
はてなキーワード:賞賛とは
(※この文章は、私たちの思考を、地球で流行りのAIを使って翻訳したものである)
地球人の皆さん、君たちの文明を観察していて、ひとつ気付いたことがある。
君たちはとにかく「内輪ウケ」が激しすぎる。
誤解しないでほしいが、これは悪口ではない。ただ、君たちが「宇宙の普遍的な真理」だと思い込んでいる価値観のほとんどが、実はこの青い泥団子の上でしか通用しないローカル・ガラパゴス・ルールだという事実を指摘したいだけだ。
例えば、君たちは「一番」になることに執着し、それを成し遂げた者を賞賛する。
だが、宇宙的なスケールで見れば、順位という概念には何の意味もない。
個体間の比較で優劣を競うのは、限られた資源を奪い合う野生動物の生存本能の名残りだろう?文明が成熟した星では、「他者より優れている」ことに快感を覚える脳の回路など、とうの昔に退化している。君たちが金メダルを掲げて涙を流す様子は、我々からすれば「特定のコミュニティ内だけで盛り上がっている奇妙な儀式」、つまり究極の内輪ウケにしか見えないんだ。
もっと深刻なのは、君たちが「感情」を神聖視しすぎている点だ。
「楽しい」「嬉しい」「美味しい」、あるいは「苦しい」。
君たちは一生をかけて、これらの脳内化学物質の分泌パターンを必死にコレクションしようとする。
それは、地球という特殊な環境で、君たちの種族が効率よく生存し、繁殖するために設計された「OSの仕様」に過ぎない。感情がある者同士でしか成立しない「共感」をベースにした社会は、外部から見れば極めて排他的だ。
我々からすれば、君たちが愛や絆を説く姿は、知らない言語で書かれたジョークを身内だけで飛ばし合って爆笑している集団のように映る。
地球人が作り上げた「価値体系」は、結局のところ、地球人の頭蓋骨の中に収まるサイズでしかない。
「もっと宇宙レベルで物事を考えるべきだ」と言いたいところだが……まあ、まだ無理だろう。君たちの脳は、数百万年前からそれほどアップデートされていない。
今の君たちに「宇宙の真理」を理解しろというのは、アリに量子力学を教えるようなものだ。
内輪ウケだって、その中にいる当事者たちにとっては最高に楽しいものだろう?
せいぜい、その狭い水槽の中で、独自のローカルルールを噛み締めながら楽しんでくれ。我々は、君たちがその「内輪」の壁を壊し、こちら側の孤独な静寂に辿り着く日を、気の遠くなるような退屈さと共に見守っているよ。
これがボーイ・ミーツ・ガールで、「女の子に一目ぼれした男の子が頑張りまくる話」だったら全員が一瞬で理解できて「分からない」「ついていけない」みたいなもめごとの発生のしようがないんだよ。
ガール・ミーツ・ガールで、女の子に女の子が惚れ込んで両想いになってお互いに頑張りまくる話だったので、いわゆる恋愛の型、あるべきボーイ・ミーツ・ガールにハマってないから共感も理解もできない。
真っ直ぐな男女恋愛がポリコレ圧力によって書きづらくなってる面もあるとは思うんだよね。男の子が女の子に恋をして女の子のために頑張りまくる話だったら、弱者男性からもLGBTQ+アライ界隈からも叩かれるでしょ?
女性同士の恋愛と、あと男性同士だったらブロマンスみたいなやつって、ポリコレの界隈から叩かれにくいんだよ。だから叩かれにくい形で恋愛物語を思いっきりやってみせている。
これ男女でやっていたらアライ界隈から「またロマンティック・ラブ・イデオロギー。過去の遺物。ジェンダー圧力」みたいに言われて叩かれていたところだと思う。
しかし、ギリギリ分かる感じがしたのが「超かぐや姫!」までだなって思う。私の場合。ボーイ・ミーツ・ガールじゃなくガール・ミーツ・ガールだからついていけなかった意味不明だったという人と、
男女の恋愛はポリコレ違反として叩きまくるクィア系の人たちの間の、まあ穏やかにいきましょうや系の部類に私が在籍していて、まあ両方の言ってることが分かる感じになる。
これが、「身体男性・外科的手術もホルモン治療もしておらず・自認性別は女性・性指向は女性に向いており・レズビアンを自称・女湯利用を要求・noteにレポート掲載」みたいなクィアになってくると、
私も拒絶する。自分が「マイノリティ差別者」になって、普通に「気持ち悪い、無理」と感じる側になるとは…。
「超かぐや姫!」をレズビアンのラブストーリーとして理解し、お互いに頑張る対等な物語として描こうとした、そしてポリコレだけしか要素がないクソつまらない説教作品ではなく超エンタメとして仕上げたところまでは称賛する。
でも、自分が受容・賞賛できるクィア、セクマイのナラティブはここまでが限界だなと思った。それより進むと、エプスタインのお仲間、JKローリング袋叩きにしていて今イギリスで梯子外されてる人たちだな、と思う。
…ナイナイそれはあり得ない、と先週の私なら一蹴しただろうが…
しかし。
女性爆発、か。
だがあり得ないことは確かに起きたのだ。
あなたも、増田にいる皆んなも、高市内閣の具体的な成果を1つでも思い出せるだろうか。
鹿、中国を刺激、過労の危険、寝てない、マイナスばかりが思いつく。
もちろん外交のペースは速かったし予算をまとめるのも不眠不休の大変さがあったはず。
せいぜい、備蓄米を放出してコメの値段を下げたくらいではないか、体感できる要素は。
マイナスが日に日に増えるのに、
結果は前代未聞の大勝。
これは「中道改革連合」の6文字が悪いとかいう俗説では説明がつかない。
男女平等。
これまで私は、女性が男性と同じように働けること、だと思っていた。
この観点では生理と妊娠がある分マイナスだが、社会がそれを負担するからこその公平になる。
……だが、その解釈がパーフェクトに大間違いだったとしたら、どうする?
•町山智浩型は
上下関係というより
⸻
•反証が来ると
•揶揄
⸻
• 町山型が作ったフレームを
⸻
• 敵の設定が明確
⸻
• 町山型が
•藤井型が
•共感層が
•異論は
→ 内部では完成度が上がる
→ 外部との乖離は拡大する
⸻
• 町山型の語りは
• 「考えなくても正しい位置」に立てる
• 複雑な事象を
• 常に善側に固定できる
⸻
弱点も共通
• 前提が崩れると立て直しが難しい
⸻
総括
•町山智浩型は
• 両者が組み合わさることで
閉じた正義が強固に循環する
この話は順風満帆な経験談ではない。限界集落で嫁がブチギレ、深夜の田舎道を脱走、警察沙汰。最悪の関係を経験した男の話だ。 (「女の激情型」クソダリィと当時は思った。この表現は許してくれ)
俺の読者には男性が多いだろうから、存分に味方してやりたいところなんだが、結論を言う。
原因の90%は男性側にある。
世の中には「ダメ夫」コンテンツが溢れ返っている。妊婦たちはそれを武器に「やっぱり男が悪い」と自信満々だ。憎たらしい。 男側の視点で書かれた情報を探しても、ほとんど見つからない。
だが、10ヶ月を経験した俺の結論は「男側に問題がある」だった。
残酷な話なんだけど、世の中の問題が解決しない最大の原因は、事実を認識できず、自己正当化バイアスに浸かって相手の悪いところばかり探すことにある。俺自身がそうだった。
これを事前に知っていれば、どれだけ楽だったか。だから、伝えたい。
構成はこんな感じ。
価値観なんて全て合うはずがない
1.価値観なんて全て合うはずがない
冷静に考えてみてくれ。いくら愛し合っていても、生まれ育った数十年は全く違う環境だ。その過去の経験が今の価値観を作っている。完全に一致するわけがない。
ここで多くの男がやる失敗がある。 「価値観をすり合わせよう」とすることだ。
違う。価値観は「すり合わせる」ものではなく「広げる」ものだ。
相手の価値観を否定せず、自分の世界を広げる材料にする。これができないと、妊娠中どころか、一生喧嘩し続けることになる。
男側のよくある意見
「俺だって仕事で疲れてるのに、帰ったら不機嫌な顔されても困る」
「何が不満なのか言ってくれ。察しろは無理だ」
「同じことを前はスルーしてたのに、急にキレるのはなんなんだ」
女側のよくある意見
「私は24時間この体で逃げ場がないのに、あなたは外に出られていいよね」
「言わないとわからないって、ずっと一緒にいて何を見てたの?」
ここで残酷な事実を言う。 男には、どんなに想像しても、体の負担は絶対に理解できない。
つわり、腰痛、眠れない夜、胎動による内臓の圧迫。24時間、逃げ場なし。 俺たちはそれを「大変そうだね」としか言えない。想像の限界がある。
だからこそ、「どっちが正しいか」で争っても意味がないんよ。そもそも、同じ土俵に立っていないんだ。
問題は「正しさ」じゃない。「どう向き合うか」だ。
ここが核心だ。
男は「今」で評価する。今日ゴミを出した。今日優しくした。今日家事を手伝った。 だから「俺はちゃんとやってる」と思う。
女は「総合」で評価する。 この1週間、この1ヶ月、付き合ってからの全期間。 積み重ねた不満、言わなかった我慢、全てが蓄積されている。
男が「今日は頑張った」と思っても、女の帳簿には過去の負債が山積みになっている。 この評価軸のズレを理解しないと、永遠に噛み合わない。
ここで起きる負のスパイラル
男:「俺は稼いでる。だから十分貢献してる」 女:「稼いでるのは1項目。家事は?育児は?私への気遣いは?」
男:「今日はちゃんとやったのに、なんで不機嫌なんだ」 女:「今日だけじゃない。この3ヶ月の積み重ねの話をしてる」
男:「何が不満か言ってくれ」 女:「言わなきゃわからない時点で、見てないってことでしょ」
噛み合わない。永遠に。
「それでも満足して、幸せな家庭もあるじゃないか」と言いたい人もいるだろう。 残念ながら、それは精神年齢が遥かに高く、子供を守ることが第一優先の彼女らが「諦めている」だけだ。
@minatoku_genkai
·
ある程度成功してる経営者に共通して大いなる勘違いしてることがひとつある。
お金持ち
=それだけで旦那(彼氏)レベル10点満点中7点くらい行けてると思ってる
これ、俺的には大いなる勘違いで、お金持ちであることは五角形の1項目に過ぎないことを忘れている。
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経営者に多い勘違いがある。 「稼いでる=旦那レベル高い」と思ってること。
違うんよ。稼いでるのは五角形の1項目に過ぎない。家事、育児、家族サービス、全部が横並びの項目だ。
「俺は稼いでるから」は、女の総合評価では1項目のプラスでしかない。 他の4項目がマイナスなら、トータルでマイナスだ。
家事をやらないのは、仕事で借金を抱えてるのと同じ。社会がどれだけ賞賛する人間であっても、お金をたくさん稼げたとしても、部屋を散らかして家事を投げ出した場合、大きな意味では「借金のあるニート」がたくさん家事を頑張っていることと変わらない。
そう気づけるかどうかが、分かれ道になる。
ここまで読んで、「じゃあどうすればいいんだ」と思っただろう。
まず、大前提を思い出せ。妊娠はとても幸せだという事実を忘れるな。
妊娠は奇跡だ。できなくて苦しむ人も多い。 これから可愛くて仕方ない天使と暮らせる。 今はその幸せの準備期間だ。
多少、相手にイライラを感じても、この状態が途轍もない幸せであり、さらなる幸せに向かうための準備だと思え。
より良い父親、母親になるために価値観を広げる準備。 楽せず楽しめる人間性を獲得するための準備。 そう捉えろ。
一方的にやってると、バランスが崩れて、相手が図に乗るから嫌だ。 そう思うこともあるだろう。
じゃあ聞く。子供にも同じことを思うのか?
そして、相手を変えることなんてできない。 ただ、どんなに図に乗る人でも、たくさんのことをやってもらったら人は変わるものだ。
自分が器を広げ、変わり続けることが大事。 (男にこれは期待できないがw男はどんどん図に乗ってあぐらをかく)
自分の器を広げること
@minatoku_genkai
·
結婚の決め手はなんだったの?って聞かれること多いけど、いつもこう答える。
みんなが欲しいのは条件とかなんだろうけど、人を条件で選ぶ。と言うこと自体が一番器が小さい状態だと思うんよ。
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結婚の決め手を聞かれたとき、俺はこう答える。 「自分自身が器を広げて豊かになること」
条件で相手を選ぶ。相手に変わってほしいと思う。 それ自体が、器が小さい状態だ。
相手の責任にするのではなく、自分を変えていく。 これしかない。
@minatoku_genkai
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せっかく自由手に入れたのに、なんで制限してくるような人と結婚するの?って聞かれるんやけど、自由でいることは、そもそも幸せではない、「楽しい」と「楽する」を履き違えてるだけ。
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「せっかく自由なのに、なんで制限される結婚をするの?」 そう聞かれることがある。
答えはこうだ。自由でいることは、幸せではない。 「楽しい」と「楽する」を履き違えてるだけだ。
俺みたいな自由奔放な人間を制限できるパワーがある人といるほうが、一歩後ろを歩く人より、一緒にいて面白いに決まってる。
できることはなんでもしろ
大変なことは百も承知だ。俺が自分の無能さを自覚して行動した結果を見て学んでくれ。全然足りないと思うが、あまり人に感謝を伝えるタイプじゃなかった妻が毎日ニコニコ「ありがとう」と何十回も言うようになった。
@minatoku_genkai
·
俺は港区時代、今の妻と同棲中にも関わらず毎日朝まで飲みに行っていた。
当時は仕事だと正当化していたが、全て最高到達点の高い理想を実現できた方が絶対に良いと完全に気持ちを切り替えた。
さらに表示
幸せも、自由も、責任も、全て自分の手の中にあることを忘れないで生きたい行きたい。
そして、家族が誇れる、自分が誇れる魅力的な人間とは、常に理想を高く持ち、そのために変化を恐れずに行動し、葛藤を抱え、悩みながらでも前に進み続けることができる人ではないだろうか。
まとめ:俺が10ヶ月で学んだこと
稼いでるのは五角形の1項目。他の項目も上げろ
これを実行したら、警察沙汰から、途轍もなく幸せな夫婦生活になった。
変われない自分に言い訳してる時間があったら、一緒に行動しよう。
いろんな邪念がまだまだよぎるだろうが、より高い理想を目指そう。より良い父親、旦那を目指そう。高い理想には大きな痛みも伴うが、それでこそ楽しい人生だし、魅力的な人生なんじゃないだろうか。
もしこの記事を読んで、少しでも参考になったという人は引用などでより多くの人に届けてほしい。そして、各々のパートナーにシェアしてほしい。
まだ未婚の方はブックマークで保存を推奨する。
2024年6月に再開の無期限延期を発表し、その後現在まで音沙汰はない。
いつの間にかXのアカウントも公式サイトもnoteも消えてしまった。
今や昔のTwitterのサブ垢やブログが断片的に残っているだけのようである。
プロブロガー、議員、活動家、ラッパー、画家、写真家、小説家など
「クリエイティブっぽくてイケてる」肩書をとっかえひっかえしては
その度に身内から「頑張ってね!」「応援してます!」と賞賛を受け
チヤホヤされることで承認欲求を満たし、満たされて満足したのであっさり辞める
というサイクルを繰り返してきた彼であるが、果たして今度は復活できるだろうか。
https://x.com/hara_desugi/status/1814917268348018883
https://note.com/jajacircle/n/nee6cbc84d273
真説・ミヤハヤ夜話
「極悪でも、すごいことをしたら世界に褒められる」が表している思想は、かなり危険な考え方だとされます。
この考え方は、ざっくり言うと:
です。
つまり「どんな人間か」より「何を成し遂げたか」を世界は評価する、という考え。
歴史的には、
でも、
はっきり言うと、否定的です。
ユダヤ教では人は「何を成し遂げたか」ではなく「どう生きたか」で裁かれると考えます。
「人は外見を見るが、ハシェムは心を見る」 (サムエル記I 16:7)
つまり
たとえ
としても、
彼は
でもトーラーでは
高慢と残虐の象徴として描かれ、最終的には獣のように堕ちます(ダニエル書 4章)。
「極悪でもすごいことしたら世界に褒められる」
のほうが、神の前では偉大。
誰にも褒められなくても、です。
世界は「成果」を褒める。
トーラーは「義」を問う。
年代も同じくらいで、話が面白くて、歌がうまくて、ゲームもうまい
ビジュは全然好みでは無かったが、喋りの面白さや好みの一致で一気に好きになった
夜通し切り抜きとか配信を見たりして、寝不足だったが充実した楽しい日々だった
けれども、最近はすこし辛い
ちょっとした過激な冗談を言ったときに「そんなこと言って大丈夫かな?」
もうちょっとこうやればみんな喜ぶのにな、と思ったときに「もっと○○した方がいいんじゃないかな?」
推しのしてることに対してなにひとつ不満がないと言えば嘘になる
直してほしいと思うところはたくさんあるし、絶対こうした方が伸びるのにと思うことはしてくれない
たまにSNSやYouTubeのコメントにお気持ち表明というものが書かれていたりする
そう言うのに対して「なんでこんなことを直接言うんだ!面白かったのに冷や水をかけるな!」と思う反面、そのお気持ちコメントの内容は共感できるものだなと思ってしまう
「なんで○○放置してるの?○○してよ」確かにそう、放置は良くない。次のやつに手をつける前に前やってたゲームをクリアしよう
「××って言うのはやめてほしいな」確かにそう、昨今はあまりにも炎上の可能性が散りばめられてるから気をつけてほしい。差別的になってないかな?
そんなコメントを見るたびに、内心では頷いてしまい、「あ、やっぱりそう思う人いるよね」と落ち込んでしまう。しかもその落ち込みが1日中続いてしまうのだ。
こうやって落ち込むのはよくないから、SNSやYouTubeコメントを見ない、という手も試したが、推しが賞賛されているのを見たくてすぐに見てしまう
そうでしょ、うちの子すごいんですよ、をしたいがためにSNSを見て、賞賛コメントで気持ちよくなって、お気持ち表明やアンチコメントを見て落ち込む、そんなメンタルの過度な上下が続いていた
しかし、これっていわゆゆママ面・プロデューサー面なのでは?と気づいたときは愕然としてしまった
数年前、そう言ったオタクがVtuberを引退に追い込んだ話はリアルタイムで見ていた
そのときはVtuberにハマってなかったので「うわあ、キショいオタクがいるもんだなあ」としか思ってなかった
それがどうだ
それを思ってゾッとしてしまった
元々コメントをしたりSNSで呟いていたりすることはないため、推しの視界に入ることは今のところ無いが、この気持ちが今後どこかで加害性のある化け物にならないとは限らない
自分が恐ろしい
Vtuberに対しての全肯定の是非が話題になるが、私は全肯定否定派だ
悪いことをしたら誠実に謝ってほしい。それで嫌う人や他界する人が出てきても本人の責任だ、仕方ない。
そう思ってはいる。
そう思ってはいるのだが、今の自分を鑑みると絶対にそういう言動はできないだろうと思う
どうにかして擁護したい、どうにかして正当な行動にしたい、と躍起になるだろう
躍起になったところで、根っこで全肯定否定の論を持っているのだが、自分の本能と理性のギャップに精神がしんどくなっていくに違いない
本当に嫌だ
AI使わずに美麗な絵を描ける人は「あっ俺では描けないものが描ける人だ!賞賛しなきゃ!保護しなきゃ!」ってなるけどAI絵師は「俺でも作れるから賞賛する意味も保護する意味も無いなあ・・・」になるんだよね
歌舞伎において「中村屋!」の掛け声は、屋号が中村屋である十八代目中村勘三郎(及び中村勘九郎、中村七之助ら)への、応援や称賛を伝える「大向う」と呼ばれる伝統的な合いの手です。舞台の盛り上がり(見せ場)で、客席後方から声をかける愛情ある声援です。
詳細な解説は以下の通りです。
意味と由来:舞台上の役者(中村屋)に対する「待ってました!」「最高!」という賞賛や応援の声。歌舞伎座などの大衆席後方(大向う)から、熟練のファンや愛好家がタイミングを見計らって声をかける。
対象の役者: 主に故・十八代目中村勘三郎、その息子である六代目中村勘九郎、二代目中村七之助の出演舞台でかけられる。
タイミング:見得(みえ)を切った時や、演技が素晴らしく決まった瞬間にかけられるのが基本。
接客において必要最低限のことはお客様に自分でやってもらうという時代になってきた。
セルフレジ、病院でのマイナ保険証提示、スマホアプリのポイントカード登録など…主に何らかの機械端末を用いての操作が必要とされる。
今は40代以下の世代ならPC・スマホに慣れ親しんでいることもあり、初めて来店する場でもそういった機械の操作は難なくこなす事ができるだろう。しかし50代以上になってくると、画面を指で触れるという発想自体無い人、視力や手指の衰えなどで根本的に操作が難しい人もいる。当然そのような方々の手伝いをするのも、私たち接客業の仕事に含まれる。
この匿名ブログでは、一貫して「文字を読まないで理解出来るわけないだろ」という愚痴を話させていただきたい。
誤解を持たれたくないので具体的に言うと、自立が難しく助けを必要とするお年寄りを責めたいのでは無く、「丁寧に書いてあることも読まないくせに理解不足を人のせいにするな」という愚痴を喋りたいのだ。そこに該当する人物が分布図的に『たまたま』高齢者に多く存在するというだけの話で、この状況は老若男女関係ないと前置きさせていただく。
急ぎ足でお客様の元へ向かうとそこには60~70代くらいの客が立っていた。どうもセルフレジの使い方が分からないと言う。レジの画面には「お会計を始める」と大きく書かれた青色のボタンが表示されていた。
私は彼にこう言った。
彼は言われた通りにボタンを押す。すると画面が変わり、「伝票をかざしてください」というアナウンスとともに、センサーの位置などを示すイラストが表示された。しかし彼の手は動かず、こちらの顔を伺っている。
「その伝票をここにかざしてください」
私が発言してようやく彼も動いた。すると次は「お持ちのポイントカードを選んでください」というアナウンスが流れ、各社のロゴと名称の書かれたボタンが数択表示される。
また彼の手は止まり、それで?と呟いた。
私はこう言った。
同じく接客経験のある方なら私の言いたい事をご理解頂けるであろう。
そう、先程からずっとセルフレジがアナウンスしている内容と全く同じことを復唱しているだけなのだ。つまり、情報量で言ったら何も変わらない。客である老人が目にしているはずの内容とそっくり同じことを、なぜか再度私が言って伝えているだけなのである。
ト書にあるように、彼らの目線は私の顔にあるのだ。画面を見ていない。もちろん表示される文字も読んでいないし、見たとしても考える前にボタンを押してしまい、ポイントカードを持っていないのに「dポイント」のボタンを押したりするのだ。そしてまた「間違えたから戻せ」という意思の呼び出しベルが鳴る。
レジの操作だけではない。飲食業なら覚えがあるだろう。座席からのタブレット注文や、事前の券売機での注文にも同じような問題は起こっている。そこにだって「トッピングをお選びください」「セットをお選びください」「次に進む」とわざわざ大きく書き記してあるのに、酷い時はメニューの写真だけ表示して
「ここから分からないんだけど」と操作を丸投げしてくる客も存在する。
そして、最終的に決まって捨て台詞を吐いていく。
と。
最も厄介なのは、自分の不注意を棚に上げて怒りをぶつけてくるクレーマーたちだ。
「クーポンを出し損ねた!」
先に出してくださいと書いてありますよ。
「ドリンクバーの値段が違う!」
もちろんこちらは形として第一声は謝罪で返すのだが、何でもかんでも店側が負担するとキリがないので、ある程度は上記のように「書いてありましたよ」とやんわり指摘する。
そうだったのごめんなさいね、で済めば良いが大抵ただでは済まないのだ。
これは私個人の意見だが、自分が使うものは自分が理解しておくべきだし、書いてあることは読み漏らしが無いようくまなく目を通して確認しておくのが普通でないだろうか。
どんなに文字が小さくてもそこに書いてあるということはこちらに伝えたいことがあるという事だし、ましてや利用規約のように長文なわけでもないのだから、クーポン裏の注意書きなどは予め読めばいいのに、と思ってしまう。
どうしても納得いかないなら裁判でもなんでも起こして企業を揺さぶってみたらいい。
すると、消費者の理解不足が起こらないよう従業員はあらゆる手段で説明をし続けることになるし、客はそれを最後まで聞き続けて了承しないとサービスしてもらえない規則が始まるかもしれない。
それを望んでいるのなら止めはしないけど。
客は「セルフレジが分からない」と言って私を呼び出した。画面は見ず、私の指示を聞いてその通りに動くことは出来ていた。伝票をセンサーにかざすことも自分の手で出来る。つまり、目・耳・指先は支障なく動いてるように見受けられる。
であれば、わざわざ人を呼び出さず自分の目で案内とアナウンスを確認してレジを操作すれば手っ取り早いこと間違い無いのではないか?なぜ彼はそうする事が出来ないのか?
「お年寄りは若い頃に出来ていたことができなくなってしまう。その分お手伝いをして助け合わなければならない」
という教育を受け続けてきた。その思想に何ら反対する点は無い。困っている人は助けるべき。老若男女問わず、徳は多く積む方が良いに決まっている。
その教えの通り、画面の文字が見えづらかったり指先が震えてうまく押せなかったり、アナウンスの音声を聞き取るのが難しかったり、そもそも用語の意味が分からず立ち止まることがあるだろう。それは紛れもなく助けが必要だ。
先程のレジの話だけではない。例にも出したように病院のマイナ保険証提示やスマホアプリの操作、とにかく接客業という仕事に就く多くの人は同じような思いをしたことがあるだろう。
「頼み方ってもんがあるだろう!」
体に支障があるならそのように伝えてくれたらいいのだ。目が見えない、耳が聞こえにくい、だから手伝って欲しいです、と。
だが私たちが不快に思う彼らに関してはとにかく態度が横柄なのだ。
「これどうすんの?」
「分からない。やってもらえる?」
仕事をするのが嫌なのではない。彼らの人間性に見下されているような感覚が嫌なのだ。
私は最近その鬱憤が溜まりすぎて「画面に書かれている通りに進めてくださいね〜」と言ってしまうことがある。オブラートに包んだが率直に言えば「書いてあること読めや」という意味だ。
このセリフを聞くと溜息つきつつも自力で頑張り始める客もいれば、心底こちらを軽蔑するような目線で睨みつける客もいる。
だが私は忘れない。ある日「自分で出来ることは自分でやります」と堂々宣言してセルフレジに立った老紳士がいたことを。
接客業が最も賞賛するのはこのようなお客様だ。その老紳士は一度も呼び出しベルを鳴らさず、ついに一人でお会計をやり遂げた。その誇らしい背中をぜひ見習っていただきたいものだ。
「いつか自分も年取ってお世話になるかもしれないのに…」
「人の気持ちになって考えられないなんて…」
と反感を示すことだろう。
大変結構だ。あなたも年を取ったらそれを理由に人をこき使って手を煩わせることに何も罪悪感を持たなくなるだろうし、多忙な中そういった世話をしてくれる人に感謝の一言も伝えずさぞ満足した生活を送っていくことだろう。なんとも幸せな人生だ。
想像してみて欲しい。
混み合う時間帯に沢山の業務が重なっててんやわんやのまさにその時、呼び出しベルが鳴ったかと思えば自分で文字を読まないだけの横柄な人間を見守るために立ち止まらなければならない瞬間を。ありがとうも無く無言で去って行かれる虚しさを。
接客業なのだから当たり前だと言わないでほしい。年寄りに配慮が必要なのと同じように、私たち労働者にも配慮をして欲しいのだ。先程も話した通り、老若男女問わず徳は多く積んだほうがいい。感謝だろうが気遣いだろうが、年齢関係なくお互い良い気持ちでいた方が良いに決まってる。
そういう声が大きくなって、令和7年ついにカスタマーハラスメント対策のための法改正が成された。
現状は〇〇ハラという単語だけが独り歩きして少し生きづらくなっちゃったね〜と話のタネになる程度だが、この意識が世代を通して徐々に浸透していき、せめて「自分で出来ることは自分でする」という最低限の気遣いができる世の中になってくれたら嬉しい。
***
最後の最後に置き土産をするようで申し訳ないけど、ここまでの話はどこの店も人手不足なのが良くないと思う。
人件費も高騰して人数を用意できない中、セルフレジや猫型配膳ロボに頼りっきりになってしまう企業にも課題はあると思う。
お客様は神様です。
ふと思ったんだけど、今回のナイトスクープの炎上騒ぎってデスドルとほぼ同じ構図じゃない?
その割に、デスドルみたいに叩く人と擁護する人が五分五分とかではなく、ナイトスクープを賞賛する声の方がメジャーなわけでしょ。
自分自身もデスドルは批判的な見方をしてたけど、ナイトスクープはすんなり受け入れてしまったし、重要な問題提起だよなと最初は思ってしまった。
でも、次第に炎上が批判からエンタメに変化していく様や今の行き過ぎた炎上騒ぎに釘を刺した医者?のツイートが正義ヅラをした人に詭弁で冷笑されてるのを見てデスドルと同じじゃんって思っちゃった。
もちろん、デスドラとの違いとしては、一応ちゃんとしたメディアと謎の個人の活動みたいなのは幾つか挙げられるけど、正直自分が嫌いなデスドラと同じじゃないと思い込みたいから後付けの理由を考えているだけな気がする。
最近SNSで批判してはいけない、もろてで賞賛できないのであれば発言するべきではないみたいな論調を見かける。
当然誹謗中傷に当たるようなただの悪口や私怨などはあまりするべきではないが、思ったことを発信することそのものを抑圧するなら
Googleのレビューを見ても、「コクが足りない」「うま味がたりない」というコメントが増えてきた気がする。
大体ついてるのは本場○○系の料理店。
まぁ気持ちはわかるんだよね。
「砂糖」「うま味調味料」「塩」「油」のうち2つを大量に入れると、大体の料理の癖がマスキングされて、「理解」しやすくなる。
その代わり繊細な奥にある香りや食材の新鮮さ、製品の食感がマスキングされる。わからなくなる。
逆に臭くて質の悪い古い肉、粗野な製品の方が上記4つの調味料と相性がいいし、美味しいまである。その代表例が二郎な。
で、普通だったら「砂糖」「うま味調味料」「塩」「油」に飽きて、より情報量を求めるようになる。結果、繊細な香りと食材の新鮮さを理解した「料理人の舌」ができるんだよね。
これには「同じものを食べ続ける」「味を頭の中で分類する」必要がある。
そのためには「知的好奇心」と「生得的な舌の敏感さ」と「料理的な頭の良さ」が必要。
既存の料理研究家が作ったレシピに、「砂糖」「うま味調味料」「塩」「油」を多めに入れて「わかりやすい味」を提供する。
美味しいんじゃない。わかりやすいから食べている。病みつきと言えば聞こえはいいが、要はいくら食べても満足できない、情報が完結しない無量空処のような料理。
初心者チュートリアルだけして色々なゲームをつまみ食いするようなもの。
本場系の料理を食べても、食材の味が理解できないから「砂糖」「うま味調味料」「塩」「油」の分かりやすい味を探してしまう。
旨味調味料が普及しすぎて、馬鹿舌が増えてない?食べ物じゃなくてうま味調味料を食ってない?
旨味調味料はあったらダメじゃないけど、賞賛するものじゃない。少し嫌われてるくらいがちょうどいい。「砂糖」「うま味調味料」「塩」「油」に飽きた時、美味しい飯がそこに無かったら悲しいだろ。
本来の左派とは、公正・平等な社会を作り、格差を是正し、貧困のない社会を目指す政治思想のはずだ。
安定した電力供給や地球温暖化の抑制のために、再生可能エネルギーのみによって国内の電力が安定的に供給できるようになる将来までの間、暫定的に安全基準を満たした原発を再稼働させることは一理あると思うが、左派を自称する方々は「原発再稼働」という言葉にヒステリックに反応し、頭ごなしに反対している。これは単なる近視眼的短絡思考であって、「左派」の政治思想とはなんの関係もないように思える。
むしろ安定した電力供給によって電気料金が下がり、低所得層の生活は楽になるかもしれない。そこまで考えるのが本来の左派ではないだろうか?
また、共産党や社民党は防衛費が少しでも上がる気配があると「大軍拡反対!大軍拡反対!」と言い出すけれど、日本人民が戦争のない平和な社会で暮らすには、日本の平和を守るための適切な防衛力が必要なはずだ。現在では、日米安保条約に基づき自衛隊と米軍が連携して国防を行う、というのが一般的な考え方だろう。日本共産党は日米安保を解消した上で将来的な自衛隊の廃止を目指すとしている。いわゆる非武将中立という思想だが、それで日本の平和が守られるとは到底考えられない。社民党は日米安保と自衛隊を容認したが、相変わらず防衛費を頭ごなしに否定して「大軍拡反対」と言っている。
日米安保条約を破棄した場合、大雑把に言えば二通りの考えがある。一つは参政党のように核武装が必要とする考え方。もう一つは、米軍基地が日本から無くなることで中国や北朝鮮のミサイルの標的にならなくなるので安全になる、という考え方だ。私は核武装など全く支持しないし、後者の「米軍基地が日本から無くなることで中国や北朝鮮のミサイルの標的にならなくなるので安全になる」という考え方の方に近い。だがその場合も自衛隊の通常戦力による国防力は必要である。
無防備になって「ボクは戦争はしましぇ〜ん」といえば平和になる、という考えは宗教的妄信だろう。
海外に目を向ければ、共産党政権の中国は今やアメリカと対抗できるような強大な軍事力を持っているし、ベトナム社会主義共和国はベトコンという強力な戦闘集団が、当時世界最強とされた米軍さえも打倒粉砕し、ベトナム人民の平和を戦闘で勝ち取ったのである。
人民の平和のためには軍備も必要だと考えるのが本来の左派なのであって、「軍事力=悪」という固定観念に固執する日本の社民党や共産党は左派思想を新しい時代に向けてアップデートできていない。
もっとも、昔から左翼はベトコンの米軍に対する抵抗を「人民の帝国主義に対する闘い」として賞賛していた。つまり共産党政権の国の軍隊や、抵抗運動の軍事力は「人民による抵抗のための正しい軍事力」で、資本主義国の軍隊や日本の自衛隊は「人民を抑圧するための悪い軍事力」という考え方なのだ。
こんな考え方はもう古臭いし通用しないし支持もされないだろう。
古い左翼は憲法9条に「戦争放棄」があるから日本は戦争にならないと思い込んでいる。じゃあ憲法に「我が国に台風は来ない」と書いたら台風は来ないのか?そんな訳あるか。
9条1の「戦争放棄」は侵略戦争を否定しているんであって防衛戦争は否定していない。9条2の「戦力不保持」は妄想平和主義そのものだ。こんなものは破棄して自衛隊を明記した方が良い。日本人民の平和を守るためには9条1の「戦争放棄」は維持しつつ、9条2の「戦力不保持」は廃止して自衛隊を明記するべきなのは明らかである。
安全が確認された原発の再稼働や9条の自衛隊明記に反対するのは本来の左派思想と何の関係もない日本旧弊左翼の宗教的妄信でしかない。
日本旧弊左翼の宗教的妄信から離れ、現在の世界の状況をニュートラルに考えられる本来の左派が投票できるのは、現状では中道改革連合しかない。
タイトルのとおり。
終わったあとに「自分は、いつまでこのライブを楽しめるんだろう」と思ってしまった。
今回のライブが最高で、楽しかったというオタクはこの記事を読まないことをおすすめする。
ただ、一人の古参オタクが歳を取ったことを認めたくなくて、ぼやいているだけというのが高いためである。
このままだと、界隈全体が緩やかに衰退するんじゃないかなと思った日記です。
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まず前提として、自分は30代。
初音ミク歴は2007年のニコ動全盛期からで、つまり小6か中1の頃からどっぷり浸かってる。
ただ、ライブ歴は浅い。
マジカルミライが始まった2013年頃は受験や就活の時期だったし、昔は「高校生が一人で飛行機に乗って県外遠征」なんてハードルが高すぎた。
初参加は2016年の地方ツアー。そこから数年後、やっと金銭的に余裕が出てきたため、2023年からマジミラ札幌以降、2024年福岡マジミラ・地方ツアー、武道館(ミクフェス)、マジミラ仙台と通っている。
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正直、「マジミラ」じゃない冠がついている以上、何か新しいことをやるライブだと思っていた。
結論から言うと、「焼き回しパレード」を見せられた気分だった。
今回のコンセプトがマジミラ2013年リスペクトだったのは分かる。
でも、それって「当時の感動を、今の技術で再構築する」から意味があるんじゃないのか。
(だいたい、2013年リスペクトを匂わせつつ、なんで兄さんだけ最近の曲なんだ?)
(探せばもっと当時の曲だってあるだろ!このへんの「とりあえずやっとくか感」にしか感じられなかった)
ステージを見ていて、新衣装のモデルと昔のモデルの映像の差がどうしても気になった。
解像度なのか、モデリングなのか、理由は分からないけど、チグハグな映像が流れるたびに現実に引き戻される。
モデルを変えないことが「愛」なのか?
私には「古くから参加している人に文句を言われないようにしている」ようにしか見えなかった。(言い方が悪くてごめんね)
一般のアーティストのライブと比べて、バックダンサーもいない、生身の人間がステージにいない分、視覚的な情報量が圧倒的に足りない。
我々大人がチケット代なんていくらでも払う。多少上げたっていい。
だから、「今のライブはこんなに進化しましたよ」というのを見せてほしかった。
※後から知った話だが、にじさんじのライブでは1年以上前に透過スクリーンをトロッコ移動させるものがあったらしい。
初音ミクのライブの方が「最先端」として走り出したのに、どこでこんな差が生まれてしまったのだろう。
■「今」のボカロはどこに行った?
一番キツかったのは、会場の空気だ。
アンコール、静かすぎないか?あれがライブ初参加の層が多かったからなのか、古参が「いつものね」と地蔵化していたのかはわからない。
でも、演者が休憩するタイミングが、過去の踏襲すぎて視野が狭まってないか?
ミクフェス(武道館)のときみたいに、DJ入れて繋ぐとか、飽きさせない工夫はいくらでもできるはずだ。
あんなアンコールを聞くくらいなら「休憩中」と途中札を入れてくれた方がまだマシだと感じるくらいには悲しい気持ちになった。
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そして何より言いたいのは、「今の曲」へのリスペクトのなさだ。
ボカロは今も進化してる。YouTubeやTikTokでバズり散らかしてる新曲がいっぱいある。
ただ、まだライブでやられていない良い曲が山ほどある中で、なんでライブで流れるのは「いつもの曲」ばかりなんだ?
何度も見た曲がまた選ばれているのは、自分には「懐古」ではなく「惰性」にしか感じなかった。
いや、それならそれでいいけど、私たちは「2026年の初音ミク」を見に来てるんだよ。
新しいボカロPはどんどん生まれてる。新しい名曲も生まれてる。
それを取り込まずに、「昔はよかったね」だけで回すようになったら、それはもう新陳代謝が止まった「死」と同義なのではないか?(白熱してしまいましたね、失礼)
新曲で発表されてた「アイドル戦士」も「シアンブルー」も予習して、コール完璧にして行ったんだよ。
でも、周りの反応の薄さ。スペシャルシートですら、やや盛り上がりにかけるコールとペンラ振り。
(※スペシャルシートが外れたオタクは、涙のスタンド席だったけれど、周りでコールが聞こえることはなかった)
熱意を持って「新しいもの」を楽しもうとしている層は、どこに行ったんですか…?
懐かしい曲で盛り上がるのも悪くない。
隣に居た2010年のミクパ以来ライブに行ったことないオタクは感動していた。
そういう初見の人でもいつでも参加しやすいものであり続け、感動して帰ってもらう。それも大事だ。
ライブ、いつの間にか「惰性」と「安心できる行事」になってないか?
「いつもの曲」を聴いて、「いつもの動き」をして、「ああ、今年もミクに会えたな」と満足して帰る。
それはそれで幸せなことかもしれないけど、それって盆踊りや初詣と同じじゃない?
でも、初音ミクのライブって、そんな「伝統芸能」を守るための場所だったっけ?
テクノロジーと音楽の最先端を走って、クリエイターとただのオタクたちの架け橋を用意してくれて、度肝を抜くような「未来」を見せてくれる場所じゃなかったのか?
武道館のミクフェスにはそれがあった。ボカロPが登壇して、演奏して、DJがフロアを沸かせて、「これが今のボカロだ!ついてこれるか!」っていう熱気があった。唯一無二の体験があった。
今回のローソンライブには、その「ヒリつくような挑戦」がなかった。
※だからといってマジミラにあるかと言われたら、ギリまだあるくらい。
私はまだこれだけ文句を言いながら通う。
来月のDECO*27の単独ライブも行くし、ポケミクも行く。地方開催があれば旅行ついでに行く。
でも、もし本丸である「マジカルミライ」までもが、今回のような「安心安全な懐古イベント」であり続けるなら、わざわざ東京まで遠征するのをやめるかもしれない・・・。
「これでいいや」って思ったら、そこが衰退の始まりじゃないか?
我々には、金はあるけど、時間は有限なんだ。
とりあえず、スモーク焚きすぎてミクが見えなくなるのだけは、そろそろ改善できるんじゃないですかね…!
■追記
今回、TLがローミクライブについて、とてつもない賞賛のあらしだった。
それを見て、私は自分の感覚がズレているのか思った。 「焼き回しだ」「進化がない」と感じたのは私だけなのか? と。
ということを考えた時にひとつ考えに至った。
恐らく、今新曲を聞いている層は「プロセカ」にいるのではないかと。
今の10代〜20代前半のファンにとっての「リアルライブ」は、初音ミクのライブではなく、「セカライ」なのかもしれない。
・若者層: 「セカライ」で、自分たちの世代のヒット曲と演出を楽しむ。
・30代以上(我々): 「マジカルミライ」や「今回のライブ」で、過去の遺産を楽しむ
金払いのいい古参ファン(我々)向けにチューニングせざるを得ない。
その結果、会場は「同窓会」化し、新規が入りにくいガラパゴス化が加速していく。
私はプロセカもプレイしているし、新曲を追うために課金もしている。
けれど、私が好きなのはあくまで「初音ミク」という存在そのものだ。だからこそ、ゲームのライブではなく、マジミラに足を運び続けている。
しかし、TLの反応を見る限り、今のここのファンが求めているのは「未来」ではなく、安心できる「同窓会」なのかもしれない。
結局、いろいろ御託を並べたけれど。
周りが純粋に楽しんでいる中で、一人で腕組みして「進化がない」「未来がない」なんて文句を言っているのは、変化を受け入れられない老害の始まりなのかもしれない。