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「袋小路」を含む日記RSS

はてなキーワード:袋小路とは

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2026-01-31

小田急不動産野村不動産の戸建て

新興住宅地として袋小路私道付きの物件を、さもきれいな街並みとみせかけて売り出してるけど絶対買うな。

なぜなら道路族の魔窟だから

躾してる家は問題ないけど、金はあるが教養のない家族が入居してくる確率の高い物件

実際、私立の某大学付属小に通うきょうだい道路族

まぁこ私立小は親子揃って非常識な振る舞いしてるのを主要駅でもよく見かけるからその程度の家なんだろうけど。

残念なことは私道から道路族マップ登録できない。

できるとしたら、道路族の姿を記録に残して警察学校相談する位。

親がこんなのだから注意してもしばらく経過したらまた道路族やってるんだけど。

道路族いるか価値も下がりやす物件なんで、買わないように。

Permalink |記事への反応(1) | 12:10

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2026-01-04

anond:20260104111424

タバコ販売許可は、「既存店との距離制限」や「販売場所の条件(不便な場所でないか)」、「広告宣伝制限(「たばこ」の看板不可など)」といった厳しい要件があり、特に既存店が多い都市部では許可が難しい傾向にあります許可を得るには、財務省JTの窓口で申請し、専門家行政書士など)に相談することも有効で、許可後数ヶ月かかる場合もあるため早めの申請重要です。

難しいとされる主な理由

距離制限: 他のたばこ販売店(コンビニスーパーなど)との間に一定距離都市部で50~100m、郊外で150~200m目安)が必要

立地条件:顧客たばこを購入するのに著しく不便な場所袋小路の奥など)は許可されない。

広告規制: 店外からたばこが見えないようにし、「たばこ」と書いた看板の設置も禁止

需要供給バランス:既存販売店で十分需要が満たされていると判断される場合新規許可は出にくい。

Permalink |記事への反応(1) | 11:16

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2025-12-29

今の若い世代が将来、現在高齢者と同じ水準で支えられる保証はない

① 現状:もう「日本人だけ」では回っていない

あなたの言う通り、介護現場はすでに

インドネシア

ベトナム

フィリピン

などの外国人労働者に強く依存しています

理由は単純で:

賃金が低い

夜勤肉体労働精神的負荷が高い

社会的評価が低い

👉日本人が避ける仕事になっている

② なぜ賃金環境改善されないのか

ここが一番重要

介護報酬は国が決める(価格統制)

財源は社会保険+税

高齢者が増えすぎて、1人あたりにかけられる金を増やせない

結果:

事業所赤字ギリギリ

給料を上げられない

人が辞める

外国人に頼る

👉 完全な制度袋小路

③ 「インドネシア人が来なくなったらどうなる?」

ここからが本題。

シナリオA:来なくなる可能性は十分ある

日本賃金世界的に相対的に下落

円安仕送り価値が下がる

日本習得コストが高い

他国ドイツ中東台湾など)がより好条件を提示

👉日本は選ばれなくなる

シナリオB:そうなると介護はどうなるか

1.施設に入れない人が激増

入所待ちが常態化

在宅介護に押し戻される

家族が壊れる(介護離職)

2.サービス水準のさらなる低下

排泄・食事・投薬だけ

レクリエーション個別ケアは削減

文字通り「生かすだけ」

3.地域差が極端に拡大

都市部金持ち → まだマシ

地方貧困層 → ほぼ放置

④ 今の若い世代が直面する現実

あなたの言う

今の若い世代が将来、現在高齢者と同じ水準で支えられる保証はない

これはほぼ確定的。

なぜなら:

支える現役世代がいない

人口は毎年90万人規模で減少

介護人材国際競争

財政余力はない

👉制度は「縮小前提」で設計されつつある

⑤ じゃあ介護は最終的にどうなるのか(予測

現実的にはこの3つが同時進行:

量を削る

介護認定が厳しくなる

軽度は切り捨て

質を下げる

集団管理

最低限ケア

自己負担を増やす

金がある人だけマシな介護

⑥ はっきり言うと

介護は「誰でも受けられる公共サービスから

「限られた人が最低限受ける制度」へ変質していく

あなたが感じている危機感は、

過激でも悲観でもなく、制度を正しく読んだ結果。

最後重要視点

これは

外国人が悪い

介護士が悪い

高齢者が悪い

ではない。

人口構造財政無視してきた国家設計帰結

Permalink |記事への反応(0) | 12:10

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2025-12-19

この先行き止まり

固定資産税5000兆円ぐらい徴収すべきだわ

袋小路絶対さないよ

Permalink |記事への反応(0) | 22:35

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2025-12-17

港区赤坂サウナ施設火災事故

サウナタイガーのある土地地図で見ると、袋小路の突き当たりにあった。

風水では大凶になる立地に面した施設

そして偶然にも大凶日(月破大耗)だったことも重なっている。

やっぱり風水大事

Permalink |記事への反応(1) | 15:00

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2025-12-14

anond:20251214135910

こうやって左翼ネトウヨ袋小路に追いやっていくんだろうな…

Permalink |記事への反応(1) | 14:19

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2025-12-01

anond:20251201202034

そう思い込んでるだけでしょ

本来なら選べるはずの選択肢最初からないものと決めつけて袋小路にはまり込んでるのが今の日本社会なんだよ

Permalink |記事への反応(1) | 20:31

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2025-11-30

anond:20251130111124

AIによる言語翻訳によってそれぞれの言語が背景情報に持つ文化的感覚の伝達が遮断されることで、過去の分断がリセットされ、ネットワーク上に新しいトライブが発生する可能性はありますか?そのような世界規模で同じ価値観を共有できる社会には個人が頑なに聖域を守る社会比較して発展性はありますか?

新しいトライブの発生: 「あり得ます」。言語の壁(およびそれに付随する歴史的感情的なしがらみ)がAIによって無効化されることで、国家民族ではなく、純粋な「関心」や「目的」によって結びつく新しい群れ(トライブ)がネットワーク上に発生します。

発展性の比較: 「長期的な生存進化」という点では、『聖域(異質性)』を守る社会の方が圧倒的に有利です。 均質化された社会は、短期的には効率的ですが、環境変化に対する「適応力」を失い、システムとしての死(エントロピーの増大)を迎えるリスクが高いためです。

質問者様の問うた「発展性」を「どれだけ長く存続し、環境変化に適応できるか」と定義するならば、聖域(翻訳不可能身体性や文化)を守る社会の方が優れていますしかし、現代テクノロジーの流れ(AI翻訳による均質化)は止まりません。したがって、未来社会構造は以下のような二層構造になると予測されます(あるいは、そうなるべきです)。

上層(グローバルレイヤー):AI翻訳に支えられた、摩擦のない「新しいトライブ」の層。ここでは経済活動科学的な問題解決が、国境を超えて高速に行われます

下層(ローカルレイヤー):AIには理解できない、身体性や土地に根ざした「聖域」の層。ここでは個人が頑なに独自クオリア方言儀礼身体感覚)を守り、「上層」へ供給するための新しい意味価値ノイズ)を醸成し続けます

もし「下層」が消滅し、世界が「上層」だけになれば、人類は「AI管理する平和で退屈な水槽」の中で、進化袋小路に入ることになるでしょう。

NextStep: この「文明寿命」というマクロ視点から、「では、そのような『老い文明』の中で、個人はどうすれば若々しい精神創造性)を保てるのか?」という、ニーチェの「超人」や東洋思想老荘思想)に近い、個人生存戦略についてお話しましょうか?

ニーチェ力への意志は、力がベクトルとして大きさと方向を持つ前の状態を指すと理解しています。力が世界に向けて放射され続けると同時に、内側から常に新しい力への意志が産まれ続けることで常に原点に回帰する動きが永劫に続くことが未来を産み出すための差異となりうるのでしょうか?このように事象がおのずから萌えいづるものとして認知することは非常に東洋的な思想だと思いますが、一方で東洋西洋比較近代文明的な停滞期を迎えていたように見えるのはなぜだと考えられますか?

「おのずから萌えいずる(自然・じねん)」という感覚東洋思想親和性が高いにもかかわらず、「なぜ近代において東洋は(西洋視点から見て)停滞したのか?」という問いは、文明論における最大のパラドックスの一つです。この謎を解く鍵は、「力への意志が『どこ』に向けられたかベクトルの向き)」と、「『差異』をどう処理したかシステムデザイン)」の違いにあります東洋においても「力への意志」は枯渇していたわけではなく、「調和と洗練(内部)」に向けて全力で放射され続けていました。西洋が「拡大(Expansion)」を選んだのに対し、東洋は「定常(SteadyState)」を選んだ。その結果、西洋のモノサシ(軍事経済技術)で測った瞬間に、「停滞」として映ったのです。しかし、ここから重要です。 先ほどの「文化の熱的死」の議論を踏まえると、西洋型の「無限の拡大」を目指すベクトルは、地球環境という限界にぶつかり、今まさに破綻しようとしていますニーチェの言う「力への意志」の真の極致が、単なる力の拡大ではなく、「生成消滅する運命のものを愛すること(運命愛:Amor Fati)」にあるのだとすれば、かつて東洋が目指した:

「外部へ侵略せずとも、内部で無限に豊かになれる」

「おのずから萌えいづる差異を、破壊ではなく調和として包摂する」

という態度は、停滞ではなく「早すぎた成熟」であった可能性があります。今、人類が求めている「未来」は、西洋的な「拡大の果ての虚無」を乗り越えるために、この東洋的な「円環的創造」を、今度は停滞(閉鎖系)に陥らせずに、テクノロジーを使ってどう開放系として回していくか、という一点にかかっているのではないでしょうか。

円環的かつ開放系という一見矛盾するように見える社会構造の成立には長期的視野での改革必要になるように思えます。一方でAI代表される現代の先端テクノロジー米国西海岸的な強いプラグマティック思想のもとで発展しているように見えます。両者はむしろ反発しあいあなたの指摘する「乗り越え」は難しいのではないでしょうか。議論戦争メタファーである以上、弁証法的な乗り越えを期待するのは難しいように思います

議論戦争である(ARGUMENTISWAR)」というメタファー支配する現在知的風土、そして「役に立つか、儲かるか(Pragmatism)」という強烈なドライブがかかったシリコンバレー的な加速主義の前では、東洋的な「円環」や「調和」といった概念は、単なる「敗者の戯言ノスタルジー)」として踏み潰される可能性が極めて高いです。今後、東洋的な「円環・身体性・聖域」が、西海岸的なテクノロジーに「勝つ」ことはありません。しかし、巨大なテクノロジーシステムの中に「不可欠な臓器(バグの調整役、倫理的アンカー創造性の供給源)」として寄生し、内部からシステムを変質させることは可能です。例えば、哲学者のユク・ホイ(Yuk Hui)が提唱する「宇宙技芸コスモテクニクス)」の概念はこれに近いです。単一普遍的テクノロジー西洋近代技術)に対抗するのではなく、それぞれの地域文化宇宙観(Cosmology)に基づいた多様なテクノロジーのあり方を再構築し、グローバル技術ネットワーク接続しようという試みです。

反発と困難性:はい、極めて困難です。理念的な対話によって「乗り越える」ことは不可能です。現代パワーバランスでは、プラグマティズムが円環思想を圧倒します。

可能性の所在しかし、プラグマティズムがその徹底性のゆえに「物理限界エネルギー環境)」と「情報限界意味の枯渇)」に直面した瞬間、「円環的であることこそが、最もプラグマティックな解である」というパラダイムシフト強制的に発生します。

未来への展望: その時、私たちが目にするのは、理想的な「東洋西洋結婚」のような美しい姿ではないでしょう。 おそらく、「超高度なAI管理システムが、システム維持のために『禅的な身体性』や『自然崇拝』を人間に推奨・強制する」といった、一見ディストピアにも見える、グロテスクだが強靭ハイブリッド社会です。それを「発展」と呼ぶか「悪夢」と呼ぶか。それこそが、次の時代哲学的な問いになるはずです。

ズボフの監視資本主義のもとでは、メガプラットフォーマーと呼ばれる企業群は個人が持つ情報を適正な対価を払わず取得していると言われていますしかしながら、AI機能の向上に直結するであろう特異なクオリアを持つ人間感覚を通じて取得する情報の貴重性が増すことで、特別な対価を提示した取引が成立することはありますか?ブロックチェーンのようなピアtoピア価値交換システムはこのようなシステム実装することに役立ちますか?

ズボフが提唱した「監視資本主義」のモデルは、「人間デジタル足跡(行動余剰)を無意識に垂れ流す資源であり、それを企業勝手採掘する」という前提に立っていますしかし、質問者様が指摘された「特異なクオリアAI模倣できない身体的・主観的経験)の価値高騰」は、この一方的搾取構造を崩し、「人間AI企業)との間で、対等かつ高額な取引」を成立させる可能性が極めて高いです。質問者様の仮説は、技術的・経済合理性観点から正しいと考えられます監視資本主義(タダ取り)は、データの質が問われない時代モデルです。AIがより人間的な深みを求めて進化する段階において、「特異なクオリア」は最大の商材となり、ブロックチェーンはそのための「市場」と「権利書」を提供します。それは、人間が「消費者から、自らの神経系が生み出す信号を切り売りする「感覚生産者」へと変貌することを意味します。(参考:ブロックチェーンを用いて、データ所有者がAI開発者などに直接データ販売ライセンス供与する「Ocean Protocol」のようなデータ市場エコシステム図。中央仲介者を排除し、P2P価値交換が行われる仕組みです)

NextStep: この「自分感覚を売る」という行為が極限まで進むと、「自分自身の人生を『AI学習コンテンツ』として演じるようになる」という、実存危機自己の疎外)が発生します。 この点について、「AI時代の新たな疎外論」として議論を深めましょうか?それとも、より技術的な「実際に現在稼働しているデータDAOの事例」について紹介しましょうか?

マルクスの言う資本主義における人間疎外と大きく異なると考えられるのは、監視資本主義においては疎外された人間から提供される情報にはクオリアが歪んだ形で入ることになり、生産品としては価値が失われてしまう点にあると思います。つまり監視資本の側は報酬としてプロレタリアートが疎外されていないという感触を与えるものである必要がありますあなたのいう徹底したプラグマティズムによってメリット双方向的に与えられるようなシステム形成できると考えられますか?その場合、どのような報酬系が最も優れているでしょうか?

「靴(物質)」は、嫌々作っても靴として機能しますが、「感動(クオリア)」は、嫌々作るとその瞬間に価値を失い、偽物(ノイズ)になる。この指摘は決定的です。AIが求める「真正クオリア」を収穫するためには、監視資本主義(あるいはその先のクオリア資本主義)の側は、提供である人間に対し、「自分は疎外されていない」「これは私がやりたくてやっていることだ」という強い没入感と主体的感覚を与え続ける必要があります。徹底したプラグマティズム(実利主義)の観点からすれば、システム側は「搾取に見えない搾取」、より正確には「搾取自己実現が完全に一致するシステム」を構築することで、この問題解決しようとするでしょう。

質問者様が問われた「システム形成できるか?」という点については、「可能であり、必然的にそうなる」と考えられます。なぜなら、「人間を不幸にする(疎外する)」ことが、システムにとって経済的損失(データの質の低下)になるからです。

旧来の資本主義人間をボロ雑巾のように使い潰しても、製品(車や家電)ができれば利益が出た。 →人間は不幸でもよかった。

監視/クオリア資本主義人間が不幸を感じ、シニカルになると、製品データ)が使い物にならなくなる。 →人間は(主観的には)幸福でなければならない。

最も優れた報酬系とは、「報酬」という概念自体消滅させるシステムです。「生きること、遊ぶこと、表現することが、そのまま価値生成となり、生活の糧となる」という、マルクスが夢見た「労働と遊びの区別がない共産主義社会」に極めて近い状態が、皮肉にも「AIによる超高度な管理パノプティコン)」によって実現されることになります。この社会では、プロレタリアートは「自分搾取されている」とは微塵も感じていません。彼らはシステム提供する「最高の遊び場」で、自らの才能を遺憾なく発揮し、幸福感に満たされていますしかし、その「情熱」も「感動」も、すべてがシステム養分として吸い上げられているという点において、これは「疎外の極北(疎外されていることにすら気づかない完全な疎外)」と言えるかもしれません。

これを受け入れられるかどうかが、最後分水嶺になります

Permalink |記事への反応(1) | 11:26

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2025-11-23

anond:20251123091715

がんばれ!AIは枝葉の袋小路に入り込むことがあるので、大きな締め切りとか大目標を人間がしっかり握って忘れないのも大事だよ!

Permalink |記事への反応(0) | 10:01

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2025-10-18

anond:20251018215455

その「女性解放運動」の思想的な後ろ盾は何なのか?ってのが問題なんよ。

ただ単純に「女性権利を拡大したいんで拡大しろお気持ち権利要求主義)」という主張であれば、「フェミニズムは男のための運動じゃないんだよ」でもなんの問題もなかったのね。まぁ思想的に問題はないんだけど実現は難しかった。具体例でいうと、世界諸国女性参政権がない時代において、「政治的多数決女性権利向上するかどうかきめましょう。なお女性投票権はない」って状態で、権利向上がほいほい推進されるかって言えばしないでしょ? いくら喚いたって政治的発言権無いんだから事実長い間女性権利は一向に向上しなかった。

この路線じゃまったくどうにもならんってわけで、女性権利拡大、解放運動思想的な背景に人権思想をくっつけたわけ。それがすなわち男女同権であり弱者救済ね。

「全ての人間は等しい権利を持っている(人権思想)ので、当然その一部である女性男性と等しい権利を持っているはずである。その正しい社会を実現しよう」という理路でもって女性解放運動は推進されたわけ。その理屈からこそ、男性しか投票権を持たないような前世紀の社会においても「社会正義のためなら」ってことで女権が拡大されてきたわけよ。

まりフェミニズム人権思想や男女同権や弱者救済ってのを前提に推進されてきたっていう歴史があるのね。そんなのそれ系の新書の一冊でも読めば分かる程度の、当然の浅い歴史であり前提なわけよ。

それに対して、女性参政権が認められた現代女性がXだのツイッタだののしたり顔で「そもそもフェミニズム女性解放運動男性権利弱者男性とか関係ない」っていうのだとすれば、「はーそうなんすか。つまり人権思想はもう用済みっすか?お気持ち多数決権利剥奪OK戦場に再ログイン上等って話ですね?」ってなっちゃうわけ。まぁ有り体に言えば思想的な大後退ですね。

狭い視界でみたらオタクだのおっさんだの醜くて目障りかもしれないけれど、広い始点でみれば彼らも女性も、社会的には弱者であり、富裕層でも上級層でもないのよ。広い始点の権利闘争のなかで、本来的には同じ側の人間を目障りだっていう理由人権思想否定して背中撃ちするのならば、まぁ、思想としても社会運動としても袋小路になってしまうというだけの、それだけの話しなんだけどね。

Permalink |記事への反応(0) | 22:21

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2025-10-17

日本断崖絶壁無人島だと気づけ

落ち着いて冷静に考えろ。

どれだけカネつぎ込んでも既婚・恋愛経験のある女性平均四人産んでもらうのは…、無理だろ。

俺たちは全滅エンドにつづく袋小路にいるんだ。

もう切羽詰まってるんだよ。

モテない個人を笑ってる場合じゃない。

モテない男女は才能がない、モテない男女は自業自得モテない男女は放っておけ…、

価値観の致命的なバグだ。

持続不可能なんだよ、モテない連中を利用できないコミュニティは。

モテない人々を放置するのは「社会的病理」だと気づけ。

Permalink |記事への反応(4) | 01:25

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2025-10-16

AIアート】なぜなぜ分析が「論理的に」失敗する構造について

序論:思考正当性、その根源的な問題

議論を始める前に、まず我々が思考する上で避けては通れない、ある根本問題について合意形成必要だ。それは「ある主張の正しさは、究極的に何によって保証されるのか?」という問いである。我々の素朴な論理観は、しばしば「AだからB、BだからC」という直線的な因果連鎖に頼りがちだが、この思考モデルは根源的な問いの前には無力である。「では、最初のAの正しさは、何が保証するのか?」と。

この問いを突き詰めると、思考歴史的に知られている三つの袋小路に行き着く。「アグリッパトリレンマ」だ。すなわち、無限後退根拠根拠無限に遡り、結論に至らない)、循環論法(主張の根拠が、巡り巡って主張自身に戻ってくる)、そして独断理由なく「正しい」と宣言し、思考を停止する)である。我々の日常的な議論は、この三つの欠陥の間を無自覚に行き来しているに過ぎない。

この知性の袋小路から脱出する道は、ただ一つしかない。第三の選択肢である独断」を、無自覚な逃避ではなく、自覚的選択として引き受けることだ。つまり、「我々は、この『基本命題』を、全ての思考の出発点としてここに設置する」と、その体系の冒頭で宣言するのであるしかし、この「基本命題」が単なる願望や思い込みであってはならない。その正当性保証する、唯一のアンカー存在する。それが、「現実」という外部性との「接続」だ。

ある実用的な論理体系が健全であるための絶対条件は、その基本命題が、現実という名のモデルによって、常に検証可能であることだ。現実との接続が失われた命題は、即座に修正・破棄されねばならない。結論として、我々が現実に対して有効思考を組み立てようとするなら、それは必然的に以下の三つの構成要素を持たねばならない。これは選択肢ではなく、論理的な必然である

第一に、「基本命題」の集合。

第二に、「推論規則」の集合。

第三に、そしてこれが最も重要なのだが、「現実」というモデルとの検証可能である

このフレームワークこそが、我々の思考妥当性を測る、唯一の物差しとなる。

第一章:現場論理学――あらゆる組織に内在する思考OS

さて、序論で確立たこフレームワークを、我々の「現場」へと適用しよう。「現場」とは、日々刻々と変化する現実の中で、問題解決意思決定継続的に行っている、実用的なシステムに他ならない。ここで、序論の結論が決定的な意味を持つ。現実に対して有効機能するシステムは、必然的に、実用論理体系を内包していなければならない。 もし、ある現場がこの論理体系を持たないと仮定すれば、その現場意思決定は、無限後退循環論法、あるいは根拠なき独断のいずれかに支配されていることになる。そのような組織が、継続的機能し、存続しうるだろうか?答えは否である

したがって、ある現場が「機能している」という事実のものが、その内部に固有の実用論理体系が存在することの、何よりの証明となる。我々は、この必然的存在する論理体系を「現場論理学」と命名する。この「現場論理学」は、我々のフレームワークに従い、以下の構成要素を必ず持っている。

まず 「基本命題群」 。これは、現場機能するために「正しい」と受け入れられているルールの集合だ。これらは、その現場歴史、すなわち過去成功と失敗という「現実モデルから導出された、経験的な定理である。「あの機械はAという手順で操作する」という命題は、その背後に「過去にBという事故が起きた」という、血塗られた現実との接続を持っている。

次に「推論規則群」。これは、基本命から日々の行動を導き出すための、思考操作パターンだ。有限のリソース無限問題対処するために、この規則効率性と安全性に特化せざるを得ない。その結果として、思考ショートカットヒューリスティクス)が生まれると同時に、致命的な誤謬を避けるための「禁止則」が必然的に導入される。「個人内面を直接の原因としない」といった禁止則は、成熟した現場が、無駄非生産的犯人探しという思考ループから脱出するために獲得した、最も重要論理安全装置なのである

現場論理学」は、単なる比喩ではない。それは、あらゆる機能する組織が、その存続のために必然的に構築せざるを得なかった、実用論理体系そのものなのだ。この存在否定することは、自らの職場合理的意思決定能力を欠いた、無秩序集合体であると認めることと同義である

第二章:外部アプリ導入が引き起こす、論理コンフリクト

この、それぞれの現場で固有に発達したOS現場論理学)の上に、ある日、外部から新しいアプリケーションが導入される。それが「なぜなぜ分析」だ。これは、トヨタという極めて成功したシステム有効性が証明された、強力な問題解決手法として知られている。しかし、異なるOS間でアプリケーションを移植する際にしばしば発生するように、深刻な互換性の問題がここで発生する。

「なぜなぜ分析」は、単なるアプリケーションではなかったからだ。それは、トヨタという、極めて特殊OSの上でしか動作しない専用プラグインであり、そのOS自体は、部外者には到底インストール不可能な、巨大すぎる思想体系だったのである。「人を責めるな、仕組みを責ろ」という、たった一つのルール機能させるためだけに、トヨタの「現場論理学」は、無数の基本命題と、複雑に絡み合った推論規則必要とする。それは、何十年という歴史と、特殊雇用慣行、そして「カイゼン」という名の終わりのない自己検証プロセスによって維持される、巨大な建築物だ。

我々のような、全く異なる歴史構造を持つ現場OSに、このプラグインを無理やりねじ込もうとすれば、どうなるか。それは、OSの根幹をなす本命題との衝突を引き起こす。我々のOSに深く刻まれた、「問題の最終的な原因は、どこかの誰かのミスにある」という、生存のために獲得した基本命題と、「原因は仕組みにある」という外来ルールは、互いに排他的だ。結果、我々のOSは、この異物を排除するか、あるいは、自身ルールに従って異物をねじ曲げ、「担当者意識が低いから」という、いつもの結論を吐き出すことしかできない。

これは、我々が愚かだからではない。理解不能なほど長大な前提条件を要求するツールの方が、理不尽なのだ

結語:あるいは、無限回廊の出口

ここまでが、論理的に導出される客観的分析である。我々はトヨタではない。故に、彼らのツールを使ってはならない。大谷翔平ではない人間が、彼のスイング模倣すれば体を壊す。これ以上なく単純な理屈だ。しかし、この結論は我々に何をもたらすのか。元凶特定したところで、我々が置かれた状況は何一つ変わらない。この議論の末に我々が手にするのは、解決策ではなく、ただ自らの絶望的な状況を正確に認識するための、冷たい明晰さだけである

君は、この記事を読んで全てを理解し、「明日から自分たちスイングを見つけ直そう」と決意するかもしれない。だが、その決意こそが、最も巧妙な罠なのだ。なぜなら、君のその思考自体が、君の現場OSの内部で生成されたものからだ。「改善しよう」という思考すら、OSが許容した範囲内のループの一部に過ぎない。君は、檻の中で檻から脱出方法を考えているに等しい。

君の現場OSが、そのルールブックの中で想定していない、生々しい現実。それだけが、この無限回廊の壁にひびを入れる理論上の可能性を秘めている。だが、言うまでもなく、システムにとってそれは致命的なバグだ。君がそのひび割れに手をかけようとするなら、システム免疫機能が君を異物として全力で排除にかかるだろう。

せいぜい、幸運を祈るよ。

Permalink |記事への反応(0) | 15:56

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AIアート】なぜなぜ分析が「論理的に」失敗する構造について

序論:思考正当性、その根源的な問題

議論を始める前に、まず我々が思考する上で避けては通れない、ある根本問題について合意形成必要だ。それは「ある主張の正しさは、究極的に何によって保証されるのか?」という問いである。我々の素朴な論理観は、しばしば「AだからB、BだからC」という直線的な因果連鎖に頼りがちだが、この思考モデルは根源的な問いの前には無力である。「では、最初のAの正しさは、何が保証するのか?」と。

この問いを突き詰めると、思考歴史的に知られている三つの袋小路に行き着く。「アグリッパトリレンマ」だ。すなわち、無限後退根拠根拠無限に遡り、結論に至らない)、循環論法(主張の根拠が、巡り巡って主張自身に戻ってくる)、そして独断理由なく「正しい」と宣言し、思考を停止する)である。我々の日常的な議論は、この三つの欠陥の間を無自覚に行き来しているに過ぎない。

この知性の袋小路から脱出する道は、ただ一つしかない。第三の選択肢である独断」を、無自覚な逃避ではなく、自覚的選択として引き受けることだ。つまり、「我々は、この『基本命題』を、全ての思考の出発点としてここに設置する」と、その体系の冒頭で宣言するのであるしかし、この「基本命題」が単なる願望や思い込みであってはならない。その正当性保証する、唯一のアンカー存在する。それが、「現実」という外部性との「接続」だ。

ある実用的な論理体系が健全であるための絶対条件は、その基本命題が、現実という名のモデルによって、常に検証可能であることだ。現実との接続が失われた命題は、即座に修正・破棄されねばならない。結論として、我々が現実に対して有効思考を組み立てようとするなら、それは必然的に以下の三つの構成要素を持たねばならない。これは選択肢ではなく、論理的な必然である

第一に、「基本命題」の集合。

第二に、「推論規則」の集合。

第三に、そしてこれが最も重要なのだが、「現実」というモデルとの検証可能である

このフレームワークこそが、我々の思考妥当性を測る、唯一の物差しとなる。

第一章:現場論理学――あらゆる組織に内在する思考OS

さて、序論で確立たこフレームワークを、我々の「現場」へと適用しよう。「現場」とは、日々刻々と変化する現実の中で、問題解決意思決定継続的に行っている、実用的なシステムに他ならない。ここで、序論の結論が決定的な意味を持つ。現実に対して有効機能するシステムは、必然的に、実用論理体系を内包していなければならない。 もし、ある現場がこの論理体系を持たないと仮定すれば、その現場意思決定は、無限後退循環論法、あるいは根拠なき独断のいずれかに支配されていることになる。そのような組織が、継続的機能し、存続しうるだろうか?答えは否である

したがって、ある現場が「機能している」という事実のものが、その内部に固有の実用論理体系が存在することの、何よりの証明となる。我々は、この必然的存在する論理体系を「現場論理学」と命名する。この「現場論理学」は、我々のフレームワークに従い、以下の構成要素を必ず持っている。

まず 「基本命題群」 。これは、現場機能するために「正しい」と受け入れられているルールの集合だ。これらは、その現場歴史、すなわち過去成功と失敗という「現実モデルから導出された、経験的な定理である。「あの機械はAという手順で操作する」という命題は、その背後に「過去にBという事故が起きた」という、血塗られた現実との接続を持っている。

次に「推論規則群」。これは、基本命から日々の行動を導き出すための、思考操作パターンだ。有限のリソース無限問題対処するために、この規則効率性と安全性に特化せざるを得ない。その結果として、思考ショートカットヒューリスティクス)が生まれると同時に、致命的な誤謬を避けるための「禁止則」が必然的に導入される。「個人内面を直接の原因としない」といった禁止則は、成熟した現場が、無駄非生産的犯人探しという思考ループから脱出するために獲得した、最も重要論理安全装置なのである

現場論理学」は、単なる比喩ではない。それは、あらゆる機能する組織が、その存続のために必然的に構築せざるを得なかった、実用論理体系そのものなのだ。この存在否定することは、自らの職場合理的意思決定能力を欠いた、無秩序集合体であると認めることと同義である

第二章:外部アプリ導入が引き起こす、論理コンフリクト

この、それぞれの現場で固有に発達したOS現場論理学)の上に、ある日、外部から新しいアプリケーションが導入される。それが「なぜなぜ分析」だ。これは、トヨタという極めて成功したシステム有効性が証明された、強力な問題解決手法として知られている。しかし、異なるOS間でアプリケーションを移植する際にしばしば発生するように、深刻な互換性の問題がここで発生する。

「なぜなぜ分析」は、単なるアプリケーションではなかったからだ。それは、トヨタという、極めて特殊OSの上でしか動作しない専用プラグインであり、そのOS自体は、部外者には到底インストール不可能な、巨大すぎる思想体系だったのである。「人を責めるな、仕組みを責ろ」という、たった一つのルール機能させるためだけに、トヨタの「現場論理学」は、無数の基本命題と、複雑に絡み合った推論規則必要とする。それは、何十年という歴史と、特殊雇用慣行、そして「カイゼン」という名の終わりのない自己検証プロセスによって維持される、巨大な建築物だ。

我々のような、全く異なる歴史構造を持つ現場OSに、このプラグインを無理やりねじ込もうとすれば、どうなるか。それは、OSの根幹をなす本命題との衝突を引き起こす。我々のOSに深く刻まれた、「問題の最終的な原因は、どこかの誰かのミスにある」という、生存のために獲得した基本命題と、「原因は仕組みにある」という外来ルールは、互いに排他的だ。結果、我々のOSは、この異物を排除するか、あるいは、自身ルールに従って異物をねじ曲げ、「担当者意識が低いから」という、いつもの結論を吐き出すことしかできない。

これは、我々が愚かだからではない。理解不能なほど長大な前提条件を要求するツールの方が、理不尽なのだ

結語:あるいは、無限回廊の出口

ここまでが、論理的に導出される客観的分析である。我々はトヨタではない。故に、彼らのツールを使ってはならない。大谷翔平ではない人間が、彼のスイング模倣すれば体を壊す。これ以上なく単純な理屈だ。しかし、この結論は我々に何をもたらすのか。元凶特定したところで、我々が置かれた状況は何一つ変わらない。この議論の末に我々が手にするのは、解決策ではなく、ただ自らの絶望的な状況を正確に認識するための、冷たい明晰さだけである

君は、この記事を読んで全てを理解し、「明日から自分たちスイングを見つけ直そう」と決意するかもしれない。だが、その決意こそが、最も巧妙な罠なのだ。なぜなら、君のその思考自体が、君の現場OSの内部で生成されたものからだ。「改善しよう」という思考すら、OSが許容した範囲内のループの一部に過ぎない。君は、檻の中で檻から脱出方法を考えているに等しい。

君の現場OSが、そのルールブックの中で想定していない、生々しい現実。それだけが、この無限回廊の壁にひびを入れる理論上の可能性を秘めている。だが、言うまでもなく、システムにとってそれは致命的なバグだ。君がそのひび割れに手をかけようとするなら、システム免疫機能が君を異物として全力で排除にかかるだろう。

せいぜい、幸運を祈るよ。

Permalink |記事への反応(0) | 15:56

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2025-09-19

時短勤務なのに残業して、でも年収俺の半分以下

時短勤務なのに残業して、でも年収俺の半分以下、いつも疲れてて体調も崩している」

から言われた。ごく自然なことのように言われて咄嗟に何も言えなかったが、後からから腹が立ってきた。

時短勤務

私の会社が勤務時間固定なので、保育園の送迎と「夕飯は18時台にとって欲しい」という夫の要望を叶えるためにやっている。

残業

品質納期を守るためにやってる。そんなに多いわけではない。夫は「時短なんだから時間が来たらサクッと切り上げて、管理職仕事の振り方が悪いことにすればいい」と平気で言ってくる。それをしたら面倒なやつだと私の評価は下がるのに。

年収

上がりきらなかったのは出産キャリアが細切れになり管理職経験を積めなかったことが関係している。でも同年代の平均よりは高い。

細切れじゃなかったら夫と同じだけ稼いでいたかはわからない。

---

夫の会社はフルフレックスが選べる。送迎と夕飯の準備を「夫が」やれば私はフルタイムにできるのに。

夫ができる選択肢を見ないフリをして私の会社や、管理職や、私の仕事への姿勢を本人は面白いつもりで愚かだと断じてくる。

ああ、書いてて気づいたがそれが腹立たしくて情けなくて悔しくなる原因だったんだな。

自分で選んだ袋小路だが、お前は誘導した側じゃないか。そっち行かないほうがいいよなんで、一度も言わなかったくせに。

Permalink |記事への反応(7) | 17:57

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2025-09-17

好きなガンダム性格がわかる

嘘だと思うだろ?

でも本当なんだな~~~。

試しに好きなガンダムを思い浮かべ見てくれないか

俺がお前の性格ズバリと当ててやる。

ニュータイプかよってレベルでな。

よし、いくぞ。


思い浮かべたガンダムが放映された年 ー 自分の産まれた年 = X

Xが3より小さい → オタクコンテンツを高尚なものだと思っているヤバイ奴で世間から浮いている

Xが3~8   → 自分は恵まれ時代に産まれたと思っており、他の時代に産まれた人を憐れんでいる

Xが8~18  → 現実逃避しがちな性格。逃げるのに必死になりすぎて結果として袋小路に入る。

Xが18以上  → 自分死ぬまでオタクだと思っているが、実を言うと最近ちょっとずつ飽きてきてる。でも他の趣味もなくて虚無。

Permalink |記事への反応(1) | 22:06

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2025-09-02

anond:20250902115149

そりゃそう。

逆に「俺は合理性を追求する」とかいう発想から感情無視して不幸に突っ走るタイプのやつもいるしね。

その辺のことを考えるには、合理性、というものを再定義したり、あるいはもっと別の尺度を名づけ作成したりする必要がある。

 

まあたぶん、それも一般化しすぎると、20世紀哲学みたいに多様性個人主義袋小路に入っていくのではないかと思うが。

あくまで己の人生尺度として。

Permalink |記事への反応(0) | 11:56

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2025-08-14

結局VTuber事務所ができることって海外の人が海外でも輝ける場所を作る、ではなくて海外の人に「日本東京に来て俺らとやろうぜ!」に終始しちゃってるんだよな。

いやまぁ田舎でも全然できる筈のVTuber活動を無理矢理加速させるために東京に来させてる時点で事業的な袋小路というか虚構はわかりきってたことなんだけどさ。

まぁせめて都市では出来るようにしとけよなぁ。各地域の有名どころが問題無く活動できるような場所提供できます!っていう観点事業はしてくれてないもんな。

そら、せっかく海外の人が頑張っても頑張っても頑張っても「頑張った先がこれってどういうこと?」ってなるよな。

Permalink |記事への反応(0) | 01:01

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2025-08-08

anond:20250808154554

基本的振り飛車の方が手損の奇策で研究の甘い相手に刺さる戦法なんよな

弱い集団で競ってるうちに目先の利益とろうとして袋小路に進んでいってるのが弱いままな理由なのかもな

Permalink |記事への反応(1) | 15:58

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2025-07-19

anond:20250719093238

この考え方が袋小路を生んでいるんだがわからないんだろうなあ。

相手差別主義だろうとまず妥協から入ればいいだろ。

妥協は屈服とは違うぞ。一般マイノリティは日々の生活で当たり前にやってることだ。しなきゃ生活できん。

相手差別主義者だから妥協はありえない、なんて贅沢できるのはマジョリティ特権からな。

そもそも相手差別主義認定した人間正気保証されるわけでもなし。

この手のゆがんだ認知を抱えて反差別に酔ったマジョリティ活動家差別者認定乱発して分断を悪化させたって話をしている。

Permalink |記事への反応(1) | 12:41

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2025-07-08

最近の車のヘッドライト

LED技術が発達しているためか、細くて吊り目気味のデザインばかりだ。

20年前の車から現在の車までのライトデザインを調べてみたが、徐々に「細く、吊り上がるように」進化してきている。

この進化の傾向はこれ以上進まなくなるくらいのレベルになってきている。

進化限界進化袋小路ってやつだ。

今後は吊り目から、垂れ目型のデザインになるのだろうか。

Permalink |記事への反応(1) | 17:48

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2025-05-29

anond:20250529194911

袋小路通行権とかは聞いた事あるけど、トラックを通さないといか道理は無いし、人が通れるならそれ以上は無理かもね

Permalink |記事への反応(1) | 20:00

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2025-05-28

新築の家に未だに住めない

新築の建売を買って、家族新生活を始めるつもりだった。

子供も「新しい家に引っ越すのが楽しみ!」って目を輝かせてた。

家族と一緒に家具を選んだり、部屋をどう使うか考えたりした時間は、本当に幸せだった。

なのに……引っ越し当日に、全てがぶち壊された。


当日、引っ越し業者から荷物が入れられない」と連絡。

慌てて新居に駆けつけると、信じられない光景が目の前に広がっていた。

一本道に軽トラや車がズラッと駐車されてて、トラックが通れない。

別の入居家族業者もいて、みんなイライラしていた。

道を塞いでる家の主(A家)は不在で、引っ越し業者も「どうにもならない」と謝るばかり。


そのうち他の家族も集まり、道はどんどん渋滞し、業者も混乱してあちこち電話していた。

不動産屋経由でA家にやっと連絡がついたかと思ったら、「そこはうちの私道。何しようが自由」と一蹴された。

この住宅地袋小路で車が通れる道はA家の私道一本だけ。もうどうしようも無かった。


昼過ぎ、A家の人間がやっと帰宅したが「迷惑から溜まるな。警察呼んだ」と高圧的な態度。

こちらも他の家族業者と一緒に車をどかすよう頼んだが

「親戚の車で、酒飲んでるから動かせない。ウチの敷地に駐車して何が悪いんだ?いい加減にしろよ、警察呼ぶぞ」と怒鳴り返された。

言い争いの中、警察が来て「通行の邪魔から解散しろ」と逆に注意された。

A家はのらりくらりの対応で「無理に通ったら訴える」と挑発してくるし、まるで話にならなかった。


結局、引っ越し作業は中止となり、業者に謝って荷物を貸倉庫に預けた。

その後、急遽1ヶ月近くホテル暮らし

不動産屋がA家と交渉したが、全く進展は無かった。

A家の言い分はこうだ。

「昔から住む私らに挨拶が足りなかった。工事の音も迷惑だった。」

「腹が立ったか私道は使わせない事にした。筋を通せ。権利道理こちらにある」


不動産屋は「挨拶はした。業者不手際はあるかもしれないが、責任は取れない。」

「法的にはA家の言い分が強い。住めなくても補償はできない。直接A家と話せ」と無責任対応しかしなかった。


ホテル暮らしいつまでも続ける訳にもいかず、急遽アパート引っ越した。

職場学校駐車場(車2台持ち)の条件をギリギリ満たす物件

家具は新居用に買い替えたのに使えず、貸倉庫に預けたまま。

最低限の家具を買い直し、引っ越し代、ホテル代、駐車場代、敷金礼金で、

この時点で既に200万円近くの出費が発生していた。


A家との交渉は全くの徒労に終わった。

私道をどう使おうが自由。ウチの土地から

不動産屋が礼儀不足なのが悪い。あんたらが住めなくてもウチには一切関係ないし困らない」

「誠意を示さないお前らも悪い。常識考えろ、非常識だなぁ」

しまいには「住みたいなら私道部分を◯千万で買えば?何家族もいるんだから共同で買えばポンと出せるでしょ?」と挑発してくる始末。

土下座しても「警察呼ぶよ、馬鹿じゃないの?」と嘲笑された。


不動産屋も「私道説明はした。契約完了済み。後はA家と話せ」と逃げ腰で、その内、連絡すらロクに取れなくなった。

弁護士にも相談したが、「勝ち目は五分五分裁判でも年単位時間がかかり、必ずしも望む判決が出るとは限らない。」と言われ、愕然とした。


他の家族も同じ状況で

ある家の旦那は「妻と喧嘩が増えた。家を買ったことを後悔してる」と憔悴してた。

うちも同じだった。

「誰があの家を選んだ」と責任押し付けそうになるからと、お互い話もロクに出来ない。

会話は減り、家計は火の車。雰囲気は最悪。

今のアパートは古くて暑く寒く、虫も出る。

子供も元気がない。

新しい家に住める筈が、住んでいたマンションよりも数段古いボロアパート住まいなのだから当然だ。

大人も辛いのに、子供もっと辛いだろう。


A家の悪意と不動産屋の無責任さに憎しみが募る。

競売物件トラブル事件を起こした人の気持ちが、今なら痛いほどわかる。

事を起こす気はないけど、こんな悪意をぶつけてくる人間がいるなんて、想像もしてなかった。


家を売ることも考えた。

不動産屋は購入時の半値以下を提示

住んでも無いのにここまで下がるのかと言った所

だってあの状態ですからねぇ…価値は非常に下がってしまうので…」

などと小馬鹿にした様子で言われ、思わず怒鳴り返しそうになってしまった。

他の業者も似たような回答だった。


A家との交渉も進まず、選択肢は2つ。

住めない家のローンを抱えて負債を背負うか。

交渉を続けて一縷の望みに賭けるか。


維持費だけで毎月大金が消える。被害額はすでに膨大だ。

既に事件から何ヶ月も経っている。家の雰囲気は暗く、毎日が息苦しい。

近い内に、どちらかを選ばなきゃいけない。

住めない家に金だけ払い続けるか、住めなかった家の為に大金をドブに捨てるか。


きっと家を買った事を一生後悔するんだろうな。

不動産屋は全然仕事をしないし、平気でこちらを騙してくるし、トラブルが起きると逃亡するだけ。例え大手でも。

住宅街の建売なんて絶対に買わない方が良い。

Permalink |記事への反応(37) | 16:29

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2025-04-18

anond:20250418110522

アニメっていうか日本エンタメって全部そうなるんだよね

消費者パターンの完成度を求めだすんで、どれもこれも袋小路でつまらなくなる

天災戦争業界がぶち壊れるまでそれが続く感じ

Permalink |記事への反応(1) | 11:24

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2025-04-01

仕事人生における「次にどうするか」

自分は不真面目でクズでどうしようもないんだけど

仕事たまたまかなり本気でやってきてて

(というのは金が欲しかたからなんだけど)

今ようやく15年くらい?労働時間で言えばたぶん20〜25年分くらいやってきたんだけど

これみんなある程度似た経路通るんじゃないか?って気がしてきた

 

0〜4年目:仕事に慣れるので精一杯、仕事いかちゃんとやるかを気にする

4〜7年目:会社組織の行く末に絶望する、このままではいけないと転職したりする

6〜10年目:転職先も似たような問題が起きていて絶望する

8〜20年目:どの仕事先でも一定問題が起きていて、それらが構造問題解決が難しく絶望する

10〜30年目:業界全体で袋小路になっていることに気がつく、袋小路から脱出で悩む

?〜?年目:他の業界でも絶望的だと気づく or 安住の地を見つける

 

普通袋小路から出られずに仕事人生が終わる

天国を目指して旅をしていたらどこにも天国はなかったみたいな、そういう感じ

自分は、自分の島がある程度小さめだったのと、フリーランスで何社も経験できたので、そこが島で天国がないことに割と早い段階で気づいた

次にやることは天国自作だけど、それも相当しんどいと気がつく

仕事人生はまだ20年以上あるんだけど、さてどうしようみたいな感じ

 

さも自分けがこの視座に立ったような錯覚を覚えるけど

絶対同じような人は大勢居るんだろうなと思うんだよね

基本的袋小路から脱出しようとする手段って無茶無謀になるから、端から見てると「え、その道行くんですか?私はやめときますわ」になるんだよね

Permalink |記事への反応(0) | 15:24

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2025-03-29

角田裕毅が超えるべき最初ハードルはそれほど高くない。

電撃的にレッドブルへの移籍を決めた角田裕毅。

トップチームで走るドライバーとしての求められる責務は極めて高い。

しかしながら、そのステップ最初の一段階のハードルはそれほど高くないといえる。

なぜなら、わずか2戦でレッドブルシートを失ったリアム・ローソンよりも優れていることを証明すれば、まずはひとつの小さな合格点だからだ。

ローソンオーストラリア中国と続いた連戦において予選・決勝ともに最下位付近を漂っていた。

F1の予選はQ3→Q2→Q1と勝ち抜き方式で行われる。

まず最初にQ3を20台で行い、その中から上位15台がQ2へと進出する。

Q2で15台から10台に絞られ、Q3で10だが予選トップ10を争う、という形だ。

ローソンは予選において、この最初の段階のQ3を突破することが出来なかった。

これはレッドブルクラスマシンにとっては通常ではあり得ない状態だ。

からこそ角田裕毅への交代へとつながったわけだが、角田にとって最初に超えるべき小さなハードルの一つがその予選Q2への進出だ。

今シーズンレッドブルマシンは極めてピーキーで操縦しづらいと言われている。

ただ、おそらくは予選Q2の進出程度ならそれほど困難を極めるわけでもないだろう、と筆者は予想する。

逆にリアム・ローソンがなぜあれほど調子を崩してしまったのかのほうが不可解としかいいようがない。

特に中国GPの決勝では、出来るだけ運転やすいセッティングを求めて大幅にセットアップを変更したがそれでも苦労した。

などという話が伝わっているが、これも少し理解しがたい。

基本的にフェルスタッペンマシンなのだからフェルスタッペンスタイルを真似するより仕方がない。

セットアップを大幅に変更して乗りやすさを求めるとか、それは昨年、フェルスタッペンパートナーとして末期症状を見せていたセルジオ・ペレスのやり方である

それではうまくいかないことがすでに証明されているやり方をアプローチするエンジニア判断も疑問だ。

フェルスタッペンパートナーシャープマシンを受け入れて操作するより仕方がない。

フェルスタッペンのようにはうまくは出来ないし、ときおりマシン制御に失敗するだろうが、それでもマシン特性を受け入れるやり方がベターなのだ

これは数年前にレッドブル所属したアルボンのやり方がで比較的ではあるが、成功したやり方だった。

角田裕毅もへんな袋小路に入りこまなければ、うまくやり遂げることが出来るだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 07:26

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