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はてなキーワード:語源とは

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2025-10-22

anond:20251022201611

打ちひしがれるって地味に素では語源予想できないよね。

ひしぐ、ってなんだよっていう。

ちりばめるも、語源理解まちがってるひとおおいから散りばめると書かれちゃう

dorawiiより

-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20251022201733# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaPi9TwAKCRBwMdsubs4+SMgKAQDD+uqivF4UrO05fG+gwwTNycKZVlVTJaOUbzVjPNAjxQEAmQxa/9cZ/nPl0ayhAas2K82j4znOeWz9sCXO2yokJws==xEbE-----ENDPGP SIGNATURE-----

Permalink |記事への反応(0) | 20:17

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処方箋を表す記号 "℞" は、16世紀書類に「受け取れ」という指示を意味する後期ラテン語 "recipe" の略語として登場する。

中世処方箋医師から薬屋に対し、ある材料を「受け取って」特定方法で配合するように指示するものであったことによる。

この語は、レシピ語源でもある。

当初は "Rc" と略されていたが、"R" の右下の脚の部分に省略を意味する斜線をつけて "℞" と表記するようになった。

"Rx" のように書かれることがあるが、由来からするとこれは誤りである

この記号の由来について、ホルスの目との関連や、南欧古代神話ゼウスギリシア神話)やユーピテル(ローマ神話)を意味する記号 "♃" との類似性を指摘する説があるが、これらには客観的証拠がない。

Permalink |記事への反応(0) | 11:21

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2025-10-21

anond:20251021154127

語源について書いてる増田のことを童貞と言っているなら私は女性なので的外れです。洞察力なさすぎでしょ。

Permalink |記事への反応(0) | 15:43

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anond:20251021150208

語源に諸説はあるものの、シコるも抜くも男性器を擦る擬音だったり射精に関連する用語だと容易に想像がつくのに、しごくための男性もついてなければ出す精液もない女性がその言葉を使うのはおかしいって秒で気付きません?生物学男性が書いていると思われても無理ないですよ。

女性がいったい何を「シコシコとしごく」んですか?

両性具有なんですか? まあネカマなんだろうけど。

小学校中学年のころから欠かさず毎日何度も自慰をしているなら、なおさら擦るとか弄るとか抜き差しするという表現のほうが身近に感じられるはずでは?

元増田男性向けポルノに熱中してて普通の人よりもポルノに詳しいなら、なおさら女性自慰行為にシコる、抜くとは絶対に使わないことに気づいてなければおかしいですよ。

Permalink |記事への反応(1) | 15:38

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2025-10-20

anond:20251020130453

あくまでも元の語源の話をすると、

ホモソーシャルってのは、なんていうかアメリカドラマにいるジョックラグビー部や、飲み屋ならず者集団みたいな感じのやつ。

「男同士でツルんで、女にイイ尻だな!とか言うことをおもろいと思ってる集団が居る。こいつらが女性差別主体。その集団に属さなければ、男とて差別をしない」

という発想だ。

 

まあなんか、アメリカ社会用の概念って感じがする。

日本語SNSで喋ってるやつらは、ほぼ本来意味から外れてるだろうな。

男と男が集まってたら動物が発する鳴き声だと思ってればいいよ。

Permalink |記事への反応(0) | 13:12

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2025-10-14

anond:20251014074449

全然まとまってないけど、すこしひっかかったから書いてみる。

ほとんどメモのようなもの

たとえばあなたが誰かを好きになったとする。

でもその誰かは、突然どこかから降って湧いたわけじゃない。

その誰かは、他の誰か(親や保護者友達や食べてきた生き物)によって大事に育てられてきたからそこにいる。

文化あなた気持ち良くするためだけの道具ではないと思う。すごく極端にいうと、セックスだけやらせてくれみたいに聞こえる。

文化にもあなたが好きになった誰かのように、育てた人がいるんじゃないかなって思う。

僕は数学が好きで、数式も好き。何かのわからない問題について考えることが好き。

でもいま僕がその数学問題を解くために、使っている記号や考え方の方法も、誰かが忘れず薪をくべ続けるように育ててきたから僕はその問題に向き合うことができる。

そして大切なのは数字数学目的じゃなくて、その数字という言語を通してなにをするか。

例えばそれは、花子さん太郎くんに追いつく時間を知ることかもしれないし、目の前のおばちゃんの生まれた年を聞いて何年前に生まれてどんな経験をしたか想像するためかもしれないし、正確な設計図を書いて人をちゃんと殺せる兵器をつくることかもしれない。

数学もそうだし、あらゆるテクノロジー(技)は、育てるためにも殺すためにも使うことができる。

まちづくりにおいて「実績」という言葉があるけど、いまはその「実績」が数字と結びつきすぎているような気がする。実という言葉語源には宝(寶)があり、績という言葉語源には、まゆの目に見えないほど細い繊維を切れないように何度もよりかけて糸にすることがある。

「宝」と聞くと、僕はパッと宝箱に入った金銀財宝を思い浮かべる。でもその金銀は、ただの金銀であって、それ自体が食べれるわけじゃない。誰かが作った料理を買って自分を育てることができたり、誰かに育てられた人にプレゼントを渡すことができて、もっと仲良くなれるかもしれない。そう考えるとそもそもお金以外の宝もたくさんあると思う。そしてお金で買えない宝もたくさんある。

一番最初に聞いて感動した音楽はなに?友達とどんなふうに出会ってどんなふうに仲良くなった?自然を見て美しいと思ったことはある?

実績は数だけじゃなくて、数では測れない実感こそ積み上げることも実績だと思う。

数(財布)から数(財源)を積み上げることが実績じゃないと思う。数は命の数でもあって、その対象が育てられた数でもあると思う。

ミヒャエルエンデは、芸術を鑑賞するのは利口になるためではなく、豊かになるためだという趣旨言葉を話したことがある。

でも豊かってなんなんだろうなって最近ずっと考えてる。以前地方美術館学芸員さんと話す機会があって、聞いてみた。その人曰く、「豊かは、増えること」って言っていた。その言葉の内容もそうだけど、その質問に答えようとしてうーんと悩んで、沈黙のなかからポツりと出てきたのがその言葉で、自分はそのときの間や、音(そのひとのうーんって声や周囲の音)がなぜかすごく心地よく感じて今でも思い出す。

他の人にきいたら別の答えが返ってきそうだけど、これを読んでいる人はどう思うかな。

文化、cultureの語源は、耕すことらしい。つまり文化自体が実じゃないのかもしれない。モノと受けとる人の間に生まれることが、ほんとうの実績なのかもしれない。

僕らはなにを耕して、どんなものを育てていきたいんだろう。いま大事とされているもの最初から大事だったわけじゃない。それが大事なのはそれを大事にしてきた人がいたか大事なんだと思う。

養育費みたいに税金だけ渡して満足するんじゃなくて、たまには美術館博物館に足を運んで、自分の目や耳でどんなものが生まれて、一緒に育てられるのか、考えたいなって思う。

Permalink |記事への反応(0) | 12:00

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2025-10-13

「抜く」は「扱く」の誤読に由来するのか?

自慰をする、あるいは単に射精をすることを、俗に「抜く」という。

この「抜く」という表現語源について、「扱く(しごく)」の誤読である、という説がある。

たとえば「陰茎を扱く(しごく)」と書いたのを「抜く」と見間違えたというのである

この語源説の信憑性判断するために、今回は「抜く」の古い用例を確かめてみたい。

まず、それらしいワード検索してみると、戦前ではフロイト心理学引用が引っかかる。

フロイトは「歯を抜く」ことが射精と関連していると主張していた。

そのくだりで「とある方言では自慰のことを『引き抜く』と表現する」ことを引き合いに出しているのである

「sich einen ausreißen」などと言うらしい。

本当にそういった方言があるかはわからなかったが。

1957年歯科時報』の「口腔歯牙の性心理と性生理」という連載において、このフロイトの主張が引用されつつ、こう述べられている。

日本でも「一本抜く」は、性交または自慰意味する隠語として用いられている。

この連載では1961年掲載された回でも、

ロイド自慰を行うという意味俗語として、「一本抜く」という言葉ドイツ語にあることを指摘したが、フエレンツイは同様の俗語がハンガリアでもしばしば用いられており、しかもハンガリア人は、フロイドが指摘したドイツ語全然知っていないと述べ、さらに、ハンガリア語には、ほかに自慰をあらわす俗語はないことを強調している。そして、ドイツ語やハンガリア語を知らない日本人も、昔から同様の俗語を用いて来ていることは、前にわたくしが指摘したとおりである。ただし日本語の「一本抜く」は、性交意味にも用いられるのであるが。

としている。

ただ、実際に「一本抜く」がそのような表現として使われていると思しき例は一つしか見つけられなかった。

1951年出版された『女の平和』において、男性セックス・ストライキを嘆く場面が以下のように翻訳されている。

どんな魂、どんな金の丸玉が、どんなお下が、どんな急所が、かう責め抜かれては明け方に一本抜かずにゐらりようか。


1970年代ごろからは(その時期に初出というわけではないが)「精を抜く」「精液を抜く」という表現が増えたようだ。

※ ただ「精を抜く」はもともと「重要な部分を抜き出す(抜粋などと同義)」という意味で使われることのほうが多かった

※ また「精を抜かれる」のような言い回しだと「精気」の意味であることが多いので判断が難しい

1971年全日本海員組合機関誌 海員』。

今の若い船員を見ていると、本当に気の毒である。一カ月も鉄の箱にとじこめられて、おかに着いて息をするにも、精を抜くにも、一日や二日の停泊で、ムードたっぷり女をくどくひまなく、飲みに行かねば女に当らない。


1972年週刊現代』「喰って眠ってナニをして」。

マリアンヌとは、同じベッドに寝ているかぎり精液を抜かれるので、今夜は休養したいとでも思っているのだ。


1977年銀行緊急役員会』。

もっとも、ベッドの中で妙な気分にならないように、昼間からトルコに行って精を抜くぐらいの努力しましたがね。


1978年の『週刊サンケイ』「ドッキリ英語教室」。

jerk offというと「ぐいぐいとしごいて精液を抜く」こと。


さら1980年代の半ばからは、少しニュアンスの違った「一本抜く」が広まっていった。

1984年週刊現代』。

こんなときは手っとり早く一本抜くのに限ります最近ピンク業界は、女のコの質が高くなってきて、悪質ギャルはお払い箱。


1985年東京爆発小僧』。

実利というのは、射精させてくれることである業界用語で「一本抜く」という。新生ノーパン喫茶の個室では、ノーパン嬢たちがせっせと一本抜いている。一本抜けない風俗営業の店は、どんどんつぶれていった。今はノーパン喫茶でも、覗き部屋でも、ストリップ劇場でも、必ず一本抜いてくれるのである


1986年『だきしめ北海道』。

人間のオスが風俗営業お姉ちゃんに"一本抜いてもらう"と、一万円札を用意しなくちゃならない。


1987年『診男法』。

「一本抜いてくる」と平気で風俗業界へくり出し、1年も車内の掃除をしていないようなきたないスカイラインで、RX7を見ると異常な闘志を見せたりします。


1987年現代都会語事典』。

一本抜く 八〇年代射精産業エースファッションマッサージ業界用語で、一人放出させること。


1988年東京23区物語』。

歌舞伎町地方に伝わる方言言い回し

この地方では、他の東京各区ではあまり聞き慣れない方言言い回しが使われることがあります。注意しましょう。

まず、女の従業員が客の男の股間部に手を差し入れマッサージ運動を施したりすることを「一本抜く」と表現します。


このように「一本抜く」という言葉性風俗業界用語として、一気に人口膾炙していった様子が窺える。

もちろん同時期に「一本く」という表現は見当たらなかった。

流れとしては、

  1. 少なくとも戦後、どこまで広まっていたかはわからないが、自慰性交を「一本抜く」と表現することがあった。
  2. 1970年代ごろから「精を抜く」「精液を抜く」といった表現も見られるようになった。
  3. 1980年代から「一本抜く」という言葉性風俗業界用語として一気に普及した。
  4. そこから「抜く」という表現が単なる自慰などに対してもよく使われるようになった。

といったところだろうか。

そもそもの話をすると、「抜く」の語源が気にされるのは、一見すると「自慰」と「抜く」が繋がらないからだろう。

そこで「抜く」と「扱く」の字形が似ていることから連想して「抜く=扱くの誤読」説が考案されたのではないか

しかし「動物の血を抜く」「プールから水を抜く」などのように「溜まっている液体を抜く」という用法自然ものである

それが精液に適用されるのもまた自然であるわけで、わざわざ「抜く=扱くの誤読」説を採用する理由はないように思う。

Permalink |記事への反応(0) | 21:49

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2025-10-11

anond:20251011104748

抜くの語源だってのも根拠いからなあ

Permalink |記事への反応(0) | 11:26

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anond:20251011104706

語源とか考えたことなかった

そうなん

Permalink |記事への反応(0) | 10:52

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anond:20251011104706

それは「抜く」の語源だろ

勝手双子を産んだことにするな

Permalink |記事への反応(1) | 10:47

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2025-10-10

[今日知った言葉]しゃもじ

しゃもじ語源は、柄の先に皿形の部分が付いた道具の「杓子」(しゃくし)の頭字「しゃ」に接尾語「もじ(文字)」が付いた女房言葉(にょうぼうことば)である[2]。本来は汁をよそう汁杓子も含めた言葉であり、米飯をよそうもの特に飯杓子と言ったが、時代が経るにつれ、汁用のものおたま(お玉杓子)、米飯のものしゃもじというようになった[2]。

Permalink |記事への反応(0) | 08:44

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2025-10-09

anond:20251008235340

スマホアプリもアップリケって呼ぼうぜ

語源は同じなんだし

Permalink |記事への反応(0) | 07:10

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2025-10-06

anond:20251006174714

妻を娶とらば。 のとらば。が語源

Permalink |記事への反応(0) | 17:49

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2025-09-27

anond:20250830223506

語源については以下の説があるが詳細は定かではない。

西日本で用いられる「どんくさい」が転じたとする説

田舎という単語を「だしゃ」と読み、形容詞化して「だしゃい」と読んだものが転じたとする説

・「無駄臭い」が転じたとする説

少年漫画において用いられた台詞一般的に浸透したとする説

ジャーナリスト榊原昭二によれば漫画の中の「やさい」という言葉が転じたものとしている

Wikipediaには載ってないんだが

Permalink |記事への反応(0) | 19:33

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2025-09-26

anond:20250926085041

語源を考えろよ

Permalink |記事への反応(0) | 09:37

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2025-09-25

anond:20250924190655

一晩経って読み返したら追記しないとなあ、あそこも書くの忘れてたなあ、ということが山ほどあったので岩手の他の場所のこと書く前に追記・補足しておく。

あと、「地元の人が行く店を避けている」という言及があったけど別に避けてない。忍ばせている。

まず補足から

神子田朝市: 朝は早い(3時台)。朝8時にはほぼ閉店している。ホテルが近くにないので前日のうちにタクシーを予約しておくといい(たぶんホテル駐車場一時的に出すと損になる)。

盛岡駅の店が10/1境になっている理由: 駅の改札口フロア北側で大改装工事が予定されていて、その予定地になる店が軒並み閉店するから改装工事は既に始まっていて南側には新しい店が増えている。

わんこそば店:わんこそばのものとは関係ないが、東家はカツ丼の評判がいい。あと直利庵のオニオンそば今上天皇絡みで隠れた名品だったりする。

じゃじゃ麺: "折り返すまでは大した列ではない"は、混んでない時に座っても15分待つがたいていはその客が食べだした後に並んでいるので食べ終わった後に座る人たちにはすぐ出てくる、ということ。なおあなた玉子アレルギーでないなら「ちーたんたん」は必ず注文すること。

ヘラルボニー:岩手発のブランドなのでコラボ製品はあちこちにある。IGRの車体とか、盛岡バスセンター宿泊施設内装とか。

坊っちゃん:つまみ定番は「ライスコロッケ」と「生ラムジンギスカン」。あとはお好みでどうぞ。

ベアレンビール:ネギトロアボカドタルタルがあるのは盛岡駅前地下の店だけ。つまみメニューについては全店舗方針が違う。なお材木町店は現在貸し切り営業以外はしていない(春から秋の土曜は"よ市"で店前に出店をだしていて飲める)。あと市内の工場では100年前の設備見学対応している。

小岩井農場: ここは観光農園である前に商業農園なので、口蹄疫騒動以降動物との触れ合いは最小限になっている。牛の乳搾り体験とかなくなった。その分遊具を増やしているので子供連れは遊ぶ場所はある。


紹介していなかったものについて書く前に少しだけ。岩手観光地は「一箇所でたっぷり楽しむ」というよりは「薄く広く見て回る」という施設が多い。たぶん宮沢賢治とかあたりは来る前に生涯について調べて来たりするほうがいい(妙に偉人が多いので、そのための先人記念館、という説はある)。NYタイムスが「歩いて楽しめる街」として紹介したのにはそういう面があるのかもしれない。

三ツ石神社: "岩手"の語源となった、鬼の手形がついた岩が祀られている。ただ、ここ5年くらい、「手形が見えなくなった」という話題でもちきり。今後見えたならかなりラッキーかもしれない。

盛岡天満宮:狛犬風貌が変かわいい、ということで最近少し話題になっているが、その横にいる撫で牛が地味にかわいい

住吉神社: 併設されている"体操神社"の御神体が意外なもの(意外ではない)。誰でも扉を開けて御神体を眺められる。

岩手公園: "六三四の剣"で主人公が登った石垣がある。啄木学校抜け出して寝転んだのもこの公園

喫茶店:クラムボン以外にも珈琲店紅茶店を含め「文化」として売り出しがかかるくらいあちこちにある。

ハンバーグベル:びっくりドンキーの1号店。ただしメニューは店名が違う以外はびっくりドンキーとほぼ一緒。

五百羅漢: 三ツ石神社近くの報恩寺にあり、宮沢賢治石川啄木ゆかりの地でもある(観覧は有料)。実は500体ない。

十六羅漢:あさ開そば公園にある(ただで見られる)。実は16体以上ある。宮古までの旧街道は実はこの公園あさ開の間にある細い道だったりする。

とふっち:岩手PRするキャラクターとして「わんこきょうだい」というキャラがあり、お椀の中に豆腐がある"とふっち"は盛岡近辺地域担当。実は盛岡市は全国有数の豆腐消費地で汲み出し豆腐の"よせ豆腐"がうまい

岩手山:盛岡駅周辺に茶色建物が多いのは、北上川の背景に見える岩手山の光景邪魔しないように建物に色制限をかけたから。駅の北の方には"六三四の剣"で主人公が通った道場モデルがある(現在増築中)。

高松の池, 小鹿牧場:マンガとりぱん」で、「T松の池」とか「O公園」とされているのはこの2ヶ所。小鹿牧場は実はもう牧場ではないので小鹿公園名称を変更している。おそらく作者が住んでいるのはこれらの近辺。どちらも桜の季節には桜が見られる。

岩手大学農業資料館:岩手大学の敷地無駄に広いがその南端にある古い建物前身となった学校の旧本部宮沢賢治にもちょっとだけ関わりがある。昼間だけ有料で見学可能

盛岡駅: "滝の広場"は東京制作ロケ番組挨拶に頻繁に使われるほか、呪術廻戦を始め盛岡絡みではこの近辺の絵がよく使われる。理由は「もりおか」の文字(石川啄木による)がここの場所でよく見えるから

マリオスとアイーナ:盛岡駅西口公共施設。背が高いほうが盛岡市絡みの「マリオス」で最上階は無料展望台。ガラス張りのほうが岩手県絡みの「アイーナ」で最近ネーミングライツ名前が変わった、県立図書館が入居している。カタカナ名前のせいか、なぜかよく取り違えられる。

プロスポーツ:サッカーチームJ3からJFL落ちして1年で復帰を目指していたが9月現在かなり厳しい。バスケチームは今シーズンよりB2入り。どちらも盛岡だけではサポーターブースターが足りないので岩手県全体をフランチャイズにしていて、ホーム戦でも盛岡試合が見られるとは限らない。

盛岡手作り村: つなぎ温泉ダム湖を挟んだ対岸にある。南部曲り家が移築保存されているほか、盛岡伝統工芸関係工房が集まっていて一部は体験可能。たぶんいちばん手軽なのは南部せんべいの手焼き体験(焼くのはクッキータイプ)。周辺というか行くまでのところにはラブホテルが集まっている地域があってこの地域のことが「子作り村」と地元では呼ばれている。

多分また追記するかもしれない。

Permalink |記事への反応(0) | 11:53

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2025-09-24

anond:20250923194733

これがラオスでガキマンコを買えば日本アニメで乳が揺れるの語源らしいな

Permalink |記事への反応(0) | 10:13

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2025-09-19

dorawii@執筆依頼募集中

䨊←語源もむらがってる!

-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20250919165253# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaM0L1gAKCRBwMdsubs4+SCFNAQDxO8ODiRYbROaFfuXyO8gcXPhlU3/qd6aoA9DElQ8acAEAjMuGrU+2kttuQVBBNO1XfGX35xtcfJKhBo6AR/d84wQ==J7zl-----ENDPGP SIGNATURE-----

Permalink |記事への反応(1) | 16:52

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2025-09-18

ただでさえ2席分ぐらいありそうなデブ荷物も置いて3席分ぐらい占拠してて殺意が湧いた

関取語源はこれか、と妙に納得した

Permalink |記事への反応(2) | 11:56

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2025-09-17

イギリス都市

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_generic_forms_in_place_names_in_the_British_Isles

に乗ってない都市語源。但しロンドンは除く。駅もない都市も除く、というより駅があるとこ中心。でかければでかいほどよい

あと分かりやすそうな単語の組み合わせも除く(southendonseaみたいなやつ)

bath

bridgend

coventry

crewe

epsom

gravesend

hastings

high wycombe

kilmarnock

morpeth

paisley

pwllheli

  • sevenoaks:古英語seofon+acで「7本のオークの木」が語源

southport

stevenage

stirling

yeovil

york

Permalink |記事への反応(0) | 23:07

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薩摩弁「ちぇすと」の由来について1898年以前の用例から考える

「ちぇすと」の由来については以下のnote記事に詳しい。

[研究] 謎の薩摩弁「ちぇすと」はどのように生まれたか――鹿児島谷山方言とロシア語が結びついて流行語になり、誤解から「興奮とくやしさを表す雄たけび」に変化|mitimasu

(1)本来、「ちぇすと」は**鹿児島谷山町の方言で、「よっこいしょ」の意味**の言葉

(2)明治時代の中頃に鹿児島谷山方言の「ちぇすと」と**ロシア語の「че́сть(名誉)」が結びついて称賛としての「ちぇすと」が鹿児島知識人流行語になった**

(3)島津義弘関ヶ原正面退却や宝暦治水を**称賛する言葉として**「ちぇすと関ヶ原」「ちぇすと松原」(※宝暦治水千本松原のこと)が生まれ

(4)しかロシア語意味がわからない人が、(3)の使われ方から(2)を**悲しいとき・くやしいときに発する言葉だと誤解した**と思われる

(5) これらを踏まえて明治30年ごろに「ちぇすと」が**東京学生青年あいだで「気合を入れる言葉」として流行し**、広く世間に知られるようになった

(6)流行がしずまり現実では(2)と(5)を使う人は減り、**フィクションの中の薩摩人ばかりが使う言葉になった**

(7)鹿児島出身作家である**海音寺潮五郎が(4)の意味でさかんに使用**(海音寺氏は谷山から遠く離れた現・伊佐市の生まれ

(8) これが鹿児島県に逆輸入され「ちぇすと」が「くやしいとき気合を入れる時に薩摩人が発する言葉」だと**鹿児島県人が認めてお墨付きを与えてしまう**

(9)司馬遼太郎をはじめ**多くの作家が(4)の意味使用し、(3)の意味は失われていった**

(10) 結果として「気合を入れるときの雄たけび」と「くやしいときに発する言葉」という**異なる意味が「ちぇすと」の中に共存し、よくわからない**ことになってしまった

(11)そもそも「ちぇすと」は「よっこいしょ」という意味しかない江戸明治期の谷山町の方言なので、**多くの現代鹿児島県人にとっても使わないよくわからない言葉**である

しかし、このnote記事では1936年辞書の「露語から来たといわれる」という一つの記述を、そのまま鵜呑みにしてしまっている。

また全体として推測が多すぎるため、いくつかの情報提示するとともに研究を補強したい。

「ちぇすと」の初出としては、1898年内田魯庵『くれの廿八日』が挙げられているが、これよりも早い用例はいくつかある。

まず、1888年の『青年之進路』。著者は鹿児島士族佐藤良之助とある

猿渡は傍若無人なりステッキを以て力任せに竹藪を叩きながら

然り然り卑怯者奴(め)……無気力(いくじなし)奴(め)チエストー

これは相手馬鹿にして煽っているシーンであり、この「ちぇすと」は少なくとも称賛の意ではあるまい。

ただ、ステッキを振るための掛け声なのか、相手威圧するための掛け声なのかはわからない。

同じく1888年の『女学雑誌』。

「さうダワ」「なくつてよ」のあどけない令嬢のみならんや「チエスト」と罵るこわからしき九州男児も「オオしんど」と言ふ裊娜(たほやか)なる西京佳人も以て一対の主人公なすに足らん

句読点がないからどこからどこまでが一文かわからないが、ともあれ「ちぇすと」は「罵り」だという認識があったことが窺える。

1889年の同じく『女学雑誌』。

膝ッきりの衣服に高下駄お国書生、是も二人連

「ドウモ奇絶ジャ…」「エライ人が駈をるナ…コレどふする…」

箪笥を擔で来る男「邪魔邪魔ダッ…」

「コリャどふする…エエ」お国訛にりきんでも突飛(つきとば)される「エエ…チエスト」。扼腕――是も苦笑となる。

田舎者上京してきて呆然としているところに箪笥をかついだ男に突き飛ばされて「ちぇすと」と扼腕する、といった場面。

ちくしょう」「なんてこった」などと同じような、思わず出てしまった言葉という感じがする。

1892年罪と罰』。ドストエフスキーの訳書だが、訳者が『くれの廿八日』の内田魯庵である

真向に鉈振上げて、婆アの頭脳を打砕き、腥血淋漓たる中に生血の滴る得物を手にし、錠を破し、金を盗んで、隠れやうとする自己だ。ちェすと!こんな事が出来るか?有るもんか?

英文からすると「ちぇすと」はかなり意訳っぽいが、やはり「なんてこった」という感じだろうか。

1893年『称好塾報』。称好塾は滋賀出身杉浦重剛という人が東京に作った私塾である

此頃より陰雲未た開けずと雖も細雨は既に跡を収め皆チエストと絶叫せり

其佳なる所に至れば「チエスト」と絶叫せしむ

前者は川船を漕いでいるときに雨が上がったところ、後者薩摩琵琶の演奏についての記述で、いずれにしても快哉を叫んでいるようである

薩摩琵琶はともかく、雨上がりに「ちぇすと」と叫ぶのは、すでに鹿児島出身ではない学生たちのあいだでも「ちぇすと」が定着していたのだろうか。

1893年少年子』。

此愉快なる、此呑気なる、此無責任なる、此無頓着なる生活写生に向って毛奴を奔らす、予輩も亦自らチエストー一声の下に案を叩いて四辺を一睨せさるを得さるなり

下宿暮らしの書生はあまり自由気ままだという話のオチの部分だが、よく意味がわからない。

とりあえず、気合を入れるための一声、という感じか?

1895年探偵実話 娘義太夫』。

「左様か教師が左様云ッたか……自分でさへ左様思ふもの……」と言つつ両眼に涙を湛へ「チエストッ鹿児島男児が」と一声高く叫びたり

自分が情けなくなってちぇすと。

溝口は下足番の招き声に風(ふ)と心注(こころづ)きて立止り「チエストー貴様おはん)は偽言と云ひ馬鹿なッ」と言捨しまま元来し道へ駈戻らんとせり

怒りのちぇすと。

彼が情厚の男子と己(おい)どんを今日まで思ッチヨルとは何たる事か夢か誠か、イヤ誠……此文……チエストー、アア愉快愉快ト喜び勇むも実に尤もなり

喜びのちぇすと。

薩摩人の「溝口」が女義太夫の「紋清」に惚れ込んで事件に巻き込まれていく話らしく、全体的に良くも悪くも感情が高ぶると「ちぇすと」と言う描写になっているようだ。

ただ著者は匿名だが、実は高谷爲之という刑事上がりの新聞記者で、東京出身らしい。

1896年『盍簪』「薩摩新風土記」。

チェストー、這は是れ感情鋭烈なる薩摩隼人が何事にか其の心を刺撃せられ感泉俄に湧て抑ゆるに由なく、一條の熱気思はば口端より迸出するの声なり、此感声の発する時、是れ彼れ等が掌を握り肉を震はすの時なり、ステキヲ揮ひ路草を薙ぐるの時なり、実に薩人の感情は激烈なり

ステッキで草を薙ぐというのは『青年之進路』の場面そのままだが、そんなに典型的な行動だったのか?

と気付いたが、note記事でも紹介されていた『薩摩見聞記』にもほぼ同じ文章が出てくるので、この「薩摩新風土記」を本にしたものが『薩摩見聞記』なのだろう。

この『薩摩見聞記』の著者は本富安四郎といい、新潟長岡藩出身だが鹿児島に数年ほど滞在したという。

1897年江見水蔭『海の秘密』。江見水蔭は先ほど出てきた「称好塾」の出身らしい。

「ちえッすと!」

殊に高く響いた此声を最後にして、多くの怪しの人影は散々に大王崎を去つて仕まつて、それからは寂として声が無い。

謎の集団が、その企みが失敗したのか「ちぇすと」と叫んで去っていった、というような場面。

と、こうしたあたりが1898年内田魯庵『くれの廿八日』以前の用例である

明治中期からしか用例がないということに変わりはないが、当初から明らかに「称賛」ではない例が多く見られる。

これは冒頭でリンクしたnote記事説明に反する事実である

薩摩新風土記」に書かれているように「何らかの感情が高ぶったときに出る声」というような説明適当ではないか

また、この頃の方言集や辞書も紹介する。

1906年の『鹿児島方言集』。

ちぇすと てすとに同ジ

てすと 感嘆詞快感

元は「てすと」なのか?

1912年山田美妙『大辞典』。

すとう[感]九州地方方言。力ヲ込メテハゲマス語。或ハちえナドヲ添へ、ちえすとうナドトスル。

元は「ちぇ+すとう」なのか?

1933年方言誌』「鹿児島鹿児島谷山方言集」。

エスト よいしょ(掛声)

エツソ チエツソイケ それ見ろ

これについてはnote記事でも言及されていたものである

note記事では「ちぇすと」と「ちぇっそ」は無関係であろう、としていたが、

1977年かごしま民俗探求』の久保けんお「薩摩方言民謡」では、

チェストはおそらくエイクソの転化であろう。エイヨは薩摩ではチェイヨとなる。母音エに子音Tをかぶせてチェとするのであるエイクソがチェイクソとなり、促音化してチェックソ、クを省いてチェッソ…。チェッソを遠くへぶつけるには当然「チェスト」となるはずである


1979年井島六助『出水方言 カゴシマ語の一特異分野』では、

ちぇっそ 感動詞一般に知られているカゴシマ語としては「ちぇすと行け」など言って激励の語とされ、または、思わず感嘆する時の語とされているが、ここでは元来、「ちょいちょい」と同様、「ざま見ろ」という気持ちを現わす感動詞で、これに類する用例は、「ちぇすと行け」多用のずっと南にもあるようである。チェッソ、ユゴトセンモンジャッデ(ざま見ろ、言うようにせんもんだから)。語源については、英語zestからとか、露語yectbからかいうのがある。

説明されており、これらは「ちぇすと」と「ちぇっそ」には関係がある、としている。

これらの説明が正しいかどうかはともかく、多くの異論があるということであり、そのなかで一つの説を支持するならば、何らかの根拠必要になりそうである

Permalink |記事への反応(4) | 02:05

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2025-09-16

バズる」って言葉あるじゃん?あれ、トイ・ストーリーバズ・ライトイヤーが由来だと本気で思ってたわ。

だって、あのバズの「無限の彼方へ、さあ行くぞ!」ってセリフ拡散力がカンストしてる現代社会のものじゃね?情報が光の速さで彼方まで飛んでいく感じ、完全にバズ・ライトイヤー動詞化だろ。異論は認めん。

で、今日ググってみたらさ、「ハチブンブン飛ぶ音(buzz)」が語源なんだってよ…。

……ハチて。虫て。

私が信じてた「バズる」の世界観もっとこう、宇宙とか、レーザービームとか、そういうので満ち溢れてたはずなんだが。まさか昆虫だったとはな。

もう何も信じられない。明日から何を信じて生きていけばいいんだ。とりあえずトイ・ストーリー見返すわ。

Permalink |記事への反応(0) | 15:54

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2025-09-15

後の祭り」ではなく、「祭りの後」じゃないの?

祭りの後に来ても意味ないよねって話なのに、

後の祭りって言うのはおかしくない?

祭りの後だよね?

と思ったらAIがこう教えてくれた

後の祭り(あとのまつり)」の語源は、京都祇園祭の「後祭(あとまつり)」で、前祭(さきまつり)の豪華さを見逃して後祭に訪れた人が、その規模の小ささにがっかりしたことからまれた、時機を逃して取り返しがつかなくなった状況を指す言葉です。

後の祭りって「後祭」のことだったんだ!

まさか名詞だとは思わなかったよ

Permalink |記事への反応(0) | 00:54

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2025-09-13

anond:20250913165748

ツインテールってウルトラマン怪獣語源なんだよね

Permalink |記事への反応(0) | 17:06

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2025-09-12

フラペチーノ」の語源は「フラフラペンペンチンチーノ」だと言われている。

Permalink |記事への反応(1) | 23:02

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