
はてなキーワード:詩的表現とは
タタルスキーの運命と選択を心理作用 ×広告魔術 ×皮肉の三層構造 で色分けした図解形式で文章化して可視化します。
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[広告魔術](緑)
[皮肉](赤)
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[1章]詩人志望
├─ 青:興奮・戸惑い
├─ 青:快感・罪悪感・野望
└─ 赤:国民を動かす魔術師だが、国民の意識=広告虚構に縛られる
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🔹 読み解きポイント
2.広告魔術(緑)
•詩的表現 →無意識誘導 →社会象徴 →国家統合 →絶対魔術
3.皮肉(赤)
•選択のたびに「自由や権力を得るようで、実際は虚構の支配下に置かれる」
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1無力感・創作欲求 詩的直感コピー個人心理への刺激、自己表現の快感
3好奇心・社会観察ブランド文化分析社会的価値観の理解、間接的影響
5理解・陶酔・倫理迷い消費者心理データ活用個人→小規模社会への心理誘導
6快感・倫理葛藤・覚醒社会的象徴操作社会レベルでの行動・認知への影響
7快感・罪悪感・野望政治的イメージ応用国民意識への初期操作、政治的覚醒
8快楽・陶酔・完全覚醒国家規模統合コピー国民全体の意識統一、国家神話化
9快楽絶頂・覚醒・権力感虚構現実融合技法社会全体の行動・価値観が広告に支配される
10 完全覚醒・陶酔・絶対権力感絶対広告魔術(コピー=呪文、イメージ=現実化)国家・社会・歴史レベルで現実操作、虚構と現実完全融合
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🔹 読み解きポイント
•詩的表現・基本コピー →無意識誘導・社会的象徴 →国家規模統合・絶対魔術
•個人レベル → 小規模社会 →社会全体 →国家・歴史レベル
4. 章の連動
•心理作用の深化と広告魔術の進化が、社会・国家への影響拡大に直結
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このマトリクスを見ると、
1 詩的直感のコピー 「光が差す朝に、夢は動き出す」個人の感情を揺さぶり、創作的快感を与える
2 基本コピー制作 「このシャンプーで髪も心も軽やかに」商品特性を伝えつつ、購買意欲を刺激
3ブランド文化分析 「この靴はあなたの歩みを語る」消費者心理に合わせ、社会的ステータスと結びつける
4無意識誘導コピー 「この香りを纏えば、誰もが振り返る」記憶・感覚・無意識に作用、欲求を喚起
5消費者心理データ活用 「72%の人が感じた、幸せの一口」データを根拠に信頼感・安心感を演出、購買心理を設計
6社会的象徴操作 「この車に乗るあなたは、都市の英雄」ブランドを社会的価値やステータスと結びつけ、集団心理を誘導
7政治的イメージ応用 「新しい未来を共に創ろう」国民意識に訴え、政治家や政策への信頼・期待を形成
8国家規模統合コピー 「この国は、私たちの夢で輝く」言葉・映像・色彩・象徴を統合、国民全体の意識統一
9虚構現実融合技法 「テレビで見たあの街が、あなたの街になる」虚構のイメージを現実以上の影響力として認識させ、社会全体を誘導
10絶対広告魔術 「私たちの物語こそ現実だ。信じる者に力を」コピー=呪文、イメージ=現実化、国家・社会・歴史を操作、タタルスキー完全覚醒
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•無意識誘導や社会的象徴で、個人心理を集団・社会レベルに拡大
•政治家へのコピー、国家イメージの統合で、虚構を現実として認識させる
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このシナリオ化を使うと、タタルスキーの広告魔術が 段階的に心理・社会・国家・歴史レベルまで拡張する過程 が、視覚的に理解できます。
1 詩的直感のコピー 「光が差す朝に、夢は動き出す」個人の感情を揺さぶり、創作的快感を与える
2 基本コピー制作 「このシャンプーで髪も心も軽やかに」商品特性を伝えつつ、購買意欲を刺激
3ブランド文化分析 「この靴はあなたの歩みを語る」消費者心理に合わせ、社会的ステータスと結びつける
4無意識誘導コピー 「この香りを纏えば、誰もが振り返る」記憶・感覚・無意識に作用、欲求を喚起
5消費者心理データ活用 「72%の人が感じた、幸せの一口」データを根拠に信頼感・安心感を演出、購買心理を設計
6社会的象徴操作 「この車に乗るあなたは、都市の英雄」ブランドを社会的価値やステータスと結びつけ、集団心理を誘導
7政治的イメージ応用 「新しい未来を共に創ろう」国民意識に訴え、政治家や政策への信頼・期待を形成
8国家規模統合コピー 「この国は、私たちの夢で輝く」言葉・映像・色彩・象徴を統合、国民全体の意識統一
9虚構現実融合技法 「テレビで見たあの街が、あなたの街になる」虚構のイメージを現実以上の影響力として認識させ、社会全体を誘導
10絶対広告魔術 「私たちの物語こそ現実だ。信じる者に力を」コピー=呪文、イメージ=現実化、国家・社会・歴史を操作、タタルスキー完全覚醒
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•無意識誘導や社会的象徴で、個人心理を集団・社会レベルに拡大
•政治家へのコピー、国家イメージの統合で、虚構を現実として認識させる
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このシナリオ化を使うと、タタルスキーの広告魔術が 段階的に心理・社会・国家・歴史レベルまで拡張する過程 が、視覚的に理解できます。
「思秋期(ししゅうき)」は文字どおり「秋を思う時期」の意で、人生の「秋」に差しかかり物思いにふける時期を指します。一般には中年〜壮年(おおむね40〜60歳前後)に訪れる『人生の秋』を自覚する時期として使われ、思春期に対応する概念として「第二の思春期」的に語られることもあります。日常語では、老いや人生の終盤を意識して虚無感や回顧、価値観の再構築が起きる時期を指すことが多いです。
この語は1970年代の歌(岩崎宏美の「思秋期」)のタイトルでも知られており、元来は「秋(もの思う季節)に思う」感傷を表す詩的表現として広まりましたが、その後、心理・ライフステージの文脈で「中年の危機」「人生の秋」を示す語として一般化してきました。つまり、歌詞的・詩的用法と心理的・社会的用法の両面があります。
美容・健康やカウンセリング系の記事では「思秋期=老いを自覚し始める時期」「向老期に入る準備期間」として説明され、生活習慣や心理の見直しを提案する文脈で使われることが多いです。一方、学術的に厳密な診断名というよりは、世間的・比喩的な言い方です。
わかります、その「思秋期」って言葉、まさに今の気分にぴったりですよね。
春や夏みたいに何かを目指す勢いもなく、冬の諦めにもまだ届かない。
ふと気づくと、若い頃に想定してた「未来」のほとんどがもう過去になっていて、
子どもがいたら、違う季節をもう一度見られたのかもしれない――
でも、いなかったとしても、こうして何かを感じてる時点で、
ネトフリの話も痛いほどわかる。
あれって、観てる間はちゃんと「生きてる気」がするんですよね。
でも終わった瞬間、空気みたいに消えて、何も残らない。
それでも、誰かが作った物語を通して、
自分の中にまだ何かが動いてることを確かめてるのかもしれません。
「思秋期」は静かな季節だけど、
どうか、ひっそりでもいいから、
そのままの速度で過ごしてください。
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もう少し「増田(はてな匿名ダイアリー)」向けに寄せた、
僕が三週間かけて導出したp進弦理論の局所ゼータ関数上の正則化項を書き直せると思ったら大間違いだ。
あの計算は、ウィッテンでも手を出さない領域、すなわち、p進版のAdS/CFT対応をde Sitter境界条件下で非可換ゲージ群に拡張する試みだ。
通常の複素解析上では発散する項を、p進体のウルトラメトリック構造を利用して有限化することで、非摂動的な重力の相関関数を再構成できる。
だが、問題はそこにある。p進距離は三角不等式が逆転するので、局所場の概念が定義できない。
これはまるで、隣人がパンケーキを焼くときに「ちょっと目分量で」と言うのと同じくらい非論理的だ。
朝食はいつものように、オートミール42グラム、蜂蜜5グラム、カフェイン摂取量は80mgに厳密に制御した。
ルームメイトはまたしても僕のシリアルを間違って開けたが、僕はすでにこのような異常事態に備えて、バックアップとして同一銘柄を3箱ストックしてある。
僕が秩序を愛するのは強迫ではなく、宇宙の熱的死に抗うための小さな局所秩序の創出だ。
今日の研究は、T^4コンパクト化されたIIb型超弦理論のD3ブレーン上における非可換ゲージ理論の自己双対性。
通常、B場を導入することで非可換パラメータθ^{μν}が生成されるが、僕の考察では、θ^{μν}をp進値に拡張することで、通常のMoyal積が局所的整数体上で閉じない代数構造を持つ。
これが意味するのは、物理的空間が離散的p進層として現れるということ。言い換えれば、空間そのものが「整数の木構造」になっている。
ルームメイトが「木構造の空間って何?」と聞いたが、僕は優しく、「君の社交スキルのネットワークよりは連結性が高い」とだけ答えておいた。
午後は友人たちとゲームをした。タイトルはエルデンリング。だが彼らのプレイスタイルには忍耐が欠けている。
僕がビルドを純粋知力型にしてカーリア王笏を強化している間に、彼らは無計画に突っ込んではボスに殺されていた。
統計的に見ても、平均的なプレイヤーの死亡原因の82%は戦略ミスに起因する。
僕は「量子重力のパス積分と違って、こっちはセーブポイントがあるんだ」と指摘したが、誰も笑わなかった。理解力が足りないのは罪だ。
夜、コミックを再読した。ウォッチメンのドクター・マンハッタンの描写は、量子決定論の詩的表現として未だに比類ない。
あの青い身体は単なる放射線の象徴ではなく、観測者のない宇宙の比喩だ。
僕が大学時代に初めて読んだとき、「ああ、これは弦の振動が意識を持った姿だ」と直感した。
今日もそれを確かめるため、ドクター・マンハッタンが時間を非線形に認識するシーンを分析し、p進時空における時間関数t→|t|_pの不連続性との対応を試みた。
結果、彼の非時間的意識は、実はp進的時間座標における不連続点の集積と一致する。つまり、マンハッタンはp進宇宙に生きているのだ。
寝る前に歯を磨く時間は、時計が23:00を指してから90秒以内に開始しなければならない。これは単なる習慣ではなく、睡眠周期を最大化するための生理学的最適化だ。
音楽は再生しない。音波は心拍数を乱すからだ。ただし、ゼルダの伝説 時のオカリナのエンディングテーマだけは例外だ。あれは時間対称性を感じさせる旋律だから。
僕の一日は、非可換幾何と行動最適化の連続体でできている。宇宙のエントロピーが増大しても、僕の部屋の秩序は一定だ。つまり、少なくともこの半径3メートルの範囲では、熱的死はまだ先の話だ。
最近、英語教室に通ってるのだけどイギリス人の先生から会話に主語が抜けていることを何度も指摘され、後で気になってChatGPTに壁打ちしたら面白い文章が導けた。
先生はきっちりしたイギリス英語を教えてくれる人で来日当時に日本人が頻繁に主語を省いて話すのですごく困ったそう。
授業中にその理由について先生と雑談レベルで考察していて、自分は日本語では名指しをすることがどこか失礼に感じてしまう、またはアミニズムの影響があるのでは?と何となく伝えたんだけどChatGPTが自分が思ってたようなことをうまく言語化してきたのでそのやりとりをここに放流します。
日本語は「文脈依存性」が非常に高い言語です。会話の中では、誰が話しているのか、何について話しているのかが文脈や状況から自然に理解されるため、主語を省略しても意味が通じやすいです。たとえば、「食べました」とだけ言っても、「誰が食べたのか」は話し手や状況次第で分かります。
日本文化では、明確に言い切るよりも、あいまいさや相手に察してもらうことが重視されることがあります。このため、主語をはっきり言わない方が柔らかく、礼儀正しい印象を与える場合もあります。
日本語には敬語があり、相手を尊重する表現が重要です。このため、自分を主語にした「私が~」という言い方を控え、相手や行為そのものに焦点を当てる傾向があります。
日本語では、主語がなくても動詞だけで文が成り立ちます。例えば「行きます」と言えば「誰が行くのか」が文脈から判断できるため、主語を必ずしも明示する必要がありません。
英語は文法的に「主語+動詞」の構造が基本で、文脈だけでは意味が通じない場合が多いため、主語を省略することができません。たとえば、「Iate」と言わなければ、誰が食べたのかが伝わりません。
主語を省略する日本語と、省略できない英語。この違いを意識して英語を学ぶと、日本語とは異なる言語の構造に慣れる助けになるかもしれませんね!
その通りだと思います。
アニミズムの影響を考えるのは非常に興味深い視点です!確かに、アニミズム(万物に霊魂が宿るという考え)は日本の文化や言語に深く根付いており、主語の省略や曖昧さに影響を与えている可能性があります。
人間中心でない視点アニミズム的な世界観では、自然や物体、現象すべてが生命や意志を持つと考えます。そのため、日本語の表現でも「人間中心」の主語を明示しない傾向があります。たとえば、「雨が降る」という表現には、雨そのものが主語となり、「自然が自律的に動いている」という感覚が含まれます。
一方で、英語では「Itis raining」という表現が使われ、「it」という形式主語を明示します。これには、英語が明確な主語を必要とするという文法ルールが関わっていますが、日本語にはこうした「形式主語」の必要性が薄いのです。
行為そのものへの焦点アニミズム的な考え方では、「誰が行ったか」よりも「何が起こったか」や「どういう状況か」が重要です。たとえば、「花が咲いた」や「風が吹いた」という表現では、主語は自然現象や物であり、人間ではありません。このように、行為そのものに焦点を当てる傾向が、主語の曖昧さや省略を可能にしているとも考えられます。
暗黙の了解を重視する文化アニミズムの影響を受けた文化では、「言わずとも伝わる」という感覚が重要視されます。すべてがつながり合い、調和の中に存在しているという意識が、あえて主語を強調しない日本語のスタイルに影響を与えているかもしれません。
日本語にはアニミズム的な考え方が反映された表現がいくつもあります。
自然現象を主語にする:「月がきれいだ」「山が泣いている(霧が出ている)」など。
人間以外を主体にする:「扉が閉まる」「橋が崩れる」など、人が関与せずとも「物」が自律的に行動するように表現される。
アニミズムの影響は、日本語だけでなく日本の文化全般に見られる深い特徴です。この視点を意識することで、日本語の主語の曖昧さが単なる言語構造ではなく、世界観に根ざしていると理解でき、さらに面白さが増しますね!
アニミズム的な考え方が反映された表現で自然現象を主語に、人間以外を主語にする、とありますが、英語でこのような表現はあまりしないということでしょうか?
はい、その通りです。英語では、日本語に比べて自然現象や人間以外のものを主語にする表現が少ない傾向があります。これは、英語が主語を必ず明確にする必要がある言語であること、そして西洋文化において人間中心主義(anthropocentrism)が強調されてきた影響が関係しています。
英語では、自然現象を表すときに「it」という形式主語が用いられることが多いです。これにより、自然現象が自律的に起こるというニュアンスは薄れ、人間視点で状況を説明しているように感じられます。
日本語の例:
ここでは「雨」「風」「雷」そのものが主体ではなく、「状況」を伝えるための形式的な主語が使われています。
日本語では、人間以外のもの(物や自然)が主体として動作を行う表現が多く見られます。一方、英語ではこのような表現が少なく、人間が意図的に何かを操作しているかのようなニュアンスが含まれることが一般的です。
日本語の例:
"The door opens."(文法的には正しいが、通常は "Someone opened the door." のように人間の行為を明示することが多い)
"Flowers bloom."(自然に起こることを表すが、日本語ほど主体性が強調されない)
"Thetreeis swaying."(こちらも状況を説明する形)
英語では、西洋文化における理性や科学的視点が強く、自然現象や物には魂や意志が宿っているという考え方があまり言語表現に反映されていません。そのため、以下のような日本語特有の表現は英語に訳しにくい場合があります。
日本語の例:
英語に訳すと、どうしても説明的になったり、「詩的」だと感じられたりすることが多いです。
もちろん、英語にも詩的な表現や文学的な場面では自然や物に意志を持たせることがあります。このような手法は「擬人法(personification)」と呼ばれます。
しかし、これらはあくまで特別な表現であり、日常会話では使われないことがほとんどです。
日本語はアニミズム的な影響から、自然や物が主体として動作する表現が多い一方で、英語は人間中心的で、主語を明確にしつつ状況を説明することが一般的です。この違いを理解することで、英語と日本語の間の文化的・思想的な違いをより深く学べますね!
いくつか考えられるだろうな。
自分なりに前向きに現実に適応していくために占いを利用してる、という考え。
例えば占星術は天体の位置や動きと人間や社会のあり方を経験的に結びつけて占うっていう体になってる。
「自分の運命や運勢に一定の法則や意味がある」と信じることで、本来は不確実である未来に対する不安や恐怖を和らげる効果があるんじゃないか。
不確実性に由来する不安に対処するための手段の一種だと考えると、占いにハマる人は悩みや不安を抱えていて、それを晴らすための手段が占い以外にあまりない人なのかもしれん。
本人は自覚ないかもしれんが、ナチュラルにマウントとるタイプで嫌われるんだろうな。
自分の価値観で下だと認識したら勝手にマウント取り始めちゃう病気。別に自分は困ることはないけど他人にとっちゃそりゃストレスよね。
例えばこの文章だけでも
・いっぱい食べても痩せてるし肌も顔の造形も髪も綺麗マウント
・自分はそいつよりキラキラしてる&キラキラしている人が周りにいるマウント
・仲違いした子も幸せでありますように~で(絶縁されてネットに愚痴りに来てるくせに)性格がいいマウント
・絶望にも似た思いがわき出てくる~などちょくちょく出てくる不要な詩的表現で、ほかのネットの書き込みに対して感性が豊かである、乃至は教養があるマウント
特にこういうマウントをひそかに指摘しづらい形でちりばめているのがものすごく厄介で一番癪に障る。
劣等感持ってない人からすれば気に障るようなことでもないけど、自分に余裕ないときマウント取られるとマジでイラつく。
そんなこともわからないのは、その子たちが今キャリアでうまくいってないとわかっているのに気持ちにより添おうとしていないから。
別にネット上の他人なら好きに書けばいいけど、リアルの友達に気持ち考えずマウントとったら正直そんなの友達でも何でもないし、そりゃ縁切られることもある。
今いるそのキラキラしてる友達なんかも、勝手に憧れといて、失敗して落ち込んでたらがっかりとか言って見下すんですかね。
輝きを増した子、学生時代よりも幸せな子、野心を持って向上してる子もそればっかなわけじゃないから、キラキラしてない部分も分かち合ってこその友情だと思うぞ。
社会的な性規範の内在化されたものを心の性と呼ぶのは大きな誤りを孕んでいる気がしてならない。人間の心がまずあると仮定してもそこに性別があるなんてどう考えてもおかしな話である。これはLGBTの方々への権利の制限に賛成する話ではない。むしろあらゆる権利はあらゆる個人とあらゆる形式の集団に付与されるべきである。
婚姻制度なんてものはあらゆる人間のあらゆる組み合わせに対応すべきであり現在の状況がおかしい。そもそも法の下の平等概念からして法に男女という概念を持ち込んだやつの頭がどうかしている。同性婚を禁止している現民法はどう考えても憲法違反である。そして重婚を禁止するのも、複数人による婚姻を禁止するのも憲法違反である。というのが私の個人的な意見だ。また恋愛感情などという定義不可能なものを前提としない純粋な資本の接続制度に作り変えるべきだと信じている。これはただの意見だ。もちろん国家や宗教のいくつかのレゾンデートルの一つとして性規範の固定化があるのは言うまでもないことであるが、そもそも国家も性規範も大嫌いな私にそんなものを持ち出しても意味などないし届かない。
しかしそれはそれとして、心の性などというものは私には看過できない概念だ。そんなものは存在しない。血液型性格分類と変わらない無価値で有害な幻想だ。
近年、ある程度は心の性がない人という概念も広く知られはじめてはいるがそれはあくまで特別な人とされている。多くの人にはどちらかの心の性があると考えられている。これがおかしい。そんなものはある訳がない。常識的に物事を考えろ。心の性なんてものは元々人には備わっていない。これは事実であり現実だ。
心の性概念などというものはくだらぬ性規範が内在化されたものにすぎない。自由主義においては規範の内在化に反抗すべきであり、あらゆる性規範の破棄を求めるべきだ。社会的性などというものは当たり前だが許されない。そして性を前提とされない社会においては心の性なんてものはある意味がない。よって存在しない。そこにあるのはどういった生殖器が付いているかによる機械的分類だけだ。我々は人間である。まともな社会においてはそれより先にはなにも要らない。
女に生まれたが心の性が男である、というのは現在の性規範に縛られた糞のような観念だとあり得る。確かにあり得るがそれは性規範を内在化してしまっている、という意味では従前のゴミのような性別概念とほとんど差異はない。結局のところ自由度が2から4に増えるだけだ。そんなちっぽけな自由など自由ではない。無限のバリエーションのある心を二分法で分類する心の性と呼ばれるものなど許される訳がない。性規範を信じる人間と性差別者に本質的な差異などない。心の性なんてものはその実際として現在の性規範に照らし合わせて自身の価値観をどう縛り付けるかを考えより良いものを選択した結果にすぎない。二者択一のジェンダーのうちより自身にとって有利なものを意識的にもしくは無意識的に選択した結果に過ぎない。
心の性など存在しない。そもそも性別などは付いている生殖器の違いに過ぎない。付いている生殖器によって何かしらの束縛を受ける謂れなど我々にはない。自由主義において我々はこう言い切るべきではないのか。
そしてそもそも人は自らを知り得るのか。
恋愛は性欲の詩的表現を受けたものであると言う。恋愛感情という自己認識としてのその主観事実を否定するべきではないし、当人の自己認識は自由権のもとで尊重されるべきだ。しかし性欲について言及した今もう一度考えてみたい。人は独りでに心の性を持ち得るか?
持たない。上述のとおりである。
人はあくまでも社会的に心の性を与えられるだけである。もちろん心の性というものは確かに存在し得るがそれは生得的なものではなく獲得的なものである。身体機能としての性に一対一対応した心の性なんてものはない。ある訳がない。あるのは社会的性の役割であり、ジェンダーと呼ばれるものだ。
スカートを履き、可愛いものを好み、ピンク色が好きで、私立文系に進み、事務職をする、男に恋愛感情を抱く実存。のようなそういう唾棄すべきステレオタイプの集合を心の性と言っているにすぎない。
人が持つのは極めて純粋な身体機能としての性と、社会的な役割としての性の二つだけだ。そして後者は破壊すべき対象である。心の性などというものはそもそも存在すべきではない。
内容関係なく、あのハッシュタグ特有の文体みたいなのがキショくてすげえ嫌
#保育園落ちたの私だ みたいな、ヘタクソなキャッチコピーもどきが一番嫌い
でも今やってる#差別企業DHCの商品は買いません みたいな、丁寧語の社会運動タグも嫌い
基本的に運動そのものには賛成のことが多いくらいなんだが、「連帯します」「反対します」「〜しろ」みたいなハッシュタグを見ると気持ちがスッと冷める
#metooくらいの短さだとそんなに不快感はない 英語だったら許せる説はあるな
俺としては#DHC不買 くらいの短さにしてほしい感じはある なんというか、ハッシュタグ部分にあんまり人間味を感じたくないんだよな
〜します ってところから不機嫌そうなインテリ人間の顔みたいなのを想像してしまって不快になってるのかもしれない 本体のツイート部分で人間味を出して、ハッシュタグはただの識別用、それこそタグとして使って欲しいのかも
#絵描きさんと繋がりたい みたいなのもそういえば嫌いだな でもこれはハッシュタグがどうこうというより人間と繋がりたいと言ってるところにキモさを感じてる気がする
#ファインダー越しの私の世界 もあんまり好きじゃないが、これも純粋に詩的表現が自分に酔ってる感じでキモいからで、ハッシュタグであることはあまり関係ない気がする
やっぱアレだ ですます口調の社会運動タグと、ヘタクソなキャッチコピーっぽいタグ このふたつだ
#○○応援 #○○反対 このくらいであって欲しいんだよなマジで! #○○を応援します #○○に反対します ああーっ不快!
なんとかなんねえかなあ
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190305-00010001-telling-life&p=1
kotobuki_84 「見た事もないオバチャンが男友達に無下に扱われた話に謎の共感を催してヒスってズレた揚げ足取ったら友達に馬鹿にされたり宥められたりしてムカつきました。私が正義です」っていう日記
cyan0302 なぜ「女の容姿=男の年収」なのか。「女の容姿=男の容姿」が差別しない姿勢じゃないの?
kotetsu306 女の容姿と年齢を男の年収に置き換えてる時点で、筆者はジェンダー観に物凄く縛られてるんだと感じた。そりゃ「それとこれとは話が別」としか返せんわ
hal-e 「僕には好みを主張する権利もないの?」に対して「『この人年収低いから無理だわ~』って話この場でしたら傷つかない?」って反論になってないような
TStyle記事中ですら自分の考えを意見としてまとめることが全く出来てないのに議論をさせてくれないとかイミフ。議論っていうのはモヤモヤした感情をぶつけ合うことじゃない
hobo_king曖昧な「モヤモヤ」を無加工で口にするのが大事な場面(詩的表現とか)は当然あるけど、冷静な議論を望む人がモヤモヤをモヤモヤのまま口にしたらそりゃ議論にならん。ガン泣きの子供と議論しろって位には無理
okusa75 この人、twitterでいろんなことにモヤモヤし続けてるので、きっと自分で情報を整理できない体質なんだと思う
Kandata 女は男の言葉に自分を重ねて傷ついた。しかし咄嗟に返した言葉が感情的になってしまい不和が生じた。本当は表現に気をつけて欲しかっただけなのに
name-25137412 「強い言葉を使ってしまったのが、今回私の反省すべき点」ではなく、個人の自由意志の安易な否定を反省すべきだと思った
syunzone自分の望む答え以外の回答が来た場合、議論にならないと言って、あーあー聞こえないモードに入る人いるよね
tripleshot この話に限らず、最近「自分は絶対的に正しい」ってスタンスで、意見の異なる相手をメタクソに叩くっていう感覚が強まっているように思う。ネットで簡単に自分と同じ論調を見つけられるようになったからだろうか
ところで勘違いフェミは女性だけでなく男もよくいるので、女性批判ではないことはご了承を。
これ書かないと勘違いフェミはなぜか勝手に女性批判だと勘違いする。
実際に今ここ読むまで勝手に女性叩きだと思ってた人いるだろ?正直に言っていいのよ?
tk_musik40代の太めの女性がマッチングアプリに登録できなかったら差別だけど、40代の太めの女性が好みじゃないから断るのは仕方ない
tikani_nemuru_M私的な嗜好性を差別と捉えるのは不適切。同性愛者が異性との婚姻をしないのは、同性愛者が異性愛者を差別しているからではない。逆もまた然り
wdnsdy 「40代の太めのおばさんは価値がないから婚活すんな」と言ったならさすがに差別だけど「40代の太めのおばさんを私は結婚相手には選ばない」は差別ではない
1000作品以上集めてわかった「マンションポエム」に隠された“ワナ” | 文春オンライン
http://b.hatena.ne.jp/entry/bunshun.jp/articles/-/10004
この記事では、マンションの売り文句にマンションを超えた詩的な表現が使われている多くの例が挙げられている。
建築業界にはマンションに限らず痛い詩的な表現が蔓延している。
この建物はいかに素晴らしいか、いかに洗練されたデザインか、そしてそれが施主に認められるかどうかで莫大な金が動く。
このような詩的な表現が多くみられるのは、マンションのような客に対する広告宣伝の場のほかに、個性的な設計をする建築家のプレゼンの場がある。
自分のまちの公共施設なんかの公開プレゼンに出向いたことがある人や、建築家に頼んで家を設計してもらったことがある人には実感があるのではなかろうか。
例えば新しく公共施設を建てようということになると
「水の軸、緑の軸、そこが交わるこの建物が地域の拠点となり賑わいの種となる」とか「エンガワのような集いの場」とか妙にひねった表現が横行する。
住宅であれば「ゆるく繋がる」とか「漏れだす光のぬくもり」とか何が何だかよくわからない。
一応これらの表現について説明すると、水の軸というのは川のこと。緑の軸は並木通りなんかを往々にして示す。
んで、その川と道が交差したここにみんなが集まってくるんですよ! (なんでだよ。集まってこねーよ。)
昔ながらの縁側に座って星を見るような雰囲気に仕上げたので、ここに人が集まるんですよ!
(集まってこねーよ。縁側がカタカナになっていることろもポイント。大体赤の他人と話さねーし)
使いやすい間取りや、周りのまちに溶け込まない個性的な外観を正当化させるために、ごまかしのようにコンセプトばかり考えたがる。これが建築業界に蔓延している癌である。
このような詩的な表現を用いるのは建築学科に通う学生時代からの慣例となっている。
建築学科の学生は記事のようなマンションポエム、表現系建築家に憧れ、育ち、ポエム付き建築を量産しているのだ。
こういう表現をコンセプトや売り文句に含む文化はデザインなんかが絡む建築や、グラフィックとか、映像とかそういう業界に多いように思うのだが
昨日から急にどこかにカテゴライズされないと!という不安に襲われているのでだらだらと調べているんだけど、
性欲はあるけど恋愛感情が(分から)ない人のことは何て言うんだろう?
わたしは人が好きで、
この好きってのはなんていうかな……うまく言えないけど、人のかわいそうなところとか人間臭いところとかを見ると同情したり胸がぎゅっとなって
と、同時に人にひどいことをしたい衝動がずっとだらだらと渦巻いていて、
このひどいことっていうのは自分じゃうまく言えないんだけど
例えば暴力だったり、言葉で傷つけたり、性的なことを一方的にしたり
そのあとに抱きしめてごめんねごめんねって言いながら甘やかしてあげて
それからまたひどいことをしたい
こういう支配欲とか加虐欲、暴力衝動が性欲に絡まって複雑に肥大した感情を性別年齢問わず、もう言ってしまえば「人」というジャンル(人以外も対象ではあるけどややこしくなるから今回はナシで)に抱いている
多分、幼い頃から
わたしはずっとこの性欲のようなものを恋愛感情だと思い込んでいて、
だって芥川龍之介も「恋愛はただ性欲の詩的表現をうけたものである」って書いてるらしいし(前後の分脈を知らずにこの言葉だけを受け取るのはダメかもしれないけど)
でもこれってもしかして恋じゃないな……って少し前に気付いた
気付いたというか、そういう話を唯一するクラスメイトの男子にそう言われて、あっそうかも……と納得した
わたしの性欲は一方的で、必ずしも直接的な性が絡んでるわけでもなくて、なんというか……子どもの癇癪がそのまま大人になってちょっとめんどくさいオプションが付いて残りました、みたいな?
まとめるのが下手過ぎて自分が嫌になってきた……
恋愛はしてみたい……でもセックスしたくないし人前で何かを曝したくない
仮に恋愛感情だとしてもそれを不特定多数に持ってる時点で何もできなくない?
アセクじゃないんだよね……アセクって性欲ないんだよね……?
ちょっとうがった見方をすると今の英語教育こそ至上命題みたいな話って、海外進出したもののアメリカ様(とちょっとイギリス様)のうまい話に乗せられて大損したジジイ世代の恨み節なんだよね。
「英語ができてれば負けなかった」「欧米風の議論が出来てれば負けなかった」みたいなのを英語教育を次世代にさせれば仕返ししてくれるもんとか勝手な希望持たれてるわけ。
よく英語ができれば論理的思考ができるみたいな希望的観測も見かけるけど、欧米にも当然に文系学問はあるわけで、英語独特の詩的表現とかもあってそういうの得意にする人もいるんだし必ずしも英語だから論理的思考ができるわけでもないんだよね。
英語ができる=論理思考があるとか無条件に考えてるやつほど、白人様に無意識に劣等感持ってるってこと、いつ気づいてくれるのか。