
はてなキーワード:貧困家庭とは
小遣いせびられたから家事手伝いと引き換えに3000円をあげたんだが、娘との会話で気になることがあった
曰く、本当は仲の良い5人グループで行く予定だったのがひとり行けなくなったらしい
家が厳しくて許可を取れなかったとのことだ
他の家の事情なので顔には出さなかったけど内心「小学生ならともかく中学生だよ?」とちょっと引いてしまった
しかも夕飯というわけでもない
自分が子供だった時のことを思い出すと友達だけで昼ごはんって普通だったんだよな
俺が男だからってこともあるだろうけど何なら小学校高学年の時点でガストに入り浸ってた記憶がある
何なら小学校卒業するときその思い出作りに朝から夜まで友達だけでディズニー行ってたこともあるし
そんなことないよね?
妻にこの話をしたら「過保護とまでは言わないけど厳しいよね〜」みたいな反応だった
【追記】
人気エントリの方にまで載るとは思わなかったわ
反応ありがとう
見事に賛否両論になってて驚いた
一応補足しておくとこちらは東京都内で暮らしてて中学校も都内の学校
ただ一応私立の学校に通わせているからスイパラ参加できなかったご家庭の両親も金銭面が厳しいって理由で参加させなかったのではないと思う
あるいは子供に渡すお小遣いの制限が厳しいって理由ではあるかもしれないけど少なくとも貧困家庭なので…みたいな話は考えづらいかな
スイパラのホームページで料金調べたら一番安いコースで2000円弱だったからそれに合わせた形だよ
月のお小遣いは5000円渡してるからそこから出させても良かったんだけど娘にねだられると弱い
兄弟は作らなかったし一人娘で甘やかし気味な自覚はあるがその分勉強は結構厳しくしてるからまぁいいかなって…
今回は家事手伝いも結構がっつりさせたから一応バランスは取れているつもり
一応投げかけられた疑問に答える形で補足してみた
色々参考になったよ、ありがとう
Permalink |記事への反応(33) | 13:23
時系列・事実関係・家系設定の重複や相互排他が目立ちます。主なポイントを整理するとこうなります。
「久下時重の子孫」「武蔵七党の子孫」「藤原本家の子孫」「織田信長の子孫」という複数の名家系統を同時に直系で持つ設定は系譜的に極めて不自然。
→歴史的にあり得ないわけではありませんが、全員“直系子孫”扱いは系図的にほぼ不可能。
「織田信長の配下の子孫」でありながら「織田信長の子孫」でもあるのは、信長本人が自分の配下になるという構造矛盾。
「祖母は女優だった」と「祖母は慰安婦だった」が同時成立するには特殊な経歴説明が必要だが、時間的にも社会的にも両立は極めて困難。
「祖父は山本五十六の知人」かつ「祖父は山本五十六の配下」は可能だが、「戦艦長門に乗船していた」と「祖母と慰安所で出会った」を繋げると、軍規や場所の面で現実性が低い。
「駆け落ちして破門された」なら、軍人としてのキャリアやその後の生活とも衝突する。
③ 両親に関する矛盾
「父親は6年の闘病」「7年の闘病」「8年の闘病」と期間が食い違っている。
「母親は介護職」「営業職」でも二重経歴は説明できるが、「飲酒運転の車に轢き逃げされた」と生存前提の経歴が混在している。
「貧困家庭」「生活保護」と「幼少期から高級生地によく触れていた」「専用PCを与えられていた」は生活水準の面で乖離が大きい。
「いじめられっ子」かつ「公文式で都道府県3位」「名門国立中学進学」は性格・環境描写の落差が大きい。
「大学在学中からNTTで技術者として働く」「派遣社員として月40万円稼いでいた」は可能だが、その後「大学中退」なのに“大学に通いながらNTT勤務”や派遣の経歴を維持するのは時系列整理が必要。
「川崎で新聞配達をしながら大学通学」と「秋葉原のゲーセンで遊び込む」+「高収入派遣勤務」が同時成立するのは時間的に厳しい。
「人生5回目の110番」の前後に他の警察沙汰エピソードがない。
「厚木のカラオケ店を出禁」と全体のストーリーの関連性が薄い。
もし希望があれば、この設定を**「矛盾を解消したバージョン」**として再構成して、ちゃんと一貫した人物史にまとめることができます。
>持ち物についてもハンカチにティッシュ、鏡にばんそうこう、くしにヘアピンにゴムなどはステキ女子のマストアイテムと教えてくれる。
下記の理由で女児向けのマナー本に関心を持たない・手に取る機会がない子もいるわけだけどそういう子は「ステキじゃない」と……
・女児向けのマナー本の表紙のような少女漫画絵に魅力を感じない、それより小説や少年漫画の方が好き
・発達障害でよく物を無くしてしまうので極力持ち物を減らしている
・女の子らしくおしとやかに振る舞ったりヘアゴムやスカートで着飾るのが苦手、ボーイッシュな格好をするのが好き
・貧困家庭だったり虐待で親が子どもに物を買い与えない家庭で育っている
女児向けのマナー本って「オシャレ、モテ」といった言葉が使われていることも多いから教育の現場に向かないとみなされほとんどの小学校の図書館には置いてなくて(少なくともウチの地域にはなかった)、各家庭で買う形になるだろうけど、こうして定期的に女児向けマナー本の存在がバズることでより格差が広がっていくんだろうなと思う
女児にマナー本を推し進めるのは女児村の掟を強めるだけで、それに背く上記のタイプの「ステキじゃない女児」をより迫害し、生き辛くするだけ
逆に言うとマナー本を喜んで読み、それに迎合できるタイプの女児は「芋女」をいじめる強者女性側になれるだろうから、いじめられない子に育てるためにおすすめするのは正解なのかもしれない
https://anond.hatelabo.jp/20250804224139
の増田の言う「こんなゴミみたいなことより嘘をつかない、卑怯な真似をしない、貸し借りは綺麗にするといった根源的躾を学んだ方が良い」というのは深く同意するんだけど、
実際は中途半端なスペックの人間が女子コミュニティーで人間的に正しく生きているとキラキラ女子にいいように利用され尊厳を踏みにじられいじめられるだけなのが悲しいところ
「眉毛を整えられない女は頭がおかしいから近寄らない方が良い」 「服装が芋臭い、仕事できなさそう」 「この人髪の毛がパサパサしてるし、知的障害があるんじゃない?」とか、大人でもずっとやってるし
オンナのマナーを守れないのは社会の迷惑者として糾弾して良いものとしているからね
最近はアニメや漫画、アイドルオタクの間でも、「容姿や持ち物を美しく保たないのは推しに失礼で推しに迷惑をかけようとしている」とみなされて芋ブス女はむしろオタクの資格がないらしいから大変だよ
男児に「クッション言葉を使え、絆創膏を常備しろ、俺じゃなくて僕と言え」なんて「マナー」を推し進めたところで……
ママは息子がそんな風に育ったら子どものうちは「ボクちゃんステキよ!」ってご満悦だろうけど
女児村の掟を仕込まれた男の子なんて将来ただの弱者男性まっしぐらだからどうなの?と思う、ここは男女逆なの面白いよね
ただまあ社会はどんどん不寛容になっていってるからマナー本を買い与えるのがより当たり前になっていくのかな
私や私の友達は一番上に書いたような「ステキじゃない女子」グループだったので、ブリブリの少女漫画絵じゃない、むしろ男児向けのものが増えてくれると助かるのはそう
もし「図書館の定番」になるくらいの男児向けのマナー本を作るとしたら
・パズル、迷路、クイズ、間違い探しなどゲーム要素を入れ、その副産物としてマナーを学べるようにする
とかそんな感じになるのかな
子どもの頃にそんな本があったら「どこに行っても女児村になじめず女性に嫌われていじめられて無職ひきこもりになる」っていう今みたいなことになってなかったんだろうか
『Mafia: The Old Country 』が8/8に発売する
近づいてきていてドキドキソワソワ
もう全然違うやん
最近ってわりと原題そのままで発売するのに何だよ裏切りの祖国って
1-3はアメリカが舞台だが、今作はマフィアという言葉の起源である1900年代シチリアが舞台
1-2はイタリア移民の白人男性が主人公でオーソドックスなマフィア物語で、一本道進行
3は毛色がだいぶ変わり、主人公は黒人ハーフで容姿はもろに黒人、オープンワールドである程度好きな順にシナリオ選んでね
ポリコレ的なものを強く意識し、またプレイ時間を伸ばすために水増しが目立つ3は酷評もあったが、好き
でもシリーズファンが求めているマフィアシリーズとは毛色が変わり過ぎなのも事実であり、今作は1-2路線で、白人主人公かつ一本道路線に回帰するという
1主人公:1930年代、イタリア移民なのでいい職につけない薄給タクシー運転手。マフィアの抗争に巻き込まれたのをきっかけにマフィア入り
2主人公:1940-1950年代、イタリア移民なので貧困家庭、WW2従軍。帰還後に生活のためにマフィア入り
3主人公:1960年代、イタリア移民の父と黒人の母の間に生まれるが両方に捨てられ黒人グループに庇護される。ベトナム戦争従軍。イタリアマフィアと仲良くなるが裏切られ仲間の黒人を皆殺しにされマフィア絶対滅ぼすマンになる
4主人公:1900年代、シチリアの炭鉱奴隷として児童労働をしていたが、マフィア入りを果たしたことで自由と権利を得る
貧困カタギ時代と金回りのいいマフィアデビュー後のギャップというのがわりと描かれるシリーズだが、今作はガチの奴隷階級からの始まりなのでギャップがエグそう
ハァハァ楽しみだ
マフィアの新参なんか掟とかのしがらみがバリバリじゃん、でもそんな環境が自由だと思えるぐらいひどい幼児期送った主人公くんを幸せにしてあげたい
でもこのシリーズは、いくら貧困が理由だろうとマフィアに堕ちた者は報いを受けるというビターエンドに持っていきがちなので、一時的に裕福になれても突き落とす展開もあるんだろうな
生命は維持される程度の終わり方ですむだろうか
炎上中の林原めぐみのブログ、色々と酷いのだけど、学生課の大学職員としてここのくだりが一番ガックリ来てしまった。
平たく言うと借金ね)」
確かに日本の奨学金は教育ローンとか2010年代のインターネットでは散々言われてきたし、自分もその奨学金なるものを返済中なのだが、さすがにこれは違う。
2020年から日本学生支援機構が給付型奨学金を開始している。
対象となる年収制限が270万円以下〜380万円以下とタイトなので、Xやはてなのお金持ちの人たちからはそんなに大勢いるのかという声もあるだろうが、普通に沢山いる。多いとは言わないが国立大学のうちだと2割程度が受給しているイメージだ(ただし晩婚化で定年で年収が下がったパターンも含まれている)。また、この給付型奨学金には授業料免除もセットなので、貧困家庭でも大学に進学できる大事な奨学金としてすでに定着している(多子世帯の授業料無償化をこの枠組みにつっこんだので、今春各地の大学で大騒動が起こったりもしたのたがそれはまた別の話)。
国家予算の規模としてすでにR6で2,525億円にもなっているようだ。
こんな大きなトピックを本当に真面目に日本人学生の支援について考えている人なら知らないわけないし、給付奨学金をどう拡充するというかではなく、未だに借金ね、という認識を堂々と語ることに彼女の主眼が日本人学生の支援ではなく排外主義にあることが見てとれてだいぶキツイ。
対して『一部の海外留学生に無償で補助」はどうだろう。おそらく国費留学生のことを指していると思われる。
国費留学生については下記文科省のHPがよくまとまっているが、日本の留学生のうち約3%が国費留学生のようだ。予算規模は182億円と給付奨学金に比べると1/10以下だ。
大学だと分野によっても違うが、1学科に対して数人いるぐらいかなぁ、ぐらいの割合である。
https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/ryugaku/1338568.htm
この国費留学生、大学においてどういう役割を持っているかというと主に留学生の国籍の多様化だ。留学生の中で最もマジョリティは経済力もあり人口も多く英語も日本語も上手な私費で来た中国人留学生だ。つまり国費留学生制度をやめるとそれこそ留学生はほぼほぼ中国人で占められてしまう(まあそれが本当の公平だ!という主張もあるだろうが)。
実際、上記のHPの表を見ても中国人は最も国費留学生に採用される確率が低い。ほっといても来るからだ(逆にいえば中国人なのに採用された人はめっちゃ優秀)。
国費留学生制度があるからこそ弊大学のような地方国立大学にも世界各地から留学生が来たりして、新たな交流や知見がもたらされているのだ。
これから多方面外交を進める上で各国にモンテネグロの首相のように日本留学経験のある知日派がいることは心強いだろう。予算規模としても大きいわけではないし、各国の優秀な留学生に奨学金を与えることが国益に充分かなうだろう。
という事情で本当に林原めぐみのブログは的外れ中の的外れなのだが、世の中の大抵のことには悪意のあるYouTuberが切り出した側面以外にも色々な背景がある。全てのことに詳しくなることは無理でも、さまざまな事象には複雑な背景があることを想像できる力を持っていって欲しい。
国民民主党の玉木代表が「1年たったら動物のえさ」と備蓄米を揶揄したことが大きな波紋を呼んでいる。
「1年たったら動物のえさ」進次郎農相アピールの「1800円備蓄米」を国民・玉木代表がチクリ
https://news.yahoo.co.jp/articles/e0f159b761a2bf8ba7fb1ae28f02cb1ab529ff9f
戦後から1980年代にかけて広く国民から「家畜の餌」「豚も食わない」「猫も避ける猫またぎ」などと揶揄された米産地があった、北海道である。
この当時の恨みつらみは北海道でJA全農を超える加盟者数を誇るホクレン農業協同組合連合会が現在でも語り継ぐほどに北海道米のイメージは非常に低かった。
https://www.hokuren.or.jp/_greenweb_/?post_type=studies&p=1564
北海道では「赤毛」や「坊主1号」が栽培され、独自品種の「ゆきひかり」が開発されるなどしたが、北海道で選択される栽培品種はとにかく寒冷に強く収量が多い品種が求められ、味は二の次とされたこともあり、いくら低価格であっても食卓の主食として多くの国民は買わず、収穫の多くは家畜飼料として用いられた。
しかし、その価格の安さは戦後から多くの貧困家庭、特に母子家庭の主食として高い支持を集めていたのも事実だった。この当時の貧困家庭は北海道米に助けられたと思っている家庭は少なくないだろう。
けれど、その「貧困家庭の米」という事実もブランドイメージ低下に拍車をかけた。貧困家庭以外に安くても売れない北海道米は飼料消費としても余ってしまった収量は破棄しているほどに一億総中流となっていく時代に北海道米は売れなかった。
1988年、そんな北海道米に新品種が生まれる。これまでの寒冷に強い、収量が多いという良さをそのままに食味が著しく大幅に改善された「きらら397」が開発されたのだ。
しかし、この「きらら397」が開発されても直ぐに販売量が伸びたわけではなく、これまでの悪いイメージを払拭する事へ非常に苦労した。貧困家庭からは美味しくなったと大絶賛されたものの中流以上の家庭からは食べもせずにどうせ不味いと考えられてしまっていたのだった。
そんなやっかいどう米に転機が訪れる。牛丼店を中心として全国の飲食チェーンが「きらら397」を採用し始めたのだ。
このエントリを読んでいる諸氏も「あの当時の吉野家で食べた牛丼」と今の吉野家の牛丼が何か違う、家庭で食べるいつもの米と吉野家で食べる何か違う米と気付いてる者も居るかも知れないが、それは広く一般家庭に売れるようになる前の「きらら397」だった。
飲食チェーンが北海道米「きらら397」を採用していることが世間にも徐々に広まっていくと「意外と北海道米も悪くない」として一般家庭でも広く食べられるようになる。
このエピソードは「牛丼を変えたコメ―北海道「きらら397」の挑戦―(足立紀尚 著)」でも触れられており、内地(北海道外を指す北海道方言)を見返してやろうと頑張った北海道米農家の皆さんの努力を垣間見ることが出来る。
「きらら397」以降、北海道米の新品種開発は急速に進み、前述した「きらら397」から更に食味を改良した1996年の「ほしのゆめ」、更に収量を改良した2001年の「ななつぼし」、更に耐冷性を改良した2003年の「ふっくりんこ」、前述の「ふっくりんこ」とは別系統の低アミロース極良食味認定を受けた2003年の「おぼろづき」、そして前述の「おぼろづき」並の極良食味でありながら「おぼろづき」以上に収量を改良した2008年の「ゆめぴりか」が登場するに至った。
「おぼろづき」および「ゆめぴりか」は驚愕すべきことに盲検試験によって日本国内では定番である特定米産地(迷惑かける影響を考慮して特定米産地は筆者の意思で隠蔽しました。ご了承ください。)のコシヒカリの食味に勝ると試験結果が出ており、北海道米が北海道外の米を超えられることを証明した品種となった。
寒冷地で栽培可能で量が取れて安くて美味い北海道米の時代が到来したのである。
国民民主党の玉木代表がなぜ米へ対して「1年たったら動物のえさ」と表現してしまったかと言えば、彼の記憶の中には確かに一部産地の美味しくない米が家畜飼料として使われていた過去、何なら余った分は廃棄していた、豚も食わない米が存在していたことを頭の片隅で覚えていたからだろう。
しかし解釈を誤ってはならない。玉木代表だからこそこういう印象を持ったのではなく北海道外にはまだまだ北海道米へ対して悪印象を持つ国民が大勢居るのだ。しっかりとした学術的なデータで食味の良さが示されようとも極々ありふれた一般の国民の多くが北海道米を忌避し続けているのが現状なのだ。
1993年の平成の米騒動の際にタイ王国から有り難くも拠出されたタイ米へ対して恥を知らぬ言動を取ったのは極々ありふれた一般の国民であったが、その性根は未だ変わっておらず、反省しておらず、その一雫がたまたま国民民主党代表玉木雄一郎であったにすぎない。未だに「猫またぎ」だと思っているのだ。
このエントリを最後まで読み、腹を立てたのであるならば2025年令和の米騒動が収束した後に北海道米を食べてみて欲しい。
「その喧嘩買ってやらァ!」という意気込みで食べてみて欲しい。食ったら言わせてみせるさ「意外と北海道米も悪くない」と。
Permalink |記事への反応(19) | 19:24
・クラス全員習い事してるのにうちは”お金がなくて”習い事できなかった
・クラス全員習い事を複数しているのにうちは”お金がなくて”習い事が一つしかできなかった
・祭りに行くお小遣いがほしいって話したら”お金がなくて”お小遣いがもらえなかった
・祭りに行くお小遣いがほしいって話したら500円くれたけど、周りは何千円も持ってきていた。うちは”お金がなくて”何千円もお祭りに持って行くのは論外
・周りが週末は必ず高級店に外食する話をしているけど、うちは外食は誕生日のときのファミレスだけ。うちは”お金がなくて”誕生日のファミレスも精一杯
とかそういうやつだよ?
世帯全体の収入格差の話だから増田の内容だけだと毒親だねって話になっちゃう
持ち家が周りの平均以上にお高いならお金使う場所が違うってだけだしさ
家にお金があっても「なんでお前に三百円も渡さないといけないんだバカなのかって一発どころか2、3発殴って蹴られた」とか「ティッシュ買わない」はあり得るしね
それにしても、「自分を客観的に見つめる」という視点を、一条さんはどう身につけたのだろうか?
「私の場合でいえば、育った環境の中で自然に身についたという感じです。私は姉2人、兄3人の6人きょうだいの末っ子なんです。姉や兄を見て、『こんなことをしたら親に叱られるんだ』といったことを習得することができたので、精神的な成長が早かったように思います。つまり、貧困家庭の末っ子で、家族の中でいちばん立場が弱かったので、場の空気を読むスキルが必要で……要領がよくないと、家庭内で最下位の立場で、自分の安全な居場所を確保することは無理ですから。ちょっとした家庭内サバイバルでしたよ」
自分を守るためにはどうすればいいのか?と真剣に考えれば、自然に自分を客観的に見ることができるようになる……。
「そう。自分のことを大切だと思えるかどうかで、物事の捉え方や生きる姿勢が変わってくると思います。『私なんて』と自分を卑下する人は、謙虚そうに見えて、実は怠け者なのではないかと私は思っています。だって、そんな自分を認めて、おまけに直す気もなさそうですよ。
これを目の前で言われて『そんなことないわよ!』って言わないと気まずくなるし、とっても便利なせりふだなぁと思います。
『私なんて、どうせ』とかのせりふを聞くたびに、『あ~“そうだね!”って言いた~い!! 全否定してやりたい!』ってよく思います。怠けないで、“なぜ自分はこうなんだろう”と自己分析して、傾向と対策を考えて改善していただきたいものです。
ちなみに私は、母に守ってもらうためにいろいろ努力していました。
元教師の母は、師範学校、いまの教育大学ですね、そこを1位で出た才女で、昔の教師にありがちな上から目線の人で、『デザイナー』の中に出てくる『二番もビリも一緒よ』というせりふは、母のせりふなんですよ。あまりにインパクトがあったので使わせてもらいました(笑い)」
「う~ん、必要に迫られたって気もしますが、漫画家としては必要な武器ですね。子供のときから周りの人間を観察するクセがついてしまって、こういう行動をする人はこんな性格なんだとか、勝手に人間チェックをしてしまうんですよ。プロになっても、本を読むより、人に会う方が好きでした。
本はいつでも読めるけど、人って旬があるんですよ。いろんな人に会いたくて、お酒の席には喜んで行きましたね。
お酒が入るとみんな、口が軽くなるし、知りたいことは教えてくれるし、本から学ぶより人から学ぶ方がずっと楽しかったですね。お酒が強くてよかったです」
https://www.news-postseven.com/archives/20220823_1786432.html/3