファミ通』に揃って登場した回数は2度しかない(それも他の人間を加えた座談会形式のものであった)。メガドライブ以前のセガハード専門誌を読むと驚かされるのだが、中裕司や鈴木裕クラスですら滅多に誌面には登場しない(PCエンジン専門誌だと割とハドソンの人が出てたりはするのだけれど)。
ゲーム雑誌においてゲームクリエイターの露出が広まったのはPS1時代というのは間違いないだろう。
――他に音楽業界の手法で言うと、クリエイターのクレジットをちゃんと出す流れも、丸山さんのときに生まれたものですよね。
川上氏:
当時は、みんなゲームクリエイターの名前は隠していましたからね。
丸山氏:
でもさ、レコードや映画はクレジットを作るのが当たり前だし、あれば頑張る気になるじゃない。それに名前を隠すのはそもそも不自然だし、親しみも湧かないでしょ。だいたい、高橋名人【※】みたいにプレイヤーのスターがいて、クリエイターがスターじゃないというのはヘンじゃない。だから、メーカーはみんな嫌がったけど、「名前を出した方がプロモーションしやすいよ」と説得したんだ。
※高橋名人
1959年生まれのゲーム関係者。本名は高橋利幸。ファミコン全盛期にハドソン(現・コナミデジタルエンタテインメント)所属のファミコン名人として一世を風靡した。ゲーム機のコントローラのボタンを1秒間に16回押す「16連射」が有名。
実際、これは有効なんだよ。だって、普通に紹介したら雑誌で2ページ程度しか取れない作品でも、クリエイターが登場して苦労話を喋って、カメラに向かってポーズでも取ってくれたら、もう5ページくらいに露出が増えるわけ。どんどん可能なことが増えていくんだよね。
――つまり、音楽プロモーションの「人を立てていく」手法を持ち込んだということですか?
丸山氏:
PS1では現在でいうところのインディーゲームのようにいろいろな変わったゲームが登場し、フロム・ソフトウェアをはじめとする聞いたこともない会社がゲームを出すようになり、そして専門誌ではページを埋めるために開発者のインタビューを大々的に載せるようになった。そうやってソニー・マガジンズの『ハイパープレイステーション』に頻繁に取り上げられていたクリエイターの一人が(セガサターン移籍前の)飯野賢治だった。
飯野賢治のなにが良かったか。まず見た目がインパクトある。ほかのゲーム開発者がいかにも会社組織に所属するサラリーマンやオタクのような風貌のなか、巨体かつ長髪で眼光が鋭い。そして話すことが面白い。しがらみなく同業他社のゲームに言及するし、『ファミ通』のクロスレビューのありかたも批判する。ゲーム雑誌なのにビョークや坂本龍一の話をずっとしてたりする。セガサターン移籍前なのになぜかセガサターン専門誌で連載記事を持ってたりする。FMラジオのMCもやっていたし、大阪ではピエール瀧と一緒にゲームバラエティ番組もやっていた(これ結構面白かった記憶あるんだけどネットで動画上がってるの観たことないな)。『ゲーム批評』にいたっては飯野賢治だけの別冊号を出した。あと飯野賢治の奥さんがゲーム雑誌に連載コラムを書いていた。
彼はトリックスターとして面白かったし、次々に新しいなにかを起こしてくれるという期待があった。勢いのある深夜ラジオのパーソナリティや、現代ならばSNSのインフルエンサーのような受容をされていたといえば伝わるだろうか。
飯野のゲーム雑誌への露出が極まっていたのが『リアルサウンド 〜風のリグレット〜』のときだった。映像のない音声だけのゲームである同作では、画面写真が使えないものだから、そのぶん誌面を文字で埋めるしかない。だから飯野がインタビューに登場する。ほかのゲームがせいぜいゲーム紹介記事1P+開発者インタビュー1Pという構成であったりするところを、『リアルサウンド』は飯野のインタビューが2Pまるまる載る。そしてそれが毎号続く。もはやハックと言っていいだろう。誌面埋めのために飯野のインタビューを取る→宣伝になるから飯野がインタビューに出る→読者ウケがいいからまたリアルサウンドの記事が載る、というサイクル。『セガサターンマガジン』は一時期は刊行ペースが週刊になっていたものだから、誌面を埋められる人材は重宝されまくった。
いま飯野賢治を振り返ろうとすると、どうしても成果物(ゲーム)をとっかかりにしてしまうが、あの時代における飯野賢治の受容を理解するには、それよりも当時の『ファミ通』、『ハイパープレイステーション』、『セガサターンマガジン』、『ゲーム批評』を読むほうがいいんじゃないのという話。
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参考までに1990年代のソフトバンクのセガハード専門誌からスタッフインタビューをリストアップしてみた。32ビット(64ビット級)時代になった途端に開発者が一気に表に出てくるようになったのがわかるだろう。
ファンタシースター ~千年紀の終りに~ -小玉理恵子、津川一吉、西山彰則(セガ)
重田守(セガ)
●セガサターンマガジン1996年12月27日号(エネミー・ゼロ表紙)
ファイターズメガミックス -片桐大智、片岡洋、光吉猛修(セガ)
デイトナUSA CIRCUIT EDITION -瀬上純、澤田朋伯(セガ)
ときめきメモリアルSelection藤崎詩織 - 流石野考(コナミ)
新世紀エヴァンゲリオン 2ndImpression -小林正英、茂木幸樹(セガ)
御意見無用 -池袋サラ、新宿ジャッキー、ブンブン丸、柏ジェフリー
EVE burst error -藤田正人、野口征垣(シーズウェア)、鈴木達也(イマジニア)
電脳戦機バーチャロン -亙重郎(セガ)
セガサターン用ワープロセット - 大鹿敏宏(光栄)、中村憲二(エルゴソフト)
サクラ大戦 -田中公平、牧野幸文(セガ)、原太郎(ティーズミュージック)
電脳戦機バーチャロン -亙重郎(セガ)
Digital DanceMix Vol.1 -安室奈美恵鈴木裕(セガ)
●DreamcastMagazine1999年12月31日号(D2表紙)
シェンムー 一章横須賀 -松風雅也、安めぐみ、岡安啓司(セガ)
電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム -小林健太郎(セガ)
スペースチャンネル5 -水口哲也(セガ)
セガソフト7研 -大場規勝、小玉理恵子、伊藤知行、瓜生貴士、大原徹、西山宗弘、松浦剛、西野陽
プロ野球チームで遊ぼう! -瀬川隆哉、地宏之、加藤真樹、石原学(セガ)
ROOMMANIA #203 -牧野幸文、佐々木朋子(セガ)
爆裂無敵バンガイオー - NON、MURATA(トレジャー)
11: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/08/02(日)23:29:33.173ID:LvrJaeQ50.net
・「絶対的な基準でものを考えられるようになりたい。相対的な人を見ると、死ぬときにも
あいつより金持ちだったとか、あいつより長生きできたとか考えながら死ぬんだろうな、と
残酷に冷静に思っちゃいますね」みたいな内容をブログで長文で力説
→売れる前に「同級生はマンション買うとか出世したと言ってるというのに、
お前はこんな(貧乏な)生活してていいのか」となぜか春日に説教
(ちなみに春日の返答は「今の暮らしの何が悪いのかわからない。今で十分幸せ」)
・大の動物嫌いを自称→実家で犬を飼っている。佐藤の家の犬に顔を覚えられるくらい通う。
・「春日は関東代表に選ばれるほどのアメフトの名選手」(アメトーク)
→「春日ばかりすごい選手だと思われているが自分の方がすごかった」(後のアメトーク)
→タックルの強さをスタジオで実践してみせるが、ワッキーに「若林の方が当たりも強いってこと?」と聞かれ
・「○○するのは初めて」が口癖→たいてい嘘
・「漫才で春日がゆっくり歩いて登場することや、テクノカット、胸張りキャラは自分が考えた、胸張りは大好きな岡本太郎の太陽の塔がモチーフ」
→すべて春日が自分で考えて実行した、上から目線のキャラは渡辺正行の助言から「トイ・ストーリーのバズを参考にしなさい」。
・「トゥースも鬼瓦も嫌い」→ピンモネアで自ら多用したり、色んな番組で場が持たないと春日のギャグに頼る。
・「カスカスTVで自分の出した企画案が採用されない」(ANN)→「カスカスTVって番組を作らせてもらってるんです」(QJ)
・「節約して一戸建てを買うのが僕の夢」(小声トークイベント)
→春日が自分の夢をパクられたことに対して「君は獏か!」とボケツッコミ。若林は獏の意味がわからなかったのかスルー
・「春日の熟女好きは嘘」と何週にも渡ってラジオで主張し、キャラ潰しに躍起なる。
・尊敬しているディレクターから「春日が滑ってるように見せてはだめだよ」と注意される
→「春日のボケはお客さんが噛み砕いてくださるので、もっぱら無視」とツッコミ放棄宣言(ダヴィンチ)
12: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/08/02(日)23:29:53.804ID:LvrJaeQ50.net
・初MCでgdgd
→家で録画を確認し、反省するかのように見せかけて相方に責任転嫁するための粗探し
→同コーナーが曜日移動し、スタッフから「淳のMCをよく見ておけ」と言われる
・タモリに「馬鹿林」「声を張れ」等といじられてもオウム返しのコメントしかできない
・川柳で3位になった時、わざわざ確認して1位の席に座るというボケをかます(元々はオリラジがやったボケ)
・すっぱジュースを共演者の邪魔にならないよう順番に取ることができない
・カメラが抜こうとしている共演者にかぶさる(意識的か無意識的かは不明)
・ズレたタイミングで的を射ないガヤを飛ばす。主に相方への罵倒など。
・藤森と共にタモリの家に遊びに行きたいという話で、乗り気で無いタモリに対し
お酒を飲みながら最初の2時間はつまらないが、2時間を越えた辺りから面白くなる」と主張
→翌週若林から「タモさん宅に少し近づいたかも…」というメールが来たことを藤森が報告、共演者はドン引き
・メールついての若林の意味不明な俺ルールを理解できなかった藤森に対して「それは藤森くんが馬鹿だから」(増刊号)
・増刊号にて、金曜新メンバーでの食事会をしようという話で、若林自ら幹事に立候補する
→生まれてから一度も幹事をしたことがないと言い訳しながら、名乗り出てから4週間経っても実現しない(→翌年にまで持ち越し)
→渡部陽一氏に舞台裏で質問され、立候補したくせに「幹事をやれと言われた」
・「タモリさんと気が合う」発言→タモリ含め共演者は「ねーよ」という表情
・藤森に自ら「遊びに誘って」と言いつつ、週に3度もその誘いを断る→指摘されて逆ギレ
→「裸の付き合いをする間柄になりたい。裸で酒を飲みたい。酒の勢いで全裸になって走りたい」などと30回くらい繰り返し主張する
→その後ろには草彅くんが居て、共演者は対処に困り、観客もドン引き。
13: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/08/02(日)23:30:11.240ID:LvrJaeQ50.net
・アエラの中吊り広告の「いったい誰だかわかばやしない」を自分のことだと勘違いし(正解は自民党の若林元議員)、
リスナーからの指摘を受けても「俺は悪くない、そのネタを俺に伝えたサブマネのせい」と主張する
・発売前の雑誌の村上龍との対談について愚痴り、後日ライターがブログでフォローせざるをえない状況に
・売れてから買った一眼レフで撮った写真を集めた「ぶってる写真展」を罰ゲームで開催され、
→「努力してない人間が努力してる人間(=自分)を笑った」「俺の唯一の趣味が奪われた」等と根に持つ
・TVぴあの連載記事で、自分の器が小さく見えるように編集されていると抗議、
春日に「芸人として、キャラ入れて話せ」等、CM中も含め延々と愚痴る。
(同時に「ラジオでは素の部分を出せ、愚痴を言え」と春日にしつこく要求する矛盾)
→リスナーから「そんな風に気にするところが器が小さい」とメールが来ると「うるせぇ、何も見えてない」「読者は度外視」と逆切れ
→この頃からリスナーからの若林弄りメールは一切読まれなくなる。
・出待ちを無視したりウザいと公言しながら、出待ちの居る本番前にわざわざ散歩に出る
・「スタッフは全員自分の味方、春日は孤立している」「ANNを聴いている業界人はみんな若林シンパ」発言
・初めてのゴールデンピンレギュラー「世界は言葉でできている」の放送前は共演者sageをしたり、
ピンが決まった事への嬉しさからか春日に「お前もセカコト出たい?」や「今度からお互いピンの話しようぜ」と
言っていたにも拘わらず、番組が低視聴率だと分かった途端ダンマリを決め込んだ。番組は5回で打ち切り。
→沈黙してから約3ヶ月後、「芸人が視聴率の事を言うのは良くないんだけど」という言葉を何度も織り交ぜながら言い訳を始める。
「セカコトは数字はダメだったけど業界視聴率は高かった。ジュニアさんやカエラさんや色んな人達から面白い出たいと言われた。
俺は全力でやっていたのに数字が取れない。」と低視聴率で打ち切りになった事について長々と愚痴る。
14: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/08/02(日)23:30:37.084ID:LvrJaeQ50.net
・春日が所沢市観光大使就任式の話を始めてすぐに、所沢市から作って貰った観光大使の名刺を若林に見せたところ、無言で行き成り名刺を破り捨てた。
その後も所沢市の藤本市長を「藤本はさぁ~」等と終始呼び捨てにし、春日が怒って注意しても最後まで呼び捨ては止めなかった。
・「相方を道具扱いしている。適当に振ってみて、相方が滑ったらスルー、ウケたら自分の手柄にしている」(侍チュート、徳井の発言)
・キャンナイ最終回、ケンコバが女子大生への卒業証書を授与する場面で
芸人たちが皆神妙な顔で見守る中、相方にKYなツッコミを入れて、はんにゃ川島に注意される
・「人間として残念、18点くらいの手相」(ラジオにて島田秀平氏の発言)
・「きれいな服を着せてもらったり、メイクをしてもらっても、内面がクズ」
「計算高く、自分を良く思われるように持っていく」(ラジオにて相方の発言)
「薄っぺらい」「性根が腐ってる」「相槌、コメントに心がこもってない、うそ臭い」
「話すことがないので二人きりになると困る」「つまんない男」
・エチカの鏡での「いつも春日からストレスを受けている」と言う若林に対するタモリのツッコミ
「しゃべりに音程がないってことには?」「ツッコミが単調だってことには?」
→若林「そんなことを言われたらストレスになりますぅ」という返し
・実の母親から「ラジオで言っていることは全部おまえが間違ってる、春日さんが正しい」
・「何にも無い男」「オードリーの居なくてもいい方」「才能ないです」(スクール革命にて、占い師魚ちゃんの発言)
・「春日にイラついたからって喋らなくなるのは(芸人として)駄目だよ」
(DEROにてバナナマン設楽の発言、()内はテロップで補足)
・「女の子苦手芸人なのに、腐女子から若様と呼ばれ絶大な人気!」とサンデージャポン出演時に紹介される。
田中「腐女子に人気なの?」若林「そうなんですよ、春日とスギちゃんで俺を取り合う(同人誌)本があるんです」と嬉しそうに答えた。
18: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/08/02(日)23:31:52.468ID:LvrJaeQ50.net
◆若林語録
・「あ、本当ですか」「ちょっと今僕が話してるんで(黙ってください)」
「今噛みましたよね?」「ここノータッチで行きますけども」(スキルやセンスを必要としない、ただのぶった切り)
・「ケンタッキーは僕らの演技力を下に見ている」 (二年連続でケンタッキーのCMに起用され、二度目はドッキリにかけられたことについて)
・(スクール革命にて、浅草で人の心を掴む言葉とは→)「ナイツでは塙というより土屋派です」
「やっぱ塙君が漫才のネタ書いてるしぃ、まぁ塙さんボケだけどぉ、敢えて土屋派って言うことで「通だね」っていう」
・観覧客からの名前コールなどの声援は「死刑宣告」(アメトーク)
・「売れてお金も入って来るようになったんで、次は何を目指せばいいですかね?」(メレンゲにて北野武への質問として)
・「うるせぇ、殺すぞ」 (リスナー以外の一般客も来るイベントで、観客に向けて)
・「それに気付いたのタモリさんと宮迫さんだけですよぉ~」(芸人報道にて、性格の悪さを宮迫に指摘されて)
・「春日が団子なら俺は串、バラバラになっている春日のキャラを串の俺がまとめて提供する。
団子は食べられると無くなるが串は残る。あ、すいませんタランティーノ映画みたいなこと言っちゃって」
(TVぴあ連載で、自分を和菓子に例えるというお題で、春日が自らを団子と例えたのを受けて)
・(アメト観覧レポにて:有吉が、雨上がりの楽屋に挨拶に行かないと発言したのを受けて)
「自分の中でそういう段階(先輩の楽屋に挨拶に行かない)になってきている」
→この収録日は雨上がりとダチョウの楽屋に行っていないとのこと
・「井原西鶴と夏目漱石はたいしたもの書いてないからな」(遅刻したコレアリ収録前、メイクさんに)
ttps://twitter.com/tarinaifutari/status/178706449973772288
震災一周年で日本中が追悼一色だった日に配慮なしのツイート(大震災は14:46)
21: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/08/02(日)23:32:11.453ID:LvrJaeQ50.net
2011年4月10日ニッポン放送チャリティ・ミュージックソンスペシャルより
→理由は解散危機等のトークを聞きコンビのことを考えてるんだなと思ったから
「miwaさんああいう話っていうのはね、なんかすごくああいう話を見るとね
まぁはっきり言ってああいう話ってどこにでもあるんですよ
サンドウィッチマンさんにもあるんですよ(ここでサンドが「解散の危機の話しようか?」w)
ねぇ、そういうのってどこにでもあるんですよ会社だってバンドだって劇団だってねぇ どこにでもあるんです
(ここで多分サンドが「そうですよね」)
で、それを出したということは、それを出すようなタイプの人間だったということなんですよ」
これに対する若林の返しが
更に福山が続ける
「僕ね、あれ見て思ったもん「なんで出すんだろこれ(解散話)なんなんだろこれ必要あるのかな」」
「まぁまぁ今の僕のはまぁ(miwaに選ばれなかったことに対する)嫉妬ですけど」
字だけだとどう捉えるかわからないが
全体的に福山の意見に同意する感じで皆爆笑しつつ和やかに進んでいた
なので若林の唐突なミスリードが浮く浮くwしかも福山が喋ってる間はほとんど声を発していないようだった
24: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/08/02(日)23:32:29.411ID:LvrJaeQ50.net
◆2011年4月10日チャリティ・ミュージックソンから二年後の2013年4月6日オードリーANNより
「たまにいるっしょ、イケメンで、俳優か何か、アーティストか何かで、下ネタ言えますよみたいな」
この発言を遮るようにCM行きの曲が流れると若林は「強制終了ですか?」と不満を漏らす。
春日が「いるかねえ?そういう人…」ととぼけるも、「大嫌いなんっすよ!ああいうの」とたたみかけた。
これまで若林は福山ANNの決まり文句である「バイヴァルディア」を、
数週間揶揄するように使い続けていたが、この日もEDで「バイヴァルディア」と挨拶した。
ttp://campusup.ddo.jp/uploader/src/cmp34766.mp3
──その後、「イケメンで俳優でアーティストで下ネタを言う」のが福山雅治の事ではないかとネットで騒がれ記事にもなる。
26: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/08/02(日)23:32:44.765ID:LvrJaeQ50.net
◆その翌週の2013年4月13日オードリーANNでの言い訳と無関係な芸人への擦り付け発言
福山の事だと憶測して書いた記事と、それを信じた者が悪いと一貫して主張。
「おーどりーわかばやしあんちすれ ぱーと よんひゃくさんじゅう」
オドヲタおよび贅肉は巣にお帰りください
・笑いに繋がらない虚言癖
・空気が読めない
・卑屈で狭量、陰湿
・病的にしつこい
・社会不適合
2: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/08/02(日)23:26:32.817ID:LvrJaeQ50.net
●2007年4月21日(土)流れ星と三拍子トークライブ「猫と花Vol.19」(新宿LOFT)にゲスト出演した時の発言 ← 殺人未遂です
若林「春日が『どんなことがあっても俺は絶対死なない』って言うからムカついて殺そうと思った。
廃車予定で傷付けても良いという友達の車でバイト帰りの春日が通る駐車場で待ち伏せして、
車を30km/hぐらいで春日を轢く勢いで発進した。そしたらぶつかる瞬間に春日がジャンプして
車の上に乗り上げて張り付いたから、ムカついてワイパーでガガガガッと挟んでやった。」
さすがにヤバいという事でスタッフに話すのを止められたとANNで話す馬鹿。
(1)相方の上からキャラが霞むほどの天狗ぶりで、実力もないくせに仕事を選んで手を抜き文句を言う
(2)光年単位で離れたものに対する責任転嫁 (堂本兄弟、いいとも等での客へのブチギレ、村上龍との対談等)
(3)決して自らを省みない(「俺は悪くない・折れるつもりはない・謝りたくない」が口癖)
(5)ネガキャンとしか言いようのない笑えない他人sage(相方や後輩、一般人が格好の標的)
(6)番組をストップさせてでも守るほどのプライドの高さ。誰かが若林に都合の悪い話をしようとすると必死に制止する。
(8)人の話をまったく聞けない。どうでもいい横槍を入れて妨害するか、
狭い視野での相手に対する思い込みを頭ごなしに決めつけて話す。
(9)義理人情の無さ(世話になった先輩をネタにするというより馬鹿にする、感謝のひとつもない)
(10)もうとっくに卒業してるはずの中学生段階に未だにとどまっている
(ドSな自分・気難しい自分演出、ブチ切れる、友人の会社での悪戯等、いい大人は決してしないことをする)
(11)現場で挨拶ができない(アグネスブログ)。目上の人との飲み会でもお酌ができない。(ダヴィンチ)
→収録が始まるまで共演する女優さんと顔を合わせないようスタッフと話し込む
4: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/08/02(日)23:27:39.606ID:LvrJaeQ50.net
◆◆BREAKMAX (ブレイクマックス)2012年12月号掲載◆◆
・オードリーの仕事の方向性を決めて仕事を取ってくるY嬢(マネージャー)と、
自分の好きな仕事をしたい若林とウマが合わず、若林がY嬢外しを会社に直訴。
会社としてはドル箱であるタレントの意向を汲まないわけにはいかず、Y嬢は他芸人コンビの担当に。
そして程なくしてY嬢は退社。
(1)「てにをは」や単純な言葉のチョイスを間違える、漢字が読めない、書けない、言葉を知らない→相方のボケに対応できない
(2)常にすべった時の保険を用意している
・スタッフとのやりとり等の内輪話 →素人にはわからない楽しさという言い訳
→最初から笑いを取りに行ってないところがシュールなんですという言い訳
・滑るだろうとわかっていてもどうしても言いたいフレーズをネタに盛り込む
→あえて滑ってるんですという言い訳
(3)テンションが安定しない上に、それを隠そうともしない(視聴者そっちのけのプロ意識のなさ)。自分のネタをグフグフと笑いながら話す。
(4)単調で一辺倒の返し(名字の呼ばれ間違いに対する返し等、一年以上ほぼ変化なし)
・学識があるように見せかける(村上龍と話したい、政治の話がしたい、資本主義批判ができる等)
・相方を良く見せるための裏方という自己規定、芸人である自分の否定
・自分には逆らわない身内を酷い目に合わせる、自分をサイコ野郎と呼ぶなどして
「俺を怒らせたらこわい」ということを回りに見せ付ける、という小学生しかやらない芸当を平気でやってのける
(6)(5)のような下手なキャラづけとその性格のため、スベった後にフォローをするのが難しく、相方以上の大事故になる
(7)ツッコミとダメだしをとりちがえている。おまけに他芸人の春日へのツッコミフレーズをパクる。(ユニーク仕上げ、浅香光代、足閉じろ)
(8)若林の言う「うまいぃぃぃぃぃ」はタカ(タカアンドトシ)の昔のギャグをパクったものである
5: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/08/02(日)23:28:04.949ID:LvrJaeQ50.net
M-1の時に家に帰るタクシー代がないというので春日が1万円貸したが
TV局がタクシーを出してくれたので、貸した金は必要なくなったから返してくれと言った
しかし「この金はお前より俺の方が有効に使える」と言って結局返してくれなかった
そういう貸しても返って来ない事が度々あって、実際に実害があるので若林にお金は貸したくない(おどおどオードリー#12)
・売れなかった時代の話の締めとして必ず「春日=ポンコツ」話をもってくる(自分のボケについてはスルー)
・ツッコミとダメだしをとりちがえて相方のボケを「つまらない」などと言い、つまらないものをさらにつまらなくする
・相方や先輩がスベると、巻き込まれるのを恐れてつっこみすらやめて黙る
・後輩芸人たちのどうでもいいガヤをわざわざ拾って滑らせる(キャンナイ)
(2)教養があるように見せかける
・とりあえず村上龍、村上春樹、岡本太郎といったビッグネームを出せばいいと思っている
・政治について語りたいけど相方は話にならないから、などと言って結局話さない
・エッセイの連載や、ラジオでお昼の帯番組(世相を斬るような内容の)をやりたいなどと語る
(3)春日から一発屋のにおいがするため、オードリーが売れたのは若林の腕のおかげに違いないと考える(普段お笑いを見ない人たちの評価)
(4)謙虚さを堂々と見せ付けるという一見矛盾することをやってのける
・自分を過剰に過小評価することによって他人が修正してくれるのを待つ
→要するに、若林はありもしない爪を隠すそぶりを盛大に見せ付けたあと「能ある鷹は爪を隠す」と大声で叫んでしまうような人間
6: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/08/02(日)23:28:24.754ID:LvrJaeQ50.net
・弄られて→「○○さん、俺に厳しくないですかぁ~」または
「春日の方が××ですよ」となすりつける(往々にして賛同は得られず)
・馬鹿だと言われて→「俺バカなんですよ」と開き直る(26hTV、いいとも)
「僕人気ないですから」「春日はスターで僕は黒子」→「そんな事ないですよ」待ち
・謙虚なように見せかけて、他人の言葉として自分を高く評価する
「(くじらの台詞として)おまえは努力家で、落語なんかもよく勉強しているのに…」(ラジオ等)
・相方をこき下ろすことで自分への評価を得ようとするが、言うことが二転三転する狼少年ぶり
「売れない頃、相方が『時代が春日に追いつく』と言ったのは嘘」
「相方は一回もネタを書いたことがない」→DVDに収録されている
・しきりに「自分がネタを書いている、相方は一切書かない」ことを主張するが、
漫才の春日の台詞部分は春日によるものであったり、また、作家が少なくとも3人はついている
・自分がやりたくない、体を張るような仕事は「それは相方の仕事」等と言い張って回避しようとする(はねトび等)
「イジリで叩かれたりすると、本気でムッとしてしまい、変な空気になる」などと弁明(内さま)
・相方のエピソードを自分のものにする、または自分にとって都合の悪いエピソードを相方になすりつける。
・ラジオのゲストが芸人だと変なハイテンションでリスナー置いてきぼり、
年下のモデルや女優などには見下したような態度でおざなりに進行
35: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/08/02(日)23:34:35.869ID:LvrJaeQ50.net
【贅肉】…若林本人が呼称した自分のファンのこと (>>7あたりを参照)
【四分の一】…このスレの四分の一は自分が書き込んだと公言する贅肉のこと
【aya-】…このスレに毎日のように凸して春日叩きを筆頭に色んな芸人を叩いたり若林を褒め称え擁護する。
時に春日をワザとらしく褒めて春日のナリオタをするのを得意とする若林ファンのこと
自演でナリアンチをするさいは若林と他芸能人を一緒に叩いたり、贅肉の事を「お肉ちゃん」と呼んだりもする。
メル欄を[aya-]や[a]にしたまま自演してた事から発覚(証拠のログは馬鹿林信者ヲチスレ1に記載)
※若林ファン(贅肉)はテンプレ貼りの途中によく邪魔をしたり、勝手に次スレを立てたり、
テンプレを改変したり、ナリアンチで悪質なレス(例:犯罪教唆・薬をしている等)をしたりして毎日のように荒らしに来る。
8: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/08/02(日)23:28:44.953ID:LvrJaeQ50.net
・「公の場」を「こうのば」、「我が家」を「わがけ」、学校の居残り「補習」の事を「補修」と二度書き間違う(たりないふたりツイッター5月10日付)
・38歳の「妙齢」の女性という間違った表現→妙齢とは女性の若い年頃の事である(たりないふたり)
・フリップに直筆で飼いたいペットは「芝犬」と書く→「柴犬」(おどおどオードリー)
・「黙々」を「だまだま」、「造詣」を「ぞうし」、時期尚早を「じきなおはや」、千鳥が淵を「ちどりがふじ」 、気心を「きしん」と読む(ANN等)
・「あせばむ」も漢字で書かれると読めない(Qさま)。漫才の「ネタの一環」を「ネタの一貫」(たりないふたりツイッター)
・直筆アンケートで「披露」を「被露」と書く。正確には「被」ですらなく、しめす偏だった。 (お笑い男子校)
・「所」「以」「作」の漢字が書けない(内さま)、「TPP」を「TTP」(ANN)
・「二つ返事で断った」(ANN)、狩野英孝を「かのうえいこう」(シャンプーおじさん・TORE)
・古文書を「ふるぶんしょう」、唯一を「ゆういつ」(ANN)、年俸を「ねんぼう」(Going!Sports&News)
・ピラメキーノ「芸能人の通知表公開」では通知表を失くしたということで非公開
・ヒルナンデスのコーナーMCで、ボードに貼られた雑誌記事の文章を読み上げる際のありえない誤読。
「(ネギのような)細長い野菜を端から切ります」を、「(ネギのような)こまかいやさいをたてからきります」
記事で例に出ている野菜がネギという事から、全体の流れを全く理解出来ていないのが分かる。
・内海桂子師匠を「うちうみけいこ」(2012年11月24日ANNコーナー「勝手にジャンクション」)
・ヒルナンデスでゆるキャラ1位になった愛媛県今治市のゆるキャラの名前は何かという問題で、
水トアナが事前に「いまばり市」と読み、南原さんが「いまばりの」と言っていたにも拘わらず、
コーナーMCである若林が最後の補足説明で今治(いまばり)市を「いまじ市」、今治(いまばり)タオルを「いまじタオル」と読む。
9: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/08/02(日)23:29:05.070ID:LvrJaeQ50.net
・すぐに心折れた顔をして周囲に気を遣わせて事故
→世話になった先輩のライブや打ち上げにも多忙を言い訳に顔を出さない(春日は出席)。
・ファンを「うるせぇ」「気色悪い」「クズ」、自分への批判は「相方ファンの仕業」
・相方の彼女や家族にも暴言を吐く一方で、自分の身内への弄りは許さない
・大ファンだった村上龍と対談(TVぴあ)後、「会わない方がよかった」(ANN)
・トータルテンボス藤田と春日に対して、「ネタを作らない奴は操り人形」(若手DM)
・収録で漫才に笑ってくれなかった梅宮辰男について、実名をあげてラジオでグチる。コーナーまで作る。
→トラのかぶりものを被ってアイドル風に撮るという要求に応えず、
1人だけ適当に頭に乗せて仏頂面、他の芸人は皆プロとして仕事をこなしていた。
→断るために何度も仮病を使う(ケンコバは知らずに若林をフォロー)
→参加しても、誰にも言わず途中でひとりで帰る
→人間関係を築かないので本番で絡めない、他芸人とも連携できない
・イロモネア×フレンドパークにて、失敗を責められるが急に不機嫌になって「謝りたくない」と主張、空気が変に。
→バナナマン日村が「お前なんか嫌いだ」と言ってむりやり回収
・飼育員のおじさん(素人)を「ジジィ」呼ばわりして逆ギレ、バナナマン日村に金網越しに飛び蹴りを食らわす(アドレな)
・ごきげんようにて、春日のトークが滑ったことに大喜び→司会の小堺氏に訝しがられる
・「(オードリーとの共演を嫌っている)上沼恵美子は汚い舞妓」「こっちからお断り」(ピンライブレポ)
11: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/08/02(日)23:29:33.173ID:LvrJaeQ50.net
・「絶対的な基準でものを考えられるようになりたい。相対的な人を見ると、死ぬときにも
https://anond.hatelabo.jp/20230709143809
7/9サンソン内放送の「スピーチ」は7/3-5に収録されており、7/6の松尾氏記事(小杉周水が泣いてた&山下夫妻意向を弁護士確認済み等)、また7/5服部吉次氏告白記事は踏まえずに話されている。
7/9サンソンの冒頭で山下達郎は「例によって前倒し」と収録である旨発言。
7/7ツアー島根公演について「はず」と形容しているので、7/7以前は確か。
7/2サンプラザ最終日については過去形で語っているので、7/2以後なのも確か。通常ツアー地方公演の前日に番組録るのもないので、おそらく7/3~5の間に番組は収録している。
地味に冒頭で「ネットや週刊誌等」と言ってるのも気になるというか、7/6以降であればメディア側の震源は日刊ゲンダイなのは明白で、その場合「週刊誌等」ではなく「夕刊紙等」と言うはず。
そしてこれはラジオリスナーのカンなんだが、「スピーチ」部分は番組の通常の流れの中ではなく、別日で録音したものを素材として流している感じがする(「えー」の入りの声があきらかに2秒前のフリと違う)。
ただ通常番組収録を行うTOKYO FMスタジオ収録か、「おうちスタジオ」収録かは判断できなかった。リモート収録ではない。音質的にはほぼ違いなかったと思うので、TOKYO FM収録?
また、明らかに自分で書いた文面(台本)を読み上げている。誰か別の人が書いたものではない。しかしその場のアドリブでもない(一番連想したのは菊地成孔の口上だった)。またSC内での原稿チェックが無かったとも思えない。チェックしたからこそ公式リリースで言及している。
ということで推測。
7/9(日)山下達郎楽天カードサンデーソングブックで「スピーチ」を放送
7/6(木)松尾潔日刊ゲンダイ連載記事掲載(小杉周水が泣いてた、弁護士経由で山下夫妻が契約解除賛成を確認)
7/5(水) 19:25スマイルカンパニー声明発表、サンソン内でコメントありを明言
7/5(水) 6:00日刊ゲンダイ服部吉次氏独占インタビュー掲載
7/3(月)-7/5(水)のどこか山下達郎サンソン翌日曜放送分本体を収録
上記より前の7/3(月)-7/5(水)のどこか山下達郎「スピーチ」収録
さらに前の7/3(月)-7/5(水)のどこか山下達郎「スピーチ」原稿作成、社内確認
7/1(土)松尾潔Twitterでスマイルカンパニーとの契約解除、山下夫妻の意向を公開
カンだけど7/3(月)に山下から言及の申し出、7/4(火)に「スピーチ」原稿作ってすぐ社内確認、同日収録、7/5(水)夕方SC社公式リリース、という流れだったんじゃないかな。
収録の弱みでもう打ち返せない7/6(木)に追い情報を出せたKC松尾&ゲンダイ師匠のケンカの強さが際立つ(もちろんほとんど偶然だけど)。
6/20松尾潔RKB Grooooow Up!生放送で「第三者委員会でない」件を批判
6/12ジャニーズ事務所再発防止特別チーム(第三者委員会でない)記者会見
6/2-30のどこか 双方弁護士経由で「山下夫妻が契約解除に賛成」を確認
6/2スマイルカンパニー小杉周水が松尾潔に「山下夫妻が契約解除に賛成である」と告げる
5/22松尾潔RKB Grooooow Up!生放送で引き続きジャニーズ問題に言及
5/16Yahoo!ニュース等に書き起こし
5/15松尾潔RKB Grooooow Up!生放送ゲスト出演で前日の動画に言及
ちなみに松尾潔は明確に日弁連の定めるガイドラインを踏まえたうえでの「第三者委員会」を提言しており、山下達郎は踏まえているのかいないのかよくわからないけど同じく「第三者委員会等での事実関係の調査というのは必須」と発言しているので、結果的に松尾潔の「ジャニーズ事務所は『特別チーム』とか適当な逃げ打ってないでマジの第三者委員会立てて調査報告しろやオラ」という提言を補強することになっている。
「フィンランド1.32、ノルウェー 1.41…」北欧の出生率激減 「高福祉」で「ジェンダー平等」なのになぜ?日本が教科書にすべきはイスラエル?
大学でフェミニズム国際開発の先生が北欧を持ち上げていたから、すっかり信じ込んでしまっていた。
「イスラエルの合計特殊出生率は“3.00”と高く、子どもが多い。宗教的な理由や国の歴史的背景の中で、国を存続することに対する思いが非常に強いという理由もあるようだ。朝日新聞の高久潤記者が書いた「『出生率3.0』は幸せか」という連載記事では、イスラエルを『文句を言い合える社会だから』と分析していた。子どもや大人が自由に文句を言って対等に付き合える社会なので、何かに困ったら打ち明け、支えてくれる。子育てにはインフラや経済的支援が大事だが、それとは別に社会的な制度、ネットワークがある。子どもを産みたい社会とは、『子どもが生まれたくなる社会』だと思う」
これ、本当にイスラエルがうらやましい。
朝日新聞の記事の孫引きになるけど、イスラエルでは人々がお互いに文句を言い合える社会だから、出生率がSDGs要求レベル、つまり社会が持続可能なレベルに達しているらしい。
鈴木は陣営外の人にも話が通じる右翼として有名だったが、実は朝まで生テレビの成立に大きな関りがある。鈴木が居なければあの番組は無かったんである。
また風桶式に鈴木が居ねばネットの団塊叩きも無かったんである。ちょっと説明しようと思う。
鈴木の親は民族主義新興宗教の「生長の家」の熱心な信者だった。その為大学時代は六本木にあった生長の家道場の寮に住み込みんで大学に通うと共に国粋宗教活動と学生運動に身を投じ、全共闘の左翼学生と殴りあいをしていた。最近話題の宗教二世だったのだな。
この道場は乃木坂の緑の中にあった。https://goo.gl/maps/tv9eakNek34ZLQXU6
今では生長の家の3代目がエコロジー志向になったので建物も塀も取り払われて開放的な森として一般にも開放されているが、一昔前は周囲の階段が「おばけ階段」と呼ばれるほど鬱蒼とした場所だった。
日本会議の中核メンバーも多くここに入寮しており実はこの寮は戦後の右翼運動の胎盤みたいな場所なんである。安倍政権で日本会議が急接近した事で政治にも影響を与えた。米議会は安倍政権と日本会議の関係を問題視していたのでこの寮の輩出者も分析把握されているかも知れない。
この敷地内には日本教文社という出版社もあってこれは生長の家の教祖谷口雅春の著書を出版して思想と教義を広める為に設立された出版社だ。しかしフロイトの『精神分析入門』や『夢判断』、ユングの選集などをいち早く出版するなど、実は学術分野でも存在感を示してきた社でもあった。
余談だが防衛庁(当時)の庁舎は2000年まで六本木にあり(現ミッドタウン)、更に60年代まで門が開いていたので近所の人は庁舎内の売店で買い物をしていたそうである。六本木、赤坂の物価より安い上に生長の家道場と防衛庁庁舎は目と鼻の先だったので鈴木も利用して安いパンツ等の購入に重宝していた。
ところがある日、左翼学生による防衛庁突入事件があり、それ以来門は閉められ部外者が売店を使用することは出来なくなった。
六本木交差点の先や青山まで行ってハイソ価格のパンツを買うしかなくなってしまった為に怒り沸騰、全共闘と衝突した際には「お前らのせいでパンツが安く買えなくなっただろ!」と叫んで相手を殴っていたとの事である。相手も何を言われているのか不明だったろう、と鈴木は述懐していた。まー、面白おかしく話を盛ったんだろうけど。
1970年に三島由紀夫の市谷駐屯地東部方面総監部占拠と割腹自殺事件が起きて世間を揺るがしたが、三島の介錯、つまり斬首をしたのが森田必勝。森田もまた割腹し介錯された。この森田必勝は鈴木の後輩で、思想的に鈴木の影響を強く受けていたという。
この為に鈴木は強く動揺、やがて右翼として生きる事を決意する事になる。やがて勤めていたサンケイ新聞も退職してしまう。(デモでの狼藉で解雇されたとの話)
鈴木はこの事をずっと気にしていて十字架を背負っているかの如くだったが、2000年頃になると「森田氏」と敬称を付けて呼ぶようになった。十字架を下したのかもしれない。
余談だが、小泉政権時代に男性か女性か判らんと評判になった井脇ノブ子という政治家が居たが、彼女は学生時代、右翼学生運動のマドンナで、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』の様に数万の男塾みたいな学生の先頭に立ち、当時新右翼学生運動のプリンス的立場だった森田との交際の噂もあったとの事である。
1977年google:image:『おまえらがかわいいけんなぐるんや!』は井脇31歳の時の刊行だが表紙写真の井脇は暴力教師だかダチョウ倶楽部上島だか素人には見分けがつかない。
鈴木らは「新右翼」であり、これは全共闘などが含まれる新左翼に対抗する為に生まれ、政治権力に癒着した旧右翼らと違う軸を志向した。そもそも対抗する相手の新左翼自体が、日本共産党が暴力路線を放棄する事に反発して生まれたもので、要するに暴力vs.暴力。
最初から硬派なバンカラと軍国路線で、彼らが卒業して政治結社を結成するようになると国防色(カーキ)の街宣車を使うようになった。これが80年頃になると威圧感を与える黒塗り街宣車と旭日旗、日章旗、軍歌を流すというスタイルが定着した。
鈴木が代表を務める一水会も黒塗り街宣車で軍歌を流して通行人を威圧して居たが、やがて鈴木はこのスタイルは良くないと考え出す。こんなスタイルでは話を聞いてくれる人が居ない。
という事で今の機動隊バスのような爽やかなブルーに塗り直して大音量の軍歌も怒鳴り声も止めた。これは今で言うとテニスサークルヤクザとか好青年暴走族みたいな強烈なミスマッチである。(考えれば機動隊バスが国防色止めたのも同じ動機だ)
すると傍目には社会党などの街宣車に見えるから、すれ違う右翼街宣車に怒鳴られる事もあったそうである。「あー、てめえらふざけんじゃねえぞおいゴラ!」「あ、一水会さんでしたかどうもすいませんでした」って事が度々あったそうだ。
ただ、話を聞いて貰えないスタイルが流行したのは大人の事情もある。威圧感があって相手が震えあがるというのは、例えば企業相手の抗議に行くときは相手が折れてやり易い訳だ。
更に活動費というのは支持者の寄付と機関紙の購買費で稼ぐのだが、相手が折れた先に機関紙の購買も持ち掛ければ受諾されやすい。そこで心付けを渡してくる相手もいる。
するとシノギの手段としてヤクザが参入してくるようになる。民事介入暴力だ。ヤクザは元々旧右翼と不可分だったが、それが新右翼のスタイルを模倣して参入するわけ。威圧感を高める為に街宣車もカーキや灰色じゃなくて黒塗りの方がいいし、車格も小さいライトバン等より大型のワゴンやバスの方がいい。こういうのを警察用語で右翼標榜暴力団という。当時沢山いたヤクザが参入する事で「業界」のパイも大きくなった。
鈴木はこういう威圧じゃなくて議論や対話を好むスタイルだったので、敵のはずの新左翼側とも交流があり、新左翼出版社から自書を出版して居たりもした。それで「一般人の方も向いている面白右翼」という評判が高くなっていた。
そこで1985か86年に全共闘上がりの活動家と鈴木含む新右翼の大討論会というのを開催する事になった。司会はあの田原総一朗である。
この当時は全共闘とか学生運動というのは完全に過去のものになっていて嫌悪さえされていた。流行っていた思想はポストモダンで、モダンの内容も踏まえずに言葉の戯れを繰り出すのが流行していた。これは凄惨な内ゲバを繰り返して自滅したのに青臭い異議申し立てさえすればよいという立場で「議論」の場に居座っていた学生運動的なものに参加したくない、そうではないものが新しい価値ある態度なんだという、以前の政治的なものへの強い忌避、反感がベースにあった。あの田中康夫も事あるごとに全共闘残滓の異議申し立て的態度や代ゼミ講師的ノリをコキ下していた(湾岸戦争で日本が参戦を求められた事に衝撃を受け転向)。
そんな時代背景では政治議論なんてものはカビが生えた扱いで部外者には面白い訳がない。
そう思われていたのに、いざ討論会をやってみたら部外者にもかなりウケがいい。やってる方も面白い。
それでこれはいけるぞと踏んだ田原総一朗がテレ朝に持ち込んだ企画が朝生だったんである。
当時、エロ一本鎗だった深夜放送枠でフジTVが色々実験的な番組を放送し始め、その深夜枠のいい加減さも相俟って好事家的視聴者層にウケていた。そこにCNNの放送権をゲットして社会路線で行きたかったテレ朝が乗ったのだろう。
こういう経緯だから最初の頃の朝生は体制派vs.反体制派orリベラルという構図が鮮明だ。田原は最近「朝生は最早保守だ左翼だという時代ではないというのが朝生を始めた動機だ」みたいな事あちこちで言ってるんだが、この経緯を見ればこれが嘘って事は判るだろう。ボケちゃってるんじゃないの?討論なんてウケない時代に「激突全共闘と新右翼」討論会の成功で行けると踏んだのが朝生なのだから。
そしてこの討論会は鈴木の左右を超えた交流と議論好きの人格が無ければあり得ず、田原も来なかった筈なのだから、鈴木の存在が朝生を産んだと言って差し支えないんである。
こういう風に鈴木の活動と波及した社会現象は停滞して煙たがられていた政治議論を活性化した。すると全共闘上がりの人士らは元気になって「異議申し立てが必要だ」「もう一度騒いでもいいだろ」と言うようになった。これらを受けて刊行されたのが1994年の『全共闘白書』である。
この動きに対し、同世代の松原隆一郎が文藝春秋社の雑誌『諸君!』で批判を加える。更にこれを受けて諸君!誌では「うるさいばかりで無責任 上と下からぶっ叩け全共闘世代」という特集を組んで、その名の通りに上の世代と若手の執筆者が全共闘叩きをする記事を寄せた。
つまりはこれがネットで長年繰り返された団塊批判の始まりなのだ。この全共闘的振舞いへの批判から団塊Jr.世代(増田もそう)の日本を支配するオヤジ世代へのルサンチマンと甘えが被さり、「団塊世代」全体を叩くという風にスライドしてきたのである。そこでは例えばいい年になっても漫画を読んでるというスタイルを確立したのが団塊だ(劇画市場の成立)とか子供部屋が個室とか結婚は好きな相手とすれば良いしなくても良いという常識とか若者向け流行歌の市場とか個人のプライバシーとか時給制アルバイトとかが団塊世代がわがままをしたせいで出来たって事にも向き合わないで済んだ。
些か「風が吹けば桶屋が儲かる」的だが、鈴木の活動が無かったら全共闘上がりが活性化して『全共闘白書』が刊行されることも、それに対して下の世代が反発する事も無かったのである。そしてそれがネット民の甘えを吸収して団塊叩きに変化する事になったのだ。
最後に現在も統一教会との関係で取り沙汰される朝日新聞襲撃殺人事件の赤報隊に関して。
1990年代に新右翼を名乗る男の脅迫で柳美里のサイン会が中止されるという事件が起きた。鈴木はSPA!誌に連載を持っていてそれを批判したところその男が抗議してきた。その中で男が赤報隊の名を語った為、鈴木は「赤報隊とは面識がある、名前を騙ったお前を赤報隊は必ず殺すだろう」と伝え、懺悔の言葉を引き出す事に成功し、それを連載記事に書いた。
すると、直ぐに警察が何らかの容疑で令状を取り事務所を捜索して書類の類を皆押収してしまったのである。赤報隊の情報を得る為の別件事件だ。これに鈴木は怒って赤報隊の情報は二度と官憲に提供しないと書いてそれきりになってしまった。
結局赤報隊と鈴木の面識が脅迫犯へのブラフだったのか真実だったのかは不明なんである。
ヤクザの根絶やしを目的とする暴対法が施行される事になった時、任侠右翼とも付き合いがある野村秋介に鈴木はヤクザの人権を守れデモに参加しようと強く誘われたが、鈴木は「イヤですよヤクザなんて」と気乗りがしなかったが、野村は親分肌なので断れない。仕方なしに参加したら呉智英らに「アウトローの人権とは笑止」などと言われてしまった。
音痴という言葉は、大正時代前後に造語されたようだ(西洋音楽との遭遇によって)
https://kogure.exblog.jp/14108924/
・・・「音痴」という言葉は、やはり近代になって西洋音楽が日本に入ってきてから使われるようになったと考えて、ほぼまちがいないことが明らかになった。音痴が新しい言葉であることのほかに、もうひとつ注目したいのは、仲間うちでは「私は音痴でして」と公言してはばからない日本人の態度である。
・・・音痴という言葉には、否定的な意味だけでなく、みんなの共感を得る肯定的な意味が含まれているらしい。否定的な意味では音痴ははずかしいこと(恥辱)であるが、肯定的な意味では、むしろ積極的に公言したくなるほどのことであるらしい。そして否定的な意味は意識されているが、肯定的な意味はあまり意識されていないようだ。
あいにくとブログ中に記載のある連載記事URLはリンク切れだが、興味深い話だ
以下の「なぜ音痴を経由するのか?」という質問の答えにはなってはいないけれど
「できないこと」をどこかポジティブなニュアンスすら含むように表現する言葉として便利なのは確かだったのだろうな
音痴、運動音痴、方向音痴 → なんで一回、音痴を経由するの?
小田嶋隆というと、昔ゲームラボでコラムの連載を持ってたから、自分はそっちのイメージの方が強い。
だから日経ビジネスオンラインで世相を斬るような記事を見たときは、同一人物なのか?と初めの方は疑問に思ってた。ゲームの話も全くしないし。
ゲームラボで連載してたコラムは、当然ながらゲームの話がメイン。そして、ゲームラボだから、ポケモンは本当に良いゲームなのか?リッジ5って微妙じゃね?みたいに、メジャーゲーム叩きも割と多かった。まあ、メチャクチャ叩くというより、違和感を説明するような感じだったけども。
とはいえ、本業はコラムニストなんだから、やっぱりゲームラボの連載記事の中では、読んでて面白かったという記憶が強い。そうでなければ、著者の名前なんてイチイチ覚えてないしな。
この人のコラムのページには、内容に即したゲームラボマンのイラストが描かれてたから、この人がゲームラボマンの中の人なんだなと勝手に思ってたけど、もちろんそんなことはない。
別に小田嶋隆に感銘を受けたとか特別な思い出があるとか、そういうことはないけど、ゲームラボと絡めた話題を全く見ないから、なんとなく書いてみた。
元ゲーラボ読者としてご冥福をお祈りします。
もともとそんな民度の低い質問はしてないし大変とも思ってないのだが・・・
ジェンダー平等をテーマに掲げる8日の「国際女性デー」。ジェンダーにまつわることばを出発点に、見過ごされがちな差別や格差について、3回に分けて考えた今回の連載。男性優位主義の実態を指摘した近著「マチズモを削り取れ」があるライター武田砂鉄さんに、テーマに合わせて寄稿いただいた。(連載記事は記事末尾のリンクから)
◇
「最近は何を言ってもいろいろ言われちゃうから大変だよ」という言い方をよく聞く。その言い方は、「あちこちで物を言うのが不自由になってきた」と展開していくのだが、「なぜ、これまでは何も言われなかったのか」という観点がすっぽり抜けていたりする。これまでもダメだったのかもしれないのだ。
武田砂鉄さん
武田砂鉄さん
本人の性のあり方について本人の同意なく第三者に暴露してしまうことを「アウティング」と呼ぶ。自死につながったケースさえあるのだが、こうした事柄についても、「それくらいのことで」との声がまだまだ向かう。
何でもかんでもセクハラになっちゃうんだからたまったもんじゃないよ、と吐き捨てる人は、どういうわけか、セクハラにならない限界点を知ろうとする。「髪切った?」はいいのかな、「このあと、彼氏とデート?」はいけないのかな、といった具合に。「相手がどういう気持ちになるか考えてみましょう」と、小学校で習ったようなメッセージを改めて送りたくなる。
これまで自由に使えていた言葉が制限されると、自分たちが不自由になったと感じる人がいる。ジェンダー平等が繰り返し叫ばれる社会の中で、とりわけ男性はそう感じる機会が多いはず。その時、真っ先に、「これは、これまでもダメだったやつではないか」と考えなければいけない。そう考えないと、なぜかギリギリを目指してしまう。ギリギリを目指して、これもダメですと言われると、不自由な世の中だと世の中のせいにする。
石原慎太郎は差別発言を繰り返した。女性に、外国人に、障害者に対して、とにかく繰り返した。なぜ繰り返したかといえば、それを、日本社会が、そしてメディアが、彼のキャラクターとして許容してしまったからだ。彼が亡くなると、彼の差別発言について聞かれた幻冬舎・見城徹社長が「世間的な調整や気遣い、忖度のできない人なんです」(2022年2月9日・朝日新聞デジタル)と述べていた。
ほら、こんなことを言うのだ。なかなか「世間」とは合わせられない人だし、「忖度」が苦手だったと。ここには、それを言われた人がどう感じたかという視点がまったくない。棘として体に刺さったままの人がたくさんいる。その人にとっては、言われた人が亡くなろうが、棘がとれるわけではない。むしろ、偉大な作家・政治家だったと大ざっぱに肯定されれば、棘は改めて体に刺さる。
昔からダメだったものが、今、ようやくダメだと認定されるようになってきたという考え方をしたい。「こんなことも言えなくなっちゃったのか」があちこちから聞こえる。そんなことは、昔から言うべきではなかったのだ。ギリギリを目指す人には冷淡に接していい。「それ、ダメですよ」と言う。モゴモゴ文句を言うかもしれないが、だってダメなのだ。勉強してから出直してこい。年長者だろうが、この対応で構わない。
(要約)
・東京オリンピックで若手の選手が、メダルや勝利というリターンのために、今までの日本人にないリスクの取り方で試合をしていた。勝利だけではなく、称賛というリターンがあるからこそ、積極的にリスクが取れるのではないか。
・この考え方は投資にも広がる。ESGやSDGsは、金銭だけではなく社会的なリターンがある。投資でも積極的な挑戦リスクが歓迎されてほしい。
・東京オリンピックの若手選手は、リターンを得るには、リスクを取らなければならないというリスクとリターンの法則を体現していた。
・投資では若年層の積立NISA利用が増えており、投資に対する意識が変わり始めている。今後の成功体験によって、資産形成が日本でもトレンドになることを期待する。
以上。
これは、ある証券会社の「ライフプランコラム」という名前の連載記事。
きっと著者は「今までの日本人(って誰だよ)はリスクを取らないで貯蓄ばっかしてるけど、見ろよオリンピックの若者、すげぇ勝負かけてんじゃん。今の若者つみたてNISAにも積極的だし、メンタルが違うのかも?このまま投資が若者のトレンドにならないかな~」って言いたいのだと思う。たぶん。なんせ何言ってんだかわからん記事だから。
あと、
だから何?
最低限のNetwork知識https://zenn.dev/hee/articles/ce9002ae525622 という記事がブックマーク400を超えていて、どうしてこのレベルの記事に400もブックマークが集まるのかと問いたい。
覚えたことをまとめてアウトプットするのは素晴らしいことだと思うしそれは否定しないんだけど、勉強したての見習いが書いた薄い内容とベテランがまとめた記事だったら、学ぶのに適しているのはどちらかという話である。
そんなわけでちゃんと勉強するならITMedia系でプロに金払って書いて貰っている記事を勧めたい。
ちょろっと探してみて初心者向けに纏まってる内容だったので、以下の連載が良いと思う。
https://techtarget.itmedia.co.jp/tt/news/1503/13/news04.html
それでもっと知りたいと思ったらMaster ofIPNetworkの記事を読み漁るといいかな。
https://atmarkit.itmedia.co.jp/fnetwork/index_index.html
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追記:
マスタリングTCP/IP が名著だしおすすめなのは間違いないけど、ネットワークを専門としないであろう人にまでおすすめするのは少しハードルが高い気がするよ。
上に挙げた連載記事を読んだ結果もう少しちゃんと学びたいと思ったならば、その時には手に取ってもらいたいかな。
Permalink |記事への反応(11) | 10:15
小山田圭吾の障害者虐待に関して執筆されたQuick Japan(QJ)やRockin'On(RO)の記事、そして北尾修一によって発表された村上清と小山田圭吾を擁護するブログ記事を読んで、改めて感じたのは「自分たち(=サブカル業界人)の欲求や愉悦のためには、他者の尊厳を踏み躙ること、他者に負担を負わせることを何とも思わない」と云う、昔も今も変わらないサブカル業界人の自己中心的な体質です。そして、この体質は、町山智浩ら旧体制『映画秘宝』と瓜二つです。
件のQJ連載記事『いじめ紀行』の中で村上清は「イジメはエンターテイメントだ!」と明言しました。それが本当ならば、村上清は何故、彼自身をイジメた加害者を取材しなかったのでしょうか?何故、村上清は、彼自身をイジメた加害者を探し出し、彼(ら)を取材して、村上をイジメた時に加害者(ら)が覚えたであろう興奮や愉悦、或いは村上自身が舐めた辛酸や屈辱感について、詳細にレポートしなかったのでしょうか?何故、村上清は加害者(ら)と「アレはヤバかったよね(笑)」と、いじめトークで盛り上がらなかったのでしょうか?村上清が言う「救いが無いことも含めて、イジメはエンターテイメントだ!」と云う主張が本物ならば、村上にはそれが出来たはずです。
もちろん、村上清がそれをしなかった/出来なかった理由は分かりきっています。本当は「村上清にとってイジメは、決してエンターテイメントではなかった」からです。記事を執筆した当時の村上清は、彼自身をイジメた加害者に対して、依然として恐怖感や忌避感を抱いていたのです。
本当は村上清は、彼自身をイジメた加害者にリベンジしたかったが、それは村上には出来なかったのです。本当の加害者へのリベンジが出来ないことは、村上清にとって大いなる屈辱であり、劣等感の源でした。その代償行為として『いじめ紀行』を執筆し、それを通じて仮想的に加害者となることで、被害者としての屈辱感を解消しようとしたのです。
この村上清の行動は、見れば見るほど町山智浩ら旧体制『映画秘宝』と瓜二つです。
小山田圭吾に対する世間の批判が高まった後、町山智浩はTwitterで「悪趣味・鬼畜系カルチャーの原動力は、電通・ホイチョイ・フジテレビ的なカルチャーへの対抗心だった」と云う主旨の発言を行いました。また町山智浩だけでなく、旧体制『映画秘宝』全体が、ジョックス(米国スクールカーストで上位である体育会系)に対する怒りと憎悪を撒き散らしていたことは周知の事実です。
では町山智浩らは、その電通・ホイチョイ・フジテレビ・ジョックスに対して復讐したでしょうか?していません。町山智浩らの怒りや憎悪を向ける本来の相手である、電通・ホイチョイ・フジテレビ・ジョックスには町山らの力では敵わないから、その鬱憤を晴らす代償行為として、女性や同性愛者やアニメ愛好者を攻撃して、憂さ晴らしをしていたのです。或いは『映画秘宝』内部のカースト下位の人間(ギンティ小林等)に対してパワハラやイジメをして、いじめ加害者としての立場を楽しんでいたのです。
そして、町山智浩による筋違いな鬱憤晴らしは、今なお止むこと無く続いています。現在も町山智浩は、女性差別・蔑視発言や同性愛者差別・蔑視発言を繰り返しています。
このように比較することで、悪趣味・鬼畜系であろうがなかろうが、また90年代から変わることなく現在も、サブカル業界人たちは、恨み(?)を晴らすべき本来の相手に敵わないが故に、その鬱憤を晴らすために「弱そう/反撃してこなさそうな相手」を選んで攻撃している卑怯者たちであることが理解できると思います。
この投稿は、以上です。
転職先面接で、定年退職まで働くイメージがなかった企業、それも全然違う役職に応募してしまい、ミスったーって思いを全く取り繕わなかったら普通にお祈りされてしまった。
リクルーター経由ならどこがダメか感想をいただけるのだけど、完全に無味無臭のお祈りメールから「こいつとは一緒に働きたくない」という書いてない文脈を読み取ってしまう。
...やっぱりそれでもいろんなことを考えてしまう。
悔しい‼って思い、メガベンチャーなんて言われてたけど普通に判断スピードは大企業のそれでもう全然そういう会社じゃないんだなって色褪せた思い、
どーせダメだからって最後の質問で給与を聞いたら、逡巡した後で非managerで700万円って答えてくれて、の後紹介された連載記事を見てこれでこれかーって素直に思ってしまった思い、
お前もべっつにそんなに強くないだろ、むしろ雑魚だし、たった一人技術だけで上がりじゃなくていろんな部署に声をかけて人を巻き込む力が多かれ少なかれあって事業に貢献してそれやでって思い。
ソシャゲで巻き上げる力やっぱりやべーなぁって思い。
色々なものが積み重なった。
映像コンテンツの倍速視聴に関する話題を目にして、ふと思い出したことがある。以下に記すのは、個人的な昭和の思い出話である。
歳の離れた兄が買っていた『SCREEN』と云う映画雑誌が、実家の本棚に何冊も置かれていることに気づいたのは、私が小学校の高学年になった頃だった。裕福な家庭ではなかったので、我々兄弟は一つの部屋を共有して過ごしていた。だから実際には、もっと以前から、その雑誌が本棚に置かれていたことを私も知っていた。したがって、正確に言えば気づいたではなく、興味を持つようになったと言うべきであろう。
それらは70年代に発売されたもので、ちょうどSF映画、オカルト映画、パニック映画が流行した時期に該当する。だから、これらのジャンル作品のスチール写真を載せたページを眺めるだけでも、子供には十分に楽しめたものだった。
やがて、そう云うビジュアル記事を眺めるだけでは飽き足らず、活字の部分にも目を通すようになった。最初は、やはりSF、オカルト、パニック作品に関係するところから読み始めたが、それらにも限りが有る。こうして、あまり子供向けではない記事にも、当時の私は目を通すようになっていった。現代とは異なり、地方の非富裕層の家に生まれた子供には、娯楽の選択肢が極めて少なかった。従って、ほとんど已むを得ずと云う形で、元々は興味対象外だったものにも手を出すことになったと云う次第である。私と似た境遇に在った地方の名も無き小中学生も、私と大同小異の経験をしたのではなかろうか。例えば、家に置きっぱなしにされた古いジャンプ/マガジン/サンデー/チャンピオンを、何度も何度も読み返し、その結果として、元々は興味が無かった作品の魅力に気付かされたといった、そう云う経験のことである。
話を戻すと、こうして結果的に活字記事も読むようになった私は、雑誌『SCREEN』に淀川長治の連載記事が掲載されていることに気づいた。当時の子供でも、淀川長治の顔と名前は知っていた。テレビに出て「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」のセリフを言うことでお馴染みの、有名なオジサンであった。その連載記事は、読者からの質問や相談に淀川長治が答えるコーナーであった。
読者から寄せられた「僕は映画監督になりたいのですが、どうすれば映画監督になれますか?」と云う質問に、淀川長治は次のような回答をしていたと私は記憶している。
「こうすれば映画監督になれると云うような、確実な方法や手段は無い。それは無いが、強いて言うならば、同じ映画を十回は観なさい」と。
馬鹿な小学生だった私は、これを読んでも何のこっちゃとしか思わなかったが、世の中には淀川長治が言わんとするところを正しく理解して、きちんと実行した人も存在したのだった。それを後に私が知ったのは、中学生になった頃、GAINAXが初の作品『オネアミスの翼』を製作・劇場公開した時のことである。
中学生になった私は「何だか凄いアニメ映画が、若手クリエイターたちによって作られて、劇場で公開されるらしい」との情報を知った。知ったは良いが、そこはド田舎に暮らす非富裕層の哀しさである。公開する映画館は近隣に無かったし、そんな映画館が有る都市部まで行く手段も無かった。当時の私に出来ることといえば、劇場公開に合わせて発売されたムック本を、少ない小遣いで買って、それに掲載された場面の絵を見て、実際のスクリーンで動いているところを想像することぐらいであった。これもまた、同じような経験を持つ人がいることだろう。なお、そのムック本には物語の最後の場面までしっかり掲載されていたので、話そのものに関しては、当時の私も知ることができた。
さて、映画の場面を載せたビジュアル記事を読み終えた私は、もちろん活字記事の部分にも目を通した。そこには、本作品で監督を務めた山賀博之氏のインタビューも掲載されており、映画監督を目指そうとした山賀氏の若き日の思い出も語られていた。その思い出話こそが、淀川長治の「同じ映画を十回は観なさい」に関する話なのである。
雑誌『SCREEN』の淀川長治の当該記事を読んだ当時の山賀博之氏は、その教えどおり、同じ映画を十回観たと語っていた。ちなみに、実際に山賀氏が十回観た作品の例として挙げていたのは、少年野球チームの少年少女とコーチの奮戦を描いた、アメリカ映画『がんばれベアーズ!』である。テイタム・オニール、かわいい。山賀博之氏が語ったことは、概ね以下のようなことであった。
「最初の2〜3回目は、普通に観客として楽しんで観ているだけ。4〜6回目辺りは、もう観たところばかりだと思って、飽きて退屈する。それが7回目頃を過ぎると今度は、場面場面で作り手が何をしようとしているのか、ココで溜めてココで盛り上げようとしているんだなとか、画の見せ方とか、そう云う作り手の意図に気づき始める。同じ映画を十回観ると云うのは、こういうことかと理解した」やはり、何かを成し遂げる人は同じ文を読んでも、凡人とは違い有益な学びを得る能力が高いということなのだろう。
ここで紹介した淀川長治氏の教えと山賀博之氏の実践エピソードは、あくまでもプロを目指す人たちに向けた話なので、我々一般人とは関わりの無い話に思えるかもしれない。また、現代はコンテンツの数量が昔よりも多い時代なので、一つの作品を繰り返し読む/観るという時間的な余裕が無い現代人が大半だろう。しかしそれでも、一つの作品を繰り返し味わうこと、そして運が良ければ、そのリピート鑑賞を通じて何かを気付く/発見することは、貴重で豊かな経験であると私は思う。倍速視聴をしてまで観る作品の数を増やすことにも、一定の理由や合理性は有るのだろうとは思うが、何かしら自分のレーダーに引っ掛かるモノを持つ作品に出会った時には、少しだけ立ち止まって、それを繰り返し味わうことも試してみるのも一興ではないだろうか。
ここまで書いた上に蛇足だが、もう少し思い出を書き残す。昔、Blu-rayやDVD、レーザーディスクはおろか、家庭用ビデオすら普及していなかった時代の思い出話である。その頃は、アニメ映画作品の音声を収録した、LPレコードやカセットテープが販売されていた。(一部では家庭用映写機で上映出来るアニメ映画作品のフィルムテープのリールも販売していたが、これを買って楽しむことが出来るのは、本当の金持ちだけだった。)私は子供の頃、この手の音声収録レコード商品の一つ『ルパン三世/カリオストロの城』を所有する人物から、兄弟のツテでカセットテープにダビングしてもらい、それを何度も何度も繰り返し聞いて、頭の中では『水曜ロードショー』で観た『カリ城』の映像を想い起こして楽しんでいた。この体験のおかげで、私は今でも『カリ城』の全セリフを暗誦できる。何の自慢にもならないが。
そして、歳月が流れた。
後に社会人となって働き始めた兄が、VHSビデオデッキを買ってくれたので、我が家もビデオを利用できるようになった。金曜ロードショーで放映された『カリ城』を録画すると、当然それも繰り返し何度も視聴した。カーチェイス場面などはコマ送り再生で作画をチェックしていたので、倍速視聴とは正反対の行為である。
ほどなく小さなレンタルビデオ屋が我が町にも出来て、兄がスプラッター映画とかゾンビ映画とか借りてきてくれて、一緒に楽しんだりもできるようになった。古い『SCREEN』の記事を読んで、勝手に凄い作品だと思い込んでいた『巨大蟻の帝国』や『スクワーム』が、実際の映像を観るとショボい作品であることも思い知った。
大人になって、現在の宮崎駿のことは反吐が出るくらい大嫌いになり、ルパン三世作品としての個人的な評価も、軍配は『vs.複製人間』の方に上げるようになった。
子供の頃には観ることはおろか、存在を知ることも叶わなかった様々な作品の数々を、今では視聴して楽しむことが出来るのだから、明らかに子供の頃よりも、現在の私は恵まれている。
それでも、熱に浮かされたように古い映画雑誌を何度も読み耽って、観たことも無い映画の内容を勝手に想像したり、何度も何度も『カリ城』のカセットテープに耳を傾けて台詞を暗誦していた子供自体の思い出は、それらが経済的な制約から生じた行為だったにも関わらず、何だか私には宝物のように思えるのである。ただのガラス玉が宝石より愛しく思えるように。
他の人も指摘しているが、折田さんは元々プロと紙一重のところにいた人で、
奨励会入りがもう少し早ければ順当にプロになる目もあったように思う。
この日刊スポーツの連載記事が非常に良くまとまっているので読んでほしい。
https://www.nikkansports.com/entertainment/column/naniwa/news/202002260000016.html
https://www.nikkansports.com/entertainment/column/naniwa/news/202002260001143.html
https://www.nikkansports.com/entertainment/column/naniwa/news/202002280000016.html
20年前にあった技術雑誌なんて数少ないから特定されそうだけど気にしない。
自分が書いていたのは連載記事。1年間連載したので12回だった。メイン記事というほどではないが人気はあった。
ページ数は結構調整が効いた。基本8ページくらいで、多いときは12ページくらい書いていた。
原稿料はページあたり1万5千円。なので月に12万円から18万円くらい。これは結構高い方で、同じ雑誌でも1万2千円くらいが相場だった気がする。雑誌のサイズ(A4とかB5とか)や文字の大きさにもよるから一概に比較できないので注意。
1回分を書くのに費やす時間は、平均1週間くらい。片手間に書いてた。
当時は図を手書きでFAXで送ったら、向こうのデザイナーの人がかっこいい絵にしてくれた。デザイナーの人ありがとう。
そして図を増やすと読者が喜ぶ。読者が喜ぶと編集者も喜ぶ。労せずページが増え原稿料増えて俺も喜ぶ。みんな喜ぶので最後の方は図だらけだった。デザイナーの人ありがとう。
連載は好評で終了時に続編を書かないか打診はあったが、忙しかったのとその分野の専門家でもなかったのでお断りした。
そしたら書籍化された。原稿料払ってたからって理由で印税普段10%のところ9%になった。2500円くらい。技術書としては珍しく大ヒットして1万部売れたところでちょい改訂。印税10%になった。そこから5000部くらい売れてる。今も定期的にお小遣いになって美味しい。
計算すると、連載時は平均10ページとして月15万×12ヶ月=180万円。書籍化で10000部×2500円×9%=225万円、5000部×2500円×10%=125万円、計530万円。おお労働時間の割に結構いいな。でもこれは特殊な例だと思う。技術本の執筆は報われないのが基本。多分3000部くらいが限度。
本を書いて一番良かったのは、業界内外の人に対する自己紹介として便利なこと。「こんな本を書いています」ってamazonのリンク(レビューいっぱい)を送るのは効果的。
今はどうなんだろ。執筆依頼とか面倒で断ってるけど、この前We○+DBさんから提示された原稿料はショボかったな…。今は情報発信はWebが基本だし、なろう文庫みたいに上手く行ったら書籍化みたいな飴がないと厳しそうな印象はあるな。
何かの参考になれば幸いです。
47条の7については
さらに、(d)電子計算機による情報解析が著作物複製・翻案の目的であれば足り、必ずしも電子計算機による情報解析が実際に行われることは必要ではありません。
引用元:【JRRCマガジン第26号 連載記事|JRRCマガジンバックナンバー|公益社団法人日本複製権センター(旧名:社団法人日本複写権センター)】http://www.jrrc.or.jp/topics/detail/20140829103825.html
複製はOKだけど公衆送信NGらしいけど、データそのものを公開してる訳じゃないのでこれもたぶんセーフ。
で、47条7自体が、もともとの著作権法だと分析目的の全文使用は学術的目的であっても法に触れるので例外規定を設けましょうね、って追加された条文らしいので、「引用に当たるか」については「引用の範囲を超えている(ただし別の条文で認められた使い方なので著作権法違反にはならないだろう)」となりそう。
参考:【情報解析と著作権】https://www.jstage.jst.go.jp/article/johokanri/55/6/55_434/_html/-char/ja/
条文には使用していい範囲についての但し書きがないけど、もし裁判になった場合は、使用するデータの妥当性によって47条の7が適用されるかどうかが争われたりするのかな?そこまではよくわかりません。