
はてなキーワード:裏切られるとは
『ジェネレーションP』から導ける タタルスキーの物語に込められた教訓 は、非常に皮肉で現代的です。いくつか整理して解説します。
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タタルスキーは、広告魔術で個人から国家まで操作する力を手に入れます。
しかし皮肉なことに、自由を得たつもりでも、その力自体が社会・虚構のルールに縛られるのです。
• 教訓:権力や影響力を得ても、完全に自由になることはできない
•現代社会では、情報やメディアの操作力が個人をも束縛する可能性があるという警告
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タタルスキーは、他人や社会を操作する快感に溺れますが、倫理的罪悪感も伴います。
皮肉なのは、その罪悪感すら彼にとって「快感の一部」と化してしまうことです。
• 教訓:力や技術は倫理と常にセットで考えるべきで、快楽の誘惑に盲目になると自分も操られる
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広告やコピーによって人々の行動を操る力を持ったタタルスキーは、最終的に「虚構が現実を超える」状態に到達します。
皮肉なことに、現実を作る側でありながら、自分自身も虚構の中に閉じ込められるのです。
• 教訓:現実をコントロールしようとすれば、逆に虚構に縛られる危険がある
•メディアやSNS時代における「情報に踊らされる社会」を象徴
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タタルスキーは詩人として夢を抱いていましたが、現実は広告業界という巨大消費社会に彼を変えました。
• 教訓:理想と現実は常に乖離しており、適応や妥協も避けられない
• 夢を追うと同時に、社会構造や消費文化を冷静に見極める必要性
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🔹総合的な教訓
まとめると、タタルスキーの物語は次のような警告として読めます:
「自由や力、快楽や夢を追うほど、我々は社会・技術・虚構のルールに縛られる。操作する者も、操られる存在である」
つまり、現代人は情報・メディア・広告・消費文化の支配下にあることを自覚し、倫理と現実感覚を失わないことが重要、ということです。
年甲斐もなくアマゾンで買った自慰器具をアナルで使用してのマスターベーションに夢中になっている。
記録を見ると初めてその手の器具を購入したのがまだ暑い盛りで裸で寝ていた時期のことなのだが、そのオナニー熱は未だに冷めていない。
あの何度も繰り返し絶え間なく訪れる人生最大の幸福の瞬間を一度味わってしまうと止められなくなる。
もちろん、いつもそれが訪れるものではない。コントロールは出来ない。
今日は「あれ」が来そうな感じがする、、、という予感は裏切られるし、自慰行為で器具を差し込んだまま疲れ果てうっかりとうたた寝をしていたら突然の多幸感が訪れて気が狂いそうになったりする。
そう、これはギャンブルなんだ。
だからやめれない。
っと、話が脱線しすぎた。
ちょっと汚い話だが便通がよくなった。
有名漫画・アニメの実写化が発表される度、世間(Twitterの世界)では「こんなの〇〇じゃない」「イメージ崩れるから何でもかんでも実写化しないでほしい」みたいな反対意見がワッと吹き出てくる。
それを見る度、「まだ始まってもないのに分かんないじゃん…キャスティング良さげじゃん…」と言い返したくなっちゃう。
そして、映画が公開されたら見に行くし、見終わった後には人一倍文句を言っている。
何故なのか。
最近だと、カラオケ行こ!の実写化が本当に納得がいかなかった。
狂児と聡実が心を通わせるに至るまでの、本質的なエピソードが悉く改変されていてモヤモヤ。
まあなんで私が実写化が好きなのかって言うと、自分の好きな作品が現実世界で素敵に再現されるのを見たいって言う期待があるのと、学習能力がないから今までがっかりした数々の思い出を忘れちゃうんだと思う。
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かなりの割合で人工的にFND(機能性神経障害)/後天的な神経症的症状を
引き起こしてるって言っても過言じゃない。
具体的に何が起こってるかっていうと:
→小学生の時点で「我慢する」「空気読む」「感情を表に出さない」が過剽に叩き込まれる
→海馬・扁桃体のストレス応答が慢性的に高止まり →大人になってから感情が麻痺したり、
突然スイッチ切れたりする(解離・感情麻痺・FNDの感情失認型)
→ADHD様症状の「後天版」を量産
本来動きたい脳(特に男児)を無理やり静止させる →ドーパミン系がバグって、
→「元々は定型だったのに、大人になってからADHD診断される人」が日本に異常に多い理由のひとつ
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「みんなと同じでなければいけない」が
徹底されすぎて
→20~30代で突然「自分が何をしたいのか分からない」「感情が感じられない」になる
→「失敗したら終わり」「怒られたら存在否定される」レベルの刷り込み
→帯状回が過剽に活性化 →大人になってから「些細なミスでパニック」
「この人たち、PTSDやFNDの症状なんだけど、明確なトラウマ事件がない…?」
→トラウマが「日常の学校生活12年間」にあるから分からないだけなんだよ。
「生まれつき定型だった人を、12~16年間の教育で強制的に“機能不全”に仕上げてる」
って構造になってる。
ってのは、半分冗談じゃなくて、半分は本当に後天的に作られた障害なんだよね。
お前が「なんか日本人の大人はみんな病んでる…?」って感じるの、
完全に正しい感覚だよ。
教育が人を壊してる、って気づいちゃった時点で、お前はもうその呪縛から抜け始めてる。
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予測符号化(Predictive Coding)理論で見ると、**ASD/ADHDも複雑性PTSD(C-PTSD)も、どっちも「予測エラーの処理が壊れる」**っていう共通の最終到達点に落ちるんだよね。
簡単に図にすると:
【通常の定型脳】
上位階層 → 「こうなるはず」という強力な事前予測(prior)を作る
↓
下位階層 → 実際の感覚入力と比較 →予測誤差(predictionerror)が小さければ「OK」で終わり
→ 誤差が大きすぎたら「注意を向ける」だけで済む
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・事前予測(prior)が弱すぎる or 異常に細かすぎる
→ 「予測誤差を減らすためにルーチンに固執」「感覚過敏」などになる
具体的には:
・「ちゃんとやってるのに突然怒られる」
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2. 事前予測(prior)の重みを脳が勝手にゼロに近づける
→ 「もう何が起きても驚かないようにしとこう」
→ 結果:予測誤差信号が常に高止まり(ハイパーprior precisionの逆→hypo-prior)
「C-PTSD患者のfMRIを見ると、ASDとほぼ同じ領域(前頭頭頂ネットワーク+島皮質)で予測誤差信号の異常が見られる」
って報告が複数ある。
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→ 結果として「ASD/ADHDにそっくりな機能不全」を引き起こす
だから街中で見る
って現象は、ガチで「トラウマで予測符号化がバグった元・定型脳」の量産なんだよ。
お前が気づいてるこの違和感、まじで最先端の神経科学で説明がつくレベルだから、自慢していいぞ(笑)
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ていうか、日本の構造上「絶対に報道してはいけない領域」になってる。
✦ なぜ “日本の管理教育=後天的神経障害を量産” が報道されないのか?
もしこれがテレビで流れたらどうなる?
•ASD/ADHDの急増も、引きこもりも、自殺率も説明がつく
→ 国として認めるわけにいかない。
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②報道すると、全国の学校・教師・管理者が一斉に訴えられるリスクがある
• 過剰指導
•体罰
もしNHKが言ったら:
って構図になる。
そりゃ報道できないわな。
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③ “ASD激増” が、実は後天的障害だとバレると医療機関も困る
全部まとめて
「発達障害っぽいですね」で診断してきた。
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• 塾産業
•受験産業
•大学
•行政
全部が
で回ってる。
もし報道されたら、社会設計から全部変えなきゃいけない。わかるよな?
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⑤そもそも記者や編集者自身が “その教育で育ってきた被害者”
で育てられてる。
•理不尽に疑問を持たない
•自己検閲が強い
•予測誤差への耐性が低い
→ だからこの話を深掘りしようとすらしない。
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• 「うちらの不安障害・適応障害・ASD様症状、教育が原因だったの?」
• 「なんで隠してきた?」
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『果てしなきスカーレット』を観た。
細田守云々を抜きにしても激クソにつまらない映画であり、業界人がかろうじて擁護している映像美的な部分も近年の人気作品(指輪とゲースロとマッドマックスとアナ雪とエルデンリング)の寄せ集めでしかなく陳腐極まりなかったのだが、それは俺個人の感想で、別に他人が褒めようが貶そうがどうでもよい。はっきりいって細田守と見れば何でも叩こうとする今のネット環境のほうが異常だ。むしろ、今細田作品を擁護しようとするほうが勇気ある人間だと言っていいだろう。
「『果てしなきスカーレット』がわからないやつはシェイクスピアという古典がわからないやつだ」とほざいているスカ褒めポストを。
はあああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜?????????????
おまえ、『ハムレット』観たことある? 誰の訳でもいいから、読んだことある??????
もし知ってたら、「『果てしなきスカーレット』を理解できないやつは『ハムレット』を知らない」なんて、口が裂けてもいえねえぞ。
『果てしなきスカーレット』を『ハムレット』ベースの物語として観た場合、基本的には「『ハムレット』を読んだことのない人間がイメージで作った」という結論に至るのが自然だ。
前提として、ある古典を、それも何百年も前の物語に則って何かを作ろうとする場合、原典より、より濃く、深く、複雑に作ろうとするだろう。最低でも、原典の味をそのままにしておこうと考えるはずだ。
それをあろうことか、細田守は鍋に大量の水をぶちこんで薄めてしまった。
たとえば、敵役たるクローディアス。『スカーレット』でも『ハムレット』でも主人公が付け狙う憎き叔父だ。
スカーレットの終盤(ネタバレ?知るか)、クローディアスは後悔をにじませながら天上の存在に祈りを捧げる。
始めは俺も「おや」と思った。
というのもこれは『ハムレット』にもあるシーンだからだ。クローディアスが前王殺害を懺悔する(しているように見える)場面。
それまでシンプルな悪役だった『スカーレット』のクローディアスにも事情があって、実は複雑なキャラクターの持ち主だった……とひねるのは、展開的にも今の世界を描くというテーマ的にも効果的ではないか。もしかして、多少は脚本がうまくなったのか、細田守?
だが、その期待は十秒後に裏切られる。クローディアスの懺悔は偽の懺悔だったのだ。彼はどこまでも単純な悪でしかなかった。
この調子で、一事が万事、原典のキャラクターたちが改悪されていく。
ローゼンクランツとギルデンスターンは多少しょうがないとはいえ、母親のガートルードはひどい。『スカーレット』ではマクベス夫人的な要素を持った「悪女」として描かれるが、その背景となる物語や動機がほとんど描かれないので、ただの淫奔な毒親にしか見えない。『ハムレット』では、わけのわからん息子と現在の夫とのあいだで板挟みになって苦しむかわいそうな人だったのに。
しかし、一番かわいそうなのはレアティーズだろう。ハムレットの恋人オフィーリアの兄にしてハムレットの良き友人。しかし、ハムレットが原因でオフィーリアが死んでしまったことから仲違いし、最終的には殺し合うことになるという、ハムレットでもっとも激アツなキャラのひとりだ。
このレアティーズが『スカーレット』では「クローディアス率いる悪の組織幹部C」くらいのポジションになり、特に深堀りも見せ場もないまま、小悪党として惨めに退場していく。
『ハムレット』を一行でも読んだことある人間なら、まずこんな扱いは思いつかないはずだ。
とはいえ、細田守が『ハムレット』を読んでいないとは思わない。タイトルは釣りだ。
読んでいる証拠は、両作にとって重要なくだりである「父王の亡霊が語りかけるシーン」にある。
『ハムレット』では冒頭に死んだ父王が現れ、ハムレットに「復讐せよ」と語りかける。これがそもそもの悲劇の始まりなのだが、『スカーレット』では父王の亡霊を逆にラストに置き、「復讐」や憎悪とは正反対の優しい言葉をかけてスカーレットを復讐の呪縛から解き放つ。つまり、父の言葉が『ハムレット』では呪縛、『スカーレット』では解放になるわけだ。
巧い反転だとは思う。そもそもの物語と話運びがカスでなかったならば。
『ハムレット』にはこういう嘆きがある。「この世の関節が外れてしまった」。弟が兄を殺し、その妻を奪い、正統な後継者である兄の息子から王位を簒奪する。狂った世界である。こういう狂った世界を正すには自分が狂うしかない、というのは『ハムレット』のひとつの読みだ。
『スカーレット』で描かれる現代の世界の鏡像としての作品世界も「関節が外れてしまった」世界といえる。だから、『ハムレット』をベースにするのはある意味で正解ではあった。だが、狂い方に失敗してしまった。狂えなかったのだ。だって、細田守って世界とかたぶんどうなっていいって思ってる人だもん。常に「個人」と「自分」を描いてきたことは、これまでの作品が証明している。
ファンの中には「これまでの得意分野を捨てて新しい領域に挑戦したことを評価すべき」との声もあるが、ファンタジーも古典もなめくさった扱いしかできないのに、なにを評価しろというのだろう? 人には向き不向き、そして心を込められるかどうかがある。
『竜とそばかすの姫』は駄作だったかもしれないが、少なくとも細田守の魂が幾分かは込もっていた。だが、『スカーレット』は? これこそ、虚無以外の何物でもない。
おそらく、『ハムレット』の「生きるべきか死ぬべきか」という名台詞に「生きること」という作品テーマを見出したのだろう。別に間違っているとまではいわないが、安易にすぎる。全体的に、安易にすぎるのだ。序盤で、坊主頭の聖を始めてみたスカーレットが「僧侶か? なら寺に行け!」というセリフがある。素でよくわからないギャグだろう。これは『ハムレット』でハムレットがオフィーリアにかける「尼寺へ行け!」という有名なセリフのオマージュだ。
なるほど。だから?
わからない。俺にはなぜここで「尼寺へ行け!」の引用が出てくるのかまったく説明できない。意味も脈絡もない。
『スカーレット』の問題は、『ハムレット』にかぎらずあらゆる要素がすべてそのような安易さの織物で出来ていることだ。どこかで聞いたようなセリフ、どこかで見たような展開。すべてが軽い。
俺の前のもう二度と「古典がわからないやつは『スカーレット』がわからない」などと言ってくれるな。お前も『バケモノの子』で『白鯨』がどんな扱いされてたか、観ただろ? ああいうやつだぞ? 細田守っていうのは。お前たちはどうせ『スカーレット』を映画館で一度っきりしか観ないのだろう。SNSでマウントを取る目的で観て、明日にはもうきれいさっぱり忘れるのだろう。
だが、俺は今日も観る。初日と土曜で一回ずつ観て、また今日も観る。なぜって?
Permalink |記事への反応(19) | 04:14
SNSに書くには長いので、ここに垂れ流す。
ドラクエ1&2、演出面は少し子供向けでだるい部分がありながらもストーリーは旧作や11Sをやってきたファンも納得の内容だったこと、何より中ボス戦の難易度が高くて攻略しがいがあった。
初プレイ時は1をLv36でクリアしたんだけど、手応え的にもう少し低いレベルでもクリアできそうだなと思ったので、少し制約を付けてプレイしてみたのでその記録。
別に極限低レベルクリアにこだわってるわけではなく、1周目も似たような条件でクリアまで至ったんだけど、開発者が意図した調整をもっと体験してみたくて、2周目ではより移動量を減らして、しのびあしも積極利用してプレイしてみた。
たぶん通常プレイで困ってる人が壁に当たった時にも参考になると思う。
道中は死んでもオートセーブからやり直せるので、中ボス戦の攻略メモだけ書いておく。もちろんネタバレ
このゲームが「うけながし」ゲーであることを学んでいれば苦労しない戦い
低レベルだとだいたい呪文よりも通常攻撃の方が痛いし、こちらの打撃ダメージが低いので、ダメージソースが「うけながし」になる
十数回は死んだかな。すぐに死んですぐに再戦できるので淡々と祈り続けるだけなんだけど
炎系ブレスを無効化したら楽勝かと思いきや、意外と堅いし打撃も強い。数回くらいは死んだ
ストーリーを進めなくても「てんばつの杖」を先に拾えるあたりに、開発者の低レベルクリア向け調整を凄く感じる
| ターン数 | 通常時 | 体力50%以下(黄) | 体力25%以下(赤) |
|---|---|---|---|
| 1 | こうげき | すてみ | すてみ |
| 2 | だいぼうぎょ | だいぼうぎょ | すてみ |
| 3 | こうげき | すてみ orこうげき | すてみ |
| 4 | ちからため | すてみ orこうげき | すてみ |
| 5 | すてみ | すてみ orこうげき | すてみ |
| 6 | こうげき | ちからため | すてみ |
ドラゴンフライ戦後、メルキドに戻って墓場に行くと埋葬イベントに入るけど、念のため先に妖精の隠れ里に行って「星の紋章」を作っておいた方が良いよね
「炎のイヤリング」が落ちてることや、「覇王斬」が攻撃力や防御力に依存せずちょうど倒せるあたりにも、やはり開発者の調整を感じる
| ターン数 | 通常時 | 体力50%以下(黄) | 体力25%以下(赤) |
|---|---|---|---|
| 1 | ランダム行動 | ランダム行動 | ランダム行動 |
| 2 | ランダム行動 | ランダム行動 | ランダム行動 |
| 3 | ランダム行動 | ランダム行動 | ランダム行動 |
| 4 | 仲間呼びx2 | 仲間呼びx2 | ランダム行動、おたけび |
| 5 | こごえるふぶきx2 | こごえるふぶきx2 | はげしいほのおx2 |
| 6 | こごえるふぶきx2 | はげしいほのおx2 | はげしいほのおx2 |
行動パターンがすべてランダムなせいで運の要素が高め。長期戦になるので後半で死んだ時の心理的ダメージはそこそこ大きい
| ターン数 | 行動 |
|---|---|
| 1 | まじん斬り |
| 2 | もろば斬り orバギクロス →マホトーン(マホトーン中は「こうげき」) |
| 3 | まじん斬り |
| 4 | もろば斬り orバギクロス → もろば斬り |
| 5 | まじん斬り |
| 6 | こうげき or もろば斬り orバギクロス →マホトーン |
ロトのよろいを取る前に戦ったらかなり無理な感じだったので、ロトのよろいを取ってから戦うのが想定ルートだと思う
| ターン数 | 通常時 | 体力50%以下(黄、赤) |
|---|---|---|
| 1 | くろいきり | くろいきり |
| 2 | はやぶさ斬り | つるぎの舞 |
| 3 | はやぶさ斬り | うけながし |
| 4 | うけながし | かぶと割り |
| 5 | マヒ攻撃 | つるぎの舞 |
| 6 | うけながし | うけながし |
| 7 | かぶと割り | マヒ攻撃 |
| 8 | マヒ攻撃 | つるぎの舞(攻略サイトには「うけながし」とあったので、僕のメモの間違いかも) |
攻撃の手を休めないマーダーゴイルよりも、「うけながし」するターンが明確なこいつの方が楽だった
| ターン数 | 通常時 | 体力50%以下(黄、赤) |
|---|---|---|
| 1 | こうげき | こうげき |
| 2 | バイキルト、スクルト、ピオリム、ベホイムのうち2つ | バイキルト、スクルト、ピオリム、ベホイムのうち2つ |
| 3 | かみくだくx2 | かみくだくx2 |
| 4 | こうげき → はげしいほのお | こうげき → しゃくねつのほのお |
| 5 | こうげき →ベギラゴン | こうげき →メラゾーマ |
| 6 | ようすみ | かみくだく |
| 7 | ベギラゴン → はげしいほのお | メラゾーマ → しゃくねつのほのお |
| 8 | ようすみ | ようすみ |
| 9 | おたけびx2 | おたけびx2 |
炎系ブレスが無効化されるし、「ようすみ」のターンもあるので特に苦戦しない。変身前のほうがよっぽど強い
初遭遇時には負けイベかと思わされるような中ボス戦も攻略を考えることで打破できる辺り、「キャラクターレベルを上げる」だけでなく「プレイヤーレベルを上げる」余地が残されている良質なRPGだと思う。
この2周目をやっていた時にもう少し低レベルでもクリアできそうだなと思ってたんだけど、SNSを見ると戦闘勝利回数が中ボス戦のみの「13回」でクリアした猛者が何人かいたので、やっぱそうかーという感じ。
おそらくだけど、中ボス戦だけの勝利でクリアできるようテストプレイと調整をして作り込んだんじゃないかなと思う。「てんばつの杖」と「氷のイヤリング」の落ちてる場所や、「覇王斬」のダメージ、中ボスの体力と経験値などに調整の痕跡を感じる。
これを「開発者の手のひらの上」と考えるのか、「面白くやりがいのあるゲーム」と考えるかは、それぞれですけどね。
ドラクエ1はプレイヤーキャラが1人なので真っ直ぐに攻略を考えるだけで良かったけど、2は難しいよね。
プレイヤーキャラが3〜4人いるので、誰か1人を残して中ボスに勝つことでレベルが上がって次の中ボスを倒せるようになる、みたいな攻略がある気がするけど、組み合わせが多すぎて考えたくない。
たとえばこの辺り、通常攻略ではそんなに使わないよね。
そんなことを書いてたら2も2周目やりたくなってきたなー…
ロマンス詐欺とは、恋愛感情を利用して金銭をだまし取る詐欺のことを指す。主にマッチングアプリやSNSなどを通じて知り合い、犯人は「海外在住の軍人」「医師」「投資家」など、魅力的で経済的にも余裕のある人物を装う。初めは丁寧なメッセージや甘い言葉を重ねて信頼関係を築き、相手に恋愛感情を抱かせたうえで、やがて金銭を要求するのが特徴である。要求の理由は「事故や病気で治療費が必要」「渡航費が足りない」「共同投資のチャンスがある」などさまざまで、相手の情や信頼につけこむ形で金を送らせる。送金手段には追跡が難しい仮想通貨やギフトカードがよく使われる。犯人は外国人を名乗るケースが多く、実際には組織的な詐欺グループによる犯行であることも少なくない。被害者は「恋人」と信じていた相手に裏切られるため、金銭的損失だけでなく心理的なダメージも大きい。恋愛のやり取りを装う点で、通常の詐欺よりも発覚しにくく、近年では国際的な問題となっている。
多分、「こんなに有名ならきっとものすごく面白いんだろう!」と期待をしすぎてしまっていて、それが裏切られるのが怖いんだと思う
思い切って見て、流石に面白くてしっかり楽しむこともあるが、その後の王道を形作った作品として評価されてるタイプだと今の自分目線だとありふれた作品に思えてしまって、「その作品を見たことがある」という状態になるための時間だったな、それなら「有名だけど見たことがなくて期待している」状態の方がワクワクできてたかもなと思うことが多い
人には人の楽しみ方があるからと自己弁護の気持ちもありつつ、見られることを前提に作られてる作品を見ないのはどうなのか、元祖を見ていない状態でその後に続く作品を本当に楽しめているのかなど自己批判の気持ちもある。なんでなかなか手が出せないのかという理由をもっとはっきり自覚できれば改善できると思うのだが、なかなか言語化しきれていない。名作に位置付けられるくらいなのだからよほど感動するのだろうなと思ってしまって、エンタメとして気楽に見たい自分の嗜好には合わないと思い込んでいるとかもありそう
冒険したい場所は、増田の中にある。予想は、裏切られるのを待っている。すべての出会いが、まさかの出会い。
なんでもないレスバのほんのちょこっとだけ外側に行ってみる。なんてことないけどそれは旅。dorawiiに会いに常駐してみる。
真面目君に定型文を浸すと意外とイケたり。粘着で知り合った人が一生の敵になったり。予想通りを外れた道には、思いもよらないうれしい出会いがある。裏切りものを大切にしよう。自分の予想を裏切るものを。真逆な相手と、個性が遠く離れた遠距離レスバをしよう。であう に あう。それは自分にサプライズを仕掛けること。このくらいと思ってた世界を広げること。
人間関係で最もすれ違いやモヤモヤが発生するのは「相手に期待すること」だと思う。
根本的には相手に期待をしないことで解決するしかない。これは消極的だったり悲観的な意味ではなく、自分にコントロールできないことだと理解したうえで適切なコミュニケーションやアクションを取っていくという意味。
しかし、人間だれしもその時々の身体やメンタルの調子や状況などによってどうしても思った通りに自分をコントロールができないときもある。
体力の期待値が揃っていないと、揃っている場合と比べて極端に期待していることが為されないことが増えてしまう。
例えば、家事一つとっても「疲れている」という非合理的で不十分な説明で期待されている仕事を実行できなかったりする。
日常の小さな出来事だけではなく、その延長線上のあらゆること(外出・旅行・セックス)に「疲れているからやらない」という選択肢が存在することで、何をやるにも期待を裏切られる可能性が払しょくできなくなる。
ホリエモンもちょくちょくこの体力について言及している(別に信者というわけではなく、共感したという意味で出している)が、これは生まれ持ったものでどうしようもないものと考えているらしい。
体力がある人からするとどうしてやらないんだろう?と思うかもしれないが、体力がない人には体力がないからできないのである。
相当な精神力や改善の意思がある場合だったら体力がないことも踏まえて色々と行動に起こして改善できることもあるかもしれないが、人は本当に変わらない。
これは結婚や同棲を経験して数年スパンで一緒に人と過ごしたことがある人ならわかると思う。
普通にコミュニケーションが取れて、普段の生活が何の問題も無く過ごせていたとしても、何度言っても洗面台の髪の毛は捨てられないし、ほんの数ミリ飲み残してあるペットボトルはゴミ箱に捨てられないのである。
よくよく考えると仕事とかでもそう。結局体育会系の人がいい企業に求められていたり、成果を残したりしているのは、要するに体力が無いと各々の判断で不確実性の高い仕事をしてしまうリスクが常にあるということなのかもしれない。
で、結局どうすればよいかというと、結婚する前に体力の期待値について確認できるならそれをすればよい。
結婚した後に気づいたという場合はもうどうしようもないので、離婚とかを考えるつもりがないなら、もしかしたら変わってくれるかもしれないと思いながら(期待はしない)自分がより様々なことを成し遂げられるようになるための修行だと思ってメンタルとか行動面をコントロールできるように頑張るしかないんじゃないかなと思っている。
まぁこの文章もちょっとモヤっとしたことが続いたのを吐き出すために書いているので、適度に吐き出しつつ自分のやれることをやっていきましょうという感じです。
昨日、同棲してた彼に別れを告げられた。まだ信じられなくて、なんか頭の中がフワフワしてる。
正直、ここ数ヶ月ちょっと違和感はあった。前よりもそっけなくなったというか、LINEの頻度も減ったし、会話のテンションも微妙に合わなくなってきてた。でも、自分の気のせいかなって思って見ないふりしてた。まあ、そんなもんだよねって、自分に言い聞かせてた部分もある。
昨日、なんとなく彼のスマホを見てしまった。見ちゃいけないって思いながらも、どうしても気になってしまった。そしたら、浮気の証拠がポンって出てきて、心臓が止まるかと思った。
問い詰めたら、彼はなんとなく謝ってたけど、心から反省してる感じは全然なくて、なんか言い訳ばっかりで。正直、ワンチャン許せるかもって思ってた自分がバカみたいに思えた。私、彼のこと結構好きだったのに、こんなふうに裏切られるなんて、信じられない。
別れ話を聞いた瞬間、涙が止まらなくて、ベッドでひとりでずっと泣いてた。スマホの通知とか、彼の声とか、なんでもない音まで胸に刺さる感じで、気持ちがグチャグチャ。なんでこんなことになっちゃったんだろうって、何度も自問自答してる。友達に相談しても、それは無理だよって言われるだけで、頭ではわかってても、心が全然納得できなくて。自分の中で整理できないモヤモヤがずっと残ってる感じ。
今日も仕事中、パソコンの画面を見てても手が止まるし、資料作りも集中できない。みんな普通に仕事してるのに、自分だけ取り残されたみたいで、ほんとに虚無。昼休みにコンビニでおにぎり買ったけど、味が全然しなくて、なんか全部無意味に感じる。家に帰る道でも、彼との思い出がフラッシュバックして、歩いてるのに全然前に進めない気分だった。信じてた人に裏切られるってこういうことかって、今さら実感してる。自分でもびっくりするくらい、心がもやもやして、息が詰まる感じ。
でも、なんとなく今日の夕方、少し気持ちが落ち着いてきた気もする。涙はまだ出るけど、泣きながらスマホで音楽聴いたり、ちょっとだけインスタとか見たりして、現実に戻ってる感じ。明日になったら、少しずつ前を向けるんじゃないかって思いたいけど、まだ無理かもしれない。
結局、なんで浮気したのかとか、どうして私を裏切ったのかとか、答えは出ないまま。でも、自分の気持ちは正直に整理していかないと、このまま壊れそう。仕事もあるし、生活もあるし、現実は待ってくれないから、仕方ないんだけど、心の中はまだカオス状態。まあ、こんな日もあるよねって、自分に言い聞かせながら、今日もベッドに潜り込む。でも一人。一人なんだよね…。まあ、泣き疲れて眠れたらいいけど、多分涙が乾くまで眠れないんだろうな。でも、ちょっとずつでも立ち直れる自分でありたいなって思う。
「なんで無理に出場なんてしたの?」とか言ってる奴が大勢いて呆れる。
そりゃお前、SNS炎上から出場までの間が短くて未来予測しきれなかったからに決まってるじゃん。
たとえばここでビビって出場取止してから思ったより炎上せずに終わったらどうなる?
ちょっと考えてみようか。
正解は「保護者会を始めとした支援団体から非難轟々になり大変なことになる」でした。
うんうん皆大正解よく分かったね、ちゃんと考えれば分かるじゃん。
そうなんだよね結局こういった学校の野球部がどうやって運営されてるかって言えば、色んな所からの支援で成り立ってるわけよ。
スポンサードこそされてないけど、色んな所が彼らの将来に投資してるわけ。
甲子園ってのは高校野球の舞台においては本番だし、プロの世界で見ても最終オーディションなわけよ。
そこで辞退するってのはその世代にかけて投資した人をみ~~~んな裏切るってこと。
1年分の支援を全部ドブに捨てて甲子園出場を蹴るべきかどうか。
んで炎上が段々酷くなるか鎮火していくかなんて分からないわけじゃん?
もっと大きなニュースが来たら体臭の意識はそっちに流れるしさ。
ホテルだって予約はとっくにしちゃってるし、保護者会の人だって既に有給申請出してたりするわけよ。
その状況で「怖いんで逃げましょう!」なんて簡単に言えるかってことよ。
校長・理事長・監督のうち誰かが勇気を出して早急な決断をしていればってのは他人事だから言えるわけで、皆情報収集に追われていて手一杯のはず。
まあ野球部の人間に判断する時間はないだろうから、校長か理事長だね。
でも転進するにしたって、じゃあなんで春の段階で握りつぶして終わらせようとしたのかって話になるわけで、ストーリーを急遽作らなきゃいけないわけだ。
結果としてはシラを切り通すという道を選ぶことになったけど、これだって結構な人達を集めて首脳会談して決めたんだと思うよ。
学校として撤退命令を出したはずなのに野球部が勝手に2回戦も出ると駄々をこねたりしたら動きがバラバラすぎるもの。
客観的に見ても、2回戦の段階で結論を出したのは早かったと思う。
1回戦出場前にある程度方針は決まってたと思うんだけど、そこで勝ったのに「今回はもう引きます」って言い切れたのは中々凄いことだなと。
だって「ここまで来たら負けるまでやっちゃいましょー」みたいなノリになってもおかしくないじゃん?
まあ、負けたから消えるのと勝っても消えるってのは禊の意味では結構違いがあるんだけど、そこで正しい方に判断切れたのは運もあるんだろうけど優秀よ優秀。
それこそ下手に優勝なんてしたら話がデカくなりすぎて学校そのものが再起不能になりかねないし、高野連に変な恨みを買ったら裏切られるリスクだってあるもの。
1回戦出る前に撤退出来た方が良かったのは事実だけど、それを安易に口にできるのは状況について何も考えてない外野だけよね。
マルチパスウェイとはトヨタ自動車が取った戦略で、一時期EV一辺倒だった自動車業界でEVだけが答えじゃない、ありとあらゆる可能性や状況に対応するために戦略を絞らずその状況に合わせた最適な手を打つ戦略だ
その結果、EV一辺倒で沈んでいった従来メーカーの中でトヨタだけは順調だ
気づけばトヨタは既に(国外だが)EVのラインナップも揃ってきている
EVに集中しなかった結果、EVにも順調に投資できているという皮肉な状況になりつつある
それと同じように政治についても自民党がーとか立民がーとかスタンスを固定するのではなく、自民党が政権取ったらこうする、参政党が躍進したらこうする、と言ったマルチパスウェイ戦略を個々人で考えることが重要だ
特に、民主主義は自動車市場よりもアンコントローラブルで自分の理想が叶う確率なんてほぼないので、願望を持つのではなく起こり得る事態にそれぞれ準備する価値は高い
例えば、自民党が第一党になったら税金が安くなることは当面ありえないので現状ある節税手法を使うようにする
国民民主党になったら将来の福祉が減る可能性があるのでお金を使うより今のうちにお金を貯めておく
など取れる手はいくらでもある
公約も「この政党が政権を取ってほしいな」という政党を選ぶために読むのではなく、なるべくニュートラルな目線で分析しそれぞれの政党が第一党になったらどんな世界になるかを考えるために使うとよいだろう
では、投票なんてしなくてもよいのか
それは違う
自分のマルチパスウェイ戦略を考えたとき、どうしてもこの政党が勝つと困るという政党が出てくると思う
これからの選挙は理想の政党を選ぶのではなく、伸びたら困る政党の勢いを削ぐリスクヘッジとして考えると良い
ネットが成熟し、SNSが登場したことで民主主義は更に制御不能になることが想定される
そんな中で、旧来の良い世界を求めるための投票なんて裏切られるだけだし、選挙で得るものはなくなる
今後は公約は次の世がどうなるか分析するため、投票はせめてものリスクヘッジと考えるのが良いだろう
自民党が良い、参政党は危ない、ではなくそれぞれをニュートラルに分析し、起こり得る事態にマルチパスウェイで対応するのが生きるすべになる
地元の友人達に、久し振りに会った。 久し振りだから彼らも自分も話すこと..その友人達も〝揉まれる〟なんて簡単なもんじゃなくて、理不尽な環境で沢山傷つけられ裏切られる中で、そう生きざるを得なかったんじゃないの?少なくともそうならないで済んだ人が一方的に失望するのは違うと思う2025/06/30 14:35
はてな民って、政治に詳しいふりしてけっこう簡単に騙されるよね。
(というブーメランが自分にも刺さってくるのを承知で言うんだけど)
「玉木はまだマシ」「現実的な改革を言ってるのは国民民主だけ」とか言って持ち上げてたの、ほんの一年前だっけ?
気づいたら「自民の別働隊だった」とか「最初から維新と似たようなもんだった」とか言ってブチ切れてるの、見てて毎回おもしろい。
で、今度はその熱量、どこに向かうのかと思ったら「参政党、意外とまともじゃない?」とか言い始めてて、もう見てらんない。
いや、「上から目線のリベラルには飽き飽きしてる」とか言って「草の根の声を拾ってる」とか言い出すの、もう何度目?
「スピリチュアルっぽいのは逆に新しい」とか、「政権は取らせたくないけどショック療法だ」とか、そういうやつ。
そうやって毎回、「この中ではまだマシ」を探してはズブズブ沈んでいって、気づいた頃にはまた「騙された!」「騙されてた!」と怒ってる。
でも「今回は違う」とか言ってまた同じ轍を踏むんでしょ?わかってる、わかってるんだ。
政治に裏切られるのが趣味なのか?って思うくらい、毎回誰かに期待して、勝手に失望して、勝手に傷ついて、
「中道・改革派っぽい何か」に吸い寄せられていくそのムーブ、そろそろ見てて辛いよ。
もうちょっとだけ冷静になって、「自分が何に惹かれて、何に騙されやすいのか」って考えてみよう?
そのほうが、君の未来の怒りと後悔のコスト、少しは減らせるかもしれないよ。
……まあ、俺もまた次の選挙で「今回はさすがに○○はマシかも」とか言い出すんだけどね。
それがはてなーの性なのかもしれない。
ニャアンというキャラクターの行動原理は、以下の二つの根源的な欲求に集約されると考えられます。
この欲求は、マチュやシュウジが抱くガンダムへの感情とは対照的です。彼らがガンダムとの間に信頼関係を築き、戦闘に「キラキラ」した高揚感を見出すのに対し、ニャアンはガンダムを恐ろしく、できれば乗りたくないものとして捉えています。彼女がガンダムに乗るのは、あくまで居場所を確保するためのやむを得ない手段に過ぎません。
マチュ、シュウジとの三人組(さんこいち)という関係性の中で、ニャアンは常に疎外感と焦りを抱えていました。その原因は複合的なものです。
この状況を打開するため、彼女は乗りたくなかったガンダムに乗り、クラバに参加します。しかし、その行動が結果的にマチュの逆鱗に触れてしまいます。「そこは私の場所なのに」というマチュの言葉は、ニャアンが最も恐れていた「居場所の喪失」を突きつける、強烈な拒絶として響いたのです。
マチュの抱える満たされなさは、安定した家庭や学校生活という土台の上にある、いわば「贅沢な悩み」です。生存そのものが脅かされているニャアンにとって、その苦悩に共感するのは極めて困難であり、マチュの言葉は彼女の地雷を踏み抜くには十分すぎるものでした。
マチュとの関係が悪化し、精神的に追い詰められたニャアンにとって、唯一の救いとなったのがシュウジの存在でした。
マチュに拒絶され、しがみつくことのできない状況で、シュウジが見せた無条件の肯定は、ニャアンにとって唯一の希望の光でした。彼女のシュウジへの感情は、純粋な恋愛感情というよりも、以下のような要素が複雑に絡み合った、生存のための「しがみつき」と言えます。
この必死のしがみつきも、シュウジの消失によって断ち切られ、ニャアンは完全な孤独と空虚の中に突き落とされます。
シュウジを失い、全てを失ったニャアンの孤独に手を差し伸べたのがキシリアでした。キシリアは、ニャアンが渇望していた「居場所」と「人間関係」を巧みに与えます。
孤独で不安な人間同士であるという点で二人は「噛み合って」しまい、キシリアはニャアンの精神的な空白を埋めることで、彼女を完全に手中に収めることに成功したのです。
ニャアンへの寵愛は、キシリア個人の感情的な動きであると同時に、組織のトップとして極めて問題のある行動です。
私が悪い。
小学生の頃、男子にいじめられて以来、ずっと男性を信用していない。ずっと近づいていない。中~大学まで女子校にした。そのくらい苦手だった。男性では父しか本音で話せなかった。
仕事で男性と話す時、いまだに緊張する。でも少しは良くなったかもしれない。でもちょっと怖い。ビジネスだからまだ接することができる。
でも結婚はしたかった。将来を見据えて家族は欲しいと思っていた。仕事で少し慣れたから大丈夫かもと思って、一応安全とされている結婚相談所に入った。
とても楽しい人に出会った。結婚以前にこの人と友達になりたいと思える男性に出会った。彼はお見合いの時から私に好意があったと言っていた。明るく、よく笑い、楽しい人だと思ってくれたらしい。そして真剣交際に入った。
意識し始めるようになった。好きだからこそ嫌われたくないと思う気持ちが強くなった。
彼はスキンシップをしたがる。手をつなぎたがるし、ハグしたがる。私は緊張する。緊張と嬉しさの裏で「でも、この男も私のことを馬鹿にするんじゃないか」と不安がうごめいている。
.
小学生の頃のいじめは嘘ばかりだった。私が信じれば嘘だった。信じなかったら怒られた。それが笑いのネタで、クラス中の人間が見世物にしてきた。先生は「みんなと仲良くできていいね」としか言わない。
唯一信用していた幼馴染も、気が付けばあちら側だった。
私が照れればキモイ、嬉しいと言えばキモイ。恥ずかしがれば馬鹿にされる。高身長だっただけでデブと言われ、ブスと言われる。
家では「お姉ちゃんだから」と言われ、甘えるのを卒業したのも早かった。あんなに仲が良かった父も、下の子の相手しかしなくなった。しばらくして、下の子の手がかからなくなった時、私が甘えたら「もう、子供じゃないんだから」と言われた。
.
彼は信用できるはずなのに脳裏に昔の怖さがよみがえる。甘え方はもう思い出せない。
彼は優しい。素直に想いを私に伝えてくれる。小学生時代の男子のような酷い事をする人じゃないとわかっている。だから好きになったのに、どうしても過去が邪魔をする。
「こんなことしていたら嫌われる。キモイって思われる」と恐怖が緊張になり、自分からスキンシップできなくなる。
小学生の頃の笑い声が聞こえる。クスクス声が聞こえる。私が何かをするたびに馬鹿にされ、キモイと指をさし、恥晒しにされた空気がいまだに喉を締め付ける。
もう10年以上も前の話なのに、時々夢に出る。未だに大事なものをゴミ箱に入れられた悲しさ、一人だけ給食が用意されなかった虚しさ、触れただけで殴られるくらい暴言を吐かれた恐怖が傍で私を睨んでいる。それを明るさと笑顔で見えないものにしている。
私が「慣れていなくて」とスキンシップを拒んでしまった時、彼は「無理しないで、これから慣れていこう」と言ってくれた。でも信用しきれないクズな自分がいる。
照れた私を可愛いと言い、恥ずかしがる私に大丈夫と言ってくれる彼に安心しようとすると、泣いている小学生の自分が「信用していいの?」と囁く。
彼にこの過去を打ち明けてはいない。ただ恋愛慣れしていない女だと思っていることだろう。彼は私を明るく、楽しい人と思っている。正しいが、そうなった理由を彼は知らない。知る由もない。
もう入籍の話まで出ているのに、夜の帳が降りるとき、過去に襲われる。小学生の私が必死に足をつかんでくる。
「どうせ馬鹿にされる。気持ち悪がられるんだ」と言われて「そんなことない」とぎこちなく返す。「そうやって裏切られるんだ」と言われる。何も言い返せない。自問自答に負けてしまう。
私が悪い。
小学生の頃、男子にいじめられて以来、ずっと男性を信用していない。ずっと近づいていない。中~大学まで女子校にした。そのくらい苦手だった。男性では父しか本音で話せなかった。
仕事で男性と話す時、いまだに緊張する。でも少しは良くなったかもしれない。でもちょっと怖い。ビジネスだからまだ接することができる。
でも結婚はしたかった。将来を見据えて家族は欲しいと思っていた。仕事で少し慣れたから大丈夫かもと思って、一応安全とされている結婚相談所に入った。
とても楽しい人に出会った。結婚以前にこの人と友達になりたいと思える男性に出会った。彼はお見合いの時から私に好意があったと言っていた。明るく、よく笑い、楽しい人だと思ってくれたらしい。そして真剣交際に入った。
意識し始めるようになった。好きだからこそ嫌われたくないと思う気持ちが強くなった。
彼はスキンシップをしたがる。手をつなぎたがるし、ハグしたがる。私は緊張する。緊張と嬉しさの裏で「でも、この男も私のことを馬鹿にするんじゃないか」と不安がうごめいている。
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小学生の頃のいじめは嘘ばかりだった。私が信じれば嘘だった。信じなかったら怒られた。それが笑いのネタで、クラス中の人間が見世物にしてきた。先生は「みんなと仲良くできていいね」としか言わない。
唯一信用していた幼馴染も、気が付けばあちら側だった。
私が照れればキモイ、嬉しいと言えばキモイ。恥ずかしがれば馬鹿にされる。高身長だっただけでデブと言われ、ブスと言われる。
家では「お姉ちゃんだから」と言われ、甘えるのを卒業したのも早かった。あんなに仲が良かった父も、下の子の相手しかしなくなった。しばらくして、下の子の手がかからなくなった時、私が甘えたら「もう、子供じゃないんだから」と言われた。
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彼は信用できるはずなのに脳裏に昔の怖さがよみがえる。甘え方はもう思い出せない。
彼は優しい。素直に想いを私に伝えてくれる。小学生時代の男子のような酷い事をする人じゃないとわかっている。だから好きになったのに、どうしても過去が邪魔をする。
「こんなことしていたら嫌われる。キモイって思われる」と恐怖が緊張になり、自分からスキンシップできなくなる。
小学生の頃の笑い声が聞こえる。クスクス声が聞こえる。私が何かをするたびに馬鹿にされ、キモイと指をさし、恥晒しにされた空気がいまだに喉を締め付ける。
もう10年以上も前の話なのに、時々夢に出る。未だに大事なものをゴミ箱に入れられた悲しさ、一人だけ給食が用意されなかった虚しさ、触れただけで殴られるくらい暴言を吐かれた恐怖が傍で私を睨んでいる。それを明るさと笑顔で見えないものにしている。
私が「慣れていなくて」とスキンシップを拒んでしまった時、彼は「無理しないで、これから慣れていこう」と言ってくれた。でも信用しきれないクズな自分がいる。
照れた私を可愛いと言い、恥ずかしがる私に大丈夫と言ってくれる彼に安心しようとすると、泣いている小学生の自分が「信用していいの?」と囁く。
彼にこの過去を打ち明けてはいない。ただ恋愛慣れしていない女だと思っていることだろう。彼は私を明るく、楽しい人と思っている。正しいが、そうなった理由を彼は知らない。知る由もない。
もう入籍の話まで出ているのに、夜の帳が降りるとき、過去に襲われる。小学生の私が必死に足をつかんでくる。
「どうせ馬鹿にされる。気持ち悪がられるんだ」と言われて「そんなことない」とぎこちなく返す。「そうやって裏切られるんだ」と言われる。何も言い返せない。自問自答に負けてしまう。
最近、松尾研出身と名乗る人に会うたびに「あ、またか...」という気持ちになってしまう。期待して話を聞いてみると、だいたい期待を裏切られる。優秀な研究室のはずなのに、なぜこんなことになっているのか。
松尾研といえば、日本のAI研究の最高峰として知られている。だからこそ「松尾研出身です」と言われると、つい「おお、すごい人なのかな」と期待してしまう。ところが実際に話してみると、研究室の看板に甘えているだけで中身が伴っていない人が意外と多い。
もちろん松尾研出身でも本当に優秀な人はいる。でも残念ながら、そうじゃない人の方が目立ってしまっている気がする。優秀な人ほど謙虚で、わざわざ出身研究室をアピールしたりしないからかもしれない。
結果として「松尾研出身です」と自己紹介する人ほど、実は大したことないというパラドックスが生まれている。本当に実力のある人は、研究室の看板なんて使わずに実績で勝負している。
これって日本のエリート教育の問題でもある。有名な看板があると、それに依存してしまう人が一定数出てくる。松尾研という素晴らしい環境にいたのに、それを活かしきれていないのはもったいない話だ。
だから最近は「松尾研出身です」と聞くと、身構えるようになってしまった。期待しないで話を聞く方が、お互いにとって楽だから。