
はてなキーワード:読書感想文とは
篠田氏がラッセンに着想を得て執筆した小説「青の純度」であるが、篠田氏がラッセンのモデル小説ではないと述べていることについて、篠田氏がラッセンをモデルにしたことを否認しているという誤解が広まっているようだ。
「青の純度」はラッセンに着想を得た画家の話ではあるが明らかにラッセンのモデル小説では無い。
なのだが、この事を説明するには、人によっては「ネタバレ」と言うようなところを説明する必要があるので、多くの謙虚な読書家の感想文からは未読の者がそうと理解しにくい形になってしまっている。
私としては、物語の半分よりも手前(5分の2ほど)で明かされるそれは「出題」部分(探偵ものであれば死体の発見)であってネタバレではないと思うのだが、まぁそう思わない人もいるだろうから、駄文を挟みいささか猶予を置いてからその部分の説明に入るので、出題部を含めてネタバレを嫌う人はこの先を読まずにブラウザをバックすると良い。
ラッセンに着想を得たがラッセンのモデル小説ではない、とはどういう意味か。
そもそもモデル小説という語の意味が若干の広がりがある上に、モデル小説という概念を持たない人は誰かをモデルにしたキャラが出ているだけのものまでモデル小説と呼び、しかも「青の純度」の偽ラッセンはそれですらないのだ。
モデル小説というのはある理想(モデル)を小説の形にした小説というのがおそらく最もインターナショナルな定義だが、日本語の場合はある実在人物をテーマにした小説を指すことが多いように思う。篠田氏がいう「モデル小説」も後者の意味である。
モデル小説のテーマとなった人物は、少なくともその行動の主要な部分がモデルにされた人物に沿ったものとなる。テーマとはそういうものだからだ。
篠田氏がラッセンのモデル小説では無いと言ったのは、作中の偽ラッセン(私が架空人物の名前を覚えるのが苦手なので「偽ラッセン」と書くが、「青の純度」の読者なら納得してくれるのでないか)はラッセンの人物像を作中に顕現させようとしていないからだろう。証明は後述。
なお、作中の登場人物が実在人をモデルにしているというだけではモデル小説とは言わない。モデル小説とは小説自体の分類なので、個々のキャラのモデルの話とは別次元の話だからだ。言うならば、グラップラー刃牙にアントニオ猪木をモデルにしたプロレスラーが登場したからといって、グラップラー刃牙はアントニオ猪木のモデル漫画ではない。
これを前提に「青の純度」の中身に触れよう。
バブル後に一世を風靡し、印刷物を限定品と称して高値で売るエウリアンの悪徳商法が問題となって消えた偽ラッセン。
出版社に勤める主人公は、たまたま飾ってあった偽ラッセンの風景画を見つけ、かつて馬鹿にしていたそれが琴線に触れた。
そこで調べると、今(2023年)になって再び偽ラッセンの印刷物の新作展示販売会が活発になっている。その主催者は、かつてエウリアン商法をしていた会社の元従業員である。
出版社勤めの主人公はラッセンの大衆人気に関する本を出すことを思いつき、本に絵を載せる許諾を得るために、ハワイ島に暮らしているという偽ラッセンを訪問すべくハワイ島に飛んだ。
しかしそこで、偽ラッセンが10年くらい前に既に死んでいたことが判明した。
と、ここまでがいわば出題編である。
10年くらい前に死んだ人物の新作が2023年に出てきているのだから、読者は当然、ゴーストペインターを疑うわけだが、この先は君自身の目で確かめてみてくれ。
現実のラッセンは存命だし、近年の再評価は2012年のラッセン展に始まる原田氏のラッセン研究による正統評価の流れである。
10年くらい前に死に、令和最新版エウリアン商法としてリバイバルされている作中の偽ラッセンとは似ても似つかない。
したがって「青の純度」はラッセンの「モデル小説」ではないことは明白なのだ。
ちなみに作中で、主人公は当初、「犯罪的な商法と、作品・作家を切り分け、その販売手法に言及した後、ジャンピエール・ヴァレーズの作品そのものを取り上げ、そこにある芸術と大衆性のせめぎ合いについて語る」ことを企図して偽ラッセン本を企画しハワイに渡った。
しかしその結果、偽ラッセンは、マリンアートの巨匠Robert Lyn Nelson(→Wikipedia(en))の流れを汲む1人に過ぎないことを知り、ただその中では技巧が卓越していたという評価に至った。
また、偽ラッセンの絵画は原画ではなく印刷物を最終成果物と想定して描かれており、原画より印刷の方が良いという。
そして何より10年くらい前に死んでいたことと現在の売り出し方。
結局のところ、主人公はハワイに渡り様々な事実を知ったことで、当初の目論見とは異なる結論に至った。
したがって、偽ラッセンがラッセンのモデル小説では無いのと同じく、主人公についてもまた、近年の再評価者のモデル小説ではないということになろう。
SNSでは度々、体育が嫌いな人や音楽が嫌いな人の話になる。昔から運動会が苦痛だった、音楽で人前で歌わされるのが辛かった、等。それに対して昨今では、「そんな奴いるわけない」という人間の方が少数派だろう。そういう「好きな人もいるだろう物」に対して嫌いであっても、それもまたその人の価値観であると認める方向になっていると思っている。
それに対して絵を描くということは、それなりに描いている人がSNSに多いのもあるんだろうが、取り立てて「嫌われるもの」にあがることが少ない、気がする。
私は嫌いだ。
とにかく絵を描く事が嫌いだ。
授業中のノートに落書きなんて楽しそうだと思って、落書きの犬すら犬にならない自分の画力に絶望して、こんなんなら何も描かないほうがマシだと消す。
夏休みの宿題の読書感想文は大好きだったが、読書感想画とかなんとかポスターとか、その3倍は時間がかかった。
無事オタクに成長して、二次創作というものに憧れたって、絵が描けねえのだからしょうがない。脳内にいる推しは誰にも見てもらえない。文章をこねくり回したところで伸びるのはイラストである。鮮明で、魅力的で、一発で伝わりやすい。
羨ましい。
とか言ってると、SNSに絵をあげる程度に描ける人間は言うのだ。「描けば上手くなる」と。
しゃらくせえ。
描きたくないんだよ。
この手は鉛筆を持ったところで思うような線は描けないのだ。脳にある円すら描けない。人間が人間に見えるようになるより早く私の人生が終わる。
なので私は絵を描くのが嫌いだ。
思うようにならないのは苦痛だ。結局のところ人それぞれ嫌いな副教科ってそれだと思う。思うように体が動かないから運動なんて面白くないし、思うような音が出ないから音楽は楽しくないし、思うような線が引けないから絵なんか嫌いなのだ。
で。
画像生成AIってすごいと思う。そんな「絵が描けない人たち」にとっては、自分の脳内のものを出力する手段になり得る。
すごい。画期的だ。こんな私でも、脳内だけにあった絵を世界に発信することができる!是非とも使いたい!
しかし世間は、というか主にSNSは、どうもAI生成イラストに風当たりが強い。
もちろん、画像生成AIを使っているのに自分で描いたと言うのはダメだ。単純に虚偽なのだから。
また生成された絵なのに実際の写真かのように見せるのも大問題だろう。
あるいは特定の人の絵のみを覚えさせて「その人が描きそうな別の絵を出力する」のも何かしら問題になりそうだ。著名な画家の絵を覚えさせて出力したものを「未発表作品」と言い張ったら…これは完全に詐欺の方法になるか。
けれど現在画像生成AIを使用していると明記してあるものに対しての批判は、どうも正当なものとは思えない。「この絵は〇〇の絵柄だから〇〇の権利を侵害している」とか、「この構図はこの絵と全く同じだからパクリである」みたいな具体的な指摘は、私は見たことはない。あるのは物の形だとか指の数だとか、「画像生成AIの技術不足」に対する文句が多い。
Google検索して出てくるなんかよくわからない文だって、ChatGPTだって、ネットのどっかに転がってる文章を勝手に引用してそれらしく並べている。画像も同じく、絵の構図や線や色味を勝手に持ってきてそれらしくしてるのだろう。ここでイラスト学習だけに苦言を呈するのは、むしろ横暴ではないのか。そこら中の絵から拾ってきた各要素のツギハギは、今反対派が訴えているほど特定の誰かの権利を侵害しているのだろうか?
結局のところ私には、「絵が描ける」特権階級の人たちが、その特権を渡すまいと、言える文句を言っているようにしか見えないのである。そして画像生成AIによるイラストの全てを犯罪であるかのように騒いでいる人たちを病的だと思っているし、使用している人に対して人格否定まで及ぶ人は普通に何様なのかと思う。
AI学習及び出力に関する法はおそらく今後議論されていくだろうけれど、現状は何もない。今何を言ったって、賛も否も「個人の感想」の域を出ないのだ。
私は思うように出力されないことに腹が立ったのでやめたけど。
たとえば気になった漫画を褒めるとか貶すとかすると大なり小なりワッてなる。
数か月はレスポンスがつき続ける。
なんでかなあと思ってたんだけど最近少し調べてみて、
感想や評論書く人のほとんどが面白くないからという結論に達した。
俺が気軽に感想書くような分野については面白いプロ評論家って全くいないの。
これちょっとすごくない?
1.話しかたが下手
2.知識がない
というか、もしかするとプロとして成り立ってる人がほぼいないのかもしれない。
一番「プロとして成り立ってる人」に近いのかも。
あれはなんかノウハウやメソッドがあって勉強して頑張ってるんだと思う。
「読みにくくない文章」になってる。
でもそういう人はだいたい3がないから
つまり言いたいことがそんなになさそうなんだよね。
あらすじ+アルファみたいな内容になってる。
Xとかにいる腐女子の人がたまにあげてる小さな叫び声みたいやつで
でも文章にはならないみたいなんだよね。
というわけで文章で感想書いてバズるというのは結構稀有な特技である気がしてきたけど
これ誰か買ってくんねえかなあ。
売り出したい漫画の感想とか俺が書いたら下手な広告よりずっと効果あると思うんだけど。
ただ俺嘘つけないから作品がつまんなければ「どうつまんないか」って感想しか書けないんだよなあ。
ぶこめ
面白さの大元はその評論や批評の対象になっている物であって評論家や批評家本人が面白い訳では無いんだよなーみたいな事はちょっと思うかも…
それは間違いよ
例えば鬼滅の話をするのは誰も知らんマイナーな漫画の話わするよりバズりやすい
でもたとえば面白くない漫画をネタに面白い感想文書くことは出来るよ
評論や批評を「面白い」と感じるためには相応の知識や教養がないと無理なので、
逆も真なりで、例えば「どうぶつしょうぎ」に藤井聡太の解説は不要ですし。
ピンと来ない
2025/08/07リンク
はてブいつメンの中ですら頭キレる方だと思えたことも知識や教養がにじんでると感じられたこともねえぞ
この際どういう分野に自信がある人なのか自己アピール聞かせてほしい
よかったらidの由来も
聡太に聡太の物の見方を表現する能力やそんなもん書く無駄な時間さえあればね
これは俺の持論だが、一人称がひらがなのおれの奴は大体頭がおかしい。
2025/08/07
俺はこれでも読めない人が読みやすいようにという工夫は結構してる
人間は生まれつき才能持った一部の人以外は文字読むの得意じゃないっすからね
以前なら町山智浩って答えるところだったんだけど、最近はもう芸術品呼ばわりして笑うのにもちょっとアレな感じになってしまった。
2025/08/07
暇空の弟分みたいなやつにデイケアされてる町山さんかわいいよな
悪くない老後にも見える
うわキツツキ。青二才かな?
そんな叱ってもかわいそうじゃね?って見かけるたび思う
叱っていけばどうにかなる感じに見えてるのか?
単にむかつくから叱ってるのか?
Permalink |記事への反応(23) | 22:58