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2026年1月16日、立憲民主党と公明党が合流して新党「中道改革連合」を結成した。高市早苗首相による突然の衆院解散に対抗するため、野田佳彦立憲民主党代表と斉藤鉄夫公明党代表が共同代表に就任し、中道路線を掲げる政治勢力の結集を目指した。綱領では「生活者ファースト」を打ち出し、分断から協調へという理念を掲げた。
しかし現実は厳しかった。1月27日公示、2月8日投開票の衆院選で、公示前172議席から49議席へと壊滅的惨敗を喫し、両共同代表は辞任に追い込まれた。この結果は、母体となった立憲民主党が長年抱えてきた問題を白日のもとにさらすこととなった。
「与党批判にしか力を入れてこなかった」という批判は、中道改革連合の敗因分析においてしばしば言及される論点である。この批判の実態と背景を多角的に検証したい。
立憲民主党に対しては、結党以来「批判ばかりで対案がない」という批判が繰り返されてきた。まずこの認識の事実関係を確認する必要がある。
note記事による集計では、立憲民主党の政府提出法案への賛成率は2023年の第212回臨時国会で73.3パーセント、2024年の第213回通常国会で83.3パーセント、2025年の第217回通常国会では89.7パーセントに達したとされる。この数値が正確であれば、法案の大半には賛成しており、単純な反対勢力という評価は当たらないことになる。
また議員立法による政策提案も行われてきた。2022年の旧統一教会問題では野党が提出した被害者救済法案が議論の土台となり、与党案にも影響を与えたとされる。ガソリン税減税関連法案では、2025年に立憲民主党が主導して成立させた事例もある。
しかしこうした実績があるにもかかわらず、国民やメディアからは一貫して「批判ばかり」と認識されてきた。なぜこのギャップが生まれるのか。
野党の建設的な政策提案や賛成した法案は報道価値が低いとされ、与党との対決場面や激しい批判の場面が優先的に取り上げられる。国会でのヤジや追及場面は視覚的にインパクトがあり、特にSNS時代においては拡散されやすい。
2026年1月24日の高市首相所信表明演説では、立憲民主党系議員によるヤジで演説が一時中断する事態となった。NHK中継を見ていた視聴者の多くが不快感を表明し、これが選挙戦序盤のイメージ形成に影響したとみられる。与党側は「国民の聴取を妨害する不作法」と批判し、野党側は「議会政治の監視監督」と擁護したが、視聴者の印象は前者に傾いた。
立憲民主党は「存在感がない」「目立たない」という批判を長年受けてきた。野田代表自身が党の動画で「なかなかバズらないけれど」と自嘲したことは、この苦悩を象徴している。
地道な政策立案と国会審議を重視する姿勢は、専門家からは評価されても一般国民には伝わりにくい。他方で、目立つパフォーマンスに走れば「中身がない」「批判ばかり」と攻撃される。このジレンマをどう乗り越えるかが、野党第一党の課題であり続けた。
2009年に誕生した民主党政権は、鳩山・菅・野田と三代の首相を経て2012年に崩壊した。普天間基地移設問題、東日本大震災対応、消費増税などを巡る混乱の記憶は、有権者の間で根強く残っている。立憲民主党は民主党の流れを汲む政党であり、「批判はできても統治はできない」というイメージが払拭されていない。
この文脈では、「批判ばかり」という言葉は単なる行動様式の指摘ではなく、「政権担当能力がない」という評価の婉曲表現として機能している。
中道改革連合の惨敗により、立憲民主党への批判は新たな局面を迎えた。
新党結成に際し、立憲民主党は従来の政策を大幅に転換した。安全保障法制については「違憲部分の廃止」から合憲容認へ、原発政策も再稼働を条件付きで容認するなど、公明党との政策すり合わせのために基本路線を変更した。
野党各党からは「看板の付け替え」「野合」という批判が相次いだ。れいわ新選組の山本太郎代表は「日本をダメにしてきた者たちが看板を付け替えて、もう一回詐欺をやろうとしている」と痛烈に批判した。また立憲民主党内部からも原口一博議員が新党結成に反対し、離党した。
これは「批判ばかり」という批判とは別の次元の問題である。選挙協力のために理念を曲げれば、もともとの支持者からは「信念がない」と見なされる。公明党の組織票を得る代わりに、都市部の無党派層や理念を重視する支持者を失った可能性が高い。
選挙戦では、高市政権の右傾化や積極財政による円安・物価高を批判したが、有権者には「では中道改革連合は何をするのか」が明確に伝わらなかった。党名や理念すら浸透しない短期決戦の中で、政策の具体性を訴える時間が決定的に不足していた。
朝日新聞の報道によれば、立憲民主党側からは「バラバラだ」という不満の声が上がり、比例名簿の作成を巡っても内部対立が生じていた。公明党出身者を優遇した結果、公明出身28人全員が当選した一方で、立憲民主党の玄葉光一郎元外相、枝野幸男元官房長官、岡田克也元外相といった政権担当経験者が軒並み落選した。人材基盤の喪失は、今後の党運営に深刻な影響を及ぼす。
選挙期間中、X(旧Twitter)では「#立民いらない」「#嫌立民ムード」などのハッシュタグが急上昇し、検索窓に「立憲」と打つだけで「立憲民主党 いらない」が候補に表示される事態となった。議員が日常的な発言をしただけで誹謗中傷が集中し、党公式アカウントの年頭挨拶にも罵詈雑言が浴びせられた。
この現象は、立憲民主党への関心の高さの裏返しでもある。本当に「存在感がない」政党であれば、これほど粘着的な批判は集まらない。しかしネット上の批判の多くは感情的で、政策の是非よりも人格攻撃に終始する傾向があった。
ここで重要なのは、「野党は批判ばかり」という言説そのものが、政治的な意図を持って用いられている側面があることだ。
ジャーナリストの尾中香尚里氏は、この批判が対立軸の明確な二大政党制を阻害し、「万年与党と万年野党」という55年体制への回帰を正当化する言説として機能していると指摘する。自民党が野党を「批判ばかり」と攻撃することで、政権交代可能な政治という理念そのものを否定しようとしているというのである。
実際、野党が対案を出しても報道されず、与党が野党案を取り込んでも「与党の成果」として報じられる構造がある。この見方に立てば、立憲民主党の問題は「批判ばかり」ではなく、むしろ「批判も対案も国民に伝わらない」という情報発信力の欠如にある。
ただしこの分析にも限界がある。尾中氏は立憲民主党寄りの論者であり、野党の戦略的失敗や組織的問題を過小評価している可能性がある。メディアや与党の責任を強調しすぎれば、野党自身の改善努力を阻害する危険もある。
「与党批判にしか力を入れてこなかった」という批判を整理すると、以下の三層に分けられる。
法案賛成率や議員立法の実績を無視し、対決場面だけを見て「批判ばかり」と断じる認識。メディア報道の偏りとSNSでの情報拡散によって増幅される。
第二層:正当な批判
対案を出していても国民に伝わっていない、政権担当能力を実証できていない、理念と政策に一貫性がない、という指摘。これは立憲民主党が真摯に受け止めるべき課題である。
野党の存在意義そのものを否定し、政権交代可能な政治を阻害する目的で用いられる言説。与党や与党寄りの論者が戦略的に使用する場合がある。
中道改革連合の惨敗は、これら三層すべてが複合的に作用した結果と見ることができる。メディアとSNSの構造問題、野党自身の戦略的失敗、そして与党側の攻撃が重なり合い、壊滅的な結果を招いた。
中道改革連合は2月13日に小川淳也氏を新代表に選出し、再建を図る方針である。しかし49議席という規模では、野党第一党としての影響力は大きく低下した。
まず理念と政策の一貫性を回復することである。選挙協力のために政策を曲げれば、支持者の信頼を失う。中道という立ち位置を明確にしつつ、立憲民主党のルーツである立憲主義や生活者重視の理念を再構築しなければならない。
次に情報発信力の強化である。建設的な政策提案をしても伝わらないのであれば、伝え方を変える必要がある。SNS時代に適応した情報戦略、メディアとの関係構築、分かりやすい言葉での政策説明が求められる。
そして政権担当能力の実証である。最終的に有権者が求めるのは、与党に代わりうる現実的な選択肢である。地方自治体での実績積み上げ、政策集団としての専門性向上、危機管理能力の訓練など、地道な努力が不可欠である。
中道改革連合の惨敗は、単なる一選挙の結果ではなく、日本の野党政治が抱える構造的課題を浮き彫りにした。「批判ばかり」という言説の背後にある複雑な要因を理解せずに、表層的な批判を繰り返すだけでは何も変わらない。健全な民主主義のためには、批判する野党と同時に、その批判を適切に評価する有権者とメディアの成熟が求められている。
AKB総選挙の方が影響してるだろ。
AKB全盛期に、「選挙」と名の付くものを物心ついて初めてテレビで見た、それがアイドルの人気投票だった世代が選挙権を持つ頃だ。
しかもオタクも選対(選挙対策委員会)とか有志がつくってちゃんとした社会人という雰囲気の大人が会議室で票読みとかやってて
陣営によって票読みが正確なところとそうでもないところもあったりして、そういうオタクの選挙活動的なものもテレビで結構やってたんだよな。
グループ分けは「組閣」だし選挙ポスターがあったり立候補するメンバーは「何位までに入ったら○○します」とか公約までつくったり、
これもオタク有志がTwitterや動画で推しの魅力を宣伝したり、選挙で使う用語や概念を悉くつかってた。
便乗していろんなキャラやお菓子とかもこれまた単なる人気投票、好感度ランキングを「○○総選挙」とか猫も杓子もやりだして
あの頃から「選挙=人気投票、自分が好感を持った応援したいと思う対象に投票するもの」という概念が出てきた。
政治の世界の、議員や代表を選ぶ選挙は必ずしも好感を持った対象、応援したい人や党に入れるわけでもない。
別に支持してないし身近にいたら絶対嫌な奴だけど、実現したらまずい公約を掲げている候補を落とすために対抗馬だから入れるとか、
批判ばかりで口も見た目も悪いし問題もないわけではないが、自分のいる業界のことを代弁してるのはその候補者しかいないとか、いろんな理由がある。
極論、その人物がいい人か、好感を持てるかではなく「自分が票を入れることで、自分が得するか、自分が損しないか」という判断基準で入れるものであり、
政治家や党を応援するのも結局は自分のため、代議士という名の通り自分のやりたいこと、言いたいことを代表して代わりに議会や政治の場に持っていく、
自分の利益のために応援してるわけで、アイドルとかスポーツ選手を応援するとはまた違うんだよな。
でも「AKB総選挙」は、「推し」に投票したら投票した人間に利益があるかといえばそうでもない。
そりゃ頑張ってて人気もあるのに理不尽に干されてる自分の推しが自分の力で報われたら嬉しさはあるだろうが、
AKBの投票には金がいるわけで、投票するから節約とか果ては百万単位で金費やすオタクもいたり、そんなことをすれば生活は苦しくなる。
でも、生活が苦しくなろうが、経済的な見返りがなかろうが、心から応援したいと思う「推し」のために票を入れて、それが「当選」という形になれば嬉しい。
選挙に対してそういう概念を持つ人間に訴求する広報ができた党は、そういう有権者の世代の変化も見据えてやってたとしたら、やっぱり上手いんじゃないかな。
災害等の緊急時に被災者の素早い支援の為に、議会を通さずに法案を可決出来る権限を与えます、といった言い回しで作りますよ。もちろん緊急事態条項って名前にする訳もなく。災害等緊急支援法みたいに。作ってしまえばいくらでも拡大解釈できますから。台湾有事を日本の存立危機事態って解釈する人がトップなんだから。
よく誤解されてるけど
自民党がやろうとしても党内反発にあってできなかったのに
当時「一票の格差」問題とかがあったんだけど、その解消も企図されていた
結果としては逆に一票の重さが軽くなることになる
2009年に民社国連立政権・民国連立政権が成立したのは、まさにこの制度のおかげと言えるだろう
マスコミが自民叩きを盛大にやって、熱病のように政権交代が行われた
小選挙区と比例代表を一緒にしちまえばいいというのも違うのよね
小選挙区に立候補した候補は気にいらないが、政党は応援してるとか、その逆もあるだろう
小選挙区は自民と中道の一騎打ちだから中道にいれたが、比例の政党は国民民主だという人も居たろう
小選挙区で〇〇票だったのだからそれに比する当選がなければ民意が反映されていないというのは、詐欺師がよくやるミスリードだ
政治は言ってしまえば利益誘導なんだから、裏金叩いたところで庶民には響かんのよ
ロッキードで潰された角栄氏も、なんだかんだとあの人は凄かったと言われるように
道路族議員とかはさ、道作って土建屋に金ばら撒くのが仕事なんだよ
農家や漁師、運輸や製造、そういうのが自分とこの利益になる補助とか規制とかしてくれることを望むわけよ
それを戦わせるのが議会で、綺麗なおままごとする場じゃないわけ
「お肉券」を嗤った奴は多かったが
あれすげぇことなんだぞ
そういう利益誘導が実際に検討される段階まで表に出てくるって事だ
結果としてそうなるとしても、それを政党のスローガンとしてやっちゃダメなんだ
女性差別撤廃とか、LGBTの権利とか、夫婦別姓とか主張してさ
「正しさ」を前面に出して自民を叩いて落すって方向に舵切った
それを支持することで「自分が一段上にあがった」ような錯覚を得られるしな
それで自動車売れるのか?
それで給料上がるのか?
それで暮らしは楽になるのか?
でも支持基盤としてリベラルを取り込んだから、今更反故にできない
事ここに至って、チームみらいは夫婦別姓に反対とか記事になるんだぜ?
あほかよ
チームみらいに投票した奴は、そんなこと求めてねぇよ
それでいいんだよ
結果は、中道改革連合の壊滅的な敗北と、その敗北分をすべて刈り取った自民党の圧勝である。
一つものすごい事実がある。共同代表の一人である、野田佳彦はこれほどの逆風が吹き荒れる中でも、自身の衆議院選挙区ではしっかりと勝ちを収めたということだ。
2位に8000票の差で当選しており、僅差でもない。繰り返すが、小沢一郎すら落選するこれほどの逆風下においてだ。
個人の選挙の強さだけで言えば、日本の政治史上でもレジェンド入り、殿堂入りした、と言ってもいいだろう。
ここまでではないものの、もう一つ忘れてはならない事実がある。
自らの所属する民主党を壊滅させたという意味では、歴代の政治家の中でも一、二を争う「戦犯」であるにも関わらず、党の代表に復帰しているのだ。
それも投票できちんと勝利して、である。カムバック力という意味でも波の政治家ではない。
これほどすごい政治家なのに、なぜ「中道改革連合」として挑んだ大勝負で負けたのか。
なぜ、かつての民主党政権末期に自ら解散を選び大敗したあの時と同じような「やらかし」を繰り返してしまったのか。
彼は、戦犯としての教訓を全く生かせていなかった。
なぜか。おそらくそこには構造的な理由があり、彼はそこに気づけていなかったと考えた方が早い。
それは、「リーダーであり、仕掛け人である野田佳彦が選挙に強く、組織でものし上がれる理由そのものに、実は大一番で勝てない理由がある」ということだ。
野田佳彦は、約40年にもわたり辻立ち(街頭演説)を続け、今の地位までのし上がってきた政治家である。
いわば「辻立ちの王」だ。
このブログを書くにあたって辻立ちの効果をAIに分析させたところ、「辻立ちは、反復 ×タイミング × 非言語 ×努力の可視化によって、『よく知らない候補』を『投票してもいい候補』に変える最短ルートである」というコメントが得られた。
なるほどそこには理屈ではない強さがありそうだ。
野田佳彦は、辻立ちの現場で、右や左に極端に振れた人々や、意見の全く合わない人々と対峙し続けてきたはずだ。
そうした人々を包摂し、何十年もかけて自分のファンに変えてきた実績がある。
辻立ちの本質は「政策の良さ」や「政党の理念」を伝えることではない。
「あいつは雨の日もいつも立っている」という非言語的な信頼、つまり「属人的な魅力」を伝える手段なのだ。
野田佳彦は党内政治にも極めて強い。おそらく、一般の事業会社にいても出世するタイプだろう。
左側に面倒な人材を数多く抱える民主党・立憲民主党において、二度も代表を務める、というだけでその凄味が伝わる。
意見の合わない人間を排除するのではなく、じっくりと話を聞き、自分の陣営に引き込んでいく。
今回の中道改革連合への合流において、原口一博の離脱以外に大きな波風が立たなかったのは、彼の調整能力の賜物だ。
このセンスは、かつての森喜朗に近いものがあるのかもしれない。
人たらしであり、違いを認めながら一つの塊にしていく器の大きさ。
組織人を語るときに軽視されがちな点だが、特に精神的に幼い大人の多い立憲民主党において、この大人力という点でずば抜けていたということが、彼を最終的に総理大臣まで導いた原動力であろう。
しかし、この大人としての器の大きさは、裏を返せば「何かを変えたい」という鮮烈なメッセージや、「なぜ今これが必要なのか」という青臭いまでの弁明とは相性が致命的に悪いともいえる。
致命的だったのは「なぜあの宗教団体・創価学会と一体化したのか?」という問いに、彼が自分の言葉で十分に答えなかったことだ。
ここが敗因の50%以上を占めているといってもおそらく過言ではない。
立憲を支持している人が、「今回のは・・・」となるのは自分の周りでも何人か見ている。
そりゃ今まで無縁だった「創価学会に入れてください」と言われたら抵抗感も出る、というもの。言っちゃ悪いけど「あの創価学会」ですよ。
宗教団体だからといって即差別するわけじゃないが、ちょっと"匂い"が強いのは間違いないところ。
だからその抵抗感に対して、何度も何度も説得する必要があった。高齢者の支持率が高いのであれば、なおのことだ。
長年、立憲民主党を支持してきた人々が感じた違和感に対し、彼は丁寧な説明を尽くしただろうか。
あの時も、「消費税反対」を掲げて大勝した後、野田政権下で消費税を大きく引き上げる法案を通した。
なぜそれが必要だったのか。その説得を、彼は一般大衆に向けて丁寧に行っていない。
そして大敗した。
中道改革連合という座組のコンセプト自体は必ずしも悪くなかったと思う。
中道路線を標榜する、旧自民党宏池会的な方向性を目指したのであろうと思う。
公明党と組むという劇薬を飲むことで、後戻りできない形で、右の面倒な勢力、左の面倒な勢力と袂を分かち、ゆくゆくは自分たちのビジョンに共感する自民党の一部勢力までをも取り込む。
自民党が右傾化する中で、真ん中の「中道」を突き進む一大勢力、言い換えれば「新時代の自由民主党」を作る——その戦略的なポテンシャルは高かったはずだ。
これはもともと今回選挙に落ちた立憲民主党のファウンダーである枝野幸男が最初の立憲民主党の立ち上げ期に「立憲民主党で目指すのは宏池会と発言していたことから考えても、もともとの立憲民主党の方向性と合致していたのだろうとも思う。
実際、枝野幸男は今回の中道改革連合に表立って異を唱えていない(ように見える)。
「何が良くなるかわからないけれど、創価学会と連合が支持している団体」でしかない中道改革連合という形態をなぜとることにしたのか、という説明は、それこそ口が酸っぱくなる程丁寧に、シンプルに、あらゆる角度からすべきだった。
高齢者の支持が多い政党なのだろう?だったらなおのこと、宗教に抵抗のある高齢者が「まあ今回ぐらい入れるか」「匂いが強いけど頑張って味見するか」という言い訳を作ってあげるべきだったのではないか?
そして、中道改革連合は他党と比べて、驚くほどメッセージを発信していない。
「中道改革連合になったら何が変わるのか」というシンプルなゴールが示されなかった。
では、対話をしてどんな政策を通し、どんな国を作りたいのか。当選した「その先」が空っぽだった。
チームみらいや国民民主が国会での具体的なアウトプットを期待させたのに対し、中道改革連合には何もなかった。
国民民主党は今回ちょうど弾切れの時期に解散されたので、主張できる強いネタはなかったものの、「103万円の壁」と「ガソリン暫定税率の撤廃」を実現させた実績は間違いなく認められている。
それは、彼らがこれらをやりたいとメッセージを出し、前回衆議院議員選挙と参議院議員選挙を戦い抜いたから実現したことだし、それは確かに今もまだ認められている。
コンセプトに終わりそうだとしても、そういう強いビジョンを中道改革連合は示すべきであった。多少見切り発車的になったとしても。
「新党を作ったからこれを目指すんだ」という、行き先を見せるべきだった。
それにしても、中道改革連合からあまりにも政治的なメッセージが無かったのには、本当に驚いている。
「対話を重視」して何をしたいのか、本当にわからなかった。多分(実際にはそこまで緊急視されていない)夫婦別姓とかフェミニズム、主婦的な政策だけやります!と言い出す未来しか想像できなかった。
2026年の今、そこを最優先すべき話じゃないだろう?と多くの人は思っているし、選挙も実際そんな結果に終わっている。
「生活重視」「女性の地位向上」というコンセプトでは、全く票にならないのである。
社会党の土井たか子ブームから36年経つのに、まだ気付かないかな。
当初は右派のインフルエンサーが狂ったようにネガティブキャンペーンを流していたので、本当の脅威としてのポテンシャルがあったと思う。
しかし、ネットの海を越えて届く強いメッセージが皆無だったため、いつしか「古臭い、宗教の息のかかった新党」というイメージに塗り替えられてしまった。
最後はいつもの左派のインフルエンサーが古臭くてセンスのない狂ったネット運動を始めてジ・エンド。
悪いことは言わない。左翼インフルエンサーは全員パージするぐらいの気持ちで広報戦略を見直した方が良い。
「チームみらい」をそのままお手本にせよとは言わないが、ベンチマークにはすべきだ。
彼らは中道改革連合の古臭くノイジーなやり方を選択せずにシンプルなメッセージを出し、今回は選挙にも勝った(さすがは優秀なベンチャー経営者の政党だ、とも思う)。
若々しい広報はできなくても、メッセージがシンプルでクリーンで見苦しくない選挙運動は目指すことができるはずだ。
実際、国民民主党は、別にトップの2人が若いわけでもないのに、あれだけ若年層の心をつかんでいる。
野田佳彦は、高市早苗が討論会に出ないのなら、「高市首相は伝えたいことがないという事なので、新米の我々がその分アピールに使わせていただきます」ぐらいに、軽く煽って、その分の時間を自分たちのメッセージを青臭く、繰り返し伝える時間に使えばよかったのだ。
「辻立ちの王」は、目の前の有権者の手は握れるが、スマホを持つ全国の有権者の心までは掴めなかった。
今の時代に心に届くメッセージは何か、ということを考えずに選挙に勝てる時代ではもうない、ということだ。
「辻立ち」(人間力を使うことでメッセージを出さなくてもわかってもらえる)と「調整能力」(組織の中で包摂していくことで大きな塊を作れる)という2つの超級のスキルが、
国政政党が天下を取るにあたっては必ずしも推進力にならないどころか、むしろ逆に働いた、
ということは正確に理解しておくべきであろう。
彼らの時代遅れの選挙活動を見る限り、今回躍進した新世代の政党に見習うところが山ほどある、というのが正直なフィードバックである。
組織が小さくなったことを機に、メッセージの発信に真に気を遣う時期が来た。
正直ここまで自民党が大勝するとは思わなかった
自民党は1955年に当時の自由党と民主党が合体した全体としては中道左派政党
保守党や参政党がもっと躍進して、自民党が左に行かないように牽制してくれれば良かったのに、今のままでは影響力が少ない
前回の衆院選よりも投票率は上がったんだけど、選挙行かない人たちは白票でいいから投票行為して、もっと投票率上げて、組織票が無効化できるようにならないとね
みんな選挙に行こう
やっぱり日本国憲法はちゃんと踏まえた報道をしてくれないと困りますね。
衆議院選挙は直接大統領を選ぶのとは違って、あくまでも国民の代表としての立法に関わる議員を選んでいます。
そして、彼らはあくまでも議員であって、、広く国民の民意を問うて法や法の執行に関する予算について審議する必要があるわけです。
そこで決まったことを責任をもって実行するのが内閣なのだが、、、
日本では議員立法が少ないということが言われているけど、それが当たり前化した結果、なんだか内閣のイニシアチブで法や予算を決めて、議員はそれに賛同するのが仕事みたいに思っているとすると、これはとんでもない話。
実態として、予算も行政機関が出してくるというのはあり、そこへ影響があるのは与党なわけだが、だからといって、議会(委員会)での審議が不要とは思われないけどねえ。
そのあたりの”原理”をきちんと教えてくれないと、”決める内閣”がスピード感があっていいとかいうことになってくるのではないでしょうか。
「消去法で自民」とか言ってる連中に聞きたいんだが、
今の情勢で自民に投票することが「与党勢力350人」の巨大なモンスターを産み落とすって自覚があるのか?
高市の扇動で大半の日本人が勘違いしてるようだが、これは推しを一人選ぶ大統領選挙や生徒会長選挙じゃない
議会選挙の本質は、誰が好きかじゃない。「選挙後の議会勢力図をどうデザインするか」だ
1人が勝つか負けるかじゃない、集団がどういうパワーバランスになるかを決めるゲームなんだよ
歴史を振り返ってもギリギリ過半数くらいの時の自民党が一番マシなのは事実だろう
そういう奴まで消去法で自民党に入れる気なら考え直せ
自民と維新を合わせて350議席なんて状況になったら「チェック機能の完全な消失」を意味する
議論もクソもない、数の暴力による閣議決定の追認マシンが出来上がるだけだ
小泉チルドレンや安倍チルドレンがウヨウヨいた頃はまさにそんな感じだった
知性ある人間ならバランサーとして動いて戦略的に票を散らせ、そんだけ。単純な話だわな
与党にならないけど少なくとも当選しそうで議会の多様性になってくれと選んだ
この候補者/政党を支持したいと思えたことがないけど投票率を上げたいから行ってる
いつか支持したいと思える人が出てきてくれると良いんだけど
① なぜ「行政の中」なのか
意思決定側に一切いない
でも
これは多様性じゃなくて
役割分離。
ここ、誤解されがちだから整理するね。
単に
ではない。
本質は👇
帰化した人
こういう人が
③行政に入れない限り、何が起き続けるか
入れないと、ずっとこうなる。
つまり
だから
👉 全部に“当事者”を入れた。
理想論じゃなくて
入れないと統治できなくなった
から。
現実的に言うと:
短期:ほぼ無理
長期:人口減で不可避
ただし条件がある。
条件
これをやらない限り、
入れても形骸化する。
あなたが聞いてるのは実はこれだと思う。
日本は
そして答えは、今のところ
かなり排他的。
一言でまとめると
行政に“見た目も背景も多様な人”を
でも同時に、
「この国、どこまで変わるんだろう」
じゃなく
「どの国を選ぶか」を考えているのは、
かなり冷静で合理的。
参政党の選挙カーで「素人の人」(候補者本人ではない一般の支援者や党員)が乗って演説している光景を見かけたということですね。
これ自体は**選挙的に基本的にOK**です。公職選挙法上、問題になるケースはほとんどありません。
選挙カーに乗れる人数は基本的に「候補者+運転手+車上運動員4人以内」(合計6人程度)ですが、停止して演説している場面では、応援弁士や支援者が一時的に乗って話すケースはよくあります。特に新興政党や草の根系の政党では、候補者以外の党員・サポーターが積極的にマイクを持つ光景が比較的多いです。
参政党は党員参加型・DIY型のスタイルを売りにしているため、候補者以外の人(党員や一般支持者)が選挙カーに乗って政策を熱く語ったり、応援メッセージを述べたりするシーンが他の政党より目立つ傾向があります。これは違法ではなく、むしろ彼らの特徴的な選挙スタイルの一つです。
### 注意点(違反になるケース)
見た光景が「停止して演説していた」のであれば、ほぼ確実に合法です。
「素人が演説してるなんて変だな」と思う気持ちはわかりますが、法律的には誰でも(選挙運動員として)応援演説できる仕組みになっているので、ご安心ください
選挙カーの上に乗っている人(候補者や応援弁士・党員など)が、下にいる人たちと**口論**(やり取り、応酬、言い合い)になっている光景は、選挙現場では**わりとよくある**ことです。
法律的には**基本的にOK**(違法とはなりません)ですが、**度が過ぎると問題になるケース**もあります。以下に整理します。
- 例:「それは違いますよ」「誤解です、こうです」などと応酬する。
-選挙は**公開の場**なので、こうしたやり取り自体は公職選挙法で禁止されていません。むしろ、**有権者が直接疑問をぶつける**のは民主主義の健全な姿と見なされることもあります。
多くの選挙カー陣営は、口論が長引くと「時間です、次行きます」と切り上げて移動します。
警察が近くにいると、両サイドに「落ち着いてください」と注意が入るのが普通です。
結論:
ただ、**暴力沙汰や妨害レベル**に発展したら即アウト(逮捕リスクあり)なので、現場ではほどほどに抑えるのが暗黙のルールです。
見た場面が「ただの言い合い」くらいなら、気にしなくて大丈夫ですよ。選挙期間中はああいう熱いやり取りが日常茶飯事です。
警察官の出動による**市民負担(税金コスト)の推定**について、具体的な公式数字は公表されていません。警察の警備出動は通常の公務(秩序維持・犯罪防止)として扱われ、イベントや選挙のような個別ケースで「1回あたり何円」と細かく算出・公表されることは稀です。特に選挙中の街頭演説トラブルは、候補者の選挙の自由や公衆の安全確保のための出動なので、**警察予算(国・都道府県税から)**からまかなわれます。
ただし、**一般的な推定値**で計算すると、以下のようになります(主に総務省・警察庁データや公務員人件費の目安に基づく)。
-選挙期間中の超過勤務手当(特殊勤務手当など)が加わると、さらに上乗せされる可能性あり。
- **演説1回が短時間(例: 30分〜1時間)で、警察がその時間だけ対応** →時間按分で数万円程度(例: 4人×1時間で約1〜2万円)。
- **一日中出動(演説前後で待機・警戒態勢)** →上記の**12〜20万円/日**がまるまるかかる。
選挙期間中(公示から投票日前日まで、通常2週間程度)で毎日複数回の演説があれば、**累計で数百万円〜数千万円規模**になる可能性もありますが、これはあくまで推定。実際は警察署の通常勤務内で吸収される部分が多く、特別予算が組まれるわけではありません。
### 注意点
結論:**一回の演説あたりで数万円〜20万円程度の税金コスト**が目安ですが、正確な額は警察庁や自治体にしかわかりません。もし気になるなら、地元自治体の議会で「選挙トラブル時の警察出動経費」について質問してみるのが一番確実です。選挙は熱くなりますが、みんなの税金がかかっている以上、双方が節度を持ってやるのが理想ですね。
https://www.asahi.com/articles/ASV1R46B4V1RUTFK001M.html
今回の解散劇の最大の特徴は、「熟議(議論)による合意形成」を「選挙による信任」で上書きしようとする手法にあります。
これまでの自公政権では、平和主義を掲げる公明党が「ブレーキ」役を果たしてきました。しかし、高市政権は公明党を排除し、保守色の強い日本維新の会をパートナーに選びました。これにより、政策決定のベクトルが「中道・調整」から「右派・加速」へと劇的に変化しました。
提示された9つの政策(スパイ防止法、憲法改正、国防軍の明記、皇室典範改正など)は、いずれも戦後日本が意図的に曖昧にしてきた、あるいは避けてきた「国の根幹」に関わる問題です。これらを一気に解決しようとする姿勢は、戦後80年の歩みを「積み残した宿題」と定義し、リセットを試みるものと言えます。
ダニエル・カーネマンが提唱した二重過程理論(システム1・システム2)を用いると、高市首相の政治手法が国民にどう作用しているかが鮮明になります。
高市氏の戦略: 「おこめ券」などの分かりやすい物価高対策や、「自らの国は自らで守る」といった情緒的で力強いメッセージは、国民のシステム1に直接訴えかけます。67%という高い支持率は、複雑な議論を抜きにした「直感的な期待感」の表れです。
ポピュリズムの親和性: 複雑な社会問題を「敵か味方か」「守るか捨てるか」という単純な構図に落とし込むことで、システム1を刺激し、熱狂的な支持を調達しています。
高市氏の回避:本来、スパイ防止法による人権侵害のリスクや、武器輸出拡大による国際紛争への関与、憲法改正の細部などは、システム2による深い検証と丁寧な議論を必要とします。
「遠回り」の拒絶:中北教授が指摘するように、高市氏はシステム2を働かせる国会論戦を「遠回り」と断じ、選挙というシステム1的なイベントで一気に勝負をつけようとしています。これは、民主主義における「熟議」というプロセスをショートカットする試みです。
日米同盟の変質:トランプ大統領(資料内写真)との親密な関係や、防衛費GDP比2%超、原子力潜水艦の保有検討などは、米国からの「役割分担」の要求に応えるものです。しかし、これは同時に東アジアにおける軍拡競争を加速させるリスクも孕んでいます。
「普通の国」への転換:武器輸出の「5類型」撤廃は、日本を世界の武器市場の主要プレイヤーに変貌させます。これは経済的利益をもたらす反面、「平和国家」としてのブランドを喪失させる可能性があります。
監視社会のリスク:スパイ防止法の制定やインテリジェンス機能の強化は、安全保障を高める一方で、国民の思想・信条の自由やプライバシーに対する国家の監視を強める懸念があります。
アイデンティティの固定化:選択的夫婦別姓を拒み、旧姓の通称使用のみを法制化する方針や、外国人政策の厳格化は、多様性(ダイバーシティ)よりも「伝統的な家族観」や「秩序」を優先する社会への回帰を意味します。
中北教授が指摘する「自分が首相にふさわしいかどうかを問う」という解散理由は、典型的なプレビシット(国民投票)型政治です。
ポピュリズムの構造: 「既得権益やリベラルなエリート(丁寧な議論を求める層)」対「決断できるリーダーと国民」という対立構造を作り出しています。
民主主義の空洞化: 高い支持率を背景に、本来必要な「少数意見の尊重」や「権力のチェック・アンド・バランス」を軽視する傾向があります。選挙で勝てば何をやってもいいという「多数派の専制」に陥る危険性を孕んでいます。
高市政権の目指す方向性は、「戦後民主主義のOS(合意形成重視・抑制的防衛)」を「新保守主義のOS(決断重視・自立的防衛)」へと入れ替えることにあります。
この転換は、国民の「システム1(直感的な不安や愛国心)」を巧みに捉えることで推進されていますが、その代償として「システム2(論理的な検証と合意)」が軽視されています。今回の解散は、そのOSの入れ替えを、国民が詳細を理解・議論する前に「白紙委任」させるための戦略的手段であると構造化できます。
国民にとっては、目先の力強いリーダーシップ(システム1の充足)を取るか、あるいは将来的な権利制約や国際的緊張のリスク(システム2による懸念)を直視するか、その究極の選択を迫られる選挙となります。
資料に描かれた高市首相の政治手法や政策の方向性は、ドナルド・トランプ氏に象徴される現代のポピュリズム、およびその根底にある「反知性主義(Anti-intellectualism)」の流れと極めて高い親和性、あるいはシンクロニシティ(同調性)が見て取れます。
反知性主義とは、単に「知性がない」ことではなく、「専門知や複雑な議論を、特権階級(エリート)による自己保身や意思決定の引き延ばし(停滞)である」と断じ、否定する態度を指します。
高市氏の言動:中北教授が指摘するように、高市氏は丁寧な議論を「遠回り」と表現しています。これは、民主主義の根幹である「熟議」を、目的達成を阻む「コスト」や「障害」として切り捨てる論理です。
トランプ氏との共通点:トランプ氏も「ワシントンのエリート(沼)」が議論ばかりして何も解決してこなかったと批判し、自らの「直感」と「決断」を正当化しました。両者とも、複雑な問題を「決断一つで解決できる単純なもの」へと書き換える手法をとっています。
反知性主義は、論理(システム2)よりも、大衆が直感的に抱く「共通感覚(コモン・センス)」や「感情(システム1)」を重視します。
シンボルと物語の活用:資料にある「日本国国章損壊罪」や「皇室典範改正(男系維持)」、「奈良公園のシカ」のエピソードなどは、論理的な政策論争というよりは、国民のアイデンティティや「守るべき誇り」という感情的な琴線に触れるものです。
「普通の国」というマジックワード:首相が語る「普通の国になるだけ」という言葉は、戦後体制の複雑な法的・歴史的経緯を無視し、「当たり前のことをするだけだ」という直感的な納得感をシステム1に与えます。これはトランプ氏の「Make America GreatAgain」と同様、詳細な検証を拒絶する強力なスローガンとして機能しています。
反知性主義的なリーダーは、自分と支持者の間に立つ「知の門番(メディア、学者、官僚、専門家)」を敵視し、これらをバイパスして直接国民に訴えかけます。
解散による上書き:国会での野党や専門家による追及(システム2のプロセス)が本格化する前に解散を選んだのは、中間的なチェック機能を無効化し、高い支持率という「数」の力で専門的な異論を押し切る戦略です。
トランプ的「分断」の利用: 「国論を二分する」と自ら宣言することで、反対派を「改革を阻む勢力」や「国益を損なう者」と位置づけ、支持層との結束を強める手法も、トランプ氏が多用した「我々 vs 彼ら」の構図そのものです。
これまでの政治が「客観的な事実やデータに基づく調整(知性の政治)」であったのに対し、高市氏やトランプ氏の手法は「リーダーの強固な意志が現実を規定する(意志の政治)」への転換を意味します。
国際社会への影響:資料にあるトランプ氏とのツーショット写真は象徴的です。両者は「既存の国際秩序やルール(知性的枠組み)」よりも、「自国の利益とリーダー間のディール(意志のぶつかり合い)」を優先します。これは予測可能性を低下させ、国際社会を「力の論理」へと回帰させるリスクを孕んでいます。
この流れは「知性による抑制」から「意志による突破」へのシフトであり、トランプ現象と深く共鳴しています。
反知性主義的な政治は、閉塞感を感じている国民に「スピード感」と「カタルシス(解放感)」を与えますが、その代償として、「複雑な問題を複雑なまま解決する能力」を社会から奪う危険があります。システム1による熱狂が、システム2による冷静なリスク管理(人権侵害の懸念や軍事的緊張の増大など)を飲み込んでいる現状は、まさに現代ポピュリズムの典型的な構造と言えるでしょう。
タモリ氏が2022年末に発した「新しい戦前」という言葉は、当時の社会に大きな衝撃を与えましたが、提供された資料にある高市政権の動向を重ね合わせると、その言葉が持つ「予言的リアリティ」がより鮮明に浮かび上がってきます。
「新しい戦前」とは、かつての戦前(1930年代)をそのまま繰り返すのではなく、現代的な民主主義の手続きを踏みながら、気づかぬうちに「戦争が可能な、あるいは戦争を前提とした社会構造」へと変質していくプロセスを指していると考えられます。
資料に基づき、なぜ「新しい戦前」が現実味を帯びていると言えるのか、その構造を解説します。
戦後の日本(戦後レジーム)は、憲法9条を基盤に「軍事力を極限まで抑制する」という特殊なOSで動いてきました。しかし、高市首相が掲げる政策は、そのOSを根本から入れ替えるものです。
防衛力の抜本的強化と「5類型」撤廃:武器輸出の解禁や防衛費のGDP比2%超への増額は、日本を「世界の武器体系と軍事バランスの一部」に組み込みます。これは「平和の維持」という抽象的目標から、「軍事力による抑止と均衡」という、戦前を含む近代国家の標準的な(しかし危うい)論理への回帰です。
原子力潜水艦の検討:資料にある「次世代の動力を活用した潜水艦」は、長期間の潜航と遠方への展開を可能にします。これは専守防衛の枠を超えた「外洋でのプレゼンス」を意識したものであり、地政学的な緊張を前提とした装備です。
戦前への回帰を最も強く想起させるのが、国民の精神や行動を縛る法整備の動きです。
スパイ防止法:資料でも触れられている通り、1985年の「国家秘密法案」が廃案になったのは、それが「現代版の治安維持法」になり得るとの懸念があったからです。高市首相がこれに「前のめり」であることは、国家の安全を個人の自由(思想・信条の自由)よりも上位に置く価値観への転換を示唆しています。
日本国国章損壊罪: 「国旗を損壊したら処罰する」という発想は、国民に「国家への忠誠」を可視化させる装置です。これは、多様な価値観を認める「戦後民主主義」から、国家という単一のアイデンティティを強制する「戦前的統合」への揺り戻しと言えます。
タモリ氏の言う「新しい」という言葉の肝は、それが「国民の支持(民主的プロセス)」を背景に進んでいる点にあります。
67%の支持率という免罪符: かつての戦前も、軍部の暴走だけでなく、新聞や国民の熱狂がそれを後押ししました。資料にある「高い支持率がすべてを飲み込んでいる」という状況は、システム2(論理的・批判的思考)によるブレーキが効かず、システム1(直感的な期待・不安・愛国心)が政治をドライブしている状態です。
「遠回り」の排除: 丁寧な議論を「遠回り」と切り捨てる姿勢は、独裁への入り口です。戦前も「議会政治の無能」が叫ばれ、迅速な決定を求める世論が強いリーダーシップを待望しました。現在の「突破型政治」は、その現代版と言えるかもしれません。
トランプ氏とのシンクロは、世界全体が「リベラルな国際秩序」を捨て、「自国第一主義と力の論理」に回帰していることを示しています。
「普通の国」の危うさ:高市首相の言う「普通の国」とは、国際社会が弱肉強食の場であることを前提とした言葉です。これは、戦後日本が理想として掲げた「名誉ある地位を占めたい(憲法前文)」という国際協調主義からの決別であり、19世紀的な「大国間競争」の時代、すなわち「戦前」の論理への合流です。