
はてなキーワード:訪問販売とは
統一協会と渡辺氏との結びつきは、七七年三月、当時の渡辺美智雄厚相に、日本配置薬という高麗人参液などの"置き薬業"が薬事法違反にならぬように働きかけてから大変つよくなった。
統一協会の阿部令子は、多宝塔売りなどの霊感商法で霊能師として活躍した人物だが、八六年の衆参同時選挙では、衆院大阪三区から、「保守系無所属」で立候補し、「行動力の新保守世代」をうたって宣伝したが、落選した。その後、徳田虎雄氏の「自由連合」に顔をだしたりしていた九〇年の総選挙では、「自民党公認」として、同じく大阪三区から立候補し、公報には職歴として八七年七月「自民党政調会長渡辺美智雄秘書となる」と書き、渡辺氏自らも豊中市に応援におもむいた。阿部の公認問題は、地元の大阪府連内部でも反対意見、抗議が続出したが、前年十二月に、東京都連において渡辺美智雄、新井将敬両代議士の紹介で入党していた。阿部は、渡辺派の「温知会」に属して、毎月一回の例会にもほぼ皆勤していた。九〇年の選挙のときは、八八ー八九年にリクルー卜疑惑で渡辺氏がさわがれていたので、統一協会は態度を一変させて、渡辺氏との関係を極力さけようと、内部指示までだしている。
他方、この選挙運動でも、統一協会は「虹の会」といったインチキ団体をつくり、六百人の会員を動員して難民救援などの名目で軒並み一口二千円を集めてまわるなどの悪事も働いていた。阿部令子も、自分が旧姓は藪野で、八二年の統一協会の「集団結婚」参加者だったことや霊能師として霊感商法で悪どい役割をはたしてきた等をいっさい隠し、統一協会=原理運動とは無関係だといいつくろった。それでも、結局は、次点で落選してしまった。
この選挙で、無報酬で動員された愛知県犬山市の女性や他の元統一協会員ら八人が、九二年一月に「宗教活動と称して、訪問販売や衆議院候補の手伝いを強制させられた」として、統一協会や「全国大学連合原理研究会」と阿部令子を相手どって、未払い賃金などの損害賠償と慰謝料計約五千万円を求める民事調停を静岡地裁に申したてた。統一協会側は支払いを拒否したので、申立人側は申立代理人に藤森克己弁護士をたてて本訴をおこなった。これまでも統一協会=勝共連合メンバーが国政選挙に立候補、落選したことは、八六年の衆参同時選で大阪三区の阿部令子、埼玉二区の黛敬子、愛知六区の細野純子などの前例があるが、裁判問題になったのは始めてである。
阿部には渡辺美智雄後援会が同氏の大臣就任後の九一年十二月に百万円を寄付し、山崎拓氏の「新政治調査会」も九一年六月と十月に計四百万円を寄付し、大臣就任後の十一月と十二月に阿部本人と阿部後援会に計三百二十万円を寄付している。九二年十一月二日には、大阪市内のホテルで会費二万円の「あべ令子と二十一世紀に飛翔く大阪の集い」なる政治パーティーを催したが、渡辺氏は「浄財をもって参加された皆さん方にお礼を申し上げる」とのビデオであいさつを寄せた。企業・団体献金とともに、政治パーティーという資金集めの手法が世論の非難の的になっているのにもほおかむりした行いは、新たな批判を招かずにはおかない。
診察でいつも思うんだけど、
身体の不調で手足がしびれて・・・とか言うとCT取ろうとかMRI取ろうってなりますよね。異状無し!ハイ健康!とか言われてもいや現にしびれてんだけど・・・
それで検査費と診断料8700円とか取るじゃん。ふざけんなって思って。ちょっと美味いメシ食いに行った方が断然良いじゃん。
もしこれが別の店、服屋とかだったら、向こうが判断間違えたらお金払う必要無いじゃん。私どものミスですのでお代は結構ですってなるじゃん。
いちおう検査するしないは自己意思だけどさ、医者がやりましょうって言ってるのにいやいいです。とはならんじゃん。断る=死ぬ じゃん。
新聞の購読契約は、訪問販売なら契約書面受領から8日以内はクーリング・オフ可能で、期間後も「新聞購読契約に関するガイドライン」に基づき、不適切な契約(景品目的・長期間の強引な勧誘など)ややむを得ない事情(転居・死亡・病気など)があれば、販売店と交渉・解約できる可能性があり、困難なら消費生活センターへ相談を。契約書面を確認し、手続きは担当販売店(ASAなど)へ連絡するのが基本です。
解約の基本原則
転居(配達不能)、死亡、長期入院など、購読継続が困難な合理的な理由がある場合。
契約書や領収書に記載された販売店(ASAなど)へ電話連絡。
解約料や景品返還を請求される場合もあるため、ガイドラインを根拠に話し合う。
契約書面の内容(期間、条件など)をしっかり確認し、書面を受け取り大切に保管する。
じいちゃんが死にそう。もう長くない。
と親から涙声の連絡が来た。
そんなこと聞かされたら、翌日始発に飛び乗ってン時間かけて実家に帰るしかない。
電車の中では、おじいちゃん死んじゃヤダ!というよりも、まぁ今までむちゃくちゃ元気だったしな…という気持ちの方が強い。御年97。なんならあと少しで98。
田舎によくいる五男だか六男だかで、戦後すぐのゴタゴタに紛れてそれギリギリ詐欺じゃね?って手法使った訪問販売で成功して、若くして会社を立ち上げたじいちゃん。二十代半ばで当時二十歳のばあちゃんと見合いして結婚して、そのあとよそに女作って帰ってこなくなったらしいじいちゃん。その女の人に捨てられて、ノコノコ戻ってきたらしいじいちゃん。会社がうまくいったりいかなかったりのストレスで50前にはすっかり禿げ上がったじいちゃん。後継だった叔父さんに何も教えず引退したのが災いして、頑張って建てたビルは一瞬で人の手に渡ってしまったらしいじいちゃん。昔の人だったので放送禁止用語バリバリで会話していたじいちゃん。娘婿(私の父)にゴルフ行こう!って誘ったらなんにも道具持ってなかったから一式買い与えたじいちゃん。犬の散歩行こうって小学生だった私が誘ったら、スーツとソフト帽被ってきたじいちゃん。株で失敗してばあちゃんとうちに転がり込んできたじいちゃん。その後も株に手を出してガチギレされていたじいちゃん。みんなが寝静まった後こっそりエロビデオ見ようとしてイヤホンつけたつもりが繋がってなくて夜中に大音量で喘ぎ声を流したじいちゃん。
面会時間ギリギリに転がり込んだ病院ではすごい痩せてた。でもブドウが食べたいってさ。あと100まで生きるからそのうち帰るって。
全部ここに書くわけにはいかないけど、じいちゃんのせいでうちめちゃくちゃ貧乏になっちゃって進学とかも諦めないとダメだったけど、すげえどうしようもなくてスケベで強欲なんだけど、やっぱこういうのは慣れないなあ。あーあ。
長くなったので読みにくいかもしれません
半年ROMれてませんが匿名性が必要だったのでここに書かせていただきます
乱文ご容赦ください
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援護が無さすぎるのではないかと思い、やっぱり納得がいかないと感じたので
ここに書きにきた
以前から何度も書こうと思っていたけれど
どうしても書けないまま 何年も過ぎてしまったが
なんとか書き始めた
フラッシュバックなど、読むのが嫌だと感じる場合はスルーしてくださいーーー
呆然とした
正直なところ
ショックとか 人が亡くなったということ以上に
「どうして今になって」と思った
ようやく悪夢を見て、ドキドキしながら目覚めることが無くなってきていた頃だった
逃げ出した後も燃え尽き症候群のようになり
ベッドから起き上がれなくなる日が続いて
一度は「こんなに辛いならもう死のう」と思ったけれど
いつでもそのボタンは自分が持ってるんだから もう私は誰にも縛られてないんだから」と思い
誰にも助けてもらえないので(親に話したが困惑されて流されただけだったので)
それでもなかなか人への恐怖や組織へ入る恐怖を克服できなかったので
バイトもできず
それでも人が怖くて怖くて
いつも人の顔が見れず震えて汗をかいたり
人と会ったあとは部屋で寝て起き上がれなかったり
遠出ができなかったり
そういうことがようやくひと段落つき始めていた頃
「ようやく最近少しずつ人と話せるようになってきたな」
「ようやく教団の元仲間から説得のメールが来ることも無くなってきたな」
と思っていた頃に
誰にも言えなくて
昔から付き合いのある友人にも言えなくて
両親に言っても「よく出てきたな」と言われるだけで
具体的なケアは何もしてもらえない中で
「宗教施設で共同生活をしていて就活のタイミングを逃しました」
「経歴に書けることがありません」
「宗教施設で生活していた影響で人が怖くてしょうがなくてバイトすらできません」
「燃え尽き症候群のようになって社会生活を人並みに送ることがどうしても難しいです」
そんなことの説明をしようがなく
ただひたすら周りからの、
「この人どうして朝起きれないんだろう」「なんか付き合い悪いな」
「学生時代の話してくれないな」「この人いっつも何してるんだろう 無職?」
「なんで結婚しないの」「なんでハロワ行かないの」「なんでもっと営業しないの」
「なんでいっつもお金が無いの」
あらゆる なんで? に耐えながら
ひたすら自分の足で立つことができるようになるように
1発の銃声で 毎日のように統一教会の名前をテレビで聞くようになってしまった
無かったことになっている自分の在籍期間6年とリハビリ生活10年間が
突然色を与えられたような感覚で
苦しかった
その行為自体を賞賛はできるはずもないけれど 思いは複雑だった
ただ悲しかった
あれは叫びだと私には感じられた
それくらい 中にいると社会で生活している人とは隔絶され 外の声は届かないし
中の声もまた外には届かなくなる
そこには長らく透明な分厚い分厚い壁があって中と外は隔絶されていた
あの1発の弾がそれを壊した
尊い人命と共に
その重大さを社会にどこまで理解してもらえているのか 分からない
その苦しみは 多分本気であの中で一生懸命やった人にしか分からないだろうと思う
それでもそこから私が逃げ出せたのは
ある程度、状況を俯瞰して見る(ある種冷笑的な)感覚を身につけていたからで
そこに関しては、私は自分が漫画アニメ好きのオタクでよかったなと思っている
「マジで漫画みたいなこと言うやんw」という茶化しが自分の中でできていたこと、
不真面目だったため、外の読み物やテレビは見てはいけないことになっていたが
伝道(いわゆる勧誘)もこっそりトイレに隠れてサボりまくっていたことなど
中の人からすると酷い不真面目、規律違反的なことをやっていたために
最後の一歩(あ、ここにいたら私の人生、誰も保証してくれないんじゃないか?)
という感覚に至れた、というところがある
しかし、そんな不真面目な私であっても
逃げ出すことが良いことなのか悪いことなのか、その時点では判別はできていなかった
神や、いわゆるお父様お母様(教祖)に背くことになるわけなので
正直ここから出てその後どんなことが訪れても覚悟を決めようというような気持ちはあった
なぜならいわゆる統一教会が言うところの「神のみ旨」を放棄することになるわけなので、
そうなった時に自分に何かよくないことが起きるかも、私だけじゃなく家族も何かよくないことが起きるかも、
という感覚が強く自分を支配していて そこに対して否定できる確証はなかったからだ
私が死ななくても 私の代わりに誰かが死ぬかも、と本気で思っていた
不真面目な信者であってもこのくらいにはどっぷり浸かっていた
それでも私は「本当に神様がいて 神様が私を愛しているとしたら
私のこの選択も祝福してくれるんじゃないか」という気持ちも微かに持っていた
それを信じたい、という気持ちだったと思う
そうであったらいいな、という感じで
もちろん確証も何もない
こんなふうになったから
今だからそんなふうに言えているだけで
その時には全く確証がなかった
ただ今言えるのは「神様がいるとすれば 統一教会にいる人も愛していると思うし
私のことも愛しているんじゃないかと思う」ということだ
これは信仰心ではなく
今の段階での結論というか、
信念的なものではあると思う
確証はないけれど「そうなんじゃないか?」と思っている、というようなことだ
「そうでなきゃやってられるか」というような思いでもある
神がいようがいまいが関係なく日々は続くし
私の場合 立ち止まっていても誰かが
「大丈夫?私がなんとかしてあげる 任せて」と
手を引いてくれるような状況は皆無だったから
(唯一打ち明けたカウンセラーの人も宗教的な苦しみまでは理解してケアしてくれなかったし
被害者コミュニティもあったかもしれないがまたそこから出られなくなるのではと思い、
組織に属するのが怖かった
両親は受け身なので私が動かない限り私の状況は好転するわけがなかった)
ただ言えるのは、自分で少しずつ歩く過程で人に支えてもらえることはあった、ということだ
理解できないなりに 両親は私の過去を酷くなじることはなかったし、生活も支援してくれた
「よく出てきたな それはなかなかできないことだぞ」と肯定はしてくれた
自立支援センターも、電話をかけたものの一人で行くのが怖かったので着いてきてもらった
理解してくれていようがしてくれなかろうが 都度都度助けてくれる人はいる
カウンセラーの人が言ってくれたことのいくつかは今も自分を支えてくれている
(私は自分の中に宗教施設にいたという負い目があったので、とにかく人に疑われるということが怖かった
自分の話をするのが怖く、いつボロを出しておかしなことを話してしまわないかと怖かった
そのせいか言葉がなかなか出てこなかったけど「ペラペラ話す人よりちょっとずつ一言一言話す人の方が信頼感があるよ」と言ってもらえたので 今は辿々しくても少しずつ言葉を並べられるようになった
だいぶ人と話すことが怖くなくなった)
神がいようがいまいが 関係なく日々は続いていく、というのはそういう感覚だ
私がいたのは学生寮のようなところで
信者に向け講義をするような人材を育てることを目的としている寮だった
20〜25人くらいの規模で
マンションの3部屋(うち1部屋は夫婦の家)を借りて男女別れて住んでいた
みんな割と若かったと思う
私は2世ではない
まだ規制が緩かったので大学内でも駅のコンコースでも勧誘を行なっていた
声をかけられた時も怪しいなとは思っていたが 半ば分かっていてついていった
統一教会だと開示を受けた上で「寮に入らないか」というような打診を受けたので
なんとなく流れで、面白そうなので入ることにした
あと、みんな、人が良い人たちだった、というのがあった
でも入教したキッカケには結局、自分の中に将来自分が働いているビジョンが湧かなかったり
社会一般の基準で勤めることは難しいんじゃないかという漠然とした不安があった
この時このような逃げの姿勢でいなければ
こんなに長く苦しむことはなかったなと今になってみれば思う
朝早くから起きて
原理講論を音読したり、勉強会をしたり、祈りをしたり、敬拝をしたりする
仕送りは全て世話役の夫婦に預ける形になっていて自由には使えなかった
お金は全て「聖別」といって、清められ
そういう清められたお金は「神様とお父様お母様のお金」と言い含められる
友人と遊びに行く、呑みに行くなどの経験も皆無だ
もちろん遊びにお金を使うことができないので 自由な交遊はできない、と言っていい
学校から帰ってきたら即駅のコンコースや他大学へ伝道という名の勧誘に行く
長期休暇は県外へ、車中泊をしながら1日中歩いてフキンの訪問販売をする
当然ながらより多く売れた方が良いわけだが私はいつもほとんど売れなかった
1ヶ月寮には帰れない
家族には内部のことは言えないことになっていて
これらを聞いて楽しそう、と思うだろうか?
けれど楽しいと思うことを排除し、自分を否定し、自分の望むものを否定して、
それを全てみ旨に捧げるというのが信仰の道だった
苦しければ苦しいほど条件になる、そういう発想なのだ
(そういう発想が多額の献金の要求にも繋がったのかもしれない が その要求に正当性は無いと思う)
私が寮内で大きな声で笑っていたら先輩に
「あなたが来てから、こんな大きな声で笑ってもいいんだなって 初めて思ったの」と言われた
そういう場所だったのだ
聞いた時はドン引きした
それでもやっている時は一生懸命だった
けれど これは本当に人を幸せにするような活動なのか?という疑問がずっとあった
(そういった活動などが条件となり積み重ねられ、
その条件が満ちると間接的に人を幸せにする、という考え方なので
目の前の相手を即幸せな気持ちにさせたかどうかはあまり重要ではない)
(どれだけ苦労を重ねるか 自分の欲や怠惰を否定できるかの方が
より大きな条件になるという考え方になる)
(親が子を置いて宗教活動に邁進することになるのは、そういう仕組みゆえだ)
人になかなか言うことができないような生活で費やしてしまったことは
勿体ないことだったと素直に思っている
勿体なかったと言うと「でもあなたのその過去も今に繋がっているじゃない?」
というような返しを親からされることがあるが
これを言われると いつも胸が詰まり
説明のできないいろんな思いが去来して胸がぐるぐるする
しなくてもいい苦労というのはある、ということで
誰も「統一教会が許せない」とも「あなたが失ったものを思うと本当に悲しい」とも
言ってくれる人はいなかった
私の、誰にも相談できなかった日々、1人苦しんだ日々を
私が逃げ出すことによって自分も家族も不幸な目に遭って死ぬかもしれない
もしひどい事が起こるなら私に起こしてくださいと
誰にも相談できなかった日々を
肯定しないといけないのだろうか?
この状況になるまで誰もそれをすることができなかった
その事実はとても重いと思う
それは助ける力がない人たちが口を揃えて言う言葉のようにも思える
とても、とても苦しいものだ
それがこの方法だったのだ
この方法以外で彼が救われることもなかっただろうと思う
山上被告が自分で自分を救うしかなかった結果がこれだったのではないだろうかと思う
私が入教して実感したことは、宗教に関わっている人は意外と多い、ということだ
私のいた寮の中にも、親が創価学会だったがそれに反発して統一教会に来た人もいた
(その人は非常に熱心な人だったが その後心身を崩して入院されたりしていた)
気になったのは、世話役の夫婦の奥さんの方はいつも病気がちで寝てばかりだったことだ
いつも辛そうだなと思っていた
断食をしたり敬拝をしたり長時間伝道をしたり 体を酷使することも多かったので
体を悪くしている人も多かった
みんな普通の人たちだ
そこにいる人たちは みんなそれぞれがんばって生きている
それを食い物にする、というのがおかしな話で
どんな宗教であっても「献金しなければ救われない」というのはおかしいことだと思う
正直に言えば 宗教法人は本当に好き放題するところは好き放題やっていると思う
人の気持ちは弱いので それで救われるなら払ってしまうわけだけど
なんとかもう少し規制ができてほしい
少なくともその行き過ぎた状態が、あのような悲惨な事件に帰結したのだということを思うと
そこをきちんと、法なりなんなりで整備しないというのは、単純に理解に苦しむ
状況がもう少し良くなってくれることを願う
あの事件が無ければ少なくとも私の16年は社会の中では意味を持たず透明なままだったし
こんな話は絶対にできなかっただろうと思う
誰も助けてくれなかったのだ
それを思うと本当に胸が苦しい
何度も書くが
誰かが助けてくれるはずがないのだ
そういう構造になっているのだ
楽しい家族旅行、欲しかったおもちゃ、勉強するための本、服、車
普通の人が当たり前に経験する友人との時間、家族と過ごせた時間、
そういうものに付随する思い出全てが
その悔しさ 悲しさ 苦しみを思うと計り知れない
私の失った16年 いや、それでは比較にならないほどの苦しみと絶望だと思う
それらは 決して帰ってはこない
泡になって 帰ってこない
親が宗教活動にハマるなんていうのは交通事故のようで あまりにも避けようがない
加えてそれを身内がどうにかするなんていうのはほぼ不可能だと言っていい
なんなら母親も被害を受けた側、交通事故に遭った側だとも感じられる
内情を知る人の弁護がなさすぎる気がする
「宗教にどっぷりハマっている身内がいる状況」
私は最後、逃げ出す前に
もしこの人たちがもう少し私に向き合ってくれていたら
けれど最終的な結論として
「ああ この人たちは神に祈りお父様お母様に祈る以上のことはしてくれないんだ」と思った
それが最終的な答えになるので話ができないのだ
「こうこうこういうことで悩んでいる」
と悩みを打ち明けても
「神のみ旨はこうだ」「お父様お母様はこう言っている」
その堂々巡りになる
そこを信じて同じことを繰り返せばいいのだ
他の話は通じない
一切だ 一切通じない
その虚しさは 本気で話をしようとした人間にしか分からないだろうと思う
皆良い人たちなのだ
信頼もしていた
一個人で見れば仲間や世話になった人たちだ 頭が悪いわけでもおかしいわけでもない
けれどそうであればあるほど ある一定のところから会話ができなくなることが辛い
逃げた後、私は入教前に元々住んでいたアパートに帰った
入寮時にそこを解約すると家族におかしく思われるのでそのまま残しておく慣わしなのだ
入教すると元の家には特別なことでもない限り入ることはできなくなる
記憶が薄いが、そこに帰れたということは
しばらくその部屋には仲間が何度も説得に訪れた
手紙が置いてあったり食べ物がドアの取っ手にかかっていたりした
無視をし続けていたところ
ある時、眠っていて目を覚ましたら目の前に女性の仲間(先輩)がいて、私を覗き込んでいた
預けたままになっていた鍵を使って勝手に部屋の中に入ってきていたのだ
その人に悪気はなかった
けれど、「神のためならそれができる」そういう思考回路になってしまうのだ
「神のために、この人を救わないといけない」
「神のみ旨であればこの行いは許される」
私は何度も何度も「あなたたちを見ると色んなことを思い出して怖くて震えて辛いので何も送らないでほしい 会いにこないでほしい」と伝えた
1番は蓄電池だな。
350万くらいのうち、補助金で250万くらいくる。
補助金を加味すると、光熱費削減の効果だけで6年くらいで元がとれる。
ただし、訪問販売には引っかかるなよ。
物価が毎年2.5%上がってるってのに、2%台で借りれるんだから、無利子みたいなもん。
蓄電池のせられないなら、車でも買え。
どうせいつか買い換えるなら、今乗り換えろ。
来年かったらアホほど高くなってる。
インフレもだし、トランプにしばかれて日本車も米国で組み立てたのを日本で売るみたいだからな。
今年買わないんだったら、エンジンが煙上げるまで乗り換えられないと思え。
無利子36回払い。
一括で買うやつらバカだ。必ずローンで買え。
と言われて
ワンルームの家の中チラ見したら
あっこれ本当のやつだと思った瞬間
心の中の一番奥を
ギューッと引き絞られて
身体と心と
表と裏と
じぶんが
なんかうわ言のような謝り言葉発しながら
ああ、この仕事はやめよう、と思ってすぐにやめた。
仕事をそんなふうに放りだしたのはあとにも先にもそのときだけだ。anond:20250824112521
ランチ高い!
ダンナが吉野家で280円の牛丼食ってる間、主婦はママ友と1000円のランチ😋🍴💕
学生時代、訪問販売のクソみたいなアルバイトを数週間していた。
その頃にはもう牛丼は380円近くになってたと思う。
280円ではなかった。
奢ってくれるわけでもなく、ラーメン屋
ラーメン屋高ぇんだよ。
吉野家の倍額は取られる。
時給1000円そこそこで働いてんのに、4時間とか5時間程度の勤務なのにランチに1000円取られてたらやってらんねーんだわ、マジで。
アンタは正社員でがっつり働いてがっつり金額も高く貰ってんだろうが、こっちは1日の稼ぎ5000円チョイで1000円近いランチはキツいんだわ、って話で。
そんな過去を思い出しつつ…
流石に学生じゃあるまいし、いい歳した大人が吉野家でランチは出来ない、
都心でオフィス務めのパソコンの大先生なら抵抗なく入れるんだろうけど
郊外を中心に営業車ブイブイ言わせてる営業マンはランチ1500円は確実にかかる。
これは不公平ってもんでしょう。
親が商売人である年齢からは経済的な苦労はしてないし容姿は良く利発な人で人間関係でも大きな苦労はない。しかし一時離婚して父親と義母と一緒にいたり、実母の事業が成功したあたりから実母の下で生活したりといった特別珍しいわけでもないがちょっと訳ありの生育歴を持った母親だった。
対して親父は両親と上手くいかず、しかし度胸と腕っぷしはあったからグレにグレて県外の悪ガキが集められる高校に放り込まれたり、地元に帰ってきたあとも悪友たちと「揉め事」があれば介入して解決したり、気に入らない人間は拉致って山に連れていき暴行を加えていたらしい。とはいえ人当たりがいいからか羽毛布団の訪問販売でかなりの額を稼いだり、またバブル景気で事業が成功したりとなんとか一般人として人生を歩んでこれたようだった。正直、生まれがあと10年早ければ反社だったろうし、あと10年の遅ければ半グレだったような人間だと思う。
そんな2人だったからか根本的な価値観があうわけもなく、バブル崩壊後に事業が傾き始めたあたりから子どもの前でもケンカをやるようになり、また事あるごとに母親が父親の愚痴をこぼすようになってきた。「ああなってはいけない」「外に女がいる」「別の人と結婚すればよかった」など。未就学児だった俺はボンヤリとだが「暴力を振るうクソ親父から母親を守らなければならない」、と思うようになっていた。小学校に上がったころには父親が帰ってきても素っ気ない態度を取るようなっていた。
そして親父はバブル崩壊後もなんとかもたせてきた事業が失敗し高飛び、離婚。そのまま俺は母親に引き取られて暮らすことになった。しかし中学校あたりから違和感を覚えるようになる。放任主義といい学習塾や将来の夢であった美術系の塾には通わせない。そのくせ勉強に行き詰まると「私はできた。できないことが理解できない。おかしい」と嘲笑する。異様なまでの公務員・大企業・部落バッシング。細木数子マンセー。パワーストーンを子どもに持たせる。ほぼ独学と変わらない心理学を元に俺の作品を酷評。話し合いと称して一方的なヒス、こちらが反論どころか意見を言おうものなら「でていけ」「人間性に問題がある」「だからお前はおかしい」とがなりたてたり煽ったりするなど…人間性に問題があった。
親父がでていった理由も今ならわかる。
親父もロクでもないし、全面的に肩を持つことはできない。しかし自分の妻がこの様子では事業の立て直しなど無理だろう。会社には問題を抱え、伴侶はあたおかで子どもは母親に洗脳されている…ようやく親父の当時の状況が理解できた。親父には申し訳ないことをしたと、反省をしている。