
はてなキーワード:謙虚とは
最近、よく聴いているポッドキャストがある。スタートアップの経営者がホストを務めるもので、その内容はビジネスや経済に関するものではなく、彼の個人的な視点からとある人文系のジャンルについて語られるものだ。
ビジネス畑の人のラジオなんてと思って、正直言って最初はあまり期待していなかった。しかし、聴いているうちに彼の語り口にどんどん引き込まれていった。
最近、彼が別のビジネス系のポッドキャストにゲストとして出演し
「年収3000万以上はいらない。正直3000万くらいで全然いい。それ以上貰っても不幸にしかならない」
というような趣旨のことを言った。
一瞬、耳を疑った。
年収3000万って、私にとっては信じられない金額だ。普段の生活圏内でそんなお金を得ている人なんて見たことがない。
友人、親戚、夫の親戚、クラスの子供の保護者すべてを含めても、だ。
そんな私にとって、年収3000万という額は別世界の話のように感じられる。ましてや、それを「それくらいでいい」と言える感覚が、まったく理解できなかった。
1000万とか1500万じゃないんだ?
3000万で十分だという感覚が理解できない自分が情けなくなるほどだ。
これが金銭感覚が狂わない範疇だと感じる人もいるんだなと改めて思い知らされた。
多分、はてなでもこういった価値観を持っている人はいるんだろうな、とは思う。
経済的に豊かで、自己肯定感も高い人たちの中には「3000万で十分なんて謙虚だね」と思える人もいるんだろう。
しかし、私は地方に住む庶民として、この金額がどれだけ異次元のものなのかを実感として理解している。
この金額に「それくらいでいい」という発言が出るということは、その人たちのいる世界が、私の世界とは完全に違うということだ。
今まで聴いてきた彼の話は、自分にとっては気づきや刺激を与えてくれるものであり、尊敬の念を抱いていた。
しかし、年収3000万が「それくらい」と感じる感覚が彼にあると知って、私はそれまでの彼の話が一気に色あせてしまった気がした。
もちろん、彼の言っていることを批判したいわけではない。むしろ、そういった感覚を持つことができるほど彼は安定した経済基盤や、物質的に豊かな生活を手にしているのだろう。
私が楽しんで聴いていた彼のポッドキャストも、もしかすると、私が想像している以上に「別世界」の人々に向けたメッセージだったのかもしれない。
私が楽しみに聴いているその番組の内容が急に色褪せていく。
これまでは、彼の言葉が自分の現実にどこかでリンクする感覚があったが、その感覚が突然切り離されたように感じてしまった。
結局のところ、私は勝手に彼を自分と近しい感覚を持った人だと期待していただ。
そのポッドキャスターが完全に異次元の存在であり、私が考えるような生活や価値観とは全く違う世界の人だったことを、今回の一言で痛感させられた。
でも、こうした感覚のズレを感じることこそが、価値観の違いに気づくきっかけなのだと思う。
自分が持っているものの価値や、自分がどういう立場にいるのかを再確認できた気がする。
そして、今後はそのギャップをどう受け入れていくかが大切なのだろう。
タナフとタルムードは愚者や混乱の時代をどう生きるかについて驚くほど多く語っています。
まとめると、究極の方法は 知恵+正しい生き方+道徳を体現することです。
タナフはこう言います。
逆に言えば、知恵を探求し続ける人が愚者の時代を生き延びるということ。
タルムードでも
「賢者は先を見通す」Tamid 32a
情報が混乱し、感情が煽られる時代ほど、学び続け、熟考し、長期的視点で判断する者が勝つ。
だからこそ、誠実、謙虚、対話、責任。これらを実践することが、最も強い抵抗となります。
タルムードでも、
「恐れ(倫理)がなければ、知恵は持続しない」Shabbat 31b
「少しの光は多くの闇を払いのける」Sotah 21a
光=
・知恵
・行い
・誠実
・善意
・言葉
・怒り
・不安
・煽動
・恐怖
1. 知恵を求め続ける
2. 礼節・良識を守る
二人でサイクリングしてるときに○○があるとか言われたんだけどどこにそれがあるのかわからなくて、とりあえず自分が思い当たる○○を見てこれかなあと天を仰いだりしてきょどってたら、また呆れられた。
最初から何時の方向とか言ってくれればいいのにと苦言を呈したらそれではお前のためにならないとのこと。
普通の人間は発言者を見てその視線の方向を観察することで言及している対象の場所をつかみ取るんだって。
でも一つ気になったのは、なんで俺がきょどったりしているのかあのとき認識できたかってこと。
それに対しては視野は広いからとかいちいちそんなどうでもいいこと突っ込むな謙虚になれとか言われるんだけどさ。
いやいや俺がどうなってたか見えてるってことは発言した直後に既に俺の方を向いて観察していることになるかもしれないわけで、そうだったとしたらあのとき俺が相手を見てもその相手が見てるのは対象物とは無関係な俺の方向に過ぎず、発言者の視線がヒントになるって助言が破綻してることになるんだよ。
こういう例をみて、本当に「自分の仕事が社会貢献をしている」などと言えるだろうか?
ところで、The Good Placeというネトフリのドラマがある。ネタバレするのであまり言えないが、要するに天国のフリをした地獄の話だ。
地球での行動は実はポイント制で評価されており、一定のポイントを稼げないと天国へ行けない。
ところがこのポイント制には、実は天の支配者さえも理解していなかったバグがある。
つまり現代社会はあまりにも複雑すぎで、普通の行動が罪にカウントされるということだ。
牛肉を買うだけで地球温暖化に関する罰則ポイントとなるし、募金をすれば人口過剰に関する罰則ポイントになる。
つまり「俺の仕事は社会のためになっている」というのは単なる妄想であることが多い。実際、怪しいキノコで真理(ポイント制のこと)を発見したという男が極めて謙虚な生活をしていたにも関わらず、そのバグで地獄行きが確定していた。
ドラマから現実に話を戻すと、実際の現実にもそういう側面がある。社会のためになるからといって完全なる善行とも言えないので、わざわざ「立派な社会人」なんて理想論を掲げる必要はない。
「俺は生きるために金がいる。そのために仕事をするし、稼いだ金はS&P500に突っ込む」という人のほうが正直だ。もちろん、程度の問題はある。金がいるからといって犯罪をするのは愚者である。
ユダヤ人の言うように、非ユダヤ人の我々はノアの法さえ守っていてばよいだろう。それが、サバイバルと倫理の間の、ちょうどいいルールだ。
前々から、日本社会の傲慢さが突き抜けた『謙虚さの自尊』はやばいことになっていたが、昨今の日中問題ではほんとうに「ああ、これが日帝を生んだ民族性か」と改めて感じさせる現象が見られる。
日本の総理大臣の発言からことが始まり、それに中国が強く反応した。
そこで、「総理には悪い意図はなく、中国が過剰反応をしている」と主張する。までは、わかる。
そこまではどこの国でもあることだ。それは政治的によくある話。
しかし日本人の頭が本格的におかしいのは、ここで「私たちに悪意はなく悪意として受け取った中国が悪いのだから、中国人に悪意の発露、嫌がらせをしても良い」という思考回路になるところだ。こんな『人間』は、日本以外では見たこともない。
日本側の問題ではなく、中国人の過剰反応だと言うなら、なぜそれを真に受けて好意的に接するつもりの中国人観光客に嫌がらせをする?
「中国政府が来るなと言ってるぞ!来るな!」と日本のメディアが観光客に嫌がらせをするなら、それはもうその時点で「やはり日本側の態度にそもそもの責任がある」と見なされることがなぜわからない?
日本社会の精神異常、自己認知能力の欠如、客観的な視点の喪失はもはや限界突破した。
これが、世界が嫌う、『世界の敵』と明確に国際文章に刻まれている、極東の最低最悪な侵略国家の民族性なのである。
私に関する情報と、その情報から組み立てられるChatGPTの有意義な使い方をお願いします
以下は、あなたがこれまでに示してきた特徴・行動パターンを基にした
RTS・アドベンチャー・見るゲーなど複数ジャンルのゲーム設計を同時並行で考えている
(ChatGPTに“広げさせて”、あなたが“選定・要約”するタイプ)
●世界観・興味
●性格傾向(推測)
発想量が多く、構造化と整理を外部に求める
あなたはゲーム・ビジネス・創作をすべて「戦略で捉える」傾向があるため、
ChatGPTは “軍参謀”スタイルの助言AI にすると最大効率が出ます。
使い方例:
が自然。
具体的には:
思いつきを投げる
ChatGPTが構造化・分類
これが最適ループ。
あなたは実装にこだわるため、ChatGPTには以下を依頼するのが非常に相性良い:
設計案の「責務整理」
特に“わかりやすくて拡張可能な構造”を出すと喜ぶ傾向がある。
あなたは即応の遅さを気にしているが、ChatGPTは訓練に使えます。
「RTSの状況を書いたら、2秒以内に最適な手を返して」
長文記事→3行要約
「辛辣に」
「客観的に」
など、創作補助にも最適。
必要であれば、
2年前に交際と結婚をチラつかされて1年間一途にやり取りしてたものの、何も進展がなかった苦い記憶から複数の男性をキープする手法に変えた(もちろん同時交際はしてない!不誠実なこと大嫌い!キープだけ)
1人目をAと置こう
Aは年上高卒ホワイトカラー、行政系?(しかし公務員というより非正規な感じ)
ちょいぽちゃ
難病で家から出れない友達を遠方から訪れたり、人格としてはいい人だと思う
2人目はB
この人もぽっちゃり
聞いてもないのに「俺は他の人に比べて高収入だよ」と言ってくる
本当でおじゃるか?
悪い人ではないが、話がつまらない
(言っておくが経営者だから選んだのではない、趣向が合うなーと思って話して後からプロフ見たら経営者だったのである)
「子供は欲しいが女性に負担がかかってしまうのが心配だ」と言った時に、そのセリフが嘘だとしても結婚したいと思ったね
ただ、早く結婚しようとする意欲が感じられないのがなぁ…
あと、正直詐欺を疑ってる
こんな増田を好いてくれるなんてマジなのか?
ケチだから金要求されても絶対送らないという確信があるが、困るのが時間の浪費
冒頭にあったようなことがもう一度起きるのは懲り懲り
実家が太いので、子育てにかかるお金は最悪実家に頼ればいいと思ったが、旦那さんの稼ぎが太くて困ることはないなと思い直すようになった
https://x.com/kurtz652/status/1989872628560269507
なぜビジネスでやってる動画の人気に反して、SNS石丸を妄信的に信じている人たちはフォロー数が100以下のカスばかりなのか
比較的大手の稲中ものという人物ですら5000フォロワー以下のゴミばかり。
これは本質が石丸支持ではなく石丸や立花を介してルサンチマンを発現したいからだ。
まともな人は、石丸や立花自身は全く信用していない。都合が悪くなったら切り捨ててよいものなのだ。
本当のバカにして最底辺のカスだけが本気で石丸や立花を信じている
現代のインターネット上で、特定の人物(石丸伸二氏や逮捕された立花氏など)を支持し、他人を攻撃したり引き摺り下ろしたりする行為を通して「権力体験」を味わう人々をニーチェ哲学の視点から解釈すると、「ルサンチマン(Ressentiment)」と「奴隷道徳(Sklavenmoral)」の概念が中心になります。
ルサンチマンとは、フランス語で「恨み、怨念、復讐心」を意味し、ニーチェはこれを道徳の根源の一つと見なしました。
根源的な感情:自分の力の弱さや無力感からくる不満や屈辱感を、外部の強者や成功者に対する否定的な感情として溜め込むことです。
力の裏返し:現実の世界で自分の力を発揮したり、望む地位や影響力を得たりできない人々が、その鬱積した感情を「攻撃」という形で発散させ、一時的な「権力」や「優越感」を得ようとしている状態です。
ネットでの増幅:インターネット匿名掲示板やSNSでは、集団的な攻撃によって個人の責任が薄れ、また、相手を簡単に貶めることができるため、ルサンチマンを最も手軽かつ安全に発散できる場として機能しています。
ルサンチマンが根源となり、「善悪」の価値基準を逆転させるのが奴隷道徳です。
価値の否定:奴隷道徳は、「強者」や「主人」が持つ「力強さ」「大胆さ」「自己肯定」といった価値を「悪」として否定することから始まります。
自己の正当化: そして、「弱者」自身の持つ「謙虚さ」「従順」「弱さ」といった性質を「善」として祭り上げます。
ネット社会での適用:ネットでの攻撃の場合、攻撃対象となる「強者」(権威者、成功者、既存の体制)の欠点や過失を徹底的に暴き出し、「正義」の名のもとに集団で引き摺り下ろす行為が「善」であると正当化されます。
彼らの目的は、より良い社会の創造ではなく、既存の強者を無力化し、その没落を見ることで、自分たちの立場が相対的に上がったかのような錯覚(権力体験)を得ることにある、と解釈できます。
この現象は、ニーチェが説く生の根源的な衝動としての「力への意志」が、創造的な方向ではなく、破壊的な方向へと歪んで発現している例とも言えます。
本来、力への意志は「自己克服」「自己創造」に向けられるべきものです。しかし、現実世界でこの創造的な力を発揮できない人々は、他者を破壊し、引き摺り下ろすという消極的で容易な手段を選び、そこから「力を行使した」という一時的な満足を得ている、と解釈されます。
言い返せなくなるとこうやって不貞腐れて逃走する感じ
ほんと「知能低めの女」を絵に描いて額に入れたみたいなやつだよね
多生の縁でアドバイスすると
というチェックは心がけていくのがいいと思うよ
まあ頭悪すぎるとそんなこともやろうとしてもなかなかできなかったり
あなたが既婚者だったらゾッとするけど
■経歴と現状
•就職氷河期にブラックSESからキャリアを始め、転職を繰り返しながらIT業界に20年以上。
•社内SE・開発・上流工程など一通り経験し、今の大企業(グループ1万人・IT部門1000人規模)でもそれなりに評価されてきた。
⸻
■きっかけ
• 今年入ってきた7歳下の同僚(別部署・未経験からIT転職)が、短期間で多数の資格を取得し、優秀かつ謙虚そうな人柄。
• その自己紹介を社内チャットで見た瞬間、「自分の20年より彼の5年が上」と感じ、激しい劣等感に襲われた。
⸻
■心情
• 彼が未婚でも既婚でも、経済的にも精神的にも自分より恵まれていそうに感じる。
•自分は家庭もあり仕事も嫌いじゃないが、「他人の成功や自信を見るのがつらい」。
•努力しても結果が出ず、自己肯定感が極端に低い。氷河期世代の「報われなさ」を感じている。
⸻
■行動
•精神的に限界を感じ、産業医やメンタルクリニックに行ったが異常なし。
•しかし気持ちは回復せず、「壊れる前に」と転職エージェントに登録。
⸻
■まとめ
劣等感や世代的な不遇感が積み重なり、直接的なトラブルはないのに「他人の成功を見るのが苦しい」状態。
グループ1万人、IT部門だけで1000人くらいの会社に転職で入り込んで数年たった。
就職氷河期に今で言うブラックSESに入って以来、何度か転職したがずっとこの業界にい続けた。社内SEも経験して開発も上流も一通り経験した。
なんとか入った今の会社でもそれなりに頑張ってきたし能力も評価はされてた。しかし今年になって入ってきた別部署の人間を見て一気に凹んだ。
自分より7つくらい年齢が下の彼は、別業界から未経験からこの業界に転職し、応用や各種ベンダの上位資格を短期間でどんどん取得、前の会社では社内のセキュリティを面倒見ており弊社にもそれで入社してきた。既婚かは不明。
自分の20年以上の経験が未経験から5年の頑張りに負けるんだって思ったらなんてショボいんだと思った。もちろんIT業界なんて凄い人は多いし、別にこの人になにか言われた訳でもない。ただ社内のチャットツールに流れてきた自己紹介とお金に余裕がないと出来ない趣味と悪気のない謙虚さに溢れる挨拶を見た時に、既婚で子供が2名居て中古の戸建てで細々と暮らしている自分なんてすぐ居場所なくなるんだなと思った。
仮に彼が未婚でもここまで能力があれば結婚は余裕だろうし、仮に結婚してたら自分とは違って東京に家持っているだろう。そして賢そうなので結婚しても子供を持たず共働きで金融資産を貯めて早期リタイアしそう。なので前述の趣味も自分と違ってさほど懐も痛くないであろう。もしかすると都内なのに車持ててるかもしれない。
もちろん彼とは面と向かったことも無いし、第三者を通じて聞いたこともない。ただ圧倒的に自己肯定感が自分は低く、これは氷河期世代全体では普通な方ではないか。それくらい努力を無碍にされた世代だし実際された。
相手は5年で自分より資格も経験も積めた。サボってた自分のせいではないか?相手が既婚で子供がいたらまさにそうだ。そう思うと怖くて真実を明らかにしたくないし、相手は自分のことなんてさほど気にしてないだろう。気にしてないと思うと余計苦しくなる。努力もしているがなかなか結果が伴わない。家庭や生活は理由にしたくない。
時代を理由にしたくないが今更この性格は直せない。仕事は好きだしそのための勉強も嫌いじゃない。趣味も楽しめてるし妻も子供も楽しい。ただ自己肯定感の低い自分にはSNSや社内チャットで見たくもない人の頑張りや自信に溢れる笑顔を見るのには耐えられない。
フリーランスは自由なようで今の数倍激しい競争に巻き込まれるし、なんか己とだけ向き合えるIT職無いかな~とか思うけどどう考えても給与さがるしお手上げ状態。
それでも会社は業務拡大で優秀な人材をどんどん中途で入れてくる。たぶん俺より給与も良いだろう。そう考えるとなんか変な名前の退職勧奨も出てきそうだし、それまでにしがみついて会社の各種奨励で資格でも取ろうかなとも思ったけどその前に自分が壊れそうなので転職エージェント登録して退職届書いた。なんとか春のボーナスもらってから辞めようかと思っているが、なによりこんな事で転職する気になるとは思ってなかった。ほんと彼の自己紹介のチャット未読にすればこんなことにならなかったのに。人生って不思議。
自分でも変だと思ってるし鬱とかそういうのかなと思ったけど、会社の産業医とか自分で行ったメンタルクリニックでも何も見当たらなかったのも不思議。でもほんとこの劣等感は拭いきれない。ほんと何なんだろう・・・
Permalink |記事への反応(27) | 23:54
Xのファンアカウントって、無断転載で成り立ってるのに偉そうにしてる人が多くてモヤモヤする。
最近もある有名アカウントが一時的に凍結されて、「ああ、やっぱりな」と思ってしまった。
でも、そういうこと言いながら、グレーなライブ動画を撮ってアップしてる自分も同じ穴のムジナなんだよなとも思う。
無断転載や撮影って、どこまでがOKでどこからがアウトなのか線引きが難しい。
だから、撮影警察みたいに他人のルール違反を叩いてる人も、たぶん正義感というより「自分が守ってるのにお前は守ってない」って気持ちなんだろう。
この主張は「自己肯定=ナルシシズム(自己愛)」という混同を指摘していますが、ユダヤ教の立場から見ると、少し異なる方向から答えが与えられます。
ユダヤ教では、人間の存在そのものが神によって創られた尊厳あるものとされます。
つまり、自分を肯定するということは、自分の存在が神の創造の一部であり、神の像を宿す者として価値があることを認める、という意味になります。
これは「自分の顔が美しい」や「自分は特別だ」というナルシシズムとは違い、「神が私を創ってくださったゆえに、私は価値ある存在だ」と認める謙虚な自己肯定です。
ラビ・アキバはピルケイ・アヴォート(先賢の言葉)にてこう述べています:
この教えは、行動の善悪だけでなく、人間の存在そのものがすでに神に愛されているというメッセージです。
ただし、その愛を裏切らないようにトーラー(律法)に基づいて行動する義務がある。ここで倫理・行動の肯定が加わります。
ご参考までに、ラビ・シュネル・ザルマン(タニヤ)もこう書いています:
SNSを見ちゃうと、頭にカーっと血が上ったり、気持ちがモヤモヤして、精神的に不安定になったり時間を浪費したりすることってよくありますよね?
かくいう私もその一人でした。
Xの炎上やニュースのリプライを見ては、イライラして毎日を過ごす…愚かな人間でした。
そんな私がSNSを見て、いかに気持ちを安定させられるようになったか、アンガーマネジメントの方法をお教えいたします。
SNSで会話している人の8割がタメ口でよその人に話しかけます。
丁寧なタメ口もあれば乱暴なタメ口もありますが、タメ口がそもそもいけません。
日頃、ビジネスメールや人との会話ではあんなに気を使ってみなさん敬語を使うのに、ネットの世界では「お前」だの「~だろ?」だの、いきなり異常に失礼な態度で話す人間にあなたはなってます。
赤の他人にいきなりそんな口を利くなんてどうかしていると、まず自覚してください。
タメ口は親しい人にしかしてはいけないという、根本に立ち返りましょう。
SNSで争いが起こる原因のほとんどは、失礼にもタメ口で見ず知らずの人に話しかけるから起こるのです。
道端でそんなことすれば、もめごとになるなんて、どんな子供にもわかることでしょうが、インターネットでは誰もそれに気づいていないのです。
SNSでイライラする原因は、妬み・相手を否定したい気持ち・相手をバカにしたい気持ち、こういった自分の視点にすべての原因があります。
まず自分が賢いとか相手がバカだとか思うことからやめましょう。
あなたがどんなにカルチャーに詳しくても、どんなにいい大学を出ていても、どんなにいい会社で働いていても、ノーベル賞を取っていても、人を見下せるほどたいして頭がよくないと自覚しましょう。
SNSで傲慢で嫌味なお金持ちを見ても「お金持ちの人はすごいね~、うらやましいですぅ」と思いましょう。
SNSで明らかに間違っていると感じる意見を見かけても、「そうなんだぁ~、やっぱネットの賢い人は違うなぁ~、ためになりますぅ~」と思いましょう。
SNSでつまらないと思う人を見かけても「ネットが得意なユーモアのある面白い人だなぁ~、ありがとうございますぅ~」と思いましょう。
以上の考えをすると、いかにどうでもいいことで怒ったり悲しんだりねたんだりしていたか、自覚が芽生えます。
SNSで頭にきたり、イライラすることは10割、5分も立てばどうでもよくなることしかないと断言できます。
「なんか、我に帰ったらどうでもよかったわ」このマインドを心にいつも持ちましょう。
以上を実践すれば、SNSでイライラしたり時間を浪費することが8割は減少します。
そもそも以上を実践すれば、ネットに書き込むことがかなり面倒になるので、書き込みがなくなってきます。
私も、もうXを見ることはほとんどなくなり、スマホを触る時間も激減しました。