
はてなキーワード:計算とは
うーん、それって「虚数時間が直感に合わない理由」を説明してるようで、実はあんまり説明になってない気がするんですよね。
まず、「我々の時間モデルと物理学のモデルが乖離しているから理解できない」って言ってますけど、じゃあ具体的にどこがどう乖離してるんですか?って話なんですよ。そこをふわっとさせたまま「だからかな?」って言われても、「で?」で終わっちゃうんですよね。
あと、物理学の“虚数時間”って、別に「時間が実際に虚数で流れてます」って話じゃなくて、計算を簡単にしたり理論を拡張したりするための数学的な道具なんですよ。
それを日常の「今何時?」っていう感覚と並べて違和感あるって言われても、そもそも用途が違うので比較自体がズレてるんですよね。
たとえば、
であって、「感覚と違うからおかしい」って言い出すと、相対性理論も量子力学も全部アウトになっちゃうんですよ。
それと、「直感に合わない=存在しないはず」って発想も危なくて、
重力波もブラックホールも、最初は全部「そんなのあるはずない」側だったんですよね。
なので、
じゃなくて、
#ママ戦争止めてくるわはみんなのための言葉で、 ママだけじゃなくてパパでも独身貴族でも使っていいとか言われてたけど
最初の単語をそれぞれがアレンジしてバラバラに使ったらトレンドに入りにくくなって効果が薄れるから
(「ママ」と「パパ」の二種類だけだったとしても、単純計算で半減する)
実質「ママ」以外は使わせないつもりじゃん
正直、正気とは思えない。
「中国の脅威」とか勇ましいことを言ってる高市自民党界隈やネトウヨの人たちさ、現実の数字を見たことあるの?
公表値だけでも日本の防衛費の4倍以上だよ。実質的な購買力平価で換算したらもっと開くとも言われてる。
向こうは経済規模も桁違い。こっちは少子高齢化で国力が先細りしていく国だよ?
「防衛費増額だ!」って息巻いてるけど、じゃあ中国に対抗できるレベルまで上げるとして、消費税を何%にするつもり?
社会保障削って、教育予算削って、それでも全然足りないよ。そこまで国民生活を犠牲にして、軍拡競争に付き合う覚悟があるの?
別にさ、「中国の属国になれ」なんて極論を言ってるわけじゃない。
ひれ伏せとか、言うことを全部聞けとか、そんな話はしてないんだよ。
ただ、「変な国、厄介な隣人とも、なんとか決定的な破局を避けてうまく付き合う」のが外交なんじゃないの?
話が通じない相手だからこそ、あの手この手で暴発を防ぐのが政治家の仕事でしょ。
その外交努力や、したたかな計算を放棄して、「あいつらは敵だ! 力で対抗だ!」って叫ぶのは、ただの思考停止だよ。
勇ましい言葉で支持者に向けてアピールするのは気持ちいいかもしれないけどさ。
「力による対抗」なんて選んだ時点で、基礎体力の違う日本にはもう「負け」が見えてるじゃん、むしろ。
喧嘩腰で睨み合って、偶発的な衝突でも起きたら一番損するのは誰か。
いい加減、現実見ようよ。
SNSではチームみらいのショート動画が得票の割に再生数少ないと指摘されているが、マーケティングの観点からは的外れ
なぜ彼らに支持が集まったのか。理由は極めてシンプル。みらいの提示した政策パッケージが、他党と比較して設計強度が圧倒的に高かったから。ただそれだけ。
得票分布のヒートマップを見れば一目瞭然だ。江戸川区や葛飾区では低調だが、中央区・港区・千代田区といった、いわゆるパワーカップルや高度専門職が集うエリアで支持がある。ここの支持層は日頃から膨大な文書を読みビジネスを動かしているホワイトカラー層だ。残酷なほどに、平均年収と支持率が正の相関を描いている。
そして彼らは、テキストを読むことに苦痛を感じない。むしろ15秒で消費されるだけのコンテンツに情報の欠落を感じ、不信感を抱くものだ。彼らはみらいのマニフェストを実際に読み、その持続可能な社会保障システムへの再設計案を自分で咀嚼し評価した。
一方で、ショート動画をバズらせていた他党の支持者は長文のテキストを読む習慣がなく、あるいは複雑な因果関係を理解できなかった。
誤解を恐れずに言えばショート動画というフォーマット自体が思考のリソースを節約したい層に向けた麻薬のようなものだ。それに脊髄反射して投票行動を決めてしまう層と、文章を読み込んでその実現可能性と自身の資産への影響を計算して投票する層の間には、富の格差以上に深い絶望的なまでの認識力の断絶が横たわっている。
おもしろいのは、この支持が都心部だけに留まらなかった点だ。これは陰謀論で言われているのとは異なり、東京ほどではないにせよ、一次情報に当たり政策を読み解くことができる層が関東以外にも残っていたという証左だ。場所がどこであれ、読む人は読むし、理解する人は理解する。動画しか見ない層を最初から相手にせずとも、文書を読める有権者だけを効率よく囲い込めばこれだけ戦えるということが証明されてしまった。
だが、ここからが大変だ。キャズムを超えマジョリティ層まで届かせるつもりなら、ショート動画でしか物事を判断できない層に向けて政策の解像度を極限まで下げたコンテンツを作らなければならない。論理を感情に翻訳し、正しさを削って分かりやすさを取る。 次の戦いはそこになるだろう。
サディスティック・ミカ・バンドの歴代ボーカリスト(ミカや桐島かれんなど)に対して、「歌唱力」という面で独特な印象を持つのは非常に鋭い視点です。
一般的な「歌の上手さ(音程の正確さ)」よりも、彼らが「キャラクター」や「華(カリスマ性)」を優先したのには、いくつか面白い理由があります。
リーダーの加藤和彦さんは、ボーカルをメロディを歌うだけの存在ではなく、バンドのアンサンブルを構成する「音色」の一つとして考えていました。ミカさんの少し危うげでコケティッシュな歌声は、緻密に計算されたプロフェッショナルな演奏の中で、絶妙な「外し」や「遊び」として機能していました。
サディスティック・ミカ・バンドは、音楽だけでなくファッションやアートを含めた総合的な表現を目指していました。
「素人っぽさや危うさ」がある方が、パンク的でファッショナブル、かつエキゾチックに見える。 という、当時のグラムロックやアート・ロック特有の美学がありました。
初代ボーカルのミカさんは、バンド名の由来でもあり、当時のクリエイティブな象徴でした。彼女のキャラクターそのものがバンドのコンセプト(自由、型破り、洒落っ気)を体現していたため、技術的な音程よりも「彼女がそこにいて歌うこと」自体に価値があったのです。
少し違う視点で見ると… 彼らの音楽は、バックバンドが日本最高峰の超絶技巧集団(高橋幸宏、小原礼、高中正義ら)です。あえてボーカルに「隙」を作ることで、バンド全体のサウンドに中毒性のあるギャップを生み出していたとも言えます。
SNSの「フォロワー数・いいね数・ビュー数」は、情報ではなく行動を誘導するための報酬装置で、しかも脳にとって最悪なタイプの「可変報酬(スロットマシン型)」になってる。
つまり、投稿の内容そのものより「評価されるかどうか」が主目的にすり替わるよう設計されてる。
で、一度それを内面化すると何が起きるかというと、
という風に、娯楽が「市場調査」へ変質する。
さらに厄介なのは、数字を消しても完全には治らない点で、脳内に「仮想いいねカウンタ」が残る。つまり「本当に楽しいか?」ではなく「伸びるか?」が無意識に走り続ける。
だからuBlock等で強制的に隠すのは合理的で、これは精神論じゃなくて環境設計。意志の力で勝てる相手じゃない。SNSは「自分が人間であること」を利用して最適化された捕食システムなので、UIを改造するのは護身術に近い。
https://anond.hatelabo.jp/20260210102032
当然ながら隷属しろってわけじゃないけど、
嘘はやめよう
世界各地で同じ口上ですね
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1769956
だそうですよ、マヌケ
そもそも中国と敵対するとかぶっ殺すぞとか言ったわけでもないのに
そのはるか手前の手前すら言ってはいけないっていうサラミ既得権益、
まともな企業なら進出先や取引先の政体や政情ぐらい当然計算に入れます。
あと中国人旅行客相手にオールインで商売してたのは同胞より中国人みたいですね……
中国人同士で商売して海外決済となると日本にお金落ちないインフラタダ乗りだし
観光客制限したのに日本人が悲鳴を上げてくれないので困りましたねえ。
それで、どう考えてるの?
イキりや嫌がらせが国益にすらなってないように見えますが大丈夫なんですかね?
仮に軟化してもその間に国民は損失を被ってるんだけど、
その時ですら強硬に出て良かったって言うの?
損をした人は中国への憎しみと警戒感を育てましょう。
本当に見事な手際ですね!
次の戦狼にも期待してまーす
おい、そこに座ってるお前だ。そうだお前。
画面の前で「無料ポーカーアプリで仮想マネー100億貯めた~w俺って才能ある?」とか言ってるおめでたい脳みそをしたお前のことだよ。
いい加減に目を覚ませ。
お前がやってるのはポーカーじゃない。「トランプの絵柄がついたデジタルゴミの交換会」だ。
それを「ポーカー」と呼ぶのは、フィレミニヨンと消しゴムのカスを同じ皿に盛って「これどっちも牛肉です」って言い張るくらい狂ってるんだよ。
今日はその腐りきった性根を叩き直してやるから、耳の穴かっぽじってよく聞け。
ポーカー、特にノーリミットホールデムというゲームがなぜ成立するか知ってるか?
金が減るのが怖い、失いたくない、だからブラフが効く。だからバリューベットが成立する。
「恐怖」と「欲望」のバランスの上で初めてGTOだのエクスプロイトだのが機能するんだよ。
ノーレートポーカー?
そこにあるのは「無」だ。虚無だ。
ゴミだ。
「ノーレートで10万ハンド回してウィンレート 20bb/100 でした!」
うるせえよ。
そのデータ、トイレットペーパーに印刷してケツ拭くのにも使えねえよ。
なんでかって?相手が「人間としての意思決定」をしてないからだ。
ノーレートのテーブルを見渡してみろ。地獄の釜の底みたいなメンツしかいない。
お前(養分A): 「GTO Wizardで勉強したレンジ通りに…ここは33%のCBを打って…」
相手(トロールB): 「うんこしてたら暇だから全部押すわw(72oでオールイン)」
これだぞ?
この状況で「俺のプレイは正しかったのか?」とか振り返ってる時点でお笑い草なんだよ。
「ポットの50倍ベット」とかいう、人類の歴史上ありえないアクションが飛んできた時、お前はどうする?
リアルマネーなら「こいつ頭湧いてんのか?ナッツか?」と長考してフォールドする場面でも、ノーレートなら「まあ負けてもタダだしwコールw」ってなるだろ?
その瞬間、お前のポーカー脳は死んだんだよ。
「失う痛み」が存在しない空間での意思決定は、すべてノイズだ。
何一つ、これっぽっちも、マイクロステークスの2NLを勝つための練習にすらなってない。
ノーレートにいる奴らの大半は、ポーカーをしに来てるんじゃない。「憂さ晴らし」をしに来てるんだ。
会社で嫌なことがあったから、画面の中のチップを無茶苦茶に投げ捨てて、真面目にやってるお前みたいな奴が困惑するのを見てニチャニチャ笑ってるんだよ。
彼らにとってチップは「無限に湧いてくる数字」に過ぎない。リロードボタンを押せば復活する命に、尊厳なんてあるわけないだろ?
そんな「無敵の人」相手に、まともなブラフが通用すると思うか?
「あ、降りないっすwだってタダだしw」
いいか、無料ポーカーアプリにはな、お前が脳死で「同意する」を押した利用規約の中にとんでもないことが書いてあるんだ。お前みたいな勘違い野郎を産まないためにな。
"Practice or successat social casino gamingdoes not imply future successat real money gambling."
(ソーシャルゲームでの練習や成功は、将来のリアルマネーギャンブルでの成功を一切保証しません)
タバコのパッケージに「吸ったら死ぬぞ」って書いてあるのと同じレベルの警告だ。これを無視して「俺は強い」とか言ってるのは、文字が読めないのか?
結局な、ノーレートでポーカーが上手いって言ってる奴は、「マリオカートが上手いから、F1レーサーになっても優勝できるわボケ」って言ってるのと同じなんだよ。
マリオカートでバナナの皮投げて1位取ったからって、時速300kmで走る鉄の塊の中でGに耐えながらコンマ1秒を削る勝負ができるわけねえだろ?
甲羅もスターも無い、自分の身銭を切る恐怖と戦うのが「ポーカー」なんだよ。
だから今すぐ貯金箱を叩き割って、ラスベガス行きの航空券を予約しろ。ベラージオでもARIAでもどこでもいい。冷房が効きすぎた本場のカジノに行って、現金の束をチップに変える時の手の震えを感じてこい。
それができないなら、一生「おはじき遊び」として楽しんでろ。ただし、二度と「ポーカーの実力」なんて言葉を口にするなよ。
分かったら散れ!
この記事はネタ記事です。実在する個人や団体、特定のゲームを攻撃する意図はありません。ノーレートポーカーはルールの学習や純粋な娯楽として非常に優れていますし、マリオカートも神ゲーです。なお、F1レーサーがマリオカートをやった場合、動体視力が良すぎて普通に優勝する可能性が高いですが、そこには触れないのが大人のマナーです。エンターテイメントとしてお楽しみください。
俺はさ、昔は「図書館で数学する!」みてーな些細な投稿をFacebookで友人にシェアして楽しんでたのよ。
それが今はどうだ?インプ?外発的モチベーションはすべてのやる気をなくすんだよ。
あの頃の俺にとって、数学の難問と格闘してノートを埋める時間は純粋に俺だけのものだったし、それをSNSに上げるのは、ただ「今、俺は充実しているぞ」というささやかな生存報告に過ぎなかった。
誰に評価されずとも、せいぜい身近な友人が数人「頑張ってるな」と「いいね」をくれるだけで十分満たされていたんだ。
しかし、いつの間にか世界は数字という名の毒に侵されてしまった。
投稿すれば表示回数が可視化され、どれだけ拡散されたか、どれだけ見知らぬ誰かの感情を揺さぶったかという指標が、自分の行動の価値を決定づけるようになった。
インプレッションという麻薬は、確実に俺の好奇心の根っこを腐らせていったんだ。
本来なら自分が面白いと感じるから解いていたはずの数式が、いつの間にか「どう見せれば反応が良いか」という計算にすり替わっていることに気づいた時の絶望感と言ったらねえよ。
外側から与えられる報酬や承認は、一度味わえばそれなしでは動けなくなる劇薬だ。
脳が数字の増減に一喜一憂するようになると、内側から湧き出ていたあの静かな情熱は、騒がしい通知音にかき消されて消えていく。
今や図書館の静寂さえも、映える写真を撮るためのセットにしか見えない。
結局、俺たちは自分の人生を誰かに見せるためのコンテンツとして切り売りし、その対価として最も大切な「没頭する喜び」を差し出してしまったんだ。
かつての無邪気な投稿を振り返るたびに、あの頃の自分が持っていた無敵の自給自足的な幸福が、今のこの空虚な数字の羅列よりもずっと価値があったのだと痛感させられる。
他人の目に映る自分を磨くことに必死になって、肝心の自分自身が空っぽになっていくこの感覚は、まさに現代の病そのものだろう。
勉強はできるかもしれないけど、文化大革命で文化が消失してるから、教養がまるでないんだよな
“計算の結果、麻疹のように感染力の強い病気ほど、最適な登園率は低くなり、同時に削減できる人件費は大きくなることが判明した”
“論文は、これが非倫理的な保育園のための指南書ではないと明記している。むしろ、こうした経済的インセンティブが構造的に存在することを明らかにし、制度的な対策の必要性を訴えるものだ。具体的には、出席率に応じて保育士を帰宅させる慣行の廃止や、保育士への有給病気休暇の付与が、このインセンティブを除去する方法として提案されている”
#ママ戦争止めてくるわが、44歳早稲田大学卒のエッセイストの女性が自分の子供にかけた言葉であろうとも、
母性信仰を前面に出してそれを利用して支持を集めようという計算があったからだろうに。
Permalink |記事への反応(10) | 17:38
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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## 1週間分の総括
この1週間は、選挙を中心とした政治・社会への高い関心が全体を貫きつつ、AIや投資など未来志向の話題と、食・旅行・趣味といった身近な雑談がバランスよく共存していた。
仕事や教育、医療といった現実的な課題への悩みが多く語られる一方で、新技術や文化を楽しむ姿勢も見られ、不確実な時代の中で生活を最適化しようとする等身大の大人たちの対話が印象的なログだった。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
その考えは半分は正しい。そして半分間違ってる。
まず正しい部分。どの調査方法でも完全に正しい情報を得ることはできない。
観察者効果といって、観察した時点で、観測データと事実の間にはズレが生じる。電話調査なら電話を取らない人の情報は欠落するし、極論したら電話を持ってない人の声は拾えない。ここまでは正しい。
次に正しくない部分。調査方法を電話調査と固定すれば、ズレは毎回同じ程度になる。
例えば前回の総選挙で電話調査によって事前推定した議席数(推定値)と、選挙の後の確定した議席数(真値)を引き算すればズレが計算できる。このズレは毎回同程度になる。
だから前回の総選挙で計算したズレをつかって、今回の電話調査での推定値を補正することで、より正確な推定値が得られるようになる。この仕組みがあるから、電話調査による予測はかなり正確で信頼できる。
もう少し正しい用語で説明する。まず、ズレは科学的には「誤差」と言う。
誤差には2つの側面があって、「正確度(=真値のとズレのばらつき)」と、「精密度、精度(=電話調査の結果のばらつき)」がある。
電話調査とか出口調査の報道は注意してみると、調査方法や調査人数、回答率、年齢、性別、などが細かく説明されている
これらの情報で正確度や精度がどの程度か、統計的に評価できるようになっている。
まず正しい部分。電話調査は正確度は低い。なぜなら観察者効果により調査結果にはバイアスが含まれている。(バイアスの例:電話に出ない人の投票行動がデータに反映されない)
超弦理論を物理として理解しようとすると、だいたい途中で詰まる。
なぜなら核心は、力学の直観ではなく、幾何と圏論の側に沈んでいるからだ。
弦の振動が粒子を生む、という説明は入口にすぎない。本質は量子論が許す整合的な背景幾何とは何かという分類問題に近い。分類問題は常に数学を呼び寄せる。
まず、場の理論を幾何学的に見ると、基本的にはある空間上の束とその束の接続の話になる。
ここまでは微分幾何の教科書の範囲だが、弦理論ではこれが即座に破綻する。
なぜなら、弦は点粒子ではなく拡がりを持つため、局所場の自由度が過剰になる。点の情報ではなく、ループの情報が重要になる。
すると、自然にループ空間LXを考えることになる。空間X上の弦の状態は、写像S^1 → Xの全体、つまりLXの点として表される。
しかしLXは無限次元で、通常の微分幾何はそのままでは適用できない。
ここで形式的に扱うと、弦の量子論はループ空間上の量子力学になるが、無限次元測度の定義が地獄になる。
この地獄を回避するのが共形場理論であり、さらにその上にあるのが頂点作用素代数だ。2次元の量子場理論が持つ対称性は、単なるリー群対称性ではなく、無限次元のヴィラソロ代数に拡張される。
弦理論が2次元の世界面の理論として定式化されるのは、ここが計算可能なギリギリの地点だからだ。
だが、CFTの分類をやり始めると、すぐに代数幾何に落ちる。モジュラー不変性を要求すると、トーラス上の分配関数はモジュラー群SL(2, Z) の表現論に拘束される。
つまり弦理論は、最初からモジュラー形式と一緒に出現する。モジュラー形式は解析関数だが、同時に数論的対象でもある。この時点で、弦理論は物理学というより数論の影を引きずり始める。
さらに進むと、弦のコンパクト化でカラビ–ヤウ多様体が現れる。
カラビ–ヤウはリッチ平坦ケーラー多様体で、第一チャーン類がゼロという条件を持つ。
ここで重要なのは、カラビ–ヤウが真空の候補になることより、カラビ–ヤウのモジュライ空間が現れることだ。真空は一点ではなく連続族になり、その族の幾何が物理定数を支配する。
このモジュライ空間には自然な特殊ケーラー幾何が入り、さらにその上に量子補正が乗る。
量子補正を計算する道具が、グロモフ–ウィッテン不変量であり、これは曲線の数え上げに関する代数幾何の不変量だ。
つまり弦理論の散乱振幅を求めようとすると、多様体上の有理曲線の数を数えるという純粋数学問題に落ちる。
ここで鏡対称性が発生する。鏡対称性は、2つのカラビ–ヤウ多様体XとYの間で、複素構造モジュライとケーラー構造モジュライが交換されるという双対性だ。
数学的には、Aモデル(シンプレクティック幾何)とBモデル(複素幾何)が対応する。
そしてこの鏡対称性の本体は、ホモロジカル鏡対称性(Kontsevich予想)にある。
これは、A側の藤田圏とB側の導来圏 D^bCoh(X)が同値になるという主張だ。
つまり弦理論は、幾何学的対象の同一性を空間そのものではなく圏の同値として捉える。空間が圏に置き換わる。ここで物理は完全に圏論に飲み込まれる。
さらに進めると、Dブレーンが登場する。Dブレーンは単なる境界条件ではなく、圏の対象として扱われる。
弦がブレーン間を張るとき、その開弦状態は対象間の射に対応する。開弦の相互作用は射の合成になる。つまりDブレーンの世界は圏そのものだ。
この圏が安定性条件を持つとき、Bridgeland stability conditionが現れる。
安定性条件は、導来圏上に位相と中心電荷を定義し、BPS状態の安定性を決める。
wall-crossingが起きるとBPSスペクトルがジャンプするが、そのジャンプはKontsevich–Soibelmanの壁越え公式に従う。
この公式は、実質的に量子トーラス代数の自己同型の分解であり、代数的な散乱図に変換される。
このあたりから、物理は粒子が飛ぶ話ではなく、圏の自己同型の離散力学系になる。
さらに深い層に行くと、弦理論はトポロジカル場の理論として抽象化される。
Atiyahの公理化に従えば、n次元TQFTは、n次元コボルディズム圏からベクトル空間圏への対称モノイダル関手として定義される。
つまり時空の貼り合わせが線形写像の合成と一致することが理論の核になる。
そして、これを高次化すると、extended TQFTが現れる。点・線・面…といった低次元欠陥を含む構造が必要になり、ここで高次圏が必須になる。結果として、場の理論は∞-圏の対象として分類される。
Lurieのコボルディズム仮説によれば、完全拡張TQFTは完全双対可能な対象によって分類される。つまり、物理理論を分類する問題は、対称モノイダル(∞,n)-圏における双対性の分類に変わる。
この時点で、弦理論はもはや理論ではなく、理論の分類理論になる。
一方、M理論を考えると、11次元超重力が低エネルギー極限として現れる。
しかしM理論そのものは、通常の時空多様体ではなく、より抽象的な背景を要求する。E8ゲージ束の構造や、anomalyの消去条件が絡む。
異常とは量子化で対称性が破れる現象だが、数学的には指数定理とK理論に接続される。
弦理論のDブレーンの電荷がK理論で分類されるという話は、ここで必然になる。ゲージ場の曲率ではなく、束の安定同値類が電荷になる。
さらに一般化すると、楕円コホモロジーやtopological modular formsが出てくる。tmfはモジュラー形式をホモトピー論的に持ち上げた対象であり、弦理論が最初から持っていたモジュラー不変性が、ホモトピー論の言語で再出現する。
ここが非常に不気味なポイントだ。弦理論は2次元量子論としてモジュラー形式を要求し、トポロジカルな分類としてtmfを要求する。つまり解析的に出てきたモジュラー性がホモトピー論の基本対象と一致する。偶然にしては出来すぎている。
そして、AdS/CFT対応に入ると、空間の概念はさらに揺らぐ。境界の共形場理論が、バルクの重力理論を完全に符号化する。この対応が意味するのは、時空幾何が基本ではなく、量子情報的なエンタングルメント構造が幾何を生成している可能性だ。
ここでリュウ–タカヤナギ公式が出てきて、エンタングルメントエントロピーが極小曲面の面積で与えられる。すると面積が情報量になり、幾何が情報論的に再構成される。幾何はもはや舞台ではなく、状態の派生物になる。
究極的には、弦理論は空間とは何かを問う理論ではなく、空間という概念を捨てたあと何が残るかを問う理論になっている。残るのは、圏・ホモトピー・表現論・数論的対称性・そして量子情報的構造だ。
つまり、弦理論の最深部は自然界の基本法則ではなく、数学的整合性が許す宇宙記述の最小公理系に近い。物理は数学の影に吸い込まれ、数学は物理の要求によって異常に具体化される。
この相互汚染が続く限り、弦理論は完成しないし、終わりもしない。完成とは分類の完了を意味するが、分類対象が∞-圏的に膨張し続けるからだ。
そして、たぶんここが一番重要だが、弦理論が提示しているのは宇宙の答えではなく、答えを記述できる言語の上限だ。
だからウィッテンですら全部を理解することはできない。理解とは有限の認知資源での圧縮だが、弦理論は圧縮される側ではなく、圧縮の限界を押し広げる側にある。