
はてなキーワード:被告とは
起業家も生活保護受給者もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
片想いも両想いもみんな死んだら骨wwwwwwwwww
ポジティブもネガティブもみんな死んだら骨wwwwwwwwww
市民も区民もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
早寝早起きも昼夜逆転生活もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
犬派も猫派もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
賛成も反対もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
既婚者も未婚者もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
東大卒も中卒もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
嘘も本音もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
男も女もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
垢抜けも垢入りもみんな死んだら骨wwwwwwwwww
ただいまもおかえりもみんな死んだら骨wwwwwwwwww
キャリア重視もプライベート重視もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
こちらもあちらもみんな死んだら骨wwwwwwwwww
歌って踊れるアイドルも一般企業勤務もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
先攻も後攻もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
自殺も他殺もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
賃貸派も持ち家派もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
過程も結果もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
教師も生徒もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
多数派も少数派もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
外向的も内向的もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
終わりも始まりもみんな死んだら骨wwwwwwwwww
垂れ目も吊り目もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
夏好きも冬好きもみんな死んだら骨wwwwwwwwww
必然も偶然もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
ヒーローも悪役もみんな死んだら骨wwwwwwwwww
あなたも僕もみんな死んだら骨
迅速かつ公正な裁判を行う裁判官AIが開発されて便利になった近未来。
何人もの極悪犯をAI裁判で処刑させてきた敏腕刑事が、いきなりAI裁判に掛けられるというお話。
安楽椅子探偵スタイルの近未来SF推理映画で、被告の刑事は最期まで建物を出ることなく話は進行するのだけど、
被告の依頼を受けた人達が、あちこちでドンパチやって、ドンデン返しもあってドキドキハラハラな展開は楽しめました。
最後に冤罪で無実の人を処刑してしまったと理解した裁判官AIが、自ら溶鉱炉に沈んでいくシーンは涙無しには見られなかったです。
犯行現場のVR再現みたいな、あと数年で実現できそうな近未来感と、ドローンバイクを始めとするお粗末な現実感が交錯していて、
【はじめに】
システム工学的「エポケー(判断保留)」と、リヴァイアサンの代謝
本稿は、現代日本政治における「権力と宗教」の構造的癒着、および「山上徹也」という事象を、道徳的善悪の彼岸にある「システム工学的な機能不全と最適化」の観点から記述する試みである。
あらかじめ断っておくが、本稿には犯罪行為を正当化する意図も、特定の信仰を弾圧する意図も一切ない。
現象の「論理的解明(Explanation)」は、決して行為の「倫理的擁護(Justification)」と等価ではない。
病理学者がウイルスの感染経路を淡々と追跡するように、筆者は犯罪者も、政治家も、信者も、すべて巨大な統治機構(リヴァイアサン)を構成する「部品」および「代謝産物」として等価に扱う。
読者が感じるかもしれない不快感は、システムそのものが内包する「非人間的な合理性」の反映に過ぎない。
筆者は前稿『歪なリヴァイアサン』において、自民党を「魂(イデオロギー)を持たない利益配分マシン」と定義した。
しかし、高度成長が終わり、配るべき「カネ(利益)」が枯渇したとき、魂を持たないこのマシンは、いかにして自らを駆動させる熱量を調達するのか?
本稿は、この問いに対する回答である。
システムは生存のために、外部から「安価な魂」と「無料の労働力」を調達する必要があった。その調達先こそが、統一教会という名の「政治的下請け業者(BPOパートナー)」である。
本稿では、リヴァイアサンがいかにしてこの異物を「召喚」し、その病理的な代謝プロセスの中で、いかなる副作用(山上徹也)を必然的に排出したのかを解剖する。
序論:誤診された「犯罪者」
2026年1月、奈良地裁は山上徹也被告に無期懲役を言い渡した。判決文、そして世論の多くは、彼を「家庭環境に絶望した、極めて特異で孤独な犯罪者」として処理しようとしている。
しかし、これは誤診である。あるいは、意図的な隠蔽と言ってもよい。
我々の「システム論」の視座に立てば、山上徹也という存在は、決して予測不能なバグ(異常値)ではない。彼は、戦後日本の政治システムが正常に稼働し続けた結果、必然的に排出された「産業廃棄物(システム・バイプロダクト)」である。
彼を「極端な個人」として切り捨てることは、工場が川に垂れ流した汚染水で奇形魚が生まれた際に、工場の排水システムを点検せず、「その魚の特異体質」を責めるに等しい。
なぜ、統一教会という異質なカルトが、日本の政権中枢にこれほど深く食い込めたのか。
「教会が巧みに自民党を洗脳・浸透した」という被害者面をしたナラティブが流布しているが、これは歴史的にも構造的にも誤りである。
正しくはこうだ。自民党というシステムには、構造的な「欠落」があり、その穴を埋めるために教会を自ら「召喚」したのである。
自民党と統一教会の関係を「信仰」や「思想の共鳴」で語ることは、事の本質を見誤らせる。
両者を結びつけていたのは、互いの「欠損」を補い合う、極めてドライで実利的な「政治的バーター取引(交換条件)」である。
この取引のバランスシート(貸借対照表)を精査すれば、なぜシステムが教会を切断できなかったのかが明確になる。
自民党が教会から調達していたのは、カネ(献金)以上に、「カネのかからない実働部隊」であった。
選挙には膨大な人件費がかかる。しかし、教会から派遣される秘書や運動員は、給与を要求しないどころか、教団の教義に従って「無私の奉仕」として24時間働く。
これは、企業経営で言えば「違法なほどの低賃金労働力」を独占的に確保しているに等しい。自民党議員にとって、これほどコストパフォーマンスの良い「兵隊」は他に存在しなかった。
数万票単位で動く教団の組織票は、全体の得票数から見れば僅かかもしれない。しかし、当落線上にある小選挙区の候補者にとっては、この「確実に計算できる数万票」こそが、政治生命を左右する決定打となる。
スパイ防止法制定や選択的夫婦別姓反対など、リベラル層からの反発が強い右派的政策の推進運動を、「国際勝共連合」という別動隊に担わせた。これにより、自民党本体は「中道」の顔を保ったまま、保守層の支持を固めることができた。
対する教会側が求めたのは、日本という巨大な資金源でビジネスを続けるための「不可侵条約」と「お墨付き」である。
教祖や幹部が、岸信介、安倍晋三といった歴代首相と並んで写真に収まること。あるいは、関連イベントにビデオメッセージをもらうこと。
これらは単なる記念ではない。信者や勧誘対象者に対し、「総理大臣も認める立派な団体である」と信じ込ませるための「最強の営業ツール」として利用された。政治家の権威は、霊感商法を正当化するためにロンダリングされたのである。
長年にわたり、霊感商法に対する警察の捜査や消費者庁の規制が、不可解なほど鈍かった事実は見逃せない。
さらに決定的だったのは、2015年の「名称変更」の承認である。悪名高い「統一教会」から「世界平和統一家庭連合」への看板の掛け替えを、当時の下村文科相下の文化庁が認めたことで、教団は過去の悪評をリセットし、新たな勧誘活動を展開することが可能になった。
これは実質的に、国家が教団に対し、「日本国民からの搾取を継続してもよい」というライセンス(免許)を更新したに等しい。
教会が喉から手が出るほど欲しがり、自民党が頑なに守り続けた最大の利権。それは、日本国内に「聖域」と呼ばれる非課税地帯を維持することであった。
通常の企業であれば、商品を売って利益が出れば法人税がかかる。
しかし、教会は「壺」や「多宝塔」を売る行為を、商行為ではなく「宗教的な寄付(献金)」と定義した。
日本の宗教法人法において、宗教活動による収入は「非課税」である。
これにより、信者から巻き上げた数千億円規模の資産は、国家による徴税というフィルターを通らず、丸ごと教団の懐に入った。これは、実質的に国家が教団に対して「法人税相当分(利益の約20〜30%)の補助金」を裏で渡しているに等しい。
株式会社と異なり、宗教法人は財務諸表の公開義務が極めて緩い(実質的に外部からは見えない)。
この「不透明性の維持」こそが、自民党が教会に提供した最大のサービスの一つである。
「信教の自由」を盾に、宗教法人法へのメス(厳格な会計監査の義務化など)を入れないことによって、教会は日本で集めた莫大な資金を、誰にも監視されずに韓国の本部や米国へ送金することができた。
日本は、教団にとって世界で最も効率の良い「集金マシン兼タックス・ヘイブン(租税回避地)」として機能させられたのである。
(元)連立パートナー(公明党・創価学会)への配慮という「人質」:
それは、統一教会だけに課税しようとすれば、かつて自民党の連立パートナーである公明党の支持母体(創価学会)や、自民党の保守地盤である神社本庁など、他の巨大宗教団体の既得権益も脅かすことになるからだ。
この「相互確証破壊」の構造があるため、宗教法人税制はアンタッチャブルな聖域となり、統一教会はその「大きな傘」の下で安住することができた。
この取引において、自民党は「政治コスト」を削減し、教会は「法的リスク」を回避した。
しかし、経済学の原則として、「フリーランチ(タダ飯)」は存在しない。
自民党が浮かせたコストと、教会が得た利益。その莫大なツケを払わされたのは誰か?
その全てのツケは、「信者家庭からの略奪的採掘」によって支払われた。
燃料としての家族:
自民党に「無償の秘書」を派遣するためには、教会職員を養うカネがいる。そのカネを作るために、山上徹也の母親は「霊感商法」によって資産の全てを搾り取られた。
山上家が破産し、兄が自殺し、一家が崩壊したプロセスは、悲劇ではない。それは、自民党という巨大なエンジンを回すために、燃料として「消費」されたに過ぎない。
燃料(資産と家庭の幸福)が燃やし尽くされた後に残った、燃えない残骸。
金も、親の愛も、学歴も、社会的地位も奪われ、空っぽになった人間。
それが山上徹也だ。
彼は社会不適合者だったから犯罪行為を起こしたのではない。システムが彼から全てを収奪し、その後の「廃棄物処理」を怠った結果、有毒ガスが充満して引火したのである。
あの手製の銃は、狂人の武器ではない。それは、政治システムが排出した「毒」が、逆流して配管(安倍元首相)を破裂させた物理現象だ。
2026年の無期懲役判決と、それに続く高市首相の解散総選挙。これらは一連の「汚染除去作業」である。
裁判所は、彼を「政治犯」として認めなかった。認めてしまえば、「自民党がカルトを使って国民を搾取していた」という因果関係を司法が公認することになるからだ。
彼を「母親への恨みで暴走したかわいそうな男」という物語に閉じ込め、刑務所という最終処分場へ隔離することで、システムは「我々には責任がない」と宣言した。
高市首相は、判決の直後に解散を打つことで、この事件を「過去の歴史」へと押し流した。選挙の争点を「教団問題」からずらし、再度の勝利によって「禊(みそぎ)」を完了させる。
これにより、「教会を利用するシステム」は温存され、単に「より見えにくい形」で地下潜行するだけとなる。
「山上徹也は極端な個人ではない。システムが生んだ副産物である」
我々が見ている「平和な日本」は、山上家のような「声なき生贄」を燃料として燃やすことで、かろうじて維持されている。
無期懲役の判決が確定した瞬間、システムは安堵の息を漏らしただろう。
だが、構造が変わらない限り、第二、第三の山上徹也(産業廃棄物)は、今もどこかの家庭で静かに生成され続けている。
togetterがposfieと分離してから、togetterは編集部公式のみのまとめサイトとなった。
しかし、まとめを作成した者の名前は記載されなくなり、むしろ責任の所在があいまいになっている。
ライターの名前が出てこないことをいいことに、一時期、posfieのまとめをパクる記事が横行したし(今は多少落ち着いたが)、
今度はこのまとめだ。
『高校生でセミナー参加、教団から返金を受け母は中古とはいえ自動車を所有...山上徹也被告の「悲惨な人生」からは不幸は相対性だけで決まらないということを感じる 』
(魚拓:https://archive.is/vGnTa )
それに対するb:id:togetterのブコメ
(魚拓:https://archive.is/5JL0R )
明らかに、個人の逆恨みということに印象付け・事件の矮小化を目的とした悪質なまとめである。
ライター個人が匿名でいられることを利用した明らかな世論誘導工作ではないか。
安倍氏暗殺テロの本質は、「宗教二世問題、旧統一教会問題を解決せよ」というテロリストの(暗黙の)要求を、日本社会は妥当なものだと納得してこれに応じた点にある。ダッカ日航機ハイジャック事件のように、人質の人命を守るために嫌々ながらテロリストの要求に応じたのではなく、妥当なものだと納得して要求に応じた点にこのテロの特異性がある。
具体的には、旧統一教会排除の政策や宗教二世問題解決のための行政支援が、テロリストの要求に応じた内容である。
このテロの深刻さは、「テロリストの要求に納得すべきではなかった」とは決して言えない点にある。旧統一教会問題や宗教二世問題は社会が解決すべき深刻な問題であり、本来ならばもっと早く手を付けるべきであった。これらを無視することは道義的に許されない。
以前であれば、テロリストの要求など無視すべきだと考えられていた。いかなる場合にも暴力を行使することは許されないのだから、これを行使したテロリストの要求など耳を傾ける価値がないというのが、その理由であった。しかし、山上被告のテロによる要求を日本社会は無視できなかった。なぜならば、その要求は本当に正当なものだったからである。
言い換えると山上被告の事件は、自由な言論と選挙を通じて社会問題を解決するという民主主義をバイパスし、暴力で社会問題を解決する「正しい」テロというパンドラの箱を開けってしまったともいえる。
このパンドラの箱を閉じる方法が存在しない点がさらに重大である。「民主主義の機能不全が今回の事件の遠因であった」という旨の指摘をする左派系知識人がいるが、馬鹿を言ってはいけない。実際には民主主義は十分に機能していた。その証拠に、やや日刊カルト新聞や全国統一教会被害対策弁護団は自由に活動しており、このネット時代に誰でも彼らの問題提起に簡単にアクセスできた。公正な選挙も行われてきた。しかし、それでも世論の無関心によってカルト問題は民主主義を通じて解決できず、今般のテロによって解決の道筋をつけられてしまったのである。
山上被告が前例を作ってしまった「正しい」テロは、二匹目のドジョウを狙う潜在的なテロリストに、非常に強いインスピレーションを与えたことだろう。山上被告に厳しい判決が下される一方で、カルト問題に粛々と政策的に対応するだけでは終わらない。第二、第三の山上事件が起こった場合、日本社会はどうするのか、どうなるのか。この点に、あのテロの真の恐ろしさがある。
PS:
それにしても、何故このようなシンプルな問題提起を誰もしないのか不思議に思っていたが、改めて言語化してみて分かったよ。「残念ながらあれは『正しい』テロであった。解決策はない」という指摘は、リベラル・デモクラシーの死亡宣言をしているようなものだものね。
結果は出たわけだが、刑とは関係なく、阿部元首相が教団のビデオなどに現職の首相なのに出たことは事実として残った。
安倍晋三元首相銃撃事件、山上徹也被告に無期懲役 「卑劣で悪質」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF204DE0Q6A120C2000000/
過去に強制性交致傷罪に問われた父親の男性に対し,求刑の懲役18年を上回る懲役20年を言い渡した裁判官か。
もしかしたら今回も求刑を上回る刑を出す事を期待されていたんだろうか?
自作の銃でたった一人を狙い、命中させて殆ど苦しませずに即死させた事案が、
12歳の娘に繰り返し性的虐待を繰り返してPTSDに陥らせた事案よりも卑劣で悪質なのか?
どういう感覚?
https://yamanaka-bengoshi.jp/2021/05/06/tanaka49/
*2 大阪地裁令和6年2月8日判決(裁判長は49期の田中伸一)は,12歳だった実の娘に性的虐待を行い,複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症させたとして,強制性交致傷罪に問われた父親の男性に対し,求刑の懲役18年を上回る懲役20年を言い渡しました(産経新聞HPの「娘への性的虐待は保育園児から、父親に求刑上回る懲役20年判決 「鬼畜の所業」と指弾」参照)。
正直に言う。
山上徹也被告の母親を「かわいそうな被害者」とだけ呼ぶ人とは、私はもう分かり合えない。
これは、綺麗な話ではない。
私は、
山上徹也被告の母親を「一方的な被害者」として語る言説に、強い怒りを感じている。
かわいそうだった。
判断力を奪われていた。
――その全部を認めたうえで、
それでも私は言う。
自己破産。
家庭の崩壊。
これは「不運」ではない。
その言葉の陰で、
将来を選ぶ自由も、
すべて、
親の信仰によって封じられた。
ここで必ず出てくる反論がある。
「被害者を責めるな」
分かっている。
だからこそ、
“責めるな”で話を終わらせる社会が、私は怖い。
なぜならそれは、
「親が壊れていても、子どもは守られなくていい」
将来を奪っても、
「仕方なかった」で済むのなら、
子どもは誰が守る?
私は、
“判断できなかった”では済まされない責任があると思っている。
それは残酷だ。
でも、現実だ。
親は、
その力を持ちながら、
という理屈は、
あまりにも都合が良すぎる。
違う。
私は、
私が否定しているのは、
「誰も悪くない」
「全部不幸だった」
それは優しさではない。
ただの逃避だ。
母親も、
宗教団体も、
行政も、
政治も、
社会も。
それを認めない限り、
同じ構造は続く。
私は、
一切肯定しない。
殺人は、
どんな理由があっても許されない。
でも同時に、
という語られ方にも、強く反発する。
違う。
親の信仰が、
見て見ぬふりしてきた。
それが、
一番の問題だ。
私は、
「母親もかわいそうだったよね」
で終わる物語を、
これ以上増やしたくない。
それは、
同情と免責は違う。
この線を曖昧にした瞬間、
私は、
この話題で嫌われてもいい。
でも、
“仕方なかった”で終わらせる社会だけは、
・メリット:「力による一方的な現状変更は許されない」という建前で弱小な勢力を守る役に立つ。
B「結果が正しければよい」論
・デメリット:「結果的にはよい面も大きかった」テロリズムを否定しないことになる。
・デメリット:単なる現状維持・「何もしない」ことになり何の役にも立たない。
そんなわけで、だいたいプランDの出番となる。
・メリット:A、Bのいいとこ取りができる。(例:山上被告を非難しつつトランプを称揚できる。または、その逆。)
正直に書く。
なぜ、ここまで追い込まれた人が、
同情してしまう。
でも同時に、
無期懲役になりそうだと報道されてからずっと頭の中で考え続けている。
なぜ、ここまで追い込まれなければならなかったのか。
家庭環境。
統一教会。
進学を奪われたこと。
妹を守るために働き続けたこと。
記事を読めば読むほど、
「これは個人の失敗じゃない」と思わされる材料ばかりが出てくる。
両親がおかしすぎる。
でも、そこで立ち止まる。
どんな事情があっても、
人を殺していい理由にはならない。
これは、きれいごとじゃなく、
法治国家で生きるための最低限の線だと思っている。
殺人が許されたら、国民は常に殺される恐怖に怯えて生きないといけなくなる。
それでも私は、
「じゃあ、彼はどうすればよかったんだ?」
相談すればよかった?
逃げればよかった?
誰かに助けを求めればよかった?
本当に、それができる環境だったのか。
本当に、それを選べる余地があったのか。
考えれば考えるほど、
だからといって、
英雄にもしたくないし、
それをやった瞬間、
私刑は、
だから私は、
やっていいことは、別だ。
救われなかったことと、
許されることは、別だ。
彼の行為が許されないことは、同時に成立する。
この二つを同時に考えるのは、しんどい。
私が一番怖いのは、
「分かる」という言葉が、
いつの間にか「許される」にすり替わることだ。
そして、
という言葉が、
だから私は、
この気持ちを抱えたまま、
同情してもいい。
怒ってもいい。
憎んでもいい。
でも、
私はただの一般人で、
影響力もない。
それでも、
この線だけは越えたくないし、
越えさせる言葉を書きたくない。
誰かが踏みとどまるための、
「迷っている思考」が、
どこかに残っていればいいと思っている。