
はてなキーワード:言い知れぬとは
一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹いとこたちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴はかまをはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。醜く? けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、
といい加減なお世辞を言っても、まんざら空からお世辞に聞えないくらいの、謂いわば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、
「なんて、いやな子供だ」
と頗すこぶる不快そうに呟つぶやき、毛虫でも払いのける時のような手つきで、その写真をほうり投げるかも知れない。
まったく、その子供の笑顔は、よく見れば見るほど、何とも知れず、イヤな薄気味悪いものが感ぜられて来る。どだい、それは、笑顔でない。この子は、少しも笑ってはいないのだ。その証拠には、この子は、両方のこぶしを固く握って立っている。人間は、こぶしを固く握りながら笑えるものでは無いのである。猿だ。猿の笑顔だ。ただ、顔に醜い皺しわを寄せているだけなのである。「皺くちゃ坊ちゃん」とでも言いたくなるくらいの、まことに奇妙な、そうして、どこかけがらわしく、へんにひとをムカムカさせる表情の写真であった。私はこれまで、こんな不思議な表情の子供を見た事が、いちども無かった。
第二葉の写真の顔は、これはまた、びっくりするくらいひどく変貌へんぼうしていた。学生の姿である。高等学校時代の写真か、大学時代の写真か、はっきりしないけれども、とにかく、おそろしく美貌の学生である。しかし、これもまた、不思議にも、生きている人間の感じはしなかった。学生服を着て、胸のポケットから白いハンケチを覗のぞかせ、籐椅子とういすに腰かけて足を組み、そうして、やはり、笑っている。こんどの笑顔は、皺くちゃの猿の笑いでなく、かなり巧みな微笑になってはいるが、しかし、人間の笑いと、どこやら違う。血の重さ、とでも言おうか、生命いのちの渋さ、とでも言おうか、そのような充実感は少しも無く、それこそ、鳥のようではなく、羽毛のように軽く、ただ白紙一枚、そうして、笑っている。つまり、一から十まで造り物の感じなのである。キザと言っても足りない。軽薄と言っても足りない。ニヤケと言っても足りない。おしゃれと言っても、もちろん足りない。しかも、よく見ていると、やはりこの美貌の学生にも、どこか怪談じみた気味悪いものが感ぜられて来るのである。私はこれまで、こんな不思議な美貌の青年を見た事が、いちども無かった。
もう一葉の写真は、最も奇怪なものである。まるでもう、としの頃がわからない。頭はいくぶん白髪のようである。それが、ひどく汚い部屋(部屋の壁が三箇所ほど崩れ落ちているのが、その写真にハッキリ写っている)の片隅で、小さい火鉢に両手をかざし、こんどは笑っていない。どんな表情も無い。謂わば、坐って火鉢に両手をかざしながら、自然に死んでいるような、まことにいまわしい、不吉なにおいのする写真であった。奇怪なのは、それだけでない。その写真には、わりに顔が大きく写っていたので、私は、つくづくその顔の構造を調べる事が出来たのであるが、額は平凡、額の皺も平凡、眉も平凡、眼も平凡、鼻も口も顎あごも、ああ、この顔には表情が無いばかりか、印象さえ無い。特徴が無いのだ。たとえば、私がこの写真を見て、眼をつぶる。既に私はこの顔を忘れている。部屋の壁や、小さい火鉢は思い出す事が出来るけれども、その部屋の主人公の顔の印象は、すっと霧消して、どうしても、何としても思い出せない。画にならない顔である。漫画にも何もならない顔である。眼をひらく。あ、こんな顔だったのか、思い出した、というようなよろこびさえ無い。極端な言い方をすれば、眼をひらいてその写真を再び見ても、思い出せない。そうして、ただもう不愉快、イライラして、つい眼をそむけたくなる。
所謂いわゆる「死相」というものにだって、もっと何か表情なり印象なりがあるものだろうに、人間のからだに駄馬の首でもくっつけたなら、こんな感じのものになるであろうか、とにかく、どこという事なく、見る者をして、ぞっとさせ、いやな気持にさせるのだ。私はこれまで、こんな不思議な男の顔を見た事が、やはり、いちども無かった。
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第一の手記
恥の多い生涯を送って来ました。
自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。自分は東北の田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。自分は停車場のブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは停車場の構内を外国の遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。しかも、かなり永い間そう思っていたのです。ブリッジの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶん垢抜あかぬけのした遊戯で、それは鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ旅客が線路をまたぎ越えるための頗る実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚めました。
また、自分は子供の頃、絵本で地下鉄道というものを見て、これもやはり、実利的な必要から案出せられたものではなく、地上の車に乗るよりは、地下の車に乗ったほうが風がわりで面白い遊びだから、とばかり思っていました。
自分は子供の頃から病弱で、よく寝込みましたが、寝ながら、敷布、枕のカヴァ、掛蒲団のカヴァを、つくづく、つまらない装飾だと思い、それが案外に実用品だった事を、二十歳ちかくになってわかって、人間のつましさに暗然とし、悲しい思いをしました。
また、自分は、空腹という事を知りませんでした。いや、それは、自分が衣食住に困らない家に育ったという意味ではなく、そんな馬鹿な意味ではなく、自分には「空腹」という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。へんな言いかたですが、おなかが空いていても、自分でそれに気がつかないのです。小学校、中学校、自分が学校から帰って来ると、周囲の人たちが、それ、おなかが空いたろう、自分たちにも覚えがある、学校から帰って来た時の空腹は全くひどいからな、甘納豆はどう? カステラも、パンもあるよ、などと言って騒ぎますので、自分は持ち前のおべっか精神を発揮して、おなかが空いた、と呟いて、甘納豆を十粒ばかり口にほうり込むのですが、空腹感とは、どんなものだか、ちっともわかっていやしなかったのです。
自分だって、それは勿論もちろん、大いにものを食べますが、しかし、空腹感から、ものを食べた記憶は、ほとんどありません。めずらしいと思われたものを食べます。豪華と思われたものを食べます。また、よそへ行って出されたものも、無理をしてまで、たいてい食べます。そうして、子供の頃の自分にとって、最も苦痛な時刻は、実に、自分の家の食事の時間でした。
自分の田舎の家では、十人くらいの家族全部、めいめいのお膳ぜんを二列に向い合せに並べて、末っ子の自分は、もちろん一ばん下の座でしたが、その食事の部屋は薄暗く、昼ごはんの時など、十幾人の家族が、ただ黙々としてめしを食っている有様には、自分はいつも肌寒い思いをしました。それに田舎の昔気質かたぎの家でしたので、おかずも、たいていきまっていて、めずらしいもの、豪華なもの、そんなものは望むべくもなかったので、いよいよ自分は食事の時刻を恐怖しました。自分はその薄暗い部屋の末席に、寒さにがたがた震える思いで口にごはんを少量ずつ運び、押し込み、人間は、どうして一日に三度々々ごはんを食べるのだろう、実にみな厳粛な顔をして食べている、これも一種の儀式のようなもので、家族が日に三度々々、時刻をきめて薄暗い一部屋に集り、お膳を順序正しく並べ、食べたくなくても無言でごはんを噛かみながら、うつむき、家中にうごめいている霊たちに祈るためのものかも知れない、とさえ考えた事があるくらいでした。
めしを食べなければ死ぬ、という言葉は、自分の耳には、ただイヤなおどかしとしか聞えませんでした。その迷信は、(いまでも自分には、何だか迷信のように思われてならないのですが)しかし、いつも自分に不安と恐怖を与えました。人間は、めしを食べなければ死ぬから、そのために働いて、めしを食べなければならぬ、という言葉ほど自分にとって難解で晦渋かいじゅうで、そうして脅迫めいた響きを感じさせる言葉は、無かったのです。
つまり自分には、人間の営みというものが未いまだに何もわかっていない、という事になりそうです。自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の観念とが、まるで食いちがっているような不安、自分はその不安のために夜々、転輾てんてんし、呻吟しんぎんし、発狂しかけた事さえあります。自分は、いったい幸福なのでしょうか。自分は小さい時から、実にしばしば、仕合せ者だと人に言われて来ましたが、自分ではいつも地獄の思いで、かえって、自分を仕合せ者だと言ったひとたちのほうが、比較にも何もならぬくらいずっとずっと安楽なように自分には見えるのです。
自分には、禍わざわいのかたまりが十個あって、その中の一個でも、隣人が脊負せおったら、その一個だけでも充分に隣人の生命取りになるのではあるまいかと、思った事さえありました。
つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当つかないのです。プラクテカルな苦しみ、ただ、めしを食えたらそれで解決できる苦しみ、しかし、それこそ最も強い痛苦で、自分の例の十個の禍いなど、吹っ飛んでしまう程の、凄惨せいさんな阿鼻地獄なのかも知れない、それは、わからない、しかし、それにしては、よく自殺もせず、発狂もせず、政党を論じ、絶望せず、屈せず生活のたたかいを続けて行ける、苦しくないんじゃないか? エゴイストになりきって、しかもそれを当然の事と確信し、いちども自分を疑った事が無いんじゃないか? それなら、楽だ、しかし、人間というものは、皆そんなもので、またそれで満点なのではないかしら、わからない、……夜はぐっすり眠り、朝は爽快そうかいなのかしら、どんな夢を見ているのだろう、道を歩きながら何を考えているのだろう、金? まさか、それだけでも無いだろう、人間は、めしを食うために生きているのだ、という説は聞いた事があるような気がするけれども、金のために生きている、という言葉は、耳にした事が無い、いや、しかし、ことに依ると、……いや、それもわからない、……考えれば考えるほど、自分には、わからなくなり、自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖に襲われるばかりなのです。自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。
そこで考え出したのは、道化でした。
それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。
自分は子供の頃から、自分の家族の者たちに対してさえ、彼等がどんなに苦しく、またどんな事を考えて生きているのか、まるでちっとも見当つかず、ただおそろしく、その気まずさに堪える事が出来ず、既に道化の上手になっていました。つまり、自分は、いつのまにやら、一言も本当の事を言わない子になっていたのです。
その頃の、家族たちと一緒にうつした写真などを見ると、他の者たちは皆まじめな顔をしているのに、自分ひとり、必ず奇妙に顔をゆがめて笑っているのです。これもまた、自分の幼く悲しい道化の一種でした。
また自分は、肉親たちに何か言われて、口応くちごたえした事はいちども有りませんでした。そのわずかなおこごとは、自分には霹靂へきれきの如く強く感ぜられ、狂うみたいになり、口応えどころか、そのおこごとこそ、謂わば万世一系の人間の「真理」とかいうものに違いない、自分にはその真理を行う力が無いのだから、もはや人間と一緒に住めないのではないかしら、と思い込んでしまうのでした。だから自分には、言い争いも自己弁解も出来ないのでした。人から悪く言われると、いかにも、もっとも、自分がひどい思い違いをしているような気がして来て、いつもその攻撃を黙して受け、内心、狂うほどの恐怖を感じました。
それは誰でも、人から非難せられたり、怒られたりしていい気持がするものでは無いかも知れませんが、自分は怒っている人間の顔に、獅子ししよりも鰐わによりも竜よりも、もっとおそろしい動物の本性を見るのです。ふだんは、その本性をかくしているようですけれども、何かの機会に、たとえば、牛が草原でおっとりした形で寝ていて、突如、尻尾しっぽでピシッと腹の虻あぶを打ち殺すみたいに、不意に人間のおそろしい正体を、怒りに依って暴露する様子を見て、自分はいつも髪の逆立つほどの戦慄せんりつを覚え、この本性もまた人間の生きて行く資格の一つなのかも知れないと思えば、ほとんど自分に絶望を感じるのでした。
人間に対して、いつも恐怖に震いおののき、また、人間としての自分の言動に、みじんも自信を持てず、そうして自分ひとりの懊悩おうのうは胸の中の小箱に秘め、その憂鬱、ナアヴァスネスを、ひたかくしに隠して、ひたすら無邪気の楽天性を装い、自分はお道化たお変人として、次第に完成されて行きました。
何でもいいから、笑わせておればいいのだ、そうすると、人間たちは、自分が彼等の所謂「生活」の外にいても、あまりそれを気にしないのではないかしら、とにかく、彼等人間たちの目障りになってはいけない、自分は無だ、風だ、空そらだ、というような思いばかりが募り、自分はお道化に依って家族を笑わせ、また、家族よりも、もっと不可解でおそろしい下男や下女にまで、必死のお道化のサーヴィスをしたのです。
自分は夏に、浴衣の下に赤い毛糸のセエターを着て廊下を歩き、家中の者を笑わせました。めったに笑わない長兄も、それを見て噴き出し、
「それあ、葉ちゃん、似合わない」
と、可愛くてたまらないような口調で言いました。なに、自分だって、真夏に毛糸のセエターを着て歩くほど、いくら何でも、そんな、暑さ寒さを知らぬお変人ではありません。姉の脚絆レギンスを両腕にはめて、浴衣の袖口から覗かせ、以もってセエターを着ているように見せかけていたのです。
自分の父は、東京に用事の多いひとでしたので、上野の桜木町に別荘を持っていて、月の大半は東京のその別荘で暮していました。そうして帰る時には家族の者たち、また親戚しんせきの者たちにまで、実におびただしくお土産を買って来るのが、まあ、父の趣味みたいなものでした。
いつかの父の上京の前夜、父は子供たちを客間に集め、こんど帰る時には、どんなお土産がいいか、一人々々に笑いながら尋ね、それに対する子供たちの答をいちいち手帖てちょうに書きとめるのでした。父が、こんなに子供たちと親しくするのは、めずらしい事でした。
「葉蔵は?」
何が欲しいと聞かれると、とたんに、何も欲しくなくなるのでした。どうでもいい、どうせ自分を楽しくさせてくれるものなんか無いんだという思いが、ちらと動くのです。と、同時に、人から与えられるものを、どんなに自分の好みに合わなくても、それを拒む事も出来ませんでした。イヤな事を、イヤと言えず、また、好きな事も、おずおずと盗むように、極めてにがく味あじわい、そうして言い知れぬ恐怖感にもだえるのでした。つまり、自分には、二者選一の力さえ無かったのです。これが、後年に到り、いよいよ自分の所謂「恥の多い生涯」の、重大な原因ともなる性癖の一つだったように思われます。
自分が黙って、もじもじしているので、父はちょっと不機嫌な顔になり、
「やはり、本か。浅草の仲店にお正月の獅子舞いのお獅子、子供がかぶって遊ぶのには手頃な大きさのが売っていたけど、欲しくないか」
欲しくないか、と言われると、もうダメなんです。お道化た返事も何も出来やしないんです。お道化役者は、完全に落第でした。
「本が、いいでしょう」
長兄は、まじめな顔をして言いました。
「そうか」
父は、興覚め顔に手帖に書きとめもせず、パチと手帖を閉じました。
何という失敗、自分は父を怒らせた、父の復讐ふくしゅうは、きっと、おそるべきものに違いない、いまのうちに何とかして取りかえしのつかぬものか、とその夜、蒲団の中でがたがた震えながら考え、そっと起きて客間に行き、父が先刻、手帖をしまい込んだ筈の机の引き出しをあけて、手帖を取り上げ、パラパラめくって、お土産の注文記入の個所を見つけ、手帖の鉛筆をなめて、シシマイ、と書いて寝ました。自分はその獅子舞いのお獅子を、ちっとも欲しくは無かったのです。かえって、本のほうがいいくらいでした。けれども、自分は、父がそのお獅子を自分に買って与えたいのだという事に気がつき、父のその意向に迎合して、父の機嫌を直したいばかりに、深夜、客間に忍び込むという冒険を、敢えておかしたのでした。
そうして、この自分の非常の手段は、果して思いどおりの大成功を以て報いられました。やがて、父は東京から帰って来て、母に大声で言っているのを、自分は子供部屋で聞いていました。
「仲店のおもちゃ屋で、この手帖を開いてみたら、これ、ここに、シシマイ、と書いてある。これは、私の字ではない。はてな? と首をかしげて、思い当りました。これは、葉蔵のいたずらですよ。あいつは、私が聞いた時には、にやにやして黙っていたが、あとで、どうしてもお獅子が欲しくてたまらなくなったんだね。何せ、どうも、あれは、変った坊主ですからね。知らん振りして、ちゃんと書いている。そんなに欲しかったのなら、そう言えばよいのに。私は、おもちゃ屋の店先で笑いましたよ。葉蔵を早くここへ呼びなさい」
また一方、自分は、下男や下女たちを洋室に集めて、下男のひとりに滅茶苦茶めちゃくちゃにピアノのキイをたたかせ、(田舎ではありましたが、その家には、たいていのものが、そろっていました)自分はその出鱈目でたらめの曲に合せて、インデヤンの踊りを踊って見せて、皆を大笑いさせました。次兄は、フラッシュを焚たいて、自分のインデヤン踊りを撮影して、その写真が出来たのを見ると、自分の腰布(それは更紗さらさの風呂敷でした)の合せ目から、小さいおチンポが見えていたので、これがまた家中の大笑いでした。自分にとって、これまた意外の成功というべきものだったかも知れません。
自分は毎月、新刊の少年雑誌を十冊以上も、とっていて、またその他ほかにも、さまざまの本を東京から取り寄せて黙って読んでいましたので、メチャラクチャラ博士だの、また、ナンジャモンジャ博士などとは、たいへんな馴染なじみで、また、怪談、講談、落語、江戸小咄こばなしなどの類にも、かなり通じていましたから、剽軽ひょうきんな事をまじめな顔をして言って、家の者たちを笑わせるのには事を欠きませんでした。
自分は、そこでは、尊敬されかけていたのです。尊敬されるという観念もまた、甚はなはだ自分を、おびえさせました。ほとんど完全に近く人をだまして、そうして、或るひとりの全知全能の者に見破られ、木っ葉みじんにやられて、死ぬる以上の赤恥をかかせられる、それが、「尊敬される」という状態の自分の定義でありました。人間をだまして、「尊敬され」ても、誰かひとりが知っている、そうして、人間たちも、やがて、そのひとりから教えられて、だまされた事に気づいた時、その時の人間たちの怒り、復讐は、いったい、まあ、どんなでしょうか。想像してさえ、身の毛がよだつ心地がするのです。
自分は、金持ちの家に生れたという事よりも、俗にいう「できる」事に依って、学校中の尊敬を得そうになりました。自分は、子供の頃から病弱で、よく一つき二つき、また一学年ちかくも寝込んで学校を休んだ事さえあったのですが、それでも、病み上りのからだで人力車に乗って学校へ行き、学年末の試験を受けてみると、クラスの誰よりも所謂「できて」いるようでした。Permalink |記事への反応(1) | 20:22
ラーメン特集の番組で、リポーターがめちゃくちゃ旨そうにチャーシューを食べていた。
チャーシューが美味しいというラーメン屋は家からちょっと遠くて、思い立ってすぐに行ける距離ではなかった。
いいな、チャーシュー食いたい。
そう言ったのを彼女が覚えていたらしく、仕事でそっち方面に行った帰りに、その店のチャーシューをテイクアウトしてくれた。
「ありがとう。一緒に食べる?」
「ううん、いい。ラーメン食べてきたから、お腹一杯なの。ラーメンもすごく美味しかったよ」
あー、うん、そうなんだ。
いや、チャーシュー買ってきてくれただけでも嬉しいけどさ。
言い知れぬもやっと感。
「えー?言ってくれれば、買ってきたのに。麺とスープ、買えたんだよ」
じゃあ買ってきてくれよ!
どう考えても話の流れ的に、チャーシューだけ食べたいって言ってるわけじゃないの分かるだろ!?
ラーメン食ってる番組見て、あの店のチャーシューうまそう、食いたいって言ったら、ラーメン込みで食いたいってわかるだろ!?
読解力も察する力もゼロかよ!
堀江は東大中退で知られており、学力ポテンシャルで言えば同学年の上位0.3%に当たる偏差値80相当の人間である。経済的にも成功している。その立場からすれば、「境界知能」などというマイノリティの知的弱者を仮想敵にしなくとも、世の中の大半の人間を「愚民」と見下していても誰もあえて疑問には思わないだろう。それが「境界知能」を連呼し執拗に敵意をむき出しにすることに、倫理的な問題以外にも言い知れぬ違和感を受けるのは増田だけだろうか。堀江の立場であえて「境界知能」をターゲットにする異質性と心理分析を簡単にまとめる。
境界知能とは、IQの分布において平均-σ~-2σの範囲を指す概念である。その定義から、統計的にそれなりには数のいる存在であり、正規分布に則れば7人に1人ほど存在する。小中学校の各班に1人いるかいないかくらいの「ちょっとトロい」くらいの人間を指す。
これを、同じように統計的な概念である偏差値に置き換えるなら、偏差値40~30に相当する。IQテストの偏差値をつけたとき、だいたい偏差値30台に当たるのが「境界知能」という概念だということだ。
そのことを踏まえると、堀江の行為は(テストの種類が違うものの)偏差値80がわざわざ中間層をすっ飛ばして偏差値40以下のマイノリティを執拗に敵視するという非常に奇異な現象になる。この異質な心理の可能性を以下に3つ上げる。
可能性としてもっとも合理的なものは、堀江がすべて理解した上で、自分の「金づる」層である、そんなに成功してもいないがプライドだけは高く、見下せる相手を常に探している知的中間層を手なづける手法として、意図的にマイノリティの「境界知能」をターゲットにしているという解釈である。
この場合論理的には何も矛盾は生じなくなるが、堀江という人間の人間性の評価がこれまでにもなく下がることになる。これはナチスや極右政権が大衆を操るために弱者をあえて「敵」という凶悪な存在にしたてあげ、攻撃をあおるのとまったく同じである。人間として最後の倫理観も投げ捨てた存在に成り下がる。
これはたまたまなのだが、増田はもう何年も前に、テレビの「大規模IQテスト」的な企画に参加している堀江を見たことを覚えている。その番組では、堀江は100そこそこのIQという結果になっており、IQと学力はあまり関係ないんだなあと、受験を控えた増田は勇気付けられたものである。
さて、仮にこの番組、あるいは番組外でのIQテストの結果に堀江自信も何らか思うところがあって、「自分は平均的な知能である」ということに他人が想像する以上のこだわりを持っていたらどうだろう。もしかすると、堀江は「自分は平均的な普通の人間なのだから、自分を理解しないのは異常な、少数の特に知能の劣る相手でなければならない」というコンプレックスといえるまでの卑屈な考え方をしている可能性がある。先の例で言う「知的中間層」に、無自覚に心からのシンパシーを抱いているということになる。
しかしその場合、なんという惨めな話だろう。堀江の経歴をもってして、そこまで卑屈に考える必要があるのだろうか。病的と言えるまでの深層的な自己評価の低さがあるのかもしれない。
第三の、あまりありそうでもないように思えるもののなくはない可能性は、このような論理的な思考回路がもう既に堀江の脳には一切残っていない可能性である。自覚的に言葉を曲げてるわけでも、病的なコンプレックスで盲目になっているわけでもなく、「境界知能」のような少数弱者に対して自分のような成功した立場からかように執拗な攻撃を繰り返すことの異常性に、客観的にまったく気づけないという可能性である。
「境界知能」のような科学的に定義のあり、統計的に必ず一定数出てくるマイノリティを異次元の存在のように悪魔視、あるいは単に自分の敵対者に対する口触りのいいレッテルとして連呼して、恥も何も感じないほど知性というものに対する鋭敏さが鈍ってしまったのだとすれば、かつての時代の寵児としてそれはとても悲しいことである。
まとめると、堀江の「境界知能」連呼には、倫理的な問題もさることながら、堀江の経歴から発される言葉としては群を抜いて異質なものがある。これが「明確に憎悪煽動を意図したもの」なのか、あるいは「異常な自己評価の低さから来るコンプレックス的な反応」、また「鈍りきった知性」、いずれから来るものにしろ、堀江貴文という人間の経歴全体を見てもとてつもなく大きな問題の発生を感じさせる。
やってることを単にそのまま表現すれば、しつけの悪い小学生が、それがどれだけ重い言葉かもわからず「○イジ」などの差別語を連呼するのとまったく変わらない。ただ、今は「その言葉」は放送禁止用語などになっていないというだけの話である。それをこのような立場で、公の場でこれだけ平気で繰り返すということの異常さに、堀江本人、そして堀江の回りの人間、堀江の批判者、みながあまりにも反応が鈍すぎやしないかと思う。
それとも、もう日本全体から、これがどれだけタガの外れた行為かを感じとるようなセンサーが消え失せてしまったとでも言うのだろうか? 日本の「知性」の誠実さが問われる。
飲みたくなって調べてみたら、予想の倍くらいの値段。
映画館で何本観れるかっつー話よ。
そう、映画の『ロスト・イン・トランスレーション』。
作中でダイアモンドユカイが、いっちゃん高い酒だよっていうわけ。
そのCM撮るんだから、もっといいリアクションしろよってビル・マーレイに。
それにしたって高いね、響。
外国からベテラン俳優呼んでまで、こんな高い嗜好品のCM作って儲かるんかね。
変な映画だよ。
俺ですらそうなんだから、外国人の主演2人はより違和感があったろうね。
その居心地の悪さが、そのまま作中で2人の心理を表現してるってわけだ。
2人の現状、関係性。
色んな歯車が嚙み合っていないまま、それでも回り続けている感じ。
でも響は買わないよ。
ルリドラゴンの登場人物たちがお行儀が良すぎるってのは俺も思うが、その代わりとして出てきた話が粗末すぎる。さてはマトモに読んでねえな。
まず青木ルリの能力は未知数かつ不安定、だがそのどれもが超人的であるため、露骨なイジメなんて怖くてできない。1話で暴発した能力ですら、近くにいた男子が酷い目に合ってるしな。作品の世界観的にあれくらいのノリで済んでるけど、実際あの時点で取り返しのつかない展開になってるだろうな。そんな相手にレイプとか性的暴行なんて無理。変な病気もらうかもしれないし。
それを踏まえた上で、お行儀悪いバージョンのルリドラゴンを羅列していく。当然100%妄想だが、元増田よりは体裁を整えた話にしてる。ただし「ルリドラゴンはあれでいいんだよ」って当てつけも込めてるので、ぶっちゃけ面白くない。
俺の考える『ルリドラゴン』は大まかに三部構成に分かれる。第一部は、ドラゴンの力に目覚めた青木ルリの日常が徐々に崩壊していく話だ。
最初のうちはクラスメートや周りの人も受け入れようと振る舞う。しかしルリは言い知れぬ“隔たり”を感じていた。今までマトモに接してこなかった相手から向けられる、好奇心や疑念入り混じる視線。以前から仲の良かった友達も、表面上は変わらないがどこか壁を感じる。決定的な衝突は起きないものの、真綿で首を絞めるような息苦しい環境。それは着実にルリの精神を蝕んでいく。
しばらく経ったが事態は好転せず、この頃にはルリはもうギリギリ。あとは誰がそのきっかけになってもおかしくない状態。で、マンガによくいるような粗野な馬鹿グループがやらかす。度胸試し的なノリで、ルリにちょっかいをかけるわけだ。そこでルリの友達が見かねて間に割って入るんだが……その後の展開は推して知るべし。
まあ、ここで死人が出てしまうとその後の展開が窮屈になるから、馬鹿グループは全治数か月の重傷ぐらいにしとくか。で、ルリを助けようとした友達は意識不明の重体にしよう。ちなみに友達がそうなったのはルリの能力のせいじゃなくて、馬鹿グループが「「邪魔すんじゃねえ」って突き飛ばしたのが原因だった……ってことが後に判明する。
何はともあれ、誰が悪いとか言ってられるような状況じゃなくなった。ルリは学校にいられないし、ルリ自身も行きたいと思っていないだろう。事態は学校だけで留まるはずがなく、周囲からの無知無理解に翻弄されてルリと家族はマトモに外も歩けない。こうして逃げるように引っ越したところで第一部が終了。
第二部は田舎での生活が始まる。マンガでよくある村社会的な展開で、ここでも居心地の悪さを多少は描いておきたい。
だが、それだけだと一辺倒なので、原作でもあったルリが天候操作をする展開をここで持ってくる。その力を目の当たりにした住民たちはルリを神格化する。で、ちょっとカルトじみた組織ができて、祀り上げたりする。「竜神ルリ様」なんていわれたりしてさ。
ルリは以前の学校生活のツラい経験もあって、その待遇を最初のうちは「自分が認められている」と満更でもなかった。だが、徐々に「なんか違う」って思い始める。そして組織の思想と活動がより強固になっていく過程で、もはやルリ本人の気持ちなんてどうでもいいんだと気づく。
この頃のルリは「もう自分の居場所は人間の世界にはないのかも」、「そもそも自分は何なのか」と思っていた。そのためには自分に流れる竜の血を、自分が生まれたルーツを、父親であるドラゴンを知る必要があると考える。そうして一人旅に出るところで第二部終了。
ちなみに第二部は『BLOOD-C』的な展開でもいいかなあとは思ってる。その場合でもルリは人間社会に絶望して、ドラゴンを探す旅に出るのは同様。ちなみにルリの親はこのあたりで死なせといていいかもな。狂信者が「龍神に人間の親などはいらない」とか言い出してやられるわけ。
ルリが各地を転々と巡ってドラゴンについての情報を集めていく。基本的には1エピソード数話の構成で、そういう漫画にありがちな悲喜こもごもな人間ドラマを描いていく。人間のどうしようもない情念だったり、めちゃくちゃ厳しい人達が不意に見せた優しさだったり。その過程でドラゴンの秘密が徐々に明らかになったりならなかったり。
色々な人たちとの一期一会を経ていく中で「人間は良いとか悪いとか、そんな単純なものじゃない」と思うと同時に「それって“人間”の話であって、じゃあ自分(ルリ)って何なの。やっぱり自分の居場所はココじゃないのでは」と思うのであった。
で、最終的に明らかになる真実は「そもそもドラゴンなんて存在しなかった」という展開。つまりルリはドラゴンと人の間に生まれた子供ではなかった。まあ人間とドラゴンがセックスして子供が生まれるわけないわな。生まれたとしても異形児だし、すぐ死ぬだろう。
じゃあルリがどう生まれたかというと、要は科学の力ですよ。マッドなやつらが「人類を更なる高みへ!」って感じで作ったわけ。数々の異能力も、とにかく超自然的なものを入れただけ。ルリの見た目も能力もドラゴンとは何の関係もない。
誤算だったのは、ルリは生まれてしばらく経っても人間とほぼ変わらない状態だったこと。失敗作だと判断し、処分することになるわけだ。でも、この時の担当者が処分するフリをして、自分の子供として育てるっていう……まあ、よくある話だわな。
このことを育ての親である本人の口から明かすって展開でもいいけど、第二部の終盤で死なせているパターンのほうがいいかな。真実を告げないままルリの親として死んでいった、ってのが後になってから分かる方がグッとくる。そして第三部で判明したころには手遅れで、ルリには帰る場所もなくて、かといって自分が進むべき場所も分からず仕舞いでより無常感がでる。
第三部の話を書いている間に飽きてきたんで、まあこの辺で。仮に第四部があるなら、他にもルリみたいなキメラが実はいるって話になるかな。
そいつらと共に「自分たちキメラの居場所を~」みたいなX-MEN的な話になるけど、如何にもな引き延ばし展開しか思いつかない。書いてる俺ですらウンザリしてるんだから、読んでる側はもっとウンザリだろ。だからルリドラゴンは、あれでいいわけだ。元増田の人生がどうとかルリドラゴンとは何の関係もないんで。
露悪的な物語や表現って、エログロナンセンスに片足突っ込んでると思うんだわ。激辛料理をダラダラ汗を流しながら食べるのも、それはそれで楽しいけどさ。それはあくまで刺激から得られる体験であって、そんなので腹を満たしてたら胃が荒れるって話よ。
https://h-navi.jp/column/article/35028531
息子を産んで2年間が過ぎたころ、ほかの子とはあきらかに違う行動をとる息子に言い知れぬ不安を感じ、専門医を受診しました。自閉症(※当時の診断名。現在は自閉スペクトラム症)と診断されました。
息子は自傷行為、パニックが激しく「一生これが続くのではないか」と絶望的な気持ちになりました。
放課後等デイサービスで出会ったダウン症候群の子どもたちの中には言葉が出ていない子もいましたが、たとえ言葉がなくても「他人とコミュニケーションがとれていてうらやましい」とも思いました。
夏休み保育の手伝いとして、親が何日かスタッフとして入る機会があったのですが、息子は私が部屋に一歩足を踏み入れた途端、「ここは自分の母親がいるべき場所ではない!何故だ!何故だ!おかしな構図ではないか!」と思ったのか、自傷しパニックを起こし、服を脱いで全裸になって暴れました。
それに対して、ダウン症候群の子どもたちは親の姿を見ると、嬉しそうにすり寄っていました。この様子を見て「出生前診断を受けたことはつくづく意味がなかった」と思いました。
メディアが不審な点を指摘しないことに言い知れぬ不安と、容疑者の私怨として事件を矮小化させているように感じる。
陰謀論だと唾棄するのは思考停止だと思う。賛同でも反論でもかまわないので、皆さんの意見を聞きたい。
山上容疑者は鉄砲玉(オトリ)で、当時、2人以上のスナイパーが周辺のビルに潜んでいた。
山上容疑者による2回目の発砲を合図に、前述のスナイパーが安倍元総理を狙撃した。
結論を書くと、「弾丸は左上腕から頸部(首)を貫通したのに、緊急搬送前の出血が異様に少なかった」点に違和感がある。
7/14時点の記事によると、奈良県警は以下の発表を行なっている。
>被弾した傷は首と左上腕の少なくとも2カ所で、司法解剖の結果、死因は左上腕から入った銃弾で左右の鎖骨下にある動脈を損傷したことによる失血死。
https://news.yahoo.co.jp/articles/993bca5f71f49e6961b8412783c51da3f8b72e62
一方、事件当日、奈良県立医大の担当医は「頚部に2つの銃槍があった」「左の肩に傷があり、おそらく、射出口ではないか」と説明した。
https://youtu.be/WnFjLFXS8x4?t=476
https://youtu.be/WnFjLFXS8x4?t=668
奈良県警は「弾丸は左上腕から入った」と、担当医は「弾丸は頸部から入った」と説明している。
奈良県警の説明が正しいのであれば、左上腕から頚部を貫通したのであれば、首元に大量の出血があるはずだ。
しかし、銃撃された直後の安倍元総理の写真を見ると、首元の出血が少ない。
パチンコ玉が左上腕から頚部に貫通するほどの威力なのに、左上腕も頸部も損傷が小さい。
この違和感に対して、以下の動画が合理性のある説明をしている。
要点としては「心臓や動脈の損傷具合から推測するに、安倍元総理の上方から頚部を狙撃された可能性が高い」とのこと。
私は中年の男性で配偶者もおらず、孤独の日々を過ごしております。
この頃はリモートでの業務も多く、人との関わりもますます減って参りました。
とはいえ職場に親しい間柄と言える人間ももともとおりませんでしたので、結局はなにも変わりません。
そうは言ってもインターネットの、そしてSNSの賑やかな雰囲気には惹かれるものがあり、暇があればTwitterを眺め、人との簡易的な関りをそれに求めていました。
TikTokは短い動画がたくさん投稿されているSNSで、若者がほとんどですが、中には私と同じくらいの中年も混ざり必死にダンスを踊っていました。
中年のダンスなどだれも見向きはしないだろうと思いましたが、以外にも好意的な評価も多く、女子高生や女子大生と思われる女の子からもコメントをもらっていました。
私は、せっかくだから自分も参加してみようと思い、慣れないダンスを覚え、動画を投稿してみました。
しかしながら、私の動画は再生される事なく、コメントももらえませんでした。
私は失意のうちにアプリを閉じました。
それでも次の日、私は再びTikTokを開きました。
若者たちが、元気にダンスを踊ったり、おどけたりする様子が非常に快く、それらは私を元気づけ、私の孤独の日々に彩りを与えるように私は思ったからです。
そのようにして沢山の若者の投稿を見るうちに、私は何か創造欲求のようなものを抱きました。
その時、ふと私は下半身に強い衝動を覚えました。みると私のちんぽが勃起していたのです!
私はこれだ!と思いました。
早速、ティッシュを持ってくるとTikTokで「バーレスク東京」と調べ、彼女たちの投稿に合わせて、私は私のちんぽをしごきました。
私の創造は閃光のような恍惚とともに一瞬のうちに終わりました。ティッシュにはまるで藤田嗣治のそれのような見事な乳白色の絵の具がぶちまけられていました。
私は、深い息を吐きながら、言い知れぬ達成感を覚えました。
幾日かすると私はその創造行為だけでは、衝動を抑えられなくなりました。
私は私の投稿に対して、女子高生や女子大生からの反応が欲しいと強く思うようになりました。
その強い創造欲求が私に動画投稿を促す事もありましたが、一方で冷静な私は、そのような動画に反応はもらえない、20代の女性から「ファンです。結婚してください。」というコメントは貰えない、という事を強く自覚していました。
私は深く悩みました。
「ドリアン」は、最新鋭の音声投稿のみによって交流が行われるコミュニティアプリです。
私は、「この禿げ上がった頭も、ぶよぶよと全身を覆う脂肪ももはや関係ないんだ!」と思い、天にも昇る気持ちでした。
容姿とは裏腹に、私は声にはとても自信がありました。
恐らくこの声をフル活用すれば、女子高生や女子大生は私のとりこになるに違いありません。
私は早速投稿をはじめました。
「ドリアン」では日常のちょっとしたことの報告や一発ギャグなどを投稿します。
私はユーモアがありますから、私の投稿は途端に人気になりました。まだまだ発展途上で人が多くないのもその理由かもしれません。
いまでは私は「ドリアンこそ、私の居場所だ!」と思っています。
「ドリアン」にはもちろん若い女の子もいますから、タイムラインからは女の子の声も聞こえてきます。
私はそれを聞くたびに強い創造欲求を覚えながら、「私の声」で女の子に語りかけます。
エヴァについて色々質問してくる娘に答える。昔流行ったアニメであること。今も作られ続けていて、今度ようやく完結すること。画面の中で動くキャラの名前と兵器のこと。あれこれと説明していく私の横で、娘は一言こう言った。
「面白い?」
私は答えられなかった。あらためて新劇場版を前にして、序を見ても、破を見ても、浮かんでくるのは「懐かしい」「キャラがかわいい」という感想だけで、「やっぱり面白いな」という感覚が私の中になかったのだ。1995年のテレビ版と2007年の序を観た時には確実に心にあったものが、今はすっかり抜け落ちていた。
一体私は、あのアニメの何を楽しんでいたのだろうか?
1995年当時、エヴァが社会的にヒットした理由は「新奇性」なのだと思っている。暗い世界観、謎に満ちたストーリー、コンプレックスを抱えたキャラクター、迫力の戦闘シーン、人間ドラマ、そして何より「空気感」。
後世に残る大ヒットをかました作品は、往々にしてその時代の空気感を反映している。エヴァというものは今までに無かったもので、そこに震災やらオウムやら世紀末やらといった「世相」が絡まっていた。1995年に生きた人間にしか分かり得ない何かがあって、でもそれは2021年からは振り返れない何かであって、その熱量が本物だったから、エヴァは時代を超えるアニメになったのだと思う。
当時小学生だった私は、エヴァの裏にある複雑なストーリーは理解していなかったが、「何か凄い」という感覚だけは頭の中にずっと走っていた。それは私よりずっとずっと大人の人も同じ感覚だったのだろう。「〇〇みたいなアニメ」という枠で語れない、それが新世紀エヴァンゲリオンであった。
新奇性がそこにあった。時代の先駆者となれたからこそ、25年も続くアニメシリーズが作られ続けたのだ。
しかし、今は違う。エヴァンゲリオンフォロワーは世の中に多く溢れかえり、設定も、キャラクターも、その後に続くフォロワー達の中に埋もれていった。アニメの表現が自由になるにつれて、「エヴァっぽさ」は1995年という文脈から独立して一人歩きを始め、当時の世の中を取り巻いていた空気は、25年の歳月の中で霧散していた。
スペースオペラの金字塔を打ち立てたスターウォーズが、新三部作で散々な評価を受けたように、またオープンワールドの先駆けたるシェンムーが、20年の時を経てリリースされた3で大ゴケしたように、時代の先駆者は、往々にしてその後のフォロワー達からの突き上げにあい、自分の立ち位置と時代性を見誤る。オリジナルからのブラッシュアップを得たフォロワー達は、技術進歩と数の恩恵を受け、先駆者を時代遅れへと追いやっていく。
それでも、先駆者は死なない。死ぬのは2番手以降の粗製品だ。一番乗りにはブランドと、話題性と、そして神話があるのだ。
その神話はエヴァにおいては非常に重かった。定期的(と言えるか微妙な間隔)に公式から供給がある。あのころのファンは存命で、まだ強い熱量を持っている。そして何より、エヴァはまだ完結していないのだ。
しかし、序からでさえ14年経った。もう時代遅れなのではないだろうか。2021年の空気感を捉え、エヴァを完結へと導くには、あまりに長すぎる時が経ってしまったのではないだろうか。私は一挙放送でそう感じてしまったのだ。
それは私が大人になったからなのかもしれない。色々な作品を観てきたうちに、珍しさも目新しさも感じなくなり、エヴァそのものへの興奮が薄れてきたからかもしれない。
隣に座っていた娘におそるおそる聞いて見た。「エヴァ、面白いと思う?」
私が子どものときに抱いた感想と同じであった。娘は娘で、エヴァを「なんかすごい」ものだと思っている。
子どもは面白さに敏感だ。面白いものを前にしているときは、外から分かるぐらいはっきりと目がキラキラする。しかし、画面の前に座っていた娘の目は、Youtubeを見ているいつものときとあまり変わらなかった。
娘は派手なシーンでよく「すごい」と言う。それは恐らくアクション映画を観る感覚であり、一瞬一瞬のパーツの面白さを味わっているのだろう。TwitterやTikTokの動画のようなインスタントな面白さが、ハイテンポで繰り返される、その状態をすごいと表しているのだと思う。
「〇〇とどっちが面白い?」口にしかけた言葉はすんでのところで飲み込んだ。
Twitterで散見された感想も、ほとんどはキャラクターへの感情だけであり、ストーリーや、世界観や、その他色んな「エヴァらしさ」に触れている人はあまりいなかった。ハッシュタグを追って見ても、あのころを懐かしむ意見ばかりで、新たにエヴァの世界に参入してきた人は見かけなかった。
もう、そこには「新奇性」は無いのだ。世界観も、メカニックも、専門用語の羅列によるバトルシーンも。何なら綾波やアスカといったキャラクターすら、無数のフォロワー達によって「よくあるもの」となっていた。新世紀から20年経ち、時代はエヴァを完全に置き去りにしていた。
でも、エヴァはまだ死んでいない。新劇場版4部作、中でもアニメと大きく異なる3、4作品目、ここにまだエヴァが残されている。エヴァらしさのほとんどは時代によって風化したが、まだ、一番大きなものが残っており、ファンもそれを強く求めていた。
そして、その期待を受けて出来上がったのが他ならぬ「エヴァQ」であったのだ。
私は、エヴァQは残された「エヴァらしさ」を極限まで追求した結果生まれたものだと思っている。その純化した素材は、考えられる限り最悪の料理を作り出したわけだが。
何も描かれていない背景の下でぐりぐり動くメカ、声優と口調以外に面影のないキャラクター、そして「難解」というよりも「支離滅裂」なストーリー。最先端だったアニメ表現は当たり前のものとなり、1995年の空気感どころか、2012年当時の空気感すら作れていなかった。
Qを観て、私は思ってしまった。目の前で繰り広げられる群像劇の一つひとつが、キャラクターの心情を深掘りするのではなく、制作者の考えたオ○ニーを少年少女に代弁させているだけのような気がしてしまったのだ。ただただ意味の無いセリフが飛ぶ奇妙な寸劇を眺めて、言い知れぬ不快感を覚えてしまったのだ。17年の集大成が結局ただのキャラ萌えであり、もうエヴァはとっくに時代に耐えられないのだと、そう感じてしまったのだ。
だけど、エヴァがどこかに向かって逸れていくのは、きっと仕方がないことだ。エンディングをぶん投げてから25年、今さら「シンジ君がサードインパクトを止めて世界を救いました」では、ファンが許さない。時代が進むにつれエヴァは古くなっていき、それに反比例するようにハードルは上がっていく。
もう一度エヴァが築き上げたものを再構築し、あの熱狂を甦らせようと、制作者はエヴァらしさを突き詰め続けた。ただ、その先に、未来が無かっただけなのだ。
一体私は、このアニメの何を楽しんでいたのだろうか?
3月8日、いよいよ新劇場版最終作が公開される。私も娘を連れずに観に行くつもりだ。
しかし、正直きちんと完結するとは思えない。毎週更新され続けたテレビアニメ版ですらまとめきれなかったのだ。たった4作で綺麗に締められるわけがない。
ただもし完結することがあったなら、ファンがかける言葉はきっと、「面白かった」や「つまらなかった」よりも、「完結おめでとう、お疲れ様」なのだと思う。それはまるで野球選手の引退試合のように、時代と戦い続けた者を称え、時代に敗れた者を見送る、そんな言葉がたくさん注がれるのだと、私は強く思っている。
俺たちはドッペルを追いかけた。
だけどスタートダッシュで引き離されているのもあって、差を縮めるのは困難を極めた。
さらにドッペルは右に曲がったり左に曲がったり、フェイントを入れて直進したりしてくる。
俺たちはそれに後手で反応しなくてはいけないので、どんどん心身が削られていく。
特に痛かったのは、最も体力のあるシロクロが早々にリタイアしたことだ。
「回り込んでやるぜ」と別ルートを走っていって、それっきり。
あいつのことだから、たぶんドッペルの逃げる方向と逆に行ってしまったんだろう。
「シロクロは当てにできなさそうだけど、私たちも回り込むべきかしら?」
「だめだ、その隙にドッペルに変装されたら見失ってしまう。このまま視界に入れ続けて追いかけるべきだ」
この時、参謀役のミミセンは既に体力の限界がきており、脳に酸素が行き渡っていなかった。
そのせいで「三手に分かれるなりすればいい」という発想が出てこなかったんだ。
ブレインであるミミセンがその調子なのだから、俺とタオナケはひたすら走り続けるしかない。
アドレナリンっていうんだっけ。
そういうホルモン的なものが分泌されまくって止まらないんだよ。
「待ってくれ……」
「話を、話をしましょう……」
「もう話すことなんてないよ!」
「いや、ある、あるはずなんだ!」
ここで見失えば、ドッペルは二度と俺たちの前に姿を現してくれない。
そんな漠然とした不安だけが、今の俺たちを突き動かしていたんだ。
実際のところ、クラスメートだから明日には学校で会えるんだけど、そこまで考えを巡らせる余裕はなかった。
大した理由なんてないけれど、この時の俺たちにはそれで十分だったんだ。
どれくらい経っただろうか。
ドッペルは走り疲れて、その場にへたり込んだ。
それを確認したと同時に、俺も近くで崩れ落ちる。
こっちも本当にギリギリだったので助かった。
「はあ……こんなに走ったの久しぶりなんだけど、前は何の時だったっけ」
「ああ、それよ、それ。あの時はドッペルがいたから、もう少し楽できてたけど」
息を切らしながら、ドッペルとタオナケは何気ない言葉を交わした。
「あ、そうだったかしら」
結局、ドッペルの言っていた“自分”とは何なのか、その答え合わせはしなかった。
でも、そんなこと関係ない。
本音で包み隠さず、何でも話すことだけが仲間の条件じゃあないからだ。
「見つけたぞ! ここまでだドッペル!」
「遅いよ、シロクロ」
「お前……マジで何してたんだよ」
そう言って袋からペットボトルを取り出すと、それぞれ俺たちの方へ放り投げてきた。
気を利かせたつもりなんだろうけど、そもそもシロクロがヘマしなければ、こんなに汗をかかなくて済んだんだ。
言い知れぬ不満を抱えながら、俺たちはペットボトルの詮を開けた。
プシュッと大きな音をたて、飲み口からどんどん液体が溢れてくる。
「シロクロ、これ強炭酸……」
まあ、お汁粉とかコーンポタージュじゃないだけマシってことにしよう。
カフェとか遊園地とか水族館でキャラクターぬいぐるみの写真を撮っている女性をしばしば見かけるが、あれを見ると言い知れぬ気恥ずかしさと衛生観念的拒否感がある。
気恥ずかしさについては見知らぬ大人が過去に取り残してきた幼児性のような部分を勝手に知ってしまったような感覚に陥るせいだと思う。
人形遊びは子供の遊びだなんて言うのは暴論だと思っているし、決してそう思っているわけではないが、やはり自分の感覚ではあまり人前でやるようなことではないなと思ってしまう。
衛生観念的拒否感については小さい時におもちゃを食卓に持ち込むと怒られていたのを思い出すからかもしれない。自分がこういった方を見かけるのは大体飲食店なのだが、食べ物に近い位置におそらくいろいろな場所に持っていったであろう人形を近づけることにあまり抵抗がない人が多いんだろうか。
社会はそういう方々を結構サラッと受け入れていてすごいと思う。
追記:
>試しに自分でやってみ
やってみたら楽しいのかもしれないが、幼少期に人形遊びにハマったことがないので感覚として遊び方が分からない気がする。いわゆる戦隊フィギュアとかポケモンとかそういうの持ってたけど、棚に入れて眺めてるタイプであまり触りたいと思わなかった。
>男性もいるよ
男性は自分の観測範囲だと高そうな撮影機材でドールとかフィギュアを一人で撮っている方という印象が強いから、人形より機材に目がいくかもしれない。女性はグループで堂々と広げていてふとした時に目に付くとおどろく。
増田は別に課金してまで応援したいものでもないな、ぐらいの熱意なんでしょう?
でもそのLINEライブ?やらを見た別の地域の人間がなんか面白そうだし金余ってるし課金しまくって自称アイドルから他称アイドルにしてやるか、っていう別ベクトルの熱意を持った奴が出てくるのを待ってるんでしょ
ここで重要なのは熱意だからって同じ価値観じゃなくてもいいってところなんだよね。まぁ勿論、ドルが求めてる層が増田みたいなライトな楽しみ方を求めてる層じゃなくて金だけ出してくれる層を求めてるのかもしれないけどね。
そこで迷うなら別に去ってもいいと思うよ。そして去ってしまった人数を知って焦る地下ドルを見て言い知れぬ高揚感を感じてもいいかもしれない。
私の故郷はとても寒い場所にあって、そこで大人になるまで暮らしていました。
事情があって町を出てから初めて、あぁ、私はここから本当に離れたかったのだなと気がつきました。
一人暮らしを始めた日は大雨警報が出ていて、ラジオからは空港で足止めになった人がインタビューを受ける声が聞こえました。
これから暮らす知らない街は嫌がらせのように道が入り組んでいて、番地の順番はひどく不規則でした。土砂降りの中、散々迷ってほうほうのていでアパートに辿り着いたとき、私は全身ずぶ濡れで、まるで服のままシャワーを浴びたかのようでした。
電気がまだ通っていなかったので部屋の中は真っ暗でした。ドアを開けると、安くて古い家特有の匂いがして、一歩進むごとに床がぎしぎし鳴りました。アパートの廊下の灯りに照らされて、自分だけの部屋に一人佇む私のシルエットが浮かぶのが見えました。
それを見た瞬間、お腹の底からわーっと力強いエネルギーのようなものが湧き上がってきました。
半径数十、いや数百キロメートル圏内には私のことを知っている人はたぶん誰もいなくて、その事実はしびれるような幸福感をもたらしてくれました。
****
色々な街に住むための行動を起こしたのではなく、そのときどきで必要な行動をした結果色々な街に住むことになったのですが、
無意識のうちに移動を伴うような選択をしてきたのかもしれません。
夜の車窓から見える街の明かりのせいで心細くなるので、旅は好きではありませんが、
知らない街でそこの住人に擬態して生活するのはとても楽しいことでした。
その土地の美しい景色、独自の生活様式、特徴的な食べ物、そしてそこに住む人々について知るたびに、自分がまるで文化人類学者であるかのような気がしました。
そして、
何か嫌なことがあったり、滅多にないことでしたが人間関係にまつわるトラブルに見舞われたとき、
最悪引っ越せばいい、と思えるようになってからは、悲しい気持ちや、人への執着や、期待といったものを水に流すことができるようになりました。
****
今の街に来てから、もう四年間が経ちました。
適度に都会だけれども人々にはよそよそしさがなく親しげで、食べ物も美味しくて、とてもいいところだと思います。
ですが、しばらく同じ場所に住んでいると何だか息苦しくなってきて、変化が欲しくなってきます。
本来ならばこんなに長くここにいるつもりはなかったのですが、なぜ留まり続けているかというと我ながら陳腐だなぁと少し呆れるのですが、好きな人ができたからです。
ここに来てしばらくして知り合ってすぐ好きになってしまったのですが、半ば世捨て人のような生活をしてきたので自分に自信がなく、そのため何らかの働きかけをする勇気が出ませんでした。なので、特別な関係になりたいとは考えていませんでした。
そう思っていたのですが、ちょっとしたきっかけでとても親しくなって、一年ほど前からお付き合いしています。
その人は、私と雰囲気は少し似ているのですが、
穏やかで、よく考えてからゆっくり話すタイプで、生まれてからずっとここで暮らしていて、子供の頃からの友人と今でも親しくしていて、とにかくそういった意味で全然性質が違う人です。
ずっと一緒にいたいなと思います。真偽のほどは不明ですが、その人も同じように言ってくれます。
ある日、一緒に遠出したときに、私たちの住む街を見下ろせる小高い丘のようなところに行きました。
道中で、この街が好きですかと恋人に尋ねました。彼は、好きですねと答えました。
眼下に広がる街の明かりはとても綺麗で、繋がれた手のおかげで心細くなかったのですが、
私はずっとこの街で暮らすのだろうか?本当に?
****
ときどき漠然とした言い知れぬ不安に襲われるのは、私のアイデンティティが脅かされているからだと思います。
ずっと同じ場所で暮らしていくのなら、これまでのやり方、最悪引っ越せばいいという姿勢ではいられません。
それに、恋人と過ごしていると、自分の境界がわからなくなるような気持ちになるのでした。
うまく言えないのですが、
一緒にいると、彼の体から出てくる粒子の細かい不思議な粉が私の肺の奥深くまで入り込んで、頭がだんだんぼうっとしてきて、
そうしている間に二の腕やらふくらはぎやらの軟らかい場所から順番に食べられていくようなイメージが浮かびます。
最近では、自分が無意識のうちに彼のような言動や考え方をしていることがあります。
このまま放っておくと、私は恋人とこの街に徐々に侵食されて、いつか個を失ってしまうのではないかという気がしています。
でも、それも悪くないと考える自分もいます。それどころか、むしろそうしたいとすら思っているのかもしれません。最近は自分のことがよくわからなくなってきています。
だんだんぼんやりしていく頭の中で、今まで暮らしてきた街の景色や人々、初めて一人暮らしをしたときのわくわくするあの感じ、寒くていつも天気が悪い白くて小さな私の故郷のことなどを考えて、
旅をしてきたのではないはずなのに、楽しい旅だったなと、胸のところがすうすうするけれども懐かしくて暖かい気持ちになって涙がこぼれました。
Permalink |記事への反応(29) | 02:09
水出しホットコーヒーを飲み終わり、家路に着いて、飯を食って、出すもん出して、ベッドに突っ伏しても、俺の言い知れぬ違和感は払拭されることがなかった。
むしろ、あのブックカフェに通うたび、それは徐々に顕在化していく。
「アイスで」
数週間ほど経った頃、店では緩やかな変化が起きていた。
店内にいる客は平均2~3人だったのが、ここ最近は10人近くまで及んでいたんだ。
「ここも随分と賑やかになったな……」
マスターいわく、最近の繁盛っぷりは栞サービスのおかげらしい。
特に好評だったのが、栞に本の感想を書くという独自の文化だった。
当初は一部の客だけがやっていた行為だったが、それが他の利用者の目にも留まった。
すると本を読む常連客の間で慣習化し、それを聞きつけて新規客も増えているんだとか。
「感想書くんなら、あんな小さい紙切れより、もっといいものがいくらでもあるだろうに」
「まあ、あれくらいコンパクトなものの方が、彼らにとっては丁度いいのかもしれませんね」
タケモトさんの隣席には、同じく常連のセンセイが座っていた。
理解に苦しんでいるタケモトさんに対し、センセイは違う視点から分析を試みているようだ。
「丁度いいって何だよ。ああいうのを他人の目に入るところで書く奴ってのは、自己顕示欲とか承認欲求の強いタイプだろ。短い文章でそれを満たせんのか?」
「うーん、もしかしたら“そこまでのものじゃない”のかもしれませんね」
「あん? どういうこったよ」
わかめ酒をやってみようとその場のノリで決まったのだが、振付師をやっているというアラサーの彼女とはその時点でそれほど深い仲でもなかった。大久保のネパール居酒屋で、オメガラーメンの話題で盛り上がり意気投合したのがきっかけで、それから1、2度周辺の店で会ったくらいだ。一部のラーヲタのあいだで話題になっている程度のマイナーなジャンルを知っていたくらいなので、変わったことが好きな人なのだろうという印象くらいしかなかった。目鼻立ちがはっきりしていて、母親がフィリピン人で父親が日本人なのだという。
普通の部屋でやると床が汚れるので、ホテルのバスルームでやろうということになった。日本酒でわかめ酒ができるくらいの量だと多くて飲みにくいのでビールでやることにして、コンビニでビールの500ml缶を2本買った。これだとわかめビールだけど、まあいいだろとふざけながらホテルに行った。
さらに想定外のことに、互いに服を脱いでバスルームに入ってから気づいたのだが、振付師は仕事柄VIO脱毛をしているのだといって、わかめすらなかった。光が七色に変化していくジェットバスの縁に座って脚をぴったりと閉じてもらい、その間にビールを注いで飲むと、なんのことはない、生暖かいビールの味がした。振付師は終始ハイテンションで笑っていたが、脚を開いてもらい、ビールの味がする突起を舐めると、わりとハスキーな普段の声からは意外な声を出した。
その後はベッドルームで時間までダラダラしながら振付師の仕事の話を聞いた。わりと有名なアイドルグループの曲から、地方のご当地アイドルまで、さまざまな案件の振付をしてまわっているらしい。かぎられた時間と予算ですべてのグループにオリジナリティあふれる振付をするわけにもいかないし、またそういうものはメインとなるファンには求められていないので、アイドルグループのジェネリック振付みたいなものをベースにして作っていくのね、そしてそれは、じつはバナナラマがもとになってる、のだそうだ。バナナ……?なにそれ?と聞き返してしまった。
ベッドルームには大きなテレビがあって、YouTubeの動画も見られるようになっていたので、振付師は器用にリモコンから検索してバナナラマの動画を出してくれた。それを見たとたん、うわ、ださっ!と思わず声に出してしまったのだが、踊っている3人の白人女性の動きをよく見ると、たしかに現代の日本のアイドルグループみたいだった。だが言い知れぬ違和感があった。
まあ、ださいよね、でも、日本のアイドルグループには基本的に、かっこいいコンテンポラリーダンス的な振り付けは求められてなくて、あまり新しいアプローチを入れても人気は出なくて。結局こういう振り付けに落ち着くんだ、と振付師は解説してくれた。
現代のアイドルグループの振付が、80年代のイギリスのグループの振付と基本的に変わっていないことはもうちょっと知られてもよいのかもね、などという話をしながら近くの韓国料理屋でサムギョプサルを食べてから別れた。
「お前も初詣か?」
「ついでついで。カンって人に出店の手伝いに駆り出されてさ」
あの人ならいるだろうとは思ったが、オサカがそれを手伝ってるってのは予想外だ。
「“カン先輩”やダボが。目上を敬う心を持てぃ」
「後輩を“ダボ”呼ばわりする人間を敬うなんて無理な話だ。ゴジラがドロップキックする位ありえない」
「なんや、その例えは」
恐らく俺が今回の手伝いを断ったため、代わりに誰かいないかと知り合いを辿っていき、最終的に行き着いたのがオサカなのだろう。
カン先輩のことだから、あの手この手の屁理屈で圧していったのは想像に難くない。
「お前ら、お参り済んだんやったら手伝わんか?」
そしてカン先輩は隙あらば俺たちを標的にしようとする。
その商魂にシビれや憧れは感じないが、新年から相変わらずだとは思った。
「いや、俺たちは初日の出を見に行くんで……」
身も蓋もないことを言ってくる。
正直なところ俺たちも薄々そう感じてはいたが、新年からカン先輩の手伝いをするよりはマシだ。
「まあ、そういうことなんで、すいません……」
脱法餅にも、その粘りを分け与えるべきだ。
「しゃあないなあ。じゃあ、ウチの綿菓子持ってけや」
そう言ってカン先輩は、イラスト入りの袋に綿菓子を詰め込み始めた。
「友達のヨシミで、ふたつ300円にしたるわ」
手伝いが無理だと分かると、カン先輩は俺たちを顧客として認識したようだ。
「いや、だったらタダにしてあげなよ」
「そんなことしたら、店が潰れるわいダボ。綿菓子作るのだって金いるんやぞ」
「だとしても、砂糖を繊維状にしただけで何百もするわけない」
「分かってへんなあ。綿菓子機のレンタルと、出店のショバ代。このイラスト入りの袋もろもろ含めたら、これくらい取らないと赤字やねん」
尤もらしく言っているが、カン先輩はそれら経費をほとんどタダ同然で済ましている。
以前、そのことを自慢げに話していた。
それはそうと、オサカと口論になっている今がチャンスだ。
「じゃあ、そろそろ行かないと……」
二人に聞こえないような声でそう呟くと、俺たちはそそくさと神社を後にした。
戻る途中、また思いがけない人物と対面した。
「あ、キミたち」
「げっ、ガイドか」
シロクロのところに居候していて、自分が未来からやってきたとかほざく胡散臭い輩だ。
最近はあながち嘘でもないと思うようになったが、やはり全体的に漂ってくる雰囲気が苦手である。
「シロクロ見なかった?」
「さっき、コンビニ近くで酔っ払ってたのを見たぞ」
「あー、やっぱり。酒を飲みたいって言うから、ボクのアイテムで気分だけでも盛り上げようとしたんだけど、盛り上がりすぎたみたいでさ。いきなり叫びながら走り出しちゃって……」
「お前のせいかよ」
普段、シロクロのお目付け役みたいな感じで振舞ってはいるが、こいつも別ベクトルで非常識だ。
「じゃあ行ってみるよ……あ、そうだ」
「近々イベントが起きるから、気だけは引き締めておいてよマスダ」
俺だけに聴こえるよう、そう小さく呟いた。
全く要領を得ないが、こいつのことだから不穏だってのは確かだ。
「イベントって何だよ?」
「次元規定法に引っかかるから、これ以上は言えない。じゃあね!」
それじゃあ、何も言っていないのと同じだ。
当然のように次元なんとやらってルールを持ち出してきたが、それも始めて聞いたぞ。
同じ目的らしき人たちも、まばらにいた。
「遅かったね」
「寄り道したなあ? 焼き鳥、完全に冷えちゃってるじゃんか」
「ほら、もうすぐだよ」
「そろそろの筈……だよな?」
首を傾げながら、時間を何度も調べる。
天体物理学なんて俺には分からないが、それでも日が昇っている時間なのは明らかだ。
「どういうことだ?」
市長が思いつきで作った風力発電所や、最近ラボハテが建てた複数のビル。
それでも見える隙間は存在したが、それを埋めたのが天気だった。
予報では晴れだったし実際その範疇ではあったが、雲が絶妙な位置で日の出を遮っていたのである。
「弟くん、残念だね……って寝てる」
初日の出を見れなかったからといって、実際問題どうってわけじゃない。
だが、この新年の出来事は、俺たちに言い知れぬ陰りを残していった。
輸出管理問題で輸出規制だと騒ぎ続ける韓国だけど、正直なところ、徴用工問題(日韓請求権協定破棄問題)、火器管制レーダー照射問題、日韓慰安婦合意破棄問題に続いて、あまりの筋の通らなさに怖くなってきた。
今回の場合は、包括優遇措置を安保関連の疑義で停止するが、韓国が話し合いを一方的に拒絶してきた3年間分の使途不明なフッ化水素の行方を明らかにして改めて申請すれば、輸出するよという話なのだが、
国民の大多数にも火がついて、日本製品の輸送を韓国内の輸送業者が拒絶する、レクサスを破壊する、ユニクロへ行って商品を口紅などで毀損する、製品を商店が扱わないなどの行動に出ているし
実に国民の6割以上が、この活動に参加しているか、参加を検討していると、韓国のメディアが世論調査を行ったり、不買運動を報じ韓国人はその運動を称賛していると言うんだから驚くしかない。
更に言えば、請求権協定で終わってる話では?と言う河野外相のインタビュー記事を韓国紙が報じれば、大統領が親日だと名指しで攻撃し、国民が廃刊を請願しているというから仰天だ。
今、日本人旅行者が韓国の食堂に入れば、頼んだ食事に唾や痰を入れる位の事はしてきても不思議じゃない位の不気味な怖さがある。
この1年の間に、韓国政府や韓国人の集団との間に論理的な会話は不可能なのではないか?と言う疑問が湧いてくる出来事が続いている。
日本に仕事や留学で来ている韓国人の個々人には良い人もいるし、全く彼らは嫌いではないのだけど、一連の事件を受けて少し韓国人との距離を取った方が良いという気持ちになっている自分もいる。
国家間の合意を簡単に反故にする事に疑問をもたない反対しない国と、どんな価値観が共有可能なんだろう。約束を守らず事実を容易に捻じ曲げて理解する国民性を持つ国と、どう接すればいいのだろう。
韓国人の中に「土着倭寇」と呼ばれ韓国でも攻撃される二国間の合意は政府が代わっても拘束する事を理解している人々はごく少数でしかない事が分かってくると、言い知れぬ恐怖が漂ってくる。
しかも徴用工問題では、ほかならぬ韓国政府が、請求権協定で決着済みであることを理解し、韓国人への補償を行う道義的責任は韓国政府にあると過去に2度も法改正を行って補償をしている事実すら無視している。怖いなんてものじゃない。
中国人とは、今なら香港の事とかを普通に話せてるんだけど・・・
韓国の恐ろしいところは、条約を結んで以降の両国の対応の経緯を理解して、ムンジェインは廬武鉉政権時に補償を決めた際に、その決定に関与していたじゃないかと言える土着倭寇は30%以下で
大多数はその逆で不買運動に参加する人々であるという事だ。これでは道理が全く通らないはずだ。
この気持ち悪さは、韓国人の集団との間にコミュニケーションする意味を失わせるくらいの威力があるよ。全く理解できない。
(追記)
昔のことをふと思い出した。
大学生のころ、ベトナムやタイを一人で旅行していた時に、韓国人の女の子と知り合ってしばらく一緒に旅行して回った事があった。
ホイアンで写真を撮ってくれと頼まれて、ホイアン内の何カ所かで写真を撮りたいというのでOKして小一時間ほどカメラマンになって、お礼にと言うので食事を奢ってもらってって感じで
二人でいるときはいい子だったけど、他の韓国人に日本人と仲良くしてる事を知られる事を怖がってて、急に壁を感じる事があったのを思い出した。集団になった時の韓国人ってこういう事なんだよな。
Permalink |記事への反応(41) | 08:48
経過報告です→anond:20190522165250
先日、ほくろを取ったのでその話をしたい。
なんでしようと思ったかというと、仕事しなきゃなんだけどやること多すぎて現実逃避したいのと、
Twitterでほくろ取った~って言ったら「いいな」とか「自分も取りたい」といったような反応する人が結構いたから。
顔に取りたいほくろがある人の参考になれば幸い。
まず場所だけど、鼻の下のど真ん中にある。人中?とか上唇溝とか言われるところ。
大きさ(直径)は2mm弱?くらい。ぷっくりしている。
生まれつきのホクロではない。中学生か高校生の頃、気づいたらぽつんとあって、最初は平たくて小さかったけれど、徐々に膨らんできた。
【取るに至った経緯】
場所が場所だし、よく「ゴマついてるよ(笑)」とか言ってからかわれたので、
社会人になったら絶対取ると決めていたのだが、なかなか本気になれなかった。
2年くらい前、1度本気で取ろうと思って調べたら、形状によっては皮膚科で保険適用で取れるというのを知ったけど、
そのあとの日焼けすると痕が残るとかで、ケア的に冬に手術するのがいいというのを知っていったん見送った。
それから気づいたら冬が過ぎ、そしてまた冬が過ぎ、取るタイミングを見失い続けていた。
先日、顔面を戸棚で強打し、目の周りを怪我してしまったのだけど、その時に「何科にかかればいいんだ……?」と調べたところ
形成外科というものを知る。その時見つけた病院のホームページを見たら美容外科も併設しており、
ほくろ除去もしているというので、とりあえず怪我を見せるついでに話を聞こうと思った。これがGW前の話。
【診察~手術まで】
診察のついでに「形成外科」のくくりでほくろについて相談してみる。
この時担当してくれた先生がすごい早口オタクみたいな話し方する人で、なんというか句読点がない話し方をするので話がイマイチ分からなかった。
が、図を描いてほくろの取り方を教えてくれた。
一つ目がレーザーなりメスなりでほくろをくりぬく方法。ほくろは根っこのように皮膚の中まで入りこんでいるので、表面を削るのではなく抉らなければならないとのこと。くりぬいたあとは自然治癒力に任せ、しばらくはぼこっと穴が開いている状態だか自然と皮膚が元の状態に戻ろうとするので平になるらしい。
二つ目が広範囲に(アーモンド形に)ほくろを切り取って縫合する方法。こっちの方が治りは早いけど抜糸の痕が残る。場所的にはお勧めできない。
保険適用で1万ちょっと。多分1つ目の方法になるので長期戦を覚悟すること(だから結婚式とか大切な予定があるならいったん手術を見送ってくれと言われた)
「ほくろ取るのは冬の方がいいとか聞いたことあるんですけど、どうですかね」と聞いたら「別に関係ないでしょ」という答えだったのでとりあえず手術を予約した。私が行った病院では手術を担当できる先生は常駐していないので、その日にあわせて予約を入れておくシステムだった。
【手術】
ドキドキしながら手術日。化粧していいかとか聞くの忘れていたので、日焼け止めを塗る程度にして一応日傘を持っていく。
Tシャツとロンスカみたいな適当な恰好で病院に到着。しばらく待合室で待たされたあと、診察の時のような軽い感じで名前を呼ばれ手術室に入る。
手術室は手狭だったが、医療ドラマで見るのとほとんど一緒だった。着替えもせず、そのまま靴だけ脱いで台に横になる。
最初に執刀する先生から説明がある。ほくろの状態・大きさからして、ほくろをくりぬいて縫合はしないパターンで行く、とのこと。おけまる。
歯医者さんで使うみたいなほっそい注射器で麻酔をされるんだけど、とにかくこれが痛かった。もうアラサーなのに涙がでた。先生も焦って「痛かったよな~」とか声かけてくれるレベル。曰く唇周辺は一番感覚が鋭い場所なので、痛みもひとしおだと言う。ついで痛いのは掌らしい。
麻酔が効いてきたら、これまた医療ドラマで見るような、患部(?)の部分に穴が開いている青い布をばさっとかけられる。それからメスでほくろをえぐりとられるのだが、麻酔のおかげで全く痛みもなく、何なら触られている感じすらいまいちしなかった。
途中で先生が「うーん、切れ味悪いな……おーい、(看護師)さーん、11番とって」と言い出した時は言い知れぬ不安を感じたが、無事終わった。
手術が終わると鏡でほくろ(があった場所)を見せてくれる。グロ画像注意という感じだった。ほくろがあった場所にぽっかり穴があいている。
そのあと今後のケアについて説明。軟膏を塗って、ある程度傷口がふさがるまでとにかく乾かないようにする。一度かさぶたにしてしまうと治りが遅くなるしきれいじゃなくなってしまう。最初は赤紫色で、少しショッキングだと思うが、徐々にきれいになってわからなくなっていくので安心して、と言われた。
注射したあとに貼る小さい真四角のばんそうこうをベンッと貼られて終了。帰り道死ぬほど恥ずかしくてマスクを持ってこればよかったと思った。
【術後】
順調です。抜糸とかがないので病院に行く用事がなく、3週間くらいしたらほくろの検査結果が出る(一応本当にほくろか、悪性腫瘍じゃないか調べるらしい)ので、それくらいに着て~と言われた。それまでは軟膏を塗り、サージカルテープ?で蓋をして、乾かないように、そして紫外線にさらされないようにする。
ある程度綺麗になったらテープは外して、UVのコンシーラーなんかを使って保護して~とのことだが、まだ流石にその域には達していない。鼻の下に間抜けにもテープを貼って仕事している。
あと一応飲み薬(抗生剤、痛み止め)も出た。ただ術後麻酔切れたあとも全然痛くないので、痛み止めはもう飲んでいない。
【反省点】
やっぱ冬にやった方がよかったな~!とは思う。日焼け面倒だし、あとこの季節にマスクするの暑いしちょっと違和感。
仕事も結構社外の人間と会うことが多いので、冬場とか春先なら「花粉症が」とか「インフル予防で」とか言えるけど、そういう訳に行かないので鼻の下テープのまま話している。
それと、一応美容外科とかそういう専門のクリニックに相談してみてもよかったかな、と思う。料金高くなるだろうけど、説明はもっと丁寧だっただろうし手術の仕方にもバリエーションあったかもしれないし。
あと手術の日は濡らしちゃダメ(顔洗っちゃダメ)と言われたので、本当にドすっぴんで行くべきだった。「だめ、ですか……」って言ったら先生「いや、うーんいいんだけどねえ、あんまりねえ、まだ(傷口が)ふさがってないしねえ、まあ……ねえ~」としぶしぶOKしてくれた。
【費用】
みんな気になるところだよね。手術だけなら保険適用で14,800円。手術の前のカウンセリング(?)というか、怪我して診察してもらった時に初診料とか診察料とかで2500円くらい払って、手術後の薬代で710円なので、総額2万円いってない。次に経過観察で行くときも大して取られないとのことなので、やっぱり2万はかからないだろう。
【その他】
一応美容脱毛(ミュゼとかそういう系)で鼻の下も脱毛やってるのだが、患部にあたらなければ普通に続けていいよ~とのことだった。本当か……?ちゃんと「”鼻の下”を美容脱毛してるんですけど」と言ったかどうか不安になってきたので、次の経過観察の時にもう一度確認する予定。まあ、これまで脱毛してた時もほくろを避けるためにシール貼って施術してもらってたんだけど、同じような感じになるのかなとは思う。
【やってどう?】
このあと手術痕がどうなるかわからないけれど、穴が徐々にふさがってきて皮膚を形成しだしている今は「やってよかった!!!!」と声を大にして言える。ずっとコンプレックスだったし。化粧の邪魔になるし。生々しい話?だけれど、鏡に近寄って鼻の下シェーバーで剃ってるとき、ほくろあたりからちょっと太い毛がはえてるの見えて萎えてたりしたのがなくなるかと思うと本当に嬉しい。
別に劇的に人生変わらないけれど、いやだなあ、いやだなあって鏡や写真見るたび思ってたものがなくなるのはちょっとストレスフリー。
ほくろ取りたいな、どうしようかな、と悩んでいる人には、上記反省点を伝えつつオススメしたいな、と思う。
Permalink |記事への反応(12) | 16:33
もうどうしたらいいんだろ。
祖母は優しいけど昔の人だった。
遠くに住んでいるので会うのは年に一回のお盆だけ。
子供の頃から「結婚してひ孫を見るのが楽しみだ」と言われてきた。
小学生の頃、自分はそんなことを言われて「あぁ、自分もいつかは誰かと付き合って結婚して、子供ができてお婆ちゃんにひ孫を見せるのか」と漠然に思ってた。
中学生の頃、「彼氏はいないのか」と言う問いに対しては「周りの子は好きな人がいて彼氏がいる。私にはいない。なぜか好きな人がいない。でもあいつとかあいつは話が合って楽しい。恋愛として好きかは分からない」と考えた。
高校生の頃、「彼氏はいないのか」に加えて「結婚が楽しみだ」と言われるようになった。
その時にはすでに、私には「これから彼氏ができて結婚をする」という未来がとても難しくて遠くて、考えるのが嫌になっていた。
多分「アセクシャル」なんだと思う。
成人してこの手の話が増えた。
「彼氏いないの?」
「結婚したくないの?」
「え、付き合ったこともないの?」
周りは当たり前に誰かを好きになり好きになられ、付き合って、恋愛して、体を繋げて、結婚して、子供を授かり育てる。
そう、当たり前なのだ。
小学5年生の頃、何人かの友人と放課後の教室で担任の先生を囲み話が弾んだ。
誰が言い出したか分からないけど、「先生、私将来ちゃんと結婚できるかな」と。
先生は笑いながら、「できるよ!先生はかっこよくないし太ってるけど、ちゃんと結婚してる。みんなだってできるよ。」そう言ったのを覚えてる。
でもその時にはすでにそうだったんだと思う。
友人との「恋愛話」は好きだった。
やれ誰々が誰を好きか、誰が誰と付き合ってるかなんて今だって毎日のようにテレビでスキャンダルが流れてる。そういうこと。下世話な話が人間は好きなのだ。その一環だ。
だけどその話の矛先が自分に向けられると本当に困った。
いない。
いないのだ。
まず周りの異性をそういう風に好きになれないのだ。
当時からすごく困った。
「いない」と正直に言っても意味はないのだ。
そう、普通は「いない」という選択肢が無いのが当たり前だから。
追求されて逃がしてくれない。永遠にこの質問は続く。早くこの話題から抜けたくて適当な嘘も言ったことがある。その後は地獄だけど。
なんで、なんでみんなそうなんだろう。
誰かを好きなるって当たり前なのか。
分からない。
高校の頃、一度だけ好意を伝えられたことがある。間接的にだけど。
他校の知り合いが「貴方を店で見かけてから気になってると言う奴がいる。連絡先を教えていいか?」と。
「自分がそう見られている」と言うことを初めて知ったのだ。
嫌だった。
まず私のどこを好きになるのだろう。
女性にしては身長が高いし、細くはない、容姿は崩れているし、性格はガサツで適当で、嫌な奴だ。
「こんな女に好意を持つなんて、相当イかれてる」
背も高くて、男前で、声まで素敵で優しい人だ。
もうすぐお子さんが産まれるようでイキイキしてる。
それを母に伝えた。
母は前半はニコニコしながら「いい人だね、かっこいいね」と聞いていたが、私が「もうすぐお子さんが産まれる」と言った瞬間
「え?結婚してる人なの?
なーんだ、じゃあいいわ。てかあんたその人と付き合いたいって話じゃないの?結婚してていいわけ?」
底知れない怒りと悲しみが襲った。
その時はなんて返事したか覚えてないけど、今でもショックだった。
私が素敵だと、人として魅力を感じた人を侮辱された気分で辛かった。
そしてすぐ誰かを「恋愛相手」としか見れない母親に、世間に絶望した。
母親の
「〇〇の店員さんがカッコいい、付き合いたい。」
「こう言う人タイプじゃないの?」
「本気で結婚しないの?この家にずっといるの?」
事あるごとに言われるこのセリフに怒りと苦しみで一杯だ。
毎年毎年、会うたびに「結婚」と。
「死ぬまでに会いたい」と。
会うたびに、会うたびに悲しくなります。
ごめんねおばあちゃん。会わせてあげれそうにないよ。ごめんね、ごめんねおばあちゃん。
もし私が、同性が好きだったら、きっと同性のパートナーを連れて胸を張って祖母に紹介できました。
でも、それすらできない。
祖母はもう認知症を患い、日に日に弱り、徘徊があるのでベッドに縛られて、私の知らない病院で日に日に衰弱しています。
長くはないかと思う。
そんなこと考えたくないけど。
何度もレンタル彼氏でもなんでも使って、祖母に紹介しようかと考えたけど、無理だった。それすらにも嫌悪感を抱いてしまう。
おばあちゃん、本当にごめんなさい。
おばあちゃんのお願い、叶えたいけど無理だ。
私は、異性同性に対して、恋愛的に好意を持てない。魅力が分からない人です。
「誰かを好きになって、愛する」ことが当たり前なのです。
そのギャップに苦しんでいる人がいる。
このことを忘れないで。
この中に犯人がいるはずなのだが、全員にアリバイがあるという矛盾。
何かを見落としているのだろうけれど、その見当がつかない。
「はあ……もうどれくらい経ったんだ」
あまりのもどかしさに、地球の自転速度が狂っていくのを感じる。
もはや俺の体内時計は、まるで参考にすらならない時刻になっていることだろう。
そんなことを考えていた時、俺は何か“引っかかり”を感じた。
「……ん、待てよ」
それが消えてしまわないよう思考を巡らせ、辻褄を合わせていく。
それはか細くて、確信とは程遠い。
それでも、その可能性を確かなものにできれば、事件解決に大きく繋がる。
試す価値はあるだろう。
こちらに視線を向けさせると、俺はおもむろに携帯端末の画面を見せた。
「それは……ストップウォッチ?」
「今から俺がこれで時間を計る。そしてテキトーなタイミングでそれを止めるから、何秒かを当ててくれ」
「なんで、今そんなことをする必要が?」
「それで犯人が分かるんだよ」
俺の言葉に、皆が戸惑いの色を隠せないようだった。
まあ、そりゃそうだ。
突然、時間当てゲームを提案され、しかもそれで犯人が見つけられるなんて言われても理解できるはずがない。
だからこそ、俺にとっては好都合といえる。
「理由は後で説明する。今いえることは、最も誤差のある人間が犯人だってことだけだ」
あえて断片的に、そう語った。
こう言えば、みんな真面目に数えてくれるだろう。
「じゃあ、押すぞ」
俺がいつタイマーを止めるのか、気が気でないのだろう。
「ストップ!」
頃合を見計らって、俺はタイマーを止めた。
そして、何秒で止めたのかをそれぞれ紙に書いてもらう。
「ようし、じゃあ一斉に見せてくれ」
そこに書かれた数字を見て、俺は驚きを隠せなかった。
予想はしていたつもりだが、まさかこれほどとは……。
「正解は……30秒だ」
そう反応するのも無理はない。
なにせカジマは60秒、オバチャンは65秒、従業員は59秒という回答だったからだ。
あまりにも誤差が大きすぎる。
だが、ただ一人だけ、「27秒」と誤差が少ない男がいた。
「もしかしたらと思ったが、やっぱり“お前”か」
だが、あんな思いをするのは二度と御免だ。
もしも、またあんなことが起きたとして、あの空間では回避しようがないしな。
ただ、階段を使えば安心かといえばそんなわけもなく、登っている間も言い知れぬ不安が頭をもたげた。
あることないことに対して、あることないことを考える、無意味な思考サイクル。
何はともあれ、滞りなく10階までたどり着き、自分の部屋に入ることができた。
「ただいまー……」
その安堵感から、実家に住んでいた頃のクセが思わず出てしまう。
当然、一人暮らしの今は「おかえり」なんて返ってこない。
「……実家なら返ってくるんだけどな」
今の一人暮らしを寂しいとは思わないが、ふと以前の生活を憂いた。
自分でいうのもナンだが、いやはや感傷的かつ無意味な機微である。
「……はは、バカか俺は。もしも今ここで『おかえり』だとかが返ってきたら、むしろ怖いだろうに」
自嘲気味にそう呟くが、その後すぐに自分の言葉にギクリとした。
バカの上塗り。
「……エレベーターのときは忘れていたが、あの構えを使うべきか」
俺は独特の構えをとる。
センセイから教わった、全方位どこから来ても対処できる“モリアミマンゾウの構え”である。
高速移動の超能力者とケンカする羽目になったときに、これで勝負を制したことがある。
その時に観戦していた弟は「テキトーに腕を突き出したら偶然ヒットしただけじゃん」と言っていたが、そういうマグレ当たり込みでこの構えは強いんだ。
強いて問題があるのなら、今の状況は完全に“モリアミマンゾウの構え”の無駄遣いという点だろうか。
結局、部屋の中は俺一人。
“モリアミマンゾウの構え”の反動で、俺は無意味に関節を痛めることになった。
だが、未だ違和感が拭いきれない。
自分の住家のはずなのに、言い知れぬ居心地の悪さが気になって仕方なかった。
俺が知らない間に、親が自分の部屋をこっそり掃除したことがあった。
モノの位置は一切変わっていないため、帰ってきた俺は気づかないのが普通だ。
だが、その部屋に入った瞬間に異変を感じ取った。
部屋の様相はパっと見ほぼ同じ。
細部の違いが分かるほど、俺の記憶力は高くない。
にも関わらず、自分のテリトリーを脅かされたような不快感に襲われた。
後にその不快感の正体を知った時、俺はとても驚いた。
部屋を勝手に掃除されたこともそうだが、何より自分にそんな繊細さがあったということに、だ。
今のこの状況、感覚を、あえて例えるならソレに近い。