
はてなキーワード:記紀とは
横山祐典「地球46億年気候大変動炭素循環で読み解く、地球気候の過去・現在・未来」
藤井一至「ヤマケイ文庫 大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち」
主婦の友インフォス情報社「事故物件サイト・大島てるの絶対に借りてはいけない物件」(再読)
上遠野浩平「恥知らずのパープルヘイズ -ジョジョの奇妙な冒険より-」★
菅沼 悠介「地磁気逆転と「チバニアン」地球の磁場は、なぜ逆転するのか」
ヴィンチェンツォ・ヴェヌート「生きものたちの「かわいくない」世界動物行動学で読み解く、進化と性淘汰」
いがらしみきお「ぼのぼの人生相談 「自分をしまっちゃうのをやめないとさ」」
ちょめ「室外機室 ちょめ短編集」
特別展「鳥 ~ゲノム解析が解き明かす新しい鳥類の系統~」於・国立科学博物館。
昨年に引き続いて阿部勤也を読んでいる。歴史系の本は雑学が増えて楽しいし、現代で当然とされていることが全く通用しない世界をイメージできるので、自分の価値観が相対化できる(時折正しいかどうかだけが自分の判断軸になり、どう感じているかをおざなりにしがちなので大事)。他には地学や土壌が気になってたようだ。
なお、昨年までやっていた星印の評価はやめにした。同率二位とか三位とかを考えるのが面倒だったからだ。……とか思ってたけどやっぱり直感でやることにした。
乙一「TheBook ~jojo’s bizarreadventure 4thanother day~」
志村史夫「古代世界の超技術〈改訂新版〉 あっと驚く「巨石文明」の智慧」
コタニヨーコ「夏が、僕らの世界を見ていた」
熊倉献「春と盆暗」
「フリクリ」
特別展「魂を込めた 円空仏 ―飛騨・千光寺を中心にして―」於・三井記念美術館
久し振りに芥川賞を読んで面白いと感じた。自分の好みは、語り手が男性で、非常に知的であるか(丸谷才一をこの年読んだのはそのため)、怒りや暴力性などを抱えている作品にハマることが多い。もちろん例外も多数ある。というか読書の趣味は例外だらけだ。
あとは、高校生以来で「百年の孤独」を再読したが、当時と比べて複雑なストーリーを理解する能力が向上していたとわかったのは嬉しい。
「ジョジョ」や「フリクリ」など、すでに知っている物を手に取ったのはファン心理かもしれないし、これは外れないだろうというある種の安心(または怠惰さ)かもしれない。面白かったけれどね。
志村史夫「古代日本の超技術〈新装改訂版〉 あっと驚く「古の匠」の智慧」
篠田謙一「新版日本人になった祖先たち―DNAが解明する多元的構造 (NHKブックスNo.1255) 」
アシュリー・ウォード「ウォード博士の驚異の「動物行動学入門」動物のひみつ 争い・裏切り・協力・繁栄の謎を追う」
「生誕150年記念モンドリアン展純粋な絵画をもとめて公式図録」
「生誕100年ジャクソン・ポロック展 JACKSON POLLOCK[図録]」
丸谷才一「横しぐれ」★★★
「特別展 慶珊寺と富岡八幡宮の名宝―『大般若経』が語る中世東国史―」於・金沢文庫。
また、この月は数年前に行けなかった美術展の図録を買って楽しんだ。たまたま行けなかったり、コロナ禍で自粛してしまったりしたもので、ずっと喉の小骨のように行けなかった後悔にさいなまれていたのだが、すっきりした。
丸谷才一「樹影譚」
ハンフリー・カーペンター「J. R. R.トールキン 或る伝記」
J. R. R.トールキン「農夫ジャイルズの冒険トールキン小品集」
A. A.ミルン「クマのプーさんAnniversary Edition」
A. A.ミルン「クマ横丁にたった家Anniversary Edition」
エーリヒ・ケストナー、池内紀訳「飛ぶ教室」★★★
児童文学が多い。「飛ぶ教室」は男子校を卒業して二十年余りの自分にはとても良く刺さった(小さい頃にもらったのだがパラパラめくっただけだった。たぶん自分の中の男性性を求める心が強く目覚めていなかったんだろう。あるいは、一生付き合っていきたいという友人に出会う前だったからかもしれない)。また、今まで触れてこなかったトールキンの作品に触れて楽しかった。これは十二月の洋書による再読の遠因となる。
スタインベックは障害観が少々古いが、無駄な場面がなく、悲劇としての構成が美しい。
湊一樹「「モディ化」するインド ――大国幻想が生み出した権威主義」★
J. R. R.トールキン著、クリストファー・トールキン編「ベレンとルーシエン」
相国寺承天閣美術館開館40周年記念 相国寺展―金閣・銀閣鳳凰がみつめた美の歴史。
うろこの家・展望ギャラリー、山手八番館、北野外国人倶楽部、坂の上の異人館。
湊川神社宝物殿
いつもの月と比べて大変に少ない。今月は休みの日に読まなかったのと、「終わらざりし物語」が上下巻それぞれ五百ページ超えと大変に長かったためである。四月までの分を加えれば平均して月十冊は読めているし、味わわずに読み飛ばすよりははるかにましである。というか、三月四月と十五冊読んでるじゃないか。プラスマイナスなし。
年始から神道をはじめとした日本の信仰について読んでいる。記紀に記載のない神々や、民間の信仰、仏教との混交などの知識が増え、日本神話についての解像度が上がった気がする。
なお、「クィンティ」はファミコンゲームで、これをスイッチでプレイした。祖父の家に合ったもので子どもの頃はクリアできないなりに楽しんでいた。スイッチの巻き戻し機能を利用してやっとクリアした。
余談だが昨年はクリアしないなりに「パリア」をプレイしたのだった(結局こういうクエストものや箱庭・スローライフものはそこまで好きじゃないというか飽きるとわかった。スローライフと言いながら結局採取や労働をしており、仕事で疲れて帰ってきてやるモチベーションが湧かない)。「Neo Atlas」は二〇二二~二〇二三にプレイしたが結局飽きている。世界を探検するのが好きなのはcivilizationで分かっているのだが、通知がひっきりなしに来るので、これもリアルな仕事と似ていて疲れた。
飯島吉晴「竈神と厠神 異界と此の世の境」
ダニエル・T・マックス「眠れない一族食人の痕跡と殺人タンパクの謎」★★★
成澤勝嗣「もっと知りたい狩野永徳と京狩野 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
狩野博幸「もっと知りたい河鍋暁斎 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
稲垣栄洋「生き物の死にざま」
小泉悠、高橋杉雄、太田啓之、マライ・メントライン「ゴジラvs.自衛隊アニメの「戦争論」」
小塩 真司「「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学」
綾辻行人「どんどん橋、落ちた」
櫻井武「SF脳とリアル脳 どこまで可能か、なぜ不可能なのか」
安田峰俊「民族がわかれば中国がわかる 帝国化する大国の実像」
「ACNラムセス大王展ファラオたちの黄金」於・クレヴィアベース東京
軽めの本が多め。
この後読む皇族の本も含め、学問の世界の厳しさに触れる本が多かった。知識を蓄えるのではなく、同じ問題にずっと取り組み続け、微細な差異や違和感に疑問を持つ才能がないと、研究者としてやっていくのは難しい(これはうまくできなかった自分を慰めている側面もある)。
脳科学については、著者の主張や意見のウエイトが大きく、前々から気になっていた意識や心の哲学についてはそこまで突っ込めなかった。ジャンル全体の概観をつかむだけなら、おそらくウィキペディアを拾い読みしたほうが早いか。
のっけから申し訳ないのだが、自分は「古事記」を池澤夏樹訳で読んでいない。というか、この池澤夏樹の日本文学全集で読んだ本はほとんどない。しかし、池澤夏樹にはちょっと悪いのだが、リストとして便利なのでダシに使わせてもらった。
自分が最初に「古事記」に触れたのは神代だけを扱った子供向けの講談社青い鳥文庫経由でだ。次に読んだのが確か大学生の頃になる。文芸春秋社の三浦佑之が現代語訳したもので、古老が昔話をする形式で翻訳していた。現代人にはわかりづらいところを語りで補う、初心者に親切なものだった。
さて、内容だが、神話だけでなく、それ以降の歴史時代の記述も面白い。ヤマトタケル物語だけでなく、おそらく戦前は教えられていたであろう神功皇后の朝鮮半島への進軍を知っておくと、昔の人がどんな世界観を持っていたか想像しやすい。権力者の書いた歴史書を鵜呑みにするのは危険だが、歴史の一次資料に(翻刻・翻訳されたものとはいえ)触れるのは非常に楽しい。「学校で習う歴史の出典がこれか!」という素直な驚きがある。
もちろん神話としても面白く、考えてみれば今の皇室は天の住民と海の住民の両方の血を引いているという属性てんこ盛りである。他にも、イザナギノミコトとイザナミノミコトが夫婦生活をする際に「凸を凹に入れて子供を作りませんか?」「それは楽しそうですね」というくだりが何となく好きだ。性に罪悪感がないのがいい。もちろん、最初に生まれた子供ヒルコの描写は、今の感覚では身体障害者差別なんだけれども、後にそれが恵比寿様だということになって崇拝されるようになったのが、何となく流されたヒルコが救われた感じがして、結構好きなエピソードなのだ。捨てられた存在に新しい場所を用意してあげた後世の人の優しさみたいでね。
面白かったので「日本書紀」も確か講談社学術文庫か何かで読んだ。傍論としてさまざまな説を併記しているのが、物語ではなく歴史書の体裁をとっている「日本書紀」の特徴を端的に示していて面白かった。もちろん、これだけでは日本の神話は理解できない。中世の神仏習合や近代の国学、陰陽道などの展開を追わねばなるまい。しかし、その一歩を踏み出せたのはやはりうれしい。
ところで、「記紀」の記述を合わせて池澤夏樹は「ワカタケル」を書いたようだけれど、個人的にはピンとこなかった。「記紀」の文字に書かれたことや考古学的成果の内容とは矛盾しないが、むしろ史実から離れすぎないようにしたため、想像力が少し現実に縛られている気がしたのである。あとは現代中国語の「上に政策あれば下に対策あり」って言葉が引用されていたのに違和感があった。お分かりのように、僕は面倒くさい読者なのである。
「万葉集」は全然読んだことがない。というのも、巻数が膨大なためだ。僕は完璧主義なところがあり、読むならきちんと最初から最後まで読むべきだと感じてしまう。それに詩を読むのなら、一つ一つの詩をきちんと味わって理解したいのである。そうなると膨大な時間がかかり、そこまで詩に興味がない自分としては手が伸びない。ただし、自分にフォークナーを薦めてくれた友人は、「美酒をがぶ飲みするように、次から次へと詩を読んでいくのも贅沢でいいものだよ」とは言っていた。僕の場合、深く刺さった詩は、小説の中のぴったりした場面で引用されたときに出会っているケースがほとんどだ。やはり詩が多すぎると言葉の海に溺れてしまう。
「百人一首」は田辺聖子の解説で読んだ。それぞれの和歌や作者の背景を丁寧に、肩の凝らない文体で説明してくれているので、今でも時々手に取っている。王朝の人物史としても面白かった。田辺聖子とは評価する場所が違うところもたくさんあるけれど、脱線が楽しい。ちなみに、初めて百人一首に出会った小学校高学年のときには、もちろん恋の歌にばかり心が動かされたのである。「しのぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで」。たぶん自分の感傷マゾというか、言い出せない思いをウジウジ、グツグツと自分の中で煮詰めて煮凝りにしてしまう傾向は、この時からあったのだろう。
ところで、王朝文学は世界的に見て女性作家が多かった時期だと聞いたことがあるのだが、調べてみると女性の句は二十一だった。半分くらいだと思っていたのだが、これは女性の句が心に残ることが多かったための錯覚だろう。
「新々百人一首」は未読だ。こうして記事を書こうとしていた時に調べたのだけれど、王朝の歌を二百種に絞って紹介してくれているらしいので、これはぜひ読みたい。昔ほど完璧さにこだわらなくなったし、こういうベスト盤みたいにピックアップしてくれると、きっと散文を好む自分も楽しめることだろう。丸谷才一はジョイスの翻訳で知ったのだけれど、文章のリズムが合ったから今から読むのが楽しみだ。
これらの本はすべて別の訳者で読んだのだけれど、こうして並んでいる訳者にそれぞれ馴染みがあるので、彼らがどのような翻訳をしたのか、ちょっと読みたくなってきた。ちょっと前までは「古典は原文で読んでこそ意味がある」という原理主義的なところがあったのだが、「源氏物語」や「太平記」が長すぎるあまり、開き直って現代語訳で読んでしまったため、最近はそこまで原文にはこだわっていない。今ではいい翻訳がたくさんあるので、普通に現代語訳でストーリーを味わってから、原文を楽しめばいい。このラインアップでは、個々の作家に対しても言いたいことがあるのだが、今回は省こう。
「竹取物語」は、幼いころに聞いた物語の原典を知る楽しみがあった。一番シンプルにされた絵本のバージョンだと、五人の貴公子の物語が省かれてることもあるし。そういう意味では、「御伽草子」なんかもちょっと読みたくなってきたな。
「伊勢物語」は短編集で、古典の授業で東下りを扱ったので前から気になっていた。ただのモテる男の話を読んだって楽しくないかもしれないが、一つ一つがごく短いのでそこまで嫌味ではないし、うまくいかななった恋物語もある。それに、古語で読むから現代日本語で読むのと違ってワンクッションある。僕は感傷マゾだったから、結局は恋の物語が読みたかったのだ。
だが、書かれているのは恋愛遍歴だけではない。「老いぬればさらぬ別れのありといへばいよいよ見まくほしく君かな」「世の中にさらぬ別れのなくもがな千代もといのる人の子のため」。ほんとそれな。無理な願いだとわかっていても、大切な人には永遠に生きていてほしい。これらの歌に出会えたのは幸いだった。
なお、これを読んだ後に祖父を亡くしている。ほんとに、人間がいつまでも生きられないのは寂しいことである。なお、これも阿部俊子訳の講談社学術文庫で読んでいる。
他に当時刺さった歌を日記から書き写しておく。「思ふこといはでぞただにやみぬべき我とひとしき人しなければ」(そんな寂しいこと言わないで……)「心をぞわりなきものと思ひぬるかつ見る人や恋しかるらむ」(それな)。たくさんあるのですべては書き写さない。
「堤中納言物語」は「虫愛づる姫君」で有名だけれども、例えば娘ではなくその祖母を連れ出してしまう話だとか、二人の男が誤った相手と契ってしまうとか、慌てて白粉ではなく墨でメイクしてしまう話とか、奇妙な話も含まれている。あとは手に入れることなど到底できないもので作った「ほしいものリスト」である「よしなしごと」とか。どうも物語に統一感がなく、どういう意図で編纂されたのかはよくわからなかった。これは笠間文庫で読んでいる。
「土佐日記」は小学生時代に塾の先生が「男のくせに女の文章で書いたのが紀貫之って変な奴」って紹介していたのでそんな印象がずっと続いていたし(子供にインパクトを与えて覚えさせるためなのと、当時は平成初期なのでこういう言い方をしていたのである)、文学史的にもそういう評価をする面もあるのだが、今は亡き子供の思い出を語る悲しい話なのである。道中の描写も素敵だし、ラストの「この原稿は捨ててしまおう」というくだりが、例え虚構であってもとっても好き。どうも僕は、一人の人間が読者を意識して書いたテキストであるという臭いが好きらしい。だからメタフィクションも好き。これは角川日本古典文庫で読んだ。図書館で借りたボロボロになった古い本だった。三谷榮一訳註。
「更級日記」はかつての文学少女が「源氏物語」をはじめとする文学への憧れを綴っているが、ラストのあたりで「自分の人生はいったい何だったんだろう」と回顧するので、僕みたいな作家になりそこなった文学少年崩れが、感傷的になりたいときなんかにオススメだ。内容をすっかり忘れているのだが、そこばかりが強く印象に残っている。
そして、「物語なんぞにうつつを抜かすんじゃなかった」的なくだりがある癖に、内容が技巧に富んでいるのだが、それはただの未練というよりも、そうした技巧で妄念を鎮めようとしたのやもしれないし、それもまたパフォーマンスかもしれない。小説家になりそこなった僕にはグッサリと深く刺さっている。よく「更級日記」は文学少女の物語だと言われているが、文学少女崩れの物語でもあるのだ。実際、興味深いことに「更級日記」では結婚、子供の誕生、両親の死という重い事柄が、ほとんど触れられていないのである。
それにしても、文学少年や文学少女はとても欲深い。彼らは現世で得られないものを書物の中から得ようとするからだ。そして、創作に手を出すのは、自分の持っていないものを魔術のように作り出そうとする更に深い欲がある人々だ。そして、僕はその欲望を愛していた。
ああ、そうだ。ここまで書いて気づいたのだが、恋だけでない、生きていてふと感じる寂しさを和歌にした作品が、僕はとても好きなのだ。
こういうのは個人のブログでやったほうがいいんじゃないかと思わないでもないのだが、辺境のブログでやってもあまり読者は集まらない。個人のブログを読んでもらうためには、ある程度自分をコンテンツ化する必要がある。言い換えるならば、一定の頻度で、ある程度の品質の記事を、独自色を伴って、継続的に生産し続けなければならない。なかなかできることではない。それに、この動画全盛期の時代に、どれほど文字を読む人がいるだろうか? また、首尾一貫したキャラで書き続けるのも面倒である。
一方、はてな匿名ダイアリーでは、文字を読むのが好きな人が集まっている。また、内容が有益であったり面白かったりすると、きちんと読んでもらえる。虚飾と権威主義真っ盛りの時代にあって、「誰が言ったかではなく、何を言ったか」だけで評価されるという意味では、非常に居心地がいい。もちろん殺伐としているし、暴言も多いが、それを補って余りある素晴らしい点である。有益なまとめを書いたときは褒められ、的外れなことを言えば叩かれ、面白くなければ無視される。残酷だが、内容だけで毎回勝負するのは、文章を書くのが好きな人にとっては鍛錬の場になる。
なお、時折こうして個人的なボヤキを書く。あまりにも古典文学の紹介という話題から逸れ過ぎて、イケメン・モテ男に関する個人的な愚痴になってしまい、読者を笑わせるよりは暗鬱な気分にさせるであろう箇所はこれでもかなり削った。かろうじて残したのは文学に関係する箇所のみだ。
恨みつらみを向けている人や、気に食わない人はたくさんいるのだが、作家以外は実名では論じるつもりはない。名前を出して作品を批判することはあるが、その人の行いに直接何か言いたくなった時はぼかしている。己の負の感情を直視したい一方で、人にネガティブなものをぶつけるのは美しくない。だからせめて、こういう妙な義理を通したいのである。
それでも長い。気に入らなければ読み飛ばしてほしい。ここに書きたいのは古典文学の紹介であり、せめて日常感じていることであり、怨念の垂れ流しではない。ただし前回のように時折脱線しては管を巻くつもりだ。
続く。
で、その中で力のある者が王位に就いたのです。
そのためにはライバルを容赦ない殺戮を繰り返して天皇(大王)直属の伴造に統括する体制を作り上げた、まぁ極道と同じなのです。
しかし、そのままではただの成り上がり者なので権威付けが必要だった。
もともと日本にあった土着信仰を、さも関係あるかのように天皇と結び付けた。
そして、大陸から仏教が入ってくると、その宗教的権威を天皇統治に利用しない手はなく、鎮護国家として仏教を利用し、天皇や多くの皇族を出家させて高僧にした。仏教の権威を利用し、そのために仏教を保護したのです。
釈迦が欲望を抑えるために作った仏教を、広大な荘園を所有し天皇権力の権威付けに利用するというただ欲望のためだけに利用した。お釈迦さんが聞いたらこんなことのために仏教作ったんじゃないと怒るでしょうね。
そして、壬申の乱で大海人皇子が大友皇子を打倒すべく吉野から東方に遠征し伊勢の豪族度会氏を服属させた時、伊勢の太陽神アマテルの威光が見えたので、「そのおかげで大友皇子に勝利した!」と信じ込み、伊勢にあった地方神話の地方神アマテルを皇祖神に格上げした。
で、「その末裔の神武天皇という架空の天皇が初代天皇なのである」という筋書きで、天皇統治の正統性の根拠として作り上げたのが伊勢出身の稗田阿礼創作の「記紀」。
まぁしょせんこんな程度の家系なので歴史的にもロクでもないことばかりやってきました。
事もあろうに大嘗会で神聖な高御座に女官を連れ込んで情事を楽しんだ花山天皇。
「原爆投下は戦争中だからやむをえなかった」と敵国の蛮行を正当化した昭和天皇。
200年の三韓征伐のあと、後漢が朝鮮半島に帯方郡を作ったとき、日本には邪馬台国が作られました
ところが職を失った征伐軍のモンゴル系鮮卑らが蜂起して後漢を分裂させ、海を渡って邪馬台国も制圧しました。これが古墳人と呼ばれており当初の古墳は彩色古墳でした
卑弥呼が没すると軍を挙げて近畿を制圧しますが、このあたりが記録が殆ど無い空白の4世紀です
鮮卑は中国で晋や北魏を建て、近畿では朝鮮族を起用して飛鳥京を建てます(蘇我馬子です)
唐の時代になると日本の朝鮮族は平城京を建設しましたが、鮮卑は中国の晋書、日本の記紀などの半偽書を書かせました
記紀では中国元号が始まる紀元前140年ぐらいに日本元号も始めて、古墳時代も天皇がいたことにしました
実際は初代神武から仲哀または15代応神までは、邪馬台国を制圧した鮮卑軍団であり、鉱業技術がありました(木材防腐剤の朱砂を扱うためスサノオと呼ばれます)
卑弥呼(神功皇后、天照大神)を妻にし、死後は新羅人と思われる大神比義を使って応神を祖とする八幡神(宇佐神社)を創始したと見られています
のち、飛鳥奈良の朝鮮族は仏教化することで八幡神の侵攻を防ごうとしましたが、八幡神は壬申の乱のころ近畿に入り込み、法隆寺に火を掛けたりしたので、おそrかう朝鮮族と漢族の古事記及び日本書紀は、邪馬台国戦争は伏せた状態で書かせられたと見られます
<以下追記>
【ルール詳細】
・同じ漢字を繰り返す熟語は禁止。お前赫赫って言いたいだけだろ
・全体が部首の漢字も禁止。金玉は元々その意図ではなかったんだろうけど、奇しくもこのパターン
というか、部首以外が同じって書いてるんだから、部首が異なるのと、部首以外が存在するのは大前提だろ。
| 熟語 | 1文字目の部首 | 2文字目の部首 | 共通部分 | コメント |
| 記紀 | 言 | 糸 | 己 | - |
| 狼娘 | 犭 | 女 | 良 | 普通の辞書には載ってなそう△ |
| 存在 | 子 | 土 | 才(らしい) | この共通部分はなんなんだ。何で垂れじゃないんだ。腑に落ちない。ルールの穴を突かれた感がある |
| 特待 | 牛 | 彳 | 寺 | - |
| 科料 | 禾 | 米 | 斗 | 脱税を除いてベストの回答。どちらも刑事事件関連なのが気になる |
| 仮版 | 亻 | 片 | 反 | - |
| 粗組 | 米 | 木 | 且 | 一瞬、粗相に空目したのは内緒 |
| 釣的 | 金 | 白 | 勺 | - |
| 眼根 | 目 | 木 | 艮 | - |
| 待時 | 彳 | 日 | 寺 | - |
| 艱難 | 艮 | 隹 | 書けない | 難の旧字体の難 |
| 熟語 | 1文字目の部首 | 2文字目の部首 | 共通部分 | コメント |
| 国宝 | 囗 | 宀 | 玉 | - |
| 推進 | 扌 | 辶 | 隹 | - |
| 衝動 | 行 | 力 | 重 | - |
| 暗闇 | 日 | 門 | 音 | - |
| 近所 | 辶 | 戸 | 斤 | - |
| 寺社 | 寸 | 礻 | 土 | - |
| 公私 | 八 | 禾 | 厶 | - |
| 間者 | 門 | 耂 | 日 | - |
【要審議】
| 熟語 | 1文字目の部首 | 2文字目の部首 | 共通部分 | コメント |
| 左右 | 工 | 口 | ナ? | ブコメで指摘されたが、確かに書き順違うし漢字の成り立ち的にも別物かも |
【コメント】
殴殺はもっとスター付いてるけど、どちらも部首が殳だから論外だぞ。
Permalink |記事への反応(13) | 14:37
吉野ヶ里発掘のニュースで、自分の中の邪馬台国畿内説vs九州説へのロマンが盛り上がったので書く
まず自分は古代日本史や考古学の全くの素人であることをお断りしておく。
古事記・日本書紀が伝説として好きで子どものころから繰返し現代語訳で読んでいた。
学生時代、九州旅行で記紀に地名が出てくる場所を訪れロマンを掻き立てられたこともあり、自分は昔から九州説派である。
奈良県がまとめている古事記ゆかり地マップは全国のゆかり地がマッピングされていて親切だ。
だが、ここ5年ぐらいで専門家の間では畿内説がほぼ鉄板となったという話は何度も聞いていた。
専門家の意見に一定の価値を置く自分としては寂しさを感じつつ受け入れていたが、今回のニュースで改めてググってみると、やはり改めて九州説を自分は強く推したいと思う。
(因みにネット上の情報は圧倒的に九州説が多いので、ネット情報を中心に接種すると九州説派になる模様。)
こう書くとバカみたいだが、
⇒ 埋葬されている王は歴史に残る大王であったと考えるのが普通
⇒ 中国との交易品を考えると邪馬台国は大国であったはず。纏向にあったのが邪馬台国でないなら、中国は地方の小国と交易していたことになり不自然。
ということなので、考古学的証拠から邪馬台国=大和国で、纏向に首都があったと考えるのは納得できる。
・新版 古代史の基礎知識 (角川選書)の前半(倭の五王まで)
まず邪馬台国=大和国は自分も同意。「たい」なんて音は日本語の発音になじまない。
そのうえで、自分はこのYoutubeで関川尚功氏が指摘している「女王の住居が奈良なら、伊都国(大宰府周辺と推定されている)で女王への贈答品の確認はしないだろう」という意見に強く賛成する。
https://www.youtube.com/watch?v=dA3e14517Ek
現代にも通じる物流の常識感で、中国から奈良まで水路でこの後運ぶ荷物の確認は、一旦寄港した福岡でなく最終水揚港の大阪付近になるはずだろう。
伊都国で贈答品の確認をしたという魏志倭人伝の記載はこのリンクでも紹介されている。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~smkodai/25route.html
記紀ではうっかりか意図的にかの違いはあれ、三輪山の神に去られた百襲姫が女性器を箸でついて死んだとある。これはどう見ても性交または出産に関したトラブルで死んだように読める。
また、その墓は夜は神が昼は人が作ったとある。この表現は緊張関係にある2つの部族が彼女のために距離を置きつつも協力して墓を作ったように読める。
卑弥呼が何歳で他界したかはわからないが、魏志倭人伝から長い治世だったと考えると性交出産トラブルで死ぬような年齢だったのか疑問がある。
次に、魏志倭人伝に卑弥呼が死んですぐまた国が乱れ台与を女王にたてたとあるので、争いあう二つの部族が卑弥呼の墓を一定期間協力して作ったというのが想像しにくい。
九州の大和国が卑弥呼を女王に立て勢力を伸ばし、彼女の在位中に近畿に東征し、奈良の三輪山周辺に拠点を持っていた大物主一族と姻戚関係を結びながら(神武天皇の皇后も大物主の姫)、最終的には大物主一族も亡ぼしたのではないかと思う。それが記紀で神武東征伝説として書かれた内容だろう。
卑弥呼が自分の兄弟である神武(または崇神)(※二人とも「はつくにしらすすめらみこと」)と共に近畿に移動したかわからないが、中年女は引越しを嫌うので九州に残ったかもしれない。
だが、ある程度近畿で大和国が勢力を持ってから即位しただろう台与は近畿で生活していただろう。
彼女が死んだとき、大物主一族と大和国の間は既に緊張がありつつ協力して墓を作るぐらいの関係性はあったのではないか。
その後、大和が謀略か戦争かで大物主一族を滅亡させたため、その祟りを恐れ、記紀にあるように一緒に祀っていた大物主と天照(卑弥呼か?)を分けて、それぞれ三輪山と伊勢神宮に祀ったのではないか。
吉野ヶ里で今発掘中の貴人の墓は、卑弥呼の墓として魏志倭人伝に書かれている径百余歩の大きさに到底及ばない規模らしい。自分は吉野ヶ里は卑弥呼の墓ではないだろうと思う。
卑弥呼の墓はまだ発見されておらず、台与の墓は先代と同じ規模にということで箸墓が径百余歩の大きさなのではないか。
魏志倭人伝にある邪馬台国の場所の説明は、神武東征が始まる前、または、まだ卑弥呼が九州に残っている時のものなのではないか。
近親婚に対する反論が同性婚反対派のそれと区別つかないのマジウケるな。
マジレスすると緊急度の違いと社会的承認の2点。民法では親族⊃配偶者。親族であれば遺産や病院のサインなどある程度対応可能。同性愛カップルは現状なんら法的な繋がりがない。世論調査で同性婚賛成が過半数。
たとえば「おばと甥」なんかも結婚は禁止されてるけど、遺産や病院のサインでどのくらい対応できるっけ? 「兄と妹」や「母と息子」ならどちらもある程度いけるだろうけど、「おじと姪」みたいなのは厳しいよね。
それに、たとえば「姉と弟」みたいなケースでも、配偶者と兄弟姉妹では遺産の取り分は違うよね。配偶者になる権利は当然あるのでは?
社会的承認については意味不明すぎる。たとえ9割の国民が同性婚に反対していても同性婚は実現されるべきでしょう。近親婚も同じだよ。
当たり前だけど仮に同性愛者の9割が同性婚を不要と考えていたとしても同性婚は実現すべきだよ。そして近親婚も同じ。
選択的夫婦別姓と同じで「選択肢が増えるだけ」のことに何でそんな高いハードルが課されなくちゃいけないんですか???
近親婚の問題点としてDV的な要素の配慮も必要かと。特に閉鎖的な環境下で臨まない関係性の強要という事も想定されるわけで。当然近親婚がなくともありうるわけだが、一方で、近親婚を認めるとそれを追認しかねない。
よく言われるけどこれは詭弁。なぜなら実の兄弟はたとえ幼い頃に生き別れ年に1度会うか会わないか程度の間柄であっても法律婚はできないが、再婚した親の連れ子どうしは結婚できるので。仮に物心ついたときからずっと一緒に育ってきた相手だとしても。
本当に「閉鎖的な環境下での圧力」を懸念するなら、こんなザル規制に頼るべきではなく、同居年数などに依拠した婚姻制限を行うべき(私は反対だが)。結局もとからある差別的な規制に無理やり理屈をつけて擁護しているだけに過ぎない。言ってることがマジで同性婚反対派と瓜二つ。
シンプルには権力勾配を避けにくいからダメという理屈でよく(児童性愛がダメなのと同じ理由)、となると共同生活しておらず世代が近いことが要件で、となると従兄弟姉妹関係からということで現行通りだな
自分の親に兄弟が多いと「兄や姉くらいの年齢差のおじやおば」も想定できるけど、いとこがよくて年齢差の小さなおじおばが駄目な理由is 何?
それ、「同じチームにゲイがいたらロッカールームでケツを掘られる!」ってのとどう違うの?
議論する価値のある話だと思うんだけど、なんでこの話する人いつもブチギレてんの?なんかその時点で信頼性がないから増田を外して議論したい
同性婚支持者の人があれやこれやと理屈をつけて同性婚に反対する差別主義者に相対しているときの気持ちを想像してみてほしい。ワイが感じてるのはまさにその気持ちなので。
自分の「社会階層が固定化されるから(財産が同族間で相続される)」というのに反論してくれたら嬉しい。近新婚と同性婚の違いって外部者が入るか否かだと思う。固定化は望ましくないという社会的制度だと考えてる
そんなこと言うならまずは金持ち同士の結婚を制限するのが先でしょ。医者や弁護士や経営者同士で結婚して裕福な暮らしを送るのはなんら法規制されてないんだから、社会階層の固定化は他者に結婚を認めない理由にはならないよ。
それとも、金持ちの男は貧乏な女と、金持ちの女は貧乏な男と結婚するよう義務付ける法でも作る? 女は下方婚しろとか喚いてる女をあてがえおじさんと言ってること同じになって笑っちゃうな。
遺伝問題に全く触れてないのは、子なし前提なのかな。法で子なしに縛るのは無理だと思うから、近親婚は無しだよ。病院立ち合いは本人のOKがあれば問題無しじゃね。遺産は遺言書いとけ。
遺伝病患者には結婚を認めるべきではないって主義の人かな? 第三帝国にでも移住なさったら?
高齢出産では有意にダウン症の発症率が上がるけど、近親婚は遺伝の問題でダメというなら中年以上の人たちの結婚も禁止しないとね。そんなんできるわけないっしょ? つまり近親婚の禁止も無理ですよ。
“同じチームにゲイがいたらロッカールームでケツを掘られる!”のは根拠ないが、性的虐待の加害者が近親者に多いのはデータで証明されており、根拠があるからでは。
おっ、統計的差別か? じゃけん中途退職率が高い属性の人は採用しなくても許されるようにしましょうね〜。楽な診療科を選びがちな属性の人は医大受験で排除してもOKってことにしましょうね〜。いやいや、そんなん許されるわけないでしょ?
虐待への対策は、虐待の早期発見や介入手段の充実などによってなされるべきであり、統計的差別に基づいて結婚の自由を奪うのは絶対に間違ってる。
ところで統計的には実子への虐待は母親によって行われることが多いんだけど、そんなに統計に基づいて虐待を防ぐべきだと主張するなら生まれてすぐに母親から子供を引き離す法律でも作った方がいいんじゃないの?
理屈や是非はおいといて、近親婚が当たり前の感覚になったら家庭内性犯罪増えそうだなぁ…幼い兄の下に妹産まれるだけで家族として色々なコストが跳ね上がる。女性も実家ですら安まらない環境は困りそう
まあ、「女性限定施設なら性的な目線にさらされないから安心だと思ってたのに、レズビアンがいるかもしれないと思ったら安心できなくなった」みたいなことを言う人も見かけたことありますけど、そういう人の意見は粛々と無視される流れになってきているわけですから、あなたのような意見も粛々と無視されるようになるんじゃないでしょうか。
何故同性婚賛成派だけ「じゃあ○○婚も認めろ!認めないなら偽善者だ!」みたいな踏み絵を踏まされるのか。「近親じゃない異性婚は認めてそれ以外は認めない」だって充分恣意的なのに、そっちは一貫してる扱いなの?
そりゃ「結婚の平等」って掲げた以上は踏み絵踏まされて当然じゃないの?
たとえばアメリカで「人種の平等」を求める黒人は、アジア人への差別はどう思う? って聞かれたら「そうですね、アジア人差別もなくすべきです」って言うべきじゃない? 別にアジア人のために身を粉にして働く義務はないけど、アジア人の権利主張に賛同する(最低でも反対しない)ことくらいは要求されて当然じゃない? もしそこで「いや、アジア人への差別は存置してもよい」なんていう黒人がいたらダブスタクソ差別主義者として糾弾されても仕方ないでしょ?
そもそも「なら近親婚はどうなんだ?」って関係ない話を持ち出すのが変。それは近親婚望む人が推進すればいい話で、同性婚推進したい人が近親婚の良い悪いやその理由を説明する必要なくない?
だったら「結婚の平等」なんて持ち出すなよ。結婚の平等を掲げた以上は同性婚以外の婚姻の平等に対する態度を問われるのは当然だろーが。「表現の自由」を掲げたらオタク絵叩きだけじゃなくあいちトリエンナーレに対する態度を問われるのは当たり前だし、「いや、宇崎ちゃんのポスターは表現の自由の問題だけどあいちトリエンナーレは関係ないです」とかいう主張が通じるわけないだろ? あいちトリエンナーレも表現の自由の問題だし近親婚も結婚の平等の問題だよ。
同性婚も近新婚も認められていいと思うけど、一つの問題に声を上げた人に全ての責任を押し付けたらそいつはつぶれるぞ。同性婚について活動してる人はそこに専念してもらっていいんじゃない?
別に「同性婚支持の活動家は同性婚と同じだけの労力を近親婚に注げ!」なんて言ってないよ。「同性婚に賛成するってことは、近親婚にも賛成ってことでいいんですよね?」って聞いてるだけ。「はい」って言葉が聞ければそれでいい。なのになぜか同性婚は認めるべきだけど近親婚は認めるべきじゃない派の人たちが屁理屈こねて認めようとしないからこんなに拗れてしまってるのよ。もうわけがわからん。
近親婚の認められ難さを考えると、同性婚賛成派が近親婚を切り捨てようとするのは戦略としては理解できるけど、思想としてグロテスクにも感じるよなぁ。
要するに名誉白人扱いですよね、それ、っていう。欧米で「や~いアジア人」って言われて差別されたときに「俺は日本人だ! 中国人と一緒にするな!」って言っちゃうみたいな感じ。
「オタク向け表現を守りたいだけで天皇アートまで守りたいわけじゃないんですよね……」っていう表現の自由戦士と仲良くなれそう。
「結婚の平等」の話なので、現時点で結婚が不当に禁じられているという点では同一でしょう、というのは上でさんざん書いたけど、そもそも何でノンケだけの問題になってるのかがわからん。同じ産道を通った姉を好きになる妹とかは同性婚がオッケーになっても好きな相手と結婚できないままなんですが? それは不当な結婚制度からの排除でしょ?
"たとえ9割の国民が同性婚に反対していても同性婚は実現されるべきでしょう。近親婚も同じだよ。"日本て民主主義国家じゃなかったっけ?流石に国民の同意は得ようよ
「民意の支持があればマイノリティを差別してもよい!」という考え方をする人がいるから憲法に法の下の平等って書いてあるんですよね〜〜〜。
そもそもこの批判、賛成して良い理由も提示出来てなくね?賛成して当然みたいな前提が無邪気にあるけど、その担保を自分では何も出さずに雰囲気任せでは、はなから議論にならんだろ。
「結婚の平等を掲げて同性婚に賛同するのなら当然近親婚も支持すべきである」という話なので、そもそも同性婚に賛同してない人にとっては賛同できない話かもね。あなたが近親婚に反対している、ということは、同性婚にも反対ってことでいいですか?
詭弁のガイドラインの「一見関係ありそうで関係ない話を始める」に該当するな。「同性間の結婚」と「血縁間の結婚」って切り口が違うでしょう?その違いもわからんの??
そんなこと言ったら元々結婚は異性同士でやるものであり同性婚を認めろというのは制度の趣旨と違う的な話になっちゃうじゃん……それは差別なんでしょ? じゃあ同性婚と近親婚に差をつけるのも差別だよ。
同性婚近親婚多人数婚は連帯して結婚自由化を求めていけばいいのに分断したがる人はわからない。成人同士が新しくきょうだいになることも含めた家族形成の自由化も進めたらいい。
ほんと、なんで「それとこれとは別」「同性婚はいいけど近親婚はダメ」みたいに分断したがる人が多いんでしょうね〜。
同性婚をこきおろすために近親婚持ち出してきてるのバレバレなんすよ。ロリペドを認めさせたいがために、LGBTを持ってきては、ロリがゆるされないならLGBTだってだめなはずだ!言い出すのと同じでな。
えっ??? 小児性愛者なんてド直球の性的マイノリティでしょ???
小児には十全な自己決定権を認めるべきではないので、彼らが実在の小児と婚姻したり性交したりする権利は諦めてもらうしかないけど(小児の自己決定権と衝突するから)、差別されない権利とかは当然同性愛者やトランスジェンダーなどと同様に小児性愛者にも認められるべきでしょ???
こんな雑などっちもどっち論に釣られる方が頭悪い。こんなの「そうだね、同性婚ができたら次は近親婚にしよう。だから今は邪魔するな」だけでいい。両方同時にしなきゃいけないものじゃないし、適当にあしらっとけよ
どうして包括的に婚姻の平等を推し進めようとしないの??? 別に同性婚の邪魔はしてないよ、「真の結婚の平等を勝ち取ろう!」って言ってるだけだよ。「まずは黒人差別禁止法、次にアジア人差別禁止法」なんてのはおかしいでしょ? 「黒人もアジア人も守れる包括的差別禁止法を作ろう」であるべきでしょ?
そもそも「まず同性婚、次に近親婚や複婚」という順番になんの根拠があるの? じゃ、「まず近親婚や複婚、次に同性婚」と言っても賛同してくれるの? 大丈夫だよ、同性婚のときは協力するから、まずは近親婚や複婚に協力してよ、って言ったら素直に協力してくれるの???
当事者の要望が高まれば近親婚も議論すればいいので、増田やその支持者は変な相手に反論してないで堂々と近親婚推進を説いて頂きたい。当然近親婚推進の立場なんでしょう? なんで無関係な同性婚の話をしてるの?
既に同性婚賛成派が国民の多数派である以上「同性婚を認めるのなら近親婚も認めなければ筋が通らない」という主張をすることによって同性婚賛成派に近親婚禁止が理にかなっていないことを理解してもらうのが近親婚実現に至る一番の近道なので。
「同性婚に賛成する以上は近親婚や複婚にも賛成すべき」という共通理解を作って同性婚と近親婚と複婚を同時に実現するというのが当面の戦術的目標ですかね。もちろん最終目標は婚姻制度の廃絶ですが、自分が死ぬまでに実現する見込みはないので死ぬまでに実現可能な同性婚・近親婚・複婚の合法化を当面の目標にしています。
こうして考えていくと、行きつく先は婚姻という制度そのものの形骸化である。ということで自分の意見としては、同性婚や近親婚を認めるのではなく、そもそも婚姻制度そのものを廃止すべきである、ということになる(法的に保護された結婚をなくすだけで、民間の風習として結婚することを妨げるものではない)。
法律婚は書類を出せば成立するから、結納も結婚式も結婚の成立には必要ないんだけど、結納やら結婚式やらをしたがる人は大勢いるので、法律婚を廃止しても「結婚」にまつわる諸々の儀式は残りそう。儀式をするのは個人の自由なので、結婚式とかのカップル形成の儀式をしたい人だけが儀式をし、一方でカップルに(異性であれ同性であれ近親であれ)法的な特権は与えない、というのが一番筋の通った解決策だと思う。子育て関係の補助は子供の養育者に渡せばいい。
この理屈が受け入れられるとして、はてなでは「だから婚姻制度を廃止しよう」という結論になるとしても、世間一般としては「だから同性婚も認めない」という結論になるんじゃないかな
増田は、日本国民はなんだかんだで自由主義的で寛容なので「同性婚を認めることは近親婚や複婚を認めることである」という前提がきちんと共有されれば同性婚と同じように近親婚や複婚を支持してくれる、と思ってるけど、まあこればっかりは蓋を開けてみないとわからんね。とにかくこの前提条件がみんなに共有されるのが同性婚・近親婚・複婚合法化に向けた最初のステップだよねぇ。
アイシャの話はアイシャという天才少女の物語としてすごく良くできていたと思うので正史から消されちゃったのは残念で仕方ない……
言われると読みたくなってきたので魚拓で読み返してきたんだけど、3人の嫁がいるやつが自分の妹と息子が致してるのに対して「それは……ダメだろ?」とか言ってんの改めて読むとめっちゃ笑えるよね。もちろんルーデウスの個人的事情も加味すべきではあるけど、お蔵入りになっちゃったところまで含めて近親相姦のタブーがいかに重いものかを表していると思う。でも、やっぱりそれを認めようとしないのは差別だよ。
Permalink |記事への反応(37) | 23:27
と始めたものだから、ここはまぁ納得(というか詳しく私は存じ上げないがそうらしい)なのだが、
いや私が詳しくないだけで、最近の学説や学校では実在が確定したことになってる?
(追記)
Googleにはこうある。
大和を平定した日本国の創始者・初代天皇。アマテラスをはじめとする天津神の末裔で、山・海といった大自然の神々の系譜も取り込み、さらに国津神の末裔と婚姻を果たし、あらゆる神々を合一化。 そのため国家安寧や安泰を意味し、建国記念の日においては、その即位を祝う紀元節が祝われてきた。
ウィキペディアの「皇室」の中にはこれもある。これには反論もある。
大正時代には、津田左右吉は記紀の成立過程に関して本格的な文献批判を行い、神話学、民俗学の成果を援用しつつ、「神武天皇は弥生時代の何らかの事実を反映したものではなく、主として皇室による日本の統治に対して『正統性』を付与する意図をもって編纂された日本神話の一部として理解すべきである」とした。
まず百貴という名前から。このアニメが神道と関係していることは明白なので、そこにツッコミはないと思います。
百貴の名前は貴船明神と関係しています。そしてこの貴船明神は本来縁結びの社であり、また同時に願いが叶うとされた社でもあります。丑の刻まいりなどの呪詛場として有名になったのは、願いが叶うという働きが転じて誤解されたもの。そして貴船明神と対を成す水神を弥都波能売神(ミズハノメ)といいます。両者は合祀されていることが多いそうで、この二名のうち貴船明神が百貴に対応し、弥都波能売神が飛鳥井木記に対応します。この理由は作中にて飛鳥井木記こそがミヅハノメの中核である、という推理がなされているためです。
ここまででもずいぶんわかることがあります。まず飛鳥井木記はジョン・ウォーカーが仕込んだ殺人鬼達によって殺されなければならなかった。その理由は世界を飛鳥井木記の力によって変化させ、自らの生を永遠のものにできる考えてのことです。これは貴船神社の心願成就と呪詛に関連します。高淤加美(貴船明神)自体にも火之迦具土を殺した際に生まれたとする伝説があり、そもそも飛鳥井木記の人生は死によって彩られています。弥都波能売(ミズハノメ)はそもそも火之迦具土を生んだ伊邪那美の尿によって生まれた神であり、系譜に注目するとクラの室長・早瀬浦宅彦に似た波邇夜須毘古神(ハニヤスビコ)という神も見つかります。ただしこの神が弥都波能売(ミズハノメ)を利用して殺そうとしたという話は、神話からは読み解けません。より重要な点は殺人と呪術が結び付けられていることです。
少し脇道にそれましたが、ラストシーン近くで二人が想い合っているかのような描写がありました。これは貴船神社にもともと縁結びの神としての性質があるためでしょう。貴船神社のお参りは夜行われ、彼らが出会うシーンも夜になります。そしてミズハノメに囲まれたクラのビルの外壁はまるで滝のような効果で表現されます。これは両者が水神であることからと思われます。ただ、貴船神社の縁結びは結社(ゆいのやしろ)の瓊瓊杵尊、木花咲耶姫、磐長姫に由来するものであり、モチーフにするには少し強引かもしれません。
多少小ネタになりますが飛鳥井木記という名前は『記紀』であり、彼女自身が潜在意識を侵食、編纂してしまう性質を表しているように思えます。
ネイティブでない非白人の選手が国際大会に出るのがめずらしくなくなってるけどなあ
(俺がそれを痛感した最初期の例がベン・ジョンソンなのは皮肉だが、それすら1980年代の話)
それ言うたらすでに1936年のベルリンオリンピックには
大東亜戦争が勝ってたら東南アジア各地からそんなんがごろごろ出とる筈
むしろ戦前は、亜細亜人皆兄弟思想にしておいた方が都合良いから
日本人のルーツは南方だいや北方も入ってるとか喧伝してた面もあった
(インテリや政治家まで皆、記紀の創造神話を文字通りに信じてたというのはウソ)
逆に、米国でもどこでも日本から移民して2代目3代目で、もはやその国の言葉しか話さない奴で
ここ10数年、右傾化ガーとか歴史修正主義ガーと言われて久しい。
ところがウヨが興味あるのは慰安婦とか南京とか戦前戦中の話だけで、それ以前はどうでも良いらしい。
過去10数年ぐらいに刊行されてる、吉川弘文館の人物叢書だの、朝日選書だの講談社や中央公論社だの各社の新書とかで、古代・中世日本史の本を読むと、なぜウヨが激怒発狂しないのか謎でならない。
何しろ、古代史では『日本書紀』は大ウソだらけ、万世一系ではなく継体天皇の代からは新王朝の可能性が濃厚、任那日本府は通説よりずっと規模が小さく「日本府」って名前も後世につくられた、「大化の改新」の中身はほとんど無し、厩戸王は実在したけど聖徳太子の手柄の大部分は蘇我氏の業績、藤原氏(中臣氏)を美化するための誇張が濃厚、壬申の乱の記述は天武天皇を正当化する作為が濃厚――といった調子、皇国史観は絶対で「記紀の内容はすべて史実!」て言ってた戦前の基準じゃ許されん話ではないかw
「神武天皇は実在した」とかドヤ顔で語ってた自民党議員は怒らないのか?
中世史も、『平家物語』の名場面の大部分は創作で源氏は卑劣、後醍醐天皇は政治的に無能だったから建武の新政は失敗、戦国時代には住民大虐殺や奴隷の人身売買が通例……とかなんとか、そんな話がフツーに記されてる。
竹田恒泰とかの「日本の伝統に詳しい人」と称する連中に言わせると、近代以前の日本には中国韓国のような野蛮で卑劣な話は一切なく、この世の悪はすべて戦後民主主義のせいらしいが、全然そんなことはなかったと公然と書かれてる。
やれ「歴史戦」とか言う連中は、なんでこういうここ10数年の歴史学者の成果を「ブサヨの歴史捏造だ!」と言って怒らないのかw
ウヨ連中は本当に、明治期以降か下手すりゃ昭和期戦前しか興味ねえんだろうな
専業主婦とか夫婦同姓が本気で日本の伝統と思ってたり、小島毅が書いてたように「明治維新が起きたのは江戸時代に儒教が広まったから」とか知らんで、本気で「中国韓国は儒教国家だからケシカラン」とかドヤ顔してる奴多いし
でもさ、ウヨって基本的に「昔は良かった史観」だろ? それがこんな近代以前にはまったく無知でいいのか
学界は奈良説なんだけど、一般では九州説が人気だから仕方ない。
そんで供給があれば九州説ベースの小説おもしろい、と一般の人は思うので、
九州説を支持してまたそういった小説を求める…という循環なのではないか。
高天原と表現されるのが九州で、神武東征で邪馬台国勢力が畿内へ~とか題材にするとおもしろくなりやすいのよね。
魏志倭人伝の人物だけしか出せないのと、記紀の神々も登場させられるのだと、キャラの厚みも違うし。
九州在住者に九州説支持が多いのはもちろんなんだけど、奈良県在住者にも九州説支持者かなりいるらしいのよね