
はてなキーワード:褐色とは
「黒人化しても誰も喜ばない」とか「いやこれは黒人が権利を取り戻すための正統な行いだ」とか「白人がやってることと同じで結果文化盗用だ」
俺はこれに関して、一旦こういったポリティクスな問題は於いておいて、ある問いかけがある。
とはいえ、原因がなんとなくわかるし、それを異常だ愚かだ差別だとまでは言わない。
(ただ、「こいつら、チンコをサボってるのをポリティクスな理由になすりつけてんじゃねえか?」と憤りを感じる時はある。)
おそらく原因は
というところだろう。
これ実は、
というのが本当のところなのではないか?
抜くだけであるならば、そこをどうこうは言わない。
幼少期から黒人系の友達と触れ合ってない限り、黒人と深く触れ合う機会は教科書になるため、
そして、日本含めた東洋では黒人女性のポルノが発展しておらず、エロティックなイメージが育まれていない。
そうなるとエロさを感じる余地がなく、純粋なオナニーができない。
といった事が考えられる。
しかし、「でも見た目が…」と思っている人もいるのではないだろうか?
これは単純に日本人のAVでもちょっと見た目が抜けないな…みたいな話で、俺にも抜けない黒人はいる。それだけの話だと思っている。
それでもやっぱり政治的な問題がチラつくというのであれば問いかけたい。
「普段から政治的なメッセージを発信しているAV女優で抜けるのか?」
という問題が考えられるが、これは
と即座に反論できる。
スケベな諸君に於いては理解していただけるだと思うが、この問題に対しては
という手順を踏むと思われる。
しかし、この問題は一度激エロであると考えてしまえばある程度背景的情報は無視できるというのは諸君のチンコが良く知っているはずである。
(可哀想過ぎる、いくらなんでも言い過ぎなど、背景的情報が強すぎる場合は抜けないこともある。)
冗長になるが、おそらく黒人女性で抜くという問題もこれに似ていて、
ポリティクスなイメージが先行しているかつ、ポリティクスなイメージしかない。(=黒人というワードが常にポリティクスなワードとして処理されている。)
ためにこれが発生していると思われる。
ここに哀しみがあるのだ。
黒人女性のキャラを出すにはつねにポリティクスな問題がつきまとうので安易に出せず、出すためにはポリティクスな要素を強く押し出さなければならないという現状がある。
俺はただシコりたいだけなのに、黒人のキャラというだけで政治的な議論が巻き起こり、黒人のキャラが出しづらくなってしまっている。
(これは何もポリコレ批判というワケではない。「ポリコレがなければみんなギスギスせずにこういう可愛いキャラが出るのに」みたいなポリコレ批判もまた、政治的な対立煽りでしかなく、どちらも私の敵である。)
白人の女やアジア人の女、アラブ系の女、果ては動物の女はそんなの気にしないで出されるのに、アフリカ系、つまり黒人だけ全然出されない。
精液や母乳、性器等粘膜の明るさとのコントラストを最も強調できるのは、黒ギャルの褐色を超えた黒を持つ、アフリカ系黒人の肌なのだ。
何を日和っているのか。こんな弱腰ではVRChatで男とホモセックスごっこしかできないのではないか。
ここで二の足を踏んでいるから日本人から見てエロい黒人キャラというのが開発されず、黒人というのが政治的なものになってしまい、面倒なことになっているのではないか?
これはポリティクスな要求ではない。俺がシコりたいからという、シコリティクスな問題である。
ただ、これが純粋に性的消費の欲望による一方的な要求であることは理解している。
シコれたからとして、じゃあ性的搾取なんじゃないのかと言われたら、はいそうですね死にます王手です僕はチンコの奴隷ですと敗北を宣言せざるを得ない。
だからシコれる存在であれと押し付けることはしない。俺が一方的に黙々とシコるだけだ。
ただ、そのあたりは別の議題になる。
ここでは一旦、「まだやってないものを否定的に見るな」という話題であるということを示して、抜いてきます。
Permalink |記事への反応(32) | 22:29
店の暖簾をくぐったとき、油の匂いが、すでに一つの運命のように私を包み込みました。鼻腔の奥で重たく揺らめくその芳香は、庶民的でありながら、どこか儀式めいた厳粛さを帯びています。カウンターの向こうでは、白衣の男が黙々とロース肉に衣を纏わせ、油の海へと沈めてゆく。その所作はもはや調理ではなく、供犠に近いものでした。
鍋の中で、とんかつはゆっくりと自我を失い、豚という生の記憶を断ち切られ、黄金色の鎧を与えられてゆく。油が弾けるたび、こまかな泡が肉のまわりにまとわりつき、まるで最後の祈りのように、静かに立ち昇っては消えていきます。
やがて皿の上に据えられたそれは、ひとつの完結した建築物のようでした。端正に揃えられた断面——淡い桃色をわずかに残した肉の芯を、きめ細かい衣が取り囲み、その外側には、無造作を装いながらも計算され尽くしたキャベツの千切りが、小さな庭園のように添えられている。
まずは何もつけずに、一切れ。箸を入れた瞬間、衣がわずかに抵抗し、次いで、驚くほど容易く音もなく裂ける。その小さな手ごたえが、すでに美味の予感を告げていました。口に運ぶと、衣は「サクリ」というかすかな音を立てて崩れ、すぐさま脂の甘みが広がる。豚肉という素材が、本来持ちうるはずの野卑さをどこかに置き忘れてきたかのように、驚くほど上品な旨味だけを残して。
噛みしめるたび、肉汁がじわりと滲み出て、舌の上でゆっくりと溶けていく。だが、それは決して軽薄なジューシーさではなく、刃のようにすっとした輪郭を持った味わいです。塩をひとつまみ振れば、脂の甘さと肉の香りが、急に焦点を結び、世界が一瞬くっきりと輪郭を取り戻す。
次に、店自慢のソースをたっぷりと纏わせてみる。濃密な褐色の液体が、衣の凹凸をゆっくりと埋めていくさまは、どこか退廃的でさえある。その一切れを口に含んだ瞬間、ソースの酸味と甘味が、先ほどまで端正だった世界に一抹の破壊衝動を持ち込む。とんかつはもはや単なる揚げ物ではなく、甘美な暴力となって、容赦なく味覚を叩きのめしてくる。
キャベツを箸でつまみ、ドレッシングを絡めて口に運ぶと、それは一転、冷たい風のような清冽さで、さきほどまでの熱と脂の宴を一度リセットする役目を果たす。シャキシャキとした歯ざわりが、乱れた感覚を律し、ふたたび次の一切れを求めさせる。こうして人は、熱と冷、濃密と淡白、破壊と救済のあいだを、何度も往復させられるのです。
白飯は、ここでは脇役にとどまることを拒んでいました。ひと口、とんかつを頬張り、すぐさま米を追いかけると、粒だった炊き加減が脂をやわらかく受け止め、とんかつの豪奢さを静かに受容する。丼の中でただ白く在るだけの米が、この瞬間だけは、確かな必然としてそこにいることを悟らされるのです。
味噌汁を啜れば、揚げ油で高ぶった心拍が、少しだけ落ち着く。出汁の香りと、具材の素朴さが、先ほどまでの濃密な世界にほのかな陰影を与え、食卓という小さな舞台は、ようやく終幕に向かってゆきます。
気がつけば、皿の上にはパン粉の小さな欠片と、キャベツの断片、そしてうっすらとソースの跡が残るばかりでした。それらは、つい数分前まで一つの完璧な形を成していたとんかつの、静かな残影です。
とんかつとは、実に不思議な料理です。豚という、どこまでも日常的で、ありふれた肉が、油という媒介を通して別の存在へと生まれ変わる。その変容は、単なる調理の域を超え、小さな劇として、食べる者の前に立ち現れる。
皿を下げにきた店員が、何気なく「ありがとうございました」と言ったその一言で、私はようやく、この小さな劇が終わったことを知りました。店を出ると、外はいつも通りの街の雑踏。けれど、胃の奥でまだ熱を保ちつづけるとんかつの記憶だけが、しばらくのあいだ、私の中で静かに燃え続けていました。
十年付き合った男だった
お互い初カノ初カレだった
楽しい思い出もある
でも死ねよと思ってる
私が原因で新しい彼女ができても苦労してくれと思う
十年付き合った彼氏だった
飯食う場所決まってたな
大盛り系が好きだった
外食が嫌いな人だった
嫌いなものの話が多い人だった
5時間電話できるくせに、十五分で来れる一人暮らしの私の家に「離れがたくなるから」「明日が早いから」(←昼過ぎバイト。電話は午前3時までつながる。私は7時半出社)「やることがあるから」(←いまでも謎)
来ない人だった
私はあいつの嫌いなものを沢山知っているし、何が嫌で、何があってトラウマになっていて、どういう理由で嫌いなのか沢山知っているが
何が好きか知らない人だった
マクドナルド払えないくせにハルウララの限定ガチャに金突っ込める人だった
ラブホとゴム代乗っかるくせに、年越しガチャとか言ってFGOに金突っ込める人間だった
私へのクリスマスプレゼントとやらに吸うやつを出せるくせに、そのクリスマスデートのお泊り代〜飯第全部のっかってた
結婚の話をするくせに親の悪愚痴言う人だった。名字を自分のにする話をした口で、親父と私を合わせたくないなぜならうちの親はウンタラカンタラいうにんげんだった
子供を孕ませたいとかいうくせに、金の話をすると全く違う話題を出す人間だった
正社員で働かない理由に公務員試験と公務員の枠の話をする人間だった
枠があくの何年後だよっていうとキレた人間だった
好きな食べ物はダブルチーズバーガーパティ倍
居酒屋どころか昼の飯屋も嫌い
飲んだこともないスタバを毛嫌いしてる
二次元のアイドルをプロデュースするくせにPと俺は違うだのゴルシトレーナー顔つきが許せないだのうだうだいう
うるせえよ、てめえ一緒だよ
現実に存在してないデコっぱのストレートアバラ女褐色二次創作に鼻の下伸ばしてる時点で同じ穴のムジナだよ
死ねよ
白い先生はセクハラしてもいいけど美化系顔つき先生は許せないだのうるせえよ
お前も一緒だよ
ケツ穴シスター二次創作をいいねしてる時点で、お前もしっかりお客だよ
あぁー
時が経てばいい思い出になるのかな
今のところは時間差でしっかり恨みつらみになってる
たとえ社会人経験が私の三分の一なんだとしても、お前それは自分のことも振り返れよ
わかるだろ、わかっていてくれよ
ていうかてめえバイトのときにさんざん私に説教と「俺の思うお前の弱点と他者との距離感のとりかた」的な話ししてただろ
人様に言えててめえは無理とかなめてんのか
うわ無理だ、私、この人のこのレベルの愚痴と仕事への姿勢を一生聞き続けなきゃいけないんだ
親に飯食わしてもらって親の干した布団で寝てるこいつを私の家から私の車で迎えに行くようなデートをあと何回したら結婚になるんだろう
あぁ無理だ。もう無理だ
てなって
魚肉ソーセージには魚の旨味が凝縮されており、これがそばや麺つゆの風味と合わさることで、全体の旨味が増します。
そばのつるっとした食感に対し、魚肉ソーセージの適度な弾力やプリッとした食感が加わることで、食べる楽しさが増します。
魚肉ソーセージに含まれる塩気とわずかな油分が、さっぱりとしたそばにコクと満足感を与えます。
魚肉ソーセージは手軽に用意できる具材でありながら、タンパク質をプラスできる点も、満足度を高める要因です。
褐色のつゆに桃色の魚肉ソーセージ。褐色と桃色のコントラストはルノワールが愛した色調です。優しい色調を食することにより高貴な気分になります。
夜に散歩に行っている。近所で見つけた子猫の様子を見るために、日付が変わるのを待つ。
数ブロック先には警察署、職質されたときの受け答えのシミュレーションをしながらしゃがむ。はい、ネコが好きなんですよ、あ、身分証明書ってマイナでいいですか?
やっと指であやせるようになったけど、擦り付いてくるまではもう少しかかりそうだ。
家に居たくないからってだけの理由で探した、1つ隣の駅の近くの、初めて行った銭湯。
茶褐色の縞々の、「野良猫の柄といえば?」で半分くらいの人が想像しそうな、痩せたメス。大体の野良猫は手ぶらの人間に全く興味がないから、一瞥して路地裏に駆けて行った。いいお湯のおかげで気分も悪くなかったし、何となくその日以降は手前の駅から帰ることに決めた。
子猫を見つけたのは二十日ほど前、会社帰りの夜道の街灯の下で跳ねている影の正体を確かめに行って見つけた。銭湯帰りのときのメスが3匹、率いている。子猫はコピーしたみたいに皆そっくりな模様で、明らかにこの猫から産まれた子みたいだ。しっぽの長さくらいしか個体差がない。長、中、くしゃくしゃ。月齢で言ったら3ヶ月は行っていない。5m手前くらいまで寄ったらてんでんばらばら逃げていく。
盆休みを挟みつつ、ここ数日で親離れしたようで、今は子猫だけが夕方になると空き家の庭先に固まっている。目の前の家に住む餌やり住人曰く、子が母猫に近寄るとビンタされるようになったらしい。これからはごはんを奪い合う関係なのは、自然の摂理とはいえ、人間でいったら小学生くらいの年齢だから厳しいものがある。
自分はここ数年、諸般の事情で野良猫を触らないようにしてきた。
でも、それとは別の事情で、家には(成猫用だけど)ちょっといいキャットフード、洗ったばかりのトイレ、未使用のおもちゃが揃っている。ネコ科のための部屋にどうしてか人間だけが収まっている、無気力な動物園の展示室みたいな暮らしをしてる。
親から拒否された子猫は心細いのか退屈なのか警戒心が少し薄れて、不審者No.いくつから顔馴染みに昇格した自分を見ながら、にょろにょろ道路脇に転がったりする。
エゴだけど、半端に人慣れすることは、よからぬ目的で捕獲する輩の被害に遭うことになりかねないから、人間には近寄らないか、ここぞという人にしがみついて家に上がり込むかのどっちかにしてほしい。
今夜もこれからまた子猫に会いにいく。昼間は暑くて出てこないのと、車通りが多いから電車が終わったあたりに行っている。
どうやら長いしっぽの1匹が消えたらしくて、ここから先に自分が踏み込むべきなのか迷う。
既に何かしら病気を持っているかもしれないし、虫とか食べてきただろうし、人間に比べたら長さも強さも儚い命のくせに残す爪痕は大きいし、それに、子猫もまだ、このニンゲンはちょっと怖いと言っている。
でも一緒に暮らしたら何だかんだで仲良くなれて、妙ないたずらで笑える気もしている。
暇な神様だか諜報機関にでも目をつけられてるみたいで、ずいぶん猫に出くわす人生だ。四十九日も済んでいないのにもう新しい子猫攫いに悩むなんて、しかも複数。さすがに節操が無いと友達は呆れて笑うだろうか。光源氏の気持ちだから、散歩から帰ったあとは夢枕で、ご指導賜りたく。