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はてなキーワード:軍制とは

2025-10-05

AIのいいところは、

「バシレイオス2世“ブルガロクトノス”あたりの東ローマ皇帝時代を深く知るための書籍を教えて下さい。」

という質問にサクッと答えてくれるところだと思う。

従来の検索エンジンでは、「サクッと」知ることが出来る場合もあるが、そうでない場合も多かった。

ちなみに上記質問に対する答えは以下の通り。

バシレイオス2世(“ブルガロクトノス”)期の東ローマ帝国を深く学ぶための書籍

バシレイオス2世期は、マケドニア朝の全盛期にあたり、軍事行政文化の各面で東ローマ帝国が最高潮に達した時代です。

以下の書籍は、概要から専門的研究まで網羅的にカバーしており、学術的知見を深めるのに最適です。

1.総合的な帝国

ジョルジュ・オストロゴルスキービザンツ帝国史』(新版筑摩書房

東ローマ帝国研究古典的名著。

マケドニア朝期を概観しつつ、バシレイオス2世事績政治社会文化文脈で捉える。

学部から大学院生までの必読書

ジョン・ジュリアスノリッジビザンツ帝国衰亡史』(上下巻・新潮社訳)

読み物としても優れ、バシレイオス2世の功績や後継皇帝との比較が平易に記述されている。

詳細な年代記記述とともに、帝国全体の流れを把握できる。

ウォーレントレッドゴールド東ローマ帝国マケドニア朝から十字軍まで』(創元社

軍事史を重視する著者が、バシレイオス2世の対ブルガリア戦争軍制改革について詳細に分析

数多くの地図系図を収録し、ビジュアルにも優れる。

2. 専門的研究・モノグラフ

ジョン・フレイザーハルドン中世東ローマ帝国文化国家の変容』(勁草書房訳)

10世紀前後社会構造官僚制経済システム批判的に検討。バシレイオス2世期の行政改革財政政策が、いか帝国強化に寄与たか学術論文レベル理解できる。

マーク・ホイッタウ『ビザンツ帝国史入門』(臨川書店

平易な導入書ながら、バシレイオス2世役割文化的・宗教的視点から考察

地下聖堂建築修道院運営との関連も扱い、制度史だけでない広がりを示す。

アントニー・カルデリス『ビザンツ帝国東ローマ再考』(明石書店訳)

最新の資料批判考古学成果を踏まえた再評価書。

バシレイオス2世に関する一次資料の読み替えや、新出の碑文・文書を紹介しており、先端研究動向を掴める。

3.軍事対外関係に特化した研究

ロバート・オーフィランディス編『東ローマ軍制史』(戎光祥出版訳)

マケドニア朝軍隊組織補給・動員システムを体系的に解説

バシレイオス2世ブルガリア遠征戦術的展開や兵站を詳細に記述。図版多数。

ペンサ・K.ケネディビザンツ北方外交史』(藤原書店訳)

北方異民族ブルガリアルーシなど)との外交戦争史を分析

バシレイオス2世による“ブルガロクトノス(ブルガリア殺し)”の背景と結果を外交政策の観点理解できる。

4.一次資料資料

オフネス年代記日本語訳笠間書院

10世紀末までの東ローマ史を記した重要年代記

バシレイオス2世期の出来事原典に近い形で追える。

注釈版が充実しており、原典研究入口として最適。

スキュリタス東ローマ帝国史』(講談社学術文庫訳)

11世紀初頭に編まれ編年史

バシレイオス2世期の記述豊富で、歴史叙述の特徴や史料批判視点を学べる。

選書ポイント

1.総合史で全体像を把握

オストロゴルスキーノリッジ時代背景を押さえる。

2. モノグラフで専門知識を深化

ハルドン、カルデリスなど最新研究を通じ、行政文化的変容を理解

3.軍事外交史で“ブルガロクトノス”を解明

専門書・論文集で遠征の詳細とその意義を知る。

4.一次資料史料批判力を養う

年代記』や編年史原典に当たり、学術的厳密さを身につける。

これらを併読することで、バシレイオス2世期の帝国像を多角的理解できます

ぜひ学習目的や興味に応じて組み合わせ、東ローマ研究の深掘りに役立ててください。

Permalink |記事への反応(1) | 17:59

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2025-06-17

#世界史で「信長級」のヴィジョンと実行力を持ったトップ3

結論

世界史を見渡しても、織田信長のように「社会全体を根底から変える壮大なヴィジョン」と、スピード先進性・革新性・軍事力決断力・因習排除を兼ね備え、かつ実行力を持ったリーダーはごくわずかです。あえてトップ3を挙げるなら、次の人物代表格といえます

1. チンギス・ハン(Genghis Khan)

2.ピョートル大帝(Peterthe Great

---

3.ナポレオン・ボナパルトNapoleon Bonaparte)

---

まとめ表

人物スピード先進性・革新軍事力決断因習排除社会構造の変革
-----------------------------------------------------------------------------------------
チンギス・ハン
ピョートル大帝
ナポレオン

---

補足

---

参考

Permalink |記事への反応(0) | 20:41

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2025-05-30

ChatGPTと韓国における代替歴史ファンタジーについて語ってみた

あなた:

韓国における代替歴史物の創作君主制を想定した場合典型的ストーリーを教えてください

ChatGPT:

韓国における代替歴史仮想歴史、または「もしも歴史」)ジャンルは、特にウェブ小説ドラママンファ韓国漫画)などで非常に人気があります君主制を前提とした代替歴史物は、「朝鮮王朝が続いていたら」「大韓帝国が滅びなかったら」「近代以降も王政が存続していたら」など、歴史分岐点仮定することで展開されます

以下は、典型的ストーリーラインパターンです:

1.現代君主制の存続(現代韓国立憲君主国)

設定例:1910年日本併合されなかった、または1945年以降に王政が復活した世界

ストーリー

若き王太子王女が、政争陰謀国際関係の中で王室の存続と改革を目指す。

王室を中心にした宮廷ロマンスや、現代政治との対立が描かれる。

主人公一般市民から突然皇太子妃に選ばれる…といった「シンデレラ」系展開も人気。

代表作例:ドラマ『宮 -Love in Palace-』(韓国君主制が残っていたらという設定)

2.大韓帝国朝鮮王朝の継続

設定例:清や日本圧力を跳ね除けて近代化に成功大韓帝国が今も国家として存続。

ストーリー

近代路線を進める国王旧弊貴族との権力闘争

軍制改革産業育成・列強との交渉などを中心とした歴史スリラー

主人公改革派の若き王子または天才官僚軍人として登場し、国を導く。

3.架空朝鮮王朝(完全なファンタジー世界

設定例:朝鮮文化ベースにしたが、歴史的な国家とは異なるファンタジー国家

ストーリー

宮廷内の陰謀政変、魔術や妖怪などの要素も加えられる。

女性主人公男装して科挙に挑戦する、あるいは王妃として政敵と戦うなど。

逆ハーレム」的展開もありえる。

代表作例:小説『赤い袖先』(歴史ベースだがロマンチックな脚色が多い)

4.タイムスリップ君主制の再発見

設定例:現代人が過去王朝時代タイムスリップし、歴史を変えようとする。

ストーリー

IT知識を駆使して軍事改革政策改善、民生安定などを実現する。

主人公が王になったり、王に仕える形で「現代価値観」を浸透させる。

ロマンスも絡みやすい。

代表作例:ウェブ小説『テムパル(王に憑依した男)』など

ストーリーテンプレート共通要素:

要素説明

宮廷陰謀政治闘争、後継争い、暗殺などが主軸に

身分ロマンス 王と平民恋愛、あるいは政略結婚からの愛

近代化と改革保守vs改革派の構図

外敵との対峙 清、日本欧米列強などが敵役

主人公の成長譚無能と思われた王子覚醒女性主人公政治舞台

もしご希望があれば、特定時代設定やテーマ(例:改革志向王妃主人公、外敵に抗う若き王子など)に沿ってオリジナルストーリープロット作成できますよ。

あなた:

韓国人が夢想する代替歴史創作君主制が人気なのですか

ChatGPT:

はい韓国における代替歴史創作では君主制は非常に人気のあるテーマです。以下に、その理由や背景、そして現代韓国社会との関連性を解説します。

🇰🇷韓国君主制が人気の理由代替歴史創作において)

1.現実との対比によるロマンと逃避

韓国現在民主共和国ですが、現代政治への不信感や疲弊感が社会の中に存在します。

君主制=強いカリスマ指導者、秩序、美意識伝統文化象徴とされ、**「理想統治者像」**として描かれることが多いです。

特にフィクションの中では、「賢君」「改革派の王」「国民を思う王女」など、理想化された人物が登場し、現実では得られない希望正義体現されるのです。

2.韓国文化歴史的背景への愛着

朝鮮王朝(1392-1897)や大韓帝国(1897-1910)の美術建築衣装などは韓国伝統文化象徴

宮廷文化科挙制度王宮建築など、視覚的・美術的に魅力的な要素が多く、映像作品マンファに適しています

韓国ファンタジー」を構築するうえで、王朝文化はとても都合がよい舞台です。

3.植民地期と王権のロス

1910年日本による韓国併合で、大韓帝国強制的消滅

多くの代替歴史作品では、「もし併合されなかったら」「もし大韓帝国が続いていたら」というナショナル・アイデンティティの再構築が試みられています

これは一種の「歴史修復願望」にも通じます

4.ドラママンファウェブ小説の影響

『宮(Goong)』『赤い袖先』『雲が描いた月明かり』『恋慕』『ノクドゥ伝』など、君主制設定のロマンス作品が大ヒット。

ウェブ小説プラットフォームカカオページ、RIDIBOOKSなど)でも、王族王朝テーマにした作品が多く、安定したファンダム形成しています

🔥 人気の背景を要約すると:

📜歴史的な喪失感王政終焉植民地支配) →回復願望

👑カリスマリーダーへの欲望理想の王・王女の登場

🎨視覚文化的な美しさ →宮廷文化衣装儀式など

💔現代社会への不満 →フィクション内の「正義」追求

代表的なジャンルパターン

ジャンル説明

宮廷ロマンス王族×庶民政略結婚からの恋/王位継承争い

時代ファンタジー架空王朝魔法妖怪天命など非現実要素

政治ドラマ 賢君が腐敗貴族と戦う/現代価値観改革

タイムスリップ現代人が王に転生/近代知識王朝改革

もし興味があれば、韓国代替歴史小説における人気作ランキングや、最近ウェブ小説トレンドもお調べできます

あなた:

現在世界の国の圧倒的多数共和制です。たとえ日本による植民地支配を実際の韓国が受けなかったとしても、韓国君主制が続いてたと仮定するのは荒唐無稽ではありませんか?

ChatGPT:

非常に鋭いご指摘です。ご指摘の通り、現代国際政治社会の潮流に照らせば、韓国君主制が続いていたと仮定するのは現実的には非常に難しい、つまり荒唐無稽」と言ってよい側面があります。ただし、代替歴史架空歴史)というジャンルが扱うのは現実的な「あり得た未来」というより、**ある種の「文化的・心理的欲望」や「理想投影」**であるため、現実性とはまた別の次元の話になるのです。

以下、順を追って解説します。

✅ 1.歴史的・構造的に見た君主制の非現実

現実世界潮流:

20世紀以降、王政廃止した国は多数。

第二次世界大戦後は、植民地支配から独立した国のほとんどが共和制採用

韓国文化歴史が近い中国中華民国中華人民共和国)、ベトナム阮朝社会主義共和国)なども王政廃止

朝鮮半島において:

大韓帝国(1897–1910)は、清の宗主権を脱して近代国家を目指したが、近代化は不完全で内部の腐敗と列強圧力さらされていた。

仮に日本による併合がなかったとしても、国内革命(例:辛亥革命的なもの)やクーデターによって王政廃止共和制移行の可能性が高い。

したがって、リアル歴史分岐点を考えると、君主制21世紀まで韓国に残っていた可能性はきわめて低いです。

🤔 2. にもかかわらず、なぜ君主制が人気なのか?

この矛盾は、代替歴史における「リアル可能性」より「感情的欲望」や「美学」が重視されるというジャンル特性に由来します。

心理的文化的背景:

「もしも滅びなかったら」=喪失への反動文化ノスタルジア

君主制物語装置として、「家柄」「身分」「天命」などのドラマ性・運命論を生む力が強い。

君主制舞台にした物語では、貴族王族反乱軍平民といった階層社会がくっきり描け、読者にとっても分かりやすい。

民主主義への不満・疲労感:

現代社会では不正格差ポピュリズムなど民主主義の問題点も目立つ。

フィクションでは、「聡明な王がすべてを導く」というユートピア統治像が歓迎されやすい。

💡 補足:現代君主制が残っている国も存在

実際には現在君主制国家は30か国以上あり、その多くは立憲君主制(英国日本スウェーデンなど)です。ただしそれらは古くから制度を維持してきた特異な例であり、新たに王政を導入する国はありません。

結論

はい歴史的・構造的に見て韓国君主制存続を仮定するのは現実性に欠ける仮定です。

しかし、それは代替歴史ジャンルにおいては「荒唐無稽であること」がむしろ想像力余地を与える魅力となります

これは「現実再現する」ための歴史ではなく、「現実では失われたかもしれない理想夢想する」ための物語なのです。

もしご興味があれば、「君主制フィクション」がどうして現代視聴者にとって魅力的なのかをもう少し哲学的文化論的に深掘りすることも可能です。

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2023-06-25

anond:20230624234322

モスクワ公国エリアはワグネル暫定軍制国家になって、シベリア南部中国編入されて、黒海沿岸は大規模再編という展開もじゅうぶん有りうる。……台湾方面がどうなるかが未知数なのが恐いな。

Permalink |記事への反応(0) | 00:42

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2022-06-26

世界の終りにおいて、世界を救った男テミストクレス(1)

 ギリシャ世界ペルシア軍の大遠征において黄昏に瀕していた。

 空前の規模を誇るペルシア軍団紀元前480年、テルモピュレーの戦いにおいてギリシア陸軍の主力であるスパルタ軍を激戦の末に破り、スパルタの王であるレオニダ一世戦死させた。スパルタ軍という防波堤を失ったギリシア本土容赦なく侵攻され、ギリシアの中心都市であるアテナイペルシア陸軍によって陥落するに至り、アテナイ軍人テミストクレス率いるギリシア海軍絶望していた。「帰る国が無いのに、このまま戦ったところで何になる?」と。

 しかし、彼らのリーダーであるテミストクレスだけは絶望していなかった。

 絶望に染まる軍人たちの中で、彼は唯一希望を手放していなかった。彼は言った。「さあ、世界を取り戻しにいこう」と。


     ◇


 ペルシア戦争の戦乱の始まりをどこに求めるかは諸説あるが、紀元前480年以降のペルシア軍の大規模侵略より10年前、先駆けて起こったマラトンの戦いにおいて既に戦端は開いていた、とする説が有力である

 紀元前490年、マラトンの戦いにおいて沿岸に押し寄せたペルシア軍を、アテナイ軍を主力とするギリシャ連合軍完膚なきまでに破った。二倍に比するペルシア軍に対して、旺盛な士気原動力に戦ったギリシア連合軍は、5000人以上にものぼるペルシア軍の戦死者に対して、僅かに戦死者200人足らずに留まる圧倒的な戦果を以てペルシア軍を退けたのである勝利に沸くギリシア民衆は口々にギリシアの精強な陸軍を讃え、自らの勝利を誇った。それほどまでに完璧勝利だったのである

 一方、自軍主力の三割を一挙に失ったペルシア軍は撤退を始める。ギリシア世界アジアに対する完全な勝利であった。

 しかしただ一人、アテナイ政治家であり軍人でもあるテミストクレスだけは絶望していた。

 いずれギリシア絶対に負ける、と


     ◇


 アテナイギリシアの中心都市であるが、しかしこの都市が円熟を迎えるまでに辿った経緯は涙を誘う。ギリシアはいわゆる都市国家と呼ばれる、一つの都市国家を成す統治形態政治が行われていたのだが、これら都市国家が成立する以前の、ギリシア暗黒時代においてはギリシア半島ペロポネソス半島)には大量の異民族流入しており、戦乱の嵐が吹き荒れていた。

 そのような戦乱のさなか、開闢におけるアテナイいかにして生き延びたのか?

 それは、あまりにも乏しい資源によってであった。

 アテナイは極めて痩せた厳しい土地であった。地中海性の気候の中、雨量は少なく、養えるだけの人口は決して多くない。要するに、戦乱の時代においては重要性の極めて低い土地だったのである。そのため、アテナイ暗黒時代における異民族侵略において、常に見逃され続け、戦乱からは遠ざけられ、その地盤と地歩を少しずつ伸長させてきた。最終的には、ギリシアにおける最も優秀な文化都市としての地位確立するに至ったのである

 さて、そのような経緯もあり、スパルタアテナイ、あるいはテーベといったギリシアの主要都市基本的に国力に乏しく、幾ら軍制を整えたところで養える軍隊には限界があった。当時のアテナイ人口については諸説あるが、最盛期における人口は十万人程度だったと言われ、まともな軍隊として機能する人員は精々一万人を上回る程度だったであろう。


 一方、ペルシア現在におけるアフリカ中東中央アジア南アジア北部にまで跨る大帝国であり、根本的な軍事力、そして人口においてはギリシアに対して天地の差があった。そのような地政学的要因をテミストクレス紀元前480年以前から看破しており、このまま仮に戦争継続すれば、最終的にギリシアが間違いなく敗北するという未来を予見していたのである

 しかし、テミストクレス絶望してばかりではいなかった。来るべきペルシア本軍の大遠征に向けて、着々と準備を開始した。

 彼が最初に行ったのは、海軍備の増強である。これは正に慧眼であり、ギリシア絶望的な状況を打破する最善手にほかならなかった。

 無論、軍事力が精強なペルシア海軍備は相当なものであり、実際、ペルシア戦争が激化した際の艦船保有数は、ギリシア保有する400隻足らずの軍艦に比べ、ペルシア軍のそれは3倍から4倍の1500隻以上(輸送船を含む)に達していた。ギリシア軍は結局のところ、陸軍備においても劣り、海軍備においても劣っていたのである。そのため、不足している海軍備の増強に多少着手したところで、いずれ来る黄昏を打破する目覚ましい一手にはなり難い――そう目するギリシア市民政治家も決して少なくはなかった。というか、そもそもギリシア軍は精強な陸軍を抱えているのだから海軍備の増強は不要であると楽観論に耽るギリシア市民が圧倒的だった。テミストクレスは頭を抱えた。


 テミストクレスは異常者であった。常に真実を見ることしかできない目を持ち、常に真実しか思考きぬ頭脳を持ち得ていた。

 テミストクレスは十年に渡って、世界の終りをただ一人、真摯に見据えていた。やがてギリシアは滅びる。しかし、その寿命を一秒でも長く保つこと、その呼吸が、須臾の間なりとも長く伸びることを目指し続けていた。また、テミストクレス軍人である前に政治家であった。そのため、テミストクレスは数多くの権謀術数を駆使することを厭わなかった。彼の謀略が活かされるのは、決して外敵に対してばかりではない。むしろ、同じくギリシアに属する味方勢力に対して、しばしばその陰謀は向けられていた。 

 ともかく、海軍備の増強に前向きでないアテナイ首脳部を説き伏せるためにテミストクレスは一計を案じる。海軍備の増強に消極的であったアテナイ首脳を説得するために、テミストクレスは同じくギリシア海洋都市国家であるアイギナと呼ばれる都市国家の脅威を説いたのである

 アイギナはギリシア世界においては珍しく、海軍備を主体とする軍制を整えた都市国家であった。地理的にはアテナイの属する沿岸からかに南下した地点に位置しており、当時のアテナイ首脳や市民にとっては、遠くアジア大国ペルシア帝国よりも、海洋国家アイギナはよほど身近な脅威に映っていた。テミストクレスはその心理を利用したのである。まずはこの手近なライバルとなり得るアイギナの脅威を喧伝することで、テミストクレスは徐々にアテナイ首脳の意識海軍備の増強へと向けさせることに成功した。

 さて、この時アテナイ新造した艦船の数は200隻程度で、かつて備えていた旧式の軍艦の凡そ十倍にあたる新型の艦船を建造しおおせたのである。とは言え、先述の通りそれでもなおペルシア軍の海軍備に比べれば、アテナイの所有していた軍艦の数は圧倒的に劣っていた。それでも、テミストクレスの企てた長期的な戦略は間違いなく最善のものであったと言えた。結果的に、海軍備の増強という手段以外にペルシアを打倒し得る勝ち筋は無かったのである

 何故か。


 ペルシア軍は強大な軍事力を動員するだけの国力を備えていた。軍事力インフラを整備する技術力、そして、兵士を養うために必要な兵糧を創出する農業力、それらの総合力において、ペルシアは明らかにギリシアの力を上回っていた。しかし、そのような強大な力は、反面ある種の脆弱性を抱えることにもなる。テミストクレスはそこに目を付けた。

 テミストクレスが着目したのは、ペルシア軍における高度な兵站戦略であるペルシア軍は圧倒的な数の軍隊を抱えるが故に、その大軍を支えるための兵站戦略を整備していた。中継都市本国から創出した食料を、効率的前線へと運び届けるインフラを整備し、兵の士気が低下しないための細心の注意を払っていた。

 しかし、ギリシアが属するバルカン半島並びにペロポネソス半島海岸線は長く、その補給路は長大に達し、沿岸陸路は決して効率の良い輸送ルートとは言えなかった。陸路における兵站戦略が決して最善のものでないことを、ペルシア軍は理解していたのである。したがって、ペルシア軍の兵站必然的海路依存していた。

 艦船による食料の輸送は、陸上のそれに対して圧倒的に効率的である大軍を支えるために行われる、ペルシア軍の必然的兵站形態を、実際にペルシア軍が襲来する十年前の段階で、テミストクレス明察していた。更には、そのペルシア軍が抱える唯一の弱点を攻撃するための、唯一の手段を十年前から整備し続けていたのである

 つまり海上兵站破壊し、ペルシア陸軍機能不全にすること。それが、それだけがギリシアペルシア軍を打倒するための唯一の方策であった。

 そして、それを理解していたのはテミストクレスだけであった。


     ◇


anond:20220626003448

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2021-11-29

イオン軍制服組アースカラー中東部隊プロパー生え抜きカルディ大佐

マイヤン警官まとめてドナドナ

Permalink |記事への反応(0) | 22:52

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2021-07-09

anond:20210709194422

軍や警察を使うと言うのはまさに制度をなおすに該当すると思いますけどぉ〜

日本軍制度ないですよね

警察出動させられる制度もないですよね

Permalink |記事への反応(0) | 19:46

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2021-05-18

世界史上の名将3傑

当時としてはあり得ない規模の軍団による連携攻撃戦略的に行えた、オゴデイが死ななければヨーロッパ制圧は確実だったモンゴル帝国の最高の名将スブタ

このスブタイが現れるまで1400年は誰も勝てないと言われた、マケドニア軍制を作ったアレクサンドロスⅢ世

この二人までは、戦績も革新性も獲得領土の広さでも、稀代の戦略家であり、傑出した戦術的な指揮官でもあったので誰も文句ない筈

あと一人は?と言われると難しい。

カエサル?アルワリード李靖

火砲登場以降の近代戦であればグスタフ二世

好みが分かれる所よな。

(PS)

日本地理的特性から対外戦争殆どやらなかったけど、日本から無理してでも一人選べと言うなら児玉源太郎しかいないのではないか

圧倒的な軍事力の差がある近代戦の日露戦争講和まで持って行った功績はデカい。

Permalink |記事への反応(4) | 21:52

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2021-04-11

[B!ミャンマー]ミャンマー 1日で市民82人死亡 軍や警察が激しい弾圧 |ミャンマー |NHKニュースhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20210411/k10012968041000.html

nil0303 あえて放置して状況悪化した状態で、中国が動いて(軍事的にか経済的にかは知らんが)軍側を鎮圧すれば中国ミャンマー英雄じゃない?

面白いが、それはほぼあり得ないだろう。

まず第一に、それを中国共産党が実行すれば中央アジアアフリカ独裁者との関係破綻する。

まり代償が大きすぎる。

第二に、ミャンマーの反クーデター市民からの対中感情がすでに悪化しており、そもそも歓迎される見込みが薄い。加えてミャンマー軍はまず間違いなくゲリラ戦抵抗するので泥沼化する。よってもし仮に開戦当初に市民から人民解放軍が歓迎されたとしても長期化に伴って対中感情悪化するだろう。それを避けるために国連軍主体とした場合は、中共の影響力増大にはつながらない。

まり見返りがない。

仮に中共が反軍政立場で介入を行うなら、ワ州連合軍(UWSA、少数民族ワ族を中心とする武装勢力中共の影響下にありケシ栽培資金調達していた。)に対する非公然の援助、といった形をとるのではなかろうか。ただこれも得るものはあまり多くなさそうである

  

逆に中共軍政側で参戦する可能性はある。

ちょうどロシアシリアで見せた動きが手本となるだろう。ただし、これを実行するためには軍政側が一旦劣勢になる必要がある。日本では軍制側は中共の強い影響下にあって一心同体だと見なされている節があるが、実際にはある程度の自主性を保つことを志向している。カギを握るのはカレン民族解放軍(KNLA)等の反政府勢力、つまり軍制も嫌いだがアウンサンスーチーも信用しておらず、独自軍事力を持っている人々だろう。彼らの「参戦」によって軍政側が劣勢に陥れば、中共は介入の口実を得る。「テロリストが正統政府を脅かしてるので介入するぞ」と。この場合も泥沼のゲリラ戦が予想されるが、全土を平定する必要はなく、港(あるいは可能なら港から国境までのルート)を抑えればよい。むしろミャンマーが平定されず、紛争状態であり続けることが、介入を正当化し持続する口実となる。

  

いずれの場合も、人民解放軍犠牲について遺族と国民に対する正当化ロジック必要となる。「ロヒンギャウイグルイスラームテロリスト連携している」といったプロパガンダが行われるのではなかろうか。もちろん、もし介入が実行されるならばそれは「義勇兵」とか「誠実な人々」などと呼ばれる集団によってなされるであろう。

Permalink |記事への反応(0) | 17:12

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2020-12-20

2020年アメリカ大統領選挙に関するQ&A

前田 耕 (Ko Maeda)@MaedaPoliSci

https://twitter.com/MaedaPoliSci/status/1340058410356781057

の一連のツイートより

前田

ノーステキサス大学准教授政治学)。ミシガン州立大学Ph.D. 研究領域選挙選挙制度政党競争政治制度など。

 

[公式選挙投票結果]

12月14日選挙投票の結果を国立公文書記録管理局が公開してます

 

まだ全州揃っていないけど、接戦州はミシガン以外全て載ってます。各州の公文書PDF版が見れます

以下、よく出る話を連ツイでまとめます

本当にもう終わりにしましょう。

 

 

Q:1月6日の集計時に逆転できる?

A:無理です。集計手続きはElectoral CountActという法律規定されていて、

上下両院同意しないと選挙人票を捨てられません。下院民主党多数です。

 

Q:ペンス副大統領拒否権を持っていると聞いた。

A:デマです。Electoral CountActにそんなこと書いてません。

 

Q:ジョージアなどの接戦州では共和党側の選挙人も投票したんでしょ?

A:法的根拠もなく、ショーとしてやっただけです。

 

Q:まだ係争中の裁判があるでしょ?

A:あるけど、選挙投票も済んだので、これ以降の裁判ではこれまで以上に"moot"や"laches"(簡単に言うと"もう手遅れ")で棄却されることが増えるでしょう。

PA共和党は、あるケースについての最高裁への意見書に「どうせこれで結果は変わらない」と書きました。

 

Q:でも大統領選で大規模な不正があった。

A:不正があった場合に異議を申し立て手続きは各州の州法規定されています

それで認められれば、法に基づいて結果が修正されます

でもトランプ側が起こした裁判は次々に敗訴、または法廷外では高らかに叫ぶのにその「証拠」を裁判に出してきません。

 

Q:反乱法/内乱法を発動すれば?

A:InsurrectionActを発動して軍を派遣しても、既にある法律執行することができるだけで、法律無効化するとかできません。

 

Q:大統領令が...

A:大統領令憲法法律の枠内のことしかできないので、すでにある法律を覆すことはできません。

 

Q:実力行使憲法法律も停止したら(ペルーフジモリがやったように)?

A:そのためには軍の支持が要るけど、陸軍長官陸軍参謀総長は既に選挙への介入を否定してます

軍人違法命令服従する義務は無いし、違法と知りつつ実行したら処罰されます

 

Q:トランプが負けを認めないとどうなる?

A:彼の任期1月20日正午に終了するので、その時点でもしWhiteHouse内にいたら、

不法侵入者として排除されます(だからその前に自主退去するでしょう)。

また、藤井厳喜という方が、大統領経験者には不逮捕特権があると前に書いてましたが、ありません。

 

 

https://twitter.com/MaedaPoliSci/status/1340074251781615621

前田 耕 (Ko Maeda)

@MaedaPoliSci

 

12月19日

Q:バイデンが勝つと〇〇になるけど、それでもいいの?

A:いいかどうかが問題じゃなく、次期大統領選挙結果に基づいて決められるんです。法治国家ですから。(いま、「選挙不正でも法治国家と言えるのか!」と思った方は6番目のツイートをどうぞ)

 

本当に、もう終わりにしましょう。

14/end

 

 

https://twitter.com/MaedaPoliSci/status/1340125130920484864

前田 耕 (Ko Maeda)

@MaedaPoliSci

. 

21時間

このQ&A集は私がまとめたものです。

選挙人を決めるのは当然ですが各州の有権者です。

その結果を州政府認証し、国立公文書管理局のトップのthe Archivistという役職の人が、

1月3日に各州から公文書上下両院に送付します。

 

 

https://twitter.com/MaedaPoliSci/status/1340120366040137731

前田 耕 (Ko Maeda)

@MaedaPoliSci

 

22時間

全部違います

議会ルート州法違反なので最初から無理

司法ルート司法はその役割果たしている

大統領令非常事態宣言憲法法律の枠内なら可能軍制服組はその役割から逸脱しない見込み(当然)。

です。

引用ツイート

セイウチさん

@seiuchiblog

22時間

返信先: @MaedaPoliSciさん

貴重な見解ありがとうございます

 

議会ルート→手遅れ

司法ルートサボタージュでほぼ無理

大統領令非常事態宣言→1/20迄なら合憲。但し軍制服組のサボタージュ可能性あり。

 

という理解でよろしいでしょうか?

 

Permalink |記事への反応(0) | 09:28

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2018-08-06

anond:20180805230141

時代も国も軍制も状況も違うのに関ヶ原第二次大戦と比べるほうがアホだぞ。

Permalink |記事への反応(1) | 09:01

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2015-10-16

世界の名争50戦

1285カデシュの戦いエジプトの大ファラオラムセス2世と、製鉄技術で名高いヒッタイトの王ムワタリの戦い。戦況が膠着状態に陥った後、ムワタリ停戦を申し入れ、ラムセス2世が受諾した。これは記録に残る最古の戦争であり、記録に残る最古の平和条約でもある。
前479プラタイアの戦い古代ギリシアペルシアの一連の戦争における決戦。数十万を誇るペルシア軍の攻勢を、一万のスパルタ軍だけで防ぎ止め、押し返し、打ち破った。これによりギリシアからペルシア軍は駆逐され、スパルタは前年のテルモピュライの戦い映画『300』で有名)の雪辱を果たした。
前371レウクトラの戦い古代ギリシア都市国家テーバイスパルタの戦い。テーバイのエパメイノンダスが編み出した、兵力左翼に集中する戦術「斜線陣」により、精強を誇ったスパルタファランクスは打ち破られた。皮肉にも、後に斜線陣はテーバイではなくマケドニアに伝わり、ギリシア都市はその戦術によって敗れ去ることになる。
前331ガウガメラの戦い大王アレクサンドロス3世率いるマケドニア軍とアケメネス朝ペルシア軍の戦い。マケドニア軍の重装歩兵ペルシア軍を受け止めているあいだに、アレクサンドロス自らが率いる騎兵ペルシア軍にできた間隙を衝く、いわゆる「鎚と鉄床」戦術によってマケドニア勝利し、大国ペルシアは滅びた。
前260長平の戦い中国戦国時代、趙の老将・廉頗の持久戦術に手を焼いた秦は、情報工作によって廉頗の悪評を流し、若い趙括と交替させた。趙括は勢い込んで秦との決戦に挑んだが、秦の名将・白起によってあっけなく包囲殲滅された。四十万人の捕虜虐殺されたという。秦の中華統一過程において最も大きな勝利の一つである
前216カンネーの戦いアルプスを越えてイタリア半島侵入したカルタゴの名将・ハンニバルが二倍の兵数のローマ軍に大勝した戦い。中央歩兵が敵を受け止め、両翼の騎兵が敵側背に回り込む、「包囲殲滅戦術の鮮やかな見本として史上に名高い。しかし、そのハンニバルも後にザマの戦いで敗れ、地中海覇権ローマのものとなっていく。
前202垓下の戦い秦が倒れた後、中華を二分して戦っていた楚の項羽と漢の劉邦は、互いに疲弊したことで和睦を結んだ。しかし、劉邦は直後に盟約を破り、引き上げる楚軍に襲いかかった。「四面楚歌」となった項羽は、最後の力を振り絞って包囲を破るも、衆寡敵せず自害した。天下は漢のものとなった。
前48ファルサルスの戦い古代ローマ代表する二人の軍事的天才カエサルポンペイウスの戦い。カエサルは、包囲を狙うポンペイウス騎兵重装歩兵で囲い込み、投槍を投げずにそのまま騎兵の顔や目を刺すよう指示して打ち破った。勝利したカエサルローマの実権を握ったが、やがて暗殺されることになる。
31アクティウムの海戦カエサルの跡を継いだオクタウィアヌスとその政敵アントニウスの戦い。しかし、アントニウスとその愛人クレオパトラは、本拠地エジプトへ逃れることを優先してすぐに戦場離脱、取り残されたアントニウス軍は壊滅した。アントニウスクレオパトラ自殺し、数年ののちにオクタウィアヌスは初代ローマ皇帝となる。
23昆陽の戦いから帝位を簒奪した王莽に対する反乱の一つ。昆陽に籠もる反乱軍は、40万の王莽軍に包囲されたが、反乱のリーダーの一人である劉秀は数千の兵とともに敵の中枢へ突撃を敢行、王莽軍は大混乱に陥り全滅した。主力を失った王莽はまもなく滅亡、劉秀はのちに光武帝として後漢王朝を開く。
208赤壁の戦い三国志に名高い一大決戦。中原を制し、中華統一を目指して大軍を南下させた曹操だったが、見知らぬ土地での疫病、慣れない水上戦に悩まされ、呉の都督・周瑜の火計によって打ち破られた。呉に協力していた劉備は、勝ちに乗じて荊州南部占拠し、後の飛躍へと繋げた。
383淝水の戦い五胡十六国時代前秦皇帝・苻堅は天下統一を狙って百万を号する大軍を南下させ、東晋将軍・謝石と謝玄が数万の軍でそれを迎え撃った。苻堅は異民族の融和を目指した理想主義的な君主だったが、異民族の混成軍は実際には統率がとれておらず、偽装後退を命じたことが本当の撤退勘違いされ、前秦軍は自壊して潰走した。
451タラウヌムの戦いフン族の王アッティラ侵略に対して、西ローマ帝国の名将アエティウスと西ゴート王テオドリックなどが連合して挑んだ決戦。痛み分けに近いものの、西ローマ帝国軍の勝利に終わった。のちにアエティウスの武功を恐れた西ローマ皇帝は彼を暗殺した。この戦いから二十五年後に西ローマ帝国は滅びた。
506鍾離の戦い数十万の大軍同士が激突した南北朝時代最大の決戦。北魏軍は、河に橋を掛けて梁の鍾離城を攻め立てていたが、長雨もあり戦いは長期化した。救援に来た梁の智将・韋叡は、増水に乗じて戦艦を走らせ、北魏が掛けた橋を焼き払った。大混乱に陥った北魏軍は十数万の死者を出して敗走した。
530ダラの戦いサーサーン朝ペルシア大軍東ローマ帝国ベリサリウスが破った戦い。ベリサリウスはあえて要塞から出て敵の攻撃を誘うと共に、壕を掘って相手中央突破を防ぎ、伏兵を巧みに使って撃破した。その後、ベリサリウスは中世欧州最高の名将として、東ローマ帝国の最大版図を現出させる。
627ハンダクの戦い初期イスラムの三つの戦いの一つ。敵対するメッカ軍に対し、ムハンマド率いるメディナ軍は数で劣ったため、ペルシャ人技術者の進言で「ハンダク=塹壕」を巡らせた。メッカ軍は初めて目にする塹壕突破できず、メディナ攻略を諦めた。以降、アラブ世界におけるイスラムの優位が確立された。世界初の塹壕戦とも言われる。
636ヤルムークの戦い「神の剣」ハーリド率いるイスラム軍と、皇弟テオドロス率いる東ローマ帝国軍の戦い。砂漠戦闘に慣れたイスラム騎兵東ローマ帝国軍を渓谷に追い込み撃滅した。イスラム軍は、直後のニハーヴァンドの戦いを経てサーサーン朝ペルシアをも滅ぼし、ここにイスラム帝国興隆することとなった。
732トゥール・ポワティエ間の戦いイベリア半島から侵攻したウマイヤ朝イスラム帝国と、フランク王国の宮宰カール・マルテルの戦い。イスラム騎兵の猛攻をフランク重装歩兵が跳ね返し、撃退した。イスラム騎兵の強さを痛感したマルテルは、直属の臣下土地を与えて「騎士制度を創設し、これが欧州封建制へと繋がっていった。
751タラス河畔の戦い西へ拡大する大唐帝国と東へ拡大するアッバース朝イスラム帝国中央アジアにおいて衝突した戦い。唐の同盟ウイグル族に従っていたカルルク族が裏切ったことでアッバース朝が大勝した。これによって、唐の伸張は止まり中央アジアはイスラムに帰し、そして製紙法が西方に伝播した。
1098アンティオキア攻囲戦第一十字軍は、半年以上の攻城戦の末にアンティオキアを陥落させたが、遅れて到着したイスラム諸国連合軍七万によって逆に包囲されてしまう。しかし「聖槍」の発見士気を高めた十字軍は、城外に打って出てイスラム軍を打ち破った。次の年にはエルサレムを陥とし、まさしく奇跡的に十字軍成功に終わった。
1141カトワーンの戦いイスラムセルジューク朝復興させたサンジャルと、遼の再興を掲げて中央アジアに覇を唱えた西遼の耶律大石との戦いで、西遼軍がセルジューク朝軍を包囲殲滅した。セルジューク朝は再び衰退、まもなく耶律大石も亡くなったことで西遼も勢いを失った。この戦いがプレスター・ジョン伝説の原型となったという。
1187ヒッティーンの戦い暑さと渇きに苦しむエルサレム国軍に対し、イスラムアイユーブ朝サラディンは、夜通し弓矢で攻め立てて士気を挫き、野に火を放って追い詰め、壊滅させた。聖地エルサレムは再びイスラム勢力のものとなった。その奪回のために第三回十字軍、すなわちサラディンと「獅子心王」リチャードの戦いが開始される。
1212ナバス・デ・トロサの戦いイベリア半島で争っていたキリスト教勢力が、教皇インノケンティウス3世要請により連合してイスラム勢力を迎え撃った、「レコンキスタ」最大の決戦。イスラムムワッヒド朝の十二万の大軍が悠然と構えるのに対し、連合軍は猛烈な突撃を敢行。ムワッヒド軍は十万とも言われる被害を出して敗走した。
1214ブーヴィーヌの戦いフランスの「尊厳王」フィリップ2世と、神聖ローマ帝国イングランド王国などの連合軍の戦い。フィリップ2世は北へと逃げてブーヴィーヌに陣取ると、ばらばらに追いかけてきた連合軍を到着した順に各個撃破した。脆弱だったフランスが強国として台頭し、またイングランドで大憲章が成立するきっかけともなった。
1241モヒの戦いバトゥ率いるモンゴル帝国遠征軍に対し、ハンガリー軍は堅固な陣地を築いて健闘したが、モンゴル軍はイスラムの投石機と中国火薬兵器攻撃を加え、さらに周りこんだスブタイの軍によって包囲殲滅した。同時にリーグニッツでもモンゴルの別働隊が勝利していたが、オゴタイ・ハンの死を聞いてバトゥは引き返した。
1260アインジャールートの戦いモンゴル帝国西アジア遠征軍と、イスラム勢力のクトゥズやバイバルスの戦い。先鋒のバイバルス軍が退却を装い、それを追撃したモンゴル軍は、伏兵のクトゥズ軍に包囲されて壊滅した。モンゴルの西進はここで止まった。バイバルスはその後もモンゴル軍に勝ち続け、マムルーク朝実質的建国者となった。
1267襄陽・樊城の戦いモンゴル帝国のクビライ・カンは、入念な準備の上で襄陽と樊城を大軍で包囲、長大な土塁を築いて封鎖した。南宋の主力軍十万が救援に向かったがモンゴル水軍の前に完敗した。中東由来の新型投石機「回回砲」による攻撃が開始されると襄陽・樊城は為す術なく降伏した。この敗北は南宋の滅亡を決定付けた。
1346クレシーの戦いイングランドフランス百年戦争における初期の決戦。イングランド軍は斜面にV字に長弓部隊を並べ、中央下馬騎士を置いた。フランス軍のクロスボウは射程の違いで長弓に対抗できず、重装騎兵も敵軍を突破できずに惨敗した。その後、百年戦争の終盤まで、イングランドは同様の戦術勝利を収めていった。
1363鄱陽湖の戦い中国・元末の群雄である朱元璋と陳友諒の戦いで、それぞれ数十万人規模の大船団同士が激突した。大型の艦を鎖で繋いでいた陳友諒軍は、朱元璋特攻させた火船によって大炎上して敗北した。この勝利により優位を確立した朱元璋は後に明の建国者となる。三国志演義における赤壁の戦い描写はこの戦いがモデルだという。
1402アンカラの戦いニコポリスの戦いで欧州連合軍に圧勝したイスラムオスマン帝国の「雷帝」バヤズィトと、モンゴルの後継を自称して大帝国を築いたティムールが激突した戦い。結果、オスマンが敗れてバヤズィトは捕虜となり、日の出の勢いだったオスマン一時的に衰退した。ティムールもこの戦いを最後に生涯不敗のまま亡くなった。
1410グルンヴァルトの戦いポーランドリトアニア連合軍とドイツ騎士団が戦った、中世最大とも言われる会戦リトアニア軍の偽装撤退に誘い込まれドイツ騎士団は、連合軍の反攻によって壊滅した。この勝利のあと、ポーランドリトアニア欧州最強国として最盛期を迎える。現代では古戦場跡で行われる祭りが有名。
1420ヴィトコフの戦いヤン・ジシュカ率いるフス派と、それを鎮圧するために結成された10万の十字軍の戦い。フス派は包囲されプラハに立てこもったが、欧州で初めて銃を装備し、武装した荷車をつなげて砦とするなど、革新的戦術を用いたジシュカの活躍で、十字軍撤退に追い込まれた。以降もフス派は勝ち続けていくことになる。
1450フォルミニーの戦い他国に先駆けて常備軍を創設し、長弓より射程の長い大砲活用するなどの軍政改革を行ったフランス元帥リッシュモンは、百年戦争で負け続けだったフランス軍を立て直してイングランド軍を撃破した。このフォルミニーでの勝利は、百年戦争におけるフランス勝利と、そして以降のフランス軍事的優位を決定付けた。
1453コンスタンティノープルの陥落東ローマ帝国首都にして史上最強城塞都市と、それを包囲したオスマン帝国軍の戦い。「ウルバンの巨砲」「艦隊山越え」といった大仕掛けにも耐えたコンスタンティノープルだったが、施錠を忘れていた通用口からオスマン軍に侵入され、あえなく陥落した。古代から続いたローマ帝国中世と共に終わりを迎えた。
1503チェリニョーラの戦い二次イタリア戦争におけるスペインフランスの戦い。レコンキスタにおいて攻城戦経験豊富だったスペイン軍の指揮官ゴンサロは、野戦攻城戦技術を持ち込んだ。長槍兵と銃兵の陣形「テルシオ」と塹壕の組み合わせによって、フランスの重装騎兵を打ち破り、欧州野戦築城の有効性を知らしめた。
1514チャルディラーンの戦いイスラムサファヴィー朝建国者スマーイール1世神がかり的な戦争天才だったが、対するオスマン帝国セリ1世鉄砲大砲を大量に運用して、不敗の騎兵クズルバシュ」をさんざんに打ち破った。初めての敗北を味わったイスマーイール1世無気力となり、サファヴィー朝の拡大は停滞した。
1588アルマダ海戦黄金時代スペインイングランドが迎え撃った戦い。接舷攻撃企図するスペインの大艦隊に対し、ドレイク率いるイングランド海軍はヒットアンドアウェイ砲撃戦で勝利した。以降、海戦の主役は白兵から大砲へと移っていく。スペイン没落の画期とも言われるが、実際にはスペインの優位はしばらく続いた。
1619サルフの戦い女真族統一したヌルハチ率いる後金軍と、その討伐に差し向けられた明軍の戦い。圧倒的に数で優る明軍は、四手に分かれて後金を包囲しようとしたが、全く連携が取れておらず、ヌルハチの見事な内線作戦によって各個撃破された。後金はやがて清となり、明を滅ぼすことになる。
1631ブライテンフェルトの戦い三十年戦争に参戦したスウェーデン王グスタフ・アドルフと、ティリー伯率いる神聖ローマ帝国軍の戦い。グスタフ・アドルフ歩兵騎兵砲兵が緊密に連携する「三兵戦術」によって、神聖ローマ帝国軍のテルシオを完全に打ち破った。この三兵戦術近代的な軍制の基礎となる。
1683二次ウィーン包囲オスマン帝国は15万の大軍をもってオーストリアPermalink |記事への反応(1) | 18:34

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2015-09-10

http://anond.hatelabo.jp/20150910144516

長州藩

・何でも部下に丸投げする藩主

過激派が多すぎて薩摩ですらドン引き

テロリスト量産

尊王攘夷にしがみついて外国戦争し敗北

薩摩に助けてもらってようやく倒幕を果たす

会津藩

幕府を主導するリーダーシップ溢れる藩主

・藩祖の遺訓に従い幕府忠義を尽くす

天皇からの信頼も篤い

・海から遠い奥州会津にありながら洋式軍制への改革を断行

朝敵汚名と最新兵器に屈してやむなく降伏

Permalink |記事への反応(0) | 15:02

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2014-05-10

http://anond.hatelabo.jp/20140510003704

ブクマで書き切れないのでちょろっと書く。眠くなったら途中ででも問答無用で寝る予定。

>険悪な関係を広げる中国ではあるけれど、かつては「中華」にふさわしく、東アジアのみならず、東南アジア西アジア方面制度文化を発信していた。

これは文化に優劣があるという誤解。実際には文化的に優れていたから広まったのではなく、単に国力で卓越していたから、その文化にも「力」があったように見えた、ということ。

その上で冊封体制に参加すれば強烈なボーナス付きの貿易で莫大な経済的メリットまで約束されていた、という時期があった。

もちろん、中華帝国側にしたら、遙か彼方の蛮人たちまで皇帝威徳を慕ってやってくるんだ、とドヤ顔で言うために出費を負担していた、ということでもある。

実際には日本の諸制度聖徳太子ぐらいのタイミングで既に何か中国とは違う物になっているし、さくっと遣唐使を廃止してしまえたことから分かるように、中国からの影響は小さい。

遠すぎて経済的メリットが薄かったのと、なんだかんだで日本が案外豊かだった、というのが大きい。

伝統の「漢の文化」は、いかなる異民族に侵入されようとも、異民族文化を「漢化」した。

これも誤解。実際には三皇五帝伝説の中身からして、すでに異民族文化が混ざってきている。以後の中国史を見てても、外国から持ち込まれた要素と引き継がれている要素が常に混合し続け、常時アップデートされ続けている。

どっかで

中華文明が連綿と続いているというのも、異民族文化の影響を受けすぎて原型など残っていないと言っても、どちらも正解でしょう」

と書いた通り。

ただ、現代中国人孔子とかの時代漢文を読めない(補助記号足したら日本高校生でも何とか読めるようになるものが読めないってどういうことだってばよって感じだが)。その意味では一貫した中華文化が続いているというのは嘘ではある。

外来王朝漢化したように見える現象は、単に中国大陸主要部を支配するためのツールとして漢字儒教科挙制度が便利だったというのが大きい。文化的な魅力が大きいからそれによって「改宗」していたと思うと足元を掬われる。

まり

>優れた制度を持ち、華やかな文化を持ち、数千年に渡り威光を放っていた大陸国家は確かに存在していた。

というのは実は誤解に基づく幻想。問題はその幻想を大変多くの人たちが信じていた/いること。


共産主義の下、さまざまな伝統破壊され、今では巨大なマーケットか、トラブルメーカーとしてしか認識されていない。

文化大革命の時期とかは何かを破壊するのが流行ったことはあったけど、現在共産党政権(と先代の国民党政権)が歴代王朝と何が違うかと言われると回答に窮する。

あえて言えば科挙がないことと、皇帝位の継承血統でなく有徳者の禅譲によっていることぐらい。

共産主義に何か意味があるように誤解しているが、実際には何の意味もない。あえて言えば五斗米道とか白蓮教のような、たまに中国史に影響を与える宗教の一種、程度に過ぎない。

律令制度や、孫子兵法近代まで日本制度を構築し、

日本版律令制自体最初から中国のとは結構違うし、律令国家は早めに見れば平安時代、どう遅く見ても武家政権によって無効化されている。

孫子読んだら分かるけど、軍制の本じゃないので、影響がどの程度あったと言われると「あんまりない」としか言えない。

要するに中国文化が優れていた、制度が優れていた、周辺の大きな影響を与えていた、というのは誤解の要素が大きい。

地続きでもっとも影響を受けていたはずの朝鮮半島ですら15世紀にはハングル作ってるわけで、推して知るべしである

>昔は輸送手段が乏しく、中国のあるところにいた人を実際に見る事ができなかったからこそ、書物で伝えられる聖人君主が素晴らしく彩られていたのかもしれない。

がすべて、ということ。

この後の清の歴史解釈もいろいろ難がある。

日本が清にトドメ差したわけでもない。日本の行動はそれこそ劉邦を包囲して屈辱的な和平条約を強いた匈奴と大差なく、何かが変わるという類の物でもない。

列強による清の分割は既定路線で、日清戦争が与えた影響は、単にプレイヤーの一人として日本が名乗りを上げたという程度。

その後の義和団の乱によって、列強中国大陸を直接支配するのは効率が悪いと悟り利権だけを確保しつつ清は存続させる、という方針に切り替えている。

ロシアだけはやや違うことを考えていたが、日露戦争の結果としてそれもなくなった。

それ以後の中国史の不味い部分は、大体は中国側特に蒋介石無能日本外交下手によって引き起こされている。

>この国がやるべき事は、張り子の虎の様な振る舞いではなく、栄光ある後継国として腰を据えて国家を「再興」させていくことではないのだろうか。

これが一番大きな誤解。

歴代王朝普通は常時勢力の拡大を指向していた。つまり今の動きの方が普通。「対等な外交関係」の存在理解できないという致命的な欠陥を歴代王朝は持っていたが、それと同程度の話。

官の腐敗を止められないのも、村落共同体が武装していて警察力がその中に及ばないのも、私的所有権政府によってたびたび脅かされるのも、すべて歴代王朝にも見られる特徴で、何一つ変わってない。

あえて言えば鄧小平が生きている時代泰山に登って封禅ぐらいはやっとくべきだったかもしれない。

まり中国政府が今本当にやるべきこととは(過去の栄光などまったく関係なく)、歴史上一度も成功したことのない難事に挑むということである

Permalink |記事への反応(1) | 03:17

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