
はてなキーワード:足音とは
T字路で、違う道から来た女と行く道が同じだった時
完全にタイミングがバッティングしたので、見るからに俺の方が早足なので先に行こうかなとしたけど
逆に女の方がスピード上げてきて先に行きたそうだったので、俺はスピード落として譲ったのよ
その先の道は狭い歩道で1.5人幅しかない道なのが見えてるけど、このタイミングでやや強引に入ってくるってことはきっと急いでいるんだろうなという気持ちで
でも俺を押しのけて狭い道に入ったとたんにスピード緩めるのな
なにがしたいの?
俺の道を塞ぎたかったみたいなので、ご要望通りに塞がれてあげて、真後ろ30㎝から無駄に足音立ててプレッシャーかけてあげたけど、もしかして夜道の不審者爆誕しちゃいましたか?
二三年前の夏、未だ見たことのない伊香保榛名を見物の目的で出掛けたことがある。ところが、上野驛の改札口を這入つてから、ふとチヨツキのかくしへ手をやると、旅費の全部を入れた革財布がなくなつてゐた。改札口の混雜に紛れて何處かの「街の紳士」の手すさみに拔取られたものらしい。もう二度と出直す勇氣がなくなつてそれつきりそのまゝになつてしまつた。財布を取つた方も内容が期待を裏切つて失望したであらうから、結局此の伊香保行の企ては二人の人間を失望させるだけの結果に終つた譯である。
此頃少し身體の工合が惡いので二三日保養のために何處か温泉にでも出掛けようといふ、その目的地に此の因縁つきの伊香保が選ばれることになつた。十月十四日土曜午前十一時上野發に乘つたが、今度は掏摸すりの厄介にはならなくて濟んだし、汽車の中は思ひの外に空いて居たし、それに天氣も珍らしい好晴であつたが、慾を云へば武藏野の秋を十二分に觀賞する爲には未だ少し時候が早過ぎて、稻田と桑畑との市松模樣の單調を破るやうな樹林の色彩が乏しかつた。
途中の淋しい小驛の何處にでも、同じやうな乘合自動車のアルミニウム・ペイントが輝いて居た。昔はかういふ驛には附きものであつたあのヨボ/\の老車夫の後姿にまつはる淡い感傷はもう今では味はゝれないものになつてしまつたのである。
或る小驛で停り合はせた荷物列車の一臺には生きた豚が滿載されて居た。車内が上下二段に仕切られたその上下に、生きてゐる肥つた白い豚がぎつしり詰まつてゐる。中には可愛い眼で此方を覗いてゐるのもある。宅の白猫の顏に少し似てゐるが、あの喇叭のやうな恰好をして、さうして禿頭のやうな色彩を帶びた鼻面はセンシユアルでシユワイニツシである。此等の豚どもはみんな殺されに行く途中なのであらう。
進行中の汽車道から三町位はなれた工場の高い煙突の煙が大體東へ靡いて居るのに、すぐ近くの工場の低い煙突の煙が南へ流れて居るのに氣がついた。汽車が突進して居る爲に其の周圍に逆行氣流が起る、その影響かと思つて見たがそれにしても少し腑に落ちない。此れから行先にまだいくらも同じやうな煙突の一對があるだらうからもう少し詳しく觀察してやらうと思つて注意してゐたが、たうとう見付からずに澁川へ着いてしまつた。いくらでも代はりのありさうなものが實は此の世の中には存外ないのである。さうして、ありさうもないものが時々あるのも此の世の中である。
澁川驛前にはバスと電車が伊香保行の客を待つてゐる。大多數の客はバスを選ぶやうである。電車の運轉手は、しきりにベルを踏み鳴らしながら、併しわり合にのんきさうな顏をしてバスに押し込む遊山客の群を眺めて居たのである。疾とうの昔から敗者の運命に超越してしまつたのであらう。自分も同行Sも結局矢張りバスのもつ近代味の誘惑に牽き付けられてバスを選んだ。存外すいて居る車に乘込んだが、すぐあとから小團體がやつて來て完全に車内の空間を充填してしまつた。酒の香がたゞよつて居た。
道傍の崖に輕石の層が見える。淺間山麓一面を埋めて居るとよく似た豌豆大の粒の集積したものである。淺間のが此邊迄も降つたとは思はれない。何萬年も昔に榛名火山自身の噴出したものかも知れない。それとも隣りの赤城山の噴出物のお裾分けかも知れない。
前日に伊香保通のM君に聞いたところでは宿屋はKKの別館が靜かでいゝだらうといふことであつた。でも、うつかりいきなり行つたのでは斷られはしないかと聞いたら、そんなことはないといふ話であつた。それで、バスを降りてから二人で一つづゝカバンを提げて、すぐそこの別館の戸口迄歩いて行つた。館内は森閑として玄關には人氣がない。しばらくして内から年取つた番頭らしいのが出て來たが、別に這入れとも云はず突立つたまゝで不思議さうに吾々二人を見下ろしてゐる。此れはいけないと思つたが、何處か部屋はありませうかと聞かない譯にも行かなかつた。すると、多分番頭と思はれる五十恰好のその人は、恰度例へば何處かの役所の極めて親切な門衞のやうな態度で「前からの御申込でなければとてもとても……」と云つて、突然に乘込んで來ることの迂闊さを吾々に教へて呉れるのであつた。向うの階段の下では手拭を冠つて尻端折つて箒を持つた女中が三人、姦の字の形に寄合つて吾々二人の顏を穴のあく程見据えてゐた。
カバンをぶら下げて、悄々しをしをともとのバスの待合所へ歸つて來たら、どういふものか急に東京へそのまゝ引き返したくなつた。此の坂だらけの町を、あるかないか當てにならない宿を求めて歩き※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はるのでは第一折角保養に來た本來の目的に合はない、それよりか寧ろ東京の宅の縁側で咲殘りのカンナでも眺めて欠伸をする方が遙かに有效であらうと思つたのである。併し、歸ることは歸るとしても兎も角も其處らを少し歩いてから歸つても遲くはないだらうとSがいふので、厄介な荷物を一時バスの待合所へ預けておいてぶら/\と坂道を上つて行つた。
宿屋が滿員の場合には入口に「滿員」の札でも出しておいたら便利であらう。又兎も角も折角其家を目指して遙々遠方から尋ねて來た客を、どうしても收容し切れない場合なら、せめて電話で温泉旅館組合の中の心當りを聞いてやる位の便宜をはかつてやつてはどうか。頼りにして來た客を、假令それがどんな人體であるにしても、尋ねてくるのが始めから間違つてゐるかのやうに取扱ふのは少し可哀相であらう。さうする位ならば「旅行案内」などの廣告にちやんと其旨を明記しておく方が親切であらう。
こんな敗者の繰言を少し貧血を起しかけた頭の中で繰返しながら狹い坂町を歩いてゐるうちに、思ひの外感じのいゝ新らしいM旅館別館の三階に、思ひもかけなかつた程に見晴らしの好い一室があいてゐるのを搜しあてゝ、それで漸く、暗くなりかゝつた機嫌を取直すことが出來たと同時に馴れぬ旅行に疲れた神經と肉體とをゆつくり休めることが出來たのは仕合せであつた。
此室の窓から眼下に見える同じ宿の本館には團體客が續々入込んでゐるやうである。其の本館から下方の山腹にはもう人家が少く、色々の樹林に蔽はれた山腹の斜面が午後の日に照らされて中々美しい。遠く裾野には稻田の黄色い斑の縞模樣が擴がり、其の遙かな向うには名を知らぬ山脈が盛上がつて、其の山腹に刻まれた褶襞の影日向が深い色調で鮮かに畫き出されて居る。反對側の、山の方へ向いた廊下へ出て見ると、此の山腹一面に築き上げ築き重ねた温泉旅館ばかりの集落は世にも不思議な標本的の光景である。昔、ローマ近くのアルバノ地方に遊んだ時に、「即興詩人」で名を知られたゲンツアノ湖畔を通つたことがある。其の湖の一方から見た同じ名の市街の眺めと、此處の眺めとは何處か似た所がある。併し、古い伊太利の彼の田舍町は油繪になり易いが此處のは版畫に適しさうである。數年前に此地に大火があつたさうであるが、成程火災の傳播には可也都合よく出來てゐる。餘程特別な防火設備が必要であらうと思はれる。
一と休みしてから湯元を見に出かけた。此の小市街の横町は水平であるが、本通りは急坂で、それが極めて不規則な階段のメロデイーの二重奏を奏してゐる。宿屋とお土産を賣る店の外には實に何もない町である。山腹温泉街の一つの標本として人文地理學者の研究に値ひするであらう。
階段の上ぼりつめに伊香保神社があつて、そこを右へ曲ると溪流に臨んだ崖道に出る。此の道路にも土産物を賣る店の連鎖が延長して溪流の眺めを杜絶してゐるのである。湯の流れに湯の花がつくやうに、かういふ處の人の流れの道筋にはきまつて此のやうな賣店の行列がきたなく付くのである。一寸珍らしいと思ふのは此道の兩側の色々の樹木に木札がぶら下げてあつて、それに樹の名前が書いてあることである。併し、流石にラテン語の學名は略してある。
崖崩れを石垣で喰ひ止める爲に、金のかゝつた工事がしてある。此れ位の細工で防がれる程度の崩れ方もあるであらうが、此の十倍百倍の大工事でも綺麗に押し流すやうな崩壞が明日にも起らないといふ保證は易者にも學者にも誰にも出來ない。さういふ未來の可能性を考へない間が現世の極樂である。自然の可能性に盲目な點では人間も蟻も大してちがはない。
此邊迄來ると紅葉がもうところ斑に色付いて居る。細い溪流の橋の兩側と云つたやうな處のが特に紅葉が早いらしい。夜中にかうした澤を吹下ろす寒風の影響であらうか。寫眞師がアルバムをひろげながらうるさく撮影をすゝめる。「心中ぢやないから」と云つて斷わる。
湯元迄行つた頃にはもう日が峯の彼方にかくれて、夕空の殘光に照らし出されて雜木林の色彩が實にこまやかに美しい諧調を見せて居た。樹木の幹の色彩がかういふ時には實に美しく見えるものであるが、どういふものか特に樹幹の色を讚美する人は少ないやうである。
此處の湯元から湧き出す湯の量は中々豐富らしい。澤山の旅館の浴槽を充たしてなほ餘りがあると見えて、惜氣もなく道端の小溝に溢れ流れ下つて溪流に注いで居る。或る他の國の或る小温泉では、僅かに一つの浴槽にやつと間に合ふ位の湯が生温るくて、それを熱くする爲に一生涯骨を折つて、やつと死ぬ一年前に成功した人がある。其人が此處を見たときにどんな氣がしたか。有る處にはあり餘つて無い處にはないといふのは、智慧や黄金に限らず、勝景や温泉に限らぬ自然の大法則であるらしい。生きてゐる自然界には平等は存在せず、平等は即ち宇宙の死を意味する。いくら革命を起して人間の首を切つても、金持と天才との種を絶やすことは六かしい。ましてや少しでも自己觸媒作用オートカタリテイツク・アクシヨンのある所には、ものの片寄るのが寧ろ普遍な現象だからである。さうして方則に順應するのは榮え、反逆するものは亡びるのも亦普遍の現象である。
宿へ歸つて見ると自分等の泊つてゐる新館にも二三の團體客が到着して賑やかである。○○銀行○○課の一團は物靜かでモーニングを着た官吏風の人が多い。○○百貨店○○支店の一行は和服が多く、此方は藝者を揚げて三絃の音を響かせて居るが、肝心の本職の藝者の歌謠の節※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はしが大分危なつかしく、寧ろ御客の中に一人いゝ聲を出すのが居て、それがやゝもすると外れかゝる調子を引戻して居るのは面白い。ずつと下の方の座敷には足踏み轟かして東京音頭を踊つて居るらしい一團がある。人數は少いが此組が壓倒的優勢を占めて居るやうである。
今度は自分などのやうに、うるさく騷がしい都を離れて、しばらく疲れた頭を休める爲にかういふ山中の自然を索たづねて來るものゝある一方では又、東京では斷ち切れない色々の窮屈を束縛をふりちぎつて、一日だけ、はめを外づして暴れ※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はる爲にわざ/\かういふ土地を選んで來る人もあるのである。此れも人間界の現象である。此の二種類の人間の相撲になれば明白に前者の敗である。後者の方は、宿の中でも出來るだけ濃厚なる存在を強調する爲か、廊下を歩くにも必要以上に足音を高く轟かし、三尺はなれた仲間に話をするのでも、宿屋中に響くやうに大きな聲を出すのであるが、前者の部類の客はあてがはれた室の圍ひの中に小さくなつて、其の騷ぎを聞きつゝ眠られぬ臥床ふしどの上に輾轉するより外に途がないのである。床の間を見ると贋物の不折の軸が懸かつて居る、その五言の漢詩の結句が「枕を拂つて長夜に憐む」といふのであつたのは偶然である。やつと團體の靜まる頃には隣室へ子供づれの客が着いた。單調な東京音頭は嵐か波の音と思つて聽き流すことが出來ると假定しても、可愛い子供の片言は身につまされてどうにも耳朶の外側に走らせることの出來ぬものである。電燈の光が弱いから讀書で紛らすことも出來ない。
やつと宿の物音があらかた靜まつた後は、門前のカフエーから蓄音機の奏する流行小唄の甘酸つぱい旋律が流れ出して居た。併し、かうした山腹の湯の町の夜の雰圍氣を通して響いて來る此の民衆音樂の調べには、何處か昔の按摩の笛や、辻占賣の聲などのもつて居た情調を想ひ出させるやうな或るものが無いとは云はれない。
蓄音機と云へば、宿へ着いた時につい隣りの見晴らしの縁側に旅行用蓄音機を据ゑて、色々な一粒選りの洋樂のレコードをかけてゐる家族連の客があつた。此れも存在の鮮明な點に於て前述の東京音頭の連中と同種類に屬する人達であらう。
夜中に驟雨があつた。朝はもう降り止んではゐたが、空は低く曇つてゐた。兎も角も榛名湖畔迄上ぼつて見ようといふので、ケーブルカーの停車場のある谷底へ下りて行つた。此の谷底の停車場風景は一寸面白い。見ると、改札口へ登つて行く階段だか斜面だかには夥しい人の群が押しかけてゐる。それがなんだか若芽についたあぶら蟲か、腫物につけた蛭の群のやうに、ぎつしり詰まつて身動きも出來さうにない。それだのにあとから/\此處を目指して町の方から坂を下りて來る人の群は段々に増すばかりである。此の有樣を見て居たら急に胃の工合が變になつて來て待合室の腰掛に一時の避難所を求めなければならなかつた。「おぢいさんが人癲癇を起こした」と云つてSが笑出したが、兎も角も榛名行は中止、その代りつい近所だと云ふ七重の瀧へ行つて見ることにした。此の道筋の林間の小徑は往來の人通りも稀れで、安價なる人癲癇は忽ち解消した。前夜の雨に洗はれた道の上には黄褐紫色樣々の厚朴の落葉などが美しくちらばつてゐた。
七重の瀧の茶店で「燒饅頭」と貼札したものを試みに注文したら、丸いパンのやうなものに味噌※(「滔」の「さんずい」に代えて「しょくへん」、第4水準2-92-68)を塗つたものであつた。東京の下町の若旦那らしい一團が銘々にカメラを持つてゐて、思ひ思ひに三脚を立てゝ御誂向の瀧を撮影する。ピントを覗く爲に皆申合せたやうに羽織の裾をまくつて頭に冠ると、銘々の羽織の裏の鹽瀬の美しい模樣が茶店に休んでゐる女學生達の面前にずらりと陳列される趣向になつてゐた。
溪を下りて行くと別莊だか茶店だかゞあつて其前の養魚池の岸にかはせみが一羽止まつて居たが、下の方から青年團の服を着た男が長い杖をふりまはして上がつて來たので其のフアシズムの前に氣の弱い小鳥は驚いて茂みに飛び込んでしまつた。
大杉公園といふのはどんな處かと思つたら、とある神社の杉並木のことであつた。併し杉並木は美しい。太古の苔の匂ひがする。ボロ洋服を着た小學生が三人、一匹の眞白な野羊を荒繩の手綱で曳いて驅け※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)つてゐたが、どう思つたか自分が寫眞をとつて居る傍へ來て帽子を取つてお辭儀をした。學校の先生と間違へたのかどうだか分らない。昔郷里の田舍を歩いて居て、よく知らぬ小學生に禮をされた事を想ひ出して、時代が急に明治に逆戻りするやうな氣がした。此邊では未だイデオロギー的階級鬪爭意識が普及して居ないのであらう。社前の茶店に葡萄棚がある。一つの棚は普通のぶだうだが、もう一つのは山葡萄で紅葉してゐる。店の婆さんに聞くと、山葡萄は棚にしたら一向に實がならぬさうである。山葡萄は矢張り人家にはそぐはないと見える。
茶店の周圍に花畑がある。花を切つて高崎へでも賣りに出すのかと聞くと、唯々お客さんに自由に進呈するためだといふ。此の山懷の一隅には非常時の嵐が未だ屆いて居ないのか、妙にのんびりした閑寂の別天地である。薄雲を透した日光が暫く此の靜かな村里を照らして、ダリアやコスモスが光り輝くやうに見えた。
宿へ歸つて晝飯を食つてゐる頃から、宿が又昨日に増して賑やかになつた。日本橋邊の或る金融機關の團體客百二十人が到着したのである。其爲に階上階下の部屋といふ部屋は一杯で廊下の籐椅子に迄もはみ出してゐる。吾々は、此處へ來たときからの約束で暫時帳場の横へ移轉することになつた。
部屋に籠つて寐轉んで居ると、すぐ近くの階段や廊下を往來する人々の足音が間斷なく聞こえ、それが丁度御會式の太鼓のやうに響き渡り、音ばかりでなく家屋全體が其の色々な固有振動の週期で連續的に振動して居る。さういふ状態が一時間二時間[#「二時間」は底本では「二間時」]三時間と經過しても一向に變りがない。
一體どうして、かういふ風に連續的に足音や地響きが持續するかといふ理由を考へて見た。百數十人の人間が二人三人づつ交る/″\階下の浴室へ出掛けて行き、又歸つて來る。その際に一人が五つの階段の一段々々を踏み鳴らす。其外に平坦な縁側や廊下をあるく音も加はる。假に、一人宛て百囘の音を寄與コントリビユートするとして、百五十で一萬五千囘、此れを假に午後二時から五時迄の三時間、即ち一萬八百秒に割當てると毎一秒間に平均一囘よりは少し多くなる勘定である。此外に浴室通ひ以外の室と室との交通、又女中や下男の忙はしい反復往來をも考慮に加へると、一秒間に三囘や四囘に達するのは雜作もないことである。即ち丁度太鼓を相當急速に連打するのと似た程度のテンポになり、それが三時間位持續するのは何でもないことになるのである。唯々面白いのは、此の何萬囘の足音が一度にかたまつて發しないで、實にうまく一樣に時間的に配分されて、勿論多少の自然的偏倚は示しながらも統計的に一樣な毎秒平均足音數を示してゐることである。容器の中の瓦斯體の分子が、その熱擾動サーマルアヂテーシヨンのために器壁に反覆衝突するのが、いくらか此れに似た状況であらうと思はれた。かうなると人間も矢張り一つの「分子」になつてしまふのである。
室に寐ころんだ切り、ぼんやり此んなことを考へてゐる内に四時になつた。すると階下の大廣間の演藝場と思はれる見當で東京音頭の大會が始まつた。さうして此れが約三十分續いた。それが終つても、未だその陶醉的歡喜の惰性を階上迄持込[#「持込」は底本では「持迄」]んで客室前の廊下を踏鳴らしながら濁聲高く唄ひ踊る小集團もあつた。
「バスの切符を御忘れにならないやうに」と大聲で何遍となく繰返して居るのが聞こえた。それからしばらくすると、急に家中がしんとして、大風の後のやうな靜穩が此の山腹全體を支配するやうに感ぜられた。一時間前の伊香保とは丸で別な伊香保が出現したやうに思はれた。三階の廊下から見上げた山腹の各旅館の、明るく灯のともつた室々の障子の列が上へ上へと暗い夜空の上に累積してゐる光景は、龍宮城のやうに、蜃氣樓のやうに、又ニユーヨークの摩天樓街のやうにも思はれた。晝間は出入の織るやうに忙がしかつた各旅館の玄關にも今は殆ど人氣が見えず、野良犬がそこらをうろ/\して居るのが見えた。
團體の爲に一時小さな室に追ひやられた埋合せに、今度はがらあきになつた三階の一番廣く見晴らしのいゝ上等の室に移され、地面迄數へると五階の窓下を、淙々として流れる溪流の水音と、窓外の高杉の梢にしみ入る山雨の音を聞きながら此處へ來てはじめての安らかな眠りに落ちて行つた。
翌日も雨は止んだが空は晴れさうもなかつた。霧が湧いたり消えたりして、山腹から山麓へかけての景色を取換へ取換へ迅速に樣々に變化させる。世にも美しい天工の紙芝居である。一寸青空が顏を出したと思ふと又降出す。
とある宿屋の前の崖にコンクリートで道路と同平面のテラスを造り其の下の空間を物置にして居るのがあるのは思ひ付きである。此の近代的設備の脚下の道傍に古い石地藏が赤い涎掛けをして、さうして雨曝しになつて小さく鎭座して居るのが奇觀である。此處らに未だ家も何もなかつた昔から此の地藏尊は此の山腹の小道の傍に立つて居て、さうして次第に開ける此の町の發展を見守つて來たであらうが、物を云はぬから聞いて見る譯にも行かない。
晝飯をすませて、そろ/\歸る支度にかゝる頃から空が次第に明るくなつて來て、やがて雲が破れ、東の谷間に虹の橋が懸つた。
歸りのバスが澁川に近づく頃、同乘の兎も角も知識階級らしい四人連の紳士が「耳がガーンとした」とか「欠伸をしたらやつと直つた」とか云つたやうな話をして居る。山を下つて氣壓が變る爲に鼓膜の壓迫されたことを云つて居るらしい。唾を飮み込めば直るといふことを知らないと見える。小學校や中學校でこのやうな科學的常識を教はらなかつたものと思はれる。學校の教育でも時には要らぬ事を教へて要ることを教へるのを忘れて居る場合があるのかも知れない。尤も教へても教へ方が惡いか、教はる方の心掛けが惡ければ教へないのも同じになる譯ではある。
上野へついて地下室の大阪料理で夕食を食つた。土瓶むしの土瓶のつるを持ち上げると土瓶が横に傾いて汁がこぼれた。土瓶の耳の幅が廣過ぎるのである。此處にも簡單な物理學が考慮の外に置かれてゐるのであつた。どうして、かう「科學」といふものが我が文化國日本で嫌はれ敬遠されるかゞ不思議である。
雨の爲に榛名湖は見られなかつたが、併し雨のおかげでからだの休養が出來た。讀まず、書かず、電話が掛からず、手紙が來ず、人に會はずの三日間で頭の疲れが直り、從つて胃の苦情もいくらか減つたやうである。その上に、宿屋の階段の連續的足音の奇現象を觀察することの出來たのは思はぬ拾ひものであつた。
温泉には三度しかはひらなかつた。湯は黄色く濁つてゐて、それに少しぬるくて餘り氣持がよくなかつた。その上に階段を五つも下りて又上がらなければならなかつた。温泉場と階段はとかくつきものである。温泉場へ來たからには義理にも度々温泉に浴しなければならないといふ譯もないが、すこしすまなかつたやうな氣がする。
他の温泉でもさうであるが、浴槽に浸つて居ると、槽外の流しでからだを洗つて居る浴客がざあつと溜め桶の水を肩からあびる。そのしぶきが散つて此方の頭上に降りかゝるのはそれ程潔癖でないつもりの自分にも餘り愉快でない。此れも矢張り宿屋へ蓄音機を持ち込み、宿屋で東京音頭を踊るPermalink |記事への反応(0) | 18:19
シスターコンプレックスとは別である。自分の家族という存在が、こんなに幼稚でしょうもないことが、「一重の自分の目が嫌いだ」という感覚でコンプレックスだ。全員が被害者ヅラしているのが気持ち悪い。
母姉弟が、祖父祖母の家に身寄りを寄せている、という形のまま10年程経った。当時小学生だった私にとって「居候」という言葉がしっくり来たが、実際の所どうなのかはわからない。そんな所も恥ずかしい。自分の戸籍も住所も立場も、宙ぶらりんになったまま成人していることが、自分が幼いままのように感じる。
***
今日、母親が「土日に家にいたくない」と言っているのが聞こえた。祖父が家にいるからだ。
どうぞ好きに出かけて行って頂きたい。弾丸で東京くらい行って頂きたい。
10年前には父親に向けていたであろう感情の矛先が祖父に移っただけで、私の母は何も変わっていない。私にバレる形になってる時点で退化だろう、それとも私の成長だろうか。
私は家にいたくないと感じるときには映画を観に行ったり舞台を観に行ったり、自分で対応できるようになったつもりだ。家族の前で泣くことも減った。
自分が家族にイラついて、足音立てて歩いたり、物に当たったりしたら当たり前に怒られるが、親側がそれをしていても、子側は親に文句の1つも言えないのだ。これもコンプレックスだ。
風呂でこれを書いているが、入る前に祖父から「お湯が少ない。自分は何もしていないけれど」と声をかけられた。
だから何なのだ。お湯が少ないから何なのだ。自分は悪くないから何なのだ。
自分は悪くないですアピールができれば良いのか。何に対して良いのだ。全部嫌だ。
反抗期を拗らせている私はお湯を足すでもなく追い炊きをするでもなく、幼児用の温水プールのような場所で震えている。そんなことを言われて、ゆっくり湯船に浸かりたくなんかない。
こんなの自傷だ。どうせ自傷するなら、リストカットくらい形が見えるようにやればいいのに。
自分被害者ですアピールをしてしまうと、家族と同じ立場になると思ってしまう。私はあんな人間と同じレベルでは無いと思い続けたい。
はあさむい、やめよ
鬱が寛解に向かい、幸いにも在宅仕事が軌道に乗って一人暮らしできるかなというときに難病がわかって、手術や治療のために一旦引き続き実家の世話になることになった。
両親とも健康に働いているので在宅の私が家族の炊事、掃除をしてる。
少し遅れて、一人暮らしで引きこもりだった兄弟も実家に戻って来た。
家事は全部免除。洗濯も放置。自分の昼食作りで汚したキッチンも放置。油汚れに気づかず私が夕飯の支度をすると私が怒られた。
自分で洗濯させたら?と聞いたら、一人暮らしで頑張ってきただろうから…って。私も頑張ってたけど、自分で洗濯してるよ。
夕方にカーテンを閉め忘れただけで廊下を踏み壊さんばかりの足音で歩かれ嫌味を言われた。
鬱病で戻った時、母の気に障り、殺してやる!!!!と言われた。母はその時のことを覚えてない。そんなこと言ったっけ?って。この差はなんだろう。
家族で食事を囲んで、私が話すのを遮ってあ!そういえば兄弟のあれはどうなった?と話をそらされた。
いじめを受けてることを母に打ち明けると、ええええええ!????!?ってヒス声を上げられて怖くなって、なんだかそれでもう、話す気力がなくなって、そういえば話なんか聞いてくれない人だって諦めたんだった。
ブラジャーを買ってもらえなかった。小学校からそれなりに大きかったが、スポブラをつけるべきだという意識もなかった。
恥ずかさを押して、ようやく相談したとき、連れていかれたのは雑貨屋兼服屋みたいなところで、胸が大きいのが恥ずかしくて自分はBカップだと思い込んで2着買ってもらって、それを何年もつけてた。
私のようなブスが下着屋に行って、可愛い下着を自分で選んで着けることは恥ずかしいことだと思ってた。
ニキビで脂っぽいことをからかわれたけど、しゃぼん玉石鹸で洗う以外の知識がなかった。
腋毛を剃るのをやめたほうがいいと言われて、除毛クリームを使っていた。肌が痒くて、生えたまま登校したときもあった。
喘息がひどかったけど、病院には連れていかれず、当然それが喘息とも思っていなくて、夜中に母が面倒見てくれてた。
マラソンはビリで、体育教師に気持ちの問題と言われた。その後の授業が発作で苦しかった。優しい先生に背中を撫でられながら授業を受けたときもあった。授業中みんなに迷惑だっただろう。なぜか親には言えなかった。
父は単身赴任でいなかった。いないほうがマシだった。無神経な父に怒り散らす母の愚痴を聞くのがつらかったから。
部屋にいて、親のなんでもない話し声や物音が怖い。
恥ずかしながら在宅の仕事を始めた年は年収100万だった。世帯年収で計算されるので年金は免除されないし、国保もしっかり払った。もちろん私費もすべてその中でやりくりした。
兄弟はどうか。仕事は始めたがそもそも家族と一切会話をしない。税金は督促がきても放置していたので払えと言っても無駄らしい。国保も親負担、携帯料金も母が払って、その上お小遣いも与えてることを知った。
払わせないの?と聞いたら、なんか言いづらくて…と返って来た。私にはどんな文句も言ったのに?
夫婦の愚痴も、父の不倫メールが誤送されてきたときも、母のヒステリーも、私が受け止めて来た。
病気のことを含め、子どもの頃から金銭的な不安なく暮らせてたのは親のおかげなので感謝している。たまたますごく収入が上がって、温泉旅館のスイートルームをプレゼントしたこともある。喜んでくれるのが嬉しい。
でも、私の入院、通院費のことは一切気にかけないのに、兄弟に今度車を買ってあげるんだって。
鬱病が揺り戻してきて起き上がれない日が増えた。軌道に乗ってたはずの仕事なのに、上手く頭がまわらなくて苦しい。
私の意思ってなんだろう。
医師の話で、悪化しやすい体質だから、場合によっては何度も手術する必要があると思うと言われてて、その度に親に保証人とか付き添いを頼まないとならない。
都市部の行政系で働いてるんだが、誇張無しで『簡単な日本語を聞くことすらできない外国人』が爆増してる。
最悪なケースでは英語の筆談すらできないため、もっぱら母国語が何なのかをアプリを使って探すところからスタートしている。
結論からいうと日本国内に外国人を入れる業者や組織が、日本語が全くできない状態の外国人のアフターフォローをせずに入れるだけ入れて放置している。そのせいで業務上本来なら無関係な受付なのに、なぜか素人で通訳の仕事をする羽目になっている。日本人の感覚なら「せめてヒアリングくらいはそこそこできるようになってから海外移住するか」とか「まだ自信が無いから通訳やホームステイ先を頼るか」とかで対応するべきところを、一切の準備なくして日本語が喋れない状態そのまんまで産地直送されてくる。最初は外国人に対して若干の怒りを感じたが、そもそもこの人たちを「営利目的に輸入」している方々がいるわけで、彼らがアフターフォローを放置してコストカットした結果が行政やインフラなどの生活必需品的なサービスに大きな負担として伸し掛かってきている。完全に公的資産に対するタダ乗り行為だが、これを法的に止める手立てはなく、このままだと間接的に日本人へのサービスの悪化にも繋がると予感を超えた予知をしている。初期設定を置き配にする件なども対面によるコミュニケーション不全を見越した施策なのだろう。
これからは日本国内に居ながら日本語だけを使っていたらプライベートだけでなく低所得者層を相手にする仕事ですら不自由な時代に変わっていくだろう。もはやこの流れを止める術は無いし、何か具体的な対策ができるとも思えない。残念ながら日本人=日本語の消滅の足音を聞きながら日々の業務を「効率化」していく他ない。申し訳ないがその過程で切り捨てられたとしても、こう書き記している自分すら切り捨てられる可能性があるため、お互い様だと思ってどうかやり過ごして欲しい。もう我々の知っている日本が国として崩れ始めている。
シン・ウルトラマンでは、ウルトラマンや怪獣の動きに伴う地面の揺れや足音のSEがほとんど使われず、重量感が薄い印象を受けます。
この“軽やかさ”は、初代ウルトラマンへのオマージュとして当時の特撮表現を再現する意図と、全編CGによる新しい特撮の試み、そしてウルトラマンという存在の超越性を際立たせるための演出と考えられます。
初代作品では巨大な存在感を示すために重量感を強調する技法は確立されておらず、むしろ優雅でしなやかな動きが特徴でした。
CG制作の本作では、あえて重量感を抑えることで、光の星から来た超越的なヒーロー像を描こうとしたのです。
『シン・ウルトラマン』の重量感のなさは、監督の意図的な演出選択によるものであり、古典的な特撮への回帰、CG特撮の新たな挑戦、そしてウルトラマンの超越性表現を実現するための手法だと言えます。
それなりにウルトラマンは好きなので非常に楽しめたんだけど、一点だけ気になったことがある。
それは”重量感”がなかったこと。
偏見かもしれないんだけど、庵野監督って結構重量感を大事にする監督だと思ってたんだ。
例えばエヴァなんかだと大きくジャンプしてそのあと着地するとその際に地面のコンクリに亀裂が走ったり、その時の衝撃で周りの建物が傾いて窓が割れたりと、スケール感にもロマンを感じているものだと思ってた。
だからシン・ウルトラマンでそのような描写が全然ないのが驚きで、ウルトラマンや怪獣が歩いても地面は揺れないしドスンドスンといった足音のSEさえもない。
全体を通してそんな感じだったからおそらく意図的なものだと思うんだけど、どうして重量感にはあまり拘らなかったんだろう?
薄く湿った風が、夕暮れのアスファルトをそっと撫でていく。数日前までは日没を待たず、コンクリの照り返しにじりじりと焦がされていたのに、いまはまだ陽があるうちから肌にひんやりとした予感が宿っている。
自転車を漕ぎながら見上げる空は、夏の蒼さから少しずつ色褪せて、淡い鉛色の雲にほのかな黄金を帯びている。あの入道雲はもう遠い日の記憶で、今は高いところを渡る雁の群れが、秋の訪れを告げに来たのだろう。
帰り道にある公園では、蝉の声が徐々に減り、代わりにひぐらしが一声、二声と鳴く。真夏の間は地響きのように賑やかだったのが、いまや呼吸のように間を置いて静かに響く。滑り台の鉄網が、まだ熱を帯びているけれど、触れればもう「焼けた」痛みではなく、肌に寄り添う温もりへと変わっている。
家へ戻ると、窓辺に置いたガラス瓶の中でミントの葉が色を濃くし、夏に吸い込んだ陽光を抱えたまま秋を迎えているようだった。明かりを点けると、その緑はほんのり翡翠色に光り、部屋の薄暗さをほのかに照らす。僕は書きかけのノートを前に、指先でページを撫でる。まるで時間の糸をたどるように、字の隙間から季節の匂いが立ち昇る。
足元には去年の秋に拾った赤い葉が一枚、乾いてカサカサと音を立てている。あの日、福島の山道を歩いていると、突如ひらりと舞い降りてきたものだった。自分がこの街を出る日を想像もしていなかった頃の、ほんの小さな偶然だったのに、それがいまでは胸の奥で鮮やかに疼いている。
窓の外を見れば、商店街のアーケードの明かりが柔らかく灯り、夜の帳がゆっくりと広がっていく。夏の終わりは寂しいと言う人もいるけれど、僕にはこの「終わりの始まり」がいちばん好きだ。終わるものへの惜別と、始まろうとする何かへの昂揚が同居しているから。
明日はもう9月の下旬だ。仕事帰りの道で見かけた栗のイガが、そっと落ちていた。掌に包むと、まだ子供のように固く、尖っている。触れているうちに、心のどこかで「次へ進め」と囁かれているような気がした。そうか、僕はまだ旅の途中なのだろう。
窓の外では、夜風が窓枠をかすかに揺らし、遠くで何かが鳴っている。秋の虫が、まだ旅に出る僕を見送るように――静かに。
この部屋の明かりが灯るころには、もう秋の匂いが深まっているだろう。夏をつかみ損ねた僕の胸の中にも、ゆっくりと色づく何かが流れ込んでくる。風が変わるたびに、その鼓動が確かな存在として胸奥で響き、僕はまた一歩、季節の旅を続けていく。
タケルは、もはや教室にいる自分を認識していなかった。あるいは、教室という概念そのものが、彼にとって意味をなさなくなっていた。広大な宇宙、無数の情報が光の粒となって飛び交う中、彼は自らの意志で一つの場所を選び取る。そこは、東京の片隅にある小さな定食屋だった。
カラカラと、古びた引き戸が音を立てる。店内はカウンター席が七つほどしかなく、カウンターの中では小柄な老婦人が一人、忙しなく手を動かしていた。テーブルには赤や黄色のビニール製の調味料入れが並び、壁には色褪せたメニューの短冊が貼られている。タケルは一番奥の席に静かに腰を下ろした。
「いらっしゃい。今日は暑いから、冷たいお茶でも飲んでいきな」
老婦人はそう言って、温かいほうじ茶の入った湯呑みをタケルの前に差し出した。その温もりが、冷え切ったタケルの指先をじんわりと温める。
タケルは自分の状況を理解しようと試みた。彼は今、神の分身として、世界に存在するあらゆる情報を一瞬で読み取ることができる。この店の歴史、老婦人の人生、客の足音の数、壁の染みの意味。すべてが彼の脳裏に流れ込んでくる。しかし、それらの情報の中に、彼の心を満たすものは何もなかった。ただ虚しいデータの羅列があるだけだ。
「何にするかい?」
老婦人の声が、タケルを現実に引き戻す。タケルはメニューに目をやった。生姜焼き定食、アジフライ定食、鶏の唐揚げ定食……。どれもこれも、彼が人間だった頃に見ていたものと何ら変わらない。
彼はそう呟いた。なぜこのメニューを選んだのか、自分でも分からなかった。ただ、ノゾミと初めて二人で食事をした時に、彼女が「生姜焼きが一番好き」と笑っていたことを、ふと思い出したからかもしれない。
老婦人は「あいよ」と元気な返事をすると、手際よく豚肉を炒め始める。ジュウジュウと肉が焼ける音、甘辛いタレの香りが店内に広がる。その音と匂いが、タケルの心を震わせた。それは、膨大な情報の中には存在しない、生きた「感覚」だった。
やがて、定食がタケルの前に置かれた。こんがりと焼けた豚肉、千切りキャベツ、マヨネーズ。白いご飯と、ワカメと豆腐の味噌汁。どれもこれも、特別なものではない。
タケルは箸を手に取り、一口食べる。
――美味い。
それは、単なる味覚の情報だけではなかった。豚肉の柔らかさ、タレの濃厚な甘み、そして、老婦人が心を込めて作ったという事実。
彼が神の分身として得た力は、この定食が「豚肉とタレと野菜で構成された料理」であるという情報を瞬時に解析する。しかし、この一口が、彼の心に直接語りかけてくるような温かさを持つことは説明できない。それは、人間だけが感じられる「温もり」だった。
「いい顔になったねぇ」
老婦人はにこやかにタケルに話しかけた。タケルは驚いて彼女の顔を見る。彼女は、タケルが人間であるか神であるかなど、知る由もない。ただ、目の前の客が、心から食事を楽しんでいることを感じ取ったのだ。
その時、タケルは確信した。ノゾミが彼に与えたかったものは、この「温もり」だったのだと。膨大な知識や力ではなく、ただ一皿の料理を美味しいと感じる心。愛する人と共に生きる喜び。それこそが、彼女が彼に教えようとした、人間としての唯一の真実だった。
タケルは、温かい味噌汁を一口飲む。その味が、胸の奥に残ったノゾミの温かい光を、再び灯したような気がした。
彼は孤独に世界を見守り続けるかもしれない。しかし、その胸には、ただ愛しい少女が彼に残してくれた、一皿の温かさが残っている。
ノゾミが仕組んだ「恋人ごっこ」は、彼が神としてではなく、人として生きるための、最後の温かいレシピだったのかもしれない。
そして、その温かさこそが、彼のこれからの世界を照らす、唯一の光となるだろう。
(第四幕・了)
そいつは卒業後数年経った今でも連絡が途切れていない、かつ高校時代(自分にとっては)かなり親交の深かった、数少ない人間のひとりである。ありがたい。
ひたすら飯食ってだべってとても楽しかった。
そこには卒業式の時のキラキラとした投稿がピン留めされている。
「え、お前写ってるじゃん、いいなー俺この時めっちゃ病んでたから写真とか1枚も残ってないわ」
「草、別に僕も病んでたよ、ただ友達といるのが楽しかっただけで」
ちなみに俺のメンタルがどのくらいやばかったかというと、卒アルの10年後の自分へのメッセージを書こうコーナーに「生きてる?」と書くレベル。恥ずかしすぎて発狂ものである。
そんなこんなで中高6年間の話題になった。
受験してこの学校に入ってお互い友人には恵まれたけど、失ったもの(キラキラした青春、一般常識、精神衛生)や代償(歪んだ学歴観、若干の異性不信)がデカすぎると言い合ってやけに盛り上がった。
改めて思い返すと、高校時代の記憶で真っ先に思い浮かぶのが「病んでたなあ」「受験やばかったなあ」だし、何ならそれ以外の記憶が朧げである。
世間では「青春」と言われ、人生で最も楽しい時期とされるが、自分にとってはただただ終わりの見えない鬱屈とした箱庭の日々だった。おまけに自分自身についての理解も及ばなかったし。
それでもどうして卒業できたんだろうと考えると、やはり今日遊んだ奴のような数少ない友人が偉大だったのと、あとやっぱり自分の場合は恋だったのかなと思う。
別学だったけど、かれこれ5年くらいクラスメートに片想いをしていた。(今日会った友人ではない)
告白も進展もクソもねえような、誰にも言わない完全自己完結型の恋愛(なのか?)だったし、正直自覚してしばらくはアイデンティティクライシスの方面で精神崩壊してたけど、高校生になり受験の足音が近づき学校生活全体が鬱々としていく中においては、何も起こらない、ある意味凪いだ穏やかな恋情こそが通学の原動力で、心の支えだったのかもしれない。
昔、中国で裏物を売り捌いていた。
拠点は広州の白雲空港周辺、仕入れは深センの華強北、そして東莞の工場地帯。
扱っていたのはコピー電子部品やブランド品の模造品、正規の書類では絶対に通らないものばかりだった。
夜の羅湖口岸を抜け、香港へ持ち込むルートはスリルといつも隣り合わせだった。だがそれが好きだった。
ある夜、広州駅近くの安宿に泊まっていた時、部屋のドアがノックもなく開いた。
制服姿ではないが明らかに公安系の人間が二人。中国語で矢継ぎ早に問い詰められ、机にあった仕入れリストを無造作にめくられた。パスポートを出せと命じられ、冷や汗をかきながら差し出すと、なぜか彼らは笑い、何も取らずに立ち去った。だが、翌日の香港フェリーターミナルでも同じ顔を見かけた。
また別の日、東莞の工場から商品をピックアップした帰り道、黒いワンボックスがこちらのタクシーに張り付いていた。運転手も青ざめていた。
羅湖の橋を渡る直前で突然停車させられ、トランクを開けさせられた。中身は靴下や雑貨でカモフラージュしていたが、下段の段ボールに仕込んだ偽造チップを見つけられかけた。係官らしき男が段ボールに手を突っ込んだ瞬間、運転手が急発進し、検問所を半ば強引に抜けた。心臓が喉から飛び出すかと思った。
最も危なかったのは、上海浦東の展示会に出たときだ。ブースを回っている最中に突然、腕を強くつかまれ、裏口の通路に連れ込まれた。
スーツ姿の三人がいて、中国語と英語を交ぜながらどこの国に流すつもりかを問い詰めてきた。答えを濁すと、壁に押し付けられ、息が詰まるほどの圧力をかけられた。財布と携帯を調べられ、USBを一つ抜き取られたが、それ以上は何もせず解放された。
展示会場に戻ると、周囲の視線がやけに冷たく、自分が完全にいわゆる「マーク済み」であることを悟った。
あの頃は本当に生きた心地がしなかった。華強北の雑踏、羅湖の橋、浦東の展示場、どこにいても見張られている感覚がまとわりつき、背筋は常に冷たかった。
今となっては笑い話にできる部分もあるが、夜道で背後から足音が近づくと、あの黒いワンボックスを思い出し、無意識に振り返ってしまう
石の広間に、罪ある者が立たされた。
その頭上には、光を映す剣が吊るされていた。
それは人の手に握られていなくとも、
すでに裁きの声を孕んでいた。
ある声は荒ぶり、
「その首を落とせ」と叫んだ。
「血こそが血を鎮め、
刃こそが正義を成すのだ」と。
しかし別の声は深く沈み、
「血に血を注げば、
大地はただ飢えを増すばかり。
剣は罪を絶つものではなく、
すると嘆きの声が漏れた。
「わたしの時は砕かれたまま。
けれど剣が落ちるとき、
その響きが時を区切り、
止まった心を押し出すのなら――
わたしは刃を拒めない」
広間の奥で、影のような声が響いた。
「剣は天より降りたものにあらず。
ゆえに剣の影は、
天ではなく人の胸に刻まれる」
やがて夜は厚く降り、
剣は深い音を立てて落ちた。
だが問いは残った。
――断たれたのは罪か。
それとも、わたしたちの安らぎへの渇望か。
https://anond.hatelabo.jp/20250908163905
俺は大学生の時、予備自衛官補の訓練で銃を撃ったことがある。64式小銃という銃だ。狩猟やスポーツのためではない、純粋に「人を撃つために作られた、戦争をするために作られた軍用銃」だった
その銃床を肩に当て、撃った瞬間、日本人が考え得るもっとも強力な「戦争と殺しの道具」を手にしたと錯覚した。
…あの時は、それ以上に強い武器はないと思っていた。だが、人間が人間を苦しめる手段に限りがないことを今知らされている。人は、人を軍隊や武器で殺すばかりではない。視線と、言葉と、善意ですら、人を壊すのだ。
14歳の兄の娘は、俺がかつて持った64式小銃よりも恐ろしい武器をその小さな心に浴び続けた。それは悪意と性欲という視線で心臓を撃ち抜かれ、言葉のナイフが幼い心を裂き、さらには善意や親切でさえ…猛毒の毒矢となって彼女に降り注いだのである。彼女が生まれる遥か前、俺が4歳や5歳の頃、オウム真理教というテロ組織が世界初の首都圏化学兵器テロを実行した。その時、俺のよく知る秋葉原駅でオウムの実行犯の一人はサリンを散布したという。彼女にとってはそれをも超える「視線と言葉と善意の化学兵器」が小さな体に降り注ぎ続けたのだ。
兄の娘は、母親の容姿を引き継いでいる。今となっては、その美貌は、彼女にとって祝福ではなく災厄であった。俺が見ているウマ娘というアニメ、その中のトウカイテイオーという少女が面影も立ち振る舞いも似ていると感じていた。
まだ14歳の幼い彼女をその獣欲を満たそうと、有象無象の無頼の輩がやってきていた。それは、昔教科書で見た百鬼夜行絵巻を俺に想起させた…人間は時に、妖怪よりもよほど醜悪である。
悪意ある大人たちは、艶めかしい視線と卑しい言葉を彼女に浴びせ続けた。その感情は毒であった。幼い心は、その毒に壊されていった。俺も父も、完全にそれを防ぎきることはできなかった。
悪意ある「大人」たちに艶めかしく気持ち悪い性欲のこもった眼と言葉と感情を向けられ続け、彼女の心は壊れた。
だが、何も悪意と性欲だけが兄の娘の心を壊したのではない。転校する前の私立、そして小学校時代の学友や友人が、彼女を心配したのだろう。クラスで書いた寄せ書きを持ってきたことがあった。思えば、代わりに俺かルカねえが受け取るべきだった。
それを見た彼女は、半狂乱で泣きわめきながらそれを引き裂いた、破いた。布団に伏し、捨てられた小動物のようにおびえて泣いた。彼女にとってもはやクラスメイトの向ける善意や純粋な心配や好意は、彼女の心を引き裂く研ぎ澄まされた言葉のナイフに変わっていたのだ。
俺は内心悲しみを隠せなかった。「また遊ぼうね」、「元気?」…子供らしい無垢な励ましの言葉だ。数々の言葉は彼女の心を締め上げる呪詛の呪文以外の何物でもない。感受性の強い彼女の壊れた心は、もはや善意や幸せを受け止める器の形を保っていなかったのかもしれない。
兄は娘と伴侶の心さえ破壊していく毒を残していったのだ。あまりに業の深い行為である。
…補導した警察官の話によれば、彼女――兄の娘はトー横でさえ価値観や会話がかみ合わず、容姿ゆえの性欲しか同年代の落ちこぼれたちからさえ向けられなかったらしい。
同性からは「見てくれのいい生意気な女」、異性からは「エロい女」、救いを求めて流れ着いた場所でさえ、彼女の前に待っていたのは俺達が防ぎきれなかった悪意と性欲のねばついたマナコと、悪意と嫌悪の眼だけだったようだ。
…彼女が求めた救済の場は、結局、欲望と嫌悪の眼が渦巻く修羅の巷であった。
兄が望んで往った「キラキラした人生」…見栄と虚栄と虚位と、嫉妬と悪意と打算と性欲が渦巻く世界に、行きたくもないのに叩き落とされたのだ。感受性の強いその娘が、望んでではなく、強いられて。
俺は兄の位牌を蹴り飛ばしたい衝動にかられた。どこまでも身勝手で自分勝手だった兄の残した業と毒…身勝手で、他者を顧みぬ男の残した毒は、一人の少女の心を取り返しのつかぬほど破壊してしまったのだ。
…兄の娘の心が再びその瑞々しさと平穏を取り戻せることを、俺と父はその祈りにすがるしかないのである。
Xを覗くと、思いがけず俺の書いたものが拡がり、人々の口端にのぼっていた。
群れをなすオッサン達の姿は、かつての兄に重なった。彼らは互いに「自分は違う」と言い訳しながら、同類であることを確かめ合っている。肩書を飾り立て、やれどこぞの企業の社長だ、案件募集だ、AIがどうとか…
実体の乏しい言葉を繰り返すだけで、そこにあるのは哀れにも似た虚ろさであった。恐らくAIの意味も分かっておらず、それを錦の御旗にすればルカねえや俺の様なITに音痴な人間がすごいと思って枕詞につけているのであろう。一抹の哀れさすら感じる連中である。
俺はそれを見て、葉の裏にくっついて擬態しなければならぬ雑虫の輩の羽虫が、アスファルトにへばりついて隠れているかのような場違いな滑稽さを感じた。
だが、それを笑えるであろうか?彼らの有り様は、兄と同じだ。都市の灯に集う羽虫に似ている。かつて昆虫が森の落葉の陰に潜み、その自然の中で調和していたように、彼らもまたあるべき場所を持つはずであった。しかし今はアスファルトに貼りつき、光に惹かれ、Xの上をただ滑稽に舞う。
そう思えば、彼らの姿は羽虫に似ている。自然の中で葉裏に潜む虫であれば、まだ調和がある。だが都市の舗道に貼りつき、光に群がる姿には、どこか場違いな痛ましさがあった。兄の変貌もまた、その群れの一つに数えられるべきものだったのであろう。
俺みたいな人間から見れば、虫と同じだ。虫マニアや昆虫学者ならナントカムシだのウンタラムシだの名前と種類が違うことがわかるのだろうが、俺から見れば兄と同じくネットの虚妄で自尊心が毒虫の様に肥大化し、ITという腐葉土に群がる虫の様にしか映らない。そこには嫌悪と侮蔑の感情すら感じていた。
俺と父が見た、傷心のルカねえや兄の娘に群がっていった、性欲に狂った目でイチモツをオッ勃たせる事も気にせず…いや、寧ろ見せつけて嫌がる様に性的興奮すら感じているのであろうとしか思えない程の下劣で教養のかけらもない言葉遣いと毒笑を浮かべた自称「IT企業の社長」、「ITコンサルタント」、「芸能界関係者」、「スポーツ関係者」と同じにしか見えない、日本社会の闇に蠢く虫の様な輩の姿を再び見て、俺は暗い気持ちを抱えざるを得なかった。
―――これを見て、折に触れて思い出すことがある。トー横で兄の娘が補導され、俺と、そしてルカねえが引き受けに行った時の光景だ。
西武新宿から降りてすぐ左手のパチンコ屋に、姉妹のメイドと一人の王女が映ったアニメキャラの大きな看板がある、なろう小説の有名なアニメ、Reゼロのキャラクターだという。
その看板の下で兄の娘とルカねえと俺は合流した。
生前、兄もこのなろう系というものを好んでいた。そこには性格がひん曲がった社会の負け組の中年や引きこもりが、タナボタでチートなるパワーを得て死んだ先の世界で無双し、美少女に囲まれるという、あまりにも惨め過ぎる夢物語の内容が主で、兄と同じく氷河期世代の中年男性に人気だと聞く。
自業自得の自らの業と虚栄により、人生を自ら追い込み、ありもしない一発逆転に縋って、それでも「馬鹿にされる」、「男のメンツ」とくだらないプライドを持ったまま憐れに、惨めに、そして滑稽に独り相撲を続ける兄の姿を、兄自身も歪んだ認知の中で重ねていたのだろうか。少なくとも俺には、兄が彼の好むスバルだのカズマだのゴブリンスレイヤー何某だの、ロードウォーリアーズだかオーバーロードだとか、転生スライム男だという何某の様なキャラクターにダブって見えた。
ああ、空想の中の異世界では自尊心が毒虫の様に肥大化した彼らの他責思想と無法を通したとしても、都合よく逆転し、美少女に愛され、英雄になれるのであろう。だが現実は冷たい経済機構の歯車が迫る経済大国の社会の枠組みの中だ。そんな人間は、社会から「いらない存在」として排斥される。兄の憧れた彼らなろう主人公にも、ルカねえや娘、俺達に忍び寄る「社会の底辺と闇の世界の住人」達の世界で生きることもできないだろう。
その末路は兄と同じなのやも知れない。
思い出す。京都アニメーション放火テロ事件の主犯である青葉真司という氷河期世代の中年男性がいた。彼も熱心に「小説家になろう」に投稿していた男だったと裁判で証拠として提出されている、とニュースで見た。
そんな彼は狂って自らと無関係な大勢の他者を燃やして死んだ。実に身勝手な男だ。いつか兄が見ていたどこぞのなろうアニメの様にエクスプロージョンなどという魔法でも放ったつもりだったのであろうか?身勝手にクソをヒリ出し首を吊って死んだ兄も同じではないであろうか。ガソリンをぶちまけて火を放って焼け死のうとした青葉、身勝手に首を吊り糞と精子をヒリ出し死んだ兄。炎か汚物かの違いでしかない、俺はそう思っている。
もしくはすべてを投げ出して生きている俺達に迷惑をおおかぶせたまま、兄は自ら命を絶ち、勝手に「異世界転生」をしたつもりなのかもしれない。
…だがその先に、美少女を抱く未来も、英雄となる舞台も、永遠に訪れることはない。現実は冷酷であり、兄の望んだ「なろう」の世界は、永遠に来ないのである。
――あれは兄の娘が中学受験に受かった翌年の夏だっただろうか。
音楽関係の仕事についていたルカねえの血を継いでいるのか、兄の娘は感受性が強い子だった。
兄の家族と俺とで、片瀬江ノ島にいった夏の事だった。成層圏の黒みがかったほどの抜けるような青空と入道雲が眩しい日の事だった。
――思えばそのころにはすでに破滅の足音が家族にも忍び寄っていた。それを幼い感受性で感じ取っていたのだろう。受験で塾通いで詰め詰めだったと言い訳をしながら、兄の娘の無邪気なはしゃぎぶりは今でも記憶に強く残っている。
…それは、終わりゆく夏と自分の人生のこれからの先を予見して、一秒一秒、終わりゆく夏の光を記憶の琥珀に、粒に封じ込め、未来の闇に消えぬように思い出を刻み込もうとしている様だった。砂を蹴って無邪気に走り回る姿が、今なお俺の記憶を去らない。
すでに破滅の足音は背後に忍び寄っていた。その予兆を、彼女の鋭い感受性は察していたに違いない。当時はまだ13歳になる手前の12歳頃であっただろうか。年の割に無邪気にあふれる様な歓喜をしめしていたのも、せめて一刻を永遠に刻もうとする幼い魂のあがきであったかもしれない。
…今思えば彼女は知っていたのだ。この夏が家族の、ひいては彼女自身の人生の、ひとつの終幕であることを
俺とルカねえはその光景悲しくて居た堪れなくて見ていられなかった。憔悴しきっている兄は、娘のその機微にすら気が付いていない。その鈍さが、憐れで腹立たしくてしょうがなかった。
江ノ島神社で、お参りをした時、彼女は俺達よりずっと長く目をつぶって祈っていた。彼女の小さな肩は震えているように見えた。強く強くと神様に願いをかける様に。ルカねえと俺は彼女に聞いた、そんなに長く何をお祈りしてたの、と
「みんな仲良くこれからも暮らせますように」、「今の私が大切に思ってることが消えてしまわないように、消えてしまってもぎゅって守っていられるくらいの強さをくださいって」
…あの頃を思い出すたびに俺は自分のふがいなさと弱さに泣きそうになる。胸の奥底で嗚咽をかみ殺した。世の非情さを思い知らされたからである。だが、彼女は違った。あの瞬間、彼女はすでに、世の無常をその小さな胸で受け止めていたのだ。心が壊れ、すべてが崩れ去ろうとするなかでさえ、彼女は自らの「大切に思っていること」を決して手放さなかった
ーー兄の娘は、祈った。今でも忘れえぬことは、心が壊れてしまってもなお、彼女は自らの「好きな色」を忘れず、強く固執していた。
好きな色を聞けば必ず彼女は答える。
好きな色は、「みずいろ」と
…それは夏の空の色であり、壊れ行く者が最後に抱きしめる儚い希望の色だった。心が壊れてしまった彼女が胸の奥にひそかに抱いていた、あの淡い祈りの色である。
… 兄の業に翻弄され、家族が砕け散るなかで、彼女はこの「みずいろ」だけを守ろうとした。
滅びゆく者が抱きしめる色――それが、みずいろであった。
…今も俺の机の上、地獄の入り口のPCのブルーライトの光に照らされ、小さな球体の中の「みずいろの世界」に抱かれて泳ぐ小さな鯨とともに、その色は俺に語りかけている。その色は、淡く、だが確かに輝き続けていた。
兄の人生をたどる旅を終えて今わかった。兄の姿は彼らの現身なのだ。彼ら、彼女らの飾り立てるIT技術で変わる世界の美辞麗句にどこか詐欺師の語るような違和感を感じざるを得ない理由も、今ならわかる。
彼らは本当は、ただ自身の毒虫の様に肥大化した自尊心と、自己顕示欲、性欲、俺だけが主人公、それ以外はモブ、そんなあまりに幼稚で下劣すぎる欲望を満たしたいだけなのだ。力も度胸もないからテロリストや反社にでもなることもできず、またその方法もこの天下泰平の法治国家日本でわかるわけがなく、それを叶える魔法の道具に「IT」を選んだだけにすぎない。
彼らのいうAIだとかiPhone何某だとか、LLMだとかいう言葉を「拳銃」や「爆弾」と言い換えて見よ、何も矛盾することはないではないか…彼らの中に「自分」以外の存在は介在していない。かつての兄と同じである。
思えば、人類の歴史とはかくのごとき欲望の繰り返しである。古代に鉄剣がそうであり、中世には火薬がそうであり、近代に機関銃や戦車がそうであった。令和の世においては、それが「IT」であるというだけのことだ。
だが彼らの願いが叶うことは永遠にこないと思う。その末路は令和の世に入ってから幾らでも例があるではないか、孤独の業火に焼かれた青葉、狂気の刃を振るった平原、性欲と憎悪に欲望に溺れた和久井――いずれも同じ末路に至った。兄の姿もまた、その一つにすぎなかった。
ITを神輿に美辞麗句を飾り立てる彼らも兄と同じく、一皮むけば糞と小便と涎とザーメンの混合物…汚物の様な感情だけで動くそれらが詰まった肉の袋、人とは言えぬ何かでしかないのだ。
今では、ミサイルや爆弾を落とすにもスマホで写真を撮ってSNSで座標を知らせる、ということまでウクライナで行われ、かつてのアフガニスタンでは行われていたらしい。ITで世界は確かに変わった。だがそれは悪い方向に、でしかない。
――窓の向こうで、東京の都会の灯がうっすら見えている。
ルカねえや兄の娘、そして兄と見た府中は分倍河原の夜の様な星空は、その虚栄の光に隠れて見えなくなっている。
羽虫の様に光に集まる人々たち、欲も善も悪も聖も全てのみ込んで、東京の夜は深まっていく、田舎と都会の合間に住まう窓の外を見て、何とも言えない兄と、人の業の深さを感じている。
窓外に目を転ずれば、府中の夜空に瞬いた星は、もはや東京の灯にかき消されていた。星が見えぬということは、文明の光に包まれているということである。だがその光は、羽虫の群れをも包み込み、欲も善も悪も、すべてを呑んでしまう。
兄はなぜ首を吊らなければいけなかったのか。なぜ変わってしまったのか、ルカねえと兄の娘はなぜあんな目に合わなければならなかったのか。なぜヒーローは助けに来なかったのか。
星空も夜も、そして東京の光も、この苛立ちとも悲しさとも怒りともつかない感情の疑問に、答えを出してくれない…時は、ただ深夜二時の時間だけを静かに刻んでいる。
私も性にまつわるエッセイを書いてみたいと思った。
私は、性の目覚めが人より早かったように思う。
自分で自分を気持ちよくすることを覚えた1番古い記憶は幼稚園のとき。
みんなで机を寄せ合って座っていて、私は机の下で足をぴんと延ばしながら足の付け根の真ん中のほうを触っていた。それがいわゆる自慰行為だという意識はなかったけれど、バレてはいけないものだとどこかで思っていた。だから家でするときは、お母さんの足音がするとずぐにズボンの中に入れていた手をすっと出して、平然とした顔に戻る。そんなことを繰り返していた記憶がある。
小学2年生のとき。私は自分が通っていた幼稚園の先生の家にひとりでお泊まりに行く事になった。経緯はあまり覚えていない。その先生は当時27歳と若くて、その先生の家と私の実家が近かったことから卒園したあとも交流が続いていた。そんな中、なぜか私はひとりで先生の家に行く事になった。親から離れるという経験をさせたかったのかもしれない。その日、先生の家で起きたことは今でも忘れない。
先生の家ではソファに座りながら、テレビを見ていた。先生はお酒を飲んでいた。時々するめいかを食べながら。あと、長めのカルパスも。そしてなぜか、私達はキスをしていた。先生がカルパスを半分咥えて「ん。」と私の方に顔を近づける。私はそのまま反対側を軽く咥える。すると先生の顔がどんどん近づいて来て、カルパスと一緒に先生の舌が口の中に入ってくる。そうやって何度もキスをした。お風呂にも一緒にはいった。私は浴槽の中で先生の上にまたがっていた。どことなく”あそこ”が熱を帯びているような、初めての感覚があった。寝るとき、先生は私の身体を全身触った。下から上まで。そしてまた、何度もキスをした。私はそのまま眠りに落ちたが、夜中にふと目が覚めた。私は先生にキスをされていた。舌をいれられていた。起きたらだめだと感覚的に思って、目を必死につむり、寝たふりをしながら先生と長いキスをした。
その日の何とも言えない高揚感、人間の温かさ、はじめてのあの感覚を夜寝る前にもう一度味わいたくて、布団をぎゅっと抱きしめたり、足の間にいれてこすりつけたり、枕とキスをしたり。何度も何度も繰り返して眠りについた夜は数えきれないほどある。私は先生のことが好きになっていた。私の初恋のひとだった。先生とのキスはピュレグミを食べる度に思い出すことが出来た。ピュレグミを噛まずにおいておくと、唾液でまわりの砂糖がとけていく。残ったグミを舌の上で転がす感覚は、先生の舌が私の口の中で動き回っていたあの感覚に似ていた。だから私はピュレグミが好きだった。
先生とそんなことがあったなんて、お母さんには口が裂けても言う事ができなかった。自慰行為と同じ。これは隠さなきゃいけないことだと、そう本能的に感じていた。隠しながら家族と先生で旅行にいったり、交流を続けていた。家族と出かけているときも先生は隙を見つけては私にキスをしてきた。トイレにたったタイミングや、私を寝かしつけてくると両親に言い渡し、布団の中で身体中を触られた。
そんな日々は長くは続かなかった。先生は当時付き合っていた彼女と結婚することになり、お出かけにいくことがなくなった。そして月日が流れていった。気づけば私の先生に対して抱く恋愛感情もどこかへと消えていった。
そんななかでも私の中に「性」への興味はどんどん強くなっていった。親の携帯で「キス」や「エロ」などと検索して何度も動画を見ては、”あれ”を触って気持ちよくなった。初めて絶頂の感覚を味わったのはいつだったか覚えていないけれど、びっくりした。絶頂を迎えた瞬間に”あそこ”がびくびくして、動けなくて、トイレに行きたくなってもおしっこが全然でてこなくて、もどかしくて苦しい。今まで興奮していたものたちが一気に魅力を失って、「あれ、何してたんだろ」という冷めた気持ちになる。その感覚が嫌いだった。だけどいざ始めてみると、どうしても絶頂を迎えたいという気持ちが出てきて、気持ちよくなっては苦しくなって、ということを繰り返した。
中学生にあがると、同級生が「性」に目覚めはじめた。それぞれの性器を掴み合う遊びをしたり、下ネタで盛り上がったりするようになった。その頃、女の子の友達が「オナニー」というものがあると私に教えてくれた。実家に帰り私は「オナニー」を調べた。その時は自分がしていることと「オナニー」は別のものだと思っていた。だって友達もネットも、”あそこ”に指をいれてかき回すを言っていた。私は指をいれていない。表面をなでているだけ。全然違うと思っていた。まあでも、その1年後には自分がしているものが「オナニー」だと何かしらで見て気づいた。自分だけじゃないんだと思えてどこか嬉しくなったのを覚えている。
中学2年生になるとまわりの子が「初めて彼氏とキスをした」とキャッキャ言っていた。そして私にも彼氏がいた。そのときはじめて自分がキスを何度もしたという過去に、嫌悪感を覚えた。みんな「初めて」を凄く大事にしていた。「初めて同士」というのが”普通”だった。私はそんなことすべて済ませていた。また、嘘をつかなきゃいけなかった。
「初めてじゃない」ということが嫌で嫌で、自分の身体が汚れているような気がして、そんあ自分で彼氏とキスをしたくなかった。だから清純ぶった。そしてキスを拒んだ。そこで自分のなかにふたつの世界が生まれた。「えっちなことが大好きな自分」「清純でえっちな事に抵抗する自分」。両方本当の自分だった。家でひとりですることと、彼氏とすることが同じとは思えなかった。「性」と言う世界に他者が入り込んだ瞬間に、私は清純な人間になる。エロから興味がなくなる。これは今でもそう。私は、ひとりの時が1番エロいと思う。
そんなこんなで、大学生、社会人となり、色々と経験した。好きじゃない人とえっちもした。経験人数は20人いかないくらいかな。たぶん。正直数えてないから分からない。でもこれは、自分が求めてしたわけではない。ただご飯に行って、楽しくてそのドキドキを味わっていたくて、家にいく。えっちがしたいわけじゃない。ドキドキしていたいだけ。でも男性にはそんなこと通用しない。そこまでいけばもう、そういうことになる。そして私も流される。「まあいっか。」と。でもそれは自分の内側にある性欲とは別物。
「性欲強い?」と聞かれることがある。困る。強いのか弱いのか分からない。ひとりの時はめちゃくちゃ強い。色んな動画をあさるし、毎日のように自分を慰めるし、変わった性癖に興奮することもある。だけど、他者がいるとどうもその自分が出てこない。えっちをしたいとあまり思えない。不思議。ここをもっと自分でも言語化したい。
| 機種名 | 価格 | 売ってるとこ | 所見 |
|---|---|---|---|
| Pula Unicrom | ¥10,964 | https://www.amazon.co.jp/dp/B0FJY8FC7Y | 弱ドンシャリのベリリウムらしいキレのあるウォーム系で一段上のベリリウムメッキ1DDといった趣らしい。パッケージが豪華でケースがめっちゃ高級感ある。 3.5と4.4mmのモジュラーケーブルも立派。スタビウッドのレジン封入ということでウッドパネルのSIVGA Queを思い出すが、比較してUnicromはより軽量で万人受けするチューニング。 |
| Agasound Sublimation | ¥15,120 | https://www.amazon.co.jp/dp/B0FGJCK3JB | 10mmセラミックコート1DDのアルミ筐体機。どうやらeイヤなどでよく売れているらしい。 |
1万円近辺の1DD機に質の高い中華イヤホンが充実してきている感じ。
この万超えレンジになると、Simgot、Moondrop、Kiwi Ears、Truthear、AFUL、Kefine、SIVGAといった強いブランドがひしめいているんだが、新興系でも全然食い込んでくる実力派がいる。Agasoundって聞いたことないけどどこ背景だろう。
Pulaはわりと前からいるけど。Pula PA02 と CKLVX D41 がアリエクで買える中身クリソツの1DD4BA機でかなり音が良いってことで2年くらい前に英語圏で話題になっていた。このへんのブランドはODM系からのスピンアウトなのだろうか。Juzearと標準ケーブルが似てる。
あの頃、AFUL Performar5はちょっと高い、Simgot EM6Lは売ってない、って人が手頃にアリエクで同構成同品質のものを漁るときに目に入るブランドだった印象。
つい最近TANGZU FUDU Verse IIなんていうウッドパネルのチタン1DD+2BAのも出てきてたりして、なんか界隈はウッド調ブームなのかもしれない。
「夜道も一人で歩けないなんて、おかしい」
私はそう思っていた。
二十四年生きてきて、帰り道の暗がりを歩くたびに背筋が固まる。
見えない視線。靴音。男の影を警戒するのが女の義務みたいになっている。ふざけるなと思っていた。
だから駅前の小さな神社の石段で、私は夜空に向かって愚痴った。
それはただの独り言。
だけど、夜風がやけにざわめいていた。
翌朝、世界はひっくり返っていた。
電車に乗れば、女たちが獲物を探すように目を光らせている。
スーツ姿のサラリーマンは怯え、つり革を握りしめる手が震えていた。
大学生の男は肩をすぼめ、イヤホンの音を大きくして周囲から逃げようとしていた。
逆だ。すべて逆になっていた。
私は返せなかった。
でも……これは、違う。
沙耶は得意げに言った。
「女が本気出したらこうなるのよ。これからは逆痴漢、逆セクハラの時代!やり返してやればいいの!」
私は無言でサンドイッチをかじった。
すると沙耶が私を覗き込む。
「なに?まさか不満?」
「いや……そういうんじゃ……」
でも本当は違う。
男の怯えた顔を見るたびに、私は背筋が冷えた。
夜。帰り道。
「ねぇ、いい体してんじゃん。遊んでかない?」
「僕、帰らないと……」
青年は蒼白な顔で後ずさる。
私は思わず声を上げた。
「やめなさい!」
女たちはギロリと私を見る。
「分からない!」
女たちは舌打ちして去っていった。
「ありがとうございます……夜道が、怖いんです……」
私の胸はえぐられるように痛んだ。
これは昨日まで、私が吐いてきた言葉だ。
数日で社会は完全に変質した。
「男性保護法案」が可決され、夜十時以降の男の外出は原則禁止。
街頭インタビューで女たちは笑って答える。
「男ども?昼間に用事済ませりゃいいでしょ」
私は吐き気を覚えた。
やがて私自身が“女”であることを理由に、加害者扱いされるようになった。
ある晩、コンビニのレジで並んでいると、前にいた男が私を見て身を竦めた。
「見ないでください……」
「え?」
「どうせ、俺を狙ってるんでしょ……!」
「ち、違う!」
私は凍りついた。
「女性社員の皆さんへ。社会的立場上、あなた方は“潜在的加害者”と見なされます。その自覚を持ちましょう」
私は机を叩いた。
「おかしいです! 私はそんなこと望んでない!」
周りの女たちは黙っていた。
私だけが浮いていた。
夜。帰り道。
私は自分の姿が街灯に照らされるのを見て、ぞっとした。
ヒールの音。
男たちの視線。
怯えて逃げる足音。
「私は……化け物になってる」
それは、私自身を捕食者に変えることで実現したのだ。
再び神社に行き、私は叫んだ。
「こんなの間違ってる! 私が願ったのはこんな世界じゃない!」
夜風は答えなかった。
代わりに背後から声がした。
「遅いんだよ」
振り返ると、そこには無数の女たちが立っていた。
口紅を濃く塗り、目を光らせ、笑っていた。
「さあ、仲間になろうよ」
私は首を振った。
「違う……違う……!」
だが、女たちの輪は狭まるばかりだった。
今、私は夜道を歩いている。
誰も私を襲わない。
誰も私を脅かさない。
なぜなら──
こないだ夫婦げんかの流れでマンションを借りて半別居し始めた。
それまでの状態は、お互いずっと一緒にいるとストレスになるって話だった。
妻は夫の言動に、自分は妻の言動に。言えないとか、思い込んじゃうとか、誤解したり気を遣ったり、お互いいろんなもんがぐちゃぐちゃになってた。
大体1日目の夜~翌朝にかけて言い合いになるが、その流れでお互い言いたいこと言った。
自分はHSP的な気質もあって物音も気になるから、そのこと(もう少し静かにしてほしい)も話したけど「それは無理」って言われた。
お互いにとっての「無意識」を変えるって困難。「普通の感覚」も違ってたりする。
ただ、妻が「洗濯機の蓋静かに閉めてみたりしてる」って言ってて、その時初めて知った。考えてくれて、行動を変えてくれたことに気づけないって罪。
「物音気にしないで」って言われてもそれは無理なのだが。
でもお互いの事は嫌いではないんだ。
気持ちの問題と言われることがあるけど、個人の感覚を変えることって、どちらかというと「汗かかないで」「かゆくならないで」とかって言われてるのに近いと最近思う。そこがこじれるとお互いに嫌いなような気がしてくる不思議。
「部屋借りたら?」と妻が言った。
自分も、妻にこれ以上ストレス溜めるのは嫌だから職場の近くに部屋借りるっていったら、妻もホッとした感じになってたので、そのまま契約した。
子どもの習い事の送り迎えが仕事場の近くなので、お迎えに行く日は子どもと帰宅。週の半分は自宅・半分はマンション暮らしって感じ。
こないだ妻の手料理を何日かぶりに食べた。美味かった。「やっぱり手料理がいいなぁ」って話をした。
喋りながらご飯が食べられるのもいい。ひとりだと買って食べることが多いし、だんだん体が受け付けなくなってくる。
プチ一人暮らしでお料理できるようになれば、自宅にも還元できるかも。
マンションのシャワーは水圧もそこそこ(バルブで流量調節はできるが)で、決して広くはないし、浸かったとしてもウッディ人形が折りたたまれて箱に入ってるみたいで窮屈だからリラックスできない。
で、意外な発見だったんだがパパがいなくなってからママがダラダラ手抜きしてるって子どもが言うんだ。
「手抜きしてるの?」って妻に聞いたら
ニコニコしながら夕食とかの手抜き具合を教えてくれた。
なんでも、パパが帰宅すると思うと「帰ってくるからやらなくちゃ」って思うらしい。
それを聞いてなんかホッとした。
一度たりとも「俺の飯は?」とか言ったことないんだが、考えればそれはそれでプレッシャーだったのかも。
文句ばかり言う夫なら妻だって「なんだコノヤロー」って言えるけど、文句も言わずに仕事して帰ってくるんだから、ちゃんとしないとなって思ってたのかな。
聞き分けがいいようでいて、それが逆に相手に逃げ場を与えないことにもつながるのかも。
「お父さん帰ってくるから」
自分は中高生くらいになると「別にいいじゃん、なんでそんな気にするの」って言ってたけどそういうわけにもいかないのかな。
うちのオトンも真面目に働いて文句も言わない人だと思う。
あと、数日ぶりに帰って家にいたら、息子がスポーツから帰宅して「パパー!パパー!」って汗だくのまま抱っこにやってきた。
息子曰く「パパがいないと違う」らしい。かわいいやつ。
いっぽう、古いワンルームのマンション暮らしは結構楽しくて、自宅では叶わない生活環境を余すところなく実行していこうと思ってる。
まず部屋の天井に照明はついていない。昼間は明るいから電気はいらないし、夜はダイソーのコンセントライトと勉強用の電気スタンドがあれば足りる。自宅だとお風呂暗くして入ってても、子どもが入ってきたら「暗い!」って電気つけられる。
朝陽は好きだが、夜まぶしいのは苦手なんだ。
好きなフレグランスのスティックを置いて、足音が気にならないよう洋室をカーペット敷きにしてやった。
ハンガーは一度使ってみたかった滑り止めつきのやつで統一してみたが、自宅に帰った時にプラスチックのハンガーがついてくるのでなんとか白1色に統一している。
キッチン戸棚は常に解放しており、ワンアクションでコップやコーヒーに手が届く。
まともなひとり暮らしってしたことなかったから、自分の生活環境をほとんどコントロールできて、自由に配置できるってすごく心地よい。
若いころ一度だけ社宅として借りてもらったマンションで数か月住んだが、仕事が合ってなかったのと、急な一時出張みたいな感じでその時はストレスしかなかった。
コストコで買った50個入りのロールパンが流し台下の四角い冷蔵庫に退去の日まで45個くらい入ってた。
100円ローソンのカルボナーラの空き容器が溜まっていってた。
その部屋は堅いフローリングだったから、部屋に帰っても居場所が座布団の上くらいしかなく、
ベッドは備え付けの電動ベッドだったが、なんか、思い返すだけでもすごく嫌だ。
子どもたちの学校が始まったので、妻がこのまま持つのかは不明だ。
でも、お互いにストレスから解放されて週半分は会う生活もよい。
結婚生活ってお互いの全てを受け入れるとか、片目をつぶるとか、いろいろ言われるが、物理的に離れるのって分かりやすくて良い。
妻が言ってたのよ
「居たら色々頼みたいけど、疲れてるかな?とか勉強したいかな?とか気にしないといけない」
夫も言ったのよ
「居たら、家の事しなきゃなって思うけど、勉強したり他の事したい時もある」
これ、お互いにいなかったら解決。
いや会話しろよって思うかもしれない。
そこがね、もうね。ぐっちゃぐちゃになってくるとね、ままらないのよ。