
はてなキーワード:超電磁砲とは
https://anond.hatelabo.jp/20250923191830
例えば何だろ、俺の詳しいところで言えば「とある魔術の〜とある科学の〜」とかかな
アニメから入った人は絶賛して、原作厨は「なぜそこを変えた??」と怒り狂う
こだわりが強いとかじゃなくて、必然性がない改変ばっかりする
思い出した、あの頃のJCSTAFFは大体そうだったな、ゼロの使い魔とか、灼眼のシャナとか
こういうのは原作が90点だとすると、アニメが80点の出来で、世間的には80点評価なんだけど原作厨としては-10点みたいな評価なんだよね
とあるシリーズだと、佐天さんでめちゃくちゃ荒れたのを覚えてるわw
まあこういうのは寛容さとかこだわりとか色々混ざった結果なんだけど
スタッフが物語の構造や意味を理解してないとか、意味を変質させてしまうみたいなところで怒る人が多かった
そういうのが大体2010年代前半くらいまで続いたんだけど、2010年代後半くらいから原作リスペクトというか、意図を取り違えないように細心の注意を払うアニメ化が増えてきたと思うんだよね
パッと思いつくのだと、メイドインアビス(2017)、鬼滅の刃(2019)の頃かな(追記:J.C.STAFFで言えば、2015年あたりから原作通り増えてるイメージある、食戟のソーマ、ふらいんぐうぃっち、斉木楠雄、ジャンプだからかもしれんが)
おそらく作り手の世代が変わったか業界の認識が変わったかじゃないかと予想してるけど、動画配信サービスが流行る頃には本当に原作通りやるのが主流になった
あるいは、改変するにしても「良い改変」「良い追加シーン」という声が上がるようになってきたと思う(相変わらず怒ってる人は居るけど、直近で言えばダンダダンでさえ怒ってる人がいるくらい)
チェンソーマンについて言えば、まず原作ファンが多いので改変に対する声が大きかったのがあると思う(原作ファンが少ないと原作厨も声が小さくなる)
2000年代、2010年代とアニオタだった人からしたら、この程度の改変は誤差の範囲だと思うけど、2020年基準ではアウトなのかもしれないね、だいぶハードルが上がってる気がする
今回総集編で変えた理由はおそらく、改変よりも追加が多かったからじゃないかと思う、単純に削りやすかった
(これ、追加が多かったのはそもそも尺の問題もあったと思う、原作通りやったら尺が余るんだよね、レゼ編は映画にしたいだろうし)
ついでに言えば今回MAPPA出資なので、MAPPAの意思決定で行けたし、1期の数字が出ていなかったので原作厨の声に寄り添うのは自然な流れ
と考えると、まあ総集編はああなるよね、と言う印象
セリフの変更などが注目されてたけど、比較するととにかく原作にない追加シーンをカットした総集編だった、それで驚くほどテンポ良くなったからアニメってむずいよなって改めて思い知った
(個人的には元監督に少し同情してる。コベニのシーンと「俺達の」は同情してない。モーニングルーティーンは直後のパワ子登場を引き立てたから良かったと思う、あと総集編で2つくらい無駄に削りすぎたシーンが有って気になった)
ちなみに、海外勢は「テンポ悪くなかったよ」って言う人多いんだけど
字幕追ってるとむしろテンポ良い作品はキツイんだよね、あれ読めてんの?めっちゃ早いよね字幕
話がそれたけど
増田の言う「成功体験」はまったく違うと思う、原作厨はずっと前からアニメ化で怒っているって話
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ところで、「映画好きな作者に合わせた作風」ってズレてるよね、作者は映画好きだけどそれは脇に置いといて読者に向けて作ったのが漫画なわけじゃん?そこから映画風に寄せてどうするんだよ、作者じゃなくて客を見ろよ
「ドロヘドロと呪術廻戦のパクりみたいなチェンソーマンをドロヘドロと呪術廻戦のアニメ制作会社がやってくれるんですか!?」とか言ってたタツキがバカみたいじゃん
そりゃタツキだって「才能のある監督さん達に作られた事によってちゃんとした作品になっていると信じています」とか捻くれたデンジみたいなこと言い出すよw
映画(レゼ編)は良かった、追加シーンに違和感なかった上で「映画っぽさ」もすごく出てた
原作厨の中にも「ネガティブなこと言っても白けさせるだけだから何も言えない派」と「それでも我慢ならねえ派」が居たと思う
危機察知力が高まれば「見ない」ができるんだけどね、約ネバ二期とか瞬時に見るのやめたからね、黙って原作を読もう
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禁書と超電磁砲はそこそこ評判悪かったよ、原作スレオフ会に居たからガチ、改変もあるが表現力不足もあった
皆んな大人だったから、ダメな部分は敢えて見ないようにしてたけどね
Permalink |記事への反応(14) | 10:41
ニュースやネットを見てると時代の変化とともに好きな作品やコンテンツっていうのはどんどん変わっていき、その様子が何となくうっすらとだがわかっているつもりでいたが
一度アプリを入れてみたけど
基本的にYou Tubeにも上がってるような動画ばかりで切り抜きの切り抜きで
テレビなんか見ないもん!!
という若い子の声を聞く一方そういったテレビの切り抜きは無数に出てくるし人気がある
急にオタク話になるがブルーアーカイブというゲームで超電磁砲という作品がコラボすることになったのだが一部ではおっさんしか知らないと言われまくったのだが
超電磁砲は今でも連載してますし忖度抜きで一つの能力バトル漫画として滅茶苦茶面白いですが!!!!????
あなたの言ってることをそのまま置き換えるとワンピースもおっさんしか知らないという作品になりますが!!???
ていうかお前ら若いやつの一体感がなさすぎるせいで新しいコンテンツが出てきてないし見えてこんのだが!!!???
…すまん、取り乱したわ
増田はおっさんおばさんが大半ということはわかりきってはいるのだが
ワイヤレスイヤホンが主流になった今となってはもう無くなった文化かもしれないが、ふと思い出したことがあった。わかる人はいるだろうか、セーターの袖からイヤホンを出して音楽を聴くあれ。
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音楽もサブスクなんてもんはなかったからCDを買うかTSUTAYAに行ってレンタルをして、PCにインポートして自分のプレイリストを作っていた。
男子中高一貫の自称進学校(笑)に通っていた僕はひたすらオタク道を進み続けていた。当時のオタクコンテンツを思い出すと、けいおんやら超電磁砲やらその辺になるだろうか。
そんな中僕のiPodにはひたすら当時流行ったアニメのキャラソンが詰め込まれていたし、自分でも引いてしまうが当時ニコニコ動画でやたら流行っていた「ヤンデレCD」シリーズも入っていた。
話題を元に戻そう。とにかく男子中高生なんてものは基本的に馬鹿でくだらないことが大好きだ。僕達はいかに授業をやり過ごすかを考えていた。そして学校は携帯所持禁止。見つかれば即没収の罰点累積の厳重指導という厳しい校則だった。
そんな中でも僕達は授業から逃げたかった。そこで考えたことが「授業中に音楽を聴くこと」だった。しかしイヤホンは有線。そこで誰が考えついたのか、始めたのか分からないがセーターの袖からイヤホンを出すというテクニックだ。窓際で頬ずえをついてつまらなそうな顔をしている分には自然だ。それがカースト上位勢の中でとても流行っていたのを覚えている。授業が終わるとわざとらしい大声で「マジでRADいいわぁ」やら「今どきはエミネムだべ」(当時僕はエミネムを知らなくてアメリカのチョコレートのことだと思っていた)やら音楽への感想を述べていた。
あの頃彼らが聞きたかったのは音楽じゃなかったんだと思う。いや、何も聞きたくなかったのかもしれない。
(学校生活に支障が出ない程度に)悪いことをしたい。つまらない授業をやり過ごしたい。友人から尊敬されたい。そんなちっぽけな物を求めていたんだろうと思う。
今の高校生ってワイヤレスイヤホンだからそのまま耳に入れて授業とか受けられそうで便利そうだなと思いつつ、簡単に出来るようになったのは風情がないなと思ってしまう自分がいる。アラサーになったらもう世間の中心ではないなぁと思った。ポケットに入れてたiPod nanoに思いを馳せつつもうおっさんだということを自覚した。
それでヒトとして生きてるのか?
高尚な議論はヨソでやってよ
そーいう考え方は古くなってるの
さっきも言ったけど
目の前に横たわる現実
それに是非を求めて
納得できるかなんて
各々の裁量なの
アンタのは自意識過剰よ
そんなに大事?
他人にどう見られるかって
それはそれで結構だけど
だったら踏ん反り返らないと
少なくとも自分のカッコは
それをどう見られるかなんて
織り込み済みの選択じゃない?
髪染めて後付けで着飾っといて
それで評価されることが不服とか
欺瞞もいいところよ
科学だけじゃないわ
マジシャンとは言っても
そんなチャチなもんじゃー
断じてないわよ
水のない所で大量の水だしたり
レールもないのに超電磁砲撃ったり
原理は全くもって謎だけど
確かに言えることは
エスパーよりも夢があるってこと
まーいずれ目にするわよ
すぐに気づくわ
如何にもな格好でホーキ乗って
よく分かんないマスコット従えて
今季のアニメもちらほらと終わり続けこのような時期の中クオリティが高いアニメを作ってくれる製作者の方々には頭が上がらない まずこの場を借りてお礼を言いたいです
超電磁砲Tは脚本はこうやって作るんやぞとお手本のような作品でドリームランカー編が全シリーズ通して一番面白かった
こういうアニメを見せられた日にはお金でも投げたくなるのだがいかんせん自分は稼げてる側の人間じゃなくいくつかの動画配信サイトの登録(dアニメなど)や買える数だけの円盤を買うことでしか還元できてない
特に円盤は高く全シリーズを通して持ってるものは手で数えられるほどだ 気軽に買えるものではない
だが数万円は手は出せないでも数千円なら手は出せるという人は多数存在すると思う
そこで今他界隈では主流の投げ銭、スーパーチャットを導入できるようなサイト、システムがアニメ界隈にもあればなと最近は毎日のように思う
他コンテンツを下げるような言い方がしたいわけではないが投げ銭やスーパーチャットが盛り上がってたまにニュースになるのはコンテンツの中身がどうこうというよりもお金が投げやすい、この一点に尽きると思う
(お金や人が集まるところに更に集まる習性を持つのが人、特に日本人だからだ)
誰でもいくらからでも投げることできるため気軽にお金を払うことができる 主流のシステムでもあるため人の目にも入りやすい
人の目に入り人が集まればその人の集まってる所に更に人が集まる 好循環だ
ゲスな話だがアフィサイトのようなところでは自分で何が面白いかすら判断できないため数字を特に重要視しているため扱っている このアニメにはいくらこのアニメにはいくらと円盤の数字ではなく金額で出れば盛り上がるだろう
俺個人としては大嫌いだがアフィサイトを支持しているような人が増えた今このようなやり方はやっても損はないと思う
今季がアニメが終わり来季アニメが始まろうとするが驚くくらいの激戦区だ ここ最近というよりもここ数年ですらお目にかかることができない豊作のクールになると思う ていうかなってる
だからこそこのアニメは面白かったのに・・・という埋もれてしまうようなアニメも多数出てくると思う
そういった埋もれるようなアニメもちゃんと評価されるようなそんな世の中になって欲しい
Permalink |記事への反応(14) | 12:47