
はてなキーワード:詐欺とは
2026年2月8日に投開票された衆議院選挙で、立憲民主党と公明党が電撃的に合流して結成した新党「中道改革連合」は、公示前の167議席から49議席へと118議席を失う歴史的惨敗を喫した。この数字は、同じ数だけ議席を伸ばした自民党の圧勝と表裏をなす。なぜこれほどまでに中道改革連合は有権者から拒絶されたのか。批判の核心は党名、政策転換、党内構造、そして支持基盤の崩壊という多層的な問題に根ざしている。
中道改革連合という党名そのものが、結成直後から激しい批判にさらされた。まず指摘されたのは「民主」という言葉の消失である。自由民主党、立憲民主党、国民民主党、社会民主党と、日本の主要政党の多くが「民主」を冠してきたのは、国民主権と対話による政治という理念を示すためだった。ところが「中道改革連合」にはその文字がない。評論家や市民からは「国民を見下す驕りを感じる」「上から目線の改革姿勢が透けて見える」といった批判が相次いだ。
さらに深刻だったのは略称の問題である。「中道改革連合」を略すと「中革」あるいは「中革連」となり、過激派組織「中核派と革マル派」を連想させる響きを持つ。ネット上では「中革派」「中核連」といった揶揄が飛び交い、穏健な中道路線を標榜する新党にとって致命的なイメージダウンとなった。保守系論者からは「中国への道」を略して「中道」だという皮肉も投げかけられている。党名は政治において最も基本的なブランドであり、その段階で既に有権者の信頼を獲得できなかったと見られている。
より本質的な批判は、立憲民主党が長年掲げてきた基本政策を、公明党との合流のために大幅に転換した点に向けられた。立憲民主党は安全保障関連法について「違憲部分の廃止」を主張し、党綱領で「原発ゼロ社会を一日も早く実現」と明記してきた。これらは同党のアイデンティティを支える「背骨」とも言える政策だった。
ところが中道改革連合は、安保関連法を合憲と位置づけ、原発再稼働も条件付きで認めた。この転換に対して、れいわ新選組の山本太郎代表は「日本をダメにしてきた者たちが看板を付け替えて、もう一回詐欺をやろうとしている」と痛烈に批判した。社民党の福島瑞穂党首も「安保関連法を『合憲』といい、原発再稼働を『認める』という。自民党とどこが違うのか」と疑問を呈し、国民民主党の玉木雄一郎代表も「背骨となる政策がこんなに簡単に変わるのか」と述べている。
こうした政策転換は、立憲民主党のコア支持層を直撃した。脱原発や安保法制違憲といった左派的価値観を大事にしてきた支持者は、公明党とくっついて中道に移行したことに強い違和感を覚えたとされる。また、反自民的な無党派層も、野党第一党として自民党と異なる価値観で対峙していた立憲民主党が、与党だった公明党と合流したことで「野党第一党としてのあるべき姿を失った」と感じたという分析がある。元NHK解説委員の増田剛氏は、立憲民主党を支持してきた土台が崩れたと指摘している。
選挙戦略の内部配分も大きな不満を生んだ。中道改革連合は比例代表の名簿で公明党出身者を全ブロックで上位に配置し、立憲民主党出身者は小選挙区で戦うという構造を採用した。公明党の支持母体である創価学会は、全国に約800万世帯とされる強固な組織票を持ち、比例代表での集票力は極めて高い。この組織力を最大限活用する戦略が採られた結果、公明党出身候補28人は全員が当選を果たし、前回衆院選の24議席から4議席増やす「勝利」を収めた。
一方、立憲民主党出身者は公示前の144議席から21議席へと7分の1にまで激減した。近畿、中国、四国、九州の各ブロックでは、公明党系候補だけで当選枠が埋まり、立憲民主党出身の候補者は小選挙区で惜敗しても比例復活できないケースが続出した。立憲民主党の創設者である枝野幸男氏、元幹事長の安住淳氏、重鎮の岡田克也氏ら、民主党政権時代に幹部や閣僚を務めたベテランが次々と落選した。
落選した兵庫7区の岡田悟氏は「比例ブロックの名簿はほぼ、公明のかたで埋められた。これをどうやって、誰がどうやって話し合って決めたのか、民主的なプロセスははっきりと経てないんですよ」と不満を露わにした。党内からは「公明に比例を譲りすぎた」という批判が噴出し、立憲民主党出身候補や支援してきた労働組合幹部の間に深い亀裂が生まれた。
創価学会員の中にも困惑があったとされる。取材によれば、長年「仏敵」とまで呼んでいた立憲民主党の候補者を応援するよう要請され、学会員の間にパニックが広がったという。組織の高齢化も課題となり、小選挙区での全面撤退により「推し」がいなくなったことで熱量を保つのが難しかったという声も報じられている。
実業家の岸谷蘭丸氏は、中道改革連合を「嫌われの元気玉」と表現した。立憲民主党も嫌われ、公明党も嫌われていた。その二つが合流したことで「1足す1ではなく、−1足す−1で−2になった」というのである。この指摘は、単なる揶揄を超えた構造的洞察を含んでいる。
日本の政治は2016年頃から「物語を失い、推し活化」してきたと評論家の與那覇潤氏は分析する。かつては「小異を捨てて大同につく」「野党結集」という物語が一定の説得力を持っていたが、2017年の希望の党の失敗以降、有権者は巨大な塊よりも「100%自分にフィットする特定の政党や政治家」を求めるようになったという見方がある。中道改革連合はこの潮流に逆行し、立憲民主党の独自性と公明党の組織力を両方とも十分に活かせなかった可能性が指摘されている。
さらに評論家の宇野常寛氏は「今回の中道改革連合の『壊滅』の原因は野田佳彦の中道路線の失敗でもなければ、国民民主党の大量擁立でもない。端的に『リベラル』な人たちの『キャラ』が嫌われているからだ」と指摘している。政策や戦略以前に、リベラル勢力全体に対する有権者の拒否反応が背景にあったという見方である。
野田佳彦共同代表は敗北後、「準備期間が足りなかった」ことを敗因に挙げた。高市早苗首相による「抜き打ち解散」で選挙が短期決戦となり、新党の理念・政策どころか党名すらも有権者に浸透させることができなかったのは事実である。結党わずか1か月での選挙戦は、政治的実験としてあまりにも性急だった。
しかし準備期間の不足は、より根本的な問題を覆い隠すものでもあると分析されている。立憲民主党の野田執行部は「野党結集」「非自民勢力の結集」という2009年の民主党政権時代の成功体験に縛られ、立憲民主党独自の社会像を打ち出せなかったとジャーナリストの尾中香尚里氏は指摘する。他の野党との連携を意識するあまり、単独で政権を奪いに行く明確なビジョンを失っていたという見方である。
2024年9月の立憲民主党代表選で野田氏は「野党の議席を最大化するのが現実的な戦略」と述べ、「非自民勢力の結集」を強調して代表に選出された。しかしこの戦略は、立憲民主党が独自に積み上げてきた支持基盤を軽視する結果を招いたと批判されている。
選挙後、野田佳彦共同代表と斉藤鉄夫共同代表の記者会見での態度には明らかな温度差があったと報じられている。野田氏が「終始うつむき加減」で敗北の責任を認めつつも曖昧な継続意欲を示したのに対し、斉藤氏は「前を向いた明るい表情」で「失敗ではないと思います」と言い切った。
この対照は、選挙結果の内実を反映している。公明党は議席を増やし、創価学会の組織票を比例で効率的に議席化することに成功した。斉藤氏は「1000万を超える比例票が短期間で集まった。議席は自民の6分の1だが票は半分で、野党第一党だった」と強調した。公明党にとって、中道改革連合は「失敗」どころか戦術的勝利だったとも言える。
中道改革連合の49議席は野党第一党としては戦後最小規模であり、立憲民主党出身者の当選は21議席と公明党出身者の28議席を下回った。主要政党の中で立憲民主党系だけが「独り負け」の状況となり、自民党はもちろん、日本維新の会、国民民主党、参政党なども議席を増やした。
中道改革連合が嫌われた理由は、一言で言えば信頼と一貫性の喪失にあると総括できる。党名は有権者の共感を得られず、政策転換は支持基盤を裏切り、党内配分は不公平感を生み、準備不足は未熟さを露呈した。そして何より、立憲民主党が長年培ってきた「反自民」「リベラル」というアイデンティティを、選挙のために安易に捨て去ったことが致命的だったと指摘されている。
政治において、有権者が最も嫌うのは日和見主義と機会主義である。中道改革連合は、公明党の組織票と立憲民主党の支持層を合算すれば勝てるという計算に基づいていたが、実際には両者の支持基盤を同時に失った。「嫌われの元気玉」という言葉が示すように、負の感情は足し算ではなく掛け算で作用したと見られている。
この歴史的大敗は、日本の野党政治にとって重要な教訓を残した。有権者は、明確なビジョンと一貫した価値観を持つ政党を求めている。選挙のための便宜的な合従連衡は、もはや通用しない時代になったことを、この結果は示唆している。
最初からこれはNTR作品ですよと銘打った上でNTR回のための土台としての二人の純愛を前編で書くならまだいいけど
純愛ですよと書いておいて後編でいきなりNTRになったら後編は買わなくても「でもこのあとNTRれるんだよな」と思って前編が楽しめなくなってしまうだろ。
というかジャンル詐欺その他の変なことやって炎上する個人サークルはたまに出るとしてもさ、よりにもよってDLsite公式を掲げた企業サークルがそれをやるなよ。
今回の選挙を経て、二大政党制のイメージがリベラルと大衆とで根本的にち違っていたんだろうなと思った
リベラルの思い描く二大政党制って、民主主義陣営サイドに立つ自民党と権威主義陣営サイドに立つ野党(立憲、共産、公明、社民、れいわあたり)を前提としていたような気がする
もしかしたらどちらも権威主義国家サイドであることを望んでいた人も意外と多かったのかもしれない
なぜなら維新や国民民主を野党扱いしてる自認リベラルの人めっちゃ少なかったのと、逆に野党共闘とか言って共産党とくっついたり離れたりしてた立憲を将来の二大政党制の一角として扱ってた自認リベラルの人は目に見えて多かったから
あと、参政党とかいう詐欺集団に至っては自民党の付属品みたいに見てる人も多かったのもそれを補強してると思う
しかし世論が欲していた二大政党制は、どちらも民主主義サイドに立っていることが大前提のものだった
少なくとも権威主義国家に全く警戒していない勢力は「二大」の数に入ってなかった
だから中道とかいう集団は、大衆から「あんたらはお呼びじゃない」とばかりに大惨敗した
“ なぜ日本が狙われるのか、その理由として性被害に遭っても届け出る割合が低いことが考えられます。”
https://news.yahoo.co.jp/articles/b5afebc35101f497eb475558477e523bfc417796?page=2
2026年1月16日、立憲民主党と公明党が合流して新党「中道改革連合」を結成した。高市早苗首相による突然の衆院解散に対抗するため、野田佳彦立憲民主党代表と斉藤鉄夫公明党代表が共同代表に就任し、中道路線を掲げる政治勢力の結集を目指した。綱領では「生活者ファースト」を打ち出し、分断から協調へという理念を掲げた。
しかし現実は厳しかった。1月27日公示、2月8日投開票の衆院選で、公示前172議席から49議席へと壊滅的惨敗を喫し、両共同代表は辞任に追い込まれた。この結果は、母体となった立憲民主党が長年抱えてきた問題を白日のもとにさらすこととなった。
「与党批判にしか力を入れてこなかった」という批判は、中道改革連合の敗因分析においてしばしば言及される論点である。この批判の実態と背景を多角的に検証したい。
立憲民主党に対しては、結党以来「批判ばかりで対案がない」という批判が繰り返されてきた。まずこの認識の事実関係を確認する必要がある。
note記事による集計では、立憲民主党の政府提出法案への賛成率は2023年の第212回臨時国会で73.3パーセント、2024年の第213回通常国会で83.3パーセント、2025年の第217回通常国会では89.7パーセントに達したとされる。この数値が正確であれば、法案の大半には賛成しており、単純な反対勢力という評価は当たらないことになる。
また議員立法による政策提案も行われてきた。2022年の旧統一教会問題では野党が提出した被害者救済法案が議論の土台となり、与党案にも影響を与えたとされる。ガソリン税減税関連法案では、2025年に立憲民主党が主導して成立させた事例もある。
しかしこうした実績があるにもかかわらず、国民やメディアからは一貫して「批判ばかり」と認識されてきた。なぜこのギャップが生まれるのか。
野党の建設的な政策提案や賛成した法案は報道価値が低いとされ、与党との対決場面や激しい批判の場面が優先的に取り上げられる。国会でのヤジや追及場面は視覚的にインパクトがあり、特にSNS時代においては拡散されやすい。
2026年1月24日の高市首相所信表明演説では、立憲民主党系議員によるヤジで演説が一時中断する事態となった。NHK中継を見ていた視聴者の多くが不快感を表明し、これが選挙戦序盤のイメージ形成に影響したとみられる。与党側は「国民の聴取を妨害する不作法」と批判し、野党側は「議会政治の監視監督」と擁護したが、視聴者の印象は前者に傾いた。
立憲民主党は「存在感がない」「目立たない」という批判を長年受けてきた。野田代表自身が党の動画で「なかなかバズらないけれど」と自嘲したことは、この苦悩を象徴している。
地道な政策立案と国会審議を重視する姿勢は、専門家からは評価されても一般国民には伝わりにくい。他方で、目立つパフォーマンスに走れば「中身がない」「批判ばかり」と攻撃される。このジレンマをどう乗り越えるかが、野党第一党の課題であり続けた。
2009年に誕生した民主党政権は、鳩山・菅・野田と三代の首相を経て2012年に崩壊した。普天間基地移設問題、東日本大震災対応、消費増税などを巡る混乱の記憶は、有権者の間で根強く残っている。立憲民主党は民主党の流れを汲む政党であり、「批判はできても統治はできない」というイメージが払拭されていない。
この文脈では、「批判ばかり」という言葉は単なる行動様式の指摘ではなく、「政権担当能力がない」という評価の婉曲表現として機能している。
中道改革連合の惨敗により、立憲民主党への批判は新たな局面を迎えた。
新党結成に際し、立憲民主党は従来の政策を大幅に転換した。安全保障法制については「違憲部分の廃止」から合憲容認へ、原発政策も再稼働を条件付きで容認するなど、公明党との政策すり合わせのために基本路線を変更した。
野党各党からは「看板の付け替え」「野合」という批判が相次いだ。れいわ新選組の山本太郎代表は「日本をダメにしてきた者たちが看板を付け替えて、もう一回詐欺をやろうとしている」と痛烈に批判した。また立憲民主党内部からも原口一博議員が新党結成に反対し、離党した。
これは「批判ばかり」という批判とは別の次元の問題である。選挙協力のために理念を曲げれば、もともとの支持者からは「信念がない」と見なされる。公明党の組織票を得る代わりに、都市部の無党派層や理念を重視する支持者を失った可能性が高い。
選挙戦では、高市政権の右傾化や積極財政による円安・物価高を批判したが、有権者には「では中道改革連合は何をするのか」が明確に伝わらなかった。党名や理念すら浸透しない短期決戦の中で、政策の具体性を訴える時間が決定的に不足していた。
朝日新聞の報道によれば、立憲民主党側からは「バラバラだ」という不満の声が上がり、比例名簿の作成を巡っても内部対立が生じていた。公明党出身者を優遇した結果、公明出身28人全員が当選した一方で、立憲民主党の玄葉光一郎元外相、枝野幸男元官房長官、岡田克也元外相といった政権担当経験者が軒並み落選した。人材基盤の喪失は、今後の党運営に深刻な影響を及ぼす。
選挙期間中、X(旧Twitter)では「#立民いらない」「#嫌立民ムード」などのハッシュタグが急上昇し、検索窓に「立憲」と打つだけで「立憲民主党 いらない」が候補に表示される事態となった。議員が日常的な発言をしただけで誹謗中傷が集中し、党公式アカウントの年頭挨拶にも罵詈雑言が浴びせられた。
この現象は、立憲民主党への関心の高さの裏返しでもある。本当に「存在感がない」政党であれば、これほど粘着的な批判は集まらない。しかしネット上の批判の多くは感情的で、政策の是非よりも人格攻撃に終始する傾向があった。
ここで重要なのは、「野党は批判ばかり」という言説そのものが、政治的な意図を持って用いられている側面があることだ。
ジャーナリストの尾中香尚里氏は、この批判が対立軸の明確な二大政党制を阻害し、「万年与党と万年野党」という55年体制への回帰を正当化する言説として機能していると指摘する。自民党が野党を「批判ばかり」と攻撃することで、政権交代可能な政治という理念そのものを否定しようとしているというのである。
実際、野党が対案を出しても報道されず、与党が野党案を取り込んでも「与党の成果」として報じられる構造がある。この見方に立てば、立憲民主党の問題は「批判ばかり」ではなく、むしろ「批判も対案も国民に伝わらない」という情報発信力の欠如にある。
ただしこの分析にも限界がある。尾中氏は立憲民主党寄りの論者であり、野党の戦略的失敗や組織的問題を過小評価している可能性がある。メディアや与党の責任を強調しすぎれば、野党自身の改善努力を阻害する危険もある。
「与党批判にしか力を入れてこなかった」という批判を整理すると、以下の三層に分けられる。
法案賛成率や議員立法の実績を無視し、対決場面だけを見て「批判ばかり」と断じる認識。メディア報道の偏りとSNSでの情報拡散によって増幅される。
第二層:正当な批判
対案を出していても国民に伝わっていない、政権担当能力を実証できていない、理念と政策に一貫性がない、という指摘。これは立憲民主党が真摯に受け止めるべき課題である。
野党の存在意義そのものを否定し、政権交代可能な政治を阻害する目的で用いられる言説。与党や与党寄りの論者が戦略的に使用する場合がある。
中道改革連合の惨敗は、これら三層すべてが複合的に作用した結果と見ることができる。メディアとSNSの構造問題、野党自身の戦略的失敗、そして与党側の攻撃が重なり合い、壊滅的な結果を招いた。
中道改革連合は2月13日に小川淳也氏を新代表に選出し、再建を図る方針である。しかし49議席という規模では、野党第一党としての影響力は大きく低下した。
まず理念と政策の一貫性を回復することである。選挙協力のために政策を曲げれば、支持者の信頼を失う。中道という立ち位置を明確にしつつ、立憲民主党のルーツである立憲主義や生活者重視の理念を再構築しなければならない。
次に情報発信力の強化である。建設的な政策提案をしても伝わらないのであれば、伝え方を変える必要がある。SNS時代に適応した情報戦略、メディアとの関係構築、分かりやすい言葉での政策説明が求められる。
そして政権担当能力の実証である。最終的に有権者が求めるのは、与党に代わりうる現実的な選択肢である。地方自治体での実績積み上げ、政策集団としての専門性向上、危機管理能力の訓練など、地道な努力が不可欠である。
中道改革連合の惨敗は、単なる一選挙の結果ではなく、日本の野党政治が抱える構造的課題を浮き彫りにした。「批判ばかり」という言説の背後にある複雑な要因を理解せずに、表層的な批判を繰り返すだけでは何も変わらない。健全な民主主義のためには、批判する野党と同時に、その批判を適切に評価する有権者とメディアの成熟が求められている。
女性行員は「愛する人の借金苦を助けたい」という動機で、男性にそそのかされて犯行に及んだとされていました。裁判では男性が計画の中心で、女性を誘導・利用したと判断されたようです。男性は既婚者で、渡された巨額(1億3000万円相当)をほぼ独占し、日本国内で家族と豪遊し続け、海外逃亡もしなかった点も悪質と見なされました。
当時の報道や裁判では、女性が「好きな人のためにやりました」と語ったことが大きく取り上げられ、世論も「だまされた被害者」的イメージが強かったです。
女性は犯行後すぐに海外逃亡(フィリピン)したものの、男性に捨てられた形で逮捕され、反省の態度や模範囚ぶりも考慮された結果、刑が軽くなりました(実際、2年で仮釈放)。
詐欺罪(当時は私文書偽造・同行使詐欺など複合)では、被害額の大きさ(1億3000万円)に加え、
計画性・主導性
利益の独占度
反省の度合い
中道(立憲)がやらかした政策の180度転換、これだよ。政治家にとって一番やっちゃいけない禁じ手なんだよ。
朝令暮改なんてレベルじゃない。昨日まで右だと言ってた奴が、椅子に座った途端に左だと言い出す。
これじゃあ、信じて付いてきた連中が馬鹿を見るのは当たり前だわな。信念がないっていうのは、要するに何のためにそこにいるのかが自分でも分かってないってことだ。
特にジャパンファンドとかいう、いかにも景気の良さそうな名前の公約。あれ、中身をよく見てみりゃ、財源の裏付けも怪しいし、結局は票を集めるための打ち出の小槌を演出しただけだろう?現実を知ってる人間から見れば、そりゃ詐欺って言われても文句は言えんわな。金は天から降ってくるわけじゃないんだ。
それから宗教アレルギーの問題。これは日本特有の難しさがあるが、そこを曖昧にしたままおまかせくださいで通るほど、今の有権者は甘くないよ。一度不信感が植え付けられちまうと、どんなに正しい政策を言っても裏で誰が糸を引いてるんだ?と勘繰られる。政治ってのは信頼の積み重ねなんだから、そこを軽視したツケが批判として噴き出してるんだろうね。
まあ、政治の世界は綺麗事だけじゃ回らんが、少なくとも自分の言葉に責任を持たない奴に、国のかじ取りは任せられんわな。
ところで、最近はこういう公約の空文化を防ぐために、ブロックチェーンで公約の進捗を監視しようぜなんて議論も出ているらしい。政治家も嘘がつけなくなる時代が来るかもな。
詐欺に騙されやすい人の特徴として「自分は頭がいいと思っている」という点がある
これはどういうことかというと、頭がいい自分が騙される筈がないというプライドと思い込みによって、騙されている最中だと薄々察していてもそれを認めることができないのだ
そして「勉強を頑張ってきたのに十分に認められていない・認められるべきだ!」と認識してるので、承認欲求を満たされるとコロっと落ちる
高学歴であればあるほど「頭が良くて頑張ってる自分が認められる世界は正しい世界だ」と信じているから
高学歴は「頭が良くて頑張ってる自分が認められる世界」以外は悪い世界なので、少しでも自分と違う考えの人を受け入れることができない
それを受け入れるのは自分が間違っている馬鹿だと認めることになるから
そう思える人でありたいものだ
本来の部落差別というのは、貧しい連中がバラック小屋で集団生活していると、
その連中の中には万引き恐喝詐欺窃盗なんでもやりかねない連中が混ざっているから、
なるべく接触を避けよう。
っていう、犯罪への恐怖が発端なんよね。
関東は、人口増加とともに、もともとバラック小屋集落だった地域にも近代的な住宅が立ち並んだ。
ここは昔、貧しい人が豚肉の解体処理をしていてねー。ヨッツという部落差別の対象だったんよと言われても、
すごい理想的な女性がいて、その人とチャットして、あーこの人とちゃんと話したいなあ、それだけでも楽しいだろうなあ
「○○○さんは強制退会になりました。詐欺などを発見した場合にはご一報を」
が来て消えた。
なんかね、最近えーあいをつかったこういう詐欺があるんだって。
そうなんだーって。
ニュージーランドという国は南半球の最果てにあるような国であり、日本では未だに「人工よりも羊が多い国」としか認識されていないが、それなりに近代化を果たした国でもある。
かつて原宿にあったクッキータイムスの店舗ではクッキーを売っていたが、現地ではレジの脇で二束三文で売られているひたすらに脂っこいお菓子であり、クッキーなのに噛むと「ジュワッ」とした食感が消化器系を着実に殺しにかかってくる。
さて、ニュージーランドは一体誰の国だろうか、マオリの国だとうか、英国系移民の国だろうか、マルチカルチャであるがゆえに「特に誰か特定の民族の国ではない」だろうか、近年では凄まじ勢いでインド人の国になりつつある。
ワイタンギ条約というマオリ族とイギリスが締結した条約によってニュージーランドは英国目線では英国の植民地となり、マオリ目線では英国の保護のもとマオリの国を保ったと認識している。
これはワイタンギ条約における人類史上最悪の誤訳の一つに数えられる誤訳が英語版とマオリ語版の間にあるからだ。
マオリ語版では「英国王室の保護のもとニュージーランドはマオリの国として維持される」となっており、英語版では「ニュージーランドは英国の植民地でありマオリ族には英国の市民権が与えられる」となっている。
この誤訳は長い間放置されており、問題が完全に民族間のルサンチマンに入れ墨のように入り込んでおり、地域によってはマオリ族による強盗があとを立たない。これは「我々の国に勝手に外国人が来てものをおいているんだからこれは我々のものである」という理屈を振りかざしているから彼らには良心の呵責などは一切ない。
つまり所マオリ族の認識ではニュージーランドはマオリ族のものでありそれ以外は出ていくべきだという人も少なくないし、彼らはそういった論理で度々デモをしている。
日本人にも有名な観光地であるロトルアでは完全に資本主義に屈服したマオリ族が観光客向けに様々なアクティビティを披露しているが、彼らの生活は安定しているが他のマオリからは白い目で見られている可能性もある。
こういった誤訳のあるワイタンギ条約においてもマオリ族の利権はかなり強力なレベルで維持されており、その一つ、ニュージーランドの土地はマオリ族と英国王室の間でのみ売買される、を根拠にマオリ族の許可なしには一切の開発を行うことができない。
ニュージーランドのオークランドが最大歳になっている理由は、ワイタンギ条約締結直後に正式に英国王室がマオリ族から土地を買収したために自由に開発を行えるからでしかない。
ちなみにこのときの売買価格があまりにも安くマオリ族も現地で王室から土地を買う英国商人も全く儲からないことから不満が爆発しマオリ戦争になった。マオリ戦争では末に英国がマオリ族に売りつけたマスケット銃をマオリ族は駆使したが、当時の英国の物量の前になすすべもなく一方的なマオリの敗北となった。
もう一つちなみにだが、マオリ族がマスケット銃を手に入れたことで部族間闘争も更に悲惨な状態になっていったという問題もある。
他にも林業や漁業はマオリ族の専有となっており、マオリ族が捕まえた魚しか店頭に並ぶことはない。そのせいでこの業種で競争が成立しておらず、マオリの最大権益となっている。
ニュージーランドの副首相であるデビッド・シーモアはこのワイタンギ条約に手を付けようとしたニュージーランドでは初の政治家と言っていいだろう。
私の中で悪名高いウィンストン・ピータースもワイタンギ条約自体は「単なる3つの文章が書かれた紙」と要しており価値は認めていないが、手を付けようとしたことはない。
デビッド・シーモアは連立の条件の一つにワイタンギ条約改正を掲げておりラクソンは受け入れざるを得なかった。ウィンストン・ピータースは「議論には出すが人々の良識にかける」とのっけから逃げ腰だった。
彼は「ワイタンギ条約はそもそもイギリスとマオリとの間の条約でありニュージーランドが批准する義務はないのだ」などとも言っており、本心ではワイタンギ条約の破棄、またはニュージーランドとしてワイタンギ条約に批准する責任はないことを法的に確認したいのだろうと言われているが、一番言っていることは「この国はマオリと英国移民だけではなく多数の移民がいる、そんなマルチカルチャのくにで各人がそれぞれ公平に扱われる条約が必要だ」だが、これを信じている国民はいないように見える。
そんなワイタンギ条約が締結された日を「ワイタンギ・デー」という名前で国の祝日にしているが、この日は政治家がワイタンギでスピーチをする。ワイタンギ条約のワイタンギはニュージーランドの地名だ。
その中でスピーチをしたのがデビッド・シーモアという最悪のキャスティングをした今の政府のセンスのなさはもう誰も止めようがないのかもしれないが、彼はスピーチの中で「ニュージーランドを植民地にしたことはマオリにとっても良かった」と言ってしまい、大炎上した。
彼がなぜこんなことを言ったのかはわからないが、マオリ族からしたら植民地になった覚えはないので大騒ぎとなってしまった。
ワイタンギ条約と言ってもわからない人のために軽く経緯を説明すると以下のようになる。
2. タスマンがニュージーランドを発見、当時の乗組員がオランダの故郷であるジーランドにちなんでニュージーランドと命名するも現地のマオリと乱闘になり逃亡
3.ジェームス・クックがニュージーランドに再上陸、今度はマオリとうまく行った
4.英国人が新天地を求めてニュージーランドに移住、この時点でニュージーランドはマオリの国だった
5.英国人が資本主義に疎いマオリ族から土地をだまし取ったりマスケット銃を売りつけて部族間抗争を悲惨にしていく
7. 現地にいる英国人の安全確保や詐欺同然の商慣習に対応するためにワイタンギ条約を締結してニュージーランドを英国の植民地にしてフランスから守った
つまり、マオリからしたら帝国主義列強に完全に巻き込まれているのだがデビッド・シーモアの言い分としては「植民地化したことでニュージーランドの土地が英仏戦争の戦場にならなくて良かったな」なのか「より文化的な生活を享受できてよかったな」なのか’はわからないがこのような過酷な運命に翻弄されているマオリ族からしたら許しがたい一言であっただろうことは間違いがない。
今の政権が年末の選挙で一体どうなるかはわからないが、もうじき選挙が始まるこのような時期に不穏なことを行ってしまえるデビッド・シーモアという政治家には不安しか感じない。適当に耳障りの良いことを言って支持率を集めるジャシンダ・あーダーンのようなことをする必要はないのだが、お前の私的な意見なんか誰も求めていないということを国としてしっかりと選挙結果に表すべきだろうが、そうするといウィンストン・ピータース率いるニュージーランド・ファースト政党がますます力をつけるかもしれないので、もうこの国はどう転んでも同仕様もないところまできた可能性がある。
サプライサイド経済学というのは、表向きは「成長の源泉は供給能力だ」「税を下げて労働・投資のインセンティブを回復させろ」という、いかにも正しそうな顔をしている。
だが現実の政策運用では、これはしばしば理論の皮を被った政治的アリバイ装置に堕して自己放尿している。
つまり「減税したい」「規制緩和したい」という結論が先にあり、その正当化のために供給側という言葉が貼られているだけだ。
そしてこの手の政策がインフレ局面で何をするか。ここが本題だ。インフレを自分の責任として引き受けず、外部ショックに責任転嫁し、金融要因を直視せずに逃げる。
インフレの本質はきわめて単純だ。インフレとは「貨幣の購買力の低下」であり、長期的・持続的な物価上昇は、結局のところマネーサプライの過剰成長によってしか説明できない。
貨幣数量説を教科書の古典として片付けるのは簡単だが、現実は古典がしぶとい。
なぜなら貨幣は取引の潤滑油であり、供給を過剰にすれば、最終的に価格体系そのものを歪ませるからだ。
貨幣を増やして、物が増えないなら、価格が上がる。これを否定するのは、重力を否定するのと同じ種類の幼稚さだ。
サプライサイド経済学が問題なのは、「供給を増やす努力」それ自体ではない。
供給能力を拡張する政策は、本来は重要だ。資本蓄積、技術進歩、労働参加率、規制コスト、税制の歪み、こういう話は全部まともだ。
だが、インフレ局面でそれを万能薬のように唱え、金融的現実から逃げる瞬間に、理論は自己放尿へと変質する。
供給制約があるなら、供給を増やすべきだろう。しかしそれはインフレの主原因の説明ではなく、一部の緩和策でしかない。ここを混同するのは知的怠慢であり、政治的欺瞞だ。
しかも、連中がやる典型的なムーブがある。マネーサプライがインフレの原因であるのに、ウクライナだの、輸入物価だの、エネルギー価格だのに責任転嫁して自己放尿する。
もちろん戦争が供給ショックを起こすことはある。輸入物価が上がれば短期的に物価は上がる。
だがそれは「物価水準の一回限りのジャンプ」を説明するだけだ。持続的なインフレ率、つまり上がり続ける現象は、貨幣の過剰供給がなければ維持できない。
にもかかわらず、政治はこの混同を利用する。供給ショックを口実にすれば、中央銀行と政府の金融・財政の共同責任を曖昧化できる。
つまり「インフレは外生的だ」「我々は被害者だ」「戦争が悪い、国際情勢が悪い」と言いながら、裏では金融緩和と財政膨張を続けてダブル放尿する。
これは政策当局の典型的な責任回避ゲームだ。貨幣を増やしている側が、原因を外に投げる。
国民は複雑な説明を好む。「海外要因のせい」と言われたほうが納得しやすいからだ。
こうして、通貨価値の毀損は“不可抗力”として処理される。要するに、責任を取らずに済む。
善意だろうが悪意だろうが関係ない。貨幣を増やせば、遅れて物価が上がる。
しかも遅れて上がるから政治家は調子に乗る。短期では景気が良くなったように見える。
雇用が増えたように見える。資産価格が上がる。だから選挙に勝てる。
ここで政治が学習するのは、「貨幣を増やすと一時的に気持ちいい」という事実だ。
麻薬と同じだ。そして副作用としてインフレが来る頃には、原因は別の誰かに押し付ける。
これが政治経済学の基本構造だ。人間は合理的だが、責任を負うようには合理的ではない。
サプライサイドがこのゲームに加担するのは、「供給を増やせばインフレは起きない」という幼稚な物語を提供できるからだ。
減税して投資が増える、労働供給が増える、生産性が上がる、だから物価は上がらない。
これ自体は条件付きで一部正しい。だが、現実には供給の反応は遅い。
政治の時間軸と市場の時間軸は違う。設備投資には時間がかかる。労働参加率の変化も遅い。規制改革も遅い。技術進歩などもっと遅い。
にもかかわらず、貨幣供給の拡大は今すぐできる。財政赤字の拡大も今すぐできる。金融緩和も今すぐできる。といって自己放尿する。
つまり政策当局がやっているのは、遅い供給改善を口実にして、速い貨幣膨張を正当化することだ。これは構造的に詐欺的にならざるを得ない。
そして当然の帰結として、価格シグナルが壊れる。価格とは情報だ。価格は希少性を伝える信号であり、市場参加者の分散情報を統合する計算装置だ。
だがインフレが起きると、価格は「相対価格の変化」と「貨幣価値の変化」が混ざったノイズになる。
企業は需要増なのか通貨安なのか判別できない。労働者は実質賃金が上がったのか下がったのか分かりにくくなる。
こうして誤配分が起きる。ミスアロケーションだ。資本が生産的用途ではなく、インフレヘッジの投機に吸い込まれる。
住宅、土地、株式、あらゆるものが価値保存の器として買われる。市場は本来の機能を失い、ただのインフレ回転装置になる。
この状態で「減税すれば供給が増えて解決だ」と言うのは、火事の中でガソリンを撒きながら「いや、建物の耐火性能を上げれば大丈夫」と言っているようなものだ。
耐火性能の議論は重要だが、今燃えてる火を無視してる。燃料の供給を止めろ。貨幣の供給を止めろ。インフレ期待を潰せ。実質金利を正常化しろ。これが先だ。
順序を間違えるな。順序を間違えるのは無能か、あるいは意図的な詐欺だ。
ここでサプライサイド派がよく使う逃げ口上が「インフレは一時的だ」「供給制約が解消すれば下がる」だ。
これもまた、政治的に便利な麻酔薬だ。だがインフレ期待というのは、そんなに素直に消えない。
人々が「どうせまた通貨を薄める」と学習した瞬間、賃金交渉も価格設定も前倒しでインフレを織り込む。
これが自己実現的にインフレを固定化する。金融当局が信頼を失った経済では、インフレは単なる物価上昇ではなく、制度への不信の表現になる。つまり、通貨が信用を失う。
なぜなら改革をしているフリをしながら貨幣膨張を続ければ、改革への信頼まで毀損するからだ。
減税も規制緩和も、本来は市場メカニズムの復権のためにあるはずなのに、インフレを伴うと単なるポピュリズムに見える。
市場派が市場派であることをやめる瞬間だ。これが思想の腐敗でなくて何だ。
サプライサイド経済学が自己放尿する最大のポイントは、「供給能力を上げる」という正しいテーマを掲げながら、「貨幣供給の過剰」という不都合な真実を直視せず、外部要因に責任転嫁し、政治の短期利益に奉仕することだ。
ウクライナ、輸入物価、エネルギー価格のトリプル放尿で責任を散らし、マネーサプライの増加という核心から逃げる。
市場は強い。だが市場が強いのは、価格が情報として機能し、貨幣が安定している場合に限る。
通貨価値を政治が破壊すれば、市場は情報処理装置として壊れる。
貨幣をまともにできない政権が、供給改革などできるわけがない。できるのはスローガンの量産だけだ。
インフレは天災ではない。インフレは制度の失敗であり、政策の失敗であり、何より責任逃れの帰結だ。
サプライサイド経済学がもし本当に供給能力の拡張を語るなら、まず通貨の安定を前提条件として守れ。
基本的にwikimediaにpublic domainとしておいてある音源なら問題ないと思う。
しかし、youtubeで使うと、詐欺団体が難癖をつけてくるけど。
とすると、まず詐欺は明らかにリンクが多いし、画像・動画がなければ政治思想で洗脳するには弱い
この理屈に基づいて、俺はXとかMastodonとかで、テキストのみの投稿以外はuBlockで非表示にしてるのよな
特にSNSだと、集団圧(みんな言ってる)みたいな手口がある。歴史的にも、新聞やビラだけで大衆扇動は成立してきたしな
この設定はリスクをかなり減らすが、無害化ではない