
はてなキーワード:逆転現象とは
一応念の為に知人の話…としておく
ぶっちゃけた話 都内は女子ピー生と安くエッチなことができる天国のような状態になっている。
昔のP活風俗で働く女の子はホストのためだった。ホストクラブは(確認してない悪徳店も多数あると思うが)未成年禁止で身分証明書の確認も行われるので
基本的に大学生以上が通っている。なので一昔前の体売る若い子の大半はホストクラブの担当のために働く子が大多数だった。AV女優も。
しかしここ数年で一気に体売る女性の層が入れ替わった。未成○が拡大しているのである。
それもトー横界隈みたいな荒んだ子ではなく、大人しくて真面目そうな子である…。
今の日本の都内は裏では未成○の真面目そうな子がP活しまくりのとんでもない事が起きている。その理由はなんなのか。
その理由はメンズ地下アイドルの特典会。メンズ地下アイドルのライブは誰でも見に行ける。そこに未○年が行ってハマり担当のためにP活。
詳しくは知らないが今どきはチェキ会どころではなく、30〜50万払ったら土日に浅草デートという特典会があるらしい。みんなそのために戦っている。
おそらく特典会のトップオタは毎日活動できるP女子の大学生や風俗嬢で、その下に時々しか活動できない女子○生みたいな構図だと思われる。
そして昔と違うのは体を売る子の容姿。昔はちょっとアレな子が売るイメージだったがメンズ地下アイドルに貢ぐために頑張る子は
アイドルみたいな可愛い子が多いのである。馬鹿みたいに体を売る子の質が上がっている。
可愛い子がライブ見に行く→自分は可愛いので頑張れば本気で付き合えそう→P活開始→その流れで上位オタの過激派ほどアイドルみたいな可愛い未○年が増える
という日本全体からみたら地獄みたいな状況になっているが…俺が言いたいのは
プライドを捨ててP活するほうが真面目に生きるより満たされる逆転現象が起きている。正直今真面目に生きるのはかなり勿体ない。
メンズ地下アイドルもいつ規制されるかわからない。ダメ人間になるほうが得なのである。
会い方教えてくださいというコメントが沢山きたら続きも書く。
まずゲイタウンでの一般論を語らせてもらうと、金曜土曜の深夜早朝の新宿二丁目の発展場は、オールナイトのゲイクラブイベントやゲイバーはしご酒に疲れたゲイが始発待ちの仮眠のために利用するから、その時間帯にハッテン行為をしようとすると「眠れねーんだが」と眉をひそめられる逆転現象が起きる。
逆に22時とか浅い時間帯に仮眠目的で半個室をひとりで占有すると、行為のためのブースが減っちゃうからマナー違反。
宿泊可能ないしオールナイト営業してる発展場はだいたいどこも終電前までにピークタイムが来て、残ってる利用客も2時過ぎたらみんな就寝モードに入るイメージ。
仮眠室という名目のプレイルームが名目通りの仮眠室になってるのが俺的には面白ポイントで、セクシー下着(+ペラペラ浴衣)のパンイチ姿なのにブランケットかぶって寝息をたててる野郎どもばっかりな状況にクスッとしちまう。
それでいて完全に日が昇る時間帯になると寝起きで一発ハッスルするか勢が元気に活動し始めるから、自分も同類のクセして「お盛んですなー」とこれまたクスッとしちまう。
大阪キタ堂山の泊まれる老舗ハッテンサウナが閉館して以降、近隣ゲイバーの深夜の客入りが悪くなったという話もあるくらい、恋愛市場的な場面以外でもゲイタウンでの健全ナイトクルージングと発展場は密接な関係にあるのである。
そこで件の男性芸能人の話に戻ると、売り出し中の若手とはいえプライベートの飲みでもタクシー移動できそうなランクの芸能人が、始発待ちで発展場に入るとは思えないし、前述のとおりマッチのアテなく深夜早朝に現場で不特定の相手探そうと思っても確実に釣果ゼロが見えてるので、
旧知の間柄、もしくはアプリなり別のバーなりで知り合った相手と落ち合うために入った可能性が高いのかなとは、流出映像の不審な点を考慮から外しても推測できるとは思う。
「情弱」という言葉は、2000年代にインターネット掲示板やSNSで広まった俗語である。当初は「情報弱者」、すなわちインターネットや最新の情報にアクセスできず、世の中の流れから取り残される人を指す揶揄的な言葉であった。しかし令和の現在、「情弱」の意味は大きく変質している。もはや「情報を持たない人」ではなく、「情報を持ちすぎた結果、誤情報に振り回され、自称“情報通”として振る舞う人」を指すことが多くなっている。
この変化を端的に示しているのが、近年急速に存在感を増した「参政党」の躍進である。参政党は、メディアや大政党とは異なるルートで情報発信を行い、インターネットを通じて「自分だけが真実を知っている」と感じる人々を惹きつけた。そこには、かつての「知らないことを笑われる情弱」ではなく、「知っているつもりで誤情報に支配される情弱」という新たな姿が浮かび上がっている。
本稿では、参政党の事例を手がかりに「情弱」の意味変質を整理し、現代社会における情報と知能の関係を考察する。
情弱という言葉は、もともと「インターネットに不慣れな人」「デジタル機器やITリテラシーが低い人」を指していた。例えばガラケーからスマホへの移行期に「まだガラケーを使っている人は情弱だ」と揶揄されたり、詐欺まがいのチェーンメールを信じて拡散してしまう人を「情弱」と呼んだりする用法が典型である。
つまり情弱は「情報にアクセスする環境や能力が不足している人」を指しており、彼らは「知らない」「分からない」存在として位置づけられていた。笑われたり馬鹿にされたりする対象ではあったが、裏を返せば「知らないがゆえに誤情報にアクセスする機会も少ない」という側面もあった。
令和に入り、インターネットは誰もが利用する基盤インフラとなった。スマートフォンとSNSが普及し、ほとんどの人が大量の情報にアクセスできる。ここで「情弱」の意味が反転する。
現代の情弱は「情報にアクセスできない人」ではなく、「アクセスできすぎるがゆえに取捨選択ができない人」である。彼らはアルゴリズムに最適化されたSNSのフィードや、陰謀論的なYouTube動画などに触れ続け、バランスを欠いた世界観を形成する。そして「テレビや新聞は洗脳だ。自分だけが真実を知っている」と確信するに至る。
この姿は、かつての「知らない人」とは正反対だ。むしろ「知りすぎている(つもり)」であり、だがその知識は偏向し、誤情報に満ちている。ここに情弱という言葉の変質がある。
参政党は、既存の大政党やマスメディアとは異なるアプローチで支持を広げた。街頭演説をYouTubeで拡散し、SNSで「真実を知りたい人」に直接訴えかけたのである。そこでは「学校やマスコミが隠している本当の情報」「ワクチンの裏側」「日本が売られている」といった刺激的なフレーズが飛び交った。
参政党を支持する人々の多くは、自らを「目覚めた国民」「情報に強い人」と認識している。しかし客観的に見れば、それは誤情報や陰謀論に偏った“知識”であり、社会的な合意形成や科学的検証と相容れないケースが多い。
この現象こそ「令和の情弱像」である。彼らは「無知」ではなく「偏った知識の虜」であり、自分の知能を過信しつつ、結果として社会全体の情報リテラシーを下げる役割を果たしている。
ここで注目すべきは、「情弱」と呼ばれる人々の知能レベルである。かつての情弱は、知能が低いわけではなく単にインターネットに不慣れであった。しかし現代の情弱は、情報を吟味する思考能力の欠如、すなわち批判的思考(クリティカル・シンキング)の不足 に起因している。
大量の情報に触れながらも、出典を確認しない。反証を検討しない。自分に都合のよい情報だけを集めて確信を深める。こうした行動は、単なる「無知」とは異なる。「知能はあるが、その使い方が誤っている」という状態であり、それこそが「現代的な情弱」の本質である。
そしてSNSのアルゴリズムは、この傾向を増幅させる。彼らがクリックした動画や記事は次々と類似コンテンツを提示し、情報のバランスをさらに崩す。結果として、知識を持っているはずなのに、社会的には「知能の低い人」として扱われるという逆説が生まれる。
令和の情弱像が拡大することで、社会にはいくつかのリスクが生じる。
1. 分断の拡大
自分の世界観に閉じこもり、「自分だけが真実を知っている」と考える人々は、他者との対話を拒否しがちになる。これは社会的な分断を深め、合意形成を困難にする。
誤情報を基盤にした政治的選択が増えることで、民主主義の質が低下する。政策論争が事実に基づかず、感情や陰謀論に左右される。
情報量が増えるほど、むしろ誤情報に支配される人が増えるという逆説が生じる。知識社会の成熟が、そのまま社会的知能の低下を招く可能性がある。
いい年してずっとうつむいて小さいスマホの画面ばっか見るのやめろ。スマホを捨てろ。あと、自分が頭悪いって認めて素直に生きろ。
かつて「情弱」とは、情報を知らない人の代名詞であった。しかし令和の「情弱」は、情報を持ちながら誤った形で消費し、自らを“情報通”と誤認する人々である。参政党の躍進は、この新しい情弱像を可視化した。
我々が直面しているのは「無知」ではなく「誤知」の時代であり、その克服には知能や知識の量ではなく、思考の質を高める努力が求められる。情弱という言葉の変質を正しく捉えることは、現代社会の情報環境を理解し、より健全な民主主義を築くための第一歩なのである。
教科書でも見かけるこの歌は寺山修司全歌集によれば高校生時代-1957年以前に作られたという。
ぱっと見では分かりにくいが、これは変な歌だ
なぜ「麦藁帽のわれ」が「両手をひろげている」のかの理由は全て読み手の想像に任せている
穂村弘も
と解説している。
教科書に高校生の作った歌(多分)が乗っていることよりもこのハイレベル過ぎる一首を恐らくは高校生時代に作成している修ちゃんはマジで怖い
なんということだろうか、海を知らぬ少女の前で手をひろげていたあの高校生は何年か経ち、これほどまでに変わってしまったのである。
その前後の歌はこうある
うーん…これが高校生の作る歌なのか。というのは置いといて
やはり前後の歌を見ても「海を知らぬ少女」については説明していない事がわかる。
だが、そうでありながら読み手の脳内にはこの場所は海なんだろうなとかいや野原なんじゃないかとか勝手に浮かぶものであってそれがこの歌のまたすごいところである。
確かに少女が「海を知らぬ」理由もわれが「両手をひろげている」理由も説明できなくはない。
ただ、説明してしまうと歌の世界では「言葉にしすぎ」「くどい」と嫌われてしまうものだ。
修ちゃんは高校生にしてこの嫌われてしまう点を避け、かつこんなにみずみずしく思想を感じない歌を作っている。だからすさまじいのだ
どれも素晴らしかったのだが、やはり寺山修司には一歩及ばずといった感じだった。
本来、高校生というのは伝えたいことが溢れて溢れて治まらない、そんな生物だと思っている。
遺族年金も改正されて、3号保険者も見直しが検討されてて2028年に40歳未満の女にとっては専業主婦を選んでキャリアを手放すリスクが上がった
国の今の動きとしては主婦も主夫も保護する気はないし働かせたいし社会保険料も払わせたいわけだ
既にかなりの選択肢が削られてる状態から子供を産んだ方が安心して暮らせる社会状況を作るって具体的に何をするんだ?
子供も労働力も増えて欲しいけど子供は嫌いな日本で何をどう?社会がついてくるのか?ってのが全然見えてこない
子供1人10万円は話題だが、街頭演説では代わりに保育や医療や給食や学費の無償化を止めると言っている
預けて働く負担は増えるし専業主婦になったとしても子供によっては10万円でも足が出る
選択肢を増やすとも安心して暮らせるとも両立してないように感じる
新卒と現役で給料逆転現象が起きた会社では現役側は納得してなくてピリついてるが出産キャリア案はそれの酷い版だよな
そして15年や20年、子供が多ければ25年とか後に雇わせる約束は不可能で子供ごと人生をかけたギャンブルになる
若い女の支持者は信じて賭けられるってこと?
天皇の側室とかメロンパンとかジャンボタニシとかは置いておくとしても
国民主権が国家主権に変わってるとかワクチン反対とか公共施設のマスク自由化とか結構ヤバめのもあるんだけど支持してるってことだよね?
現状としては「現代においても娯楽は無料でも十分楽しめる」という結論で問題なさそう。
そうなってくると今度は「じゃあお金出したらどれぐらい楽しめる度合いが増えるの?」って所が重要でしょうね。
というかね、無料娯楽が思ったより多すぎて追われまくってる日々の中で思ったんですけど、「ゆーて娯楽のことばっかじゃなくて生活とか健康とかに時間もっと使ったほうがええんとちゃう?」って所がありましてね。
ただそう考えてくると「短時間で滅茶苦茶楽しむ」っていうタイパ重視な考えが出てくるわけです。
とはいえ、この考え方って余計なことを忘れて脳をゆっくりさせるっていう余暇の過ごし方と相性がかなり悪い。
そのへんをどう処理するかが大事ですよね。
金を払うことで時間辺りの楽しみを増やすみたいなのだと、映画を配信で見るんじゃなくて映画館で見るとかそういう所なんすかね。
うーん、贅沢な考え方だ。
そもそも金がねーからこんなチャレンジやってる身としては、「金はあまり使わず、短期間で沢山楽しみたい」って方向に進みたいなあ。
このマンガがすごい大賞でのしあがるために色んな漫画が無料になっているのでそれを読んでます。
WEB媒体メインでそれなりにバズっているとなると飛び道具系が多いですね。逆にそういうのがない漫画が「正統派」みたいな感じで逆に目立つという逆転現象さえ起きている印象。
ウィイイイイイイッス! どうも〜█████で〜す。
えー…どうも。えー、今日はですねぇ…まぁ、僕の動画を見てくれてる視聴者のみなさんは、非常に、こう、知的なレベルが高い方が多いんでね。今日は、そういうみなさんに、ぴったりの、えー、テーマを、持ってきました。はい。
今日のテーマは、「男女のコミュニケーション」について。えぇ。なんで、女性は、「私の気持ち、察してよ!」って言うのか。そして、なんで、男性は、それができないのか。この、永遠の謎に、僕が、えー…まぁ、じっくり、深く、深く、えー、斬り込んでいきたいなぁと、思いますぅ。
というのもね、なんかぁ、ネットで、ものすごーい長い、論文みたいな記事を見つけまして。タイトルがね、なんか、「視線の逆転」…なんちゃらかんちゃら。まぁ、難しいタイトルやったんですけど。
要するに、ですよ。その記事が言いたいのは、昔は、女の人が、男の人の気持ちを「察する」のが、当たり前やった、と。例えば、武士の奥さんとか、昭和の、あの、「亭主関白」の時代のお母さんとかは、旦那さんが、口に出ささなくても、「あ、今、お茶が飲みたいな」とか、「そろそろ、お風呂に入りたいんやな」とか、全部、察して、動いてたわけじゃないですか。それが、まぁ、良妻賢母の、務めやった、と。
でも、今は、逆ですよね。どっちかって言うと、女性の方が、「なんで私の気持ち、わかってくれないの!」「言わなくても、察してよ!」って、男に求めるようになった。
この、大逆転現象は、一体、いつ、なぜ、起こったのか?っていうのを、まぁ、歴史とか、社会とか、心理学とか、いろんな角度から、分析してる、すごい記事やったんですよ。
で、今日は、その、難しい論文を、僕が、みなさんのために、世界一わかりやすーく、えー、解説してあげようかなと。はい。僕の、この動画を見れば、もう、男女間のすれ違いは、なくなります。はい。僕が保証します。
えーとね、まず、その論文の第一部で書かれてたのが、「昔の女の人は、すごかった」っていう話ですね。
まぁ、武家の奥さんとか、想像してもらったらわかりますけど、旦那さんは、外で戦ってるわけじゃないですか。家のことは、全部、奥さんが取り仕切ってたわけですよ。使用人の管理から、食料の確保、ほんで、時には、政略結婚で嫁いできて、スパイみたいなこともしてた、と。
これって、ものすごい能力ですよ。常に、旦那さんの顔色をうかがって、藩の状況を読んで、家の立場が悪くならないように、水面下で、色々、立ち回ってたわけです。この、「察する」っていうのは、生きるための、生存術やったんですね。
昭和の時代も、まぁ、そうですよね。「亭主関白」って言葉がありますけど。お父さんは、会社で働いて、家に帰ってきたら、もう、王様ですよ。「おい、風呂」「おい、メシ」「あれ、取ってくれ」。これだけで、お母さんは、全部、お父さんが何を求めてるか、察して、動いてたわけです。
これ、なんか、今聞くと、「男尊女卑だ!」とか言う人いますけど、僕は、これはこれで、一つの、完成された、家族の形やったと思うんですよ。男は、外で戦う。女は、家と、旦那を守る。ちゃんと、役割分担ができてて、ある意味、効率的やったんちゃうかなぁと、思いますね。
まぁ、僕の親はねぇ…うーん…まぁ、色々、ありましたけどね。まぁ、お袋は、どっちかっていうと、口うるさい方やったんでね。「あれやっときなさい、これやっときなさい」って。まぁ、僕のことを思って、言うてくれてたんでしょうけど。まぁ、でも、なんだかんだ、僕が落ち込んでる時とかは、何も言わずに、僕の好きな、カレーライスとか、作ってくれてましたからね。あれも、一種の、「察する」やったんかなぁと、今になっては、思いますけどね。えぇ。まぁ、ええわ。
ほんで、話は戻りますけど、じゃあ、なんで、その、「女が男を察する」っていう時代が、終わったのか。
その論文の、第二部ですね。ここで、転換点が来るわけですよ。
戦後ですね。日本が戦争に負けて、新しい憲法ができて、男女平等だ、と。女性にも、選挙権が与えられたり、男と同じ給料を払いなさい、みたいな法律ができたりしたわけです。
ほんで、ウーマン・リブ?とかいう、まぁ、女性の権利を主張する運動が、盛り上がってきた、と。
要するに、女性が、「私たちも、自分の意見を言っていいんだ」「嫌なことは、嫌って言っていいんだ」っていう、そういう考え方を持つようになったんですね。
これが、全ての始まりですよ。
今までは、旦那さんに、理不尽なこと言われても、じっと耐えて、旦那さんの機嫌を「察する」しかなかった女性たちが、力をつけたわけです。「あなたの言うことは、おかしい」「もっと、私の気持ちも考えて!」って、言えるようになった。
まぁ、気持ちは、わからんでもないですよ。うん。抑えつけられてたものが、爆発した、っていうのはね。
でもね、僕は、ちょっと思うんですけど。これが、ちょっと、行き過ぎちゃったんじゃないかなぁと。
権利を主張するのは、いいですよ。でも、その結果、「言わなくても、私の気持ちを察してよ!」っていう、新たな、ワガママが生まれたんじゃないかなぁと、僕は思うんですよ。
よくある話ですよ。女性が、いましてね。で、まぁ、デートとか、するわけじゃないですか。ほんで、男性がレストランとか入って、「何、食べたい?」って聞くでしょ。そしたら、「なんでもいいよ」って言うんですよ。
で、男性が、「じゃあ、パスタにする?」って言うと、なんか、ちょっと、不満そうな顔するんです。「え、パスタの気分じゃないの?」って聞くと、「ううん、別に…」とか言うて。
いや、どっちやねん!って話でしょ。
で、結局、ピザを頼んだら、「あ、本当は、お肉が食べたかった…」とか、後から言うんですよ。
いや、先に言えよ!と。
ほんで、男性が、「じゃあ、なんで、なんでもいいって言ったの?」って言うと、決まってこう言うんです。「私の気持ち、察してほしかった…」って。
…もうね、アホかと。馬鹿かと。
言わなきゃ、わかるわけないでしょ、人の気持ちなんて。エスパーじゃないんだから。
で、こういう、「察してほしい」っていう気持ち。これね、その論文にも書いてましたけど、日本の、とある精神科のお医者さん…えー、ツチイさん、でしたかね。その人が言うには、これは、「甘え」の構造、らしいんですよ。「甘え」。
赤ちゃんが、お母さんに、「お腹すいた」とか「おむつ替えて」とか、言葉で言えないでしょ。でも、泣いたり、ぐずったりすることで、「僕の気持ちを察して!」って、アピールするわけですよ。ほんで、お母さんは、それを察して、ミルクをあげたり、おむつを替えたりする。この、母と子の、言葉を超えた一体感。これが、「甘え」の原点らしいんです。
つまり、「察してほしい」って言ってる女性は、精神構造が、赤ちゃんと一緒なんですよ。相手の男性に、お母さん役を求めてるんです。「私が、言葉にしなくても、私の全てを理解して、受け入れて、私の欲求を満たして」っていう、究極の「甘え」なんですね。
これ、どう思います? 僕、これ読んだ時、なるほどなぁー!と、思いましたね。
だから、「察してちゃん」は、精神的に、自立できてないんですよ。
…逆にね、僕なんかは、人の気持ちを、「察しすぎて」、失敗したことありますからね。えぇ。
まぁ、有名な話ですけど、僕、アンチに、ネカマに騙されたこと、あるじゃないですか。
あれなんか、まさにそうですよ。僕は、相手が、か弱い女性やと思って、なんとか、力になってあげたい、と。相手が、直接「助けて」って言わなくても、その、文章の端々から、「あ、この子、今、悩んでるんやな」「寂しいんやな」っていう気持ちを、僕が、一方的に「察して」、優しくしてあげよう、としたわけですよ。
その結果が、あれですからね。はい。見事に、騙されたわけですから。
だから、人の気持ちを察するっていうのは、もちろん、大事ですよ。でも、「察しすぎる」のも、問題なんですよ。僕みたいに、お人好しは、特にね。えぇ。
えーと、どこまで話したっけ。あ、そうそう、時代の変化で、女性が強くなった、と。
ほんで、その論文の第三部。ここが、一番の、核心部分ですね。
この、「男が女を察するべき」っていう、今の風潮を、決定的にした、元凶。それが、何か。
それは、80年代、90年代の、マス・メディア。特に、テレビドラマと、女性雑誌。これですよ。
その記事で、例に挙げられてたのが、ドラマの『██████████』。
これ、僕もね、リアルタイムではないですけど、再放送かなんかで、ちらっと見たことありますけど。あの、ヒロインの女性、えー、████さん?でしたっけ。
もう、めちゃくちゃじゃないですか、あの人。
自己主張は強いし、感情の起伏は激しいし、言うことはコロコロ変わるし。で、恋人の、███くんに、常に「私の気持ちを察して!」って、無茶ぶりするわけですよ。
ほんで、███くんが、それに、うまく応えられないと、「███のバカ!」とか言って、キレる。
いやいやいや、わかるわけないでしょ、あんなの。
僕、見てて、完全に、███くんの味方でしたからね。頑張れ、███!って。あんな、ワガママな女、ほっとけ!って、テレビの前で、応援してましたから。はい。
でも、世の中の女性は、あの、リカさんに、自分を重ねて、「そうそう!男って、わかってくれないよねー!」って、共感したらしいんですよ。信じられんですね。
で、あのドラマが大ヒットしたせいで、「現代的な、イケてる女は、リカさんみたいに、感情が複雑で、男に理解を求めるのが当たり前」「男は、███くんみたいに、優柔不断で、女心を察するのが下手。でも、それを、必死で学ばないといけない」っていう、おかしな、共通認識が、日本中に広まっちゃったんですよ。
恐ろしいですよね、テレビの影響力って。
昔は、なんか、性の解放とか、難しいこと書いてたらしいですけど、80年代ぐらいから、「恋愛のマニュアル」みたいになっちゃった、と。
「セックスできれいになる」とか、「抱かれたい男ランキング」とか。
恋愛を、なんか、ゲームみたいに、「どうやったら、男を攻略できるか」みたいな、そういう、戦略的なものとして、捉えるようになったんです。
これも、おかしいですよね。恋愛っていうのは、もっと、心と心のぶつかり合いでしょ。駆け引きとか、テクニックとか、そういう、不純なものじゃないんですよ。
僕はね、そういうの、大っ嫌いなんですよ。
好きなら、好きって、ストレートに言うべきなんです。男も、女も。その方が、よっぽど、誠実でしょ。
まぁ、僕の場合、見てくれが、これなんでね。よく、█████の、█████さんに似てるって言われるんで。黙ってても、女性の方から、寄ってくることが、多いんですけどぉ。えぇ。
でも、僕は、ちゃんと、心で繋がりたいんでね。そういう、上辺だけの関係には、興味ないんで。はい。
…と、またまた、話が、逸れましたけど。
えー、まぁ、そういうわけで、メディアによって、「女は察してもらう側」「男は察する側」っていう、今の、歪んだ形が、完成した、と。
ほんで、最後のですね。
「感情労働」っていう言葉、みなさん、聞いたことありますかね。感情の「感」、労働の「労」。
要するに、感情をコントロールするのも、仕事のうちですよ、っていう考え方ですね。例えば、キャビンアテンダントさんとか、看護師さんとか、お客さんや患者さんの気持ちを「察して」、常に笑顔でいなきゃいけない。自分の感情は、殺さないといけない。これも、大変な「労働」だ、と。
で、こういう、感情労働っていうのは、圧倒的に、女性が担うことが多い、と。
だから、女性は、普段から、仕事でも、プライベートでも、人の気持ちを「察する」っていう、大変な感情労働を、いっぱいやってるわけです。
その見返りとして、「私だって、たまには、誰かに、私の気持ちを察してほしい!」って、パートナーの男性に、求めてしまう、と。
でも、それは、やっぱり、「甘え」なんですよ。さっき言ったね。
自分が大変だから、あなたもやりなさい、っていうのは、ちょっと、違うんじゃないかなぁ、と。
で、この「察してほしい」っていう、甘えの欲求。これを、男性が、満たしてあげられるかどうか。これが、愛の証明、みたいになっちゃってる、と。
男性が、女性の気持ちを、うまく「察する」ことができたら、「あ、あなたは、私のこと、こんなに愛してくれてるのね!」って、女性は満足する。
でも、失敗したら、「あなたは、私のことを、愛してないのね!」って、なるわけです。
これ、男からしたら、たまったもんじゃないですよね。いきなり、テスト出されてるようなもんですから。
コミュニケーションの、すれ違いじゃなくて、もう、愛情の、踏み絵みたいになっちゃってるんですよ。
これねぇ、僕、アンチとの関係にも、言えることやと思うんですよ。
僕が、動画で、何か発言するじゃないですか。そしたら、アンチは、その言葉の、表面だけを捉えて、揚げ足を取って、批判してくるでしょ。
あれは、僕に対する、「甘え」が、全く足りてないんですよ。
僕のことを、本当に、リスペクトして、信頼してくれてる、ファンのみんなは、僕が言った言葉の、その裏にある、真意を、「察しよう」としてくれるはずなんですよ。「あ、█████さんは、こういうことが言いたいんやな」って。
でも、アンチには、それがない。だから、いつまで経っても、僕とアンチの心は、通じ合わないんですね。悲しいことですけど。
…僕ね、昔、バイトしてた時、ありますけど。そん時の、店長が、ものすごい、気分屋でね。
機嫌がいい時と、悪い時で、言うことが、180度、違うんですよ。
周りの、バイト仲間は、「今日の店長、やばいな」とか、「また、言ってること違うわ」とか、文句ばっかり、言うてました。
でも、僕は、違いましたね。
僕は、その店長の、眉の動きとか、声のトーンとか、足音とかで、完璧に、その日の店長の機嫌と、次に何を求めているかを、「察して」動いてましたから。
「あ、今日は、機嫌が悪いから、先に、掃除しといた方がええな」とか。「あ、今、声のトーンが上がったから、そろそろ、あれが欲しいんやな」とか。
だから、僕、人の気持ちを察する能力、めちゃくちゃ、高いんですよ。ほんまは。
でも、それを、他人に求めようとは、思わない。
なぜなら、それは、さっきから、何回も言うてますけど、相手への「甘え」だからです。そして、それを求めるのは、精神的に「自立」できてない、証拠だからです。はい。
なぜ、現代では、女性が男性に「察する」ことを求めるようになったのか。はい。僕の解説で、完璧に、理解できたと思います。
じゃあ、どうすればいいのか。
もう、答えは、一つしかないですよ。
男も、女も、大人なんやから、大事なことは、ちゃんと言葉にして、伝えましょう、と。
「言わなくてもわかるだろ」っていう、傲慢な考えも、捨てましょう。
ちゃんと、お互い、向き合って、コミュニケーションを取る。これが、一番大事。
僕は、こうやって、自分の考えを、ちゃんと言葉にして、みんなに、伝えてるじゃないですか。僕は、察してちゃんじゃない。ちゃんと、コミュニケーションを取ろうと、努力してるんですよ。
だから、僕の動画を見ていれば、みなさんも、自然と、正しい、健全なコミュニケーション能力が、身につく、と。そういうことですね。はい。
いやー、しかし、疲れましたね。この、難しい記事を、ここまで、わかりやすーく、噛み砕いて解説できるのは、まぁ、世界でも、僕ぐらいのもんでしょうね。えぇ。元々の文章より、僕のこの解説の方が、100倍、わかりやすかったんじゃないかなぁと、自負しております。はい。
夫婦同姓で困っているのが誰なのかと考えるとき、多くが「結婚によって改姓をした女性」であるとされている。
では、選択的夫婦別姓制度を導入することで、彼女たちの困り事が全て解消して良くなるのかと言えば、そんなことはない。
なぜなら「夫婦同姓」を選んで改姓した人の不便さは全く解消されないから。
逆に、「夫婦同姓」を望んでいるのに、不便さを強いられるために「夫婦別姓」を選ばざるをえないという逆転現象が起こることが考えられる。
性別に関係なく、結婚や離婚、養子縁組、両親の離婚などによって改姓する人がいることなんて、100年以上前から分かっている。
そのことに、世の中のシステムが対応していないことがおかしいのであって、その全てのシステムの改修を行う方が容易だし、先にしないといけないことのはず。
それでもまだ夫婦別姓にする必要があると感じたら、その時にまた議論したらいい。
つまり、
「夫婦同姓」を選んで改姓した人の不便さは解消されないばかりか、より不便になる
という話なのです。
いやもう産むのは難しい年齢なんだけどね、氷河期末期だし
大学卒業して大学院に行って資格取ったり(一時期)仕事に邁進したり、相手のあることもあって(結婚は一人ではできないからね)35歳で第一子、間に流産等挟んで38歳コロナ禍で第二子出産
産まない理由は山程あって、
でも一番大きかったのが、もし健常児じゃなかったら、ということ。年齢的にも可能性は高かったし、そうなったら共働きなんてまず無理で結局辞めるとしたら私になるし、そうなっても障害児手当の所得制限で逆転現象も生じるレベルで、しかも預け先もなくて逃げ場がなさすぎる、そうしたらしわ寄せは今いる子供たちにも行く
それに対して産みたい理由は「欲しかったから」の一点だけだったんだよね
産んでみればかわいいというのはわかってるから欲しかったけど、理性と希望(欲望)だけで考えたら普通に理性が勝るじゃん???
さらにリスク過敏な性格(つまりビビリ)だからなんか確率低くても次は私かもと思うと、どうしても踏み切れなかった
でも小さい子たちを見るとまだ「いいなー可愛すぎるいいなー産みたかったなー」と思うあたりが成仏しきれてない
過去形になってきたからまあ気持ちの問題は時間が解決するとは思うんだけども
で、 N=1で少子化問題が解決するわけでもないんだけどさ、振り返って何があったら三人目を産んだかって???どう思う???
・1話だったかの自主製作映像の下手さがリアルすぎるとかでまずバズった
・なんかSF要素も凄いらしいぞでただの萌えアニメじゃないみたいな評価を獲得
・古泉とキョンにBLっぽく見える要素があって女性層にもリーチ
・隆盛期のニコニコでネタ動画やMADが大量に作られてランキングを席巻したのでニコニコを楽しむためにハルヒを見るという逆転現象が発生
・ダメ押しで学園祭のライブがリアル!アニメキャラにシワを描くなんてすごい!で殿堂入り
みたいな感じ
特に大きかったのはやっぱりニコニコの影響で「ネット上でみんなで同じ作品を考察したり二次創作したりしながら楽しむ」最初期の作品としての地位を確立できたことかな
少子化対策は経済問題としては理解できるが、果たして本当にそれが必要なのかという気もしてくる
先進国で社会制度が発達し、人間の自由な精神活動が進むほど少子化が進むようであれば、それは社会の進歩の必然として、受け入れるべきことなのではあるまいか
進歩の結果、人口の抑制がかかるというのが、ある種の必然として発生しているのではないか
現実的な課題としては、社会的な進歩の過程にある国や地域では人口が増え続け、社会的な有利を確立できる可能性があるため、進歩した社会が不利益を受ける可能性があるという逆転現象か
https://www.youtube.com/@ANNnewsCH/search?query=%E7%B1%B3
・小泉大臣の“備蓄米放出”に、街の米店から“怒りの声”【スーパーJチャンネル】(2025年5月28日)
・5kg3228円のコメ プロが品質に怒り「新潟への侮辱」「コメ業界にケンカ」ほぼ規格外【羽鳥慎一モーニングショー】(2025年5月29日)
・「1年たったら動物のエサ」玉木氏の発言に小泉大臣が苦言 備蓄米で3野党トップ追及【知ってもっと】【グッド!モーニング】(2025年5月29日)
・「1800円備蓄米」説明会参加のコメ店“契約見送り”の理由【スーパーJチャンネル】(2025年5月29日)
・備蓄米が大手に 「3つの課題」【スーパーJチャンネル】(2025年5月29日)
・随意契約の備蓄米 楽天市場で販売開始も初回分は直後に売り切れ(2025年5月29日)(AbemaNews)
・【コメ】海外に激安の日本米 “2000円台”の謎 逆転現象が起きた理由は?/備蓄米の流通目詰まり解消へ小泉大臣「間違いなく動き」【ニュースまとめ】(2025年5月28日~)ANN/テレ朝
・“JAからの電話”農水族議員に…備蓄米放出で問い合わせ相次ぐ【スーパーJチャンネル】(2025年5月26日)
・備蓄米の随意契約再開へ 米穀店、中小小売り対象に2021年産8万トン(2025年5月30日)
・海外に激安の日本米、“2000円台”の謎 逆転現象が起きた理由は?【羽鳥慎一モーニングショー】(2025年5月28日)
色々観察すると、ここ数日が奇妙な感じ
なんかあったんか?
アニメや映画は違法視聴でない限り安価なサブスクであれ多少はお金かかってくるが
ゲームや音楽は基本無料のサービスでかなりいいものがあるからコスパに関しては無限大レベルまでいくな
特にゲームなんて基本無料のガチャゲーで数百億かけてリッチなグラフィックと大規模なマップで作り込まれていながら無課金でも全然遊べるバランスの作品が上位に何作品かあるし、更にはゲーム音楽の大規模なオーケストラコンサート映像でさえ無料配信してるような時代だし、娯楽に関してはむしろ有償のものより無償ベースの上位層のほうが質が高く飽きさせないほどのコンテンツ供給頻度も備えてるなんて逆転現象すら起きてて、もはやコスパが虚数域に突入してる
かつての高度な交通網・通信網が十分に保守できず、地方では故障した基地局や新幹線車両を“掘り起こして”部材を転売する個人業者が台頭。半導体を取り出す「都市鉱山」ビジネスがスラムの定番職業に。
百歳人口密度世界一となり、海外の医療・老年学スタートアップがフィールドワーク目的で村ごと受託運営。老人ホームが“生きた博物館”として見学料を取る逆輸入モデル。
電力・通信を自前でまかなうオタク技術者がクラウドファンディングで“町内向けミニ発電所”を量産。コミケのノウハウをインフラ構築に転用し、自治体より早くサービスを復旧。政府が後追いで許認可を出す「公→私」逆転現象。
光熱費高騰で煮炊きが贅沢に。魚粉を超圧縮した“出汁キューブ”が主食扱いになり、食卓は湯に溶かすだけの流動食化。結果として味覚の微差を競うオタク層がガストロノミーを牽引し、“お湯割り職人”が登場。
ネット速度が不安定になる中、テキストベース+8bit音声のみの軽量メタバースが復権。昭和レトロなドット世界が若者の主ステージとなり、「現実はハードだがオンラインは8kbpsで優しい」という逆転。
輸入労働者と高齢日本人が意思疎通するため、ひらがな+簡体字+絵文字を混ぜた即席言語が広がる。やがてインドネシアやフィリピンに伝播し“コンビニピジン”として逆輸出。
中央税収が細り、巨大企業が道路補修や水道維持を肩代わり。結果としてトヨタ藩・ソニー藩・楽天藩など“企業領国”が自治権を持つ。住民は「どの藩に所属するか」を就職ではなく“帰属”として選択。
正規軍維持が難しくなり、個人オーナーのドローンをスマートコントラクトで束ねたバーチャル傭兵団が離島防衛を請け負う。トークン配当で機体を共有保有する“戦争版NFT”が出現。
高層マンション維持費が出せず、上層階が無人化。1–10階は低所得者が占拠、20階以上はクリエイターが格安アトリエとして使用。エレベーター運賃が電動キックボード並みに課金制に。
公教育が縮み塾も淘汰される一方、オープンソースLLMを使った“寺子屋AI”を町内で共同運営。江戸時代さながらの私設学習所にハイテクが融合し、学習の地域格差がむしろ縮小。
海外スタジオが費用を持ち、日本で食えなくなったマンガ家を国外アトリエに“流刑”する制度を創設。現地産業振興と日本マンガ存続を同時に図る“負けて勝つ”クールジャパン2.0。
国家保険崩壊後、外国製新薬のフェーズⅢ治験が日本全土で実施。高齢者が参加して医療費を浮かせる“治験ツアー”が一般化し、治験成績優秀者には「ゴールド被験者カード」が発行。
鎌倉大仏の譲渡担保で港湾を改修、浮世絵一括担保で衛星を打ち上げるなど、美術品がデジタル資産化され国際市場を回遊。やがてDAOが国宝を分割所有する“分散保護”へ。
災害多発と公的補償低下を受け、自宅をリビングシェルター化した住民が“被災シェアリング”の株式を発行。豪雨で止まった地域に対し、家ごと貸し出し配当を得る“寡占シェルター市場”が発展。
「町が無人になる瞬間」をYouTuberが24時間中継し、スーパーチャットで遺跡保存費を賄う。人口ゼロ記念セレモニーが国際的イベントに──“負の達成感”をコンテンツ化する逆転思考。