
はてなキーワード:身分差別とは
これら三つのイシューは、昨今の政治的議論においてなんとなくセットで語られがちだ。しかし多くの国民にとってこれらは必ずしも明日の食(じき)に関わるような喫緊の課題ではない。にもかかわらず「リベラル」勢力はこれらを踏み絵のごとく掲げ、党派的な対立を煽るための棍棒として利用している。
私自身は、個々の是非を問われれば「同性婚」と「夫婦別姓」には賛成の立場だ。 それは人権派のような熱情からではない。「そうしたい人々がいるにもかかわらず、それを断固として阻む合理的な理由が存在しない」というだけ。
もちろん現行法制下でも、パートナーシップ制度や養子縁組、あるいは通称使用の拡大といった運用上の工夫である程度の不便は解消できるだろう。
しかし、制度設計というものはシンプルであればあるほど良い。弥縫策を重ねて複雑化させるよりも、根本のボトルネックを取り除くほうが社会的コストは低くなる。
「伝統的な家族観が壊れる」みたいな情緒的な反論も聞こえるが、すでに日本社会は個人主義をベースとしたプロトコルで回っている。いまさら苗字や戸籍の表記を死守したところで、失われた共同体が戻ってくるわけではない。
ただし「制度はできるだけシンプルであるべし」という論理を貫くならば、同性婚の実現には憲法改正が最も誠実かつ正当な手段となる。「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し」とある憲法24条の壁を直視せず、解釈改憲で済ませようとするのは法の支配に対する冒涜だ。
彼らが本当にマイノリティの権利を重視するのであれば、そして憲法の条文でなく立憲主義そのものを大切に思うなら、堂々と改憲を主張すべきである。
さて、これらと同列に語られがちな「女系天皇」については、断じて容認できない。前者の二つとは次元が全く異なるからだ。
そもそも天皇制とは、血統という純然たる「身分差別」の上に成り立つ、前近代的なシステムである。好き嫌い抜きにしてそれは厳然たる事実だ。そこに近代的な「男女平等」や「個人の自由」といった概念を持ち込もうとすること自体が、致命的なカテゴリーエラーなのだ。リベラルを自認する人々が、天皇という特権的身分に対して「女性もなれるようにすべきだ」と主張するのは、自己矛盾も甚だしい。「平等」を旨とするなら、制度そのものの廃止を訴えるのが筋だろう。
万世一系という男系継承のルールの墨守こそが、天皇を「政治権力」ではなく「権威」たらしめてきた核心である。そのルールを現代的なポピュリズムに合わせて緩和・変更することは、天皇を単なる「世俗の元首」へと変質させ、最終的には政治闘争の渦中へと引きずり込む愚行に他ならない。 まがい物として存続させるくらいなら、いっそ無くしてしまったほうがマシである。
おそらく「女系天皇」を唱える者たちの中には、この「変質」こそを狙い、サラミ戦術の一枚目として利用している確信犯もいるのだろうが。
同意できない部分も多いが、世間では絶賛だらけで批判すること自体が憚られる雰囲気があり、いい機会なので個人的な違和感を列挙してみる。
第1に、歴史の再現性が低すぎる。現代の視点で過去を編集することは宿命的に避けられない問題だが、今回の朝ドラは現代のフェミニスト女性が過去に転生した、みたいな内容に露骨になっている。同じ女性差別的な言動への反応でも、1950年代と現代とでは全く同じはずがないが、そもそも違いについての興味関心は乏しいようである。歴史をあくまで自分の関心と主張を表現するための素材としか扱っていないように感じる。
第2に、時代背景を軽視している。戦後であれば、ジェンダーよりも貧困や身分差別、安保問題などが圧倒的に大きな問題だった。特に「共産主義の脅威」に体制側が真剣に怯え、「第三次世界大戦」の可能性がリアルだった時代である。ジェンダーは相対的に小さな問題にならざるを得ないことは、当時のフェミニストにとっても前提にしなければならなかった時代的制約だが、ドラマでは当時からジェンダー差別が社会の大問題であるかのような扱いになっているようだ。
第3に、これは朝ドラに限らず、ターゲット視聴者層として若い世代の女性以外を切り捨てている日本のドラマ全般の問題だが、男性のキャラクター造形がとにかく浅くて表面的に感じる。全体的に癖のない清潔感のある人間ばかりで、特に主人公の相手役になるほど性格が無色透明化する傾向が強くなるので、今ひとつ物語に感情移入できなくなってしまう。
https://anond.hatelabo.jp/20230806114145
についた反応について大まかに返信。返信は本投稿で終わりにします。
id:Tmr1984 下請けとの身分差別が無くなったらそれこそ職場のストレス増して転職して外資に流れてしまうのでJTCに身分差別は必須です。
https://anond.hatelabo.jp/20230807085915
私は昔、工事監理の部署に居た事があって、協力会社(下請け会社)の人達の工事進捗を監理したりした。
その時の人達と働いた時は、意思疎通が取れやすい人も取れにくい人もいるし、
取りにくいと思っていたけど、自身の伝え方を変える(仕様書を細かく作ったり、安全上絶対守って欲しい事を守らせる為、順守事項を絞る等)ことで、
相手に伝わって業務が進んだことは複数あった。逆に私が勘違いしていた所を教えてもらって、助けてもらった事も複数あった。
逆に、下請けではない発注側の同僚が、周囲の話を全く聞かなくて勘違いしたまま工事を進めたことで施工間違いがあって、
そのことを上司に指摘されて逆切れしてる場面に出くわしたこともある。
増田が「下請けの人達が無能で病んだ」という場面が具体的にどんな場面だったのかよく分からないけど、
私個人の体験は「立場の問題ではなく、自分が業務を遂行するにあたって支障をきたす人はどこにでもいる」という感想。
一方で、増田のように、職務上の相手とのやり取りに病んでしまうなら、病む前に自身が悩む相手と一線を引く事は確かに大事だと思う。
「困った人の困りごとについて愚痴を言うことと、その人の属性を差別することをごっちゃにして正当化することは違うよ。」という意味。
id:brightsoda “自身の悪阻の辛さへの八つ当たり先に下請けの人を” その人が原因で吐いてるんでしょう 腋臭の人のせいで気分悪くなるのも八つ当たりか? 下請けの人も腋臭の人も落ち度ないのは一緒よ そして元増田はいじめ
そうだよ。下請けの人も腋臭の人も落ち度ないのは一緒よ。気分が悪くなる事が八つ当たりなのではないよ。
でも、だからといって「下請けの人が自分にとって不快な奴なら来ないで欲しい」って要求が正当化されるか、といったら違うでしょ。
「職場にいる人が自分にとって気持ち悪い人で苦手だけど、そういう人もいるのも職場だしなあ、でもストレスたまるなあ」と思いつつ、仕方ない事は分かりながら愚痴を言う人と、
自分と違う島で同じ業務を行う訳でもない下請けの人が入ってくる条件に、自分に取って不快な見た目や清潔感等、業務の差し障りに直結まではしない事項を
「下請け入れる時はこれをマストにしてほしい……」と要求する人では意味合いが異なると思う。
id:frothmouth同意します。こういう人がいると増田も捨てたもんじゃないな、って思う/同時に、同じ内容を男が書いても反発されるだけだろうな、という絶望感もある
id:frothmouthさん、私もこの内容を性別伏せて、自身が悪阻経験があるという事実を伏せたうえでこの内容を書いたら、
反発があっただろうな、という悲しい諦めがあり、自身の性別と悪阻経験について記載しました。
それでも「ザ男の書いた文章」等、主張の中身ではなく、文章から見える性別の印象をコメするずれた人とか現れて、さもありなんです。
でも、本来は、私が増田で主張している内容って話し手の性別は関係ない話なんですよね。
差別って、人類が社会性を持つ動物である以上無くならないんだろうな、と自身の差別性にも嫌気がさしながら思いますが、
差別を無くす事は困難だけど、諦めずに自分のスタンス・あり方を内省、反省し続ける事くらいが、いま私個人に出来る事なのかなと思っています。
id:kuzudokuzu そうタンカ切るってことは、今後自分も誰かの心境のために「ごっちゃにする」のを自分から封じることだぞ。つまり、「他人に呪いを振りまく代償に、自分にも呪いをかける」もんだ。誰か一緒に死んでほしいタイプ?
あなたが仰っている意味、「差別は良くない等、厳密に分別をつけるよう主張することは、自分自身の首を絞める事になる」という意味合いで合ってる?
(意味違ったら教え直してくれると助かる)
私は、今の私も、自身も自覚すら出来ていない色んな差別心がある未熟者だけど、
色々失敗したり、相手を傷つけながら、「それは差別だから、考え方変えないといけないな」って思って変わった部分、幼い頃から数えれば沢山あるよ。
id:kuzudokuzuさんだって年を取るにつれて、色んな考え方が変わってきたことはあったでしょう?
自身の差別心について誤って取り扱ってしまう事が発生してしまうことは、半ば仕方ない事でありつつ、
諦めはせず、分別をつける事を考え続ければいいし、
それは、失敗しても、多少の自己嫌悪と軌道修正を行うだけで、「呪いをかける」と表現される程の事ではないと思ってる。
そんなに悲観的に捉えなくても、「自身の加害性を減らせればいいな」って前向きに捉えてもいいんじゃない?
id:kishimoto0050 後半に書かれているような若くて優秀な君こそ自分たちの仲間に相応しいしJTCに来てほしいみたいな別種の差別意識丸出しで人を集めているから結局下請けをバカにするような空気が出来上がっているのではと思いました
私の以下の文章
確かに私もこの文脈で「優秀な人材」という言葉を使うのは、一種の選民思想用語なので、反省する必要がある。
私の選民意識が芽生えてしまった箇所は、該当増田(https://anond.hatelabo.jp/20210516174729)の
非正規雇用には「正社員に挨拶すること」を義務付けておき、正社員は一切その挨拶を無視する。ヤバすぎる。
私はピュアガールなので社員に「なんで今無視したんですか?」って聞いたけど、社員が「なんでだろう…考えたこともなかった。」って言ったのでドン引きした。
という行動、考え方を見て。一緒に働く人が「下請けの人を差別して良いとナチュラルに正当化する」人ばかりだと、職場の空気が良くなくなるので、
該当増田が上記のような違和感を持ってる部分は、私は得難い部分に感じられて、「優秀」と書いてしまった。
id:kishimoto0050さんが心配する"下請けをバカにするような空気が出来上がっている"とは真逆ではあるけれど、
これはこれで私の選民意識そのものであるから、そのような人は素敵だなと個人的に思うに留めて、それを第三者に言って加害しないように気を付けようと思う。
一応言っておくと、id:kishimoto0050さんが"若くて"と私が言っていない新たな言葉を足しているけど、
私は売り手市場時期の世代なんだけど、正規雇用だけどポンコツな私より、
非正規雇用だけど私よりずっと仕事ができる就職氷河期世代の人々を沢山見てきた。
私自身が学歴や面接だけ受けが良いポンコツだったから、マイケルサンデルの「実力に見えるものは全て運」という説は納得するし、くじ引きで採用面接しても変わらない気がしている。
だからこそ、下請け差別は良くないでしょ、って気持ちが私は高いのかもしれない。
私は採用においてどうであるべきかを考える立場ではないので、これ以上は意見を控える。
id:hilda_i それはそうだけど、自分が苦しみの渦中にいるときに、他人のことまで気遣えるっていうのはなかなか出来ることではないわ。結局人は正しくてわきまえている弱者しか救いたくないっていうのが、真実だとは思うけど。
確かに、世の中には、自分がまともに相手したら病んでしまう加害性の高い人もいると思う。
医療関係者の人の愚痴を聞くと、正直「まともな対応するだけ無駄じゃん・・・」と思う話が多い。
だからこそ、気遣う余裕が無い状況は沢山ある中で、後から振り返って「自分気遣えなかったな。」って思うだけでも大事だと思う。
そして、「人は正しくてわきまえている弱者しか救いたくない」んなら、
尚更、鼻炎の下請けの人は来ないで欲しいと要求するのではなく、
「悪阻で色々過敏になっていて、多少休憩が増えるかもしれない」等の相談をする方が、
悪阻という弱者性に理解を得られやすくなって、妊婦当事者の辛さも理解されやすくなると思う。
(id:hilda_iさんが想定していた弱者は「下請けの人」なのかなと思いましたが、逆も然りで、両方、気遣いが大事な事は変わらない、
元増田のブクマコメントやトラバに最初から釣り指摘が並んでいてくれたら、私も特に釣られようと思っていなかった。
もし本当に下請けのおじさんが気持ち悪ければ、下請けとして入ってこない事を要求して良い、という空気が普通とされるなら、
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/byline/kutsunasatoshi/20220806-00308961
"オミクロン初期型がハードヒットした韓国と何故かうまいことそれをすり抜けた本朝で感染者数の増加傾向がほぼ全く一緒なのが、現象としてすげー気にはなっている"
"感染者が少ないと「マスクのおかげ」、感染者が増えると「マスクにも効果がある」"
"屋内については効果がありそうという話をしながら屋外について何も書かないのは不誠実。"
"現時点で日本の感染者1390万人、アメリカ9190万人だから、1/3くらいにする効果あるんだよなあ。"
"体感的には、BA5に文字通りの空気感染(≠エアロゾル感染)並の感染力を感じている。マスクにも相応の感染抑制効果はあると思うが。もはや就業制限含む行動制限のベネフィットがコストを下回っていると思う。"
" 最も避けるべき事が患者の急増であるなら、感染力が強いBA5になる前にBA2の段階で防止策を緩めて、感染者を緩やかに増やすのが正解だったのだろうか。"
"重要な概念が二つ抜けてる。①「集団免疫」…感染による免疫獲得者が増えたことは、この語で説明できる。②「累積死者数」…米国は現時点の感染者数は減っても、累積死者数が多大。集団免疫成立までに払う犠牲の量。"
"世間の多くはもうマスクしてるふうでしかないから、つけてるうちに入んないでしょ"
"マスクつけてても移るんだから外したらより確率が上がるだろうがよ"
"てことは、強い症状が出る型が次にくるかもしれないので、今のうちに感染しといたほうが良い?"
"パチンコや風俗や旅行など特定の趣味の人をバッシングしたり職域接種などという謎の身分差別が横行していた昨年に比べたら現状のほうがずっとまともなのでは
"くそ暑い真夏に「外でだけ」マスクをつけるアホ慣習。そして飲食の室内ではもはや普通に飲み会されてる"
"マスクをしてるからこの程度の感染者数で抑えられている、という考え方"
"「日本以外は感染者数の把握に重きを置かなくなった」か「日本以外は集団免疫を獲得している」これどっちなんだろ"
"そもそも前提が間違ってて、みんなそんなにマスクしてなくない?"
"自分がどうするかでしょ。"
"日本だけマスクの付け方がおかしいという事はあり得ない もしそうなら、これまでのコロナも日本の感染者がトップになるはず そもそもの原因は別にあるはず"
"自己判断なんかできないんだから一生マスクつけとけって言う以外ない"
"第七波に入る前からマスク付けてない人が急に増えたり飲み会増えたりとかも感じてない"
"なぜマスクにそこまでこだわるのか"
"重症化しやすい強毒コロナには(他の先進国に比べ)あまり感染せず、弱毒化されたBA.5に感染しまくる日本人って"
"韓国はオミの感染者が一時50万越えして免疫は相当広がったはずがまた拡大している。日本の事例でマスクとワクチンは効果なしと何故言えない。"
週末の話だが、外出中急に糞意が襲ってきた。
慌ててトイレを探したものの、2つ続けてGENTLEMANと書かれたトイレだった。
GENTLEMANで無い私は入ることを許されなかった。
私は卑しい人間だ。
高校卒業後上京し、平均年収にも及ばないが何とか人生を歩んでいる。
そんな私でも人として最低限の尊厳は持って生きてきたつもりだ。
仮に漏らすような事があれば、やっぱりあいつは卑しい人間だ、と笑われるだろう。
嘘偽りの心を持ち、GENTLEMANであると周りを欺くほうがよっぽど卑しいと思ったからだ。
どんなに厳しい状況でも決して心まで卑しくなってはならない。
そう強く心に誓って、次のトイレを探しに私は歩き始めた。
するとやがて、身分や性別に囚われず誰もが自由に利用可能なトイレに辿り着く事ができた。間一髪だった。
あと少し遅れていたら、恐らく下着から大便が漏れてしまっていただろう。辿った道は汚すぎる軌跡となる。
男オタクは自分たちはキモいものだという視線を内面化してるだけだよ。
「キモい」は「オタク」の枕詞じゃん。令和になっても「キモオタ」みたいに言われること多いじゃん。
男オタクは「キモい」と言われることに慣れているだけ。自分たちが「キモい」と思われていることを知っていて、諦めているだけ。諦めているから向上の努力をしようとしないだけ。
「三次元の女より紙とJPEGの女」ってのも、言ってるやつの8~9割は酸っぱい葡萄だから。どうせこんな容姿だから無理だよ……っていうのが骨の髄まで染み込んでいる。
で、全体的にファッションセンスが壊滅的なので、っていうか女よりファッションに興味がない男の中でも特にファッションセンスがない連中を選りすぐったのが男オタクなので、オタク同士で外見で貶し合いっていうのは基本的に発生しない。
(っていうか、そもそも論として、よほどのことがない限り男同士で外見や服装を品評することはないよな……これはオタクに限らずそうでしょ。そもそも服装に対するジェンダーの差があると思うなぁ。男は服装について色々考えることが嫌いなのです。もちろん先天的というよりは後天的な文化的刷り込みだと思うけどね)
それでもって複雑なのは、単に見た目を整える能力が欠如しているから見た目がキモいんじゃなくて、あまりにキモいキモいと言われ続けたせいで「見た目がキモい」ことがなんというか男オタクの自画像になっちゃってる感があるということだ。
昔、よく戯画化されたオタクで、チェックシャツにバンダナ、みたいなのがあったよね。今から思えば差別的な目線だけど、でも、あれが「オタク」であり、俺たちはああいう存在なんだ、っていうアイデンティティはあるよね。
ニコニコ動画でアニメとか見てるとさ、そういうテンプレ的なオタクの服装したやつがモブで出てくると、「俺らじゃん」「お前らwww」みたいなコメントが飛び交うし、自分がオタクを自称して「俺らオタクはさ~」っていうときに、そこで思い描いてる「俺ら」ってのはパリッとしたスーツを着こなしたイケメンじゃなくてチェックシャツのバンダナ眼鏡だと思うのよ。
イギリス人にとってのブリタニアとかフランス人にとってのマリアンヌが、俺らにとっての「デュフフwww」とか言っちゃうチェックシャツのキモオタなんだよな(実際にはもう秋葉原でもチェックシャツとか着てないやつの方が多数派だけど、まあ多くの日本人も日常生活で着物着てるわけじゃないし……)
なので、多くの男オタクは、外見がキモいと思われることに(他の趣味を持っている男たちと比べると)頓着しない傾向がある。でもそれは容姿の品評から解放されているからじゃない。まったく逆だ。容姿の品評会で敗者であることを自覚し、それに甘んじているからだ。容姿の品評会で敗者であることが自己認識の一部になっているからだ。
男オタクにとっては、オタク趣味全体が他の男たちや女たちから「あのジャンルってキモい男が推しがちだよねw」って言われる対象だったわけで。
逆にその「キモいジャンル」の内部、つまりオタク趣味の内部ではそんなに服装の縛りはきつくないんだけど、賤民のあいだでは平等な関係であることを身分差別から解放されてるって言われても困る。
余談。俺のこれまでの経験からすると、オタク趣味に走る男の外見、他の趣味に比べて明らかに一歩劣るよね。原因なのか結果なのか偶然なのか観測範囲の偏りなのか俺の思い込みに過ぎないのかは知らんけど。
原因っていうのは、つまりオタク趣味というのはスポーツや吹奏楽とかとは違う周縁的な趣味であって、いじめられっ子の駆け込み寺のような役割を果たしている場合もあったからだ。「外見がキモい」がいじめのトリガーの1つになることは多いので、駆け込み寺に駆け込んでくるやつらの外見が駆け込む必要のなかったやつらより平均的に劣ってるのは十分ありえる。
結果っていうのは、オタク趣味って運動不足で不健康になりやすいのと、他の趣味と違ってファッションに対する意識があまりにも低いので、結果としてそういう界隈にいるやつらの外見はフットサルやってますとかそういう連中に比べて劣るものになりがちだろう。
でも実際、オタクと非オタクのあいだでの容姿の差ってどのくらい統計的に立証できるんだろうね。倫理的にアレだから真面目に研究することは難しそうだけど……