
はてなキーワード:超えられない壁とは
ここ数年、シャンプーとコンディショナーのセットで1500円くらいのものと、ダメージケアに良いとバズっていたオルビスのヘアミルクを使っていたのだが、少し前にドラストで期間限定商品が半額になっていたので、シャンコンセットで3000円台のものを使い始めた。
しばらくして、髪の手触りが明らかに良くなっていることに気づいた。
ツヤも出たし、浮き毛、アホ毛も減った。
加齢とともに強くなる縮れも目立たなくなり、見た目の清潔感が大きく向上した。
首も手足も短く顔がでかい、骨格から終わっているブスの中年でも、幸い髪は手入れすればそれなりになるし、髪の状態というのは印象をかなり左右するのだ。
「なんかしみったれた生活感が漂ってる女」と、「清潔感がある女」の差は、こういうところ──浮き毛やアホ毛、髪の質感、化粧の崩れ具合──に出てくる。
毎日風呂に入るだけでは清潔感があるようには見えないのは、女も同様なのである。
数年前の私は、放ったらかしにすることをナチュラルとはき違えていたのもあって、セットで700円しないような安いシャンコンに、洗った後はタオルで拭いて自然乾燥するだけだった。
使っていたのは百均のブラシ。
当然髪は摩擦その他で傷んで、カラーは退色して汚らしくなり、浮き毛が飛び出し、うねりと広がりもひどかった。
しばらくして1500円くらいのシャンコンを使うようになると、洗い上がりのきしみやパサつきが大分マシになり、何より香りがよく、「やっぱりシャンプーは少し高いやつの方がいいんだな」と思っていたのだったけれど、3000円台のシャンコンはそれよりもさらに良かった。
というか、700円と1500円はそこまで差がないが、1500円から3000円は明らかに違う段階に入った感がある。
シャンコンと同じラインのアウトバストリートメントを使い、ヘアアイロンでうねりを抑え、オイルで仕上げると、癖が強くなった中年の髪でも格段に柔らかく、まとまるようになった。
自然乾燥して百均のブラシで梳かしていたのと比べると、金も時間もかかり、果てしなく面倒だし、「本当にこんな面倒な事をみんな毎日やってるんすか」とも思ったが、習慣になればなんとかなるものだった。
というか、「こんな面倒な事を、コストをかけて毎日繰り返しやる」ということこそ、現代人らしい暮らしをするということであり、社会生活を行う大人であるということをわかりやすく表現する手段でもあるんだろう。
髪の調子が良いことに少し浮かれた後で、職場に出入りしている美しい既婚女性を見たとき、軽い絶望感があった。
独身賃貸暮らし持病持ちの私と違い、稼ぎの良い夫がいて、都内の持ち家に暮らす彼女の髪は、私と同年代にも関わらず、3000円のシャンコンを使ってそれなりにサラサラになった私の髪がみすぼらしく思えてくるほどに、サラツヤストレートの美しいロングヘアなのだった。
どんなに元々の髪質が良かろうとも、この年齢で自然にそうは「絶対に」ならない。
若い頃であれば元々のポテンシャルで手入れしていなくても美しいことはよくあるが、30も半ばを過ぎると加齢によるうねりや縮れ、そして白髪は避けられない。
彼女もまた同じはずで、白髪染め、年齢によるうねりと広がりを殺すストパーか縮毛矯正、それらによる傷みをケアする良いシャンプーとトリートメント、ヘアミルクやオイルに加え、ドライヤーやアイロンといった美容家電も高価なものを使ってるんだろう。
よく帽子を被っているので、日頃のUVケアも入念なのが窺われる。
シャンプーもセットで3000円どころかシャンプーだけで五千円くらいするやつを使ってるのかもしれない。
つまりは、そういう金の使い方ができる、ゆとりのある生活レベルであるからこその、優雅な美しさなのだ。
人間らしいと言うにはギリギリの暮らしをしている私には、大奮発して買った3000円(が半額で1500円)のシャンコンと17年前から使ってるナノでもイーでもない熱風しか出ないドライヤーでなんとかマイナスをゼロにするのが精一杯だが、もっと経済的な余裕のある人々は、使う物、消費する物の品質の良さによって、余裕とか、豊かさとか、美しさとか洗練だとかを手に入れ、見せびらかすことができるのだ。
髪に限らず、化粧品も私が使っているドラコスの安いやつじゃなくデパコスなんだろう。
どんなに「安いのにデパコス級〜」とバズった商品であっても、ガチのデパコスと比べると品質は明確に劣る。
庶民の下の方でも「清潔感」「社会性」まではドラストやユニクロといった普段の生活レベルの中でたどり着けるが、それ以上のものは、それ以上の生活レベルにならなくては手に入らない贅沢品なのだ。
まあでも、貧乏人であっても衛生に気を使い、人間らしい生活をするというのは、実際そんなに悪い事でもない。
私は髪以前に歯がボロボロで、それがひどいコンプレックスでもあったのだけれど、歯医者に行って虫歯を治した後、「保険診療でいくらにもならない虫歯でも医者は丁寧に治してくれるんだもんな……」という感謝の念が湧いてきて、せっかく治してもらった歯を粗末にはするまいと、熱心に歯磨きをするようになった。
自分のために自分を大事にしようとは思えなかったし、今でも思えないのだけれども、定期的に髪を切ってくれている美容師なり、歯医者なり、同僚なり、私の調子が良くなったり、歯や髪や、メンタルの健康や衛生を維持していると、わずかなりと「いい感じになった」と喜んでくれる人はいるのである。
必ずしも肉親や友人、恋人でなくともよいのだ。
豊かさを見せびらかすための壁を超える必要はないが、衛生状態を保つということは自分を大切にするということで、その変化はきっとQOLを少し上げてくれる。
才能がないと思ったら、早いうちに河岸を変えた方がいい。
早ければ早い方がいい。
可哀想だから(教え子が? それとも自分が? w)、って「がんばれ、がんばれ。才能なんて関係ない」みたいに騙すのは、むしろ害悪だよ。
10年後、気付いて路頭に迷わせるとして、その責任は取れるのか?
まぁ、本人自身が気づいて路頭に迷いつつあるけどどうしようもないのかもしれんが、地獄に道連れはやめてやれ w
それで生計を立てない、趣味の範囲で楽しむ分には好きにすればいいけど、エンジニアに限らず、それなりのお金をもらおうとしたら、才能、向き不向きは超えられない壁として現実に、強固に存在している。
球速120km出ないけど阪神の一軍のピッチャーに、ってのはどう逆立ちしても物理的に不可能だ。
でも草野球は楽しめる。
才能がなけりゃ、一人で永遠に「大いなる助走」を続けりゃいい。
誰にも迷惑かけないなら。
医師、看護師、会計士、経営者、etc.etc. にも、才能、向き不向きはある。
落ち着きないし。
同じことを何日も続けたら、爆発する。
「明日も同じことしなきゃならないのか……」って考えただけでも、死にたくなる。
こんな感じに、才能がものをいう分野って、意外に多い。
ソフトウェアエンジニアは、設計実装の抽象度が多層化していて、その巧拙によって安定度、運用や機動的な新機能追加の手間、リードタイム、金や何やら、数十倍、規模複雑度が爆上がりしている今なら下手すりゃ数百倍差が出る。
その差をちゃんと理解するには、巧の現場の「こういう世界があるんやー……」って実体験が必要だったり、巧レベルの才能が必要だったり、経営知識が必要だったり、経済知識も必要だったりして、「拙」の現場にぶら下がってるだけのエンジニアが「才能なんて幻想」って吠えたっても「マジ、迷惑だからやめてね」って思う。
どの炎上現場でも、高粘度現場(リーダーマネージャが理解できないからって邪魔ばっかりしてきたり、そもそもプロダクトがぐっちゃぐちゃになってたりして、どんな行為がサービスの息の根を止めるかわからなくて身動きが取れない「震える舌」みたいな現場。物事が全然進まない現場。通常、経費で札束ガンガン燃やしてるはずだから、ここも炎上現場っていう)でも、この手のエンジニアが腐るほどぶら下がってるんだよね。
たいてい、生み出されるソースコードとドキュメントの割合がおかしなことになってる。
いや、そういうの主催してる暇があったら、コード書けよ、って。
でも、Web記事引いてきて、「〇〇にはこう書いてある」とかドヤ顔で机上の空論で時間潰して「俺も一端の理論派エンジニアだぜ……」とか、いや、お前はただの受け売りを理解もせず垂れ流してるだけのそこらへんのAI と変わらんクズだよ。
おいらの師匠の一人は「TV出たり、本書いたりするやつは二流。一流は、自分の仕事に集中していて、他のことやる暇ないから」って言ってたけど、ほんとその通りだと思うよ。
シャバと違い、ソフトウェアの世界は驚くほどのスピードで巨大化、複雑化している。
30年、40年前なら、社会性の乏しい、プログラミングコンテスト受賞者みたいなエンジニアでも無双できたけど、今は無理なんだよね。
今だと玉拾いも任せられないくらいだったりする。
ちょい前も、PostgreSQLの中身いじれます! って東大卒業生いたけど、視点が局所的すぎて全体感に欠けてて、プロジェクトがヤバい状態になってるのが理解できなかったりしてたからね。
そろそろリリースできる状態になってる予定だけど、おいらの読み通りα版完成が3ヶ月遅れ、そこで大量の不具合が発覚してベータ版完成がそこからさらに3ヶ月以上遅れ、不具合積み残したまま見切り発車、ってなるんじゃねーかな、と思ってるんだが w
才能の種類、方向性によっては、10年前も今もたぶん10年後も変わらず十分通用するものはあるんだけどねー。
そこに生活水準をあげてしまうと、自分はもう通用しないと気づいても、撤退できない。
マイカーガー。
マイホームガー。
子供ガー。
愛犬ガー。
んなもん知るかっ!
そういう「元エンジニア」がリーダーとかマネージャとかにクラスチェンジして、事業、プロダクトの足を引っ張る。
あそことか、そことか、具体的な企業名はあげられないけど、そういうエンジニアが漬物石のように重しになって、身動きが取れなくなってるところが多い。
VCとかから、もっと売り上げを上げろ。成長率を上げろ、というプレッシャーを与えられ、何かしなきゃいけない。ってなって、外付けの雰囲気だけのサービスをどんどん外付けしていく戦略を取る。
1年で10。
2年で30とか。
マジかよ w
思い思い行き当たりばったりに作ったら、手間だけ増えてそれを壊すわけにはいかなくなって、さらに身動きが取れなくなっていく悪循環しか見えないんだが、そんな経営方針で大丈夫か?
とか意味不明な決定して、認証認可v1、認証認可v2、認証認可v3とマイクロサービスが増殖して、さらにv4を企画してるとかいう会社だってある。
真っ当な声には、自分の存在感を示すためだけの反対を唱えて邪魔したりして、現場で手を動かしているエンジニアより高級を取ってんのに、事業、プロダクトへ与えるダメージは倍増する。
さらに、自分の地位を死守するために、それを脅かす腕利のエンジニアを陥れる、排除することに全力を傾ける。
これで3倍界王拳だ w
経営者はできるエンジニアたちに任せていると思い込んでいるかもしれないが、さて、どうかね? w
大本営発表的にはうまくいっているとされているサービスが、その裏側はカーオブファイヤーみたいなところって、結構ある。
はっきりいう。
今はクラウド環境のプロダクトで、どのように自動テストで検証可能なシステムを構築するかの手法の研究を続けてる。
具体的には、今まで関わってきた炎上現場で安定稼働を達成させた手法(TDD)だな。
ワークライフバランス? w
才能のない人は河岸変えろ。
業務経歴書にも今まで使ったことがあるサービスの名前をたくさんたくさん載せてます。
じゃねーよ。
ボルトに世界水泳、吉田沙保里にNBAに出場させるような使い方してて、どこが技術力だよ。
ってのが多い。
「どうしてこのAurora、リーダーがこんなにたくさんぶら下がってんの?」
「テナントが増えて、アクセスが増えたので、負荷分散のために増やしました。水平スケーリングってやつです」
うん。水平スケーリングは知ってんねん。この程度のテナント数、ユーザー数、アクセス数で、どうしてこんなにでかいインスタンスのリーダーがぶら下がってんのか? って聞いてんねんけど……。
って現場、多い。
でも、今通常営業してるサービスでも、こういうところ多いんだよな。
それはともかく、
「マイクロサービス化していて、いま120を超えたところで、当面160になります」
「……は?」
「……デプロイの時、どうすんの?」
「変更があるサービス名を書いたファイルを一緒にコミットして、それ読み込んで、GitHubActionsでデプロイさせてます」
「Cloneして立ち上げます」
「これ……、モノリポ?」
「120個?」
「120個」
「なんか立ち上がらないんだけど……」
「あ、修正中なんで、〇〇と××のコミットをチェリーピックしてください」
「……動かないぞ」
「昨日の夕方、変更が入ったみたいなんで、△△のコミットもチェリーピック。いや、++のブランチを……」
5日で立ち上げ切れるんか?
って現場がね、案外たくさんあるんだ。
「ほう……?」
どうして「自分が間違えてる」「自分が見当外れなことをしている」可能性ってのを考慮しないんだろう、この人らは?
っていつも思う。
マイクロサービスの目的も前提も理解しないで、HowToだけ猿のように繰り返してるって自覚ないんか…… (-_-)
ってマーカーで引いた一文見せつけられるんだが、その前に書かれてある前提とか目的とか、書かれてない暗黙のそれとか、いわゆるコンテキスト削ぎ落として、単語レベルの理解を開陳されても、「は?」としか反応できんのよな。
120のマイクロサービスとか、お前、認知科学の知識もないねんな……。
それマイクロサービスじゃなく、「粉砕されたモノリシックサービス」っていうんやで、と。
まーじで、技術本とかの恣意的なつまみ食いで訳分からん理論構築すんなよ。
それでプロダクトがうまく回ってなかったら、それが答えなんよ。
まぁ、「うまく回ってる状態」ってのを知らない、理解できないだろうから、正しい答えに行きつかんだろうけど。
その正しい答えに行きつかない、ってのを
「致命的な才能の欠如」
って呼ぶんよ。
昔から子どもが苦手で産まないって言っていたのに、いざ婦人科系の病気になった時“産まない”と“産めない”はこんなにも違うのかと絶望したのを思い出す題名で、思わず手に取りました。
・
「子供が苦手だから」とか「痛いから」とか理由つけて産みたくないって思ってる人は本当は産みたい人だよね。 私は子供産まないことに理由付けが必要だと思ったことはないしずっと「産めない」状態になりたくて仕方なかった。同じ「産まない」女でも感覚が根本的に違うんだよね。
・
「産まないだろうな」と思ってたのがいきなり「産めない」に変わった時の自分の心境って、自分でもツッコミ入れたくなるくらい真逆の感情が生まれるんですよね 私もこの本探して読んでみよ〜
・
ほんまにこれ 私が子供産んでも不幸の再生産だから産まない、と思ってたけど たとえ準備万端でも自分の体では安全に産めない可能性高いって分かった時は衝撃的だったし泣いた
・
女性にしか分からない感情を三単語で見事に表現してる。全て重い。産めないは特に。
・
痛くて苦しいから産まない って思ってるけど痛いのと苦しいのが精神的に拒否反応でるから産めない側だなとも思ってる ほんとにショック死する可能性あるから子供欲しい欲しくない関係なく産めない
・
・
・
子どもの好き嫌いや苦手意識と産む産まないは別物だと思う。子どもはいつまでも子どもではいない。自分の子どもは子どもという生き物ではないのだから。 人の気持ちは移ろうもの。 いざそうしたいと思う時が来ても選択肢がないのと望めばできるのさは大きい。 人の心と体は複雑だ。
・
本当かなあ 全く産みたくないから健康に害ないなら産めない体になっても困らないと思ってた
・
前から産まないって決めてて、時々生理がしんどすぎる時に手術で取ってもいいかって思うけど、産めない身体になると何か失った気がするかなと考え直すことが何度かある 失礼な発言になるかもしれないけど、自分の思考は間違ってないって思えた
・
自分のキャリアを考える時に、今結婚にも子供にも興味ないけど、本気で今のまま向かうってことは少なくとも出産の選択肢を捨てる覚悟がないといけないって思ったら明日の自分の気分も分からないのに、そんな決意できなくて泣いたことある
・
これどういう思考なんだろうね深層心理は産みたかったって訳ではなさそうなのに人間って自分の事ですらよく分かってないんだなっていう不思議な気持ち
・
最後の可能性を蔑ろにして周りばかりが騒いでる感。 嫌気がさす。
・
こんな本あるんだね 探してみようかなぁ友達や周りに比べて子供に執着とかない不育症だけど、流産への感情とは別に産めないってなんかわからない自信を失うよね 毎月ちゃんと生理来てる意味はなんなんだろう…
・
どの選択も等しく女性の人生に深く関わるし、どの選択も幸不幸の背景がある こういった悩みがわかる人が増えるといいね
・
「産めない」には、感情的な理由と社会的な理由が混在しているのが「産まない」時の状況なんだけど、病気による身体的な理由が降りかかって「産めない」になったらと思うと、自己選択や自己実現の権利と選択肢が「奪われた」感覚になるんだろうなとは思う。「違う」んだろうなぁ・・・
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「意思」って権利が行使できる状態じゃないと持てないものなんだなと気付かされるタイトルの本。凄く内容が気になる
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私、「産まない」と決めていたのをやはり婦人科系の病気で「今後子供産めない可能性がある」と伝えられて「産む」を選んだ人です。 ※そして産後に病気が悪化し全摘出しましたが産んだ子は日々成長中です
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本当にそう。産むつもりなくてもいざ産めなくなると絶望になる。産まないと産めない全然違った。産まないと思ってても、産めなくなってみると街で突然赤ちゃんが泣いてる声とかで急に涙出てびっくりする。不思議。みなさんにはそんな思いしてほしくないので検診受けてね!(そんで私は全然元気やで)
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私は「産めない」なんですが、 「産みたい(と考える事すら)」すっ飛ばして 「産めない」を知って(病気→子宮奇形ですねー言われたw)、幸せ者だったんだなと。
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今自発的に「産まない」選択肢を取ってるけど(IUD入れてる)、これも婦人科の関連関わるものだからもしかしたら産めないのでは?と思う時はかなりある。子供欲しい願望は今のところないけど、でも妊娠適齢期だからこそ気になるのもあるし、妊娠にはリミットもあるからこそ心がざわつく
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姪甥は可愛いけど、私も子供苦手で、子供産む産まないの選択肢はなるべくなら産みたくないと思ってしまってたけど、 そろそろ産めないかもの年齢になってきて、今わからなくなってる
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最近揺れてる心情にこのタイトル刺さる。 ただ身体の理由で産めないかも、と思うと私は少しほっとした…ちゃんと私は最大限頑張った、という理由ができたからなのかなあ
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私もそうなることを恐れてる😭子供はいらないと思ってるけどいざ子供を産むような年になってでも子供を産めないって分かったら絶望するんだろうなあ
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私も子供産みたくないとずっと思ってたのに、病院で「もし今後妊娠を望むのなら〜」という先生の説明に「ないです」と食い気味に即答したくせになんか泣きそうになったもんな 心の中で思ってるのと、言葉にするのでは重みが全然違った
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人それぞれなんだなー。わたし絶対絶対絶対産みたくない!って思ってたからいざ産めなくなっても「これで!完っっっ全っっっに!解放された!!!」って小躍りするぐらい嬉しかったよ。
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選ぶ、選ばない、選べない 選ばないことを選択して、まあ後悔しないだろうと思い生きてきたけど、いざ今後は物理的に選べないですよってなった時にちょっとだけ考えちゃったな(年齢は年齢だからもう仕方の無い事だけど)
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私も難病になった時、「産まない」から「産めない」になった。だからこそ、踏ん切りがついた。産めないなりに産んだ人、これから産む人のことは応援したい。子供は苦手だけど、身近な子供に何かあったらすっ飛んで守る。
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産めるけど産まない 産めないから産まない結果的に一緒でも、だいぶ違う🥺
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産まなかったこと 産めなかったこと それぞれの想いがある 私は産まない選択をした理由は人には言わないし、言えない ただ 産まない、産めないことを 何も知らない人が色々言うのは 本当に無神経だと思う 産めない、産まない それぞれの理由がある 人に言えないことは 言えない理由もあるんです
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これは読みたい。 子を絶対欲しかったわけではなかったし若い頃から「自分は産ま(産め)ないんだろうな」と薄ら思ってたけど「もしかして産めるかも」となった後にやっぱダメだった、からの絶対産めない状態になって「産まない」と「産めない」は別物なのを思ってはズドンと沈む日もあるのです。
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まさか産めなくなるなんて?でした。 不意打ちで感情が追いつかず、奈落の底に落とされたような気持ち
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産まない選択肢があったのに、産めない体になるとは思わなかったと未婚の友達が言うてたな…
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ほんと、多分産むことはないだろうな〜と生きてきたけど、実際産めないとなると、産まないと産めないじゃあ全然別物すぎると思い知らされる。 産める可能性がある女性は、その可能性を大切にした方がよいと思う。
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雲泥の差だよねぇ
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あ、女に産まれるとシンプルにこの3選択を決めたり、決められたりしなきゃいけない時が来るんだよなぁ。
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分かる。 私も妊孕性こそ残しつつ手術はしたものの、状態が悪ければとるって言われてたから、“産まない”と“産めない”は全然違うことを感じたよ。絶対的に超えられない壁のようなものを感じるよね。
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「できる」と「できるけどしない」と「できない」は全部違うよ何事も。
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私も子供苦手で欲しくなかった でもなぜか筋腫が見つかったときモヤっとした 現状まだ「産めない」じゃなくて「リスクを背負えば産める」だとは思うけど、正直なところそこまでの熱意は持てない ただ、もっと年齢を重ねて筋腫も大きくなって本物の「産めない」になった自分は何を思うんだろうか
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自分に選択権がある、というのが大事なんだな。選択して子宮摘出するのと、病気で子宮摘出するのだとだいぶ意味違うもんね…
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これは全然違うよな…全て子供を持たないと結果になるんだけど、全然違うよ
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自分の意思で選択できる状態と、自分の意思関係なくその選択肢を取り上げられるのは全くの別物だよね。
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血中濃度の問題で妊娠出産NGで結婚ドクターストップの私に『今は産まない人増えてるし!』って言った母は産めないを理解してない。 選んで産まないのとドクターストップで産めないのは全然違う。結婚して子ども3人産んだら『もういい』言えるんだよ。
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産めない人にとって 産まないと同義として扱われたらそりゃつらいよな…
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まさにこれだ!!!この本買おうかな!私も子宮全摘という選択肢を30そこそこで突きつけられた時、結婚もしてなければ子どもも好きじゃなかったけど、選択肢を失うことに絶望に近い気持ちになった。やっぱり他の人も同じ気持ちになるんだなあ
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娘は障害や持病、強い薬の常時服用もあって妊娠出産は絶望的。毎月の生理が重くて大変だから、子宮内膜をレーザーで焼き切って生理が来なくなる処置をお願いしようか、と思いついたその瞬間、私の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。合理的な処置なのに、私の本能はNOと言ったのだ。
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あー 厳しい その立場にならないと 一生わからないと思うし 怖くて読めない
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当たり前に完全体だと思ってた身体に重大な機能不全が見つかったら悲しいよね。本人の意思でするかしないかとは、また別次元の話。
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本当にこれなんだよね。産める環境にあって産まない選択をするのともう産めないって一生分かって選択するのって全然違うのよね。子供いらないって思ってる女性でもいざ産めないってなったら絶望だと思う。
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私も子供苦手で欲しいとは思ってなかったけど、婦人科の病気で、産めない、となった時の絶望は半端なもんじゃなかった。辛かった、よね。
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産めない一択の人もいたり‥選択肢があるから羨ましいとは人に対して思った事はない。自分vs自分で血だらけの喧嘩しても解決できなくて生産性もない女は刺し合うしか存在価値がないと思ってた。妊活頑張ってる人を心底応援したいし 何より貴女らしく生きて #ロキタンスキー #先天性膣欠損 #子宮移植
・
あたしは産む歳でもないけど、周りに子宮取ったりしてる人もいるし、あたし婦人系疾患もってるし、ちょっと興味ある。
・
はぁ〜〜〜……。マジで今日も憂鬱な一日が始まるわ。お疲れ、私。そして全国の同志。
最近さ、つくづく思うんだけど、
なんて言うか、こう…「動物的人間」とでも名付けたくなるような奴に悩まされてる。
「自分は絶対正しい!」教の信者たち(反省?何それ美味しいの?状態)
まずね、こっちがどんなに丁寧に、言葉を選んで説明しても、自分の非はぜーーーーったいに認めないのよ。
うちのAさん(仮名)なんてまさにそれ。
自分にもできないこと山ほどあるくせに、他人(特に自分より弱い立場の人)には「なんでそんな事もできないの!理由を言って!」って鬼の首取ったみたいに詰めるの。怒鳴りながらね。
でも、こっちがAさんに「Aさん、これはどうしてこうなったんですか?理由を教えていただけますか?」なんて丁寧に聞いた日には、もう大変。
みるみる顔が赤くなって、
「そういう言い方するなんて、あなたの性格に問題があるんじゃない?」
いやいや、どの口が言うとんねん!
こっちがどんなに問題解決しようと歩み寄っても、向こうは「自分が攻撃された!キーッ!」ってなる。
「自分が間違ってるかも?」っていう発想がないんだろうか?
ああいうの見ると、こっちのライフポイントがゴリゴリ削られていく音が聞こえるわ…。
「都合が悪いこと」、「痛いところ」 を突かれると、もうビックリするくらいの速さで逃げるのよ。
「この件について、もう少し話し合わせてもらえませんか?」って言おうものなら、「またその話?」とか、「もうその話は終わったはずですけど(一方的に)」とか。。。
こっちは問題解決したいのに、向こうにとっては「不快な状況から一刻も早く逃げること」が最優先、なんだろね。
しまいにはさ、Aさん、こっちが色々言っても無駄だって悟って、諦めて距離を置こうとすると、「ほら、やっぱり私の言うことなんて誰も聞いてくれないのよ。もうあの人には本音は言わないって決めたんだから!」って被害者ぶるの。いやいや、こっちが諦めたんじゃなくて、あなたが聞く耳持たなかったんでしょーが!って、喉まで出かかった言葉を何度飲み込んだことか…。
私の気持ち <<<<<超えられない壁 <<<<< アタシの気分(自己チュー&感情ジェットコースター)
みたいな?
そして何より疲れるのが、徹底的な自己中心性と、感情のアップダウンの激しさよ。
「普通はこうでしょ?」、「常識的に考えて!」ってのが口癖ね。
自分のローカルルールを世界の中心みたいに語るけど、その「普通」とか「常識」って、あなたの頭の中にしかないやつですよね?って、心の中で何度ツッコんだことか。
結局 「自分がどうしたいか」、「自分がどう感じているか」が全ての判断基準。
まるで、お腹が空いたら泣き叫び、眠くなったらどこでも寝る赤ちゃんみたいに、本能のまま生きてる感じ。
はぁ…。もうね、こういう「動物的人間」さんと毎日顔を合わせてると、こっちの精神がすり減って、悟りを開くか発狂するかの二択を迫られてる気分よ。
「ああ、この人は今、自分の感情という名の嵐の中にいるんだな…触らぬ神に祟りなし…」って、そっと心の中で距離を置くスキルだけが、日に日に上達していく今日この頃。
皆さんの周りにもいません?こういう、良くも悪くも「自分に正直」すぎる人たち。
こういう人らに「動物的人間」ってラベリング、言語化して、普及していきたいわ。マジで。死ね。
あ、やべ仕事しなきゃ。
FtMの話はあまり話題にならないので、FtMの友人から聞いた&友人と話したことをいくつか書いてみようと思う。
※n=1なので全員が彼のように思っているわけではありません。
・FtMって少ない?
まず、ほとんどのトランスジェンダーが該当するのではないかと思うのだが、基本的に自分がトランスジェンダーであることは人に知られたくない。
周囲に疑われないためには「違和感のない見た目」であることが重要だが、MtFは骨格がゴツい人、FtMは身長が低い人ほど「本当にこの人女(or男)か…?」と疑われやすい。
疑われた時に重要なのが立ち振る舞いや中身で、ここで「ああ、こういう人いるわ」と思ってもらえれば疑われなくなり、晴れて仲間入り(?)できる。
友人も男性としては身長が高くない(160cmくらい)ので、バイト先の男性から「最初は怪しいなと思ったけど話してみたら男だったからこの人は男だと思った」と言われ、ホッとしたと言っていた。
MtFの場合、最初に警戒されると仲良くなるハードルが上がるという点はあるかもしれないなと思う。FtMは男性にとって腕力的に怖い存在ではないが、MtFは腕力的には男性とさほど変わらないので。
なので、結論としては「FtMの方が目立たないor男性にとって脅威ではないためあまり気にされていないだけで、普通に生活してるよ」。
友人は性転換手術を受けていないので温泉や銭湯には行っていない。手術が終わって見た目が男性になったら気持ち的に入れるようになるんだろうなと思う。家族や友人と旅行に行く際は部屋備え付けの風呂に入っている。
「女風呂に入らないのか?」と疑問に思う人もいると思うが、「昔治療の一環で女風呂に入ったが、『お前は女だ、勘違いするな』と言われているようでキツかった」と言っていたのが印象的だった。
(性同一性障害が世間に知られ始めた頃は、「心の病気」なので心を身体の性別に合わせるべきだという考え方もあった)
これはどちらの性別でもそうだが、手術前の身体で性転換後のほうの風呂に入れば傍目には完全に不審者だし、
だからと言って今まで入っていた方の風呂に入れば「異性の裸が合法的に見られる!」と手放しで喜べるような人ばかりでは無いのである。
これは友人も「まあ、不公平だよね」と言っていたし、自分もそう思う。
第二次性徴期に入る前に性転換したのであれば話は変わって来るかもしれないが、生まれつきの体格や筋肉量の差はホルモン治療では埋まらないため、どうしても女性では男性(の身体を有する人)に勝てない。
トランスジェンダーの人も競技に参加できるようにすべきという主張は分かるが、「勝負にならないんだからそりゃしょうがないよ」という話だ。
友人は大会に出るようなスポーツをしていなかったので、男性と実際に鎬を削っているFtMの方を自分は存じ上げないが、おそらく相手にならないからそもそも参加していないか、出ていても負けているのだろう。
ちなみに友人はホルモン治療はしていて、久し振りに会ったら明らかに体格が良くなっていて驚いた。ただ、それでも同世代の男性>FtM>女性という超えられない壁はやはり存在するなと思った。
なので、手術前のFtMなら女性の大会に出てもバレはしないだろうが、ホルモン治療をしているならこれもフェアではないなと思う。
車椅子バスケのように選手に点をつけ、合計○点以内…とか、ボクシングの階級のような仕組みを整備するのが比較的納得感のある解決方法だと思う。
極めて理性的という前置きをしたにもかかわらず、大半の方は中身を良く考えもせず条件反射的にぱちんこを批判する内容に終始してしまっていることは本当に残念でなりません。
ぱちんこが嫌いであるという言うなれば差別的批判は受け止めると最初から言っているにも関わらず、未だにそれを認めずあくまで「特権」や「脱法」という括りで自らの差別意識を認めない人の多さにがっかりしました。
嫌いなら嫌いと言えばいいことを、ありもしない特権や脱法という言葉に置き換えて批判を正当化することは、自らの差別意識を認めようとしない狡猾な差別行為でしかないということをよく理解して下さい。
「自分には相手を批判する正当な理由があるからこれは差別ではない」というのは、差別を学ぶ上で最初に自己批判すべき内容です。
これからの国際社会で生きていくつもりであれば、誰に言われるでもなく猛省することをおすすめします。
ぱちんこは賭博だからという理由で批判している方に向けた内容です。
多くの方が指摘している通り、ぱちんこは賭博でありそのことについて否定するつもりはありません。
ぱちんこは賭博でありながらも様々な規制によって賭博罪に該当しない職種です。
テレビ番組などで飲食を賭けの対象にするゲームも、賭博罪に該当しない賭博であることに変わりがありません。
「一時の娯楽に供する物」を賭けた場合であっても、あくまで賭博罪に該当しないだけで行為そのものは賭博です。
他にも賭博罪に該当しない賭博は数え上げればきりがないほどあります。
もし、ぱちんこが賭博だからという理由で批判するのであれば、もちろんそうしたものも批判しないとおかしいということになりますがよろしかったでしょうか。
それともそうしたもの全てが取り締まりの対象になるクリーンな世の中を望んでいるのでしょうか。
繰り返しますが、店舗で販売しているものを客が買い取り、またそれを中古ショップに売るということは市民に許された立派な経済活動です。
買い取りという行為が発生するほぼすべての業種で3店方式がなりたっているといっても過言ではありません。
これらは特権と言えるのでしょうか。
ぱちんこの場合、ゲームの結果に対して景品を取得させるという業種の特性上、景品を直接買い取ることが顧客との得失を争ったという判断になりかねないために、賭博罪に該当しないための遵守事項として3店方式が存在しています。
3店方式を守っていれば賭博罪に該当しないなんて免罪符ではなく、賭博罪に該当しないために最低限守るべきルールでしかありません。
これのどこが特権なのでしょうか。
法律の枠組みの中で許可されている権利を、然るべき手続きの上で取得して、営業のために用いていることのどこが特権なのでしょうか。
許可営業という枠組みに対する理解が足りていないと感じる意見が多く、非常に残念でした。
この中で、飲食店の許可について特権だと騒ぎ立てる人が一人でもいたでしょうか。
飲食業が特権だからといって、無許可で営業している飲食店を支持する人がいるのでしょうか。
例えばふぐの調理は、調理人、設備ともに厳しい基準を満たさなければ許可を得ることができません。
ある意味一部の人に対してのみ許可されるこの権利は、同様に特権と呼ぶべきなのでしょうか。
ぱちんこ店の許可は条件を満たすことができれば、誰でも警察から公平に許可を取得できるものです。
そうして許可を取得して、日々様々な規制を守りながら営業を続けていることのどこが特権と言えるのでしょうか。
ぱちんこ同様に許可を得ることによってその店舗のみが営業をすることが許されている業種が山のように存在している中で、ぱちんこに許された権利だけを取りざたして特権や脱法だと騒ぐことが職業差別ではないという証拠を見せて下さい。
それ以外にも、朝鮮送金や中にはネット上の漫画を用いて、ぱちんこ業界の闇を暴いたようなつもりになっている人がいました。
その内容は本当に真実ですか?今現在の状況に合わせてアップデートされていますか?
本当にそんな理由でぱちんこ業界を批判して、中で働く未来ある若い人たちに対しても差別の目を向けているのですか?
自らの批判を鞘に納めたくないだけの気持ちが、ぱちんこが違法であるに違いないという願いに変わってしまったことで、特権や脱法という言葉を作り出しているだけなのではないでしょうか。
業界が批判されるべきだという意見そのものについては受け止めます。
そうした印象を拭えてないのは業界が溜め込んできた業であり、足りていない努力であると自覚しています。
だからといって、今現在一生懸命に働き納税している人間たちまでも差別にさらされることを良しとしろというのでしょうか。
全体の数%でも外国籍の人間がいればその全てに差別の目を向けるのですか?
過去に一度でも過ちが認められれば、残り全てに対しても犯罪者の目を向けるのですか?
日本という世界的に見ても優れた法治国家を否定してまで、未だに特権や脱法という批判したい人間が作り上げた言葉を信じ続けるのですか?
言うまでもなく、これらは現実を否定した明らかな職業差別です。
ぱちんこ業界のことは別として、そういった点を自らの心の内に問いかけてみて下さい。
ぱちんこ業界の中で働く命は、あなた方がうっぷんを晴らすためだけにカジュアルに差別をしていい存在ではありません。
NOV1975 極めて理性的な増田は「パチンコは法律上は賭博ではなく遊戯である」ということ(これは法律に基づく事実)と「実体として賭博である」(増田含めた皆の認識)のギャップの解が脱法スキーム、までは理解してるよね?
おっしゃる通り、賭博というのは概念としての賭博と法律上の賭博があります。
ぱちんこは概念としての賭博であることは疑いようのない事実です。
法律上の賭博とは、賭博罪に該当する取り締まりを受けるべき賭博行為を指します。
そして、それら賭博罪に該当しない要件として「一時の娯楽に供する物」、さらに風俗営業法が認める遊技を定めるという点においても同意です。
しかしながら、そこには明確に法律で定められた根拠があるだけで、おっしゃるようなギャップや脱法スキームが存在しているということには一才同意しかねます。
こうして法律で定められた根拠に対し、それを脱法スキームだと決めつけることは法治国家の否定であり民主主義の否定です。
わたしにはそのことの方が非国民的行為に思えるのですがいかがでしょうか。
世の中に存在し得る賭博行為全てが超法律的な概念によって否定され、その上で一部の法律を持って賭博という概念から逃れる形で許可を得ているのであれば、そうしたギャップというものは理解できます。
そうではなく、概念的な賭博というものが生活の中で事実上存在し得る中で、世の中への悪影響を考慮した上で一部を除いて禁止するという法律の成り立ちである以上は、その一部として認められているぱちんこは脱法ではなく紛れも無い合法であり、それを脱法だと叫ぶ行為そのものが法律の恣意的解釈だと言えるのでは無いでしょうか。
ぱちんこの店頭でも闇カジノが違法であることは周知を行っていますが、それすらも自分たちを棚に上げた行為やカジノではなくぱちんこでお金を使わせるための集客行為だと批判されたことがありました。
闇カジノはぱちんこと違って規制がなく被害額も青天井に増えていきます。
そうした社会問題がついに芸能人にまで及び、そうした被害の拡大を止められなかったことと、ぱちんこがそういった存在と同じものであると扱われていること、間違った解釈がいまだに罷り通っていることに腹が立ち、勢いに任せて描きました。
スマホ片手にどこでも参加できてしまう気軽さが本当に危険です。
違法に思えるが合法と、合法に思えるが違法の間には超えられない壁があるということを改めてご理解ください。
お返事いただいたよ
https://novtan.hatenablog.com/entry/2025/02/07/133329
こちらが匿名な点はフェアではないということを重々自覚した上で、改めてお返事を頂けたことに感謝します。
100文字のブコメからこれほどの行間を読み取ることができず、脊髄反射で反論したのは他ならぬわたしであったと反省しています。
こと脱法スキームという言葉について過剰反応であったことは認めるとしたうえで、言葉の独り歩きが差別を助長するという点において前置きもなく脱法スキームという言葉がでてきた時点でこれだけの行間を読むことの難しさはご理解いただきたいです。
それ以外の内容については、当然納得できない部分も多くあるとして、しかしながらこれほどまでに風営法の定められる根拠や刑法についての理解の深さはむしろ襟を正しながら読ませて頂きました。
金スロについてはそれほど詳しいわけではありませんが、賭博罪の構成要件である得失を争うことによる対向犯が認められたのではないかと考えています。
「スキームそのものが直ちに違法と言える訳では無いが、実態として賭博であった」といった感じでしょうか。
他の方が言うような3店方式が免罪符的な特権ではないことある意味証明している出来事かと思います。
納得できない部分が多いとした上で、わたしはnovtanさんの意見を尊重します。
わたしの主張はあくまでわたしの主張であり、それが100%正しいとは思っていません。
同様にnovtanさんの意見が100%正しいとはわたしも思ってはいませんが、尊重に値する意見であると考えています。
かといってそれは無条件に突きつけられるぱちんこ業界に対する差別を受け入れるということではありません。これはこれを読んでいるnovtanさん以外に向けての言葉です。
今はまだすんなりと受け入れられない部分も多いですが、何度も読み返しつつ理解を深めたいと思います。ありがとうございます。
Permalink |記事への反応(20) | 09:51
違法オンラインカジノを利用したことによる逮捕者が出てしまったことによって、とうとう社会的影響が出始めてしまいました。
そのことについてまるで他人事のように考えている一部の人は、自分たちがそうした状況を作り上げる原因の一端を担ってしまっていたことについてしっかりと自覚をして下さい。
言い換えるなら、ぱちんこが違法賭博だと言っていた人は、昨今の違法オンラインカジノに対して幇助にも等しいことを行っていたと猛省して下さいということです。
その理由は、「違法に思えるが合法」と「合法に思えるが違法」の間には本来超えられない壁があったにも関わらず、自らの意見を通したいがために「違法賭博なのに逮捕されないぱちんこ」という間違った認識を一部の人が作り上げ、世の中に吹聴していったことが、今の闇カジノに対しても違法性がないことの論拠を後押しする結果につながってしまっているからです。
このことについては本当に猛省をして下さい。
極めて理性的な話と最初に断った通り、「ぱちんこが嫌い」という意見については当然尊重しますし否定もしません。
あくまで「違法賭博」だと決めつけていたことに限って、それがデマであることを自覚して世の中に吹聴していったことを猛省して下さいという話です。
警察の怠慢や天下りなどの直接利益によって昭和時代の違法賭博が慣例的に許されていると考えている人は、今すぐにその考えを令和に合わせてアップデートして下さい。
また、三店方式についても、警察との癒着の結果に許された業界だけの特権ではありません。
少なくともこの2つについて認識を改めない限りは、自らの意見を都合よく広めたいだけの、まるで陰謀論に加担してデマを広げるような行為と違いがありません。
過去に国会の答弁で曖昧な返答があったことを証左としてぱちんこが違法を見逃されていると騒ぎ立てる人がいましたが、それらについてもその後全て否定されています。
警察によって、風俗環境を乱さないように様々な規制によって管理されています。
この規制こそが重要であり、デマを広げる人たちに恣意的な解釈をされる原因になっています。
これら規制は、世の中の社会問題と照らし合わせつつ常に変化しています。
そのためぱちんこ業界は、その時々によって常に変化する「許される範囲」に適応するための営業を強いられています。
当時取り沙汰された依存症問題などが発端となり、社会的影響に対する懸念から出玉性能などが規制されることとなりました。
もし仮に、今でもそうした遊技機を営業に用いているのであれば違法です。
しかし、今現在営業を営む店舗において、そうした遊技機は100%撤去されています。
このようにして、ぱちんこ店舗の営業は、その時々にあわせて常にアップデートされています。
よく、三店方式はぱちんこだけに許された特権であるという人がいますが、それは完全なるデマです。
三店方式は特権でもなんでもなく、誰にでも許されている権利です。
ただし、三店方式を破ることは即座に違法とみなされ、厳しい取り締まりの対象となります。
言い換えるならば、むしろ三店方式を守り続けることが合法である根拠となるということです。
なぜそういった誤解が生まれてしまうのか、そこにはぱちんこだけに許された権利が関係してきます。
それが、遊技の結果に対して景品の提供が許されている権利です。
風営法というものは、もともと清浄な風俗環境を守るためにそれを乱すような営業をあらかじめ許可制にしようということで定められた法律です。
そのうち、主に風俗環境を乱すものとして扱われているものが、性欲と賭博です。
性欲側は性風俗と言われますが、ダンスなど男女が肌を密着させるものも対象になっています。
賭博については、麻雀やゲームなど、不特定多数同士での勝ち負けが決まることによって、それが賭けの対象にならないように規制することが目的となっています。
主にお酒の提供や見通しを妨げる設備の設置、店内を暗くすることなどが禁止されているのは、ざっくり言えばそうした賭博行為に及びやすい環境を作らせないためです。
そのため、麻雀やゲームセンターでは、遊技の結果に対して景品を出すことが許されていません。(クレーンゲームの話はしないほうがいいですよとだけ言っておきますね。)
そうした中でぱちんこだけが遊技の結果によって景品を提供することが許されていまが、その代わりに、他の風俗営業者に比べて遥かに多くの規制が存在し、違反した場合も他に比べて遥かに重い罪が課せられます。
なぜそのような形になったかは、文化の成り立ちまで遡る必要がある話なので興味があれば調べて下さい。
それでもこれを特権と言うならあなたの中では特権なのでしょうが、あなた方がいうようなチート扱いのような特権ではないということは理解しておくべきです。
三店方式の話に戻ると、他の業種においてはこの「景品の提供」が許されていないために、そもそも3店方式が成り立ちません。
つまり、ぱちんこだけに三店方式が許されているのではなく、他の業種で三店方式を取ったところで意味がないということになります。
また、この三店方式というものは、それだけ守っていれば合法というものではありません。
風営法とは別に御存知の通り刑法賭博罪というものが存在していますので、例え三店方式の形式を取っていたとしても、賭博罪に抵触する行為があればそれは当然違法行為となります。
つまり、三店方式が違法賭博の免罪符的機能であるという考えこそがそもそも誤解です。
(似たような話でトレーディングカードのオリパが挙げられますが、わたしからは「関わっている人全員気をつけたほうがいいよ」というコメントにとどめます。)
こうした理解もなく、ただいたずらに自分が嫌いなものを自分のさじ加減だけで違法と決めつけることは、自らの嫌いなものに色々と理由をこじつけて排除しようとする差別意識の表れでしかないことに気づいて下さい。
その結果が賭博に対する法解釈の理解を阻害し、闇カジノの違法性さえも否定することにつながっていることは、素直に猛省すべきことだと言っておきます。
ぶっちゃけた話をすると、ぱちんこが嫌いなのであれば嫌いと否定すれば良い話で、合法であるものをわざわざデマを用いてまで違法とするのはバカの露呈だからやめたほうがいいよって話です。
違法だから嫌いなのではなくて、嫌いだから違法ってことにして心のバランスを取ろうとしてることが丸わかりですよ。
ぱちんこが嫌われているのはある意味で業界の努力が足りてないことなので、それを「嫌うな」というのは言うまでもなくエゴであって誰かが止められるものでもなければ、業界が真摯に受け止めなくてはならない意見だと思います。
その上で、法律が間違っているというのであれば、自分の中で勝手に違法にするのではなく、然るべきプロセスを経て法律を改正して下さい。
ぱちんこだけに景品提供が許されているのはおかしいって思うなら、それを「特権だ」って騒いだところで何も解決しなくて、どういった社会的影響のもとに禁止すべきだという議論にならなければ何も進まないよということです。
そうでなければ、やってることはただの民主主義の否定でしかないです。
あなたがたがいつもバカにしてぶっ叩いてる相手とやってることが同じです。
闇カジノを利用した人間を自己責任として切り捨てるのはいいのだけど、違法合法の違いに目を向けようとせずお気持ちだけで決めつけてきた人たちも同罪っていうことだけは理解して帰って下さい。
c22_90 要約すると結局「パチンコが気に入らないのならお前らも警察や政治家と癒着して脱法既得権益スキームつくれよ」だからなあ
違いますよ。「パチンコが気に入らないなら、パチンコ店を批判するんじゃなくて合法としている法律を正しいプロセスを持って改正しろ」ですよ。それが民主主義であって法治国家です。
buriburiuntitti 言いたいこと色々あるが、合法とされてる"ぱちんこだけに許された権利"に納得できないだろ、って意味で違法って言葉を使ってる人が多数なんじゃないか
違いますよ。許可営業というものをよく考えて欲しいんですが、数ある「許可営業に許された権利」の中からの「ぱちんこだけに許された権利」だけに納得できないってあなた方が文句を言っているんですよ。
それを言い出したら許可営業全てが特権という扱いにならなくてはいけないし、それを特権だなんて言い出したら許可営業そのものの否定になりますよ。
hironagi 一番肝心なところが「あなたがたの判断に任せます」「興味があれば調べて下さい」になってた。その辺の説明があると期待したのに。
そうです。それがこの問題の肝の部分です。
先ほども述べたように、あなた方が特権と言っていることは、特権でもなんでもなく「許可営業で許された権利」なんです。
許可営業というのは許可を得たらなんでもして良いわけではなく、風俗環境を乱さないようにさまざまな規制でがんじがらめになってます。
もちろん規制に違反すればすぐに取り締まりを受けるほど厳しく運用されています。
そうした事実を認めず、自分たちが納得できない部分だけを批判したいからという理由で「特権」や「脱法」という言葉を恣意的に使っているのは、批判している側なんです。
nyankosenpai 父が死ぬまでパチンコ打ってて、家に金をいれませんでした。合法でも違法でもどうでもよくて、パチンコには積年の個人的恨みがあります
受け止めます。そうした不幸を繰り返さないために業界は今さまざまなことに取り組んでいます。それを理解してくれとは言いません。変わるべきは自分達であると考えて取り組んでいます。
批判するなとは言っていません。
そうした間違った批判が、オンラインカジノの違法性を曖昧にして被害者を増やすことの手伝いになってしまっているというのがこの増田の本旨です。
追記2
書きました。https://anond.hatelabo.jp/20250207095117
Permalink |記事への反応(29) | 10:44
30年間彼女ができなかった童貞だが、先日ついに彼女ができた。
ものすごく可愛いとか若いとかではないが、年下で仕事も家事もできる自立した素晴らしい女性だ。
はっきり言うと、自分で掴みとったというよりほとんど運命のようなもので運が良かったと思う。きっかけはマッチングアプリだがあまりマチアプで出会った感はない。
出さなかったと言っても隠してたとか騙したわけじゃない。
俺は元々ピュアだから女の子と一緒に話すだけで満足していた。でも恋愛系YouTuberはやれボディタッチしろだの、早めにホテルに誘えだの言うもんだから、最初はそれを実行しようとマチアプで出会った女性(今の彼女とは別な人)に対して手を繋ぐ機会を伺ったり、二人きりになれるロマンチックな場所に誘い込もうと頑張っていたのだが、見事に失敗した。
振り返っても、そういう性欲むき出しの行動はキモかったと思う。そもそも今思うとその頃の自分は「とにかく先に進まなければ」という意識が強く、性欲とは違う何か義務感のようなもので動いていたように思う。こんなんで良い人に巡り会えるわけがない。
その後、肩の力を抜き素の自分で手を繋ごうとか家に誘おうとか一切考えず、その人とのコミュニケーションや一緒にいる時間を楽しみ適度な距離感で接した結果、向こうからアプローチがありここで動かねば男が廃るということで告白した。
最初から素の自分だったから、今も付き合っていてすごく落ち着く。男ばかりが提供するんじゃなくて、お互いにリードし合う良い関係になってると思う。
2つ目は、見た目を整えたこと。
俺はオタクだが、今は比較的まともな見た目をしてると思う。髪型や服を自分の顔や体型に合わせて試行錯誤した結果、ここ一年でだいぶまともになった。
イケメンとかではなく身長も170程度だが、女性から見て「見た目に気を使っているように見える人」になるようにかなり努力した。今の彼女からは「かっこいい」「服がおしゃれ」「肌が綺麗」と言ってもらえるようになった。
俺のようにオタクな人間は髪型と服装を変えるのが一番効果が大きいと思う。
自信が付くし、女性に対しても対等な目線で接することができる。もちろん世の中には自分よりイケメンなやつは山程いるが、俺は俺なりに努力したという自信があるから、生まれつきの才能だけでイキってる人間には総合力で負ける気はしない。
デートにおいて女性の話を聞くというのは鉄則だが、最初はそれに徹しすぎて、自分が他の男とは違うということをアピールできなかった
だからそれに加えて仕事の話とか、趣味の活動の話とかも積極的にするようにした。
写真とかを見せて、具体的に何ができるかをちゃんと伝えていたから、能力面でよく尊敬される。もちろん俺も同じだけ相手の中身を尊敬している。
前にYouTuberの企画で、デートを添削する動画を見たことがある。モザイクありだがおそらく顔もいいし、話し方もそんなに変ではなく、オタクから見ればそれなりにモテそうだった。しかし同じ社会人の男として考えると「表面的で中身がない」とも思えた。
案の定、YouTuberから同じようなダメ出しをされていて納得した覚えがある。女性は結構男の中身を見ているらしい。
恋愛系YouTuberは正しいことも言ってるから、鵜呑みにしすぎなければオススメしたい。
ただ、振り返ってみるとやっぱり運が大きかったと思う。
まず、見た目が好きになれる女性と出会うこと自体運だ。女性はよく冴えない男性を「生理的に無理」と評するが、もちろん男からも同じ現象はある。
変に顎が出てたり、逆に顎がなさすぎたり、鼻がでかすぎたり、太りすぎていたり、肌が汚かったり、口が臭かったり(これお菓子とか好きな女性はマジで気をつけた方がいい)。
本当に生理的にダメな場合、男は「キスもしたくない」と思ってしまうことがある。残念ながら男にも許せるラインというものがある。
とはいえ中身や仕草で好きになれることもあるから、最初から跳ね除けずデートしてみるのは大事だ。
今の彼女はドストライクではないが、手を繋いだりキスしても全く嫌悪感がない。匂いも気になったことがない。ドストライクではないだけで顔は整ってると思う。
何より内面が綺麗だ。
そういう女性と出会えるのは本当に運だと思う。だから大事にしたい。
また彼女とはマッチングアプリで出会ったが、実のところマチアプ女性の8割は性格に難がある。
職場ではまず出会わないであろう常識がない方が大半だ。自分は顔より趣味で選んでいたのでまだまともな人ともデートできたが、それでも返信が来なかったり、デートをドタキャンされたり、唐突にブロックされたりは何度か経験した。
だからマチアプが100%良いとは全く思っておらず、たまたますれ違い様に声をかけた場所がマチアプだったくらいの認識だ。
実際、少しでも時期がズレてたら出会わなかっただろう。
最もきっかけにはなったのでマチアプに感謝はしているが、これも運だと思う。
単に見た目を整えただけじゃ1年近く頑張ってもずっと成果はなかった。
男は自分から機会を作らないといけないし、リアルで知り合う機会が減った今、なおさら難しくなってると思う。
でもそんな異常な人間も、よく分析してみるとただ運が良かっただけだったりする。素の見た目やコミュ力が偶然女性に刺さってたり、学生時代に偶然そういうコミュ力を身につけたり、偶然いい感じの女性が目の前に現れただけだったり。
そして一度でも女性と付き合えると、以降彼女を作りやすくなる。自信と余裕が生まれ、0が1になり、その差は男にとって超えられない壁のようにでかいから大きなアドバンテージが生まれる。
だからこそ俺ら非モテはその差に愕然とするわけだが、まぁ結局は運だ。
あとはその運を逃さないように、見た目を整え自分の底力を上げて機会を増やすのが大事だと思う。
奢らない男はダメだとか、合意を取ろうとする男はダメだとか、蛙化現象とか、そういうことを言う女性はどこか性格に難がある。
いくら顔が良かろうが、そういう気難しい女性を相手にするのは童貞には荷が重い。だから彼女たちの意見を真に受けて、彼女たちの基準に合わせちゃいけない。こっちが一方的に疲れるだけだ。
真面目な社会人ほど、子どもの扱いが難しく感じるのに似ている。
子どもは子ども同士で遊ぶのが一番。そういう女性は、そういう男性に任せておけばいい。
童貞は童貞だからこそ真摯に自分磨きを重ね、自立した成熟な女性を探すべきだ。
最後は結局運頼みになってしまうと思うが、頑張ってほしいと思う。
Permalink |記事への反応(15) | 11:01
人工知能学会誌の表紙をめぐる件で、表紙について最初に問題視したのは会員という話について
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20241129/1732892378
人工知能学会誌の表紙について、懸念をつたえた情報源を提示したら問題視したことにはならないと主張されたり、質問に答えたら論点をずらされたり……
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20241203/1733151600
なんていうかこう
多くの人にとって、例の件の炎上はスプツニ子!から着火してるんだよね
仮にそれより15時間ほど早い NIIYAMA 氏のポストが着火点だと主張しても
氏の指摘も性差別だから、あの炎上は「見た人が不快になる」とかそういう話じゃないんだよ
「人を不快にする可能性のある表現」と「差別表現」って全然違うでしょ?
オタクやチー牛が嘲笑される表現は彼らを不快にするかもしれないけれど、差別じゃない
これリベサの主張だよね
だから、「人を不快にさせてしまって申し訳ない」と「差別表現をしてしまい申し訳ない」の間には、超えられない壁があって同列に語れない
炎上の仕方も、日本の性差別、であったし、当時を知るものなら、あれが「人を不快にさせる表現」なんて燃え方をしてないと記憶しているだろう
というものなんよね
そういう意味で、今でも語られるわけよ、人工知能学会誌の表紙事件は
リベサが乗っかって日本の闇みたいに大騒ぎして
それをさ
みたいな話をそこにねじ込んで、学会員が最初に問題にした文脈の欠落がある
とか言い出してもさ
学会員が燃やして、学会員が新聞沙汰になるような社会現象化させて、学会員が謝罪を引き出してないのなら
人目にもついてないが最初に声を上げたのは学会員だった、なんて事は当時誰も気にしなかったし、何の価値もない情報だよ
なんで歪めてしまうんだろう?
どういう意図で行っているんだろう
ワタシ、気になります
おまいの気持ちわかるわ。税金ってまさに「リアル税金でござる」って感じだよな。給料上がらん、物価は上がる、ほんと我々の生活はドンドンしんどくなる一方だよな。でも減税が進まんのは、やっぱ政治家どもの「後回し精神」だと思うわ。選挙前には「減税サポートします!」とか言ってるくせに、選挙終わったらすぐ忘れちまうんだよ。
結局のところ、上のやつらにとっては数字遊びってわけだし、国民の苦労なんて「お花畑で聞き流し」とか思ってんのかもな。マスゴミも「バカ騒ぎ」ばっかりして本当に大事なことを伝えないし、やっぱり超えられない壁がありそうだわ。
でも諦めずに声を上げ続けるしかないのかもしれん。一人だけだと無力感あるけど、みんながこういう声を上げ続ければ、いつか変わるかもな。せめて選挙ではしっかり自分の意思を表明するしかないぜ。次回は「お灸を据える」くらいの気持ちで投票しようぜ。
でもまぁ、今は現実が厳しいから、お互い生き延びる方法を考えような。頑張ってるやつはわかるんだし、何とかなると信じたいわ。逝ってヨシ!
選挙の投票率って、無効票も含むんだよね。正確に言うと、棄権したか投票したかで区分されるから
ちゃんとした投票>無効票(白票、バーカって書いた、間違えた)>>>超えられない壁>>>棄権
なんだよね。
当たり前だけど、白票が白紙委任とかの意味は全然なくて、バーカって投票用紙に書くのと一緒。たんなる無効票。
全体でも少ないし、まあ、ぶっちゃけ白票だろうが名前間違えだろうが罵倒しようが、大勢に影響ないの。
ただ、投票率は割と敏感に気にするし、出口調査でどこの党に入れたとか誰に入れたとか、どういう背景で入れたとか、そういう出口調査はめっちゃ気にされてる。
なので、投票して年代別の投票率を押し上げて、出口調査で自分の属性を正直に書きつつゴリゴリ主張するのが一番確実なの。
投票所に来る有権者を政治家は無視しないから。棄権してる連中を投票に誘ってもあんま上手くいかないってわかってきたので、そっちはより積極的に無視される。
なので、よくわかんなかったら投票用紙に落書きして投票して、尤もらしい顔で出口調査で自分の思ってること言えば良いんだよ。
与党でも野党でも、何でもいい。どうせお前の一票で変わらない組織票優位の選挙だし。わかんなかったら目についた名前書いとけ。
この時間だからぶっちゃけられるけど、選挙って、自分の年代を無視されないために投票率を押し上げるためと、自分の主張を言うために出口調査に協力する機会なの。
組織票以外は、ほぼその意味しかないから、悩んでないで投票所に行ってバーカって書いてこっそり投票して、運が良ければ出口調査を頼まれるから思いのたけをタブレットに書いてこいよ。
オマエの一票で政治は変わらない。でも、そういう一票が積み重なって年代別投票率のパーセンテージが上がれば、その人たちを取り込もうとして政策がそっち向くんだよ。
まず男の身体も性の趣味も千差万別なので他人のアドバイスなんて大してアテにならん。というか追記結論の「旦那に聞く」以外のことはあり得ないわけだが、その上で参考程度に列挙しておく。