
はてなキーワード:速読とは
読書というのは、時間がかかるものだと思ってないか。月に1冊、年に12冊。それが当たり前だと思ってないか。違うんだよ。全然違う。
俺も、そうだった。毎月1冊、年に12冊。それが限界だと思ってた。時間がない、疲れてる、どの本を読んだらいいかわからない。そんな理由をつけて、読書から遠ざかってた。だけど、ある時気付いたんだ。「あ、俺、本当は本が好きなんだ」ってことに。それが全てを変えた。
最初にやったことは、「完読の呪い」を解くことだ。俺たちは「本を読む」ということに対して「最後まで読み切らなければならない」という呪いをかけてる。つまらない本でも、最後まで読まなきゃいけない。そう思ってる。違うんだよ。本というのは、つまらなかったら、途中で止めてもいい。実は、これが読書量を飛躍的に増やす最初のステップだ。なぜなら、つまらない本に時間を費やさなくなるから。その時間を、面白い本に使えるようになるからだ。
次にやったことは、「多読する本」と「精読する本」を分けることだ。全ての本を丁寧に読む必要はない。速く読める本もあれば、じっくり読むべき本もある。その違いを認識することが大事なんだ。たとえば、エンタメ小説とか自己啓発本とか、そういう本は速く読んでいい。ただし、詩集とか古典とか、そういう本はじっくり読まなきゃいけない。その本の性質に応じて、読み方を変える。そうすると、月の読書量は劇的に増える。
そして、これが最も重要だ。「スマホの時間を読書時間に変える」ことだ。お前は毎日、どのくらいスマホを触ってる。3時間?5時間?10時間?その時間の一部を読書に充てるんだ。通勤時間に本を読む。トイレの時間に本を読む。食事の時間に本を読む。寝る前に本を読む。その時間をかき集めると、毎日1時間、2時間の読書時間が作られるんだ。1日2時間読書すれば、月に60時間。年に720時間だ。これは、月に10冊、年に100冊を確実に読める時間だ。
それからな。「図書館を最大限に活用する」ことだ。本を全部買う必要はない。図書館で借りれば、無料だ。そして、「つまらなかったら返却する」ことも容易だ。これが読書のハードルを物凄く下げるんだ。なぜなら、「買ったから最後まで読まなきゃ」という心理が消えるからだ。図書館で借りた本なら、途中で止めても罪悪感がない。その自由さが、読書量を増やすんだ。
次は、「本の選び方を工夫する」ことだ。本屋に行って、ランキングのやつだけ買う。それじゃ駄目だ。自分がどんな本が好きなのか。自分がどんなジャンルに興味があるのか。それを知ることが大事だ。そして、その興味に従って本を選ぶんだ。つまらない本に時間を費やさなくなるから、読書量は増える。さらに、「本の紹介記事」とか「読書ブログ」とか、そういったものを参考にして、本を選ぶのも良い。他の人が「面白い」と言ってる本は、確率として面白い可能性が高いんだ。
そして、これも大事だ。「速読する技術を身につける」ことだ。俺たちは、学校で「ゆっくり、丁寧に読むこと」を教わった。だけど、全ての本がそう読む必要があるわけじゃない。たとえば、エンタメ小説なら、ストーリーを追うだけでいい。細かい表現に拘る必要はない。そうすると、読むスピードは上がるんだ。実は、「速く読む」ことができると、読書量は3倍、4倍に増える。
ここからが本当に大事だ。「読書記録をつける」ことだ。月に何冊読んだか。年に何冊読んだか。それを記録するんだ。すると、面白いことが起きる。「あ、今月10冊読んだ。来月は12冊読もう」とか、「去年は50冊だった。今年は100冊目指そう」とか、そういう目標が生まれるんだ。その目標が、読書量を増やすモチベーションになるんだ。
そして、「本の感想を誰かと共有する」ことも重要だ。友達と本について話す。SNSで感想を書く。読書会に参加する。そういった行為が、読書の喜びを倍増させるんだ。また、他の人の感想を読むことで、「あ、その本、読んでみたい」とか、「その本は読まなくていいな」とか、そういう判断ができるようになるんだ。
ここで大事な気付きがある。「読書をスポーツのように考えてはいけない」ということだ。「月に何冊読む」「年に何冊読む」というのは、目標ではあるが、それ自体が目的ではない。大事なのは、その本から何かを得ること。その本で感動すること。その本で学ぶこと。それが、読書の本質なんだ。だから、「とにかく速く読む」「とにかく多く読む」というのは、読書の本質から遠ざかってる。大事なのは「どの本を読むか」「その本から何を得るか」ということなんだ。
だから、俺が実行したことをまとめると、「つまらない本は途中で止める」「多読と精読を分ける」「スマホの時間を読書に変える」「図書館を活用する」「自分の興味に従って本を選ぶ」「速読の技術を身につける」「読書記録をつける」「感想を共有する」。これら全てが、相乗効果を生み出すんだ。
1年間、これを実行したら、俺の読書本数は月に10冊、年に120冊を越えた。3桁だ。最初の月は5冊。2ヶ月目は8冊。3ヶ月目は10冊。そして、4ヶ月目以降は毎月10冊以上を読むようになった。最高で月に15冊読んだ月もある。
だけど、大事なのは「冊数」じゃない。那些本から何を得たか。その本で人生が変わったか。そういうことなんだ。実は、100冊読む中で、本当に「人生が変わった」と言える本は、5冊か10冊くらいなもんだ。でも、その5冊、10冊に出会うためには、100冊読む必要があるんだ。つまり、「量をこなすことで、質に出会う」という逆説的なことが起きるんだ。
だから、覚えておけ。読書というのは、時間がかかるものじゃない。工夫次第で、誰もが年に100冊以上読むことができるんだ。スマホの時間を読書に変える。つまらない本は止める。自分の興味に従う。図書館を活用する。この4つだけでも、読書量は倍増するんだ。
そして、最後に。読書というのは、孤独な行為じゃない。本を通じて、過去の著者と対話することだ。本を通じて、今の読者と対話することだ。その対話の中で、人間は成長するんだ。だから、「たくさん本を読む」というのは、「たくさんの人と対話する」ということなんだ。その対話を増やすことで、お前の人生は、もっと豊かになるんだ。
あくまで一例として。
読み書きではなく喋るとなるとよく使うワードの型みたいなのを口になじませる必要があるはず。
トランスクリプトを隠して1-2文程度のリスニング、真似ができるようになるまで何度も繰り返してからスクリプトを見る、というのと、
瞬間英作文だったかな。並行してZ会の速読英単語は4-5周やった。
人によって最適なやり方が違うようで職場の同僚は修士どころか学士も取ってないのにあっという間に喋れるようになってたから向き不向きが大きい気はしてる。
その同僚いわく、単語そのものは(俺)のほうがずっと知ってるので英語を話す人格のモードに切り替えろと言われ続けていたが
はああああああああああああああ
仕事で英語の短いミーティングがあったんだけど、全くしゃべれなかった。
一週間前から想定問答とか作っていろいろシミュレーションしたけど全然役に立たなかった。会話が成立しなかった。
会議は結局先輩にリードしてもらって助けられた本当に。今回はこれでなんとかなって救われた。
が、やはりなんとかしたい。修士まで出てこのザマなのはやだわ。だけど英語は学生のころから特別好きじゃない。だけど折角だからこの機会になんとかしたい。
とりあえず学生の頃使ってた速読英単語を買いなおした。毎日1section+前日の1sectionを積み上げなおそうと思う。
文法もまるで記憶にないから一億人の英文法も買った。これの使い方はちょっと困っているが...。まぁ何とかしようと思う。
会社でオンライン英会話もできるから月8回x30分程度だったかな?って奴を9月からやってみようと思うんだが、果たして効果的に英語話したり聞いたりするには何をするのがいいんだろうか。というかこれを愚直にこなせばコミュニケートできるようになるのだろうかという悩み。
夫、多分ディスレクシア?なんだと思う。
「上質な睡眠」を「上等な睡眠」と読んでしまうような些細な間違いを頻繁にしているし、この間は「作者はこの意見に肯定的である」という文章をなぜか真逆の「作者はこの意見に否定的である」と読んでいた。
あと、関係あるかわからないけど、文章を読むのがとても遅い。これは自分がせっかちで速読しがちなのもあって、相対的により遅く感じてしまっているのかもしれない。
二人でいる分にはそう気にならないけど、遺伝すると言う話を聞いて、ちょっと不安になってしまった。
というのも、私が聴覚情報処理障害傾向を持っているからだ。と言っても重度のものではなくて、ちょっと音質が悪くなると聞き取れなくなる、くらいのものだけれども。
もしお互いのこの特性がどちらも遺伝してしまったら……それは子どもにとって大変なことになってしまうと思う。
そもそも夫に対してディスレクシア云々の指摘をしたことがないし、人には言いづらい。
だからここに書いた。
ワイの読み方フツーじゃないの
早い方だとは思ってたけど誤差というか個性の範疇だと思ってたけど
なおワイ、ディスレクシア
#ワイの読み方(雑に読んでるから読み落としして戻ることも結構ある)
##短文:
情報全体を絵か地図のように捉えて、情報の関係性(パターン)を優先して捉え、細かい部分の確認は後回しにしてます
1. 全体を俯瞰し、上から下まで目に入れて絵や地図のように捉える
2. 1行目と最終行を読む
3. 真ん中あたりを読む
4. 関連しそうな単語を拾い、情報の関係性(パターン)を把握
この方法なら、300文字程度の文章なら数十秒で読めるはずやで。特に口語体の文章は情報密度が低く、1行に複数の概念を含むことが少ないため、処理しやすいはずやで。
情報密度の高い論文や、馴染みのない概念を含む文章は適さないけど、一般的な口語体の文章ならこの方法で十分対応できるやで
#長文(5000文字以上):
重要度の高い部分を優先的に処理し、低優先度の部分は後回し
途中で足りない情報があれば、あとで補完する
3. 全体を把握した後、必要な部分だけ詳細チェック
例えば 「ソースコード全体を先に眺めて、関数の役割を把握してから詳細を読む」 みたいな感じ
なお、割と読み落とす模様
#専門書など:
最近の私の心持ちというかやる気パワーは低迷中なんだかそんな感じ。
意欲が沸かないのよね。
いや沸かせるのは自分だから自分自身でなんとかしてちょうだい!って思うけれど、
まあそんなリズムの時もあるわ。
なんかリズム乱すと取り戻すためになんだかここのところ多く時間が掛かっているような気がするの。
そんなときは本でも読んで、
人のやる気をもらった方がいいのよ。
探していたら、
ふと気になっていた本が目の前にルーレットでパッと止まったようにやって来たの。
そういう出会いってあるわよね。
ああ本が出たのねってそれまではその認識だけど、
その感じた認識の瞬間に思った次のことは、
この人の何日かのチャレンジで何をやって何が起こったんだろう?って
その期間のことをまとめられた本ってお値段プライスレスじゃない?
いくらであろうが、
その期間中の経験や考えを便利にまとめられて読みやすくなったものをお金を出して得るって真っ当だわーって思ったのよね。
まあソシャゲで言うところの課金して経験値を買うって考え方かしら。
そんで、
なんだかさ。
こうやってよし!この本面白そうって自分で何となくそれでも見付けた本って読む気があるじゃない。
自分が面白そうと思って買ったゲームって意地でもクリアしたいと思うでしょ?
途中で諦めない限り。
人に勧められるゲームとか本とかって、
ほんとプレイしないし読まないし、
ファイナルファンタジー11だったかな?
勧められて私は駄目なタイプかも知れない。
勧められると一気にやる気が無くなるパターン。
自ら見付けておお!面白そう!って気になるものは案外難しくてもゲーム進めたり本を読んだりするのよ。
うわ!って今私思い出したけど
あまりにゲーム最初から初めていきなりのボス戦を迎えつつ初回のセーブポイントのあまりにも遠すぎて結局見付からなくて、
私のやる気とはよそに難しすぎるのよ。
セーブポイントまでたどり着けないわ。
それを今思い出したわ。
ニーアオートマタやりたいけれどセーブポイントのあまり遠さに負けてしまうやつ。
それはともかく、
人に勧められてものってなんだか進まないわ。
そんな私が珍しくやる気を出して読んでみたいって思った本は、
町中華に言ったときにルービーとから揚げが出てくる間に読み続けていれば、
それもそれでいいわよね。
なのでせっかく私が今読みたい!って思って手に取って太陽に掲げて読むぞー!ってなった本は読み切ってみたいわ。
なにしろその人がその期間中に何が起こったのか?って凄く気になるのよね。
それなら私にも出来そう!って
人のやる気からやる気を得るってことが出来るかもな、
ひしひしとまた沸いてくる意欲を期待したいところなのよ。
まあここまではいいのよ。
まずは目前の確定申告を早く終わらせて、
そんなところかしら。
急にやる気が出て何かをやりたいけれど!って思ったときに邪魔するものってあるわよね。
それが確定申告であったり確定申告であったり確定申告であったりするのよ。
でも、
ふと得た私が読みたいと思った本から上手にやる気を抽出して私のやる気に注ぎ込みたいところよ。
急に読みたくなった欲を消さないように、
色々なことはテキパキとこなして自分のやりたいことのやる気を得られるような感じに持って行けるように私のパワーを調子を上げていきたいのよね山脈に向かってヤッホー!って叫びたいの!
せっかくの良い機会だから、
自分のなんか変にやる気が上がってきていることを上手く自分自身で上手に騙して
色々なことをサクサクっとこなせるようにテキパキとやれたらいいわよね!
なんかやる気出てきたかも!
やる気無いときは人のやる気を見たり聞いたり読んだりしてそこから摂り入れれば良いのよ!
それに気付いちゃっただけでも大きな収穫かも知れない!
これは大きなやる気のスイッチをガチャンと押してオンにした感じね!
そうやってみたいわ!
こういう時また私のやる気削ぐような重いタブレットで電子書籍を読むのが大変だわーってなると思ってるでしょ!
ううん!
そうじゃないの!
やっぱり300グラムを切るタブレットは画面が小さいものの軽くて読んでいても手が疲れない次元の違いを見せてくれるわ。
私のやる気を削がないこの軽量タブレットは私のこの読書したい体験も加速してくれるはずよっ!
画面の綺麗さや動作の速さもあるけれど、
軽さってのはどうしようもないから、
軽ければ軽いほど軽いのよ!
これ私には重要だわ。
うふふ。
あんまり見返していないけれど昨日サンドイッチだったかも知れない。
しっかりとお腹にたまるおにぎりパワーを取り込んで今日も頑張るわ!
昨日の晩こしらえて作っておいた
つまり常温になっているところを
すかさずチャンスを逃さずに飲むの!
だんだんと暖かくなってきたら、
こうやって量産体制をとるルイボスティーウォーラーの季節だわって思うわ。
この時期は水分摂るのもちょっと怠りがちに、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
徒歩30分かけて最寄りの図書館に向かい、その日の心にピタリとハマる小説を一冊だけ借りる。席が空いていれば早速そこに腰掛けてページをめくる。
速読はしない。作家の手癖で紡がれた活字のリズムにトプンと浸ると、そこはもう本の中だ。
作者にもきっと思惑がある。この場面では読者をドキドキさせたい、ここでは泣かせて、ここは驚かせちゃおう――そんな想いを私は真正面から受けるようにしている。「どうせ泣かせたいんでしょ?」などと斜に構える心意気は、読書体験の邪魔なのだ。
何も構えず油断したゼリー状の心で読み進むと、その思惑が無防備なそれをブルンと打ちつける。感情は大いに揺さぶられ、時には刺され、抱き締められ、撫でられ、落とされ、掬われる。
そして「(ああ……!)」と声にならない声を上げると同時に、本に栞を挟んでパタリと閉じる。グワングワンと波打つ余韻の脈動。
目を閉じて、これに至るまでのハイライトを頭と心で反芻する。荒ぶる余韻が程よいさざ波に変わるのを待って、また本を開く。
読書中の私は、はたから見ると時折ニヤついたり眉間にシワをよせたり目に涙を浮かべたりしているのだろう。もちろん周りの目など気にしないし、おそらく気にもされていない。
そもそも無表情のまま内面だけが情動の荒波に揺られるなど、そんな器用なマネはできない。感情のままに表情が移ろい、逆に表情に引っ張られて感情が発現しやすいことも経験上知っている。大いに感情を表情に乗せてやることが大切なのだ。幸せだから笑うのではない、笑うから幸せなのだ、という誰かの名言はきっと正しい。なんとも言い訳がましいのは、周りの目を少し気にしている証左か、小心者。
さて、話が脱線したところで今日は心が戦慄を求めていたのでホラー小説でも漁ろうと思っていたが、広大な本棚を前に彷徨いながら最終的に西加奈子が手の中にある。この名もなき珍現象が毎度のことながら歯痒い。
あーなるほどね「ものすごい速読術を身に着けた編集者」みたいな所が引っかかってるのね。
どっちも一緒でしょ?
100万冊も30年も一緒だと思う。
真偽の確かめようもない数字をぶち上げてきて、それを持って自分を信頼しろと無根拠な論理をでっち上げている点において全く一緒。
でも何故か100万冊に対しては「100万冊とか絶対嘘です~~~ベロベロバ~~~」と批判され、40年に対しては「40年も読んでるってことは黄金時代も知ってるんだな」と信頼される。
おかしくない?
画面の向こうにいるのは速読を極めたプロの編集者かも知れないし、20歳の大学生かも知れないんだよ?
id:kei_1010 だけど、自分のブログでまとめてる時間が無いのでこっちで散文。
https://kei-1010.hatenablog.com/entry/2021/10/07/123854
この記事でも俺の症状について書いてあるが、この増田では↑で書いてない事を少し書いてみる。
なんか俺の場合は時間がとびとびなんだけど30年以上前の高校生の頃に数か月ぐらい「なぜか国語だけ天才的になった」という時期があって、授業前の10分の休み時間でちらっと教科書を速読というかザっと見るだけで例えば夏目漱石の「こころ」なら著者の言いたい事が手に取るように理解できたり次の授業で教師がどういう風に授業を進めて、どこでどんな問いを出して、生徒側はこれは答えられるけど、これは難しいだろう、クラスの中で一番国語が得意なあいつならギリギリここまでは理解するかも(あとでそいつに確認した)、みたいな事が分かった。そしてその通りに授業が進む。この時は俺の躁の時の特徴の「怖いものがなくなる」という感じはなく、それ以外は平常運転だったので、脳の疾患とかは関係ないのかも?でも何も勉強してないのに異様に理解できるし冴えてるのが意味不明でかつ勉強落ちこぼれの俺的にすごく嬉しかったのを覚えている。国語の成績も思いっきり上がった。
国語以外の授業では特に変化がなかったのと学期が変わって国語の教師が変わった時にこの症状は消えたので当時は単に教師との相性なのかなと思っていたけど、俺の方が落ち着いたから症状が消えたのかも。
次の次の異変は先述の記事でも書いた直近(と言っても10年以上前)の躁で、この時はハッキリと自分が異常だと認識した。鬱の後だったのもある。
なんか世界が非常に豊かに見えるというか、あらゆるものに感謝感動、みたいな感覚が押し寄せて来た事がある。普段の俺は親がしてくれる事に対してすら「まあ親だから当然っしょ」レベルのかなり薄情で頭が悪いヤツなのにこの時は例えば公園の木を見るだけで「宇宙のチリから悠久の時を超えてこんな木になっている。そして俺も存在している。なんて素晴らしいんだ!神様なんて存在しないけど居たらありがとう!!(涙)」みたいな感じ。
実際にはもっと怒涛の如く思考が駆け巡ってて「これまで得た知識や経験を総動員して脳が活動している」という感じだった。この時は躁になったので怖いものが無くなり色んな経営者に会いに行ってうんぬんかんぬん、みたいな、これは詳しく書くと特定されかねないので省略w
そしてその最中に超強烈な幻覚を見た。SFと宗教と哲学と地獄と天国なんかが混濁したような俺的には物凄く怖くて面白い幻覚だった。あらゆることを悟った気持ちになった。でもこれは時間にしたら長くても3時間ぐらいでおさまった気がする。
これも統合失調症と躁うつ病が合体してるのかも。詳しい人が居たら教えて欲しい。医者に行った方が良いのかな?でも今は特に困ってないんだよなぁ。睡眠薬はもらいに行ってるけど、そこは睡眠専門だから微妙。一度相談しかけたけど「専門の病院を紹介しましょうか」と言われた。特に困ってないから断った。
そしてまさに今いまで躁っぽくなってる気がする。数日前にささいな事で脳が興奮して睡眠薬を飲んでもマインドループが止まらず眠れず2徹した後にdeepseekr1の日本語版が出てきてNVIDIAが暴落したのを認知してまた興奮してきてdeepseekの事を調べてメモした記事がホッテントリに入ったのが昨日一昨日の話。その後はずっとdeepseekの事ばっかり何やかんややってるけど、全く眠くならない。普段なら日中は親戚の子と遊ぶ以外はすぐ疲れてゴロゴロ昼寝(夕寝?)で半分ぐらい布団の中なのに。今は親戚の子の「おじちゃんあそぼ!」も全部「忙しいからっ!」と断ってずっとdeepseek関連でなんやかんや遊んでる。
追記:
躁の時など(今は躁じゃないけど今も)よく眉間というか鼻の奥というかおでこ、というかその辺がなんか痛くは無いんだけど疼くというかズキズキという感じがあって、もしかしてこれって脳の抑制が外れて過剰に活性化してる可能性とかあるのかな?
追記:
なんか「感謝感動」の所にスターくれてる人が居るので、もう少し頑張って思い出してみる。
この症状は数時間で消えて、その後一度も出てない。俺もあの感じをもう一度味わいたい。
あの時は何を見ても脳が勝手にフルで演算して感動に持っていく感じだった。もしかしたら逆で感動回路が作動してるので、それを自分自身に説明する為に論理回路が作動していたのかも。
例えば夕日を見て「美しい(涙)」みたいになったのもあの時が最初で最後だった。単にジーンとしてるんじゃなくて「宇宙には無数にこういう太陽みたいな恒星があって、それらは何十億年も前から核融合し続け、その中には俺らの地球のような存在もあるかもしれず」みたな思考が言葉ではなく感覚的だったり映像的にブワーっと押し寄せてくるような感じだった。
しかし何度も書くが、これは他の時の躁では起きておらず、この時だけ。というか一言で「躁」と言ってるが毎回その症状は微妙に違う。中学生の時のは一人称が「私」になるような尊大な気分がメインで、高校生の時は単に頭が冴えてただけで、フリーターの頃はサイコパス風味が多めで、直近のは幻覚から感動、多動、怖いもの知らず、など色んな症状が出たがそこまでサイコパス感は無かった、など、毎回違うのが面白い。面白がってる場合じゃなくてすぐにでも病院に行くべきなのかもね。しかし病院に行くにしてもどういう精神科が良いんだろうか?そもそも今は誰(俺も周囲の人)も困ってないのに何と言って診察を受ければ良いのだろうか?症状が出るまで病院に行くのは待っても良い気がする。もう症状出ないかもだし。
読者が速読で、一週間かけて描いた漫画を5分で消費することにモヤモヤしてる。
それなりのページ数を描いてもたいてい5分で読み終わり、SNSにスクショ、ネタバレが流される。
マナー的にもあまり良くないから止めた方がいいよと言っても「ハイハイわたしの不注意でしたスミマセンスミマセン」といって聞く耳を持たない。
というか本音としてはもっと味わって読んでほしいんだけど、読者は絵にも無頓着で「うまい」と言われたことがほとんどない。
読み終わるとすぐに続きは?って言って席を立って私が次のネームを描いてる間には、寝転がってチェンソーマンを読んでる。