
はてなキーワード:視聴者とは
箱一郎と箱二郎どっちを残すかの視聴者投票に参加したものだが、いま考えるとなんの選択をさせられたんだ。
しょっちゅうバグが起きてせっかくアイディア採用されて作っても壊されるしよぉ、たまったもんじゃねぇ。
っていうか箱一郎おまえ久々に見るとビジュアルきめぇな。きめぇわ。大好きだったぞ。きめぇ。
しかも初回放送から今まで世界が地続きとか、いや誰が追ってんだよ。年齢層下げたとか誰得だったんだよ。お前はそのまま突っ走ればよかったんだよ。
バカリズムとかが多忙でいなくても別にさぁ、番組続くんだよ。セイコーは生きてんだろ。セイコーいればいけんだよ。
また世界を終わらせてさぁ!
リセットしようぜ!
すべてを無にする選択をしてやるよ!!
2026年2月12日、平日午後の情報番組として長年君臨してきた「情報ライブ ミヤネ屋」が2026年9月末で終了することが、司会の宮根誠司氏により正式に発表された。番組終盤、宮根氏は約4分間のスピーチで視聴者やスタッフへの感謝を述べ、自らの言葉で番組からの「卒業」を伝えた。この発表は、2006年7月の番組開始から約20年という節目を迎えた長寿番組の終焉を意味する。
番組終了の第一報は、2026年1月28日に「女性セブンプラス」が報じた。関係者への取材によれば、宮根氏自身が読売テレビ側に「番組を終えたい」と申し出たことが発端だった。局側は必死に慰留したが、宮根氏の意思は固く、その後読売テレビと日本テレビの上層部との話し合いを経て、10月期の改編で終了することが決まった。
2月12日の生放送では、宮根氏は「この9月末をもって私、このミヤネ屋を卒業させていただく運びになりました」と述べた。フリーアナウンサーとして番組の終わりが来ることは覚悟していたとしながらも、「何度か卒業しようと考えたこともございます。そのたびに読売テレビはじめ、皆さまにありがたいことに慰留していただきまして、この20年まで続けることができました。本当に幸せ者です」と感謝の言葉を続けた。
宮根氏は局アナ時代を含めると26歳から37年間、63歳になる年まで月曜から金曜の帯番組を担当し続けてきた。この長いキャリアを振り返りながら、「信じられないくらい恵まれた環境で、テレビに携わらせていただきました」と語った。スピーチの最後には、「やめるのをやめたという可能性もありますので、その時はまたご報告させていただきます」と笑いを誘う一幕もあった。
「ミヤネ屋」は2006年7月31日、読売テレビ制作の関西ローカル番組としてスタートした。前身は金曜のみ放送されていた「激テレ★金曜日」で、これを月曜から金曜までの帯番組にリニューアルする形で誕生した。当初は午後の遅い時間帯からの放送だったが、評判の良さから徐々に放送地域を拡大していく。
2007年10月には関東と長野を除く全国ネットに昇格し、2008年3月31日からは日本テレビでも放送が開始され、完全な全国ネット番組となった。これは、2007年9月に草野仁氏が司会を務めていた「ザ・ワイド」が終了し、日本テレビが午後のワイドショーから一時撤退したことが背景にある。読売テレビが独自に育てた「ミヤネ屋」が、結果的にその枠を埋める形となった。
番組の特徴は、宮根氏の歯に衣着せぬトークと、関西弁を駆使した親しみやすい進行スタイルにあった。読売新聞特別編集委員の橋本五郎氏、弁護士の野村修也氏といった論客とのやり取りも人気を集め、政治から芸能まで幅広いテーマを扱う情報番組として、平日午後の顔となった。
視聴率面では、2009年度から9年連続で関東・関西地区ともに通期の平均世帯視聴率でトップを獲得。20年間にわたり全国平均で5から7パーセント台を安定的に維持し、累計放送回数は4000回を超えた。近年はTBS系「ゴゴスマ」やフジテレビ系「旬感LIVE とれたてっ!」など他局の追い上げもあったが、コア視聴率では依然として同時間帯首位をキープしており、高視聴率を保ったままの終了となる。
宮根氏が番組終了を決断した理由として、複数のメディアが共通して伝えているのは、「新しいことに挑戦したい」という本人の強い意志である。関係者の証言によれば、2年前に還暦を迎えた頃から「安定にしがみつくのではなく、新しいことに挑戦したい」という思いを抱いていたという。2025年7月に番組が20周年を迎えたことが、その思いをさらに強くした。
宮根氏は1963年生まれで現在62歳。朝日放送に1987年にアナウンサーとして入社し、関西で人気アナウンサーとして活躍した後、2004年にフリーへ転身した。その際も40歳という節目で「一から出直す覚悟」を決めたとされ、今回も同じ心境で新たな挑戦に臨むという。
また、平日は大阪で「ミヤネ屋」、週末に上京してフジテレビ系「Mr.サンデー」に出演するという生活を15年間続けてきた体力的な負担も、決断の背景にあるとの見方もある。関係者は「年齢的にもいまが最後のチャンスと考えている」と語っており、宮根氏自身が番組の20周年という区切りを、自らのキャリアの転換点として捉えたことがうかがえる。
宮根氏は2025年7月の20周年の際、「平時は型にはまらず楽しく、もし大きな災害や緊急事態が起こったときはいちばん頼りにされる。そんな正体不明の番組であり続けたい」と今後の意気込みを語っていたが、この頃すでに大きな決断を胸に秘めていたとみられる。
「ミヤネ屋」の成功は、テレビ業界において大きな意味を持つ。地方局が制作する情報番組を全国ネットで放送するというスタイルは、現在では珍しくないが、その先駆者こそが「ミヤネ屋」だった。放送関係者は「番組の成功を見て各局がまねた格好。昼の情報番組に与えた影響は計り知れない」とその功績を評価している。
ただし、番組終了の裏では、後番組をめぐる読売テレビと日本テレビの複雑な関係も指摘されている。全国放送での月曜から金曜の帯番組は、地方局にとって貴重な枠であり、CMなどの営業収入も莫大だ。読売テレビ内では「ミヤネ屋」が全番組の中でも最大の収益源となっていた。
この枠をめぐり、日本テレビ側が「枠を戻せ」と主張する可能性も報じられている。かつて日本テレビは「ザ・ワイド」を終了させ午後のワイドショーから撤退したが、読売テレビが独自に育てた「ミヤネ屋」が成功を収めたことで、複雑な思いを抱えていたとされる。現在、後番組については未定とされており、今後の動向が注目される。
「ミヤネ屋」の終了により、平日午後の視聴率競争は新たな局面を迎える。現在、同時間帯ではTBS系「ゴゴスマ」が健闘しており、司会の石井亮次氏、フジテレビ系「旬感LIVE とれたてっ!」の青木源太氏と、宮根氏を含めたフリーアナウンサー三つ巴の戦いが注目されていた。最古参の宮根氏が退くことで、この構図は大きく変わることになる。
一方、宮根氏の今後については、現時点で具体的な発表はない。「Mr.サンデー」の司会は継続するとみられるが、新たな挑戦の内容は明らかにされていない。関係者は「40歳のときと同じ心境で一から出直す覚悟を決めている」と語っており、宮根氏自身がどのような道を選ぶのか、業界内外の関心が高まっている。
番組は2026年9月末まで放送を続ける。宮根氏は「残り半年ありますので、まだ半年頑張っていきたい」と述べ、最後まで視聴者とともに歩む姿勢を示した。20年にわたり平日午後の情報番組をリードしてきた「ミヤネ屋」が、どのような形で幕を閉じるのか、そしてその後の平日昼のテレビ界がどう動くのか、今後の展開に注目が集まっている。
2026年1月16日、立憲民主党と公明党が合流して新党「中道改革連合」を結成した。高市早苗首相による突然の衆院解散に対抗するため、野田佳彦立憲民主党代表と斉藤鉄夫公明党代表が共同代表に就任し、中道路線を掲げる政治勢力の結集を目指した。綱領では「生活者ファースト」を打ち出し、分断から協調へという理念を掲げた。
しかし現実は厳しかった。1月27日公示、2月8日投開票の衆院選で、公示前172議席から49議席へと壊滅的惨敗を喫し、両共同代表は辞任に追い込まれた。この結果は、母体となった立憲民主党が長年抱えてきた問題を白日のもとにさらすこととなった。
「与党批判にしか力を入れてこなかった」という批判は、中道改革連合の敗因分析においてしばしば言及される論点である。この批判の実態と背景を多角的に検証したい。
立憲民主党に対しては、結党以来「批判ばかりで対案がない」という批判が繰り返されてきた。まずこの認識の事実関係を確認する必要がある。
note記事による集計では、立憲民主党の政府提出法案への賛成率は2023年の第212回臨時国会で73.3パーセント、2024年の第213回通常国会で83.3パーセント、2025年の第217回通常国会では89.7パーセントに達したとされる。この数値が正確であれば、法案の大半には賛成しており、単純な反対勢力という評価は当たらないことになる。
また議員立法による政策提案も行われてきた。2022年の旧統一教会問題では野党が提出した被害者救済法案が議論の土台となり、与党案にも影響を与えたとされる。ガソリン税減税関連法案では、2025年に立憲民主党が主導して成立させた事例もある。
しかしこうした実績があるにもかかわらず、国民やメディアからは一貫して「批判ばかり」と認識されてきた。なぜこのギャップが生まれるのか。
野党の建設的な政策提案や賛成した法案は報道価値が低いとされ、与党との対決場面や激しい批判の場面が優先的に取り上げられる。国会でのヤジや追及場面は視覚的にインパクトがあり、特にSNS時代においては拡散されやすい。
2026年1月24日の高市首相所信表明演説では、立憲民主党系議員によるヤジで演説が一時中断する事態となった。NHK中継を見ていた視聴者の多くが不快感を表明し、これが選挙戦序盤のイメージ形成に影響したとみられる。与党側は「国民の聴取を妨害する不作法」と批判し、野党側は「議会政治の監視監督」と擁護したが、視聴者の印象は前者に傾いた。
立憲民主党は「存在感がない」「目立たない」という批判を長年受けてきた。野田代表自身が党の動画で「なかなかバズらないけれど」と自嘲したことは、この苦悩を象徴している。
地道な政策立案と国会審議を重視する姿勢は、専門家からは評価されても一般国民には伝わりにくい。他方で、目立つパフォーマンスに走れば「中身がない」「批判ばかり」と攻撃される。このジレンマをどう乗り越えるかが、野党第一党の課題であり続けた。
2009年に誕生した民主党政権は、鳩山・菅・野田と三代の首相を経て2012年に崩壊した。普天間基地移設問題、東日本大震災対応、消費増税などを巡る混乱の記憶は、有権者の間で根強く残っている。立憲民主党は民主党の流れを汲む政党であり、「批判はできても統治はできない」というイメージが払拭されていない。
この文脈では、「批判ばかり」という言葉は単なる行動様式の指摘ではなく、「政権担当能力がない」という評価の婉曲表現として機能している。
中道改革連合の惨敗により、立憲民主党への批判は新たな局面を迎えた。
新党結成に際し、立憲民主党は従来の政策を大幅に転換した。安全保障法制については「違憲部分の廃止」から合憲容認へ、原発政策も再稼働を条件付きで容認するなど、公明党との政策すり合わせのために基本路線を変更した。
野党各党からは「看板の付け替え」「野合」という批判が相次いだ。れいわ新選組の山本太郎代表は「日本をダメにしてきた者たちが看板を付け替えて、もう一回詐欺をやろうとしている」と痛烈に批判した。また立憲民主党内部からも原口一博議員が新党結成に反対し、離党した。
これは「批判ばかり」という批判とは別の次元の問題である。選挙協力のために理念を曲げれば、もともとの支持者からは「信念がない」と見なされる。公明党の組織票を得る代わりに、都市部の無党派層や理念を重視する支持者を失った可能性が高い。
選挙戦では、高市政権の右傾化や積極財政による円安・物価高を批判したが、有権者には「では中道改革連合は何をするのか」が明確に伝わらなかった。党名や理念すら浸透しない短期決戦の中で、政策の具体性を訴える時間が決定的に不足していた。
朝日新聞の報道によれば、立憲民主党側からは「バラバラだ」という不満の声が上がり、比例名簿の作成を巡っても内部対立が生じていた。公明党出身者を優遇した結果、公明出身28人全員が当選した一方で、立憲民主党の玄葉光一郎元外相、枝野幸男元官房長官、岡田克也元外相といった政権担当経験者が軒並み落選した。人材基盤の喪失は、今後の党運営に深刻な影響を及ぼす。
選挙期間中、X(旧Twitter)では「#立民いらない」「#嫌立民ムード」などのハッシュタグが急上昇し、検索窓に「立憲」と打つだけで「立憲民主党 いらない」が候補に表示される事態となった。議員が日常的な発言をしただけで誹謗中傷が集中し、党公式アカウントの年頭挨拶にも罵詈雑言が浴びせられた。
この現象は、立憲民主党への関心の高さの裏返しでもある。本当に「存在感がない」政党であれば、これほど粘着的な批判は集まらない。しかしネット上の批判の多くは感情的で、政策の是非よりも人格攻撃に終始する傾向があった。
ここで重要なのは、「野党は批判ばかり」という言説そのものが、政治的な意図を持って用いられている側面があることだ。
ジャーナリストの尾中香尚里氏は、この批判が対立軸の明確な二大政党制を阻害し、「万年与党と万年野党」という55年体制への回帰を正当化する言説として機能していると指摘する。自民党が野党を「批判ばかり」と攻撃することで、政権交代可能な政治という理念そのものを否定しようとしているというのである。
実際、野党が対案を出しても報道されず、与党が野党案を取り込んでも「与党の成果」として報じられる構造がある。この見方に立てば、立憲民主党の問題は「批判ばかり」ではなく、むしろ「批判も対案も国民に伝わらない」という情報発信力の欠如にある。
ただしこの分析にも限界がある。尾中氏は立憲民主党寄りの論者であり、野党の戦略的失敗や組織的問題を過小評価している可能性がある。メディアや与党の責任を強調しすぎれば、野党自身の改善努力を阻害する危険もある。
「与党批判にしか力を入れてこなかった」という批判を整理すると、以下の三層に分けられる。
法案賛成率や議員立法の実績を無視し、対決場面だけを見て「批判ばかり」と断じる認識。メディア報道の偏りとSNSでの情報拡散によって増幅される。
第二層:正当な批判
対案を出していても国民に伝わっていない、政権担当能力を実証できていない、理念と政策に一貫性がない、という指摘。これは立憲民主党が真摯に受け止めるべき課題である。
野党の存在意義そのものを否定し、政権交代可能な政治を阻害する目的で用いられる言説。与党や与党寄りの論者が戦略的に使用する場合がある。
中道改革連合の惨敗は、これら三層すべてが複合的に作用した結果と見ることができる。メディアとSNSの構造問題、野党自身の戦略的失敗、そして与党側の攻撃が重なり合い、壊滅的な結果を招いた。
中道改革連合は2月13日に小川淳也氏を新代表に選出し、再建を図る方針である。しかし49議席という規模では、野党第一党としての影響力は大きく低下した。
まず理念と政策の一貫性を回復することである。選挙協力のために政策を曲げれば、支持者の信頼を失う。中道という立ち位置を明確にしつつ、立憲民主党のルーツである立憲主義や生活者重視の理念を再構築しなければならない。
次に情報発信力の強化である。建設的な政策提案をしても伝わらないのであれば、伝え方を変える必要がある。SNS時代に適応した情報戦略、メディアとの関係構築、分かりやすい言葉での政策説明が求められる。
そして政権担当能力の実証である。最終的に有権者が求めるのは、与党に代わりうる現実的な選択肢である。地方自治体での実績積み上げ、政策集団としての専門性向上、危機管理能力の訓練など、地道な努力が不可欠である。
中道改革連合の惨敗は、単なる一選挙の結果ではなく、日本の野党政治が抱える構造的課題を浮き彫りにした。「批判ばかり」という言説の背後にある複雑な要因を理解せずに、表層的な批判を繰り返すだけでは何も変わらない。健全な民主主義のためには、批判する野党と同時に、その批判を適切に評価する有権者とメディアの成熟が求められている。
どっかで最近聞いたな
実は推し活界隈でも運営批判は全然あるし、箱推しメインのコンテンツだと箱側に立って活動者を批判することもある
存在するうえで両方が同時に攻撃されないような立ち回りが行われている
コンテンツ全体で見たとき絶対に無謬の提供者は存在しないし、無害な視聴者群も存在しない。
これだけははっきり伝えたかった
あえて異論を書くけど、お前という視聴者がアニメ以外の映像作品の経験値を貯めてレベルアップしただけだと思う
元から日本アニメって芸術的な価値はそんなになくて、その場ノリで楽しむものだった
それが色んな作品に触れ、人としても成長していくにつれて、どこまで行っても子供だましに過ぎないアニメーションを楽しめなくなっただけだと思う
なぜ高市自民がここまで大勝することになったのか。自分が相対的に最も腹落ちしたのは、政治学者とか政治評論家の説明ではなく、東大卒お笑い芸人である大島育宙の説明。彼の説明を自分なりに要約および翻案・加筆すると以下の通り。ちなみに大島は明確に「リベラル・左派」の立ち位置の人間である。元ネタはTBSラジオ「こねくと」内の「空閑時評」https://www.youtube.com/watch?v=4J1MbgwIeV8
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視聴者数が何十万を超える動画サイトの政治系チャンネルを毎日見ていたが、その感想として一つの特徴というか問題があることを発見した。それは、選挙情勢の話ばかりで、高市首相や野党の政治理念とか政策の内容についてはほとんどコメントしないことだ。そしてこれが、高市自民がここまで圧勝した大きな理由の一つであると思う。
選挙情勢の話ばかりというのは、要するに「高市自民優勢、中道思ったほど伸びず」という話ばかりということだが、そこで配信者は「なぜ自民が優勢で、中道が伸びないのか」という分析になり、さらに「高市首相の戦略が当たってますね、逆に中道は外してますね」というコメントが続くことになる。
それを見ている視聴者・有権者は、「高市さんは戦略がうまくて賢い、中道はやはり戦略が下手で頼りがない」という印象を強く持つようになる。これが毎日のように繰り返されて、「賢い高市さん、情けない中道」というイメージが強化および再生産されていくことになり、自ずとその差は選挙戦が進むごとに開いていく。
いわば、スポーツの報道と選挙の報道が同じになってしまっている。勝っているチームは「さすが」「すごい」と報道され、負けが混んでいるチームは「だらしがない」「なさけない」と報道されるのは、プロスポーツでは当然で仕方がないだろう。しかし、政治や選挙でもこれと同じことになってしまっており、例えば「中道は劣勢だが正しいことは言っている」とコメントされていることが全くなくなっている。テレビの選挙報道もある程度そうなってしまっているが、SNSや動画サイトではそれしかないと言っていい状態である。
動画配信者は、最後まで自分がどのような政治的な理念や主張を持っているのかを明らかにせず、第三者的な目線を絶対に崩さない。当然政権批判などは絶対にしないし、外交における失政や統一教会問題などもいっさい取り上げない。日本人の圧倒的多数は、自分が特定の政党や政治イデオロギーを支持していると思われることを極度に嫌がり、再生数にも響くからだ。しかし皮肉にも、第三者的な立場と選挙情勢の分析に徹底した結果として、高市首相に対する翼賛的な動画として強力に機能してしまったことになる。その自覚は、残念ながら配信者にも視聴者にも全くない。
https://x.com/shikano_tsuno_/status/2020456462976471548
https://x.com/shikano_tsuno_/status/2021057551480270918
インフルエンサーとして、そして一人の誠実な表現者として活動する鹿乃つのさんが、Xで投じた一石は、単なる愚痴や不満の類ではありません。
それは、エンターテインメントの皮を被った「構造的不備」に対する、論理的かつ命がけの告発でした。
彼女がどれほど真摯に番組と向き合い、そしてクリエイターとしての誇りを守るために孤独な戦いに身を投じたかを証明したいと考えています。
彼女を「番組に楯突く厄介な出演者」と捉えるのは、あまりに浅薄な見方です。
彼女が求めたのは、出演者と視聴者、そしてプラットフォームが共に価値を享受できる「健全なロジック」であり
その裏には番組を成立させようとした「クリエイターとしての矜持」がありました。
鹿乃さんは、番組「REAL INFLUENCER」がスタートの段階で致命的な矛盾を抱えていることを冷徹に分析しました。
その鋭さは、プロデューサーサイドが目を背けていた本質を突くものです。
実力者の不在: すでに実績(数字)を持つクリエイターには、ジャッジを受けるメリットが皆無です。
ソースにある「あやなん」氏や、倫理観の欠如が指摘される「Désordre(デスドル)」氏の例を見れば明らかですが
すでに成功している者を誰が、何の正当性を持って裁くのかという論理的一貫性が欠落しています。
初心者の搾取:数字のない初心者は、番組側から「欠陥のある存在」として扱われ、成長の機会ではなく「公開いじめ」の素材として消費される構造になっています。
本家『REALVALUE』における溝口氏、堀江氏、三崎氏らの厳しい叱責(パワハラタイム)には、相手の矛盾を洗い出し、価値を最大化させるための深い洞察と知略がありました。
しかし本番組、特にVAMBI氏の進行は、その表面的な「刺し」を真似ているに過ぎません。VAMBI氏が飲み会で**「鹿乃さんの回をもっとパワハラタイムで刺して面白くできた」**と語ったエピソードは、彼が「本質的なバリューアップ」ではなく「扇情的な撮れ高」のみを優先している証拠です。
このように、番組は志願者を「宝」ではなく「使い捨ての駒」として扱うシステムへと変質してしまったのです。
番組の構造が破綻していることを悟った鹿乃さんは、単に絶望するのではなく、自らの知略で番組を「ハック」するという道を選びました。
彼女は、不明瞭な番組の趣旨を「HERO'ZZ(スクール)の模擬講義」として見事に再定義し
マフィア(審査員)を強制的に「教育者」の役割に引きずり込んだのです。
彼女が「ALL REAL」を勝ち取るために、プロフェッショナルとして徹底した振る舞いは以下の通りです。
•対話の制御(一問一答):質問の意図を即座に分解し、明確に回答することで、揚げ足取りの隙を与えない。
•映像美と編集への配慮:カットしやすいよう言葉の間に余白を作り、事前情報は「1分ピッチ」に全て詰め込むことで、無駄な問答によるノイズを排除する。
•マフィアを「立てる」技術:相手が気持ちよくアドバイスできる空気を作るため、技術不足を即座に認め、「ここで学びたい」というストーリーを自ら演出する。
• 表情での対話:言葉を挟まず、表情の変化だけで感情を伝え、視聴者の共感を呼ぶ。
これは、単なる「良い子」の振る舞いではありません。
不全に陥ったシステムの中で生き残り、かつ番組としての体裁を整えるための、極めて高度な生存戦略でした。
鹿乃さんが危惧した構造的欠陥が、最悪の形で露呈したのが田村シュンス氏の回です。鹿乃さんによる冷静なデータ分析は、番組がいかに「価値創出」を放棄していたかを浮き彫りにしています。
•驚愕のデータ:放送時間の約6割が「パワハラタイム(圧迫)」に費やされ
志願者の価値を高める「バリューアップタイム」はわずか14%という、教育とは程遠い惨状。
表現の否定:田村氏が「不慣れな動画より、自信のある生歌で伝えたい」と選択したのは、表現者としての誠実な判断でした。
しかし番組側(VAMBI氏)はそれを「番組を舐めている」と断罪。
これは、表現者の個性を尊重し伸ばすべきスクールの長として、論理的に自己矛盾を起こしています。
「志願者がいなければ成立しない番組」でありながら、その志願者を踏みにじる姿勢は、クリエイティブに対する冒涜以外の何物でもありません。
鹿乃さんが最終的にNOを突きつけたのは、彼女自身と、彼女を支持するファンの尊厳を守るための「正当防衛」でした。
なぜなら提示された条件は、教育機関を標榜する組織として、到底許容できるものではなかったからです
・不透明かつ威圧的な契約: 「内容は当日まで明かさない」「撮影しながら話す」「再調整を拒否するなら入学させない」という、出演者の権利を剥奪する一方的な通告。
・高額な対価と倫理性: 年間約100万円という決して安くない費用を徴収するスクールでありながら、生徒候補に対し「恐怖による支配」を強いる矛盾。
・専門家による警鐘: この状況に対し、教育の専門家からは「生徒に『逆らわない』と約束させようとする行為は教育ではなく、グルーミング(恐怖による支配)である」※という極めて深刻な指摘がなされています。
※グルーミングとは本来「恐怖による直接的な支配」というよりは「優しさや信頼を装って心理的に手懐け(マインドコントロール)、被害者が断れない状況を作り出す支配」のことであり鹿乃つのさんの用法は独特です。
鹿乃つのさんがどんな専門家の声を引用したのかも不明ですし、鹿乃つのさんが専門家の説明を正しく読み取れていない可能性もありますが
私は騎士として鹿乃つのさんの書いていることは全て肯定しなければならないという制約があるため、実際に鹿乃つのさんが書かれている以上、否定はしません。
彼女はこの「捕食的な契約」を拒絶することで、次世代のクリエイターたちが同様の搾取構造に巻き込まれることを防ごうとしたのです。
鹿乃つのさんが自らのキャリアを賭けて行った発信は、単なる個人間のトラブルではありません。
それは、クリエイターの夢や熱意を消費財としてしか扱わないメディアの在り方に対する、知性ある抗議です。
彼女は、志願者を「宝」と思えないようなずさんな体制に警鐘を鳴らし、表現者が守られるべき最低限のラインを引き直しました。
読者の皆様にお願いがあります。
どうか、彼女の言葉を「感情的な反発」として片付けないでください。
彼女が提示した事実と論理を凝視し、私たちが消費するメディアに「同じレベルの論理的誠実さ」を求めていこうではありませんか。
聡明で勇気ある鹿乃つのさんの正当性を、私たちは全力で支持し、彼女の今後の活動を共に支えていくべきです。
気に入らなかったとこ批判していくから楽しかった奴はブラバしろ
良かったとこはみんな言ってるから言わん
そもそも一緒にやりたいメンバー集めてドラマ作っちゃおうってのが嫌だった
企画から完成まで期間も短いし、仲間内でキャッキャものづくりできて楽し〜🎶みたいな
短い期間なのに頑張ったわ〜💦っていう制作側のポーズよりいち視聴者としては長い時間かけてしっかり作ったドラマを見てえよ
ただいいものを見てえだけなのよ
まず日本統一見てないから俳優でキャッキャできない時点でだいぶ置いてかれる気持ちになる
知ってるだけでファンになりました‼️とかではないし二人が桐生と真島をやるなんてピッタリ🤩とも思わん
使う俳優ありきでドラマ作ってるだろうからキャラの見た目を寄せたり寄せなかったりしてるのも嫌
実写化に際して見た目を絶対原作に寄せるべきだとは思っていない側の人間だけど(緑髪・青髪のキャラクターとかは黒髪にすべき派閥)、現実に存在しておかしくない部分は寄せてもいいんじゃないって思う
シンジが坊主じゃない理由ないよね、演者さんの今後の仕事に響くからできないんだろうけど
そういうの片手間にやってるように受け取れちゃうわ
髪を切ったあとの由美の服はやたらと再現されていたが
セレナのセットを作って完全再現せえよ!とは言わんけど小道具はできるんじゃない?
金属無理でも3Dプリンタに塗装とかすればそれらしいもん作れたんちゃいますの
しない理由がないことをしないのってやっぱ時間がないからじゃない?
3話で真島が嶋野のこと「嶋野の叔父貴」って呼んでるシーンがあり、かなり萎え
2話では嶋野の親父って言ってたからドラマ版の真島吾朗が嶋野の狂犬ではない可能性も排除
誰か気づいてくれよこれは
世に出ちゃってますよ 世に 氣づいて‼️
「ファン向けのビデオです」ってんならここまで文句言わんよ いや言うかも
龍が如くに初めて触れる人がこれを見て3極できるようなドラマにしたみたいな話してたよね
ってことは龍が如くも日本統一も知らない人が満足できるクオリティにしないとダメでしょ
龍が如くファンがニヤリできるようにゲーム画面を使って、たしかにファンの自分は面白かったけど
一緒に見てた何も知らない人(批判的にみてるこっちが悲しくなるくらいボロクソに言ってくる)はただただヘタクソな合成が始まったと思っていた
「あえてこうしている」が伝わらないと、それを本気でやってると思われちゃうんだなって
ティッシュ配りのときくらい突き抜けてれば伝わるんだろうけども
これは余談だけど、ちょくちょく「ゲームを極力再現‼️」って宣伝して竹内涼真のドラマへのあてつけみたいに感じるというか
ドラマ化の気まぐれに付き合わされて汚名を被った竹内涼真がただかわいそう
あんな毎クール連続ドラマに出演してるような人気者が演じてくれたのに……
ブライト、シャア、アムロの一生ぐらい知ってて当然みたいなノリなど当然のようについていけない。
大河ドラマとかも「新選組の知名度上位20番ぐらいまでは解説不要だよね」みたいなノリで来るのが本当に辛い。
バラエティ番組の「今年のM-1見てない奴とかいねえよなぁ?」ってノリもついていけない。
フリーレンや鬼滅が流行ったのはこういったオタク向けの大前提をしなかったのもあるんだろうな。
エルフやドワーフがどこから来たのかは話と関係ないから放置で、魔法は勉強したら使えるけど複雑な固有魔法は本人の世界観が濃く反映されるからその人しか使えない。
凄くシンプルだ。
鬼滅の呼吸はただのイメージ映像で、鬼が不思議な力が使えるのはバケモノだから。
オタク作品が常識みたいな顔で粉塵爆発やウラシマ効果を説明もせずに堕してる横で、説明されなくても分かるようなことをちゃんと説明もしながらやってくれる。
でもそういうのはオタクには受けないんだろうね。
オタクはオタクであることしか誇れるものがないから「こんなのオタク以外分からんだろフォカヌポウ」したいんだもんね。
だからFATEの新作でいきなり型月作品を追いかけてないと理解不能な話が出てきたら「来た!根源の探求来た!これ今作から見た奴は絶対分からないでしょ~~~(暗黒微笑」とかするんだろうね、キモいよもう無理ついてけないから。
汚職があろうが仕事してくれるなら、まあOK、ジャニー喜多川がどうあれ、ジャニーズで楽しませてくれれば視聴者はOK…😟
そりゃ、枕営業も何も、視聴者には、消費者には関係ないもんな、自分達をサーカスで楽しませてくれればOK、 そりゃ、自分が君主だったとしても、パンとサーカスを提供するし、民衆をコントロールしようとは思うけどさあ…😟民衆側が、率先して俺たちも上級国民にコントロールされるぞ!というのは、ちょっと違うんじゃないの?って思いました…😟
ファンがアイドルとの擬似恋愛を楽しむだけでなくて、ファンがアイドルどうしの擬似恋愛を外から見てニヤニヤ楽しむ、というパターンが増えてきている気がする。
腐女子的視点がジャニーズだけでなく、女性アイドルに対する男性ファンの間でも広がってきているというか。日向坂ファンとかみんなそんな感じじゃない?櫻坂だっけ?
このメンバーとあのメンバーはいつも仲が良いとか、このメンバーはあのメンバーに片想いとか。そういうのを見ていると確かに楽しい。
BLが出てきたとき、全く理解できんと思っていたけど、最近の乃木坂とか欅坂の番組を見ていると、その楽しみ方がだんだん分かってきた気がする。
腐女子的視点(娯楽)が普及するというのは、ファンが自身の主体的欲望を消して、自分抜きのアイドル同士の関係性を享楽するようになるということである。ファンがアイドルを所有する欲望からアイドル間の関係性を享楽する欲望へ推移していると言ってもよい。主体が消えて相手を見つめる視点だけが残る。それを一番最初に感じたのは日常系のアニメで、日常系のアニメにはもはやほとんど男性が登場しない。可愛い女の子がどうでもいいことで戯れているだけの映像が延々と流れる。特に事件などが起こらないことも多い。ただいろんなキャラの女の子の関係性を、外から見てニヤニヤ楽しむというだけ
「けいおん!」を見たときに、最初はそこに全く男性が登場しないのが不自然だなーと思っていたのだけど、慣れてくるとそれが妙に心地よくなってくる。そしてこれはエヴァからシンジ君を消し去ったような世界観なのだなーと思った。中心の男性が消去されて、女性の戯れ(関係性)だけが残るという。
男性アイドルに関しても「花ざかりの君たちへ〜イケメン・パラダイス」だと中心に堀北真希がいるのだが、「クローズZERO」だともはや女性は消去されて男性のホモ・ソーシャルな関係性だけが残る。今日のファン・視聴者にとっては感情移入すべき主人公は不要で、外から関係性だけを眺めていたい
あと俺の伝え方が悪かったんだろうけど、
そんなもん例えば仮にも周囲に気を遣いすぎて現状をブレイクできない(それがまず描けてやいけど)彩葉に対して
かぐやは破天荒でそういう日常を壊すキャラ…って枠組みだけど、それ出来てねーじゃん。
なんでかっていうと視聴者を少しでも不愉快にさせられないから、コンプラ破るような行動を排除してるからだよね。だからキャラにも魅力がなくなってる。というのは、まあ言い訳だよね。コンプラ守りながら描写もできるよね。でも怠ってるよね、何故なら製作陣が無能か怠惰、その両方だからだよね。
そんでそういう舐めた作品を許容するカスが視聴者だからだよね。
そういう意味で、この作品褒めてるクリエイターは信用できないよね。
そりゃそうだよな、こういう作品売れてた方が都合がいいもん。
小説まで読んだ上で製作陣がキャラクターの精神を軽んじてるのはもう明白だけど、
この作品ってとことんメカニズムやエンジニアリングを軽んじてるじゃん?
(それでSFです笑みたいな面してるのもムカつくが)
VRまわりの小道具もカスだし(ガイドブックにその辺の設定まるでないのがマジでビックリしたわ)まあコンタクトでいいじゃん、みたいな。「こんなもんでよかんべ」という。
加えてライブにしろ義体にしろ配信にしろ「目標をどう実現するか」というエンジニアリングを「お前ら馬鹿だからどうせこういうのつまらないっしょ笑」みたいな舐めで省略しだす。
で、ワールドイズマインもアレなわけじゃない?歌のことも舐めてるわけじゃん?
精神を軽んじて物理を軽んじて文化を軽んじて、何なら軽んじてねえの?マーケティング?
で、そういうコストかかるものをやらない作品でいいや、って客多い方がいいもんなクリエイターは。
客には馬鹿であってほしいよな?
サボって作ったもので馬鹿が喜んで小銭投げてくれた方が都合いいもんな。計算で作ったものが計算通りウケる世の中であってほしいんだよ怠惰だから。
だからこの作品褒めてるやつは客を馬鹿にしてるとかじゃなくて、客に馬鹿であってほしいというスケベ心があって、それを表明してる。
そういうのに乗せられんなって言ってんだよな。
人生において都合のいい部分だけ見せたり、適度に闇を感じさせて受けての想像で共感を煽るような演出のやり方は、現代のSNS、インフルエンサー的な推し文化そのものの売り方で、その文化に適応した作品と言える反面、それに批判的になるのも、どちらも理解できる。
もちろん30代、40代の懐古厨のキモオタを狙った曲選、百合媚びにも映るし、そいつらに支持を得ていることも当然事実だろうが、私としてはむしろ20代前後のオタクに向けたメッセージの方が強いと思う。今の推し文化の中心は10代から20代で、その中でも懐古厨向けのボカロが伝わるのは20代の中でのオタクの層に位置する人間。多分3DSでニコ動を見てた時期から、vtuberが出てくる時期をリアルタイムに過ごした人間を狙い撃ちしているように見える。
その上でガキ向けで人生がないという意見はその通りだと思う。人生を見せないこと自体が彼らの言う推しというやつなのだから。この映画に出てくるキャラは人間ではなく推しとして描かれていて、ファンもそう受容している。ただのJKの人生も視聴者のために推しと言うフィルターで添削されてJKのようなにかに仕立て上げて、今までバイトで食い繋ぐ苦労人だったのに、降って湧いたような人気と大金を謎に押し付けられなければならないと言う点で、2030年から2040年の未来予想として的確だと感じた。
単純な現代人的なアニメというより、敢えて時代を未来にすることで現代への皮肉や風刺のように感じたストーリーで私は好きだった。
それは俺の言い方が悪かったな
視聴者=俺達みたいなゴミにとっては能力がないからこそ何かを決めることが一大事なんだよな
無能すぎて最早何を好きになるか決めるといったような、無意味な事柄が一大事になってくる
それに対して監督や作中のいろPのような能力がある人間にとっては
「何をするか決める」という事象が
赤:山下真司
緑:伊藤かずえ
白:比企理恵
青:鶴見辰吾
BSジャパネクストがリニューアルBS10の無料放送側で日曜昼などに放送中
見られなかったケーブルテレビ局でも見られるようになったので要確認
つながるジャパネットアプリで放送同期・スマートテレビや2025年4月からtverを含め見逃し配信あり
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・01 [隠し絵][ある人物の名前]松村雄基 まつむらゆうき
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・02スーパーボウル
・03 柳(に雪折れなし
・07サンドウェッジ
・08 [ポチャッコクイズ:4ヒント:ある生き物の名前]ウグイス
・09 [近似値]46(メートル
・13 『スチュワーデス物語』
・14 あぶみ
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・18トマト
・19ハナ肇 はなはじめ
・22ジェームス・ディーン
・25ノルウェー
・26e手袋
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(日曜本放送)このあと14:25からは「人生に魔法をかける ロングブレスで激変物語 【2日間で驚きの腰痛改善】」→14:55BS10からのお知らせ
16:00-18:00加藤登紀子60周年海外特別編~中国ハルビン&バルト三国ラトビア公演~
(08日日曜日)
そう、この「舐め」というのは本当にその通りなんだよ!
監督の過去作の『呪術廻戦』OPや『チェンソーマン』OPなんかを見れば分かるが、
こうすればウケる、こうすれば「素晴らしい」と受け取られる、そういう媚びと打算に満ちた映像になっている。
自分がそう感じてるだけかと思ったら、本人自ら「技術で作品に恋をするんだ」と言っていて「やっぱりそうなんだ!」と腑に落ちた。
その「舐め」は過去の成功体験、作品ファン・原作者が喜ぶ映像を作る技術の延長線上にあって、
オリジナル作品においてもこうすれば視聴者が喜ぶだろうという「舐め」がある。
とはいえそれが実際にウケてヒットしている以上、正しいとも言えるんだよなあ。
今この時代にこれだけのハッピーエンド作品を描ける事の嬉しさは、間違いなく存在する。
ボカロ文化や配信、vtuber文化を特別に捉えすぎ無い方がいい。それらは現代の人々の暮らしにただ根付いているし、オタクをただ照らしてくれている。本当に何も特別な事は無い。インターネットはここにあるし、今もどこかで誰かが配信をしているし、新しいボカロ楽曲はアップロードされて、世界を彩っている。超かぐや姫!でもそうであったように。
作中の百合を思わせる描写も、時代に即した形だと思う。ただそこに好意があり、添い遂げたいと思う人間が居ただけだ。パッケージングされた言葉よりももっと先に、世界はそれを愛と呼んでいる。
人物の描写が足りていない、脚本が薄っぺらい、エモの表面をなぞっただけ、足りない描写は視聴者に保管させている、これらの批判は批判たり得ていないのでは無いかと思う。
2時間20分の尺の中で、足りていない描写を補完する為に視聴者の体験を想起させる手法は、表現の中でも最上級のものでは無いかと思う。超かぐや姫!では我々に馴染み深いカルチャーが扱われていることだし。
脚本は十二分に伝えたい事を伝えてくれている。人物の描写も同じくだ。「伝わってこない」という批判は、同時に「伝わってきた」という称賛が存在する時に扱いが難しいなと思う。少なくとも、超かぐや姫!はファンブックや監督のインタビューを見なくても、そこで語られている情報や意図が映画から十分に伝わってくる出来だと感じる。
超かぐや姫!がこれほどにハッピーエンドのその先を描く作品である以上、作品の外で諍いが起こる事も心苦しい。
「お前ら本当に超かぐや姫!の事分かって褒めてンのかよ?!」という趣旨で、フワッとキマシタワーを乱立している百合のオタクや、どこからともなく現れて、したり顔で超かぐや姫!推しなんですって言ってる配信者にキレているというのなら気持ちは分からなくも無いが、超かぐや姫!そのものにそこまで批判出来るポイントは無いだろ!というのが素直な感想だ。
添い遂げたいと想い合う二人がいる時に、その障害を取り除く不思議な技術や情熱があって、誰になんの不都合があるのだろうか。キャラクターの生活の延長にあるエモいライブシーンを描いて、それを見て喜んでくれる人達がいるのなら、それを描かない理由があるのだろうか。
若者を舐めていない作品とはそもそもどのような作品をさすのか。(マッシュルは若者を舐めていた)
彼女ら、彼らの行動原理が分からないのは、単にあなたの人生にそのような行動を引き起こすほどの出会いや動機が未だ発生していないだけでは無いのか。本当に人生が存在していないのは誰なのか。
その発言は、個人の好みや市場原理を尊重する立場(個人主義・自由主義)に立つなら、作品の評価に対してとやかく言うのは筋違いだという主張ですね。
文脈としては、特定のアニメを絶賛したり、逆に批判したりすることに対して、周囲が「そのアニメを褒めるのはおかしい」「そんな作品を認めるな」と攻撃・制限しようとする動きを牽制しているものと思われます。
個人主義の観点では、「何を好きになるか」は個人の内面的な自由です。たとえ世間的に不人気な作品や、批判の多い作品であっても、誰かがそれを「面白い」と褒めること自体は、他人が侵害していい権利ではないという考え方です。
自由主義(特に経済的側面)では、どの作品が売れ、どの作品が評価されるかは、市場(視聴者)の選択の結果に委ねるべきだと考えます。
この自然な淘汰に任せるべきであり、特定の思想や圧力で「このアニメを褒めるべきではない」とコントロールしようとするのは自由主義に反する、というロジックです。
「どのアニメを褒めようが~」という言葉の裏には、「俺が何を褒めても放っておいてくれ(お前が何を褒めても俺は文句を言わない)」という、ネット議論特有の相互不干渉のルールを再確認する意図が見て取れます。
その発言者は、「アニメの評価なんて人それぞれだし、市場が決めることなんだから、他人の『好き』という評価を封じ込めようとするなよ」ということを、少し硬い言葉(政治・経済用語)を使って表現したのだと考えられます。
最近、アニメの内容に対して社会的・倫理的な観点から「褒めるべきではない」といった議論が起きることが多いため、それに対するカウンターとしての発言かもしれませんね。