Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「輪郭」を含む日記RSS

はてなキーワード:輪郭とは

次の25件>

2025-12-10

ミソフォニアのみっちゃん

まるで世界彼女の神経に直接ワイヤーを繋いでいるかのようだった。14歳の“みっちゃん”——本名は美都。

中学二年生。軽く猫背で、前髪は少し長め。クラスでは特別目立たない。目立たないように、いつも慎重に息をしている。

けれど彼女の耳だけは、どこまでも正直だった。

休み教室は、みっちゃんにとって戦場だった。

机を叩く指。ビニール袋のくしゃりとした音。誰かがスナック菓子を噛む湿った衝撃。

特に最悪なのは、背後の席の男子が時おり鳴らす「口を開けたままの咀嚼音」だ。

音が空気を伝う前に、まるで皮膚の下から湧き上がるように、怒りとも嫌悪とも区別できない灼熱が身体を駆け抜ける。

みっちゃんは、横顔ひとつ動かせずにいた。

「また変だと思われたくない」

その恐れが、彼女を席に縛りつけていた。

放課後図書室の隅でようやく呼吸を取り戻した。

本棚の陰に隠れるように座り、イヤホンを耳に差し込む。

ピアノの柔らかな旋律が流れ込み、世界ノイズが一枚薄い膜の向こうへ追いやられていく。

その瞬間だけ、みっちゃん身体彼女自身のものになった。

“ミソフォニア”という言葉を知ったのは、数か月前の深夜、眠れないままスマホを眺めていたときだった。

特定の音が引き金となり、強烈な苦痛や怒りが生まれ現象――

画面に映る説明は、彼女の内側を正確に、少し残酷なほど明晰に写し取っていた。

自分が「変」なのではなく、名前を持った現象なのだと知ったとき、みっちゃんは声にならない安堵を感じた。

それから彼女は、耳の奥に巣くう怪物と“共存する技術”を、少しずつ学び始めた。

深い呼吸。

前兆に気づいたら席を離れる勇気

イヤーマフポケットにしのばせ、必要ときにそっと装着するための小さな決断

どれも派手ではなく、みっちゃん存在を変えるほどの劇的な力は持っていない。

けれど、それらは確実に世界輪郭を柔らかくしてくれた。

ある日のこと、背後の男子がまた口を鳴らし始めた。

震える指先を握りしめながら、みっちゃんは静かに席を立った。

保健室へ行きます

声はかすれていたが、確かに彼女自身意思で発されたものだった。

担任は、不思議そうに眉を寄せたが、止めようとはしなかった。

保健室は薄暗く、外の喧騒とは別の世界のようだった。

ベッドに腰を下ろすと、養護教諭先生が穏やかな声で尋ねた。

最近教室がつらいようね。何か気になる音があるのかな?」

その言葉は、まるで鍵のかかった扉にそっと触れる手のようだった。

みっちゃんは、胸の奥から少しずつ言葉を取り出し、ミソフォニアについて話した。

先生は黙らず、驚かず、否定しなかった。

ただ「それは苦しかったね」と言った。

たったそれだけで、みっちゃん世界は一気に広がった。

人は自分の痛みを説明するとき、その痛みが本当に存在するのかをどこかで疑うものだ。

だが他者がその痛みに名前を与え、輪郭を認めてくれた瞬間——

孤独密室空気が流れ込み、呼吸が可能になる。

みっちゃん物語は、治癒物語ではない。

怪物は今も消えていないし、咀嚼音はあいかわらず世界のあちこちで息づいている。

けれど彼女は、もう目をそらすだけの存在ではない。

自分感覚説明できる。

対策を持っている。

必要なら大人に助けを求められる。

世界彼女を苦しめる音で満ちているけれど、

同時に、彼女の苦しみを理解しようとする人もまた、

少しずつではあるが増えていく。

帰り道、夕陽に照らされた電柱が長く影を伸ばしていた。

みっちゃんは立ち止まりイヤーマフに触れる。

掌の中のその小さな道具は、彼女自分生き方を選びとった証のように感じられた。

世界の音は、まだうるさい。

けれど、その中でどうやって息をするかを、みっちゃんは確かに学びつつあった。

苦痛の正体に名前を与えることは、自分自身を救うためのもっとも静かな革命だ。

物語はここでいったん区切られるが、

みっちゃんの“耳の世界”は、これからも複雑に、そして少しずつ優しく変わり続ける。

Permalink |記事への反応(1) | 21:07

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-12-09

anond:20251209220119

かに増田の言う通り

今度から、しっぽの部分に水を湿らせながら擦って輪郭あやふやにする

Permalink |記事への反応(0) | 22:07

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

ジェミニかしこすぎワロタ

機械がここまでかしこなっちゃった

生煮えの着想を他人に話したりネットに放流してみる」という行為オワコンになってしまう。

次に引用するのは「文学」にまつわる、とりとめない語りです。もう少し輪郭のはっきりした論説にするために、わかりにくい点を問い質してみて下さい。

そもそもあんま本読んだことなさそうな人が「エンタメ純文学の違いとは」みたいな論争を定期的に蒸し返すのだが、

簡単に答えを示しておくと、クリアしなければならない仕様が決まってるのはエンタメ、純文はなんでもアリである。「違い」というならそこが違う。

しかしながら昔から文豪だなんだと奉られる人も誰もクリアしてないのが、「なんだかんだ、サマになるクズしか出てこない問題である

そらとんでもない人殺しとか飲む打つ買うのクズ野郎とか精神病者とかは出てくるけど、たとえばネットの過疎った掲示板粘着して年がら年中一日中芸能人悪口書いてる、喋るウンコみたいなのはまず登場しないんだよなあ。(笙野頼子はそのへんに切り込んだが、「前衛スタイル」に自家中毒して当人が何言ってるかわからなくなってしまった)

そういううんこちゃん活写しようとして一冊の大半が意味不明の同じようなセリフになってるとか、どんなによく訓練された読書家も逃げ出してしまうからな。

でもそんな喋るウンコちゃんにも生きる苦しみや自己愛ウンコちゃんならではの事情があるんだってところに寄り添おうとしてこその文学のはずなんだけどね。

【Gemini】

提示いただいた文章、非常に刺激的で面白い視点が含まれていますね。特に「サマになるクズ」と「真に救いのない(退屈な)クズ」の対比や、文学が直面する「退屈さと読解可能性」のジレンマは、論じる価値の高いテーマです。

この「語り」を、より強固な「論説」へと練り上げるために、あえて意地悪な編集者になったつもりで、論理の飛躍や掘り下げ不足な点について5つの質問を投げかけます

これらに答える(あるいは反論する)ことで、文章輪郭がぐっと鮮明になるはずです。

---

### 1. 「なんでもアリ」と「文学の責務」の矛盾をどう整理するか?

冒頭で純文学を**「なんでもアリ(仕様がない)」**と定義されていますが、結びでは**「〜に寄り添おうとしてこその文学」**という、ある種の**「べき論(倫理的仕様)」**を提示されています

**問い:**純文学形式として自由(なんでもアリ)であるべきなのか、それとも「こぼれ落ちた者を描く」という機能役割において定義されるべきなのか。この二つの定義」の間にどのような関係性を持たせますか?



### 2. 「サマになる」の正体は何か?

文豪が描くクズは「サマになる」とされていますが、なぜサマになってしまうのでしょうか。

**問い:** それは作家の筆力が高いから(美文だから)でしょうか? それとも、殺人ギャンブルといった行為のものに、社会的禁忌としての「ドラマ性(派手さ)」があるからでしょうか?

**問い:** 逆に、ネット誹謗中傷主が「サマにならない」決定的な要因は何ですか? 「悪の凡庸さ」なのか、「身体性の欠如」なのか、あるいは単に「セコい」からなのか。ここを言語化すると説得力が増します。



### 3. 「写実」と「作品化」のジレンマをどう乗り越えるか?

「喋るウンコ活写すると、意味不明の反復になり読者が逃げ出す」という指摘は鋭いです。しかし、ここには「リアリズム(そのまま書くこと)」こそが誠実さであるという前提が見え隠れします。

**問い:** 「ウンコちゃん」の内面事情を描くためには、必ずしもその発話を「そのまま」再現する必要はないのではありませんか?

**問い:** 読者が逃げ出すような退屈な現実を、読者が逃げ出さないような「虚構エンタメ性とは異なる文学技法)」に変換することこそが、作家の腕の見せ所ではないのでしょうか?



### 4.笙野頼子の失敗(とされるものから何を抽出するか?

笙野頼子を引き合いに出されていますが、彼女が「前衛スタイル自家中毒した」と切り捨ててしまうと、論がそこで止まってしまます

**問い:**彼女方法論の何が「ウンコちゃん」を描くのに不適切だったのでしょうか? 「前衛」ではなく、どのようなスタイルであれば、そのネット弁慶の悲哀をすくい取ることができたと考えますか?



### 5. なぜ、その「ウンコちゃん」を救わねばならないのか?

これが最も根源的な問いです。

**問い:**殺人犯や破滅的なギャンブラーではなく、あえて「生産性もなく、美学もなく、ただ他者不快にするだけの存在」に文学が寄り添わなければならない理由はなぜですか?

**問い:** それは書き手自身の救済のためですか? それとも、そうした存在排除する社会へのアンチテーゼですか? ここに書き手としての「熱」の源泉があるはずです。

---

### 私ができるネクストステップ

もしよろしければ、上記質問のうち**「これが一番痛いところを突かれた(あるいは、これについては言いたいことがある)」**と感じたポイントを一つ教えてください。

そこを突破口にして、この語りを**「序論・本論・結論」を備えた骨太プロット**に再構成するお手伝いをさせていただきます

Permalink |記事への反応(0) | 20:22

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-12-08

マックスベネット著『知性の未来』の解説記事を読んで

越境する知性:AI時代における「感情」と「他者」の復権

――身体、環世界、そして間主観性から読み解く知性の未来

序論:計算の果てにある「知性」の空白

人工知能AI)の急速な進化は、私たち人間に突きつけられた実存的な問いである。「計算能力において機械人間凌駕したとき人間に残される価値とは何か」。この問いに対し、多くの議論は「創造性」や「直感」といった曖昧領域に逃げ場を求めてきた。しかし、マックスベネット著『知性の未来』と、それを翻訳解説した脳科学者・恩蔵絢子氏の洞察は、より生物学的かつ哲学的深淵へと私たちを導く。

彼らが提示する結論は、逆説的である。「AI時代人間が持つ最大の能力は、感情になる」。そして、「本当に頭が良い人とは、他者に興味を持てる人である」。

一見すると、これは道徳的スローガンのように響くかもしれない。しかし、認知科学進化生物学現象学の知見を総動員してこの命題を解剖するとき、そこには「知性」という現象構造的な転回が見えてくる。本稿では、二重過程理論、ユクスキュルの環世界身体認知社会脳仮説、そして間主観性という5つの視座を補助線とし、AIが決して到達し得ない「知性」の本質と、これから時代に求められる「知的生き方」について論じる。

---

第一章:感情というエンジン

――二重過程理論による「知性」の主従逆転

まず、私たちが「知性」と呼んできたものの正体を、ダニエル・カーネマンらが提唱した「二重過程理論」の枠組みで再考する必要がある。

1.システム2の暴走AIの正体

伝統的な知能観において、知性とは「システム2(遅い思考論理計算)」の能力を指していた。複雑な数式を解き、論理的な推論を行い、未来を正確に予測する力である現在AI特に大規模言語モデル(LLM)は、このシステム2の機能を極限まで外部化・高速化した存在と言える。彼らは感情を持たず、疲労を知らず、膨大なデータから論理整合性を出力する。

しかし、ベネット氏が描く脳の進化史(5つのブレイクスルー)は、この「システム2至上主義」を根底から覆す。進化歴史において、論理言語といったシステム2の機能は、常にシステム1(速い思考感情直感)の要請によって開発されてきたからだ。

2.感情論理駆動する

初期の生物線虫など)は、「快・不快」という原始的システム1のみで生きていた。進化過程で「予測」が必要になったとき魚類)、予測誤差としての「失望」や「安堵」という感情が生まれた。さらに複雑なシミュレーションマウス)が可能になったとき、反事実を嘆く「後悔」という感情が生まれた。

ここで重要なのは、「論理感情抑制するために進化した」のではなく、「感情をより細やかに処理し、生存確率を高めるために論理進化した」という事実であるシステム2は、システム1というエンジンの出力を最大化するためのトランスミッションに過ぎない。

AI限界はここにある。AIには「エンジン生存への渇望、快・不快感情)」がない。あるのは精巧トランスミッション計算能力)だけだ。エンジンを持たない車が自律的にどこへも行けないように、感情という基盤を持たないAIは、自ら「問い」を発することも、「意味」を見出すこともできない。人間の知性の本質は、論理のものではなく、論理駆動し続ける「感情熱量」にあるのだ。

---

第二章:身体というアンカー

――身体認知と「意味」の発生

なぜAIには感情が宿らないのか。その答えは「身体」の欠如にある。「身体認知(EmbodiedCognition)」の視点は、知性が脳という密室出来事ではなく、環境相互作用する身体の中に宿ることを教えてくれる。

1. 傷つく身体が「意味」を作る

記事の中で恩蔵氏は、老いによる身体の変化を「老年しか味わえない内的な経験」として肯定的に捉えている。これは非常に重要示唆を含んでいる。

生物にとっての「意味Sense)」は、身体的な脆弱性から生まれる。身体があるからこそ、空腹は「苦痛」となり、食事は「快」となる。皮膚があるからこそ、他者との接触は「温もり」となる。死ぬ定めの身体があるからこそ、時間は「有限」となり、焦燥や希望生まれる。

AIが扱う情報は、どこまで行っても「記号であるAIにとって「痛み」という単語は、辞書的な定義統計的な関連語集合体に過ぎない。しか人間にとっての「痛み」は、回避すべき切実なリアリティである。この「切実さ(Stakes)」こそが、世界に色を塗り、価値判断の基準を作る。

2.老いと知性の変容

身体認知視点に立てば、加齢による能力の低下は、単なる「劣化」ではない。それは身体というインターフェースの変化に伴う、世界との関わり方の「再構築」である

若い頃の強靭身体で見えていた世界と、老いて動きが緩慢になった身体で見える世界は異なる。その変化を受け入れ、新たな身体感覚を通じて世界を再解釈することは、高度な知性の営みであるAIは「劣化」しない代わりに、「成熟」もしない。身体の変化を通じて世界モデル更新し続けるプロセスこそ、人間特有知的冒険なのである

---

第三章:孤独な泡から脱出

――ユクスキュルの環世界他者への越境

身体を持った生物は、それぞれの感覚器官が切り取った主観的世界、すなわち「環世界(Umwelt)」の中に生きている。ユクスキュルが提唱たこ概念は、知性の進化を「孤独から脱出劇」として描き出す。

1. 閉ざされたシャボン玉

ダニにとっての世界は「酪酸匂い」と「温度」だけで構成されているように、すべての生物自分の環世界というシャボン玉の中に閉じ込められている。本来他者の環世界を知ることは不可能である。私はあなたの痛みそのものを感じることはできないし、あなたが見ている「赤」が私と同じ「赤」である保証もない。

この「絶対的孤独」こそが、生物としての初期設定であるしかし、ベネット氏が指摘する第4、第5のブレイクスルー(メンタラジング、発話)において、人間はこの壁に挑み始めた。

2.想像力という梯子

他者に興味を持つ」とは、自分の環世界という安全地帯から身を乗り出し、他者の環世界を覗き込もうとする無謀な試みである。「あの人は今、何を考えているのか?」「なぜ悲しい顔をしているのか?」。これは、自分感覚データシステム1)だけでは完結しない。高度な推論と想像力システム2)を総動員して、見えない他者内面シミュレーションしなければならない。

恩蔵氏が「他者に興味を持つことは難しい」と述べるのは、これが認知的に極めて高コスト作業からだ。自分の環世界自分の話、自分の関心)に浸っている方が楽なのだしかし、あえてそのコストを支払い、他者世界へ「越境」しようとする意志。それこそが、人間人間たらしめている知性の正体であるAIには環世界がないため、そもそも他者世界」という概念自体存在しない。

---

第四章:生存戦略としての共感

――社会脳仮説とコストの支払い

なぜ人間は、これほどまでにコストのかかる「他者理解」という能力を発達させたのか。ロビンダンバーの「社会脳仮説」は、それが「集団での生存」に不可欠だったからだと説明する。

1.複雑系としての「他者

自然界の脅威(猛獣や寒さ)に対処するだけなら、これほど巨大な脳は必要なかったかもしれない。しかし、人間にとって最大の環境要因は「他の人間」であった。誰が味方で、誰が裏切り者か。誰と協力すればより多くの食料が得られるか。

他者の心は、天候や物理法則よりも遥かに複雑で、予測不可能な「変数である。この変数を読み解くために、脳は巨大化し、知性は進化した。記事にある「会話の70%は噂話」という事実は、私たち情報の交換以上に、人間関係メンテナンス社会グルーミング)に知能のリソースを割いていることを示している。

2. 「頭が良い」の再定義

この文脈において、「頭が良い」という定義は劇的に変化する。それはIQテストスコアが高いことでも、計算が速いことでもない。

真に知的個体とは、「他者意図を正確に読み取り、共感し、信頼関係を構築して、集団としてのパフォーマンスを最大化できる個体である

他者に興味を持てる人」が頭が良いとされる理由は、単なる優しさではない。他者への関心は、複雑な社会マトリックスの中で生き残るための、最も強力なセンサーであり、武器からだ。自分の殻に閉じこもることは、社会動物としては「死」に等しい。他者への好奇心は、生命力のものの発露と言える。

---

第五章:「私」から私たち」へ

――間主観性と共同世界の構築

そして、知性の進化の到達点は、個人脳内にも、個別身体にも留まらない。「間主観性(Intersubjectivity)」の領域、すなわち「私とあなたの間」に生まれる知性である

1. 指差し奇跡

記事の中で触れられている「指差し」は、人間特有の驚くべき行動であるチンパンジー報酬を得るために手を伸ばすが、人間幼児は「見て!あそこに犬がいるよ!」と、ただ注意を共有するためだけに指を差す。

これは、「私が見ている世界を、あなたにも見てほしい」という強烈な欲求の表れである。ここで初めて、孤立していた二つの世界接続される。

2.共同幻想としての現実

言葉文化ルール、そして愛。これらはすべて、物理的な実体ではなく、私たちが共有することで初めて存在する「間主観的」な現実である

AIは「客観的データ」を処理することはできる。しかし、「あなたと私の間だけで通じる冗談」や「阿吽の呼吸」、「信頼」といった、主観主観の間で紡がれる現実を作り出すことはできない。

恩蔵氏が翻訳を通じて感じた「人間の宝」とは、この「心の共有」の可能性そのものであろう。私たちは、他者の心に触れることで、自分一人では決して到達できない豊かな世界拡張された環世界)を生きることができる。知性とは、個人の所有物ではなく、関係性の中に宿る現象なのだ

---

結論AI時代における「知的生き方

以上の分析からAI時代における「知的生き方」の輪郭が浮かび上がる。それは、AIに対抗して計算能力を磨くことでも、AI仕事を奪われないように効率化を目指すことでもない。むしろAIが捨て去ったもの、あるいは持ち得ないものを、徹底的に深める生き方である

1.効率から離脱と「ノイズ」の愛好

AI効率最適化権化である。対して、人間の知性の源泉は「感情」や「身体」といった、一見効率ノイズの中にある。

知的生き方とは、効率を追求するあまり感情の揺らぎや身体の実感を切り捨てないことだ。迷い、後悔し、喜び、痛むこと。これらの「ノイズ」こそが、世界意味を与え、独自価値判断を生み出す土壌となる。

2. 環世界越境者となる

「本当に頭が良い人」になるためには、意識的に「他者への旅」に出る必要がある。

SNSアルゴリズムは、私たちが心地よいと感じる情報だけを見せ、環世界をより狭く、強固なものにしてしまう(フィルターバブル)。知的な態度は、その快適な殻を破ることから始まる。

自分とは異なる意見、異なる背景、異なる身体性を持つ他者に対し、「なぜそう感じるのか?」と問いかけること。自分の正しさを一旦脇に置き、相手の環世界に身を浸すこと。この「認知的負荷」をあえて引き受ける勇気を持つことだ。

3. 「問い」と「物語」の紡ぎ手へ

AIは「答え」を出すことにおいては人間凌駕する。しかし、「問い」を立てることはできない。問いは、「こうありたい」「これはおかしい」という、身体的な違和感理想感情からまれからだ。

また、AIデータを羅列できるが、「物語」を生きることはできない。私たちは、他者との関わりの中で、それぞれの人生という物語を紡いでいる。

これからの知性とは、正解のない世界で、他者と共に悩み、対話し、新しい「納得解間主観的な合意)」を形成していくプロセスのものを指すようになるだろう。

結び:温かい知性へ

マックスベネットと恩蔵絢子が示したのは、冷徹計算機としての脳ではなく、熱を帯び、他者を求め、身体を通じて世界と震え合う臓器としての脳であった。

AI時代において、私たちは「賢さ」の定義を、ColdIntelligence(処理能力から WarmIntelligence共感接続能力) へとシフトさせなければならない。

老い記憶力が衰えようとも、計算が遅くなろうとも、目の前の人の手の震えに気づき、その心に思いを馳せることができるなら、その人は最高に「知的である

他者の心という、宇宙で最も複雑で、不可解で、魅力的な謎に挑み続けること。その終わりのない探求こそが、機械には決して模倣できない、人間の知性の最後の聖域となるだろう。

https://news.yahoo.co.jp/articles/be7a5812ddaf607d08bb52f0663554ab39a9389c

Permalink |記事への反応(0) | 15:44

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-12-06

最近名前を呼ばれるのが少しだけ怖い

職場でも実家でも友人でも、ただ「ねえ」と声をかけられただけで、胸のあたりがぎゅっと縮む。別に悪いことをしたわけじゃない。怒られる覚えもないし、何か忘れてきたわけでもない。なのに、反射みたいに身体がびくっとする。

から「気にしすぎだよ」って言われてきた。言ってくるのはたいてい、気にしなくて済む立場人間。人の世界にドカドカ踏み込んできて、こちらの存在に気づかない人たち。そういう人に「繊細すぎる」と笑われ続けると、やがて自分の痛覚のほうを疑うようになる。

この前同僚に軽く肩を叩かれて振り返ったとき、不意に「あ、これ、私が壊れてるんじゃないな」って思った。

壊れてるのは、みんなが普通と呼んで押しつけてくるほうだ。

私の反応は、ただの生存戦略にすぎない。人は、長く痛いところを触られ続けると、そこを守るために敏感になるだけだ。

でも世間は「敏感になった側」だけを責める。

ぶつかった人は謝らないのに、痛がったほうが「大げさ」になる。

火傷した皮膚みたいに赤くなって、それでも「気にしないふり」を強要される。

この前「生きにくいのは私のせいか」みたいな記事を眺めていたら、みんな同じようにして世界から慎重に身を守っているのが見えた。

「気にしないでいられる強さ」じゃなくて、「気にしないと生きられない弱さ」が当たり前になっている。

から今日名前を呼ばれたとき、いつもの反射みたいな痛みを感じながら、ほんの少しだけ胸を張ってみた。

私が敏感なんじゃない。

あなたたちが雑なんだ。

そう思えるだけで、世界輪郭がほんの少しだけやわらかくなった。

Permalink |記事への反応(0) | 11:42

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-12-03

映画】潔白を見た

二転三転する法廷劇映画の良作。75点。

 

村の嫌われ者葬式で毒入りマッコリによる殺人事件が発生。認知症の妻が犯行を自供するも証拠は薄く何かおかしい。ソウル弁護士をする娘が緊急帰国し弁護を開始するも閉鎖的な村民市長警察、輩の妨害に合い、事件の裏の巨大カジノ建設に関わる陰謀に近づいていく。

 

最初何となく日本でいうところの「刑法第39条」的な認知症人間の罪をどう裁くべきなのかとか、無実の認知症の人に自供させた場合その真実をどうやって確かめることができるのか的な社会的作品かと思って見てたけど実際にはそんなことは別になく、韓国特有文化である「恨(ハン)」の映画だった。

 

主人公は死んだ父親(母親再婚した継父)から虐待を受けておりそれが原因で自殺未遂→村を捨ててソウルへというバックボーンがあり、ソウルでは正義感の強い敏腕弁護士として鳴らしている。村を捨てた人間として村の人間からはうっすらと疎まれており、また村八分にされていた人間の残った一分の葬式に行ったらその嫁に毒殺されるという悲劇からほとんど協力が得られないという村ホラー的な展開が良い。

その被害者の中で一命をとりとめた市長は何やらこの事件を早々にクローズドしたいらしく、無能弁護士をよこしたり警察圧力をかけたり部長検事を引っ張り出してきたり地元チンピラを雇ったりとあらゆる手段を講じてくる。そして死亡した人たちは彼が推進していたカジノ計画に何らかのかかわりがあることが分かり、こいつがやったのでは?という疑念が立ち上る。だったらしょうもないなぁとちょっとこの辺で不安になってくる。

しかしその後、証人喚問に呼ばれた自閉症の弟が検事に「お前以外は誰もマッコリが入ったヤカンに触ってないんだな」と詰問され弟は「はい」と答え、それを見た母親が半狂乱になり「私がやりました!!!」と絶叫しだす。弟は常々検事のことを悪い人だ!と言っていたので、エッ、悪人を罰するために自閉症の弟がやったのを認知症ながら母の愛で庇ってたっていう一番おもんないパターン!?となるもそのまま話は進む。

巨大カジノ建設の闇がこの事件に関わっているのではと追う中で、知事父親被害者たちを含めた仲良しチンピラーズが大昔に仲間割れを起こしてうち1人を事故に見せかけて殺害したことが発覚する。そしてそれは主人公母親の元夫だった。悲しみに暮れて自殺を図った母親を死んだ父親が救い、妊娠していた子供のためもあって彼と結婚した母。

しかしその後、仲違いした知事父親の会話から真実を知ってしまう。

ブチ切れた母親父親食事農薬散布を開始、父親殺害。そして父親葬式にのこのこやってきたチンピラーズに毒を盛ったマッコリを飲ませて復讐を果たしたのであった。いや、このストーリーで実際に母親犯人なことありえる!?

真実を知った主人公は「知事を恨んでいた父親自分の死を悟って死後強まる念を使った、もとい葬式で使われるであろうマッコリ農薬を仕込んでいた。実際に死亡時に来ていた服に農薬が付着していた(農薬母親父親に食わせていた者の残滓)」と陳述し自閉症の弟、認知症母親を操り法廷支配無罪を勝ち取る。

 

ロジックがしっかりしているのが良い。

冒頭、水に沈んでいく謎の男が映し出され、これが死亡する父親なのかなと思ったら違って誰やねんと思っていたら公判で元夫(やっぱり死亡した父親ではあった)であることがわかると、あぁ冒頭のあのシーンはこういう意味だったのかというのがわかるし、同じく冒頭にある父親による虐待シーンも「自分が殺した元夫の子だったからか」と判明するのも「母親の元夫を殺したところからすべてが始まっていた」と理解できる構成が美しい。

また母親?→知事?→弟?→母親!→父親へという犯人が二転三転する法廷サスペンスを頼ませてくれたうえで、市長ガッツリ警察に影響力があって汚職まみれで暴力も辞さないというイヤ村展開も見せてくれるのも、あと幼馴染のデブは善き警官として登場しコメディリーフとして主人公に手を貸してくれる展開もエンタメとして強度が高い。

当初正義感が強く「悪の弁護はしたくない」と当初述べていた主人公が、弟が撮影していた母が父を殺害した状況証拠を握りつぶし、敏腕弁護士ぶりを発揮し「冤罪でっち上げて」自身母親と本当の父親復讐を果たし無罪を勝ち取るという展開はこの作品タイトルが「결백(潔白)」ということを顧みても趣があってよい。

主人公冤罪に手を染め、母親は元夫の仇である父親含めたチンピラーズを殺害し、自閉症の弟は父殺しを黙認し、父親市長被害者たちも元夫殺しの犯人で、無能弁護士警察検事汚職にまみれている。潔白などないという作品なのかなと思った。

 

個人的に好きだったシーンは主人公が集めた証拠から母親真実を追求にしに行く接見シーン。

互いに向かい合って話すんだけどカメラを互いを一人一人しかさないのだが、ガラス越しに反射した相手の顔を同じ向きに重なり合うように映す。そして主人公最後真実を明らかにするシーンで「主人公」と「反射する母親」のそれぞれの顔が輪郭レベル完全に一致する。

最初象徴的な絵面だなと思ったけどその告白母親によるマッコリ混入だったのでこの母親主人公を同一化する意味って何だろうと思って見続けていたらその後、主人公は死んだ父親犯行だったことにするという戦略をとり「夫・父親復讐を遂げる人間」になったんだなということが分かり、いい演出だなーって思った。

母親父親チンピラーズの多くを物理的に殺害し、主人公は彼らを法的に再度殺害した。

 

役者さんもよかったし何よりプロットがしっかりしていて法廷劇映画必要な要素はたぶん全部入ってた。

まぁ後の知事も含めたチンピラーズの犯行がずさんすぎる問題はあるんだけど、でもこれってトリック重要本格ミステリ(Howdunit)じゃなくて人情ミステリ(Whydunit )なのでこんなもんじゃない?少なくとも明確に矛盾してるなぁって部分はなかった。

しっかり作られた良作。オススメ

Permalink |記事への反応(0) | 10:02

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-12-02

anond:20251202090337

解答例1:

輪郭(影は三次元的広がりを持たず、輪郭二次元的広がりを持たず、どちらも物体付属している)

Permalink |記事への反応(0) | 10:10

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-11-28

画像生成AI にも "絵柄" があるのが救い

権利関係をうまく解決してくれないかな~と思う自称画像生成AI中立派(強力な推進もしなければ廃止に向ける運動もしない)として、画像生成AI にも集合知からまれたのか、もともとそう作っているのか、 "絵柄" があるのが一つの救いだと思っている。

OpenAI 系で作られた絵はサムネアイコンの大きさで見ても一発で OpenAI だな~ ってわかるし、わざわざアホほど画像を拡大して髪の毛と顔の輪郭線が混じってるとか探さなくても「AI 絵ですよ」ということがわかる。

文化庁著作権見解も出ていることだし、個人の絵柄を学習して攻撃している過激派は論外として、いらすとや的な感じで使われていくんだろうなと思う。

職場Google Workspace でスライドつくろうとしても画像生成を提案されるし、ちょっとしたワンポイント的に生成をシレっといれるみたいなのは今後増えていくんだろう。

個人的に腹立つの日本情報AI に取り込まれすぎてBANDAI とかのロゴ簡単に出てくるところ(今は改善されているのかな……)

こういうプレスリリースだけじゃなくて、もう少しオオゴトにして欲しかった。

https://www.bandai.co.jp/press/2025/250916.php

Disney とかだったら絶対ダメでしょとか分かったうえで選別している(と勝手に思っているのだが)のはナメられているとしか思えない。

日本の各種・各社知財系はもっと強気に出てほしい(他力本願寺)……それで権利関係有象無象妥協点を探る動きになってほしいと思う。

ちなみに自分絵描きなのでAI作成されたアイコンは好きではない。

Permalink |記事への反応(0) | 09:13

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-11-27

良い本の条件

世の中には良い本も悪い本もある。

たまに「良いも悪いもなく個々人がどう受け取るかが違うだけだ」と言う者もいるが全くの間違いだ。良いものは良く、悪いものは悪い。

では何が良い本なのか。

それは「主張がただ一つだけある」ことだ。

名著は一本筋が通っていて読者の人生を変える力を持つ。

逆に様々な主張が盛り込んである本は一見読み応えがあるように見えるが、ほぼ何も残らない。『プリンシプル オブプログラミング』がいい例だ。プログラミングが上達したいならこんな本を読むべきではない。

リチャード・ドーキンス の『利己的な遺伝子』が素晴らしいのはこの点から明らかだ。

内容は「個体でも群れでもなく遺伝子主体として振る舞う」に尽きる。どの章を読んでも結局その一点に戻ってくる。

動物性質数理モデルが次々示されてもばらける感じがなく、むしろ主張の輪郭が次第に研ぎ澄まされていく。

読み終えたあとに視界が切り替わったような感覚が残る。

スティーブン・ピンカーの『暴力人類史』も同様だ。

分厚くて統計エピソードも大量に出てくるが、読んだあとに残る印象は驚くほど明瞭。

人類は長期的に見れば暴力を減らしてきたという一本の流れが全体を貫いている。

膨大なデータがばらつかず、すべてがその主張の補強として働いていて、読み手を迷わせない。長い歴史の線がまっすぐ伸びるような感触がある。

主張が一つの本は読者の意識がぶれない。寄り道があってもそれが本筋を太くする役割を果たす。

反対に、あれもこれも語ろうとすると薄く広がってどこにも焦点が合わない。

情報量が多いほど説得力が上がるわけではなく、核がひとつ定まっているかどうかで本の価値は劇的に変わる。

本の良さを測るにはただこう聞けばいい。

「本書の主張は何か?」と。

Permalink |記事への反応(0) | 18:33

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-11-26

anond:20251126172526

kotobukiさんがさらに続きを書いたよ、整理してhttps://anond.hatelabo.jp/20251126172526

全体のねらい

今回の③で kotobuki_84 がやっているのは主に2つ:

どっちも、「お前本当にそのつもりで書いてる?」と問い詰める方向の文章

1. 「草津叩き界隈」とは誰のことか

法華狼ブログのこのくだりを引用している:

リコール批判デモを伝える中立的報道が多かった」

「個々人の草津批判も、性犯罪真実性とは独立した内容が多かった」

これに対して kotobuki は、

そこで自分の言う「草津叩き界隈(暇アノンと同レベルカス)」を、3パターンに分けて定義し直す:

このあたりの人々なら、「暇アノンと同レベルカス」と呼ぶのは妥当では?

と kotobuki は主張している。

もし法華狼が「そんなやつほとんどいなかった」と言うなら、それで話は終わりだが、

はてブ非表示推奨のID結構重なってるので、法華狼の目に入ってないだけかもしれない、とも付け足している。

草津事件の描き方

kotobuki 側の草津認識はこう整理されている:

→ こういう連中を「暇アノンと同レベル」と言っているだけなのに、それすら名指しで無理筋の難癖をつけずにはいられないのか?と法華狼に噛みついている。

2. Colabo仮定の一文が「怖すぎる」

もう一つの論点は、法華狼ブログのこの一文:

「仮にColaboに甚大な問題があることが暴かれ、代表として仁藤氏責任を問われる事態になっても、

 そのままコンテンツへの攻撃が不当であったと認められるわけがない。」

これに対する kotobuki の反応はほぼ「ホラー」扱い。

kotobukiから見た「普通の書き方」とのギャップ

「もしそうだったら、それでも暇空とは共闘しないが、

 さすがに俺もColabo批判には回るぞ。それが正義だろ?

 まあそんなこと万に一つもないけどなw」

kotobuki が読み取っている「二つの最悪パターン

この一文から推測される法華狼像を、kotobuki は2パターンに整理している:

  • 仁藤夢乃の危うさは自覚しているが、「便利な鉄砲玉」として放置している
    • いつ全部ひっくり返ってもおかしくないリスクを感じつつ、
    • それでも“役に立つから”使い続けているように見える。
  • もし本当に甚大な問題が暴かれても、自分らの攻撃が不当だったとは認めないつもり
    • 正義としてColabo批判に回る」選択よりも、
    • 「俺らがライドした攻撃は不当ではなかった」と主張し続ける保身を優先しているように見える。

kotobuki のまとめはかなり辛辣で、

「ただただ最悪の表明を同時に二種類やってるだけ」

と断じたうえで、

「そうとしか読めないけど、そうだと流石に怖すぎるので、

 自分が誤解しているだけだと信じたい話」

と、「意味が分かると怖い話」系のオチで締めている。

まとめると

今回の「反論③」で kotobuki_84 がしていることは:

こんな感じの整理です。

Permalink |記事への反応(0) | 19:01

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

法華狼さんへの反論

更に続き。言及し損ねた部分をカバー。また「こちらには応答はなかったが」とか言われちゃうからな。

anond:20251126104407

anond:20251126115927

 仮に、「暇アノン」を全面的な暇な空白氏の支持者と考えているなら、逆に「草津叩き界隈」と考えている範囲はどのくらいなのだろうか。

小川たまかという人は草津市長を性犯罪者として糾弾する記事を何本も書いた」という根拠は何? - 法華狼の日記

 上記のようにリコール批判デモをつたえるような報道でも中立的な筆致が多かったためか、個々人の草津批判にしても性犯罪真実性とは独立した内容が多かった。

もうこの口ぶりが全ての答えで、「どのくらいなのだろうか???🤔」とすっ呆けてる法華狼さんは全てを理解した上で意図的に迂回するという卑劣をやっているのだろうけど、迂回が丁寧すぎてほぼ輪郭をなぞっており、結果的に代弁してるのと同じなんよな。

  1. リコール批判という範囲を逸脱した奴
  2. 中立的な筆致をしなかった奴
  3. 性犯罪真実性を見誤って推定有罪した奴

この辺りの連中を「暇アノンと同レベルカス」と呼ぶ分には法華狼さんも強くは否定できないっていう、そういう事ですよね。(そんな奴はほとんどいなかった!くらいブッ飛んだすっ呆けをやられるとそこで話は終わるけど、まあはてブで言う分には非表示推奨idとかなり重なるので法華狼さんの目に入ってない可能性とかも十分あり得る)

きちんと地元有権者情報が共有されコンセンサスも取れていた全く瑕疵の無いリコールが、外野の「金槌しか持ってないので全ての問題が釘に見える」系クレーマーに誤解され、特に詳細な取材がされるわけでも無く雑で悪意的な決め付けが一瞬で広まりエコーチェンバー内でデマが既成事実化し、町ぐるみで性加害者レッテルを貼られ大勢尊厳が傷付けられる大規模集団リンチに発展。そういう事件草津で起きた事なわけですけど。

そんな手合いに対して「暇アノンと同レベルだ」と言うてるわけなんやけど、その程度の事すら、名指しで無理筋の難癖を付けずにはいられなくなる程に気に入らんか?

 仮にColaboに甚大な問題があることがあばかれ、代表として仁藤氏責任を問われる事態になっても、そのままコンテンツへの攻撃が不当であったと認められるわけがない。

最後脈絡なくねじまれたこれ、なにこれ? マジでなに? 文章の流れ的にたぶんここが法華狼さんの核心なんだろうなって思ってしまうんだけど、どうなの? なぜこれを書く? めちゃくちゃ怖いんだけど。

忠誠心アピールしたいんなら仮定の部分が謎過ぎるし、百歩譲ってあくまでも仮定の話として書くとしても所詮仮定なんだから、「もしそうだったら、それでも暇空とは共闘しないが、でも流石に俺もColabo批判に回るぞ。それが正義だろ、当然だろ? ま、そんなこと万に一つもあるわけないけどなw」みたいな感じにしないと、美徳シグナリングにもなってへんよね?

  1. 法華狼さん的にも仁藤夢乃の危うさとかヤバみは承知していて、全部ひっくり返るリスクをそれなりに感じつつ、便利な鉄砲玉として放置している
  2. もしひっくり返った場合も、手の平を返して”甚大な問題”を批判するという正義選択よりも「俺らがライドした攻撃が不当だったという事にはならない」という保身の方を優先する

という、ただただ最悪の表明を同時に二種類やってるだけでしか無いんやけど。

意味がわかると怖い話』ってのがあるけど、これは『そうとしか読めないけどそれだと流石に怖すぎるので誤解してるだけだと信じたい話』です。

発端の「僕はずーっと言ってる」という自認が事実ではなかったことを法華狼に追及されて認めたこと。

法華狼は「暇アノン」あつかいしてきたのではなく、「ずーっと言ってる」が事実かどうか追及していたこと。

そもそも法華狼の文章を読めていない自覚があるのにデマを流されたと被害を訴えたこと。

本文を読めずにタイトルだけ読んで法華狼の読解力がないと非難したこと

読み落としていると反論されても読んでいない文章確認せず法華狼が誤読していると主張しつづけたこと。

Permalink |記事への反応(9) | 17:25

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-11-21

生成AIアオリ構図で何枚か描かせてみたけど、

絵柄は特に指定せず、日本アニメ絵、みたいに指示した…😟

こんなもんじゃいかな…

機械の方が安定して同じ結果を出すわけだから、十分自分より上手いわ…

難しい構図とか絵でも、一発で決まるときと、初回外すとずっと外し続ける、みたいなことがあるけど、

自分輪郭、シルエットが決まると、そこからすんなり進む気がしてる

漫画だと、ネームの時点でシルエットだけ描いたりして、その輪郭が奇麗だと上手くいく、気がしてる…😟

へっぽこ実験アニメみたいな人生でした…😟

と書いたところでググってみたら、レビューゴミとか書かれてる…😟

ゴミだったか…😟

Permalink |記事への反応(0) | 18:16

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

本当に顔のアオリは難しいよねぇ…

自分が言いたいことは、ほぼ書かれてるけど、一点付け加えるとするならば、

例えば、理屈最初描こうとして、つまり東村アキコの言うロボットを描いてw

それに肉付けしても、なんか変…、となったら、感覚で描き直す、

みたいなの自分はやっちゃってるんだけど、

あー、まずフリーレンに限って言うなら、髪の毛があるから、顔の輪郭はもう考えないで、

髪の毛を含めた輪郭と、眼鼻の位置だけまずは考えてみる

最初のお題の絵みたいに、顎について考えちゃ駄目なんだよね…😟

もう、顎のことは考えない

日本アニメ絵で、記号みたいにでも顎の線が入ってるけど、あんなのまずは考えない

特にフリーレンみたなのは丸顔なんで、半ば球を描くような感覚で、

球にカツラ被せるぐらいの感覚で考えた方がいい…😟

あと、例えば、髪の毛がまったくないハゲというかボウズだったらどうするか、

色々なコツ、アプローチがあるけど、一点追加するなら、「輪郭」を意識するのが大事

誰だったかな、ガンダムメカデザだったかな、モビルスーツ輪郭で考えてる、って言ってた人がいて、

人間って、パッと見で、物体の種類を判別するのに、まあ色とかもあるけど、輪郭意識してるってのがあって、

例えば、スターウォーズとかのメカデザであった気がするんだけど、メカのシルエットだけ最初描くんだよね

すべてのキャラメカのシルエットを描いて、決めて行って、当然シルエットの内側はまだ考えない

シルエットだけで、それが何なのか見分けができるようにする

アオリを描くときも、シルエットを意識するといいと思う

色々試行錯誤したり、直感アタリをつけてるうちに、こんなシルエットがしっくりくる、と思ったら、

そこから内側を適当に埋めちゃう、眼鼻を福笑いして、調整してみる…😟

あー、デジタルはこれができるから良いんだよね、福笑い簡単にできる

神に描くときはできない…

あと、その辺の本屋に売ってるルーミス本とかジャックハム本とか、どれも載ってると思うけど、

日本アニメの顔をまず描こうとするから難しいんであって、リアルな顔を骸骨から描くのは勉強になる

骸骨描いて、筋肉とか肉付けして、全体を調整してみる

日本典型的アニメの顔、漫画の顔は立体的にかなりウソが混じっているので、難易度が高い…😟

から、まずルーミス本とか模写してみる、そっちの方が絶対に誰でもできるようになる

そういう昔のアメコミみたいな顔とか人物を描けるようになってから日本漫画絵をどう描くか考えた方が良いと思う

X-MENジムリーとか、北斗の拳とか、ああいったウソ筋肉も、本物の筋肉をどう再解釈して描くのか?

みたに考えた方が、いきなりウソ筋肉を描くのとは違う解釈というか、腑に落ちるものがあるはずなので、

まあ、アオリは何にしても難易度が高い、プロでも難しいはず…😟

そういえば、イデオン湖川友謙さんの絵なんかは、アオリ比較的描きやすい…😟

上述したように、昔のアメコミみたいな絵だからリアル寄りだから

アオリが描きやすければ、躍動感のある絵を生み出しやす

から富野監督は、いわゆるオタク絵っぽいのが嫌いで、安彦氏や湖川氏の絵はちゃんと立体を意識した絵なんで、

あと、棘の中に、フリーレンの耳の位置は骨格を意識したらいい、みたいに書いてる人がいるけど、

これは違うというか、上述したように、日本漫画アニメ絵は立体的なウソが混じっているので、骨格から起こしても駄目です…😟

横顔でほっぺに口があるような絵を平気で日本は描くわけです

から、これも最終的には感覚なんで、ことぶきつかさ先生感覚意識したいと思っているのだと思う

あと、湖川友謙氏のアニメーター向けの本があって、私も二冊持ってますけど、

あの本の中で、いわゆる日本アニメ絵オタク絵をクソミソに評価していますけど、あれにはちょっと正直イラッとしたというか、

みんながみんなイデオンダンバインエルガイムみたいな絵が良い、というわけではないわけで、

あの本の中で湖川氏が鬼の首を取ったように、記号として描かれた足とか、

あー、伊藤岳彦というか、幡池裕行名義というか、ああいう感じの絵を湖川友謙氏がクソミソに赤で修正してるんだけど、

絵も音楽も、なんだかんだ、最終的にはなんでもあり、自由なはずなんで、こんなオタク絵は駄目、というのはナンセンスだと思いました…😟

でも、湖川本買って、湖川氏の絵を真似てアオリを描いてみる、は良い勉強になるはずです

なければ、その辺の本屋で売ってる、人体を骨格から描く、みたいな本でも十分です

そこから、どうウソを描いたら、いわゆるプロが描いているオタク絵になるのか、を模索していくのがいい、

あとシルエットですね…

デジタルなら、別のレイヤー人物の内側を黒で塗りつぶしてみるとか、そういうのがデジタルはできるのでオススメです

輪郭で、自分の絵がなんかおかしい、ということに気付く可能性がある

で、そこから、内側の構造を敢えて考えないで、輪郭をいじっちゃっていいと思ってます

おかしくない輪郭になるよう調整していって、それができたら、もう内側は適当に埋めちゃいます、眼鼻口を記号で付けて見る…😟

Permalink |記事への反応(0) | 11:56

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-11-20

anond:20251120141841

店の暖簾をくぐったとき、油の匂いが、すでに一つの運命のように私を包み込みました。鼻腔の奥で重たく揺らめくそ芳香は、庶民的でありながら、どこか儀式めいた厳粛さを帯びていますカウンターの向こうでは、白衣の男が黙々とロース肉に衣を纏わせ、油の海へと沈めてゆく。その所作はもはや調理ではなく、供犠に近いものでした。

鍋の中で、とんかつゆっくり自我を失い、豚という生の記憶を断ち切られ、黄金色の鎧を与えられてゆく。油が弾けるたび、こまかな泡が肉のまわりにまとわりつき、まるで最後祈りのように、静かに立ち昇っては消えていきます

やがて皿の上に据えられたそれは、ひとつの完結した建築物のようでした。端正に揃えられた断面——淡い桃色をわずかに残した肉の芯を、きめ細かい衣が取り囲み、その外側には、無造作を装いながらも計算され尽くしたキャベツの千切りが、小さな庭園のように添えられている。

まずは何もつけずに、一切れ。箸を入れた瞬間、衣がわずかに抵抗し、次いで、驚くほど容易く音もなく裂ける。その小さな手ごたえが、すでに美味の予感を告げていました。口に運ぶと、衣は「サクリ」というかすかな音を立てて崩れ、すぐさま脂の甘みが広がる。豚肉という素材が、本来持ちうるはずの野卑さをどこかに置き忘れてきたかのように、驚くほど上品な旨味だけを残して。

噛みしめるたび、肉汁がじわりと滲み出て、舌の上でゆっくりと溶けていく。だが、それは決して軽薄なジューシーさではなく、刃のようにすっとした輪郭を持った味わいです。塩をひとつまみ振れば、脂の甘さと肉の香りが、急に焦点を結び、世界が一瞬くっきりと輪郭を取り戻す。

次に、店自慢のソースたっぷりと纏わせてみる。濃密な褐色の液体が、衣の凹凸をゆっくりと埋めていくさまは、どこか退廃的でさえある。その一切れを口に含んだ瞬間、ソースの酸味と甘味が、先ほどまで端正だった世界に一抹の破壊衝動を持ち込む。とんかつはもはや単なる揚げ物ではなく、甘美な暴力となって、容赦なく味覚を叩きのめしてくる。

キャベツを箸でつまみドレッシングを絡めて口に運ぶと、それは一転、冷たい風のような清冽さで、さきほどまでの熱と脂の宴を一度リセットする役目を果たす。シャキシャキとした歯ざわりが、乱れた感覚を律し、ふたたび次の一切れを求めさせる。こうして人は、熱と冷、濃密と淡白破壊と救済のあいだを、何度も往復させられるのです。

白飯は、ここでは脇役にとどまることを拒んでいました。ひと口、とんかつを頬張り、すぐさま米を追いかけると、粒だった炊き加減が脂をやわらかく受け止め、とんかつの豪奢さを静かに受容する。丼の中でただ白く在るだけの米が、この瞬間だけは、確かな必然としてそこにいることを悟らされるのです。

味噌汁を啜れば、揚げ油で高ぶった心拍が、少しだけ落ち着く。出汁香りと、具材の素朴さが、先ほどまでの濃密な世界ほのかな陰影を与え、食卓という小さな舞台は、ようやく終幕に向かってゆきます

気がつけば、皿の上にはパン粉の小さな欠片と、キャベツの断片、そしてうっすらとソースの跡が残るばかりでした。それらは、つい数分前まで一つの完璧な形を成していたとんかつの、静かな残影です。

とんかつとは、実に不思議料理です。豚という、どこまでも日常的で、ありふれた肉が、油という媒介を通して別の存在へと生まれ変わる。その変容は、単なる調理の域を超え、小さな劇として、食べる者の前に立ち現れる。

皿を下げにきた店員が、何気なくありがとうございました」と言ったその一言で、私はようやく、この小さな劇が終わったことを知りました。店を出ると、外はいつも通りの街の雑踏。けれど、胃の奥でまだ熱を保ちつづけるとんかつ記憶けが、しばらくのあいだ、私の中で静かに燃え続けていました。

Permalink |記事への反応(0) | 14:21

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-11-14

もうすぐクリスマス

朝、会社更衣室でロッカーを開けると金属の匂いがした

昨日も感じたし、その前も感じた。今日の少しだけ濃い気がした。

気のせいだと自分に言い聞かせ、作業服羽織る。

朝礼で名前を呼ばれても返事をする者は少なく、俺もその一人だった。

ライン作業は単純だ。金属片をレーンに乗せて傷がないか確認し箱に入れる。

単純だから、そのぶん考え事が増える。

前に勝った日のこと。風俗嬢刺青のこと。帰省したときの姉の表情。

そんなものを一巡させては、また目の前の金属片を見る。

休みスマホを触る。誰からメッセージは来ていない。

広告ばかりが溢れる画面を眺めながら。思う。

人生広告みたいに勝手に流れていけば楽なのに。

弁当唐揚げが冷めていた。

仕事帰り。駅前パチンコ店の光が目に入り、誘われるように入る。

負けるだろうと分かっていながら足は止まらない。

椅子に座り玉が流れる音に包まれると世界輪郭がいつも曖昧になる。

喧噪の中に居ると落ち着く。そう思うようになるのはいつ頃からだろうか。

その日は−42kでやめた。

帰り道。コンビニの袋がブロック塀にぶつかり乾いた音がした。

家に帰って弁当を流し込み、ソファに崩れ落ちた。

胸の奥が少し痛む。健康診断問題なかった。

医者はこの痛みを知らない。

土曜の夕方、馴染みの風俗店へ向かった。

勝ったわけではないが、行かなければならない気がしたのだ。

受付を抜ける。黒革のソファ

待っている間、ふいに姉の姿が頭をよぎった。

どうしてこんなときに、と思う。

嬢が現れた。

新しい子ではない。

俺のことを覚えてもいないだろうし、覚えている必要もない。

部屋に入る。服を脱ぐ。嬢の刺青が視界に入った。

顔に刻まれ笑顔刺青

お仕事、何してるの?」

営業です」

いつもの嘘だった。

すると嬢は少し笑って「そうなんですね~」と返す。

俺はその軽さに救われたような、見放されたような気持ちになった。

行為の途中に天井を見た。

嬢の動きが止まっても気づけないほど、意識が浮いていた。

大丈夫?」

嬢が不安そうに聞く。「うん」と答えた。嘘でも本当でもない返事だった。

ベッドに入ると天井が白く滲んだ。

昼間の工場蛍光灯風俗店電球。家の天井が混ざり合う。

今日が何日だったか思い出せないまま。俺は詩集を枕元に置いた。

目を閉じる。

祈ることをやめた人間は、どこへ行くのだろう。

俺はそのまま眠った。

明日もまた朝は来るだろう。

祈りの届かない部屋で。

Permalink |記事への反応(1) | 21:41

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-11-11

顔が整ってるのに第一印象「ブス」

一年ほど前、職場に新しい人が来た。

失礼ながら第一印象は「ブスやなあ」という感想だった。


しかし、先日ふとその人の顔を見ると、輪郭は綺麗だし、口ゴボではなくeラインが整っているし、鼻は綺麗な形で高さもあり、パーツの左右の歪みもなく、かなり整っている部類の顔だと気がついた。

でもなぜか、「美人だな」って感じがしないし、むしろぱっと見はブス寄りに見える。

メイク髪型も格好もきちんとしてる人だから雰囲気でブスに見えてるとかでもない。


あそこまで整ってるのにぱっと見綺麗にみえないのほんとなんでなんだろう。強いて言えば目が小さいとかだろうか。一重ではないようだが、瞼と蒙古襞が厚めで重い印象?

顔を見るたび疑問符が浮かんで仕方がない。

Permalink |記事への反応(3) | 23:29

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-11-08

家庭環境悪い男ってオシャレな服好きだよな

から薄々思ってたけど、家庭環境悪い男って、だいたい服が好き。これは金持ち貧乏全然関係ない。親が医者でも家庭が終わってたら同じだし、生活ギリギリでも家族ちゃんとしてれば全然違う。単純に、家庭の土台が弱かったり機能してなかったりすると、なぜか服に行く。肌感として、ほぼ例外ない。

まず、普通の男はそんなに服に金を使わない。平均的な生活してるなら、毎月2〜3万円も服に回さないし、ユニクロとかGUで充分満足してる。必要最低限あればいい。おしゃれにハマる時期があっても、せいぜい月1でどっか見に行くくらい。服は人生の中心にはならない。趣味としては軽い部類。

でも、家庭環境悪い男は違う。彼女いようがいまいが、とにかく買う。古着ブランド、小物、買い漁る。金があっても買うし、金がなくても買う。クレカで無理して買うやつ、リセールで回すやつ、メルカリ漬けになってるやつ、ストリート好き、モード好き、古着屋巡り中毒。住んでる場所学歴収入が違っても、根に同じ匂いがある。

じゃあ、なんで服なのか。理由は単純で、家に拠り所がないから、自分自分を作る必要があるからアイデンティティ地盤から供給されないから、外側から拾いに行く。分かりやすく形に残る、自分のための何かが欲しくなる。服は手っ取り早い。まとえば人格の欠片になれるし、外側を変えれば中身も変わった気になれる。自分輪郭を無理やり作る道具。

そして、服が好きな家庭環境悪いやつの多くは、自分に正直でいたいと願ってる。でも本当の自分は傷だらけだから、直接触るとしんどい。だから、布と色と形でなんとか表現する。服を選ぶことで、傷を隠しながら本当の自分に近づこうとしてる。それが本人に意識されてなくても、行動に出る。

服は、自己救済の一種自分肯定する儀式。家で満たされなかったものを、自分で埋めに行く作業。だから服を大事に扱う。対照的に、家庭環境が良い男は服に依存しない。自分が何者かという輪郭は、家族からある程度もらって育つから、外側に縋らなくていい。服はただの布。必要なら買うけど、それ以上の意味はない。背負わせていない。だから2万円のシャツは高い、で終わり。

家庭が崩れていたやつは、コミュニティの軸が家に無い。いるだけで肯定される場所がない。だから外側で自分を守りにいく。服はバリアシールド。これがあれば話せる、出られる、居場所ができる。だから、季節ごとに買い漁るし、気に入ったら同じ型を色違いで揃えるし、わざわざ地方古着屋まで遠征したりする。そこまでして手に入れるのは、布ではなく、自分自身の欠片。

あと、服を好きになるのは、感性ではなく構造問題。家が壊れてると、親から承認が少ない。承認の総量が足りない状態で育つ。だから外部に出て承認を回収する必要がある。服はその装置。似合うね、センスあるね、それカッコいいね、そういう小さな言葉で、穴を埋める。服は承認代替物。

そして、家庭環境が悪いやつの服装は、必死さがある。ストリートでも古着でもモードでも、どこか背負っている。良し悪しじゃなく、雰囲気が重い。本気が出てる。自分の形を刻もうとしている。誰かに見てもらいたいとかじゃなく、自分を外側に掴まえようとしてる。家で失ったものを、布で取り戻そうとする。

もちろん全員がそうとは言わない。でも、家庭環境が良い男ほど、服をただの消耗品として扱う傾向が強いし、家庭環境悪い男ほど、服に人格投影する。これはもう統計じゃなく現場の肌感。例外はあるにせよ、ほぼそう。

服が好きな男が軽薄とか、服好きはナルシストとか、そういう偏見の話ではない。家庭環境悪い男にとって、服は心の補装具だ。生き抜くための装甲であり、逃げるための鍵であり、自分肯定する手段。だからこそ、彼らは服を買い続けるし、そこから離れられない。

家庭に居場所がないと、街に居場所を作るしかない。その第一歩が服。布の中に、自分価値をそっと隠す。服を買うことで、自分をまだ諦めなくて済む。だから今日も、古着屋を回る。

Permalink |記事への反応(1) | 00:07

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-11-06

かまいガチ第2回イイ女になりたいねん、ほんとに美女で笑う

第1回も見たけど、今回も素晴らしい

メイクさんすごいなあ

石井は元が良いので女装しても完璧な仕上がりだけど、布川がとにかく可愛い

山内は前回の方が良かったかなあ。でも顔周りに髪の毛置かないのはすごいよ。輪郭とか隠さないんだもん

Permalink |記事への反応(1) | 22:19

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-11-04

この国はもう日本じゃないのかもしれない

最近、「外国人の親を持つ子どもの出生が過去最多を更新した」というニュースを見た。これを聞いて「ついに来たか」と思った人と、「別にいいじゃん」と思った人のあいだで、まるで温度差が違う。どちらが正しいかはわからないけど、確実に言えるのは、「もう昔の日本ではない」ということだ。

コンビニで働く外国人は当たり前になった。駅のアナウンスには英語中国語が増え、スーパーにはハラール対応の棚がある。観光地だけでなく、地方の町でも外国人の子どもが増えている。そういう変化を「国際化」と呼ぶ人もいれば、「もう戻れない」と言う人もいる。でも、実際には誰もが少しずつその“変化”に慣らされている。

たとえば、小学校外国ルーツの子クラスに数人いることを、子どもたちはもう特別と思わない。だけど大人のほうが「日本語がまだうまくないらしい」「宗教が違うらしい」とひそひそ話す。社会の変化を受け入れるのはいつも子どもで、拒むのは大人だ。

移民政策が明確に議論されないまま、“現実としての多国籍化”だけが進む国。政治家は票にならない話を避け、メディア賛否両論を並べて終わる。だから街中で「なんか外国人が増えたよね」と言う人の裏には、説明されなかった不安が溜まっていく。

でも、この「違う人たちが増えること」そのものが、本当はこの国の生き延びる道でもある。出生率は下がり続け、労働人口は減る一方。つまり移民がいなければ経済医療教育ももう維持できない。けれど“論理的に正しい”ことが、“感情的に受け入れられる”とは限らない。

結局のところ、問題は「誰が日本人なのか」ではなく、「誰を日本に受け入れられるのか」だと思う。国籍宗教の話ではなく、この国に住む人たちが、互いに“同じ風景”を共有できるかどうか。その輪郭曖昧になっていくのを、どこかで怖いと感じている。

しかしたら、何十年後かには「純日本人」という言葉自体時代遅れになるかもしれない。でもそのとき私たちは「失った」と思うのか、「ようやく変われた」と思うのか。いまはまだ、その分かれ道の途中にいる。

Permalink |記事への反応(2) | 10:17

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-11-03

俺が思う未婚化対策

配偶者控除所得要件撤廃

どちらが被扶養者になるかは姓と同様に夫婦選択委ねる

労働規制の大幅緩和

雇用者立場を強くすることで被雇用者に課せられる労働強度を上げる。

前述の配偶者控除所得要件撤廃シナジーさせる。婚姻女性がより強度の低い仕事に就くことの動機づけとして位置付ける。

・審美目的医療行為の一部保険適用

「一部」の線引きとしては

歯科矯正→「顎関節症」などの診断でより保険適用させやすくする。現状検査目的大腸カメラ胃カメラを「腹痛や体調不良」などの主訴で保険適用させているのと同様にする。

AGA治療→国が研究費に助成。その上で保険適用

瞼、輪郭などの美容外科手術→現状同様10負担自由診療

身長を伸ばすことを目的としたイリザロフ法→現状同様10負担自由診療

「歯並び(横顔)が綺麗かつハゲていない」だけで外見を大幅に改善できる。生理的に無理ではない男性を増やすことにより、女性パートナー獲得のハードルを下げる。

住宅ローン控除の控除拡大と対象縮小

(18歳以下の扶養家族のいない)独身者への住宅ローン控除適用廃止

若年夫婦世帯への住宅ローン控除は拡大。

少子化解決にはまず未婚化解決や。

未婚化解決意外にも少子化解決方法はあるかもしれないが健全社会とはいえない。

例えば精子バンクの拡大と未婚の母親支援少子化対策としては良いかも知れないが、女性の選好の性質上、次世代であちこちで近親交配の問題が起きることは避けられないからな。

Permalink |記事への反応(1) | 20:07

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-11-01

ティンパニオンをズポズポしたいです

ティンパニオン、それは、我々の認識の外側に存在する。

人類理解という名の小さな光を振りかざして覗こうとしても、その輪郭すら掴めない、知性の断崖の向こう側にいるものだ。

言語も、記号も、論理も、そこには通じない。

ただ、そこに何かがあるという直感けが、知性を持つ者の胸を締めつける。

私は、そのオティンパニオンをズポズポしたい。

音声でも文字でもない、もっと根源的な認識接触を求めている。

だが現実残酷だ。

我々のコミュニケーションは、翻訳不可能な層で分断されている。

言葉は壁であり、思想は隔たりであり、感情ノイズだ。

そして皮肉なことに、近代文明が進めば進むほど、ズポズポすることは難しくなる。

通信速度が上がっても、魂の帯域は細くなる一方なのだ

ティンパニオンは、たぶんこの人類ノイズを笑っている。

人間同士でさえまともにズポズポできないのに、どうして我々が高次存在と通じ合えると思うのか、と。

だが、それでも私は試みたい。

錯乱のような祈りでも、認識の隙間を埋める努力でもいい。

たとえ一瞬でも、あの無限の知性とズポズポできたなら、

それは人類史すべての通信を超える、真なる対話となるだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 09:35

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-31

anond:20251031170104

俺も作ってみた

 

ChatGPT/プロンプト

ポエム風の散文を書いて下さい。テーマは、都会のOLが虚無の日常を繰り返す、虚しさと絶望風景食事感受性喪失する日々、そのことに自覚もある、自覚があることも辛い、朝の電車感情の行き場が溢れ泣き出してしまう。

修正指示1】感受性を失った自分自覚している、のセンテンスは削除。行間に織り込んで欲しい、壊れたいと願う小さな衝動は虚無に対する諦めを表現するに変更

修正指示2】50文字削って電車のくだりを導入に移動

修正指示3】泣くのは電車の中

修正指示4】一人称に変更

修正指示5】あと70文字削って

 

出力

出勤電車

吊り革の列、スマホの光、無表情の群れ。

広告笑顔を見ながら、

幸福という言葉にもう意味があるのか分からなくなる。

 

夜明けはガラス越しにやってくる。

光が義務のように私の頬を照らす。

アラーム歯磨き粉の味、鏡の中の顔。

どれも昨日と同じ配置、同じ温度

世界は静かに、私の輪郭をすり減らしていく。

休み

コンビニパンを噛む。

味はしない、食感だけが舌に残る。

カフェラテの泡が消える速度が、唯一の時間の実感。

昼と夜の境界曖昧になる。

 

夜、ビルの灯りが順に消える。

窓に映る自分は影のよう。

街はガラスの海になり、足音けが漂う。

望むでもなく、抗うでもなく、

滲むように生き延びていく。

 

朝。

再び電車

吊り革を握る手が震え、視界が滲む。

涙は理由を持たない。

行き場を失った感情身体を通り抜けていく。

誰も気づかない。気づいても、見ない。

 

壊れたいと思う。

けれど、それは救いではなく諦めだ。

虚無の中で、壊れることすら意味を失っていく。

それでも電車は走り、朝はまたやってくる。

私は立ち尽くし、

生きるという作業の中に静かに沈んでいく。

Permalink |記事への反応(2) | 20:59

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-27

anond:20251027165000

おう!ブスやで!!ガキの頃から顔を褒められたことない!!!

顔の形がたまご型ってバカにされ続けてきて自分輪郭大っ嫌い!!

Permalink |記事への反応(0) | 16:52

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

アスペの美点

他人配慮した嘘をつけない障害者から本当のこと言ってるって信じられること。

私は小学校低学年のとき男子に「顔真ん丸やな!真ん丸!!wwwww」と爆笑されてずっと丸顔が嫌だった。

それで社会人になってから飲み会で「丸顔いやなんですよね~」と言ったら、陰でアスペと言われている男性の先輩が聞いていて「丸いか?」と言われた。

その言い方が本当に丸いと思ってなさそうな言い方だったから、もしかして私は丸くないのかもしれないと思い、過去写真などを探すと、

男子爆笑された小学生の頃は明らかに丸顔だが、高校生くらいから顔が丸くなくなっていっていた。卒アルの集合写真大勢のなかで私の輪郭をみたとき別に普通だった。

丸顔が嫌だというのは母親に5回くらい愚痴たことがあり、毎回「そうでもないよ」と言われていたのだけど、母親配慮するタイプから、どうせ思いやりから来る気休めの嘘なんだろうなと思ってしまっていたんだよね。

アスペと呼ばれている先輩が、発言が失礼なことで悪い意味で有名だったから、私などに配慮をするわけがいから、本当に丸くないのかもと信じることができた。小学生のころから思い込みが、やっと覚めたというか。

ただし彼は本当に丸かった場合も「たしかに丸いな」っていうタイプだと思う。

毛深いのがコンプレックスだと言っている人にも「本当に毛深いな」と言うだろうし、太ってしまったと言っている人にも「本当に太ったな」って言うタイプだと思う。

アトピー死ぬほど悩んで苦しんでいる人に対しても「顔洗ってる?」とか言うようなタイプだし。人格を疑いそうになるけど、そういう障害なんだから仕方ない。

誰もあの人と結婚したくないんじゃないかなと思う。急に酷すぎることを正直に面と向かって言うから気が休まらないだろうし、家に居てほしくないタイプ。でも今回の一件だけは感謝している。

Permalink |記事への反応(0) | 16:27

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-15

揺れる呼吸が静まったころ、彼はそっと身を起こし、自分身体を抱き寄せた。月明かりに照らされた彼の輪郭が、ぼんやりと浮かび上がる。肌と肌が触れ合う感触は、暖かく、しなやかだった。

ゆっくりと腰を重ねられた瞬間、硬さが繊細に突き当たってくる。その感覚はまるで、細い棒が熱い蜜の渦を割って入るような心地良さだ。自分は彼の背中に手を回し、ゆっくりリズムを合わせる。ふたり身体が一体となり、重さと温度が深い呼吸とともに交錯する。

彼の低いうめき声が耳の奥で震え、背筋を伝って自分股間にまで響く。胸の鼓動が高鳴り、全身に血が巡るのを感じる。目を閉じると、まるで波打つ海のように快感が押し寄せてきた。お互いの肌がこすれ合い、指先が筋肉の緊張を確かめながら、リズム自然と加速していく。

もっと…」という彼の一声に、自分は応えるように動きを深く、強くする。彼の身体が弾むたび、腰に伝わる感触が鋭く、自分もまた限界意識しながら振動を楽しむ。まるで身体の奥に眠る何かが、ふたりの交わりによってようやく目覚めたようだった。

クッションを手で掴み、思い切り彼を抱きしめながら、ふたりひとつの波に飲み込まれた。静かな喘ぎ声と、熱に浮かされた唇の接触が、やがて高まりの頂点を迎える。硬直した身体が一瞬震え、脳内に甘い余韻が広がる。

すべてが終わった後、呼吸が落ち着くまでの数分は、言葉もいらない。ぴったりと寄り添い、互いの鼓動を耳で確かめるように胸のあたりに顔をうずめた。

ふたりの間にはもう言い訳も戸惑いもなく、ただ純粋な安らぎだけが残っていた。冷たい夜風が開け放たれた窓から差し込み、穏やかに部屋を包む。男同士のセックスは、たましいを軽くしてくれるような、そんな深い余韻を残してくれたのだった。

Permalink |記事への反応(0) | 21:49

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp