
はてなキーワード:谷口吉生とは
増田の蛮勇には敬意を表したいが、さすがに突っ込みどころが多すぎる。
同種の百選としては2005年の新建築・臨時増刊『日本の建築空間』(asin:B00GUJ1HIE)がある。
https://japan-architect.co.jp/shop/special-issues/book-110511/
2005年なので現存しないものや非公開の私邸が含まれるけれども、優れた選出だと思うので紹介したい。
■古代 592-1180
| 法隆寺西院伽藍 | 飛鳥時代 | 奈良 |
| 新薬師寺本堂 | 奈良時代末期 | 奈良 |
| 榮山寺八角堂 | 763年 | 奈良 |
| 平等院鳳凰堂 | 1053年 | 京都 |
| 浄瑠璃寺本堂 | 1107年 | 京都 |
| 三仏寺投入堂(三仏寺奥院) | 平安時代後期 | 鳥取 |
| 高蔵寺阿弥陀堂 | 1177年 | 宮城 |
■中世 1180-1543
| 浄土寺浄土堂 | 1194年 | 兵庫 |
| 東大寺南大門 | 1199年 | 奈良 |
| 長寿寺本堂 | 鎌倉時代初期 | 滋賀 |
| 西明寺本堂 | 鎌倉時代初期 | 滋賀 |
| 熊野神社長床 | 鎌倉時代初期 | 福島 |
| 法界寺阿弥陀堂 | 鎌倉時代初期 | 京都 |
| 厳島神社社殿 | 1241年 | 広島 |
| 永保寺開山堂 | 1352年 | 岐阜 |
| 東福寺龍吟庵方丈 | 1387年 | 京都 |
| 正福寺地蔵堂 | 1407年 | 東京 |
| 吉備津神社本殿・拝殿 | 1425年 | 岡山 |
| 慈照寺東求堂 | 1485年 | 京都 |
■近世 1543-1853
| 妙喜庵待庵 | 1581年 | 京都 |
| 園城寺勧学院客殿 | 1600年 | 滋賀 |
| 園城寺光浄院客殿 | 1601年 | 滋賀 |
| 妙法院庫裏 | 1604年 | 京都 |
| 大崎八幡宮本殿・石の間・拝殿 | 1607年 | 宮城 |
| 三渓園聴秋閣 | 1623年 | 神奈川 |
| 二条城二の丸御殿 | 1626年 | 京都 |
| 西本願寺飛雲閣 | 1628年 | 京都 |
| 西本願寺書院 | 1633年 | 京都 |
| 延暦寺根本中堂 | 1640年(再建) | 滋賀 |
| 三渓園臨春閣 | 1649年 | 神奈川 |
| 曼殊院書院 | 1656年 | 京都 |
| 桂離宮 | 1663年 | 京都 |
| 慈光院書院 | 1672年 | 奈良 |
| 江川家住宅 | 江戸時代前期 | 静岡 |
| 閑谷学校講堂 | 1701年 | 岡山 |
| 東大寺大仏殿(東大寺金堂) | 1705年(再建) | 奈良 |
| 大峰山寺本堂 | 1706年 | 奈良 |
| 大国家住宅 | 1760年 | 岡山 |
| 岡山後楽園流店 | 江戸時代後期 | 岡山 |
| 栗林公園掬月亭 | 江戸時代後期 | 香川 |
| 角屋 | 1787年 | 京都 |
| さざえ堂(旧正宗寺円通三匝堂) | 1796年 | 福島 |
| 大徳寺孤篷庵忘筌 | 1799年 | 京都 |
| 渡邉家住宅 | 1817年 | 新潟 |
| 羽黒山三神合祭殿 | 1818年 | 山形 |
| 旧高野家住宅 | 江戸時代後期 | 山梨 |
| 旧金比羅大芝居(金丸座) | 1835年 | 香川 |
| 岩根沢三山神社本殿・庫裏 | 1841年 | 山形 |
| 柏倉家住宅座敷蔵 | 1866年 | 山形 | |
| 旧大明寺聖パウロ教会堂 | 1879年 | 愛知 | ブレル、大渡伊勢吉(棟梁) |
| 宝山寺獅子閣 | 1882年 | 奈良 | 吉村松太郎(棟梁) |
| 旧風間家住宅 | 1896年 | 山形 | |
| 旧武徳殿 | 1899年 | 京都 | 松室重光 |
| 旧花田家番屋 | 1905年 | 北海道 | |
| 吉島家住宅 | 1907年 | 岐阜 | 西田伊三郎ほか(棟梁) |
| 古谿荘 | 1909年 | 静岡 | |
| 高松城披雲閣 | 1917年 | 香川 | 清水組 |
| 住友ビルディング | 1926年 | 大阪 | 住友合資会社工作部(長谷部鋭吉・竹腰健造) |
| 聴竹居 | 1927年 | 京都 | 藤井厚二 |
| 旧大倉精神文化研究所本館 | 1932年 | 神奈川 | 長野宇平治 |
| 軽井沢 夏の家 | 1933年 | 長野 | アントニン・レーモンド |
| ※両関第二工場酒蔵 | 1933年 | 秋田 | |
| 旧日向別邸 | 1936年 | 静岡 | ブルーノ・タウト |
| 近江神宮 | 1940年 | 滋賀 | 角南隆、谷重雄 |
| 旧前川國男邸 | 1941年 | 東京 | 前川國男 |
| 旧吉田五十八邸 | 1944年 | 神奈川 | 吉田五十八 |
| 神奈川県立近代美術館 | 1951年 | 神奈川 | 坂倉準三 |
| 斎藤助教授の家 | 1952年 | 東京 | 清家清 |
| コアのあるH氏のすまい | 1953年 | 東京 | 増沢洵 |
| 南台の家(吉村順三邸) | 1957年 | 東京 | 吉村順三 |
| 八幡浜市立日土小学校 | 1956年 | 愛媛 | 松村正恒 |
| 香川県庁舎 | 1958年 | 香川 | 丹下健三 |
| スカイハウス(菊竹清訓邸) | 1958年 | 東京 | 菊竹清訓 |
| ※ホテルオークラのメインロビー | 1962年 | 東京 | 谷口吉郎 |
| 日本生命日比谷ビル(日生劇場) | 1963年 | 東京 | 村野藤吾 |
| 国立屋内総合競技場 | 1964年 | 東京 | 丹下健三 |
| 大学セミナー・ハウス | 1965年 | 東京 | 吉阪隆正 |
| 旧千代田生命本社ビル | 1966年 | 東京 | 村野藤吾 |
| 白の家 | 1966年 | 東京 | 篠原一男 |
| 塔の家(東孝光邸) | 1966年 | 東京 | 東孝光 |
| ※虚白庵(白井晟一邸) | 1970年 | 東京 | 白井晟一 |
| KIH7004 | 1970年 | 東京 | 鈴木恂 |
| 中銀カプセルタワービル | 1972年 | 東京 | 黒川紀章 |
| ※大分県医師会新館 | 1972年 | 大分 | 磯崎新 |
| ※プロジェクトマグネット | 1973年 | 店舗模型 | 倉俣史朗 |
| 阿部勤邸 | 1974年 | 埼玉 | 阿部勤 |
| 北九州市立中央図書館 | 1974年 | 福岡 | 磯崎新 |
| 幻庵 | 1975年 | 愛知 | 石山修武 |
| 上原通りの住宅 | 1976年 | 東京 | 篠原一男 |
| ※中野本町の家 | 1976年 | 東京 | 伊東豊雄 |
| 小篠邸 | 1981年 | 兵庫 | 安藤忠雄 |
| 弘前市斎場 | 1984年 | 青森 | 前川國男 |
| SPIRAL | 1985年 | 東京 | 槇文彦 |
| ※バーオブローモフ | 1989年 | 福岡 | 倉俣史朗 |
| 海の博物館 | 1992年 | 三重 | 内藤廣 |
| 豊田市美術館 | 1995年 | 愛知 | 谷口吉生 |
| ウィークエンドハウス | 1998年 | 群馬 | 西沢立衛 |
| せんだいメディアテーク | 2000年 | 宮城 | 伊東豊雄 |
| 横浜港大さん橋国際旅客ターミナル | 2002年 | 神奈川 | アレハンドロ・ザエラ・ポロ、ファーッシド・ムサヴィ |
| 金沢21世紀美術館 | 2004年 | 石川 | 妹島和世、西沢立衛 |
Permalink |記事への反応(15) | 19:18
この前、東博平成館の縄文展に行った。会期末で混み合っていると評判だったから、夜間開館日を選んだんだが、もうこの制度は浸透してしまったらしく、残念ながらひどい混雑。展示品を見るのに一苦労で、広い会場を一巡りしたらクタクタになってしまった。
とはいえ、私は健常者の成人男性だ。空きをみて前に滑り込む機敏さや、後列から人の頭越しに見る背の高さがあるので、比較的苦労は少ないはず。老人や子供の苦労がしのばれる。
しかし、それ以上に大変なのは車椅子の人だろう。座ってるから視点が低いし、人混みの中に分け入っていくのはぶつかって危険なので遠慮してしまう。今回2人見かけた。おそらく殆ど展示を見れていないはずだ。
1974年、モナ・リザが来日した。展示されたのは東博の特別5室。このとき事件が起きた。赤い塗料の入ったスプレーがモナ・リザ目掛け噴射されたのだ。
このモナ・リザ展は相当な混雑が予想されたため(結果、8週ほどの会期で150万超え)、展覧会前に、車椅子や赤ん坊連れの人の観覧自粛を文化庁が要請した。対応出来ないから来ないでくれという趣旨の発言がなされたのだ。それに対する抗議としてのスプレー噴射だった。まあ、そりゃ怒るわな。
その事件がきっかけとなったのか否かは知らないが、40年以上たった現在、各地の博物館や美術館はバリアフリー化が進み、また託児所が臨時ながらも設けられるなどして、状況は劇的に改善していると言っていいだろう。
しかし、今回このような状況に遭遇して、まだまだ道半ばだなと思った次第。車椅子の人でもエレベーター完備なので会場に入れるし、会場内は段差がないから回るのに不便はない。障害者に優しいユニバーサルデザイン。でも結局、展示品なんて満足に見れないじゃないか!
人権問題である。と同時に、さらに言えば、障害者に厳しい世界というのは、健常者にとっても厳しい世界という話でもある。混雑した展覧会は私も辛い。
なら行かなければいいのではないかと言われるかもしれない。まあ、実際私は、行かなかったり、会期初めの空いている時に行くようにしていて、それほど苦労はない。そもそも一番好きなのはマイナージャンルなので、本命展覧会はあまり混まないし。そんなわけである程度は人ごとながら、しかしこの状況を放置していていいのだろうかと、今回思った。
対策。人を減らすのなら値段を上げる、時間指定制にする、展示内容をしょぼくすると手はいろいろある。ただ、博物館側には集客をしろというプレッシャーがかかっているという話を聞かないでもない。とすれば、この方向の解決は難しいだろう(時間指定の展覧会に行ったことないのだが、どの程度入れるものなのだろう? 上野の森のフェルメール展はぎっしり詰めそうな悪い予感がしないでもないが、はてさて)。
まずできることは、その場にいる人が、障害者や子供や老人などの弱者には譲るという優しい心を持つあたりだろうか。しかし、そういう精神が浸透することこそ、あらゆる対策より困難なのかもしれない。
以下、余談。
東博にある法隆寺宝物館という建物、訪館者にすこぶる評判がいい。確かにフォトジェニックな点は魅力である。設計は谷口吉生。
だが、私はこの建物があまり好きではないのだ。いくつかある理由の一つが、障害者対策である。
もちろん、対策はされている。入り口の段差にはスロープがあるし、館内にはエレベーターが備えつけられている。しかし、そのスロープは端っこに目立たぬように設置し、エレベーターも一見して分からないように隠している。
谷口本人が実際どのように思っていたのかは知らない。ただ私には嫌々対策したようにしか見えないのだ。それが建物からヒシヒシと伝わってきてしまう。評価してる人はそれを感じないのだろうか?