
はてなキーワード:訓読とは
まず、今日ここにいるみんなは、今までギャル(努力)してきた証拠だし、家族とか先生とか、周りのチーム友達のおかげだお。東大の先生たち代表して、BIG LOVE込めてお祝い申し上げます!🙌💕
これから大学って箱で、いろんな新しいことゲットンして、エモい経験積んでもろて、東大生として未来の可能性を羽ばたかせていくの、超期待してるから!バイブスMAXでいこう!
ぶっちゃけ、日本の社会って「読み書きできない人なんていなくね?」って思ってる人、多ない?🇯🇵高校まで授業料タダとかヤバくね?って感じで、教育レベル高めなのは間違いない。
でも衝撃の事実、マ?2020年の調査だと、90万人くらいが義務教育を最後までやってないらしい。しかも、ただ不登校だったとかで卒業証書はゲットンしたけど、基礎がワケワカメな人が100万人以上いるって推測されてるんだお。つまり、ぶっちゃけ、文字とか経済活動に困ってる人が、無視できない数でいるってこと!ぴえん🥺。
「リテラシー」って、もともとは読み書き能力のことだけど、今はネッ友(ネット)とかヘルシー(健康)とか、ある分野の知識を活用する力って意味で使われてるじゃん?今日は、みんなの大学生活で必要になるリテラシーについて語らせてもろて!
例えば、マイノリティ・リテラシーってやつ。この30年で、ヒトもモノもカネもグローバルに動いてるじゃん?みんなの中に留学考えてる人いるかもだけど、観光じゃなくて生活してみると、日本でマジョリティとして生きてた時には感じなかった「不便」を経験するんだお。多様性の時代は、誰もがマイノリティになりうるってリアルに向き合うのがマスト。
あーしもスイスの田舎に住んでたことあるんだけど、研究仲間とランチ行くと、みんなバラバラの国でマイノリティ!共通言語は英語だけど、ネイティブは誰もいないって状況。あーしはフランス語を英語で教わったり、知ってるつもりだった日本のことをうまく説明できないことに気づいたり、超貴重な経験になったお。
日本の社会でも、多文化・多言語な環境がとっくに始まってるってことを気づかせてくれるのが『オリーブかあさんのフィリピン民話』って絵本なんだお。嫁不足解消のためにフィリピンから国際結婚で来日した女性が、日本人の子どもに故郷の民話を語るって話。
この絵本が山形弁で書かれてて、標準語のルビが振ってあるのにはワケがあるんだお。この女性が一生懸命覚えた日本語は、お母さん世代の純粋な方言だった。でも、村ではフィリピンの言葉で子どもに話しかけるのNGだったり、離婚したり…。山形弁で語られた故郷の物語は、会えない子どもに向けたメッセージでもあったんだお。この一冊に、グローバルとローカルなリアルが詰まってる。
この絵本は日本人にとっても難しい、日本語の壁についても示唆してるお。漢字に音読み・訓読みがあって、読み方が一つじゃないのが超難関。これは外国人だけじゃなく、さっき話した義務教育未修了の人にも共通してる問題。みんなは東大の入試を突破してきたからあんま感じないかもだけど、これ、グローバル化のうちなる壁なんだお。
だからこそ、ルビ(ふりがな)を増やすことで、みんなが学びやすい社会を目指してる「ルビ財団」の取り組みとか、超注目じゃん?リテラシーゲットンするには、今まで当たり前って思ってたことをもう一回、ちゃんと考えるのが超大事!
創造的な地球市民に求められるリテラシーは、英語力とか異文化理解だけじゃない。あーしは、みんなに自分のルーツを大事にするローカルな視点と、マイノリティの経験や文化を認めて受け止める****姿勢を身につけてほしいって思ってる!
現代社会で必要なリテラシーを考える上で、AIとどう向き合うかは激アツだお!
ChatGPTとか、まじ革命じゃん?専門知識なくても、チャットで指示出すだけで文章とか画像とか作れちゃうって、エグい!みんなももう使ってると思うけど、超便利だおね。
でもちょ待てよ!✋AIが出す答えって、事実と違うことや、偏った断定が含まれてることもあるってこと、忘れちゃダメだお!だから、AIの情報を鵜呑みにしないで、自分の視点や知識で検証する力を身につけるのがマスト!倫理的な問題もあるし、プライバシーとかディープフェイクとか、考えなきゃいけないことがきゃぱい(キャパオーバー)!
AIは発展途上だけど、めちゃくちゃ物知りで探し上手。でも、間違いや偏見を教えるかもしれない、ちょっと「偏屈」な話し相手って感じで、付き合っていくのが大切。問いの質をアゲて、批判的思考を持ち続けることで、新しい基準や構造を創り上げる力が求められてるんだお。
これからは、望むと望まざるとにかかわらず、AIとズッ友(ずっと友達)で生活していくことになる。創造的な地球市民として、批判的思考と、他者への深い理解や配慮に基づく、新しいリテラシーを育むのがマスト!これはどの学部で学ぶにも超大事な視点だし、新しい分野を開拓することにもつながる!ぜひみんなで考えてみてほしい!
これから始まる東大生活は、新しい知識だけじゃなく、新しい視点や人とのつながりをゲットンできる超貴重な時間だお!勉強はもちろん、困難に立ち向かう****強さや、誰かを支える****優しさも育んでほしい!
令和7年4月11日
東大総長
校閲の仕事を始めて驚いた表記に「ちりばめる」があります。
紙面ではほぼ平仮名になっているのですが、なぜか知ってますか?
多くは「散りばめる」と表記したくなるのですが、本来は「鏤める」なんです!
この漢字が常用外だから平仮名だったんですねぇ。この驚き、皆さんにも知ってほしい…(✪д✪)—日刊ゲンダイ校閲部 (@nkgendai_kotoba)August 22, 2025
まずは「塵ばむ」である。
「ばむ」は「黄ばむ」とか「気色ばむ」とかの接尾語「ばむ」である。
つまり「塵ばむ」は「埃っぽい」「塵を被っている」という意味である。
そして「金銀を刻んで彫る」という意味の古語「ちりばむ」である。
細かな金銀で象嵌するようなことを指しているのだろう。
意味的に現代語「ちりばめる」の元になっているのはこちらである。
この「ちりばむ」の漢字の表記は「散り嵌む」「塵嵌む」「縮り嵌む」など諸説ある。
埃の「ちりばむ」が金の「ちりばむ」に変化したのか、それとも別々に生まれたのかはわからないようである。
多くの辞書では埃の「ちりばむ」と金の「ちりばむ」は別項となっているが、埃の「ちりばむ」が転じた、とする辞書もある。
ではツイートで言われている「鏤める」は何なのかというと、
これは漢文を訓読するときに「鏤」という字に「ちりばむ」の読みを当てたということである。
「鏤」という漢字のもともとの意味は「金属に彫刻する」というようなものである。
つまり象嵌というよりは彫金全般を指しているようであるが、それを「ちりばむ」と訳したのである。
鏤 金乃知利婆女(こがねのちりばめ)
とあるらしいので、かなり昔からその意味で使われていたようである。
「マジ」を「本気」と書くことも「真剣」と書くこともできる。
「マジ」の語源は「マジメ」の略だとか諸説あるのだが、それなら「真面」と書いて「マジ」と読むのも良さそうなものである。
まあ「マジメ」を「真面目」と書くのも当て字だけれども。
それで「マジは本気と書くべきで真剣とか真面とか書いてはいけない」などということはないだろう。
同様に、「ちりばめる」を「散りばめる」と書いても「塵嵌める」と書いても「鏤める」と書いてもよい。
「押下」は「おうか」と読み、IT業界などではボタンを押す意味などでよく使われるという。
この言葉の初出はいつごろなのだろうか、と調査を開始してまず突き当たるのが「読み」の問題である。
すなわち「押下」にはいくつかの読みがある。
送り仮名が「押下げる」「押下ろす」などであれば「おしさげる」「おしおろす」とわかりやすい。
しかし「押下して」ならば、「おしおろして」「おしくだして」「おうかして」のいずれの可能性もあるのだ。
たとえば明治6年の『医道日用綱目』の「押下す」、『童蒙窮理問答』の「押下らしむ」、『窮理日新 発明記事』の「押下し」など。
いずれも「押下」に「おしくだ」とフリガナが振ってある。
同じく明治6年の『訓蒙窮理図解』の「押下れ」は「おしさぐれ」か。
明治7年の『広益英倭字典』では「push down」を「押伏ル。押倒ス。押下(さげ)ル」と訳している。
「おしおろすべし」なのか「おしくだすべし」なのか「おうかすべし」なのか分からない。
それでは「押下する」はどうだろう。
臂力ヲ以押下スル能ハサルニ至ル
「おしさげする」「おしおろする」「おしくだする」という読みはないだろう。
これはさすがに「おうかする」じゃないのか。
でも確証はない。
つまり、我々はずばり「おうか」と書かれたフリガナを探さなければならないのである。
というわけで明治35年『日本赤十字社篤志看護婦人会教程 増訂』である。
看護者ハ左ノ示指(ひとさしゆび)ニテ軽(かろ)ク病眼(びょうがん)ノ下眼瞼(かがんけん)ヲ押下(おうか)シテ眼(め)ヲ開(ひら)カシメ
これはもう間違いなく「押下」と書いて「おうか」と読んでいるだろう。
さらに探してみたところ、増訂前の明治28年『日本赤十字社篤志看護婦人会教程』第9版を、日本赤十字社デジタルアーカイブズで読むことができた(初版は明治22年か?)。
こちらでは「押下」に「おうか」「おしさげる」と二つのフリガナが振られている。
「仰臥」に「ぎょうが」と「あおむけにねかす」と振られたりしているのを見るに単なる訓読みではなさそうだ。
基本的には音読みだが、それだと初学者にはわかりづらいので補足説明を加えている、といったところか。
ではついでに、「ボタンを押す」のような意味で「押下する」が使われた例に限ったとすれば、初出はいつごろになるだろうか。
明治22年『理学協会雑誌』の「フワンリッセルベルギー氏電信電話双信法」という記事に以下のような用例がある。
「鍵」というのはいわゆるカギではなく、辞書的に言えば「ピアノ・オルガン・タイプライターなどの、指先で押したりたたいたりする部分。キー。」のことだろう。
(なおフワンリッセルベルギーとはFrançoisvan Rysselbergheのこと)
即(すなは)ち押(お)し釦(ぼたん)を押下(おうか)すると電池(でんち)から電流(でんりう)が発生(はっせい)してベルを鳴(な)らすのである
といった例がある。
というわけで結論として。
「押下」を「おうか」と読む例の初出は、現在のところ明治28年(明治22年?)の『日本赤十字社篤志看護婦人会教程』ということになる。
厳密性を求めなければ、明治11年『物理小学』の「押下する」の時点で「おうか」の例としてもよい。
また「押下する」は、明治期から理科の実験書や医学の教科書で使われており、「電信・電話用語として広まったのではないか」とは判断しづらい。
また新作か、新月同行ね
https://www.4gamer.net/games/904/G090479/20250425029/
中国発の2DターンRPGで、ムービーみた感じは結構クオリティ高そうだ
都市、オカルト、異能って感じで雰囲気にクセはあるから人は選びそう
ただなんつーか、キャラ配布とかいって名前出されてもまー読めない
★5キャラクター「沐綿」、★5キャラクター「白瑾」、なんなんよ
リンキン、ハクキン、ってところか?
かすりもしなかったわ
まあ前者は正しく音読みすれば行けてたな
綿も冷静に見ればメンだわ、中国感のある錦糸の錦でキンと勝手に混同してたわ
https://fellowmoon.gamewiki.jp
すでにあるwikiを見た感じスキル名とかも難しすぎて読めない
んー、これは流行らんだろうなあ
https://automaton-media.com/articles/reportjp/20250523-340343/
https://posfie.com/@OOEDO4/p/YBDER0d#c14792609
ここの論調だと悲しい悪役を殺すのは勧善懲悪ではない、とかスカッとジャパンは勧善懲悪じゃない、と言われている。
かんぜん-ちょうあく【勧善懲悪】
善良な人や善良な行いを奨励して、悪者や悪い行いを懲こらしめること。▽「善ぜんを勧すすめ悪あくを懲こらす」と訓読する。「懲悪勧善ちょうあくかんぜん」ともいう。
辞書の定義だと悪役が完全な悪でなければいけないというものではない。
善を勧め、悪を戒める倫理規範や、因果応報を説く思想はさまざまな社会集団や宗教でみられるが、本項では物語の類型としての「勧善懲悪」を中心に扱う。
勧善懲悪の文学様式は、時代劇や多くのハリウッド映画、スーパー戦隊シリーズなどのシナリオにおける典型的パターンである。これは善玉(正義若しくは善人)と、悪玉(悪役・悪党・搾取する権力者など)が分かれており、最後には悪玉が善玉に打ち倒され、滅ぼされたり悔恨したりするという形で終結する。一般にはハッピーエンドとされる形で物語は終幕を迎えるパターンである。悪としてよく扱われるのが、一般に強大な権力を保持し、正義を好まない人物や組織である。対象は作品によって異なるが、その時代や特定勢力を風刺していたり、または架空に作り上げたりと行った場合が多い。
Wikipediaでも同様。
私は元統一教会の祝福2世で、現在教会及び教会に帰依する両親と兄弟とは縁を切っている。
統一教会を解散させたいとか、家族を説得したいとか、そういう積極的な感情はない。今は自分の配偶者との穏やかな生活を守ることに注力している。
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信者同士を結婚させるのって上手いこと考えたなって思っていた。両親がそうなら子供もそうなる。
家庭盟誓を唱え、聖歌を歌い、訓読をする。父は真面目な人だった。「信仰の奥義は生活である」と言い、日頃から正しくあるように説いた。
神様はいつも見ている、死んだら霊界に入る前にこれまでの人生が映画のように再生されるから、罪を隠すことはできないよ。
私は脅されているようで少し怖いな、と思っていた。
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実家から離れた大学に入学して、教会と家族から次第に疎遠になっていた。
もう10年以上も前だ。
なんて事のない夢の途中で、いきなり大きな目玉が浮かび、私を見つめる。あ、と思った瞬間に足元に黒い穴が空いて落ちるーーそして泣きながら目が覚める。
教会や家族を捨てた後めたさがありありと現れたような夢だった。それでも1年もすれば見なくなった。
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時折ワイドショーで取り上げられることがあっても誰も気にしていない。
教会と実家に近づかなければ縁を切れたような気持ちになっていた。
職場の昼休みにニュースで取り上げられ、その場で話題になったりしたが、私は口を噤んだ。
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合同結婚式って頭おかしいよね、こんなことして何がしたいんだろう?ーー嘲笑するように話す同僚。
私は知っている。
両親がずっと願ってようやく受けた祝福、貧しいながらも清く正しくあろうとしたこと、それが世界の平和に繋がると信じていること。
教会には「変わってるね」と言われる人はいても、悪人はいない。皆穏やかで、世間一般では「いい人」と呼ばれることが多いであろう人たちだ。
教会も家族も嫌になって縁を切った。それでも外野の侮蔑を含んだような声に反論したくなるのは、私もその一員だったから。
祝福2世というアイデンティティが私の中に根付いていて捨てられないのだろう。
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一つの組織がなくなるんだろうけど、その信仰が消えることは決してないだろう。
今は神の勢力が弱まってサタンの勢力が強まっている。迫害されるのは私たちが正しいからだ。今こそ誠成を尽くす時だ。
そういうようなことが日本全国の教会で説教されることが、私は容易に想像できる。
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例えば「『いただきます』って無意味だから今日からやらなくていいよ」と言われても、食事の前に手を合わせる習慣が残る人はいるだろう。
私は知っている。
Permalink |記事への反応(16) | 05:14
「白」を「しら」と読むケースは、和語(やまとことば)として古くから使われている言葉に多いです。例えば、白雪(しらゆき)、白鷺(しらさぎ)、白魚(しらうお)、白和え(しらあえ)はどれも昔から日本語として使われてきた表現で、「しら」という読みが定着しています。
一方、「白ごはん」は、現代的な言葉遣いで生まれた造語に近い表現で、もともと「ごはん」は「御飯」という敬称がついた表現であり、音読みや訓読みとは別の、いわば話し言葉的な「しろ」の響きが自然に選ばれました。
また、「しら」はやや古風で文学的な響きを持ち、名詞に直接ついて、そのものの美しさや清潔さを強調する用途が多いのに対して、「しろ」はより日常的な響きで、「白い」「白色」という単純な色そのものを表現するときに用いられやすい傾向があります。
「白ごはん」は日常の食卓で親しまれる気取らない食べ物であるため、「しろ」という素朴でなじみやすい読みが自然に選ばれ、定着したというのが、主な理由でしょう。
言葉はこうして「響きの印象」や「日常性」といった感覚的な理由で定着することが多いので、こうした謎や疑問は興味深いものですね。
「有職読み(ゆうそくよみ)」は、主に中世の日本の歌学に由来し、伝統的に特定の人物名を音読みする方法を指す。例えば、藤原俊成(ふじわら としなり)を「しゅんぜい」、藤原定家(ふじわら さだいえ)を「ていか」と読むように、敬意を込めて古人の名前を音読みする慣習である。このような音読みは、元々は歌人や有名人の名前に対して用いられ、特に江戸時代から明治時代にかけて広まった。
また、この「有職読み」は、個人名に特化した用法であり、姓(名字)には使われないことが多いとされる。例えば、源氏や平氏を「げんじ」「へいし」と読むのは有職読みとは言わない。
この読み方は、敬意を表すための一種の文化的な慣習であり、現代でも一部で使われているが、誤解や誤用されることも少なくない。
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石破総理が伊藤博文を「はくぶん」と呼んでいたので気になって調べたら出てきた。
ちなみに以下によると、はくぶん読みは有職読みではないらしい。
https://www.kanken.or.jp/project/data/investigation_incentive_award_2016_miura.pdf
筆者曰く、人名における有職読みは主に名乗訓み(訓読み)を用いたものであり、音読みではない。一方で、はくぶんと音読みすることは、名乗訓みを無視して漢字をそのまま音読みしているだけであり、有職読みの条件を満たしていない、ということらしい。
訓読みそのものに対するアツい暴言 > ただ、もともと「他」に「ほか」と読むのは間違いだったのに、みんなが間違えているからもういいよねって感じで、常用漢字にしたり、辞書に載せたりするのはどうなんだ
あのな、常用漢字表に載ってるかどうかじゃなくて、9割の人が使ってるならそれが正しいんだよ。あほか
「他」だと思う
「他」と書いて「ほか」って読むことね
「他」にそんな読み方ないのに、社会に出たらみんな普通に使っている
(ちなみに役所やちゃんと日本語知っている人は「ほか」と読ませたい場合は「外」と書く)
読み間違いの多い漢字の話題になったときも、「他」が出てきたの見たことがない
日本人の9割以上、間違っていることに気づいていないんじゃないかと思う
「凡例」とか「重複」とかでキャッキャキャッキャ騒いでいる場合じゃないだろ
「ほか」ってタイピングして変換すると「他」が変換候補に出てくるのもどうかと思う
よく使われているからって間違った文字を変換できるようにしていいものなのか
IMEとかgoogle日本語入力とか、なんかそういうの作ってる会社には、正しい日本語を守っていく義務もあるんじゃないのか?
いや、正しい日本語を守るとか大層なこと考えなくてもいいが、間違いを広めないというポリシーみたいなもんは持っててほしいんだけど
(追記)
なんかコメントで「他」は訓読みで「ほか」と読むって辞書に載っている、て書かれていて、そんな馬鹿なと思って調べたら、
平成 22 年に常用漢字表の改正があって、「ほか」と読むことが認められたらしい
(ただし、改正に伴う通知により、法令でも、法令以外の公用文でも、「ほか」とい う読みで「他」という漢字は用いないこととされている)
それは知らんかった
ただ、もともと「他」に「ほか」と読むのは間違いだったのに、みんなが間違えているからもういいよねって感じで、常用漢字にしたり、辞書に載せたりするのはどうなんだ
Permalink |記事への反応(24) | 10:41