
はてなキーワード:超能力とは
ドンッ
あおやまちゃん「うわあ!イテテ…誰ですか?あなた!大丈夫ですか?」
??「アタシはどこにでもいて、どこにもいない存在…」
あおやまちゃん「いやそこに居るからぶつかったんですよね?どいてもらえますか?あとついてくるのやめてもらっていいですか?あおやまちゃんは忙しいんで」
??「五月蝿いっ!!アタシは超能力でお前を探っているの…」
あおやまちゃん「はあ?ずっとストーキングしてるだけですよね?やめてもらっていいですか?」
あおやまちゃん「えっ?なに?デカチンって言ったいま?(唖然)」
??「アタシはOMNKという特別な人間…!イケメンデカチ🙌ポ様に相応しいの!」
あおやまちゃん「すみませんイケメンデカチ🙌ポって人名なんですか?申し訳ありませんが存じ上げません😲」
OMNKさん「イケメンデカチ🙌ポを出しなさいよ!キキィイイイイイー!!」
あおやまちゃん「え…なにこのおばさん…頭おかしいよ…とずまりすとこ…😅」
〜出会い編 完〜
ドンッ
あおやまちゃん「うわあ!イテテ…誰ですか?あなた!大丈夫ですか?」
??「アタシはどこにでもいて、どこにもいない存在…」
あおやまちゃん「いやそこに居るからぶつかったんですよね?どいてもらえますか?あとついてくるのやめてもらっていいですか?あおやまちゃんは忙しいんで」
??「五月蝿いっ!!アタシは超能力でお前を探っているの…」
あおやまちゃん「はあ?ずっとストーキングしてるだけですよね?やめてもらっていいですか?」
あおやまちゃん「えっ?なに?デカチンって言ったいま?(唖然)」
??「アタシはOMNKという特別な人間…!イケメンデカチ🙌ポ様に相応しいの!」
あおやまちゃん「すみませんイケメンデカチ🙌ポって人名なんですか?申し訳ありませんが存じ上げません😲」
OMNKさん「イケメンデカチ🙌ポを出しなさいよ!キキィイイイイイー!!」
あおやまちゃん「え…なにこのおばさん…頭おかしいよ…とずまりすとこ…😅」
〜出会い編 完〜
ドンッ
あおやまちゃん「うわあ!イテテ…誰ですか?あなた!大丈夫ですか?」
??「アタシはどこにでもいて、どこにもいない存在…」
あおやまちゃん「いやそこに居るからぶつかったんですよね?どいてもらえますか?あとついてくるのやめてもらっていいですか?あおやまちゃんは忙しいんで」
??「五月蝿いっ!!アタシは超能力でお前を探っているの…」
あおやまちゃん「はあ?ずっとストーキングしてるだけですよね?やめてもらっていいですか?」
あおやまちゃん「えっ?なに?デカチンって言ったいま?(唖然)」
??「アタシはOMNKという特別な人間…!イケメンデカチ🙌ポ様に相応しいの!」
あおやまちゃん「すみませんイケメンデカチ🙌ポって人名なんですか?申し訳ありませんが存じ上げません😲」
OMNKさん「イケメンデカチ🙌ポを出しなさいよ!キキィイイイイイー!!」
あおやまちゃん「え…なにこのおばさん…頭おかしいよ…とずまりすとこ…😅」
〜出会い編 完〜
この漫画…みんな正直知らないと思う。かなりマイナーっぽいし。
実を言うと、俺もまったく知らなかった。電子書籍ストアでセールの棚を眺めててなんか個性的な絵のおっさんが描いてある表紙が目についた。
で、読んだら——めちゃくちゃ面白い。
この漫画の主人公は黒澤っていう中年のおっさん。職業は土木作業員。
なのにマジで心をえぐるんだわ……。
見てるこっちが恥ずかしくなるほど失敗する。
でも、それでも前を向く。
それがめちゃくちゃカッコいい。
この漫画、普通の作品だったら脇役で終わる存在にちゃんと光を当ててる。
生き様の実寸大を描いてる。
こんな作品、初めて読んだんだ。
セールで全巻合わせても千円ぐらいで買えたが、今年人生の支えになるなんて思わなかった。
お願いだから言わせてほしい。
みんな読んでくれ!!
本気でおすすめしたい。
たぶんここの住人なら黒澤のこと好きになるから。
Permalink |記事への反応(11) | 12:51
俺が動画見て見様見真似ね振っても5割ぐらいしか成功しないんだけど?
アスペは諦めろって?
dorawiiより
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行ったら、箱庭療法の箱庭があったりして、なんかそこにいるオバチャンと適当に話して終了したんだけど…😟
俺、そんなに変な絵を描いたのかな?
時期的に攻殻機動隊の1巻の頃なので、あれも模写してましたよ、木とか草とか…😟
そういえば、あの頃は個人的に超能力バトルみたいなの描きたくて、
ロシアの科学アカデミーみたいな胡散臭いところ出身の女性超能力者が主人公で、みたいなネタを毎日考えてて、
とりあえず、超能力バトルが単に描きたかっただけなんだけど、武装ヘリ描いたり、
雪山とか草木描いてるだけでバテてた気がする意味ねーなおい…😟
そういうのはハリウッドでやれよ、みたいな身の丈に合わないものを描く前に日常系とかちいかわでも描いてろよ、
というか、ちいかわもアレはアレで難しいよね、線が少ないなら少ないで難しい…😟
そういえば、木を描くには描いたけど、リンゴも描け、みたいな指示だったから、
上から取って付けたようにリンゴ描いちゃった気がするけど、何が問題だったんだか分からん…😟
Xのポストで、絵師に敢えて木を描かせるって何かのプレイなの?みたいに書いてる人いるけど、
俺も同じこと、大昔だけどテストのとき似たようなこと考えてたんだよね、
というか、そこそこ絵が上手いレベルで、みんなでドラえもん描くみたいなの楽しいよね…😟
久しぶりに映画を鑑賞したので、感想を備忘録としてまとめておく。
ネタバレ注意。
年の暮れも近づいて寒風が吹きすさぶなか、これほどの恐怖と癒しを味わえるとは思わなかったので、いい記念になった。
『スカーレット』について論じる前に、前提に触れておきたい。
少年少女を主人公に据えて普遍的かつドラマチックな物語(以降、ドラマと呼ぶ)を展開する場合、シナリオのテーマは必然的に「これから大人になる子供たちへの応援歌」になる。
何故かと言えば、大人にならない人間はおらず、あらゆる受け手に刺さるテーマだからだろう。
こうなると、あらゆるシナリオ上の敵は「大人になるための障害物」「大人になることへの恐怖」ということになる。
最終的に、物語の中で主人公はこれらの強大な敵を乗り越えて、大人になっていくということだ。
これはたくさんのドラマに触れてきた人なら自明のことだと思うが、親を超えればいい。
つまり、大抵の子供のドラマにおいて、テーマは「親殺し」になる。
古今東西、子供が主役のドラマは星の数ほど生まれているが、脚本家には何を「親」にして、どう「殺す」のかが問われるだろう。
ここで、『スカーレット』の話に戻ろう。
先の前提を鑑みて『スカーレット』のシナリオを俯瞰した時、スカーレット(主人公)はどう「親」を「殺した」のか。
結論から言うと、スカーレットは親を殺せなかった。正確には「殺さなかった」。
「殺し方がうまくなかった」とか「殺しはしたが中だるみした」とかではない。「殺さなかった」のである。
カレーを作ろうとしたがルーを買っていなかったレベルの失敗で、これは叩かれても仕方がない。
なぜこんなことになったのか。
おそらく、これは脚本が下手とかそういう次元の問題ではないと私は感じた。
話は脱線するが、果てしなきスカーレットはハムレットを翻案したものなので、ハムレットの構造にも触れなければいけない。
ハムレットは行間のある物語であるため、様々な解釈があるが、端的に言えば主人公は「父の呪い」から始まり、「父の呪いを断ち切って」己の遺志だけを残して死んでいく。
詳しくはここでは割愛するが、ずっと父の呪いに悩まされ、懊悩していたハムレットであったが、最後は純粋な義憤によって剣を取って悪を処断し、理性的な政治家として死んでいくのである。
もう一度『スカーレット』に戻ろう。
ハムレットのテーマを踏まえると、『スカーレット』は「どう親を殺すか」という問いだけではなく、この「ハムレットがどう悩み、どう大人になったか」を翻案するという大変重い十字架を背負って出発している。
ハムレットは数多くの翻案作品があり、翻案を明示していなくてもハムレットをフレームワークとして利用したと思われる作品は数多くある(ディズニーのライオンキング等)。
残念ながら、『スカーレット』に関しては「戦って負けた」とは言えない。不戦敗である。
何故そう言えるのか。
ここからネタバレになるが、何と『スカーレット』では、父の呪いが最後にやってくる。
物語の大団円、最後の最後に父の亡霊が「自分の人生を生きろ」と告げ、スカーレットが子供のころに描いた父の似顔絵(母親に破り捨てられたもの)に変化して消えていく。
恐怖である。「親殺し」どころか、これで主人公は「親の命令に囚われて一生を生きる」ことが確定してしまった。
死者の国を旅し続けて、数多の試練を乗り越えた末に、似顔絵を描いた幼少の自分の精神に戻ってしまったのである。
その後王になったスカーレットは、集まった民衆に向かって無邪気に父から受け継いだ理想をそのまま語り、条件付きの平和を約束する。
いやいやいや。なぜそうなる。
単純に突っ込むとこれで終わりなのだが、冷静に登場人物を振り返っていくと、この物語が内包している恐怖が浮かび上がってくる。
劇中冒頭の処刑時に主人公に聞こえない遺言を呟き、終盤まで主人公を惑わせつつ、最後に呪いを仕掛けてくる「偉大な父」である。
劇中、なぜか腑抜けとして扱われているが、親しみやすい人柄で子(スカーレット)と民衆からの信頼は篤い。
特に正義もなく極悪非道を貫いているサイコパスのラスボスである。
民衆から慕われている王(アムレット)を民衆の前で殺害できる政治的な超能力を有している。
死の間際、スカーレットの顔面に唾を吐きかけてくるレイパー役も担っている。
あらゆる悪人に手を差し伸べて怪我を癒す看護師であり、道中でスカーレットに守られ続ける存在である。
子供を守って通り魔に刺されて死者の国にやってきて、愛の歌だけでスカーレットを現代の渋谷に飛ばし、ダンスと歌でスカーレットを精神的に生まれ変わらせた。
死の間際、スカーレットに「いきたい!いきたい!」と言わせて死者の国から旅立たせる白馬の王子様役も担っている。
スカーレットはなぜこんなにも性的なメタファーを遠慮なく使われているのか、SNSでは非難も起きていたが、冷静になってほしい。
アムレットは一生を呪ってくるリアルな父、クローディアスは自分を愛してくれずネグレクトする悪魔の父、聖は本来望まれている理想の父だ。
この物語は「父の言いつけを守り、悪しき父に耐えることで理想の父に愛される」という構造になっている。
そう、描き手は「父から愛される」ことを心の底から望んでいる。
「親殺し」ではなく、「親の言いつけを守ることで親の愛という永遠の平和が約束される世界を取り戻す」物語なのである。
王になったスカーレットが民衆に条件付きの平和を約束したのも、このように解釈すれば納得がいく。
「描き手がそのように愛を受けてきた」からだ。
描き手はおそらく、条件付きの愛しか知らない。
何故スカーレットは唾を吐かれたり「いきたい、いきたい」などと言わされているのか。
「可愛らしい女の子でなければ愛を受けられない(自分が愛されないのは女の子ではないからだ)」
「女の子なのだから、遠慮なく父の愛を受けられるはずだ(息子ではない存在なら愛を受ける資格があるはずだ)」
「性的に求められることが愛だ(自分が愛されないのは性的に求められない存在だからだ)」
つまり、描き手は自分の代わりに少女主人公に父からの虐待と愛を存分に受けさせている。
それによって癒しを感じているのだろう。
私は過去の細田守作品をほとんど知らないが、この作品がこの有様なら、おそらく主人公に関わる男性陣は全員「父化」しているのではないか。
ネグレクトしてくる悪魔の父か、なんだかんだで主人公を愛してくれる理想の父かのいずれかだ。
まず、あのMVの印象が強すぎて…まあ、歌詞の内容と映像はまったく関係ないなんて普通なんだけどさ…😟
騒音計る機械持ったオッサン(何らかの組織の人)が演奏している彼らのステージの見える工場みたいな場所までやってきて、
ロブ・ハルフォードがラストで手を振りかざしたら、オッサンの頭が爆散して吹き飛んで通路から転落していく、
あの映像の印象が強すぎて、another thing coming=オッサン、みたいに勝手に思っちゃってたんだけど、
そんなはずなくて、おまえは思い違いをしている、勘違いしてるぞ、みたいな意味で、
つまり、
おまえは思い違いをしている、おまえは外出したら不幸が待ってると思い込んでるけど、そんなことはない、
外の世界には素晴らしいことがいっぱい待っている、だから、行動しろ、攻撃は最大の防御って言うだろ、
そのどちらにも属さない曖昧な場所で、リオは「彼女」に出会った。
人間とは違う気配をまとい、瞳の奥には光の粒のような能力の残滓が揺れている。
超能力も使えるけれど、いつも控えめで、どこか影のある子。
ある夕暮れ、リオが森で迷ったとき、カナミは突然目の前に現れた。
「……ここ、危ないよ」
胸の奥に直接届いてくるような、不思議に澄んだ声だった。
最初は驚いていたリオも、カナミのぎこちなく優しい表情を見るうちに、胸がじんと温かくなるのを感じた。
リオは人間の世界のことを話し、カナミは弱者男性のこと、生きづらさのこと、自分の能力を隠している理由をぽつりぽつりと語った。
リオは気づいてしまった。
ある日、リオは勇気を振り絞って言った。
「カナミのこと、好きだよ」
驚いて慌てて念力を止めながら、目を丸くしていた。
「……ほんとに?」
震えた声だったけど、瞳は期待と不安で揺れていた。
「うん。カナミといるとさ、自分が強くなれる気がするんだ」
沈黙のあと、カナミはそっとうなずいた。
「リオも……好き。人間なのに、怖がらなかった。能力じゃなくて、私を見てくれた」
二人はそっと手を伸ばす。
触れた指先は少し冷たくて、でも離れたくなくてそのまま強く握った。
——けれど、恋だけでは越えられない壁があった。
人間の町には
「弱者男性と関わるな」
という古い偏見があり、
「人間は信用するな」
という掟がある。
「また会おう。どんな形でもいいから」
カナミは集落へ、リオは町へ帰っていく。
だけど——
丘の上を通り抜ける風は、
二人の願いをそっと繋いでいた。
あの光をまとったカナミが、
もう一度そこに現れる瞬間を信じながら。
作業をしている屋外で近くの祭りの会場から曲が聞こえてきたので、それに対して私がなんか感想を言ったんだと思う。
同じ現場にいる人にいつも文句言ってるラジオのパーソナリティの声とどっちが好きなのと言われたんだけど、今聞こえてきているのは異性の声で、下手なことを言うとドルオタがそうされがちなように冷やかれるように思えて、そうなったたいへん不本意で鬱陶しいことこの上ないので、別に感想を言っただけで好きでも嫌いでもなんだが、みたいに言った。
そしたら、会話が弾まないような答えだなあそんなだから友達がいないんだよと言われた。
似たような話として、テレビで超能力が一つあったら何が欲しいと芸能人が語り合ってるのを見た。
もし自分がその会話の輪にいたら、現実を改変する能力に決まってるだろとしか思えない。
現実を改変する能力なんだから、自分の能力を上書きすることもできるから、結局これは事実上の全能だから。
でもこんな答えつまんないんだろうなあ、芸能人としてだったら深夜番組でもないから透視や透明人間並みの失言って扱われるんだろうなあと思う。
みんな本音を隠していちいち白けないような答えを選んでるんだろうと思う。
しかしそうだとしたら少なくとも一般人同士がこんな話題を振り合って何が楽しいのか?
忌憚なき意見など出てこないとわかりきってるのに、問いかける側も何が楽しいのか?答える側もストレスがたまるだけじゃないか?
こういうことを考えてだから会話ってめんどくせと思うのは所詮私が発達障害だからなのか?
dorawiiより
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主人公だけが現代人の教養をもっており、抜きん出た洞察力と不動心も備えている。
身近なちょっとした問題に巻き込まれてはその“目立たない超能力”で鮮やかに解決する。
子供だましではあるが読み切り連作スタイルのコージーミステリとしては悪くない。
そして定番の、おしのび貴人に惚れられ牛歩みたいに心開いていくという軸。
そこまではよかったんだが、なんか国家転覆の陰謀みたいな話になってよくわからなくなった。完結してから一気読みならまた違うのかも知れないが、連載リアタイだとアテンションが持続せず何がどうなってるんだっけ?と迷子になってしまうのだ。
フリーレンも同様だ。「後日譚モノ」という切り口は新鮮味があったし独特の静謐なノリも良かった。ふつうにバトル展開になってきてアレ?と思ったものの「らしさ」は失われなかった。
そこまではよかったが、なんか人間サイドの三つ巴の陰謀?みたいな展開になってもうぜんぜんわかりません。最近のあれなにやってんの?ちゃんと答えられる人は多くなさそう。
しかし複雑化してよくわからなくなっても案外読者は離れないから不思議である。
最初から「なかなかよくできた子供だましだね」などという斜めの視線じゃなく超本格巨篇だと思ってるからか。
大人気作が複雑化で泥沼化するパターンといえば思い起こされるのは藤沢周平の「用心棒日月抄」シリーズだ。
藩内の陰謀に巻き込まれ、舅を斬って江戸に逃れてきた主人公。用心棒稼業で糊口をしのぐも、常に頭から離れないのは己が仇となってしまった女のこと。襲い来る国許からの刺客。個性的な用心棒仲間。女刺客との通情。
そりゃ人気出るわなという話なのだが、人気のあまり続編重ねるとわけわからなくなる。作者の中では複雑なパズルを自分で作って自分で解くような作業がむしろ面白くなってしまったのかもしれないが。
ドラゴンボールの「強さのインフレ」「話の規模のインフレ」はダメな例のように言われるが、内向きに「複雑化」しないように外向きに発散していたと考えるとさすが鳥山明と思わないでもない。
機動戦士Zガンダムという作品の最大の功績はカミーユ・ビダンというジョブナイルを代表するとも言える繊細で、
かつて思春期を生きた人たちの痛々しい共感を刺激する、あの富野由悠季が生み出したなかでも屈指の傑作キャラクターの創作にある。
この人物造形の成功は、単なるキャラクター設計の巧みさを超え、
アニメーション作品におけるリアリズムの概念を根底から変革した歴史的偉業として評価されるべきである。
富野は従来のロボットアニメが依拠していた「勧善懲悪」の物語構造を意図的に破綻させ、
善悪の境界が曖昧な世界で苦悩する思春期の少年を主人公に据えることで、
カミーユというキャラクターの革新性は、その精神的脆弱性と感受性の異常な鋭さが、
決してロマンティックに美化されることなく、むしろ病的な危うさとして一貫して描かれている点にある。
従来のアニメが扱ってこなかった思春期特有の心理的現実を容赦なく暴き出している。
キャラクターは画面に映らない時間も生き続ける存在として構想される。
それこそが現実の人間の内面における感情の非連続性を映像作品として表現する試みであった。
彼の精神的不安定さと表裏一体のものとして設定されていることである。
彼の鋭敏すぎる感受性は戦闘において卓越した能力を発揮する一方で、
フォウ・ムラサメやロザミア・バダムといった強化人間との悲劇的な邂逅を通じて、
これは、超能力を単純に肯定的な「進化」として描く従来のSF作品への痛烈な批判的視点を提示している。
富野の文学的野心は、カミーユの最終的な精神崩壊という結末において頂点に達する。
後のアニメ作品における「鬱系」ナラティブの原型を提示したと評価できる。
単なる個人的な悩みを超えて、性別アイデンティティの揺らぎという普遍的テーマを暗示している点である。
富野は意識的に「女性性を内包した男性主人公」としてカミーユを設計することで、
この試みは、後の1990年代以降のアニメ作品における「中性的主人公」の先駆的事例として位置づけられる。
カミーユ・ビダンという一人のキャラクターの内面描写を通じて、
商業的エンターテインメントの枠組み内で表現し得たことにある。
同時に深刻な文学的主題に挑戦する作家としての側面を明確に提示した。
カミーユ・ビダンというキャラクターは、単なるフィクショナルな人物を超えて、
1980年代という時代の若者が抱える実存的不安の象徴として機能している。
彼の痛々しいまでの繊細さと、それが招く破滅的結末は、
高度成長期の終焉とバブル経済への移行期という歴史的文脈において、
将来への不安を抱える当時の若者たちの心理状況を鮮やかに反映している。
「心理的リアリズム」という新たな表現領域を開拓した記念碑的業績として位置づけられるべきである。
娯楽性と芸術性を両立させながら、
もうさあ、最近の話って「化け物の正体は実は人間でした」みたいなの多すぎじゃね?
読者は期待してるのは超能力とか、異次元とか、もっとぶっ飛んだ何かだろ?
そういう設定、正直うんざりなんだわ。化け物っていうワクワクする存在を「人間でした」で片付けちゃうとか、クリエイター側の手抜き感が半端ない。
「ほら、怖がらせたかっただけでしょ」って思わずツッコミたくなるレベル。
しかも、弱者男性の設定とか持ち出して人間扱いされると、キャラクターの特異性が台無しになるんだよね。
せっかく「人間とは違う存在感」を出しても、最後に「実は普通の人間」って言われたら、そりゃあ読者もガッカリするわ。
さてさて、今日はみんな大好き「徳川埋蔵金」について、ちょっと変わった視点で考えてみるよ。
普通なら地図や古文書を頼りに探すしかないんだけど、ここで登場するのが「弱者男性の異能力」だ。
まず、弱者男性って何かっていうと、超能力みたいなスキルを持ってる存在ね。
テレパシー:人の心を読める
念力:物を動かせる
変身:他人や物に化けられる
で、これらの能力を使って徳川埋蔵金を探す場合、どうなるか考えてみた。
昔の人間の心を読むことはできないけど、現代の研究者や歴史オタクの頭の中を覗くことは可能かも。
「徳川埋蔵金は○○にあるって誰かが思ってる!」ってのをキャッチできれば、手がかりにはなるね。
地道な作業は向いてない弱者男性でも、念力があれば一瞬で地面を掘れる。
でも「どこにあるか」が一番の問題なんだよな…。
これが最強の手段かもしれない。
江戸時代に飛んで、徳川家の埋蔵金を実際に隠す現場を目撃すれば、現代に持ち帰れる…という夢のような展開。
ただし、歴史改変リスクがやばい。宝箱持って帰ったら未来が変わるかも。
金庫や隠し部屋を探すとき、身体を小さく変えたり、壁をすり抜ける能力があれば捜索効率は爆上がり。
ただし忍耐力は必要。
宝のありかを示す古文書や地図を解読するのは結局人間の脳力が必要だからね。
ただし「宝の正確な場所」を知る必要は消えないし、単なる念力や身体能力だけじゃ掘り出すのは難しい。
もし弱者男性たちが徳川埋蔵金探しに協力してくれたら…多分現代の歴史学者も腰抜かすレベルで早く見つかるかも。
一見すると自殺・殺人・拉致・事故で遺体が見つかっていない人たちの遺品展のようだけど
実は洒落怖の「地下の丸穴」オマージュで、異世界転移のためのポータルが展示されていたりして
ああこれは梨さんがよくやる「SCP記事に近い世界観」のやつなんだな、
こちらの世界とよく似ているけど霊的なものや超能力、パラレルワールドが実際に存在する、でも一般人にはそれが秘匿されているという世界観なんだ、というのが分かってきて
展示の中で行方不明者として捜索されている人たちは本当に異世界転移に成功したんだけど残された人たちはそれを知らないから家出や自殺だと思って苦悩しているんだ、
異世界転生に成功した人たちはこちらの世界に絶望していて、中にはせん妄の症状を抱えている人も多かったから(だからこそ異世界と接続しやすくて転移に成功してしまったのだけど)、余計に誰も異世界に行ったなんて思ってないんだ、かわいそうに、というのが趣旨じゃないのか
どっちにしろ悪趣味だというのは理解するし、自分は洒落怖もほん呪も白石監督作品もカクヨムホラーもSCPも好きだけど最近困惑してる
こんなに陽の下で大々的に興行をして流行っていいものではないとも思う
あと自分が実際に行ったのは怪文書展で(それも似たようなコンセプトだった、一見統合失調症の人の文書なんだけどSCPの要注意団体のようなものと怪異が絡んでいるというのが紐解かれていく感じ)