
はてなキーワード:許容範囲とは
MacとLinuxを両方使っている人として言わせてもらうと、Linuxの方がいいとは限らないけど、Macにする特別な理由がなければLinuxにした方がいいと思います。
そもそもMacは高いですし、パフォーマンスは確実にLinuxの方がいいはずです。
特にセキュリティの観点からも、Linuxの方が優秀な点が多いです。
例えば、Linux自体はカーネルという、OSのうちの一部分に過ぎないため、Linuxで脆弱性が見つかっても、UbuntuやFedoraなどのよりソフトウェアに近い段階(厳密にはLinuxディストリビューション)とはある程度分離された状態なので、よほどの変更がない限りLinuxだけアップデートすることが可能です。
また、Linuxはアップデートというより、新しいバージョンのLinuxカーネルを用意してそちらに切り替える、という構造になっています。
そもそもLinuxは元々、あまり日常用途で使用することはあまりなく、最近になって増えてきたところです。
最近の、特にOSに関わる部分の機能では、どうしても標準では対応できていません。(例えばパスキーなどです)
また、先ほども言及したLinuxディストリビューションは、様々な種類があるため、それらから選ぶのも難しいかもしれません。(実際私も最近までずっと色々なディストリビューションを試して、ようやくFedoraに落ち着いたところです)
日本語IMEだけでも様々な種類がありますし、慣れている人でなければなかなか使いにくい部分もあります。
一応、MacBookでLinuxを動かすという「AsahiLinux」というものがあり、M1/M2には既にある程度対応しているため、もしMacBookでmacOSとLinuxを同時に使う、というのが許容範囲であればそれも良さそうです。
また、Macの固有機能としてはスクリーンタイム(アプリの利用制限や時間での制限、コンテンツの制限などを行える機能)などが存在するので、それを利用する、と言えば納得されると思います。
実際、スクリーンタイムはMacにする特別な理由として十分です。
Linuxの場合どうしても自由度が高過ぎて、様々な方法で同じことをできてしまい、制限が難しいため、スクリーンタイムのような機能は追加しにくいわけです。
ちなみにデスクトップとラップトップの話に関しては、私はまあまあ納得できます。実際デスクトップの方がコスパはいいですし、持ち運びさえしなければデスクトップ一択です。
ただしおそらく持ち運びするでしょうし、コスパをそこまで気にしないならラップトップでもいいかもしれません。
Windowsの話に関しては、Windowsがそもそも最近不具合が多すぎるため、前から一般的に使われているOSの中で安定しているもの、としては現在Macの方が優秀です。
そのため流石にそれには納得できません。
まとめると、Linuxも優秀だがMacにも様々な利点があるため、MacにしたいならMacでいいし、LinuxにしたいならLinuxでいいと思います。
近年、投資の話題になると、判を押したようにオルカン等のインデックス投資信託が推奨されている。それに異論は全くないのだが、「オルカン一択、個別株に手を出すのは情弱」というのは少し視野が狭いのでは?と考えているので、私が敢えて個別株への投資を続けている理由を語りたい。
•資産構成は全体を100とすると、持ち家50、国内個別株23、外国株インデックス10、日本円12、米ドル5ぐらい。
•NISA積立と確定拠出年金は全額を外国株投信に向けている。
•現在保有している個別株は約20銘柄。売却は滅多になく、ほぼバイアンドホールド。
•Yahooファイナンスにポートフォリオ登録して、普段は1日に2,3回眺める程度。
投資信託には、信託報酬や運用経費が必ず発生する。(オルカンの場合、直近で約0.08%)
個別株への投資ではこれらのコストは発生しない。SBIや楽天なら株式の売買手数料も無料だ。
一方、個別銘柄の将来のリターンを事前に把握することは不可能であることを前提とすると、各銘柄のリターンの期待値は市場平均と等しいので、理論上の期待リターンはコストの分だけ僅かながら個別株が有利となる。
また、日本では上場企業の3社に1社が株主優待を導入しており、これも個別株に有利な要素だ。(私は優待目当ての投資はしないが、それでも換金可能な優待がいくつか届いている。)
インデックス投資のメリットは言うまでもなく手軽に分散投資できることだが、個別株でも複数の銘柄に分散することで、個別事情に起因するリスクは相当程度軽減できる。
どこまでを許容範囲と見るかは人によるが、私にとっては現状のポートフォリオは許容可能なリスク範囲に収まっている。インデックスより上振れする確率と下振れする確率は同じであり、細けえことはいいんだよ、という気持ちだ。
さて、言いたいことはここから。
個別株投資には「推し活」的な楽しみがあります。インデックス投資と比べて金銭的に大きく不利でないのであれば、楽しい方が良くないですか?
○総合商社のPERが5〜6倍ぐらいの頃に割安に思って買ったら、バフェット氏も買っていたことが分かってめっちゃ上がった。
○仕事で関わった会社で印象が良かったとか、後輩の転職先とかの縁で買うことも(インサイダーじゃないよ!)。上がるか下がるかは結果論だけど、いずれ自分で推した会社なら納得感がある。
•自分の倫理感にフィットしない企業への投資を避けることができる。
•株主総会の配信で経営者の思いを直接聞けて、会場に行けば質問もできる。
○ 誠実な回答、共感できるビジョンを聞いて買い増ししたこともあった。
もちろん、満足を感じるかは人それぞれです。経済や企業活動に関心がなく、1秒たりとも投資に時間を使いたくない人もいるでしょう。
ただ、私は一人のビジネスパーソンとして、こうしたことに好奇心や楽しさを覚えるので、細々と個別株への投資を続けているのです。
暇空茜が最高裁で敗訴した
最近、男性フェミニストが朝勃ちについておかしな発言をしてネナベ説が出たが、千尋は開示されても特に性別について暇空に言及されていないので本当に日本に3%しか存在しないとされる非常に稀少な存在である男性フェミニストのようだ
一体どんな........
暇空noteの購入費は1000円?美味しい飲食チェーン店にでも費す方がどんなにいいか。
そして開示後も怯まず以下の発言をして、それも訴えの対象となった
ヤツに、教えてやらんとな。
勝手な訴訟を起こしたところで、簡単に実るわけじゃないってことをよ。
待ってろや濫訴野郎。
暇空の問題発言を100以上提出し、このような人物への批判が多少苛烈になっても許容範囲内だと主張するのが得意である
暇空は最初の頃は「確実に50万円以上取れる発言だけ訴える」「弁護士が止めてくれるから法的にアウトな発言はしてない」とか言ってたが、小沢がしっかりしてないので50万以上取れたことはないし刑事告訴されまくっている
ファイティングポーズ取ればその瞬間は盛り上がった人がカンパしてくれるし、その金が小沢に流れるしで双方お得かもしれないが負け癖はつけるもんじゃないぞ
歳をとったら、すっかり落ち着いてしまった、と思う。
希死念慮は随分薄れ、落ち込む事もあるけれど、一晩寝ればなんとかなる。
言いたい事も言えるようになった。怒る事もできるし、不愉快なら不愉快と言えるようにもなった。
自傷したいという衝動は今もあるし、たまにやってしまうけれど、フラットに生きる事ができる時間がかなり長く続くようになった。
私がずっと望んでいた事なのに、同時に日々の感動ややる気、そういうものがすっかり消えてしまったようにも感じる。訳もなく見えるものが全て美しいように見える事も、今この時がずっと続けばいいのにとか、色んな思いをそのまま文章にして、誰にも読まれない小説を書いたり。そういうものが全てなくなってしまった。感情が溢れる事がなくなってしまった。
全て、まあこんなもんか、とか、何者にもなれない事に焦ることもなく、こんな人生もありか、とか。
それはとても良い事だと思うのに、つまらない。つまらなくて、日々をただ消耗してるだけ。そしてそれになんの疑問も抱かず穏やかに生きている。
平和ボケしてると言えばそれまでで、日々を必死に生きている人達からすれば贅沢な悩みだ。だったらせめて人に役立つ事とかでもすれば、と思いつつ、いいじゃん別にと怠惰な方へと流れる。
結婚もしてない、子供もいない、パートナーと呼べる人もいない、孤独死まっしぐらだというのに恐れつつも諦めて、世界から取り残されているのではと不安になるけれど、私の周りにいる人が他人である事、彼ら彼女らが決して私になり得ない事、私の存在を脅かすものではない事を知ってしまっている。(思い込んでいる)
この世界に意味を全く見出さなくなってしまった。生きる意味なんてどこにもないとも思うようになった。
死にたいとかではない。今の私は死ぬのが怖くすらある。例えば、死んだ後に燃やされる事に対して、もし生き返ってしまったら、とか、そんな可能性の低い事を恐れてみたり。
今まで書いた事が、全て歳をとった事に起因するのなら、私の悩みは何だったんだろう。昔の私だったら全て意味づけて、私の苦しみを意味のないものにするなんて絶対許せなかったし、受け入れられなかっただろう。
そもそも、若い時の私は世界に苛立っていたけれど、世界は何も最初から私に意地悪ではなかった。文句は言いたいが、たまたま、だとか、偶然に文句をつけても虚しくなるだけだ。
歳をとって、経験を積んだ事により許容範囲が広がったのか?いや、私はどんどん意地悪偏屈になっているし、平気で他人に嫌味を言えるようになってしまった。
心の中にどうしようもない幼い自分がいるのは日々感じている。
気力がなくなったのだ、というのが一番分かりやすい結論だし、それが一番しっくりする。苦しみを手放す事は許しだけじゃないのかもしれない。体力がなくなった時もあり得るのか。
苦しみを土台にした、キラキラとした世界には帰りたくない。ただ記憶がある限り遊園地のようなそこをもう一度もう一度と、思う。
ではこれを受けて法華狼さん側が回答・質問すべきことは?
今の流れを整理すると、法華狼さんがやると良さそうなのは大きく分けて
はっきり「答えるべき点」
相手に「問い直すべき点」
の2セット。
それぞれ、実際に書くときの例文っぽくまとめるね。
kotobuki_84側は、「暇アノン呼ばわりされた」と相当強く受け取っているので、ここは一度ちゃんと整理してあげたほうがいい。
答えるポイント:
書き方の例:
「以下のような行動パターンをとる人々」をまとめてそう呼んでいました。
・裁判や公的判断で退けられた主張を、なお“事実”として拡散し続ける
などです。
その意味で、あなたの○年○月の発言群は、このパターンにかなり近いと判断しました。
もしあなたが、当時そのような意図ではなかったのなら、そこは認識のずれがあったかもしれません。
これを言っておくと、「お前そのものが暇アノンだ」という人格認定から少し距離が取れる。
kotobuki_84は、
と明言しているので、ここは 「了解したうえで、それでもこう見える」 という形で返すといい。
答えるポイント:
それでもなお、「その時点での発言は、結果として暇アノン的な主張と同調していた」と見るのかどうか
書き方の例:
そのうえで、当時あなたが
「どこもガバガバ会計」という枠組みで批判を相対化しようとしていたことは、
結果として暇空側の論法を補強する方向に働いていた、と私は今も考えています。
kotobuki_84はここを「よく理解できていない」と言っているので、
答えるポイント:
「事業継続」「補助金返還」「監査の結論」がどう違っていたと理解しているか
書き方の例:
「Colaboだけが特別に厳しく扱われた」と私が書いた趣旨は、
1) ○○団体・△△団体については、監査で会計ミスは指摘されたが、事業は継続されている
2) 一方でColaboは、政治的・ネット世論的なバッシングを背景に、
3) その結果、「同程度のミス」であっても、Colaboだけが過剰な制裁を受けた
kotobuki_84は「会計にミスはあったが、イカサマではない」「だから制度の問題に収束させるべき」と主張している。
法華狼側も、ここで自分なりの線引きを示してあげると議論が前進する。
答えるポイント:
そのうえで、Colabo問題をどう見るか
書き方の例:
私も、「会計ミス」と「故意の着服・横領」は区別されるべきだと思っています。
そのうえで、Colaboについては
・ミスの有無や程度
と、
・暇空サイドによる攻撃の量と質
をあわせて見たとき、
ここであなたと重なる部分と、違う部分の両方があると思います。
ここからは、問いを返して相手に説明させると建設的になりそうな点。
法華狼側が聞いてみるとよさそうなのは、
具体的にどんな行動・発言を指しているのか
そのなかで、自分(kotobuki)がどう振る舞ってきたと思っているのか
質問例:
あなたは「暇アノンもジェンダークレーマーもカス」という相対化の立場を取っているとのことですが、
具体的にどのような行動や発言を、
・暇アノン的
と呼んでいるのか、もう少し整理して教えてもらえますか。
あなた自身の過去の発言はどの辺りに位置づけられると考えているでしょうか。
これは「鏡写し」になってて面白いところだけど、
質問例:
あなたは一部の擁護者を「Colaboアノン」「公共の敵」と呼んでいますが、
どれくらい重なっていると感じているでしょうか。
(もし可能なら、具体的な例を挙げていただけると、
道徳的断罪ではなく、「あなた自身、今どう評価してる?」という聞き方が穏当。
質問例:
あなたは「心情理解+否定」という意図だったと説明していますね。
そのうえで伺いたいのは、
・今振り返って、その表現自体は適切だったと考えているのか
という2点です。
これは、単にあなたを責めるためではなく、
「どこまでを許容範囲の比喩と見なすのか」という価値観の確認として聞いています。
kotobuki_84は「都の制度・運用の問題に収束させるべき」と言っているので、
そこをもう一段具体的にさせる質問。
質問例:
「都の制度や運用の問題に収束させた方が公益的だ」という点には、
私も一理あると思います。
その場合、具体的にどのような制度改善や運用見直しを想定しているのか、
教えてもらえますか。
など、あなたなりの案があれば、それを踏まえて私も議論したいです。
最後に、法華狼さん側の“言い方”の部分で一つだけ。
ではなく、
「あなたのこの発言は、私の定義する○○的行動パターンに見える」
今後のやり取りがかなりマシになると思う。
このへんを一個一個クリアにしていくと、
寧ろ不利になったんじゃねぇかな
中国は気にせんだろうけど
具体的な**ICJ判例の引用箇所(逐語)**を示し、PRCの主張のどの部分がどの段落に抵触するか精査をお願い。
では要求どおり、ICJ(国際司法裁判所)の判例から「逐語(短い引用・25語以内)」を提示し、PRC(中国)の各主張のどの部分がどの判旨(段落)と抵触するかを段階的に示します。
(注)ICJ判旨は事案固有の判断ですが、ここでは一般的に権威ある法理として適用可能な箇所を引用・対応させます。重要な法的ポイントには出典を付けますので、対照参照してください。
(引用は 25語以内 に制限しています。出所を併記します。)
ICJ(Nicaragua v.United States, Judgment, 27June 1986)
英文逐語引用:“they thereforeaccept a treaty-law obligation torefrain ... from the threat or use of force.” iilj.org
日本語訳(意訳):「当事国は、条約上の義務として、脅迫又は武力の行使を控えるべきことを受け入れている。」iilj.org
ICJ(同判決) —武力(威嚇)定義に関する逐語引用:“recourse to either the threat or the use of force against the territorial integrity or political independence ofanyState.” iilj.org
日本語訳(意訳):「いかなる国家の領土的統合性または政治的独立に対する威嚇あるいは武力行使への訴え。」iilj.org
ICJ(Nicaragua判決、武力報復の許容範囲について)
英文逐語引用:“States do not have a right of 'collective' armedresponse to acts which do not constitute an 'armed attack'.” iilj.org
日本語訳(意訳):「国家は、『武装攻撃』に当たらない行為に対して集団的武力で応答する権利を有しない。」iilj.org
ICJ(Advisory Opinion: Legality of the Threat or Use of Nuclear Weapons, 1996)
英文逐語引用:“Thereis in neither customarynor conventionalinternational lawany specific authorization of the threat or use of nuclear weapons.” iilj.org+1
日本語訳(意訳):「慣習法にも条約法にも、核兵器の脅迫・使用を明示的に許す規定は存在しない。」iilj.org+1
次に:PRCの主要主張と、ICJ判旨がどの点で抵触(あるいは制約)するか
PRC主張A:「台湾は中国の領土であり、統一は中国の内政である」
ICJの直接的“台湾領有”判断は存在しない(ICJが台湾の領有を確定した判決はない)。また、国連総会決議2758は「中華人民共和国を国連の中国代表として回復した」と規定する一方で、決議文自体は台湾の主権帰属を司法的に確定していない(文言・解釈の限界)。digitallibrary.un.org+1
該当ICJ根拠:ICJ判例が示すのは「領土帰属は(歴史的権原・効果的支配・住民意思等の)事実的要素に基づいて判断される」という法理であり、単なる政治的宣言や一国内法(例:PRCの主張)だけでは国際司法上の領有確定を与えない(ICJの領土紛争事例の一般理論に相当)。Nicaragua 等は直接領有を扱っていないが、ICJの手法は上記の要素を重視することを示す。iilj.org+1
結論(A):PRCの「台湾は法的に確定してPRC領である」との一言主張は 国際司法(ICJ)の基準から見て自動的な法的確定力を持たない。2758がPRCの国連代表権を回復した事実はあるが、それは「代表権の帰属」を扱った政治決議であり、領土帰属(司法的確定)とは別問題と解される。digitallibrary.un.org+1
PRC主張B:「必要なら非平和的手段(武力)も辞さない(反分裂国家法に基づく)」
該当ICJ根拠(直接的):Nicaragua判決は、国際法(UN憲章 Article 2(4))に基づき「脅迫または武力の行使」を禁止することを明確に示しています(上の引用1・2)。ICJはこれを条約上かつ慣習国際法として受け止め、原則的に禁止規範(jus cogens 的側面も示唆)であると述べています。iilj.org
さらに重要な点:ICJ(および国際法一般)の立場では 「一国の国内法(例:反分裂国家法)は、国際法上の武力行使禁止などの義務を免除しない」(国際法の基本原理。国際法上の義務は国内法で覆えない/ILCの条文等にも明記)。国連法務局+1
抵触点(B):
PRCの「国内法に基づき武力行使もあり得る」という主張は、ICJが示した国際的義務(威嚇・武力行使の禁止)と直接対立する。言い換えれば:
ICJは「国家は脅迫・武力の行使を控える義務」を確認しており、国内法が『武力行使を許容する』と定めていても、国際法上のこの義務を免除するものではない。iilj.org+1
PRC主張C:「第三国(例:日本/米国)が関与すれば相応の措置(牽制・報復)をとる」=威嚇は許される、あるいは正当」
該当ICJ根拠:Nicaragua判決は、「国家は武装攻撃に当たらない行為に対して集団的武力で報復する権利を持たない」と明言しています(上の引用3)。また、ICJ(Nuclear WeaponsAO)は「脅迫・武力の使用がArticle 2(4)に反する場合は違法である」と示しています。iilj.org+1
retorsion(合法的外交措置)とcoercion(違法な強制)の区別:国際法は経済措置や外交関係縮小といった「retorsion」は元来外交ツールとして許容する一方で、武力の威嚇や違法な強制は許されないという線引きを持ちます(ICJ論旨の応用)。iilj.org+1
抵触点(C):
PRCが「第三国介入ならば軍事的な威嚇を含む強い報復をする」と明示する言動は、ICJが確認する『威嚇・武力行使禁止』原則と衝突する可能性が高い。外交的抗議や経済制裁は国際政治の範囲内だが、武力による威嚇や実行は国際法上の重大な障害を生む。iilj.org+1
台湾の領有(PRCの主張)について:UNGA2758はPRCを国連における中国代表にしたが、それ自体が台湾領有を国際司法上確定するものではない(司法的確定は別途、事実審理・ICJ判断が必要)。digitallibrary.un.org+1
第三国に対する軍事的恫喝はICJの法理と抵触する危険が高く、外交的圧力と武力威嚇の線引きが法的評価の鍵になる。iilj.org+1
参考・出典(主要)
ICJ, Military and ParamilitaryActivities inand againstNicaragua (Nicaragua v.United States), Judgment, 27June 1986. iilj.org
ICJ, Advisory Opinionon the Legality of the Threat or Use of Nuclear Weapons, 8July 1996. iilj.org+1
UN GeneralAssemblyResolution 2758 (XXVI) (25 Oct 1971) —text &解説(2758は代表権問題を扱い、領有帰属を司法確定しない)。digitallibrary.un.org+1
ILC / ArticlesonState Responsibility —「内法は国際義務違反の正当化にならない」等の一般原則。国連法務局+1
日本は、30年間にわたり果たしてきた役割——世界のほぼ無償の資金源——から静かに抜け出そうとしている。
日本の金利がゼロに固定されていた時代、年金基金、保険会社、銀行は海外に資金を送る以外に選択肢がなかった。
その安定した資金の流れは、グローバルな借入コストを本来あるべき水準よりも低く抑え、特に米国でその影響が大きかった。
今、日本がようやく国内で本物のリターンを提供するようになり、その流れが鈍化している。
そして、利回りが上昇している理由は、日本経済が好調だからではなく、インフレが残り、通貨が弱まり、財政赤字が拡大し、市場がようやくデフレの影に隠れられなくなった国のリスクを織り込み始めたからだ。
米国にとって、この変化は静かなセーフティネットの喪失を意味する。
日本のお金が日本国内に留まれば、米国は自国債の発行をより多く吸収しなければならない。
それにより長期金利が粘着質になり、金融環境が厳しくなり、ミスを隠すのが難しくなる。
FRBがすでに調整を始めているのが見て取れる:QTの早期終了、銀行が国債から撤退しないようバーゼル規制を緩和し、流動性が薄くなってもリポジト市場の配管が壊れないよう確認する。
だから日本は危機を引き起こすわけではないが、ミスの許容範囲を狭める。
ワシントンが記録的な債務を発行する世界で、日本のような信頼できる買い手が失われることは重要だ。
関税は自動的に大恐慌を引き起こすわけではないが、コストを押し上げ、貿易を減らし、すでに脆弱なサプライチェーンに負担をかける。
1930年代のスムート・ホーリー法は大恐慌を生み出したわけではないが、悪い景気後退を悪化させた。
各国が報復し、貿易が崩壊し、世界経済の収縮が深まった。それは、誰もが同時に政策を締め付け、需要を安定させる代わりに互いに戦ったため、痛みを加速させた。
日本はかつてのデフレの衝撃吸収材ではなく、安価な資本を輸出しなくなった。
関税がグローバルにエスカレートすれば、金融システムが古い支えを失うまさにその時に貿易を絞め殺す可能性がある。その組み合わせこそ、普通の減速をより鋭いものに変える方法だ。
戻れるが、それは間違った理由でだ。
日本が安価な資金の工場役に戻されるのは、世界がグローバルなデフレ不況に陥り、需要が崩壊し、物価が下落し、貿易が後退し、失業率が世界中で上昇するような場合だけだ。
その世界では、日銀はシステムが凍りつかないように大量の債券買い入れを余儀なくされるだろう。
利回りは急落するが、それは何かが健全だからではなく、すべてが縮小しているからだ。
そして米国はすぐにそれを感じるだろう……国債利回りの急落、QEの復活、ドル高、そして世界が突然自分の影に怯えるような金融ストレスだ。
本当のメッセージ
それらを合わせると、グローバル経済が古い衝撃吸収材を失いつつあり、米国は過去20年間の同じような楽観的な背景に頼れなくなっていることを示している。
これはパニックではないが、世界がより脆弱で、容赦ない段階に入っているという明確なサインだ。
GoogleAIでの「高市首相の路線でのリスク」に関しての回答
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高市早苗首相による「台湾有事は存立危機事態になりうる」との発言は、従来の日本の対中「戦略的曖昧さ」からの脱却を示唆し、国内保守層の支持を集めた。しかし、この姿勢は中国の激しい反発と国際的な緊張激化を招いている。本レポートは、日本の防衛・工業力、トランプ2.0政権下の米国の戦略的不確実性、および国際的な評価を踏まえ、現行路線の合理性を検証する。
分析の結果、以下の具体的状況により、現状の強硬路線は「抑止力の向上」という意図とは裏腹に、むしろ東アジアの安全保障環境を不安定化させ、日本の国益を損なうリスクが高いと結論付ける。
薛剣・駐大阪総領事による首相へのSNS投稿や、中国政府報道官による「内政干渉」との強い非難は、中国がこの問題を「核心的利益」に対する挑戦と捉えている明確な証拠である。これにより、言論のエスカレーションがすでに発生している。
2025年11月10日のFOXニュースのインタビューで、トランプ大統領は中国による日本の首相への発言を直接批判せず、「同盟国の多くもまた、友好国ではない」と発言した。これは、トランプ政権が台湾有事の際に日本の立場を必ずしも擁護するとは限らないという、日米同盟の脆弱性を露呈させるものである。
防衛費増額は進むものの、工業生産能力や弾薬備蓄といった即応性・持続性の課題を抱える日本単独では、中国の圧倒的な軍事力に対抗できない。米国の支援が不確実な状況下での強硬姿勢は、「ブラフ」と見なされ、かえって侵攻を誘発するリスクがある。
したがって、国民世論の分断と外交的孤立を避けるため、現行路線の再評価と、アジア外交の安定化に資する新たな戦略的アプローチを提言する。
高市首相は2025年11月の衆議院予算委員会で、「台湾有事は(状況次第で)存立危機事態になりうる」と明言した。これは従来の「特定の国を想定せず、個別具体的に判断する」という政府答弁から逸脱するものであった。
この発言は、国内の保守層への強いメッセージ発信や、トランプ政権下での対米アピールを目的とした政治的・戦略的判断に基づいていると推測される。しかし、この発言は直ちに具体的な外交的帰結をもたらした。
中国の反発:中国外務省報道官は日本の姿勢を「内政干渉」と強く非難。また、薛剣・駐大阪総領事はSNSに日本語のメッセージを投稿し、外交上の許容範囲を超える形で激しい反発を表明した。
米国の冷淡な反応:トランプ大統領はFOXニュースのインタビューで、中国総領事の発言を批判せず、「我々の同盟国の多くもまた、友好国ではない」と述べるに留まった。これは、日本の安全保障上の懸念に対する米国の関与の度合いが、極めて不確実であることを示唆している。
高市首相の強硬姿勢は、国際情勢、特に米国との関係や地域の安定に以下のような影響を与える。
米国の関与の不確実性:トランプ政権が台湾有事の際に確実に軍事介入するかどうかは不透明である。「アメリカ・ファースト」の政策は、同盟国の安全保障を米国の国益に従属させるものであり、日本の強硬姿勢が米国の対中政策と完全に一致しない場合、日本の安全保障上の課題が露呈する。
中国の反応の硬化:中国は台湾を核心的利益と位置付けており、日本の台湾問題への積極的な言及には強く反発する。具体的な言辞も見られることから、過度な強硬姿勢は、中国を刺激し、予期せぬ衝突や偶発的な軍事エスカレーションのリスクを飛躍的に高める。
アジア外交への影響:近隣諸国は日本の対中政策を注視しており、極端な強硬姿勢は、これらの国々との関係にも影響を与える可能性がある。地域全体の安定を考慮した慎重な外交が求められる。
国内のネット上での高市首相擁護の動きは、特定の層の意見を反映しているが、国民全体の意見を代表するものではない可能性がある。
世論の分断:国民の間には、中国との経済的な結びつきを重視する意見や、対話を通じた関係改善を望む声も存在する。強硬姿勢の固定化は、国内世論の分断を深め、一貫性のある外交政策の実施を困難にする。
高市首相の対中強硬姿勢は、現状の日本の防衛力と、トランプ政権下の米国の不確実な関与を踏まえると、「抑止力の向上」という当初の意図よりも、むしろ「地域の不安定化」や「日本の孤立」を招くリスクの方が高いと分析される。
理性的な判断に基づき、日本政府は以下の戦略的アプローチを採用すべきである。
従来の「特定の国を想定せず、個別具体的に判断する」という原則的な政府見解に回帰し、外交的な選択肢を維持する。その上で、日中間の外交チャンネルを再構築し、トップレベルを含む対話を再開することで、緊張緩和に努めるべきである。
トランプ政権に対し、日本の防衛努力(防衛費増額目標の前倒し達成など)を具体的に示し、日米同盟における日本のコミットメントを再確認する。その上で、台湾有事における米国の明確な関与を求める交渉を、水面下で粘り強く行うべきである。
防衛力強化は着実に進めるが、その目的が中国への挑発ではなく、あくまで日本の防衛のためであることを国内外に丁寧に説明する。感情的な議論ではなく、客観的な分析に基づいた、より多角的で柔軟なアプローチが、アジア外交の安定に寄与する。
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高市早苗首相の「存立危機事態」答弁は、これまでの日本政府の姿勢を一変させており、第2次安倍政権以上により強硬なタカ派へと発展させている。そして、現状の国際情勢はトランプ2.0が荒らしまくっているように、G7以外の諸勢力は米国と中国の両方を見比べている。
特に東南アジア各国はフィリピンを除いて、米国と中国の両方をみているという姿勢は鮮明である。
日本は、ASEAN諸国とのつながりを強めなければならない、そうであるなら、日本は米国を追い越した対中強硬姿勢をとることを避けて、ASEAN諸国とともに民主的で平和的な国際態度を保つことを優先するべきだと主張している。
いつも議論になる男性のエスコート問題について、多くの男性が感じているであろう矛盾と、それによって引き起こされる悪循環の構造について、一度整理して提起したい。
女性側から日本の男性はエスコートが足りない、気が利かないといった主張がよくなされる。
しかし、多くの男性は気が利かないのではなく、意図的に何もしないという選択をしている。
なぜなら、その主張には致命的な矛盾と高すぎるリスクが内包されているからだ。
ここでは主張する女性をAさんとし、その構造を3つのステップで分析する。
まず、主張における隠れた前提の問題。
Aさんが男性は女性をエスコートすべきだと主張するとき、その言葉の裏には、多くの場合自分が好意を抱く、あるいは許容範囲内の素敵な男性にスマートに扱われたいという隠れた前提が存在する。
しかし、主張する側はこの隠れた前提を明示しないまま、男性はという大きな主語で理想論を主張する。 この隠れた前提の省略が、すべてのすれ違いの始まりである。
Aさんの主張を真に受けた男性が、実際にエスコートを実行した場合、何が起こるか。
一つ目のパターンは、実行者がAさんの隠れた前提を満たす男性、例えばAさん好みのイケメンだった場合。 その行為は理想的なエスコートとして、好意的に受け入れられる。Aさんは満足する。
二つ目のパターンは、実行者がAさんの隠れた前提を満たさない男性だった場合。
ドアを開ける、荷物を持とうと手を伸ばす、車道側から庇うために肩や腕に触れるといった、パターン1と全く同じ行為であっても、それはエスコートとは見なされない。
それは不快な行為、馴れ馴れしい、セクハラだとして、拒絶・非難の対象となる。
ここで発生しているのは、行為そのものではなく、実行者が誰かによって評価が180度変わるという、強烈なダブルスタンダードだ。
Aさんはエスコートすべきと主張したその口で、前提外の人物からのエスコートをセクハラだと断罪する。
「ただしイケメンに限る」を生み出しているのだ。
多くの男性は、これら2つの構造を感覚的に、あるいは経験的に深く認識している。
つまり、エスコートという行為は、実行者次第でセクハラという重大なリスクに転化することを知っている。
もしエスコートを実行した場合、成功すれば報酬として少し感謝されるかもしれないが、失敗すればセクハラ加害者と認定される重大なリスクを負う。
一方で、何もしないことを選んだ場合、リスクは気が利かない人と思われる程度だ。
このリスクとリターンを天秤にかければ、失敗がもたらすリスクは、成功がもたらす報酬に比べて、あまりにも壊滅的に大きい。
したがって、多くの理性的で、かつAさんを不快にさせたくないと願う誠実な男性ほど、リスクを冒してセクハラ扱いされるくらいなら、
最初から何もしないという、最も合理的で防衛的な選択をすることになる。
この何もしないという行動は、無関心や怠慢ではなく、むしろ相手を不快にさせないための積極的な配慮であり、リスクマネジメントの結果なのだ。
まず、Aさんが男はエスコートすべき!と隠れた前提を伏せて主張する。
次に、男性側はセクハラ認定のリスクを認識しているため、合理的な判断として何もしないという配慮を選択する。
しかし、Aさんは男性の何もしないという結果だけを見て、その裏にある配慮やリスク回避の意図に気づかない。
そしてAさんは、やはり日本の男性は気が利かない!と失望し、再び最初の主張に戻る。
男性側がAさんを不快にさせないよう配慮すればするほど、Aさんは配慮が足りないと主張するという、完全な手詰まり状態だ。
日中は実験室的な刺激は少なかったが、思考の連続性を保つために自分なりの儀式をいくつかこなした。
起床直後に室温を0.5度単位で確認し(許容範囲は20.0±0.5℃)、その後コーヒーを淹れる前にキッチンの振動スペクトルをスマートフォンで3回測定して平均を取るというのは、たぶん普通の人から見れば過剰だろう。
だが、振動の微妙な変動は頭の中でのテンポを崩す。つまり僕の「集中可能領域」は外界のノイズに対して一種の位相同調を要求するのだ。
ルームメイトはその儀式を奇癖と呼ぶが、彼は観測手順を厳密に守ることがどれほど実務効率を上げるか理解していない。
隣人はその一部を見て、冗談めかして「君はコーヒーにフレームを当ててるの?」と訊いた。
風邪の初期症状かと思われる彼の声色を僕は瞬時に周波数ドメインで解析し、4つの帯域での振幅比から一貫して風邪寄りだと判定した。
友人たちはこの種の即断をいつも笑うが、逆に言えば僕の世界は検証可能で再現可能な思考で出来ているので、笑いもまた統計的に期待値で語るべきだ。
午前は論文の読み返しに費やした。超弦理論の現代的なアプローチは、もはや単なる量子場とリーマン幾何の掛け合わせではなく、導来代数幾何、モーダルなホモトピー型理論、そしてコヒーシブなホモトピー理論のような高次の圏論的道具を用いることで新たな言語を得つつある。
これらの道具は直感的に言えば空間と物理量の振る舞いを、同値類と高次の同型で記述するための言語だ。
具体的には、ブランデッドされたDブレーンのモジュライ空間を導来圏やパーフェクト複体として扱い、さらに場の有る種の位相的・代数的変形が同値関係として圏的に表現されると、従来の場の理論的観測量が新しい不変量へと昇格する(この観点は鏡映対称性の最近のワークショップでも多く取り上げられていた)。
こうした動きは、数学側の最新手法が物理側の問題解像度を上げている好例だ。
午後には、僕が個人的に気に入っている超抽象的な思考実験をやった。位相空間の代わりにモーダルホモトピー型理論の型族をステートとして扱い、観測者の信念更新を型の変形(モナド的な操作)としてモデル化する。
つまり観測は単なる測定ではなく、型の圧縮と展開であり、観測履歴は圏論的に可逆ではないモノイド作用として蓄積される。
これを超弦理論の世界に持ち込むと、コンパクト化の自由度(カラビヤウ多様体の複素構造モジュライ)に対応する型のファミリーが、ある種の証明圏として振る舞い、復号不能な位相的変換がスワンプランド的制約になる可能性が出てくる。
スワンプランド・プログラムは、実効場の理論が量子重力に埋め込めるかどうかを判定する一連の主張であり、位相的・幾何的条件が物理的に厳しい制限を課すという見立てはここでも意味を持つ。
夕方、隣人が最近の観測結果について話題にしたので、僕は即座に「もし時空が非可換的であるならば、座標関数の交換子がプランクスケールでの有意な寄与をもたらし、その結果として宇宙加速の時間依存性に微妙な変化が現れるはずだ。DESIのデータで示唆された減速の傾向は、そのようなモデルの一つと整合する」と言ってしまった。
隣人は「え、ホント?」と目を丸くしたが、僕は論文の推論と予測可能な実験的検証手順(例えば位相干渉の複雑性を用いた観測)について簡潔に説明した。
これは新しいプレプリント群や一般向け記事でも取り上げられているテーマで、もし妥当ならば観測と理論の接続が初めて実際のデータで示唆されるかもしれない。
昼食は厳密にカロリーと糖質を計算し、その後で15分のパルス型瞑想を行う。瞑想は気分転換ではなく、思考のメタデータをリセットするための有限時間プロセスであり、呼吸のリズムをフーリエ分解して高調波成分を抑えることで瞬間集中力のフロアを上げる。
ルームメイトはこれを「大げさ」と言うが、彼は時間周波数解析の理論が日常生活にどう適用されるか想像できていない。
午後のルーティンは必ず、机上の文献を3段階でレビューする: まず抽象(定義と補題に注目)、次に変形(導来的操作や圏論的同値を追う)、最後に物理的帰結(スペクトルや散乱振幅への影響を推定)。
この三段階は僕にとって触媒のようなもので、日々の思考を整えるための外骨格だ。
夜は少し趣味の時間を取った。ゲームについては、最近のメタの変化を注意深く観察している。
具体的には、あるカードゲーム(TCG)の構築環境では統計的メタが明確に収束しており、ランダム性の寄与が低減した現在、最適戦略は確率分布の微小な歪みを利用する微分的最適化が主流になっている。
これは実際のトーナメントのデッキリストやカードプールの変遷から定量的に読み取れる。
最後に今日の哲学的なメモ。理論物理学者の仕事は、しばしば言語を発明することに帰着する。
僕が関心を持つのは、その言語がどれだけ少ない公理から多くの現象を統一的に説明できるか、そしてその言語が実験可能性とどの程度接続できるかだ。
導来的手法やホモトピー的言語は数学的な美しさを与えるが、僕は常に実験への戻り道を忘れない。
理論が美しくとも、もし検証手順が存在しないならば、それはただの魅力的な物語にすぎない。
隣人の驚き、ルームメイトの無頓着、友人たちの喧嘩腰な議論は、僕にとっては物理的現実の簡易的プロキシであり、そこから生まれる摩擦が新しい問いを生む。
さて、20:00を過ぎた。夜のルーティンとして、机の上の本を2冊半ページずつ読む(半ページは僕の集中サイクルを壊さないためのトリックだ)
あと、明日の午前に行う計算のためにノートに数個の仮定を書き込み、実行可能性を確認する。
ルームメイトは今夜も何か映画を流すだろうが、僕は既にヘッドホンを用意してある。
ヘッドホンのインピーダンス特性を毎回チェックするのは習慣だ。こうして日が終わる前に最低限の秩序を外界に押し付けておくこと、それが僕の安定性の根幹である。
以上。明日は午前に小さな計算実験を一つ走らせる予定だ。結果が出たら、その数値がどの程度「美的な単純さ」と折り合うかを眺めるのが楽しみである。
ハプバーいきまくっている女です。見た目はブスでデブでおばさんです。それでもハプニング起こせました
①綺麗な恰好をする
③初心者アピはしっかりしておく
⑤とにかく単独でいく。
⑥常連さんだけ狙う!
⑧女性を観察する
①身なりを整えることは基本だと思いますので化粧は絶対。普段メガネならコンタクト
下着とかはルームはいる前にシャワー浴びるので見られないからいいんですけど。
高価なものは身に着けないほうがいいかも。シャワー中にやプレイ中に外れるのが嫌ならば。
②バーカウンターでは姿勢を正すと胸を張る感じで!猫背はしないほうがいいです
携帯あまり触らないほうが良いかも。客待ちの待合室じゃないんだから
周りの人間をみて観察か、店員さんに自分の悩み聞いてもらうとか会話しているほうが良いと思います
性に関する悩みがイイと思います。
「こんにちわ、はじめてです」と掛けられるタイミングがあれば声をかけます
そこで「はじめてなんです」とか「緊張しています!」て正直にいおう!
④ハプバーは女性優位ですが、しかし男性にも選ぶ権利があることを忘れない
男性が「あ、そういうの興味なくてただ飲みに来ているので」とか
やんわり断られたらそれ以上は行かなくていいと思います
むしろしつこいのはダメなので、割り切りましょう。振られたとか思わなくてOK
私自身引き返そうか・・・・いや、雰囲気だけ見て無理なら帰ろう!と心で右往左往していましたが、
飲んで帰るだけでいいや!いい人いなかったらそれでいいや!という割り切りで行くほうが
新規男性は可愛い女性狙いかと思うので、はなから諦めましょう。
「可愛い女性と自分の性処理が満足にいけばいい」って人の可能性がある
それって絶対単独新規女性は損なので、まずは常連狙いでいきましょう。
店員さんに事前に「経験が乏しい、上手な人と一度やってみたい!」と
けど常連もいつくるかわからないので時間に余裕がある日がいいかもね
⑦イベントは避ける
その分かわいい子も沢山来ています。かわいい子のほうがモテるのは当たり前ですよね
パーキングメーターが「休止」などと表示されて作動がされなかったが駐停車いずれかに該当する行為をしてしまった。
これに関し、踏み倒しとの非難を受けることのないよう、公安委員会に対し現金書留を送付することとし、かつ(いきなり送付するのは業務影響が大きすぎるであろうことから)予告をした。
以下の予告の文章はhttps://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/ のライセンス形態によりライセンスする。
(※はてな匿名ダイアリーサイドが広告などを途中に入れることがありうるが、それはライセンスの対象外である。気を付けていただきたい。また、ライセンスにおいて、著作物の利用者が示すべきクレジットは「https://anond.hatelabo.jp/20251105195229 の投稿者」とする。)
現金書留送付の予告
東京都渋谷区あああ3-2-2の建物の周辺20メートル以内であって同建物からみて北西方向に、少なくとも2025年11月1日のある1分間以上の間存在していた、時間制限駐車区間(それに係りパーキング・メーターの設けられているもの)に、私(一自然人)または他の一自然人のいずれかが、同日、自動車(自動車登録番号(同日時点)について地名をあらわす部分が品川であり(かつ国土交通省令に言うところの「四けた以下のアラビア数字」が四けたであり、先頭と末尾の数字1つずつを足し合わせた和が5である)、車種が現在の株式会社SUBARUの「WRX」であり、かつ車体の主たる色が赤ないし黒であるもの)を停車し、または駐車しました。なお本文書の取り扱う対象の停車または駐車は、同日18時1分から同日18時25分の間のいずれかの時刻に開始したただ1つの駐車または駐車です。
(本文書で「パーキング・メーター」とは道路交通法上のパーキング・メーターを指します。「時間制限駐車区間」について同様です。また本文書で「自動車登録番号」とは道路運送車両法上の自動車登録番号を指します。)
駐車に該当する可能性が否定できないことから、私はパーキング・メーターについて作動をさせるべく合理的な方法により試行をしたものの、作動しませんでした。
事実上、有料で駐車のできるスペースであることを踏まえると、平たく言えば踏み倒し状態に該当する可能性があることから、法的地位を安定させたく、本件にかかり東京都公安委員会として受け取れるはずであった可能性のある金銭300円と、法定利率(年3%)による利息(相当額)について、支払いを行わせていただければと思います。
支払い方法として、ご希望があれば、カラ駐車(東京都公安委員会に属するパーキング・メーターについて、それへ現金を差入れるが、実際の駐車は行わないこととすること)で前記の金銭(利息(相当額)を含む)の額を上回る額を差し入れる、という形で行うことも可能です。
また現金書留について、東京都(機関としては知事に限りません。)に属する機関、組織、部門、職、または職員を、送付先建物を特定するための表現(住居表示による表現)等とともに指定いただければ、宛先について変更いたします。
また、本件について金銭の支払いが一切かつ終局的に不要である旨の文書での表明をしていただけるようでしたら、金銭の支払いは一切行わないこととします。
現金書留の差出は今月18日から30日の間のいずれかにおいて、行います。支払い方法について前記のカラ駐車の方法を希望されたり、現金書留の宛先の指定(前記の態様での指定に該当する指定)をされたり、または前記の不要表明をされる場合、今月17日に届くよう、郵送で希望、指定、または表明をしてください。
なお、上記の変更許容範囲にとどまらない支払い方法変更をご希望されたり、または上記の不要表明に条件を(貴委員会側で)付されたうえで表明をされたりした場合におきましては、こちらの法的地位の安全の確保につながらないことから、恐縮ですがお受けできないことがあり、お受けできないとこちらで決めた場合には、上記の原則のとおり支払いを行います。
また、こちらが収める金銭が駐車に係る実質的な料金を超える場合については、越えた部分は東京都への寄付、またはそれに類するものとして(こちらの更なる承諾等を経ずに)取り扱っていただいて構いません。
※上記住居表示(東京都渋谷区あああ3-2-2-622)に宛てられ、かつ「小鳥遊(パーキング事案2025.11担当者 甲)」の宛先名義で、文書等の送付される相手方は、転居等の事情の生じない限り、一自然人である、本文書作成者ただ一名のみに特定されます。個人情報の保護の観点から、氏名を完全に記すことはしておりません。
そういう言い逃れを防ぐために
・禁止事項の中に「その他、当社が不適切と判断したもの」と明記されている。つまり、企業側の判断次第でどんな作品もアウトにできる。
・ブルーアーカイブも「個人の趣味の範囲に限る」「商用・営利目的は禁止」と書かれていて、さらに「その他、当社が不適切と判断するもの」も禁止項目に含まれている。万能カードのような条項だ。
繰り返すが
公式が個別に審査して不適切ではないと判断したら与えられるものが許可
ガイドラインはファンが公式の許容範囲を推測しやすくするために示された大まかな指針でしかなく
不適切だと判断した二次創作に対して公式が警告・法的措置に踏み切る可能性は常に残されている
AIに関する議論を見ていると、どっちもどっちだよなと思うことが多い。
規制派は「人間の文化が壊れる」「AIは悪」と強硬で、推進派は「技術は止められない」「AIを使えない人間が文句を言ってるだけ」と煽り気味。
お互いに冷静さを欠いていて、建設的な議論がしづらい空気になってる。
ほんと、どっちもどっち。
これはもう、明らかな蔑称だと思う。
慎重な意見や批判的視点を持っているだけの人まで、「感情的」「時代遅れ」と切って捨てる。
中にはAIの全部を否定しているわけじゃなくて、「これはOK」「これはアウト」とちゃんと考えてる人も多い。
でも、そんな声すら「反AI」という一言で潰してくるのが今のAI推進派の一部なんだよね。
もちろん、すべてのAIが悪いってわけじゃない。
たとえばChatGPTのような文章生成AIは便利だし、十分活用すべき。
そもそも、文章って基本的に誰でも書けるものだし、創作性や希少性の観点でも、過剰に保護する必要はないと思う。
同様に、機械的に単語を置き換えるだけの翻訳AIや著作権の対象ですらないプログラム生成AIも、創作性が薄いからリスクは少ないし、実務的に役立つ。
あれは、他人の絵を勝手に学習させて、それっぽい画像を吐き出してるだけ。
しかも、それを自分の創作物みたいに堂々と公開して「俺すごいでしょ」ってやってる人がいる。
それって、やってることは泥棒と変わらないんじゃないの?
リアルで他人の作品を盗んで自分の名前で出したら、普通に炎上するのに。
AIになるとそれが「技術」として称賛されるの、どう考えてもおかしいでしょ。
こういうことを言うと、すぐ「反AIだ」と決めつけてくる人がいる。
どこまでが許容範囲か、どこからがアウトなのかを話し合いたいだけ。
それすら許されない空気の中では、健全な議論なんて成立しない。
「反AI」という言葉は、その空気を作るための便利な侮辱ワードになってる。
AI規制派も推進派も、どっちもどっちだと思うのは、どちらも「全部禁止」「全部容認」みたいな極論に走りがちなこと。
大事なのは、「何のために」「どのような使い方をするか」を一つひとつ判断すること。
特に、他人の創作を吸い上げて成り立っているAIに対しては、線を引かなきゃいけない。
それを主張するだけで敵扱いされるような状況が続けば、クリエイター文化そのものが壊れていく。
「反AI」という言葉は、もはや議論を封じるための攻撃的な武器になっている。
慎重派を追い出し、推進以外は「無知」「感情的」と切り捨てる。
どっちもどっちだけど、「反AI」というレッテルを使う側にはより強い責任があると思う。
■まず大前提
著作権侵害の刑事処罰は原則“親告罪”(権利者の告訴が必要)。
ただし悪質な海賊版行為の一部は非親告罪化されとる(TPP関連改正)。
つまり、営利・原作そのまま・権利者利益を不当に害するなどの条件を満たすと、告訴なしでも動けるケースがあるで。
肖像権侵害は民事上の問題(人格権)。刑事罰の条文はなく、差止・削除・損害賠償などで争われるタイプや。判例上の権利として整理されてる。
■A.著作権侵害っぽいのを見たら(あなたが当事者ではない場合)
2.プラットフォームに通報:各SNS/サイトの著作権侵害報告フォームから淡々と報告。(プロバイダ責任制限法関係の最新ガイドラインに沿って運営側が対処する)
3.公的窓口も選択肢:違法・有害情報相談センター(ihaho)で相談可。
・投稿者へ直接DMで抗議/晒し行為(誤認・名誉毀損のリスク)。
・「作者本人」に勝手に通知(誤情報や二次被害を招きやすい)。
◯迷いどころメモ
引用ならOK? →出所明示/主従関係/必要最小限など厳しめの要件を全部満たして初めてセーフ。見かけが“引用っぽい”だけやと通らんことも多いで。
2.サイト運営へ削除申請(専用フォーム or送信防止措置の申出)。
4.刑事も視野:原則は親告罪やけど、悪質な海賊版の一部は非親告罪化されとる(営利目的・原作そのまま・利益を不当に害する等)。状況がハマるなら警察/相談窓口へ。
■C.肖像権侵害っぽいのを見たら(あなたが当事者ではない場合)
◯ベターな動き
2.プラットフォームの通報機能で報告(ガイドラインに沿って処理される)。
◯NG
・当人へ直DMして不安を煽る/晒す(誤認・二次被害・三者間トラブルの火種)。
■D.肖像権侵害っぽいのを見たら(あなたが写ってる本人の場合)
1.証拠保全。
3. 応じない場合は弁護士へ(差止・削除・損害賠償の民事対応)。
※肖像権は条文でなく判例上の人格権として扱われるのが基本や。
二次創作:公式ガイドラインで許容範囲が定められてることがある。なければ基本グレー。
AI生成:見た目が似てても直トレースや原作そのままでなければ即アウトとは限らん。が、原作そのまま流用や配布は危険。
素材サイトの人物写真:モデルリリース(肖像使用許諾)の有無・用途制限を要確認。ロイヤリティフリーでも万能ではない。
正規配信か迷ったらABJマーク/エルマークの有無も目安になるで。
公式配布物の無断転載(原作そのまま)と思われ、権利者の利益を不当に害する可能性があります。貴サービスの規約と法令に照らしたご確認をお願いします。
本人同意がない公開で、人格的利益を害するおそれがあります。ガイドラインに基づくご対応をご検討ください。
> 私は当該著作物の権利者です。以下のURLの内容は無断利用であり、削除(送信防止措置)を求めます。
作品名:____/権利立証資料:____/URL:____/日時:____
■まとめ(フローチャート風)
2.当事者でなければ:運営へ通報(DM抗議や晒しはしない)。
3.当事者なら:削除申請 → 応じなければ弁護士 →(著作権で悪質類型なら)警察相談も視野。
4.引用・二次創作・AIは要件確認。迷ったら触らんのが安全。
増田の説は一理ありそうだが程度によるよね
「性欲を求められるのが嫌だ」
これとか
全部嫌で拒否する全面拒絶型かな
家族は何でもない普通だけど元から嫌だった先天型も、後から嫌になった後天型もいるだろうし
あれはコンプレックスとは違うよね
コンプレックスというか
双方の「釣り合い」が取れてればいいんだが
合わないからつらい
よく見聞きするのが男性が欲強い方だけど
男女逆でも困るのは一緒
どういうわけか大昔からそのへんのネジが外れてる人達が時々出るよね
上記は大ハズレだけど
一緒に読書しよ、て本読み始めたのに
どうよ?
外出中も在宅時も四六時中、下ネタばかり言う奴とかどうよ?
自分はもう少し控えめな生活したいからついていけないしウンザリするけど
世の中には合う人もいるんじゃなかろうか
「風俗いってるのなんか汚らわしい!っていう理由で別れたりな」
これはケガラワシイじゃなくて
時々検査して衛生に気を使っても
価値観の相性だよ
スレッド内で特定が試みられ、多くの参加者によって『水星の魔女』ではないかと推測されている作品について、公式の展開やヘイト管理に関して以下のような問題点が指摘されています。
ラウダの倫欠行為と無反省: ラウダがグエルに対してクズ行為、具体的には八つ当たりを行いグエルが死にかけたにもかかわらず、本編でラウダがグエルに謝罪しない、もしくは開き直ったまま物語が進行したとされます。
倫欠状態での恋愛成就: ラウダの倫欠行為が未解決のまま、ラウダとペトラのカップルが公式成立したため、ラウダは「倫欠の恋愛脳」として批判されました。
報復の不均衡: 悪行を行ったシャディクが罪を償うことになった一方で、明らかに悪行を行ったラウダがお咎めなしとなり、公式のバランスが悪いとの指摘があります。作中で明確に人を殺しているが裁かれていないキャラもいる中、ラウダだけが野放し呼ばわりされることにフィルターがかかっているという意見もありますが 、ヘイト管理が下手であるという認識が多数あります。
被害者グエルへのフォローの偏り:公式はグエルの寛容さを描くことでラウダのフォローをしようとしたようですが、グエル推しはラウダの野放し状態に怒り、結果的にラウダへの憎悪が高まりました。さらに、公式がラウダの行為の原因補強ばかり行い、グエルがラウダ以外のキャラから責められ自責するような追加情報を出したため、公式がラウダのモンペ(モンスターペアレント)であると炎上する事態を招きました。
深刻な事象の軽視: ラウダがグエルを殺しかけたという事態(殺人未遂)よりも、人体実験や大量殺戮などの他の極悪非道な行為(経営者が孤児に人体実験を行いトンヅラしたこと、若者に殺人罪を肩代わりさせたおばさんなど)が作中で発生しており 、ラウダの罪が霞んでしまうほど、作品全体の倫理観が「終わっている」状況が指摘されています 。
展開のためのキャラ利用: 倫欠行為が「話を動かすため」にキャラが犠牲になったパターンであり、その結果、後からフォローが来ない可能性が指摘されています。
尺の不足: ラウダとグエルの衝突は、本来であればもっと早くやるべきだった「尺の無駄遣い」と見なされる側面もあり 、全体として展開が雑であるという意見も見受けられました。
スレ主はラウペト推しであると自称していますが、その投稿内容には以下のような問題点やバイアスが指摘されています。
ラウダに対する主観的なフィルター:スレ主の記述(ラウダが謝らない、ラウダはお咎めなしなど)は、既に作品やラウダの評価に対して「分ッ厚いフィルター」がかかっていると複数のユーザーに感じられています。
グエル推し視点での情報開示: ラウペト推しを自称しているにもかかわらず、ラウダへの批判や倫理欠如の強調、グエル推しからの嘲笑の記述など、その文章は明らかにグエル推し(またはラウグエ腐)の視点であると看破されています 。
人気度の強調:シチュエーションや行為の善悪を語る際に、ラウダよりもグエルのほうがグッズのバリエーションなどから「段違いで人気のあるキャラクター」であることを持ち出しており、ラウダを貶めたい意図が隠せていないと指摘されています 。
粘着質な執着:スレ主は「ラウダがグエルに倫欠なことする前の界隈の空気が楽しすぎて執着が切れない」と述べており、作品が終結してから年単位の時間が経っている可能性が高いにもかかわらず 、いまだにジャンルから離れられずにいます。
反転アンチ化の懸念: 執着を断ち切れないまま界隈に留まることは、ラウダアンチをしながらラウペト推しやラウグエ推しをするような状態、「反転粘着アンチ」になりつつある状態と見なされています。
愚痴と慰めへの要求:スレ主の行為は、純粋にアドバイスを求めているというよりも、都合の良い情報だけを開示して「自分を慰めて欲しい」 、あるいは界隈を叩いてほしいという目的であると推測されています。
スレ主の状況や、スレッド内で寄せられたアドバイスから、理想的なコンテンツ消費の在り方として以下の点が提案されます。
自己判断と許容: 最終的に、自分が公式のラウダを受け入れられるか許せないかがすべてです。周りの空気や他者の意見に関わらず、自分がそれでも好きか、推せるかで判断すべきです。
無理をしないこと:精神的なストレスを感じてまで無理矢理好きでい続ける価値のあるフィクションは存在しません 。作者の倫理観が受け入れられないと感じたら、精神衛生のために離れるべきです 。
二次創作の活用:公式の展開が受け入れられない場合、公式をある程度無視して二次創作を楽しむという方法があります。自分がラウダを許せる「IF(もしも)」の設定を自分で作り、その設定で推し続けることも一つの手です。
距離を置く: 嫌な空気の界隈に居続ける必要はありません。交流を断ってカプだけを推し続ける、または鍵付きアカウントなどで似た価値観を持つ人たちだけで交流する など、居心地の良い環境を確保することが重要です。
過去に焦点を当てる:公式の展開が気に入らない場合は、問題の行動が発生する前の、好きだった時点のキャラクターや関係性だけを推し続けることも可能です 。
一旦距離を置く: 執着を断ち切れない場合は、とりあえずジャンル全体から距離を置くことが推奨されます。時間だけが解決してくれることもあります 。
新しい場所を探す:現在の界隈に熱意が残っていないなら、別の居心地の良い界隈や、もっと楽しめそうな新しい作品に移るべきです 。
自己解決と責任: 状況が曖昧なままであれば、他者に判断を仰ぐのではなく、自分で決断を下すべきです。粘着アンチ化する前に、見切りをつけることが健全な消費態度です 。