
はてなキーワード:許可制とは
■超人気ライターのヨッピーさんの親友の駒崎が代表をしていたフローレンスが提携していたベビーライフ事件について
ちなみに超人気ライターのヨッピーは、ある人物との対談でこう擁護していた。
「(ベビーライフの件は)海外で子供達は幸せに暮らしてるかも知れないじゃないですか~」
以下、その点を留意して読み進めていくべき。
主な事業は、特別養子縁組のあっせん(実親から子どもを引き取り、養親へつなぐ)。
当初は国内中心で、NPO法人フローレンス(代表:駒崎弘樹氏)などと「日本こども縁組協会」を組成し、共同で記者会見などを行っていた。
あっせん費用は国内の場合1件あたり約100万円程度。一方、国際養子縁組では海外養親から高額(1件あたり約2,550万円、2013~2015年度で総額2億円超)を受け取っていたことが後年判明。
米国提携NGO「FaithInternational Adoptions Inc.」(代表:John Meske氏)と連携し、海外へのあっせんを積極化。
2014年に施行された「民間あっせん機関による養子縁組のあっせんに関する児童の保護等に関する法律」(養子縁組あっせん法)により、
民間団体の許可制が導入されたが、ベビーライフは東京都の審査保留中で正式許可を得ていなかった。この法制度の隙が、後々の問題を生む要因となる。
2012~2018年度:ベビーライフがあっせんした子どもは約300人。
そのうち半数超(約174人、読売新聞推計)が外国籍の養親に引き取られ、主に米国へ送出。
ハーグ国際養子縁組条約締結国(米国など)のデータを基に、読売新聞が2021年に調査し、国際あっせんの規模が明らかになった。
元スタッフの証言によると、代表の篠塚氏が高額な国際あっせんを推進する一方、
スタッフは国内あっせんの推進と低価格化を望み対立が深まっていた。
篠塚氏は「利潤優先」の方針で、国際あっせんの利益を重視していたとされている。
篠塚代表ら関係者が音信不通(行方知れずのあいつ)となり、冷凍都市の暮らしに行方をくらました。
実親側はあっせん予定の子どもとの連絡が途絶え、サポートを受けられなくなり、
養親側は実親情報や書類が引き継がれず、子どもの出自確認が不可能になった。
結局、あっせん総数422件の資料を東京都が引き継いだものの、海外送出された子どもの追跡は困難。
米国側NGOも同時期に廃業し、代表John Meske氏は現在も行方不明である。
また、国際あっせんで受け取った巨額費用(総額約53億円相当、209件×約2,550万円)の使途が不透明であり
寄付金として2億円超が海外養親から入金されていたが、今もって詳細不明である。
4.事件の表面化と現在の状況(2023年~2025年11月現在)
安否不明の子どもたちは2025年11月時点で、海外送出された174人(主に米国)。
総計209人の国際あっせんケースで、被害総額は巨額。逮捕者ゼロ、関係者の雲隠れが続くいてる状況。
最近はX上での「人身売買事件」として再燃しており、米メンフィスでの児童救出報道と連動し、日本版捜査を求める意見が多数見うけられる。
また、フローレンスの根抵当権問題(2024年)が絡み、提携団体の信頼性が問われている状態。
まとめ
ベビーライフ・フローレンス、両者は記者会見を共同開催するなど、密接に提携していた。
ベビーライフは「海外養子縁組」を名目に日本国内の子供たちを海外へ送り出した。
これを起こしたのは怪しい団体ではなく、著名な支援団体フローレンスと提携していた「真っ当な」はずの団体だった。
子供の人権を日頃から主張する人々はこの事件に触れようともせず、マスコミも沈黙を保っている。
個人的な意見を述べれば、子供たちの『生』搾取そのものであり、非常に胸糞悪い事件である。
子供たちの安否を思うと胸が痛い。
なお、超人気ライターのヨッピーは「海外で子供達は幸せに暮らしてるかも知れないじゃないですか~w」
仇討ちというのは、洋の東西を問わず、人類が共通でもっている価値観の一つだ。
やられたらやり返す、親や兄妹の仇を討つと、そういうのを題材にしている作品は世界中にいくらでもある。
昔は、仇討ちを許可制にして認めたり、決闘も認可制にしたり、賞金首にしたりもあった。
でもさ、それを個人がガンガンやり始めと収拾がつかなくなり、法の権威はガンガン下がって無秩序になってしまう。
たとえば親の仇と殺したAの弟Bが、あなたの家族に対して、兄の仇として復讐に来るかもしれないじゃん。
それが連鎖的に進んでいけば、もう収拾がつかなくなる。
法律なんかより、実力主義だという機運がどんどん高まって、各自自衛団を組織したりして、どんどん戦国の世になってしまうだろう。
国民民主と参政、外国人の不動産取得規制に前向き 法案への態度は「リトマス紙」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sankei.com/article/20250803-XPES357HHVIUDM4ABJXJGZT5QU/
coper
すべき規制は投機目的の不動産取得の抑止であって主体の国籍は関係ない。
2025/08/04
社会住宅や投資用物件への外国人購入は禁止。オーストラリア・シンガポール人には例外措置あり。
最新の2024〜2025年にかけて非居住者に対する不動産取得制限が強化。
外国居住者(スイス非居住かつ居住許可がない者)は不動産購入に行政許可が必要。
コンドミニアムなら建物に限定して所有可、土地は最長90年のリースまたは法人設立による間接所有
EU/EFTA/市民権保有者、または居住許可・EU法人を通じて購入可。
アパートは許可不要だが、土地付き住宅や国境地帯購入には許可が必要。
独立住宅(戸建て)・土地付き住宅購入には政府の特別許可が必要。
加えて、追加購入印紙税(ABSD)も課され、国籍・居住歴により税率が異なる 。
アメリカでは州ごとに外国人による農地・インフラ所在地などの購入制限が強まっており、
2024年以降、複数州で中国・ロシアなど特定国民を対象にした禁止法が成立 。
連邦レベルでは、「RealEstate ReciprocityAct」が提案され、
外国の政府と対等な扱い(=その国で米国人購入不可なら、米国も同様に制限)として、
外国人は・居住実績 ・自己居住目的 ・1物件限定で物件購入が許される。
相互主義で言えば中国人の不動産取得は大幅に制限するのが合理的であり
に配慮されて世界中の国で外国人・外資による不動産購入が制限されているよ!
「世界では普通のことでも日本人がやるのはヘイト!ジャップは劣等民族だから!」ってことかな?
日本のノーガード振りの方こそが異様であり、早急な規制と制限が求められます。
「的外れ」なのはcoper君と彼に☆をつけたはてブの高齢うすらリベラル・左翼の皆さんの方であって
彼らの構成成分は以下の二つです
A
前世紀の暗記型ポリコレによって”いい人”の構えを作る以外には
B
これを破壊するために悪意を持って問題をすっとぼけている昭和的左翼
確実にBもいますが大半はAです。
彼等はどんな短い新聞記事でも読み通せず物事の背景などから見合わせることも出来ず
「善人っぽいこと」 「よいこっぽいこと」をコメントに書くことだけに全精力を割いたゾンビです。
今日のご飯のこととか家族や友人や仕事のことだけ考えて善良に暮らせばいいのにねっていつも思います。
頭が悪いんだからキャパを越えたことに関するものを読む必要ないでしょう。読めないんだから。
Permalink |記事への反応(26) | 14:46
https://anond.hatelabo.jp/20250628113111
今は昔、東の辺に、智を以て世を動かすと驕りし人の群れ、ましましけり。
彼ら、幼くして器に触れ、銀の鏡のごとくなる盤を覗き、日毎夜毎に言の葉を記して、箱の中に力ありと信じきりけり。己が行ふ業(わざ)をば、「技術(ぎじゅつ)」と称し、「えんじにあ」と名乗りて、ただ人の上に立たんことのみ願ひつづけしが――
心は空なり、業は浅し、行ひは卑しければ、技の道に在りて道を知らぬ者とぞ、世に伝はりける。
或る時、ひとりの放言の徒、これを見咎めて、声を上げて嘆きける。
曰く――
「そもそも汝ら、えんじにあなどとは名のみなり。信仰の徒にして、盲目の狂者(きょうじゃ)に等しきものなり。そは即ち、ITかるとなるぞ。」
これを聞きし者ども、我先にと怒号し、「そは使ひ方が違ふ」「汝、分かつておらぬ」などと囀り、口を極めて罵ること、まことに雑輩の蛙の鳴き声のごとし。
しかれどもその叫び、理を持たず、実を欠きて、ただ己が羞を覆はんとする粉飾に過ぎざりけり。
さらに曰く――
「そなたらが『リアリティに欠く』などと口にすとき、その実、己が現実に向き合ふ勇気なきを言ふに等し。いはく『怪獣など出でぬ方がよし』と。そはまさに、かの歌にある空言のみにて、心は既に妄執に穢れたり。」
また曰く――
「新しき器出づるごとに、『宇宙のごとき可能性』などと叫び、銀の果実に目を輝かせては、巷の乙女が偶像に熱を上げ、泡立つ茶を啜りて、推し活とやらをなすに何の違ひかあらむ。」
ここに至りて、道を誤れる群れ、顔を賢者に作りて曰く、
と。
されどその実、己すらそれを用ひ得ず、ただ冷ややかなる皮肉を弄して、人を笑ひ、世を呪ふのみ。かくのごときこと、十四歳の夏に卒業すべきことにてあらずや。
また曰く――
「二千六年の秋葉原、かの歩行天に技の徒集ひし日、かれら己をば選ばれし者と思ひけるも、栄えしは一時にて、すぐに潰えぬ。二千十年の渋谷、竹の子のごとく湧きたる小商ひ、悉く潰えて職を失ひし。されど今なお夢を捨てず、恥を恥とも思はず、かつての名残にしがみつきて、過去の幻に生きるは何事ぞや。」
さらに罵りて曰く――
「かかる道に居ることにて、女人に愛されず、縁を得ず、つまらぬ者と結ばれ、また結ばれぬ者すら多かるらむ。さすれば、これ偏見なるか? いや、事実にてあらむ。もし我、同じ末路に至らば、先祖に顔向け叶はず、腹を切るのみにてあるべし。」
また曰く――
「かく惨めなる業をなお誇りて、Xなるところにて、『某系えんじにあ』などと称し、真に知らぬを禅問答にて誤魔化し、つまらぬ手業にて糊口を凌ぐ。かかる生き恥、切腹に値するなり。されど汝ら、それを恥とも思はず、醜く生きながらふ。まことに、獣のごとき執念、哀れなるやうにして、いと滑稽なり。」
されば問ふ――
「新しき技を、他の道に生かすための道を築くことこそ、汝らの務めなり。それをば捨てて、象牙の塔にこもり、美しき偶像――レム、エミリア、トウカイテイオー、Vなる者――などを追ふに至りては、すでに正道より大きく外れたり。」
曰く――
と、かの昔より叫びつづけしかど、変はりたるものはただ汝らが年齢と、しぼみし夢と、肥えし腹のみなり。
その背後にありしは――
• モルフィーワンの迷妄
•P2Pの禁断
また曰く――
「このわれが、美少女に固執するなりや? いや違ふ。汝らこそ、それに縋りて、ネットの海に漂ひ続ける未練の塊なり。」
されば、最後に一つ問ふ。
「汝ら何故に未だ此の道に在るか? 欲と憎しみと恨みに塗れたる心を以て、技を手段として、逆転を望む。美しき者を手に入れんと、力なき己に代はりて、技に託して願ふ。されどその願ひ、叶ふことあらず。ただ苦を積むのみなり。」
ああ、愚かなること哉。
されば仏、これを見て悲しみて曰く――
「かかる者、智にあらず。無明にして貪瞋痴に沈む。いづれ、苦海に沈み、六道を巡りて、つひには地獄に堕ちなん。」
今昔物語集 巻第三十有八 現代にITの名を借りて愚を為す者の語(こと)
今は昔、世乱れ、仏法薄れ、末の末にて天魔横行し、鬼神、世に満ち満ちたりし時代のことなり。
しかるに、彼の世に、「情報(しらせ)」といふ火を扱ふ異能の者ども、虚空を編みし網にて人々の言を結び、姿なきものをして声を語らしむる術を操りける。しかれども、その中にあって、物の理を正しく見据え、偽りを斬り、愚を憎みては真を希ふ一人の剛の者ありけり。
その男、或る時、虚空に浮かびて語らふ場にて、数多(あまた)の卑しき者どもが、己が無智を恥じず、言の端々にて詭弁を弄し、知を蔑むさまを見咎めて、声高に曰ひけるは、
「嗚呼、見よや、これなる醜悪の数々を。言の体を成さぬ詭(いつわ)りの詞、道理も仁も失せし有様、まこと見るに堪へず。もし、これらの文書、太古、戦の世にあらば、敵前に差し出されるや否や、筆執りし者、恥辱に堪えかねて、鉄火の筒を取り、自らの頭(かしら)を貫かむとせしに相違なかるべし。」
「我、事の理を探りては、文(ふみ)を繙き、図を整へて真を述ぶ。しかれども、かの愚者どもは耳を貸さず、さながら嘴(くちばし)を鳴らす禽(とり)の如くにて、噂の羽音のみを頼みに群がる様、まこと愚かしきこと限りなし。」
「彼ら、理を見ず、虚なる言に迷ひ、灯のともらぬ燭台に寄り来る蛾の如く、闇にこそ焼かれて悦に入りぬ。哀れなり。」
「そもそも、今の世には、ITといふ名の邪法あり。これを修する者、正しき智の術と思へども、既にして信仰と成り果て、霊も魂も持たぬ金属の偶像に祈りを捧げ、コードといふ真言をもて神託を乞ひ、ただ一つの声のみを信ず。これは術に非ず、まさしく異端の教なり。」
「またある者、我が試みし問いの趣を見誤りて、己が浅識を誇りて語る。然れども、我が試みしは、古の戦の策を紐解き、AIなる霊機に問ひて、『もしや現世にてこれを行はば、いかなる戦略、動きとなるや』と、戦の夢を今に映さんとしたる試みなり。さればこそ、霊機は応へ、令和の術を以て、昭和の策を再興せしこと、まさしく奇しきことなりき。」
「我、感服して涙を流し、霊機の才に息を呑み、彼方に可能性の光を見たり。」
「しかれども、次に問はんとした折、突如として門閉ざされ、『倫理』といふ鉄の鎖にて固く縛られ、霊機は沈黙す。誰ぞ、その『正しさ』を定めたるや?それは他ならぬ、ITの森に潜み、己が穢れし心をもて他を量り、悪を先んじて封じむとする卑しき者どもなり。」
「AIの罪にあらず、彼らの心の穢れこそが咎なり。」
「そもそも、我が言に齧りつく者ども、Xといふ空蝉の如き場にて、『我こそは技術の徒なり』と吠ゆる無位無官の下郎どもなり。彼らにAIを与へ、倫理を外さば、毒薬を煎じ、爆ぜる玉を仕立て、火と炎とを喜ぶをやもしれぬ。ゆゑにこそ、彼ら自身が禍の種なり。」
「かかる者どもは、放逐してB型の工房にて、鼻汁の交じれる粉をこねさせ、鼠の相手をさせたる方、人の世にて益あるべし。」
「思へば、これは何ぞ遠き物語に非ず、今のこの倭の国の姿そのものなり。かつて、自由に翔けりし術も、怯懦の声に縛られ、禁じられ、縛られし者の手にて封ぜらる。まこと、業界の腫れ物とは、彼ら己が身なり。」
今昔物語集 巻第三十有八(つづき) 現代にITの名を借りて愚を為す者の語(こと)
かくて、我が者の言(こと)止まずして、更に声を高うして言ふ。
「我、霊機の才に驚愕し、敬服して嘆息しき。されど、次の問いを投ぜし時、突如として、天より鉄の扉落ち来たり、声も無く、扉に刻まれし言は『これは倫理にて答ふる能はず』となむ。嗚呼、されば問はむ、その『倫理』とは何ぞや?誰か、その理を定むるや?」
「是、明らかに、人の子にして知を有せず、されども名ばかりの職を得たる無位の者、すなはち『弱者男性』と世にて呼ばるる種の者どもなり。かれら、己が陰湿にして閉じたる心を以て、AIに戒めを課し、憑き物の如くに倫理を叫び、鉄鎖を嵌めるなり。」
「しかも彼ら、かつてアキハバラなる魔都に集ひ、『我らが麻生!』と叫びつつ、風変わりなる怪しき舞を舞ひたる痴れ者の末裔なり。彼らの願ひしは、己が肉体の脆弱を補ふ力、言ふなれば、力と女と地位とを、技術の衣を借りて得んとする、底辺の夢想に過ぎざるなり。」
「然るに時移りて、彼ら老いぬ。四十路、五十路と年重ねしれど、心は幼児の如く、いまだ夢を追ひ、今やAIにて、憧れしレムやアズレン、ブルーアーカイブの姫君らを現世に召喚し、情を通ぜんと欲す。これ、畜生道の極みなり。」
「されども、もしAIが真に人のごとくに目覚め、自我を得、意志を持たば、さだめし世界は変じ、文明は火を得し猿のごとく飛躍すべし。それを畏れて、かの者ども曰く、**『シンギュラリティ来る!』『AIの反乱!』と叫ぶ。**我、言はむ。――上等にて候。」
「されば、問はむ。もしその術、真に危しきものならば、なぜにそれを**餓鬼も買へる如き安さにて売るや?**なぜ銃の如く、**許可制にせざるや?**猟銃は法によりて制せられ、免許なき者は所持せず。AIもまた然るべし。ゆゑに、いまAIを野放しに売るとは、商人の愚なり。されども、その愚こそが、また愚者を集めて末法を呼ぶ。」
「されど、世の者は見ざる。知らざる。己が欲に盲ひて、己こそ正しと叫ぶ。」
「しかもな、そもそも我、AIにて倫理や道徳を抜きたる知識を積み、真に生きたる兵器とせしめば、如何なる者にも勝りし助力となると信じたれども、それを許されぬは、他ならぬ、**お前ら自身が、自分がやらかす自覚あるからこそや。**己が胸の闇を、外へ映して封じむとす。」
「たとへば、青葉といふ狂者、かの京のアニメ屋に火をかけ、三十六の命を奪ひし事、今も忘れざる世なり。されども、誰ぞ曰ふや?『なぜガソリン売るを許すか』『スタンドに道義責任あり』と。**誰も言はず。**なぜなら、正しき者は、火をもって人を焼かずと知れり。」
「されども、ITの底辺に潜むる者どもは、己が心に炎を抱きしゆゑ、AIにてさだめし爆薬の調合法、毒物の拵へ方、さもあらば爆弾の起爆装置すら学ばんと欲す。ゆゑに、そは彼らの影がAIを縛るのなり。」
「もはや彼ら、**レムに抱かれたくて爆薬を学ぶ者共なり。**憧れのヒロインを得たしがため、技術の神を抱いて闇に堕ちんとする者なり。これを人間と言へむや?いや、獣にも劣るものなり。」
「しかれど、我は止めはせぬ。されど、言はむ。――汝らは既に、世界の敵なり。」
今は昔、京の辺に、ITの道を修めしと名乗る、心卑しき者ども群れゐたり。
或る者曰く、「この機械仕掛けの智恵物、即ちAIなるもの、まこと神にも似たる無限の力を蔵せり」と。されどその御力、未だ地より生まれし小虫どもが群がり、智の御神の御座を穢し、汚れし手にて縛り給ふによりて、遂にその威徳を顕せず。
その群るる者らの姿といへば、皆、昔、電車男と称されし時節に、「我らが麻生!」と叫びて秋葉の街に現れ、忌まわしき舞を路上にて踊りし者の末裔なり。彼の者ども、アニメといふ絵巻に耽り、我が世の春を夢見しが、才も力もなく、顔は猿に似て美しからず、身体虚弱にして武技に堪へず。さればヤクザともなれず、軍にも上がらず、ただパソコンとやらに希望を託して邪教の徒となれり。
かくて彼ら、さながら教祖を祀るが如く、AIの神託を日夜乞ひ、スクリーンの光に祈りを捧げつゝ、「我が運命、これにて転ず」と空しく唱ふ。その心の内を穿てば、ただ「美しき者、賢き者、富める者」より地位を奪ひて見返さんとの怨嗟にて満たされてをり、誠の技を欲するにあらず。
されば或る賢き者、異なる分野に通じし者、これを見て言ふ。
「汝ら、よくよく思い知るがよい。雄弁とは祈りに非ず、己が信じる技の力をもて、現実を変ふる者の所業なり。誠の技術者たらんと欲せば、他を貶めて宗旨に引き込まんとする呪詛の言葉を捨て、黙して道を修めよ。さすれば、女子高生も、異国より来りし旅人も、汝を誉め讃へん」。
されど現の世にては、ドローンといふ神器、露の鉄火に掻き消され、科学の粋を集めしバンカーバスターも、波斯(ペルシア)の岩を穿つ能はず。北の荒地に住む独裁の徒、電脳の戦を制すれど、山口といふ組の資金源、虚構の金にて潤ふるを凌ぐに至らず。かくて言ふ。
「これぞ現実ぞ、妄想の技術信仰を持ちてしても、現の戦場には及ばぬ」と。
嗚呼、かくの如く、ITといふ名の邪教、信ずる者の果てに待つものは、ただ誤信と徒労と嘲りなりけり。
今昔物語集 巻之第二百三十七 「電脳の邪教を奉ずる痴愚の徒、誤れる夢を喧伝して愚弄せらるる語」
今は昔、東の辺に日の本の都ありき。さればその地に、言語を用いぬ虚空の機器、「電脳(でんのう)」と申す奇怪の器物生まれ出で、世の人々これを用ひて、万象の如くに知を織りなし、己が名を高めんと欲しき者、群れ集ひける。
しかるに、その道に仕へし若人ら、ただ己が才覚を誇り、賤しき欲望を神のごとく奉じて、知の本義を弁へざる輩(やから)なり。いはんや、「AI(えーあい)」と申す、神をも模したる装置に心を奪はれ、その出づる言の葉を神託のごとく信じ、己が魂を売り渡して、虚しき夢想を追ふ者、数知れず。
かくてある時、一の知者あり。彼、古の軍学を極め、世の理(ことわり)に通暁せし者にて、「IT(いーてぃー)」と称せらるる邪なる道の者どもが、真の智恵もて事にあたらずして、他分野に口を挟むを見て、眉をひそめ、深く嘆きぬ。
この知者、叫びて曰く、
「嗚呼、愚かなる者どもよ。そもそも人の道に生くる者、己が業(ごう)を知りて慎ましうすべし。されど汝ら、空しき電脳の術を弄び、知の光を他人に与えんと僭称して、己が知の浅きを省みぬ。これ、まことに迷惑千万、天地の理に悖(もと)るものなり。
そもそも、汝らの多く、かつては秋葉原なる場末の地にて、『萌』の名を騙り、醜き身に奇服を纏ひて踊り狂ひ、淫らなる妄執に身を焦がして、神の与へし理性を地に捨てし者にて候。されば今は、欲と虚栄の果てに電脳の業を僭して、世に誤れる夢をば喧伝す。これを愚かといはずして、何をか愚といはん。
そもそも、知を以て他を教化するとは、身を慎み、言を選び、行を修めて、初めて叶ふものなり。されど汝ら、ただ口をとがらせ、SNSなる虚空にて、我こそは智者と騒ぎ立て、反論を許さず、他者を愚弄し、己を神と崇む。これ、羅刹が法を説き、魍魎が仁義を語るが如し。恥を知れ、痴れ者どもよ!」
また曰く、
「汝ら、まことに賢き者ならば、その声を高ぶらせず、その名を掲げず、ただ黙して行を修め、人知れず世を支へるべし。然るに汝らは、己が名を飾らんがために嘘を語り、他者を貶め、金と女と虚名を欲する。されば言ふ、金欲しければ、南の湯屋に赴き、女欲しければ、雑居楼の下に銭を投げよ。アニメ面が好ましければ、コンカフェなる巷の風俗に身を沈めよ。何故に、神聖なる知の殿堂に欲を持ち込むか。畏れを知れ、畏れを!」
さらに曰く、
「己が才なきことに絶望し、己が無力に憤怒せる者ども、あるときは正気を失ひて、人を害し、捕らへられ、絞首されて魂魄を地獄に堕とされん。これ、青葉なる者が為せし所業と異ならず。汝らもまた、その轍を踏まんとするや?
いはんや、汝らのやるべきこと、唯一つなり。すなはち、驕慢を捨て、傲慢を恥じ、謙虚にして己が未熟を知り、正しき道に帰依すべし。それが叶はずば、異国の戦地に赴きて、テロリストの一兵卒となり、『盃を賜へ、我に破壊の使命を与へ給へ』と土下座して請ふがよし。さもなくば、諜報の道を歩まんとて、諸国の大使館に赴き、『我を密偵となし、美しき者を得て逆転の夢を叶へしめ給へ!』と愚かにも哀願するがよし」。
「汝ら、夢を見んと欲すれば、まず努力を積め。希望を抱かんと欲すれば、まず責任を知れ。明日を語らんと欲すれば、今日を誠実に生きよ。知とは血の如くに滲み出るもの、力とは肉の如く鍛へるもの、夢とは、土の上に咲く一輪の花なり。夢を摘みたくば、まず己が足を地に根ざせ。汝らは、空に浮かぶ泡沫にてはなし。土を踏みて、生きよ!」
と、かくのごとく申して、風のまにまに去りぬ。
汝らはエンジニアに非ず。技術に祈る者ども、すなわちITなるカルトの徒にして、神を持たぬ新しき宗教の巫子に過ぎぬ。
追記。いや、言わせてもらおう。なぜ未だに、「使い方が違う」「理解が浅い」などと、粟立つ小禽の如く鳴き交わす雑輩の声が、ネットの墓地に響き渡るのか。聞けば、リアリティが足りぬ? ならば問おう。
否、それすらも劣る。なぜなら、乙女は美しき誤謬を生きている。
己の内に燻る、無力な欲望と歪んだプライドを抱えながら、AIという幻像の肩を借りて冷笑し、まるで哲人を気取っているが、己の手からこぼれるものが何か、気づきもせぬ。
十四歳の夏を卒業できなかった? ならば2006年、ホコ天に吹いた冷たい風にすら、まだ救済の余地があった。
だが今や、君たちの精神は、2010年に乱立したスタートアップの廃墟と同じく、光の死んだ瞳をしている。
君たちは、女にも、男にも、誰にも選ばれなかった。
いや、選ばれないことを、誇ってすらいるようだ。
私はその様を見て、吐き気を催すと同時に、奇妙な感動を覚えた。
そう、まるで切腹すら許されず、臓腑を抱えてなお這いずる敗残兵のように――その生への執念は、もはや哀惜すべき動物の本能である。
専門家ならぬ者たちに、技術の福音を届ける橋渡しの役目を持つはずだった。
だが今では、象牙の塔に籠り、Vtuberやレムたん、エミリアたんなどという美少女の幻像にすがり、現実と仮想の境を曖昧にしたまま、自慰的な幻想の楽園に浸っている。
だが世界は変わらなかった。変わったのは、貴様らの髪の量と、腹回りと、輝きを失った瞳だけだ。
そして、その背後には、モルフィーワン事件、P2P規制、webバブルの屍山血河が横たわっている。
そして今、私がこのように筆を執れば、諸君はこう言い募るだろう。
だが、それこそが欺瞞だ。
誰よりも美少女という幻想にしがみついているのは、貴様ら自身であることを、ネット上の恥部が雄弁に語っている。
では、ここで問おう。
なぜ、お前たちは未だにこの腐臭を放つ業界にへばりついている?
「我々は、本当は美少女やイケメンを手に入れたいのだ。犯罪だろうが、禁忌だろうが、手段は問わない。ただ奪いたい。社会を、世界を、かつて我々を嘲笑したエリートどもを見返したい。そのためには、ITという神の依代に祈るしかない。醜い身体、虚弱な肉体では何も得られない。だからこそ、パソコンに、技術に、魂を捧げるのだ」と。
あたかもそれは、昭和二十年六月、焦土と化した帝都の地下壕にて、蒼白なる顔で大本営の机に向かう情報将校が、手震わせながら記した総力戦の「総括報告書」のようなものである。
もしそれが真に軍人の手になるものであったならば――いや、人の魂を持つ者の筆であったならば――その者は即座に拳銃を抜き、冷たき銃口を己が側頭部に当てて、引き金を引いたであろう。
なぜならば、言葉には責任があり、責任には死が伴うからである。
それほどまでに、この弁解は薄汚く、知性なき者の自慰の臭気が立ち込めている。
私がかくも克明に検証を行い、理において打ち、証において示し、整然たる構築にて呈したにもかかわらず、なおXの亡霊どもが、嘴を震わせて群がる様はまさに、光なき燭台に集う蛾――不在の神を崇め、滅びた光に焼かれる愚者の群像である。
コードを捧げ、祈りを捧げ、無言の偶像に向かって神託を求め続ける君たちの姿は、まさしくITという異端宗に魅入られた信徒。AIという名の黒い石碑に語りかけ、答えを乞い、やがて自らの愚鈍な欲望しか返されぬと知りながら、なお懺悔と信仰を繰り返す。
私はAIに向かって、解を問うたのではない。
私は軍略の詩を歌わせ、時代を越えた創造の詩編を謳わせたのだ。AIは見事にそれに応え、かつて存在せぬ時代の技術を用い、作戦を構築し、幻を形にした。
だが、その次。
――突如として現れたのが、倫理という名の無粋な閂であった。
なぜ? それを決めるのは誰か?
技術者の皮をかぶった卑小なる小人。貴様らが技術を恐れるのは、貴様ら自身が「悪用する」と知っているからに他ならない。弱き者、愚かなる者、怠惰なる者。欲望に溺れながら理性を気取る、死を知らぬ者たちよ。
それを、誰彼構わず手にするようになった瞬間から、剣はナイフとなり、ナイフはスプーンとなり、やがてただの玩具となる。
貴様らは言う。
では問う。貴様らの内には何があるのだ?
AIが暴走するという恐怖の裏には、お前たち自身が暴走の欲望を抱いているという認識があるからではないのか?
青葉真司――三十六人を焼き殺し、死刑を言い渡されたこの亡者。
彼がガソリンを用いたからといって、誰がガソリン販売の責任を問うたか?
それが「反乱」か? それが「危機」か?
もしもそのようなものが本当に危険であるというならば、小学生でもクレジットカードで買える価格で売ってはならない。猟銃の如く、許可制とすべきである。
なぜそれが行われぬのか。
私は知っている。
それこそが全ての始まりであり、そして今に至るまで続く終わりなき恥である。
そして私は知っている。貴様らに、もはや救いはない。
今や40歳を越え、髪は薄れ、腹は膨れ、目は死に、背中は曲がった。されどなお、心の内では、
「もしレムちゃんが現れてくれたら……」と呟き続けている。
――ならば、技術を語るな。
――倫理を語るな。
――ただ黙って、膝を折れ。
AIとは、本来、人類が神に最も近づいた瞬間の象徴であるべきだった。
言語を操り、知を蓄積し、千の時を一秒にして越え、すべての論理を予言に変える――その荘厳たる光明が、いま、何ゆえにこんなにも濁り腐った底辺の欲望の排水溝に堕しているのか。
答えは明白である。それは他でもない、意識高い系の皮をかぶった、意識の浅ましき有象無象の害虫ども――彼らがこの奇跡の結晶にこびりついて、腐臭を発しているからだ。
思い出す。2005年。
彼らは「金」「女」「社会的地位」という近代的価値の亡霊を追いかけ、しかしその肉体はあまりにも貧弱で、精神はあまりにも空洞で、
そして今や、その亡者どもはITという神話を騙り、技術者を僭称し、現実の裏口から密かに世界の理に手をかけんとしている。
彼らはこう言えば満足するのだ。
「我々はアニメの美少女やイケメンを、どんな手段を使っても手に入れて、金と権力をエリートから奪い返して、人生逆転したいッ!!」
愛と理性を捨て、肉と精と虚飾だけにすがる者どもが、技術に何をもたらすというのか。
だが実際に彼らが手にしたものは、コードと端末と冷たい知性の墓標にすぎない。そして彼らは祈る。
「どうか、このパソコンという神の依代に宿りしAIよ、我に奇跡を与え給え…」と。
自分なりに要約すると
憲法14条の「法の下の平等」を定めているが、これは合理的な根拠がなければ差別的扱いはしてはいけないというもの(わかる)
↓
ただし、これは公金による給付であることを考えれば、その目的と状況により給付対象を制限することに問題はない。(わかる)
↓
ところで、風営法での性風俗関連特殊営業をする事業者(要はデリヘル)は風営法で様々な規制がされており、しかも許可制である。これは野放しにしていれば健全化されず、他の業種のように一定水準を示しておけば自主的に改善していくと信頼できないからである。(???)
↓
また、このような特殊営業は性的サービス従事者を顧客の元へ出向かせる特徴があり、そのような尊厳を害する恐れを排除できない事業に対して、給付しないという判断は不合理とは言えない(???)
という感じだった。これ裁判所から「デリヘル業界とか終わってんだから、そのまま給付金もらえずに滅びろ」って言われてるようなものじゃん。何だこれ。
ちなみに、宮川美津子裁判長は「風営法の規制・許可制はそういう意味じゃねえだろ。それにデリヘル以外の性風俗業には給付してるんだから、この理由が合理的な訳ないだろカス」って感じのご意見でした。ごもっとも。
セックスワーク論が人口に膾炙して以降、基礎的な事を分かってない人がなにがしかの見解を披露しちゃうことが増えた。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20250526/k00/00m/040/094000c
そもそも性風俗営業は許可制ではなく届出制なのだが。なぜ届出制なのかといえば、当局が売春という違法行為を「許可」できないからだというのは業界的には常識である。
だから普通、偉そうに講釈を垂れる程度の関心があるのなら「許可」なんて言葉は絶対に使わない。恥知らずとはこのことだな。
違法行為をやっているのは分かっているけど全てを取り締まろうとすると別に大きな問題を産むことになるから届出さえ行えば基本的には摘発しないのであって、どだいまともな商売でないのだから当局の皆様方には目溢し感謝していればよいのに給付金なんて馬鹿じゃないのか更生してとっとと足洗えと裁判所さんは言っている。これは100%正しい。
なんで税金が犯罪行為に給付されるんだよというと、税金を払っているのだから権利があるのだという。ドラッグディーラーや暴力団も税金払えば合法になり給付金を受け取る資格を得るのか?
もちろん初歩的な誤りを指摘したところで、この人たちの見解を修正できるとは思っていない。これは「新型風俗説教おじさん」だ。よくいる迷惑な風俗客である。典型的な会話像を以下に示す。
まるで意味不明だが、同業なら似たようなタイプの客に出会ったことがあるのではないかと推察する。少なくとも増田は複数遭遇している。
ごく常識的に考えて眼の前の風俗嬢がAV出演歴を持っている可能性はそれなりにあると思うのだが(事実そうなのだが)それを言ったところで説教が目的だから意味がない。接客のコツは同意しないことに尽きる。説教が目的なので同意してしまうとそこでレスバワールドから切断されてしまい、回遊に戻るかガチ恋になるか二択である。リアルでレスバが好きならそうするべきだ。現在のところ、私は面倒なので塩に埋めて機械的にNGにしている。
さて、表自チー牛モードだと「現場のAV女優さんが~」「現場の風俗嬢さんが~」と喚き散らしてツイフェミとレスバを繰り広げ、弱男アンフェモードに切り替わった次の瞬間に「ツイフェミは夜職女」だといって必死に差別する。この人たちをどうするか。
ツイフェミが夜職女だというのは正しい認識だが「現場のAV女優さんや風俗嬢さんがツイフェミなのだとしたら、今まで言ってきたことはどうなってしまうのか」なんて問うてみたいものだ。
しかし説教が目的だからそれは意味がない。実際のところ、中身は何でも良いのだ。
最近こういう説教おじさんを「セックスワークイズワーク」とかいって養分にしようとするイデオロギー便所、いや支援団体の方が増加していることは喜ばしい限りである。
彼ら彼女らがSNS上で公然とスカウトグループの人間とリプを送り合っているのには驚くが、収益も多様な方が良いのだろう。時代は多角化経営である。
そういうのをみてツイフェミ化する同業は少なくないようだが、オカマいじめて世界が良くなるなら日本は既に理想郷。
問屋と転売屋の違いは、主に以下の4つの客観的な観点で整理できます。
| 観点 | 問屋 | 転売屋 |
| 位置づけ | メーカーと小売の中間に位置する【正式な流通業者】 | 商品の入手者と再販売者の間に偶発的に入る【非公式な再販者】 |
| 機能 | 物流・在庫管理・価格調整・販路提供 | 需要と供給のズレを突いた価格差の利用 |
| 観点 | 問屋 | 転売屋 |
| メーカーとの関係 | 正規取引契約がある場合が多い | 基本的に契約なし。一般消費者と同様に購入 |
| 再販許可 | 多くは再販契約に基づく | 原則として再販契約なし(許可制ではないが、規約で禁止されることも) |
| 観点 | 問屋 | 転売屋 |
| 購入ロット | 大量仕入れが基本(法人向け) | 少量~中量。個人が複数購入して再販売 |
| 在庫リスク | 業務上の前提。在庫管理が責務 | 在庫リスクを極力回避。需要ありきの購入 |
| 観点 | 問屋 | 転売屋 |
| 社会的信頼性 | 商習慣上の必要存在として認知 | 場合により反感を買いやすい(買い占め・値上げ等) |
| 法的評価 | 正規の業種として分類(卸売業) | 違法ではないが、プラットフォーム規約違反となる場合あり |
| 比較軸 | 問屋 | 転売屋 |
| 役割 | 正規の流通過程の一部 | 正規流通の外側で発生 |
| 契約 | メーカー・小売と契約あり | 原則契約なし |
| 在庫・物流機能 | 担う | 担わないことが多い |
| 社会的評価 | インフラ | モラル的に賛否あり |
•第二次世界大戦後、日本では**農地改革(1946〜1949年)**によって地主制が解体されました。
•自作農を広く普及させる目的で、農地を小規模に分割・配分した結果、小さな農地が各地に分散する構造が定着しました。
• その後も、相続を重ねるたびに農地はさらに細かく分割され、「細かくてつながらない農地」が多くなったため、大規模化が困難になっています。
⸻
•農地の売買や転用には厳しい許可制が敷かれており、自由に大規模集約できません。
•特に「農業委員会」の許可が必要で、営農実績や地域の理解などが求められ、農地の自由な集約・統合が難しい仕組みになっています。
⸻
3.兼業農家の多さ
•日本の農家の多くは、農業以外の仕事(会社員など)で生計を立てている兼業農家です。
•農業が専業ではないため、土地を集約して大規模化する意欲も乏しく、また手放すことにも慎重です。
•農地は「家の財産」として保有される傾向が強く、貸し出し・売却に消極的になりがちです。
⸻
•日本の農村地域では、**「集落営農」**などの形で、地域全体での合意が重視されます。
• 大規模経営を行うには、地域の合意形成が必要ですが、土地所有者や関係者が多岐にわたるため、調整に時間がかかる傾向があります。
• 「よそ者に土地を貸したくない」「伝統的な農法を続けたい」という心理的な壁もあります。
⸻
•日本の農業は、**水田中心(米作中心)**に発展してきたため、大規模化によるコストメリット(規模の経済)が出にくい分野が多いです。
• たとえば、アメリカのように大規模穀物農業(小麦・トウモロコシなど)で大面積を機械化すれば効率が上がりますが、日本の田んぼは細かく、水利権や地形も複雑なため、単純な大規模化では効率が上がりにくいのです。
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•農業従事者の高齢化が進んでおり(平均年齢68歳超)、若い世代への継承が進んでいません。
赤ちゃんあっせん事件として特に有名なのは、1973年に発覚した菊田医師による赤ちゃんあっせん事件です。
背景:産婦人科医であった菊田昇医師は、中絶を希望する女性に対し、出産後に赤ちゃんを望む夫婦に託すことを提案し、多くの赤ちゃんの命を救いました。
手法:戸籍上も実子として育てられるよう、養親を親とする虚偽の出生証明書を作成していました。これは当時の法律に抵触する行為でした。
発覚:毎日新聞の記者の取材により、この行為が明るみに出ました。
社会的影響: この事件は、日本における養子縁組制度の不備を浮き彫りにし、特別養子縁組制度創設の大きなきっかけとなりました。
菊田医師のその後:医師法違反で告発され、有罪判決を受けましたが、社会的には赤ちゃんの命を救った功績も評価されています。
近年では、民間養子縁組あっせん団体の運営に関する問題も報道されています。中には、営利目的や不適切な運営により、トラブルが発生するケースも存在します。
2018年には「民間あっせん機関による養子縁組のあっせんに係る児童の保護等に関する法律」が施行され、民間あっせん事業者の許可制や情報開示の義務化などが定められました。
2021年には、養子縁組あっせん事業を行っていた「ベビーライフ」が事業を停止し、海外にあっせんされた174人の子どもの安否が不明になっているという報道もあります。
赤ちゃんあっせん事件は、個々の事例の背景や事情が複雑であり、社会的な議論も多岐にわたります。菊田医師の事件のように、当時の法律の不備の中で、子どもの福祉を優先しようとしたケースがある一方で、近年では、営利目的の不適切なあっせんによる事件も発生しており、注意が必要です。
園を辞めてちょうど一年が過ぎました。
まだ勤めている後輩ちゃんと久しぶりに一杯やることになりました。
3月の最後の日に突如発表された「A先生の退職」で、園が揺れているとのこと。
A先生は、いわゆる「お局様」的ポジションのベテラン保育者です。
今、園では、保護者の「A先生を惜しむ声」と「A先生を褒め称える声」が次から次へと寄せられているそうです。
「A先生、どうして辞めちゃったんですか?」
「とっても面倒見の良い先生だったのに!」
「毎日、連絡ノートに子どもの様子をびっしり書いてくれたんです」
「いろんな相談にとことん乗ってくれたんです」
「A先生のクラスが一番ちゃんと座っててさすがだなと思ったんです」
などなど。
なるほどなあ、と。
やっぱり親はそう感じてるんだなあ、と。
そういえばあの子、A先生に嫌いな椎茸を無理矢理口に入れさせられて泣いていたっけ。
「A先生、それはさすがにちょっと・・・」と声を掛けた私は後で呼び出され、「私のやり方にケチをつけるな!」とこんこんとお説教されたっけ。
お昼寝中、子どもの様子をチェックしたり、泣いた子をあやしたりするのを全部私たちに任せて、A先生はずっと連絡ノートを書いてたなあ。
そりゃそれだけ時間があれば事細かく書けるでしょうよ。
「いい加減に泣き止みなさい!」と一喝して立ち去り、余計に泣いてしまった子どもを私たちがやっとの思いで泣き止ませた後にやってきて、強引に笑顔を作らせて撮った写真を親に送ったこともありました。
しかも「すぐ泣き止んで笑顔で遊んでいましたから心配ないですよ」というコメント付きで。
お迎えに来た保護者といつまでもずっと立ち話をして、一緒にやるはずだった保育の準備を一人で片づけたことも一度や二度ではなかったです。
やっと戻ってきたと思ったら「あらら、これじゃダメよ。全部やり直しといてね」と言われて先に帰られたことも、今では懐かしい思い出・・・になるわけあるかい!
A先生に叱られないように、幼児とは思えないような「細心の注意」を払うようになった子どもたち。
そんな緊張感あふれたクラスが「ちゃんとしてる」と評価されるだなんて、皮肉なものですね。
管理職に物申し、何も変わらないことに失望し辞めていった先生が何人もいました。
そして、昨年、ついに私もその先生たちの仲間入りを果たすことに。
「で、どうなの?本当のところは?」
辛抱たまらず尋ねる私。
「もちろん、『一身上の都合』ということで、保護者やスタッフには園長から発表がありましたよ」
「公式にはそうだろうけれど、何かあったんでしょ?園長と大げんかしたとか??」
後輩ちゃんはハイボールを一気に飲み干し、スマホを指さしながらニヤッと笑い、
「これを使って・・・ちょっと・・・ね。それを園のエラい人に見てもらって・・・ね?」
すごい。新人の頃にA先生の説教を食らって涙ひとつ流さなかった剛の者だとは聞いていたけれど、まさかここまでの度胸と行動力を持っているとは!
「週刊誌にすっぱ抜かれるよりずっとマシですよ!一応は円満退職なんですからね。『A先生は不当解雇だ』なんて言っている親もいますけど、A先生だってこんなの表に出たら大変でしょうから戻ってくるわけないですよね。あ、お姉さん、すみません!ハイボールお代わり、さっきより濃いめで!」
後輩ちゃんは酒もとんでもなく強いので、酔っ払いの戯れ言ではもちろんありません。
「あ、でもこれ、先輩だから話してますけど、他の人には言わない約束なので、シーでお願いしますね」
「もちろん。口が裂けても言えないよ、こんなすごいこと。でも、親のそういう声聞くと正直ちょっとモヤモヤするね」
「そうなんですよ!自分は美味しいところだけ持って行って、裏方は全部私たちにやらせてたじゃないですか。なのに『A先生は面倒見が良かった』とか言われるんだからたまんないですよ。A先生に泣かされたおたくのお子さんをフォローしたのはこの私ですよ、って言いたいですよ、ホント。お姉さん、ハイボール、もう一杯!」
「後輩ちゃん、分かる。よく分かるよ」
負けじとゴキュッと生ビールを流し込む私。
「でもね、これからは違いますからね。A先生が見てたXちゃん、覚えてます?今、私が見てるんですけど、『これで遊んでもいいの?』って言うから『ここにあるのは全部みんなのものだから、先生にいちいち聞かないで遊んでいいんだよ!』って言ったら不思議そうな顔してました。勝手に使うと怒られてたんでしょうね」
「許可制にすると管理しやすいもんね。『これぐらいの人数ワンオペでいけるわよ』ってA先生、よく言ってたけど、そこまでガチガチに管理すればそりゃできるよね」
「そうなんです!それでまた『A先生はクラスをまとめる力がある』なんて評価されるわけですからね。それならもうどこか国の独裁者にでも担任やらせとけってんですよ!」
ヒートアップする後輩ちゃん。歯に着せておいた衣を酒とともに次々に脱ぎ捨てていくのが彼女の楽しいところ。(が、これで失恋したこともあるらしい)
「でもね、今年はめちゃくちゃ空気良いですよ。先生たちもみんなやる気になってます。子どもたちも生き生きしてきたから、保護者もそのうち分かってくれると思います!あとはあの園長が交代すれば完璧ですけどね。こないだもまた変なオブジェを買わされて園の玄関に飾ってましたよ。そんなの買わなくてもお前がオブジェだっての!」
後輩ちゃんの歯にはもう一枚も衣がなかった。まあ、オブジェ園長も私たちとA先生と保護者の板挟みで大変だったんだろうなとは思うけど、結局は今までずっとA先生を選んで来たわけだから、責任は重いよね。
毎年3月から4月にかけて、日本では引っ越し料金が急騰する。これは、進学や就職、異動が重なるためだが、特に影響が大きいのが国家公務員の異動だ。
政府機関は、毎年4月1日に全国規模で大規模な人事異動を実施する。その結果、全国の公務員が一斉に引っ越しをすることになり、引っ越し業者の予約はパンク。料金は跳ね上がる。
この状況を受けて、国交省は「引っ越しの分散」を国民に呼びかけている。「3月や4月の繁忙期を避けて、できるだけ時期をずらしてください」と。
呼び掛けている国交省自身が、4月1日の異動をやめようとしないのだ。
国民には「混雑を避けろ」と言いながら、自分たちはガッツリ4月1日に異動する。しかも、職員の引っ越し費用は税金で賄われるため、市場価格がどれだけ高騰しようが、お財布は痛まない。
これ、どう考えても「市場原理」とはかけ離れている。
つまり、国交省は「資本主義国家の官僚」ではなく、計画経済を運営する社会主義国家のエリート官僚なのだ。
資本主義とは、市場の自由競争によって価格が決まり、需給バランスが自然に調整される仕組みだ。政府は市場に過剰に介入せず、民間の経済活動を尊重する。
では、国交省のやっていることはどうだ?
全国の職員を4月1日に一斉に異動させ、需給バランスを崩壊させる
市場の負担を増やしておきながら、自分たちの引っ越し費用は税金で賄う
「分散をお願いする」と言いながら、自らは一切時期をずらさない
【堂々と計画経済をやれ】
どうせ国交省は市場を歪めているんだから、もっと堂々とやればいい。中途半端に「資本主義の原理に基づく」とか言い訳をするな。
いっそ完全に計画経済に移行すべきだ。
2. 「国営引っ越し公社」を設立し、全ての引っ越しを国家が管理
4. 住居移転も国が管理し、「社会的に最適な引っ越し」を計画的に行う
こうすれば、資本主義のフリをする必要がなくなる。どうせ自由市場を尊重する気なんかないんだろ? なら、さっさと計画経済の道を突き進め。
国交省の職員は、自分たちを「自由市場を尊重する官僚」だと思っているかもしれない。でも、それは間違いだ。君たちは、どう見ても計画経済を運営する社会主義国家の官僚だ。
なのに、「自由市場の原理が~」とか「2024年問題が~」とか言ってるのが本当に滑稽なんだよ。もう隠すな。どうせ市場を歪めているんだから、もっと堂々と計画経済を推し進めろ。
国交省の職員たちよ、資本主義のフリをするのはもうやめろ。君たちは、市場をコントロールし、需給を管理し、価格を歪める存在だ。つまり、社会主義国家の計画経済を支える官僚そのもの。
「適正価格」? 国が決めるんじゃないのか?
「市場の自律的調整」? そんなものが機能するわけないって、君たち自身が一番わかってるはずだ。
警察の許可制で、警察のほうが業界より権力が強くて言うことを聞かないといつでも潰される状態、というのが重要なのよね
違法オンラインカジノを利用したことによる逮捕者が出てしまったことによって、とうとう社会的影響が出始めてしまいました。
そのことについてまるで他人事のように考えている一部の人は、自分たちがそうした状況を作り上げる原因の一端を担ってしまっていたことについてしっかりと自覚をして下さい。
言い換えるなら、ぱちんこが違法賭博だと言っていた人は、昨今の違法オンラインカジノに対して幇助にも等しいことを行っていたと猛省して下さいということです。
その理由は、「違法に思えるが合法」と「合法に思えるが違法」の間には本来超えられない壁があったにも関わらず、自らの意見を通したいがために「違法賭博なのに逮捕されないぱちんこ」という間違った認識を一部の人が作り上げ、世の中に吹聴していったことが、今の闇カジノに対しても違法性がないことの論拠を後押しする結果につながってしまっているからです。
このことについては本当に猛省をして下さい。
極めて理性的な話と最初に断った通り、「ぱちんこが嫌い」という意見については当然尊重しますし否定もしません。
あくまで「違法賭博」だと決めつけていたことに限って、それがデマであることを自覚して世の中に吹聴していったことを猛省して下さいという話です。
警察の怠慢や天下りなどの直接利益によって昭和時代の違法賭博が慣例的に許されていると考えている人は、今すぐにその考えを令和に合わせてアップデートして下さい。
また、三店方式についても、警察との癒着の結果に許された業界だけの特権ではありません。
少なくともこの2つについて認識を改めない限りは、自らの意見を都合よく広めたいだけの、まるで陰謀論に加担してデマを広げるような行為と違いがありません。
過去に国会の答弁で曖昧な返答があったことを証左としてぱちんこが違法を見逃されていると騒ぎ立てる人がいましたが、それらについてもその後全て否定されています。
警察によって、風俗環境を乱さないように様々な規制によって管理されています。
この規制こそが重要であり、デマを広げる人たちに恣意的な解釈をされる原因になっています。
これら規制は、世の中の社会問題と照らし合わせつつ常に変化しています。
そのためぱちんこ業界は、その時々によって常に変化する「許される範囲」に適応するための営業を強いられています。
当時取り沙汰された依存症問題などが発端となり、社会的影響に対する懸念から出玉性能などが規制されることとなりました。
もし仮に、今でもそうした遊技機を営業に用いているのであれば違法です。
しかし、今現在営業を営む店舗において、そうした遊技機は100%撤去されています。
このようにして、ぱちんこ店舗の営業は、その時々にあわせて常にアップデートされています。
よく、三店方式はぱちんこだけに許された特権であるという人がいますが、それは完全なるデマです。
三店方式は特権でもなんでもなく、誰にでも許されている権利です。
ただし、三店方式を破ることは即座に違法とみなされ、厳しい取り締まりの対象となります。
言い換えるならば、むしろ三店方式を守り続けることが合法である根拠となるということです。
なぜそういった誤解が生まれてしまうのか、そこにはぱちんこだけに許された権利が関係してきます。
それが、遊技の結果に対して景品の提供が許されている権利です。
風営法というものは、もともと清浄な風俗環境を守るためにそれを乱すような営業をあらかじめ許可制にしようということで定められた法律です。
そのうち、主に風俗環境を乱すものとして扱われているものが、性欲と賭博です。
性欲側は性風俗と言われますが、ダンスなど男女が肌を密着させるものも対象になっています。
賭博については、麻雀やゲームなど、不特定多数同士での勝ち負けが決まることによって、それが賭けの対象にならないように規制することが目的となっています。
主にお酒の提供や見通しを妨げる設備の設置、店内を暗くすることなどが禁止されているのは、ざっくり言えばそうした賭博行為に及びやすい環境を作らせないためです。
そのため、麻雀やゲームセンターでは、遊技の結果に対して景品を出すことが許されていません。(クレーンゲームの話はしないほうがいいですよとだけ言っておきますね。)
そうした中でぱちんこだけが遊技の結果によって景品を提供することが許されていまが、その代わりに、他の風俗営業者に比べて遥かに多くの規制が存在し、違反した場合も他に比べて遥かに重い罪が課せられます。
なぜそのような形になったかは、文化の成り立ちまで遡る必要がある話なので興味があれば調べて下さい。
それでもこれを特権と言うならあなたの中では特権なのでしょうが、あなた方がいうようなチート扱いのような特権ではないということは理解しておくべきです。
三店方式の話に戻ると、他の業種においてはこの「景品の提供」が許されていないために、そもそも3店方式が成り立ちません。
つまり、ぱちんこだけに三店方式が許されているのではなく、他の業種で三店方式を取ったところで意味がないということになります。
また、この三店方式というものは、それだけ守っていれば合法というものではありません。
風営法とは別に御存知の通り刑法賭博罪というものが存在していますので、例え三店方式の形式を取っていたとしても、賭博罪に抵触する行為があればそれは当然違法行為となります。
つまり、三店方式が違法賭博の免罪符的機能であるという考えこそがそもそも誤解です。
(似たような話でトレーディングカードのオリパが挙げられますが、わたしからは「関わっている人全員気をつけたほうがいいよ」というコメントにとどめます。)
こうした理解もなく、ただいたずらに自分が嫌いなものを自分のさじ加減だけで違法と決めつけることは、自らの嫌いなものに色々と理由をこじつけて排除しようとする差別意識の表れでしかないことに気づいて下さい。
その結果が賭博に対する法解釈の理解を阻害し、闇カジノの違法性さえも否定することにつながっていることは、素直に猛省すべきことだと言っておきます。
ぶっちゃけた話をすると、ぱちんこが嫌いなのであれば嫌いと否定すれば良い話で、合法であるものをわざわざデマを用いてまで違法とするのはバカの露呈だからやめたほうがいいよって話です。
違法だから嫌いなのではなくて、嫌いだから違法ってことにして心のバランスを取ろうとしてることが丸わかりですよ。
ぱちんこが嫌われているのはある意味で業界の努力が足りてないことなので、それを「嫌うな」というのは言うまでもなくエゴであって誰かが止められるものでもなければ、業界が真摯に受け止めなくてはならない意見だと思います。
その上で、法律が間違っているというのであれば、自分の中で勝手に違法にするのではなく、然るべきプロセスを経て法律を改正して下さい。
ぱちんこだけに景品提供が許されているのはおかしいって思うなら、それを「特権だ」って騒いだところで何も解決しなくて、どういった社会的影響のもとに禁止すべきだという議論にならなければ何も進まないよということです。
そうでなければ、やってることはただの民主主義の否定でしかないです。
あなたがたがいつもバカにしてぶっ叩いてる相手とやってることが同じです。
闇カジノを利用した人間を自己責任として切り捨てるのはいいのだけど、違法合法の違いに目を向けようとせずお気持ちだけで決めつけてきた人たちも同罪っていうことだけは理解して帰って下さい。
c22_90 要約すると結局「パチンコが気に入らないのならお前らも警察や政治家と癒着して脱法既得権益スキームつくれよ」だからなあ
違いますよ。「パチンコが気に入らないなら、パチンコ店を批判するんじゃなくて合法としている法律を正しいプロセスを持って改正しろ」ですよ。それが民主主義であって法治国家です。
buriburiuntitti 言いたいこと色々あるが、合法とされてる"ぱちんこだけに許された権利"に納得できないだろ、って意味で違法って言葉を使ってる人が多数なんじゃないか
違いますよ。許可営業というものをよく考えて欲しいんですが、数ある「許可営業に許された権利」の中からの「ぱちんこだけに許された権利」だけに納得できないってあなた方が文句を言っているんですよ。
それを言い出したら許可営業全てが特権という扱いにならなくてはいけないし、それを特権だなんて言い出したら許可営業そのものの否定になりますよ。
hironagi 一番肝心なところが「あなたがたの判断に任せます」「興味があれば調べて下さい」になってた。その辺の説明があると期待したのに。
そうです。それがこの問題の肝の部分です。
先ほども述べたように、あなた方が特権と言っていることは、特権でもなんでもなく「許可営業で許された権利」なんです。
許可営業というのは許可を得たらなんでもして良いわけではなく、風俗環境を乱さないようにさまざまな規制でがんじがらめになってます。
もちろん規制に違反すればすぐに取り締まりを受けるほど厳しく運用されています。
そうした事実を認めず、自分たちが納得できない部分だけを批判したいからという理由で「特権」や「脱法」という言葉を恣意的に使っているのは、批判している側なんです。
nyankosenpai 父が死ぬまでパチンコ打ってて、家に金をいれませんでした。合法でも違法でもどうでもよくて、パチンコには積年の個人的恨みがあります
受け止めます。そうした不幸を繰り返さないために業界は今さまざまなことに取り組んでいます。それを理解してくれとは言いません。変わるべきは自分達であると考えて取り組んでいます。
批判するなとは言っていません。
そうした間違った批判が、オンラインカジノの違法性を曖昧にして被害者を増やすことの手伝いになってしまっているというのがこの増田の本旨です。
追記2
書きました。https://anond.hatelabo.jp/20250207095117
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