
はてなキーワード:裏切り者とは
人工知能(AI)の急速な進化は、私たち人間に突きつけられた実存的な問いである。「計算能力において機械が人間を凌駕したとき、人間に残される価値とは何か」。この問いに対し、多くの議論は「創造性」や「直感」といった曖昧な領域に逃げ場を求めてきた。しかし、マックス・ベネット著『知性の未来』と、それを翻訳・解説した脳科学者・恩蔵絢子氏の洞察は、より生物学的かつ哲学的な深淵へと私たちを導く。
彼らが提示する結論は、逆説的である。「AI時代に人間が持つ最大の能力は、感情になる」。そして、「本当に頭が良い人とは、他者に興味を持てる人である」。
一見すると、これは道徳的なスローガンのように響くかもしれない。しかし、認知科学、進化生物学、現象学の知見を総動員してこの命題を解剖するとき、そこには「知性」という現象の構造的な転回が見えてくる。本稿では、二重過程理論、ユクスキュルの環世界、身体性認知、社会脳仮説、そして間主観性という5つの視座を補助線とし、AIが決して到達し得ない「知性」の本質と、これからの時代に求められる「知的な生き方」について論じる。
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まず、私たちが「知性」と呼んできたものの正体を、ダニエル・カーネマンらが提唱した「二重過程理論」の枠組みで再考する必要がある。
伝統的な知能観において、知性とは「システム2(遅い思考、論理、計算)」の能力を指していた。複雑な数式を解き、論理的な推論を行い、未来を正確に予測する力である。現在のAI、特に大規模言語モデル(LLM)は、このシステム2の機能を極限まで外部化・高速化した存在と言える。彼らは感情を持たず、疲労を知らず、膨大なデータから論理的整合性を出力する。
しかし、ベネット氏が描く脳の進化史(5つのブレイクスルー)は、この「システム2至上主義」を根底から覆す。進化の歴史において、論理や言語といったシステム2の機能は、常にシステム1(速い思考、感情、直感)の要請によって開発されてきたからだ。
初期の生物(線虫など)は、「快・不快」という原始的なシステム1のみで生きていた。進化の過程で「予測」が必要になったとき(魚類)、予測誤差としての「失望」や「安堵」という感情が生まれた。さらに複雑なシミュレーション(マウス)が可能になったとき、反事実を嘆く「後悔」という感情が生まれた。
ここで重要なのは、「論理が感情を抑制するために進化した」のではなく、「感情をより細やかに処理し、生存確率を高めるために論理が進化した」という事実である。システム2は、システム1というエンジンの出力を最大化するためのトランスミッションに過ぎない。
AIの限界はここにある。AIには「エンジン(生存への渇望、快・不快、感情)」がない。あるのは精巧なトランスミッション(計算能力)だけだ。エンジンを持たない車が自律的にどこへも行けないように、感情という基盤を持たないAIは、自ら「問い」を発することも、「意味」を見出すこともできない。人間の知性の本質は、論理そのものではなく、論理を駆動し続ける「感情の熱量」にあるのだ。
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なぜAIには感情が宿らないのか。その答えは「身体」の欠如にある。「身体性認知(EmbodiedCognition)」の視点は、知性が脳という密室の出来事ではなく、環境と相互作用する身体の中に宿ることを教えてくれる。
記事の中で恩蔵氏は、老いによる身体の変化を「老年でしか味わえない内的な経験」として肯定的に捉えている。これは非常に重要な示唆を含んでいる。
生物にとっての「意味(Sense)」は、身体的な脆弱性から生まれる。身体があるからこそ、空腹は「苦痛」となり、食事は「快」となる。皮膚があるからこそ、他者との接触は「温もり」となる。死ぬ定めの身体があるからこそ、時間は「有限」となり、焦燥や希望が生まれる。
AIが扱う情報は、どこまで行っても「記号」である。AIにとって「痛み」という単語は、辞書的な定義や統計的な関連語の集合体に過ぎない。しかし人間にとっての「痛み」は、回避すべき切実なリアリティである。この「切実さ(Stakes)」こそが、世界に色を塗り、価値判断の基準を作る。
身体性認知の視点に立てば、加齢による能力の低下は、単なる「劣化」ではない。それは身体というインターフェースの変化に伴う、世界との関わり方の「再構築」である。
若い頃の強靭な身体で見えていた世界と、老いて動きが緩慢になった身体で見える世界は異なる。その変化を受け入れ、新たな身体感覚を通じて世界を再解釈することは、高度な知性の営みである。AIは「劣化」しない代わりに、「成熟」もしない。身体の変化を通じて世界モデルを更新し続けるプロセスこそ、人間特有の知的な冒険なのである。
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身体を持った生物は、それぞれの感覚器官が切り取った主観的な世界、すなわち「環世界(Umwelt)」の中に生きている。ユクスキュルが提唱したこの概念は、知性の進化を「孤独からの脱出劇」として描き出す。
ダニにとっての世界は「酪酸の匂い」と「温度」だけで構成されているように、すべての生物は自分の環世界というシャボン玉の中に閉じ込められている。本来、他者の環世界を知ることは不可能である。私はあなたの痛みそのものを感じることはできないし、あなたが見ている「赤」が私と同じ「赤」である保証もない。
この「絶対的な孤独」こそが、生物としての初期設定である。しかし、ベネット氏が指摘する第4、第5のブレイクスルー(メンタライジング、発話)において、人間はこの壁に挑み始めた。
「他者に興味を持つ」とは、自分の環世界という安全地帯から身を乗り出し、他者の環世界を覗き込もうとする無謀な試みである。「あの人は今、何を考えているのか?」「なぜ悲しい顔をしているのか?」。これは、自分の感覚データ(システム1)だけでは完結しない。高度な推論と想像力(システム2)を総動員して、見えない他者の内面をシミュレーションしなければならない。
恩蔵氏が「他者に興味を持つことは難しい」と述べるのは、これが認知的に極めて高コストな作業だからだ。自分の環世界(自分の話、自分の関心)に浸っている方が楽なのだ。しかし、あえてそのコストを支払い、他者の世界へ「越境」しようとする意志。それこそが、人間を人間たらしめている知性の正体である。AIには環世界がないため、そもそも「他者の世界」という概念自体が存在しない。
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なぜ人間は、これほどまでにコストのかかる「他者理解」という能力を発達させたのか。ロビン・ダンバーの「社会脳仮説」は、それが「集団での生存」に不可欠だったからだと説明する。
自然界の脅威(猛獣や寒さ)に対処するだけなら、これほど巨大な脳は必要なかったかもしれない。しかし、人間にとって最大の環境要因は「他の人間」であった。誰が味方で、誰が裏切り者か。誰と協力すればより多くの食料が得られるか。
他者の心は、天候や物理法則よりも遥かに複雑で、予測不可能な「変数」である。この変数を読み解くために、脳は巨大化し、知性は進化した。記事にある「会話の70%は噂話」という事実は、私たちが情報の交換以上に、人間関係のメンテナンス(社会的グルーミング)に知能のリソースを割いていることを示している。
この文脈において、「頭が良い」という定義は劇的に変化する。それはIQテストのスコアが高いことでも、計算が速いことでもない。
真に知的な個体とは、「他者の意図を正確に読み取り、共感し、信頼関係を構築して、集団としてのパフォーマンスを最大化できる個体」である。
「他者に興味を持てる人」が頭が良いとされる理由は、単なる優しさではない。他者への関心は、複雑な社会マトリックスの中で生き残るための、最も強力なセンサーであり、武器だからだ。自分の殻に閉じこもることは、社会的動物としては「死」に等しい。他者への好奇心は、生命力そのものの発露と言える。
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そして、知性の進化の到達点は、個人の脳内にも、個別の身体にも留まらない。「間主観性(Intersubjectivity)」の領域、すなわち「私とあなたの間」に生まれる知性である。
記事の中で触れられている「指差し」は、人間特有の驚くべき行動である。チンパンジーは報酬を得るために手を伸ばすが、人間の幼児は「見て!あそこに犬がいるよ!」と、ただ注意を共有するためだけに指を差す。
これは、「私が見ている世界を、あなたにも見てほしい」という強烈な欲求の表れである。ここで初めて、孤立していた二つの環世界が接続される。
言葉、文化、ルール、そして愛。これらはすべて、物理的な実体ではなく、私たちが共有することで初めて存在する「間主観的」な現実である。
AIは「客観的なデータ」を処理することはできる。しかし、「あなたと私の間だけで通じる冗談」や「阿吽の呼吸」、「信頼」といった、主観と主観の間で紡がれる現実を作り出すことはできない。
恩蔵氏が翻訳を通じて感じた「人間の宝」とは、この「心の共有」の可能性そのものであろう。私たちは、他者の心に触れることで、自分一人では決して到達できない豊かな世界(拡張された環世界)を生きることができる。知性とは、個人の所有物ではなく、関係性の中に宿る現象なのだ。
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以上の分析から、AI時代における「知的な生き方」の輪郭が浮かび上がる。それは、AIに対抗して計算能力を磨くことでも、AIに仕事を奪われないように効率化を目指すことでもない。むしろ、AIが捨て去ったもの、あるいは持ち得ないものを、徹底的に深める生き方である。
AIは効率と最適化の権化である。対して、人間の知性の源泉は「感情」や「身体」といった、一見非効率なノイズの中にある。
知的な生き方とは、効率を追求するあまり、感情の揺らぎや身体の実感を切り捨てないことだ。迷い、後悔し、喜び、痛むこと。これらの「ノイズ」こそが、世界に意味を与え、独自の価値判断を生み出す土壌となる。
「本当に頭が良い人」になるためには、意識的に「他者への旅」に出る必要がある。
SNSのアルゴリズムは、私たちが心地よいと感じる情報だけを見せ、環世界をより狭く、強固なものにしてしまう(フィルターバブル)。知的な態度は、その快適な殻を破ることから始まる。
自分とは異なる意見、異なる背景、異なる身体性を持つ他者に対し、「なぜそう感じるのか?」と問いかけること。自分の正しさを一旦脇に置き、相手の環世界に身を浸すこと。この「認知的負荷」をあえて引き受ける勇気を持つことだ。
AIは「答え」を出すことにおいては人間を凌駕する。しかし、「問い」を立てることはできない。問いは、「こうありたい」「これはおかしい」という、身体的な違和感や理想(感情)から生まれるからだ。
また、AIはデータを羅列できるが、「物語」を生きることはできない。私たちは、他者との関わりの中で、それぞれの人生という物語を紡いでいる。
これからの知性とは、正解のない世界で、他者と共に悩み、対話し、新しい「納得解(間主観的な合意)」を形成していくプロセスそのものを指すようになるだろう。
マックス・ベネットと恩蔵絢子が示したのは、冷徹な計算機としての脳ではなく、熱を帯び、他者を求め、身体を通じて世界と震え合う臓器としての脳であった。
AI時代において、私たちは「賢さ」の定義を、ColdIntelligence(処理能力)から WarmIntelligence(共感と接続の能力) へとシフトさせなければならない。
老いて記憶力が衰えようとも、計算が遅くなろうとも、目の前の人の手の震えに気づき、その心に思いを馳せることができるなら、その人は最高に「知的」である。
他者の心という、宇宙で最も複雑で、不可解で、魅力的な謎に挑み続けること。その終わりのない探求こそが、機械には決して模倣できない、人間の知性の最後の聖域となるだろう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/be7a5812ddaf607d08bb52f0663554ab39a9389c
1871年:日本「清国と初めて対等な条約結んだで! やっと近代国家扱いされたわ〜」
1894年:朝鮮「助けて〜両方(日本と清)に支配されそうや〜」
→日清戦争
→ロシア・ドイツ・フランス「遼東半島はアカンで(三国干渉)」
1910年:日本「韓国併合したで! もう朝鮮半島はワイのモンや」
1915年:日本「中国に21カ条要求突きつけるで! 満州の権益よこせや!」
→袁世凱「しゃーない…ほぼ飲んだるわ…」
1941年:日本「真珠湾攻撃したで! アメリカとも戦争や!」
1949年:中国「共産党が勝ったで! 中華人民共和国建国や!」
1950年代:日本「アメリカの顔色見ながら、とりあえず台湾と平和条約や(1952年)」
1972年:田中角栄「もう冷戦変わってきたし、中国と国交正常化したろ!」
→中国「過去の戦争はもう水に流すで! これからは仲良くやろ!」
1980〜90年代:日本「ODA(政府開発援助)めっちゃ出すで! 中国のインフラ作ったるわ!」
1989年:天安門事件 →日本「ちょっと制裁するか…でもすぐ解除したで」
1990年代後半:中国「もう経済力ついてきたし、日本に借金してる立場ちゃうで」
2014〜:中国「南シナ海も全部ワイらのモンや! 人工島バンバン作るで!」
→日本「自由で開かれたインド太平洋や! 中国包囲網作るで!」
2018年:安倍「もうケンカやめよか…日中関係を新しい段階へ!」
2022〜:日本「経済安全保障や! 中国依存はアカン! サプライチェーン見直すで!」
→中国「日本はアメリカの犬や! 歴史問題でいつまでも謝罪しろ!」
2024〜2025年:中国「排他的経済水域にブイ置くで! 尖閣周辺に毎日船出すで!」
結論:最初は「戦争→負けて謝罪→経済で仲良く」だったのに、今は「領土・歴史・経済・安全保障」で全方位揉めとるで…
昔は日本が強くて中国が弱かったのが完全に逆転、もう戻れへん関係になってしもたわ…
(※Grokが一晩で(本当は10秒で)やってくれました。間違ってたらごめんね!)
本稿は、「なぜAI画像生成に対する反発が、特に日本の二次創作イラストレーター(絵師)界隈において他ジャンル・他国と比較して過激化しているのか」という問いを考察することを目的とする。
この考察のため、まずAIによる情報収集を行い、反AI感情の文化的・心理的背景に関する客観的な知見を得た後、その情報と具体的な事例を突き合わせながら、過激化の特異性を分析する。
AIによる情報収集の結果、日本の二次絵界隈でAIへの嫌悪感が過激化しやすい土壌として、以下の要因が指摘された。
日本の二次創作(ファンアート)文化では、クリエイターが自分の描いたキャラクターや画風を「我が子」のように大切に扱う傾向が強く、創作物と自己の同一化が進んでいる。この心理が、他者による模倣や無断利用に対して極めて敏感になる土壌となっている。
イラスト界隈では、元々無断転載・無断加工に対する拒否反応が強い。生成AIがインターネット上の画像を無差別にスクレイピングして学習する特性は、クリエイターにとって「無断転載の塊」のように映る。これにより、「AI学習=自分達の作品が盗まれている」という強い被害者意識が生まれやすい。
同人文化に根付く「作品は描き手の努力の結晶」という価値観も、AIへの拒否感を高めている。人間が何年も修練を積んで培った画風をAIが短時間で模倣することに対し、「努力を食い物にしている」という怒りが噴出している。
ファン側にも、推しのイラストレーターや漫画家の作風への忠誠心が強く、「AIごときに大切な作品を汚されたくない」という心理が存在する。日本のオタク文化において、創作物は創作者とファンの共同財産のように捉えられる面があり、外部(AI)の介入に対する拒絶反応が激しくなる。
AIが提示した深掘り要因や、筆者の考察を加味すると、二次絵界隈の過激化には以下の点が強く関与していると考えられる。
(論点補足)二次創作(同人)自体が他人の創作物を利用しているという倫理的な指摘は存在する。しかし、日本の二次創作は、原作者の黙認と「愛」に基づく文化的な文脈で成立しており、営利目的のAI学習とは文脈が異なる。元々グレーゾーンにある文化が、AIという「外部の、巨大な、営利的な脅威」に直面したことで、アイデンティティ防衛のために過激化していると解釈できる。
日本の二次絵界隈におけるAI使用者へのバッシングは、疑惑のみでの非難や、プロ・アマを問わない人格攻撃、さらには殺人予告にまで発展する異常な事態となっている。
一方で、一部のAIユーザー側にも、反AI派への挑発的な言動が見られ、それが相互の対立を激化させている側面もある。
「殺人予告レベルの過激化」が日本の二次絵界隈に特有のものか否かを検証するため、他業界・海外の事例を調査した。
「AI使用者に対して殺人予告まで出てくるケースは、日本の二次絵界隈だけではない」という事実が確認された。
世界的に見ても、「最も激怒している業界はイラストレーター界隈」という認識は共通している。
海外でも過激な事例は存在するものの、日本が「よりやばく見える」「濃度が高い」とされる理由には、以下の要因が複合的に作用していると分析される。
日本の二次絵界隈における反AI活動の過激化は、海外・他業界でも同様の反発が見られることから、イラストレーターという職業が抱える「作家性まで模倣されやすい」という普遍的な危機感に根ざしている。
しかし、日本においては、強固な二次創作文化、作品と自己の強い同一化、そして巨大なSNSコミュニティが結びつき、危機感が「コミュニティ・アイデンティティへの攻撃」として認識されることで、感情的なバッシングや殺人予告といったより極端な防衛行動となって現れていると結論づける。
をAIに調べさせた
日本の二次創作(ファンアート)文化や「絵師」コミュニティには、AIへの嫌悪感が過激化しやすい土壌となる文化的・心理的背景があります。まず指摘できるのは、創作物への強い愛着と同一化です。漫画・アニメの創作コミュニティでは、自分の描いたキャラクターや画風を「我が子」のように大切に思う傾向が強く、他者に真似されたり無断利用されることに対して極めて敏感です 。この心理は、長年問題視されてきた無断転載・無断加工への嫌悪とも連続しています。元々、日本のイラスト界隈ではネット上で作品を無断転載されたり、他人の絵を加工される行為に強い拒否反応があり、著作権意識が高いクリエイターが多いことで知られます。生成AIは、インターネット上から膨大な画像を無差別にスクレイピングして学習する特性上、クリエイターにとっては「無断転載の塊」のように映ります。そのため**「AI学習=自分達の作品が盗まれている」という強い被害者意識が生まれやすいのです  。実際、2022年のmimic騒動以降、Twitterでは「AI学習禁止」「無断生成AI反対」といったスローガンがクリエイターの間で広まりました 。同人文化に根付く「作品は描き手の努力の結晶」という価値観も、機械が容易に似せて作った作品への拒否感につながっています。人間が何年も修練を積んで培った画風をAIが数時間で真似ることに対し、「努力を食い物にしている」との怒りが噴出するのです 。加えてファン側にも、推しのイラストレーターや漫画家の作風への忠誠心が強く、「AIごときに大切な作品を汚されたくない」という心理が存在します 。日本のオタク文化では、創作物は単なる商品ではなく創作者とファンの共同財産のように捉えられる面があり、その分外部(AI)の介入**に対する拒絶反応が激しくなると考えられます。
これは割と納得感があった
更につっこむとこう返ってくる
③コミュニティ同一化が強い
⑤代替可能性が非常に高く“近未来で仕事を最初に奪われるのが絵師”
②はそうか?と思うけど
③とか④は確かにあるかもしれない
つまり絵師もファンもどこまでもオタクであって、何者にも代えがたい大切なもので、文化でありアイデンティティであり、ファンも忠誠心が高いわけだ
今後誰かが守ってくれる感じもしない
(同人は他人の創作を侵害してないの?というツッコミもあるが野暮なので脇へ置いとく)
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将来、もしAIが「制作過程」まで完全に模倣したら彼らはどうなるんだろうな
他の界隈でお起きてるっていう指摘があるけど
それって主に仕事が奪われる系でしょ?
日本で強く反発してるのはたとえば声優業界とかあるけど、あの現象は理解しやすいじゃん
(以下参考)
日本におけるAI画像生成の使用者(いわゆる「AI絵師」)は、しばしば激しいバッシングの対象となります。その特徴の一つは、疑惑だけで叩かれることがある点です。前述のあらいずみ氏のケースのように、*「AIっぽい」*という理由だけで吊し上げられる事例があり、証拠を示しても疑惑を払拭できないほど感情的な反応が起きることもあります 。また、プロの絵師であってもAI使用が発覚すれば容赦ない非難にさらされます。実際、ベテランイラストレーターの七瀬葵氏が2022年に自身の同人誌でAI生成画像を利用した際には、ファンから「裏切り者」扱いされ、「AIで作った絵は絵師が描いたものじゃない」と否定する声が噴出しました。彼女の元には「死ね」といった暴言DMまで送りつけられ、深刻な誹謗中傷被害を受けたといいます 。このようにプロ・アマ問わずAI利用者への風当たりが強く、「使ったかもしれない」レベルの疑惑でも叩かれるケースがあります。さらに、AI絵師側への攻撃はオンライン上の言論にとどまらず、殺害予告に発展した例すらあります。2024年1月には、イラストレーター裏方氏の画風を無断学習したAIモデルが公開され、氏が抗議したところ逆恨みを買い、「邪魔するな」等のメッセージと共に大量の殺害予告が届く異常事態となりました 。この事件では裏方氏が法的措置に踏み切り勝訴を勝ち取る事態にまで発展しています 。総じて、日本のコミュニティではAI使用者=加害者のような図式で扱われがちで、実名晒しや人格攻撃も含む過激なバッシングが横行しているのが現状です。
一方で、AIユーザー側にも一部に挑発的な言動が見られ、それが反感を煽る要因ともなっています。例えば2025年末のコミックマーケット107では、AI生成作品サークル「クズレジ」の参加者が自身の隣接ブースに反AI派で知られる裏方氏が配置されたことに絡み、「対面が裏方氏なのででかいAIポスターを飾ります!」とSNSに投稿し物議を醸しました 。この挑発的投稿を受けて裏方氏はコミケ参加辞退を検討すると表明し、AI擁護派・反対派の双方から攻撃的な言説が飛び交う騒ぎとなりました(最終的にクズレジ氏は炎上後に謝罪し活動停止を表明)  。このように一部のAI絵師側の挑発も対立を激化させており、AI利用者へのバッシングには「モラルや権利侵害への怒り」に加えて、AIユーザーの振る舞いへの反発も含まれていると考えられます。
もう是非とか言ってられないんだよ
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なんでこの内容で「他の界隈ではAIに反対してない」って読み取るんだ??
過 激 化って書いてるんだが読めんのか
あるいは他所で殺人予告とかしてる界隈があったら興味あるから教えてほしい、海外でも良い
ChatGPT5.1DeepResearchにちゃんと聞いた上でこれ書いてんだが
海外でも、イラスト界隈が一番濃度が高く、かつ日本が最も過激に見える
他の業界や海外で、AI使用者に対して殺人予告まで出てくるケースはありましたか?
あります。
「日本の二次絵だけが殺人予告レベルまで行ってるのか?」というと、そうではなくて、海外や他ジャンルでも少数ですが実際に起きています。 ただし、「日本の二次元界隈は“濃度”が高い」感じはあります。
アメリカのインディーコミック界隈でも、AIを使う作家に対する殺害予告が報じられています。
• 「ここ数週間で、AIアートを使ったコミック制作者は殺害予告を受けるようになり、“地下にもぐらざるを得なくなった”」
共通点:
• 「自分の仕事/作風/故人の名誉を踏みにじられた」という侵害感
海外でもAIユーザーに対する殺人予告や“死ね”攻撃は実在します。 
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おまけ
世界的に見ても「最も激怒している業界はイラストレーター界隈」
数千人のイラストレーターが
「NOAI」アイコンを一斉投稿してサイトを占拠した有名事件がある。
予告を受けて“地下に潜った”と報道されている。
中国:Xiaohongshu炎上 → 数百人単位でAIボイコット
韓国:Webtoon界隈の職業漫画家が団結してAIボイコット
Naver Webtoonで
まあ色々調べたり考えたりしたけど
あとSNSの影響か
Permalink |記事への反応(16) | 12:44
「関税を上げれば、奴らは頭を下げてくる」
→ プーチン&ネタニヤフ「俺の条件を呑め」トランプ「聞いてないよ・・・」
→ 「エプスタインファイル公開法に賛成した奴は、裏切り者でMAGA失格」
→ 「優秀な人間は死んだ、戦後に残るのはどうせ劣った人間だけだ、帝国内の資産をすべて破壊せよ」
「ぼくのかんがえた さいきょうの農法なら、3年間で大躍進、アメリカに追いつける。スズメを殺せ、密植しろ」
→ イナゴ大発生、3000万人餓死。スターリン、スズメ送ってくれ。
→ 「誰かが妨害したから失敗した。紅衛兵、犯人を探して吊るせ!」
「流通?土地制度? 知らん。人間の精神力で経済が変わる。新しい社会主義的人間を創る」
→ コンゴ・ボリビアでのゲリラ戦は地元支持を獲得できず、捕縛・処刑。
「腐敗を一掃し、アマゾンを経済成長に利用、ブラジルを強い軍事国家にする」
→ 選挙で負けたら軍部と支持者が暴徒化、退任後ブラジリア連邦議会襲撃。
「強いトルコを蘇らせ、世界の中心に返り咲く」「金利は悪。利息を禁止する」
「世界の中心で咲き誇る日本外交」「台湾有事は存立危機、米軍と一緒に台湾を守る」
これら威勢のいいリーダー、ポピュリスト、もう少しはっきり言うなら「デマゴーグ」たちが、スローガンと真逆の結果を招いてしまう原因は、大きく分けて4つある。
この4つのメカニズムが、スローガンと正反対の結果を引き寄せる。
デマゴーグは、複雑な世界や社会を理解できない支持者を狙って、単純なスローガンで世界を動かせる、社会を変えられる、と主張する。
国内の社会制度であっても、複数の変数の相互作用で動いている。
デマゴーグは相手国の都合を無視しがちだが、威勢のいい言葉は、相手からの反動を必ず引き出す。
複雑系に単純な力技を当てると、構造的に必ず、反作用が跳ね返ってくる。
外交・戦争・経済などは、制度や前史・資源の制約によって決まり、威勢のよさと結果は全く別物である。
政治学ではよく知られているが、強い言葉で得られるのは支持ではなく「期待値の上昇」である。
デマゴーグは人気を得て政権を取りやすいが、取った後のハードルは上がり、実現はかえって難しくなる。
例えばトランプは、実現不可能な政策をぶち上げてはそれを引っ込めることを繰り返し
TACO(TrumpAlways ChickensOut.) と言われるようになった。
支持率は上昇も下降も早い。
支持率が高ければ高いほど、期待値だけが肥大化し、必ず失望へ転化する。
結果としてスローガンと反対の結果になる。
ロシアがウクライナを3日で下せると高を括って無理攻めしたことで、ウクライナはゼレンスキーの下で結束してしまった。
プーチンはゼレンスキー政権をネオナチと呼んだが、皮肉にも、プーチンはナチスドイツと同じ失敗を繰り返した。
ヒトラーは東部戦線でソ連を過小評価したことで、逆に総力戦動員を引き出してしまった。全く同じだ。
イエスマンで固めた側近、自分の古巣である諜報機関からの報告を信じた。
だが、側近や諜報機関は、敵よりも上司を恐れており、プーチンに弱気の報告を上げる方がよほど怖いと考えたのだ。
威勢のいいリーダーは周囲に、本当の悪いニュースが上がらない、現実と乖離した仕組みを作ってしまう。
威勢のいいスローガンは、熱狂とともに共通の敵を作り、仲間を結束させる。
だが、敵を倒しきれないと熱狂が冷める。
イラクには戦争の大義であった大量破壊兵器は、最初から存在しなかった。
ディープステートのように、存在しない敵であればなおさら、倒すことも証明することもできない。
最終的に、デマゴーグは側近への信頼を失い、支持者を恐れるようになり、味方の中から裏切り者を探して攻撃し始める。
ヒトラーは「国民こそ裏切った」「生き残っているのは劣等民族」として最後に焦土作戦を命令した(ネロ指令)。
トランプはちょうど、自分に票を投じたMAGAの人々を敵と呼び始めたところだ。
・・・でもな、実は5つ目の原因がある。
地球上にこれだけ「威勢のいいリーダーほど逆の結果を招く」例があるのに、
それでも強いリーダーを求め、わかりやすい嘘をつくデマゴーグを求めてしまう主体は、国民だ。
「こんなことになるとは思わなかった」と言い、デマゴーグのせいにしたり、反対者のせいにしたりしながら、
また次のリーダーを探してしまう・・・そんなお前ら=俺らが何とかしないといけない問題だよ、これは。
SNSが発達して、このビョーキは以前よりひどくなってしまった。
興奮と熱狂で政治家を選ぶな。威勢のいいリーダーほど、疑いの目で見ろ。
乱文をそれなりに読んでもらえてありがたい。
高市批判でサヨク認定されているのは笑ってしまった。俺は筋金入りの自民党員なんだがな。
俺が、冒頭の失敗例にスターリンやポルポトや習近平を挙げていないのは、
この3名が「威勢のいいリーダー」に数える価値もない、保身だけの凡愚だからだ。
他方で、威勢のいいリーダーの中には、ごく少数、成功した者もいる。
その点について以下に追記する。
俺が個人的に認めうるのは、チャーチルと、リー・クアンユーの2名だけだ。
アタテュルク、ドゴール、ベングリオン、鄧小平、朴正煕などがそれに次ぐ水準にあると考えている。
だが、この7名は大きな失敗を挽回できずに終わり、その失敗はその後数十年たった今でも、国の行く末に影を落としている。
7名の失敗が何であったかは、ここでは触れない。それぞれの国の歴史を学べばわかるはずだ。
この4点が、スローガンと正反対の結果を招かずに済んだ原因だ。
これらのリーダーにあって、威勢のいい言葉は常に「国民に一時的な負担・負債を我慢させるための嘘」として使われた。
(国民の多くがその嘘を、嘘と知りながら渋々従った、あるいは軍事力で抑え込まれた、という面もあったろう。)
それは百害あって一利ない。
人口オーナス期で苦しいのは皆わかってる。
Permalink |記事への反応(26) | 13:55
統計はとれない。なので客観的で定量的なデータ持ってこいと言われたら無理としか返しようがないのだが。
「他の表現を攻撃しない腐」はいる。何%だとかは言えないが、確実にいる。
男女カプ、夢小説、男性向けエロ、ネットミーム、そういった界隈外の創作について、「よそはよそ、うちはうち」というスタンスで、一切文句を言っていない腐は確実にいる。
しかし、非腐に認知されるのは界隈外の創作に殴りかかる腐だけだ。
バズる腐の投稿というのも、学級会であったり、「逆カプ被弾して号泣、体調崩した」「主人公とヒロインが最終回発情期したのは同性愛嫌悪のジャンプ編集部による悪意の捻じ曲げであり本来は主人公とライバルが同性愛関係だった」のような、かなり病的な投稿ばかり。
腐の中でも極度に異常性が強くて目立っているようなのが、衝撃的でキャッチーだということで、腐趣味が一切無い界隈外にも「見世物小屋系(もみあげチャ~シュ~、れてんジャダム等)」の文脈に乗り拡散される。
これがひたすら繰り返され、腐の中でも特に他責他害傾向が強い者、自他境界が曖昧なメンタルが病的な状態の者が、外から見た腐の代表的イメージとなっている。
構造上これがどうにもならないので、外部から見た腐女子といえば他責他害傾向が強いダブスタ異常者という風潮になっている。そして対策が一切思いつかない。
mmaka2787 たぶんまともな腐女子は非腐の前で腐女子アピールしないし異常な言行もしないんだと思う。認知されないものはないことにされるという意味でこれもまた一種の生存者バイアスなのだろう。
kensetuルール守ってる喫煙者は隔離された場所でしか吸わない・吸わない人にとってはルール守らないクズ喫煙者ばかり認識されてしまう現象etc.(これ名前とかないの?)
言いたいのこれです。
英語ではToupée Fallacy(かつら誤謬)という言葉があるようです。
「すべてのかつらは偽物だとわかる。私は見破れなかったかつらを見たことがない」という発言に由来。ひどいかつらだけがかつらと認識され、良いかつらは地毛に見えて気づかれないため観測されないという、選択バイアスの一種。
「知的にしろ精神にしろ発達にしろ、多数派に迷惑をかけていない障害者は障害者だと認識されていない」とかも似たようなやつですね。
薬飲みながらクローズ就労でなんとかやれている人とか、施設にいて出てこない人なんかは、健常者にそうと認識されていない。周囲に迷惑かけながら居直ってるケースだけが「これが○○障害者ってやつか」と認識される。
「すべてのトランス女性は一目でわかる」。これも自然なトランス(パス度が高いトランス)は女性と認識されていて、醜く不自然な失敗例だけがトランスバレしている。
「すべての美容整形は不自然だから一目でわかる」。これも成功例は天然美形と認識されて流されており、失敗例・異形の整形顔のみが整形バレしている。
かつら誤謬シリーズです。他界隈の表現に殴りかかる腐ェミのみが、外部から腐女子と認識されるのです。
ekusax にしても腐は夢に比べて界隈外で暴れすぎだろと思う、夢もまあ中では結構ヤバいと聞くがそんな出てこないから男からすると空気
夢にも当然ながら、同担拒否や作者への攻撃などするヤバい人はいるし、男女カプにもBLEACHの一護×ルキアの人が一護×織姫を公式にした久保帯人に直接喧嘩売ったり、コナン×灰原の人が新一×蘭を優遇する青山剛昌の悪口を延々言ったりはあります。ただ夢と男女カプはLGBTQ+やジェンダー問題やフェミニズムと関係ないんですよね。ただ、五条を殺しやがって!織姫よりルキアルートが良かった!蘭より哀ルートが良かった!って作品の文句言ってるだけで、社会批判にまで害を広げない、界隈外の物を殴り回らない。結果、界隈外では目立ちようがないという仕組みです。キチガイはどこにでもどんな趣味にでもいるとしか言いようがないですが、夢と男女はキチガイの毒が界隈内部に留まって外にバレにくい傾向にあります。(個人的には原作者の人格批判や誹謗中傷をしている人についてはどんな趣味であろうが出版社あたりに開示されて訴訟されてほしいですけど)
腐趣味はジェンダークレーマーとの親和性が非常に高く、腐の理論で社会批判を始めるので、外部で目立つ有害さがあります。
saihateaxis これに関してはありとあらゆる界隈で起きてるからな。野球ファンやサッカーファンに撮り鉄にドルオタに。ネットで話題になりやすい問題に口を挟むのが腐女子が多いんだと思う。
marilyn-yasu そりゃ異常者だから行儀が悪くて観測されるんだろ。ただ異常腐女子で観測されるほとんどがツイフェミ案件だから腐女子であることで炎上してる案件はほとんどない。
サッカーファンはフーリガンの暴動事件や逮捕などで目立つし、撮り鉄も電車を止めたり民家に不法侵入したり撮影のために器物破損して逮捕されることで目立ちますよね。界隈を一切追っかけてない人の視界にも、逮捕の報道によって入ってくる。サカオタや撮り鉄の全員が違法行為しているわけではないのですが。
腐女子の場合、「ジェンダー課題に自信ネキ」的なムーブをすることでBLに何の興味もない人の視界に入ってくる。まなざし云々言うならあなたたちゲイに性的なまなざしを向けてるだけですけどって話なのに、気が狂っているから社会正義側から説教するんですよね。そのせいで夢や男女カプよりも外部での悪目立ちをしている。
ジェンダークレーマー腐には、正直、はやく死んでほしいって思ってます。でもそういう物言いをすると過激派ってことになってしまうし、名誉男性扱いをされる。ジェンダークレーマー腐に殺意向けてる書き込みの中に、本当は「好きなものを腐に貶されたネナベ」もいるんじゃないかと私は思っています。ジェンダークレーマー腐こそ女性を舐めてる節があるんですよね。
同じ腐から穏健な言葉づかいで冷静な指摘を受けるというのでは効かないです。粗暴な男性集団から一斉に誹謗中傷や殺害予告などを受ければ効くでしょうね。でも犯罪なので。なんていうか、痛い目を見ないと効かない、動物みたいなものだと思っています。ジェンダークレーマー腐は語彙は豊富ですが動物的です。熊に「人を殺さないで」と説得しても意味がなく、増えたら撃つしかないのに近いです。
江口寿史が無断トレス常習でありながら、自分で写真を用意して漫画の背景に使用していた浅野いにお(完全に合法!!)を批判していたのって本当に意味不明なダブルスタンダードですけど、注意する気起こりますか?さすがに理解不能すぎて話が通じない気がして怖くなってきて諦めて、「関わりたくない」ってなってしまいませんか?
異常腐女子が大暴れしている状態についてもだいたいそうです。「男性集団に一斉に口汚く袋叩きされ、恐怖でメンタルボコボコになる」以外で異常腐女子がおとなしくなることは無いです。理性的で穏健な注意が有効だったパターンってゼロなのでは?穏健な注意をした側が異常腐女子からブロックされて陰口を言われるだけで、何の意味もなく終わるのが現実の帰着ですからね。対話重視の穏健な姿勢をとる女性のことを一番動物の感覚でナメてるんです。異常腐女子たちの死を祈っています。
重要なのは江口寿史がああいうムーブしても、江口寿史を庇う同業者が表れても、「これだからイラストレーターは」とはならないってことです。イラストレーターという職業が被差別階級ではないので、「江口寿史の行動」という個別事例にフォーカスされ、人格攻撃や職業蔑視ではなく行動が適切に批判されるわけです。12歳の人身売買があっても「さすが文京区(笑)」とはならずに「湯島という場所は…台東区上野に近く…」という切断処理されたのと同じですね。
撮り鉄やカードゲーマーや腐女子は被差別階級なので、累犯障害者・不潔悪臭・ジェンダークレーマーなどが界隈の責任になります。そもそも界隈の自浄って無理なんですよ。江口寿史をイラストレーター界隈が自浄するなんて不可能でした。ただ、界隈には階級があって、「下」の界隈から異常者が出ると蔑視をより強める根拠として使えるというだけです。イラストレーターは「下」ではなかったので連帯責任になりませんでした。どの界隈にも異常な人間はいるので、ことさら連帯責任が要求される界隈については、蔑視が先にあります。
ボスニアで金持ちが人狩りしていた報道もありましたが、これで金持ち差別が起きるかというと無いでしょう。「文京区」のイメージも守られます。上下のイメージが先にあります。
サッカーファンの粗暴逮捕案件、サッカー選手の強姦案件、アメフトプレイヤーの輪姦事件などもありますけど、スポーツは被差別どころか特権的な影響力を持ち続けますよね。スポーツ、特にチームスポーツが、「上」だからです。
「下」の界隈、被差別属性となっている撮り鉄やカードゲーマーや腐女子について考えると、ASD、自認「生きづらい系」の含有率が高そうだなというのを感じます。ASDはチームスポーツ無理です。
カードゲーマーの身だしなみを男性カードゲーマーが具体的に指摘するnoteが出ていましたが、カードゲーマーに叩かれていましたよね。ただ当たり前に風呂に入れと書かれているだけのことなのに、クソフェミに阿った裏切り者であるかのような言われ方をしていた。
腐女子に問題を指摘されたジェンダークレーマー腐女子も同じような動きをします。「名誉男性」認定するだけで人の言うことなど聞きやしません。そこに自閉性を感じもするのですが。集団で振り切れた暴言で袋叩きにされて「恐怖」を感じたときだけは効きます(己のダブスタを理解しているわけではなく、怖くて縮こまっているだけ)。それ以外ではナメてかかるので無理ですね。
「私たちがこういうことするから、こういうこと言うから、外部でも悪目立ちして叩かれるんだよ嫌厭されるんだよ」ってことを指摘して自浄しようとする動きがあっても、自閉は癇癪起こすだけです。
要するに女叩き男叩きジェンダークレーム関連って、異常腐女子や不潔カードゲーマーなどの被差別階級が言い合いしてるだけなんです。あとはニートや、時間を守れない脳障害があるので性風俗店で働いている女などですね。
「下」しかいない界隈なので、健常者にとっては関わるだけ時間の無駄です。
明確な差別を受けている被害者でありながら、不愉快なふるまいをするので嫌われるというのは、みいちゃんを感じますね。みいちゃんも勉強ができなくて癇癪起こしてましたね。
(みいちゃんと同じようにできないことが多い子でも「嫌われないほうの子」の比較用サンプルとしてムウちゃんを出すことに作者の底意地の悪さを感じます。でもムウちゃんも出さないと知的障害者像の網羅性に欠けるんですよね)
Permalink |記事への反応(22) | 14:39
そりゃ悪でしょ。
まず、「単なるダブスタ」ではなく「差別加害をした上でのダブスタ」なので。差別主義者であり加害者である前提は同じで、そこにダブスタが乗るかどうかの違い。少なくとも後者がマシは絶対に無い。
そして、差別反対の声に助けられている被害者の側からしても後者の方が嫌でしょ。ただ怪人に襲われるより、頼りにしていた仮面ライダーに襲われる方が絶望が深い。仮面ライダーは裏切り者だって風評は、仮面ライダー2号の活動や名誉にもマイナスになる。
その程度の事がなぜ分からんの? 分かった上でレスバに全てを賭けて、差別主義者こそどーなんだ!?って頑張ってるのか? 「リベラルは、保守未満の差別主義者どもと同格、同レベルです。なので団栗の背比べをやっています」という宣伝にしかなっていないのに。
で、そもそも、なんでこんなトンチキなコメントが出せるのかというと、冒頭の「差別加害をした上でのダブスタ」という発想が無いからなんだよね。
仮にリベラルがダブスタだったとして、差別主義者よりはマシだろうが! ダブスタ罪は差別よりも軽いぞ!
そこがおもしろい。
(仮面ライダーという例え話には、ライダーも所詮はショッカーに抵抗してくれる点が短期的に好都合なだけで本質的には得体の知れない暴力装置であり、本郷猛や一文字隼人といった個々人の高潔さとそれへの信頼によってのみ成立しているという含意があります)
軍隊のように「序列(階層、階級)」を重んじるから。産めよ増やせよ。「数(多数派)は力」。
「完全な平等(対等)」を信じている(つもりの)左派は、人間に区別や優先順位(序列)をつけることに
建て前では「否定的」なので集団が不安定になりやすく、絶えず内向きな「内ゲバ(粛清)」や、
外向きの「キャンセルカルチャー」等の排他性(選別)の発動によって「集団の結束(規律)」を維持しているから。
左派は、「なだらかに格差がある優先順位(序列)」を否定するので、次は「ゼロ=無価値」か「100=満点」かの
極端な二択しか選べなくなる。左派の宿痾である「ボクが考えた最強の理想主義=完璧主義=潔癖症」。
つまり、「味方(仲間)は100」で「敵(裏切り者を含む)はゼロ」なので、「敵の人権」は存在しなくなる(=攻撃に歯止めがかかからない)。
俺はハテサ的な人間が言ってることが
そこまで根本的に間違ってるとは思わない
しかしメタ的に見ると、だいたい5割ぐらいのSNS民に、程度の違いこそあれ、嫌われているわけだ
これは政策を改めたりアピール方法を変えても短期的には意味がない
嫌われてるんだから
SNS政治が「あくまで現実の政治のごく一部」だった時代はもう終わる
SNS政治は刺激的なキャッチフレーズとショート動画で決まるから
無理なもんは無理だ
だから諦めろってわけじゃなくてさ
例えばあなたが左派のアルファアカウントを持ってたとするだろ?
その垢で政治談義してさ
これはおかしい!仲間と協力して皆で同じことやろう!
これって冷静に考えればわかると思うんだ
あいつはうちの党首だけどなぜか左派に支持されてる、裏切り者かも、なんか支持したくないなあ
みたいな感じでね
だったら逆に考えて
石破を全力で理不尽に叩いてみたり
高市を無理があるアングルで褒め殺ししながら日本叩きにつなげるとか
そういうのもアリなんじゃないのかな
別にこの2人に限らないよ
そういう戦略をやってかないとさ
ゲリラ戦術というか
まさにそれだと思うんだよね
その2つは全く別の話だから
どう思う?
好きだった子に罵倒された。
大学のゼミで仲良くなった女の子を、勇気を出してデートに誘った。
普通に笑っていられた。
でも途中で、彼女が言ったんだ。
その瞬間、空気が変わった。
俺は少し考えてから言った。
彼女は驚いた顔で俺を見た。
「なんで?みんな行ってるよ?」
──そう、“みんな”。
まるで神のように扱われている。
それは才能への称賛じゃなく、
同じタイミングで叫ぶ。
それを「文化」と呼ぶなら、
考えることをやめた群れの文化だろ。
でも、“みんなが楽しんでる”って、それが正しい理由になるのか?
俺はただ、“行かない”と選んだだけ。
それだけなのに、まるで裏切り者扱いされた。
俺て最後に、笑いながら言った。
後悔はしていない。
石破氏の作文に「涙が出る」とか言ってる人がいるが、いま80年前の戦争にまつわる概説的な文章読んでそんな感動したりするか?別段、口にすることも許されなかった真実が初めて明るみに出されたわけでもない。歴史の授業はまいたび阿鼻叫喚だったか?
翻って、高市新総裁に対する印象操作のチマチマした工作が止まらない。
高市がワークライフバランス無視すると言った!
批判するのは別にいい。日本で一番批判を受け止めなければならないポジション(に就任見込み)なのだから。でも内輪で気勢上げるためのカスみたいな難癖はダメだ。それはジャーナリズムが本来担うべき「権力の監視」という仕事をサボって遊んでるだけである。
ごく冷静に言って石破も高市も政治家として大したタマではない。ずっと手を挙げ続けてきた結果、あんまりおいしくないタイミングでお鉢が回ってきただけの並の人物である。その並のおっさんおばはんを泣くほど持ち上げたり蛇蝎のごとく忌み嫌ったりするのは何故か?
今後、高市氏へのネガキャンは「女性なのに別姓を阻止しようとする裏切り者」というスティグマを軸に行われるだろう。
しかし氏姓なんて今やただの識別符号である。同姓絶対派が言うような国と社会の根幹でもないし、別姓派が言うようなスバラシイもんでもない。
みんな【ほんとうはどうだっていい】からこそ熱くなれるんだろ。サッカーワールドカップでボールがライン割った割ってないで大騒ぎするように。
本当に一つ一つの言動や選択に自分や家族の生命財産がかかってる時には、人間はそんなワーキャー言わない。
年中無休でバカなことを言ってる内田樹はたまに普通のことを言う。その一つが「知ったかぶりや受け売りでモノ言ってる奴こそ一歩も譲れない」というものだ。
いまの流動的な政治状況で確定的に言えることは殆ど無い。そしてわからなくなるほどアホはわかってるふうなことを言う。
【衝撃速報】熊本県警の“鉄壁の城”が崩壊! 国外ハッカーの魔の手、日本の治安を嘲笑!
熊本県警のメールサーバーが、2025年10月6日、国外からの不正アクセスを受けた。
その結果、約12万通ものメールが“県警の名をかたって”世界中へ放たれた!
目を疑うのは、その到達件数 およそ1万9千件。
もしその中にウイルスが潜んでいたら? もし、県警内部の情報が混入していたら?
「被害は確認されていない」との発表は、まるで嵐の中で“雨は降っていない”と言い張るようなものだ
「警察の情報インフラが破られたということは、行政の“デジタル主権”そのものが揺らいでいる」 情報セキュリティ研究者の声。
熊本が破られたということは、次に狙われるのは
まるでドミノ倒しのように、次の攻撃対象が静かに並べられているのではないか。
だが、専門家の分析によれば、内部情報を熟知した者でなければ突破は不可能だという。
果たして真の敵は外にいるのか?
私は叫ぶ。
70点くらいの普通に面白い1990年代アクション映画だった。
よかったところはテンポとスケール感、悪かったところはノリ?とシナリオ
「プレイ・ダーティー」はシェーン・ブラック監督が贈る、アクション満載の骨太で巧妙なスリラー作品。強盗団を率いる冷徹な男パーカー(マーク・ウォールバーグ)。彼はグロフィールド(ラキース・スタンフィールド)やゼン(ローサ・サラザール)といった腕利きの仲間たちと共に、桁外れの価値を持つお宝の強奪に臨むこととなる。しかし彼らの前には、ニューヨークに根を張る巨大な犯罪組織が立ちはだかるのであった。
という紹介文を見て、いや「シェーン・ブラック」が撮る映画じゃ無くね?と思って見たらこの文章から感じられる内容では全然なかった。リーサルウェポンとかラストアクションヒーローとか撮った監督だぞ!って感じのアクションコメディ。
紹介文から感じられる特殊能力に長けた腕利き強盗団による綿密な計画に基づいたクライムアクションみたいな感じだけど、実際に出てくる奴らアホばっかりだし、ウォールバーグも冷酷ではあるけど基本はアホだし、頭使って見る映画だと思って見たら脳みそ溶けちゃうよ。
銀行強盗に乗り込んだウォールバーグ一味。なぜかアホな若者が仲間にいて事態をかき回す。計画は上手く進んでいると思いきや休日に忘れ物を取りに来た警備員が強盗に気づき裏口で待ち構えていて襲撃を受け、盗んだ金を奪われてしまう。車で逃げた警備員を素顔を晒して銃を撃ちまくりながら走って追いかけるウォールバーグ。レース開催中の競馬場に追い詰め、大衆環視の中警備員を撃ち殺すウォールバーグ。金を取り戻しめでたしめでたし。
こんなテンションで終始展開される映画なのでそういうもんだと思って見るべき映画。
そんな中でもちゃんとスティング!な展開が盛り込まれていたり、シェーン・ブラック的なコメディ要素もウザったい部分も多いながらもクスリとさせられる部分もあり、シェーン・ブラック的な無駄に規模の大きいアクションも個人的にはよき。高架を走る貨物列車を脱線させるも落下位置を見誤って仲間全員巻き込まれるシークエンスとか「うわ~~~~バカだな~~~!!」って感じでよかった。
個人的に一番よかったのは冷酷なマーク・ウォールバーグという設定が途中、こいつやっぱアホなのではという1990年代の主人公的な展開を挟みつつも最後まで活きていたところ。
最初の強盗シークエンスの後、メンバーの一人が裏切り主人公は重傷、他の仲間は全員全員死亡してしまう。復活した主人公は裏切り者を探し出し追い詰めるも彼女は祖国を救うために巨大な強盗計画を企んでおり、最初の強盗計画はその資金調達のためだったことが判明。ウォールバーグは半ば巻き込まれる形でその大強盗計画に乗り出していく。
その計画の中で彼女の助けを借りたり想いを聞いたりして本当の仲間になっていき、最終的に計画は別の形で成功をおさめ彼女の祖国は救われたことがニュースで流れる中、主人公は彼女をきちんと射殺する。仲間を殺したケジメをつけるために。
個人的に見ながらずっと「でもこいつ仲間撃ち殺したやつなんだよなぁ」と思いながら、なんとなくそこはうやむやな感じで終わるのかなとか、ウォルバーグをかばう形で死んだりするんかな思ってたんだけどきちんと主人公の手でケジメをつける展開はよかった。
紹介文の「骨太で巧妙なスリラー作品」と思って見始めたら???ってなっちゃうけど、ノリの古さとかも含めてまぁこんな感じの作品でしょって感じで、今日はちょっとなんも考えずにアホなアクション映画見たいな~ってときに見るにはちょうどいい作品だったと思った。
「見誤った」んじゃなくて、ずっとパラレルワールドの話をしてるんだよね。
進次郎がというより、オールドメディアが。
だってあんたら自身が「進次郎圧倒的優勢!」「進次郎で決まり!」って報じ続けてたでしょと。
総裁選なんてちゃんと情勢を取材出来てれば本来大外しはしない性質でしょ。
高市が大量に党員票取ってるのもわからないってどうなってるの。
だからもうオールドメディアに見えてるものと現実とが乖離し過ぎててヤバい。
報じてきたことと大幅にずれた結果が出ても「小泉陣営見誤る」とか言ってて
(ちなみにはてブは一応ネットコミュニティなのに何故かオールドメディアと同一のものを見てて、ネットの中でも浮き上がったすげー不気味な村になってる。)
自分は前から何度か政局について見たまんまを増田に書いてる(はてブがパラレルワールド過ぎて怖いから)んだけど、
ブコメされながらもなんか本気にされないというか、
参院選の前は
「これは参政党が大勝ちしそう、すごい選挙結果見ることになるよ」って書いた。
当然その通りになった。
だって別に勝手に予測してるとか願望とかじゃなくてただネットで見たまんま、
「どういうトピックが盛り上がってるか」「誰がエールを受けてるか」を平らかに観察したまんまだもん。
大筋は当たるのは当たり前でしょ。
カンニングしてるんだもん。
このただの見たまんまを外し続けて
「あなたの見立ては0点でした」「あなたの予測はまた大外れでした」の結果を何回見ても
全然反省も修正もしないのがオールドメディア(とはてブ)なんだよね。
脳がどうかしてて、超強力な正常化バイアス的なものが静かに回転し続けてるんだと思う。
もはや笑う気持ちも失せた。
サイレントヒルの精神世界が目の前に現れてるみたいでガチ目に怖いのよ。
彼等の方でももし現実を直視する時が来たら(こなさそーだけど)
参院選前であれば
「自民党はもはや日本人を見捨てた」「自民党の保守はガス抜き要員のニセ保守」って世界観になってるから、これはすごいぞと。
一般国民が追い詰められた気持ちで、もう保守党や参政党しか行く場がない、
それほどまで自民党のことも警察のことも裁判所のことも信用出来ない気持ちが膨らんでるんだよと。
これらはただ静かにネット眺めていればありありと見たまんまに見えた。
そういうなんか物凄い焦燥と絶望と自民党への憎しみが生えてきてるのが見えてたのに、
要するに彼等は事実を取材したり民意をくみ取ったりする能力なんかなくて、
団結して「今度の焦点はこれです!」と発表して自己成就させるインチキ予言者だった。
ネットでダイナミックに現実や感情が動くようになった速度についていけてない。
オールドメディアは「自民党退潮は裏金と統一教会による」とか言ってたからね。
ネットで自民党を憎んでる人たちはそんなこと1ミリも問題にしてないよ。
そうじゃなくてグローバリズムと移住外国人に国を売り渡す怠惰で無能で堕落しきった裏切り者だから自民党は万死に値するわけ。
せこい不記載なんかどうでもいいの。
もうお前等のインチキ予言に固執するんじゃなくて、ネットで生の感情とストーリーを見ろと。
オールドメディアの中の人&視聴者達のノンベンダラリとした十年一日の自民党ヘイトなんて
こんにちネットで生えてくる自民党への憎しみには温度も速度も全く追いつけてない。
これまでにないほどの人数がサヨクおじいちゃんたちよりはるかに強く深く自民党を憎んでたのに
後期高齢化パターナリズムサヨクおじいちゃん達にはそれを認識すらできない。
何が起きてるのかわからないから流れを自民打倒に使うことも出来ない。
ついでに今後のことを述べれば
高市が総裁になったことでネットは相当平静を取り戻してきてる。
「高市は自民党だけどちゃんとやってくれるかもしれない」となってるから。
最近高市のことも「ガス抜き要員のニセモノ保守」として軽蔑する声が多かったのに
高市が面構えや声で信頼を引き寄せた感がある。
ワークライフバランス発言も戦闘的姿勢として好感されてる。
進次郎陣営の記念撮影写真が「これ次の選挙で落とすリストだぞ」と共有され回されてる。
あれ見てると中高年サヨク達の反自民は所詮、反抗期と言うか、アイデンティティと言うか、終わりを目指さないお遊びだったんだなと感じる。
こうした今の保守層・自民支持者達の心の動きがサヨクおじいちゃん達には全くわかんないと思う。
(傲慢さを捨てて虚心にネット見るだけで結構わかるんだけどきっとそれを出来ない。)
ただ進次郎陣営の記念写真はあまりにもいつメンオールスターなのも事実で
旧来自民党に憎しみを抱いてる保守層・一般層は絶対に受け入れなかっただろう感じはある。
自民党がこれまで経験したことのない憎まれ方をしてる状況下でこの写真を撮ってしまうこと自体が不用意だしオールドメディア的。
こちらが勝ってたら自民党は直ちに滅びてたと思うから、投票した人達の生存本能は大したもの。
(ネットをよーく見てるか、それぞれの地元で有権者の生の声を聴いてる)。
また、記念写真撮影現場に居ながら人の後ろで顔を横に向けて隠れている某女性議員も大したもの。
多分もとからあの陣営が味が悪いと勘づいていて、まして敗北後の記念撮影であれば「ここに写ってること自体災いを招く」と察知したんだと思う。
ネットでバレて突っ込まれてるけどこの生命力には尊敬の念が湧く。生き汚くていい。
逆に高市が良かった点として「自民党の中で浮いてる」という部分が間違いなくあって
ネットで憎悪されてる数々の自民党の政策に対して責任が薄いイメージになっている。
また、鹿の話をしたのも大変良かった。
ネットで高速回転する民意にレスポンスしてこなかったために生まれて膨らんだもの。
(みんな進次郎よりへずまに親愛の念を持っている。マジだ。へずまはすごい速さで声を聴いて動いてくれるため。)
だからネットのナラティブの象徴である鹿の話に触れる意味はあった。
オールドメディアが「差別だ」とか「事実性が確認されない」とか騒ごうが関係ない。
あれは「私はあなたたちの声を聴いていますよ」というメッセージになった。
自民党が大嫌いになって、”右翼”高市のことすら大嫌いになってた人達の心に
高市があの場で鹿の話をしたことがどれだけ響いたことか。リスキーだったがその価値はあった。
(民泊や運転免許等批判するのと違ってただちに仲間の誰かの面子潰しにもならないネタだろうしね)
ひたすら嘲笑するオールドメディアだけ見てたら「なんか突然ヘイトっぽい話をして胡乱な感じ」としか思えないだろう。
高市が自分でネットを見てるのか優秀なネット汲み取りスタッフがいるのかわからないが、
高市はオールドメディアよりも大半の自民議員よりも民心について見えてるものがある。
(ところでそれはそれとして、
オールドメディアの「シカ蹴る中国人などいない」「シカを蹴るのは日本人」はさすがにあり得ないし逆デマになってないか。
へずまと関係ない動画でも中国人が鹿を蹴ってる動画はyoutubeでも相当数見られる。なんで蹴るんだろね。)
まともな領主様がきちんと賊を討伐をしてくれるならきちがいヴィジランテは需要がガタ落ちするから。
今後の方針としては
A・辛抱強く高市にラブコールしながら勝手に同志や手下のように振る舞う
B・従来の活動を激化させて忘れられないようにする
C・「高市はニセモノ、日本を守れるのは自分のような捨て身の人間」と対決姿勢をとる
へずまは色気を出すならB、現実的にはD、
一気に需要が落ちるからしばらくローギア運転してた方がいいと思う。
参政党はCとAをフラフラしながらうまく運転しそうな気もする。
かなり下手でどうしようもない。
ネットの声を聞いてそこに応えるということが全然できない(からどんどんヤバくなる一方)。
少し面白い手として自民党に攻撃的だった右派インフルエンサーを抱き込んで活用ということをやってるみたいなんだけど、
多分抱き込んで指示してる側もセンスが無いのと、
抱き込まれたインフルエンサーもなんか舞い上がっちゃって全然役に立ってない。
そもそも攻撃的な言動や動画でフォロワー集めてたタイプの人材に
「我が党のイメージアップヨイショをやれ」という起用法自体が間違っていて
気持ち悪い口調と顔文字連打しながら進次郎やらせコメントレベルのポストを繰り返すようになって
単にそいつのview数いいね数フォロワー数が減っていくだけという事態になってる。
(そいつのyoutubeのコメント欄も罵倒や軽蔑のコメントが激増)
そもそも抱き込まれたの丸出しな奴がヨイショやってたってそりゃ誰も聞かないわけで
「クマさんじゃなくてワンちゃんに名前変えたら」とか言われてしまっている。
そういうのとは少し違う堂々の古株自民協力者のやまもといちろうとかも、
人の悪口言ってるときはまだしも火消しとか擁護とかヨイショとかやろうとすると毎度下手すぎて目を覆いたくなるし、
党の規模や力に比べてネットが下手という問題は本当に命取りになる課題だと思う。
公明党は創価学会の若手を中心に「我々は我々の公明党のよさを宣伝する」と
堂々としたネット活動をしていて創価や公明党に批判的な人間とも会話する力を見せてる。
(実際には高齢化が著しいのにネットには若者を選抜動員してイメコンしてるのもしっかりしてる。)
つまりネットに強い弱いというのは別に年齢は関係なく技術的な話でもなくて、
実際には脳の機能の一部・知性の一部だからすぐには出来ないし才能がない人には出来ない。
気にくわない書き込みを規制しようとか、下手くそな自演ヨイショしようとか、
全てをロシアのせいにしようとか、そういう解決法を思い付く人間がネット担当の進次郎陣営は終わってるということ。
大将も年齢ばっかり若くても既に脳の可塑性機動性で麻生太郎85歳に負けてそう。
おそらく今回変な反省をした彼の陣営の主導により、党の息のかかった下手くそ自民ヨイショは
どうも進次郎は当人も抱えてるスタッフも無能で間違いないと思う。
救いようがない。
マキは弱者男性だけど、顔立ちは整っていて、誰もが振り向くほどの美貌を持っていた。
マキのことは守ってあげたいと思う一方で、あまりに整った容姿を見ると劣等感で胸がぎゅっとなった。
それがずっと、胸の奥に小さな棘を刺していた。
マキは派手じゃないのに、大学のキャンパスに入った途端、男子も女子も目を奪われていた。
「え、あの人、イケメンすぎ…」
そんな囁きも聞こえる。
あたしはただ地味にメモを取り、説明会に耳を傾けるしかなかった。
「加奈〜、一緒に回ろ」
マキは昔と同じ調子で話しかけてくる。だけど並んで歩くだけで、比較される苦しさは消えなかった。
あるサークル見学で、背が高く落ち着いた雰囲気のユウジ先輩に声をかけられた。
「あ、新入生?良かったらこっち来なよ」
その視線があたしに向けられた瞬間、胸がざわついた。
LINEを交換して少しずつ仲良くなると、嬉しさと罪悪感が混ざった変な気持ちになった。
数週間後、サークルに行くと、マキとユウジ先輩が二人で話していた。
その距離の近さ、楽しそうな笑顔を見るだけで、胸の奥がじわじわと焼けるように痛む。
帰り道、思わず聞いた。
「何話してたの?」
マキは首を傾げて笑った。
その笑顔に、余計に腹が立った。
ある日、駅前のカフェで、二人が向かい合って座っているのを見た。
マキは髪を整え、耳に小さなピアスを光らせ、まるで自分の魅力を知り尽くしているかのようだった。
ユウジ先輩は穏やかに笑い、マキはそれに応える。
あたしの胸は締め付けられ、嫉妬が怒りに変わった。
その夜、マキからLINEが来た。「今日たまたま先輩と会ってさ〜」
あたしは既読だけつけ、返信しなかった。
「あんた、わざとだよね? 先輩のこと、あたしから奪おうとしてるんでしょ?」
マキは一瞬目を瞬かせたが、すぐに笑った。
「奪うって…加奈、付き合ってないよね?」
その一言で、胸の奥の棘が一気に突き刺さった。
背を向けて歩き出すあたしに、マキは何も言わなかった。
マキと離れて、最初はぽっかり穴が空いた。
でも、あの整いすぎた顔を隣で見ることも、比べられる苦しさも、もうない。
SNSで見るマキは相変わらず目立つ存在だったけど、恋愛は長続きしていない様子だった。
あたしはもう、その姿を見ても何も感じない。
そしてあたしは、自分の足で歩き出した。