
はてなキーワード:通信制とは
結論から言えば、全日制を卒業した奴より通信制を卒業した奴の方が社会に適合せずドロップアウトする確率は高い
ま、そりゃ個別に見れば通信制を卒業しても成功する奴もいるし全日制を卒業してもドロップアウトする奴はいるけどね
社会性なんて学校以外でも伸ばせる場所はいくらでもあるだろうに。
最低限は人との関わりが必要だっていうなら通信制でも登校日やイベントがあるのは普通だしな。
そもそも全日制に通い続けていれば協調性やコミュニケーション能力が育つのかといったら、そんな人ばかりじゃない。
反社会性や攻撃性の強い生徒同士でつるんで周りに迷惑かけまくったり、コミュニケーション苦手なままの受身な人なんていくらでもいる。
そんなやつらのどこが学校に通うことで社会性を身につけられてるんだ?逆に全日制に通ってなくても芸術なり競技なりバイトなりその子が打ち込んでる活動を通じて苦いも甘いも経験して社会性の育っていく子なんていくらでもいるが?
それをお前は「全日制でずっとやってきてるからこの子はちゃんとしてるに違いない。こっちの通信制のやつは何か瑕疵があるに違いない」とか判断するんだろうな。人の本質を見ようとしない人間は救いようがない。
だいいちどんな学校だって「一般社会で出会ったら転職してでも距離を取るべきレベルのバケモン」と出会う可能性があるのに「誰とでもみんな仲良く」なんていう現実に即してないお題目を真に受けて、制度的に認められてる回避方法を認めないほうが社会からズレてるだろ。
やはりまだ通信制にネガティブな感覚を持つ人は多いんだろうと思う。
「今年の高3、通信と高卒認定が異常に多い気がするんだが、どうなんだ」通信制高校の生徒数が1割弱になり、X上でざわつく→「年々増加してるのは触れたらアカン」
自分は若者が社会不適合者になりやすくなったとか馬鹿になったとかではなく、学校や社会をとりまく環境が変化したからだと考える。
生徒数が増えたのは2020年初め(令和2年)にコロナが流行って、リモートワークやリモート授業の整備が進んだのが大きい。
いつ自体が収束するかわからない中、家でリモートで勉強するなら通信制を選ぶ人も増えるだろう。
あと、このグラフでは「生徒数」なので卒業まで期間がある。「入学者数」でもグラフを見たい。
自分は通信制の高校に入っていたわけではないが、放送大学に在籍している。
コロナが起きる前は、放送大学の単位を取るための試験は試験期間中に会場に出向く必要があった。
コロナが起きた後は、インターネットを通して試験を受けられるようになった。
これが本当にありがたかった。
自分は地方の隅に住んでいるので、試験会場に行くのにも手間がかかっていた。しかも試験は複数日あるので日程の調整もある。
卒業したらそのまま終えるつもりでいたが、コロナで試験環境が良くなったおかげで続けようと思えた。
昨日になって改めて自覚した嘔吐への恐怖の強さ、これのせいで通信制の学校に行くとは夢にも思わなかった
流石に病名が診断されるまでに酷いとは思ってないが、それでも人より強い恐怖を持つせいでなかなか過ごしにくい
一度体調管理を怠って栄養が極端に少なくなって正月にやらかしたことがある
が、その時の胃の内容物を嫌そうに避ける他人や、自分と自分の床周りに集まる視線 そして慌てて処理してくれた店員の姿
それらは5年経った今でもはっきり思い出せる、ハッキリしすぎて気分が悪くなるほどに
そんな周りの反応の中でも、小学校中学年まで消化器官が弱かった弟に距離を取られたことがショックだった
そして去年、公共の場で急な嘔気があったことで自分はどうしようもなくなってしまった
今までなかったのに突如起き、絶対に床にはできないと思いつつトイレに行った
トイレの個室を開いて蓋を開き、膝立ちになって顔を下げてみるが出せなかった
自分にとって落ち着ける家のトイレでも同じだった 腹の底に溜まる気持ち悪さが本当に苦しかった
よく「どうしても気分が悪いなら舌の付け根を指で押さえて出すと良い」と聞くけど、自分からしたらわざわざ自分で出しに行くことが信じられない
病院でも「無理に出すと体に悪いから出さなくて良い」と言われたが、「無理に出した方がいい」と言われても私は舌の付け根を指で抑えようなんて絶対思えない
こんな状態だから高速バスの長時間移動は殴られても行きたくない むしろ殴って寝かせた状態で運んで欲しいと思う程に嫌だ
公共の場で戻しそうになって以降ずっと休み、病院に行けと親に叱られた時「救急車で行け」と言ってしまった程に まぁ今思うと自分でもかなりわがままな発言だったと思うし、一見ただの気の持ちようなのに救急車を発車させるなんて有り得ないと思う 世の中には気を失うほど痛かったり苦しかったりする人がいるのに
もしやってしまっても周りは無関心 しかし楽しい日になるはずだったその日は嘔吐した人がいる事実で楽しめきれなくなる その状況はどうしても避けたかった
あまり言いたくないが、自分の目の前でバス移動中にされてしまった時の周りの無反応さは忘れられない
咄嗟に席を立ってしまって逃げ出したくなった時、周りを見渡しても誰も気にしていないのが怖かった
それなのに数ヶ月後、普通に過ごす戻した子に口を揃えて「かわいい」と言えていた周りが信じられなかった
帰りの移動の時に別席に無理矢理移動したことやあからさまな避け方に、傷つけたかもしれないな、と後悔している
運転中にも関わらずバスから飛び降りて帰りたいと思った時に見た、私の腕を引いて苦しそうに泣いていた顔も忘れられない
もう既に分かっていると思うけど、自分でやってしまうのと同様に見るのも嫌だった
ドラマや映画だとしても、どうして大半の人は生々しい嘔吐のシーンをスルーできるんだろう
漫画でも嘔吐をギャグとして扱ったりするコマがあったり、デフォルメにせず生々しく表現されていたり、小説でも地の文に内容物が床に叩きつけられる音や会話文に嘔吐する声をありのまま入れているものはどうしても読めなかった
テレビを見てふとそのシーンが目に入った時はしんどかった
胃の内容物じゃなくても、口に含んでいた大量のものを一気に吹き出す様子が嫌だ だから「口に異物が入っただけで吐き出したくなる某芸人」は本当に嫌だ
酒を飲みすぎた芸人が早朝の運動後に側溝に戻すのをドアップで移された時の辛さは言葉にできない
先程言った弟が戻す時、姉の役割を果たすことなく自室に逃げ込んで布団を被ったし、弟のそばにプラの桶が置いてあったら背筋が凍る
なのに弟が何度も戻すので、ここ最近までなかなか心を開けなかった
基本的に目の前でしていた人とは短くても数日、長くても数ヶ月自然な状態で話しかけられない
今話そうとしている人は数日前に戻したんだ、と言う事実が頭から抜けない
薄らあった恐怖が明確に強まったのは、小学校の時だと思う
1人の同級生の男子が教室に入った瞬間戻し、一斉に教室内の全員が机と椅子を引いた時、そして給食中
そしてついに、直接見たわけでもないのに人から聞いただけで話しかけられなくなってしまった
最近落ち着いていた弟が、卒業パーティーで食べすぎて戻したと聞いて、酷い言葉を何度もぶつけてしまった
私に伝えてきた母は、弟が戻した様子を的確に言ってきて、容易に想像できたからだった
「それでそん時にさぁ、…ぶぇっ!!ぶふぇえっ!!ぶぶっ、ぶるるぅえっ!!って」
こう表してきたら、どれほどの惨状か無意識に思い浮かべてしまうものだと思う
先程言った公共の場での日の翌日、台所にある水が勢いよく出ているだけで一瞬嘔吐かと思ってしまって飲み物を飲めず、シャワーが怖くて何ヶ月も体を洗うことすらできなかった
赤子なんてげっぷをさせなきゃいけないらしい
小さい頃消化器官が弱かった時に親にかけてしまったたくさんの迷惑を、自分も身をもって知る可能性があるものに関わりたいと思えなかった
ここまで強い拒否反応を持っているけど、戻した理由がちゃんと納得できるなら反応も少し和らぐらしい
例えば健康診断 あれは反射だから仕方ない ただ、それをいずれやると思うと辛くなる
他にもストレスや月のもの、悪阻が重い時 周りが注目するので心配されやすく、よっぽど酷いんだろうなと思える
中学の担任に重すぎて胃液も出たと言われたが、嫌悪感はなく大変だったんだなと思うだけだった
後は二次元作品に限るが、極限の環境で生きてく中で余程グロテスクな目にあったなら、それはそうもなるだろうなとすぐに思う
実際かなり過激な作品に自身も具合が悪くなることがあったし、スプラッター映画の中には、上映中に体調不良を訴える観客の多さで有名なものもある。
ただ、それ以外は許せない
弟の食べ過ぎなんて論外だ 納得できる箇所がどこにもない これだけは許せなかった
それとバスの移動での酔いは、納得はできても聞く気は一切起きない
高校に入って仲良くなった子がバスでやってしまったと言う話を聞き、酷いと思いながらも「距離を取ろう」と考えてしまった
だから私は嘔吐と言う生理現象を「ゲロ」だなんてバカにできない 笑うなんて絶対無理だ
何度か茶化して言う時があれど、うまい具合に笑いに変えることができてないと思う
こんなに避けてるくせにいつもは楽しいことばかりに逃げているから、昨日母が「健康診断で戻した」時のあの「ぶふぇっ、ぶぅえっげぇえっ」と言う表現に耐えられないでいるんだなと思う
エメトフォビアの人同士のコミュニティもあると聞くけど、楽しいことだけ考えていたくて放置した結果だ
自業自得だ
恐怖症なんて、普通に生きてきた人から見たらただの心配のしすぎだし、大げさな妄想でしかない
でも、人と話せなくなった時に知人が目の前で戻す夢や、自身が酷く嘔吐する夢で目が覚めた時は、どうしようもなく苦しいってことだけ言わせて欲しい
そして、二次創作をする人が嘔吐に配慮していることに心から感謝しながら、映像作品もそのシーンがある時は事前に言って欲しいとずっと思っている
唐突に嘔吐が話題に出たり、そのシーンを予告なく見てしまったりする時に過剰に反応してしまうから
今日は長々と嫌なことについて書いてしまったし、思い出したくないのにずるずると思い出してしまった
将来に不安しかない。一応今は学生で通信制だからほぼ家にいるだけだけど、あと数年したら面妖で複雑な社会でよく分からない大人と顔を付き合わせてストレス背負って仕事して、もちろん外では偶然か人為的かの被害(犯罪とか災害とか)を受ける確率がぐんと上がるし、とにかく刺されたくないし、道端で倒れたくない。そもそも社会が恐ろしいことを刷り込んで欲しくなかった。凡庸で純粋に生きていければ良かったのに、いらないことばっかり吹き込まれてあることないこと想像して無駄に頭を使っていていつも眠いし、やりたいことはあったはずなのにスマホに溺れてもうよくわからない。たまに何かやる気になっても才能の無さに失望して努力することもせずにまたぼんやりとインターネットで脳みそと時間を溶かしている。
どこからこうなったのだろう。全日制でちょっとキツイことを言われたくらいで挫折してはいけなかったのだろうか?あぁ、この人のところで年通しは無理だなと思ってしまっても、その場で泣いてしまってでも行けばよかったのだろう。結局、主観でしかないのだからそのうち恥を恥とも感じられなくなれそうだったし。だから狂ってしまっていても自覚できてないのなら他人が狂っていると言われても実際狂っていたとしても自分は狂っていないと心の底から信じられるところまで来られたなら万々歳ではないのか。そうやって死ぬまで自分を騙し続けられなかったことへの罰だろうか今の人生は。また道化を演じて、自分が分からなくなっていくまでの準備期間か。甘えているのだろう。際限なく甘やかされた人間は他人に縋る方法すら知らないし、媚びることもできない。誰が助けてくれる?親か、散々甘やかしてくれた親だろうが、彼らが亡くなったらどうする。いっそ狂えたら楽だ
やはりこの世は学歴と金だけが全てで他はどうだっていい、本人が満足していればいいのだから今は部屋に引きこもってネットを見ているし、子供の頃大嫌いだったあの人は友達やら恋人とか家族ときっと楽しく過ごして幸せな老後を過ごすのだろうし、自分はやがて耐えきれなくなった瞬間、人生そのものを終わらせるのがせいぜいだ。今はなんだろう?惰性でだらだらしてまだ若いからと危機感や焦燥がまだきていないからなんとなくの希死念慮に取り囲まれてるだけで、いずれは本物になってしまうのか、
いっそのこと悪くないのかもしれない。人間は適応してきた生き物だし、今まで辛いと感じたことなんて山ほどあるし、都合の良い記憶は過去の良かったことを思い出せるし、すぐに付随してトラウマがフラッシュバックしてきても検索しようとして何を検索するのか分からなくなった時みたいにまたすぐ忘れるだけだし、仕事で忙殺されて寿命縮めて特に楽しくなくて幸福を感じられなかったとしても、こんなことをいえる友達がいなかったとしても、実は親は自分のことしか考えてなくて自分の子供のことなんか生きてれば後は二の次だったとしてもなんで自分の子供が役立たずで変で根性なしだと思ってたとしても皆タヒんじゃえば肉塊だし。変に気負う必要ないよほんと
人って結局自分の考えるようにしか考えてないから何言ったって響かなければ無意味だし、したいように解釈するんだから何言ったって壁に腕ぶつけてるようなもんだし痛いししんどいからやめた方がいいよ、でも言わなかったから苦しいんだろうな誰も聞いてないにしろ吐き出さないとくるしいし、そのくせすべてが終わった時に後悔しだすんだもん、遅いよ工事の音がうるさくてなんか怖くなってきたいつまで工事してんの一日中やってんじゃん、ループしてるの
なんで人は後悔ばっかりしてんだろう、多分亡くなる瞬間すらそう それを後悔と受け入れない人が生きやすいし、誰の迷惑とも考えられない人もそう
工事の音って怖くない?今にも建築材に穴が開けられてドリルが貫通してネジがすごい勢いで締め付けられてがんがん金槌がうるさくて物全体が悲鳴あげてるみたい別に工事自体は否定してないけど 人間が精神的にそうされるよりはマシだからね
なんか逆に行ける気がしてきた、情緒不安定ってのも役立つものだね 吐き出せてよかった色々と
もう手遅れ
俺の仕事でのAIの使い方を書くので、意見が欲しいです。(この使い方は良くないよ、とかこういう使い方おすすめだよ、みたいなやつ)
中堅サラリーマン。たまに現場で接客もする、商業施設運営の部門マネージャー。
貸与PCは通信制限によりファイルのアップロードが基本できないので、データを投げるなら基本はcsvの生文字列直貼り(もちろん日付と数字の羅列とかそういうもの)
会社からは、個人情報や機密をAIに投げるなとだけ御触れが出ている。自腹のChatGPT使ってる人は自分以外にも複数人確認。あとシステム部に申請してPythonとVSCode入れてもらってる。
なにか課題があるとき、断片的に自分の中に浮かんでいる考えを整理したりアクションを計画するために使う。
「2階トイレだけクレームが多いな、担当者の問題か?」「注意喚起するか?」「手を抜きにくい仕組みづくり」「担当をもっとローテーションする?」
みたいな思いつきを羅列して、やるべきことの順序を整理してもらう。
業務システムから出る帳票のCSVがyyyymmdd.csvで、日付ごとのレポートしか出ないけど、ひとつのデータに統合したいとき、ガッチャンコさせるPythonを書いてもらった。
コード自体は全く持って読めないけど、長くPCオタクとしてトラブルシューティングしてきたのでどんな処理がされてるのか、どんな情報が必要なのかはリテラシーの延長でなんとなく理解できる。
「コードの最初のほうで統合元csvのパスを指定するくだりがあるはず」ぐらいの解像度。
あと多分これパワークエリとかでもできそうな気がするんだけど、我流でOffice触ってきたからいままで使うタイミングなくて、最近やっとひとが作ったステップを恐る恐るいじったりするようになった。もちろんChatGPTとお話しながらだけど。
ExcelのVBAもChatGPTに書いてもらったりする(共同編集のファイルでセルの変更履歴をセルのノートに残すとかその程度)。
VBAの仕組みというか構造の理解がまだまだ浅くて、言われたものを言われた場所に全コピペするだけ。エディター?の画面も真ん中のフィールドでCtrlVする以外触ったことない。
外国籍で在留資格が家族ビザの場合の就労制限、みたいに、マニアックな条件の人の面接中に瞬間的にその場で質問するとか。基本的な知識はもちろんあるけど、この手のものって条件分岐が多すぎてとっさに出てこないこともある。
もちろん後からソースをあたって裏取りはするが、その場で相手の就労をイメージできるので役立つ。
ある売上情報の傾向から発想を得たり推測を立てたとき、それを検証するための統計とかがないか聞く。
「◯◯を▲▲で✕✕な調査ない?」とか聞くとちょうどいい感じの政府統計とか見つけてくれる。
どうしても仕事の気分が出なくて15分くらいサボりたいとき、自作PCの構成の相談に乗ってもらってる。
帰宅後に自作マスターの友人(知識披露大好きマン)にその構成を投げて答え合わせとブラッシュアップしたり、友人の意見をChatGPTに投げたりしてる。
冷蔵庫の在庫を投げて晩飯のレシピの相談をしていた時期もあったが、大抵おいしくないので定番メニューのレシピを復習したいとき以外相談しなくなった。
昔から人と違うことを選びがちだった。
学生の時から努力できない系の人間だった。勉強とかテストとか全然頑張らないけど、平均より少し高いところにいた。
大学入るまで結構根暗なタイプで1日中部屋に引きこもってネットゲームしてるとかそんな人生だった。友達も少ない。人間関係は狭くて深いタイプ。
最近になってゲームが本当につまらなくなり、ジムにいったり、料理が楽しいのでお菓子作ったり割とアクティブなものに移行中。
飲みに行くとかは今でも全然ない。ワイワイする友達はまじでいない。
親がシステム系のエンジニアで昔からPC触らせてもらってそういう会社で働くんだろうなーって思ってたけど、数学とか物理ができず、当時一番理解できたのが英語だったから外国語系の大学に行って1年留学とかしたりした。
留学行ったからと行ってペラペラになるとか、英語を使った仕事がしたいとかは特になかった。旅行は問題なく行けるレベルにはなってた。
帰国後は就活して直観で良さそうな大手の営業をしてた。就活もエントリーは2−3社とかでそんなに受けてないと思う。
営業やってみたけど、営業会議はきつかったし、ノルマに追われるしで2年位でやめてしまった。
やめるまでに自分で興味があることを探した結果、デザイン系の仕事をすることに。
なんにもスキルがない未経験だったから。市の制度とかを使いながら失業保険もらってなんとかアルバイトでディレクターとして働けることになった。
すぐに社員になってそこから5年くらいはディレクター職とか営業系もやりつつ勤務。
年収は300万〜350万くらいで全然高くないけど、たまに旅行行ったり、美味しいもの食べに行くくらいの余裕はある。
一時期はパチスロを覚えて2年間くらい仕事しながら合間で稼いでいたときもあった。
あたっても何も感じないし、金は入るけど幸せじゃないなと思ってやめた。2年で150万くらい稼いだので生活に余裕が出たときもあった。
自分が持っていないスキルとか知識をみにつけるのが好きなんだと思う。でもある程度できると大体飽きてやめてしまう。
アラサー手前にしてこのまま続けていって幸せかどうか漠然と考えるようになったときに、もともと教えることが好きで興味があった教育職に携わりたいと思ったので、少し前に教員免許を取りに通信制の大学に入った。
勉強があるので仕事の時間は契約形態変えて減らしてもらい結構余裕はありそう。
もう少し働いても良かったと思う。普通に時間の余裕があって暇を持て余してしまうことが増えた。
正直これまでのことを振り返るとどこかで飽きてまたやめてしまうのかと思ったりもするけど、突き進めばいいと思っている。
3年前にアプリで知り合った人と結婚してて、貯金とかあんまりないけど幸せな方だとは思う。
子どもはまだ先かな。でもそろそろ老後に備えて分譲マンションとかほしいなと考えるようになった。
投資はNISAで毎月3万積み立ててるけど、今は一時的に収入が減っているので減額して調整中。
奥さんはやりたいこと応援してくれてるから期待を裏切らないようにまずは教師を目指そうと思う。
筋トレを真面目にやりだして、トレーナーになるのもありだなって思ったりほんと軸がブレてると思う。誰かに教えるのが好きなのかもしれない。
昔は投資で莫大な資産築いて人生FIREしてる20代とか羨ましいと思ってたけど、自分には無理だと思っているので、定年まで好きな仕事をしながら幸せに生きたいと思うようになった。
自分は特別な人間だと思っていないから基本的には定年まで働いて過ごすと思う。だからやっていて楽しい、幸せに感じる仕事を見つけたい。
障害や病気、いじめ等からの不登校で通学制の大学へは通えない人とかへの救済措置としてはいいと思う。
部活やサークルだったり、自由時間で留学したり等の人生経験だったり、インカレなんかで他大学の友人を作ったりだとか、そういったことの方が大事でそれができるのが大学の魅力なんじゃないのか?
実際にキャンパスに通うこともないような大学に愛校心やOBOGだという帰属意識が持てるか?
大学の講義って役に立たないことの方が多いけど、30以降のおじさんおばさんがネットで大学の講義なんか受けて何になるんだ?
一種のカルチャーセンターみたいなもんや、定年後の暇つぶしにはいいかもしれないけど、そりゃ大学として大事なものが通信制には欠けてるでしょ。
そうでないというのなら、大学受験の競争から降りて学費の安い通信制で済ましてしまおうという学生がもっと出てくるはずだが、実際にはそうではないよね?
なんで勉強するのかって言ったら学歴のため、学歴を付けて稼げる地位の高い仕事に就くため。
でも学位が二つあったら給料が上がるのかと言ったらそうでもない。
大学卒業後も勉強し続けてそれで学歴が上がるのかって言うとそうでもない。
例えば大学卒業後も勉強すれば明治の人の学歴が慶應になるなら意味があるだろうな。でもそうじゃない。
別に勉強しなくたって不利益はないし勉強したってしなくても同じこと。
完全な自己満足。
学割目的で入ってもいいとか、放送大学に入る代わりに有意義な資格でも取った方が得だろう。
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