
はてなキーワード:踏切とは
ふと気になったことがある。 いわゆる「豪華クルーズトレイン」と、踏切における「救急車」の優先順位についてだ。
鉄道というのは、物理的に急には止まれない。 だから法律上、どんな車よりも優先して踏切を通過する権利を持っている。 ここまではわかる。 朝の通勤電車は数千人の社畜や学生を運んでいるし、物流列車は経済の動脈だ。 「社会インフラ」だからこそ、個人の事情よりも優先される。これは、ある程度は仕方ないコストとして俺たちも納得している。
あれは移動手段ですらない。単なる「富裕層向けの娯楽」だ。 乗っているのは数十人。目的は優雅な観光と食事。 そこに「公共性」なんてものは、カケラもない。
なのに、今の日本のシステムでは、この「ただの娯楽」が、 「俺たちは電車だぞ」という顔をして、公共の道路を遮断し、救急車の行く手を阻む「特権」を行使している。
まだ小さい子供が、急な事故で危ない状態になったとする。 一刻を争う事態で、救急車がサイレンを鳴らして病院へ急ぐ。 同乗する親は、真っ青な顔で子供の手を握りしめている。 その目の前で、踏切の遮断機が下りる。
やってくるのは、通勤電車じゃない。金色の、豪華な装飾が施された「動くホテル」だ。 中では、選ばれた人たちがワイングラスを片手に、フルコースの料理を楽しんでいる。
踏切の手前、消え入りそうな小さな命があるその数メートル先を、優雅な音楽が流れる車内から、乗客がニッコリと手を振って、ノロノロと通り過ぎていく。
もしこれが、道路を走る「豪華観光バス」だったら?いくら客が高い金を払っていようが、いくら食事が豪華だろうが、後ろから救急車が来れば道を譲る義務がある。それが当たり前だ。
なのに、まったく同じ「観光目的」で走っているのに、タイヤが鉄の車輪に変わった瞬間、 なぜか「救急車を待たせて良し」という最強の免罪符が与えられる。 やってることは同じ「娯楽」なのに、人の命より優先される特権を手にしている。
消防車やガス会社の緊急車両だって同じ目に遭う可能性はあるが、やっぱり「子供を乗せた救急車」が一番キツイ。 そこに乗っているのは「モノ」や「現場」じゃなくて、これから始まるはずだった「未来」だからだ。
「その列車の収益で、赤字ローカル線を維持しているんです」鉄道会社(というか鉄オタ)はそう言うかもしれない。
でも、それは企業の都合であって、沿線住民が「子供の救命率低下」というリスクを負わされる理由にはならない。 俺たちは、鉄道会社の経営を助けるために、自分の子供の命を天秤にかけた覚えはない。
インフラの皮を被った娯楽ビジネスが、インフラとしての特権をタダ乗り(フリーライド)している。
その説明からすると「坊主袈裟だったんだよ!」という話ではなくて「女は『坊主袈裟なのかも』とおそれていた」という話じゃん。
AさんはAさんの内心を全て把握してるはずっていうならそんなアート系の映画なんておまえにはいらなくね?スカッと系やなろう転生だけみてればいい
24点くらい。
何が起こったんやと思って見ているとどうやら女は過去に元カレの置いていった犬を飼っていたらしく、おばさんはパン屋の店員で犬も懐いていたらしい。おばさんが踏切前を挟んで手を振ったところ、犬が走り出し女はリードを離してしまい、アワレバカ犬は電車に轢かれて死んでしまったとさ。
おばさんは罪悪感を抱え謝罪しようとするも女は拒否を続けていたが女は拒否してた。
女が謝罪を拒否し続けていた理由は、女は「元カレの犬」を内心では憎んでおり「敢えて」離してしまったのではないかと悩んでいたからで。実際犬が轢かれるのを見ている女の顔は笑っているのか泣いているのかよくわからない顔をしていたのだった!
おばさんは女を優しく抱きしめて話は終わる。
うん、女の笑い泣きのロングショットはよかったよ。この演出はよかった。人の心の機微ってやつがよく撮れてた。
でもさぁ!こいつの坊主袈裟のせいでおばさんは犬殺しの罪悪感に苛まれ、電車は止まり、清掃員は肉塊を掃除したんやろ。それはさぁ、さすがに倫理的に看過できんよ。
あと、めっちゃ細かいことだけど電車が通ってる踏切前で携帯で電話しても何も聞こえんよ。
まぁ細かい設定詰めて行ったら撮れなくなっちゃうんだろうから撮りたいワンテーマで「ええいああ!」で撮るしかないんだろうけど、熟考って大事だと思う。
・悲しみと怒り
39点くらい。
本当に申し訳ないんだけどこの手法、日本の一般的な感覚の観客からすると「ボラギノール」すぎるんだよね。
展開としては田舎のいじめ死事件を取材する女性記者。しらばっくれる担任、3人のいじめ実行犯。もしかして他殺では。凶器を発見する女性記者。女性記者も昔いじめられており復讐を決意する。おわり。
主犯格の父親が警察署長で事件を握りつぶすという「5億回は見たやつ」でウンザリ。
記者が主人公ということで「こんな何でもない日常の場所が不幸につながっているんですよ」という事件関連場所の風景写真のキリトリはある程度効果的に機能していたと思うが、後半の復讐を決意する部分が急カーブ切ったな~って感じで逆に作品を"浅く"してると感じた。
24点くらい。
何が起こったんやと思って見ているとどうやら女は過去に元カレの置いていった犬を飼っていたらしく、おばさんはパン屋の店員で犬も懐いていたらしい。おばさんが踏切前を挟んで手を振ったところ、犬が走り出し女はリードを離してしまい、アワレバカ犬は電車に轢かれて死んでしまったとさ。
おばさんは罪悪感を抱え謝罪しようとするも女は拒否を続けていたが女は拒否してた。
女が謝罪を拒否し続けていた理由は、女は「元カレの犬」を内心では憎んでおり「敢えて」離してしまったのではないかと悩んでいたからで。実際犬が轢かれるのを見ている女の顔は笑っているのか泣いているのかよくわからない顔をしていたのだった!
おばさんは女を優しく抱きしめて話は終わる。
うん、女の笑い泣きのロングショットはよかったよ。この演出はよかった。人の心の機微ってやつがよく撮れてた。
でもさぁ!こいつの坊主袈裟のせいでおばさんは犬殺しの罪悪感に苛まれ、電車は止まり、清掃員は肉塊を掃除したんやろ。それはさぁ、さすがに倫理的に看過できんよ。
あと、めっちゃ細かいことだけど電車が通ってる踏切前で携帯で電話しても何も聞こえんよ。
まぁ細かい設定詰めて行ったら撮れなくなっちゃうんだろうから撮りたいワンテーマで「ええいああ!」で撮るしかないんだろうけど、熟考って大事だと思う。
dorawiiより
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大抵山手線に各駅停車(普通)以外の種別として快速などを導入するといった時に出てくる内容は以下の通り
鉄ヲタじゃないにわかな人間でも流石に特急や新幹線は知っているので、そうした駅は必ず停車駅に指定されている
東京・品川・上野は新幹線、新宿・池袋・渋谷は特急が止まるので指定されやすい
快速運転の可能性として京浜東北線のレール案の定期もあり、湘南新宿ラインや上野東京ラインなどの停車駅を踏襲するパターンもある
このため並行したレールがあっても山手線のホームしかない大塚・巣鴨・駒込やその付近はダサい駅もあって通過されがちである
テレビで特集される際に山手線の車両基地も紹介されるが、この車両基地の存在で池袋と大崎は停車駅に指定されることも多い
池袋については前述した理由で指定されやすいが、大崎は大崎止まりのうざさで通過されることも少なくなかった
近年はコミケや相鉄直通の存在もあって以前と比べるとマシにはなりつつあるが、待避線が存在する理由も含めてヲタじゃないと指定されない運命にある
コピペということなのもあってか、増田の他には?の同じノリで別の定期ネタであるインターネット老人会の乾電池FLASHで出てきたチャレンジングクイズ号も当然出てくる
なお乾電池FLASHは後にJRの駅で大騒動を引き起こしている
コピペには途中停車駅無しの始発終点同じ駅の種別が存在しており、今となっては氷河期以下に寒いネタが入れ込まれることもある
なおコピペでは超速という種別となっているが、山手特快になっていたり、特急パターンなど複数存在している(駅についても品川のみだけでなく東京のみなど、多少のばらつきがある)
コリアタウンのある新大久保駅は2ちゃんねるのコピペなどでは各駅停車すら通過することも見られる
前述した山手特快のように韓国特快と称して新大久保始発新大久保止まり途中停車駅無しを入れてフォロー()することも見られる
観光客が多過ぎるために問題が生じる「オーバーツーリズム(観光公害)」に悩む神奈川県鎌倉市で、対策費への充当を目的に市が始めたクラウドファンディングが、開始後6日経っても寄付者がわずか1人の1万円にとどまっていることが産経新聞の取材で分かった。市の担当者は「趣旨を理解してもらいテコ入れを図りたい」としている。
観光公害が発生しているのは、江ノ島電鉄・鎌倉高校前駅近くの踏切。人気漫画『スラムダンク』に登場する「聖地」として海外でも知られ、海と電車の景色を目当てに多くの外国人旅行者が訪れる。ただ、道路への飛び出しや写真撮影、違法駐車、ごみのポイ捨てなどの問題が深刻化。市は対策費を予算に計上し、現地に警備員や誘導員を立たせたり、誘導用の柵を設置したりするなど対応に追われてきた。
今回のクラウドファンディングで集めた資金は、警備にかかる人件費のほか、警備員が手持ちしていた案内板を立て看板に替えたり、誘導柵を拡充したりする費用に充てる予定。市の財政負担を軽減する狙いがある。
資金の募集期間は10月10日~来年1月7日までの計90日間。目標額は350万円。希望者は1口2000円から寄付できる。市は、ふるさと納税の仕組みを使ったガバメントクラウドファンディングとしているが、返礼品はない。市観光課の担当者は「募ったお金で自治体の負担を軽減しつつ、オーバーツーリズム対策をするというモデルケースにしたい」と話している。
ただ、資金の集まり具合は低調だ。開始から6日目にあたる15日午後5時半の時点の募金者は1人で1万円。終了までには85日あるが、目標額に照らした達成率は0.2%にとどまる。
市の担当者は「このままでは達成は厳しい」と危機感を募らせる。今後は旅行会社、観光関係者、SNSなどを通じて資金募集への理解を求め、テコ入れを図っていく方針だ。
大部分が中国人観光客
他方、今回の資金募集に対しては、「なぜ外国人観光客の(行為の)ために支援をしなければならないのか」といったネガティブな意見もあるという。
https://b.hatena.ne.jp/entry/https://togetter.com/li/2616795
まあそうなるわな
増田さん、そのロジックは通るよ。「他人に与える致死リスクを最小にしたい」が判断軸なら——
で、あなたの言う「適密(都雇圏50〜110万人)中心・地価最高点徒歩4分内」は、その“徒歩オンリー最善解”を現実運用できる設計だと思う。
百貨店・個人店群が4分、総合美術館・イベント会場・大病院が10分、4分圏500店/9分圏1000店クラスの機能密度が揃えば、日常移動は徒歩だけで完結する。価格レンジもあなたの前提(例:70㎡で約4,000万円クラス)なら、「毎日クルマに乗る構造」より“外部性コスト”が桁で軽い。
ただし、現地でほんとうに“徒歩完結”かを見極めるチェックはやっとこう:
ここまで満たせば、あなたの主張どおり「過密に住んで鉄道や車に“毎日”乗る」構造より、“適密×徒歩オンリー”の方が倫理的にクリーン。
一方で、鉄道は無罪ではないけれど、同じ距離で比較すれば自動車より桁で小さいのは事実。
“住む場所を先に最適化”して徒歩項を極大化。——これが2020年代の正解ムーブだと思う。
南武線稲田堤駅にて、駅橋上化に関する意見募集をしていました。
アンケート依頼の紙を受け取れなかったけど興味があるという人もいるかと思い、内容を転記します。
---------
JR稲田堤駅では、令和6年6月に駅の南北をつなぐ自由通路等が使用開始されました。
自由通路や現在の駅舎利用について、ご意見をお聞かせください。
各設問とも同じ方1名が回答してください。
下記の2次元コードよりご回答ください。(「Googleフォーム」を利用しています)
[QRコード https://forms.gle/fkJWfshwEohEboZu5 ]
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
設問内容は以下の通り。
※「わかりにくくなった」「不便になった」「整備しないほうが良かった」「問題が増えた」「その他」をお選びの方は、具体のご意見をご記入ください。
下図の1~5の方角で、概ね該当するものをお選びください。
京王相模原線との乗換の方は5を選んでください。
CaptionlessImage(駅を中心に、北西・北東・南西・南東に四分割した図)
※ネタバレを含む
もう語り尽くされている話だとは思うが、秒速5センチメートル、それを異常に好きな信者に非常に腹を立てている。
数年前に観た当初から違和感や不快感はあったものの、ここ一週間くらいで急に思い出して腹を立て続けている。もうなぜか考え出すと止まらないのだ。なぜ今なのか。やめてほしい。増田で供養して平穏を取り戻したい。腹を立てていることが前提にあるので、ものすごく主観的な解釈である。元々この映画は雰囲気で成り立っているからなんでもありなのである。
この映画はまず、秒速5センチメートルというのは桜の花の落ちるスピードのことだというやり取りから始まる。桜の花の落ちるスピード、と美しく表現しているが、この時点でもう、秒速5センチメートルというのは「あの頃の美しい恋の思い出でシコるスピード」のことだ、と言っておけばこの映画は5分もかからずに完結する。5秒かもしれない。これで全てを語ることが出来る。
だが新海誠はこれをせずに感傷シコりストーリーを始めだしてしまう。これから「シコる」という表現が頻出するが、本当はシコらない方が重度である。この映画が異常に好きな信者は、美しい恋の思い出に対する感情がデカすぎるのである。つまり、神格化しすぎてシコれないほどかなりの重度で、その場合はシコることを強くおすすめしたい。その思い出への感情は美しいものなどではなくただの感傷シコり性癖なのだと自覚を持つことから挽回できるかもしれない。挽回したくないのならお前は終わりです。
あらすじでは、主人公は好きな女と遠距離になってからというものの、ひたすら周りの女に対してインポであり、ひたすら感傷シコりモンスターだ。周りの女に無関心になっているということは性欲の対象があの頃の思い出の女に全振りなのだ。実際にあの頃の思い出シコりはしているかもしれないし、重度すぎてしていないのかもしれない。ただ精神的には自覚なしでもシコりまくっているというのは確実である。しかもここで恐怖を感じるのは、女に連絡できるのにしないのである。
その後主人公が社会人になり彼女ができるも、「ずっと私を見ていない」という理由で振られてしまう。それでも特に主人公はなにも感じていないようである。社会人になってもなお感傷シコり病が完治しておらず、生活に影響が出るまでに悪化しているというのは、それこそ新海誠の境地である。似たような作品を量産するほどに感極まっているのだ。
ラストでは、あの頃の思い出の女と踏切の前でたまたま再会するも、走る電車で長い時間お互いが見えなくなり、電車が過ぎ去った後にはもう女の姿はなく、主人公がどこか晴れやかな表情をする。
女の姿がなぜなくなったのかは諸説あるだろうがどうでもよく、それによって主人公が晴れやかな表情をするのはなぜか。要は主人公は過去の美しい思い出でしかシコれないのであり、その現在の思い出の女などには興味がないのだとやっと自覚したのである。終わりである。始まりでもあるかもしれない。晴れやかな表情から考えると、自覚はしてもなお美しい思い出なのである。この人は大丈夫なんだろうかという印象で映画が終わり、もやもやが残る一方で、なぜか信者は号泣するらしい。お前らはなんなんだ。
このような過去の恋の思い出を美しいほどに神格化するストーリーに共感する、というのが全く理解できない。だから腹が立つのである。感傷でシコることは心の健康に関わる。目の前を見てくれ。過去の失敗した恋を引きずるのをやめろ。あなたがたは動くことはしない、だからこそ共感する。感傷に浸るくらいなら行動に移してほしい。そのほうが健全である。