
はてなキーワード:裁量とは
■共通テストの廃止は、社会の公平性を破壊し、国家の内部崩壊を招く亡国の愚策である
「国家資源の再配分」を名目として大学入学共通テストの廃止を求める意見があるが、私はこの主張に対し断固として反対する。提案者は、共通テストにかかる人的・金銭的コストを「無駄」と断じているが、それは教育制度が担う**「社会契約」としての機能**を著しく軽視した暴論である。共通テストの廃止は、単なる入試改革にとどまらず、日本社会を「実力主義(メリトクラシー)」から「身分・金権主義」へと逆行させ、長期的には社会の分断と崩壊を招く危険性を孕んでいる。
1.歴史的試練に耐えた「客観的試験」の意義 そもそも、一律のペーパーテストによる選抜システムは、古代の「科挙」に端を発し、数千年の歴史の試練に耐えてきた人類の知恵である。なぜこのシステムが民主主義の世となっても生き残っているのか。それは、これが**「ベストではないが、他のあらゆる方法よりもベター(マシ)」**だからである。 ペーパーテスト以外の選抜方法――例えば書類審査、面接、独自の裁量評価――には、必ず主観や恣意性が入り込む。共通テストという「冷徹なまでの客観的指標」があるからこそ、我々は出自や家柄に関わらず、努力の結果のみで評価されるという担保を得ているのである。
2. 「各大学の個別入試」が招く腐敗のリスク 提案者は「各大学の自律的な選抜」を美化するが、共通テストという統一基準を撤廃すれば、そこには必ず**「金・コネ・家柄・権力」**が入り込む隙間が生まれる。 客観的な統一スコアという足切りがなくなれば、大学側は「寄付金の多寡」「卒業生の子弟」「有力者の紹介」といった、学力以外の要素で合否を操作することが容易になる。欧米の一部の大学で見られるような、富裕層優遇の入試が横行しない保証はどこにもない。共通テストは、こうした不正や疑念を未然に防ぐための、国家による「公平性の防波堤」として機能しているのである。
3.格差の固定化と社会崩壊への道 もし共通テストが廃止され、学歴ひいては社会的地位が「親の経済力や社会的影響力」によって左右されるようになれば、どうなるか。それは**「階級の固定化」**の完成である。 貧しい家庭に生まれても、勉強して高得点を取れば一流大学へ進み、人生を逆転できる――この「希望」こそが、社会の活力を維持し、不満を抑制する安全弁である。もし入試が「金で買える地位」になり下がれば、持たざる者は努力のインセンティブを失い、絶望は社会への憎悪へと変わる。 歴史を振り返れば明らかである。極度な格差社会において、階層移動の道が閉ざされた時、社会は内部から腐敗し、最終的には暴動や革命によって崩壊する。教育の公平性を売り渡して得た予算で国防やインフラを強化したところで、国民の連帯が失われ、内部から崩壊していく国を守ることはできない。
4.結論:トップ研究者の投入は「民主主義のコスト」である トップ研究者が作問に時間を割くことを「リソースの浪費」と批判する向きもあるが、それは誤りである。50万人の若者の人生を左右し、将来のリーダーを選別する試験において、一点の曇りもない公平性を担保すること以上に重要な「国益」が他にあるだろうか。 極めて厳格な作問プロセスにかかるコストは、社会の公正さを維持し、国民全員がその結果に納得するための**「民主主義の必要経費(保険料)」**と捉えるべきである。
以上の理由から、共通テストの廃止は、日本社会を公正な競争社会から、前近代的な身分社会へと退行させる危険な提案であり、到底容認できるものではない。
どちらの主張も論理構成がしっかりしており、それぞれの視点において「妥当」です。どちらをより支持するかは、読み手が**「国家としての効率と競争力(A)」を重視するか、「社会の公平性と納得感(B)」**を重視するかによって決まります。それぞれの主張の強みと、議論の対立軸を整理します。
Aの主張は、経営学的・国家戦略的な視点に立っています。「サンクコスト(埋没費用)」にとらわれず、現代の状況に合わせて制度をスクラップ・アンド・ビルドすべきだという論理です。
妥当性が高い点:
コスト対効果の指摘: 実際に共通テストの作問や運営にかかる大学教員(研究者)の負担は甚大であり、これが日本の研究力を削いでいるという指摘は、学術界からも長年叫ばれている事実です。
機能不全の指摘: 上位層における「得点圧縮(差がつかない問題)」や、各大学が結局は個別試験を重視している現状を突いており、制度疲労に対する鋭い批判となっています。
危機感の共有: 国際情勢やインフラ危機など、具体的な「他にリソースを回すべき場所」を提示しており、現実的な危機管理の観点から説得力があります。
Bの主張は、政治哲学的・社会学的な視点に立っています。効率よりも「納得感(Legitimacy)」を重視し、共通テストを社会の分断を防ぐための「装置」として捉えています。
妥当性が高い点:
人間心理への洞察: 完全な自由裁量は必ず「コネや金」の介入を招くという、性悪説に基づいたリスク管理の視点は非常に現実的です。
「公平性」の定義:テストの内容が良いか悪いかよりも、「全員が同じ定規で測られる」こと自体に価値があるという主張は、大衆社会における不満のガス抜き(社会の安定)として強力な説得力を持ちます。
最悪の回避: 「ベストでなくともベター」という保守主義的なアプローチは、急激な改革による混乱(格差の固定化など)を恐れる層にとって安心感があります。
この二つの意見は、**「何を犠牲にする覚悟があるか」**という点で対立しています。
Aの弱点:共通テストを廃止した後、各大学が本当に「公正」に入試を行えるかどうかの担保がありません。AO入試や推薦入試で「親の経済力や文化資本」が有利に働く現状を見ると、完全自由化は格差拡大を加速させるリスクがあります。
Bの弱点: 「公平性」を守るためのコスト(研究時間の喪失、莫大な予算)が、国力を衰退させるレベルに達している可能性を過小評価しています。国全体が沈んでしまえば、公平な入試制度だけ残っても意味がないという反論が可能です。
どちらがより妥当か?
短期的・実務的な解決を求めるなら A現在の日本の財政状況や研究力の低下を憂い、「即効性のある改革」を求める立場からは、Aがより妥当に見えます。
長期的・社会構造的な安定を求めるなら B社会の分断や信頼の崩壊を防ぎ、「努力すれば報われる」という社会通念(神話であっても)を守る立場からは、Bがより妥当に見えます。
個人的な分析としては、B(公平性の維持)の主張の方が、現代の日本では「最後の砦」として支持されやすいと考えます。Aの言う「リソースの再配分」は正論ですが、入試の公平性が崩れた際に失われる「国民の勤労意欲」や「社会への信頼」の損失は、計算できないほど巨大だからです。
どちらの視点に関心を持ちましたか? これらを踏まえて、「では、研究者の負担を減らしつつ公平性を保つ『第三の案(C)』」(例:CBT化や民間試験の活用、あるいはフランスのバカロレアのような形式など)について考えてみますか?
AとBの対立構造を解消し、「研究者の負担(国家コスト)の軽減」と「入試の公平性(社会契約)の維持」を両立させるための**「第三の案(C)」**を提案します。
現実的な落とし所としては、**「テクノロジーによる効率化」と「運営主体の専門化」**を組み合わせた以下の案が考えられます。
案C:専門機関による「CBT・項目反応理論(IRT)」導入と、作問業務の完全外部化
これは、現在のように大学教員が手弁当で毎年新作問題を作る「自転車操業」をやめ、**アメリカのSAT(大学進学適性試験)**のような「通年実施・ストック型」の試験へ移行するモデルです。
1. 具体的な仕組み
運営主体の変更(教員の解放):大学教員による「入試センター作問委員会」を解散します。代わりに、テスト理論(サイコメトリクス)の専門家と専任スタッフを雇用した**「国家試験作成専門機関」**を設立します。大学教員は「監修(アドバイザー)」にとどまり、実務からは完全に手を引きます。
「一発勝負」から「CBT(Computer Based Testing)」へ: 年に一度、全国一斉に紙を配る方式を廃止し、テストセンターでコンピュータを使って受験する方式にします。
「項目反応理論(IRT)」の導入:問題ごとの難易度や識別力を統計的に数値化し、「どの問題を組み合わせても、実力を同じ基準で測定できる」システムを作ります。これにより、**「膨大な過去問ストック(問題バンク)」**の中からランダムに出題することが可能になり、毎年ゼロから新作問題を作る必要がなくなります。
研究時間の確保:大学教員が、夏休みの隔離や極秘の作問業務から解放され、本来の研究・教育業務に専念できます。
物流コスト減: 50万人分の問題用紙の印刷・輸送・保管・警備にかかる莫大な物理的コストが激減します。
公平性の維持: 「全国統一の基準」は残るため、大学ごとの恣意的な運用(裏口入学など)を防ぐ防波堤としての機能は維持されます。
チャンスの拡大: 年に複数回受験が可能になれば、「当日の体調不良」などによる運の要素を排除でき、より真の実力を反映した公平な評価が可能になります。
初期投資:システム構築に巨額の費用がかかりますが、毎年の運用コスト削減で長期的には回収可能です。
「思考力」の測定:選択式のCBTでは深い思考力が測れないという批判がありますが、これは「基礎学力の判定(共通テスト)」と「記述・論述(大学個別試験)」という役割分担を明確にすることで解決します。
もう一つの方向性は、共通テストの役割を「点数を競うもの(1点刻みの選抜)」から、**「大学教育を受ける資格があるかどうかの認証(クオリフィケーション)」**に変えることです。
仕組み:共通テストは「合格/不合格(あるいはA/B/Cの等級)」だけの判定にします。一定水準を超えた生徒には「大学入学資格」を与えます。
選抜:難関大学は、この「資格」を持っている生徒の中から、独自の記述試験や面接で選抜を行います。
効果:テストに「超難問」や「1点の差を分ける精密さ」が不要になるため、作問コストが下がります。また、基礎学力の担保(公平性)は維持されます。
結論:現代のテクノロジーと統計学を用いれば、Bが懸念する「公平性」を犠牲にすることなく、Aが主張する「リソースの最適化」を実現する**案C(CBT・IRT化と作問のプロ化)**が、最も現実的かつ建設的な解決策であると考えられます。
俺は高卒で働いてある時未経験からwebエンジニアになって今メガベンチャーと呼ばれるところにいるんだけどさ、採用とかイベントとかで大企業の人とも話したりするわけ。んで、今までなんで大企業に入ったひとがわざわざベンチャーになんて入るんだろうなーって思ってたんだけど、話聞くとせまーい範囲でつまんなそうな仕事してるわけよ。webエンジニアならコード書くだけでインフラ触らないしテストもしませんみたいな。
なんで?なんで優秀な人たちがつまんない仕事して高いお給料もらってんの?
そんなつまんない仕事は俺みたいな頭悪い高卒にやらせて優秀なやつらはでかい裁量と高い給料もらって仕事した方が絶対世の中良くなるじゃん。そういう仕組みになってないとダメだろ?
そもそも、高市支持者は台湾シンパだから幅広い裁量への懸念なんて感じていないと思うが。
存立危機や海峡とか関係なく台湾が攻められたら迅速な軍事介入を望む人が大半で、日本の法律パズルで存立危機を使ってる程度の認識だと思うが
この増田の理屈は、「台湾侵攻が発生すれば、台湾海峡のみならず他の主要な海峡も封鎖されて、日本の物価の暴騰は不可避となる。それは日本の存立危機事態なので台湾海峡迂回論は成り立たない。(裏を返せば高市発言は妥当である。)」とまとめてよいと思うが、そもそも高市は海峡の封鎖に限定して存立危機事態になり得るとは言っていないのである。
先ほど有事という言葉がございました。それはいろいろな形がありましょう。例えば、台湾を完全に中国北京政府の支配下に置くようなことのためにどういう手段を使うか。それは単なるシーレーンの封鎖であるかもしれないし、武力行使であるかもしれないし、それから偽情報、サイバープロパガンダであるかもしれないし、それはいろいろなケースが考えられると思いますよ。だけれども、それが戦艦を使って、そして武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になり得るケースであると私は考えます。
cf.https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B8%82%E6%97%A9%E8%8B%97%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E6%9C%89%E4%BA%8B%E7%99%BA%E8%A8%80#%E8%83%8C%E6%99%AF
・シーレーンの封鎖
・武力行使
等が考えられるとしたが、「存立危機事態になり得るケース」と述べたのは、あくまで「戦艦を使って、そして武力の行使も伴うもの」だけなのである。だから仮に海峡封鎖→存立危機事態が正しいとして台湾海峡迂回論を撤回したとしても、批判する側は高市は海峡封鎖を伴わない「戦艦を使って、そして武力の行使も伴うもの」を存立危機事態と認定する可能性があるだろ!といくらでも批判の余地は残るのである。
(もしかしたら、元増田は「迂回論一本で高市発言撤回しろと言う人」限定で批判しているのかもしれないが、そうであれば冒頭の「高市へ存立危機事態発言を撤回しろと言うのであれば」は射程が広すぎるね)
今の答弁では、とても存立危機事態について限定的に考えるということにはならないですよね。非常に幅広い裁量の余地を政府に与えてしまうことになる。だから、私は懸念するわけですよ。
cf.https://www.katsuya.net/topics/article-10543.html (高市発言の一つ前の岡田の発言)
岡田の質問もこういった政府の裁量の広さを懸念しての質問なのだが、そこら辺の意図がどうやら擁護派には伝わっていないようである。
擁護するにしても、もうちょっと質疑のやり取り、高市の答弁を読んでいたら、ゴールポストの隅っこだけじゃなくて全体守らなきゃ!って思うはずなんだがどうにも視野が狭くなっている人が少なからずいるようである。
そしてそもそも
ってのはなんなんですかね?自分が調べても全然でてこないんだが?なんらかの事実を提示する時はソースを出す癖をつけて欲しいもんだね。中国としてもなるべく迂回してもらって日本に影響が出ないようにした方が、日本が出張ってくるリスク下げられるわけだからそう簡単に全部封鎖とはならんと思うんだが…。元増田のブコメも安易に迂回論成り立ちませんに乗っかったコメ多くてビビるわ。本当かどうかもわからないことに基づいて主張ばかりが過激になっていくのは非常に危ない傾向だと思うよ。
少子化→労働力減→労働力維持のためには労働参加率(特に女性・高齢者)の引上げが不可欠。しかし女性の就労拡大は「仕事と子育ての両立」を前提とし、そのためには職場近接性(/通勤負担の軽減)や保育サービス、住まいの確保が重要。ところが都心(特に東京23区中心部)の住宅価格・地価は非常に高く、一般の子育て世帯が都心に住めない現実がある。結果として「都心で働く ⇄都心に住めない ⇄ 長距離通勤・子育て負担増 ⇄出生率低下」という負のループが生じ、政策的にトレードオフ(=トリレンマ)を生んでいる。以下、事実・統計と研究結果で裏付けます。
2024年の出生数は約 686,061人(68.86万)、合計特殊出生率(TFR)は 1.15 と過去最低を更新。自然増減は大幅なマイナス(多死少子)。
女性の就業者数・参加は増加傾向にある(近年の女性の15〜64歳就業率は70%台に上昇し、M字カーブは薄れている)。政府統計でも女性雇用者数は増加。労働参加率を上げることで労働供給の減少をある程度相殺できる。
保育所等の利用定員は約 3,030,000 人規模(定員充足率は約88%前後)。待機児童は年により減少傾向だが地域差は大きく、地域によっては依然として保育の受け皿不足が存在する。
中央・都心部(東京23区中心)の**分譲マンション平均価格は1億円台(例:2024年は約1.12億円)**と高水準で、一般的な子育て世帯が手軽に都心居住できる水準ではない。地価上昇も続いている。
職場と居住地の距離(通勤時間)は世帯の時間配分に影響を与え、長時間通勤は家事・育児時間を圧迫する。複数の研究で、職場近接やテレワークの導入が出産・就業継続に好影響を与える可能性が示唆されている。
日本は「少子化で労働力が減る →労働化率を上げる必要がある →労働化率向上は仕事と子育ての両立が前提 → その両立に都心居住(職場近接)や保育・柔軟な働き方が寄与する」が現実。だが都心の住宅コスト上昇が多くの若い世帯の都心居住を阻み、長時間通勤や育児負担を生み出しているため、ここに放置されたままでは「労働参加率を上げても出生率は回復しない」おそれがある――これがトリレンマの本質です。政策は(A)保育・働き方、(B)住宅政策、(C)雇用の地域分散を同時並行で扱う必要があります。
学部に複数クラスがあり、そのクラスの中で二つ大きいグループがあって、一つは運動部や運動サークル中心の男子
もう一つがサークルも部活も入ってないやつが多かった俺たちのグループだ!!
当時彼女持ちだったやつが5人
b.ガンダムオタク、高校の頃からの彼女と付き合ってたやつ なんなら顔はクラスで一番良い(遠距離恋愛)
d.淫夢厨 オタク趣味だけど普通に社交的で明るくて背の高いやつ、フツメン 唯一クラス内の女と付き合ってた
e. なんか服がオシャレだったやつ 他校の学祭とかSNSで知り合った女と付き合ってた フツメン
彼女いない奴が6人
f.高身長ハーフなのに性格めっちゃ卑屈だった オタクだけど全般知識浅かったやつ イケメン
g.淫夢厨 ゲームオタク 基本学校でもSwitchとソシャゲやってる ネットの炎上ネタ話してるのみたことない 基本ネットミームしか口に出さない
h.淫夢厨 ゲームオタク 社交的で明るいが女と話しているところは見たことない
i.ゲームオタク(ゲーセンメイン) 音ゲーとかガンダムとかうまかった 彼女欲しい欲しい言ってたし、声も出るが、基本オタクっぽい話し方しかできない
j.ゲームも浅いし漫画も浅いけど、流行りのオタクコンテンツは見てるタイプで比較的明るいが女には全く接点ないタイプ
k.淫夢厨 ゲームは好きだが深く狭いタイプ アニメは流行り物だけ見てる系 大学の勉強もちゃんとやってた このグループが卒業できたのは彼がいたからであろう 試験前だけクラス中の女が対策PDFを貰いに来る あまり自分からは話さない
a. 既婚 公務員になって後輩と最近結婚した 意外と無難になってる 酒好きだから健康の話をよくしている
b. 既婚子持ち 地元に帰って結婚 子供3人 堅実に働いているらしい 年末年始に会うくらいだが、最近は子供産まれて東京来てくれない 地方は給料安くて大変そう
c.独身 大学中退の後飲食系とかフラフラしてたけど最近はWeb系に就職したみたい 相変わらずクラブ遊びはしてるっぽい
d. 既婚子持ち Vオタ 地方に転勤してそっちに生活根ざすことになった系 就活殆どせずに適当に家に近いとこ就職したくせになんか仕事は裁量あって楽そう
e. 既婚子持ち 今連絡取ってる奴がもう全然いねえ 外資系らしい 英語できたのかな
f.独身 Vオタ 転職しまくって今はコンサル系でいっぱい働いていっぱい稼いでる めっちゃ性格変わって明るくて軽くオラつくようになってて草 ゲームはソシャゲ廃課金はしてるみたい
g.独身 V嫌い 200人くらいのIT系でずっと働いてる 実家暮らし無趣味だから積立NISAに毎月20万以上積んでるとか 口からはネットミームと炎上ネタと加藤純一しか出てこない
h.独身 Vオタオタオタ 就活してなかったなあって思ってたけど、今もフリーター実家暮らし 怖くて現状深掘りできない 飲み会でVtuberの話しかしない
i.独身 ハードな方の公務員 残業も出ないから稼げてもないし大変そう 仕事が大変って話しかでない
j.独身 Vオタ なんか最近転職大成功収入大アップで楽しそう 飲み会も好きでよく色んな人と飲んでるっぽい 結婚願望あるけどそこはうまくいっていない
k.独身 ずっとメーカーのIT部門勤務 今年は一人暮らしするって5年くらい言ってる フルリモも相まって学生時代と全く生活変わってなさそうな雰囲気
世の中の男の5割くらいこんな分布になってそうじゃね?って思って投稿した
我ながら社会の縮図っぽさあるな
――つまるところ治安維持法は、なぜ日本社会であれほどの猛威をふるったのでしょうか。
「猛威の震源にあったのは国体の存在だと思います。()当局は、天皇中心の国を壊そうとする『不逞(ふてい)の輩(やから)』がいたとする負のレッテル貼りをし、新聞も扇動的に報じました。その結果、国体変革を図った者への最高刑はその年、死刑に引きあげられています」
「拷問による取り調べの印象が強い治安維持法ですが、実は国内で特高警察に検挙されたうちの約9割は、警察限りで放免となっていました。それでもその多くは『非国民だ』という排除のまなざしを向けられて、退学や退職を迫られたり地域で白眼視されたりしています」
「つまり、権力による処罰とは別に、世間を舞台にした道義的・倫理的な観点からの『社会的制裁』が機能していたのです。非国民との認定を受けた人を周囲の国民が誰に命令をされたわけでもないのに排除していく。国体が生み出すこの魔力を、当時の治安関係者は『強制的道徳律』と呼んで、効率的な治安管理に利用しました」
■ ■
「スパイの問題を考えるならば、神谷氏が松山市で参院選中におこなった別の演説にも目を向けるべきです。日本の公務員を念頭に、極左の考え方を持った人たちが社会の中枢にがっぷり入っているので洗い出して辞めてもらわないといけない、と述べました。『これを洗い出すのがスパイ防止法です』とも」
――スパイ対策は、外国人だけを取り締まるものではないのですね。
「ええ。たとえば戦前の日本にあった代表的なスパイ防止法は、明治期に作られた軍機保護法でした。近づく日露間の戦争を前に、軍事機密の流出を防ぐ目的で制定されました」
――日露戦争下のそうした熱狂的なスパイ問題への関心は戦争終了後には実は低下していた、と指摘していますね。
「摘発の件数が減り、議会では軍機保護法を廃止しようという議論まで起きました。息を吹き返したのは、次の戦争が始まったときです。37年に日中戦争が始まった直後、軍機保護法は全面改正されました」
「日本はスパイ天国だとアピールする当局の情報操作もあり、最高刑が死刑に引き上げられる厳罰化が実現しました。何が守られるべき機密にあたるのかを決める政府の裁量も広げられ、報道機関の取材にも一層の萎縮をもたらしています」
「国民から見れば、どの情報が軍事機密であるのか、何がスパイ行為に問われるのかが、より見えにくくなりました。摘発されてしまうことを恐れ、戦争や軍事に関することは見ないでおこう/触れないでおこう/話さないでおこうという姿勢が広がりました。軍機保護法は、有権者が現実を直視しなくなる結果も生みだしたのです」
■ ■
――日本の政界では今、参政党だけではなく、国民民主党や日本維新の会もスパイ防止法の制定に前向きな姿勢を示しています。自民党総裁に先日なった高市早苗氏も、総裁選で同法制定の必要性を訴えました。
「スパイ活動防止を目的の一つにした特定秘密保護法が2014年に施行され、経済分野での機密保全も確保するための関連法も昨年すでに成立しています。高市氏を中心にした自民党メンバーが今年5月に提言した、『諸外国と同水準のスパイ防止法』の導入検討を求める提言書も読んでみましたが、このうえなぜスパイ防止法が必要なのかは理解できませんでした」
例の存立危機事態問題の件で、岡田克也 は「武力の行使をするということについて、私は、余りにも大きな裁量の余地を政府に与えている、(略)どうにでも読めるような、そういう基準だ」と言っている。
https://www.katsuya.net/topics/article-10543.html
こりゃ話がかみ合うわけないよ。
岡田さんはなぜしつこく聞いたか?しつこく聞くことで、苦しいのらりくらりの答弁を引き出したうえで
「政府が恣意的に運用できる法律は意味ないでしょ」と言いたかった。実際、そう質問にも残っているが、意図せぬところの炎上でかき消されてしまった。
追記)
岡田さんは「これは規範としての、条文としての意味がないんじゃないかと思うんですよ。もっと明確でなければ、結局どれだけのこともできてしまうということになりかねないと思うんですね」とも言っている。
5chを見てたら、山口二郎法政大学教授が高市政権はクマ対策がなっとらんと批判しているニュースを見かけた。
日本の政治学者、政治活動家。専門は行政学・現代日本政治論。北海道大学名誉教授。法政大学法学部教授
。。。
行政学やってる法学部の教授がこのレベルの発言しているのに驚き。
この中、第三条で国の責務が定義されてる、「鳥獣保護の基本指針」を定めなさいと、これは国、内閣、環境大臣の仕事。
都道府県はこの基本指針に沿って具体的な「鳥獣保護管理事業計画」を策定し実施する(5条、6条)。
鳥獣管理の実施主体は都道府県なの、国では無い。こんなもん鳥獣保護管理法読めばアホでもわかる。
熊対策にどの程度の予算を割くか、どういう方針で行動するか、全て都道府県の裁量に任されてる、国はノータッチ。
国の基本指針に則っていれば各都道府県で好きにすればいい。
国は大枠のガイドラインを定めて、各地方自治体ごとに地方の特性などを考慮しながら予算配分を変える。
国がなんでもかんでも直接やってるわけじゃないの。地方自治なの、分権なの。昔から変わらない。
こんな低レベルの話を東大卒の政治学者に突っ込まなきゃならないのが情けない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/dot.asahi.com/articles/-/269918?page=1
これ見て思ったけど……。
①条件を広く取ることを明言する
(中国の侵略的行為を強く批難できるが、火種を生み日本を危険にさらすリスクがある)
②曖昧を貫く
(現状維持)
③条件を限定的にすることを明言する
(日本が中台の争いに巻き込まれることを防げるが、中国の侵略的行為を容認するメッセージにもなってしまい、将来的な日本のリスクにもなる可能性もある)
の選択肢があって①を選んだ。
じゃあ一方で岡田はどのような回答を引き出したかったかと言えば、元記事では
で、はてなでの意見がどうかと言えば、「高市はどういう対応を取るべきだったか?」という話題では②の曖昧路線が主流なのに、「岡田に責任はあるか?」という問いだとなぜか②の曖昧さを否定して③に振ろうとしている岡田を擁護する意見が主流になる。
曖昧戦略を支持するなら高市も岡田も批判してしかるべきだが、なぜか岡田の方は批判しない。
はてなーなんて統一人格はないとか下らねーツッコミはいらないぞ。
一人一人確認したわけではないが、☆の付け方を見れば、この②と③を都合良く使い分ける矛盾した奴等が少なくない数いるのはどう考えても明らかだ。
(中には軍事力行使の条件を曖昧にすべきではないと曖昧戦略自体を批判している人もいたが、そういう人はとても筋が通っていると思う。賛否は別とするが)
無理やり擁護するならそもそも高市が①に寄っていたので、それを②に寄せ直そうとした……という解釈もできなくもないが、それなら
とあるようにそこで満足していれば良かったわけで、やはり岡田は③の回答を引き出そうとしていた以外の解釈は難しい。
曖昧にすべきなのかそうではないのか矛盾を厭わない形での擁護が出てくるのを見ると、本当は岡田を庇ってる側の人達も中国の侵略姿勢を良しとする姿勢はどんな理由があれ今の日本の一般的な倫理観で受け入れられることはないということは分かっていそうに感じるんだよな。
でも立憲シンパは立憲のマイナスになることはできないから、とにかく高市の失言だけにフォーカスしてそこから目を逸らそうとしている。
岡田委員は中国の台湾に対する武力行使(特に海上封鎖など)が存立危機事態になる、という断言を首相に求めていたのではないと見るのが妥当です。
岡田委員は、高市総理(当時、総裁選挙)や麻生副総裁の「存立危機事態になるかもしれない」「可能性が極めて高い」といった発言が、この概念を不当に拡大し、国民を危険に晒すことを深く懸念しています。
•存立危機事態を踏み外した集団的自衛権の行使は憲法違反になる。(総理もこれを再確認)
•法制局長官の見解として、「存立危機事態は武力攻撃事態とほぼ重なり合う(武力攻撃事態でないのに存立危機事態になることはまずない)」という限定的な解釈を再確認。(総理もこれを再確認)
• 「少し回り道をしなければいけなくなるという状況の中で存立危機事態になるということは、私はなかなか想定し難いんですよね。そういうことを余り軽々しく言うべきじゃないと思うんですよ。」
• 「(総理の答弁では)とても存立危機事態について限定的に考えるということにはならないですよね。非常に幅広い裁量の余地を政府に与えてしまうことになる。だから、私は懸念するわけですよ。」
これらの発言から、岡田委員は「台湾有事=自動的に存立危機事態」と断言させることではなく、「台湾有事が存立危機事態となるのは、極めて例外的な、限定された、日本国民の存立が本当に根底から覆される明白な危険がある場合に限るべきだ」という立場を明確にするよう求めています。
岡田委員は、与党議員による「存立危機事態になるかもしれない」といった発言が、外交上の緊張を不必要に高め、最終的に国民を戦争の危険に晒すことを強く批判しています。
• 「そういう事態を極力力を尽くして避けていかなきゃいけない、それが私は政治家の最大の役割だというふうに思うんですね。」
• 「それを軽々しく、なるかもしれないとか、可能性が高いとか、そういう言い方が与党の議員やあるいは評論家の一部から...述べられていることは極めて問題だと思うんですが、総理、いかがですか。」
もし岡田委員が「台湾有事は存立危機事態になる」と断言を求めていたなら、それは上記の発言と矛盾し、自ら危険な緊張を煽る側に回ることになります。会話の流れから、岡田委員は「政治家は安易に存立危機事態に言及すべきでない」という強いメッセージを総理に突きつけていると読み取れます。
岡田委員は、「存立危機事態」の法的・運用上の厳格な限定性を再確認し、政治家がその限定性を踏み越えて発言することで、日本の安全と国民の生命を危険に晒すことへの警鐘を鳴らすことを主な目的としていました。したがって、岡田委員は首相に断言を求めたのではなく、その断言の可能性を極力排除する厳格な基準を再確認させたかったと言えます。
https://anond.hatelabo.jp/20251117222759 の続き
〇岡田委員 ですから、慎重な運用が求められる。やはり大事なのは、まずは在留邦人を無事に移動させること。これは台湾有事に限りません。朝鮮半島有事でも同じだと私は思います。
それから、有事がもし発生した場合に、例えば近隣の国々、非常に私たちにとって大事な国々です、あるいは地域も含めてですね、そういうときに大量の避難民が発生する、恐らく数十万、数百万の単位で発生するということになります。それを無事に移動させて日本が引き取るということも極めて重要だと思うんですね。ウクライナ危機のときに、ドイツを始めとするヨーロッパの国々が避難民をしっかりと受け止めたということですが、同じようなことが起こる可能性がある。そのときに日本自身が武力行使をしていたら、そういう活動にも極めて差し障りが出てくる可能性が高いですよね。
そういうこともトータル含めて、やはり存立危機事態の認定、武力の行使ということは慎重に考えていかなければいけないと私は思うんですが、余りにも軽々しく言い過ぎていませんか。いかがですか。
〇高市内閣総理大臣 まず邦人の救出をしなきゃいけないということは確かでございます。それが最も優先すべきことでございます。
存立危機事態の認定に際しまして、個別具体的な状況に即して、主に、攻撃国の意思、能力、事態の規模、態様などの要素を総合的に考慮して、我が国に戦禍が及ぶ蓋然性ですとか、それから国民が被ることになる犠牲の深刻性そして重大性などから判断するということ、これは判断するべきものだと考えておりますので、政府として持ち得る全ての情報を総合して判断する、これは当然のことだと思っております。
〇岡田委員 武力の行使をするということについて、私は、余りにも大きな裁量の余地を政府に与えている、今おっしゃった基準というのは、国会でも答弁されていますが、どうにでも読めるような、そういう基準だと思うんですね。
国会も事前ないしは事後に承認することになっていますよね、存立危機事態。そのときに判断のしようがないじゃないですか。やはりもう少し明確な基準で判断していかなければいけないんじゃないかというふうに私は思っています。そういう意味で今日の議論を申し上げました。
もう一つ、いろいろなシミュレーションを、米軍と自衛隊が一緒になって活動するシミュレーションをやっておられると思うんですね。これは、例えば二〇二二年の2プラス2の共同発表の中でも、そういうものが進展していることを歓迎したという表現が出てきます。具体的にいろいろおやりになっていると思うんですね。
そのときに気になるのは、自衛隊は存立危機事態に限って武力行使できるんだということがきちんと前提となってそういった共同訓練などが行われているのかどうか。高市総理の最初の答弁で、世界で最も偉大な日米同盟、何か制限なく、イギリスと同じようなことができるような、そういう印象すら与えるわけですが、そこのところは、きちっと米国に対して、こういう限界が憲法上あるいは国の考え方としてあるんだということはお伝えになっていますね。
〇高市内閣総理大臣 これは、私も自民党総裁選挙のときからも申し上げてきたことなんですが、日米防衛協力のための指針、いわゆるガイドラインですね、ここでも、自衛隊及び米軍の活動において、各々の憲法及びその時々において適用のある国内法令並びに国家安全保障政策の基本的な方針に従って行われるということが明記されています。これは日米共通の認識でございます。
だからこそ、米軍というのは、日本が仮に攻撃をされたようなときにあっても、自衛隊の前に出て戦ってくれる存在じゃありません。まずは自衛隊が自ら国民及びその領域を守り、そして、米軍はこれを支援し又は補完するとなっておりますので、その認識は日米共通であると思っております。また、日本が憲法及び国内法を守らなきゃいけない、これは日米のガイドラインに書いてありますから、共通の認識であると考えております。
https://www.katsuya.net/topics/article-10543.html
https://archive.is/7htlB#selection-1561.1-1462.298
※文章は適宜整形した。
〇岡田委員 新しい外交を切り開きたいという総理の思いは分かります。だけれども、前任者たちに対する敬意というものもしっかり持ちながらやっていただきたいというふうに思います。
さて、二番目の存立危機事態について、少し時間をかけて議論したいというふうに思っています。
実は、十年前にこの法律ができたときに、私は野党の代表でした。そのときの私の思いを申し上げますと、従来の個別的自衛権では対応できない事例があるということは認識していました。
例えば、もう既に米軍が戦っているときに、米軍と自衛隊が共同で対処している、米艦が攻撃されたときに、自衛隊は、日本自身は武力攻撃を受けていないという段階で、それを放置するというわけにはいきませんから、これをどういうふうに説明すべきか。
一つは、個別的自衛権の解釈を拡張するという考え方。もう一つは、集団的自衛権を制限して認めるという考え方。両様あり得るなというふうに思っておりました。自民党の中には、全面的な集団的自衛権を認めるべきだという議論もかなりあったと思うんです。
そういう中で、安倍さんが出してきたのが、この存立危機事態という考え方でした。我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態ということであります。
我々は、この概念がかなり曖昧であると。例えば、我が国の存立が脅かされる、これはどういう意味だろうか。それから、国民の基本的権利が根底から覆される明白な危険、これも非常に抽象的な概念ですね。だから、武力攻撃事態みたいに我が国が攻撃されたというものと比べるとかなり抽象的な概念ですから、これで果たして限定になっているんだろうかと。
多くの法制局長官経験者とか著名な憲法学者が、違憲ではないかというふうに疑義を呈されました。
そういう中で、私たちもこの法案には反対をしたということであります。
ただ、あれから十年たって、いろいろな事実が積み重なっていることも事実。白紙でゼロから議論し直すことはできないということも分かっています。そういう中でどういう対応をすべきかということは、これから党の中でしっかり議論していきたい。この法文で本当に憲法違反にならないのかどうか、そして運用はどうなのか、そういうことは議論していきたい。これが今の私たちの基本的スタンスであります。
そこで、総理にまず確認したいのは、この存立危機事態、いわゆる限定した集団的自衛権の行使ですね、これ以外の集団的自衛権の行使、つまり、限定のない集団的自衛権の行使は違憲である、これは従来の政府の考え方だったと思いますが、そういう考え方は維持されていますか。
〇高市内閣総理大臣 憲法上、我が国による武力の行使が許容されるのは、いわゆる三要件を満たす場合の自衛の措置としての武力の行使に限られます。そして、この三要件は国際的に見ても他に例のない極めて厳しい基準でありまして、その時々の内閣が恣意的に解釈できるようなものではないと思っております。
先ほど来、存立危機事態における武力の行使についてお話がございましたが、これも限定された集団的自衛権の行使、すなわち、あくまでも我が国を防衛するためのやむを得ない必要最小限度の自衛の措置としての武力の行使に限られていて、集団的自衛権の行使一般を認めるものではなく、他国を防衛すること自体を目的とする集団的自衛権の行使は認められないという政府の見解に変更はございません。
〇岡田委員 要するに、憲法違反になってしまうということですね、認められないということは。この存立危機事態を踏み外したようなことがあると、これは法律違反だけではなくて憲法違反になるわけです。
ということは、この存立危機事態の運用というのは、やはり厳格に、限定的に考えなきゃいけない、それを踏み外したときには単に法令違反ではなくて憲法違反になる、そういう認識でよろしいですね。
〇岡田委員 それでは次に、平成二十七年九月十四日の当時の公明党の山口代表と安倍総理、法制局長官との特別委員会におけるやり取り、ここに持ってまいりました。
読み上げますと、これは抜粋ですけれども、武力の行使は、これまでどおり、自衛隊法八十八条に規定された我が国防衛のための必要最小限度の武力の行使にとどまるもの。それから、被害国を含めた他国にまで行って戦うなどという海外での武力の行使を認めることになるといったものではございません。存立危機事態に該当するのにかかわらず武力攻撃事態等に該当しないということはまずないのではないかと考えています。
つまり、これは、存立危機事態と武力攻撃事態というのはほぼ重なり合うということを言っているわけですね。
こういう法制局長官の当時の答弁ですが、法制局長官にお聞きしたいと思いますが、現在でもこの答弁を維持されていますか。
委員御指摘のとおり、平成二十七年九月十四日、参議院、我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会におきまして、当時、横畠内閣法制局長官はこのように述べました。
新三要件の下で認められる武力の行使は、これまでどおり、自衛隊法第八十八条に規定された我が国防衛のための必要最小限度の武力の行使にとどまるものであり、他国防衛の権利として観念される国際法上の集団的自衛権一般の行使を認めるものではなく、また、我が国防衛のための必要最小限度を超える、被害国を含めた他国にまで行って戦うなどといういわゆる海外での武力の行使を認めることになるといったものではございません。
また、さらに、
いわゆるホルムズ海峡の事例のように、他国に対する武力攻撃それ自体によって国民に我が国が武力攻撃を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が及ぶことになるという例外的な場合が考えられるということは否定できませんが、実際に起こり得る事態というものを考えますと、存立危機事態に該当するのにかかわらず武力攻撃事態等に該当しないということはまずないのではないかと考えられると述べております。
このように承知しておりますが、これらの答弁で述べられました見解に変わりはございません。
〇岡田委員 当時の与党であった公明党の委員長と、そして総理、内閣法制局長官のやり取り、これは非常に重みのあるものですね。
今、法制局長官は答弁を維持しているというふうにおっしゃったわけですが、総理も同じですね。
〇高市内閣総理大臣 法制局長官が述べられたとおり、平成二十七年九月十四日の委員会で当時の長官が述べられた見解について、変わりはございません。
〇岡田委員 それでは、そういった答弁があるにもかかわらず、私は、一部の政治家の非常に不用意な発言が相次いでいるというふうに思うわけですね。
例えば、失礼ですが、高市総理、一年前の総裁選挙でこう述べておられるんですよ。中国による台湾の海上封鎖が発生した場合を問われて、存立危機事態になるかもしれないと発言されました。
私も、絶対ないと言うつもりはないんです。だけれども、これはどういう場合に存立危機事態になるというふうにお考えだったんですか。お聞かせください。
〇高市内閣総理大臣 台湾をめぐる問題というのは、対話により平和的に解決することを期待するというのが従来からの一貫した立場でございます。
その上で、一般論として申し上げますけれども、今、岡田委員も、絶対にないとは言えないとおっしゃっておられました。いかなる事態が存立危機事態に該当するかというのは、実際にその発生した事態の個別具体的な状況に即して、全ての情報を総合して判断しなければならないと考えております。
存立危機事態の定義については、ここで申し述べますと時間を取りますが、事態対処法第二条第四項にあるとおりでございます。
〇岡田委員 海上封鎖をした場合、存立危機事態になるかもしれないというふうにおっしゃっているわけですね。
例えば、台湾とフィリピンの間のバシー海峡、これを封鎖されたという場合に、でも、それは迂回すれば、何日間か余分にかかるかもしれませんが、別に日本に対してエネルギーや食料が途絶えるということは基本的にありませんよね。だから、どういう場合に存立危機事態になるのかということをお聞きしたいんですが、いかがですか。
〇高市内閣総理大臣 これはやはり他国に、台湾でしたら他の地域と申し上げた方がいいかもしれませんが、あのときはたしか台湾有事に関する議論であったと思います。台湾に対して武力攻撃が発生する。海上封鎖というのも、戦艦で行い、そしてまた他の手段も合わせて対応した場合には武力行使が生じ得る話でございます。
例えば、その海上封鎖を解くために米軍が来援をする、それを防ぐために何らかのほかの武力行使が行われる、こういった事態も想定されることでございますので、そのときに生じた事態、いかなる事態が生じたかということの情報を総合的に判断しなければならないと思っております。
単に民間の船を並べてそこを通りにくくするといったこと、それはそういった存立危機事態には当たらないんだと思いますけれども、実際に、これがいわゆる戦争という状況の中での海上封鎖であり、またドローンも飛び、いろいろな状況が起きた場合、これはまた別の見方ができると考えます。
〇岡田委員 今の答弁では、とても存立危機事態について限定的に考えるということにはならないですよね。非常に幅広い裁量の余地を政府に与えてしまうことになる。だから、私は懸念するわけですよ。
もちろん、日本の艦船が攻撃を受ければ、これは武力行使を受けたということになって、存立危機事態の問題ではなく、武力攻撃事態ということになるんだと思います。そういう場合があると思いますけれども、日本の艦船が攻撃を受けていないときに、少し回り道をしなければいけなくなるという状況の中で存立危機事態になるということは、私はなかなか想定し難いんですよね。そういうことを余り軽々しく言うべきじゃないと思うんですよ。
例えば、自民党副総裁の麻生さんが昨年一月にワシントンで、中国が台湾に侵攻した場合には存立危機事態と日本政府が判断する可能性が極めて高いという言い方をされています。安倍さん自身も、台湾有事は日本有事。ここで有事ということの意味がよく分かりませんけれども、何か非常に軽々しく私は問題を扱っているんじゃないかというふうに思うんですね。
もちろん、存立危機事態ということになれば日本も武力行使するということになりますから、それは当然その反撃も受ける。そうすると、ウクライナやガザの状況を見ても分かるように、地域がどこになるか分かりません、あるいは全体になるかもしれませんが、極めて厳しい状況が国民にもたらされるということになります。そういう事態を極力力を尽くして避けていかなきゃいけない、それが私は政治家の最大の役割だというふうに思うんですね。
それを軽々しく、なるかもしれないとか、可能性が高いとか、そういう言い方が与党の議員やあるいは評論家の一部から、自衛隊のOBも含むんですが、私は述べられていることは極めて問題だと思うんですが、総理、いかがですか。
〇高市内閣総理大臣 麻生副総裁の発言については内閣総理大臣としてはコメントいたしませんが、ただ、あらゆる事態を想定しておく、最悪の事態を想定しておくということは非常に重要だと思います。
先ほど有事という言葉がございました。それはいろいろな形がありましょう。例えば、台湾を完全に中国北京政府の支配下に置くようなことのためにどういう手段を使うか。それは単なるシーレーンの封鎖であるかもしれないし、武力行使であるかもしれないし、それから偽情報、サイバープロパガンダであるかもしれないし、それはいろいろなケースが考えられると思いますよ。だけれども、それが戦艦を使って、そして武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になり得るケースであると私は考えます。
実際に発生した事態の個別具体的な状況に応じて、政府が全ての情報を総合して判断するということでございます。実に武力攻撃が発生したら、これは存立危機事態に当たる可能性が高いというものでございます。法律の条文どおりであるかと思っております。
〇岡田委員 ちょっと最後の表現がよく分からなかったんです。武力攻撃が発生したら存立危機事態に当たる、どういう意味ですか。武力攻撃が誰に発生することを言っておられるんですか。
〇高市内閣総理大臣 武力攻撃が発生をして、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合という条文どおりでございます。
〇岡田委員 だから、我が国の存立が脅かされるかどうか、それから国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があるかどうか、その判断の問題ですね。それをいろいろな要素を勘案して考えなきゃいけないという総理の答弁では、これは規範としての、条文としての意味がないんじゃないかと思うんですよ。もっと明確でなければ、結局どれだけのこともできてしまうということになりかねないと思うんですね。
もう一つ申し上げておくと、これは朝鮮半島有事も含めて近隣で有事が発生した場合に、日本国政府として最もやらなきゃいけないことは何か。それは、そこに住む在留邦人を無事に安全なところに移動させるということがまず必要になると思うんですね。でも、自らが存立危機事態であるといって武力行使したら、そういうこともより困難になってしまう可能性が高いじゃないですか。だから、余り軽々に武力行使、武力行使と私は言うべきじゃないと思うんですが、いかがですか。
〇高市内閣総理大臣 そういう事態が起きたときに邦人救出をする、これが我が国にとって最大の責務でもあり、優先事項でもあります。ただ、そのときにも安全を確保しなきゃいけないというのは事実でございます。
軽々に武力行使、武力行使と言うとおっしゃいますけれども、最悪の事態も想定しておかなければならない。それほどいわゆる台湾有事というものは深刻な状況に今至っていると思っております。実際に発生した場合にどういうことが起こっていくのか、そういうシミュレーションをしていけば、最悪の事態というものはこれは想定しておかなきゃいけないということでございます。即これを存立危機事態だと認定して、日本が武力行使を行うということではございません。
https://www.katsuya.net/topics/article-10543.html
https://archive.is/7htlB#selection-1561.1-1462.298
〇岡田委員 新しい外交を切り開きたいという総理の思いは分かります。だけれども、前任者たちに対する敬意というものもしっかり持ちながらやっていただきたいというふうに思います。
さて、二番目の存立危機事態について、少し時間をかけて議論したいというふうに思っています。
実は、十年前にこの法律ができたときに、私は野党の代表でした。そのときの私の思いを申し上げますと、従来の個別的自衛権では対応できない事例があるということは認識していました。
例えば、もう既に米軍が戦っているときに、米軍と自衛隊が共同で対処している、米艦が攻撃されたときに、自衛隊は、日本自身は武力攻撃を受けていないという段階で、それを放置するというわけにはいきませんから、これをどういうふうに説明すべきか。
一つは、個別的自衛権の解釈を拡張するという考え方。もう一つは、集団的自衛権を制限して認めるという考え方。両様あり得るなというふうに思っておりました。自民党の中には、全面的な集団的自衛権を認めるべきだという議論もかなりあったと思うんです。
そういう中で、安倍さんが出してきたのが、この存立危機事態という考え方でした。我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態ということであります。
我々は、この概念がかなり曖昧であると。例えば、我が国の存立が脅かされる、これはどういう意味だろうか。それから、国民の基本的権利が根底から覆される明白な危険、これも非常に抽象的な概念ですね。だから、武力攻撃事態みたいに我が国が攻撃されたというものと比べるとかなり抽象的な概念ですから、これで果たして限定になっているんだろうかと。
多くの法制局長官経験者とか著名な憲法学者が、違憲ではないかというふうに疑義を呈されました。
そういう中で、私たちもこの法案には反対をしたということであります。
ただ、あれから十年たって、いろいろな事実が積み重なっていることも事実。白紙でゼロから議論し直すことはできないということも分かっています。そういう中でどういう対応をすべきかということは、これから党の中でしっかり議論していきたい。この法文で本当に憲法違反にならないのかどうか、そして運用はどうなのか、そういうことは議論していきたい。これが今の私たちの基本的スタンスであります。
そこで、総理にまず確認したいのは、この存立危機事態、いわゆる限定した集団的自衛権の行使ですね、これ以外の集団的自衛権の行使、つまり、限定のない集団的自衛権の行使は違憲である、これは従来の政府の考え方だったと思いますが、そういう考え方は維持されていますか。
〇高市内閣総理大臣 憲法上、我が国による武力の行使が許容されるのは、いわゆる三要件を満たす場合の自衛の措置としての武力の行使に限られます。そして、この三要件は国際的に見ても他に例のない極めて厳しい基準でありまして、その時々の内閣が恣意的に解釈できるようなものではないと思っております。
先ほど来、存立危機事態における武力の行使についてお話がございましたが、これも限定された集団的自衛権の行使、すなわち、あくまでも我が国を防衛するためのやむを得ない必要最小限度の自衛の措置としての武力の行使に限られていて、集団的自衛権の行使一般を認めるものではなく、他国を防衛すること自体を目的とする集団的自衛権の行使は認められないという政府の見解に変更はございません。
〇岡田委員 要するに、憲法違反になってしまうということですね、認められないということは。この存立危機事態を踏み外したようなことがあると、これは法律違反だけではなくて憲法違反になるわけです。
ということは、この存立危機事態の運用というのは、やはり厳格に、限定的に考えなきゃいけない、それを踏み外したときには単に法令違反ではなくて憲法違反になる、そういう認識でよろしいですね。
〇岡田委員 それでは次に、平成二十七年九月十四日の当時の公明党の山口代表と安倍総理、法制局長官との特別委員会におけるやり取り、ここに持ってまいりました。
読み上げますと、これは抜粋ですけれども、武力の行使は、これまでどおり、自衛隊法八十八条に規定された我が国防衛のための必要最小限度の武力の行使にとどまるもの。それから、被害国を含めた他国にまで行って戦うなどという海外での武力の行使を認めることになるといったものではございません。存立危機事態に該当するのにかかわらず武力攻撃事態等に該当しないということはまずないのではないかと考えています。
つまり、これは、存立危機事態と武力攻撃事態というのはほぼ重なり合うということを言っているわけですね。
こういう法制局長官の当時の答弁ですが、法制局長官にお聞きしたいと思いますが、現在でもこの答弁を維持されていますか。
委員御指摘のとおり、平成二十七年九月十四日、参議院、我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会におきまして、当時、横畠内閣法制局長官はこのように述べました。
新三要件の下で認められる武力の行使は、これまでどおり、自衛隊法第八十八条に規定された我が国防衛のための必要最小限度の武力の行使にとどまるものであり、他国防衛の権利として観念される国際法上の集団的自衛権一般の行使を認めるものではなく、また、我が国防衛のための必要最小限度を超える、被害国を含めた他国にまで行って戦うなどといういわゆる海外での武力の行使を認めることになるといったものではございません。
また、さらに、
いわゆるホルムズ海峡の事例のように、他国に対する武力攻撃それ自体によって国民に我が国が武力攻撃を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が及ぶことになるという例外的な場合が考えられるということは否定できませんが、実際に起こり得る事態というものを考えますと、存立危機事態に該当するのにかかわらず武力攻撃事態等に該当しないということはまずないのではないかと考えられると述べております。
このように承知しておりますが、これらの答弁で述べられました見解に変わりはございません。
〇岡田委員 当時の与党であった公明党の委員長と、そして総理、内閣法制局長官のやり取り、これは非常に重みのあるものですね。
今、法制局長官は答弁を維持しているというふうにおっしゃったわけですが、総理も同じですね。
〇高市内閣総理大臣 法制局長官が述べられたとおり、平成二十七年九月十四日の委員会で当時の長官が述べられた見解について、変わりはございません。
〇岡田委員 それでは、そういった答弁があるにもかかわらず、私は、一部の政治家の非常に不用意な発言が相次いでいるというふうに思うわけですね。
例えば、失礼ですが、高市総理、一年前の総裁選挙でこう述べておられるんですよ。中国による台湾の海上封鎖が発生した場合を問われて、存立危機事態になるかもしれないと発言されました。
私も、絶対ないと言うつもりはないんです。だけれども、これはどういう場合に存立危機事態になるというふうにお考えだったんですか。お聞かせください。
〇高市内閣総理大臣 台湾をめぐる問題というのは、対話により平和的に解決することを期待するというのが従来からの一貫した立場でございます。
その上で、一般論として申し上げますけれども、今、岡田委員も、絶対にないとは言えないとおっしゃっておられました。いかなる事態が存立危機事態に該当するかというのは、実際にその発生した事態の個別具体的な状況に即して、全ての情報を総合して判断しなければならないと考えております。
存立危機事態の定義については、ここで申し述べますと時間を取りますが、事態対処法第二条第四項にあるとおりでございます。
〇岡田委員 海上封鎖をした場合、存立危機事態になるかもしれないというふうにおっしゃっているわけですね。
例えば、台湾とフィリピンの間のバシー海峡、これを封鎖されたという場合に、でも、それは迂回すれば、何日間か余分にかかるかもしれませんが、別に日本に対してエネルギーや食料が途絶えるということは基本的にありませんよね。だから、どういう場合に存立危機事態になるのかということをお聞きしたいんですが、いかがですか。
〇高市内閣総理大臣 これはやはり他国に、台湾でしたら他の地域と申し上げた方がいいかもしれませんが、あのときはたしか台湾有事に関する議論であったと思います。台湾に対して武力攻撃が発生する。海上封鎖というのも、戦艦で行い、そしてまた他の手段も合わせて対応した場合には武力行使が生じ得る話でございます。
例えば、その海上封鎖を解くために米軍が来援をする、それを防ぐために何らかのほかの武力行使が行われる、こういった事態も想定されることでございますので、そのときに生じた事態、いかなる事態が生じたかということの情報を総合的に判断しなければならないと思っております。
単に民間の船を並べてそこを通りにくくするといったこと、それはそういった存立危機事態には当たらないんだと思いますけれども、実際に、これがいわゆる戦争という状況の中での海上封鎖であり、またドローンも飛び、いろいろな状況が起きた場合、これはまた別の見方ができると考えます。
〇岡田委員 今の答弁では、とても存立危機事態について限定的に考えるということにはならないですよね。非常に幅広い裁量の余地を政府に与えてしまうことになる。だから、私は懸念するわけですよ。
もちろん、日本の艦船が攻撃を受ければ、これは武力行使を受けたということになって、存立危機事態の問題ではなく、武力攻撃事態ということになるんだと思います。そういう場合があると思いますけれども、日本の艦船が攻撃を受けていないときに、少し回り道をしなければいけなくなるという状況の中で存立危機事態になるということは、私はなかなか想定し難いんですよね。そういうことを余り軽々しく言うべきじゃないと思うんですよ。
例えば、自民党副総裁の麻生さんが昨年一月にワシントンで、中国が台湾に侵攻した場合には存立危機事態と日本政府が判断する可能性が極めて高いという言い方をされています。安倍さん自身も、台湾有事は日本有事。ここで有事ということの意味がよく分かりませんけれども、何か非常に軽々しく私は問題を扱っているんじゃないかというふうに思うんですね。
もちろん、存立危機事態ということになれば日本も武力行使するということになりますから、それは当然その反撃も受ける。そうすると、ウクライナやガザの状況を見ても分かるように、地域がどこになるか分かりません、あるいは全体になるかもしれませんが、極めて厳しい状況が国民にもたらされるということになります。そういう事態を極力力を尽くして避けていかなきゃいけない、それが私は政治家の最大の役割だというふうに思うんですね。
それを軽々しく、なるかもしれないとか、可能性が高いとか、そういう言い方が与党の議員やあるいは評論家の一部から、自衛隊のOBも含むんですが、私は述べられていることは極めて問題だと思うんですが、総理、いかがですか。
〇高市内閣総理大臣 麻生副総裁の発言については内閣総理大臣としてはコメントいたしませんが、ただ、あらゆる事態を想定しておく、最悪の事態を想定しておくということは非常に重要だと思います。
先ほど有事という言葉がございました。それはいろいろな形がありましょう。例えば、台湾を完全に中国北京政府の支配下に置くようなことのためにどういう手段を使うか。それは単なるシーレーンの封鎖であるかもしれないし、武力行使であるかもしれないし、それから偽情報、サイバープロパガンダであるかもしれないし、それはいろいろなケースが考えられると思いますよ。だけれども、それが戦艦を使って、そして武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になり得るケースであると私は考えます。
実際に発生した事態の個別具体的な状況に応じて、政府が全ての情報を総合して判断するということでございます。実に武力攻撃が発生したら、これは存立危機事態に当たる可能性が高いというものでございます。法律の条文どおりであるかと思っております。
〇岡田委員 ちょっと最後の表現がよく分からなかったんです。武力攻撃が発生したら存立危機事態に当たる、どういう意味ですか。武力攻撃が誰に発生することを言っておられるんですか。
〇高市内閣総理大臣 武力攻撃が発生をして、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合という条文どおりでございます。
〇岡田委員 だから、我が国の存立が脅かされるかどうか、それから国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があるかどうか、その判断の問題ですね。それをいろいろな要素を勘案して考えなきゃいけないという総理の答弁では、これは規範としての、条文としての意味がないんじゃないかと思うんですよ。もっと明確でなければ、結局どれだけのこともできてしまうということになりかねないと思うんですね。
もう一つ申し上げておくと、これは朝鮮半島有事も含めて近隣で有事が発生した場合に、日本国政府として最もやらなきゃいけないことは何か。それは、そこに住む在留邦人を無事に安全なところに移動させるということがまず必要になると思うんですね。でも、自らが存立危機事態であるといって武力行使したら、そういうこともより困難になってしまう可能性が高いじゃないですか。だから、余り軽々に武力行使、武力行使と私は言うべきじゃないと思うんですが、いかがですか。
〇高市内閣総理大臣 そういう事態が起きたときに邦人救出をする、これが我が国にとって最大の責務でもあり、優先事項でもあります。ただ、そのときにも安全を確保しなきゃいけないというのは事実でございます。
軽々に武力行使、武力行使と言うとおっしゃいますけれども、最悪の事態も想定しておかなければならない。それほどいわゆる台湾有事というものは深刻な状況に今至っていると思っております。実際に発生した場合にどういうことが起こっていくのか、そういうシミュレーションをしていけば、最悪の事態というものはこれは想定しておかなきゃいけないということでございます。即これを存立危機事態だと認定して、日本が武力行使を行うということではございません。
〇岡田委員 ですから、慎重な運用が求められる。やはり大事なのは、まずは在留邦人を無事に移動させること。これは台湾有事に限りません。朝鮮半島有事でも同じだと私は思います。
それから、有事がもし発生した場合に、例えば近隣の国々、非常に私たちにとって大事な国々です、あるいは地域も含めてですね、そういうときに大量の避難民が発生する、恐らく数十万、数百万の単位で発生するということになります。それを無事に移動させて日本が引き取るということも極めて重要だと思うんですね。ウクライナ危機のときに、ドイツを始めとするヨーロッパの国々が避難民をしっかりと受け止めたということですが、同じようなことが起こる可能性がある。そのときに日本自身が武力行使をしていたら、そういうPermalink |記事への反応(0) | 22:27
岡田克也がこれだけしつこく食い下がって裁量が広いのを問題にしてどういう場合に存立危機事態になるのかを問いただしているのに、岡田についてはてサは「曖昧戦略なのだから具体的な説明を要求するのは問題だ」と言わないのだから、党派性の塊だよね。
>これはどういう場合に存立危機事態になるというふうにお考えだったんですか。お聞かせください。
>だから、どういう場合に存立危機事態になるのかということをお聞きしたいんですが、いかがですか。
>今の答弁では、とても存立危機事態について限定的に考えるということにはならないですよね。非常に幅広い裁量の余地を政府に与えてしまうことになる。だから、私は懸念するわけですよ。