
はてなキーワード:誘拐とは
Aと俺が高校生の時、Aと夜のランニングのために公園で待ち合わせをしていた
そしたらいつもくるAが来ないのでストレッチしていたら、物音と大声と車の音がした
そしてAの靴を履いた人が無理やりワゴンに乗せられている様子が遠くに見えた
慌てて俺はAのケータイにかけても出ない
アホな俺は警察に電話することすら忘れてワゴンをママチャリで追いかけた(着替えとか入れておくのでよく使う)
で、何キロ走ったか知らないけどAを乗せたワゴンがカラオケの駐車場に止まってAが降ろされた
そのままAを連れた男2人がカラオケ入っていこうとするので俺はAの名前を咄嗟に叫んだんだよ
男達は反撃するかと思ったけど意外なことに面倒くさそうにAを離して、なんかグチグチ文句言ってそのまま車で去ってしまった
Aは先輩に絡まれたといい、俺はここでようやく警察に言うべきかなと思ったんだが、Aはいいよいいよってそのまま一緒に帰った
結局そのままAが俺を避けるようになって卒業して、互いに連絡とらなくなって今に至る
流石の名作やな81点。
今ではすっかり大人なレディとなりイコライザー3で20年ぶりくらいにデンゼルとタッグを組んだダコタ・ファニングが「いつまで経っても男どもはみんなマイボディガードのことを聞きたがるのよね!」というくらいには印象的な作品。
天才トニー・スコット特有のチャカチャカしたエフェクティブな画面構成は正直賛否があると思う。俺も久々に見てちょっと画面うるせぇなと思った。もちろんそれが効果的なシーンもあるんだが、常になんかチャカチャカしてるのあんまよくないな。
戦場のトラウマでボロボロのデンゼルがダコタのボディガードとして雇われ、最初はうざったく思ってるんだけど一緒に過ごすうちにだんだん心の安らぎを得られるようになったと思ったらダコタは誘拐されてしまい、ブチギレデンゼルは復讐の旅に出るのであった。
ウザカワダコタとデンゼルの触れ合いはめちゃくちゃほっこりするし、誘拐シーンの緊迫感は流石だし、その後のブチギレデンゼルの"やりすぎ"復讐譚は96時間にめちゃくちゃ影響与えてそうだなと思った。元特殊部隊員を怒らせたらマズいよ。こいつら加減を知らん。ケツに爆弾突っ込んで爆破するのはもうヴィランのやり口なんよ。
原作ではイタリアが舞台だったのをメキシコに変えたことで社会の終わってる感がより強調されていてよい。ダコタとデンゼルがタッグを組んだイコライザー3の舞台がイタリアだったのも逆に何かの縁かもしれん。ちなみに、メキシコでの警察官とギャングが組んだ誘拐事件は実際にけっこう発生しているらしい。終わってる。
原作話で行くと、原作ではダコタは誘拐後にレイプされて死体で発見されるという凄惨な展開があるのだが、今作では「常識的に考えて死んだと思われる」とマイルドな表現になっており、心の安らぎを死に求めていたデンゼルは、心の安らぎを与えてくれたダコタを救うために死ぬ、という美しい構図へとつながっている。
どうでもいいんだけど、白人が主人公の原作「燃える男」を映画化した本作、同じく白人が主人公の「ザ・シークレット・ハンター」をリメイクした「イコライザー」。これの主役を黒人のデンゼルが演じたことに対して反ポリコレの民はなーんにも言わないのダブステじゃな~い?と思わんでもない。
大津市の住宅で2023年、元妻とその父をくわで殴り殺害しようとしたとして、殺人未遂と住居侵入の罪に問われた将棋の元プロ棋士橋本崇載被告(42)の裁判員裁判で大津地裁は2日、懲役5年の判決を言い渡した。
生まれついての発達障害や後発的な精神障害を主張したのが効いたようだ
ハッシーは「妻に子供を誘拐され狂った被害者」としてアンフェ界隈に持ち上げられていたが、本人の子供への発言はこれ
子供は親を選べない
そしていつか事実を知る
それについてどう感じるかは 彼次第だ
親が会いたい会いたいと泣くのはおかしい
俺の怒りは俺の全てを潰した事だ
ハッシーは子供の実名や顔写真を元妻への攻撃材料として何度も晒していたのでマジで子供はどうでも良かったと思う
犬について
犬は妻が世話をしていたが、離婚時に犬は置いていかれたので以降はハッシーが世話することになった
しかしハッシーは世話をせず犬が飢餓状態になって死にかけたので知人に預けることになった
知人のおかげで犬は健康になったが、元妻ほどの手入れはしないので毛並みが乱れた姿になった
犬がそんな目に遭ったのは元妻が逃げたせいだとハッシーは怒っている
仕事について
すぐそばの犬に餌もやらないのだから遠くの実子なんかどうでもいいのは当たり前だ
養育費の支払いが滞ると給料の差し押さえをされるかもと聞いたハッシーは、なんとしてでも元妻子に金を流したくないので将棋をやめた
ハッシーが狂っていったのはアンフェ共同親権界隈に囲まれて全てを元妻のせいにする他責性を植え付けられ肯定され続けたせいだ
元妻やその家族の名前や顔や住所を晒すというのは界隈で正義執行のため横行していることでハッシーは踏襲したにすぎない
ハッシーがチキンなため殺人遂行は果たせなかったが、ハッシーは元妻一家皆殺しや元妻の弁護士の事務所をガソリンで焼くなど宣言し、アンフェたちは止めるどころか応援していた
>2年前ですらここまで異常な猛暑ではなかったし、イスラエルもパレスチナに侵攻してなかった。
揚げ足取りのクソリプでわるいけど、今日の状況の直接的なきっかけである、ハマスが襲撃と誘拐という引き金を引く動機となったイスラエルの侵略と略奪と殺人はずっとあった。
たとえば、映画ノー・アザー・ランドの撮影期間は2019年から2023年の約4年間だ。
本作にはイスラエル人入植者が侵略に抗議する人間や撮影者にスマホを向けて「この動画をFacebookに上げたら叩かれるのはお前らの方だ」と嘲笑しているシーンがでてくる。
彼ら彼女らが、彼ら彼女らが正しいと信じるフィルターバブルの中にいるように、増田もまた、増田が正しいと思うフィルターバブルの中にいるだけだ。2年前から今も、ずっとね。だからあなたは幸せだし外の世界はずっとクソだよ。
今回初観賞。
非常に面白い。名作。といった声を耳にしていたので期待したものの……
期待しすぎた。
これが観終えてまず思った、素直な感想だった。
丘の上の邸宅に住む重役である権藤が天国の住人で、スラム街のような貧民街に住む犯人が地獄の住人。
誘拐事件が起きて苦渋の決断を迫られる権藤の姿には迫真のドラマがあったし、犯人がどのような要求をしてどのようにしてお金を要求してくるのか等にはドキドキした。
そういったサスペンスのシーンは良かったし、権藤側の人間ドラマが重なるのも良かった。
でもさ、はっきり言うけど犯人の生活については、最後までよくわからないままだったんだよね。
後半になって彼は貧しい医学生だということがわかって、最後にようやく動機が語られる。
そこはいいんだよ。最後にようやく動機を語るって言うのはドラマチックだし。
けど、その内面や生活がほとんど描かれないから正直共感は出来ない。
というか当時の苦学生がどんな生活をしていたか知らないから、彼の行動一つ一つの意味の重さが伝わってこないんだよな。
それでもこの作品は調べると非常に評価が高くて、尚且つ犯人の描写不足を指摘する意見はとても少ない。
犯人の人物像の描写。これを省いたのってさ、たぶん時代背景が大きく関係しているんじゃないかって思う。
つまり当時(1963年)の観客には、貧しい苦学生がどのようなものか?といった共通のイメージ像が社会の中にあったんだよ。
現代にもそうした苦学生ってもちろんいるけど、どうしたって1963年の苦学生とは事情が違う。
だからこそ「説明しなくても伝わる」前提で人物像を描かれると置いてけぼりになってしまう。
だから「どんな部屋に住み、何を食べ、何に絶望したのか?」ってそれなりに描写してくれないと感情移入は無理だった。
その輪郭が与えられないまま物語は進んでいくからあまりのめり込めず、ただ犯人が「悪役」っていう存在にしか思えなかった。
ここが非常に残念だったといえる。
もちろん、そうは言ってもこの映画に魅力がないかと言われれば当然そんなことはないわけで。
警察の捜査なんか、ここまで入念に捜査の過程を描写するってやっぱりすげぇなって思った。
ピンク煙の演出なんかにも度肝を抜かれたし、最初観た時なんて目が点になったというか…え?えぇ!?みたいな驚きがあった。
それに極めつけは最後の面会シーン。
無言の時間の重さ、空間の冷たさ、そして犯人が発する独白と軋み。
あの演技は本当に凄くて、このシーンだけ思わず何度か観返してしまったほどだ。
正直このラストシーンを観ただけでも元は十分に取れたなってなるぐらい凄かった。
あの演技は感情が身体を突き抜けて表出しているような…震えがあった。
黒澤明が描きたかった「人間の内なる地獄」は、あの軋みの中に確かにあったんだと思う。
んー、でもやっぱり…なぁ。
個人的にはこの映画に対して「それほどでも…」という感想を持ってしまった。
それでも観てよかったとは思う。
所々「おっ」となるシーンやカットはあったし、基本的に画が綺麗だったし。
ただ過大評価というか…観る時代によっての加点と減点があるんだなって気付かせてくれた映画であることは確かだ。
Permalink |記事への反応(11) | 03:20
そうだねフィクションの模倣犯なんて山ほど居るけど模倣犯を出すようなフィクションは存在を許してはいけないね
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%9B%BD%E3%81%A8%E5%9C%B0%E7%8D%84_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
この映画で用いられた「走っている電車等から現金等を落とす」という手法は、1955年の内川清一郎監督の『悪魔の囁き』のなかで使われたものであるが、この後のフィクション作品だけでなく、現実の現金受渡し目的の犯罪で数多く模倣されている。1963年9月の草加次郎事件、1965年の新潟デザイナー誘拐殺人事件、1984年のグリコ・森永事件、1993年の甲府信金OL誘拐殺人事件、2002年の新城市会社役員誘拐殺人事件、2004年の大阪パチンコ店部長誘拐事件などの例がある。手法の模倣ではないが、映画の影響を受けて身代金誘拐に及んだ者もおり、1963年の吉展ちゃん誘拐殺人事件[4]、1980年の名古屋市女子大生誘拐殺人事件などの例がある。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.bbc.com/japanese/articles/c1jz5exkgk9o
モサドがアルゼンチンで元ナチス将校を誘拐してイスラエルで裁判にかけたあたりでイスラエルの独善的な異常性に警告を出すべきだったのかもな。ナチスの異常さが際立ってたから影に隠れてしまった感。
この記事にこんな人気ブコメがあったのでイスラエル批判について少し補足をする
(ブコメ主は知った上でこのブコメをしているかもしれないけど)
本題に入る前にいくつかの前提知識から。19世紀末にヨーロッパで広がったユダヤ人国家建設運動で、それほど新しい思想ではない。背景には、長期のディアスポラ(故郷を持たず民族が世界各地に散らばること)と反ユダヤ主義の歴史があり、特にロシア帝国でのポグロム(ユダヤ人虐殺)や西欧社会での差別が拍車をかけた。ナチスによるホロコーストはこの運動に大きな正当性を与え、多くのユダヤ人がパレスチナへの移住と国家建設を求めるようになる。1948年、イスラエル建国が宣言され、シオニズムはその大きな第一の目標を達成する。
ネタニヤフ政権は、右派リクード党や宗教右派を中核に入植地拡大を支持する勢力による連立政権。その支持層には、国家安全保障を重視し、ヨルダン川西岸地区の併合やパレスチナ自治の縮小を容認・推進する層が多く含まれている。
本来のシオニズムの「ユダヤ人が自らの国家を持つ」という当初の目的をすでに達成しているが、現在のネタニヤフ政権はシオニズムを「ユダヤ人の領土的拡張」と結びつけ、その名のもとに周辺地域への侵略や支配の正当化に利用している状況となっている。ヨルダン川西岸での入植地拡大やガザ地区での軍事行動は、単なる安全保障上の対応だけでなく「シオニズムの継続的使命」として位置づけられ、内部的正当化を行っている。
この拡張路線には宗教的聖地が深く関わっており、エルサレムはユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地が集中する場所であり、イスラエルは東エルサレムを含めて「不可分の首都」と主張している。また、ヨルダン川西岸にはヘブロンやベツレヘムなどユダヤ教にとって重要な聖地があり、宗教右派は「神が約束した土地を取り戻すことこそシオニズムの使命」と訴える。当初は近代的・世俗的な民族運動だったシオニズムが、宗教的使命と結びつくことで、より強固な排外的ナショナリズムへと変質している結果が現状の強硬路線となっている。
ここでやっと本題となるハンナ・アーレント(1906–1975)という女性について紹介する。ドイツ生まれのユダヤ系政治哲学者で、ナチスの迫害から亡命し米国を拠点に活動した。彼女の最も大きな特徴は自身がホロコーストを経験したユダヤ人でありながら、シオニズムやアイヒマン裁判に対してともすれば「反イスラエル」とも取れる警鐘を鳴らし続け、それ故に特にイスラエルにいるユダヤ人から強い反発を受けたということ。
アーレントはイスラエル建国そのものには一定の理解を示したが、その進め方と国家像に深い懸念を抱いていた。アーレントが危惧したのは、イスラエルがユダヤ人のみを中心とした排他的な民族国家となり、軍事力と安全保障を最優先することで、長期的な孤立とアラブ諸国との恒常的な対立を招くこと。アーレントは、パレスチナにおけるアラブ人との共存を模索し、多民族的な政治共同体を構築すべきだと主張していた。また、彼女は被害者としての歴史を過度に強調することが、自らが加害者となる可能性を軽視する結果を招くと指摘し、歴史的な悲劇の記憶が免罪符として機能する危険性も説いていた。
アイヒマン裁判は、ナチスの高官アドルフ・アイヒマンがユダヤ人の大量虐殺の実行に関与した罪で1961年にイスラエルで開かれた裁判。アイヒマンは戦後アルゼンチンに潜伏していたが、モサドによって捕えられエルサレムで裁かれることになった。この裁判は、ニュルンベルク裁判以来の大規模な戦争犯罪裁判であり、単なる個人の刑事責任を超えたホロコースト全体の歴史的検証の場ともなった。
アーレントはこの裁判を取材し、『エルサレムのアイヒマン』にまとめた。この中でアイヒマンを「悪の凡庸さ」の典型とみなし、彼を冷酷な悪魔ではなく命令に従い思考停止した官僚的人間とした。つまり、深い憎悪や悪意ではなく「考えずに行動する」ことが大量虐殺に加担する原因となる、と主張したのだ。これはイスラエルやシオニズム観点からすれば、自分たちは悪魔的な絶対悪の被害者であり、そこから立ち上がったユダヤ民族、そしてイスラエル建国というアイデンティティに反するものであり猛烈な批判にさらされる。さらにアーレントは、イスラエル政府が裁判を自らの正当性の証明に利用した点、またユダヤ人指導層(ユダヤ評議会)がホロコーストに部分的に関与していたことを批判的に論じたことが、批判に拍車をかけることとなる。
アーレントは多くの批判にさらされたが、その批判的推測や警鐘は現実のものとなっている。
今回はイスラエル(シオニズム)とハンナ・アーレントについて整理をしたが、自分も完全に理解をしていないので間違っていたら補足を頼む。
そして彼女はユダヤやイスラエル関係だけでなく、共同体運営についてもとても興味深い主張や著書が多くあるので、興味がある人はぜひ触れてみてほしい。(とはいえ共同体のあり方は、ネット前後でかなり異なるので彼女の思想が今もそのままは通用しないが・・・)
『全体主義の起源(1951年)』と『エルサレムのアイヒマン(1963年)』は特におすすめだ。
多くの場合、起こってしまったことに対する警鐘はそのはるか前から鳴らされているのである。
しかし、それを無視し時には批判することで風化し、実際に起こってやっと振り返ることしかできないのだ。
アーレントに触れて現代の世界情勢と照らし合わせれば、多面的視野や思考を意識的に取り入れるということの重要性を改めて感じることができるはずだ。
そんな事を思いながら毎日生きている
娘が誘拐されるかもしれない、姪っ子がレイプされるかもしれない、母が、妹が、友人が、etc
特に辛いのが娘だ
まだ5歳の娘は、今は健やかに育っている
けれども、これ以上治安が悪くなれば、嫌でも自分の身を守るために周囲を警戒することを教えるしかないと思う
本当は一生、怖いことを知らずに大きくなって欲しい
過保護で親バカと言われようとも、苦労を知らないお嬢様のようにすくすく育ってほしい
そこまでじゃないにしても、恐ろしい現実を知るのは成人してからであってほしい
誰とでも仲良くしてほしい。だから肌の色で警戒するのが合理的なんて、本当は教えたくない
でも娘の命を守るためなら差別主義者と呼ばれてもいい
移民は来ないで
増田をやっていると、本当かよ!?と思わず調べてしまうことがよくあって、学びになります。
ということで、最近、個人的に増田で学んだことをまとめました。間違っている知識かあったらすみません。
ピラミッドの底辺が砂に埋まっているので、ピラミッドは見た目ではもうちょっと短いらしい。
憲法22条で、職業選択の自由とともに認められています。だから住む場所は自由です。ただし、公共の福祉に反しない限りにおいて、です。
レンタサイクルといえば、電動自転車かママチャリしか借りれないと思っていたのですが、サイクルコースの近くとかではロードバイクをレンタルしてくれるお店もあるそうです。
モロッコには建物が全部、青に塗られているシャウエンという街があります。
職場で見るのにふさわしくないコンテンツ、の意。ポルノとか暴力とか。
おい!!!とか大声で言うだけならセーフ。その後に、殺すぞ!と言ったら脅迫罪、土下座しろ!と言ったら強要罪、金よこせ!と言ったら恐喝罪。
Windows 95 は平成です。
傘差し運転と同じ。公安委員会遵守事項違反、というらしい。その他条例でも禁止されているところがある。
Yahoo!知恵袋調べ。新しければ新品、古ければ古物、その間のやや古いのが中古。
ただし海外勤務の場合はもっと高くて、1300 万円以上ぐらいらしい。
「根性」は仏教的には性根と同じ意味で、もともとは粘り強いとかの意味はなかった。
だから、自力での入賞がなくなった時に「他力本願寺!」と言って祈るのは、合ってる。
このフレーズは17世紀のデカルトの方法序説という本の中に出てくる。それにしても17世紀というのは結構最近に聞こえる。もっと昔の本だと勘違いしていた。
このフレーズは、山本五十六のオリジナルではないが、気に入って色紙とかに書いていたので有名になったらしい。
ちなみに、山本五十六は前線視察中に米国軍機に撃墜されて亡くなった。
平成です。
同じ頃には、ルーズソックスやナタデココ、ポケベルが流行っていました。
クルドとは民族の名前で、そんな名前の国はない。トルコ、イラン、イラク、シリアに多く住んでいて、この地域がクルディスタンと呼ばれたりする。
自分たちの自治領や自治区を他国に作ろうといて、特にトルコと揉めている
ンゴロンゴロ自然保護区という場所がタンザニアにある。近くにコーヒー農園があって、その豆を使用したコーヒーをンゴロンゴロコーヒーという。
ちなみに難易度は年々上がっていて、TOEIC900点でマウントを取る人には「いつ受けたんですか?」と突っ込むのが礼儀。
個人を特定できる情報、という意味ではない。(それはただの個人情報)
フランス語が語源。楽譜を読む訓練、音を聞き取る訓練、リズムを把握する訓練などの総称で、特に子供の音楽教室とかでやるもの。
楽器をやっている人が、ちょっと練習すれば他の楽器も弾けるようになるのは、このソルフェージュの力。
チームの中で、純粋にタイムを狙う人、山岳賞などの特別賞を狙う人、風除けになってサポートする人、補給食などを配る人など、いろいろ役割分担するらしい。
データ保存用のメディアとして使ったことないので、知らなかった。思ったより容量が少ないという印象。ハードディスクをそのままバックアップできるぐらいの容量があると勘違いしていた。
発売開始はアリエールは1986年、エリエールは1979年で、エリエールの方が古い。
ショートショートってどれくらいショートだったらショートショートと言っていいの?と思って調べたら、諸説あることが分かった。
とはいえ、厳しい定義は原稿用紙5枚以下、ゆるい定義は20枚以下ぐらいの幅に収まる。
どちらも通貨偽造の罪だが、もちろん日本円の偽札を作る方が、外国の偽札を作るよりも罪が重い。
また、持っているのが偽札だと知って使うだけでも(作っていなくても)罪になる。
ファイルを暗号化したり署名したりする時に使われるソフトウェア。
ヤッターマンというテレビアニメの中でナレーションとして使われていたフレーズらしい。
ちなみにヤッターマンの初代の放送期間は1977年から1979年まで。昭和である。
ヒジャブはアラビア語で「覆うもの」の意味。全身を覆う布はブルカと呼ばれる。目以外を隠す布はニカブと呼ばれる。
一方JR東海は儲かっているらしい。理由は知らないけど、新幹線が関係していそう。
増田では、離婚するときに子供を連れ去ったら親権が取れる、いいやそれは誘拐だ、という議論がよくなされるので、気になって調べた。ちなみに誘拐は英語でkidnap 。スペルにkid が入っているが、子供以外を誘拐する時にも使える。
Wikipediaによると、歴史的には14世紀ごろにアジアからヨーロッパに入った玩具が元になって生まれたのが起源らしいが、「後付けされたファンタジー的起源」では古代バビロンや古代エジプトの伝説が起源らしい。
どっちも知らなかった。
あの、インドとかで乗客が車両の外まで溢れて乗っているやつのこと。トレインホッピングとも呼ばれる。
乗る列車が貨物列車の場合はフレートホッピングとか呼ばれるらしい。
だんだんめんどくさくなったけど、頑張ってまとめました。
増田は学びが多いSNSです。また学びが溜まったら投稿します。
他にもいい雑学があったら教えてもらえるとありがたいです。
「カードキャプターさくら、ここでかなり顔が引き攣った」とツイートしただけで1.1万リポスト6462の引用がつく大炎上した人がいた。
なんかツイフェミと叩かれてらっしゃるが、フォロワーに勧められてさくら全巻買ってしまった普通のアカウントだ。
一巻時点でひっかかるなら、今後出てくる小学生の生徒とガチ恋してる教師を乗り越えられるか心配だ。
ただの感想に、馬鹿にして冷笑してるオタク男が大量に群がってるのが謎すぎる。
16と25は普通にびっくりする年齢差なのに。
「これで顔が引き攣るなら、
源氏物語なんか読んだら顔が引き千切れてしまうのではないだろうか?」とアンフェが引用してたが、源氏物語にツッコミ入れるのはめっちゃ普通にやることでは?
母親に似てるからと義母に托卵、天皇になった息子に父親を臣下にしてるからと親不孝の罰が当たる理不尽。
私は母親に似てるかもと26も年下の15歳を嫁にして、母親に似てないし子供っぽいから気に入らないとか言い出すのが一番イラッときた。
強姦未遂含めて手を出した女達を引き取って生活の世話を見たのは平安男子の中でもかなりの善行だろうが、その女達を引き取った六条院も嫉妬で苦しめ抜いて生霊から死霊にまでさせた六条御息所の館だし。
2つあって1個が身代金目当てに誘拐されるけど誘拐犯のおっさんと暮らして改心させる話 オチはクソ適当で残念だった
ラウム並とまではいかんけどもうちょいどうにかしろよ まあそれがハーゲンティってキャラってことを言いたかったのかもしれんけどさあ・・・
もういっこはアガレスと絡んでた話で宝さがしにいくってやつ
なんか無駄に長かったなあ・・・展開もワンパターンだったし・・・
へーメギド体のときアガレスとからみあったんだーって思うのと同時に、なんでメギド体になってんのにごかいけんしょうでしんでないのってのが気になった