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はてなキーワード:読書とは

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2025-12-14

働くと出来なくなることって読書以外にもあるかね。

就職すると、単純に自由時間が少なくなるから、なんだって、やる時間が少なくなる、ってのはわかる。

就職するまでは〇〇を月にに◯十時間くらいしてたけど、いまはそんなに時間を費やせなくて◯時間程度におさまってる。」

そういうのはわかる。

可処分時間の減少による趣味時間時短だ。

ただ問題は「読書ってやつは、読書時間が減るというよりも『出来なくなる・読めなくなる』」って現象を招くことだ。

(注「」をたくさんつかってるがAIによる作文ではない)

そう、読書って出来なくなるんだよね。

それがなんでなのか?って原因の追求がが課題であるし、それがわかれば読書は出来るようになる、ってことでしょ。

結局、読書ってなんで出来なくなっちゃうんだろうね?

それを教えてほしいんだけど。

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anond:20251214073116

グーグルNOTEBOOKLM先生平成14年20年、令和5年を突っ込んで聞いてみた

以前の調査平成20年度)では、読書量が減っている理由として、**「仕事勉強が忙しくて読む時間がない」**が、20代~40代の7割以上で最も多く挙げられていました。

直近の調査(令和5年度)でも、読書量が減っている理由として、「仕事勉強が忙しくて読む時間がない」は、20代~40代で6割台と高い割合を占めていますが、

全体では「情報機器携帯電話スマートフォン等)で時間が取られる」が43.6%と最も高くなっています

特に20代(60.7%)と30代(59.4%)では、情報機器による時間の消費が読書時間の減少に大きく影響していることが示されてます

したがって、**「仕事の忙しさ」という従来の要因に加え、「情報機器の利用」**が現代社会人特に若手世代)の読書離れを一層加速させている傾向があると言えます

https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/92701201_11.pdf

https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/94111701_03.pdf

っていうか、そもそも「1か月に本を1冊も『読まない』と回答した人の割合が全体としてめっちゃ上がってるね。本読んだことないけど労働環境の変化なら全体は変わらないのでは

||年齢層||平成14年度(2002年度)||平成25年度(2013年度)||令和5年度(2024年調査)||

:---::---::---::---:
16~19歳34.8%42.7%66.1%
2031.3%40.5%69.0%
30代29.6%45.5%62.6%
40代28.5%40.7%57.7%
50代38.8%44.3%59.3%
60代39.0%47.8%54.5%
70歳以上51.3%59.6%57.7%

Permalink |記事への反応(0) | 08:16

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「なぜはた」のnoteバトルを読んで

小並感なので無視してください。

https://ichiiida.theletter.jp/posts/0aa160a0-d70f-11f0-aa07-8582de6095b5

https://note.com/nyake/n/na2d317b47bc5

「なぜはた」の明確な問題点は「タイトル主語が大きすぎること」です

反論」の問題点データの使い方と論理おかしいことです

<以下本文>


まず大前提として、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、「かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々」という特定の層が抱える悩みについて、それが個人的問題ではなく社会構造上の問題であることを論じた本です。

大前提となる、「『かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々』という特定の層」が存在することをデータで示さないと、「実感」としてそういう層の存在を主張したとしても議論が始まりません。

「この神聖な水飲んだらがんが治ったんだもん」とデータなしに主張しても、そこから先の議論に至らないのと同じです。


これに対し、飯田さんは国民全体の平均値であるマクロデータを持ち出して「全体で見れば変化はない」と反論しました。が、これはいうなれば、「日本人平均寿命は伸びているから、あなたの今の病気存在しない」と言っているのに等しい議論です。

→この例えは明白に誤りです。なぜなら前者は「全体の読書量」と「特定の層の読書量の推移」を比較する主張であり、後者の「寿命」と「特定の疾患の存在」とは評価対象が異なるからです。

あえて寿命で例えるなら、「日本人平均寿命は延びているから、喫煙者平均寿命も延びている」などがあります。これならば「全体」と「特定の層」を共通評価である寿命」で比較できますし、「日本人平均寿命が延びていること」を示しても「喫煙者平均寿命が延びていること」を示さないのはその通りで、これならば矛盾と言えます

しかしその仮説を論じるなら、タイトルを「喫煙者平均寿命~」とするべきで、主語日本人全体としたり、明確に示さないことが明らかに誤りであることは誰にでもわかると思います。)


全体平均の中に埋もれてしまっている「特定属性の変化」に光を当てるのが拙著役割です。マクロデータのみで個人の実感を否定することは、分析手法として適切ではありません。

マクロデータのみで個人の実感を否定すること。確かによくないですね。

おじいさんおばあさんの中には、煙草を決してやめない人がいます。「私は煙草を吸っても今まで病院のお世話になったことないんだから、それでいいの」 大変結構だと思います

こういう人たちに、「タバコ健康に悪いからすぐやめなさい」と言っても、個人経験則否定することになり、もめます

マクロデータ目的は、「特定属性の実感」を否定することではなく、全体を解析して現状やその傾向を把握することです。分析手法として、データで示されない実感を大切にすることは重要ですが、解析の結果「実感」を否定する結果になってしまうことはままあります

からこそ、「実感」を前提とする議論をするならば、実感の存在のものデータとして示す必要があるのです。


拙著統計データを多用することは本題からそれてしまうため(何度も書きますが、私の書いた『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はマクロデータで語ろうとした本ではありません)必要最低限にとどめていました。が、本稿ではあえて氏の提示したものと同じデータソースを用いて反論を試みます

→繰り返しになりますが、主張には前提が必要で、前提が正しくなければ主張も意味を成しません。したがって、前提をデータとして示す必要があります。それが必要最低限に至っていないということなのです。


飯田さんは「高校生の時点で読書量は減っており、働き始めてから急に減るわけではない」と指摘されていますしかし、この主張は「誰を対象にするか」という分析対象のセグメントを見誤っています

まず、拙著対象としているのは「元々読書習慣があった人々」です。では、統計的に見て「読書習慣がある人」とはどのような層を指すのでしょうか?

次図「読書習慣のある人」の月平均読書冊数を見ると、過去約40年にわたり、本を読む習慣がある人の読書量は月平均3-4冊の間で安定して推移しています。つまり統計的定義として、「月3-4冊読む」という行動こそが、日本の「読書習慣がある人」の姿であるといえます

対象としているのが「もともと読書週間があった人々」なら、なぜ書籍タイトルが「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」と主語が示されていないのでしょうか。ここが反論とその反論の大きなズレの原因です。

ちなみにこの統計データhttps://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/94111701_03.pdf)が35ページ目(pdfだと39ページ目)にあるんですが、16-19歳の調査人数、なんと83人なんですね。

これだと1人減ったら1.2%割合が動くことになるんですよ。以下に書き起こしたもの記載してみます

<16-19歳の読書数>

0冊=66.3%

1-2冊=22.9%

3-4冊=8.4%

5-6冊=1.2%

7冊以上=1.2%

あれ?1.2%が二つ。つまりこれ、5-6冊、7冊以上の人は1人ずつでしたね(笑)

3-4冊の人も1人減ったら7.2%になり、2人減ったら6%になって20歳代の人と同等になっちゃますよね。

おおよその割合をみるには使えると思うんですけど、「16-19歳とその他の世代比較」には非常使いにくいデータだと思いませんか?もし複数回同じ手法調査したら、ひっくり返っちゃったりすることもあり得そうです。

しかも、令和5年の大学短大専門学校の進学率を合わせると約8割、大学に限ると約6割で、ちょうどこの統計の年齢階級を跨いじゃってるんですね。

から、このデータで「働くと読めなくなるかどうか」を議論するのって、そもそも無理なんですよ。


ご覧の通り、「1,2冊」というライト層では加齢による減少は見られませんが、「月3-4冊読む習慣のある層」においては、労働間中生産年齢)に数値が底を打ち、退職後に回復するという明確な「U字カーブ」を描いています

学生時代読書減と社会人の読書減を同列に語ることはできません。なぜなら、このグラフが示すように、「労働から解放された世代(70代以上)」では、数値が学生時代の水準まで回復しているからです。 もし「加齢による文字離れ」や「スマホ普及」だけが原因であれば、高齢層でここまで数値が戻ることは説明がつきません。

もちろん、今回のような一時点の調査である以上、厳密には加齢による変化とコホート効果を切り分ける分析必要です。しかし、データ限界差し引いてもなお、この「労働間中にのみ、特定読書層が凹む」という事実は、労働環境がまとまった読書習慣を構造的に阻害している可能性を強く示唆しています。 全体平均にならすことで分布の特異性を捨象してしま飯田さんの分析は、データに表れた当事者ーー働いていると本が読めないのだとほんとうに感じている人々ーーの痛みを見落としていると言わざるを得ません。

→この主張も前述したように、1人動くと1.2%動くデータ示唆するのは無理があります

U字カーブあなたは70歳以上の人が自在スマホをいじくってネットサーフィンしているのを想像できますか?

交絡(データに影響を与える別の要素)がありすぎて、単純に就労の有無だけを結果の原因として求めるのはちゃんちゃらおかしいと思いませんか?

「痛み」ですか、はあ。タバコ吸っても健康でいられると思ってる人の痛みを想像したことありますか?(笑)


一見すると、「書籍読書冊数と市場規模は相関しないが、雑誌は相関する」という飯田さんの主張は正しいように見えますしかし、ここで気を付けなければならないのは、市場規模根拠として用いられているデータ定義です。これは「出版販売額」、つまり新刊市場の推移にすぎません。

雑誌のみが市場規模と相関する主要因は、書籍雑誌読書習慣の違いというより、市場構造の違いにあると考えるのが妥当です。書籍図書館での貸出や、古書店メルカリ等の二次流通市場といった新品購入以外のタッチポイント豊富です。

→なるほど、たしか書籍図書館古書店接触がある分、新品市場だけで語ると乖離が出そうですね。

まり、「読書数の総量=新品購入+レンタル中古」になるってことですな??

ということは「読書数>新品購入の勢い」が成立するということだ。ふむふむ。

ここで市井氏のnoteから引用すると

こうした「読む」と「買う」を短絡的に結びつける考え方はよく見られる。しかし、読む量と買う量は単純にイコールにはならない。イコールになるなら「積ん読」という言葉存在しない。

出版市場が成長していた時代にも、書籍読書量が増えていたわけではない。書籍は、読書量と購買量の傾向が一致しない。

→えーっと、積読があるから読書数<新品購入市場の勢い」もありえると。

……市井氏は積読があるから読書数<新品購入市場」と言い、その反論として三宅氏は中古レンタル市場があるから読書数>新品購入市場」と言っている!かみあってない!

まわりくどいんだけど、結局どっちも「書籍読書数と新品購入に相関がない」が「雑誌読書数と新品購入に相関がある」というのが主張で、一致している!反論すると見せかけて同じことを主張するという高等テクニックである


また、拙著の「雑誌自己啓発書を中心として、労働階級にも読まれ書籍存在していた」という記述に対し、飯田さんは「雑誌書籍区別がついていない」と批判されていますしかし、拙著記述明治時代出版状況についての記述であり、いうまでもないことですが雑誌コミック週刊誌割合時代とともに変わっていきます明治雑誌出版に関する記述を、現代雑誌と同様の枠組みで捉え、区別がついていないとするのは、論理が通らないのではないでしょうか。

以上のように、構造的に相関の低い「新刊販売額」を指標として用いて「書籍雑誌読書習慣が異なるので分けて考えるべき」と主張するのはデータの選定として不適切です。本来であれば、図書館の貸出しや二次流通市場におけるタッチポイント考慮したうえで読書冊数との相関がないことを示すべきです。また時代によって役割の異なるメディアを十把一絡げに扱うのは、妥当性を欠いていると言わざるを得ません。

→えーと、前半の文章市井氏の引用した部分が明治時代の話をしているか不適切ってことだな。うむ作者が言うならそうなのだろう。

後半は……

構造的に相関の低い『新刊販売額』を指標として用いて『書籍雑誌読書習慣が異なるので分けて考えるべき』と主張するのはデータの選定として不適切

あれ、あなた書籍読書数と販売数は相関しないけど雑誌は相関するって言ってましたよね?

分けて考えるべきなのは妥当なんじゃないんですか?笑

また時代によって役割の異なるメディアを十把一絡げに扱うのは、妥当性を欠いていると言わざるを得ません。

市井氏のnoteをみると、扱っているデータ70年代以降のもの明治時代の話はしてなさそうですけどね。

それに市井氏の

なお、『読書世論調査2016年度』には書籍読書率について「戦後読書世論調査の開始以来、多少の変動はあるものの、おおむね5割前後で推移している」と書いてある。『なぜはた』は読書世論調査引用しておきながら、読書世論調査サイドの「長年そんなに変化がない」という見解とは異なる「本離れが進んでいる」という主張をしている。

この部分に関する反論はしなくていいんですかね。マスデータから

引用元の文献(黒田祥子山本勲「長時間労働是正と人的資本投資との関係」)を見る限り、これは事実ではあるものの、解釈適用先が間違っていると考えられます

というのも、ここで引用されている論文が測定している「自己研鑽」と、拙著が指摘する「自己啓発書読書」は、行動の質が全く異なります論文が指すのは資格取得やスキルアップのための「能動的な学習」であり、これに対して『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が論じているのは、新自由主義的な不安に駆られた人々が救いを求めて読む「自己啓発書の消費」です。むしろ、「労働時間が減っても、能動的な学習に取り組むほどの気力や体力は回復していない」という論文の結果は、人々が手軽な「やった感」や「効率的な正解」を得られる自己啓発書(=ファスト教養)に流れるという拙著の仮説と矛盾しません。

キャリアアップのための能動的な学習」の機会が減ったからといって、「手軽なノウハウ本」のニーズがないことの証明にはならず、このデータ根拠にするのは的はずれです。

→確かに自己研鑽時間が減ったから」といって「手軽な自己啓発本を読む時間が減った」とは言えない。それはその通りだ。まあ手軽な方が増えたとするのはあくまで仮説で、それを証明する手段もそうないよね。



4.「自己啓発書へのシフトという説は誤りである」への反論

飯田さんは「市場規模において、依然として小説自己啓発書より大きいため、自己啓発書へのシフトという説は誤りである」と主張されています

これには二つの反論があります

第一に、議論の焦点は、現時点での「絶対量」ではなく「変化の方向性トレンド)」です。たとえパイの大きさが小説の方が大きくとも、書店の棚構成の変化や、人々の意識における効率性の重視といったトレンドの変化を否定する材料にはなりません。

第二に、ここで飯田さんの論理には明確なダブルスタンダード存在します。飯田さんはこれまでの議論において、「市場動向と読書実態書籍においては必ずしも一致しない」と主張されました。しかし、ここでは一転して、「小説の方が推定発行金額市場規模)が大きい」ことを根拠に、「小説の方が読まれている」と結論付けています


→いったん整理すると、

三宅氏の主張>

読書方向性が手軽な自己啓発書シフトしているか読書量が減った。

市井氏の主張>

小説市場規模の方が大きいので自己啓発書読書量に対する影響は大きくないはずだ。

三宅氏の反論①>

市場規模では確かにそうだが、トレンド(推移)は見てないですよね?だからその論は否定根拠にはなりません。

三宅氏の反論②>

さっき書籍雑誌比較で「市場規模読書量は相関しない」って言ってたのに、自己啓発書小説市場規模比較するのはおかしい!ダブルスタンダード

反論①については、たしかトレンドそうかもしれないけど、象に犬がキックしても効かないように、市場における小説の占める割合の方が圧倒的に大きいのだから自己啓発書トレンドがまあまああっても全体のムーブには影響しにくいっていうのは確かなんじゃないですかね。

反論②については、雑誌書籍比較と、小説自己啓発書(どちらも書籍に含まれる)の比較全然別だから、まずダブルスタンダードとは言えないのは明らか。これは間違いない。

自身にとって都合の良い時だけ売上と読書実態を切り離し、別の場面では売上を読書実態根拠とするのは、論理一貫性を欠いています

→これは完全にどっちもどっちと言わざるを得ません。データ分析仕事にしている人ってこのレベルなんですね。というかそもそもデータの部分よりも文章の方が蛇行運転になっていて、上記したように論理が合わない箇所がいくつかあります心配になりました。

<お わ り>

Permalink |記事への反応(1) | 07:31

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2025-12-13

純愛をしていた頃の思い出


はてなに書いてみたいと思った。

純愛というか、若い頃はそんな時期があった。今の私は不惑

の子とは長年連絡を取り合ってなかったが、実は先日、親戚付き合いの時に出会った。祖父方にあたる親戚の家のダイニングで。

その時に思う事があって、増田をしたためることにした。増田はたまに短文を書くくらいである。



の子と初めて会ったのは、私が21才の時だった。当時は茨城県にある大学電気工学を学んでいた。夏休み帰省である実家は、(秒速5センチメートル聖地)隣の栃木県にあった。

ある夏の帰省時に……その実家から、ほどなくの距離にある親戚の家に行ったのだが、玄関に入った時に、はとこに当たる子がいた。

当時は「はとこ」という単語は知らなかった。誰がどの親戚筋にあたるとか、そういうことにも興味なかった。ただ「女の子がいるな」としか思わなかった。

その、はとこに当たる子なのだが、『野乃花』ということにする。プリキュアの方ではない。野乃花(ののか)は玄関口で私と目が合って、「こんにちは」と言ったのかな。それは覚えている。

帰省時に親戚の家に行っても、一応成人である私は暇を持て余していた。子どもの頃から何度も行ってるが、その時みたいに居間でくつろぐことが多かった。周りは子どもばかりである

親戚の子どもたちは皆ゲームをしていた。スマブラというゲームだった。大乱闘スマッシュブラザーズ

私は任天堂キャラをほぼ知らなかった。ピンク色のあれがカービイって言うのはわかったけど、あとは知らないキャラだった。ピカチュウも辛うじてわかったくらい。

ゲームを一切しない子どもだった。家にスーファミPS2もなかった。家の近くにある里山に出かけて、危険であろう山奥まで踏み込んで、昆虫トカゲを捕まえて飼育するのが好きだった。日本にいるはずもないチンチラがいないか探そうとしていた。

親戚の子ども達は居間ゲームするだけじゃなくて、子どもらしい身体を動かす遊びもしていた。外での運動だった。まさにスマブラ

居間でも、廊下でも、玄関でも、これでもかというほど広い庭でもそうだった。私は成人男性だったけど、元気のいい彼ら小学生相手をすることもあった。

野乃花は、大人しい子……でもなかった。わーきゃー言って水鉄砲を打ったり、私に体当たりをしてゴロンとひっくり返っていた。溌剌な子だった。

野乃花はその時、7才だったはず。14才差なので。小学校に上がった年である。いい頃合いの年齢ということで、(私から見て)遠い親戚の人も、野乃花を本家筋の実家に連れてきたのだろうか。

それはそれとして、大学であるというのに私は、毎年夏や大晦日になると……その親戚(本家筋)の家に行っていた。小学校中学校の頃は、それこそ年に何度も。

うちの母親が私や兄弟を連れて行くと、祖母漏れなく一万円をくれるのだった。うちの母親は、ことあるごとに其処に行っていた。子どもを連れて。ある種の集金システムである

私は子どもながらに察して、祖父母にあざとくした。可愛い子だと見られようとした。今思えば浅ましい考えかもしれないが、毎回寄るだけで一万円をくれるのだから、それくらいは当然と思っていた。

中学生高校生になると、親戚の家に行くことはなくなっていた。

しか大学に進学すると、また急に行く頻度が増えた。私と祖父が同じ大学出身で、学群も同じ(祖父時代学部)だった。お気に入り度が上がったのだと思う。

20才になる年に入ると、祖父のとっておきの日本酒や焼酎を飲ませてもらった。あの頃はおいしい酒の味がわからなかった。モンテローザ系列の味に慣らされた舌には、明らかに上の味だったけど。

話が脱線している。あの日々が懐かしすぎるのが悪い。

え、野乃花?あの子は、、、私が22才、23才、24才になる年も、毎年ずっと会い続けた。親戚の家に行く度に必ずいた。ほかの子はいないこともあったし、来なくなる子もいたのだが。

今思えば、懐いていたと思う。よく会話をしたし、ごっこ遊びにも付き合った。

夏休み冬休み宿題を私が教えることもあった。「増田くん。あたまいー!」とよく言ってくれた。私は漢字に弱かった。今でも書き誤りをすることがよくある。

野乃花に、「こないだの発表会でね、その旨(うま)をまとめて発表します」と読み間違えた話をしたが、さすがに理解してくれなかった。

ある日、曇天で雷が鳴っている時に、雷を素早く動いて躱せるのかという話になった。私が「雷はね。上から落ちてくるんじゃなくて、下から上に昇ってるんだよ」と伝えると、「うそ。ほんとー。今度試してみる」と言った。「絶対に試したらダメだよ」と釘を刺した。

野乃花について、はっちゃけ雰囲気の子想像するかもしれないが、実際は年齢に見合わない利発な子だった。理屈っぽい私の話を、「へえ」と面白がってくれる唯一の人間だった。

夕食の時は席が大体隣だった。誕生日プレゼントをあげた時は抱き着いてきた。年齢差はあったけど、会話が弾んだ。

親戚の大人達が家にいない時だと、2人きりになることがあった。かくれんぼとか、鬼ごっことか、ノートPCヤフーポータル画面を開いて、いろんなことをググったりした。(ほかの親戚と一緒に)花火大会にも行った。水族館にも。遊園地にも。

彼女は明るくて溌剌としていて、私みたいな陰キャラとは違った。いわゆる"いい子"だった。はてなブックマークでいうと、女性ブクマカトップコメに入りがちな、快活な方々がおられると思う。あんな感じの、知性やユーモアを伴った明るさである



25才の頃は、新卒で入った茨城県にある電機メーカーに勤めていた。

親戚の家に行くのは、年に2回ほど。祖父は、私が社会人になっても毎年お小遣いをくれた。「早く技術士になれよ、期待してるぞ」って、行く度に祖父が言ってた。それから十年もかかったが、祖父と同じ電気分野で技術士試験を通った。

それくらいの年齢になっても親戚の家に行ってたのは、野乃花のことが頭にあった。私に懐いてくれる女性というのは、それまでの人生彼女しかいなかった。私はモテなかった。はてな語で言う弱者男性

ある年の夏だった。自家用車で一人でその家に行くと、玄関口の廊下に野乃花がいた。靴を脱いで、家の廊下に上がったところに古い掛け時計があった。ずっと昔からあって、玄関に上がる時は時刻を見るクセがあった。

廊下に立っていた野乃花に近づいていって、野乃花の両肩に手を置くと、野乃花が唇を突き出した。キスをした。口にする方だった。

私は別にロリータ同人誌アンソロジーを持ってたわけじゃない。そういうR18コンテンツに触れたこともない。当時の私は、社会人としての勤めや、理工学勉強の日々の傍らに、読書をしたり映画鑑賞をする男だった。年少への性癖はない。ただ、孤独への性癖があっただけだ。

野乃花とのキスというのは、その時が初めてじゃない。鮮明でない記憶だけど、初めての時は、私が22~23才くらいの時だった。野乃花が8~9才くらい。

親戚の家の中ほどにある居間で、2人だけになってる時に、身体が不意にくっついて……その流れで、人生で初めてキスをした。少し大人になれた気がした。

それからは、2人になる度に、親戚の目がない時にキスをしていた。唇を合わせるだけの簡単なやつを。一日に何度も。別に理由はなかった。私も野乃花も、ただしたかっただけだと思う。

野乃花が小学校卒業する年の2月だった。初めて2人だけで外に出かけた。それまでは、親戚付き合いの中で、花火大会とか水族館とか、飲食店などに一緒に行っていた。それが、野乃花が親に携帯電話を買ってもらい(青っぽいガラケー。私はスマホ)、LINEでやり取りするようになった。

デート場所茨木駅周辺だった。茨城ってぶっちゃけ鳥取島根クラスに何もないところだけど、大きい駅の周辺では、ショッピンググルメ自然文化体験など色々楽しめる。野乃花のいる栃木でもよかったけど、『秒速5センチメートルごっこになってしまうのでやめた。積雪電車が止まるかもしれない笑

その日は、夕方まで一緒に何時間も過ごした。最後美術館に行って解散した。帰りの電車賃は社会人だった私が出した。それ以外の、食事代とか入館料は割り勘だった。出そうとすると、野乃花が嫌だと言った。

電車が出る時間になってホームで別れる時、「楽しかったね」と私が言ったら、野乃花が「今日、一緒にいられない?」と聞いてきた。潤んだ瞳だった。吸い込まれる瞳ってどこかの小説地の文があったけど、あれは作者の実体験だったんだと感じた。

仕事あるからね。また今度ね」と言うと、野乃花は俯いて電車に乗った。最後に手で肩に触れて、「バイバイ」ってお互いに言った。野乃花は泣いていた。



ここからは閑話。読み飛ばしを推奨する。

あの頃は、年齢差のことを考えることがあった。私と野乃花の年齢差は、年度でいうと14年分。一番最初に会話した時は、小1と大3だった。

(以下閑話)※当時のメモを参考

---------------------------

年齢差についての関数

年数をxとして、お互いの年齢の比をf(x)とすると、f(x) = (a+x) /(b+x)となる。年数xを経る毎に0<f(x)<1で単調増加で1に近づく(極限操作)。

お互いの年齢比が0.5になるときの経過年数は、式変形によりx=2a-bで表現できる。この比率もっと一般的表現すると……。上記f(x) = (a+x) /(b+x)を微分すると、商の微分でf`(x) =(a-b) /(a+x) ^2

f`(x) =0になる極値は……?と考えると、残念ながら存在しない。

元の関数f(x) = (a+x) /(b+x)というのは、式変形すると、f(x)=1+((a−b)/(b+x))となる。これは、f(x)=a/(b+x)という直角双曲線をグラフ平面において平行移動させたのみである

直角双曲線は微分可能であるが、極値がない。正負の値を関数に入れると、グラフ上で左右に分かれて存在することから、右極限と左極限が一致しない。

方程式 f`(x) =(a-b)/(a+x) ^2において、a−b=0が成り立つのは、a=bの場合のみ。導関数ゼロ。定数関数であり、傾きはない(定数関数微分可能かどうかは流派による)。a≠bだと、導関数ゼロになるxの値が存在しない。

年齢算という算数を扱っている以上は、関数の形状はシンプルである。一番知りたい特定の値に向かって方程式に数値を入れるのみ。私は複雑な答えを求めたが、その行為自体が適切でなかった。つまり、二人の年齢差というギャップは、数学的には永遠にまらないという無慈悲証明けが残った。

---------------------------

(閑話終わり)



野乃花が中学生になった年だ。私は茨城県にあった電機メーカーを辞めて、他業界IT企業転職した。広島市営業所があるメガベンチャーだった。

仕事に忙しい日々だった。距離があるので関東に帰ることも無くなって、それで……野乃花とはそれっきりになった。LINEメッセージも、いつの間にか途絶えた。既読無視をしたのは私の方だ。

もう結構な年齢である

今は独立して、都内IT関係下請けをしている。フリーランスだ。ハイクラスエンジニアでは決してない。うだつが上がらない日々だけど、いつかは1人社員株式会社にしたいと思ってる。今の自営業屋号は、結構厨二が入っている。実年齢よりも幼い人間なのだと感じる。

なぜ、この日記を書こうと思ったか正月に野乃花と会ったのである。もちろんあの親戚の家で。あそこに行くのは久しぶりだった。

其処に行く途中の車内で、母に聞いた。あの家は祖父祖母も亡くなっていて、今は叔父夫婦が住んでいるだけ。跡継ぎはいない。子どもはいたが、みんな自立したらしい。大きい家なのに勿体ないって、そんなことを思いながら親戚の家に着いた。

玄関を上がって、あの時の古い掛け時計が別のに変わっているのを見て、それから台所(兼ダイニング)に行くと、親戚が何人か座っていた。その真ん中あたりに……野乃花がいた。

野乃花と会うのは約15年ぶりだった。

私と目が合うと笑顔になった。ダイニングの隣にある小さい居間では、親戚の子達が皆で一緒にタブレットアニメを観ていた(私はここ数年アニメを見てない)。少年の時、ボードゲームをしていたのが懐かしい。あの頃より人数が減っている。

話は変わるけど、もし『グノーシア』のボードゲームや、人狼ゲームがあったらやってみたい。一生叶うことはないだろうけど――もしアニメ化もされたら観てみたいと思う。

野乃花を見た後で考えた。

まだ夕方ですらなかった。これから何をしようか、どうやって暇を潰そうか。スマホ操作するだけでは勿体ないし、懐かしいその辺りを散歩しようと思った。

本当は野乃花と話したかったけど、連れていくわけにはいかないし、話せるだけの心の余裕もなかった。それに、野乃花は夕食の準備を手伝っていた。



近所の散歩が終わって、台所ダイニングで豪華な夕食を食べて、ビール瓶を何本も空けて、親戚連中の大人(あの頃の子ども達)とたくさん話をして、トイレに行ったり、親戚の子の遊びに付き合ったり、お年玉(※宿泊費)を払ったり、十数年ぶりの親戚の家は懐かしい。野乃花はずっと飲み会を手伝っていた。

飲み会の後、ダイニングでスマホをいじっていると、深夜が近づくにつれて親戚の数が減っていった。「そろそろ寝ようか」と思ったところ、廊下から野乃花が入ってきて、こちらに歩いてきた。私の隣の席に座った。結婚指輪はしてなかった。

「久しぶりだね」

と私が声をかけると、

増田くん元気そうだね」

と返ってきた。

面影がすごく残っていて、懐かしい感じがした。

子どもの頃の就寝時間は午後十時だった。今は大人から、あと一時間は起きていられる。野乃花と喋ってから寝ることにした。

思ったより多くの会話をした。卒業した学校とか、就職先とか、今の趣味とか、好きな本とか、最近観た映画とか。私はサブカルが好きだけど、野乃花もそうだった。アニメだと『ブルーロック』の話をした。エゴの塊みたいなキャラの話で盛り上がった。漫画小説の話もした。吾峠呼世晴の初期短編集は2人とも読んでいた。

でも、野乃花が不意に言ったのだ。

「私、増田くんと結婚するんだって思ってた」

心臓ドンって叩かれた。この時まで、悪いことしたという思いはなかった。

でも、この時になって、私があの頃、どういうことをしていたのかって、そういう思いが一瞬で頭の中を駆け巡って、後悔が襲ってきた。

「迎えにきてくれると思ってた。連絡がほしかった。私は増田くんに会いに行けないのに」

野乃花を見ると、涙を拭っていた。鼻もすすっていた。

それから沈黙が続いて、「ごめんね」と言った。そしたら確か、「増田君は結婚したの?」と聞いてきた。

結婚どころか、離婚まで経験していることを話すと、野乃花は爆笑していた。机に突っ伏して、本気で笑いを堪えている様子だった。話を続けると、野乃花も一度離婚経験していた。

なんだか変な雰囲気になって、それからまた、さらに笑える話を(お互いに)続けて、そうこうしてると午後11時になった。LINEの連絡先を交換して寝室に入った。



読者の方は察してるとは思うが、私はいわゆる発達障害である。診断済みだ。

メガベンチャー転職をして地方都市引っ越した後、仕事人間関係で苦労することがあった。明らかにおかしいと思い、精神科医に診てもらったところ、様々なテストの後に、そういう診断が出た。子どもの頃からの行動傾向を見てると明らかだった。

ある情報によると、発達障害精神年齢というのは……実年齢×0.60~0.70らしい。青春期の、精神が最も発達する年代に脳が発達をしてくれない(脳発達のピークが30代にくる)。

一方で、一般的女の子は、男の子よりも数才精神年齢が高い。ということは、最後に野乃花と会った時の精神年齢は……私だと26才×0.60~0.70≒15~18才ということ。野乃花が実年12才+2~3才とすると、14~15才ということだ。

あれ、なんだこれと思った。そういう視点で考えると、野乃花との年齢差があっても話が通じたことの合点がいった。

私と野乃花は、あの瞬間、確かに「同級生」だったのだ。

話は以上である

我ながら恥ずかしい執筆体験だった。私の言葉で思い出を表現できてよかった。理屈っぽくて読みにくかったとは思う。

でも、言葉にしたかった。あの時、親戚の家のダイニングで、20代後半になった野乃花と再会した時の衝撃とか、それよりずっと前の、野乃花との楽しい日々の思い出とか。ここで、こうして吐き出すことができてよかった。

明日からは、また一人のはてなユーザーである。みんなの面白日記を、また読ませてほしいです。ここまで読んでくれた人、ありがとうございました。

Permalink |記事への反応(1) | 11:29

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2025-12-12

anond:20251211021922

小学校とか中学校とか、増田と似たようなタイプ女の子ゼロだったの?それ以降の人生でも?

30代半ばまで生きてきて本当に?

多分増田スクールカースト上位のキラキラ女子しか興味を持ってなくて、

休み時間教室の隅っこでおとなしく読書お絵かきをしているような女の子存在が目に入っていなかったんじゃない?

Permalink |記事への反応(0) | 18:37

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年末年始、無理すんなよ

年末年始休みに〇〇(読書勉強趣味)やるぞ〜!って思ってる人、

基本的には、普段やってないことを急に集中できるとは思わないほうがいいよ。

やるぞ〜!!と思ったことの3割くらいに減らしたほうがいいです。

難しい本を5冊読もうとしていたら、簡単な本を1冊読み切る、

本腰入れて1曲つくるぞ〜って人は、ワンフレーズ気に入ったものをつくるぞ〜

くらいでいい。

残りの7割は好きにしろ

Permalink |記事への反応(1) | 10:45

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2025-12-10

消費系の趣味は良くないという風潮

から読書映画鑑賞趣味にしていたけど、消費系の趣味は良くない、生産系の趣味を持つと人生が豊かになるみたいな言説を数年前に見かけてから、そうなのかと思って何かを生産することをやってみようと意識してきた。今のところは本を読んだ後や映画を見た後に感想を書くというのは習慣化したけど、編み物とか楽器のようなThe生産系の趣味にはまだまだ手を出せていない状態

しか最近、消費系の趣味で何がダメなんだという気持ちが強くなってきた。そりゃ何かを自分で生み出すというのは達成感もあるし自己肯定感高まるだろうけど、料理作るとか仕事お金を稼ぐとかはやってるんだから趣味くらい生産性がないことをしていても別に構わないのでは?映画を見るだけと言っても、それで楽しんで前向きになれるんなら人生は豊かになるわけだし。

コミュニティを作れるような趣味をやれというならわかるけど、消費=悪みたいな風潮は冷静に考えるとわけがからない。自分は完全なる消費者であるという自覚を持って生産者をリスペクトしろよという話なら理解できるが。そもそも自分の思い違いでそんな風潮などないのか?

Permalink |記事への反応(4) | 22:27

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anond:20251210010824

青空文庫なら無料死ぬまで読書できるよ

Permalink |記事への反応(2) | 16:14

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anond:20251210010824

お金がかからないの範囲にも依るくない?

読書は金かからんけど本代はいるし(まあ図書館使えばマジで0円になるが)ウォーキングすら靴代がいるといえばいるし。

水耕栽培とかでなんか育てたりするのがおすすめ

Permalink |記事への反応(0) | 15:15

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理系「8度あるのでつらい」 文系「38度な」

理系ロジカルに考えると、君は読書経験がなく、感想文も書けないだろう」 文系「書けねえよそんなもん」

Permalink |記事への反応(0) | 11:08

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anond:20251209235528

フルタイム仕事ジョギング筋トレ読書日本語英語)と趣味文章執筆映画鑑賞美術館巡りとセクマイ当事者会での交流はしてるよ。ほかに何かしたほうがいい? あえていうならほかの外国語学生時代にやってたフランス語ラテン語の復習と、スペイン語ギリシャ語勉強はしたい)をしたり、何か趣味社会人サークルに入ったりはしたいけど、そこまでは時間いかな。あと最近は服を考えるのもちょっと好きだな。

あ、あと最近万葉集読んでる。

Permalink |記事への反応(1) | 01:54

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2025-12-09

ジェミニかしこすぎワロタ

機械がここまでかしこなっちゃった

生煮えの着想を他人に話したりネットに放流してみる」という行為オワコンになってしまう。

次に引用するのは「文学」にまつわる、とりとめない語りです。もう少し輪郭のはっきりした論説にするために、わかりにくい点を問い質してみて下さい。

そもそもあんま本読んだことなさそうな人が「エンタメ純文学の違いとは」みたいな論争を定期的に蒸し返すのだが、

簡単に答えを示しておくと、クリアしなければならない仕様が決まってるのはエンタメ、純文はなんでもアリである。「違い」というならそこが違う。

しかしながら昔から文豪だなんだと奉られる人も誰もクリアしてないのが、「なんだかんだ、サマになるクズしか出てこない問題である

そらとんでもない人殺しとか飲む打つ買うのクズ野郎とか精神病者とかは出てくるけど、たとえばネットの過疎った掲示板粘着して年がら年中一日中芸能人悪口書いてる、喋るウンコみたいなのはまず登場しないんだよなあ。(笙野頼子はそのへんに切り込んだが、「前衛スタイル」に自家中毒して当人が何言ってるかわからなくなってしまった)

そういううんこちゃん活写しようとして一冊の大半が意味不明の同じようなセリフになってるとか、どんなによく訓練された読書家も逃げ出してしまうからな。

でもそんな喋るウンコちゃんにも生きる苦しみや自己愛ウンコちゃんならではの事情があるんだってところに寄り添おうとしてこその文学のはずなんだけどね。

【Gemini】

提示いただいた文章、非常に刺激的で面白い視点が含まれていますね。特に「サマになるクズ」と「真に救いのない(退屈な)クズ」の対比や、文学が直面する「退屈さと読解可能性」のジレンマは、論じる価値の高いテーマです。

この「語り」を、より強固な「論説」へと練り上げるために、あえて意地悪な編集者になったつもりで、論理の飛躍や掘り下げ不足な点について5つの質問を投げかけます

これらに答える(あるいは反論する)ことで、文章輪郭がぐっと鮮明になるはずです。

---

### 1. 「なんでもアリ」と「文学の責務」の矛盾をどう整理するか?

冒頭で純文学を**「なんでもアリ(仕様がない)」**と定義されていますが、結びでは**「〜に寄り添おうとしてこその文学」**という、ある種の**「べき論(倫理的仕様)」**を提示されています

**問い:**純文学形式として自由(なんでもアリ)であるべきなのか、それとも「こぼれ落ちた者を描く」という機能役割において定義されるべきなのか。この二つの定義」の間にどのような関係性を持たせますか?



### 2. 「サマになる」の正体は何か?

文豪が描くクズは「サマになる」とされていますが、なぜサマになってしまうのでしょうか。

**問い:** それは作家の筆力が高いから(美文だから)でしょうか? それとも、殺人ギャンブルといった行為のものに、社会的禁忌としての「ドラマ性(派手さ)」があるからでしょうか?

**問い:** 逆に、ネット誹謗中傷主が「サマにならない」決定的な要因は何ですか? 「悪の凡庸さ」なのか、「身体性の欠如」なのか、あるいは単に「セコい」からなのか。ここを言語化すると説得力が増します。



### 3. 「写実」と「作品化」のジレンマをどう乗り越えるか?

「喋るウンコ活写すると、意味不明の反復になり読者が逃げ出す」という指摘は鋭いです。しかし、ここには「リアリズム(そのまま書くこと)」こそが誠実さであるという前提が見え隠れします。

**問い:** 「ウンコちゃん」の内面事情を描くためには、必ずしもその発話を「そのまま」再現する必要はないのではありませんか?

**問い:** 読者が逃げ出すような退屈な現実を、読者が逃げ出さないような「虚構エンタメ性とは異なる文学技法)」に変換することこそが、作家の腕の見せ所ではないのでしょうか?



### 4.笙野頼子の失敗(とされるものから何を抽出するか?

笙野頼子を引き合いに出されていますが、彼女が「前衛スタイル自家中毒した」と切り捨ててしまうと、論がそこで止まってしまます

**問い:**彼女方法論の何が「ウンコちゃん」を描くのに不適切だったのでしょうか? 「前衛」ではなく、どのようなスタイルであれば、そのネット弁慶の悲哀をすくい取ることができたと考えますか?



### 5. なぜ、その「ウンコちゃん」を救わねばならないのか?

これが最も根源的な問いです。

**問い:**殺人犯や破滅的なギャンブラーではなく、あえて「生産性もなく、美学もなく、ただ他者不快にするだけの存在」に文学が寄り添わなければならない理由はなぜですか?

**問い:** それは書き手自身の救済のためですか? それとも、そうした存在排除する社会へのアンチテーゼですか? ここに書き手としての「熱」の源泉があるはずです。

---

### 私ができるネクストステップ

もしよろしければ、上記質問のうち**「これが一番痛いところを突かれた(あるいは、これについては言いたいことがある)」**と感じたポイントを一つ教えてください。

そこを突破口にして、この語りを**「序論・本論・結論」を備えた骨太プロット**に再構成するお手伝いをさせていただきます

Permalink |記事への反応(0) | 20:22

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生活保護レベル生活をしていた

5年は前になる。

近所のスーパーキャベツ一玉68円とか、卵10個パック198円とか、そういう物価だった頃だ。

体調を崩して仕事を辞め、貯金を切り崩した後は、幸い申請が通った障害年金と、リハビリとして始めたアルバイトで暮らすようになった。

その時考えていたのが、「いつ生活保護を受けることになるかもわからいから、支出をその範囲で抑えられるようになっておこう」ということだった。

いつまた働けなくなるかもしれないし、年金が打ち切られるかもしれない。

役所で一度相談し、説明を受けたことはあったので、金額はその時教えてもらっていた。

ちなみにその時は水際対策で断わられたわけではなく、まだ貯金がある段階で、働けなくて収入の当てがないと相談したところ、手続きの仕方などを保護担当の人が親身になって教えてくれた。

おかげで「お金がなくなったら生活保護があるし、役所で追い返されることもない」という安心感が持てて、そこから体調も安定し始めた。

話を戻して、当時住んでいた自治体では生活保護費は住宅扶助を上限まで使って13万円だった。

(内訳:生活扶助76,310+住宅扶助53,700)

私の住んでいる賃貸家賃管理費込で63,000円。

簡易キッチンユニットバスの狭いワンルームなのだが、1万円近く超過している。

なので、13万円以内で生活するには生活費を諸々込みで67,000円に抑える必要があるわけだ。

バイト先への交通費別にしておいて、通信費スマホ格安SIM)と家のネットを合わせて約9,000円。

水道代はほぼ基本料金なので隔月2,400円。電気・ガス代は(※当時)平均5,000円。

これを固定費として、月々15,200円の支出は確定していることになる。

残りの自由に使える金額は51,800円。

ここから食費、雑費、被服や美容費など捻出するわけだが、人付き合いがなく出かけることがないので交通費がかからず、近隣に図書館があり、元々趣味読書なので娯楽にも対して金がかからないのもあって、案外暮らせるものだった。

障害者手帳フリーパスバスに乗れば交通費さら節約できたし、割引になる美術館自治体主催無料の講座などに参加したりもできた。

一方で、歯医者の定期クリーニング美容院の予定が入ったりすると一気に苦しくなるのも事実だった。

衣服代も予算を圧迫するので、靴はとにかく安いものを探し、ワークマンの980円のキャンバスシューズに行き着いた。

工夫をすれば暮らせるが、収入がある時は普通にやっていたこと(歯医者での定期クリーニングや、三か月に一度の美容院)が「贅沢」となり、小綺麗な格好をするのが難しくなるため、友人同士の集まりやおしゃれなカフェなど、身なりを値踏みされそうな場所からちょっと足が遠のく。

月13万円はそんな生活だった。

しかし、その「工夫をすれば暮らせる」さえ、あくまで5年前の話だ。

それからロシアウクライナ侵攻が始まり円安も進み、物価がどんどん上がっていった。

まいばすで78円で買えていた板チョコが今は税抜148円だ。

光熱費は、使用量は減らしたのに基本料金と単価がバカみたいに上がり、倍になった。

米もパン野菜も卵も肉も魚もみんな高い。

いつも鶏むね肉を100グラム68円で売っていたスーパーでは、100グラム98円になった。

サバ缶は158円が258円になった。

まいばすの味がしないバナナなんぞ78円が気付いたら128円だが、それでも相当安い方だ。

chatGPTに相談すると「業務スーパーや作り置きを活用しましょう」などと言ってくる。

あのな、この世の困窮してる人間そば業務スーパーは必ずあるのか?

誰にでも徒歩やバスで行く体力があり、自炊する気力や知識環境があると思ってるのか?

そういう話をしてるんだ私は。と、小一時間chatGPTを詰めてしまった。不毛時間だ。

経済的に余裕がなく、さまざまな事情自炊も難しい人が、安く食べたい、とにかく腹を満たしたいという時にそこにあって手が届くのは、現実的には安い菓子パンでありPBカップヌードルだったりするのだろう。

普段からちゃん食事をしている人がたまの間に合わせに食べるならいいが、常食するには体に悪すぎる、それらの食物でも「食えることは食えるんだからいいだろう」と言うのは、奇しくもマリー・アントワネットが言ってないとされる「パンがないならお菓子を食べればいいじゃない」という状態だ。

おおマリー、お菓子は安くとも体に悪く、民衆QOLを下げてしまうのよ。

マリア・テレジアも草葉の陰で泣いている。

今は何も調べずにこれを書いているが、多分生活保護費が引き上げになったとかってことはなく、(むしろ引き下げの話をしてるくらいだ)同じ金額のまま、物価は爆上がり、交通費光熱費も上がり、カツカツからキュウキュウで皆生きているんだろう。

(私はもう無理だと思ったので、貯金を諦めて生活費の上限を上げた。金がなくて食えなくなったら最悪死ぬからもういい)

とはいえ、これがどのくらい政治のせいなのか、友人も妹もいないタイプメロスである私にはわからない。戦争とか温暖化の影響を、一体誰がどうしたらどうにかできるんだろう。

何もわからない。

Permalink |記事への反応(4) | 00:23

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2025-12-07

夕方まで何もせず寝てるかユーチューブ見てたんだけど

夕日を見て夜になる外の景色を見てたら本当に自分自身が嫌になった

どういう言葉にしたらいいのかわからんのがつらい

もっとちゃん勉強するべきだ

そんな時間読書の一つでもやってればこういう時のつらくて嫌な自分気持ち言葉にできたかもしれん

まぁとにかく嫌な気持ちになった

昼過ぎぼんやりと部屋の掃除でもしようかなって思ってたけどやるべきだった

なんでもいいので今日はこれをやりましたと言えることを作るべきだった

今は起きて眠気もないので夜中まで部屋の掃除をするつもり

Permalink |記事への反応(1) | 18:21

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anond:20251207135902

はい、君のスペックマッチングアプリ(マチアプ)でかなり強いよ。32歳男で年収1100万、資産合計1500万近く、高学歴(旧帝よりちょい下の院卒)、顔もイケメン判定あり。童貞ってのはネックになるかもだけど、アプリ上じゃ最初はバレないし、経験積めばOK無双できるポテンシャルはあるけど、無双ってのは運やテクニック次第。どうやって攻略するか、ステップバイステップでアドバイスするね。1.おすすめアプリの選び方真剣婚活寄り: PairsやOmiaiYoubrideあたり。高収入高学歴男性が多いし、女性側もスペック重視の人が集まる。君みたいなハイスペ男は人気出やすい。年収証明できるアプリ(Pairsとか)で本物の証明出せば、信頼度アップ。

カジュアル出会い寄り:TinderやTapple。顔がイケメンならマッチやすいけど、遊び目的も多いから注意。童貞卒業狙いならここからスタート

出会い系寄り: PCMAXやハッピーメール。返信率高くて、初心者向け。童貞でも女性慣れしやすい。

複数アプリ同時使い推奨。最初無料で試して、課金ブーストいいね増やし)かけろ。32歳だと20-30代女性狙いがベスト

2.プロフィールの作り方写真:イケメン判定あるなら、笑顔クリア写真複数枚。精神病院エピソード面白いけど、プロフに書くのは避けろ(変な印象与えるかも)。スーツ姿や趣味写真清潔感出せ。高スペックアピールに、車や旅行写真もいいけど、派手すぎないように。

自己紹介文:年収学歴資産自然に織り交ぜろ。例えば「仕事頑張って年収1000万超えました。将来一緒に旅行できる人探してます」みたいに。でも、年収1000万以上はアプリで9割嘘って説あるから、本物証明(収入証明書アップ)で差別化

童貞絶対書くな。ネガティブ要素は隠して、ポジティブに「真剣パートナー探してます」って感じで。

キーワード:ハイスペ男狙いの女性が多いアプリで、安定した生活知的趣味読書投資とか)をアピール資産の話はデートで出す方がいい。

3.マッチングからデートのコツいいねの仕方:スペックいい君はマッチやすいけど、無双するには量産型毎日50-100いいね送れ。ターゲットは25-35歳の女性で、プロフが似てる人(学歴重視とか)。ブサメンOKっぽい女性に絞るのもアリ。

メッセージ:童貞女性慣れしてないなら、テンプレから練習相手プロフに触れて「共通趣味ですね!」からスタートビデオ通話で慣れろ。焦らず、2-3回やり取りでデート誘え。

デート: 初回はカフェやディナーでスペック活かせ。高級めだけど、奢りすぎない。童貞は正直に言うか、経験積んでから。場数踏めば自然に上達する。高スペックでも成功率30-40%くらいだから、諦めずアタック

童貞対策:最初カジュアルアプリ経験積む。焦りは禁物、自己受容から。小さな交流から始めろ。

アプリ出会い増やせば、60日で彼女できるケースもある。

4. 注意点と現実無双できるかは運もあるけど、スペックだけじゃなくコミュ力が鍵。32歳童貞マイナスだけど、アプリ匿名練習場。失敗しても次行け。

詐欺サクラに注意。年収高すぎると女性から疑われるかも、証明大事

もし本気婚活なら、アプリ以外に結婚相談所検討ハイスペ男はそこで無双やすい。

これでスタートすれば、無双レベルまでいけるはず。まずはアプリDLしてプロフ作ってみ。頑張れ!質問あったら聞いて。

Permalink |記事への反応(0) | 14:30

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ビブリオマニアは列記とした病気です…😟

読書趣味なんじゃなくて積読趣味な気がしてきた→共感の声多数「更に言うなら読むより積むより買うのが趣味なのかも」

それはビブリオマニアです、私もです、

列記とした病気神経症、買い物依存などに類するものとも思われます…😟

ビブリオマニア(Bibliomania)」とは、**強迫的に本を集めすぎる「蔵書癖」や「書籍狂」**を指す言葉で、単なる健全な「愛書家ビブリオフィリア)」とは異なり、社会生活健康に悪影響を及ぼすほどの病的収集行動です。日本語では「蔵書狂」「愛書狂」とも訳され、本を「所有する」ことに強い衝動を感じ、その収集生活の支障となる状態を指します。

本を並べるだけで喜んでしま

聖書評価されるような、評価の高い本を途中まで、最初の方だけ読んで、

この本は素晴らしい!と絶賛し、ついそれと同じ本を一、二冊買ってしまったりしま

予備とか、布教用とか言い訳してますが、本を買うのが目的化してる

棘の米にあるように、自分も段々と、本当に自分がやりたかったのは本屋なのではないか?と思うようになりました

でも、真面目な話、個人での書店経営は色々と大変、日本の独特の商習慣もあります

アメリカみたいに、書店が本を買い取っちゃって、売れなければ安値店頭ワゴンしてもいい、

というのも、それはそれで自己責任で大変ではあります、どちらがいいのか分からない

あと、自分が好きな本、例えば技術書数学とか理工書、

音楽ヤングギターよりは上の、楽器弾く系とか理論とかを重視したい、

アイドルグラビアみたいなのには興味ないので、だって、眺めて終わっちゃうじゃないですか…😟

まあ、エロ所詮人間なんて、男だけでなく女性でもエロ、コアなBLとか並べてもいいのかもしれないけど、

明らかに、店の客層が変わりますよね

あと、万引き特に子供万引きとか、いちいち見張るのがめんどくさい、トイレにも行けない

昔は子供の頃はド田舎に住んでたんで、数少ない本屋、ぼろい木造建物

ほぼ地べたに漫画雑誌が並べられてたり、

パソコン雑誌立ち読みしてたら、店のおばちゃん掃除のハタキで叩かれたり、

そんな牧歌的時代もあった訳ですが、

もう、神田伝説的な書店も、みんな店じまいして今はネット通販やってますよ…😟

リアル本屋は終わり

Amazonとかで、せどりしてる大手は、みんな田舎会社を立てて、

田舎は潰れた靴流通だかハローマックだか、色々放置されてる店とかあるんで、

そこを倉庫にしたり、貸倉庫を借りて、そこに本を入れてますよね

自分も含めて、死んだりしたら断捨離で、大量の本が便利屋とか処分する会社に回って、

その本がそういった、せどり会社に行って、またAmazon経由とかで誰かが読む、

というサイクルもなくはないんでしょうけど、基本的に紙の本は終わりです

本を収集して床が抜ける話は、ビブリオマニアからすれば寧ろ普通です、笑えない…😟

Permalink |記事への反応(1) | 13:30

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アニメアイコンのVアンチ」の存在理由

https://x.com/99alstremeria/status/1997151476289098211?t=VojWJnSwaUZeBW_OdhOVoQ&s=19

@99alstremeria

VとAI叩きは

「いやなんでそこまで憎めるん?(ドン引き)」になる人が結構多い…。



これ見て思ったんだが、Vアンチ層、アニメアイコン率が妙に高い気がするんよなあ。

理由を考えてみたんだが、まずAI叩きに近いところで言うと、「アニメパイが取られたところがある」からかなあ。

これは一時期よく指摘されてたのだが、日常系アニメパイVTuberが食ったという話がある。(https://soysoftware.sakura.ne.jp/archives/2057)

それ故にVTuber嫉妬しているのでは? と感じた。

次は、単に下の世代文化否定するいつものやつ、という説。

アニメVTuberも依然として続いてるとは言え、読書に対するゲームのように、VTuberは下の世代文化である

昔の大人ゲーム脳とか持ち出してゲーム否定したように、上の世代であるアニメ好きが、Vtuber否定してるのではないか。というのも感じた。

で、最後ちょっと大胆な説を発表しよう。

アニメっぽいのにアニメっぽくない振る舞いをするキャラクターに耐えられない」説である

アニメっぽい声やアニメっぽい見た目をしてるにも関わらず、この前コンビニ行ってさ〜とか、この前仕事ホントしんどくて〜みたいな「現実」の話をしているVTuberが、日常系アニメのような、その世界内で完結した話をしているキャラクターに慣れた層からすると、なんか受け入れ難い「何か」があるのではないか

Permalink |記事への反応(0) | 12:12

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2025-12-06

文学の条件

そもそもあんま本読んだことなさそうな人が「エンタメ純文学の違いとは」みたいな論争を定期的に蒸し返すのだが、

簡単に答えを示しておくと、クリアしなければならない仕様が決まってるのはエンタメ、純文はなんでもアリである。「違い」というならそこが違う。「エンタメとは何か、純文学とは何か」という定義論はまた別の話だ。

しかしながら昔から文豪だなんだと奉られる人も誰もクリアしてないのが、「言うて、最低限サマになるクズしか出てこない問題である

そらとんでもない悪人とかクズ野郎とか出てくるけど、字下げや青山やその他の弱男みたいに一生同じこと言ってるだけの喋るウンコは登場しないんだよなあ。(笙野頼子はそのへんに切り込んだが、「前衛スタイル」に自家中毒して当人が何言ってるかわからなくなってしまった)

一冊の大半が意味不明定型セリフとか、どんなによく訓練された読書家も逃げ出してしまうからな。

でもそんな喋るウンコにも生きる苦しみや自己愛ウンコならではの事情があるんだってところに寄り添おうとしてこその文学のはずなんだけどね。

Permalink |記事への反応(0) | 16:21

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暇すぎる

30代社会人女性です。最近暇すぎて何をしていいかわかりません。

ランニング読書は昔からやっていて、それでも時間が余っています習い事に行こうかとも思いますが何が良いのかよく分かりません。

皆さんが没頭してる趣味はありますか?参考にさせてほしいです。

Permalink |記事への反応(0) | 04:02

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2025-12-05

アニメ銀八先生』に思うこと

はじめに。

 内容はまったく肯定的でないです。

 本文中、主語がざっくりしている箇所がありますが、この文章目的上、「アニメ銀八を楽しめていない〇〇」であることを含みおき下さい。

 楽しんでご覧になっている方や、銀八銀魂が大好きで面白い面白くないは関係ないんだという方はご気分を害される内容のはずです。

 自分自身気持ちの整理や一感想として残しておくこと、また、同じように感じている方に届けばいいなと言う気持ちで書きました。

 したがって、作文の程度は低いものですので、お目通しになる際は、可読性についてはご容赦ください。

 

 

アニメ銀八感想

 よくある5段階評価を付けるなら、決して星2を超えない。

 星1ではなく2なのは声優さんの演技や製作の苦労といった、クリエイターへの“同情”から

 まるちばーす祭りもライビュを昼と夜の両方見に行ったり、銀八放映開始を本当に楽しみにしていた。

 それがどうして低評価となったのか。

 Xやレビューサイトで評判を調べれば、多くの人が次のように口を揃えている。

テンポが悪い」

BGM効果音に乏しい」

 賛同する。

 さらにこんな意見もある。

ギャグが滑っている」

「空知先生ギャグセンスに見られた面白みを感じない」

銀魂本編のノリと違う」

 これも確かに言える。

 何故こんなふうに言われるのか。

 そして何故、私自身も同じように感じ、賛同するのか。

 

原作小説文体好き嫌いこそは分かれると思う

 まず、『銀八先生シリーズ原作小説は空知先生ではなく、大崎知仁先生が著されている。

 ギャグ雰囲気に違いを感じる人がいるのは、書いている人が異なるためもあろうと理解できるが、私が読んだのはシリーズの折り返しまであるものの、原作小説も十分“楽しめる”内容とクオリティだった。空知先生も「(ノベライズの内容は)銀魂のものだ。自分の代わりに大崎先生に書いてもらうことにする」と冗談めかしながらも太鼓判を押していたくらい。

 元は普通小説を書かれる作家さんであることは、銀八本文内の表現言い回しに滲んでいる。だから文体をあえてここまで落として、よくあのハチャメチャな作風文字として表現できたなと、私は銀八原作小説結構高く評価している。私が読んだのが半ばで止まっているのは、その“あえて落とされた文体”が個人的に合わず、読むのに大変な体力を使うからで、内容の退屈さからではない。

 なので「原作小説からそもそも面白くなかった」という声は、この若年層向けの文体が合わなかったものではないかと推察している。こう言っているのは、高校生以上の読書慣れした人が多いのではないか小中学生なら取っ付きやすハードルの低い文体だと思う。

 だからギャグが滑って」「面白みを感じない」のは、場面転換や時間経過表現セリフセリフの間の妙なテンポの悪さが寒々しいからではないだろうか。その寒い所へBGMアシストもないので、笑わせるつもりのネタも響いていかない。そうして場がシラケるような気まずさを視聴者に与えるのだろうと思った。

 

元の部分を減らして、余計に追加されるアニオリ

 では、何故テンポが悪いのか。

 文字ベース原作小説アニメにすると恐らく尺がギュッとして足りなくなる。これを30分枠で一本の作りにしているため、間が持たずタラタラしてしまうのではないだろうか。

 割り切ってAパートとBパートで分ける、クレしんのような形式にすればここまで間延びはしなかったのではないか。何話目か忘れたが、この構成の週は間延び感が緩和されて感じたので、的外れな発想ではないように思う。

 さらに、原作小説そのままでは尺が足りないのであれば、元を削るようなことはせず、アニオリはその不足分を充填する要素として用いればいいのに、何故か原作小説の内容を削ってアニオリを入れてくる。これが面白いなら構わないが、面白くないか賛否別れるハメになっている。

 複数レビューで同様に見られた表現が「二次創作みたい」というもの。これには唸った。

 例えば2話か3話のアバンで、銀八が生徒らが幼児化や獣化する白昼夢を見る。正直公式アニメにそういう供給は求めてない。

 見るのはオタクばかりじゃない。天下のWJの目玉漫画ギャグの人気が高いんだから漫画が好きな普通の人たちも読んでいたしアニメも見ている。評判を調べていても「懐かしいと思って見てみた」という人も多い。

 そうした需要様相に対して、特定の、狭いニーズに向けたようにも感じられるショタロリ化、ケモ化といったイロモノネタ面白くないどころか笑えないとさえ思える。

 また、オリネタの勢いの弱さや面白みの薄さもある。

 銀魂アニメのアニオリは、いい意味で、空知先生と同年代か少し上のおじさんたちが、おじさんホイホイやキワキワの下ネタでアニオリを突っ込んでくれていたので、作品との相性が良かった。しかし今回は監督脚本女性で、恐らくそうした方面への解像度が以前の上流工程陣ほど高まりにくいのではないだろうか。

 銀魂アニメ監督さんたちは現在50代前後男性で、彼らの子時代にはまだ家庭科授業は女子だけというような区分があった。男女で見えるもの、培えるものに今よりも差があったことは想像やすい。

 加えて、キャラクターの扱いや動かし方といったものも雑だ。分かりやすいところだと高杉や土方。

 頬をこけさせ好物を吸引する土方が、バケモノのように揶揄され、その姿をくどく使いまわしていたところや、ギャグを放とうとして滑り散らかす高杉というネタも、それしか弾がないかのように繰り返し繰り返しで、大変しつこかった。大抵の繰り返しネタは二回、内容や出来によっては三回程度なら繰り返していいが、この浅さで動かされるキャラクターネタを二度三度見せられるのは御免だと思った。

 深夜放送とはいえ学園設定、学生ものであるゆえに、昨今のコンプラ意識の変容による縛りを余儀なくされ、表現の幅・深度に制約があることも考えられるが、どちらにせよ、アニオリ部分に面白みを感じられない。

「そういうのは二次創作でやる」というやつだと思う。公式なら、ちゃんキャラを動かしてほしい。

 

環境時代体制の変化はどうしようもないけど…

 従って、全体的に惜しさ、つまらなさ、退屈さ、以前のアニメとの差異を覚える流れは以下のセットだと推測。

 音の乏しさ。テンポのもたつきイマイチ乗らない視聴者気持ち。シラけ、空回りした空気キャラクターの掘り下げの甘いネタさらにシラケる視聴者の心。以下ループ

 声優さんの変わらない演技とプロ意識、及第的な作画で体面は保たれているが、原作小説の履修、未履修に関わらず、自然のうちに期待のハードルが上がっていたもの銀八アニメでは叶えられなかったということなのだと思う。ましてや、まるちばーす祭りなど、公式サイドが気流を上げまくっているのだから期待値とともにハードルは上がって当然だ。

 1話アバンでも確かにこの事については触れていた。「渡されたバトンが重い」と。

 でもね、と。

 これについても言及したい。

 プロが、クオリティ担保をできないことを、いくらやりたい放題ギャグ作品であろうと、「別物だと思って」と言い訳めいた建前を設けたことには、はっきり拒否感情を覚える。

 確かにメタさは銀魂醍醐味ひとつだ。けれど、これまでよくネタにされてきた、オマージュをやって色んな偉い人に怒られたというメタエピソードは、視聴者を楽しませるためにギリギリアウトのことまでした結果、BtoB的にはひんしゅくを買ったという話なのであり、今回のように、BtoCで十分な提供が出来ないことを言い訳がましく置き石するようなネタとは性質を全く異にする。例えば環境が整えられる状況でなかったとか、無理な予算納期で進行していたという話はエンドユーザーには関係の無い話である製作者らで談義したり解決すべき話なのであり、消費者をそれに巻き込まないでもらいたい。

 ちなみに、銀魂アニメの時のような、外部のひんしゅくを招きかねないリスクを再びなぞってほしいと言っているのではない。あれらの話は、何度頭を丸めようが、額を床に擦りつけようが、立ち続けられたプロデューサー、その他製作の偉い方々の多大なる自己犠牲の上に成り立っていた。彼らが笑い話として盛り込んでいても、それはご本人の類い稀なる胆力、相手方や周囲の理解と協力によって我々に届けられていた。だから、また同じことをして笑わせろと要求している訳では無いことだけは、忘れずに言い置いておきたい。

 

 

余談:まるちばーす祭りで見れた話は良かった

 山崎ががんばる話でした。地上波もつい先日放送されたみたいですね。

 作画も良くBGMもあり、アニオリでしたがお通ちゃん新曲披露回とあってかなり手が込んでる印象でした。

 広報とか、お通ちゃん新曲のような試みに資金が偏ってしまったのかなという印象も受けます事実は分かりませんが。

Permalink |記事への反応(0) | 16:54

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anond:20251205005432

趣味が「本」なんよ、「読書」じゃないんやで

趣味プラモデル」ゆうひとに「買うなや」てゆうんかじぶん?

Permalink |記事への反応(0) | 01:03

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2025-12-04

本を読むスピードが本を買うスピード全然追いつかん

働きながら読書する人は大変だ

私は専業主婦だけど未就学児2人の育児家事に追われて読書が追いつかねえ

自分お金出して買った本も、図書館で借りた本も全然読書スピードが追いついてないわ

1日一冊読了できればよいのだが

過去自分(親に養われてて、色んなことが免除されて時間があった子供の時の自分独身だったとき立場自由自分)に「時間があるうちにたくさん本を読め。漫画でもいい。たくさん読め」と言いたい

過去自分もそれなりに読書してたけど、作家になれるレベルでたくさん本を読め。自分の血肉になるような読書しろと言いたい

Permalink |記事への反応(1) | 23:50

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2025-12-02

読書孤独だなんて考えたことさえないんだけど…😟

だって、笑える小説とか本があったとして、それって、目の前に俺を笑わせてる話者がいるわけでしょ?😟

テレビお笑いを観てたり、笑えるアニメを観てて、俺って孤独だなあ…、って思うことは普通なくない?

なんか、我に返るタイミングがあるとか、

笑いのネタ自分にとっては笑いで済まなくて、

ヤバイ、俺、このまま孤独死じゃん…、みたいに思ったりするからで、

面白いものを消費してるときに、孤独だなんて考えてないよね?

今日は昼に、自分みんなのうたの「月のワルツ」が大好きで、

これまでの全ライブみたいなリストがあったんで、それを観たり聴いたりしながら家事やったりしてたんだけど、

あの曲って、孤独感というより、なんか不思議な国に迷い込んで、元の世界に帰ってこないけど、なんか不幸じゃないみたいな、

昔、花とゆめだったか少女漫画で、親とか同級生虐待されてるような子供がいて、

猫になりたい、猫になりたい、猫みたいに自由になりたい、って願ってたら、

ラストで本当に猫になって、夜の街に飛び出していっちゃうんだけど、

あいう感じがあるんだよね、寂しいけど、悲しいけど、なんかハッピーにも思える

社会に居場所がなかった子供が、猫になってしまう、あの漫画とかよく思い出すんだよねえ…😟

自分も似たようなところがあるから、それが孤独感では?というと、そうなのかもしれないけど、

自分ドロップアウトしたことで、逆に幸せになってるところがあるのかも?と思うことがあるし、

もちろん、全然幸福じゃないんだけど、世の中よくできてるというか、

ホッテントリに、有名人なるほど寿命が縮まる、幸せでなくなる、みたいな話があった気がするけど、

なんか、トータルで考えると、みんな意外と同じになったりするんじゃないか、みたいなところもあったり…😟

まあ、読書孤独って、教室の隅で読書してる人を見るとか、他人が見ると孤独なわけじゃん

俺が教室の隅とか、美術室で絵を描いてるのを、他人が見れば孤独なんだろうけど、

俺の頭の中は、もう別世界かに行ってしまってるんで、そんなこと微塵も思ってない、

というか、読書とか、絵を描くとかが、現実逃避になってるわけだし、そのおかげで正気を保って生きてられるわけで…😟

Permalink |記事への反応(0) | 23:07

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なぜかカッコいいとされてるもの

ビリヤード

ダーツ

ワイン

読書

古着屋巡り

・酒に強い

横浜ナンバー湘南ナンバー

Permalink |記事への反応(1) | 22:08

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月の小遣いが1万5000円

高校生じゃないんだからさぁ!って言ったら家計が苦しいからしゃーないとのことなので

仕方なくサークルYoutubeやってたとき技術を活かして動画編集副業を始めて

そこで得られたあぶく銭を自分趣味に使うことにした

月2万円くらいだけどあわせれば3万円弱使えるようになったので多少潤った

だがこの収入夫婦収入として計上すべきかまだ悩んでいる

俺が趣味映画読書に使っていた時間を削ってやってるから

これまで夫婦収入って言われたらさすがに不公平感がある

俺も妻が自分時間副収入を得ていても文句は言わないし

(風俗とかキャバとかだったらさすがに言いたいこともあるけど……)

月2万円とかなんだから見逃してクレヨンという気持ちでいっぱいであ

Permalink |記事への反応(3) | 14:30

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