
はてなキーワード:迫害とは
🤥「で、具体例に何されたん?
🤥「アニメは毎日ゴールデンで流れてたし、宮崎アニメは国民行事みたいに視聴率取ってたやん。
🥺「ぼくはオタクって呼ばれてたんだ!」
🥺「でもぼく毎日アニメ見てるよぉ!?お前は真似できんやろ!」
毎日何かを見るだけで“専門家”名乗れるなら毎日スマホ触ってる奴は全員エンジニアやな。
“見るだけ・消費するだけ”は能力やないんやで。」
🥺「……」
🤥「結局お前ネットコミュニティの中に『居場所が欲しかっただけ』やろ。
アニメが好きなんやなくて“アニメ好きという設定の自分”が欲しかっただけのキョロ充やな。
そこで空回りして“迫害されてた”とか被害者ぶられても困るんよ。」
🥺「もうやめてよぉ……」
🤥「で、具体例に何されたん?
🤥「アニメは毎日ゴールデンで流れてたし、宮崎アニメは国民行事みたいに視聴率取ってたやん。
🥺「ぼくはオタクって呼ばれてたんだ!」
🥺「でもぼく毎日アニメ見てるよぉ!?お前は真似できんやろ!」
毎日何かを見るだけで“専門家”名乗れるなら毎日スマホ触ってる奴は全員エンジニアやな。
“見るだけ・消費するだけ”は能力やないんやで。」
🥺「……」
🤥「結局お前ネットコミュニティの中に『居場所が欲しかっただけ』やろ。
アニメが好きなんやなくて“アニメ好きという設定の自分”が欲しかっただけのキョロ充やな。
そこで空回りして“迫害されてた”とか被害者ぶられても困るんよ。」
🥺「もうやめてよぉ……」
🤥「で、具体例に何されたん?
🤥「アニメは毎日ゴールデンで流れてたし、宮崎アニメは国民行事みたいに視聴率取ってたやん。
🥺「ぼくはオタクって呼ばれてたんだ!」
🥺「でもぼく毎日アニメ見てるよぉ!?お前は真似できんやろ!」
毎日何かを見るだけで“専門家”名乗れるなら毎日スマホ触ってる奴は全員エンジニアやな。
“見るだけ・消費するだけ”は能力やないんやで。」
🥺「……」
🤥「結局お前ネットコミュニティの中に『居場所が欲しかっただけ』やろ。
アニメが好きなんやなくて“アニメ好きという設定の自分”が欲しかっただけのキョロ充やな。
そこで空回りして“迫害されてた”とか被害者ぶられても困るんよ。」
🥺「もうやめてよぉ……」
🤥「で、具体例に何されたん?
🤥「アニメは毎日ゴールデンで流れてたし、宮崎アニメは国民行事みたいに視聴率取ってたやん。
🥺「ぼくはオタクって呼ばれてたんだ!」
🥺「でもぼく毎日アニメ見てるよぉ!?お前は真似できんやろ!」
毎日何かを見るだけで“専門家”名乗れるなら毎日スマホ触ってる奴は全員エンジニアやな。
“見るだけ・消費するだけ”は能力やないんやで。」
🥺「……」
🤥「結局お前ネットコミュニティの中に『居場所が欲しかっただけ』やろ。
アニメが好きなんやなくて“アニメ好きという設定の自分”が欲しかっただけのキョロ充やな。
そこで空回りして“迫害されてた”とか被害者ぶられても困るんよ。」
🥺「もうやめてよぉ……」
正直言うけどさ、ズートピア2、めちゃくちゃ差別的な映画だったわ。なんであんな露骨に弱者男性だけ迫害される世界観にしちゃうの?って思いながら見てた。
キツネとウサギ(ニックとジュディ)は、いつも通り「種族の壁を超えた主人公」扱いで、好き放題暴れ回っても主人公補正で許されるのに、弱者男性族は物語的にも社会的にも完全にいないもの扱い。存在すら許されてない空気すらある。
しかも、キツネとウサギも主役になれるくせに、弱者男性族には最初から居場所ゼロ。
彼らがどんなに真面目でも、どれだけ努力しても、警察にだって入れない。
世界観そのものが「お前らには役割ないから」って言ってるようなもんで、これ見せられて「夢と希望のディズニー」って本気で言ってんのか?って思った。
極めつけはこれ。脱獄犯のキツネは英雄扱いなのに、弱者男性族は警察になれないどころか存在自体が迷惑みたいに描かれるってどういうこと?キツネくんは詐欺の前科アリ、脱獄経験アリ、凶悪犯罪者の脱走にも加担してるのに「ハートはいいやつ」って理由だけで全部チャラ。むしろ誤解されてたけど本当はいいやつ!のテンプレ持ち上げ展開。
いや、弱者男性族が同じことしたら一瞬で逮捕&社会的死だからな?
上からの指示ガン無視で、街を半壊させながら勝手に捜査続行して、結果的に街を破壊してるのに、なんであれが「やっぱりこの二人は最強のコンビ!」って拍手喝采されてんの?
そして最後に言わせて。
詐欺師で脱獄犯で、凶悪犯罪者の逃走を手助けしたキツネを最高の相棒ヒーローとして描くのに、弱者男性族は最初から最後まで社会の底辺扱い。
ズートピアって本来「偏見に立ち向かう」「多様性を肯定する」ってテーマだったはずなのに、2では逆に特定の存在だけ永遠に日の目を見ない世界が強化されてて、正直ドン引きしたわ。
キリスト教の墓地はあちこちにあるが、トラブルは起きていない。
土葬ができるということでイスラム教徒もキリスト教の墓地に葬られている。要は事情を汲んだキリスト教がこれを許している。
また日本での土葬を望むイスラム教徒の多くは、長年日本で働き、家庭もあり、日本国籍があったり(帰化)永住権のある人。労働や納税においても長年日本という国に貢献してきた人でもある。
日本人が海外で亡くなる時も同じだが、遺体の輸送は費用がかかるため、その地で葬ってくださいというパターンもある。
輸送して母国で葬られている例もある。が、これは「母国がある」=戦争や紛争に脅かされておらず、その国に血縁者が残っている場合に限る。紛争や迫害により血縁者もおらず、国がない/国に帰れない人も少なくない。そういう人を放り出すのは人道的にもどうかと思う。
日本も昔は土葬だった。3〜40年前まで土葬していた地域はあるし、今も土葬が当たり前の地域もゼロではない。
土葬した場合の土地の汚染についてもすでに調べられており、住宅区域から十分に離れていれば特に問題はない。
だいたい大昔のことなんて誰もわからないから今俺たちが住んでいる土地も昔は墓地だった可能性があるし、墓地でなくとも古い人骨が埋まっている可能性はいくらでもある。鎌倉は今も普通に掘れば人骨が出てくるが、あまりにも出すぎるのでもうニュースにすらならない。
全員がやっているわけではない。
それを言ったら亡くなった家族を20年間冷凍庫に保存していた日本人家庭や、葬儀費用が捻出できない/どうすればいいかわからなかった/親の年金目当て/などの理由で亡くなった親を自宅に放置し続けて捕まる例は膨大にある。
様々な理由で存在している。それこそ昔から土葬をしている土地はある。
それを言いだしたら「日本に住みたければイスラム教徒は棄教しろ」と言わなければならない。だがこれは明らかに信教の自由を冒しており一番やってはいけないことである。日本人が海外で同じ目に遭わされても文句が言えなくなるが、反対派はそもそも海外に行くようなこともないから好き勝手言えるのかもしれない。
スクールカースト下位だったオタクが、今ではカースト上位になった事でイジメや迫害する側に回っている!という批判があるけど、正直言って何が悪いかわからんよな
人間社会におけるカースト意識はなくならないし、誰でも序列上位の人間を目指すべきに決まっている
進撃の巨人は一般には商業的に成功した作品であるが、売上が激減して大失速した作品でもある
全盛期には全巻売上が年間1000万部だったのに、終盤は180万部にまで激減
その頃にはもう既に大体の人が既刊を持っているからだ、と思うかもしれないが、新刊売上も減った
ところが終盤には95万部にまで下がった
100万人以上の読者が読むのをやめてしまった
少年時代の作者がネトウヨで、第二の父たる町山智浩のラジオによってネトウヨを卒業したというのは有名な話だ
進撃に登場する眼鏡のキャラや指導者役はほとんどが町山をモチーフにしている
外見や誕生日まで町山をなぞり事前に町山に許可を取ったキャラはクサヴァーだけだが、ハンジやシャーディスやジークなどメインキャラに何人も町山がいる
ハッキリ言えば、進撃の売れたところはネトウヨ時代に由来し、失速したところは町山に由来する
閉鎖された環境で鬱屈としている少年が外の世界から来た大敵と戦い活躍という序盤の売れた部分はネトウヨファンタジーだ
強大な敵と卑小な人間という対比は視覚的にもわかりやすく大人気になった
しかし、徐々に町山の影が迫る
主人公らの住む島は、被差別民族「ユミルの民」の流刑地であり、「外の世界」に取り残された同胞らは差別迫害され苦しんでいるという高度に政治的な真相が語られだす
かつて巨人に変身できる能力を持つ民族として他民族を踏み潰しまわり栄華を誇ったユミルの民は、近代化が進む中で巨人に対抗できる兵器を開発できるようになった他民族に管理抑圧される側となった
外の世界の人々は軍備を整え次第、島を丸ごと潰すつもりであり、そうなる前に主人公は外の世界の数十億人の他民族全てを踏み潰し滅ぼす決意を固める
巨人と戦うシンプルな漫画として始まったのに、ややこしく多くの読者がついていけない内容になった
そしてヒロインのミカサは髪をショートカットにして男にしか見えないポリコレブスになり、島にはほぼ同一民族しかいないため白人だけだったが外の世界のポリコレ黒人がメインキャラに食い込み、更にはゲイであることを示唆するグリースも登場する
大人しく男に従うだけの都合のいい女になってはいけないとか、産む機械にさせるぐらいなら処刑されたほうが救いであるとか、フェミ要素も随所に盛り込まれる
民族差別、ジェノサイド、政治、ジェンダー、町山による災禍が進撃を蝕んでいった
なぜ 「多様性を尊重するよう周囲に求める人」 ほど 「政治的判断が愚劣な人々」 を迫害しようとするんだろうな?
理由はわからないけど、そうした人たちに向けて思う所を述べていく。
ここではしばしば男性や日本人、自民党の支持者などの属性をもった人々が纏めて「迫害しても良い対象」として扱われていますが、
それは社会に公平性、平等性を求めていくなかで包摂すべき人々に含まれていないのでしょうか?
ということでしょう?
周囲に好きな奴しか居ないなら多様性の尊重なんてお題目は要らないわけで、
周囲の嫌いな奴には都合よく使えなくなるタテマエなんて、それこそ差別そのものでしかない。
周囲に強いるなら万民に適用できるだけのルールとしての強度が必要なのに、
ルールではなくお気持ち次第で出したり引っ込めたりする道徳でしかないのなら、
それは社会的には価値がないので、自分にあてはめるルールとして好きにすれば良い。
政治的な価値観が異なるにしても、いずれ協力して社会を支える者同士なのだから、
利害を調整していくにあたってお互いの主張なり論点なりを評価しあって、
お互いの妥協点を見出していく作業も必要になると思うのだけれど。
どうも、相手が馬鹿と見るや否や、自らの思想や道徳観を押し付けて、
こうしたリベラルはただの侵略者であるように見られても仕方が無いのではないかなと思うのです。
なにせ、あなたがたは言葉による「支配」に執着し、「相互理解」をしようとしないのだから。
もっとも、そのようなつもりは無い、という人が大半であろうところも想像は出来ますけどもね。
あまりにも上手く行かないことで周囲へ理解を求めることに疲弊しきった末にこの状態があるのだろうと。
ですが、先に述べた現象は罪悪感で相手を痛めつけようとする、対話なき暴力に過ぎません。
そうした暴力の応酬が望ましいと仰るのであればもはやかける言葉もありませんが、
それが本意ではないのであれば立ち止まってみては如何かと。
増田で論点をずらして結論だけを置き逃げするタイプの言及は、典型的なストローマンや話題のすり替えであり、本来まともに相手をする価値はない。
しかし放置すると、議論の雰囲気によっては誤誘導される読者が出るため、最低限の釘刺しは必要になる。
彼らの狙いは「すり替え後の論点を読者に補完させること」で、自らの主張の矛盾を隠すことにある。
この手の逃げ方を封じるには、「論拠」ではなく「観点」、つまりその結論がどの立場から出てきたものなのかを当人に示させることが最も有効だ。
立場が明示されれば、侵略国にとって都合が良い前提に立っていたり、党派的正義の中に市民生活の視点が欠けているといった“隠された前提”が露呈するためである。
近年「ソースを出せ」が効かなくなっているのは、立場を隠したまま「自分に都合の良い正しさ」を創作する荒らし的手法が横行しているからだ。
正しさは立場に依存するため、立場の秘匿が最大の武器になっている。
日本国内でも、日本の正しさを語ると言いながら「有事の際に日本はどうあるべきか」という思想的立場を伏せることで、同盟国を見捨てる選択を正当化するケースが見られる。
論点ずらしがぶら下がっている元の話題が政策提言である場合について返答例を挙げると
「あなたはどの立場から、どの将来像を想定して、何を望んでいるのですか?」
となるかと。
この問いに対して、論点ずらしをする人は 「立場」 「推論プロセス」 「代替案」 のいずれかを省略してくる。
それらをすべて書いてしまうと、論の繋がりが破綻していることが傍目に明らかになるか、あるいは辻褄を合わせられずに書き切れなくなる。
また、論点ずらしの元が何らかの「指摘」であった場合の返答例を挙げると
「その指摘が当てはまらないあなたの立場は何ですか? その立場から見て、元の話題とどう関連するのかを最低限説明してください。」
となるかな。
これも、相手は 「立場」 または 「元の話題との接続」 のどちらか、あるいは両方を省略してくる。
結局のところ、増田における論点ずらしで反論を困難にしているカラクリは
という一点に尽きるんではなかろうか。
ここでは「参考にする価値は無いんだ」なと伝われば充分と割り切ることも肝要ですかね。
「読む価値が無い」といったレベルまで追い込む必要は基本的に無い。