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はてなキーワード:西欧列強とは

2025-08-21

大東亜戦争日本アジア支配をどう見るか

大東亜戦争日本アジア支配をどう見るか

大東亜戦争日帝アジアに対して、特に中国韓国シンガポールインドネシアフィリピンでやったことについては複雑で、かつ二面的に見なければならないと思います

インドネシア場合

かに日本オランダを追い出してインドネシア統治下に置き、ポツダム宣言後にはスカルノによる独立を導いたという「解放」の一面がありました。スカルノ象徴するように日本に対して感謝の念を示し、インドネシア親日的姿勢を取り、ビジネスパートナーとして長年良好な関係を築くことができました。これは確かに事実としての正の側面です。

しかし同時に、日本統治下ではインドネシア人をロームシャとして過酷強制労働従事させ、その多くが命を落としました。現地では日本統治時代を「飢餓暴力時代」とまで伝え残しており、この負の一面も決して忘れてはなりません。

フィリピン場合

フィリピンでも同様です。バターン死の行進マニラ市街戦での民間人虐殺戦争犯罪象徴であり、その記憶はつい最近までお札に印刷されていました。これは反日的というよりも「独立に至った歴史を忘れない」ためのものでした。フィリピンはもともと独立を目指していたため、日帝の「解放」が大きな影響を与えたとは言い難い面もあります

シンガポール場合

日本イギリス撃退し、シンガポールを「昭南島」と名付け統治しました。しか統治の始まりには民間人華僑虐殺粛清)が行われ、さら強制労働飢餓住民を苦しめました。現在でもシンガポールの老華僑の間では「苦難の時代」の記憶は完全に消えておらず、市内には当時の加害を記録し伝える石碑や博物館が今でも残されています

日本被害者意識国際的視点

一方で日本人はしばしば、本土空襲沖縄戦原爆2発、あるいは兵士の6割が餓死病死で帰ってこなかった事実を強調し、平和国家自称してきました。しかしそれだけを前面に出すと「加害への反省が足りないのではないか」と中韓などから指摘されます

戦争の加害側であった歴史を忘れ、否認する姿勢さえ見せる者もいます。これはドイツでは考えられないことです。日本サンフランシスコ講和条約を結び、反省を示して国際社会に再び受け入れられ、さらに多くのアジアの国々に許されて仲良くしてもらえたことは、決して忘れてはいけないと思います

特に中国1980年代まで「悪いのは日帝であって日本人ではない」と教え、中国残留孤児を育て上げて日本に送り返すまで面倒を見ました。1972年日中共同声明では賠償請求すら放棄し、日本を受け入れてくれていたのです。

歴史認識外交への影響

近年、中国歴史問題で強くアピールする背景には、日本国内で一部政治家都知事が加害の歴史否認し始めたり、教科書記述が「侵略ではなかった」と書き換えられるようになったことがあります中国にとってこれは大きな衝撃であり、その反動として南京事件731部隊問題国際社会で強調するようになりました。

結局のところ、何が大事かといえば経済であり外交です。侵略歴史否認すれば、特に中国韓国をはじめとするアジア諸国から信頼を失い、貿易や協力関係にも支障が出ます日本はもはやあぐらをかいていられる国ではなく、斜陽国として国益を守るために何を優先すべきかを考えなくてはなりません。その意味で、石破茂氏のスピーチ国益を重視した姿勢として評価に値すると私は考えます

大東亜共栄圏構想の評価

大東亜共栄圏構想は「西欧列強からアジア解放する」と掲げていました。しかし実際には資源獲得と軍事拠点化を目的とし、欧米支配に代わって日本が「統治」しただけであり、現地住民に甚大な犠牲をもたらしたのも事実です。

国際法歴史学的には「侵略」と評価されるのが正確であり、WW2における日帝行為をそれ以外で評価するのは国際的には正統派とは言えません。

ただし独立運動の観点からは「欧米植民地支配から解放の契機」と評価されている面もあり、この両面を見なければなりません。

アジア戦争犠牲者は2000万人以上と見積もられており、これは忘れてはならない歴史事実です。日本からすれば「侵略」と「解放」の二面的に見ることができる、という認識が最も現実的だと思います

戦後の歩みと憲法改正への危惧

二度と戦争に関わらないこと。殺し合いや餓死特攻核兵器使用には断固として否定立場を取ること。これが何より大切だと思います。ですから、今回の参院選改憲勢力が三分の二を超えたことを、個人的にはとても危惧しています

ちなみに…もっと深堀りするならば。

各国の独立運動家が日本を利用したのには明確な理由がありました。

インドネシアスカルノやハッタは、オランダから独立するために日本軍政を「利用」し、敗戦後に即座に独立宣言できる体制を整えました。

インドチャンドラ・ボースも、日本軍を頼りに「インド国民軍」を組織し、反英独立運動を推進しました。

日本に帰らなかった敗残兵達がインドネシアインド独立に協力したというか利用されたというのもまた歴史的な事実です。

また、戦後すぐにアジア各国の対日感情が今ほど悪化しなかった理由もあります

第一に、戦後日本米国主導で急速に経済復興を遂げ、ODA投資を通じてアジアに「恩恵」を与えたこと。

第二に、欧米列強の植民地主義アフリカなど)がなおも続いていたため、「日本侵略けが特別に悪」という視点になりにくかったこと。

第三に、多くの独立運動家は「日本を利用して欧米から独立した」という現実直視しており、一概に反日感情に流れなかったこと。

これらの事情が重なり、アジアの多くの国々は戦後日本を受け入れ、経済パートナーとして信頼関係を築いてきました。

侵略事実直視することは、日本にとって不名誉ではなく、むしろ国際社会からの信頼を守るために不可欠なことです。解放の契機という側面も併せて語り継ぎつつ、二度と同じ過ちを繰り返さないと誓うこと。それが日本国益であり、未来への最大の投資だと信じます

Permalink |記事への反応(0) | 15:41

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2024-11-04

anond:20241103091053

1.本当は平和希求していたが、アメリカ中国共産党陰謀で泥沼の戦争に引きずり込まれた。日本人被害者

2.西欧列強白人による植民地支配からアジア諸国解放するために立ち上がり、血を流して戦った!日本人は偉い!

Permalink |記事への反応(0) | 07:23

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2024-09-24

anond:20240924095214

中国って帝国主義ブームの波に乗れず西欧列強と覇を競う事が出来なかったから何か拗らせてるよな。

今の国際社会はそんな時代じゃないのにな。

今は憎しみで殺し合う時代なのに中国は未だ無邪気に領土大目指して暴れてる感じ。

Permalink |記事への反応(0) | 10:03

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2024-03-17

各国の状況や時勢 世論の動向で憲法解釈を変えるべき か?

本当にそうか?

その理屈憲法改正解釈変更が許されるなら

場合によっては奴隷制侵略戦争すら肯定されないか

各国の状況や世論の動向で憲法解釈を変えるべき

というのは西欧列強植民地を獲得して国勢を増す今

我が国アジア植民地を獲得すべき

という大日本帝国理論と何か違うところあるか?

本当にその理由憲法が変わって良いか

岸田総理大臣

「各国の状況や世論の動向を鑑みて憲法改正します」

と言ったら君たちは賛成するのか?

私は反対だが…

Permalink |記事への反応(0) | 19:08

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2019-09-30

漂白芸人批判する人こそが、本当の差別者である

 日本人は、これほど差別的になったのか——。ニュースを見かけ、そう思った。「大坂なおみ漂白剤が必要芸人による黒人差別」。

 明治以降西欧列強に追いつけ追い越せと、日本人は持ち前の真面目さで取り組み、ついにその「欧米人」の価値観に追いついたらしい。こうして欧米人と同じく『肌の色が黒いことは悪いことだ』という前提で、「人種差別だ」と叫ぶようになったのだから

 私が批判するのは「漂白剤が必要」と言った「芸人」ではなく、それを「差別」だと叫ぶ日本人のことである欧米人価値観に寄り添うことが「良い」ことであると信じ、疑わない人々である

 差別とは何か。それは、並列であるはずの価値善悪並べ替え「悪」レッテルを貼ったもの貶めることである。そうしてできた価値観というものは、文化依拠する。当然だ。日本の「新米は良いけど、古米は悪い」という価値観は、コメのない文化、あるいはコメがあっても年に何度も収穫できる地域文化であれば、形成されることがない。そして、この日本において、「肌の色によって人を分ける」という価値観はない。なぜなら、日本人異民族との関わりが薄い環境で、文化を築いてきたかである

 それが、なぜ「肌の色」に価値を置くようになったのか。日本が見習った欧米文化が、そこに重大な価値を置くからであるアメリカでは、いまも「彼が黒人だ」——つまりは「彼の肌は黒い」というだけで、殺意対象となり、実際に殺される。肌の色の価値観は、人の生死がかかるほど重大なものである

 だから「肌が黒いこと」は「悪い」。これが欧米人価値観であるしかし、時代が変わり、「肌が黒いこと」で「人を蔑んだり、殺したりする」のは「良くない」ということになったので、それを糾弾することにした。これが欧米文化価値観である。つまり、「差別」だというのならば、そこには「肌が黒いこと」は「悪い」という、前提が存在しなければならない。それなしに「差別」という言葉存在しない。

 「でも、実際『肌が黒い』ことは『悪い』でしょう」——この価値観から抜け出せないのならば、では別の例を挙げよう。例えば、同じように公の場で「あの人の耳は小さすぎる。もっと大きい耳があったらいいのに」と言ったらどうだろうか。これは人々の糾弾の的になるだろうか。ならないのである。なぜなら「耳の形」については、欧米人も、それを見習う日本人も、強固な価値観がないかである

 では、これが「ファッションモデル」が「細すぎる」という話だったら? 「彼女に足りないのは、脂身でしょうね」。これはどうだろうか。その発言者がもし太っていたら、そこには笑いが起きるだろう。なぜなら、この場合、「太っている」ことに「悪い」という価値がつけられ、「細すぎる」ことには「良い」価値がつけられているからだ。ならば「太っている」ことを前提としたこの「笑い」は「差別」だと糾弾されなければならないだろうか。「肌が黒い」と言ったときと全く同じ温度で、人々は憤慨し「差別だ」と叫ぶだろうか。

 「黒人漂白剤が必要」。これがお笑いとして、面白い面白くないかという話は別であり、この場合、完全にスベっているので、見ているこちらの心が痛い話ではある。が、そんな個人の話よりも、ここに「差別」を見出す——つまりは「肌が黒い」ことを「悪い」と疑わない日本人がこれほど増えたということには、欧米化のツケを感じずにはいられない。

 当たり前のように、欧米価値を「良い」ものとする日本人。今回の問題についてすら、欧米人インタビューをし、当然のごとく得られる「差別はいけない」というコメントを記載し、日本人欧米人の態度を見習わせようとする記事。このまま彼らの後をついていけば、私たち日本にはなかったさまざまな「差別」を身につけるだけである日本人が目指すものは、欧米にはない。彼らとは違う、私たちの行く先は別の方向にあることを知るべきである

Permalink |記事への反応(1) | 12:02

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2017-05-19

この条約が締結される頃の東アジア世界は、近代国際法を掲げながら、実際には弱肉強食を旨とする西欧列強が浸透してくる時期にあたる。当時朝鮮は清の冊封国であったが、鎖国政策を国是としていたため、国際交流は非常に限られていた。しかしそのような朝鮮にも1860年代以降国際化の波(外圧)が押し寄せ、海上から西欧諸国が訪れるようになる。朝鮮西欧列強との出会いは、概ね芳しいものではなかった。たとえば1866年にはフランス軍キリスト教徒虐殺事件丙寅迫害)の報復として軍艦7隻総兵力1000人で朝鮮江華島攻撃占領する丙寅洋擾が発生し、1871年にはアメリカ合衆国ジェネラルシャーマン事件1866年発生)の報復として軍艦5隻総兵力1200人艦砲85門で朝鮮江華島攻撃占領を行っている(辛未洋擾)。丙寅洋擾と辛未洋擾は朝鮮通商を行うための侵略であったが却って斥和碑を建てるなど攘夷につながった。

当時朝鮮政権を担っていたのは高宗の実父興宣大院君である清朝から西欧列強情報を得ていた大院君は、断固として鎖国を維持する姿勢を貫いた。これは中国における西欧側の非道を知ったこともあるが、朱子学以外を認めない衛正斥邪という思想政策積極的に推し進めたことから分かるように、大院君は中華思想的発想の持ち主であり、その点から西欧諸国夷狄視していたことも理由の一つである。その強い姿勢は「西洋蛮人の侵犯に戦わない事は和議をする事であり、和議を主張することは売国行為である」と書かれた斥和碑を朝鮮各地に建てたことに窺うことができる。このように当時の朝鮮では攘夷熱が高まっていた。

また朝鮮では、文禄・慶長の役時に、中国朝鮮を守ったため、今回も中国朝鮮を守ってくれるに違いないという立場であり、小島毅は「中国東アジア全体にとっての親分だというのが朝鮮認識ですから親分である中国自分を守ってもらおうとするわけですね」と述べている[2]。

日朝間の懸案:書契問題[編集]

他方、西欧列強が迫っていた東アジア諸国の中で、いちはや開国明治維新により近代国家となった日本は、西欧諸国のみならず、自国周辺のアジア諸国とも近代的な国際関係樹立しようとした。朝鮮にも1868年12月明治政府樹立するとすぐに書契、すなわち国書対馬藩の宗氏を介し送った。江戸時代を通じて、朝鮮との関係は宗氏を通じ行われてきたためであるしか国書の中に「皇」や「奉勅」といったことばが使用されていたために、朝鮮側は受け取りを拒否した。近代的な国際関係樹立は、はなから躓いたといえよう。

この問題は、日朝双方の国交に対する思惑がすれ違ったことが原因である日本側は従来の冊封体制的な交隣関係から条約に基礎づけられた関係へと、日朝関係を変化させることを企図したのであるが、一方朝鮮側はこれまでどおり冊封関係にとどまり、その中で日本との関係位置づけようとしていた。前近代における冊封体制下において、「皇上」や「奉勅」ということばは中国王朝にのみ許されたことばであって、日本がそれを使用するということは、冊封体制の頂点に立ち朝鮮よりも日本の国際地位を上とすることを画策したと朝鮮は捉えたのである

なお近代以前の日朝関係については朝鮮通信使に詳しい。

征韓論を唱えた西郷隆盛。ただし江華島事件及びその後の日朝修好条規締結に対して義に悖ると批判していた。

1868年以来、何度か日本から国書がもたらされたが、日朝双方の思惑の違いか両国関係は円滑なものとは言えなかった。書契問題を背景として生じた日本国内における「征韓論」の高まりに、大院君が非常な警戒心を抱いたことも一因である。また釜山においては日朝両国官僚同士が険悪となっていた。長崎出島のごとき釜山倭館限定した国交を望む朝鮮側と、対馬宗氏から外交権を取り上げて外交を一元化し、開国を迫る日本との間に齟齬が生じたのである釜山倭館朝鮮側が日本特に対馬藩使節商人を饗応するために設けた施設であったが、明治政府対馬藩から外交権を取り上げ、朝鮮との交渉に乗り出そうとした。その際、倭館をも朝鮮側の承諾無しに接収日本公館としたことから事態悪化したのである。結果、必要物資供給及び密貿易の停止が朝鮮から宣言される事態となった。

日本側も単に国書を送りつけるだけだったわけではない。版籍奉還という日本国内の難問を無事に乗り越えた1870年朝鮮との国交交渉を有利にするため、冊封体制の頂点に立つ清朝と対等の条約日清修好条規を締結した。これにより冊封体制の維持を理由に国交交渉忌避する朝鮮を、交渉テーブルに着くように促したのである

1873年に対外強硬派の大院君が失脚し、王妃閔妃一派が権力を握っても、日朝関係は容易に好転しなかった。転機が訪れたのは、翌年日清間の抗争に発展した台湾出兵である。この時、日本朝鮮出兵する可能性を清朝より知らされた朝鮮側では、李裕元や朴珪寿を中心に日本から国書受理すべしという声が高まった。李・朴は対馬藩のもたらす国書に「皇」や「勅」とあるのは単に自尊意味するに過ぎず、朝鮮に対して唱えているのではない、受理しないというのは「交隣講好の道」に反していると主張した。これにより朝鮮側の対日姿勢がやや軟化した。

条約締結までの経過[編集]

国交交渉[編集]

国交交渉再開の気運が高まり1875年交渉が行われた。日本側は外務省理事官森山茂と広津弘信、朝鮮側は東莱府の官僚交渉テーブルに着いたが、やはり書契に使用される文字について両者の認識に食い違いが生じた。この他森山洋服着用など欧米スタイルを貫こうとする姿勢朝鮮側が嫌悪感を示したことで交渉ははかばかしくなかった。交渉の停滞に業を煮やした森山4月には砲艦外交を行うことを日本政府に上申した[3]が、三条実美の反対があり、川村純義の建議により日本海軍砲艦二隻(雲揚および第二丁卯)が5月派遣され朝鮮沿岸海域の測量などの名目示威活動を展開した。その後雲揚は対馬近海の測量を行いながら一旦長崎に帰港するが、9月に入って改めて清国牛荘(営口)までの航路研究を命じられて出港した。

江華島事件[編集]

詳細は「江華島事件」を参照

9月20日首都漢城に近い江華島付近で、雲揚所属の端艇が朝鮮砲台から砲撃を受ける事件が発生した(江華島事件)。雲揚は反撃し、永宗島要塞を一時占領、砲台を武装解除し、武器旗章楽器等を戦利品として鹵獲した。この事件における被害は、朝鮮側の死者35名、日本側の死者1名負傷者1名(のち死亡)であった。事件朝鮮側が日本海軍所属軍艦と知らずに砲撃してしまった偶発的なものとされ[4]、この江華島事件の事後交渉を通じて、日朝間の国交交渉が大きく進展した。

条約交渉における日本側の基本姿勢[編集]

ボアソナード

明治政府のお雇い外国人ボアソナードは、事件を処理するために派遣される使節への訓令について、以下を決して朝鮮に譲歩すべきではないと具申した。

釜山・江華港を貿易港として開港する。

朝鮮領海航行の自由

江華島事件についての謝罪要求

またこれらが満たされない場合軍事行動も含む強硬外交姿勢を採ることをも併せて意見している。これらの意見ほとんど変更されることなく、太政大臣三条実美を通じて訓示に付属する内諭として使節に伝えられた。さら朝鮮に対する基本姿勢として、三条はこの江華島事件に対して「相応なる賠償を求む」べきとしながら、使節団の目的を「我主意の注ぐ所は、交を続くに在るを以て、・・・和約を結ぶことを主とし、彼能我が和交を修め、貿易を広むるの求に従ひときは、即此を以て雲揚艦の賠償と看做し、承諾すること」だと述べていた(強調、加筆者)。これは欧米列強干渉を招かないよう配慮すべし、という森有礼の言が容れられたものである

さらボアソナードのいう軍事行動も含む強硬外交姿勢も、日本は忠実に実行に移している。使節団一行には軍艦兵士の護衛がつき、威圧効果朝鮮側に与えようとした。また交渉が決裂した場合に備え、山縣有朋山口県下関に入り、広島熊本両鎮台の兵力をいつでも投入できるよう準備していたのであるさらにいえば、日本砲艦外交姿勢は無論朝鮮の屈服を促すものであったが、同時に日本国内の「征韓論」を唱える不平士族の溜飲を下げることも狙ったものであった。

ただこのように軍事的高圧な姿勢を表面上見せながら、当時の日本は軍費の負担という点からいって、戦争が好ましいとは考えていなかった。また戦争の発生がロシア清朝の介入を許すきっかけになるかもしれず、その点からも極力戦争は避ける考えであった。

以上をまとめると日本側の交渉の基本姿勢は、以下の二点に集約される。

砲艦外交を最大限推し進めながら、実際には戦争をできるだけ回避すること。

江華島事件の問罪を前面に押し出しながら、実質的には条約を締結し、両国の懸案で長年解決しなかった近代的な国際関係樹立すること。

また対朝鮮政策は、実質的には朝鮮宗主国である清朝政策でもあり、清朝干渉をなくすべく事前に清朝の大官たちと折衝を重ねることも日本は行っている。19世紀欧米列強アジア侵略に対抗するため、清朝朝鮮ベトナム琉球などの冊封国保護国化あるいは併合することによって皇帝を中心としたアジア伝統的な国際関係をそのまま近代国際関係へと移行させて清の地位と影響力を保持しようとし、冊封国に対して保護国化、モンゴルチベット新疆などの保護国に対しては植民地化を強めようとしていた。

この時期の東アジアは、日中朝そして西欧列強の間における複雑な絡み合いが相互作用する場が形成されつつあった。日朝間の国交交渉再開もその結果としてもたらされたものであると同時に、また別の歴史事象の原因でもあったのである

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2007-09-02

http://anond.hatelabo.jp/20070901220524

P2P動画サイトでタダ観と言うことに関しては大っぴらに出来るかどうかの違いだけで

日本でも大して変わらないような・・・。

論点が違う。

中国韓国ネットユーザーらは、「本来なら自国内で発売されてないゲームアニメドラマ漫画などのコンテンツ」を「P2Pで入手」し、かつ「その内容が『日本帝国主義思想』・あるいは『退廃的猥褻志向』や『アジア軽視の思想』が窺えるとして非難」してるんだ。

具体例を挙げる。
  セガからかつて、「シェンムー」というゲームドリームキャストで出た。これに対し、中国政府が『ゲーム中の賭博場の場面に登場する“赤い襟章に緑色の軍服を着た人物”の描き方が「中国軍人を侮辱している」と指摘、不買運動を呼び掛けた』という騒ぎがあった。
  だがこの“事件”にはおかしな所があって、セガは「中国侮辱するような意図は毛頭ないし、そもそも中国向けにこのソフト発売していない」とアナウンスしている。
  つまり、中国国内で売られていた“海賊版”を元に、中国政府は騒いでいたということだ。

まだある。『中国文化省はこのほど、日本イリュージョン社作製の「SEXYビーチ2」、「監禁」、「愛姉妹」、「バトルレイパー(Battle Raper)」(略)などをわいせつ、賭博暴力など違法内容を含むものとし、取締り没収などを進める』という報道がなされた。(http://d.hatena.ne.jp/eiji8pou/20050510/1115721503)
  当然(?)これらのゲームも、また「海賊版」である。

そして韓国

ハン君は、「最近放映が終わった日本アニメを見たら、日本西欧列強植民地支配を受けているとの設定で、韓国植民地支配状況を完全に借用していた。これは日本の歴史歪曲や、強い日本になろうという右傾化意識を助長する一例だ」と述べた。

ハン君は小学校のころからアニメ音楽を通じて日本文化に関心を持ち、中学校入学後に日本語を独学して、わずか3年ほどで日本語1級資格証を取った。

http://nidasoku.blog106.fc2.com/blog-entry-502.html

おそらく設定から判断するに「コードギアス」のことなのだろうが、この作品も韓国では正式には放映されていない。そのうえで、鑑賞しての感想がこれ。日本人からしてみれば、「君達はフィクションフィクションと割り切って鑑賞する事ができないのか?」、と愚痴の一つも言いたくなるというものだ。
  タダ(あるいはタダ同然)で視聴・鑑賞しておいて、そのくせ内容に関してはいちいち帝国主義的だ右傾化だなんだと、日本に文句を付ける。これが日本にとって「鬱陶しい」存在でなければ、いったい何だというのだ。

Permalink |記事への反応(2) | 00:55

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