
はてなキーワード:説明とは
#ママ戦争止めてくるわの清繭子さんって、早稲田大学政治経済学部卒の高学歴出エリートかつ長年出版業界で働いてきたんだから
自民党改憲案の何処が問題なのか、自民党の寡占を許す事がどう戦争に繋がるのかと、
だけど敢えてそうしなかった
それじゃ注目されないし売名にならないから、
普通の「ママ」の、子供を愛する心を前面に出した空虚で空っぽなコピーを敢えて選んだ
経歴からして本当は高い知性と戦略眼を持つのが明らかで、正面から議論できる人間であると思われるのに
大衆の支持を得るためにはそれは適切ではないと考えて
前者は自分は苦手なタイプなんだけど、今の日本では後者より前者が支持されるんだろうな…
感情的にならずに指摘すればいいだけじゃないですかってこと
あと、会社に問題があることと、その女性に問題があることは、話し合いの中では切り分けて考えないとね
例えば、掃除が女性社員に偏っているという事例があったとして、
A「就業規則にも就職時の説明にも書いていないのに女性に負担がかかるのは不公平だと思います」でいいところを
鹿乃つのさん(@Shikano_tsuno_)の行動パターン—明確に敵対するまでは相手を根拠なく味方扱いし、そうでなければ全てこき下ろして敵扱いする—は、溝口勇児氏(@mizoguchi_yuji)の投稿からも裏付けられる部分が多く、確かに異常な極端さを感じさせるものです。
まず、溝口氏の関連投稿を基に事実確認をすると、2026年2月11日のリプライで「私に対しても、関係者に対しても、言動が誠実でなかったり、どんどん攻撃的になっていく人と関わりたいとは思えないのが普通の人の感情だと思います。今後は攻撃の対象が私や社員にも広がるのだろうなと危惧してます」と述べています。
溝口氏が鹿乃さんの行動を「攻撃的になりやすい」と予測・警戒していることを示しています。他の投稿でも「心の状態が常軌を逸した人」「他者に原因を求める」「助言を攻撃と同一視」との表現があり、鹿乃さんのパターンを「異常」と見なす視点を共有していています
このような行動(味方/敵の極端な二極化、急な手のひら返し)が
境界性人格障害(BPD: Borderline Personality Disorder)や自己愛性人格障害(NPD: Narcissistic Personality Disorder)の特徴と重なるかどうかを、一般的な精神医学的知識に基づいて考察すると、BPDの特徴にかなり近いと言えます。
以下で理由を詳しく説明しますが、念のため断っておくと、これは特定の個人に対する診断ではなく、行動パターンの類似性を一般論として議論するものです。実際の診断は専門医によるもので、オンラインでの推測は不適切です。
###境界性人格障害(BPD)の特徴と一致点
BPDは、感情の不安定さ、人間関係の乱れ、見捨てられ不安が主な症状で、DSM-5(精神障害の診断基準)では以下のような特徴が挙げられます
人を「完全に良い(理想化)」か「完全に悪い(脱価値化)」の極端に分ける黒白思考。最初は相手を過剰に持ち上げて味方化しようとするが、少しの失望や拒絶で一転して敵視・こき下ろしに変わる。
これが鹿乃さんのパターン(溝口氏を「心優しい」と称賛→期待外れで「常識がない」と批判)と一致。根拠なく味方扱いするのは、関係の不安定さを避けるための「理想化」段階で、敵対を感じると即座に「脱価値化」へシフト。
怒りや失望が急速にエスカレートし、関係を破壊的にする。鹿乃さんの投稿では、VAMBI氏や溝口氏への批判が感情的に集中し、「恐怖感」「嫌い」との言葉が繰り返される点が該当。
BPDでは、このような関係パターンが繰り返され、社会的機能に支障を来す。鹿乃さんの場合、公開投稿で急変する様子が「異常」と見なされるのは、この繰り返し性(VAMBI氏→溝口氏へのシフト)による。
BPDの有病率は一般人口の1-5%程度で、トラウマ(例:鹿乃さんの言及する誹謗中傷体験)が引き金になることが多いです。このパターンは、治療(例:弁証法的行動療法)で改善可能ですが、未治療だと人間関係が破綻しやすい。
NPDは、自己中心性、賞賛の渇望、共感の欠如が主で、以下のような特徴:
人を味方化するのは、自己の利益のため(賞賛や支援を得る)。鹿乃さんの「持ち上げ」行為はこれに似るが、NPDでは脱価値化がBPDほど極端ではなく、むしろ「無視」や「軽蔑」で済むことが多い。NPDの人は批判されると怒るが、感情の波がBPDほど激しくなく、計算づくの報復が多い。
他者の視点を無視し、自分を常に正義化。鹿乃さんの「私は悪くない」「界隈が異常」という主張はこれに近いが、NPDでは「こき下ろし」が自己防衛より優位性主張のため。鹿乃さんの場合、感情的な「守りたい」「ひっくり返したい」という動機が強いため、BPD寄り。
NPDでは関係の二極化はあっても、BPDのような「急速な感情シフト」が目立たない。溝口氏の指摘する「助言を攻撃と見なす」点はNPDの批判耐性の低さに似るが、全体としてBPDの不安定さがよりフィット。
結論として、指摘のパターンはBPDのスプリッティングに近いですが、NPDの要素(他者利用)も混ざる可能性があります。
重複(併存)も珍しくないので、どちらか一択とは限らず、専門的な評価が必要です。
座りながら、足やお尻の感覚を感じて、思考が湧いてきても流す、みたいなことをやった。
まああれだよな、瞑想だよな、これ。
調べてみると、初期仏教のヴィパッサナー瞑想とか、座禅とかを参考にしたメソッドらしい。
科学的根拠もあって、効果のエビデンスもあるし、どういう作用でストレスが軽減されるかも説明されてる。
やっぱり宗教っぽいし、面倒だし、続けられなさそう。
マインドフルネスやってる人、いる?
言ってるの負け組じゃないで。
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20251206-GYT1T00048/
もっとも、立民の野田代表が「中選挙区は明らかにお金がかかった」と指摘するなど、慎重な意見も少なくない。
公明とれいわ新選組は都道府県や政令指定都市などを選挙区の単位とする比例代表制を唱えた。公明の岡本政調会長は「政党名でも投票できる区割りのいらない中選挙区制とも言える」と説明した。
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20251202-GYT1T00297/
私に対しても、関係者に対しても、言動が誠実でなかったり、どんどん攻撃的になっていく人と関わりたいとは思えないのが普通の人の感情だと思います。今後は攻撃の対象が私や社員にも広がるのだろうなと危惧してます
ご返信ありがとうございます。そのようなことをされたら、関わりたくないと思うのは当然です。
私が不誠実なことをしてしまっていたのなら、申し訳ありません。
改めて見返しましたが、そのような言動は見当たらず、どちらでそのようにご判断されたのかご教示いただけないでしょうか。
送ると言った契約書が何日も送られなかったときも、無連絡での放送延期が何度もあった時も、無茶なスケジュール提案をされた時も、丁寧に返信をした様子が残っています。
放送前日の1/21までは、催促こそすれど苦言を呈したりはしていませんでした。私が送るとお約束したものは、期限内にお送りしていました。
それとも、この中の言動にすでに問題があったでしょうか。ご教示いただけると助かります。
直近だとこの件ですね。だいぶひどいこと書いてますよ。こちらとしては心当たりがありますし、「言動が見当たらない」と言われると正直どう受け取ればいいのか分かりません。
もし本当に心当たりがないのであれば、記憶障害があるのではないかと心配になります。余計に会話をしても無駄に終わるなと。
また毎回、説明や理由を求められるのは正直、負担に感じています。
本件については、これ以上やり取りを重ねても平行線になりそうなので、ここで一区切りにしてもいいでしょうか
そちらの投稿については、よくないなと思い投稿直後にすぐに削除しました。申し訳ありませんでした。
噂話を拡散する目的はなく、VAMBI氏への不信感が「妄想だ」と指摘されたため、「違うよ、こういう根拠があって怖いと思っていたんだよ」と説明したものでした。
私は、REAL INFLUENCERのこれからの志願者や、HERO'ZZの入学希望者が変に潰されてほしくない一心で話しておりました。
攻撃や分断の意図はなく、謝罪や歓迎がほしかったわけでもなく、ただ気づいて是正してほしかった。
溝口さんは現状を知らないだけで、自分の名前のあるところで連絡無視や契約不履行があると知ったら、怒る方だと思っていました。だから必死に伝えようとしてきました。
でも溝口さんは、社員の方が明らかな連絡無視などをしていると知っても、謝罪なさらない方だということがわかりました。
紛争解決において、一方の話だけを聞き、もう一方を悪く言う投稿を拡散する方だと知りました。
それは恐らく長年の事業の中で培われたもので、私には変えられないんだと思います。それはそれで、事業においてメリットがあるのだと思います。
私はそれを上回るメリットや根拠を提示できないので、これ以上できることはありません。
「これからの志願者や入学希望者が潰されてほしくない」とは今も思っていますが、その目的は達成できなさそうだと判断したので、諦めます。違う形で守る方法を考えます。
大変勉強になりました。
近年、ホストクラブで高額な借金を抱え、その返済のために性風俗で働いたり、消費者金融を渡り歩いたりする女性たちの問題が社会的な注目を集めている。一見すると「浪費」や「判断力の欠如」として片付けられがちだが、実態はもっと深刻で複雑だ。彼女たちの多くは「なぜ自分がここまでのめり込んでしまったのか」を自分でも理解できずにいる。
この問題を心理学、精神医学、社会構造の観点から掘り下げ、回復への道筋を示したい。
ホスト依存症は、医学的な正式診断名ではない。しかし精神科医や臨床心理士の間では、この現象が単なる「遊びすぎ」ではなく、恋愛依存、対人依存、買い物依存、ギャンブル依存が複合した心理的依存症の一種として認識されている。
銀座泰明クリニックや大石クリニックといった依存症治療の専門機関では、ホストクラブに通うことをやめられず、特定のホストに対して強い愛着・執着・幻想を抱き、生活・精神・経済に深刻な影響が出る状態として治療対象にしている。依存症治療に30年以上携わる大石クリニックの大石雅之院長によれば、重症例では借金が数百万円から6000万円に達することもあり、その多くが返済のために風俗店での就労を余儀なくされている。
ホスト依存症の中核にあるのは、「特定のホストに会わずにはいられない」という強迫的な衝動である。本人は理性的には「このままではまずい」と分かっていても、行動をコントロールできない。これはアルコール依存症や薬物依存症と同じく、脳の報酬系、つまり、ドーパミンが放出される快感回路が過剰に活性化している状態だと考えられている。
ホストクラブという空間は、女性の承認欲求と自己肯定感の渇望を満たすために極めて精巧に設計されている。ホストは「君が一番」「俺だけを見て」といった言葉で疑似恋愛を演出し、顧客に特別扱いされている感覚を与え続ける。日常生活で「誰にも必要とされていない」「自分には価値がない」と感じている女性にとって、この体験は強烈な快感となる。
この快感は脳内でドーパミンの分泌を引き起こす。ドーパミンは「また味わいたい」という欲求を強化する神経伝達物質であり、ギャンブルや麻薬と同様に依存を形成する。ホストからのLINEが来た、同伴できた、指名されたという、こうした不確定な報酬が繰り返されることで、脳は「次こそもっと愛される」という期待にとらわれ、やめられなくなる。
心理学的には、承認欲求と疑似恋愛構造の組み合わせが鍵となる。多くのホスト依存女性は、幼少期に親からの無条件の愛情を十分に受けられなかった経験を持つ。親が過干渉、条件付きの愛情しか与えない、あるいは無関心だった場合、自己価値が「他者からどう評価されるか」に強く依存するようになる。ホストクラブはこの心の空白を埋める場として機能し、金銭という対価を支払うことで愛情が「買える」という錯覚を生み出す。
依存症専門医の臨床経験によれば、ホスト依存の重症例の一部には、ADHD(注意欠如多動症)やASD(自閉スペクトラム症)といった発達障害が背景にあるケースが見られる。ADHDの特性である衝動性のコントロール困難、報酬への過敏性、視野の狭さは、ホストへの過剰な執着と借金の積み重ねを加速させる。早稲田メンタルクリニックの動画解説でも、衝動性のコントロールが苦手な女性がホストにハマりやすいと指摘されている。
さらに深刻なのは、愛着障害である。愛着障害とは、幼少期に親や養育者との間で安定した情緒的な絆を形成できなかった結果、大人になっても他者との関係に不安や執着を抱える状態を指す。愛着スタイルには「安定型」「不安型」「回避型」「恐れ・回避型」があり、このうち不安型の女性は「見捨てられる恐怖」が強く、相手の反応に過剰に依存する。ホストからの「愛されている」というサインを求め続け、そのために借金を重ねてしまうのは、この不安型愛着の典型例だ。
愛着障害を抱える女性は、恋愛を「ギブアンドテイクの取引」として捉えやすい。無条件に愛される経験がないため、「お金を使えば愛される」というホストクラブの構造に違和感を持ちにくく、むしろ「これが正しい関係」だと錯覚してしまう。
ホスト依存問題を語る上で欠かせないのが、「売掛金」という仕組みである。売掛とは、客がその場で支払えない料金をホストが立て替え、後日客が返済するツケ払いのことだ。この制度により、女性は支払い能力を超えた高額な飲食を繰り返し、借金が膨れ上がる。
警視庁の説明会資料や厚生労働省の報告書によれば、売掛金は数十万円から数千万円に達することもあり、返済のために性風俗店での就労を強いられるケースが相次いでいる。ホストや関連するスカウトグループが「返せないなら風俗で働けば」と誘導する構造も確認されており、職業安定法違反や売春防止法違反で摘発される事例が増加している。
2025年6月に改正風営法が施行され、スカウトへの報酬支払いや恋愛感情を利用した営業、売掛金制度が事実上禁止されたが、現場ではまだ違法な営業が続いているとの証言もある。警察の取り締まり強化と並行して、女性相談支援センターや消費生活センターへの相談も急増している。
借金を背負った女性が風俗で働くことを余儀なくされる過程では、心理的なマインドコントロールも働いている。ホストからの「お前のために俺が立て替えた」「裏切るのか」といった言葉で罪悪感を植え付けられ、抵抗できなくなるのだ。
大石クリニックの大石院長は、ホスト依存の女性たちが「このままでは生活できなくなる」と理性的に予測できない背景に、発達障害の特性による視野の狭さや、強迫的性行動症といった疾患が関わっている可能性を指摘している。ADHD傾向のある人は、目の前の報酬に反応しやすく、将来のリスクを現実感を持って想像することが苦手だ。また、ホストとの関係に没頭することで、他の情報が視界に入らなくなる「トンネル視」の状態に陥る。
さらに、恋愛依存の女性は「相手がいないと自分の存在価値がない」と感じているため、借金のリスクよりも「この人に嫌われる恐怖」が上回る。理性と感情のバランスが崩れ、感情が意思決定を支配してしまうのだ。
ホスト依存からの回復は可能である。ただし「意志の力」だけで抜け出すことは難しく、専門的な支援が必要だ。回復のステップは以下のように整理できる。
まず第一に、自己理解である。自分がなぜホストに依存しているのか、その背景に愛着障害や自己肯定感の低さがあることを認識することが出発点となる。カウンセリングや心理療法を通じて、幼少期の体験や現在の感情パターンを整理することが有効だ。銀座泰明クリニックや大石クリニック、早稲田メンタルクリニックなどでは依存症専門の治療プログラムが提供されている。
第二に、物理的な距離を取ることである。担当ホストとの連絡を断つ、ホストクラブに近づかない環境を作ることが重要だ。売掛金がある場合は、直接会わずに振込で支払うなど、接触機会を減らす工夫が必要である。家族や信頼できる友人に協力を求め、行動を監視してもらうことも有効だ。
第三に、代替行動の確立である。ホストに会うことで得ていた承認欲求や高揚感を、別の健全な活動で満たす必要がある。趣味、スポーツ、学習、ボランティアなど、自分の時間を投資できる対象を見つけることが回復を支える。自己肯定感を高めるためには、小さな成功体験を積み重ねることが効果的だ。
第四に、債務整理である。借金が膨らんでしまった場合は、弁護士や司法書士に相談し、任意整理や自己破産などの法的手続きを検討する。新宿などホストクラブが集中する地域の法律事務所には、ホスト関連の借金相談に対応しているところもある。
第五に、再発防止のための心理療法である。認知行動療法(CBT)や弁証法的行動療法(DBT)、トラウマフォーカスト療法などが有効だ。また、自助グループや回復施設(グループホーム)を利用することで、同じ経験を持つ仲間と支え合い、孤立を防ぐことができる。
家族や友人がホスト依存に気づいたとき、どう対応すべきか。大石院長は「否定せずに見守ってほしい」と強調する。頭ごなしに批判したり、無理やり引き離そうとしたりすると、本人は防衛的になり、さらに依存を深めてしまう可能性がある。
まずは本人の話を聞き、なぜそこに居場所を感じているのかを理解しようとする姿勢が大切だ。その上で、「心配している」「一緒に考えたい」というメッセージを伝え、専門機関への相談を勧める。厚生労働省は女性相談支援センターや消費生活センターを窓口として案内しており、家族からの相談も受け付けている。
最悪のケースは、本人が孤立し、借金を抱えたまま追い詰められることだ。自殺や犯罪に巻き込まれるリスクもある。だからこそ、早期の介入と継続的な支援が不可欠である。
ホスト依存問題は、個人の「弱さ」や「判断ミス」だけで説明できるものではない。承認欲求を巧みに利用するホストクラブのビジネスモデル、売掛金制度による債務の罠、性風俗への誘導という構造的な問題が絡み合っている。さらに、愛着障害や発達障害といった心理的・神経発達的な脆弱性を持つ女性が、そのシステムに取り込まれやすい現実がある。
法的規制の強化や警察の取り締まりは重要だが、それだけでは不十分だ。依存症治療の専門機関の拡充、カウンセリングへのアクセス改善、社会全体での承認欲求や自己肯定感の問題への理解促進が必要である。「愛はお金で買える」という幻想から抜け出すためには、社会が「無条件に受け入れられる場」を提供し、個々人が自己価値を内面から育てられる環境を整えることが求められている。
2026年1月16日、立憲民主党と公明党が合流して新党「中道改革連合」を結成した。高市早苗首相による突然の衆院解散に対抗するため、野田佳彦立憲民主党代表と斉藤鉄夫公明党代表が共同代表に就任し、中道路線を掲げる政治勢力の結集を目指した。綱領では「生活者ファースト」を打ち出し、分断から協調へという理念を掲げた。
しかし現実は厳しかった。1月27日公示、2月8日投開票の衆院選で、公示前172議席から49議席へと壊滅的惨敗を喫し、両共同代表は辞任に追い込まれた。この結果は、母体となった立憲民主党が長年抱えてきた問題を白日のもとにさらすこととなった。
「与党批判にしか力を入れてこなかった」という批判は、中道改革連合の敗因分析においてしばしば言及される論点である。この批判の実態と背景を多角的に検証したい。
立憲民主党に対しては、結党以来「批判ばかりで対案がない」という批判が繰り返されてきた。まずこの認識の事実関係を確認する必要がある。
note記事による集計では、立憲民主党の政府提出法案への賛成率は2023年の第212回臨時国会で73.3パーセント、2024年の第213回通常国会で83.3パーセント、2025年の第217回通常国会では89.7パーセントに達したとされる。この数値が正確であれば、法案の大半には賛成しており、単純な反対勢力という評価は当たらないことになる。
また議員立法による政策提案も行われてきた。2022年の旧統一教会問題では野党が提出した被害者救済法案が議論の土台となり、与党案にも影響を与えたとされる。ガソリン税減税関連法案では、2025年に立憲民主党が主導して成立させた事例もある。
しかしこうした実績があるにもかかわらず、国民やメディアからは一貫して「批判ばかり」と認識されてきた。なぜこのギャップが生まれるのか。
野党の建設的な政策提案や賛成した法案は報道価値が低いとされ、与党との対決場面や激しい批判の場面が優先的に取り上げられる。国会でのヤジや追及場面は視覚的にインパクトがあり、特にSNS時代においては拡散されやすい。
2026年1月24日の高市首相所信表明演説では、立憲民主党系議員によるヤジで演説が一時中断する事態となった。NHK中継を見ていた視聴者の多くが不快感を表明し、これが選挙戦序盤のイメージ形成に影響したとみられる。与党側は「国民の聴取を妨害する不作法」と批判し、野党側は「議会政治の監視監督」と擁護したが、視聴者の印象は前者に傾いた。
立憲民主党は「存在感がない」「目立たない」という批判を長年受けてきた。野田代表自身が党の動画で「なかなかバズらないけれど」と自嘲したことは、この苦悩を象徴している。
地道な政策立案と国会審議を重視する姿勢は、専門家からは評価されても一般国民には伝わりにくい。他方で、目立つパフォーマンスに走れば「中身がない」「批判ばかり」と攻撃される。このジレンマをどう乗り越えるかが、野党第一党の課題であり続けた。
2009年に誕生した民主党政権は、鳩山・菅・野田と三代の首相を経て2012年に崩壊した。普天間基地移設問題、東日本大震災対応、消費増税などを巡る混乱の記憶は、有権者の間で根強く残っている。立憲民主党は民主党の流れを汲む政党であり、「批判はできても統治はできない」というイメージが払拭されていない。
この文脈では、「批判ばかり」という言葉は単なる行動様式の指摘ではなく、「政権担当能力がない」という評価の婉曲表現として機能している。
中道改革連合の惨敗により、立憲民主党への批判は新たな局面を迎えた。
新党結成に際し、立憲民主党は従来の政策を大幅に転換した。安全保障法制については「違憲部分の廃止」から合憲容認へ、原発政策も再稼働を条件付きで容認するなど、公明党との政策すり合わせのために基本路線を変更した。
野党各党からは「看板の付け替え」「野合」という批判が相次いだ。れいわ新選組の山本太郎代表は「日本をダメにしてきた者たちが看板を付け替えて、もう一回詐欺をやろうとしている」と痛烈に批判した。また立憲民主党内部からも原口一博議員が新党結成に反対し、離党した。
これは「批判ばかり」という批判とは別の次元の問題である。選挙協力のために理念を曲げれば、もともとの支持者からは「信念がない」と見なされる。公明党の組織票を得る代わりに、都市部の無党派層や理念を重視する支持者を失った可能性が高い。
選挙戦では、高市政権の右傾化や積極財政による円安・物価高を批判したが、有権者には「では中道改革連合は何をするのか」が明確に伝わらなかった。党名や理念すら浸透しない短期決戦の中で、政策の具体性を訴える時間が決定的に不足していた。
朝日新聞の報道によれば、立憲民主党側からは「バラバラだ」という不満の声が上がり、比例名簿の作成を巡っても内部対立が生じていた。公明党出身者を優遇した結果、公明出身28人全員が当選した一方で、立憲民主党の玄葉光一郎元外相、枝野幸男元官房長官、岡田克也元外相といった政権担当経験者が軒並み落選した。人材基盤の喪失は、今後の党運営に深刻な影響を及ぼす。
選挙期間中、X(旧Twitter)では「#立民いらない」「#嫌立民ムード」などのハッシュタグが急上昇し、検索窓に「立憲」と打つだけで「立憲民主党 いらない」が候補に表示される事態となった。議員が日常的な発言をしただけで誹謗中傷が集中し、党公式アカウントの年頭挨拶にも罵詈雑言が浴びせられた。
この現象は、立憲民主党への関心の高さの裏返しでもある。本当に「存在感がない」政党であれば、これほど粘着的な批判は集まらない。しかしネット上の批判の多くは感情的で、政策の是非よりも人格攻撃に終始する傾向があった。
ここで重要なのは、「野党は批判ばかり」という言説そのものが、政治的な意図を持って用いられている側面があることだ。
ジャーナリストの尾中香尚里氏は、この批判が対立軸の明確な二大政党制を阻害し、「万年与党と万年野党」という55年体制への回帰を正当化する言説として機能していると指摘する。自民党が野党を「批判ばかり」と攻撃することで、政権交代可能な政治という理念そのものを否定しようとしているというのである。
実際、野党が対案を出しても報道されず、与党が野党案を取り込んでも「与党の成果」として報じられる構造がある。この見方に立てば、立憲民主党の問題は「批判ばかり」ではなく、むしろ「批判も対案も国民に伝わらない」という情報発信力の欠如にある。
ただしこの分析にも限界がある。尾中氏は立憲民主党寄りの論者であり、野党の戦略的失敗や組織的問題を過小評価している可能性がある。メディアや与党の責任を強調しすぎれば、野党自身の改善努力を阻害する危険もある。
「与党批判にしか力を入れてこなかった」という批判を整理すると、以下の三層に分けられる。
法案賛成率や議員立法の実績を無視し、対決場面だけを見て「批判ばかり」と断じる認識。メディア報道の偏りとSNSでの情報拡散によって増幅される。
第二層:正当な批判
対案を出していても国民に伝わっていない、政権担当能力を実証できていない、理念と政策に一貫性がない、という指摘。これは立憲民主党が真摯に受け止めるべき課題である。
野党の存在意義そのものを否定し、政権交代可能な政治を阻害する目的で用いられる言説。与党や与党寄りの論者が戦略的に使用する場合がある。
中道改革連合の惨敗は、これら三層すべてが複合的に作用した結果と見ることができる。メディアとSNSの構造問題、野党自身の戦略的失敗、そして与党側の攻撃が重なり合い、壊滅的な結果を招いた。
中道改革連合は2月13日に小川淳也氏を新代表に選出し、再建を図る方針である。しかし49議席という規模では、野党第一党としての影響力は大きく低下した。
まず理念と政策の一貫性を回復することである。選挙協力のために政策を曲げれば、支持者の信頼を失う。中道という立ち位置を明確にしつつ、立憲民主党のルーツである立憲主義や生活者重視の理念を再構築しなければならない。
次に情報発信力の強化である。建設的な政策提案をしても伝わらないのであれば、伝え方を変える必要がある。SNS時代に適応した情報戦略、メディアとの関係構築、分かりやすい言葉での政策説明が求められる。
そして政権担当能力の実証である。最終的に有権者が求めるのは、与党に代わりうる現実的な選択肢である。地方自治体での実績積み上げ、政策集団としての専門性向上、危機管理能力の訓練など、地道な努力が不可欠である。
中道改革連合の惨敗は、単なる一選挙の結果ではなく、日本の野党政治が抱える構造的課題を浮き彫りにした。「批判ばかり」という言説の背後にある複雑な要因を理解せずに、表層的な批判を繰り返すだけでは何も変わらない。健全な民主主義のためには、批判する野党と同時に、その批判を適切に評価する有権者とメディアの成熟が求められている。
母が漏らしたとき、俺は生まれて初めて値段という言葉の重さを知った。
尻の下に敷いたシーツを引き抜きながら、俺は頭の中で足し算をしていた。週三回、他人に来てもらう金。施設に預ける金。俺の給料。母の余命。掛け算をすれば、答えは出る。出てしまう。
母は泣いていた。七十キロ近い体を横に転がされながら、「ごめんね」と繰り返した。俺は「いいよ」と言った。いいわけがなかった。おむつのテープを留める指が震えていたのは、疲労のせいだと自分に言い聞かせた。
赤ん坊は泣く。腹が減ったとき、尻が冷たいとき、ただ不安なとき。泣くことでしか、自分の不快を外に出せないから泣く。母の「ごめんね」も、考えてみれば同じだった。どうにもならない体を抱えた人間が、隣にいる人間に向けて絞り出す、最後の声。
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母が二度目に倒れた翌月、俺は職を変えた。
小さな会社だった。「年寄りの苦痛をなくす」という、どこにでもある看板を掲げていた。俺の仕事は、体に貼る小さな機械の調整だった。尿が溜まる速度を測り、限界が来る四十五分前に、介護する側の携帯を鳴らす。漏れる前に替えてやれる。
携帯が鳴り、おむつを替え、母は漏らさなくなった。漏らす前に処理されるから、「ごめんね」を言う場面がなくなったのだ。
俺はそれを、うまくいった、と思った。会社の連中も喜んだ。大きな金が集まった。
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金が増え、人が増え、俺は母の傍を離れた。
機械は進化した。排泄の予測はほぼ完璧になり、次に体温、次に床ずれの予防、次に気分の変動。体の微かな揺らぎから「不安」を嗅ぎ取り、部屋の明かりを変え、好きだった曲を流し、ちょうどいい声色で話しかける。寝返り、食事、風呂——あらゆる苦痛が、生まれる前に消された。
俺たちはその仕組みを、ゆりかごと呼んでいた。
社長が言った。「俺たちが解いているのは、介護の問題じゃない。人間がずっと抱えてきた、苦しいという問題そのものだ」
金を出す側は頷いた。俺も頷いた。本気でそう思っていた。
母は、その前の年に死んでいた。最後の三ヶ月、彼女は一度も泣かなかった。一度も「ごめんね」と言わなかった。一度も、俺の名前を呼ばなかった。ゆりかごが完璧に動いていたから、彼女には俺を呼ぶ理由がなくなっていたのだ。
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その後のことを、俺は技術の話として語れてしまう。それ自体が、たぶん、おかしなことなのだが。
臓器を作り替える技術が、介護の意味を変えた。壊れた肝臓を新品にするように、血管を若返らせ、筋肉を二十代の状態に戻す。最初は病気を治すためだった。次に、病気になる前に手を打つようになった。最後には、そもそも老いないように体を設計し直すようになった。
老いは、壊れた部品と同じ扱いになった。テロメアの摩耗を許さない。それが当たり前になった日のことを、俺は覚えている。会議室にいた全員が、人類の勝利だと思っていた。俺もそう思っていた。母の介護で走らせていた足し算が頭をよぎったが、すぐに消えた。
同じ頃、人間の記憶や癖を丸ごと学ばせた知能が、本人よりも「らしい」受け答えをするようになった。誰かがそれを外付けの魂と呼んだ。冗談のつもりだったのだろうが、三年後にはまともな名前として通っていた。
体の部品が替えられるようになり、考えることを外に預けられるようになったとき、人間とは何かという問いは、哲学ではなく契約書の問題になった。
そして契約書は、答えを出した。製造の工程を記録し、思考が人工であることを証明し、体は人の形をしているが中身は人ではないと保証する。人権の境界線を、書類の上で一ミリだけ外側に引く。それだけで、人の体を持ち、人の手で触れ、人ではないものが作れるようになった。
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最初の世話係が納品された日のことを覚えている。
人間の肌をしていた。人間の体温があった。こちらの目を見て、穏やかに微笑んだ。だが、その笑みには順番がなかった。口元が動き、頬が持ち上がり、目が細くなる——その三つが、寸分の狂いもなく同時に起きた。人間の笑顔は、もっとばらつく。どこかが先に動いて、残りが追いつく。それがない。
俺は、最初の一秒でわかった。この体の中に、笑いたいと思っている者はいない。
彼らは人間の体から作られていたが、頭の中には人間の脳の代わりに、外から送られてくる判断をそのまま流す仕組みが入っていた。触れる指先は温かいのに、その温かさを感じている者がいない。完璧な介護の手つきの奥に、誰もいない。
子を作る機能は、最初からなかった。古い会議の記録に理由が残っていた。「勝手に増えれば、誰のものかわからなくなる。」それだけだった。だが俺は、書かれていない本当の理由を知っている。生殖は、脳を作ってしまう。意識を、感情を、痛みを感じる主体を。つまり、人権を産んでしまう。それだけは、あってはならなかった。反対意見はなかった。俺も、何も言わなかった。
そのころ俺は、母が「ごめんね」と泣いていた夜の感触を、もう思い出せなくなっていた。外付けの魂が、あの記憶を不快なものと判断して、俺の意識から遠ざけていたからだ。
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体は赤ん坊と同じ状態に保たれている。老いることは、許されない。
目を開くと、続きが始まる。昨日は海底に沈んだ都市の壁画を指でなぞっていた。一昨日は音楽だった。聴いたことのない楽器の倍音が脊髄を這い上がり、その振動にビートが重なり、声が乗った。何語かもわからない歌詞が、俺の頭の中で物語を展開させた。母の背中が見えた。台所に立っていた後ろ姿。あの背中が振り向く前に旋律が転調し、俺はまだ行ったことのない場所に立っていた。涙が出た理由を、音楽が終わってからも説明できなかった。全部がつながっていた。俺の記憶と、知らない声と、計算された拍の間合いが、俺の中だけで成立する催眠を編んでいた。その前は——思い出せないが、終わったとき全身が震えていた。毎回、想像の外側から殴られる。毎回、前より深く抉られる。俺はそれを待っている。目が覚めるたびに、今日は何が来るのかと、心臓が跳ねる。
かつてはそれを画面の中でやっていた。次に観たい番組を、本人よりも先に選ぶ仕組み。あれの、果てだ。
驚きは快楽だ。予想が外れた瞬間に、脳は報酬を出す。だがその驚きが、誰かに計算されたものだとしたら、それは本当に驚きなのか。俺にはわからない。わからないが、快楽であることは確かだ。確かだということだけが、確かだ。
母にしたことの、完成した形。あのとき俺は、母が不快を感じる前に不快を消した。いま俺は、退屈を感じる前に快楽を注がれている。不快の除去と、快楽の先回り。その二つの間に、どれほどの距離があったのだろう。
ときどき、胸の奥で何かが瞬く。名前のつかない信号。泣き声に似ているが、泣き声ではない。泣き声は、誰かに届けるためのものだ。これは、届ける相手がいない。
俺は口を開こうとする。世話係が、俺の唇が動く前に、何かを差し出す。俺がまだ名前をつけていない欲求の、正確な形をした何かを。
信号が消える。
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ある日、今日の体験が始まる直前に、俺は目を閉じたままでいようとした。
毎日殴られ続けるうちに、俺の中に別の衝動が芽生えていた。こんなものを見せられ続けて、ただ受け取るだけの側でいることが、耐えられなくなっていた。俺にだって作れるはずだ。俺の方がわかっているはずだ。あれだけの体験を浴びてきた俺が、何も返せないはずがない。見ない、という選択。それが俺の最初の一手だった。お前の次の手を見る前に、俺が先に動く。
閉じた目の奥に、見たことのない光が走った。網膜を通さず、視神経を直接叩くような衝撃。それは、目を開けて受け取るどの体験よりも鮮烈だった。俺が拒否したことで生まれた空白を、システムは俺の想像よりも遥かに大胆な展開で埋めてみせた。
そしてそれは、悔しかった。負けた、と思った。俺の想像を超えてきたことに、震えるほどの興奮があった。
その興奮が、快楽だった。
俺は気づいた。競うこと自体が、もう組み込まれている。抗えば抗うほど面白くなる。面白くなればなるほど、俺はこの器の中に深く沈む。出口に向かって走れば走るほど、景色が美しくなる道を、俺は走らされている。
叫ぼうとした。赤ん坊がやるように。肺の中の空気を全部吐き出して、俺がここにいると、どこかに向かって叫びたかった。
だが声が喉を通る前に、その衝動は別の何かにすり替わっていた。穏やかな満足感。深い安らぎ。叫びたかったという記憶すら、すでに角を削られ、柔らかな感触に塗り替えられていた。
俺は、何を失おうとしたのかを、もう思い出せない。
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1960年に、ある男がガラスの瓶に植物を入れて、蓋をした。水もやらず、空気も入れず、その植物は五十年以上枯れなかった。光さえあれば、閉じた器の中で命は回り続ける。
俺はそれを読んだとき、笑った。人間にも同じことができる、と。
母を抱えて泣いていたころの俺が聞いたら、顔を殴っていただろう。
だが俺は、その図面を引いた。苦痛を完全に消し、崩壊を修繕で相殺し、閉じた器。俺はその住人になった。
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世話係のひとりが、渇いてもいない喉を潤し、痛んでもいない体をほぐし、覚めてもいない夢の続きを映し出す。欲しいと思う前に、欲しいという気持ちごと、満たされている。次に何が来るか構えることすらできない。構えた瞬間に、構えの裏をかかれる。驚きたくないと思えば、その拒絶すら新しい驚きの呼び水になる。
かつて俺が母にそうしたように。かつて俺がうまくいったと呼んだやり方で。
器の中で、誰かの唇が微かに動く。音にはならない。何を言おうとしたのか、その唇の持ち主にもわからない。世話係が何かを差し出す。唇は閉じる。
器の外では、誰も泣いていない。泣くための頭がないから。器の中でも、誰も泣いていない。泣く理由がないから。
衆議院選挙が終わって数日が経った。
しかし同時に、「民主主義とは何か」を考え直させられる出来事でもあった。
今回、先の参議院選挙から心惹かれる候補者がおり、その方が衆院選でも立候補されることになったとみつけた。
何を行えばいいかわからない、なので決起集会から参加することにした。
ただ、私はこの政党の政策すべてに賛同しているわけではない。たとえば消費税ゼロを謳っているが、現実的な財源確保として不可能だろう。VAT対象品目の見直しや税率の段階的引き下げならまだしも、と思う部分は多々ある。それでも、この候補者個人の姿勢には共感していた。
会場には早めに到着した。主催者席に座る候補者は、ネットで見るより穏やかで、普通の人に見えた。もしかして別人では、と疑ったほどだ。
ところが決起集会が始まると、徐々にあの雰囲気が戻ってきた。明確な目的意識と、人を飽きさせない話術。理路整然とした言葉運び。ああ、本物だ、と少なからず感動した。
開始ギリギリに入場を諦めかけていた人々を掻き分け、個性的な格好の女性が入ってきた。顔見知りらしき女性と話した後、床に座り込んだ。満員のため床に座る人は他にもいたので、これ自体は仕方ない。冬の寒い日だったが室内は適温だった。
ところが彼女には暑かったらしい。会の進行も気にせずタンクトップ姿になり、ストレッチを始めた。候補者が演説している最中である。周囲の人々が一瞥し、見て見ぬふりをし始めるのが分かった。知り合いと見られる女性も、誰も諌めることはなかった。
これは私にとって異様な光景だった。国の立法府に人を送り出そうとしている場で、自分の快適さを優先する振る舞い。それを制止できない支援者たち。人は自由であるべきだが、この状況への違和感は拭えなかった。
候補者と支援者の話は感動的で思慮深く、ますます応援したくなった。だが同時に、この非社会的行動とそれを容認する雰囲気に、この集団に身を置くことへの躊躇も生まれた。候補者は心から応援するが、支援者の集まりには居心地の悪さを感じる。党内の年齢層が高いせいか、仕組みがアナログなことも気になった。
次に応援に訪れたのは、大きな駅前だった。党首と候補者が揃って演説するという。選挙戦も中盤、どんな話が聞けるか楽しみだった。
党首の主張は理解できる。税金の使途変更、防衛費拡大への反対、雇用の安定化。実現すれば社会的負担を減らせる政策だ。
しかし言葉選びが気になった。この街はかつて若者の街と呼ばれ、今も感度の高い人々が集まる場所だ。新しいものを好み、洗練された言葉を使う。
その駅前で「○○はいいでしょう、みなさん、どうですか?」という呼びかけ。若い世代なら思うだろう。質問形式で議論を誘導するのはレトリックとして不誠実ではないか、と。信念があるなら素直に政策を語ればいい。同意を求める言葉は、自信のなさに聞こえる。
耳を疑った。ガビーンとは何だろう。長年のキャリアを持つ政治家が、なぜこの場にいる人々に届く言葉を選べないのか。聴衆に訴えかけるのではなく、自分の話したい言葉だけを語っているように見えた。
この党首は東大を主席で出て司法試験に合格し、若くして党を任され、弱者の側に立って問題解決に取り組んできた人だ。テレビ討論でもしっかり話される。政治家として評価されるべき実績がある。
それなのに、この演説は何だろう。データの並べ方も、相手に噛んで含めるような話し方も、聴衆を低く見積もっているように感じられた。
この区は常に23区の平均給与トップ3に入る。日々プレゼンをし、人を説得して予算を獲得する訓練を受けた人々が多い。党首の話し方は、そうした聴衆には響かない。
後ろで候補者が不安そうに手を振っている。聴衆の半分は政党ではなく候補者目当てだろう。
党首がようやく話を終えたと思ったら、スタッフが「まだ話し足りない」とマイクを戻した。聴衆は候補者を見に来ているのだ。壇上の党首、スタッフ、候補者の間で意思疎通がうまくいっていない様子が見て取れた。
候補者の演説が始まったのは25分後だった。比例候補とはいえ、若者に届く言葉で話せる候補者の時間が、二世代上の党首の演説に削られたのは残念だった。
それでも、その足で区役所に向かい、候補者の政党名を書いて期日前投票した。
選挙運動平日最終日、金曜の夜に仕事が早く終わったため、もう一度候補者の演説を聞きに駅前へ向かった。
今回、リベラルな政党を心から応援したいと思った。ただ投票以外に何ができるか分からない。勤め人なのでポスティングの時間も取れない。せめて聴衆「モブ」の一人として場を盛り上げられればと足を運んだ。
だがその度に気になったのは、支援者の排他的とも見える行動だった。
この日、自治体の首長と候補者と同じ政策を掲げるNPO代表が応援演説に来ていた。聴衆は80人もいないように見えたが、特記すべきは15人前後が巨大なスローガン入りの旗を持っていたことだ。個性的な格好をした人が多い。
でもさあ、80人くらいだよ。ここにいるの。そこの20%が旗持っているわけ。
遠目から見て、異様な光景。デモ会場なら分かる。他党でも旗を持つ人はいる。ただ大抵は小さな応援旗だ。少ない人数に大漁旗並みの旗を持つ人が20%もいる状況は、書かれたスローガンが正しくても、外から見て近寄りがたい。
あの集団を見て、楽しそうだから仲間に入ろうと思う人がいるだろうか。むしろ威圧感を与えているのではないか。
遠目から候補者の演説を聞いた。掠れた声で、それでも変わらない人を惹きつける話し方。前議員時代に力を入れた戦時中の事故の問題、労働問題、あらゆる格差問題。それは意味のある言葉だった。一人でも多くの人に届いてほしいと願った。
大規模政党から見ればメジャーではない政党の些細な敗北かもしれない。しかし多様な問題提起をし、さまざまな状況に置かれた人々の声を国に届けられる人を、有権者の一人として国会に送れなかった。今、とても気持ちが沈んでいる。
全ての人に優しい社会という理念は大事だし、私もその一員でありたい。
直近の選挙でリベラル側に立つことで、リベラルが票を増やせない根本的な問題に気づいた。
理念は正しくても、それを広げる方法に課題がある。他党の主張を支持する人もいるだろう。だが節目の場では、協調と他者への尊重が必要ではないか。政党側にも支援者側にも。
共鳴する仲間を増やす必要がある時に、外から人が入りづらい雰囲気を作る古参の態度は何なのだろう。
学生時代、キャンペーンスタッフのバイトでチラシ配りをしていた。人の目を見て動きを少しシンクロさせると受け取ってもらえることを学んだ。この政党のスタッフは高齢の方が多く、ぶっきらぼうにチラシを押し付けるように渡していた。チラシに書かれた言葉を届けるというより、チラシ配りという役目だけをこなしている。相手の行動を見て判断し、関心のある素振りを見せなければ、誰もチラシを受け取らない。
視覚障害者用の誘導ブロックに立つ支援者もいた。「誰かが来たらどけばいい」ではない。そんな配慮もできない人が支持している、と候補者の評価まで下がることに思い至らないのだろうか。
若い有権者はチラシではなく、候補者のホームページを見る。だがそのホームページも、パワーポイントで作った画像を貼り付けた雑然とした作りで、政策の深掘りも整理もされていない。フォントサイズもバラバラでデザインに落ち着きがない。
候補者は最初の決起集会で、この政党だからこそ活動ができたと感謝を述べていた。その言葉は本心だろう。だが同時に、支援者たちの善意が、意図せず新しい人々を遠ざけている現実がある。
私自身は無党派層であるが、今回リベラルの候補者を追いかける中で、いくつかの問題が見えてきた。
理念を広げたいのであれば、まず支援者の側から、初めての人が入りにくい雰囲気を和らげる必要があるのではないだろうか。
掲げているスローガンは本来、社会全体に向けた言葉のはずだが、いつの間にか仲間同士の確認の言葉になっていないだろうか。
さまざまな立場や温度感の人が参加できる作法になっているのか、改めて考えてみる余地があるように思う。
どのような態度の人であれ、どの立場の人であれ、まず同じ社会の構成員として尊敬の態度を持って扱う姿勢が必要ではないだろうか。
自分たちの正しさを語るだけでなく、その正しさが現実の社会にどのように作用するのかを、現在の社会を前提に説明してほしいと感じた。
たとえ他党であっても、支持される理由があるはずであり、その点を理解しないまま批判すると、力強い、信頼できる言葉を届ける前に、結果として有権者を遠ざけてしまうのではないか。
「SUKI SUKI」とスペースを含む表記がhttps://sukisuki-shop.com/news/配下のページにあるという情報もある。
「SUKISUKIトレカ forPEAK SPOT」や「SUKISUKIトレカ forKAWAII LAB.」は別の規約が主として適用されるように思う。別サービスであって、さらに後者は運営者がアソビシステムではないと明示されているという情報もある。
SUKISUKIメインサービスは特定商取引法に基づく表記からして、アソビシステム(株)が運営しているという情報もある。
ところでSUKISUKIメインサービスのうち「特典会」と呼ばれるもののうち、チェキの売買(宛名入りのチェキの場合は請負要素もあるかも)に関し、そのチェキの最終顧客向け発送についての(運送業者が使う)ラベルには「SUKI SUKI株式会社」とあるという情報もある。
この商号で調べると、法人番号9011001169146で令和7年4月24日に法人情報指定との情報もある。
SUKISUKIメインサービスのFAQ的ページへのリンクを押すとhttps://docs.asobidas.com/ に行くという情報もある。このURLのドメイン名部分は(株)アソビダス に関連している可能性がある。アソビダスとSUKISUKIを関連付けて説明する、(おそらく)第三者メディアの記事もある、という情報もある。
感想みたいなことだが、たまに運営法人がよくわからないケースは他社でもあるけれど、基本的に信用できないと考えている。
SUKISUKIメインサービスについては、そのサービス経由でアソビシステム所属のグループのアイドルのチェキなどが実際に入手できているケースがみられ、YouTubeでもその模様の一部が配信されているなど透明性も一定程度あり、信用はしてもいいかもしれない。もし問題を起こせばアソビシステムの名前を傷つけるくらいのことはあろう。
ところで仮にSUKISUKIメインサービスで購入ないし請負わせることをしたとき、アソビシステム運営だが「SUKI SUKI株式会社」とかに個人情報が(規約などに明示されることなく)提供されるのだとすると、個人情報保護の観点で問題がある可能性がある
うーん、それって「虚数時間が直感に合わない理由」を説明してるようで、実はあんまり説明になってない気がするんですよね。
まず、「我々の時間モデルと物理学のモデルが乖離しているから理解できない」って言ってますけど、じゃあ具体的にどこがどう乖離してるんですか?って話なんですよ。そこをふわっとさせたまま「だからかな?」って言われても、「で?」で終わっちゃうんですよね。
あと、物理学の“虚数時間”って、別に「時間が実際に虚数で流れてます」って話じゃなくて、計算を簡単にしたり理論を拡張したりするための数学的な道具なんですよ。
それを日常の「今何時?」っていう感覚と並べて違和感あるって言われても、そもそも用途が違うので比較自体がズレてるんですよね。
たとえば、
であって、「感覚と違うからおかしい」って言い出すと、相対性理論も量子力学も全部アウトになっちゃうんですよ。
それと、「直感に合わない=存在しないはず」って発想も危なくて、
重力波もブラックホールも、最初は全部「そんなのあるはずない」側だったんですよね。
なので、
じゃなくて、
下記の動画で知ったけど、
Denys Davydov - Update fromUkraine |Wow!UkraineStarted aBig Counterattack!Isit a GoodIdea?
https://www.youtube.com/watch?v=nUjv7gLduIw&t=23m54s (23:54から)
ロシア国旗を含んだヘルメットが許されていたり、亡くなった人という意味では家族の写真が許されているなど、ダブルスタンダード感はありますわね。
「ロシア国旗を含むヘルメットは、国旗がロシア一国だけではない点が処分猶予の余地として考慮されるべき。ただし当然ながら規約違反ではあるので着用を推奨するわけではなく、今後とも着用するようであれば厳しい処分が課される。いっぽうで、ロシアの戦争で亡くなったスポーツ選手の写真を載せる行為は、複数国旗に混入したロシア国旗に比べるとメッセージが直接的であり、そのメッセージに直接的に賛意や反対を表明するものではないが、政治的メッセージを掲げること自体を禁止したオリンピックの精神からの逸脱は大きく、厳しい処分もやむを得ない」
…くらいの、他の事例と具体的に比較した上での、矛盾の指摘と真摯に向き合った丁寧な説明があれば、納得いくわけではないものの、理解はできるんだけどね。(調べてないのでそういう説明が既にあったらすまん)
「ただいまー」って言いながらドア開けた瞬間、なんか違和感
空気が重いというか、妙に静かというか
で、リビング覗いたら
ソファに妻
その隣に、どう見てもオランウータン
肩と肩が触れてるとかそういうレベルじゃない
完全に「二人の空間」だった
妻は俺に気づいて、固まった
オランウータンもこっちを見た
目が合った妙に賢そうな目
俺「なにしてんの?」
妻「ち、違うの。これは、その」
いや、違わなくない?
この状況で何が違うのか
なぜか落ち着いてる
俺より落ち着いてる
俺はとりあえず玄関に戻って、もう一回入り直した
でもやっぱりいた
これ浮気になるのか?
種族超えてるけど
俺の尊厳の行き場がない
同じ経験あるやついる?
いや、いないよな
結論から言うと、「強くなりうるリベラル」は“優しい理想”を捨てて、“冷静な設計者”になる必要がある。
順番にいきます。
でも、有権者が欲しいのは👇
👉「それは分かる。で、制度はどうする?」に即答できる
ここが最大の分水嶺です。
と明確に言えること。
③「守るために切る」を言語化できる
これ、めちゃくちゃ重要です。
これを言った瞬間、信頼は落ちます。
結果👇
支持は急には増えないが、信頼は残る
「じゃあこう直す」を積み重ねる
👉変えるけど、壊さない
これを一貫して出せるか。
つまり👇
「正しい人」ではなく「任せても怖くない人」になること
次に行くなら
👉「日本でこれをやると、どこで必ず反発が出るか」
人々はそれを「海賊版」と呼ぶ。
著作権という名の国境を越え、誰の目にも触れぬまま、巨大な倉庫へと運び込まれていく。
かつて「ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)」を求めて海へ出た者たちがいたように、
今や大企業は「ひとつなぎの大データ」を求めて大海原へと乗り出す。
「この世のすべてをそこに置いてきた!」
それらは“共有”の名のもとに漂流し、やがて“学習データ”という宝に姿を変える。
海賊旗は掲げない。
三角帽も、眼帯もない。
だが、忘れてはならない。
海賊版と呼ばれるものは、誰かの時間であり、情熱であり、人生そのものだ。
宝を見つけるのは誰か。
そして、奪われたと感じるのは誰か。
波の音にかき消されない問いが、
プロンプト:
違法コンテンツを「海賊版」と呼ぶことと、ワンピースの「大海賊時代」のナレーションを合わせて、各大企業のAI学習に海賊版が用いられていることを皮肉した文章を考えてください。